【少女たちの卒業】(1)

前頁次頁目次

1  2  3 
 
《きーちゃん》こと、天野貴子(年齢をバラすと叱られるが590歳)は函館戦争が起きた1868年以来、函館に敷地面積300坪・建面積50坪程度の小さな(?)住まいを持っている。30年程東京で暮らしていたのだが、2002年5月に黒木警視が亡くなってから6月に東京のマンションを引き払い、函館に戻っていた。
 
この時期、きーちゃんが関わっていた人物(10人ほど)の大半が、東北・北海道に分布していたので函館はそのサポートをするのに便利な場所だった。
 
きーちゃんと特に関わりが大きかったのはこの4人である。
 
留萌の千里(11)
長万部の佐藤小登愛(22)=佐藤玲央美の姉
大船渡の八島賀壽子(79)=青葉の曾祖母
鶴岡の藤島月華(74)=瀬高美奈子の祖母
 
千里はまだ小さいし、もうすぐ死亡する見込みだし!賀壽子も2005年くらいに死亡予定だし、月華の寿命は分からないが、そう長くない気がするし(実際には月華は100歳すぎまで生きることになる)、黒木の喪が明けたら恐らく自分は小登愛(おとめ)に付くことになるんじゃないかなあなどと、きーちゃんは漠然と思っていた(正式に発令するのは、遙か雲の上の存在であるT大神)。
 
その小登愛は4人きょうだいの2番目である。
 
佐藤理武 1978
佐藤小登愛 1980
佐藤亜梨恵 1982
佐藤玲央美 1990
 
出生サイン(いわゆる星座)が分かりやすいきょうだいである。(Lib/Vir/Ari/Leo)
 
この4人の内、亜梨恵以外の3人は霊感を持っていた(メンデルの分離の法則!)。この子たちの母(芳子の娘)にはほとんど霊感が無い(優性の法則)。3人とも結構な霊感の持ち主だが、特に小登愛の力は強力で小学生の頃から、友人たちに占いの相談を受け、高い確率で的中させていた。それで
 
「おとめちゃん、占い師になるといいよ。きっと有名占い師になれるよ」
と多くの友人たちから言われていた。
 

小登愛は高校を出た後、兄が大学進学を勧めたのを断り札幌で事務職をしながら副業で占い師をしていた。しかし昨年結婚し、彼の実家のある長万部(おしゃまんべ)に移動していた。長万部に移ってからは、主としてメールや電話で、リピーターさんの相談に応じていた。
 
《きーちゃん》は彼女には、ぜひ札幌か函館に移って、再度本格的な占い師活動あるいは霊能者活動をしてほしいと思って、色々“工作”をしている所だった。
 
函館という場所は長万部にいる彼女をサポートするにもわりと良い場所だった。少し足を伸ばせば、千里の所にも行けるし!岩手や山形に移動するのも楽だし。
 
10月の千里の東京行きの時は、千里から連絡があり、都合で自分の眷属たちを地元に置いて東京に行くので、もし都合が付いたらサポートして欲しいと頼まれて、同行したものである。きーちゃんの交通費・宿泊費は千里が出している(報酬は辞退した)。
 

2002年12月25日の午後、きーちゃんは函館の自宅を愛車 Mazda Tribute Field Break 4WD 4AT V6-2967cc で出ると、札幌に向かった。そして26日早朝、津久美の病室に進入。熟睡している津久美に念のため麻酔を掛けてから、10月の手術の時に取り付けておいた“ダミーのペニス”を取り除いた。
 
これで津久美は完全な女の子になったが、きーちゃんは念のため彼女(もう彼ではない)の様子をしばらく伺っていた。
 
目が覚めて、ペニスが消失しているのに気付くと、最初は驚いたものの「手術しなくて済んでラッキー☆」などと言って喜んでいた。
 
その内、母母が駆け付けてくるが、津久美は興奮気味に話している。あそこも母親に見せている!
 
「これどうなるのかね?」
「今日1日あれこれ検査させてと言われてるけど、多分このまま退院じゃないかなあ。手術のしようがないもん」
「無いちんちんは切れないよね!」
「夕方くらいに退院になるかも」
「お父ちゃんに連絡する!」
 
と言って、津久美の父親を呼ぶようである。
 
「でも戸籍も既に女の子になったし、これで身体も完全な女の子になったし。私、夢でも見てるみたい」
 
「よかったね」
 
「思えば、千里さんがいたから、今の私があるんだろうな」
「ああ、この病院を紹介してくれた子ね」
「そそ。千里さんは戸籍が男だけど、学籍簿は女なんだよ」
 
「それ戸籍は直せないの?」
 
「なんか今国会で審議してるらしいよ。多分2-3年の内には戸籍の性別を変更できるようになるらしい。その法律ができてから、戸籍を変更するんじゃないのかなあ」
と津久美は言った。
 
「そういえば、そんな話だったね」
 

きーちゃんは衝撃を受けていた。
 
千里の戸籍が男〜!?
 
嘘でしょ。あの子、女の子にしか見えないのに。
 
きーちゃんは確認したくなり、トリビュートのエンジンを掛けると、病院の駐車場を出た。そして一路、留萌を目指す。
 
千里の母親に変装して、市役所に行き、中学受験に使うという名目で、村山千里の住民票を取得した。
 
村山千里・長男・平成3年3月3日生
 
と書かれている。
 
長男〜〜〜!?
 
あの子、ほんとに男の子なの〜〜〜!???
 
《きーちゃん》は、役場の駐車場に駐めたトリビュートの運転席でたっぷり10分近く、思考停止していた!
 

12月25日(水)に終業式が終わって学校は長い冬休みに入った。
 
私立中学を受験する玖美子や蓮菜は受験勉強に必死なようである。田代君も彼の成績なら私立を受けてもいいと思うのだが、彼は高校から私立に行くと言っており、中学は地元の公立に行くらしい。
 
受験などしない、千里・恵香・美那・穂花などは神社でのお正月の準備で忙しくしていた。
 
千里の父の船は27日(金)夕方に戻ったが、大漁旗を立てていなかったので、どうもかなりの不漁だったようである。年の最後の漁だから漁獲が少々悪くても大漁旗は立てる。立ててないということは極端に悪かったということだろう。父の機嫌も悪かった。父の仕事も限界に近づきつつあるのかなぁと千里は思った。
 
父の船は一週間お休みで、次の出港は年明けた1月6日(月)である。父が10日も自宅にいると面倒くさいなあと千里は思った。玲羅などハッキリ「お父ちゃん、どっか行ってればいいのに」などと言うので「そんなこと言うものではない」と千里は、たしなめた。
 

千里は日中神社に行って、参拝客の応対や縁起物の販売をしたり、あるいは昇殿して舞を舞ったりし、帰宅すると母と一緒におせちを色々作った。作ったおせちは取り敢えず床下の収納庫に入れる。室内は暖房が入っているので、食べ物が悪くなってしまうが、たくさん作るので、冷蔵庫には入らない。外に出しておくと全て冷凍食品になる!
 
ビールなどは面倒なので屋外で保存しているが、適宜持って来て冷蔵庫に入れて“温める”(外に出していると凍結している)。
 
(エチルアルコールの融点はマイナス114℃であるが、お酒は水(融点0℃)とアルコールの混合物なので、一般的にはアルコールの含有率が高いほど、融点は低い。ビールはマイナス3℃、日本酒はマイナス10℃くらいで凍るが、ウィスキーが凍るのはマイナス30℃、ウォッカはマイナス40℃くらいである。ロシアでは冬にウォッカが凍るのは普通の現象だが、北海道ではウィスキーでも凍るのはかなり珍しい現象である。普通は内陸の旭川でもマイナス27-28℃程度までしか下がらない)
 

12月27日(金).
 
神社で巫女さんの仕事をしていたら、主として頒布や受付の仕事をしていた穂花から
「津久美ちゃん、退院したんだって。それで来年の部長も津久美ちゃんに決まったって」
と聞いた。
 
「随分早い退院だね」
「ちんちん切ろうとしたら、いつの間にか、ちんちん勝手に消滅していたらしい」
「へー。不思議なこともあるもんだね」
「それで手術する前に完全な女の子になっちゃったから、手術無しでそのまま退院」
「良かったじゃん。痛い思いしなくて」
 
「千里は、ちんちん切った時、やはり痛かった?」
「私、ちんちん切ったりしてないけど」
「やはり物心つく前に切ってもらったとか?」
「うーん・・・」
「千里が既に幼稚園の時には、ちんちん無かったというのはリサの話から確実なんだけど」
 
千里は密かに《きーちゃん》にチャンネルを繋ぐと
『津久美ちゃんの件、ありがとう』
と言った。
『まあ、ちんちん切って短くして作ったクリトリスは感度悪いからね。切らずに縮めてあげたよ』
『へー』
『濃いコーヒーをお湯で5倍に薄めて1杯汲むようなものだから』
『なるほどー!』
 
そうか。ちんちんはコーヒーと同じなのか!そういえば、るみちゃんが、
「ちんちんって短い方が感度はいいらしい。トモのも半分に切ってあげようかな」とか言ってたし。(留実子の話は下ネタが多い!)でも半分に切ったら感度落ちるのでは??
 
一方、きーちゃんは、こうやって千里と通信してても、千里の波動は女だけどなあと疑問を感じた(直接訊いても、正直に答えるとは思えない!きーちゃんは最近、千里が如何にも純情っぽく見えるのは実は演出で、この子実は凄い子なのではと思い始めていた)。
 

神社に来ているメンツは、最年長の梨花さん(25), 中学生の純代と広海、のほか、主力が千里たちの世代で、この日は千里・恵香・美那・穂花・佳美・沙苗!などといった面々が来ている。ほとんどの子が“お年玉稼ぎ”の感覚である。蓮菜と玖美子は受験で忙しい。手が足りないので沙苗(さなえ)に声を掛けたら「巫女衣装着られるなら」と言って喜んでやってきた。
 
年末には蓮菜の従姉、鈴恵・弓恵も来てくれることになっている。三姉妹の末娘・守恵は大学受験である。P神社巫女の常連のひとり、高校3年の乃愛さんも同じく受験なので今回は終始欠席である。そんなんで手が足りないことから沙苗を呼んだのである。
 
沙苗は、七五三のお手伝いをしてもらった時は、着替え用に1部屋割り当てたらしいが、年末年始は昇殿祈祷を申し込む人がけっこう居て部屋が足りないので、
「他の子と一緒でいいよね?私たちは気にしないから」
と言われて、他の女子と一緒に着替えた。
 
「沙苗、完璧に女の子下着だ」
 
彼女は、パンティにブラジャー・キャミソールを着けていた。むろんパンティに変な形は見られない。
 

「巫女さんするから、女の子下着をつけてきたの?」
「ううん。最近ずっとこういうのしか着てない。もう男物は着ない」
「おお、だいぶ女としての自覚が出てきたね」
 
「沙苗(さなえ)もそろそろ男の子は卒業して女の子になろう」
「4月までに、お股の形も手術して直せばセーラー服で通学できるよ」
 
などと言ったら、沙苗は何か考えているふうだったので、恵香たちは顔を見合わせた。
 
「沙苗、疲れてる?」
「ううん。大丈夫。昨夜ちょっと遅くまで勉強してたからかも」
「勉強するなんて、えらーい!」
という声。家でまで勉強する子はこのメンツでは穂花くらいである。
 
「疲れてるなら、取り敢えず、これ飲むといいよ」
と千里が錠剤を渡すので
「強壮剤か何か?」
と言いながら、沙苗はその錠剤を飲み、お茶で流し込んだ。
 
「エストロゲンだけど」
「え〜〜〜!?」
 
「普段も飲んでるんだろうけど、疲れてる時は少し多めに飲むとパワーが出るよ」
などと千里は言っている。
 
「エストロゲンって何だっけ?」
と恵香が訊く。
「女性ホルモンの中の卵胞ホルモンだよ」
と千里。
 
「ほほぉ」
 
でも年末年始のバイト中、沙苗は毎日千里からエストロゲンをもらって飲んでいた!
 

12月28日(土)、父は「みんなで温泉に行こう」と言ったが、千里は
「神社が忙しいから行かない」
と言い、玲羅は
「私図書館行ってきたいから行かない」
と言い、母まで
「ごめん。明日は“9の日”だから、今日中に買物しておかないといけないものがあるから」
と言って、全員に振られたので、ぶつぶつ言いながら、結局岸本さんを誘い、岸本さんの奥さんの運転する車で近隣の神居岩温泉に行ったようである(奥さんに運転させたのは本人は飲む気満々)。
 
母は図書館に行きたいという玲羅をポストしてから、ジャスコまで行って買物をしたようである。千里はマジで神社に行き、縁起物を作ったり、頒布所に座ったり、あるいは昇殿祈祷するお客さんを案内したりしていた。
 

その日の夕方、温泉から戻った父は
「おい、漁協で年末年始に登別(のぼりべつ)温泉に行くツアーの案内が来てなかったか」
と言う。
 
「どうだったっけ?」
「4泊5日のツアー、1人5万円で行ってこれるんだよ。今日中なら申し込み間に合うらしい。みんなで行かないか」
 
母が暗い顔をする。お金が無いというのを、気の弱い母は言えない。
 
申込書は来ていたけどお金が無いから、即捨てていた。それを今日岸本さんから聞いたのだろう。
 
千里は父に言った。
「お父ちゃん。お母ちゃんの癌治療で思いのほか、お金が掛かってるんだよ。悪いけど、我慢してくれない?」
 
「そうか。そんなに掛かってるのか」
と父も言う。
 
「うん。そうなの。ごめんね」
と母。
 
「仕方ないな。お前の身体の方が大事だし。じゃ我慢する」
と父も納得してくれた。母もホッとした様子である。
(後から「ありがとう」と言われた)。
 
「でもビール飲んでもいい?」
と父が言うと、母も
「いいよ」
と言って笑顔でサッポロビールを冷蔵庫から出してきた。
 

翌29日(日)、父は福居さんと将棋をすると言って出かけて行った。
 
「お父ちゃんが将棋指してる所とか見たことないけど、強いんだっけ?」
と千里は母に訊いてみたが
 
「新婚の頃見たことある。私は囲碁も将棋も分からないけど、一緒に見てた友だちが後から『取れる駒取らないから、思わず口出したくなった』と言ってたからそのレベルだと思う。でも福居さんとは似たレベルみたいよ」
などと母は言っている。
 
「なるほどー!」
 
「まあ将棋よりお酒でも飲む方が目的なんじゃない?」
「だろうね!」
 

「玲羅、5年生になったら、何のクラブ入るの?」
と千里は訊いた。
 
4年生はクラブは入っても入らなくてもいいのだが、5年生からはどれかに入らなければならない(合唱サークルはこの件に関しては最初からクラブ扱いしてもらっていた。合唱サークルに入れば、他の部には入らなくてもよい)。
 
「囲碁部に入ろうかなあ」
「へー!」
「だって将棋部よりは女子が多いし」
「ああ、そうかもね」
「お父ちゃんに口出されなくて済みそうだし」
「あはは」
 
母に確認したが、父は囲碁は全く分からないようだということらしい。
 
「でも囲碁部って、囲碁盤とか囲碁駒とか買わないといけないんだっけ?」
と母が訊いている。どうも母も囲碁のことを全く知らないようだ。
 
「碁盤や碁石は学校にあるのを使うと思うよ」
と玲羅。
 
「まあいちばんお金のかからない部活かもね」
と千里が言うと、母はホッとしているようだった。
 
「でも1000円くらいのプラスチック製の折りたたみの碁盤と碁石のセットとかあるから、そのくらい、お母ちゃん、買ってあげてよ」
と千里は言う。
 
「まあ1000円くらいならいいかな」
と母も言った。玲羅は喜んでいた。
 

この日は日曜なのに、母は午後から会社に出勤していった。夕飯の買物頼むと言われたので(でもお金はもらえなかった!)、神社でのバイトが終わった後、林田さんに車で送ってもらって駅前のスーパーまで行き、買物をしてきた。
 
千里がバスで帰宅して、夕飯にクリームシチューを作っていたら、母は18時すぎに帰宅した。そして言った。
 
「私、1月から正社員にしてもらえることになったから。パートは卒業」
「それどう違うの?」
「給料あがるから、何とか家計も回していくよ」
と母。
 
「仕事も大変になるんじゃないの?」
と千里は心配する。
 
「まあ、ほとんど休めなくなるけどね。でも癌の治療も寛解は近いと言われてるし頑張れると思う」
と母は明るく言った。
 
「でも私忙しくなるから、千里ごめん。夕飯の買物は全部頼む」
「いいよ」
 
それ、お金も私が出すんだよね?まあいいけどさ(千里は最近ほとんど買物の資金をもらっていない)。
 

12月31日(火).
 
お昼頃、テレビを見ていた父が
「当たった!」
と大きな声で言うので何事かと思ったら
「年末ジャンボ宝くじが当たってる」
と父は興奮ぎみに言う。
「いくら当たったの?300円?」
などと玲羅が言うが
「馬鹿。300円で騒ぐか。4等10万円だぞ」
「すごーい!」
 
番号を確認するが、父が持っている券の1枚が166922となっており、確かにテレビの隅に表示されている4等の当選番号と一致する。その次の166923は6等300円である。つまり10万300円当たったことになる。
 
「お父ちゃん、すごいね」
と母も感心している。
 
父は言った。
「ね、ね、10万当てたからさ、漁協のツアーで年内に申し込んで1月2日から2泊3日でゆうばり温泉に行ってくるのがあるんだよ。2万円。それにみんなで行かない?」
 
「じゃ、お父ちゃんだけ行ってきて。私や子供たちの分は悪いけど、家計に回させて」
 
「分かった。じゃこのくじ券、お母ちゃんに渡すから、俺の分のツアー代金とお小遣いに1万円でいいから貸してくれない?」
 
「はいはい」
と母は苦笑して、財布から1万円出して父に渡し、
「ツアー代金は漁協に持っていけばいいんだっけ?」
と訊く。
「うん」
 
「じゃ払ってくるよ」
と言って当選券を手に持ち、出かけようとする。
 
「お母ちゃん、300円は宝くじ売場で換金できるけど、10万円はみずほ銀行の本支店に行かないといけない」
と千里は母に注意する。
 
「みずほ銀行かぁ!」
 
そんな上等な銀行は留萌には無い!
 
「どっちみち換金は1月7日から」
「うーん・・・・」
 
「提案。美輪子姉ちゃんに送って換金してもらう」
「そうすっか!」
というので換金手段があることが分かり、母も安心したようであった。
 

どっちみち、母は漁協まで行ってくることにする。千里も
「私も神社に行ってくる」
と言って出かけようとするので、父と2人取り残されそうになった玲羅は
「私も神社でお手伝いする」
と言って、結局千里に付いてきた。
 
でも玄関を出た所で母は千里に言った。
「当選金受け取ったら返すから3万貸して」
「じゃ私が漁協まで行って払ってくるよ。取り敢えず1万」
と言って千里は母に1万円渡した。
 
「ごめーん」
「お母ちゃんはお正月の間の食料品買ってきてよ」
「分かった」
 
それで千里は玲羅を連れて神社に行き、小春に指示して銀行で3万円おろし、漁協に行って、ゆうばり温泉のツアーを父の名前で申し込んで代金2万円を払って来てくれるよう頼んだ。でも小春も小町に頼んでいた!(完璧に伝言ゲーム(父→母→千里→小春→小町)になったが、小町が勘違いして母の名前を書いたりしないよう祈った。まあその時は父に女装させればいいか??)
 

千里はこの日は19時で仕事を切り上げて帰宅させてもらった。そして間違い無く“村山武矢・41・男”と書かれたツアー申込書・控えを渡した。
 
「あれ?俺41歳だっけ?」
「そうだと思ったけど?」
と言って母を見る。
「間違いなく41歳。数えでは今日まで42歳」
「だったら俺、今年厄年だったの?」
「そうだけど」
「しまったぁ!厄払いしてない」
「あんた、そういうの迷信だって言うくせに」
「じゃ、来年は後厄だよな?」
「うん」
 
「ちなみにお母ちゃんは来年が37歳の厄年。今年は前厄だった」
「それは大変だ。一緒に厄払いに行こう」
「いつ?」
「近所のP神社とか、もう閉店してるかな?」
「今夜は二年参りの人がいるから、夜通し開いてるよ」
「じゃ今から行こう」
 
「ちょっと待って。電話してみる」
 
それで千里が小春の携帯に電話してみると、本当は祈祷の受付は5時で終了だけど、今の時間帯なら参拝客が少ないから対応できるということである。それで「テレビ見てる」という玲羅を残して、武矢・津気子と千里の3人でP神社まで出掛けた。
 
父が居ると強制的に紅白を見ることになるが、玲羅はたぶんウッチャン・ナンチャンの裏番組(FNSザ・クイズ 2002国民のチャンスライン)を見たいんじゃないかなと思った。
 

母が「お布施貸しといて」と言うので、なんか最近完璧に経済的に依存されてるなあとは思いながら、受付をしている小春に初穂料として1万円渡した。
 
「千里、今、夜間交替するために小町も、弓恵さんたちも仮眠してるのよ。私が笛を吹くから、あんた太鼓叩いて舞を舞って」
 
「え〜〜!?」
 
夜間の作業に対応するために、蓮菜の従姉の、鈴恵(22), 弓恵(20) も来てくれているのだが、その2人も仮眠中らしい(守恵は大学受験なので自宅でお勉強中)。
 
それで両親を参拝者控室に案内した上で、千里は巫女控室に行き、自分の巫女衣装を着けた。
 

小春が両親を案内して拝殿まで行き、清めの祓いをしてから昇殿させる。千里が先導して神職が入ってくるが、母が千里を見て目を丸くしている。父は首を傾げている。
 
千里が太鼓の前に正座する。小春は武矢と津気子の前で鈴払いをしてから所定の位置に就く。神職の合図で千里は太鼓を叩き始め、小春が龍笛を吹く。翻田宮司が祝詞を奏上する。
 
1万円の中祈祷で申し込んでいるので、祝詞がわりと長い。その長い祝詞が終わったところで千里は扇を持ち、小春の笛に合わせて神殿前で舞を奉納する。
 
そして玉串奉奠(たまぐし・ほうてん)をした後、宮司のお話があり、厄払いの祈祷は終了した。
 
千里は宮司を先導して拝殿から退出すると、社務所に戻る。そして急いで普段着に着替えた。
 
一方、武矢と津気子は小春の案内で拝殿から退出し、撤饌、御神酒、お札を受け取った。
 

そこに千里が合流する。
 
「お疲れ様」
「あんたが巫女衣装着けて出て来たからびっくりした」
と母。
「今の時間帯、おとなの巫女さんはみんな二年参りの参拝客に対応するのに仮眠してるんだよ。手が足りないから頼むと言われた」
と千里は言う。
 
「あの巫女さん、お前だったのか!なんか似てるなと思ったけど、なんでお前が女の衣裳とかつけるの?」
「私、女の子だし」
「そういう冗談はやめてくれ」
と父は言ったが、この場ではあまり深く追求しなかった。単に人手が足りないから臨時に男でも巫女の代理をしたのだろうと勝手に思ったようであった。
 
「でもお前の舞はきれいだと思ったぞ」
「ありがと。私、小さい子たちの舞の指導してるからね」
「ああ、だからお前も舞えるのか」
 
ともかくも父は完全に忘れていた厄払いの祈祷をしてもらって安心したようである。
「これで来年は豊漁間違い無しだ」
などと言っていた。
 

神社から戻ってから年越し蕎麦を食べ、0時すぎた所で、千里と玲羅は6畳の部屋に下がって寝た。両親も1時頃には寝たようである。
 
元旦、千里は6時頃に起きだし、お屠蘇(とそ)を準備し、おせちを皿に盛り、お雑煮の汁だけ作った所で母が起きてきた。
「明けましておめでとう」
「明けましておめでとう」
と言葉を交わし、お餅を7個焼く。父が3個、玲羅が2個、千里と母は1個ずつ食べるのである。
 
やがて玲羅が起きてきて「明けおめ」とか言っている。最後に父が起きた。
 
まずは、お屠蘇だが、本式のお屠蘇は、父だけで、他の3人はサイダーで代えさせてもらった。母にも「お前もお屠蘇飲め」と言うが、千里は
「まだお母ちゃんは病気治療で禁酒だよ」
と言うと、諦めた。
 
その後、お雑煮を配り、おせちの皿をこたつの上に並べて、村山家の1年は始まった。
 

初詣に行ってこようということになる。父は
「年末にP神社に行ったから、年始はQ神社に行こう」
と言い出した。
 
千里は、お父ちゃんってわりといい勘してると思った。留萌市内には大きな神社がR神社、Q神社、S神社とあるが、R神社は“神様ご不在”のことが多い。何日かに1度巡回してこられるようである。Q神社・S神社は神様が常駐しておられる。
 
母は最初「大きな神社はたくさんお布施が必要」とか言って渋っていたが。千里が「別に昇殿しなくてもいいのでは」というと「それならいいか」と言って出かけることにした。
 
さて着る服だが、父は極めて適当なセーターに裏起毛のズボン、それにアノラックだけで、寒くないか?と心配になる。父はさっさとその服を着て日本酒を飲みながら待っている。
 
母は30分がかりで何とか玲羅に小振袖を着せたのだが、何とかなったかなと思ってふと千里を見ると千里が振袖を着てるのでギョッとする。
 
「あんた、父ちゃんの前でそれ着るの?」
「コート着れば分からない。私女の子だもん」
「うーん」
母は悩んでいたが、確かにコートを着てしまえば分からないかと妥協したようである。
「でも振袖なんていつ買ったの?」
「美輪子姉ちゃんのお下がり」
 
「そうだったのか。でもよく短時間で着られたね」
「ワンタッチで着られるんだよ。上下セパレートになってるの」
「なるほどー」
 
「たぶん、来年はもう着られないから玲羅に譲るよ」
「じゃ、ちょうだい。それ凄く柄が可愛い」
「OKOK」
 
それで千里も玲羅も振袖の上にダウンコートを着た。母はこんな時に着るような和服も無いしというので、厚手のタイツを履き、ワンピースを着た上にやはりダウンコートを着た。
 
それでタクシーを呼んでQ神社まで行った。自家用車で行くと、お正月は混雑していて駐車場所に困るのである。実際行ってみると道路上の縦列駐車が凄かった。
 
「みんなよくこんな短い間隔で駐められるなあ」
などと母は感心している。母には無理かもねと千里は思った。母は普通のバック駐車も苦手である。5-6回切り返しても最終的に曲がっている!
 

結構な参拝客があるので、ゆっくりと人の流れに合わせて境内を進み、1人100円ずつ、お賽銭を入れて、お参りした。千里は参拝する時だけ、コートの前のファスナーを外し、振袖が見える状態にしてお参りした。母がギョッとしていたが、すぐにまたファスナーを閉じたので、父は気付かなかった。
 
父がトイレに行く。その間に母は千里と玲羅にコートを脱ぐように言い、2人が振袖で並んでいる所の写真を撮ってくれた。
 
この時、千里は30代の巫女さんと身体が接触しそうになった。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
と言い合ったのだが、向こうはハッとしたように、千里を見た。
 
何だろうと思ったが、母は2人にコートを着るように言ったので、千里は振袖の上にコートを着る、巫女さんもこちらを見ながら離れていった。
 
これが千里と細川保志絵のファースト・コンタクトだったのだが、この遭遇を保志絵は覚えていたが、千里は覚えていなかった(だいたい何でも記憶に残らない人である!)。
 
その後、おみくじを引いた。母は小吉、玲羅は大吉だったが、千里は大凶だった。
 
願望 叶わず。
健康 悪し。神仏に帰依せよ。
仕事 失敗しやすい。
恋愛 別離の予感。神仏に帰依せよ。
待人 来たらず。
失物 出て来ず。
出産 安し。
金運 出費多し。節約に努めよ。
商売 損多し。
相場 休むが良し。
学業 成らず。
転居 今は待て。
 
ここまで酷いのって、なかなか無いんじゃない?と思った。出産だけ安しになってるけど、今妊娠してないし!
 
(恋愛は晋治と別れる予定だからやむを得ない。健康は3ヶ月後に死ぬ予定だから良い訳が無い!)
 
それで千里はおみくじを、みくじ掛けに結んで、無かったことにした!
 
誰かが笑っているような気がしたが、見回しても誰もいないので、気のせいだろうと思った。
 
実はこの神社のQ大神(姫大神)である!Q大神は
「1日に1枚しか混ぜない大凶の中でも最悪の御籤(みくじ)をわざわざ引き当てるとか、この子、面白すぎる。霊的なパワーも凄いし。私が欲しい」
と思った。
 

父がなかなか戻って来ないので、千里たちは境内に出ている出店で御手洗団子(みたらし・だんご)を買って、食べながら待っていた。食べている時、千里は何か視線を感じてキョロキョロしていた。
 
しばらく3人で会話していたのだが、千里の反応が無いことに玲羅が気付く。
 
「お姉ちゃん!?」
 
玲羅が千里の目の前で手を動かすが反応が無い。母も異変に気付き狼狽している。
 
「うーん・・・」
 
と玲羅は腕を組んで悩むと、いきなり千里の足を数回蹴った。
 
「何するの?」
と母が驚くが、千里は
「いったーい」
と言って、蹴られた所を手で押さえている。
 
「姉貴、死んでたから足を蹴って蘇生させたよ」
 
「ありがとう。最近私よく死ぬのよねー。こないだも蓮菜に蘇生してもらった。でもできたら足を蹴るより、振って欲しいんだけど」
 
「そんなの男の子にしか無理」
と玲羅は言った。
 
「あんた今死んでたの?」
と母が不安そうに訊く。
 
「あ、よくあることだから心配しないで」
と千里は言った。
 

父は30分くらいして戻って来たが「トイレの列が凄かった」と言っていた。
 
「これだけ参拝客がいればねぇ」
 
それでまたタクシーで帰宅した。
 

父は1月2日から4日まで、ゆうばり温泉へのツアーに出掛けた。玲羅は
 
「お父ちゃんがいない間は、のんびりしたお正月が過ごせる」
などと言っていた。
 
千里は父がいない間、ずっと家の中ではスカートを穿いていたが、母はむろん何も言わなかった。
 
3人は1月3日にジャスコに行き、食料品その他を買ったが、千里はこの買物の時もスカートを穿いていた。
 
途中で神崎さんの奥さんと娘の美加さん(高2)に遭遇したので母はギョッとしたようだが、千里は何度もスカート穿いている所を奥さんにも美加さんにも見せているので、にこやかに
 
「明けましておめでとうございます」
と挨拶しておいた。
 
「仁志さんは受験でしたよね?どこの高校受けるんですか?」
と千里は尋ねる。
「あの子は何も勉強してないから、S高校は絶対無理だと先生に言われて」
「ありゃあ」
 
S高校は公立だが、掛け算の九九が出来たら合格すると言われている。つまり九九も怪しいということか!?でもうちの玲羅も危ないぞと千里は思う。
 
「学費高いから頭痛いけど、U高校にやるしかないかなと思ってる所なのよ。でも無駄でもいいから少し勉強しなさい、と言って問題集渡して勉強させてるから今日は留守番」
 
ひとりになったら絶対漫画読んでそうと千里は思ったが、そんなことは無論言わずに
「受験大変ですよね。頑張って欲しいですね」
と言っておいた。
 
ちなみにU高校は私立なので学費は高いが、レベルとしては、答案用紙に名前が書いてあれば合格する、と言われている高校である!過去10年でここの入試に落ちたのは“特攻服”を着て面接に行った人だけらしい!(そもそも高校に行く気が無かったとしか思えない)
 
「そちらは一家でお買い物?」
と奥さんから訊かれるので
 
「ええ。うちのが出てるから、残り3人で食料品の補給に出て来ました」
と母は言っていた。
 

おもちゃ屋さんに980円(+5%消費税で1029円)の囲碁セットがあったので、母はそれを玲羅に買ってあげていた。
 
玲羅は帰宅してから早速開けたが、
「姉貴、少し相手してよ」
などと言う。
「姉と呼んでくれるなら相手しようか」
と言って、相手をする。
 
千里は最初に玲羅の石の打ち方が違うと言って、石を碁盤に打つ時の正しい持ち方を教えてあげた。
 
「なんか自分でも格好いい気がする」
と玲羅は言ってる。
「これだけで凄く強くなった気がする」
 
玲羅は基本的なルールは知っているものの、二眼も分かっていなかったので、眼が2つあれば、それは相手に取られないのだということを実例を交えて教えてあげた。
 
「すごーい」
と玲羅はこれにも感動していた。
 
また「ツケにはハネよ」、「ハネにはノビよ」という基本中の基本を教える。その後はしばらく入門本(図書館で借りた!)で勉強していたようであった。
 

千里は12/26から1/5までは毎日神社に行っていた。小学生は一応1日4時間までということにしていたので、恵香や美那たちは本当に4時間で解放されたものの、千里は「あんたはもっとご奉仕しなさい」と大神様から直接言われて、色々雑用に走り回っていた。日によっては8時間くらい働いていた。
 
11日間の報酬として8万円頂いたので、千里は半分の4万円を母にあげた。母は
「本当に助かる。これもらう」
と言って涙を流していた!
 
「これで一家心中しなくて済む」
「そういうのは勘弁して欲しい」
 
母はそれで滞納していた電気代とガス代を払い、灯油も4缶買って、取り敢えずこの真冬に一家凍死するような事態は回避できたようである!
 
(心中するか凍死するかの二択??)
 

1月5日(日)は全国的に強烈な寒波が来て、留萌でもバスが運休したりした。神社ではバイトしている小学生たちの家に電話して
 
「バイト代は今日の分まであげるから、今日は家でお休みしてて」
 
と伝えた。神社との往復で遭難でもされたら困る!
 
でも千里は「人手が足りないから来て」と言われて、決死の覚悟で!長靴で積雪を踏み固めて“道を作りながら”出て行き、朝から夕方までお仕事をしていた。でもさすがに参拝客は少なかった。
 
父は夕方、
「船に積もった雪を下ろさないといけない」
 
と言って、母に車で送ってもらって港まで行こうとしたが、母が
 
「こんな凄い雪の中、しかも暗くなるのに、運転する自信が無い」
 
と言うので、結局タクシーで往復した。他の船員さんたちも、だいたいタクシーを使ったようである。船長の鳥山さんが、出て来てくれた人全員にタクシー代を配っていたらしい。
 
「しかしタクシーの走る速度が遅いこと、遅いこと」
などと父は帰ってきてから言っていた。
 
この雪ではね〜。
 

父の船は1月6日(月)に新年の操業を始め、出港して行った。また月曜の朝から金曜の夕方まで船上で過ごすサイクルが始まる。
 
千里は父が出港している間は一貫して家の中でスカートを穿いていた。
 
1月7日には美輪子が宝くじの当選金9万(1万は手間賃として美輪子にあげた)振り込んできてくれたので、これでかなり助かったようである。母もツアー代金で借りていた3万を千里に返してくれた。
 
厄払いの初穂料は??
 
(やはり千里は金運が悪い)
 

1月8日(水)、母はこの日の病院受診で、とうとう医者から寛解(かんかい)を宣言してもらった。
 
「おめでとう」
と千里も玲羅も言った。
 
「病院の受診はこのあとどうするの?」
「取り敢えずしばらくは月に1回受診して検査を受ける」
 
「じゃ提案。お父ちゃんには寛解のことは黙ってた方がいい。でないと、治ったんなら飲めとか言われてお酒飲まされたりするよ」
「そうかも知れない気がする」
 
ということで、このことは父には言わないことにした。
 

「千里の母の治療が終わったようだが」
と大神様は小春に言った。
 
「千里の身体に退避させている卵巣や子宮を津気子に戻していいか?」
 
そんなことしたら千里はホルモンバランスが崩れてきっと倒れてしまう。
 
「大神様、千里は4月に亡くなるんでしょ?あとほんの3ヶ月です。だったら卵巣を戻すのはその時にしませんか?」
 
「うーん。まあそれでもいいか」
と大神様は妥協してくれた。
 

1月11日(土).
 
千里は合宿中のソフト部から声を掛けられて、合宿に協力するのに出て行った。ソフト部は9日から13日に掛けて合宿をしているのだが、この日は千里の球を打ちたいという話だったのである。昨日は杏子が出て行ったのだが、4-5年生は杏子のボールを1割5分くらいは打つことができて、かなり自信を高めていた。
 
この日、千里が最初“軽く”投げると、4-5年生は昨日の杏子と同様に1割5分くらい打つことができた。
 
「君たちだいぶ実力付けたね」
「はい。ジョギングとかも頑張りました」
「今のはウォーミングアップ。次は本番行ってみようか」
「え〜〜〜!?」
 
それで千里が“わりと本気”で投げると、1人も千里のボールを打てなかった。何とかバットに当てたのは尋代と俊美くらいで、他の子は、かすりもしない。
 
「来週も合宿する?」
「また春休みに頑張ります」
 
(N小が他校に勝てないわけである)
 

1月12日、玖美子は札幌の私立J中学、蓮菜は旭川E中の入試を受けた。結果は翌日発表されたが、2人とも落ちていた。私立を受けた子の中では、札幌の私立A中学を受けた、2組の典子だけが合格していた。
 
「残念だったね。どうするの?」
と千里たちは蓮菜に言った。
 
「まあ地元の公立に行くしかない」
と蓮菜は答える。
 
「やはり甘く見ていた。このあたりの学校でトップ付近に居ても、都会では全く通じないよ。ノリちゃんは学校の授業は無視して、北大出身の家庭教師を付けて頑張ってたもん。だからあの子、学校の期末試験は成績悪いのに、模擬試験とかではハイスコア出してた」
 
「すごーっ!」
 
「じゃ旭川あたりに引っ越して、向こうの中学に行く?」
「いや、前言ってた勉強会しようよ。そしたら、高校では旭川の進学校の私立に行けると思う」
 
「勉強会か」
「メンツは?」
「私と玖美子は当然入る。あとは恵香、美那、千里、穂花だな」
 
「私もなの〜?」
と千里。
「何かさりげなく私の名前が呼ばれた気がする」
と恵香。

「千里は本気を出すと凄いのさ」
と蓮菜は言った。
「でも千里は2桁と2桁の掛け算の筆算さえできないよ」
と美那が言う。
 
「千里、3274×6583は?」
と蓮菜が訊くと
「2155万2742」
と千里は即答した。
 
「正解」
「嘘!?」
「千里は難しい問題は答えられるけど、易しい問題は間違うんだよ」
「はぁ!?」
 
(正確には2-3桁の掛け算では千里は先頭と末尾の数字が合ってて途中の数字が誤っている結果を出しやすい←本気にならないから)
 
「しかも途中の計算式を書けないから、学校の算数のテストでは正解にしてもらえない」
「もしかして千里って天才?」
「いやただの変人」
「変人というのは納得する」
とみんな言ってる。
 
「だって千里はフルート吹けるのにリコーダーが吹けない」
「千里がリコーダー吹けないのは知ってるけど、フルート吹けるんだっけ?」
「不動産屋さんのCMで吹いてるじゃん」
「あれ音はプロの演奏じゃないの?」
「本人の演奏だよ。でしょ?」
「私フルートなんて触ったこともなかったから適当に吹いたら音が出た」
「あり得ない」
「千里はこういう人なのさ」
と蓮菜は楽しそうに言った。
 
でもこれで美那は千里が勉強会に加わることを了承した。恵香もうやむやの内に参加することにされた。玖美子は千里の性格を熟知しているので喜んだ。穂花は直前まで何も話を聞いておらず「勉強会するから来て」と言われて「何それ?」と言いながら来たが、蓮菜・玖美子を入れた勉強会と聞いてやる気を出した。
 

玖美子の受験が終わったのに合わせて、剣道部女子の合宿が行われた。1月15-19日(水〜日)の5日間である。男子は先週合宿をしている。男女の日程をずらしたのは「施設の収容人数の関係」とも言っていたが、男女一緒にやった場合、恋愛問題(もっと生々しく言うとセックス問題!)の管理が大変だからだろうなと千里と玖美子は言っていた。
 
場所は市内の新聞社関係の研修施設で、宿泊施設(最大8人収容の部屋×10部屋)と講習室、お風呂1つ、食堂、小さな体育館がある。
 
男子の合宿では4-5年生16人が2部屋に収納されたのだが(角田先生と財前コーチは引率者用の小部屋(Max4人)に泊まる)、今週の女子の合宿では、角田先生は前回同様引率者用の小部屋に泊まり、4-6年生9人とOGで女子大生の道田さんの10人が8人部屋に泊まった!
 
「どうやって10人寝るんです?」
「4段ベッド2つに8人寝て、2人は床に布団を敷いて寝る」
「酸素が足りなくなりそう」
 
(筆者は中学時代に4段ベッドに8人寝る:つまり1つのベッドに2人ずつ寝る、というかなり無茶な合宿をしたことがある)
 

結局道田さんと、「私寝相が悪いからベッドだと確実に転落する」と申告した五月とが、床にカーペットを敷いた上に布団を敷いて寝ることになった。このカーペットがあることで、温かさが段違いになるようだった。
 
合宿のメニューは9-11h, 12-14h, 15-17h と日に3回の2時間の練習時間を設定して、主として午前中はジョギングや筋トレなどの基礎的な体力を付ける練習、午後は素振りや型の稽古などをして、夕方は打ち合い練習を中心に行った。
 
「剣道は基礎が大事なのよ」
とOGの道田さんは言っていた。
 
「やはり運動も勉強も大事なのは基礎なのね」
と千里が言うと
「当然当然」
と玖美子は言っていた。
 
なお合宿所のお風呂では、千里はむろん他の女子たちと一緒に入浴している。他の子たちは千里を普通に女子だと思っているので、何も感じていないが、玖美子は何だか楽しそうであった!
 

2003年1月20日(月).
 
剣道部の合宿が終わった翌日、長い冬休みが終わり、N小学校では3学期の始業式が行われた。早速この日から授業が行われたが、この日の体育はスキーだったので、近隣の小学校専用スキー場に行き、みんな楽しくスロープを滑っていた。
 

始業式のあった日、千里が帰宅すると、郵便受けに裁判所から手紙が来ていた。早速開けて見る。
 
千里の性別訂正を認可するという通知であった。千里は涙が出て、その通知を胸に抱きしめた。
 
夕方帰宅した母にもその通知を見せたが、母はまた溜息をついていた。母としては、できたら却下して欲しい気分だったのだろう。母は
 
「あんた。ちょっと裸を見せてよ」
 
と言うので、千里は全部服を脱いでみせた。そしてその身体を見て母は
「はあ」
と溜息をついた。
 

千里は母に
 
「健康保険証の性別を女に変更して欲しい」
と言った。
 
母はかなり悩んだ末に
 
「女の子になったんだから仕方ないか」
 
と言い、千里と玲羅を父の船員保険の被扶養者から外し、自分の職場の健康保険(政管健保)の被扶養者にしてしまった。移動させる理由として
 
「私の方が報酬月額が小さいから、保険料が安くて済むんですよ」
と説明すると、漁協の人も納得していた。
 
そして母の健康保険の被扶養者に登録する際に、千里を長女、玲羅を次女として届けたのである。
 
千里は健康保険証に「長女」と記載されているのを見て、物凄く喜んだ。
 
(この頃はまだ健康保険証は個人別のカード化は、されておらず、冊子状の健康保険証の被扶養者ページにその名前が一覧記載されているだけである)
 
「私は巻き添えで次女になるのか」
と玲羅。
 
「ごめんねー」
 
「私って昔から長女なのか次女なのか、あやふやにされる」
と玲羅は文句を言っていた。
 

なお、学校には翌日の1月21日、裁判所からの通知の原本を提示し、学校ではそれをコビーして保管していた。千里の学籍簿上の性別は既に先月性別検査を受けた段階で既に正式に女になっている(誤って女と記載された状態から、正しく女と記載された状態に変更:作業上は何もしていない!)。それでも我妻先生、桜井先生、馬原先生などから
 
「千里ちゃん、おめでとう。これで完全な女の子だね」
と言ってもらった。
 

千里と留実子の学籍簿上の性別は小学校4年の春には、千里が男、留実子が女と記録されていた。4年生で千里たちの担任になった我妻先生は当初、千里を女、留実子を男と思い込んでいた。ところが保護者面談で先生は自分が性別を勘違いしていたことに気づき
「学籍簿を直さなきゃ」
と思った。
 
それで、千里を女、留実子を男に修正してしまったのである!つまり本当は修正する必要が無かったのに、「勘違いしてた」と思ったことから、誤って逆にしてしまった。しかし千里も留実子も2年半逆の性別で登録されていたのに、かなり助けられている。
 
しかしこの12月に教頭から指摘されて「あれ〜。私修正したと思ってたのに」と思いながら、留実子の性別は女に修正した。千里については、実は本当に女なのではと思われたので、性別検査の結果を待った。そして最終的に、女のまま、変更しなくてよいことになった。
 

この日、1月21日(火)には学期始めの身体測定があった。身体測定の時、これまでは、留実子のカルテが男子のほうに入っていたので、いつも男子の保健委員の田代君がそれを抜き出して、女子の保健委員の美那に渡し、留実子は女子と一緒に身体測定か受けられるようにしていた。ところが今回は留実子の書類は最初から女子のほうに入っていた。美那は恐る恐る先生に訊いてみた。
 
「ああ。花和君の性別を私、ちゃんと女子に修正したつもりが修正できてなかったことに気付いてさ。ちゃんと修正したから」
と先生は言った。
 
るみちゃんは残念がるだろうけど仕方ないかなと美那は思う。美那は千里の件も尋ねようかと思ったが“先生が千里の性別誤りにも気付いて”千里の性別を男子に修正してしまったら千里が可哀想だと思ったので、千里の件は尋ねなかった。そしていつものように、千里の書類は女子の先頭に置き、千里とお互いに下着姿を見るのは、千里の最も古い親友のひとりで、お互いに裸も見ている恵香だけになるようにしておいた(恵香の苗字は大沢で女子の先頭)。
 
そういう訳で、千里の性別訂正後も、多くの友人が、千里は法的には男子になっていると思い込んでいる状態がずっと続いていくのである。
 

1月26日(日).
 
千里と母は進学予定のS中学に出掛けていった。この日、進学予定者への説明会があるので、それに出席したのである。
 
この時点で、私立中学の入試はほぼ終わっており、私立に進学する子は既に公立には辞退の連絡をしている(最終的には1/31までには連絡しなければならない。それより遅れる可能性がある場合は留保の連絡が必要)。
 
それでこの日集まった子はほぼ全員、4月からS中に行くことになるはずだ。S中に進学するのは、主としてN小学校と隣のP小学校の子である。
 
千里は黒いビロードのワンピースを着て、出掛けていった。ワンピースを着ていても、その上にコートを着ているので父は気付かないようだった。
 
現地に行き、体育館に入ってコートを脱いでから受付で葉書を出すと、受付の先生(?)が、いったん青い袋と青いリボンを渡そうとして「あれ?」という。
 
「女子ですよね?」
と千里を見て言う。
 
「そうですけど」
と千里は答える。
 
「ごめんなさーい。性別が入力間違ってたみたい」
と言って、先生は名簿の「村山千里」の横にある性別を男と印刷されているのを二重線で消して、女と書き直し、赤いリボンと赤い袋をくれた。
 
「ありがとうございます」
と言って受け取り、少し戸惑っているふうの母と一緒に体育館に入った。
 

「あんた、やはり男子として通学しないといけないのでは?」
と、またまた言う。
 
「まだ税別訂正が“浸透”してないだけだよ」
と千里は言った。
 
実際家庭裁判所の判事さんからも、性別訂正が認可された後、戸籍や住民票に反映されるまで半月くらいかかるからパスポートなどを取る場合は、できたら浸透するまで待ってと言われていた。
 
「それにそもそもこの説明会の案内は年内に届いたでしょ。つまり12月下旬の住民票に基づいて名簿が作られてるんだよ」
と千里が言うと
「あ、そうか」
と母も納得していた。
 

赤いリボンをワンピースの胸に付けて、適当な席に座る。実際には母は留実子を見つけてその隣に座った。
 
留実子は青いリボン!を付けており、青い袋を持っていた。
 
「るみちゃん男らしい」
と千里は言う。
 
留実子はグレイのメンズのセーターの上に濃紺のメンズのブルゾンを着ている。下もメンズのズボンである。髪も短いし、普通に男の子に見える。
 
「今日はいいよと言われた。千里はすっかり女の子してる」
「うん。中学からは堂々と女子中学生するから」
「勇気あるなあ」
と留実子。千里は自分の性別が訂正されたことを誰にも言っていない。
 
「るみちゃん1人で来たの?」
と母が訊く。
 
「両親とも仕事休めないので」
「大変ね!じゃ何か保護者にとかいうのがあったら私に言ってね」
「はい、すみません。お願いします」
 
「後(あと)でもらった資料を見比べようよ。たぶんるみちゃんに必要なものもあるよ」
「じゃ後(あと)で」
 

その内、蓮菜、恵香、美那、穂花なども来るので手を振っておいた。多くはお母さんが付き添ってきている。
 
時間ギリギリくらいになって沙苗がお母さんと一緒に来たが、女の子の服を着てる!
 
「すごーい。沙苗(さなえ)、赤いリボン付けてるし」
「入学式まではいいよと言われたから、この格好で来た」
「やはり沙苗(さなえ)、入学式までに性転換しちゃいなよ」
「性転換したーい」
と言う、沙苗をお母さんは優しく見守っていた。
 
やがて説明会が始まる。S中の応援団員が壇上に登り、太鼓を叩き、両手を前・横に振って、応援の仕草をしながら、校歌を歌った。留実子が憧れるように見ている。るみちゃん、ああいうの、やりたいのだろうか。
 
その後、校長先生の挨拶がある。
 
その後、複数の先生が交代で壇に立ち、中学での学習内容、生活の規則、入学までに用意しておいてもらいたいもの、また制服や体操服、靴やカバンなどについても説明があった。
 
更に生徒会長が壇に立って、部活動についても説明する。各部の紹介はスライドで流された、
「るみちゃんはサッカー部?」
「当然当然」
「男子サッカー部だよね?」
と訊くと、留実子は不安そうな顔をして
「入れてくれたらだけどね」
と言った。
 
「千里は何に入るの?ソフト部?剣道部?その兼部?」
「帰宅部かなあ」
「え〜〜〜!?」
と留実子は言ったし、近くに座っていた玖美子が
「それは絶対許さん。剣道部には強制的に入ってもらう」
などと言っていた。千里は取り敢えず笑っておいた。
 
なおS中には合唱部は無い。先輩の阿部さんとかにも聞いたのだが、S中では音楽室とか理科室とかは吹奏楽部が使っていて、合唱同好会を作っても練習場所が確保できないという話だった。千里はどこかで歌を歌ったり、楽器を演奏できる場所は確保したいなあと思った。
 
これは思わぬ筋から場所を確保できてしまう。
 

なお、クラブ紹介が行われている間に視聴覚室で保護者向けの説明会があり、津気子はそちらに出た。資料は「友だちのお母さんにも頼まれたので」と言って“女子用”の資料を2部もらってきて、1部は留実子に渡した。
 

説明会は9時に始まり、12時前に終わった。町に出て制服の採寸に行くという子も多い。
「千里も行かない?」
と恵香から誘われる。
 
「まだお母ちゃん、給料日前だし」
 
母の職場の給料日は毎月27日なのである。
 
「採寸だけしておけばいいのに」
「来週くらいに行くよ」
「セーラー服だよね?」
「私が学生服とか着るわけがない」
「少し安心した」
「正確には着られる訳が無いだな。千里の身体のサイズに合う学生服なんて存在するわけないもん」
と穂花が言っている。
 
「確かに千里の胸を収納できる学生服は無いだろうな」
「千里、ウェストが細くてヒップはあるから、その体型に合う男物のズボンも存在しないよ」
 
 
前頁次頁目次

1  2  3 
【少女たちの卒業】(1)