【女子中学生・夢見るセーラー服】(4)

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鞠古君は6月16日(月)に学校に出て来たが、今回は、ちゃんとワイシャツに学生ズボンという、男子の服装である。そして、
 
「俺もしかしたらチンコ全部切らなくて済むかも知れない」
と言って、札幌の病院で提案された新しい治療法のことをみんなに話した。
 
「良かったなあ」
「うまくいくといいな」
と他の男子たちから言ってもらっていた。
 
ちなみに留実子はあらためて頭を三分刈りにしていた!
 

鞠古君は男子の友人たちとの話が一段落した所で唐突に千里に声を掛けた。
 
「そうだ、村山、これ要らない?」
と言って紙袋を渡す。
 
「女子制服?」
「そうそう。先週俺が着てきて、みんなから無茶苦茶言われたやつ。俺もうこれを着ることはないから。村山なら着るかなあと思ったんだけど」
 
「それはありがたいけど、私はセーラー服持ってるし。そもそも鞠古君が着られたセーラー服は、私には大きすぎると思う」
 
このセーラー服は鞠古君のお姉さんの花江さんが着ていたものだが、花江さんは身体がわりと大きかったので、比較的細い鞠古君にも着られたのだろうと思った。それでも千里が着たら、布があまりすぎるだろう。
 
その時、恵香が言った。
「そこにセーラー服、欲しそうな顔をしてる子がいるけど」
 
「おお、高山、お前なら俺が着てた服でも入るよな?
「え!?」
と本人は唐突に名前を呼ばれて驚いている。
 
「それは良いことだ!」
と周囲から声が上がる。
 
「高山、取り敢えず着てみろよ」
と他の男子からも言われる。
 
「えっと・・・」
 

「セナちゃんなら、女子制服着てたら、女子トイレを使ってもいいよ」
などと近くで蓮菜が言う。
 
「俺とは扱いが違うな」
と鞠古。
「当然」
と蓮菜。
 
「ほらほら、着替えて」
と言われて、女子たちが作ってくれた円陣の中で、高山君は女子制服を着てしまった。
 
「足の毛は処理してるね」
「ちゃんと女の子下着着けてるね」
「今日は体育が無いから、きっと女の子下着だと思った」
「ちんちんの形が見えない。こっそり取っちゃったの?」
「ちゃんとブラジャーも着けてるんだ」
などと円陣を作っている女子たち。
 
ウェストが少し大きすぎたが、沙苗がアジャスターを調整してあげたら、ずれ落ちないようになった。
 

それで高山君が着替え終わると
 
「可愛い!」
という声が女子からも男子からもあがる。
 
本人は真っ赤になっているが、彼はセーラー服を着たらちゃんと女の子に見える。痴漢か何かにしか見えなかった鞠古君とは大違いである。
 
「高山、今日はこれで授業受けなよ」
と男子たちから言われて、本人は
 
「えーー!?」
と言っていたが、本当に彼はその日は1日セーラー服のまま授業を受けてしまった。
 
トイレも、千里や沙苗が手を握ってあげて(他の女の子とは手をつなぐ勇気が無い)、女子トイレに連れ込んだ。でも彼は普通にトイレの列に並んでいて
 
「セナちゃん、女子トイレ慣れしてる〜」
とクラスの女子たちから言われていた。
 

このクラスの男女比は4月には男15女12(千里を女子でカウントして)だったけど、このままだと男13女14になっちゃうかも、などと蓮菜は思った。
 
彼は翌日からはまた男子の服装をしていたものの、その後、彼はよく女子たちと話すようになった。
 
また彼はこの制服を自宅に持ち帰って母親に見つかると何か言われそうなので、学校に置いていた。しかしその結果、この後何度もみんなから乗せられてセーラー服を着ることになる。彼のセーラー服姿には違和感が無いので、先生たちも気付かないようであった。
 

ところで、鞠古君が本来毎週女性ホルモンの注射をしなければならなかったのを5月12日以来、毎週千里が代わりに女性ホルモンの注射をされていた件だが、千里はこの6月16日以降も、自分で注射代を払って、1学期中はずっと注射を打たれていた。その結果、千里(の男性体:千里W)は、ペニスは突発的にも立たなくなり、胸が少し膨らんで来たので「嬉しー」と千里は思っていた。
 
実際、これだけ女性ホルモンの注射をされたら、内在しているCdの男性器がもう機能を失ったろうなとA大神とP大神は考えていた。
 

6月16日(月)から、千里Bは毎日昼休みになると、学校の正門を出て、そばの御旅所に行き、その中で毎日30分くらい、龍笛の練習をするようになった。放課後も1時間くらい練習していた。このお陰で千里Bの龍笛はかなり進歩する。
 
でも昼休み・放課後に龍笛の練習をするので、千里Bは昼休みのバスケ練習にも放課後のバスケ部の練習にも顔を出さなくなり、幽霊部員!化した。でも千里はだいたい飽きっぽいし、そもそも体育館で剣道部にRが出ていると“30mルール”により、Bはバスケ部に顔を出せないはず(体育館に行こうとしても途中で消滅する)。
 
なお、放送委員の当番で、お昼に放送室に入る場合、これまではBが担当することが多かったのだが、Bが龍笛の練習をするようになってからは、Yが放送室に入ることが多くなった。
 
小春は、千里たちって実は自分が3人いることを認識していて、お互い話し合って分担してるのでは?と思いたくなった。
 

6月17日(火)からは、体育の時間に水泳の授業が始まった。
 
S中のプールはメイン体育館の1階にある。2階が通常のフロアである。小学校のプールと違い室内温水プールなので、実は1年中使えるし、天候にも左右されない。
 
ランニングコストを抑えるために、体育館の屋根に太陽熱温水器が設置されており、また夜間に水温が下がりにくいようプールに“ふた”ができるようになっているので、実際問題として温水を維持するための燃料費はほとんど掛かっていない。またボイラーの燃料も間伐材なので、とっても安くて済んでいる。
 

この日は、沙苗の女子水着デビューである!
 
「さあ、沙苗ちゃん、一緒に着替えようね」
と恵香が言って、蓮菜と2人で楽しそうにプール用の女子更衣室に連れ込むが。沙苗は制服の下に最初からスクール水着を着けていたので
「なーんだ」
と言われる。
 
「胸は少し膨らんで来てるね」
「うん。少しだけ」
 
「でも、お股の手術は終わっていたんだね」
と、何の突起物も見られないお股を見て言われるが
 
「ごめーん。それはノーコメントで」
などと言っていた。
 

ちなみにセナは一部の子が女子更衣室に連れ込もうとしたものの、逃げて男子更衣室に行った。
 
「セナちゃーん。男子更衣室に行ったら、みんなが目のやり場に困るよ」
 
一方の沙苗は女子水着姿をみんなに曝すのを少し恥ずかしがっていたので、千里が手を握ってあげて、一緒に更衣室からシャワーエリアを通ってプールに出た。
 
準備体操なども一緒にしたが、彼女は初心者クラスで授業を受けた。実は彼女は小学校の頃は、水泳のある日はたいてい休んでいたのである。だから彼女の“男子水着姿”を見たことのある子が存在しない(千里の場合は小3の時まで水泳はひたすら見学だった)。
 
ただ、彼女はお母さんから「泳ぎの練習はしないといけない」と言われて、女子水着を買ってもらって、それを着けて市民プールなどで結構練習していたらしい。それで、少しは泳げる。この日も最初から15mほどは泳いで
 
「君はずっと練習してればこの夏中には25m泳げるようになるよ」
と広沢先生から言ってもらっていた。
 
「ところで市民プールとかで泳ぐ時、男女どちらの更衣室使ってたの?」
と美那が訊く。
「ごめん。それもノーコメントで」
 
ちなみにこの日、男子水着姿の生徒の中にブラ跡がある子が居た件に付いては、誰も敢えて突っ込まなかった。
 

授業が終わった後の着替えでは、沙苗は着替え用バスタオルを使用していたので、また「なーんだ」と言われる。
 
「沙苗ちゃん、そのバスタオル無しで着替えない?」
「地球の平和のために勘弁してー」
 

6月25-27日(水木金)は1学期の期末テストが行われた。
 
千里は体育の実技では、200m走は女子14人中7番目だったものの、マット運動と鉄棒は全て課題をクリア。バスケットのシュートは100%決め(全部入れたのは男子を含めても千里だけ)、けっこう良い点数をもらったようである。音楽はリコーダーは相変わらずまともに吹けなかったものの、歌唱は「パーフェクト」と先生が思わず言ったので、まあまあの点数になったと見た。美術では先日のバスケットフェスティバルの様子を思い出しながらクーピーで絵を描き
「君はほんとに上手いね」
と褒めてもらった。
 
基本5教科では、英語は70点くらい、他は50-60点かなという感じだった。
 

6月27日(金)、千里(千里R)は2組の映子から声を掛けられた。
 
「千里ちゃ〜ん、何か部活してたっけ?」
「私、剣道部だけど」
「そんなのしてたのか。剣道部の次の大会っていつ?」
「7月12日・土曜日だけど」
「おお、それなら8月10日・日曜日に顔貸してくれない?」
「何するの?」
「吹奏楽部でさ、フルート担当してた2年生の人が転校しちゃって、私1人になっちゃったのよ」
「映子ちゃん、吹奏楽部だったんだ?」
「コーラス部が無いから吹奏楽部に入った」
「へー」
「千里ちゃん、フルート吹けたよね」
「そんなの吹けない。私リコーダーも苦手なのに」
「だって不動産会社のCMで吹いてた」
「う、バレてたか」
 
「フルートのパートが1,2とあって2人居ないと課題曲が演奏できないのよ。だから大会の時の臨時でいいから、片方吹いてくれない?」
 

「でも吹奏楽部って40-50人いて人数に余裕あるのかと思った」
「全校生徒250人の学校にそんな巨大な部が存在するわけない」
「そういえばそうだ」
 
「でも音楽室も理科室も吹奏楽部が使ってるから、合唱部作っても練習場所無いと聞いてたし」
 
「理科室は科学部との共用だよ。パート別練習に使わせてもらってるだけ。でも特殊教室棟はほぼ埋まってるかもね」
「へー」
 

「うちは正部員は20人だよ。でも課題曲の演奏に最低26人必要だから、6人助っ人を頼む必要がある」
「それで私も助っ人なのか」
「それでお願いしたい」
 
「でも私、フルート持ってないよ」
「持ってないのかぁ!?」
と言って、映子は天を仰ぐ。
 
「じゃ、あのCMのは?」
「撮影用に借りただけだよ」
 
「誰か先輩から借りられないか聞いてみる。もし借りられたら頼んでいい?」
「うん。楽器があったら参加してもいい」
 

そんなことを言っていたら、フルートを手に入れることになってしまったのである。
 
6月28日(土).
 
千里Rは、美輪子に呼び出されて、旭川に向かった。昨年秋に撮影して好評だった不動産屋さんのCMで、新しいバージョンを撮影したいから、また出て欲しいと言われたのである。
 
(たまたま?美輪子からの電話をRが受けたので、Rが行くことになった)
 
交通費が出るということでJRを使い、深川から旭川まで特急を使う。旭川駅に美輪子が迎えに来てくれていたので、彼女の車に乗って、撮影場所に向かう。
 
「セーラー服姿可愛いね」
「えへへ」
 
車は旭川郊外に向かう。
 
「今回はスタジオじゃないの?」
「スタジオでも少し撮るけど、旭岳の上でも撮る」
「まだ寒いのでは?」
「まあ旭岳の上は冬かな」
 
それで途中美輪子のアパートに寄りタイツを借りて履いた。またホッカイロをもらってお腹に入れた。
 

実際、上に登ると、やはりとっても寒い。
 
撮影スタッフが既に準備をしていたので、
「おはようございます」
と声を掛けた。
 
プロデューサーさん(?)から、シナリオについて説明を受ける。昨年秋の時は実は予定していたモデルさんが急に使えなくなり、タイムリミットが迫る中、代役を探していたらしい。それで慌ただしい撮影だったのだが、今回はちゃんと台本を説明された。
 
ここで衣裳に着替えたが、前回着たのと同様の白いワンピースである。ただし、寒いので、タイツ・ホッカイロはそのままである。
 
千里を含めて白いドレスを着た少女が3名出演して、鏡池の所でダンスをする。そして鏡池の上に突然豪邸が出演したという想定で、みんな驚くシーン。そしてその“豪邸”のそばで千里がフルートを吹いている様が撮影される。
 
実際の“豪邸”は後でモデルハウスを合成するらしい。
 

フルートはまた撮影用にと美輪子から渡された。
 
前回は適当に知っている曲を吹いたが、今回はこれを吹いてもらえませんか?と言って譜面を渡された。千里が譜面を見ながら吹くが初見一発で吹いたので
「すごいですね」
と感心された。
 
「フルートは普段からやはりかなり吹いておられます?」
「いえ、全然吹かないんですけど」
「全然吹かないというと、1日2〜3時間くらい?」
 
ということで、千里がフルートを持ってもいないなんて信じてもらえない。
 

旭岳での撮影は準備1時間くらい(その間千里たちは練習している)と撮影2時間くらいかかった。そして山を降りて、ロープーウェイの山麓駅近くにあるホテルで昼食を取る。
 
共演者の2人とおしゃべりしながら食べたが、2人とも旭川L女子高の生徒らしい。
「女子高というのも憧れるなあ」
「今中学生?だったら、旭川に出てくるなら受験してみない?うち音楽とか英語の教育には定評あるし、スポーツも強いし。剣道してるなら、うちの剣道部は道大会で準優勝したこともあるし、他にバスケ部は全国大会に行ったこともあるよ」
 
「へー。でもうち私立にやるお金無いって言われそう」
「うちはそんなに学費高くないと思う」
「へー」
「ミッションだから修学旅行も姉妹校の宿舎に泊まったりして安く済むし」
「それいいですね」
「それにOGの寄付が結構あるらしいのよね」
「なるほどー」
 
食事の後は、不動産屋さんのモデルハウスに移動した。
 
モデルハウスは小さな家から大きな邸宅まで、いくつも建っているが、その中で重量鉄骨構造・2階建て6LDKという美しいモデルハウスを撮影に使う。共演の子たちと一緒に、さっきの白いドレスで家の中を歩き回るシーンが撮影される。そしてリビングでまたフルートを吹いた。このリビングでの演奏シーンは、白いドレスバージョンと、セーラー服(撮影用衣裳)バージョンの2通り撮影した。共演者2人もセーラー服である。
 
ここでの撮影を1時間くらいしてから、衣裳を脱いで自分のセーラー服に戻り、最後は録音スタジオに行って、あらためて今回のCM曲を吹き込んだ。実際のCMで使用する音はここで録音した音に差し替えるらしい。その曲と、ついでに前回千里が吹いた『アルルの女のメヌエット』および『花』(瀧廉太郎)も吹き込んだ。CDとしてプレスし、お客様などに配るかもという話だった。
 
「あんたほんとうまいよ。フルート買って練習しない?」
と美輪子が言っていたが
「うち、フルートなんて買うお金無いよー」
と千里が言うと
「確かにそうかも知れん」
と美輪子も言っていた。
 

しかし夕方まで掛けて作業は終わり、17時すぎになってCM収録は全て終了した。
 
美輪子が
「うちで御飯食べてかない?」
と言ったが、千里は
 
「ごめーん。ちょっとお友達と会う約束してるから」
と言うと、美輪子はデートかと思ったようで
 
「セックスする時はちゃんと付けさせろよ」
と言って、待ち合わせ場所にしている平和通りまで送ってくれた。
 
美輪子と別れてからマクドナルドに入り、コーヒーを頼む。それを飲みながらもらったギャラの封筒を開けると13万円も入っていたので、ギャッと思った。明細を見ると内1万円は交通費のようである。
 
しかしこんなにもらっていいのかなあ。これお母ちゃんの月給くらいあるじゃん、と思った。でも12万もあったら、安いフルートが買えないだろうかとも考える。たしかヤマハのいちばん安いフルートは8万円くらいとかと言ってなかったっけ?
 
(この当時、ヤマハの最安フルート YFL-211は定価82000円。5%税込で86100円。ただし楽器店によっては7万円程度でも入手できた模様)
 

きーちゃんは千里がちょうどコーヒーを飲み終わった頃、やってきた。
 
「実は、こないだアイスランドで助けた男性がさ」
「うん」
「自分を助けた少女がもし幻じゃなかったら御礼をしたいと広告を出していたのよ」
「へー」
 
「それで、私、千里に擬態して会って来たから」
「あはは」
 
「日本からの旅行者ということにして、両親役のお友達と一緒に。日食を見るのに偶然近くに居て、日食終わった後、散歩している時にあそこに来たんだということにして」
 
「事実だね〜」
 
「それで御礼を受けとったから、あんたに渡すね」
「ありがとう」
と言って受け取ったが、封筒が厚い。
 
「なんか重いんですけどー」
「オーストリアの貴族さんだったらしい。それで1万ユーロ頂いたから、日本円に両替して138万円」
 
「きゃー」
「一緒に助けた男性にも1万ユーロ渡したみたい。これは全部千里に渡すね」
 
と、きーちゃんは言ったが、千里は
「山分けにしようよ」
と言った。
 
「だって、きーちゃんと2人で助けたんだもん。それと受け取りに協力してくれた、きーちゃんのお友だちにも分けたいし」
 
「じゃ、私と千里が4割ずつで、協力してくれた2人に1割ずつとかはどう?」
「うん。それでいい」
と言って、千里は封筒から現金を出すと、さっと自分の分に55万円取って、残りの83万円を、きーちゃんに渡した。
 
(138×0,4=55.2)
 
「ワイルドな分け方するね」
と言いながら、きーちゃんは笑顔で受け取った。
 
「多分それで83万円あると思うけど」
と千里が言う。きーちゃんは数えてみて本当に83万円あるので、びっくりする。
 
「確かに83万円あった」
「良かった」
「でも、どうしてこんな正確に分けられるの?銀行にでもお勤めしたことある?」
「え?でも触ればわかるじゃん」
「・・・・・」
 
(実を言うと、千里は“ワイルド”に分けると正確に分ける。でも数えると間違う!)
 

「でもたくさん御礼いただいちゃった。これでフルート買おうかなあ」
「千里、フルート吹くの?」
 
「ううん。でもこないだから何度かフルート吹く機会があって。あんたうまいよ、練習しなよとか言われるからさ。それに吹奏楽部の子に、フルート担当が足りないから手伝ってくれないかと言われてて。お金があるなら、安いの1本買って練習してみてもいいかなと思って」
 
「今使ってるフルートは?」
「フルートは持ってない」
「持ってないのに吹けるの〜?」
「鼓笛隊でファイフは吹いてたんだけどね」
 
きーちゃんは驚いたものの、すぐ楽しそうな顔をした。
 
「フルート選び付き合ってあげようか」
「あ、きーちゃん、フルート吹く?」
「フルート、ファイフ、篠笛・明笛(みんてき)・ファンソウ、龍笛・高麗笛(こまぶえ)・神楽笛(かぐらぶえ)、笛子(ディーズー)、バンスリ、ヴェヌー。横笛はわりと得意だよ」
 
「へー。じゃ、お願いしようかな」
 
「じゃ、まだ楽器店開いてるだろうから見に行こうか」
「うん」
 

それで2人はマクドナルドを出て、楽器店に行ったのである。道々きーちゃんはフルートの選び方について解説してくれた。
 
「まずフルートは穴の押さえ方で、カバーが付いていて完全に穴を押さえることのできるカバードキイと、穴が空いているだけで指で押さえるリングキイがある。前者はドイツ流で後者はフランス流だけど、リングキイは初心者には難しいから最初に使うフルートはカバードキイの方がいい」
 
「あ、今日の撮影で使ったフルートもそんな感じでふたがきれいに閉まってた」
「ポルタメントとかする場合はリングキイでないと無理だけど、それは少し吹けるようになってからでいいと思う」
 
「微妙に音程を変えていくやつだっけ?」
「そうそう。指で穴を微妙に押さえて、微妙にずらして音高を変える」
「ああ、何となく分かる」
 
「それからキイの並び方で、インラインというのとオフセットというのがある」
「うん」
「インラインというのは、キイが一直線状に並んでいる。見た目が美しい。オフセットは吹きやすいように薬指と小指のキイの位置がずれてる」
 
「それは見た目より吹きやすさの方がいいなあ」
「私もそう思う。見た目はプロになってから考えればいいよ。そしてEメカというのがある」
 
「イーって、ドレミのミのこと?」
「そうそう。フルートは構造上、2つ上のミを出すのがけっこう難しい。それを楽に出せるようにしたメカなんだよ」
 
「そういうのがあるなら、あった方がいいと思うなあ」
 
「うん。だから、初めて使うフルートは、カバードキイ・オフセット・Eメカ付きがお勧め」
「なるほどー。じゃそういうのがいいかな」
 

「あと、フルートの穴の所の作り方に、ソルダードというのと、ドローンというのがある。ドローンは安い。ソルダードは高い」
 
「音質はソルダードの方が良いの?」
「私はソルダードの音がいいと思うけど、初心者が吹いても同じ」
「なるほどー。うまい人が吹くと差が出るのか」
 
「一般に、良い楽器ってそういうものだよ。ヴァイオリンとかでも、普通の演奏家がガルネリとかストラディバリウスを弾いても200-300万円の安いヴァイオリンとの差は出ない。名人級の人が弾いてこそ差が出る」
 
「200-300万円が安いの〜〜?」
「だってストラディバリウスは何十億円もするもん」
「恐ろしい」
 
「まあ初心者はドローンでいいと思うよ」
「じゃそれで」
 
「そして最後に材質がある。一番安いのは白銅製、それから洋銀製、それから銀製、そして金(きん)つまりゴールド製」
 
「金(きん)って高そう」
「だいたい1000万円する」
「とても買えない!」
「銀なら100万円くらい」
「それでも高いね」
「でも管体は銀だけど、キイとかの部品は洋銀で作られた安いのもあるんだよ」
「そういうのはいいね」
「ということで、私のお勧めはヤマハのYFL-411 カバードキイ・オフセット・Eメカ付き、管体は銀だけど、キイは洋銀で安いんだよ」
「へー、いくらくらい?」
「定価は18万円くらいだったかなあ」
「わりとするね」
「でも払えるよね?」
「うん。55万円ももらっちゃったし」
 
と言いながら千里は、CMのギャラの12万円では買えなかったなあと思っていた。
 

2人は楽器店に入り、ヤマハのフルート、YFL-411が欲しいと言った。
 
楽器店の人は指名買いなので、すぐその楽器を出してきてくれたが、このクラスを買うのなら、経験者なのだろうと思ったようで
 
「現在は洋白製か何かお使いですか?いっそ総銀製をお買いになりませんか?」
と勧めてきた。
 
『総銀って何?』
と、きーちゃんに脳間通信で訊く。
『キイまで全部銀でできてるってこと。411は管体のみ銀』
『なるほどー』
 
「まだこの子には早いかな」
と、きーちゃんは言ったが、少し試奏してみられませんかといって、お店の人は同じヤマハ製の YFL-714 も出してきた。YFL-411 と同様の、カバードキイ・オフセット・Eメカ付きのモデルである。
 
千里が軽く『ペールギュント』の『朝』を吹くと、とても美しい音が出た。
 
(ソミド・ドレミ・ソミド・ドレドレミファ・ソミソ・ラミラ・ソミレド)
 
きーちゃんが腕を組む。
 
お店の人は千里の演奏を聴いて
「失礼しました。プロの方ですか?」
と訊いた。
 
「私まだ3回しかフルート吹いたことないんですけど」
「また、ご冗談を。それだけお吹きになるのでしたら、いっそハンドメイド・モデルをお買いになりませんか?ローンも組めますよ」
とお店の人は言う。
 
「すみません。そこまではさすがに予算が無いので。でも千里、これにしようよ」
と、きーちゃんは言った。
 
「え〜?411じゃなくて?」
「411は、あんたの演奏能力のキャパに足りない」
と、きーちゃんが言うと、お店の人も頷いている。
 
「でも、お高いんでしょう?」
「5%の消費税込みで、43万0500円(*5)になります。でも10回払いとかにもできますよ」
とお店の人。
 
(*5) YFL-714(現行のYFL-717の1世代前のモデル)の定価は43万円であった。税込み451,500円になる。このお店は税抜価格を41万に値引きしているものと思われる。714の発売年が不明だが、同じシリーズの614を2002年に購入したという人を見付けたので、2003年にあったのは確実だと思う。
 

『私も半分出してあげるからさ。これを買いなよ。あんた才能あるもん』
ときーちゃんは脳間通信で言う。
 
「じゃ買っちゃおうかなあ」
と千里は言い、結局予定の倍の値段がする、この総銀フルートを買うことになったのである。
 
きーちゃんは『あとで精算しよう』と千里に伝えて、自分のカードでこのフルートを購入した。ケース、ケースカバー、クリーニングロッド、ガーゼは付属しているが、お店はサービスでフルート楽譜集と、チューナー付き電子メトロノームを付けてくれた。
 
(楽譜集はクラシック名曲選と最新ヒット曲集のどちらがいいですか?と訊かれて、ヒット曲集にしたが「クラシック名曲なんてほとんど吹いておられますよね」などとお店の人は言っていた)
 

お店を出てから、きーちゃんは駐車場に千里を連れて行く。それで彼女の車、トリビュートに千里を乗せる。
 
「旭川に1軒、家を買ったからさ。招待しようと思ったのが、今回の目的だったんだけどね」
と、きーちゃんは言う。
 
「へー。元々のおうちは函館って言ってたっけ」
「うん、まあね」
と言いながら、この子に函館の家のこと言ったっけ?と、きーちゃんは考えた。
 
「生まれはフランスだっけ?」
「なんで分かるの〜〜!?」
「そんな感じがしたから」
 
いや、このくらいでは驚かないぞと、きーちゃんは思う。
 
「でも今夜は、うちで御飯を食べてから帰りなよ。電車無くなるかも知れないけど、車で留萌まで送っていくから」
「明日は特に予定無いから、今夜泊めてくれたら、明日JRで帰るよ」
「うん。じゃ泊まっていって。部屋は4部屋あるから」
 

きーちゃんのおうちは、旭川郊外にあり、100坪ほどの土地に、45坪ほどの平屋建ての建物が建っている。家の前面に車が駐められるようになっており、カーポートが2台分作られているので、きーちゃんはトリビュートをそこに駐めた。
 

 
「きれいだね。新築?」
「そそ。でもユニット工法だから1日で建った」
「1日で家が建つの〜?」
「もっともピアノ室の防音工事に1週間掛かったけどね」
「へー。でも一週間でこれだけの家ができるって凄いね」
 
千里はリビングのテーブル周囲に置かれたソファに座っているのだが、アイランドキッチンが格好良いなあと思った。
 
きーちゃんはシチューを作っていたので、それを暖め、バゲットをスライスしてオーブントースターで焼いた。また紅茶を入れてくれたがこの紅茶が美味しかった。アッサムだと言っていた。
 
お金を精算する。千里は「55万ももらったから全額出すよ」と言ったが、きーちゃんは「半分出すと言ったから」と言って、約半額の21万しか受け取らなかった。
 
「この家のピアノ室は防音になってるからさ、千里、ここに来てくれたらフルート少し教えてあげるよ」
「防音っていいね。じゃ、お願いします、先生」
「よしよし」
 
千里はこのきーちゃんの旭川の家で、高校3年の時まで毎月1回くらい、フルートや龍笛などの木管楽器を習うことになる。
 
千里は自分の携帯から自宅に掛けて、今晩ひとばんお友達の家に泊まると伝えたが、電話を取ったのは玲羅で「分かった。お母ちゃんに伝えておくね」と言った。
 

玲羅が電話を切って席に戻ると“千里”が
「誰からだった?」
と訊く。
 
「お姉ちゃんからで、彼氏の家に泊まって来るって」
「ふーん。妊娠しなきゃいいけどね」
と千里は笑って言っている
「ほんとね。私、小学生の内に、おばさんにはなりたくないな」
と玲羅も言った。
 
千里が目の前にいるのに千里から電話が掛かってくる程度は昔からよくあるので玲羅はほとんど気にしていない!
 
「お姉ちゃん、前回の生理は?」
「先々週の日曜だったよ」
「だったら今日は危険日?」
「ほんとに私、妊娠しないといいね」
と千里は笑っている。
 
「あんた、妊娠するんだっけ?」
と母は不安そうに訊く。
 
「だって、女の子だもん」
と千里は答えた。
 

なお、旭川に行っていた千里は、29日昼過ぎまで、きーちゃんにフルートの演奏法について指導を受け、夕方のJRで留萌に帰った。
 
旭川15:30(ライラック16)15:49深川16:05-17:04留萌
 
千里は小春を留萌駅まで呼び出し、CM撮影のギャラでもらった12万円と、雪山で男性を助けた御礼の残り34万円、合計46万円を渡して、預金口座に入れておいてくれるよう頼んだ。
 
「そのフルートも預かっておこうか?」
「お願い。お母ちゃんに見られたくないから」
 
それで千里は夕飯の買物をして帰ろうと思い、Aコープまで歩いて行こうとした。ところがその途中、千里は唐突に30代の女性から声を掛けられた。
 
「千里ちゃん、何してるの?乗って乗って」
「はい?」
 
それで千里Rは訳も分からずに、保志絵の車に乗ったのであった。
 

さて、千里Bの方は6月21-22,28-29日と土日はQ神社でご奉仕したが、どの日も午後1時から4時頃まではわりと暇なので、寛子さんと2人で別館に行き龍笛の練習をした。
 
千里は元々何でも覚えるのが早いので、22日の夕方までには、Q神社で吹く龍笛の曲を全部マスターしてしまった。千里は23-24日、昼休み・放課後は別館に入って練習していたし(25-27は期末テスト)、29日の午後の段階で
 
「もうこれ以上は教えることが無い。後は自分で磨いていくだけ」
と寛子さんから言われる。
「そうですか?まだ自分ではあちこち不満なんですけど」
「その自分で不満な所を磨いていくんだよ、自分なりに」
「分かりました!」
 
「あんたは今まで私が教えた子の中でいちばん物覚えが速い」
と寛子さんは感心していた。
 
寛子さんは龍笛の練習の合間にピアノも教えてくれた。千里がピアノを結構弾くものの、完璧な自己流なので、特に指替えなどの技術を指導してくれた。
 
「千里ちゃん、一度ピアノの基礎みたいな教本をやってみるといいよ。多分初心者用のは1冊数時間であげられると思うけど。うちに残ってなかったかどうか今度見ておくよ」
「すみませーん」
 

29日(日)、神社に戻ると寛子さんは細川さんに言った。
 
「この子、物凄く物覚えがいいです。もう実際の祈祷で吹かせてもいいと思います」
「そんなに?ちょっと聞かせて」
というので、千里が習った曲を吹いてみせると、周囲に居た神職さんや年上の巫女さんたちが、こちらを振り返る。
 
「なんか凄いね」
「息が凄く強く出ている」
「ええ、私より息が強いです。この子の笛の音は本当に龍が鳴いてるみたい。私のはまだ正式な龍ではない蛟(みずち)(*6)だって言われるけど」
 
と寛子さんは言っているが、循子など
 
「私の笛は龍どころか蛇未満のビニール紐らしいです」
と自分で言っている。
 
(*6) 長年生きた蛇(へび)は虺(き)となり、これが500年生きると蛟(みずち)になり、更に1000年生きると龍になるという説がある。また龍には7段階があり、最上位が龍でその下が蛟であるとも。
 
龍の7段階説
7.龍(りゅう)
6.蛟(みずち)
5.虹と蜺 空に虹が現れる時、主虹が“虹”(♂)で副虹が“蜺”(♀)
4.應と蜃 “蜃気楼”を出すのが蜃。應は翼を持つ龍。
3.虬と虯 どちらも「きゅう」と読む。
2.螭(ち) 森に隠れている。
1.蟠(ばん) まだ飛べない。
 
但し異説では龍が500年経つと角龍に進化し、角龍が1000年経つと應龍になり、その應龍が年を経たものが黄龍であるという説もある(述異記)。つまりその説では應の方が龍より上位ということになる。
 

「これだけ吹けるなら、祈祷の笛を吹かせるか」
と禰宜(ねぎ)の吉沢さんも腕を組んで言っている。
 
「今の笛を聞いたら、全く問題無いと思う」
と香取巫女長も言う。
 
「じゃ来週から昇殿祈祷の笛も吹いてよ」
「分かりました!」
 
「でも祈祷でプラスチックの龍笛は無いな」
「もう少し良い龍笛を渡そう」
 
すると細川保志絵が言った。
「私が未使用の龍笛を1本持ってますから、それを預けますよ」
「ああ、よろしく」
 
それで千里はその日のお務めが終わった後、セーラー服に着替え、保志絵の車ミラ・ジーノに同乗して細川家に向かった。千里は助手席に乗り、保志絵と話していたのだが、唐突に千里の反応が無くなる。それでふと横を見ると千里が居ない!?
 
保志絵はびっくりして、取り敢えずハザードを焚いて車を脇に寄せ停める。
 
「千里ちゃんどこ行ったの〜?」
と声に出してキョロキョロしていたら、すぐ目の前の歩道をセーラー服を着た千里が歩いている。
 
嘘!?いつの間に降りたの!?
 
と思い、保志絵は車を降りて千里の傍に駆け寄る。
 
「千里ちゃん、何してるの?乗って乗って」
「はい?」
 
それで千里Rは訳も分からずに、保志絵に手を引かれて、車に乗ったのであった。
 
(千里Rの居る場所に偶然近づいて行ったので“30mルール”により、千里Yが姿を消してしまった!)
 

「千里ちゃん、どうやって降りたのよ?」
「えーっとよく分かりませんが」
と千里Rは混乱して言う。だいたいこの人誰だっけ?などと考えている。
 
やがてL町の少し高台の家に到達する。カーポートがあるのでそこに保志絵は車を駐めた。
 
「入って入って」
と言って保志絵が千里(千里R)の手を引いて、家の中に入る。千里は表札を見て、ここが細川さんという家であることを認識した。
 
それで玄関を入ったら、目の前に素っ裸の貴司が居た!
 
「きゃっ!」
と言って千里は後を向く。
 
「わっ」
と言って貴司は家の奥の方に走り込んだ。
 
でも、ちんちん見ちゃった!!
 
しかし何とまあ、これが後に結婚する、貴司と千里R(≒千里2)のファーストコンタクトだったのである!
 

「えっと・・・・」
「ごめんねー。変な物見せちゃって。あがって、あがって」
「はい」
 
変な物って、ちんちんのこと??
 
それで千里は「これは誰なのだ?」と思いながら、家に上がり、リビングのテーブル(家具調コタツ)の所に座った。
 
保志絵は紅茶を入れてくれた。
 
「美味しい。凄く香りが深いです」
 
きーちゃんの所で飲んだアッサムと似た系統の味のような気がした。
 
「これはウバという品種。紅茶はよく飲む?」
「粉を溶いたらミルクティーになるようなのしかうちには無いです」
「まあ、あれも便利だけどね」
と言って保志絵は笑っている。
 
ところでさっきの男の子は誰だろう?見たことある気がするけど。S中の子だっけ??と考えている内に、彼がバスケ部員であったことに気付く。千里が剣道部の練習をしている時、彼はバスケ部で練習していた。名前は・・・そうだ「タカシ」君だった。バスケ部でみんなからそう呼ばれていた。
 
つまり、今目の前に居る人は、その細川タカシ君のお母さんなのだろう。私を知っているみたいだけど私とはどういう関係なのだろうか。私って関わり合いのある人のことを、きれいに忘れてることあるからなあ。
 

「それで素敵な龍笛があるのよ」
と保志絵は言って、神棚に載っている桐の箱を2つ下ろした。
 
↓間取り再掲

(お風呂から貴司の部屋に行くにはリビングを横切る。でも妹もいるんだし、貴司は服を着てからリビングに来るべき。神棚はリビングにある)
 
保志絵がその桐の箱を2つとも開けると、千里は2本の龍笛の内の1本を
「失礼します」
と言って手に取って両掌に乗せ眺めた。
 
「美しい龍笛ですね」
「分かる?」
 
「もうひとつの龍笛もかなり良いものと思いますけど、これは凄いです」
「その龍笛をあげるよ」
 
千里はびっくりした。千里がこの龍笛から感じる波動は、とても美しい。これは名人級の人の力作だと思った。
 
千里は苦笑した。
 
「それはさすがにNo Kidding(からかわないで)です。こんな名品、私が持ってたら、豚に真珠ですよ」
 
「あらら、可愛い子豚さんね。でもこの龍笛の良さが分かるのね」
「これは凄い名人さんの作品です。もうひとつの龍笛もですが」
 
「だったら、こちらの方をあげるよ」
と保志絵はもうひとつの方の龍笛を差し出して言った。
 
千里はなぜ細川君のお母さんは唐突に自分にこんな高価そうな龍笛をくれるというのだろう?と千里Rは疑問を感じた。しかしその時、小春から脳間通信が入った。
 
『千里、その龍笛はもらって』
『了解』
 
「分かりました。頂きます。でもこれも結構なお値段のものだと思います。私、代金払いますよ。分割でないと払えないけど。これは80万円くらい?」
 
保志絵は千里がこういう高価な品の値段が分かるのが凄いと思った。
 
「まあ40万円かな」
「だったら済みません。5年ローンくらいにさせて下さい」
「むしろ出世払いで。あなたがおとなになってお金ができた時にもらえばいいから」
「分かりました」
 

それで高価な龍笛を保志絵に戻し、安い方の龍笛(といっても、千里の感覚で80万円くらいと思ったが保志絵は40万円と言った)を受け取る。
 
「ちょっと吹いてみて」
と言われるが“この”千里は、龍笛なんて吹いたことがない。でもここは何か吹かないといけない気がした。
 
たぶんフルートと似た要領だろうと思い、両手で持って息を吹く。それで曲を演奏したら、保志絵は
 
「あなたってお茶目ね」
と楽しそうに言った。千里が吹いたのはSMAPの『世界に一つだけの花』である。
 
ところがそこに(服を着た)貴司が出て来て言った。
「その歌は気に入らない。Only Oneは無価値だ。No.1でなければダメだ」
 
「それは割と賛成かも知れない」
と千里は言う。
 
「でもTシャツを裏返しに着て女の子の前に出てくるのはOnly Oneかも」
「え?」
と言って、貴司は
「これ裏返しだっけ?」
などと母に訊いている。
 
「私にも裏返しに見える」
と保志絵。
 
「しまったぁ」
と言うと、彼はその場でTシャツを脱ぎ、脱いで裏返ったのをそのまま着た。
 

「すみませんねー。ユニークな息子で」
と保志絵。
「No.1を目指すなら、例えば」
と言って千里はテーブルの上に載っている消しゴムを手に取る。
 
「この位置から、あそこの本棚の上にこの消しゴムをうまく乗せられたらNo.1になれるかもね」
と千里は言った。
 
「それ千里はできるの?」
と貴司が言う。
 
千里は、なんで私の名前を呼び捨てにする?とは思ったものの、黙ってその消しゴムを放る。すると消しゴムは回転しながら飛んで行き、きれいに本棚の棚に載った。
 
「すげー」
 
千里はその消しゴムを取ってきた。
「はい、どうぞ」
 
「よし」
それで貴司は消しゴムを放るが、消しゴムは本棚には当たったものの、跳ね返って下に落ちた。
 
「うーん。失敗」
 
「それができるようになったら、デートくらいしてあげてもいいよ」
と貴司に言い、保志絵には
「今日はありがとうございました」
と言って、席を立った。
 
「あ、送るよ」
と保志絵は言い、千里が買物があるというと、Aコープまで送ったくれた。それで千里は御礼を言って降りて、スーパーの中に入った。
 

『小春』
と千里は呼びかける。
 
『この龍笛、どうすればいいの?』
『その龍笛は細川さんが“別の千里”にあげたものなんだよ』
『ああ、私って何人かいるよね?』
『それは自覚があるんだ?』
『子供の頃から、私は複数いるみたいと思ってたよ』
『別の千里があの男の子と親しいんだよ』
『へー!なんか凄く浮気しそうな顔してるのに。あれ絶対晋治と同じタイプだよ』
 
『まあそれで龍笛をくれたんだけど、それと似た龍笛をあげるから、その龍笛は私に渡して。細川さんが本来渡すはずだった千里に渡す』
 
『了解了解』
 
千里がAコープで買物を終えて外に出たら、小春が来て
「代わりにこの龍笛をあげるから」
と言って、別の龍笛を千里Rに渡した。瞬間的に千里は『これは同じ人の作品だ』と思った。そして千里Rが保志絵からもらった龍笛を小春は受け取る。
 
「ついでに家まで送っていくよ」
「うん。玲羅たち、待ちくたびれてると思う」
 
それで小春は宮司のカローラに千里を乗せて運転し、C町の千里の家まで送って行った。
 

6月30日(月)、千里Rは2組の教室に行き、映子を呼び出して言った。
 
「私、親戚からフルートをもらっちゃったんだよ。それで少し練習するから」
 
「良かったぁ!こちらは高校に進学した先輩何人かに訊いてたんだけど、なかなか貸せそうな楽器持ってる人いなくて。やはり白銅製の楽器とかは使い倒してると状態が悪くてさ。洋銀とかの高い楽器を持ってる人は高校でも吹奏楽を続けている人が多い」
 
「ああ。親としては高い楽器買ってあげて3年でやめられたら、たまらないよね」
「それそれ」
 
「でもどんなフルート?」
と訊かれるので、古いフルートケース(実は昨日の内に小春に調達してもらっていた)から YFL-714 を取り出す。
 
「いいフルートだね!」
と映子が言う。
 
「そうなの?長く使ってなかったから、傷んでたらごめんねと言われたんだけど」
「きれいにしてるよ。保存状態いいみたい。だいたい、これ総銀フルートじゃん」
「総銀?」
「全部銀でできてるんだよ」
「へー!高そう」
「高かったと思う」
「良かったのかなあ。そんな高いのもらって」
 

それで昼休みの練習に顔を出した。放課後は剣道部の練習があるから、昼休みの練習にだけ顔を出すという話は、部長の承認済みということだった。
 
「あれ?千里、セーラー服なんだね」
と佐奈恵(クラリネット担当)が言う。
 
「え?セーラー服着てたら変?」
「千里は学生服を着ているという噂が」
「何かの間違いでは?」
「だよねー。千里が学生服を着た姿が想像出来んと思ってた」
と佐奈恵は言っていた。
 

そういう訳で、今年の吹奏楽部の(課題曲での)編成はこのようになっていた。
 
木管
ピッコロ1、フルート2(★千里・映子)、
クラリネット3、バスクラ1,
アルトサックス2、テナーサックス、バリトンサックス
金管
トランペット3(広瀬・海老名・★小春)、トロンボーン3、
ホルン3、ユーフォ、チューバ
その他
★スネアドラム、★バスドラム、★シンバル、★木琴
 
★:助っ人!
 

千里は集まっているメンツの中に小春がいるのでびっくりした。
 
「小春も入ってるの?」
「トランペット吹けたよね?と海老名さんから言われて徴用された」
「なるほどー」
 
小春は海老名君が指を怪我した時に代わりにトランペットを吹いたことがあった。
 
しかし小春がここに入っているのは千里としては好都合である。
 
(でもS中の生徒なのか?)
 
それで千里は大会の課題曲『ベストフレンド』(作曲:松浦伸吾)という曲と、自由曲で映画『千と千尋の神隠し』から『いつも何度でも』(作曲:木村弓)の吹奏楽版の譜面を渡された。
 
譜面はいづれもスコアのコピー+パートのみの譜である(コピーしていいんだっけ?)。
 
顔合わせの後パートグループ毎に散って練習する。千里は同じフルートの映子、ピッコロ担当の3年生・愛子さん、クラリネットの3人(佐奈恵、2年の好恵さん、3年の香住さん)、バスクラの2年生・夢花さん、の7人で集まってピアノの裏付近で合わせた。最初は『ベストフレンド』をパート譜を見ながら演奏する。
 
「千里ちゃん、この譜面前から練習してたんだっけ?」
「今初めて見ました」
「なぜ一発で吹けるの〜?」
 
「この子は初見に無茶苦茶強いから多分一発で吹くだろうと思ったら、やはり吹けましたね」
と映子は言っている。
 
「ピアノでもたいていの曲を初見で弾きこなしちゃうね」
と佐奈恵も言っている。
 
「私が間違えた。頑張らねば」
とクラリネットの3年生・香住さんが言った。
 

7月12日(土).
 
剣道の夏の大会が行われた。
 
今回S中女子のオーダーはこのようになっている。
 
先鋒 武智紅音
次鋒 田辺英香
中堅 沢田玖美子
副将 村山千里
大将 藤田美春
 
「え〜?私たち、先輩たちより後に出るんですか〜?」
と千里も玖美子も言ったのだが、
「強い人は後にするのが当然」
と3年の田辺さんは言った。
「村山さんが大将でいいと思うんだけど、先生が大将は私がやれと言うから」
と藤田部長。
 
そういう訳で、春と出場者は同じだが、順序が違うのである。
 

今回女子の団体戦参加校は春より少し増えて10校であった。千里たちのS中はR中とともにシードされていて、別の山に入れられている。1回戦は、D中対F中はD中の勝ち、C中対E中はC中の勝ちだった。2回戦以降は次のようになった。
 
D中┓
K中┻K┓
T中┓ ┣S┓
S中┻S┛ ┃
R中┓   ┣
H中┻R┓ ┃
M中┓ ┣R┛
C中┻M┛
 
2回戦でS中はT中に3人だけで勝ったので千里の出番は無かった。準決勝のK中戦は、2勝1敗で千里のところに来たが、千里はK中の副将・野沢さんに快勝。これで決着が付き、大将戦まではしなかった。
 

そしてR中との決勝戦に臨む。R中オーダーはこのようになっている。
 
先鋒 風間
次鋒 麻宮
中堅 前田
副将 木里
大将 田沼
 
向こうも春の大会の成績に基づいて順序を変えてきている。
 
木里さんがとっても嬉しそうである!副将戦で千里と対戦することになる。
 
ところが・・・である。
 

先鋒戦、次鋒戦ともにR中が取り、中堅戦の前田−沢田の対戦となる。
 
この勝負、最初に前田さんが1本取るも玖美子も1本取り返す。その後どちらも1本が決まらないまま3分が過ぎて、2分間の延長戦に入る。しかし延長戦でもどちらも1本取れなかった。
 
判定!
 
判定は前田さんの勝ちであった。
 
それで決勝戦は何と中堅戦までで決着が付いてしまい、千里と木里さんの対戦は無くなったのである。
 
玖美子が「ごめんなさい!」と言ったが、「いや、私たちが先に負けちゃったし」と田辺さんは言っていた。
 
しかしR中では木里さんが前田さんに文句言っていた!
勝ったのに文句を言われるのは理不尽だ。
 
それで千里と木里さんの対決はお預けになったのである。
 

S中男子では、沙苗が春の大会で大活躍だったので、中堅に据えられた。
 
男子は17チーム出ていた。
 
S中は1回戦不戦勝の後、2回戦は中堅の沙苗までで勝利する。準々決勝は先鋒が敗れたものの、次鋒・中堅・副将が勝って勝ち上がる。これでベスト4である。準決勝は、沙苗は勝ったが先鋒・次鋒・副将が負けて敗退。春の大会と同様に3位決定戦に回った。ここで先鋒・次鋒は敗れたが、その後の3人が勝って、今回3位入賞を果たした。
 
結局今回も“留萌の白き稲妻”沙苗は団体戦で全勝である。
 

お昼休みは千里や玖美子と一緒に女子の控室に行き、上級生とも一緒に楽しくおしゃべりしながら昼食を食べた。沙苗も2度目だし、既に3ヶ月間女子中生をしているので、だいぶ慣れたようであった。トイレにも一緒に行った。
 
「沙苗も80%くらい女の子になってきたな」
「最近やっと自分が女子中学生をしてることに自信が持てるようになった」
 
「そんなこと言ったら、自分が女子中学生をしてることに自信を持ってる女子生徒なんて、ほとんど居ないぞ」
と玖美子。
 
「そうかも!」
 
「女子中学生は“する”ものではなく“である”ものなんだよ。doではなくbe」
と千里が言うので、それが千里ちゃんに性別疑惑が起きない最大の理由なのかなと沙苗は思った。
 

午後からは個人戦になる。女子の参加者は80人くらいである。
 
千里は1回戦不戦勝の後、2回戦を30秒で2本取って勝った。3回戦ではT中大将の高橋さん(1級)と当たる。しかし2分で2本取り勝利する。
 
BEST16に残ったのは下記である。
 
村山(S1)沢田(S1)藤田(S3)前田(R1)木里(R1)田沼(R3)広島(K1)野沢(K3)曽根(K3)吉田(M1)守口(M3)井上(C1)掛川(C3)桜井(F1)松本(D1)阿部(H2)
 
春の大会のBEST16とは結構入れ替わっている。
 
4回戦からは本当に強い人同士の潰し合いである。千里は、前回準々決勝で当たったC中大将の掛川さんと当たる。掛川さんはリベンジに燃えていたが、1本ずつ取った後、時間切れ間近に千里が面を取り2本勝ちした(前回は1本勝ち)。
 
BEST8は結局前回と割と似たメンツになった。玖美子と吉田さんが入り、掛川さんとR中の麻宮さんが落ちた(麻宮さんは3回戦でM中の吉田さんに敗れた)。
 
準々決勝は下記のような組み合わせになった。
 
田沼┓
吉田┻┓
木里┓┣┓
藤田┻┛┃
曽根┓ ┣
沢田┻┓┃
前田┓┣┛
村山┻┛
 
春夏連覇を狙う田沼さんは吉田さんに鮮やかに2本勝ち、実力派の木里さんは藤田さんに3分ギリギリに2本目を取って勝利。そして玖美子が前回準優勝の曽根さんに1本勝ちしちゃった!
 
玖美子は相手の太刀筋を読むのが上手いので、型に沿って攻めて来る相手には意外と強い。それで曽根さんがなかなか1本を決められずに次第に焦ってきた所に返し胴できれいに1本取ったのである。その後はどちらも1本取れないまま時間切れ。それで玖美子はこの強敵に勝っちゃった。本人も「まぐれ、まぐれ」と言っていたが、まぐれも実力の内だ。内容では終始圧倒していた曽根さんは悔しそう。まさに「相撲に勝って勝負に負ける」だった。
 
そして千里は前田さんにきれいに2本で勝った。それで準決勝の組合せはこのようになった。
 
田沼┓
木里┻┓
沢田┓┣
村山┻┛
 
なんとどちらも同校決戦である。
 
最初の対戦では田沼さんが木里さんに鮮やかに勝つ。次の対戦で玖美子は
「木里さんと対戦したいからってわざと負けたりしたらお尻叩き1000発」
などと言うが、千里は別に無理して木里さんとやりたい訳ではない。
 
それで千里は2分で玖美子に勝った。玖美子は
「千里の剣には型が無いから守りきれない」
などと言っていた。
 
そういう訳で、今回は千里と木里さんの対戦は、団体戦でも個人戦でも無かったのである。木里さんが本当に残念そうだった。
 

まずは3位決定戦。木里さんと玖美子は木里さんが鮮やかに勝って3位を獲得した。春夏連続3位である。
 
そして決勝戦では、田沼さんが千里を圧倒して勝利。千里は今回は準優勝となった。
 
今回はチームも個人も準優勝であった。
 
しかし今回の大会でBEST8以上では、玖美子と曽根さんの試合がいちばん凄い戦いだったなと千里は思った。
 
なお男子では沙苗は今回準々決勝でK中の徳永さんに敗れBEST8に留まった。徳永さんは準優勝した(優勝はR中の羽崎さんで春夏連覇)。鐘江さんと、団体には出なかった竹田君がBEST16まで行った。
 

剣道大会があった翌日、7月13日(日)には、剣道の級位・段位審査があった。千里は現在1級で次の初段は2年生になるまで取れない。ということで千里は審査を受けないものの、玖美子や3年生の藤田さん・田辺さん・2年の武智さんなどが受験した。
 
その結果、玖美子と田辺さんは1級に認定されたが、武智さんは見送りとなった。藤田さんも二段を取れなかった。なお、R中の前田さん、M中の吉田さんなどが1級を獲得した。田沼さんは二段になった。
 
 
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【女子中学生・夢見るセーラー服】(4)