【少女たちの卒業】(2)

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1月29日(水)は1月5日と同様の猛烈な寒波が日本列島を襲い、千里たちの小学校は臨時休校を宣言した。前日の段階で、物凄い寒波が予想されていたので、
「学校があるかどうかは、当日7時に町内放送および保護者への一斉メールで連絡します」ということになっていた。実際には6時すぎには、休校のお知らせがあった。代わりに2月1日(土)が登校日になった。母の職場も29日は臨時休業で2/1に「出て来られる人だけ」出て操業した。
 
1月27日〜2月1日の週(1/29を除く)、学校では6年生を対象に三者面談を行い、進学先の最終確認を行った。基本的には保護者に出て来てもらいたいのだが、仕事の都合でどうしても平日に両親のどちらも来られない場合は、先生と児童だけで話した上で、親の署名捺印した書類提出と、念のため電話での確認というので、代えることにした。留実子の両親はこれに該当し、S中に進学したいという回答書を提出した上で、留実子のお母さんが職場の昼休みに我妻先生に電話し、それで間違い無いことを確認した。
 
千里の場合も、母が正社員になってしまって休めないので、留実子同様、母が署名捺印した回答書でS中に進学したいと書き、やはり昼休みに電話連絡して、間違いないことを確認した。
 
結局千里たちの学年で私立に行くのは川崎典子のみ、帯広に転校する子が1名のほかは、全員S中への進学希望である。学校側では書類を2月3日(月)にとりまとめ、学籍簿のコピーとともにS中に校長が持参して手渡した。典子の書類は保護者が取りに来て、書留で進学先に郵送したようである。
 

翌日・火曜日(2/4)にS中から千里の性別についてN小に照会があった。
 
「彼女は間違い無く女子です。なんか戸籍が誤って男子として登録されていたらしいんですよ。それに先日気付いて、12月に家庭裁判所に申告して、1月20日には訂正されましたが、戸籍や住民票が修正されるには半月くらいかかるらしいです。現時点では微妙ですが、来週くらいまでにはちゃんと住民票の上でも女子になっていると思いますよ」
と我妻先生は言った。
 
(我妻先生はやはり少し誤解している気がする)
 
「じゃ性転換したとかではないんですね?」
「違います。生まれながらの女子ですよ。単純ミスらしいです」
 
「そういうことでしたか。分かりました。それでは女子として処理します」
「はい。よろしくお願いします」
 

2月2日(日)、千里は母と一緒にジャスコに行った。
 
「あんたの制服買わなきゃね」
と言ったが
「学生服で済んだら安いのに」
と付け加えた。
 
「ごめんねー」
「取り敢えず冬服だけでいい?夏服はまた後日で」
「うん、いいよ」
 
まあお金が無いんだろうなと思う。千里が正月に渡した4万円で『これで一家心中せずに済む』なんて言ってたくらいだしね。
 
それでまずブラウスはワゴンセールのを3枚買い、内履きおよび体育館シューズはいづれも「S中学指定」と書かれているものを購入する。もっともこれらは留萌市内の中学4校の内S中を含めて3校が共通で、1校たけ違うものを使っているようであった。
 
(2003年当時、留萌市には中学が4校あったが、2007,2018に1校ずつ廃校になり、2021年現在は2校しかない。小学校は10→5, 高校は2→1である。なお留萌市内の私立高校は昭和40年代に存在した時期があるが、かなり古い時期に消滅している。この物語内の架空の存在である。留萌は一時期市を支えていた水産物加工業も大都市近隣の町との競争に負けて現在主幹産業が存在しない。まるで夕張の後を追いかけているかのようで私はとても悲しい)
 

「あんた20cmでいいよね?」
と母は千里の足のサイズを確認する。
 
「21cmにしとこうかな。念のため」
「そうだね。女の子は中学で結構背が伸びるしね」
と母は言ってから、千里を“女の子”と言ったことで悩んでいる風だ。
 
やはり性別の移行って結構大変なんだなと千里は思った。性別の壁を乗り越える人は、多くの“風”に耐える必要がある。
 
実際にはこの頃千里は163cmと、女子にしては結構な長身だったのだが、この後はそんなに伸びず、高校3年頃に168cmに到達した。ちなみに留実子はこの時点で既に170cmあり、高校3年頃は184cmに到達する。
 

内履きなどを買った後、制服コーナーに行く。
 
多数の女子制服がマネキンに着せられて並んでいる。女子制服は学校ごとに違うので大変だ。男子制服はこの付近の中学は全部学生服なので、すみっこに申し訳程度に置かれているだけである。
 
なお、この時点で売場に並んでいるのは中学の制服だけである。高校の制服は高校受験が終わった後になるし、学校で採寸してまとめて注文する学校が多いようである。
 
千里はセーラー服を着られるなんて夢みたいと思いながら、多数の女子制服を眺め、特に自分が進学予定のS中の制服に触ってみたりしていた。そういう千里を母は暖かく見守っていた。
 

係の人が寄ってきて言った。
 
「今度中学進学ですか?」
「あ、はい」
「採寸はお済みですか?」
「いえまだです」
 
などと言っていた時に母の携帯が鳴る。
 
「ちょっと御免」
と言って母がその場を離れる。
 
「お母さん向こうに行っちゃったけど、採寸だけでもしておきません? 注文は後でも良いですよ」
と係の人が言うので
 
「そうですねー。じゃ採寸だけ」
 
と言って千里はメジャーで身体の寸法を測ってもらった。
 
「バスト65、ウェスト55、ヒップ85、肩幅34、袖丈54、身丈48、スカート丈68かな。あなた身長があるから、身丈・スカート丈は長めの方がいいわね」
 
「あ、そうかもです。鼓笛隊の標準のスカート穿いたら、なんでお前だけミニスカート穿いてる?とか言われました」
 
(千里はウェストが細いのでSを穿く。結果的にミニスカになってしまう。千里より長身の杏子はLを穿いたので、スカート丈は膝まであった。ちなみに留実子は男子扱いなのでスカートは穿いてない!)
 
「あはは。バレーとかバスケとかすると、いいかもよ」
と係のお姉さんは言っていた。
 
「一応、この数値コンピュータに登録しておくから。この登録番号を電話で伝えてもらえたら、注文できるからね」
「ありがとうございます」
 
「あ、名前と電話番号、訊いていい?」
「はい。名前は村山千里、電話は0164-**-****です」
 
それで係のお姉さんは登録番号 214 で千里の寸法を登録してくれた。千里は採寸の控えを手に取って見ながら、バレンタインデーみたいな数字だと思った。
 

母は結局職場で急ぎの仕事が入ったということで、
「制服はまた今度ね」
ということになり、その日はそのまま帰宅することにした。
 
「急ぐならこのまま会社行きなよ。私はバスで帰るから」
「そう?ごめんね」
 
ということで買わずに帰ったのだが、採寸してもらったサイズ表は大事そうに手帳の表紙の所にはさんだ。
 

千里は母に言った。
「あのさ、うちの家計が苦しいのは分かる」
「うん」
 
「だから、中学に納める学費、給食費・修学旅行の積み立て・生徒会費・PTA会費・教材費は私が払うから、お母ちゃん名義の口座をひとつ指定金融機関のどこかに作って私に預けてよ」
 
「そうかい」
 
S中の指定金融機関は、北海道銀行、北洋銀行、札幌銀行、JA南るもい、北海道信漁連、留萌信用金庫ということだったが、S中の学区では、北洋銀行、マリンバンク、JAバンク、留萌信金の利用者が多いようだ。母は留萌信金で給料を受け取っている。(父の船の給料は現金手渡し!!)
 
「その代わり、食材を買うお金は私にくれない?」
「そうだね、そうしようか」
 
ということで、千里と母の費用負担の落とし所はだいたい定まったのである。
 
「あと普段着や下着も私が自分で買うから、セーラー服はお母ちゃん買ってくれない?」
「いいよ。ボーナス払いで買えるよね?」
 
「クレカのボーナス払いにできると思うよ」
 

千里は母の職場に“行く途中”、駅前で降ろしてもらうと、買い出し用にもらった2000円を持ち、Aコープで買物をする。
 
しかし家族4人分の食材を2000円以内で買うのはなかなか大変である。
 
ともかくも安いもの(主としてシールが貼ってあるもの!)中心に買物をしてバスで自宅に戻った。そして夕飯に、おでんを作っていたら、父が帰宅する。今日は日曜だが、漁協の寄り合いに出ていた。
 
「お父ちゃん、お帰り。もうすぐごはんできるから」
「ああ、すまん。寄り合いで食べてきた。それより喜べ」
「ん?」
「お前、もう中学で着る学生服は買ったか?」
「・・・まだだけど」
「だったらちょうど良かった。神崎さんの息子が着ていた、中学の制服を譲ってもらえるらしいから」
「え〜?」
 
神崎さんの所の息子さんは現在S中の3年生である。3月に卒業するから、その後、譲ってもらえるという話だろう。でも私、学生服とかもらっても要らないし、そもそも、神崎さんの息子さんの服が私の身体に合うとは思えない!仁志さんはかなり横幅がある。彼の服を私が着ようとしたら、安室奈美恵が渡辺徹の服を着るような状態になるぞ!?
 
「息子さんが卒業したら奥さんにこちらに持たせると神崎さん言ってたから」
「ふーん」
「何て顔してんだ。買わなくて済めば助かるだろ?学生服だって1着5000円くらいするだろ?」
 
お父ちゃん、それいったい何十年前の話??
 
(武矢が中学に入学した1974年の統計で男子学生服の平均価格は 15,300円。少し前の1969年なら 4,740円。短期間に激しい価格上昇が起きているが、田中角栄内閣で激しいインフレが起た時期。総理就任直後は「中卒の庶民総理」として人気だった田中の人気が急落した時代である。どうも父の価格感覚は佐藤栄作内閣(1964-1972)当時のもののようである!なお2003年の統計では男子学生服平均価格は 31,810円)
 

それで結局父はそのまま居間に布団を敷いて眠ってしまったので、居間は電気を消して、奥の部屋に食卓を移動。カセットコンロを載せ、台所である程度煮込んだおでんの鍋をそちらに持っていった。父が寝ている時はだいたいこういうパターンで食事をする。
 

 
↑で通常は母の布団を敷く位置にコタツを置いているが、父が寝ている時は千里の布団を敷く位置にコタツは移動する。父の寝る場所は初期の頃は奥側(北側)だったが、邪魔になる!ので窓側(南側)に移動された。窓には遮光カーテンを掛けた。父の布団の横幅が狭いのは、いつも狭い船内で寝ているので、広い布団は落ち着かず眠れないから。下も柔らかいとダメなので、わざわざベニヤ板を畳の上に置き、その上に煎餅のように薄い敷布団を敷いて寝ている。父はホテルに泊まると「ベッドが柔らかすぎて寝れん」と言う。
 
なお母によると、父と最後にセックスしたのは、眞子内親王殿下がご誕生なさってすぐの帰港日(金曜日)だったらしい!(玲羅の受精日がよく分かる話である)
 
(眞子内親王殿下の御出生日時は1991.10.23 23:41。直後の金曜日は10.25. 一方、玲羅の出生日時は1992.7.23 8:03:23 なので、逆算すると受精は1991.10.31前後ということになる)
 

おでんの鍋を見て漫画を読んでいた玲羅が
 
「美味しそう。食べていい?」
 
と言うが、千里は
「お母ちゃんが帰ってくるまで待ちなさい」
と言う。
 
「ケチ。いつ食べたって同じじゃん」
と玲羅は文句を言っている。
 
「食事は一家そろってから食べるもの」
と千里は言っておいた。
 
でも母が帰るまで千里は玲羅の囲碁の相手をしてあげた。
 
大石を取られたりすると
「きゃー、そういう手があったのか。待って待って」
などと言っている。
 
「ほんとは待ったは反則だけどね。ここが悪かったんだよ」
と言って千里は手を戻して、玲羅が失敗した所を教えてあげる。
 
「ここで、ここに打って補強しておかないといけなかったんだよ」
「そっかー」
と言って玲羅は悩んでいた。
 
しかしこの1-3月、ずっと千里が指導してあげていたので、玲羅は4月になって囲碁部に入った時は「君強いね」と先輩から言ってもらったらしい。そもそもちゃんと人差指と中指で石をはさんで“打つ”だけで強そうにみえる!(初心者の多くは親指と人差指ではさんで持ち碁盤に“置く”)
 

母は18時頃帰って来たので、一緒におでんを食べる。千里は父から聞いた話を母にしておいた。
 
「そう。神崎さんの息子さんの学生服ね・・・」
「神崎さんには悪いけど、別途買ってくれる?」
「まあいいよ。最初からそのつもりだったし。じゃ2月11日に注文入れよう」
と母は言った。それクレカの締め切りの関係かな?
 

母は翌日、2月3日(月)の昼休みにS銀行留萌支店に出掛けて、口座を作ってくれた。それでその日の夕方、千里に通帳と印鑑を渡してくれた。
 
「その印鑑はこの口座以外には使ってないから、あんたが管理して」
「分かった、ありがとう」
 
なんか100円ショップで買った印鑑っぽいけど、いいのかなぁ?
 
そしてその日の夕方のことである。家の前に車の停まる音がする。ピンポンが鳴るので出ると、神崎さんの奥さんである。千里は
 
「こんばんは。お世話になっております。なんか中学の制服を頂けるということでありがとうございます」
と挨拶した。
 
人が来た時に、母ではなく、千里が出るのは、NHKとかが来た時に
「今、お母さん居ないので分かりませーん」
と言えるようにするためである!
 

「中学に入るのって、あんただよね?」
「あ、はい」
「やはり。だったら、こっちで良かった」
と言って、紙袋を千里に手渡す。
 
あれ?卒業式の後じゃないの??
 
「いや、うちの父ちゃんがさ、村山さんの息子さんが中学に入るから、仁志の着てる学生服を卒業したら譲ってやってよと言うもんだからさ。でも村山さんとこは、ふたりとも娘さんだったと思って。あんた女の子だよね?」
 
「一応女のつもりですが」
 
「良かった良かった。父ちゃん勘違いしてるよ。これ美加が着てた制服だけど、あんたウェスト細いけど、アジャスター詰めればなんとかなるかもしれないしあげるね」
 
「ありがとうございます!」
 
「だいたい、仁志の服があんたに着られるわけない。加護亜依が KONISHIKI の服を着るような状態になるよ」
 
なんか、安室奈美恵→渡辺徹より、グレードアップしてる!?
 
「どうしてもあんたが着るなら、あんたが3人必要だね」
「あはは、三つ子だったら、何とかなったかも?」
 
それどうやって歩くんだ!?
 
千里は紙袋から取り出してみたが、S中の女子制服が、夏服・冬服ともに上下入っている。千里はじわっと涙が出て来た。
 
「ほんとに助かります。うち貧乏だから」
「まあ貧乏はお互い様だけど、助け合える所は助け合っていこうね」
「はい、本当にありがとうございました」
 
それで神崎さんは帰って行った。
 

「結局セーラー服をもらったんだ!」
と、最後まで顔を出さなかった母が言う。
 
「着てみようかな」
「うん」
 
それで着てみると、胸とか、お尻にも余裕があったが、ウェストがかなり余る。でもアジャスターをいちばん短くしたら、何とかなった。
 
「じゃ私この服で通う」
「分かった」
「ふーん、姉貴やはりセーラー服で中学に行くのか」
「当然」
 
「でも夏冬もらっちゃったから、7万くらい助かった。だったら体操服と通学用の靴は私が買ってあげるね」
と母は言った。
 
待て。それは母としては私が出すことになっていたのか!?
 

母は「でも父ちゃんにあんたが学生服着てる所の写真見せなきゃ」と言って、ネットで女子用学生服!?(コスプレ用??)を注文していた。なんと上下3000円である。それ1度着ただけで破れたりして。布じゃなくて不織布とかではないよね?
 
神崎さんから美加さんの着ていたセーラー服を頂いたのが2月3日(月)だが、通販で頼んだ学生服が届いたのは2月13日(木)になった。千里は不本意ながら、その“女子用学生服”を着て写真に写った。一応布でできてるけど薄い!!こんなの冬には着られないぞ。学生服の下には、こないだの日曜日に買ったブラウスを着ている(千里の身体に合うワイシャツは存在しないと思う)。
 
「物凄い違和感がある」
と玲羅が言っていた。
 
「まあ私には男装は無理だね」
と千里は言った。
 

しかし2月14日(金)に帰港して、学生服姿の千里の写真を見た父は満足していた。
 
「あれ?息子さんはもう卒業したんだっけ?」
と父が言っているので、母が
「もう受験準備であまり授業無いんじゃないの?」
と言うと納得していた。
 
(いくら授業が少なくてもふつうは卒業式で着るはず!)
 
「しかしお前のこの長い髪は気持ち悪い。俺がバリカンで刈ってやる」
などと言っていたが
「入学式前に髪切りに行くよぉ」
と千里は言っておいた。
 
しかし父が寝てから母は言った。
「あんた、女子としてもその髪の長さは違反」
 
「うん。入学式前に美容院に行って違反にならない程度まで切ってもらうよ」
と千里は言った。でもロングヘアをもう3年くらい続けていたので、寂しいなあと思った。まあ男子の長さまで切らずに済んだのは良かったけど。
 

2月10日(月).
 
S中学校・校長名で、入学案内が送られてきた。
 
下記の日程で入学式を執り行います。都合により式に出られない場合はできるだけ3日前まで、病気などで急な場合は当日午前中までにS中学校にご連絡下さい。
 
入学式日時 平成15年4月7日13:00
場所 留萌市立S中学校体育館
氏名 村山千里(むらやま・ちさと)
生年月日 平成3年3月3日
性別 女
 
当日は制服着用の上、内履きと体育館シューズを持参し、この入学案内を受付にご提示下さい。
 

千里は入学案内にちゃんと「性別・女」と記されているのを見て、じわっと涙が出て来た。
 
母はまた溜息をついていた!
 
翌日の2月11日(火・祝)。母は指定店に千里を連れて行き、千里の今のサイズより少し余裕がある女子用体操服上下(取り敢えず冬用)を買ってくれた。
 
この時期になったのは入学案内を待っていたのと、“カードの締め切り”を過ぎてからにしたかったのがあったようである。
 
体操服の男子用・女子用は外見は変わらないのだが、女子用は胸に余裕があるのと、その胸の部分の下着が透けにくいようになっている。男子用よりやや値段が高めなのに母はぶつぶつ言っていた。制服にしても、女子はどうしてもお金が掛かるようになっている。
 
なお、靴や通学用のカバンは「華美でなく常識的なものなら」自由ということだったので、千里があとで自分で買うと言った。
 
NGなものの例:−
 
・パンプス
・サンダル・ミュール
・スリッパ
・木靴
・ガラスの靴
・かんじき(積雪の多い日を除く)
・スキー靴(通学にスキーが必要だった場合を除く)
・スケート靴
・スパイクシューズ
・靴底に金属製の板や鋲で補強がされている靴
・草履・下駄
・地下足袋
・安全靴・安全長靴
 
・高級ブランドバッグ
・風呂敷
・ランドセル・幼稚園カバン
・魚籠(びく)
・ジュラルミンケース
・海外旅行用大型トロリーバッグ
 
なんか半分はジョークで書いてるのでは?という気がした。ガラスの靴とか絶対ふざけてる!
 

2月12日(水).
 
「今日はブラジャーの日らしいよ」
と言っている子がいた。
 
「212がブラジャーの形に見えるから?」
「アメリカだかフランスのマリーさんだかキャロルさんだかという人がブラジャーの特許をとった日らしい」(*2)
「語呂合わせ系ではなかったのか」
 
「でもさすがにうちのクラスも、ノーブラ女子は居なくなったかな」
「まだジュニアブラの子が多いけどね」
 
そんな話をしていたら、沙苗がじっとこちらを見ているのに数人が気付く。
 
「沙苗(さなえ)ちゃんも女の子なら、ちゃんとブラジャーつけないとダメだよ」
「えーっと・・・」
 
「沙苗(さなえ)はブラ着けてるよ」
と玖美子がバラしてしまう。
 
「何〜!?」
と言って、数人が沙苗の胸に触る。
 
「ほんとに着けてる!」
と言われて、彼(彼女?)は真っ赤になっている。
 
「これサイズは?」
「A80。ジュニアブラは入らなかった」
「ああ。アンダーが足りないよね」
 
「待て。“入らなかった”って試着したのか?」
「試着はしてない。売場のお姉さんに測ってもらった」
「おお、ちゃんと測ってもらって買ったんだ?」
 
「沙苗、体育や部活の時、女子と一緒に着替えない?」
と言われると、また彼(彼女?)は顔を真っ赤にして俯いている。
 
最近、沙苗は体育の時間や部活で着替える時、移動黒板の裏で、他の男子には見えない所で着替えているらしい(沙苗なら女子更衣室に来ても“検査の上”容認されると思う:彼(彼女?)は足のむだ毛は剃ってきれいにしてるし、ショーツ姿になっても変な形は出ない←どう処理しているのかは不明)。
 

(*2) アメリカの Mary Phelps Jacob が1913.2.12にブラジャーの特許を出願した(1914.11.3成立)。ブラジャー(brassiere)というのは古いフランス語で、上腕部を意味する単語であったらしい。この単語自体はこの特許出願より少し前から使用されていたが、初期のものはむしろ現在のキャミソールに似たものであった。ジェイコブが特許を取ったものはハンカチ・ブラのようなものであったが、これはあまり受け入れられず、ブラジャーが広まったのは、1920年代になって、コルセットの上部のみ切り取ったタイプが女性たちの間で広まってからである。
 
第一次世界大戦で、金属を軍需物資の生産に優先的に回した結果、コルセットの生産が困難になった。また、戦争に男性が取られて、それを補う形で女性が社会進出したが、仕事をする女性にコルセットは辛かったことから、いわば略式のコルセットであるブラジャーが受け入れられたのである。
 
つまりブラジャーの普及は第一次世界大戦と密接に関わっている。
 

2月13日(木).
 
照絵は、龍虎を1歳半健診に連れて行った。最近、龍虎を外出させると、たいていちんちんが紛失(?)しているので、この日は開き直って、女の子の服を着せて連れて出た。
 
実際問題として、龍虎の前に男の子の服と女の子の服を並べて
「どっち着る?」
と訊いたら、
「こっち」
と言って、キティちゃんのロンパースを選んだ。それでそちらを着せて出て来たのである。おんぶ紐でしっかりとおんぶし、自転車で保健所まで行く(駐車場が狭いので車で行くと駐め場所に困る)。
 
市から来た案内状を見せて中に入り、問診票を提出。身長・体重などを測定する。更に聴覚・視覚の検査(音や光に反応するか)、言葉の出具合なども検査する。
 

保健師さんが
「この人は誰?」
と照絵を指すと、龍虎はハッキリとした発音で
「ママ」
と言ったので、照絵は涙が出る思いだった。他に、色々な絵を見せると龍虎は
 
「わんわん」
「にゃんにゃん」
「ぱんら」
「ぶーぶー」(自動車)
「ちんちん」(電車!)
 
などとちゃんと答えるので、
 
「言葉はわりとしっかりしてますね」
 
と言われる。更に龍虎は
 
「ぴあの」
「ぎたぁ」
「どらむ」
「ばいりん」
「ふると」
 
などと楽器の名前を言えた(ボールとかバットとかは言えなかった)ので
「音楽環境がいいみたいですね」
と言われる。
 
「私も夫も音楽家なので。よく家にある電子ピアノとか触ってるんですよ。色々な音が出るから楽しいみたい」
と答えると
 
「いい環境で育ってるみたいですね。きっとこの子も音楽家になりますよ」
と保健師さんは笑顔で言った。
 

服を脱がせて裸にし、背骨が曲がってないか、足腰の発達状態、などを目視する。それから、性器の発達状況も見るが、ここで保健師さんは言った。
 
「あら、この子男の子だったんですね。キティちゃん着てるし凄く可愛い顔してるから、女の子かと思った」
 
ん?と思って龍虎のお股を見ると、今日は、ちんちんがある!
 
もうどっちでもいいや!と照絵は思った。
 
「すみませーん。この子、可愛いのが好きみたいだから」
「こんな可愛かったら、むしろこういう服のほうが似合いますよね」
「本人が女の子になりたいと言ったら、認めてあげてもいいし」
「ああ、むしろ女の子にしてあげたいくらい可愛いですね」
 
などと保健師さんとは会話した。(今日の龍虎は嫌そうな顔をした)
 

保健所が終わってから、照絵はボックスヒル松戸店(現アトレ松戸店)に寄り、チョコレートを買った。
 
「あの人、帰ってこないだろうし」
と思い、チョコの大袋も買う。
 
そして、いったん自宅に戻ると、龍虎のおむつを交換(またちんちん紛失中!)してから、自分の車(スズキ・カルタス:チャイルドシートはいつも設置している)に龍虎を乗せ、東京まで走る。青山の★★スタジオの地下駐車場に入れ、夫にメールする。
 
英世は10分くらいで降りてきてくれた。
 
「仕事中ごめんね。龍虎を1歳半健診に連れて行って、帰りにボックスヒルに寄ったから」
と言い、英世に買った2000円の高級生チョコ、そして
「こちらは皆さんで」
と言って、チロルチョコ100個入り(義理チョココーナーにあった)を渡した。
「たくさん入ってるね!」
「何人いるか分からなかったから」
 

それで英世がスタジオに戻り、チロルチョコを出すと
「これは凄い」
と言う声があがった。
 
早い者勝ちで取っていたら、スコア見ながら悩んでいた高岡の口には1個も入らなかった!(声を掛けるのが悪いような感じだった)
 
きれいに無くなってしまってから
「あれ?チョコがあったの?」
などという。
 
「仕方ないから私のあげる」
と言って夕香がコーヒーガナッシュを1個だけくれたのを食べていた。
 
その1個だけ渡されたコーヒーガナッシュを食べている高岡を見て、夕香が“青いボールペン”で、唐突に紙に詩を書き始めた。
 
みんな静かに見守る。
 
夕香が書き上げたのは『空っぽのバレンタイン』という詩で、上島はこの詩に早速曲を付けた。この曲はワンティスの演奏・保坂早穂の歌でシングル化され、4月2日(水)に発売された。
 
コラボ作品なので、ワンティスのCDとしてはカウントされておらず、クレジットは“保坂早穂 with ワンティス”である。しかしこの曲は140万枚を売るビッグ・ヒットとなり、年末のRC大賞の金賞に輝く。
 
(賞状は代表して早穂が受け取った。早穂は自分の所にはカラーコピーを残し、原本を上島雷太に渡した。なおこの年のRC大賞は松原珠妃『黒潮』)。
 
一般にワンティスはデビュー以来8連続ミリオンと言われるのだが、実はこのシングルも入れると9連続ミリオンになる(セールス的にも『秋風のヰ゛ォロン』、『紫陽花の心』に次ぐ売上3位)。
 
そしてこの曲は、保坂早穂にとって(2021年時点で)最後のミリオンとなった。
 

2月15日(土).
 
いつものメンバーが今日は蓮菜の家に集まった。一応“勉強会準備会”という名目である。この日は美那が「途中で会ったから」と言って留実子も連れてきていた。もっとも留実子は
「ぼくは勉強とか分からないから、みんな頑張ってね〜」
などと言って、蓮菜の部屋にあった『おたんこナース』を読んでいた。
 
勉強会の方針については、蓮菜・玖美子の“トップ2”会談でだいたい決まる。
 
「じゃ進研ゼミの中学コースをベースにして、それに適宜問題集を加えていくという方式で」
 
「それで行こう、それで行こう。まずは基礎学力を上げることが大事だと思う。多くの受験の失敗は、基礎を固めずに入試問題ばかり解くことなんだよ」
と蓮菜が言うと
 
「基礎ができてないのに難しい問題やってたら受験テクニックをあげるだけ。それより基礎力を底上げしないと、何とか入試に合格しても、高校の授業に付いていけないよ」
と玖美子も言う。
 
「ところでみんなバレンタインは渡したの?」
と恵香が言うと、話はそちらに完全にシフトしてしまう。
 

美那はS中スキー部の藤代君、恵香はS中野球部の広瀬君に渡したらしいが、どちらも女子に人気の子だから、きっと向こうはチョコをくれた女の子をいちいち覚えていない。
 
「沙苗(さなえ)がさぁ」
と恵香は言った。
 
「S中の野球部が練習してるグランドのそばでモジモジしてたのよ」
「ん?」
「もしかして誰かにチョコ渡したいの?と訊いたら、あの子、真っ赤になって広瀬君に渡したいけど勇気が無いというからさ」
「おぉ」
 
「一緒に渡そうよ、と言って手を握って連れてって、私に続けて渡した」
「それは良いことをした」
 
「広瀬君には20人くらいの女の子が渡してたから、私のことも沙苗のことも覚えてないだろうけどね」
「でもバレンタイン渡すとか、あの子もだいぶ女の子としての自覚が出てきたね」
 
「沙苗(さなえ)、どんな格好してた?」
「赤いセーターに赤緑チェックの巻きスカート穿いてたよ。だから広瀬君は普通に女の子だと思ったと思う」
 
「あの子は、女の子の服を着ればちゃんと女の子に見えるよね」
「それで学校にも出てくればいいのに」
「ほんとほんと」
 
「こないだの中学の説明会には女の子の服で来てたのに」
「学校外ではわりと着れるらしい」
「それは変だ」
と美那などは言っていたが、その気持ち分かると千里は思った。
 
「でもあの子、自身が下級生の女の子から3つもチョコもらってた」
と玖美子が言う。
 
「ああ、実態を知らないと、美形男子に見えるからなあ」
「性格も男子として見ると優しいしね」
「ある意味、気は優しくて力持ち」
「理想の男子じゃん」
「問題は、ずっと男のままでは、いてくれなさそうなことかな」
 

留実子は鞠古君に、蓮菜は田代君にちゃんと渡したようである。どうも蓮菜はついでに一晩一緒に過ごしたようだが、ふたりの交際は双方の両親も認めているので、避妊だけはしっかりするよう言われたようだ。
 
2人は高校を卒業したら結婚してよいと言われている。蓮菜は医師志望なので、実際大学在学中に結婚してしまわないと、医師研修を終える29歳まで結婚のタイミングが無くなってしまう。蓮菜自身、大学在学中に1年休学して子供を産むつもりでいるようである(育児は主として田代君がすることになる!)。
 
「千里も晋治君に渡したんでしょ」
「郵送しといたよ」
「会わなかったの?」
「3月1日に会う約束した」
「その時、もうセックスしちゃいなよ」
「え〜〜?」
「だって見ててじれったいんだもん」
「2年も付き合っててキスもしてないとかさぁ」
 
と煽られたが、実際には千里は晋治とこれを最後のデートにすることにしていた。晋治はそれに“同意”はしていないが“否定”もしないので、千里はそれを返事と受け取っていた。
 

2月28日(金).
 
“卒業生を送る会”が行われた。
 
5年生の鼓笛隊が演奏する『地上の星』の演奏に合わせてN小体育館に6年生が入場する。開会の言葉の後、1年→2年→5年→4年→3年の順に、主として歌や楽器演奏のパフォーマンスがあった。この微妙な順序は、鼓笛隊をする5年を真ん中に置いて、準備時間を作るためである。
 
1年生(歌)さんぽ・ちゅうりっぷ
2年生(器楽)ドレミの歌・はるがきた
5年生(歌)亜麻色の髪の乙女・ソーラン節
4年生(器楽)さくらさくら(歌)みどりのそよ風
3年生(器楽)ミッキーマウスマーチ(歌)パフ−魔法のドラゴン
教職員(器楽)主よ人の望みの喜びよ(歌)花(瀧廉太郎)
 
最後に6年生がお返しで「わかれ(ドイツ民謡)」「夢で逢えたら」を歌い、閉会のことばで終了となる。そして5年生の鼓笛隊が演奏する『ヤングマン』の演奏にのせて6年生は退場した。
 

この日の服装は「くだけすぎないものなら」自由ということだったのだが、千里は黒いワンピースを着て参加した。「おお、すごいすごい」とみんな感心していた。でも他にも数人、黒ワンピの子は居た。
 
留実子は学生服!で参加していた。
 
「その学生服はどうしたの?」
「これ兄貴のお下がり」
「よく、るみちゃんに入ったね!」
「兄貴はウェストが細くてヒップの大きな女性体型なんだよ。だから標準の学生服を自分の身体に合うように裁縫して調整してるんだよね。それでぼくでも着られる」
「へー、すごい」」
 
「それで中学に通うの?」
「先生に叱られるだろうなぁ」
と留実子は悲しい目をした。一応セーラー服はお母さんのお友だちの娘さんから譲ってもらえるらしい。その娘さんはバレー選手で背が高く、留実子でも着ることができるだろうということだった。
 
千里の家より更に貧乏な、留実子の家で、新品のセーラー服を買うのは辛すぎるだろうからなあと千里は思った。
 
でもあれ!?
 
そういえば、るみちゃんのお兄さんって、どんな人だっけ?と千里は疑問を感じた。留実子が転校してきたのは3年生の12月で、私、この3年間に何度もるみちゃん家(ち)に遊びに行ってる。でも、お姉さんには何度か会ってるけど、お兄さんには会ったことないぞ!?旭川かどこかの中学にでも行ってるんだっけ??
 

卒業生を送る会が終わった後の3月1-2日(土日)、千里は旭川に出た。美輪子のアパートに1泊して、旭川で少し買物をしたかった。また1日は晋治と最後のデートをした。
 
2人は旭川駅で落ち合い、旭山動物園を散策し、最後は美輪子のアパートに行った。美輪子が気を利かせて外出してくれたので、ふたりはお部屋でいろいろお話しした。キスもし、抱き合ったので、このまま“しちゃっても”いいよね?と思ったのだが、そこで晋治はブレーキを掛けてしまった。
 
彼は二股していたことを正直に告白した。でも今日は千里だけを自分の恋人と思うと言ってくれた。結局は、二股しているという負い目が晋治にブレーキを掛けてしまったようにも感じた。やはり“普通の女の子”の方がいいのかなぁ?と千里はコンプレックスを感じた。そしてそのまま別れた。
 

美輪子は彼を下宿先まで車で送り届けてくれたが、戻って来てから
「晋治君、今夜ここに泊まっていくのかと思ったのに」
などと言っていた。
 
「でも今日で別れたんだよ」
「なんで?いい男なのに」
「でも今も他に彼女いるし、付き合ってたら多分しょっちゅう浮気に悩まされると思うし」
と千里はこの時言った。
 
なお、美輪子には、性別が訂正された住民票を見せた。
「ちゃんと女の子になったんだね。おめでとう」
と言ってもらい、千里は涙が出た。
 

翌日、3月2日は、まだ買っていなかった通学用品を旭川の町で買った。
 
通学用バッグは実用的なリュックサックにする。軽登山にも使えそうな、7000円のかなりしっかりしたものを選んだ。こういう品を母に買わせると500円くらいの安物を買い、教科書やノートの重みに耐えられずにすぐダメになると思ったので自分で買うと言ったのである。サブバッグとしては防水性のあるファスナーで口を閉じられるトートバッグを買う。これも3000円した。バッグだけで1万円だ。サブバッグも母に買わせると絶対100円ショップので済まされる。
 
そして千里はスポーツ用品店に行き、通学用に、8000円するミズノのジョギングシューズ、そして同じくミズノのスポーツブラのしっかりしたものを売場のお姉さんにサイズを測ってもらって3着購入した。代金はシューズと合わせて3万円を越える。やはり私、金運よくないみたいと思う。
 
それでレジで精算してお店を出ようとした所で
《スポーツウォッチ旧型売り切れ御免セール》
という看板を見る。
 
ん?旧型?安くなってるのかな?
 
と思って寄って見る。実は腕時計が欲しいとは思ったものの、どこで買うか悩んでいたのである。先日友人たちとも話していたのだが、家電量販店や大型スーパーの時計コーナーに並んでいるのは安い輸入品が多く、とにかく壊れる確率が高い。時計専門店に行くと“万”の単位のものばかり。で、ひとつの穴場としてコンビニという手もある、という意見も出ていた。
 

「あ、これ可愛い!」
と思ったのがピンクがかった白のデジタル時計である。メーカーはカシオだ。カシオなら品質は間違いない気がする。価格は3980円が半額で1990円になっている。なんて素敵なお値段。
 
スタッフさんが寄ってくる。
 
「スポーツウォッチをお求めですか?」
「いえ、腕時計が欲しいなと思っていただけで」
「何かスポーツなさいます?」
「ソフトボールを少々」
「でしたら、ベビーGとかいかがですか?丈夫だから。ウォーミングアップ中とかも着けておけますよ。少々ぶつけても平気ですし」
 
と言われたのを見ると28,000円のが半額で14,000円になっている。ちょっと予算オーバーかな。シューズとかブラとか高いの買ったし。
 
「ちょっと予算オーバーだし、こちらでいいかなあ」
と千里は今見ていたのを指さす。
 
「ああ。それもわりといい製品ですよ。でも電波時計ではく普通のクォーツなので、使っている内にどうしてもくるいますね」
 
「どのくらいくるいます?」
「月に20秒くらいです」
 
「あ、全然問題ないです。やはりこちら買います」
「分かりました。お出ししますね」
と言って、スタッフさんはガラスケースから出してくれた。
 
これを買ってスポーツ用品店を出た。
 
このカシオのスポーツウォッチは、これから約5年間使用することになる(その後もサブウォッチとして22歳頃まで使用した)。
 
他に、書店で英和辞典・和英辞典・国語辞典・漢和辞典・古語辞典を買う。これは蓮菜から教えてもらった、お勧めのものを購入した。更に100円ショップでノートやシャープペンシル・ボールペン・マーカー・筆入れ・定規などまで買っているとこの日1日だけで、使ったお金は6万円を超えた。
 
やはり入学準備だけでもかなりのお金が掛かるなと思った。
 
この日の夕方のバスで留萌に戻った。
 

3月3日(月)は、ひな祭りで、千里の12歳の誕生日でもある。ひな祭りなので、学校が終わった後、いつもの年と同様に、段飾りの雛人形が飾られている蓮菜の家に集まった。この時に集まったのは、こういうメンバーである。
 
蓮菜、恵香、美那、沙苗、千里、玲羅、小春、小町。
 
この日は千里が玲羅に小振袖を着せた。そして自分は、またワンタッチ振袖を着てきたのだが、沙苗が普通のセーターとジーンズで来ているのを見ると
 
「沙苗(さなえ)ちゃん、中学になったら髪切らないといけないでしょ?今の内に振袖を着なさい」
と言って、千里は自分が着ていた振袖を沙苗に着せた。
 
「可愛い!」
という声があがり、沙苗は照れていたが、物凄く嬉しそうだった。
 
千里は蓮菜に服を借りて、セーターにロングスカートを穿いた。
 

「沙苗(さなえ)は4月までに髪を切るのではなく、ちんちんを切って女の子になれば、セーラー服を着られるのに」
 
「ちんちん切りたーい、セーラー服着たーい」
「なんならみんなで押さえつけて、ちんちん切り落としてあげる?」
「私、医療用メス持ってるよ」
 
なんて危険な物を持ってるんだ?
 
「待って。麻酔とか掛けてくれるよね?」
「そんな上等なものは持ってない」
「すみません。遠慮します」
「命より、ちんちんの方が大事なんだ?」
「そういう訳じゃないけど」
 

でも、女の子できる最後のチャンスかもというので、みんな沙苗の記念写真を撮ってあげた、むろん全員並んだところを、蓮菜のお母さんに頼んで撮影してもらった。
 
例年通り、千里の母が差し入れてくれたケーキを今年の参加人数8人で8等分して皿に盛り、白酒代わりにカルピスで乾杯して、食べる。
 
「あ、そういえば千里、ハッピーバースデイ」
「ハッピーバースデイ」
「さんきゅ、さんきゅ」
 
「千里はセーラー服で通学するんだよね?」
「当然」
「凄いなあ」
と沙苗が言っている。
 
「小学校の書類が性別女になっているから、ちゃんと中学でも女で行ける」
「ほほぉ」
 
「ほら、私の入学案内」
「おぉ!ちゃんと性別女と書かれている」
「だから全然問題無い」
 
「るみちゃんは残念だったね」
「るみちゃんには、学生服持って来て、昼休みとか放課後はそれを着ておきなよとか唆そうと思っている」
「それは良いことだ」
 
「応援団にも入りたいとか言ってた」
「あの子だったら入れてくれる気がする」
「するする」
 

「そういえば3月3日は耳の日だね」
「ああ、語呂合わせの記念日ね」
 
「なんかたくさんあるよね、その手の」
 
「3月2日ミニの日、3月3日耳の日、3月4日サッシの日、3月5日珊瑚の日、3月7日サウナの日、3月8日ミツバチの日、3月9日サンキューで“ありがとう”の日、3月10日砂糖の日、3月12日財布の日、3月13日サンドイッチの日、3月14日円周率の日」
 
「ほぼ毎日何かあるな」
「そんなの誰が決めてるの?」
「別に誰も決めてない。誰かが言い出して、それが定着すれば記念日として残る。実際、誰も何もイベントをしない、幽霊記念日も多い」
 
「だろうねー」
 
「それどころか、いくつか存在する記念日掲載サイトに名前は見るものの、実際どういう趣旨の記念日か誰も知らないという、幽霊未満、残像みたいな記念日もある」
 
「提唱した本人も忘れてたりして」
 

「3月8日は僕たちの結婚記念日だよ」
と高岡は言った。
「それはいいけど、いい加減私を入籍して欲しいんだけど。龍虎も」
「ごめーん。来年くらいには必ず」
 
この時期高岡が考えていたのは、自分はたぶん今年中か来年春くらいまでにはワンティスのボーカルを首になりそうな気がする。だから、そうしたら、実は結婚して子供もいることも発表し、夕香と2人のバンドを作ろうという線だった。
 
1年くらいはどこの事務所も契約してくれないしテレビ局も出演させてくれないだろうけど、この業界ではだいたい1年経てば、前所属事務所も許容的になることが多い。現在は、★★レコードの制作部長から直接釘を刺されていたので、ワンティスに居る限りは結婚を公表できない気がしていた。高岡はこのことを誰にも話していない。
 
「来年ねぇ。それに龍虎の出生届けも早く出したいし」
「それもごめーん。でも当日はデートしようよ」
「まあいいけどね」
 
それで当日、2人は朝からまずは松戸市の志水家を訪ねる。この時、夕香はお気に入りの青い振袖を着ていた。高岡はダンヒルのスーツを着ていた。
 
「2人揃って、いらしたの久しぶりですね!」
と照絵に驚かれる。2人は龍虎を抱っこしたり、高い高いして遊んであげたりしてから、照絵と一緒にケーキを食べた。龍虎にもプティケーキをあげたが、服がひどいことになって着替えさせた。
 
「でもどうなさったんですか?」
「今日は僕達の結婚記念日だから」
「そうだったんですか!おめでとうございます」
 
それで2人は1時間くらい龍虎と戯れてからマンションを出た。
 
照絵は高岡が置いていった龍虎へのプレゼントがシナモロールの絵が入ったピンクのロンパースなので「うーん・・・シナモロールは一応男の子かな?」などと悩んだ。
 

ふたりは高岡のポルシェ(*3)に乗り、予約していた六本木のレストランに入った。そして冷酒で乾杯してから(←飲酒運転する気満々)、予約していた、お雛様ディナーを一緒に楽しんだ。
 
この冷酒で乾杯した時、自分たちを嫉妬するような視線で見ていた小学生の少女(冬子)がいたことに、2人とも気付かなかった。
 
そして冬子が生前の高岡を目撃したのは、これが最後になった。
 
(*3) 事故を起こした時の車体ではなく、その前に乗っていた 996 カレラ・カブリオレ(Carrera Cabriolet) である。この年の12月に 40th anniversary edition を買う時、下取りに出した。その車体の行方は誰も知らない。
 

2003年3月12日(水).
 
WHOは、新型コロナウィルスによる感染症 "SARS" に関する Global Alert (世界的警告)を出した。
 
また先月、国際線飛行機の機内で1人のアメリカ人ビジネスマンから大量感染(スーパー・スプレッド)が起きていたことが明らかになった。
 
彼は深圳(シェンチェン)(**)からシンガポール行きの飛行機に乗っていたが、機内で風邪症状を起こし、途中ベトナムのハノイで下ろされた。そしてこの飛行機に乗り合わせた多数の客が同じ病気に感染して、各々の行き先で感染源となる。
 
(**) 深圳。日本では一般に「しんせん」と日本語読みの名前で定着しているが本当はシェンチェン。香港の隣。↓に出てくる廣州も深圳の隣。
 
このアメリカ人(数日後に死亡)の症状が極めて特異であったため、偶然現地ハノイに居たイタリア人医師が呼ばれた。彼はこれはとんでもなく重大な新しい病気であることに気付き、ベトナムの政府機関を通して中国政府との激しいやりとりの末、中国側は渋々、中国国内で重大な状況が起きていることを認めた。実は、それ以前にも報告は出ていたが全て中国語だったため、欧米で気付いた人は少なかった。そしてこの医師の働きによりWHOが警告を出すに至ったのである(このイタリア人医師自身も命を落とすことになる。またこの病院のスタッフも多数が犠牲になった)。
 
もうひとつのスーパー・スプレッドが同時期に、香港のホテルで発生していた。このホテルには廣州(カンチョウ/こうしゅう)の病院で患者を診ていた医師が滞在しており、彼と同じフロアに宿泊していた外国人16人がSARSに感染。各々が自分の国に帰国して、それぞれの国での感染源となってしまったのである。
 
このようなスーパー・スプレッドの発生は一種の社会的パニックを引き起こした。この後、旅行(特に海外旅行)を控える人、出張を減らす会社が急増。特に密閉性の高い飛行機は避けられるようになった。
 
SARS自体は2003年7月に抑え込みに成功したものの、しばらくは旅行控えの傾向は続き、交通業界、特に航空業界、そして旅行業界は、深刻な不況に陥っていくことになる。
 
(筆者も2003年5月に東京に行く用事があって、飛行機で行くつもりだったのを新幹線に切り替えている。換気の良い、入口そばの席を確保して行った)
 
旅行代理店を経営していた青葉の父はこのあおりで会社が倒産。莫大な借金を抱え自身も破産に追い込まれる。そしてこの後“よく分からない商売”(青葉の母の話)をするようになり、自宅にもほとんど帰らなくなる。それが2004年頃(青葉は小学1年生)になる。
 

3月17日(月).
 
千里たちの学校では、この日今学期最後の体育の授業、つまり小学校で最後の体育の授業が行われた。この日、着替えている時に、また優美絵のブラの変化に気付いた子がいた。
 
「ゆみちゃん、凄いブラしてる」
「うん。これ昨日、北広島のスポーツ用品店で選んでもらったスポーツブラ。中学になったら、やはりしっかりしたスポーツブラ使わなきゃといって買ってもらった。1枚6500円した」
 
「きゃー」
「るみちゃんが着けてるのと似たようなクラスのだと思う」
「ああ」
「でも、ゆみちゃん、バスト自体が大きい」
「うん。普通のブラはC60に替えた」
「C!?」
 
女子たちの間に悲鳴に似た声があがる。
 
「Cショックだぁ」
と言っている子たちがいた。
 
「ゆみちゃん、修学旅行の時まではノーブラだったのに」
「ほんと、こんなに急成長したら、動きにくくて動きにくくて。だからスポーツブラ買ってもらったんだよ」
 
(ゆみちゃんのバストの劇的Before/After)
 

この日は校庭のコンディションが悪かったので、体育館でサッカー(フットサル)をしたのだが、スポーツブラのおかげで、優美絵は大活躍でハットトリックを達成した。
 
「スポーツブラにはスポーツブラでないと対抗できない気がする」
という声があがっていた。
 
このクラスでスポーブラをしていたのは優美絵以外には、千里・留実子・玖美子の3人だけで、この3人も大活躍だった。留実子は4得点、千里と玖美子も2得点である(千里がゴールキーパーをすると相手チームは得点不能!なので今日の千里はフォワードであった)。
 
 
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【少女たちの卒業】(2)