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■春虎(4)

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歩夢は、出前を届けた後、お店に帰ろうとしていた。そんな遅い時間ではないが、雪なのもあって、人通りが少ない。寒いなあ。早く戻らなくちゃと思う。
 
全く人通りの無い商店街を歩いていて、ビクッとする。
目の前に“鬼”が居る気がしたのである。
 
何かの見間違い?と思って、歩夢は再度そちらを“見て”しまった。
 
“鬼”がギロッとこちらを睨み、立ち上がった。こちらに歩いてくる。
 
しまったぁ!と思う。こういう時は「見てはいけない」「気付かないふりをしろ」と、小さい頃、曾祖母ちゃんに言われてた気がするよ。相手が近づいてくる時はどうすればいいんだっけ?
 
と焦っていたら、後方で、うなり声がする。
 
え!?
 
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と思って、後ろを振り返ると、今度はそこに“虎”が居た。
 
うっそー!?これ何て言うんだっけ?「前門の人参、後門の虎」??
 
(なぜニンジン??)
 
と思っていたら、虎が走ってくる。
 
やられた!?
 
と思って頭を抱えてしゃがみ込むと、虎は歩夢の傍を通り過ぎ、前面に居る鬼に飛びかかって・・・食べちゃった!!
 
歩夢はあっけに取られてその様子を見ていた。そして虎はこちらを見てニコッと笑った気がした。
 
「虎さん、もしかして私を助けてくれたの?ありがとう!」
と言うと、虎は再度こちらに微笑んで、そのまま走り去った。
 

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『北陸霊界探訪』では、“動く人形の怪”を追いかけていたのだが、この取材に関しては、2月14日(本当は13日)に金沢ドイルこと青葉が逃亡してしまったので、事実上取材は終了し、後は編集で何とかまとめようということになった。
 
ここで神谷内は“狛虎”のことを思い出した。
 
「君たち、取材に行ってくる?でも授業があるんだっけ?」
「私とあきちゃんは今週リモートです」
と真珠。
「私はリアル〜」
と初海。
 
「じゃ、夏野さんと伊勢さんで行ってくる?」
「行ってきまーす」
「残念。お土産買ってきてね」
 
「二輪車通行禁止区間があるから、局の四輪使って行ってきて」
「了解です!」
 
(ここで神谷内が2人に取材に行かせたのは、近く自分は異動になりそうと感じていたので、その前にお金の掛かる取材はさせておこうと思ったのもあったと思う)
 
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なお、明恵の苗字は夏野だが、番組では沢口明恵とクレジットする。芸名?“沢口”は実は慈眼芳子の本名の苗字である。明恵にとっては曾祖母(慈眼芳子の姉)の旧姓でもある。明恵に沢口を名乗らせたのは神谷内である。明恵も若干の霊感がある(実際電話占い師で結構稼いでいる)ので、青葉が多忙で番組を降板した場合の保険の意味合いがあった。
 
「明恵ちゃんが番組を継承したら金沢オイルかな」
「油なんですか〜?」
「オイル・油売るけん、そわか」
「微妙に九州弁が」
 
他に、登山の格好して金沢ザイル、左官さんの格好して金沢タイル、スフィンクスみたいな帽子?かぶって金沢ナイル、アルミホイル持って金沢ホイル、航空会社のマイレージカードを持って金沢マイル、ネールアートして金沢ネイル、ツインテールの髪型にして金沢テイル、などという案も、幸花や初海から出ていた。
 
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ということで、神谷内がお寺に連絡を取って取材の許可を取った上で、明恵と真珠が2月18日(金)“狛虎”の取材に奈良の朝護孫子寺まで行ってくることにしたのである。放送局のヴェゼル(4WD)を使用する。金沢を18日の朝出た。
 
ふたりはリモート授業には出なければならないので、運転してないほうが後部座席で2人のスマホを並べ、大学の授業サイトに双方ログインし、出席のマークを付けた。授業のビデオはWi-fiのある場所でまとめて閲覧しておいた。
 
(G大学では学内サイトにその時間にログインすることで出席とみなし、実際の授業内容は、動画投稿サイトにアップロードするので、それを見てくれということにして、低予算でリモート授業を実現した。この方式はトラブルも少なく、学生の負荷も小さかった。ZoomやGoogle Classroom などを利用してリアルタイムのネット授業をしようとした学校は結構トラブルに苦労している)
 
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明恵たちは、往路は次のように進行した。
 
北陸自動車道(米原JCT)名神高速(瀬田東JCT)京滋パイパス(久御山IC)国道1号下り(天の川交差点)国道168号(辻町IC)阪奈道路(登山口IC)信貴生駒スカイライン(信貴山門料金所)
 
阪奈道路・スカイラインは雪が残っており「4WDで来て良かったぁ」と2人は言い合った。
 
お昼頃到着する。
 
料金所を出てすぐの所に朝護孫子寺の駐車場があったので、2人はそこに車を駐める。放送局の名前が入った車はそれだけで説得力がある。ふたりはダウンコートの上に「〒〒テレビ」の腕章を付けて降りて行く。最初にお参りをした上で、お寺の人に声を掛ける。真珠が「〒〒テレビ・アシスタントディレクター伊勢真珠」の名刺を出すと
 
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「芸名ですか?」
と訊かれた。
 
「本名なんですよ。私、誕生石が真珠というのもあって、父がノリで名付けしてしまったらしくて。読みは“まこと”なんですけどね」
「たしかに“まこと”と読めますね!」
とお寺の人は感心していた。
 
「でもあなたたちは礼儀正しい。無断で撮影していく人が多いんですよ。ユーチューブとかチクタク(←本人発音のまま)とかにあげるとかで。一言言ってもらえば、よほどのことが無い限りOKするんですけどねー」
 
などとお寺の人は言っていた。
 

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中年のお坊さんが解説してくれたので、これは明恵がインタビューし、真珠が撮影する形を取った。
 
「今から1440年前の敏達天皇11年(582)、当時9歳の聖徳太子がこの地で祈願をなさっていたら、毘沙門天が現れ、太子にその後、たいへんな御利益(ごりやく)をもたらされたとのことです(*5)。これが寅の年、寅の日、寅の刻であったことから、このお寺には寅の日にお参りすると良いと言われています」
 
「へー。聖徳太子ゆかりのお寺だったんですね」
などと明恵が言っている。このあたりは男の記者が言うと「そのくらい予め調べておけよ」と思われるかも知れないが、女の子だと微笑ましく思ってくれる。女の子のお得な所である。
 
「ちなみに今日は寅の日ですよ」
「え?ほんとですか!?だったら私たち、御利益(ごりやく)あります?」
「きっとありますよ」
「やった!」
などと明恵が喜んでいる所を真珠が撮影したが、こういうやりとりも女性レポーターならではの会話である。
 
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(*5) 敏達天皇の次が用明天皇(聖徳太子の父)だが、その用明天皇が亡くなった後の後継をめぐる、蘇我一族と物部一族の決戦(丁未の乱(*6))では、この毘沙門天の御神徳により太子たちの蘇我一族側が勝利を納め崇峻天皇の即位へと進んだとされる。
 
ここは日本書紀(崇峻天皇の巻)の記述によれば、当初蘇我側が苦戦していたものの、太子がにわかに白膠(ぬるで)の木を切り、4つの木切れを作って四天王とみなし、自分の髪の上に立て進軍したところ、志気が高まり、戦いに勝つことができたとある。このことから、白膠(ぬるで)のことを勝軍木とも書き、この字から「かちのき」とも呼ぶのである。
 
四天王は多聞天・持国天・増長天・広目天の四神で、多聞天の別名が毘沙門天である。
 
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ひょっとしたらこの時の四天王像もここに納められたかも知れないが、この寺は戦国時代、信貴山の戦いで全焼しているので、その時に失われたかも知れない。寺はその後、豊臣秀頼の命で再建されている。
 
(*6) :但し物部側の天皇後継有力候補だった穴穂部皇子は蘇我側の手の者に暗殺されたので物部側は後継候補の無いまま闘う羽目になった。
 

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お寺の若いお坊さんが案内してくれた。
 
取材班は、国宝の『信貴山縁起絵巻』も撮影させてもらった。信貴山の中興の祖、命蓮上人に関する説話を描いたものである。なお、ここにあるのは複製で、本物は奈良国立博物館に置かれているが、そちらは3巻ある内の1巻ずつしか公開されない。つまり全貌はここでしか見られない。
 
境内には、至る所に虎が居て、真珠と明恵は交互に虎のそばに立ってお互いを撮影する。
 
塔頭の成福院の所には金銀ペアの狛虎がいた。左側(正面からは右手)が阿形(口を開けている)の金の虎、右側(正面からは左手)が吽形(口を閉じている)の銀の虎である。これは明恵が各々の狛虎の前に立つ絵を真珠が撮影し、また真珠が各々の狛虎の前に立つ絵を明恵が撮影した。
 
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「これで合成すればどちらがどちらの前に立っている図も作れる」
「両方あきちゃんになったりして」
「それ私が分身したみたい」
「分身すると倍のお仕事できて便利だよ。御飯代は倍掛かるけど」
 
“世界一の福寅”と呼ばれる巨大な張り子の虎があり、ここでは明恵と真珠が並んでいる所を案内役のお坊さんが撮影してくれた。更にはそのお坊さんをはさんで真珠−お坊さん−明恵と並ぶ絵を通りがかりの別のお坊さんが撮ってくれたが、お坊さんも若い女の子と並んで映るので、顔がかなり弛んでいた。
 
極めて珍しい、馬に乗り横笛を吹いている聖徳太子の像も撮影させてもらった。これは長崎の平和祈念像で有名な、北村西望の作品である。ここでも、明恵と真珠が並んだ所を、お坊さんが撮影してくれた。
 
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取材は3時頃終了する。
 
明恵と真珠は、途中で買っておいたお弁当を、駐車場の車の中で食べた。寒い中で取材しているので、車内でお湯を沸かしてカップ麺を食べたら、かなりホッとした(ホットした?)。汗を掻いたので下着を交換した。
 

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そして4時頃、京都に移動する。
 
信貴生駒スカイライン(登山口IC)阪奈道路・東行き(宝来IC)R308/R24(木津IC)京奈和自動車道(城陽JCT)新名神(八幡京田辺JCT)第二京阪(久御山JCT)京滋バイパス(大山崎JCT)名神・名古屋方面(桂川PA)
 
ということで桂川(かつらがわ)PAで車を駐めた。
 
(多数のジャンクションを通過するので、カーナビが無いと辛いルートである)
 
ここで車中泊する!
 
(桂川は京都にあるのは“かつらがわ”、福岡にあるのは“けいせん”。ついでに小倉は、京都のが“おぐら”で福岡のは“こくら”)
 

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都会は車で乗り付けられて安価に駐車場が使えるホテルがひじょうに少ない(使えてもホテルから遠かったり自由に出し入れが出来なかったりする)ので2人は最初から車中泊するつもりで来ていた。床に敷く発泡スチロールも前日に制作(車の形に合わせて切る)しておいたし、下に敷くロングクッションと毛布・掛布団も持って来ている。
 
2人はトイレに行って来た後、お弁当と飲み物を買って車に戻り(幸花から釘を刺されたのでアルコールは自粛!)、それを食べてから適当に横になった。ここで、明恵が後部座席の上で、寝相の悪い真珠が床(発泡スチロールの上にロングクッションを敷いている)である。
 
2人はスマホでゲームなどしながら、適当におしゃべりしながら、いつしか眠っていた。車はむろんアイドリングはしない(車中泊ではアイドリングはしないのが基本)が、毛布・布団をかぶっているし、ダウンコートも着たままなので充分暖かく寝ることができた。
 
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でも真珠は寝ぼけて明恵のお股を触り、蹴りを食らった!
 
「間違えるな」
「ごめーん。くーにん、いつの間に性転換手術受けたんだろうと思った」
「彼、性転換することはないと思うけど」
「うん。だから安心してる」
「でも女装はさせるんだ?」
「抵抗するから面白い。たくさんスカート買ってあげるのにめったに穿かないし」
「まこの見てない所でこっそりスカート穿いてたりして」
「それは無さそうだよ」
「ふーん」
 
「でもくーにんは、自分が女物を着ていることに気付いてないことが多い」
「きっと小さい頃からよく女物を着せられていたんだよ」
「瑞穂ちゃん、子供の頃は“お姉ちゃん”のお下がりをよく着てたと言ってた」
「なるほどねー」
 
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