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■夏の日の想い出・アルバムの続き(3)

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松田理史は2人のアクアが『竹取物語』の制作を終えて8/20 20時過ぎに八王子の自宅に戻った来たのを南川彩佳と一緒に迎えた。そのあと八王子のアクア宅では葉月・ワルツ・桐絵・宏恵と一緒に誕生会を開いたのだが、アクアたちは2人とも途中で眠ってしまった。
 
九重に2人を寝室に運んでもらい、Mには彩佳が、Fには理史が添い寝していたが、2人は翌日21日夜までひたすら寝て、22日もセックスもせずにほとんど寝ていた。
 
実際はFは理史に「好きにしていいよ」と言われたが何もせずにただ寝ているFを愛撫だけしていた/Mの方は「寝るー」と言っているのを彩佳が勝手に“入れて”いた。アクアMには現在ちゃんとヴァギナがある。(本人の主張では)ペニスもある。
 
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そして23日朝、千里がアクア家の庭に持って来たヘリコプターでふたりのアクアは兵庫県に連行され、写真集の撮影に臨んだ。
 
理史はアクアたちが飛び立ったのを見送り、自分の専任ドライバー・東名高さんに送ってもらって熊谷の郷愁飛行場に行った。そしてスタンバイしているCRJ200に乗って大分に飛び、耶馬溪ロケをした。
 

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耶馬溪ロケに参加したのは下記である。
 
松田理史・大林亮平・揚浜フラフラ・桜井真理子・安原祥子・立花紀子・獄楽・沢田峰子
 
これに沢田さんの付き人と、理史のマネージャー・中央圭が加わる。彼女は雰囲気もソフトなので普通にマネージャーに見える。実はボディカードであることを知っているのは立花紀子くらいである。
 
この日の大分地方の天気は曇で、比較的過ごしやすく撮影日和だった。現在の青の洞門や山国川の様子を見学。羅漢寺までリフト(*3)で登ってお寺の風景も撮影。また羅漢寺が所有するいろいろな資料も見せて頂いた。ここで一部の撮影も行った。
 
沢田さんは撮影はされないのだが、語り手として現地を見ておきたいということで一緒に行った。
 
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(*3) 羅漢寺は山の中腹にあるのでリフトが作られている。スキー場のリフトと同様のものである。現在の駅は3つ。
 
禅海堂リフト乗り場−羅漢寺駅−山頂駅
 
以前は“山頂駅”の所に“鶴の国”という鶴を中心とした動物園があったが経営難で倒産した。末期の頃は動物たちの世話がまともにされておらず、可哀想に見えるほど悲惨な状態だった。
 
なお羅漢寺までは歩いて登ることもでき、参道が整備されている。筆者はリフトで登って参道を歩いて降りたことがある。
 

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そしてその日の夕方にはCRJ200で熊谷に舞い戻った!
 
「うっそー!?大分日帰りなんですか!?」
と沢田峰子さんが驚いていた。
 
「いつもこんなもんですね」
と大林亮平。
「しょっちゅうやってます。北海道も沖縄も日帰り」
と立花紀子。
 
「お前ら恐ろしい日程でやってるな」
と揚浜フラフラが呆れて言う。
 
「ローザ+リリンのグアム日帰りよりはマシ」
と亮平。
「きゃー!!」
 

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「醍醐春海先生とか若い頃海外0泊が多かったらしいですね」
と紀子(青葉から色々聞いている)。
 
「雨宮三森先生が無茶振りしてたからね」
と理史(アクアから色々無茶な話を聞いている)。
 
「入国審査で宿泊先を訊かれて zero stay, day trip と言うと、係官がポカーンとするらしいです」
と紀子。
「普通あり得ないよね。地球の裏側から飛んできて」
と亮平。
「ドイツ0泊とかブラジル0泊とかやったらしい」
と理史。
「恐ろしい話を聞いた」
と揚浜フラフラ。
「でも俺も東京から北海道の離島へ日帰りやらされた」
「ああ。『黄金の流星』のロケですね」
 
「醍醐先生はそういうハードスケジュールをこなすのに飛行機買ったらしい」
「アメリカの大企業の社長並みだな」
 
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「ケイ先生も醍醐先生もたいがい無茶なことやらされてますよね」
と紀子。
「あの2人が音楽界の中心になってきたのが分かる気がする」
と獄楽は言った。
 

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そういう訳で9月17日(土)に『青の洞門』は放送された。
 
最初に5分も掛けて耶馬溪の美しい風景が流される。一目八景なども映された。村娘衣裳を着け、田舎の女風に髪を結った桜井真理子・安原祥子・立花紀子の3人がそれを案内しているので、チャンネルを間違えたかと思った人もあったようである。
 
やがて尼衣裳の語り手・沢田峰子が登場して語り始める。
 
「今日のお話は『青の洞門』です。この洞門、つまりトンネルは山国川沿いの危険な道を回避するために江戸時代に禅海上人が発案し、30年ほどの歳月を掛けて作った、日本最古の本格的道路トンネル(*5)です。長さ308歩(*4) とも記録されており、仮に1歩=1.3mで換算しても400mになりますが、現在の遺構から推測しても、長さ342m、内トンネル部分は144mほどはあったと思われます」
 
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(*4) 1歩とは人が歩く時に左足・右足と出した長さで歩幅の倍の距離。西洋のパッスス(passus Eng=pace ペース, Fra=pas パ)に相当する。ただし近年では1歩=1間(けん 1.818m)と再定義されている。
 

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(*5) 青の洞門以前のトンネルとしては、鎌倉市の釈迦堂口洞門(平安時代?)、横浜市の称名寺洞門(鎌倉時代?)の2つしか無い。どちらも10m程度の長さであり、少なくとも144mの長さがあった青の洞門の物凄さが分かる。
 
禅海上人も青の洞門も、もっと評価されていい。
 
青の洞門は明治末期に車が通れるように大改修が行われ、昔の洞門の姿はかなり失われているが、それでも結構な遺構が残っている。
 

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「さてこの物語を始める前に、『青の洞門』に関する4つの誤解を解いておかなければなりません」
 
と沢田峰子は言って“青の洞門・4つの誤解”と書いたフリップボードを持ち、まずは最初のシールを剥がす。
 
(1) 禅海和尚は殺人者ではない
 
「青の洞門の話を有名にしたのは菊池寛の『恩讐の彼方に』ですが、この物語はあくまで小説であって、事実とはかなり異なります、別の物でたとえれば、織田信長は最初は山賊の頭だった、なんて小説を書くのと同じくらいかなりトンデモ作品なんです。その中でいちばん違うのが禅海さんが出家したきっかけです」
 
「禅海は江戸浅草に住む越後・高田藩の藩士の息子でしたが、20歳頃に両親が亡くなったことで世の無常を感じ、出家してお坊さんになりました。菊池寛の小説では人を殺して逃亡し、そのあと追い剥ぎなどしていたとありますが、全く事実無根です。そんな悪人ではありません」
 
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(2) 禅海さんが1人で掘ったのではない
 
「マンガとかだと、禅海さんがひとりでノミを振るっていて、途中から中川実之助が手伝って2人で貫通させたみたいに描かれていますが、考えてみればすぐ分かることでこんな長大なトンネルを1人や2人で、しかも素人が掘れるわけないです」
 
「禅海和尚は、綿密な計画を立て中津藩主の許可を取り、職人を多数雇って掘っています。その資金は最初は禅海和尚が托鉢で得たお金を使っていました。初期の段階では村人たちは「できる訳無い」と思い「頭のおかしな坊主が変なことしてる」くらいに思っていたのですが、一部貫通した後は、村人たちが禅海和尚の計画の実現可能性を認識して多数の寄付をしてくれたり、あるいは自ら作業に加わったりして掘っています。この洞門は村人みんなの力で完成したものなのです」
 
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(3) この道は元々難所だったわけではない。
 
「ここは本来普通の街道でした。それが難所になってしまったのは中津藩小笠原家の3代目・小笠原長胤がおこなった農業用水の開発に原因があります。この用水路は長さ60kmにも及び、広大な面積の水田を潤しました。しかし山国川に荒瀬井堰を築いて川の水を堰き止めたため、この付近の道路が水没してしまい、重要な幹線道路が通れなくなってしまったものです。今で言えば隅田川を堰き止めて東京の東側が通行不能になるようなとんでもない工事でした。つまりこれは完璧な人災なのです」
 
「小笠原長胤(おがさわら・ながたね)はこの工事に莫大な費用を掛けたため藩の財政を悪化させ、それが原因のひとつとなって小笠原家はお取り潰しになります。代わって丹後・宮津藩から移ってきた奥平家が新しい藩主になります。禅海和尚はその交替した新しい藩主・奥平昌成(おくだいら・まさしげ)から工事の許可を取って洞門を掘り始めました」
 
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(4) 禅海は通行料で儲けたわけではない
 
「青の洞門は1730年に工事が始まり、1750年に第1期工事が終わり使えるようになります。ここでこの部分で“人は4文、牛馬は8文”の通行料を徴収しました。そのため青の洞門は日本最初の有料道路と言われることもあります。4文(もん)は今でいえば100円くらいです。昔はそばの代金が“二八そば”で16文(400円)でしたから、それからすると充分安い通行料だったと思われます」
 
「通行料を取っていたということから『禅海さんって商売人ね。通行料の利益でウハウハ』などと言う人もありまが、この通行料は残りの部分の工事のための資金とするために徴収したものです。また禅海は余った資金は全部羅漢寺に寄付しています」
 
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映像は江戸で武士姿の福原市九郎(後の禅海/演:松田理史)が卒塔婆の前で手を合わせているところから始まります。彼は藩主に願い出て父の後は継がず浪人となる許可を取りました。そして法華経を書写します(書写している場面が映る)。そして書写した法華経を持ち、諸国を巡礼してまわっては各地のお寺に法華経を納めました(法華経を入れた“龕”(後述)を背負い諸国を巡っている様が映る)。(*10)
 
(挿入歌Flower sunshine『歩こう歩こう日本を歩こう』)
 
そして僧(木取道雄/友情出演(*6))の手で得度し「禅海」という名前を頂きます。そして僧衣を着けて再び巡礼の旅に出ました。(*7)
 

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(*6) 友情出演とは、つまりノーギャラ!
 
「頭剃ります?」
「カツラでお願いします」
 
(*7) 松田理史の髪型は最初の武士の格好の時は一般に時代劇で見られる月代(さかやき)を剃った銀杏髷(いちょうまげ)である(*8)。法華経を持って諸国を歩いている時は日々の生活費も托鉢に頼っているので髪を結う余裕など無く、長く伸びた髪を後ろで束ねるだけの“総髪(そうはつ)”にする。時代劇ではよく学者や医者などがこの髪型をしている(*9). そして得度した後は坊主頭である。
 
理史は3種類のカツラを使用している。
 
「実際に剃ってもいいけど」
「遠慮します」
 
ちなみに“総髪”は男性については“そうはつ”と読み、女性については“そうがみ”と読む。現代なら“まげ”と“ボニーテール”の違いか?
 
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(*8) 銀杏髷や粋な人が結った本多髷など、また現代の大銀杏などまで含めて“ちょんまげ”と呼ばれることがあるが、本来の“ちょんまげ”とは年を取ってしっかりした髷が結えなくなった、貧相な髷をからかって言ったものである。
 
“ちょん”とは小さいとか不完全とか一時的であることを言う古い言葉。
 
「雀が木の枝にちょんと留まった」
「紐をちょん掛けする」
「ばかだの、ちょんだの、のろまだの」(西洋道中膝栗毛)
 

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(*9) 元々月代(さかやき)を剃ったのは武士が兜(かぶと)を着けた時に蒸れにくくするためである。医師などは戦場に動員された時に非戦闘員であることを示すためあえて月代を剃らない“総髪”にしていた。
 
また江戸時代の初期の庶民、特に田舎の百姓などは兜を着けないので月代を剃る必要性もなく総髪であった。しかし江戸時代後期には、本来武士の髪型である銀杏髷が「かっこいい」として庶民にも広がった。
 
今回のドラマでは江戸時代中期の田舎の話なのでドラマに出てくる男性たちは僧を除いて!総髪にしている。成人女性たちは髪を後ろで束ねて丸め、輪っかにする玉結びである。少女たちは禿(かむろ)つまりおかっぱ頭である。
 
これらの髪型はドラマでは自毛でできる人は美容師さんがそういうアレンジをしており、髪の長さが足りない人はカツラを使用している。
 
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(*10) こういう巡礼をする人たちを“六十六部”と言った。法華経66部を書写し、その1部ずつを全国66ヶ国の霊場に納めて回るという巡礼である。略して六部とも。六部笠と呼ばれる笠をかぶり、納める法華経と御守りの阿弥陀如来像を納めた龕(がん)を背負っていた。
 
現代では日本は47都道府県に分けられているが、昔は66ヶ国(+2)に分けられていた。
 
(+2は壱岐・対馬)
 
龕(がん)とは今で言うとリュックのようなものである。四角い箱に背負えるように帯を取り付けたもの。
 
六十六部は当然のことながら高確率で行き倒れになるのでそれを埋葬してあげた六部塚というのが各地にある。また巡礼していた人がどこかの地に定住し、庵を結ぶこともあった。その人たちは後進のために霊場整備などをしたりして巡礼する人たちを支援した。
 
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武家出身などなら字が書けるからちゃんと法華経を書写したと思われるが、庶民などは現在のお遍路さんに見られるように納経札で代用したと言われる。納経する霊場は初期には全国六十六国の国分尼寺であったが、これらはやがて多くが廃絶するため、一宮が使われたりして様々であった。
 

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