広告:ここはグリーン・ウッド (第1巻) (白泉社文庫)
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■夏の日の想い出・止まれ進め(1)

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政子は唐突に、あやめ・夏絵・大輝の前で語り始めた。
 
「昔々ある所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんとおばあさんは、一匹の雀(すずめ)を飼っていました。ピー助という名前を付けて可愛がっていました」
 
ふーん。舌切り雀かな?と思って私は聴いていた。でもあの雀って男の子だったっけ??
 
「ある時、ピー助は障子のところでおしっこをしてしまいました。おばあさんは怒って『このちんちんか?悪いことをしたのは』と言って、ピー助のちんちんをはさみでチョキンと切ってしまいました」
 
そこへ行くのか!?だけど鳥にはペニスは元々無いのに、などと思う。大輝が自分のちんちんを手で押さえている。
 
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「ピー助はちんちんを切られて痛かったので、どこかに飛んで行ってしまいました。仕事から帰ってきたおじいさんは話を聞くと驚いて、ちんちん切っちゃうなんて可哀想にと言って、ピー助を探しに行きました。はい、冬歌って」
 
「はいはい」
と言って私は歌った。
 
「すずめ、すずめ、お宿はどこだ?」
「チチチ、チチチ、こちらでござる」
 
「そこは『ちんちんちん、ちんちんちん』と歌って欲しかった」
「なんで〜?」
 

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政子は話を続ける。
「それでおじいさんは、ピー助のおうちに辿り着きました。ピー助はとても可愛いお洋服を着ていました」
 
『まるで女の子みたいな服を着てるね』
『私、ちんちん切られちゃったから女の子になったんです。でもお陰で可愛い服を着られるようになって幸せ』
 
うーん。。。なんか教育に良くないなぁと思って聞いている。
 
「ピー助のお父さん・お母さんも『うちの息子を娘にしてくださってありがとうございます』などと言っています。ピー助は女の子らしく名前もピー子に変えていました」
 
「『女の子になれたお祝いです』と言って、ピー子と御両親はおじいさんにたくさんごちそうをしてくれました。はい、冬歌って」
 
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「おじいさん、よくおいで。ごちそう、いたしましょう」
「お茶に、お菓子、おみやげ、つづら」
 
「そしてピー子たちは、お土産にと言って、大きな箱と小さな箱を見せました。『どちらでも好きなほうをお持ち帰り下さい』と言います。でもおじいさんは『私はあまり力が無いから』と言って小さな箱を選びました」
 
「ピー子は言いました。『おじいさん、家に着くまでは決して箱を開けないでくださいね』と。『うん、分かったよ』と言っておじいさんはピー子の家を出ました。はい冬」
 
「さよなら帰りましょう。ごきげんよろしゅう」
「来年の春に、またまたまいりましょう」
「さよなら。おじいさん。ごきげんよろしゅう」
「来年の春の花咲く頃に」
 
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「それでおじいさんは小さな箱をしょって、決して中を見たりせずに、おうちまで帰りました。帰ってから箱を開けてみると、美味しいごちそうがたくさん入っていました。それでおじいさんとおばあさんは、たくさんごはんを食べました」
 
金銀財宝ではなくて、ごはんが入っていたというのは政子らしいなと思った。
 
「おばあさんは言いました。『大きな箱を選んでいたら、もっとたくさんごはんが入っていたろうに』と。それで、おばあさんは自分が行ってくるといって、おじいさんに道を教えてもらい、ピー子の家まで行きました」
 
「ピー子におばあさんは『ちんちん切っちゃってごめんね』と謝りましたが、ピー子は『ううん。それで女の子になれたからいいよ』と言いました。そしてたくさんごちそうでもてなしました。最後にお土産をもらいます」
 
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「ピー子は大きな箱と小さな箱を見せました。『どちらでも好きなほうをお持ち帰り下さい』と言います。おばあさんは『だったら大きいのをもらっていく』と言って大きな箱を選びました」
 
「ピー子は言いました。『おばあさん、家に着くまでは決して箱を開けないでくださいね』と。『うん、分かったよ』と言っておばあさんはピー子の家を出ました」
 
「それでおばあさんは大きな箱をしょって、持ち帰りますが、あまりにも重たいので、座り込んでしまいました。その内、日が落ちて夜になってしまいます。おばあさんは心細くなりましたし、お腹も空いてきました。それで『帰るまでは決して開けないように』と言われていたのに『ちょっとだけ摘まみ食いしよう』と思って箱の蓋をあけてしまいました」
 
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「すると、中にはまだ固まってないプリンがあって、箱を開けたので、ざぁっとこぼれてしまいました。それでおばあさんは何も食べることができなかったのです。だから、あんたたちも、作ってる最中のおやつのできあがる前を摘まみ食いしようとしたら、いけないんですよ」
 
「はーい」
 

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政子らしいオチだなと思った。でも大輝が悩んでいた。
 
「わたし、ちんちんきられちゃったらどうしよう?」
「トイレ失敗したら切られちゃうかもね」
「いやだあ」
「だったらトイレもらさないように頑張ろう」
「うん、わたしがんばる」
 
大輝は自分のことを「わたし」と言う。姉たちが「わたし」と言うので、それを真似ているのだろう。政子は「ぼくと言いなさい」などと指導する子ではない!
 
「でも大輝、ちんちん無くなったら女の子になればいいんだよ」
「そうなの?」
「お姉ちゃんたち、女の子だからちんちん無くても平気だから」
「なくてもいいのかなあ」
 
と大輝は悩んでいた。
 
「大輝が女の子になったら“だいな”とか名前を変えればいいね」
「へー」
「“だいな”でも“だいちゃん”でいいね」
「ふーん」
 
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「女の子になった時の練習でスカート穿いてみなよ」
「スカートはおんなのこだけなの?」
「でも大輝なら穿いてもいいよ。ほら、私の小さい頃のスカートあげる」
「ありがとう」
 
それで大輝は、あやめの小さい頃のスカートをもらってその日は穿いていた。
 
でもだいたい姉がいる弟というのは女装させられるものだもんなと思い、まあ小さいうちはいいだろうと思うことにした。
 

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いつも「お金が増えて困る。減らしたい!」と言っている若葉が、その資産のたぶん1割ほどを注ぎ込んで建設していた“郷愁ライナー”は9月2日に正式開業(熊谷駅(JR熊谷駅地下)−嵐山駅(東武・武蔵嵐山駅そば))することが、嵐山町(らんざんまち)・熊谷市(くまがやし)との三者会談で決定した。
 
2020.12.25に、飛行場−大駐車場間が部分開業していた。また嵐山−飛行場間を郷愁飛行場・郷愁リゾートのスタッフだけが使用していた。また大駐車場の先に名前のない駅(これが平安ハウス駅になった)があり、ここに用事のある人だけが使用していた(社員証か入館証がないと降りられない)。
 
(“名前のない駅”の撮影にわざわざ来る鉄道マニアも居た:大駐車場から歩いて写真を撮りに来る)
 
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この新交通システムは、2020年初から建設を始め、同年11月までに郷愁リゾート敷地内の建設が完了、2021年春までに嵐山−農大前の工事が完了していた。そして2022年3月に最も大変だった、荒川の下を通すトンネルが完成。6月には全線の工事が完了。工事ではひとりの死者も出さなかった。これは同業他社から称賛されていた。
 
国土交通省の検査を受けていたが、7月には無事検査合格した。
 
検査担当者はその高架の丈夫さに驚いていたし、トンネルも超音波検査で物凄くしっかりしていることを認めて驚いていた。運賃の認可も得て、8月19日(金・なる)に運行許可発効。この日には熊谷市・嵐山町の関係者や旅行業者・マスコミ関係者を乗せた記念列車が運行された。マスコミは、ムーランが無借金で建設したことに驚いていた。
 
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そして9月2日(金・友引・ひらく)に正式開業することになった。
 
わざわざ夏休みが終わったところで開業するのは、もちろん密を避けるためである。コロナが完全に終息するまでは原則として定員の半分しか乗せないし、全席予約制である。
 
しかしこれで郷愁リゾート・郷愁飛行場がとうとう新幹線と直結されることになる。
 

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その郷愁リゾートでは、映画のセットを展示しているエリアで『とりかへばや物語』のセット再編をしていたのだが、整備が“いったん”完了して6月に再公開されている。
 
今回再公開したもの
宣耀殿・麗景殿・紫宸殿・温明殿
左大臣宅の寝殿・東対・西対
参集殿・風祈社
 
元の広さの3割ほどに集約された。このほか、一部を『竹取物語』の撮影に使用した。
 
千葉に運んで竹取物語の撮影に転用したもの
 
清涼殿→清涼殿として使用
昭陽舎→帝とかぐや姫が双六をした所。出産後の光が居た所
 
宇治邸→かぐや姫宅に転用
右大臣宅の桐対→車持皇子の山の中の邸に転用
六条辺りの家→桃の家
 
二条御殿→石作皇子の家に転用。ここで大伴大納言が部下を集める所、石上麻呂が部下を集める所も撮影。
 
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『とりかへばや物語』の撮影では、この他に大量の“ハリボテ”の建物があった。下記のようなものである。
 
弘徽殿・常寧殿・藤壺・梅壺
 
これらは外側・片側のみで中身が無かったのだが、これを利用して若葉は郷愁リゾート内の、§§ミュージック分室の近くに、“平安ハウス”というオペラハウスを建築した。高さ・幅・奥行きが全て14mという立方体のホールを“2つ”持つ。この2つのホール“玄武”と“朱雀”は間の壁を取り外して奥行き28m(+2m)のホールとしても使用可能である。
 
そしてこの平安ハウスの外装に、ハリボテの外装を転用したのである。それでこのオペラハウスは、見た目は古い平安時代の建物みたいに見えるのである。
 
「ここでライブやるの?」
「こんな所でやりたいと思う人がいるとは思えない」
「だったら何のために作ったの?」
「お金が減るから」
 
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はいはい。
 
「それにムーラン建設の若い技師の教育も兼ねている」
「ああ」
 
千里も播磨工務店の若い技師に経験を積ませるためにあちこちに色々建物を建てさせているようである。
 
そしてこの平安ハウス近くにあった“名前のない駅”に“平安ハウス駅”という名前を付けたのである。これが6月だった。
 

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映画『お気に召すまま』の“撮影”は、2022年6月5日に終了した。映画の制作はその後も、アフレコ作業が行われ7月1日まで掛かっている。
 
この映画は原則として、英語セリフ録音→クチパクで演技→日本語・ドイツ語・フランス語のアフレコという手順で制作された。一部演技と同時に英語セリフを録音したものもある。羊や山羊の放牧場場面などである。これは羊がこちらの意図通りには動いてくれないので羊に合わせて演技する必要があったため。他にラストの結婚式場面も衣装の耐久性などの問題で撮影のやり直しができないので、同時録音方式でおこなった。
 
そしてこの撮影が終わった翌日の6月6日から、セリフ録音に立ち会う監督・助監督を除く撮影チーム(矢本かえで・田崎潤也および助手の香田正和・西原マロン・平井紗耶香・吉原高広)は即、8月20日放送の『竹取物語』の制作作業に取りかかったのである。
 
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制作は最初、作業の手順確認なども兼ねて“石作皇子”の“仏の御鉢”のエピソードから開始した。出演者は下記である。撮影は6/11-12の土日に千葉のララランド・スタジオで行われた。
 
石作皇子:弘田ルキア
石作皇子の父:スキ也
石作皇子の部下(→侍女)
土本:三陸セレン
砂山:山鹿クロム
土本の姉:立花紀子
清原中将:坂出モナ
市井の女:宮地ライカ・知多めぐみ
かぐや姫:(ボディダブルの早幡そら)
 
早幡そらは
「姫様の衣裳嬉しーい」
と喜んで着ていた。
 

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この時点では看板係(7/20入団の麻生ルミナがすることになる)は入っていない。またこのエピソードは中将との結婚式を終え、初夜を前にした女装の石作皇子が「ぼくどうしよう?お嫁さんなんかになれないよう」と困った顔をする所で終わるシナリオだった!(「この後どうすんだ?」系)
 
またこの時点では、かぐや姫のお付きの女房や女童という役柄は想定されておらず、石作皇子が持って来た鉢は竹取翁が受け取ってかぐや姫の部屋に持って行くシナリオだった。この部分は後日、撮り直しになる。
 
このエピソードから始めたのは登場人物が少なくセットもあまり使わず、テストを兼ねた制作に一番ふさわしいと考えられたからである。
 
このエピソードは土曜日に一回撮ったのが様子を見に来た美高さんからダメ出しされ、完全に撮り直しになった。少し台本を調整してライティングやアングルも変えて、日曜日に全部撮り直している。
 
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根本的に直されたのが
「奈良時代に牛車(ぎっしゃ)は無い」
という指摘だった! 脚本の桐生さんが
「知らなかった。ごめんなさい」
と謝っていた。この件はかなりの書き換えになったようである。
 
(このために熊谷から牛車を3台持って来て、輓いてくれる牛も用意していた)
 
また現代ドラマを撮るようなライティングだったのを、フィルターを掛けて青系統を抑えたライティングにして、懐古調の映像にした。
 
結局日曜日はずっと美高さんが付いてて撮影をおこなった。
 

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夏の日の想い出・止まれ進め(1)

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