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■春虎(2)

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それは1月中旬のことだった。
 
編集部に来ていた初海が訊いた。
 
「ね、ね、上杉謙信と武田信玄って、どっちが龍でどっちが虎だっけ?」
「ん?」
 
「ふたりは実力が伯仲したライバルというので、龍と虎にたとえられるでしょ?でも、越後の龍に甲斐の虎、越後の虎に甲斐の龍、どちらも言う気がして」
 
明恵も真珠も首をひねっている。
 
すると神谷内ディレクターが言った(まだ辞令の発令前)。
 
「それ、どちらも言うんだけど、僕個人としては、上杉謙信が虎というのを支持する」
「へー」
 
「上杉謙信は虎との縁が深いんだよ。そもそも彼は本名が最初景虎(かげとら)で、その後、政虎(まさとら)、輝虎(てるとら)と改名している。幼名も虎千代(とらちよ)だし。彼は寅年寅月の生まれ(*4)なんだよ。幼名もそこから採られている」
 
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(*4) 享禄3年1月21日(Gre.1530年2月28日)庚寅年・戊寅月・壬子日である。
 

「へー!」
という声と同時に
「本名が・・・というと謙信は?」
「それは出家した後に名乗った法号だよ」
「ほー」
 
「お母さんも虎御前といいませんでした?」
「それは景虎の母だからというので、後の時代に呼ばれた名前」
「なーんだ」
「“藤原道綱の母”みたいなものか」
 
(蜻蛉日記の著者で、しばしば日本三大美人に挙げられる)
 
「最近の幼稚園でも“さおりちゃんママ”、“かづきくんママ”とかいう言葉が飛び交っている」
「いつの時代も女の名前は公にされない」
 
「虎千代のお母さんの本名も分からない。出家した後は青岩院を名乗っている。“袈裟御前”という名前も流布してるけど、それは『天と地と』で海音寺潮五郎が創作した名前で、実は“佐渡おけさ”から採ったもの」
「坊さんの袈裟じゃなくて、おけさですか!?」
 
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「それに輝虎は毘沙門天(びしゃもんてん:別名多聞天)を信仰していて、“毘”の文字を旗印にしていた。毘沙門天のお使いがまた虎だよ」
「おぉ!」
「だから毘沙門天を祭る、奈良の信貴山・朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)には狛犬ならぬ狛虎が居る」
「へー!」
「それ取材してきたいですね」
「じゃ、いつか」
 
「更に実は上杉謙信は“大虫”という病気で亡くなっているんだけど、大虫というのは、虎を意味することがある」
「虎に食われて死んだんですか?」
「日本に虎は居ないよ。大虫というのは今で言えば子宮癌のことらしい」
 
「・・・・」
 
「なぜ謙信が子宮癌で亡くなるんです?」
「女性にとってはそう珍しい病気ではない。君たちも30歳すぎたら定期的に健康診断受けたほうがいいよ」
「上杉謙信って女なんですか〜〜〜!?」
 
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※上杉謙信女性説の根拠
 
(前提)安徳天皇女性説なども結構論拠が多くて困るのだが、安徳天皇の場合は、たとえ女性であっても女性であることを隠していたと思われる。もし謙信が実は女であって、そのことを隠していたのであれば、下記のような事項は「そんな、女とバレるようなことをするわけがない」という反証になる。独身問題にしても女であることを隠したいなら、形だけの妻を娶っていたであろう。
 
ところが謙信が女であることを全く隠していなかったし、みんなが謙信が女であることを知っていたとすると、下記は根拠として有効かも知れない。謙信が女であることをみんな知っているなら、誰もわざわざ「謙信は女である」とは書き残さなかったと考えられるのである。
 
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下記の話の多くは筆者が大学生時代に歴史学の教授から聴いたもの(授業時間が5分ほど余ってしまったので、与太話として語られた)だか、どうもこの話の発端は歴史関係の著作も多い作家の八切止夫(1914-1987)が言い出したものらしい。
 
(1) スペイン人ゴンザレスが国王に宛てた文書に『会津の上杉景勝は“伯母”の上杉謙信が佐渡で掘り出し た黄金を持っている』と記されている。
 
(これが本当なら物凄い証拠である。しかしこの“ゴンザレス”がどういう人なのか調べてみたが不明。この手紙がイタリアの僧院に残されているという話であるが、どこの僧院なのかも不明。つまりこの話は怪しすぎる。国王に手紙が書ける人ならもう少しプロフィールや足跡が分かってもよいはずなのに)
 
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(2) 生涯独身で子供も残していない。
 
多くの歴史学者は彼は同性愛だったのだろうと考えているが、もし女だったら、女性と結婚しなかったのは当たり前である。
 
(でも女であれば男と結婚してもよかったはず)
 
(3) 謙信の背丈は大柄と書かれているのに、実際は156cm程度だったらしい。つまり女にしては大柄だということだと解釈すると辻褄が合う。
 
但し、当時の日本人は男性の大柄な人でも160cmくらいだったという反論もある。信玄など153cmくらいだったらしい。
 
(4) 上杉神社に伝わる謙信が着ていたという服「紅地雪持柳繍襟辻ヶ花染胴服(くれないじ・ゆきもち・やなぎ・ぬいものえり・つじがはなぞめ・どうふく)は女物の服にしか見えない。
 
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筆者もこの服の写真を見たが、正直この服を見てから女性説はひょっとすると本当かもと思うようになった。(でも“歌舞伎者”だったかも?)
 
(5) 謙信の遺した文書は筆跡も文章も女性的である。
 
これについては筆者も現物を鑑定する能力が無いのでなんとも言えない。
 
女性的な男がいても不思議ではないかも知れない(現代でも いくらでもいる)。清少納言などは文章だけ残っていたらこの作者は男性と思われていたと思う。
 
(6) 謙信は誰かの応援要請に応じて軍を出したことが多く、また塩を送ったエピソードに見るように、優しい武将で、性格が女性的である。
 
これも女性的な性格の男はいくらでもいるので何とも。
 
(7) 謙信は毎月1度10日頃戦闘を休んでいる。これが月経だったのでは?
 
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ちなみに昔は太陰太陽暦なので月経周期(28日)と月の長さ(29.5日)は近い。28日の人なら暦とずれていくが、月経周期が29日や30日の人もいるには居る。
 
正直この論拠は微妙だと思う。単にこの日は休みと決めていたのかも?謙信は几帳面な性格だったようなので、いったん決めた習慣はずっと守ったかも?
 
(8) 謙信の死因は大虫とされ、この大虫とは婦人病のことである。
 
これについて筆者は「大虫」というのを図書館に行って、大きな辞書とかでも見てみたことがあるが、大虫が婦人病を意味するという記述は見付けきれなかった。何か古いことば、あるいは地域的なことばなのかも知れない。
 

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「虎というと、一休さんの虎の話は子供の頃聞いて感心した」
と双葉が言っている。
 
念のため解説しておくと、子供の頃、一休さんは将軍様に呼ばれた。そして虎の絵が描かれた屏風を見せられ「この屏風の虎が夜な夜な抜け出して困っている。お前捕まえてくれないか」と言われた。一休は「分かりました」と答え、縄を持って、屏風の前に立つ。そして言った。
 
「私が捕まえますから、将軍様、虎を屏風から追い出してください」
と。

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「無茶振りして、それをちゃんと受けるというのは、漫才の基本能力」
「漫才の能力って、禅問答に近いよね」
「実質同じものだと思うよ」
 
「あの話に出てくる将軍様って誰だっけ?」
「三代将軍足利義満」
「三代将軍って徳川家光じゃないの?」
「それは江戸幕府!」
「これは室町時代の話」
 
「この話は結構きなくさいんだよね。実は」
と神谷内さんは言った。
 
「当時は南北朝がやっと収拾されて南朝と北朝が統一された時。実際には、北朝の天皇だった後小松天皇が南朝の後亀山天皇の後継として立ち、南北両朝の天皇を兼ねたことで、皇統は統一された。そして一休宗純はこの後小松天皇の御落胤なんだよ」
 
「へー」
 
「こういう微妙な時期に天皇の御落胤というのは、ひとつ間違えば物凄く危険な存在にもなりかねない。だから当時の実質的な最高権力者であった足利義満としては、一休を手懐けておきたいし、もし自分に反抗的であれば、闇に葬ろうと思っていたと思う。それで実際に会ってみたんだな」
 
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「ああ」
 
「それでこの屏風の虎の話で、こいつは凄く頭のいい奴だけど、充分自分と仲良くしていける奴だと感じたと思う。だからその後は多分色々支援して仲間にしておこうとしたと思うよ」
 
「なるほどー」
 
1392.閏10.5 北朝の後小松天皇が南朝の天皇を継ぐ(両朝統一)
1393.04.26 後円融上皇崩御(義満と対立していた)
1394.01.01 一休生まれる
1394.12.17 義満が将軍職を引退。
 
つまり、一休が“将軍様”に会った時期は、実は義満は既に将軍職自体は引退していたはずである(但し最高権力者ではあり続ける)。またこの時期、まだ一休という名前は使っておらず“周建”の名前であったはず。
 

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「絵に描いたものが出てくるというのは、安部公房の作品にありましたね」
と幸花が言う。
 
「うん。『魔法のチョーク』ね」
「そんな話があるんですか」
と初海。
 
「『赤い繭』『洪水』『魔法のチョーク』『事業』という一連の作品で、人間と非人間の境界が無くなってしまう、ちょっと恐い作品群だね」
と神谷内さんは言う。
 
「ある男が魔法のチョークを手に入れた。そのチョークで壁に描いたものは何でも現実化して出てくるので、彼は仕事にも行かなくなり、そこに様々な食べ物の絵を描いて、それを食べていた」
 
「なんて素敵な」
と初海は言っているが、明恵と真珠は難しい顔をしていた。
 
「でもこのチョークに描いた絵が現実化するのは夜の暗い時間帯だけなんだよ。朝になって日の光が入ってくると、全部壁の中に吸収されて絵に戻ってしまう。それで彼は窓のカーテンを閉めて部屋を一日中暗くして生活するようになる」
 
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「オチが見えてきた」
と真珠が言う。明恵も頷いているが、初海や双葉はまだ分からないようである。
 
「やがて男は魔法のチョークで女を描いた。それで女が絵から抜け出してきて男とセックスをする。彼は彼女とのセックスに溺れる。やがて女は言った。こんな暗い部屋は嫌だ。カーテン開けようよ」
 
「ああ!」
と初海も結末が分かったようで、嘆きの声を挙げた。
 
「しばらく経って、住民が出入りしてないようなので、大家さんがその男の部屋を開けて中に入る。すると壁に多数の食べ物などの絵が描かれており、更にセックスしている男と女の絵まであった」。
 
「怖ぁ」
と双葉も声を挙げた。
 
「野暮な解説すると、つまり絵の中のものばかり食べてたから、もう男の身体の構成物質は全て絵の中のものに置き換わってしまっていたんだろうね。だから日の光が入ってくると、他の絵と同様、壁の中に吸収された」
と神谷内は言った。
 
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