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■春動(14)

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さて、桃香たちより少し前に初詣に来ていた青山一家も、社殿を出た後駐車場に来て「どこに駐めたっけ?」と悩んでしまった。
 
「これだけ駐車場が広いと、ぐるっと回って探すのも大変そう」
「雪降ってて車に積もってるし、一回りしても見付けきれないかも」
「うーん・・・」
 
結局、動きやすい服装をしている広紀の兄2人が、反対方向に駐車場を一周して探すことになる。そして次兄が“長兄とすれ違った後で”見付けて、全員を呼び寄せた。
 
「こんな所にあったのか。気がつかなかった」
と長兄。
 
「雪かぶってるからね〜」
と父。
 
「こんな所に駐めたっけ?」
と母。
 
「まあ車が勝手に移動する訳無いからここに駐めたんだろうね」
と広紀。
 
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「まあ辿り着くまでに結構疲れたからね」
と三男。
 
「いっそ、こういうの、入口付近で駐めて、参拝している間にどんどん出口の方に移動させて出口近くで受け取るって訳にはいかないのかなあ。そしたらいつかは前の方に押し出されてくるから、それ待ってれば乗ることができる」
などと歩が言う。
 
「それどうやって移動させるのさ?」
と広紀。
 
「うーん。立体駐車場みたいなプレートの上に車を駐めるようにして、そのプレートを横に移動させていけばいいんじゃない?」
 
「途中の車が抜けた場合は?」
と広紀が呆れて訊く。
 
「えっと、その場合は空いたプレートも列から外れて末尾に戻る」
と歩。
 
「そんな複雑な機構なんてすぐ故障するに決まってる」
と広紀は断言する。
 
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「そうかなあ。いいアイデアだと思ったのに」
と歩はまだ言っていた。
 

さて、『北陸霊界探訪』の編集部(他にもいくつかの番組を担当している神谷内ディレクターおよび幸花サブディレクター+用も無いのに放送局に来て常駐している明恵・真珠)は、12月の同番組でとりあげた『妖怪足つかみ/転ばぬ先の糸』の後、3月の番組で取りあげるネタを検討していた。
 
「今度は妖怪枕返しを追いかけるとかは?」
「妖怪足つかみも雲を掴むような話だったけど、それは更に雲を掴むような話だ」
「そもそも枕返しには実害が無いと思う」
「一反木綿」
「目撃例は多いだろうけどね」
「塗り壁」
「あれは少し休みなさいということだと思う」
「ヒダル餓鬼」
「それは非常食の大切さを言っているのだと思う」
 
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「やはり予備選力って大事だよね〜」
「そそ。いつもいっぱいいっぱいでは、いざという時に破綻する」
 
「そうだ。初海ちゃんの妹さんがこちらに来てもいいかと言ってるらしい」
「何歳?」
「4つ下らしいんですよ。だから今高校2年生」
「それは予備戦力として貴重だ」
「一度連れてきてと言っといて」
 
「私たちがお嫁さんに行った後の後継者になるかも」
「向こうが先にお嫁さんに行ったりして」
「むむむ」
 
君たち、大学を出たら就職とかする気は?
 
「子泣きじじい」
「赤ちゃんって起きてる時はいいけど、眠るととたん重たくなるらしいよ」
「親はたいへんだ」
「小豆研ぎ」
「あれも意味不明な妖怪だ」
「この手の愉快犯的な妖怪ってわりと多いよね」
「おとろし」
「あれは神棚を守ってくれている妖怪らしいよ」
 
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若い女の子が局内で暇そうにしていると、結構雑用に徴用される。初海も含めてバイクが使えるので、お使いなどの用事もこなしていた。受験シーズンなので、追い込みに入る受験生の様子を学習塾に取材したり、受験祈願に訪れる人たちを金沢市内で菅原道真公を祭る田井菅原神社・椿原天満宮(この2つはすぐ近くにある)などからレポートした。(北陸には実は“菅原神社”がひじょうに多い)
 
その日、明恵と真珠は、報道部の箕山ディレクターおよび女性カメラマンの長山と一緒にS市の小さな私設美術館に来ていた。
 
「これは凄いですね」
と真珠が声を挙げた。
 
「何体くらいあるんですか?」
「全部で4000体くらいですね。実は私も数えきれなくなりました」
とオーナーの渡辺さんは言う。
 
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美術館内には、物凄く多数のビスクドールが並んでいるのである。
 
オーナーさんは言う。
「私、子供の頃から、この西洋のビスクドールが好きで、お小遣いでよく買ってたんです。その私が少女時代に買い集めた子たちは、ここではなく、館長室に置いています」
 
「ああ、その子たちには特別な思い入れがありますよね」
「そうなんですよ。後に私、ヴァイオリンでドイツに3年ほど留学したので、その時期に毎週のように買いに行ってました」
 
「ああ、本職はヴァイオリニストさんですか」
「いえ。そちらは結局物にならなくて。帰国後複数の楽団で演奏しましたが、体力の限界を感じて32歳で3人目の妊娠を機会に引退しました」
 
「オーケストラは体力使うでしょうね!」
 
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「ちなみにその後のお仕事は?」
「私、ソリストやるほどの腕も無かったし、夫がここS市の出身で、里帰りしてレストランを始めたいと言うので、レストランの看板娘ですね」
 
「大転身ですね」
 
「ええ。まあメイン看板娘の地位は、その後、娘に譲りましたが。今は私がグランド看板娘、娘がシニア看板娘で、孫娘がジュニア看板娘です」
 
「オー、グランド・マスコット・ガール!」
「あ、その言い方面白い。もらった!」
 
(真珠のアドリブだったが、気に入ってもらえたようだ)
 
「幸運にも、お店が好調だったお陰で、趣味の人形コレクションを続けられました。最初の頃は私の給料は5万円、少し好調になってからは10万円になったんですが、そのお給料をほとんどお人形さんに注ぎ込んでましたね」
「ごはん食べられないじゃないですか」
「子供の食べ残しを恵んでもらってました」
「なんか壮絶な生活だ」
 
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「でもお店にたくさんビスクドールを並べていると、人形のあるレストランというので、雑誌にも紹介されて、わざわざそれを見るのに来て下さる方もあったんですよ」
 
「それは来たくなりますよ」
「その内、店舗と分けて人形展示室を作って。この美術館はその展示室が発展したものですね。今でもレストランにも数十体のドールを置いていますが」
「なるほどー」
 

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「ここに居る子たちは、ずっと子供の頃から買い集められたものなんですか」
 
「ドイツ留学中は、しょっちゅう買いに行くからお店の人と親しくなって、帰国してからも、しばしば送ってもらってたんですよ。その後、ネットのオークションで買い求めたり、他のコレクターさんが諸事情でコレクションをやめるのを丸ごと引き取ったりとかしてる内にこの量になりました」
 
「他のコレクターさんのを丸ごと引き取るのでドーンと増える気がする」
と明恵が言う。
 
「まさにそうなんですよ。私、20代の頃からたくさんお人形さんのお洋服を作ってお小遣い稼ぎしていたので、コレクターさんとのつながりも多くて。その縁で『養女にして下さる方を知りませんか』と訊かれることもあって」
 
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「それで結局自分で引き取っちゃったと」
「そうなんですよ。随分養子縁組の仲介もしましたけどね」
 
「でもここ入場料安いですね」
「東京とかなら1000円くらい入場料取っても人が来るかも知れませんけど、こんな田舎では300円が限界です。これ以上安くするとマナーの悪い客が来そうなので、田舎では少し高めかも知れませんけど、300円+消費税30円あるいは、ケーキ・コーヒー付きで700円+消費税70円頂いています。実際はケーキ付きのチケットを買って下さる方が多いです」
 
「人形たちを見ながらお茶飲むのは素敵ですよ」
「そう言ってくださるかたが多いんですよ」
 
「それに無料とかだと躾の悪い子供とかが入ってきて壊されそうですよね」
「それで手摺りを作ったんですけど、あまり酷いようであればアクリルの板とか設置しなければならなくなるかも。本当は手に取って見ていただくのが理想なんですけどね」
 
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(「コロナ終息までは人形に触るのはNGです」というのをテロップで流す)
 

「なんかビスクドールとかポーセリンドールとかチャイナドールとかアンティークドールとか、色々な言い方がありますよね」
と真珠が尋ねた(台本!)。
 
「はい。まず明快なのはチャイナドールとビスクドールの違いですね。釉薬を塗った陶器で作られたのがチャイナドールで、二度焼きの素焼きで作られたのがビスクドールです」
 
「ああ、ビスクドールは素焼きなんですね」
「そうです。そうです。これってお菓子のビスケットと同じ語源なんですよ」
「そうだったんですか!」
 
「どちらもフランス語の bis cuit 二度焼いたという意味です。ビスケットというのは、普通のパンを長期保存するために再度焼いたものですよね。ビスクドールも多層に着色して、その度に焼いて定着させていきます」
「茶碗の絵付けと同じですね」
「そうです、そうです。あれと同じ技法なんですよ」
とオーナーさん。
 
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「そしてチャイナドールとビスクドールの総称が、ポーセリンドールです」
「なるほど」
 
「ちなみにチャイナドールとは言うけど、中国とは無関係ですよね(台本!)」
「はい。このチャイナは陶磁器という意味です。ボーンチャイナのチャイナと同じですね。ちなみにジャパンは漆器の意味ですよね」
 
「乾燥した気候の中国と、湿度が高く樹木の豊かな日本の各々代表的な文化と思われたんでしょうかね」
「そうかも知れないですね」
 

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「アンティークドールというのは?」
「それは1930年より前に作られたポーセリンドールのことですね」
「1930年というのは何か明確な線があるのですか?(台本!!)」
 
「1930年(6月17日)にアメリカで関税法が改訂されて、アメリカは輸入品に高率の関税を掛けるようになりました。諸国は報復でアメリカ製品に高率の関税を掛けました。これで大消費地のアメリカでヨーロッパの生産物が販売できなくなって、世界中が大不況になるんですよ。これが大恐慌の引き金になったとも言われます。これで多数の人形メーカーが潰れたんですよ(*10)」
「わぁ・・・」
 
「だから、それ以前の古き良き時代に作られたのがアンティークドールですね」
「なるほどー」
 
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「そちらのガラスケースの中に並べられているのが、そのアンティークドールたちです」
「さすがに、90年以上生きて来たお姉様方は特別扱いですね」
 
「はい。あの子たちはガラス越しに眺めるだけにして頂きます」
「貴重なものでしょうからね」
「はい」
 
(*10) 筆者の手元にポーセリンドールのメーカー一覧があるが、ここに載っているドイツの人形メーカー58社の内、1930年に閉鎖または製造中止したメーカーが15社もある。1932年までに閉鎖されたものが8社、1930年代閉鎖が13社。
 

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「ここに居るお人形たちって、圧倒的に女の子が多くて、まるで女子校みたいですけども何人か男の子もいますね」
 
「はい。ビスクドールというと、女の子人形というイメージが大きいのですが、実際には当時男の子人形も結構作られてて、メーカーによっては男女半々作っていたメーカーもあったんですよ」
 
「じゃ残っているのが女の子が多いんですか?」
「そのあたりは実はコレクターの間でも定見が無いのですが、ひょっとしたら、男の子たちは乱暴だからも男の子人形をもらっても壊しちゃったのかも」
「ありそう!!」
 
「それとドレスメーカーの要請で人形が作られるようになったから、女性の服を着せられる女の子人形が多く生産されたという説もあります」
 
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「なるほどー」
 
「中には中性の子も居るんですよ」
「男の娘ですか?」
「中性的な顔立ちで作られていて、男の子の服も女の子の服も着せられるという子ですね」
「それは男の子の服と女の子の服を交互に着せたい」
 
「今ここに居る子、この子はジュモー社のトリステ(Triste)というお人形のリプロダクション(*11)ですが、この子が中性ドールですね」
と言って、オーナーさんはガラスケースの中の1体の人形を指し示す。
 
「今日は男の子の服を着てますね」
「はい。男の子が少ないので、こういう服を着せてますが、女の子の服でも行けますよ」
「確かにこの顔なら、女の子の服でも似合いそうな気がします」
 
(*11) 現存するアンティークドールから型(モールド)を取って、その型から生産した製品をリプロダクションと言う。そもそもビスクドールは1体1体微妙に顔が違うが、同じ型からリプロダクトした製品もやはり1体1体顔は違う。リプロダクトといっても、良質のものは、かなり高い価格になる。オーナーさんがガラスケースの中に入れていることからも、相当のお値段で買い求めたことが想像される。
 
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