【娘たちの収縮】(2)

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2012年4月9日(月).
 
彪志の大学の入学式が千葉ポートアリーナで行われた。彪志は母に買ってもらったスーツで式に出席した。
 
学長の話を聞きながら、彪志は一昨日青葉を抱いた感触を思い起こしたりしていた。
 
青葉は7日に高岡から出てきて、ふたりでディズニーランドに行きたくさん遊んだ。そして一晩一緒に過ごした後、8日にはお昼を桃香・千里と一緒に食べ、8日午後は4人でのんびりと桃香のアパートで過ごした。
 

8日、千里は実は日本代表候補の合宿をしていて、この日は最終日だったのだが、お昼前に電気系統の故障(?)からフロアが使えない状態になってしまい、練習は終わってしまった。それでこれ幸いに彪志・青葉たちに会いに行き、青葉・彪志・桃香・千里の4人でお昼ごはんを食べた後、午後は桃香のアパートでのんびりと過ごした。
 
夕方、青葉と彪志が一緒にアパートを出て東京に向かう。それで桃香は季里子のアパートに帰るということだったので、ディオチェスタを貸し、千里本人は《きーちゃん》に転送してもらって《すーちゃん》と入れ替わりで江戸川区のマンションに行き、そこで作曲作業をした。
 
明け方、少しアイデアに詰まったので、ドライブでもしてこようと思い、マンション近くの駐車場に行く。ここにはインプレッサが駐まっている筈であった。
 
この時期、千里はこの江戸川区の駐車場と千葉市内中心部近くの駐車場の2つを借りていて、片方にインプレッサ、片方にZZR-1400を駐めていることが多かった。ところがこの日、駐車場に行ってみると、自分の駐車枠の所に異様な物がある。
 
「何これ〜〜〜!?」
と思わず声をあげる。
 
そこには見たことの無い軽バンが駐まっているのである。何やら貼り紙がしてある。
 
「千里へ。喜べ。これを中身ごと君にプレゼントする。インプレッサはイオンに駐めておいた」
 
「こんなのをプレゼントって、一体何させるつもりなのさ〜〜〜!?」
 

取り敢えず車を見てみると、ダイハツ・ハイゼットである。鍵は掛かっていない(盗まれたらどうするんだ?)ので開けてみると、ギョッとする。
 
車内にバイクが1台入っているのである。
 
そのバイクをチェックすると、カワサキのNinja ZX600Rである。昨年秋に“もらった”ZZR-1400の弟分のようなバイクだ。ところがよく見ると、ミラーが取り外されている!取り外したミラーは傍の箱に入れられているのだが、箱の中をよく見ると、スタンド、ウィンカー、タンデムステップも取り外されているようである。こんなのを取り外したまま走行することはできない・・・・
 
と思っていて気がついた!
 
これはサーキットで走るための設定だ。
 
よく見るとライトにもテーピングが施されている。サーキットでバイクを走らせる場合、ミラーやライトは割れて飛散すると危険なので取り外したり、テープを貼ったりするのが基本である。先日富士スピードウェイでインプレッサを走らせた時もテーピングをした。
 
要するに・・・・これでサーキットを走れということで、この状態のバイクは公道は走れないので、このハイゼットで現地まで運んでいけということか!
 
何て親切な。
 
他に段ボール箱が置いてあり、中を見ると、レーシングスーツ、グローブ、靴、ヘルメットなどが入っている。どうもこれはバイク用の装備のようである。四輪用のレーシングスーツをオーダーした時に多分二輪用も同時にオーダーしてあったのだろうなと納得する。
 
あらためて運転席の方を見てみると、予約票を印刷したものがある。バイクの講習会の予約である。
 
日付を見てみると・・・・明日かい!?
 
日付は4月10日(火)、ツインリンクもてぎになっているのである。
 
やれやれ、今度は栃木か。
 
なお、インプレッサを長時間イオンに置いていたら叱られそうなので、朝になったら取り敢えず千城台の体育館へ移動しておいてくれるよう《きーちゃん》に頼んだ。
 

4月10日(火).
 
千里はZX600Rを載せたハイゼットを運転して常磐道を走り、水戸北SICを降りて30分ほど走り、栃木県茂木町(もてぎまち)の《ツインリンクもてぎ》にやってきた。
 
ここには5つのコースがある。
 
スーパースピードウェイ(2.4km)、ロードコース(4.8km)、マルチコース(600m), 北ショートコース(1km)、南コース(1.2km)
 
北ショートコースと南コースが主として講習などに使用される。今回の講習は南コースを使うという話であった。
 
バイクのライセンスは走る場所によって、サーキットを走るロードライセンス、オフロードのコースを走るモトクロス、オンロードとオフロードを複合したスーパーモト、バイクの操作技術を競うトライアル、そして未知のコースを走り、バイクが壊れたら自分で修理してまた走るという耐久レース?のエンデューロ、と分けられている。
 
千里が取りに来たのはロードレース国内ライセンスである。
 
これを取るには講習会の受講と3時間のスポーツ走行が必要である。
 
ロードレース国内ライセンスの上には、レースでの実績によって昇格する国内B級、国内A級があり、更にその上に国際B級、国際A級がある。また講習会を受けただけで取れるフレッシュマンというライセンス、更には誰でも申請するだけでもらえるエンジョイ・ライセンスというのもある。エンジョイは事実上、競技ライダーのための保険のようなものである。
 

今回の講習は平日ということもあり、参加者は8名である。男性6名と女性2名だった。もうひとりの女性は紅畑さんと言ってニンジャ250Rに乗っているということだった。
 
「わぁ。同じニンジャだ!」
「そちらは?」
「ZX600Rなんですよ」
「すごーい!私まだ大型二輪を取ってないんですよ」
 
この日は紅畑さんと女2人でおしゃべりしていると、どうも男性は近づきにくいようで、声を掛けてきたのは結城さんという人だけだったが・・・ナンパするような感じではないし、そもそも彼の“話し方”が特殊である。
 
「ね、ね、もしかして結城さんって、乙女ちゃん?」
「えへへ。分かります?」
「じゃ私たち“女3人”ということで」
 
彼(彼女?)はトイレは自粛して男子トイレを使用していた。
 

最初2時間ほど講義があり、その後、南コース(1.2km)に出てインストラクターの方が模範走行をしてくれる。それを見て各自走ってみて色々注意をされるのだが・・・
 
千里はほとんど注意されなかった!
 
「君、かなりサーキットで走っているでしょ?」
「いえ、バイクでサーキットを走ったのは初めてですが」
「ああ、峠とかを攻めるタイプ?」
「うーん。この1月に北海道の雪道を走った来ましたが」
「それはなかなかハードなことをしてるな」
 
1時間ほどの指導の後、講師の後に付いて南コースを走る。これはゆったりとしたペースで、基本を再確認するような走行となった。これをまず30分走り、休憩を挟んで再度30分走って講習は終了した。
 

休憩を挟んで、希望者だけ今度はロードコース(4.8km)に行ってフリー走行をする。これには6人が参加した。紅畑さんは入っていたが、結城さんは参加していない。これに参加しない場合は《フレッシュマン・ライセンス》を持ち帰ることになる。後日3時間のスポーツ走行をすればロードレース国内ライセンスにステップアップできる。
 
千里や紅畑さんは今日1日でそこまで取るつもりである。
 
このフリー走行は最初はみんな110km/h(一周2:36)くらいのゆっくりしたペースから始めたが、千里はすぐに120km/hに上げ、更に130km/h(一周2:13)に上げた。そして千里の後をずっと紅畑さんが付いてきた。男性4人の内1人CBR1000RRに乗っている人は最初から150km/hくらいで走っていたが、2人(YZF-R6,GSR250)は千里と似たようなペース(少し速め)、もう1人は本当の初心者のようで110km/hくらいで走り続けていた。しかし走行ラインが定まっているので、安心して抜いていくことができた。
 
1時間ほど走ってから休憩する。取り敢えずトイレに行くが、紅畑さんも一緒である!取り敢えずお互い感想など言い合った。
 
「さっきのペース辛くなかったですか?」
「まだ余裕がある感じでした」
「じゃもう少しスピードアップしてみましょうか?」
「ええ。そうしましょう。バイクであのスピード出すの何か物凄く気持ちいいです」
「私も思った!」
 
彼女は小さな声で言った。
「セックスより気持ちいいと思わない?」
「思った!」
 
それでお互い笑った。
 

昼食を取り、少し休憩した後で、2度目のフリー走行になるが、参加者は5人だけである。さっき低速で走っていた男性が午前中だけでリタイアしたようだ。また後日挑戦するのだろう。
 
今回千里は130km/hから始めて140km/hくらいまで上げて行く。紅畑さんはしっかり付いてくる。他の人もさっきよりペースが速めになっていて、CBR1000RRの人は170km/hくらい出ている感じだった。
 
1時間走ってからまた休憩する。そして3本目のフリー走行になるが、1人リタイアしたようで4人になった。高速走行しているCBR1000RRの人と、やや速いペースで走っているYZF-R6の人、そして千里と紅畑さんである。
 
(GSR250の人は体調が悪くなってリタイアし、しばらく医務室で寝ていたらしい)
 
この3回目のフリー走行では、CBR1000RRの人は180km/hくらいで走った。YZF-R6の人も170km/hくらい出しているが千里たちは、150km/hくらいで走り始めた。直線で160km/hくらいまで上げてみても紅畑さんは付いてくるので「このくらいまでは行けるようだ」と考えて、直線を160km/h, カーブを少し落として走った。
 
30分くらい走った所でYZF-R6の人がサンドに突っ込んでいるのを見る。
 
ありゃ〜と思ったのだが、彼はその後復活して走り続けて最終的にはちゃんと1時間走行を達成した。でもトラブルの後は130km/hくらいで走っていた!
 

フリー走行が終了する。
 
「165km/hくらいまで上げても付いてきてましたね」
と千里は紅畑さんに言ったのだが
「あのくらいが限界だったみたいですー」
と彼女は言っていた。
 
「じゃマシンの性能ぎりぎりくらいまで上げた感じかな」
「そうかも〜。でも気持ち良かった!」
 
千里たちはYZF-R6の人にも声を掛けた。
 
「お怪我はありませんでした?」
「かすり傷程度です。いやぁ面目ない。ちょっとカーブでスピード出しすぎた所に横風を受けて、あっと思った時には砂の中に突っ込んでました」
「でも完走できてよかったですね」
「ええ。おかげさまで」
 
ともかくも今日は千里・紅畑さんと男性2人の4人がMFJのロードレース国内ライセンスの申請資格を得たので、その申請書類を書いて提出した。
 
千里たちが書類を書いていたら結城さんが
「おめでとうございます」
と言って、拍手しながら近づいて来た。スカート穿いてお化粧もしてる!講習の時はバイクに乗る服装ということでツナギだったのだろう。
 
「もしかして見学してました?」
「今日はスポーツ走行する自信が無かったからまた次回挑戦ということで。でもここのサーキットライセンスだけはもらって、南コースの方で少し練習してました。30分くらい前にあがって着換えてみんなの走りを見てたところです」
 
「だったら次からフリー走行できますね」
「ええ。頑張ります」
 
千里と紅畑さんも、MFJライセンスと同時に、このサーキットのライセンスも取得している。
 

結城さんは自分のGSX250SSカタナをACTY軽トラに載せてきていた。
 
「村山さんのバイク、かなり大きいのにハイゼットバンに載るんですね!」
と彼女(と書いていいだろう)は言っている。
 
「よく分からないけど、きれいに載ってますね」
「凄いなあ。屋根付きで載ってくれると雨に濡れなくて済むし」
と結城さん。
 
「ああ、確かに軽トラで運んで雨に濡れて動かなかったなんてことあるらしいですよ」
と紅畑さんは言っている。
 
紅畑さんはニンジャ250で自走してきていた。それで取り外していたミラーやスタンド、ウィンカーにタンデムステップを取り付け、ライトに貼っていたテープを取り外して、タイヤの空気圧も公道走行用の圧力に戻し、それから帰るということであった。千里のハイゼット、結城さんのACTYと、紅畑さんのNinjaで一緒に走って宇都宮に出て“女3人”で一緒におしゃべりしながら宇都宮餃子を食べた。
 
結城さんは、バイクの講習を受けていた時はツナギ姿でお化粧もしてなかったからか男子トイレを使っていたものの、スカートを穿き、お化粧もしていると、女子トイレを使っている。
 
「結城さん、常時女子トイレを使うようにした方が問題少ない気がする」
「なかなか自信がなくて」
「でもスカート穿いてても、男だと思われたら通報されますよ。だから逆にズボン姿でも、お化粧してなくても、いつでも女に見えるように身だしなみとかも気をつけるようにした方がいいと思う」
 
「そうですね。少し頑張ってみようかな」
と結城さん。
 
「5年後の性転換を目指して頑張ろう」
と紅畑さん。
 
「性転換・・・どうしよう?」
と結城さんは悩んでいるようであった。
 
しかしこの日もなかなか楽しい1日であった。
 

葛西まで戻ってから《こうちゃん》はNinja ZX600Rの取り外されている保安部品を取り付け、タイヤの空気圧も変更して、公道で走れる状態にしてくれた。11日はそれで少し走り回ってみたが、普段はZZR-1400を使わずにこっちでもいいんじゃないかという気がした。
 
「千里は1400とか600とかで慣れてしまうと、今更125とか250では物足りないかも知れんなあ」
などと《こうちゃん》は言っている。
 
「ところで例の北海道仕様のMD90/110改は本当は何ccだったのさ?」
「ガソリンの減り方で分かるだろ?」
「400cc?」
「ピンポーン」
「やはりねぇ」
「ちょっと空間を五次元的に押し込んだ」
「ふむふむ」
 

4月12日(火).
 
彪志は、千葉市内の自動車学校に入学した。初日は視力検査、写真撮影をして1時間シミュレータで練習してから、すぐに実車になる。30km/hの速度に「恐い〜!」と叫びたくなる気持ちを抑えながら頑張った。
 
順調にいけば4月26日に運転免許を獲得することができる。
 

4月12日(木).
 
味の素ナショナル・トレーニング・センターで、日本女子代表候補の第2次合宿が開始された。今回はヘッドコーチもアシスタントコーチも来ていない!アシスタントコーチは体調不良で来日できなかったらしい。本当に不安を感じるコーチングスタッフである。それで今回はWリーグ・ブリッツレインディアの元監督・マイク・スミス氏が指導をした。
 
お陰で、かなり充実した合宿になった!
 
まずスミス氏は英語を話すので、英語ならほとんどの選手が理解する。通訳を挟む必要がないのでコミュニケーションがスムーズだ。
 
日本の女子バスケットを熟知しているスミス氏なので、戦術などについてもしっかりとした指導をする。今回召集されている佐伯伶美などはスミス氏の愛弟子だが、特にたくさん叱られていた!
 
「チームで指導していた時よりきつい」
と思わず漏らしたら
 
「そりゃ日本代表にはより大きな要求をする」
とスミス氏は日本語で言った。
 
「コーチ、日本語できるんですか〜〜!?」
と伶美が驚いて言うと
 
「シークレット、シークレット」
と言ってスミス氏は指を唇の所に立てて、お茶目な表情をしていた。
 

スミス氏は千里を個室に呼んで言った。
 
「君の実力を僕は評価する」
とコーチは言う。
 
「ただ、代表を選ぶ場合は様々な要素が入る。どうしてもWリーグの選手は優先される。だから君は今の時点では、花園亜津子・三木エレンに続く第3のシューターであることを自覚しなさい」
 
「はい」
と千里は単純に返事をする。
 
「昨年のアジア選手権では、シューターを3人入れるという方針だったので君も選ばれた。しかし今年の選手選考者がどう考えるかは分からない。2人しか選ばれない場合に、君が選ばれるためには、花園亜津子と三木エレンを大きく超える成績が必要だ」
 
「分かります」
 
「だから、誰が見ても花園君や三木君より君が上だと思ってもらえるように頑張りなさい」
 
「はい、頑張ります」
 
それでスミス氏は千里に握手を求め、彼は力強い握手で千里を激励してくれた。
 
日本代表候補の合宿は18日(水)まで続く。
 

さて、4月4日にローズクォーツのシングル『艶やかに光って/闇の女王』が出たのだが、ローズクォーツはこの新曲のキャンペーンで、全国を駆け巡った。このキャンペーンでは、実は政子が《ローズクォーツのマネージャー代行》と称して須藤美智子の代わりに一緒に付いて回っている。
 
つまり・・・ごく自然にローズ+リリーの2人が一緒に動き回っているのである。ローズクォーツは13日には熊本と鹿児島でキャンペーンをした後、鹿児島から飛行機で沖縄に入り、宜野湾市のラグナガーデンホテルに泊まった。
 
広々としたスイートルームを見て政子は
 
「こんな部屋に泊まるなんてお金持ちになったみたい」
などと言っている。
 
「ここ1泊いくらするの?」
「21万円だよ」
「ひぇー!?そんなに高いんだ!」
「だから明日は頑張って歌おうよ」
「うん。私頑張る」
と政子は張り切っていた。
 
今回実はローズクォーツとスターキッズの合同バンドがローズ+リリーの伴奏を務めるのだが、スターキッズのメンバーは別途13日に羽田→那覇便で沖縄に入っている。また実はスリファーズがコーラスを務めてくれることになっていて、彼女たちも13日に那覇に入った。
 
今回は招待方式のシークレットライブなので、出演者は幕が開くまで分からない。実はスリファーズが羽田から那覇行きに乗るのを見たというのがネットに書き込まれたこともあり、シークレット・ライブをやるのはスリファーズなのでは、と随分ネットでは噂されていたようである。
 
実はKARIONとトラベリングベルズのメンバーも13日に沖縄入りしているのだが、こちらはスリファーズに比べて、ぐっと知名度が低い!
 

ライブは幕を下ろしたまま、『キュピパラ・ペポリカ』の前奏から始まった。この時点で、シークレットライブの演奏者は、ローズクォーツだったのかと思った人が半分くらい居たようである。この曲のCDはローズクォーツ名義でリリースしている。しかし半分くらいの人はローズ+リリーが出てくることを確信して、立ち上がり、熱狂的な歓声をあげた。
 
果たして幕が上がると、マリとケイが華やかな衣裳をつけてこの歌を歌い始めるので、てっきりローズクォーツと思っていた人たちもマリの姿を見て驚き、「うっそー!?」などと声を挙げ、その次には「マリちゃーん!」「ケイちゃーん!」と名前を呼び、激しい手拍子を打ち始めたのであった。
 
熱狂の中、ローズ+リリーは、2時間ほどのパフォーマンスを終えた。終了後、10分くらい拍手が鳴り止まなかった。
 

氷川は
「ふたり一緒に脱出すると目立つので、別々に脱出しましょう」
と言い、まだ拍手が鳴っている中、政子の手を引いて、会場の裏に駐めていたヴィッツに政子を乗せる。
 
まず最初にマリとケイと同じステージ衣装を着け、ウィッグとメイクでふたりの雰囲気に似た格好になっている、アンナガールズのリリコとエルザを載せた、加藤課長の運転するプリウスが発車する。案の定この車を追いかけるように走っていた男の子が数人居た。
 
ローズ+リリーがシークレットライブに登場したことは、会場内にいる人しか知らなかったはずが、登場した1分後にはその情報がツイッターに流れていたのである。それでファンが100人くらい会場周辺に集まってきていた。
 
その“おとり”のプリウスを見送ってから、氷川と政子を乗せた八雲礼朗の運転するヴィッツが発車した。
 
ダミーを載せた車を加藤が運転し、本物を載せた車を八雲が運転したのは、加藤課長はモンシングVer.2の仕掛け人、スイート・ヴァニラズや松原珠妃の“影のプロデューサー”などと言われて、マスコミ登場機会も多く、顔が知られているのに対して、八雲はあまり一般の人には知られていないからであった。
 
そして、その八雲のヴィッツが出て行った直後、今度は男装!したケイが乗り、KARIONのバックバンド・トラベリングベルズのSHINが運転するアルトが発車した。八雲の車の行き先は宜野湾市のホテルであるが、SHINの車の行き先は同じ宜野湾市でも、宜野湾市民ホールである。そちらでKARIONのライブが行われる。ケイ(蘭子)がそちらに出ている間は、氷川さんがマリを食事に連れて行ったりエステに一緒に行ったりしているはずである。
 
こういう時女性の担当は便利である。男の担当ではエステに付き合えない。
 
もっとも八雲礼朗はそのことを周囲に隠してはいるが、女性の身体を持っているので、実はエステに付き合える!彼は実質的に男装女子なのである。
 
(八雲礼朗は2008年に誤って性転換手術をされてしまった!)
 

マリは氷川と一緒に食事、エステ、更にお買物などにも付き合い、22時すぎにホテルに戻った。ケイは21時すぎまでKARIONのライブをして、その後、ホテルに戻った。
 
ふたりはこの日もラグナガーデンホテルのスイートルームに宿泊し、翌15日那覇→羽田便で帰京する。
 
「ライブどうだった?」
とケイはマリに訊いた。
 
「うん。美味しかったよ」
「美味しい!?」
「あ、いや楽しかった」
 
「じゃ、また歌わない?今年中にもう1〜2度くらい」
「いいよー。美味しい御飯が食べられるなら」
「もちろん豪華ホテル、豪華食事付きで」
「楽しみだなあ」
と政子は昂揚した顔で言った。
 

4月15日。ケイとマリはお昼の飛行機で東京に戻った。ケイは「ちょっと寄っていく所があるから先に帰ってて」と言ってマリを氷川さんと一緒にマンションに帰すと、この日東京で行われるKARIONのライブに向かった。
 
それより半日ほど前の4月14日23:50頃。
 
長崎市内の病院の廊下に久保早紀は座っていた。姉の宏香は30分ほど前に分娩室に入っていた。
 
看護婦さんが分娩室から顔を出して言う。
「もうすぐ生まれます。中に入りますか?」
「はい」
 
そう返事して早紀は中に入り、苦しそうにしている姉の手を握る。お姉ちゃんごめんねー。ボクが産めたらよかったんだけど、ボクが産める年齢になるまで光ちゃんの命が持ちそうになかったから、などと思っている。
 
赤ちゃんの頭が見え始める。姉の手を握り頑張ってと励ます。
 
やがて赤ちゃんの身体は全部出てきた。助産師が取り上げる。
 
その姿を見て早紀は「嘘!?」と思った。
 
赤ちゃんはヒクッヒクッヒクッとしている。そしてやがて「おぎゃー!」という元気な産声をあげた。
 
早紀が自分のBaby-Gの腕時計を見ると4/15 0:20:29であった。
 
産んだ宏香が思わず笑顔になる。既に3回も“自分の子供”を産んでいて出産は4回目ではあるが、産むのは命懸けだし、無事生まれてくれたのは物凄く嬉しい。
 
医師が臍の緒を切断する。
 
「元気な女の子ですね」
と助産師が笑顔で言った。
 
しかし早紀は呆然としていた。
 
嘘だ〜〜〜〜!なんで光太郎、女の子になっちゃったの!?と早紀は叫びたい思いを抑えていた。
 

千里は母に電話して言った。
 
「さすがにお父ちゃんに私の性別のこときっちり話さないといけないと思うんだよね。次、お父ちゃんが確実にいる日無いかなあ」
 
「5月1-2日なら居ると思うんだけどね。その前の28-39日も後の5月3-6日も、あの人スクーリングなのよ」
 
「そっかー。だったらそのどちらかで何とかしてそちらに行く」
 
と千里は言って電話を切ってから、困ったなあと思った。
 
その時期は代表合宿でアメリカに行っているのである。
 

彪志は結局3回目の挑戦で4月23日に第1段階の修了試験に合格した。
 
最初19日(木)に受けた時は細かい注意の累計で合格点を割り込んでしまった。それで翌20日(金)に再度受けたのだが、前を走っていた試験車が脱輪したのに驚き、自分まで脱輪して一発アウトとなった。それで土日は試験を受けられないので月曜日の試験となる。彪志はその2日間、近くのゲームセンターに行き《免許の鉄人》をやりまくった。
 
予め2000円分を100円玉に両替しておき、後ろに列ができてないことを確認の上で、その2000円分の100円玉が無くなるまで、運転シミュレーターをやりまくる。この《免許の鉄人》は自動車学校のシミュレーターと同じものなのである。但し100円でプレイできるのは30秒程度である。それをたくさんやることにより、実車を運転しているのと同等の経験を積んだのである。
 
土日に入れてもらった2時間×2日間の構内実車の教習に加えて、金土日と3日間ゲームセンターでシミュレーターを毎日2000円分プレイしたことで、自分なりに運転は上達したと思った。
 
「自分が運転席で何をすべきか、それが自分はまだよく分かっていない。どこに気を配るべきか、どこを操作すべきか、それを収斂(しゅうれん)させていかなければならない」
と彪志は自分に言い聞かせた。
 
しかしたくさん練習したおかげで月曜日に受け直した試験では、
「色々課題はあるが、残念なことに減点箇所が、不合格ラインに到達しなかった」
などと教官から言われた。
 
しかしその「運転がまだまだ」の部分はたくさん運転経験を積めば上達すると彪志は確信していた。だから取り敢えず第2段階に進んで、今まで以上に運転経験を積みたかったのである。
 
ともかくもこの修了試験合格で仮免許をもらい、第2段階・路上教習に進む。
 

千里たち女子日本代表候補の一行は4月22日にナショナル・トレーニング・センターに集合した後、23日にアメリカのフェニックス(アリゾナ州)に向けて出発した。5月15日まで3週間にわたるアメリカ合宿の始まりである。
 
NRT 4/23(Mon) 17:25-10:45 SFO 12:40-14:43 PHX
 
サンフランシスコまでは9時間20分の旅、サンフランシスコからフェニックスまでは2時間3分の旅である。今回の目的地のフェニックス(山岳時間)、ロサンゼルスとシアトル(太平洋夏時間)はUTC-7で全て日本(UTC+9)と16時間の時差がある。日本の16時が現地の同日0時である。フェニックスは夏時間を使用しないので、結果的に太平洋時間の夏時間と同じ時刻になる。
 
アリゾナ州はカリフォルニア州南部の東隣である。北側がユタ州で北西にネヴァダ州、東隣はニューメキシコ州で南側はメキシコと国境を接する。アリゾナ州北部にある大峡谷地帯がグランドキャニオンである。
 
なお、カリフォルニア州の北隣はオレゴン州でその北隣にシアトルのあるワシントン州がある。
 

到着当日の23日は時差調整もあり、ホテルで休む。到着は4/23 14:43だが、日本時刻では4/24 6:43になる。夜通し起きていたようなものである。千里は夕食もパスさせてもらって、すやすやと寝ていた。他にも夕食を食べずに寝ていた子が結構いたようである。
 
24日からは早速練習が始まる。練習の場所になるのは、このフェニックスを拠点とするNBA Phoenix Suns と姉妹チーム WNBA Phoenix Mercury の本拠地となっているUS Airways Centerの練習用コートである。
 
そしてPhoenix Mercuryというのは羽良口英子の所属チームである!
 
ここはサンズのオーナーJerry Colangelo主導のもと、1990年から建設が開始され1992年に竣工したもので当初アメリカ・ウェスト航空が命名権を持って、America West Arenaと呼ばれた。2007年に同航空がUSエアウェイズに吸収されたため、ここの名前もUSエアウェイズ・センターと改名されたものである。
 
(その後、2015年にUS Airwaysが撤退して代わってホテルなどを経営するTalking Stick Resortが命名権を取得。2018年現在はTalking Stick Resort Arenaと呼ばれている)
 

さて・・・コーチングスタッフであるが、結局今回、ヘッドコーチもアシスタントコーチも来ていない。代わって練習の指揮を執るのは、エレクトロ・ウィッカの村出監督である。
 
選手達にとっては見知った顔なので率直に尋ねた。
 
「今回のヘッドコーチとかアシスタントコーチって、一体どうなってるんです?」
 
「うーん。僕にもよく分からないんだよ。ほんの一週間前にヘッドコーチがアメリカに入国拒否されたんで、代わりに頼めないかと言われて、慌ててESTAを取ったんだよね。本当にどうなってるんだろうね?」
などと村出さんも言っている。
 
「入国拒否って、一体何をやらかしたんです?」
「何だろうね?」
「ESTAの質問項目のどれかにうっかりYESと答えてしまったとか」
「ああ、それ割とありがちなんだよね。マウスで変な所クリックしてしまったりとか」
「あるいはテロリストと同姓同名だったとか」
「実は薬物で捕まったことがあったとか」
「不法滞在したことがあったとか」
とみんな無茶苦茶言っている。
 
「でもアシスタントコーチの方は?」
「何かの手術を受けて回復まで1ヶ月くらい待って欲しいということ」
「それ本番に間に合うんですか〜?」
「どうなんだろうね?」
と村出さんも投げやりである。
 
「でも何の手術なんだろう?」
「年が年だしなあ。何があってもおかしくない気はする」
「性転換手術とか?」
「まさか」
 

しかし馴染みのある村出さんの指揮なので、選手たちものびのびと練習することができた。
 
元々ハイレベルの選手ばかりなので、やはり中心となるのは連携練習である。練習は午前中(9-12h)と午後(14-17h)の2回6時間と、時間的にはやや不満のある時間数であるが、午後の時間には、フェニックス・マーキュリーの女子選手たちと合同練習になり、レベルの高い選手たちのプレイを間近に見て刺激を受けている選手も多かった。
 
今回の合宿参加者はスペインに居る横山温美を除く19名である。マーキュリー所属の羽良口英子は、この合宿では日本側の選手として参加である。彼女の仲介で、向こうの多くの選手と交歓ができて、思った以上に有意義な時間となった。特に若い世代の選手は向こうの選手から色々指導してもらった。亜津子と千里もマーキュリーのシューター Susie Johnson から色々教えてもらったものの「君たちは凄すぎてあまり教えることないなあ。私もあと2-3年で引退するし、その後うちに移籍してこない?」などと勧誘(?)されてしまった。亜津子はかなりマジに取っていたようである。
 
羽良口英子ともうひとり現地からの参加者は、ロサンゼルスのトロイ大学に留学中の高梁王子である。トロイ大学はNCAAの女子バスケットボールリーグ1部(DI)に所属しており、高梁は充分ベンチ枠を狙える位置で日々の練習に励んでいる。
 

25日の午後からはUS Airways Centerのメインアリーナで、マーキュリーの選手たち(主としてボーダー組)と練習試合をする。現在WNBAはセレクション期間でロースターが固まっておらず、ロースターに残ることができなければ解雇されるので、このボーダー組は必死である。その必死さにやられてこの日は大敗したものの、強い人たちのマジな試合は、極めて強い刺激になった。
 
夕方からはそのメインアリーナで行われた NBAのフェニックス・サンズと、サンアントニオ・スパーズ(San Antonio Spurs)との試合を観戦する。マーキュリーの選手たちと一緒に観戦し、兄弟チームであるサンズの応援をしていたのだが、4点差で敗れてしまった。しかしさすが男子の試合は物凄いと思った。
 

4月27日。青葉はこの時期に心ならずも関わってしまった事件を解決するため、高野山に瞬嶽を訪ねた。高野山の瞬嶽が寝起きしている山は、やっと雪解けし、普通に歩けるようになったばかりだったが、所々まだ残雪があり、青葉は靴にアイゼンをつけて登っていった。
 
瞬嶽は青葉に「回峰行に付き合え」と言い、山道を歩く。青葉は「はい」と言ってその後に付き従う。
 
瞬嶽は夏も冬もこういう生活を数十年続けているのである。あちこち塚のようなものがある場所で瞬嶽は真言のようなものを唱える。それを聞いて青葉が復唱する。回峰は夕方まで続いた。
 

「ところで、師匠、晩御飯はどうしましょうか? 何か適当に木の実など取ってきましょうか?」
と青葉は訊いたのだが、瞬嶽は青葉を崖の所に連れて行った。
 
「どうだ。空気が美味しいしだろ?」
「そうですね。風が心地いいですし」
「思いっきり、この空気に含まれている気を吸収しろ。けっこう腹が膨れるぞ」
 
へ!?
 
「まさか、これが師匠の毎日の御飯ですか?」
「うん」
「師匠、ほんとに霞(かすみ)を食べて生きてたんですね!」
 
「霞(かすみ)じゃ無い。大気に含まれているエネルギーをもらうんだよ。お前、自分が持っているエネルギーを病人などに注入できるだろ?同じ要領で自然の大気から気が吸収できるはず」
 
「分かりました!やってみます」
 
それでやってみると、確かに自分を“吸収モード”に設定すると、風の中に含まれているエネルギーから身体の中に染み込んでくるものがあるのを感じる。その染み込んでくるものがとても清々しい。
 
「自分の身体の中が清浄化されていく感じです」
「清浄になるだけではダメだな。ちゃんとエネルギーを取り込まないと身がもたないぞ」
「はい!」
 
青葉は「そうか。仙人ってこうやって生きていたのか」と大きな発見をした気分であった。
 
こういうのを素直に受け入れるのは青葉の良い所だ。これが千里なら
「私はお肉食べてきます」
と言って、暗い中、下界まで往復してきそうである!
 

「ねえ、お父さん、連休中、友だちのアパートで壁の吹きつけやってて、その間、どこかに待避しておかないといけないらしいのよ。泊めてもいい?」
と季里子は父に言った。
 
「友だちって男?女?」
「女の子だけど」
 
「だったら俺に訊かなくてもいい。母さんに言っておきなさい」
「うん」
 
それで桃香はその日季里子の実家を訪れると、お父さんには千里からお土産にもらった、大分の清酒「八鹿」を出す。
 
「ああ、これは聞いたことある。ちょっと飲んでみようかな。高園さんはお酒行ける方?」
とお父さんが嬉しそうな顔で訊くと
 
「この子はお酒強いよ」
と季里子が言う。
 
「じゃ、どうです?一緒に」
「頂きます」
 
ということで、ふたりの酒盛りが始まったのであった。その様子を季里子の母は微笑ましげに眺めていた。
 

さて、日本とフェニックスは16時間の時差があるので、フェニックスの夕方20時が日本時間の昼0時、朝8時は日本時間の深夜0時に相当する。つまりこのようになっている。
 
日本(UTC+9) Phx(UTC-7)
5/01 _0:00 4/30 _8:00
5/01 12:00 4/30 20:00
5/01 18:00 5/01 _2:00
 
千里の父は5月1-2日の日中なら居るということだった。そこで千里は練習が終わった後の時間を使って行ってくることにしたのである。
 
4月30日の練習が終わり夕食も取った後、千里はシャワーを浴びると気分を引き締めるのに少し良い下着を身につけ、香水も振る。ストッキングを履き、可愛いピンクのスカートにそれより少し薄めの桜色のブラウスを着る。髪を整え、ルージュのパンプスを履いた。
 
それで留萌行き列車に乗っている《きーちゃん》と入れ替わる。こちらは5月1日の12:00くらいである。
 
12:04、列車は留萌に到着。駅前に母がブーンで迎えに来ている。母は千里の姿を見て顔をしかめる。
 
「あんたその格好で父ちゃんと会うつもり?」
「うん。男の振りをするのはもう終わり。普段の私を見てもらう」
 
母も仕方ないかという感じで車を発車させた。
 

その頃、自宅で父はご機嫌斜めであった。
 
冷蔵庫に“ビールらしきもの”があったので、開けて飲んだら
「全然ビールと違う不味い飲み物だった」
と言うのである。
 
「だからそれ《第4のビール》ってやつだから」
と玲羅は言うが
 
「ビールの密造酒か?」
などと言っている。
 
「密造酒じゃないよ。ちゃんと大手メーカーが作ったものだけど、税金を安くするために、ビールに似た製法で材料とかを工夫したものなんだよ。ビールの値段って4割くらいが税金だから」
 
と説明するが、父は理解する能力に欠けているようである。
 
350cc缶の場合、ビールの税金は77円、発泡酒は47円、第3・第4のビールは28円になる。これらの価格差の大半が税金である。
 
「じゃお母ちゃんに連絡してスーパードライか何か買ってきてもらうから」
と言って、玲羅は今、母の携帯にメールした所である。
 
父はぶつぶつ言いながらテレビを付ける。すると最近売り出し中のニューハーフタレントさんが出ていた。
 
「可愛い子だな」
などと言って父は見ていたが、司会役のお笑い芸人さんからいきなり絵具の入ったバケツをかぶせられる。顔も服もひどいことになる。すると思わず彼女が
 
「何するのよ!」
と叫んだが、その声が男の声である。
 
父はギョッとしている。
 
「まるで男みたいな声だ」
 
うーん・・・と玲羅は悩んだものの
 
「まあこの人はニューハーフさんだから」
と言う。
 
すると
「こいつ男!?」
と驚いたように言う。
 
「まあ元は男だったというか」
「チンコ付いてるの?」
「付いてたけど、手術して取っちゃって女の形に変えたんだと思うよ」
「そんな男のくせに女みたい形にしたって、もう化け物みたいなもんだな」
などと父は言っている。
 
なんか、まじぃなぁと思いつつ玲羅は
 
「でも今は女なんだから女でいいんじゃないの?」
と言ったのだが、父は
 
「気持ち悪い。本物の女と間違えないように、こういう奴らは全部捕まえてどこかの島にでも集めて機関銃掃射して皆殺しにすべきだ」
 
などと言っている。
 
ひぇー。姉貴ったら何てまずいタイミングで帰ってくるんだ?と玲羅は思った。
 

そうこうする内に、車の駐まる音がする。
 
「お父ちゃん、玲羅、ただいま。ごめーん。メール今気付いた。後でまたビール買いに行ってくるよ」
と母は言っている。
 
その母に続いて千里が入ってくる。玲羅は緊張する。
 
「あれ?お客さんか?」
と父が言う。
 
千里は
「お父ちゃん、私千里だよ」
と言った。
 
「は?」
「私のこと分からない?」
と言って、靴を脱いであがり、父の前に正座した。母は少し斜め後ろの方に立っている。
 
しばらく父は千里を見つめていたが言った。
 
「お前、何て気持ち悪い格好してんだ?仮装大会にでも出るのか?」
と父。
 
「ううん。私、女の子になったの。だから、いつもこういう格好している」
と千里は真面目な顔で父に告白する。
 
「お・・・女になったって・・・・まさかチンコ取ったのか?」
「おちんちんは7月にあらためて手術して取る。でも、おっぱいは大きくしてるし、タマタマはもう取ったよ(本当はお父ちゃんの身体についてるけど)」
 
「しゅ、しゅじゅつ〜〜〜!?」
「うん。おちんちんを取って、ちゃんと割れ目ちゃん作って、女の子の形に変えるの」
 
父はしばらく口をパクパク開けて、言葉にならない
 

その時、父は唐突に床の間まで歩いて行くと、そこに飾られている日本刀を手に取り、こちらに来た。
 
玲羅もギョッとしたが、母は「しまった!」という顔をしている。千里は動じない。そのまま座っている。
 
「お願い、お父ちゃん、話を聞いて欲しいの。私、物心付いた頃から自分は女の子だと思っていた」
 
と千里は自分のことを説明しようとしている。
 
しかし父はそんな千里の話を聞く耳を持っていなかった。
 
「そこに直れ。叩っ斬ってやる。そんな気持ち悪い奴、俺が成敗してくれる」
と言って、刀を抜く。
 
「お父ちゃん、やめて!」
と言って母が駆け寄り、父を抑えようとする。千里は動かず正座したまま説明を続けようとする。
 
「だから私、完全な女の子になりたいの。お父ちゃんは怒るかも知れないけど」
と千里が説明を続けようとした時、父は刀を大きく振り上げると、千里目掛けて振り下ろした。
 
さすがに千里はスポーツ選手の反射神経で刀を避けて飛び退く。
 
父の振り下ろした刀が畳に刺さる。
 
「お父ちゃん、落ち着いて」
と言いながら母が父の身体を抑えている。玲羅は立ち上がると千里の手を取った。
 
「姉貴、とりあえず逃げて」
 
と言い、千里の手を取って無理矢理引きずるようにして外に出る。
 

「こら待て!」
と言って父が追いかけようとするのを母が必死に停めている。玲羅は千里の手を握ったまま通りまで引っ張っていく。ちょうどタクシーが通りかかる、玲羅が手を挙げて停める。
 
「乗って」
と言って千里をタクシーの座席に押し込む。
 
「運転手さん、留萌駅まで行って」
「分かりました」
 
それでタクシーはドアを閉めて発車する。
 
「こら待てぇ!!」
と父は刀を振り上げたまま、タクシーを追いかけようとしたが、一発母から殴られて!その場に倒れた。
 
「玲羅!その刀を取り上げてどこかに持って行って」
「うん」
 
それで玲羅は父の手首をぐっと握る。父が思わず刀を手放すので、それを持って走り、近所の友人の家に駆け込んだ。
 
そういう訳でこの日、留萌では殺人事件の発生だけは避けられたのであった。
 

玲羅が千里の荷物を一緒にタクシー内に放り込んでいてくれたので、財布とかはその中にあった。おかげでタクシーの料金は払えたものの、靴を玄関の所に置いてきちゃったよと思った。
 
取り敢えず13時半の深川行きに乗ることにする。
 
「お土産を渡しそこねたなあ」
と独り言をいう。
 
「千里ちゃん、どうかしたの?」
と顔見知りの駅員さんから訊かれる。
 
「実は性転換手術を7月に受けるから、そのことを父に言いに来たんですけどね。父が激怒して、全然話にならなくて。そうだ。このお土産渡しそこねちゃって。あとで玲羅に取りに来させますから、ちょっと預かっててもらえませんか?」
 
「ああいいよ。でも性転換手術って、千里ちゃん、男の子になるの?」
「えっと女の子になる手術を受けます」
「でも千里ちゃん、女の子だよね?」
「そうなんですよねー」
「じゃ女の子から女の子になる手術?」
「私もだんだん分からなくなってきました」
 
「靴履いてないのもそれで?」
「そうなんですよ。もう靴を履く暇も無かった」
 
「スリッパでもよければ1足あげようか?」
「あ、助かります!」
 
それでスリッパを1足もらって履くと、確かに少し落ち着いた。
 

列車を待っている間に母から電話がある。
 
「お父ちゃん、お前を勘当するって言ってるけど」
「仕方ないね。今日はお父ちゃんに理解してもらうための出発点だと思ってる。5年掛かっても10年掛かっても理解してもらえたらいいんだけど」
「100年掛かるかもよ」
「かもね〜。それからお土産を渡し損ねちゃったんだけど、留萌駅の近藤さんに預かってもらっているから、あとで玲羅にでも取りに来させて」
「了解」
 
「それからさっきは、そこまで話をする暇が無かったけど、私、手術前に戸籍を分離するから」
 
「どうして?」
 
「性別を変更すると、どっちみち戸籍は強制的に分籍されるのよ。でないと私の性別が女に変更されると、長女が2人出来ちゃうし」
「なるほどー」
 
「でも、性別変更で強制分離になる以前に自分で分籍しておいた方がスッキリする」
「確かにね。でも、手術代って高いんでしょ?大丈夫?」
 
「うん。それは大丈夫。バイト代貯めてるから」
「偉いね。手術はいつ受けるの?」
「7月中旬。正確な日付が決まったら連絡するよ」
「うん。その日は私、神社に行って手術の無事をお祈りするから」
「ありがとう」
 
「父ちゃんはあんな感じだけど、私はあんたの事は自分の子供だと思ってるからね。男とか女とか関係無く」
 
「お母ちゃん、ありがとう」
千里は涙が出た。
 

列車に乗ってから《きーちゃん》から直信がある。
 
『千里、話は終わった?そろそろ換わろうか?』
『全く話にならなかった。あやうく日本刀で斬られそうになった』
『運動神経が違うから斬られることはないでしょ』
『まあそれはそうかもしれないけど。あ、そうそう。入れ替わる時にさ、何か適当な靴を手に持って入れ替わってよ。私、靴履く暇も無く逃げ出してきたから』
『まあ、そのくらい余裕が無かったことにしておくのが、千里のお父ちゃんへの誠意だね』
『そうだね・・・・』
 
やはり《きーちゃん》には見透かされているなあと千里は思った。
 

なお、刀を振り回すのを多数の人に見られたので、所轄の警部さんが来て、父はきつーくお説教されたらしい。結局書類送検もされたが千里が処分軽減を求める上申書を出したので起訴猶予で済んだ。日本刀は権利放棄して警察に回収してもらった。実際には危険だと思った母が内緒で刃を落としておいたので、銃刀法違反にはならないそうであった。
 
しかし父は警察に絞られたことと、日本刀を取り上げられたことで、更に機嫌を悪くしたらしい。
 

5月1日、彪志は無事自動車学校を卒業した。卒業試験は一発で合格することができた。そして翌5月2日、幕張の近くにある千葉運転免許センターを訪れ、交通法規に関するマークシート試験を受けて合格。無事緑色の帯の入った運転免許証を手にした。
 
そしてその真新しい免許証を手にした彪志は、免許センターから20分ほど歩いた所にあるイオン幕張店(*1)まで歩いて来た。スタバに入ると、千里が手を振るので会釈してその席まで行く。千里はライダースーツ(?)を着ている。
 
(*1)免許センターすぐそばのイオンモール幕張新都心は2013年12月20日オープンなので、この時期はまだ無い。イオン幕張店(旧カルフール幕張)は2000年12月8日開店である。
 
「免許取れた?」
「はい。頂きました」
と言って、もらったばかりの免許証を見せる。
 
「おめでとう」
「それで本当に車を貸して頂けるんですか?」
「うん。だって、彪志君はすぐにでも青葉を乗せたいでしょ?」
「次に青葉さんが岩手に行く時、僕が仙台から運転して行く約束なんです」
「だったらそれまでに人を乗せられる程度には練習してもらわないとね」
「はい!」
「でも私が車を貸して練習させたことは青葉には内緒で」
「いいですよ」
 
それでお店を出てから、駐車場に行く。
 
「へー!ハイゼットですか?」
「バイクをトランポするのに使っているんだよ。だから私が使う日以外は使っていいから」
「分かりました!」
「多少はぶつけてもいいけど、彪志君自身が怪我しないようにね」
「慎重に運転します」
 
「駐車場はここ使って」
と言って駐車場の地図を渡す。進入方法も黄色いマーカーで記入している。
 
「17番に駐めて。暗証番号はここに書いているけど、覚えたらやぶって捨てて」
「分かりました。これうちの近くだ」
「桃香のアパートに近いから借りているんだよ」
「なるほどー」
 
「鍵1つ預けておくね」
「はい。お預かりします」
「ガソリンは適当に補充しながら使って」
「はい」
 
「じゃ私はバイクで帰るから」
と言って千里はハイゼットに積んでいるNinja ZX600Rを降ろすと、エンジンを掛け、彪志に手を振って走り去った。
 

1月に入院した瞬醒は胃の大半を摘出する手術を受けたものの、2月には退院して、薬を飲みながら★★院で静養していた。静養とはいっても掃除や院内整備、日々の体力を使う修行などを免除してもらうだけで、徹夜の読経などはこなすので「瞬醒さん大丈夫ですか?」とみんなが心配するほどであった。
 
4月27日に青葉が来たのは察知したが、彼女は★★院には寄らずにそのまま瞬嶽が寝起きして修行の拠点としている庵に行ったようである。
 
そのことを考えていた時、唐突に瞬醒は1月に千里と会った時に玉置に行けと言われていたことを思い出した。
 
「俺ももうろくしてきたのかなあ。忘れてるなんて」
 
それで5月4日、千里から預かった数珠の玉を3個持つと、玉置まで出かけた。1人で行ってくるつもりだったが、病み上がりの瞬醒を心配して醒環(後の瞬環)が付いてきてくれた。
 
1日で80kmくらいの行程を歩く。瞬醒は現在73歳で病み上がりではあるものの、長年修行を積んだ身体なので、このくらいは平気である。49歳の醒環の方が何度も遅れて瞬醒を待たせてしまった。
 
玉置の神域に入ってすぐ、何かチッといった感じの音がした気がした。
 
「ん?」
 
瞬醒は懐に入れていた3つの玉を取り出す。
 
「これは・・・」
「きれいに針が入ってしまったな」
「なぜこんなことに?」
「ここの“場”の凄まじいパワーを感じないかい?」
「そのあたりが私はどうも鈍くて・・・」
 

5月5日にまた歩いて★★院まで戻る。そして6日には単独で師匠の庵まで登っていった。醒環は2日にわたる80km歩行でダウンしていた。
 
「これ、青葉ちゃんが使っている数珠に取り付けるといいよ。元々糸が通せるようになっているから」
と言って、玉置まで持って行った玉を3個、青葉に渡した。
 
「訳あって、うちの寺に納められた数珠の一部なんだけど、この3個は青葉ちゃんに渡さないといけない気がしてね。でもその前に玉置に持って行く必要がある気がしたんで、昨日持って行ったら、持って行く前は透明な水晶だったのに、玉置に持って行ったとたん、針が入った」
と瞬醒は説明した。
 
「あそこは凄いパワースポットですからね」
と青葉は言う。
 
「そういう訳で、君が持っていなさい」
「分かりました」
 
それで青葉は自分のローズクォーツの数珠にその3個の玉を取り付けた。そして青葉は瞬醒と一緒に山を下りた。
 
「青葉ちゃん、しばらく何も食べてないでしょ?」
「山の空気をいっぱい食べました」
「その状態でいきなりふつうの御飯食べたら吐くから」
「あ、そうかも」
「今夜はうちのお寺のお粥でも食べていきなさい」
「いただきます!」
 
 
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【娘たちの収縮】(2)