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■女子中学生・冬の旅(21)

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(C) Eriko Kawaguchi 2023-01-20
 
S中では、2月21-23日(月火水) に学年末テストが行われた。
 
5科目+音美保体技家である。この内、体育はスキー大会の結果で評価するのであらためて試験は行わないということだった。
 
技術では1月からやっていた電気回路の製作で評価するということだったが、千里はハンダ付けがどうしてもできず(「先生、ハンダが逃げます」と言ってた)、抵抗器を発火!させ、この手の才能が皆無であることを示した。家庭科は調理ての評価だったが、千里は料理が得意なので、こちらは高評価をもらった。
 
美術は絵を描いたが、
「村山さん、ほんと上手いねー」
と美術の先生に褒められた。
 
保健のペーパーテストはよく分からないことも多くて適当に書いた。
 
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音楽は例によって、リコーダーの代わりにファイフを吹いて好評価を得た。音楽のペーパーテストは、最近音楽理論や楽典をかなり、きーちゃんに習っていることもあり85点を取った。実技と合わせて90点とされた。
 
曲を聴いて題名と作曲者を答える問題では実際に掛かったのはオッフェンバックの『地獄のオルフェ』の『カンカン』(*40)だったが、千里は『運動会のテーマ』と書いて、△にしてもらった!他にも数人同様の解答をして△をもらった子が居た。他にサンサーンスの『亀』(*41) と書いて△をもらった子も居た。
 
留実子はトーマスの『カロライン行進曲』と書き、藤井先生が
 
「そんな曲あったっけ?と音楽事典で確認した」
などと言っていた。もちろん×である。だいたいトーマスって誰??
 
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セナはバッハの『極楽と地獄』と書き
 
「江戸時代に翻訳されたらそういうタイトルだったかもね」
と言われた。むろん×である。“バッハ”も名前が惜しいと言われた。
 

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(*40) 原題は Orphée aux Enfers. 日本では大正時代に翻訳された時に付けられた『天国と地獄』という邦題もよく知られている。ギリシャ神話のオルフェウスの物語の“爆笑パロディ版”である。
 
死んだ妻を連れ戻そうと地獄に行き竪琴を弾いて地獄の王を感動させ妻を連れ戻す許可を得たものの、現世に戻るまでは決して妻の姿を振り返って見てはいけないという条件だったが・・・というのがオリジナルの話。
 
このパロディ版では2人の夫婦仲は冷え切っており、各々愛人がいる。オルフェは妻が死んでくれたのでこれで愛人と暮らせると喜び、妻のエウリュディケーも愛人というのが地獄の王プルートーだったので死んで地獄に行けて喜んでいた。しかしそこに天界の王・ジュピターが介入してきて・・・という少し大人向けのコメディ。あまり教育にはよろしくない!
 
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『カンカン』は別名で『ギャロップ』とも呼ばれる。
 
作曲者は Jacques Offenbach (1819-1880). オッフェンバックはフランス語読みでドイツ語読みではオッフェンバッハ。ドイツのケルン生まれで後にフランスに帰化している。このペンネームはドイツの都市オッフェンバッハ(父親の出身地)から採られたものであり、本名はヤコプ・レヴィ・エベルスト (Jakob Levy Eberst).
 
この試験では、ドイツ語読み・フランス語読みともに正解とした。オッヘンバック、オッフェンバッフなどの表記揺れもOK。オッフェンパックは不可。
 
正解は『地獄のオルフェ』の『カンカン』だが、『ギャロップ』でも正解。また『地獄のオルフェ』“のみ”でも正解とした。『天国と地獄』も可とした。
 
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(*41) 『動物の謝肉祭』の『亀』は『地獄のオルフェ』の『カンカン』を敢えてスロー演奏した曲である。この回答をした本人は「原曲のほうのタイトルがどうしても思い浮かばなかった」と言っていた。
 

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音楽の試験(実技・筆記)および保健の筆記試験を受けたのはR、技術と家庭の実技をしたのはYであった。
 
基本5科目では、先日の実力テストと同様、数学・理科をY、国語・英語・社会をRが受けている。
 

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試験が終わった後、千里は2月26-27日の土日に旭川に行って来ようと思ったのだが、きーちゃんに連絡したら
 
「こないだはお疲れ様。まだ疲れが残ってるだろうし、今月はお休みにしよう」
と言われた。
 
「疲れですか?特に無いですが」
 
何の疲れだろう?と思う。試験の疲れかな?
 
「凄いね。さすが若いだけあるね。その後、身体の調子が変だったりはしない?」
 
「別に大丈夫ですよ」
「それも良かった。でもあれはほんと驚いたね」
 
何に驚いたんだろう?
 
「結局千里が最初に言ったのが大正解だったね」
「そ、そうですね」
 
話がさっぱり分からないので、千里は適当に話を合わせておくことにした!!
 
ということで、今月の旭川行きはキャンセルとなり、次は3月の春休み中に行くことにした。
 
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旭川行きが中止になったので、26-27日は千里Rは天野道場に行き、清香や勾陳と手合わせをした。
 
一方、千里Yは27日、蓮菜の家で、おひな祭り・兼・千里の誕生会をした。千里の誕生日が3月3日なので、毎年一緒にされてしまう。例によって千里の母がおやつなどをたくさん差し入れてくれた。玲羅も一緒に蓮菜の家に行き、豪華な段飾りの恵香たちと一緒にお雛様の前でパーティーをした。
 
蓮菜、千里、玲羅が和服で参加したが、沙苗とセナにも和服を着せた。留実子は「ぼくは男の子だから」と言って欠席したが、おやつだけ後で届けておいた。
 

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ところで人形町に行っていた千里Vであるが、術のコピー作業が終了したのは、予定より遅れて19日目の2月18日午前中であった。
 
コピー作業は、
 
(1) 使用頻度の高いと思われる術(ほとんどを左右の手指の組合せのみをキーにした)
(2) 習得したいと思う人が多そうな術(片手の指と足指の組合せ)
(3) 使用頻度の少ないもの(両手指と足指の組合せ:10個ずつセットで書き込み)
(4) 余技の類い(片手の指2本と足指の組合せ)
 
という順序で進んだ。一般の霊能者が使うようなもので、習得している人が多いもの約300個が省略された。これらは全て2代目にも伝えられている。
 
例えば封印に使用される****明王の第3法などがこの類いで、この法は千里自身も小学生時代に小春から習って習得していた。
 
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子牙がどうしても残したかったのが(3) である。学ぶ人が少ないから、たぶん多くは千里の娘か孫娘にそのまま伝えられることになるだろう。
 
(4) はわりと消滅しても構わない類いのものなので後回しにした。子牙は実は時間との闘いをしていた。
 

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「これが2715個目。**明王の秘伝。別名**明神第27の秘伝。これの使い手は現在僕と瞬嶽の2人だけ(*43). 左手の親指と小指で左足の小指を挟んだ」
 
「お疲れ様でしたー」
 
どの術をどの指の組み合わせで記録したかは、作業しながら子牙自身が名称・効力・副作用などを記録し、きーちゃんが自分の知る範囲で別名や注釈も書き添えた。同名異術についてはコメントを付けた。
 
「基本的に別名が多いよね」
「多分みんな勝手に名前付けてるんです」
「例えば薬師如来第二十の術(*42) は、実は大慈観音第十七の秘法と同じもの」
「あ、その別名はわりと有名です。角行の髄・乙酉番とも言います」
「そうそう。それもある」
 

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(*42) この術は大層な名前が付いている割りに、実は使い手の多い術であり、きーちゃんや桃源なども使用する。千里はこの術を学ぶ前提条件を既に満たしているので、教えれば千里なら多分3日で習得する(普通の修験者なら半年かかる)。
 

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この記録は夏までに、きーちゃんの手でデータベース化されることになる。整理にあたっては子牙自身が書いた秘伝解説書(後述)も参考にした。このデータベースを閲覧できるのは、千里、きーちゃんの2人だけにする。難しい文字が多かったので、きーちゃんは当時はまだあまり普及していなかったUTF-8で記録した。ごく一部“文字鏡”の文字番号(≒大修館「大漢和辞典」の文字番号)で記録したものもある。当時、UTF-8をネイティブに使える良いテキストエディタが無かったので、せいちゃんに頼んで製作してもらっている。
 
千里の身体の“秘術マップ”は後に瞬嶽も書き留めてくれた。きーちゃんはその記録もデータベース化した。両者には微妙な差違があり、子牙か瞬嶽かどちらかが勘違いしたものと思われるが、きーちゃんにはどちらが誤りかは判断できない。なお両者比較の結果明らかな誤字・誤記と思われるものは修正した。
 
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(*43) 瞬嶽が2013年に死去したことで伝承者が居なくなるが、2015年に火喜多高胤が千里から学んで伝承者が復活する。子牙と千里の努力が報われた例である。
 
青葉や火喜多によれば“究極の秘法”だが、この秘法には代替策もあるので、子牙の言では「余技」の部類。瞬嶽はこの秘法を千里の身体に記録しようとして、既に記録されていることに気付いたので省略した。それで瞬嶽には千里の身体に先に秘法を記録したのが子牙であることが推察できた。虚空は子牙と同様「余技の類い」と思っているので練習してない。むろん彼は前提条件を満たしている。
 
子牙や瞬嶽が千里を記録媒体に選んだのは、千里の“記録容量”が凄まじかったからである。子牙が足の指を使ってしまったので、瞬嶽は千里の肋骨(左右で24本)を利用した。
 
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性転換を起こす(羽衣瞬嶽型)***の法は、千里の左第十肋骨に性転換したい人の手を触れさせることにより起動される。しかし子牙はこの秘法のオリジナル(虚空子牙型***の法:若返り効果が無く、また使用間隔の制限が無い)も千里の身体の別の場所に記録している。千里1が散々の男の娘を性転換させるのに(本人も無意識のまま)使うのがこちらである。
 

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作業終了後、子牙は
「御飯炊いといて」
と、きーちゃんに言って1時間ほど出掛けてきたが、牛肉、白滝、白ネギ、白菜、焼き豆腐、椎茸、春菊、卵を買ってきた。
 
「わあ、鋤焼きですか」
「打ち上げパーティーね」
 
それで中華鍋に材料を入れて煮て、すき焼きを作った。千里もさすがに3週間近い作業で疲れたので、たくさん食べた。
 

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食べ終わってから、子牙は言った。
 
「良かった。これで僕が集めた術を次世代に遺せる。ありがとう」
「子牙さんもお疲れ様でした」
「私も疲れましたけど、師匠もほんとにお疲れ様でした」
 
「これで安心して逝けるよ」
と子牙は言った。
 
これが2005年2月18日13時頃だった。
 
千里は
「どちらに行かれるんですか?」
と訊いた。でも、きーちゃんは厳しい顔をした。
 
「ありがとね。さようなら」
と言い残すと、子牙の姿は揺らぎだし、薄くなっていって消えた、
 

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「え?子牙さん、どこに行ったの?」
と千里は訊いたが、次の瞬間、千里ときーちゃんは、何も無い空き地に座っていた。
 
「え?ここどこ?」
と千里はあたりを見回して言った。
 
「子牙さんの家が“あった”場所だよ」
「何で無くなったの?」
「元から何も無かったんだろうね」
「え?どういうこと?」
「つまり、私たちは子牙さんの幽霊と3週間会ってたんだよ」
「え〜〜〜〜!?」
 

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千里は何か古い本のようなものをきーちゃんが持っていることに気付いた。
 
「その本と手紙は何?」
「え?何だろ?」
と、きーちゃんも分からないようである。
 
きーちゃんは和綴じの本1冊と封書を手にしていた。封書は“五島照子様”と書かれている。子牙の後継者さんだ。
 
和綴じの本を開いてみると、どうも子牙の様々な秘伝について解説した本のようである。きーちゃんは飛ばし読みをしていたが、最期のページで噴き出した。
 
「どうしたの?」
 
「これ見て」
と言って、最後のページを見せる。そこには
 
《平成十七年二月十八日癸酉》
と書かれていた。
 
「今日の日付?」
「そそ。お茶目だね」
 

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きーちゃんは子牙さんにもらっていた、2代目子牙さんの連絡先の電話番号に電話を掛けた。
 
70-80代くらいの感じの女性の声で応答がある。きーちゃんが、かいつまんで要件を話すと「すぐ行く」ということだった。
 
千里たちは2月の寒空の下、空き地で待っているのも辛いので、2軒先にあった古ぼけた喫茶店に入った。
 
「いらっしゃい」
という、事務的な挨拶。
 
2人はカウンター席に座り、メニューを見て、きーちゃんが
「モカ2つ」(*44)
と注文した。
 
すると65-66歳くらいの店主さんは、今どき珍しいサイフォンでコーヒーを煎れてくれた。千里はそんな器具は初めて見たので「へー!」と思って、器具内のコーヒー液の動きを見ていた。女子中学生が興味深そうに見ているので、店主さんも笑顔である。
 
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「千里、一口だけでもブラックのまま飲んでごらん」
と、きーちゃんが言うので飲んでみた。
 
「こんな味のコーヒー、初めて飲んだ」
「モカは独特の風味と酸味があるよね。多分コーヒーの原種に近い味」
「へー」
 
そんな会話を店主さんが微笑んで見ていた。
 

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(*44) これは2008年春にモカ・ハラリ(エチオピア産)の輸入豆から残留農薬が検出されてモカが輸入禁止になってしまうよりも以前の物語である。
 
モカには何種類かあるが、エチオピア産のモカ・ハラリ(ハラー)とイエメン産のモカ・マタリが日本では多い。味の感覚だが、筆者の個人的な感想では、モカ・マタリはややマイルドな味、モカ・ハラリはより野性的な味と思う。
 
実際にエチオピアではコーヒーの栽培に農薬は使用していないし、そもそも栽培しているのではく、野性のコーヒーの豆を採取していた。農薬検出の原因は、豆の輸入の際に使用した麻袋に、何か別の作物を入れていた時に付着していた農薬が検出されたのではと言われている。
 
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検査にひっかかったのはモカ・ハラリなので、モカ・マタリは無関係だったはずが、一緒に輸入が停まってしまった。
 
その後、一部の輸入元が2009年に、大手輸入元も2010年に、厳しい洗浄・輸送管理を独自に行って検査をパスし輸入再開した。当時モカ・ハラリを輸入禁止にしたのは日本だけだったので、コーヒーの販売会社の一部は、アメリカでモカを買い、それをアメリカ国内の工場で挽いて製品として加工した上で日本に輸入して販売するという、抜け道で販売を続けた。
 
それにしても当時はモカの生豆が国内で枯渇し、喫茶店などがモカの確保に苦労していた。
 

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女子中学生・冬の旅(21)

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