広告:まりあ†ほりっく 第5巻 [DVD]
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■春動(15)

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「ビスクドールというのは、どうやって生れたんですか?」
 
「元々は1840年頃にドイツで素朴な磁器人形が作られ始めたんですよ。これは釉薬を使用したチャイナドールの形式で、髪の毛なども単に描いただけでした。ところが1860年頃にフランスでファッションドールというのが生まれます。これは、洋服の宣伝用に、陶器の人形にミニチュアの服を着せたものでした」
 
「マネキンみたいなものだったんですね」
「はい。ミニチュアですが。それで素敵なお洋服を着せるから、人形本体もどんどん素敵なものになっていき、ここで素焼きのビスクドールができていくんですよ」
 
「すると素朴なドイツ人形の下敷きがあった中、フランスで高性能の人形が作られていくんですね」
 
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「そうなんです。より豊かな表情にするため、素焼きに絵付けをして二度焼く技法が発達しましたし、髪の毛もモヘアや人毛を使用するようになりました。また色々なポーズを取らせられるように関節が動かせるようになります」
 
「精密になっていったんですね」
 
「はい。このファッションドールはおとなの形をした人形だったのですが、この技法で、子供の形をした人形が、子供のおもちゃとして作られるようになりました。これをベベドールというのですが。そしてだいたい1860年代から1880年代が、フレンチドールの黄金時代だったと言われます。この時期の有名メーカーがジュモー(Jumeau)とかブリュ(Bru)ですね」
 
「どちらも有名ですよね」
と真珠。
 
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「女の子なら知ってますよね。でも1890年代になると、ドイツにこの手の人形を作る産業が興ります」
とオーナーさん。
 
(でも取材陣の中で元々ジュモー・ブリュを知っていたのは真珠とカメラマンの長山さん(女性)のみで、男性のディレクターと明恵は知らなかった。真珠は小さい頃から女の子していて人形も買ってもらっていたが、明恵は女性指向を隠していたので、人形遊びの経験が無かった)
 
「それは1840年代の素朴な人形とは別ですね」
 
「はい。全く別のものです。ジャーマンドールは1890年代に隆興して量産方式で安価なビスクドールを生産し、市場を支配するようになります。フランスのメーカーは対抗してSFBJ (Societe Francaise de Fabrication de Bebes et Jouets) という組織を作るのですが、品質は1880年代よりも落ちていきました」
 
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「売れないと品質は落ちるでしょうね」
「だと思いますよ。いい職人さえを雇えないもん」
 

「だからフレンチドール全盛期のジュモーやブリュとかの製品なら数百万円するものもありますが、1890年代のジャーマンドールなら数十万円、SFBJの製品は数千円からせいぜい数万円ですね」
 
「あはは」
 
「つまりフレンチドールは1880年代までのものと1890年代以降のものはまるで別物なんですね」
 
「そうなんですよ」
とオーナーさんも認める。
 
「唯一、ジュモーが細々と高品質のものを作り続けていただけですね」
「偉い」
「偉いですね。ジュモーは1958年まで生産を続けました。それでも私が生まれる前ですが」
 
年齢のことにはあまり触れない方がいいと判断して話題を変える。
 
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「ちなみに1880年代までのフレンチドールと1890年代以降のジャーマンドールって、やはり様式に違いがあるのでしょうか?(台本)」
 
「人形本体の体型が違いますね。フレンチドールは肩幅が小さくてモデルさんみたいな体型、ジャーマンドールはある程度肩幅があって、普通の子供の体型をしています。どちらが好みかは人によります」
 
「確かに好みが分かれそう」
 
「顔の形などもフレンチドールはフランス人っぽい顔、ジャーマンドールはゲルマン民族っぽい顔と言われますね」
 
「ま、それは生産地の標準的な顔に近くなるでしょうね」
 
「そして最大の違いが目ですね」
「目ですか!」(台本のやりとり)
 
「1880年代以前のフレンチドールはペーパーウェイト・アイ(Paperweight eyes) と言って。球形のダラス玉をベースに、更にガラスを乗せることでうるうるした目になります。この系統の人形の目は丸く飛び出しているのが特徴です」
 
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「これに対してジャーマンドールの目はガラスを吹いて作っていて、プローアイ(Blown eyes) (*12) と言います。ガラス玉を使ってないから軽量ですし、平坦に近く、より人間っぽい目になります。これもペーパーウェイトアイとブローアイのどちらが好きかというのは、コレクターによってもかなり意見が分かれるんですよ」
 
「それも分かれそう!」
 
「ちなみに人形を寝せると目を閉じるスリーピングアイ(sleep eyes) は、ブローアイでないと作れませんね」
 
「ああ!あれはドイツ式だったんですか!」
「似た仕掛けでキョロキョロと周囲を見回すフラーティアイ(Flirty eyes) というのもあります」
 
「プラスチックの人形にもいますね!確かに似たような仕組みで作れそう」
 
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(*12) “吹いた”は“吹く” blow の過去分詞で blown (blow-blew-blown). 誤って brown と書いちゃうと“茶色”! brown eyesは「茶色の目」で、フランス人形にひじょうに多い。
 

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「ジャーマンドールが輝いていたのが1890年代から1930年までですね。でも20世紀に入る頃から、今度はアメリカでも人形メーカーが多数できるんですよ。その中でも有名なのがキューピーですね」
 
「キューピーってセルロイドじゃないんですか!?」
「初期の頃はビスクドールを作っていたんです」
「へー!!」
 
「そして、関税法ショックの1930年代以降は、セルロイドを含めてビニール素材の人形が作られるようになって壊れやすいビスクドールは下火になってしまうんです。細々と少し高級な人形を欲しがる裕福な人向けの人形を作る人たちが残った程度で」
 
「あぁ」
 

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「ちなみにセルロイド人形を大量に作ってヨーロッパに輸出したのが日本です」
「アメリカじゃないんだ!?」
 
「アメリカ生まれのセルロイト(*13)と歌いますよね。あの歌が作られたのが1921年なんですが、そこで野口雨情が歌ったのは確かにキューピー社のセルロイド製人形です。キューピー社は初期はビスクドールを作っていたのですが、この頃、セルロイドに移行したんですよ」
 
「待って下さい。“青い目の人形”ってフランス人形みたいな人形かと思ってました(台本!)」
 
「そこで混乱があるのですが、野口雨情作詞・本居長世作曲『青い眼の人形』が発表されたのは1921年で、その時に歌われたのはセルロイドで出来たキューピー人形でした。しかしその後、1927年に、日米友好の印としてアメリカの家庭から大量の人形が寄贈されて、日本の小学校などに届けられて、これも野口雨情の歌にちなんで、“青い目の人形”と呼ばれたんです」
 
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「歌と人形は別だったんだ!」
 
「そこが混乱している人多いですよね。この時、アメリカから贈られた人形の大半は、アメリカの人形メーカーが作ったコンポジションドール、つまり、おがくずや粘度などを混ぜて成形したものにペイントした人形です。ごく一部ビスクドールもあったのですが、セルロイドはほとんど無かったと思います」
 
「セルロイドじゃなかったんだ!?」
 
「セルロイドの材料は樟脳(しょうのう=カンフル(camphor):サロンパスの原料!)なので、楠(くすのき)がたくさんある日本や台湾はセルロイドの大生産地だったんですよ」
 
「わあ」
 
「ああ、私の世界観が・・・」
と真珠が言っている。
 
(*13) 今日では「セルロイド」と呼ぶが、この歌の歌詞は「セルロイト」である。当時は celluloid の最後のdを濁らずに呼んでいたものと思われる。ただし近年の童謡の本では「セルロイド」と表記されていることが多い。
 
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「1930年代以降、長くビスクドール冬の時代が続いたのですが、1977年になってアメリカで人形コレクターの Mildred Seeley という人が DAG (Doll Artisan Guild) という組織を設立して(後の Doll Artisan Guild International. Inc)、そこでポーセリンドールの製造技術を再発掘し、人形作家たちを教育し、良質のポーセリンドールを再び生み出していこうという動きが始まりました。そして人形作家を夢見る世界中の若い人がそこで学んで、再び良質の人形が作られるようになったんです」
 
「半世紀ぶりの復興ですね」
「それで今ではまた高品質の人形が世界中で作られているんですよ」
 
「やはりビスクドールって世界中の女の子の憧れですもん。ずっと技術を受けついでいって欲しいですね」
 
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「ほんとにそうですよね!」
 
と真珠と館長さんは台本外で意気投合していた。
 

「でも本当に壮観ですよね」
「ここ見に来て下さる方は、やはり若い女性が多いのですが、中には『この人形、夜中に動き回ったりしてませんよね?』とかおっしゃる方もありますよ」
 
「リアルですからね!」
と明恵。
 
「ちなみに動く子はここには居ないけど、しゃべる子とか、ミルクを飲む子は居ますよ」
「あ、ミルク飲み人形は友だちが持ってました。プラスチックですけど」
「プラスチック製のドールでもありますよね。しゃべる子は・・・」
と言って、オーナーさんは一体の人形を手に取る。
 
どこか触ると人形が「ママー」としゃべった!
「すごーい!」
オーナーさんが更に触ると今度は「パパー」としゃべった。
「2種類しゃべるんですか!?」
 
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「この子はこの2種類の言葉を話せるんですよ」
「よく作られてますねー」
 
「結構色々な機能を持った子がいたんですよねー」
とオーナーさんは遠い目をして話した。
 
話が長くなりそうなので、ディレクターが「そろそろ話をまとめろ」というサインを送る。
 
「ちなみにこの子たち、本当に動き回ったりすることないですよね」
と真珠は尋ねる。
 
「どうでしょう。時々人形たちの配置が変わってる気もするのですが、たぶん気のせいです」
とオーナーさん。
 
「まあ人形が勝手に動くことはないでしょうね」
「だと思うんですけどね。人形が動き回らないようにする対策とかあったら是非教えてほしいです」
とオーナーさんは笑顔で言っていた。
 
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この西洋人形美術館のレポートは1月9日(日)のローカル番組で放送されたが、『霊界探訪』のコンビが取材していたので、
 
「人形が本当に動いていたら、金沢ドイルさんの出番だな」
などという視聴者の声もあったようである(番組のハッシュタグを付けたツイッターの書き込みが20-30件見られた)。
 

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1月12日には、明恵と初海が、カメラマンの吉沢さんとの3人で局のアクアに乗って示野のイオンタウンに来ていた。店内でやっていたイベントを取材して、車に戻ろうとした時、吉沢さんが
 
「どこに駐めたっけ?」
と言った。
 
「こっちですよ」
と言って、明恵が駐車場所まで連れて行く。
 
「よく覚えてるね!」
「覚えてなくても分かりますよ」
「そうなの?」
「川上さんなんかもこういうの見付けるの得意だよね」
と初海が言うと
 
「ああ、北陸ドイルさんね」
と吉沢さんが言うので
 
「金沢ドイルです!」
と明恵。
 
「あ、間違い間違い」
「金沢から北陸に勝手にグレードアップしたな」
 

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「でもこういう広い駐車場で自分の車が分からなくなって、仕方ないから、順に1列ずつ見ていって、やっと見付けた時に「こんな所に駐めたっけ?」と思うこと無い?」
 
「私はどっちみち記憶が無いから、ここに駐めたのだろうと思います」
と初海。
 
「まあ車が勝手に動くわけないから、そこに駐めたんでしょうね」
と明恵。
 
「そうだよね。車がひとりで動いてたら、みんなびっくりするよね」
と吉沢さん。
 
「夜中だと誰も気付かないかもしれないけどね」
「それはきっと乗り逃げだ」
 

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「これだけ多数の車が駐まってたら、鍵差しこみっぱなしとかの無防備な車が絶対4〜5台はあるだろうから、乗り逃げする気になったらできるだろうね」
と吉沢さんが言うと
 
「今取り敢えず周囲50mほどの範囲に鍵差してロックされてない車両が3台ありますよ」
と明恵が言う。
 
「マジ!?」
と吉沢さん。
 
「田舎町から出て来た人に無防備な人がいるんですよ。田舎だと車持ってく人なんて居ないから」
 
「でもドイルさんなら、一瞬でこの駐車場全体の無防備な車両見付けるだろうね」
 
などと言っていた時、明恵が
「あっ」
と声を挙げる。
 

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