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■夏の日の想い出・アルバムの続き(4)

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禅海が中津国・耶馬溪の樋田村に来た時、青野渡りという、崖の中腹を、渡したロープをつたって通らなければならないとても細い道がありました。しかも片側は山国川が堰き止められて作られた人工湖で、落ちたら死ぬと思いました。
 
禅海が近くのお寺・羅漢寺を訪ね、御住職(揚浜フラフラ)に話を聞くと青野渡りでは毎年何人も川に落ちて亡くなっているといいます。
 
「迂回路は無いのですか?」
「あそこは斜面が急だから深い山を越える必要がある」
「せめて道幅を広げるとかは」
「岩盤がものすごく堅くて、とてもそんな工事はできないのだよ」
 

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禅海はしばらく羅漢寺に滞在していましたが、ある日の夕方、女の子(岩旗月恵)が泣き顔でお寺に入ってきました。住職が尋ねます。
 
「ハナちゃん、どうしたの?」
「トリちゃんが見当たらないの」
 
住職と禅海が顔を見合わせます。
 
「この近くで遊んでたの?」
「みんなでかくれんぼしてたの。私がオニで、みんな隠れてて他の子は見付けたけどトリちゃんだけ見付からなくて。トリちゃん隠れ方うまいねと言ってたんだけど、そろそろ帰ろうという時にもトリちゃんの居場所が分からなくて。それでみんなで手分けして探すけど、誰も見付けられなくて」
 
「それはいかん。禅海殿、村まで行って人手を集めてくれんか。私はこの子と一緒に探す」
「はい」
 
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それで禅海は村まで走り、村の庄屋(大林亮平)に報せます。それで村人が多数集まって羅漢寺に向かい、行方不明になっている女の子を探しました。
 
どこかの崖にでも落ちてないかと、危険な場所の捜索などもしますが見付かりません。
 
やがて日が暮れるので子供たち(演:劇団桃色鉛筆)は各々の母親(フラワーサンシャイン・信濃町ガールズ)と一緒に家に帰します。でもハナだけは「私見付かるまで待ってる」と言うので、母親(桜井真理子)と一緒に寺で待機しました。庄屋の娘(安原祥子)が、ハナ母娘、そして泣きそうな顔をしているトリの母(立花紀子)に麦飯のおにぎりをあげて「きっと見付かるから」と励ますのでした。
 

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やがて日が暮れてしまいますが、村の男たちは松明(たいまつ)を持って行方不明の子供を探し続けます。その時、庄屋(大林亮平)が言いました。
 
「もしかして鬼岩窟(おにのいわや)に入り込んだのでは?」
「可能性はあるな。あそこに入り込んだとしたらことだぞ」
と住職もいいます。
 
「“おにのいわや”とは?」
と禅海が尋ねます。
 
「羅漢山には多数の洞窟があって、その洞窟ごとに多数の羅漢様が安置されているのだが、ひとつとても深い洞窟があって、その果てを見た者は無いのだよ」
 
「そこを探しましょう」
「しかし中は真っ暗闇だから探しに入れば我々が出てこられなくなる。探検してみると言って入って行った者もいるが出て来られた者は誰もいない」
 
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「諸国を巡礼している時、やはり洞窟の多い長門国(ながとのくに)で洞窟に入る時の方法を聞きました。誰か外側に立っていて糸巻の糸の端を持ちます。洞窟の中に入る者は糸巻から糸を出しながら歩いて行くのです。そうすればどんなに深く入っても、必ず戻れます」
と禅海は言いますが、村人は半信半疑です。
 
「その洞窟に入る役、私がやります」
と禅海は言いました。
 
「いや私にやらせてください」
とトリの父(月城すずみ)(*11)が言いますが
 
「父親なら本人を見付けた瞬間、喜びの余り糸巻を離してしまうかも知れません。そしたら2人とも戻れなくなります。あなたは入口で糸の端を持っている係をお願いします」
 
「それとどなたか、私と一緒に中に入り、松明を持っている係をお願いでききせんか」
と禅海が言うと
 
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「それは私がしよう」
と和尚が言いました。
 

(*11) この部分は千葉のララランド・スタジオで撮影している。撮影時期は8月下旬で『竹取物語』に出演してもらった信濃町ガールズの兄弟たちが多数残っていた。特に月城すずみ・水巻アバサは多数のドラマに出演した。洞窟はセットである。内側に岩盤っぽいものを貼り付けた多数の段ボールのユニットを組んで作った。このあと『少年探偵団』でも使い回しする!(だから予算が取れた)洞窟の入口は実は『お気に召すまま』の“公爵の洞窟”のお下がり!
 

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それで庄屋さんが糸巻の特に大きな玉を持って来てくれて、その端をトリの父親が持ちます。この糸の端は別の糸巻の端と結びました。こうしておくと糸がひっぱられた時にこの糸巻から糸を送り出してやることができます。
 
それで禅海が糸巻を持ち、羅漢寺住職が火を点けた松明、予備の松明3本を持って中に入っていきます。禅海は左手を洞窟の壁に付けており、分岐があった場合は原則として左側の道に進みました。
 
「左手法といって必ず左に進むようにしていれば迷いにくいのですよ。左手は常に洞窟の壁に付けていれば分岐を見落とすこともありません」
 
「へー」
と住職は感心していました。
 
(挿入歌Flower sunshine『迷い道暗い道』)
 
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探索していると時々洞窟が行き止まりになっていて戻ることもありました。その時は糸をたぐりながら戻ります。そして分岐点まで戻った時は一度入った分岐には目印に壁に経文を貼り付けておきました。
 
洞窟内を歩いていて途中3体の古い人骨を見付けました。過去に入っていき出られなくなった人と思われました。2人は合掌して般若心経をあげました。
 

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こうして洞窟内を探索して半時(はんとき=1時間)も経った頃、女の子の泣き声が聞こえました。
 
「近くに居る」
「おーい、今助けに行くぞ」
「そこから動かずにじっとしていなさい」
「はい、分かりました」
 
禅海と住職は二分(にぶ=現代の時法でいうと6分(ぷん)6 minutes)もすると泣き顔で座って待っている女の子(神田なるみ)を見付けました。
 
「トリちゃん、みーつけた」
と住職が言うと、トリは
「見付かっちゃった」
と少し笑顔になって答えました。
 

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その後は体力のある禅海がトリを抱き、住職が2本目の松明を持って糸のある方角へ歩いて戻りました。糸巻はトりを見付けた場所に置去りです。帰りは一刻(いっこく 30分)ほどで出口に戻ることができました。
 
「お母ちゃん!」
「トリ!」
 
居ても立ってもいられずに洞窟の入口まで来ていた母親(立花紀子)がトリをしっかり抱きしめました。トリはそのあと、待っててくれたハナちゃんに
「トリちゃん見っけ」
とあらためて言われて抱き合って2人とも泣きました。(父は無視!)
 

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その夜、禅海が寺で寝ようとしていた時、
「そうだ!」
と大きな声をあげました。
 
翌朝、禅海は自分の思いつきを住職に説明しました。
 
「山を越えるには険しすぎる。道を広げるには堅すぎるというのなら、岩の中に洞穴を鑿つ(うがつ)というのはどうでしょう?」
 
「それは原理的には可能かも知れないが1間(けん)や2間(けん)の穴を掘るのではない。恐らく100間(けん)ほどの長大な穴を掘らなければならない。人間わざで出来ることではない」
 
「でも1月で1尺掘ることができれば100間は600ヶ月、50年あれば掘り通すことができます」
「おぬし、それをやるつもりか?」
 
(1間(けん)=6尺。だから100間は600尺。1尺は30.3cm。しかし禅海も和尚も掛け算・割り算ができているのは偉い)
 
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禅海は庄屋さんの所にも行って計画を説明しますが、50年掛けて掘るという話に「そんなの不可能だ」と言います。でも計画のための調査をすることは許可してくれました。
 
山の状況を把握するのに猟師(獄楽)を紹介してくれたので、彼と一緒に山の中を歩き回りました。歩いた歩数を数え、それを矢立(*12)を使って記録します。
 
(この場面を耶馬溪の実際の山の中で撮影した:現地の本職の猟師さんに協力してもらった。なお九州に熊は居ないが猪は居る。幸い危険な獣には出会わなかった。極楽の出番はここだけで彼はスタジオには入ってない!)
 
この調査のための費用は庄屋さんが出してくれました。禅海は対岸からも青野渡りの様子を観察したりして、この近辺のかなり正確な地図を作りました。そして固い岩盤がある地域を確認し、洞門を掘るための最適なルートを作成したのです。ここまでに2年ほど費やしています。
 
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「しかし山に穴をうがつとして、掘っている内にきっと方角が分からなくなるぞ」
「はい。私もその問題を考えました。それで、現在の崖沿いの道の近くに掘り、だいたい5間(けん/5間=9m)くらいおきに横へ掘って外の道に繋ごうと思うのです。すると崖際の道を通る人の退避場所にもなりますし、洞門の明かり取りにもなります。また穴がどの程度曲がってしまったかも分かります」
 
「なるほどー。明かり取りが無かったら洞門内で迷子になるな」
 
(昔は電灯も無い!)
 

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庄屋はそのような工事をするなら殿様の許可が必要だと言いました。それで、半年ほど掛けて詳細な計画書を書いた上で、庄屋(大林亮平)・羅漢寺住職(揚浜フラフラ)とともに中津藩主・奥平昌成(鳥居プロデューサー!)に工事許可を願い出ました。藩主は計画書を普請奉行に検討させた結果、半年後に工事の許可が出ました。
 
また殿様は少し寄付までしてくれました。
 
「これは藩としての工事費の下賜ではなく、あくまで余の小遣いからの寄進じゃ」
「ありがとうございます」
 
(殿様が寄付してくれた以上、工事が失敗したら禅海は切腹するしかない)
 

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(*12) 矢立(やたて)は時代劇などにも出てくるが、筆と墨壺をセットにした携行用筆記具。鎌倉時代から使われ始め室町時代後期にかなり完成した。そして江戸時代後期に、現在の時代劇に見るような柄杓型の携帯性に勝れたものが現れた。禅海と同時代の松尾芭蕉は、扇のように蓋をスライドさせると筆と墨壺が現れるような矢立を使っていた。墨壺は保水性のある素材に墨を吸収させていて適宜水を追加した。禅海が使用したのもこのタイプと思われたので小道具さんが当時の絵などを見て制作した。
 

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工事の資金は殿様ほか、庄屋さんや羅漢寺住職も少し寄付してくれましたが全然足りません。禅海は近隣の村まで托鉢に廻り、浄財の寄付を頂いて、その資金で職人を雇い、掘り始めました。お金が無くて職人を雇えない日は少しでも工事を進めようとして禅海自らノミを振るいました。トリの父(月城すずみ)も
 
「私は腕力無いけど少しでもお手伝いしますよ」
 
と言って手伝ってくれました。
 
(挿入歌Flower sunshine『一歩一歩』)
 

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禅海の所に麦飯を持って来てくれたトリの母(立花紀子)が言います。
 
「お坊さん、大黒要らない?」
 
「は?」
「お相手してもいいよ」
 
禅海は一瞬何のことかと考えましたが、意味が分かると笑ってノミを振るいながら答えました。
「私は仏道修行の身。女犯(にょぼん)は自ら封じているのです」
「もしかして心に思う可愛い女性(ひと)がいるとか?」
 
ここに一瞬、アクア?と思われる女性の後姿が映る。
 
(視聴者には物凄く受けたが、このシーンはアクア(M)!の抗議で再放送ではカットされた。DVD版にも収録されていない。もちろん撮影されたのはF!(ノーギャラ・ノンクレジット)でもそれで鳥山は、やはりアクアは双子姉弟なんだなと思った)
 
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「私は生まれて40年間女性とそのようなことはしておりませんし、今後もすることはありません」
「もしかして、ちんちん取っちゃった?お坊さんには、らせん(*13) とか言って、時々取る人いるらしいけど」
「ありますよー。ちゃんと立ちますよ」
「へー。それでしないって凄いね。うちの父ちゃんなんか毎晩するのに」
「仲がいいですね」
 
(このやりとりは立花紀子が理史をからかうのに発案した)
 

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(*13) きっと「羅切(らせつ)」の誤り。主として煩悩(性欲)を滅するため自分で男性器を切断すること。羅は“魔羅(まら)”の略。
 
「禅坊主、羅切してから、無一物」(誹風柳多留)
 
日本でも修行僧で羅切をおこなう者はそう珍しくなかったという。
 

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トリの両親やハナの両親など協力してくれる人は居ましたが、大多数の村人は「あの山に穴を空けるとかできるわけない」と言って、可能な範囲の寄進はしてあげるものの、笑っていました。
 
禅海の工事が進められる間にも毎年数人が青野渡りから足を滑らせて転落し亡くなっていました。その供養に参加しつつも禅海は作業を進めました。
 

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しかし5年後、禅海が主導して掘り進めていた洞門が5間(9m)ほどの長さに到達し、青野渡りの途中につながった時、村人は
「ひょっとしたらこの洞門は可能かも知れない」
と思うようになります。
 
寄進する人たちが増え、作業の手伝いをしてくれる者も増えていきます。樋田村周辺の住民たちも寄進してくれて、中津藩主や更には中津藩周辺の領主からも寄進があり工事はスピードアップしました。
 
(挿入歌Flower sunshine『一歩一歩』)
 
ついに20年後、青野渡りの約半分をカバーするバイパス道が完成しました。そして今まで危険な道で命を落とした人を供養する法要が行われました。
 

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ここで村ではこの半分までできたバイパス道で通行料を取ることにしました。通行料は「人間4文(100円)、牛馬は8文(200円)」という安価なものでしたが、この通行料で残りの工事を進めようというものです。
 
通行料を取っている人:水巻アバサ
通行人:ΛΛテレビ社員
 
この結果、工事のための資金は豊かになり、工事はスピードアップして、最初に掘り始めてから33年、計画を思いついてから36年ほどが経った年、ついにバイパス道路は完成しました。
 
できあがった400mほどの道路を見て、73歳になった禅海は万感の思いでした。(眉毛を白く染めている。またシワだらけの手袋!をしている)
 
(Flower sunshineが歌う『隧道(ずいどう)の向こうに』が流れて完)
 
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夏の日の想い出・アルバムの続き(4)

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