【女子中学生のビギニング】(1)

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2003年8月5日(火).
 
プロ野球、日本ハムファイターズ(現・球団本拠地=東京ドーム)の来年(2004年)度からの新運営会社、株式会社北海道日本ハムファイターズの設立総会が札幌市内で開かれた。
 
運営会社にはサッポロビール、北海道電力など、地元の企業も多く出資している。
 
日本ハムの札幌移転は昨年(2002年)3月20日に明らかになっていた。これまで北海道には過去にもプロ野球球団がフランチャイズしたことはなく、地元では概ね歓迎ムードであった(巨人の試合が無くなるのではと危惧する向きはあった→実際には2005年からセパ交流戦が始まり、札幌ドームに限れば、安定してセリーグ・チームが見られるようになる)。
 

2003年8月21日(木).
 
千里たちが通うS中学校では始業式が行われ、2学期が始まった。始業式では夏休み中に行われた大会の結果報告が行われ、吹奏楽地区大会の金賞、テニスの道大会に出て5位(Best8)入賞したペア、そして同じく剣道の道大会で5位(Best8)の千里の賞状が披露された。壇上に、吹奏楽部部長、テニスのペア、そして千里が登って全校生徒から拍手をもらった。
 
沙苗は新学期早々、札幌の病院で書いてもらった、性同一性障害の診断書を学校に提出した。これで、沙苗は完全に女子として扱われることになった。沙苗は毎月1回札幌の病院に通い、つい昨日この診断書を書いてもらったらしい。
 
診断書をもらうのも大変なんだなあと千里は思った。
 
「正式に女性ホルモン剤の処方箋書いてもらったから、これからはこれでホルモン剤を飲むことができるよ。これまでありがとう」
と沙苗は言った。
 
千里は“これまで”って何のことだろう?と首を傾げたが気にしないことにした!
 
沙苗はこの後は、半年に1回くらい通って経過観察を受けるらしい。
 

剣道部では新しい部長が選ばれることになった。女子では2年の武智紅音さんが部長を継承した。
 
「まだ2級なのに部長というのは恥ずかしいけど。1級の沢田さんか村山さんにしてもらった方がいい気もするんだけど」
などと言っていたが、千里たちは
「順番で」
と言っておいた。男子では2年の古河さんが部長になったが、彼もまだ2級である。
 
「男女とも代表になれない部長になるかも」
などと、古河さんと武智さんは話していた。
 
なおバスケット部は秋の大会まで3年生が出るので、その後、新しい部長が選出される。
 

ところで、S中では1学期までメインとサブの体育館をこのように使っていた。
 
(卓球部は体育館のステージの所に卓球台を置いて練習している)
 
ところが、S中のバドミントン部は、部員が全員3年生であっため、この夏の大会(7月)をもって部員が居なくなり、事実上消滅した(一応名前は残るが来年の春の新入生で誰も入らなかったら正式に廃部となる)。
 
バドミントン部はこれまでメイン体育館の北側の4割程度を使用していたのだが、無くなったので、そこにサブ体育館を使っていた体操部が移動してきた(吊り輪も8月中に移設した)。実はサブ体育館では3分の2ほどをバレー部が使っていたのだが、時々ボールが飛んできて、演技中の体操部員にぶつかる事故が発生して危険だったのである。
 
一応フェンスを立ててはいたのだが、バレーのボールは高く上がるので防ぎきれなかった。メイン体育館でも隣でバスケットボール部が練習しているが、バスケットなら“転がってくる”程度なのでネットで防ぐことができる。
 
そして、体操部が移動した後のサブ体育館に女子バスケット部が練習場所をもらったのである。それでこのようになった。
 

 
サブ体育館は狭いので、女子バスケ部がもらったのは25m×9mほどのエリアにすぎない。スリーポイントラインがぎりぎり描ける程度で、ハーフコートどころかクォーターコートに近いが、これまでよりは練習環境が良くなった。
 
それでこれまでは男子がウォーミングアップしている間に10分間くらいだけコートで練習していたので
「女子バスケット部とかあるんだっけ?」
と(千里Rから!)言われていたのだが、一応毎日2時間程度の練習ができるようになった。
 

「千里が練習に来ている」
「ごめんねー。何でか知らないけど、練習に行こうとしても、なぜか体育館に辿り着けなかったのよね」
「体育館はダンジョンの先にでもあるのか?」
 
実はこれまではメイン体育館に剣道部の千里Rがいるので、バスケ部の千里Bは“30mルール”により、放課後体育館に現れることができなかったのである。
 
そしてこの2学期から、女子バスケ部にもうひとりメンバーが加わった。
 
「え?花和君って生物学的にも女子なの?だったら女子バスケ部に入らない?」
 
と言って、長身の留実子に目を留めた、留実子と同じクラスの数子が勧誘したのである。数子はそれまで留実子は“女の子になりたい男の子”なので“時々”セーラー服を着ているのだと思っていたらしい。(留実子は割と学生服を着ている)
 
「でも僕は応援団だから」
と留実子は言ったが
 
「他の運動部でないなら、大会の時の助っ人だけでもいいから」
と言って引き込んだのである。
 
留実子としても、鞠古君がバスケットをしているので、自分もバスケットに関わってもいいかなという気分になったようだ。
 
それに留実子は千里と1on1をしたら、全く勝てなかったので、少し闘志を燃やしたようである。(数子に8勝2敗、久子にも6勝4敗だったが、千里には0勝10敗だった)
 

留実子が“時々”バスケ部に参加するようになったので、顧問の伊藤先生は留実子に言った。
 
「万一練習中とかに怪我したような場合に、保険金が出ないとまずいし、バスケットは大会の時、バスケット連盟の会員証を確認されることがあるんだよ。それで練習には気の向いた時だけ出てくればいいけど、部員としては正式に登録させてもらえない?」
 
「いいですよ」
 
それで留実子は応援団と兼部で女子バスケット部にも“形式的”に入ることになったのである。伊藤先生は、留実子が小学生の時は男子サッカー部に入っていたと聞いたので、それで彼女の登録番号を検索して見付けた。
 
「あれ〜?男子サッカー部の部員なのに性別は女子になってる。なんでだろ?」
と混乱したものの、千里の件で変則的な処理をしたので、まあいいかと思った。
 
それでその登録番号でS中バスケット部に登録し、スポーツ保険が適用されることになった(保険料は千里!が払った。留実子は運動能力はあっても、お金が無い)。またバスケット協会にも選手登録を申請した。これは女子で申請したので、留実子はちゃんと女子選手として、試合に出られることになった。
 

夏休みが終わったので、千里BのQ神社でのご奉仕は、夏休み前と同様、土日祝のみとなった。ところが8月23日(土)に出て行ったら、思わぬことを聞く。
 
「え〜!?、寛子さん、辞めたんですか?」
「急に辞令が来たらしいのよ」
と困惑したような顔で香取巫女長が言った。
 
「急な欠員が出て、2学期から函館の近くの上磯町の高校に赴任したのよ。新学期始まる前日に言われて、引越の手配できないから、ほとんど身一つで向こうに行って。荷物は追って、来週お父さんに運んでもらうと言ってた」
「大変だぁ!」
 
「それで龍笛の吹き手で困ってしまって」
と細川さんが言っている。
 
「学校を卒業している吹き手が必要ですよね?」
「そうなの。できたら20代くらいで。この際、既婚でもいいから。千里ちゃん、誰か知らないよね?」
「ちょっと心当たり聞いてみますね」
「うん。よろしく」
 

千里は映子に訊いてみた。
 
「映子ちゃんさ、一番上のお姉さん、今何してるんだっけ?」
 
映子の所は女の子ばかり4人で、中3、高2、そしてこの春に高校を出た姉がいる。
 
「それがさぁ。スーパーに勤めてたんだけど、京子姉って要領悪いからさぁ。試用期間満了で本採用拒否されちゃって。京子姉は人から指示されないと動けないタイプだから」
 
「その京子お姉さんも横笛が吹けたよね?」
 
「うん。うちはそもそも京子姉がフルート吹いてたから、その妹、その妹と全員姉の真似して吹くようになった」
 
「今お仕事してないなら、巫女さんしない?」
「へ?」
 

それで千里(B)は映子の自宅にお邪魔して、直接京子さんと話してみたのだが、彼女はおっとりしたタイプでこういう性格ではスーパーとかコンビニみたいな所では首になるかも知れんと思った。しかし神社ではこういう性格は、むしろ優雅に見えて使える気がした。
 
笛だが、フルート・ファイフ・篠笛は吹くけど、龍笛は吹いたこと無いと言っていた。小春に頼んで、Q神社にストックされている5000円のプラスチックの龍笛を1本買ってきた。それを渡して京子さんに吹いてみてもらったのだが、さすがにすぐ“音は”出る。
 
「こんな感じで強く息を使うんですよ」
と言って、千里が自分の龍笛で吹いてみせる。
 
「なるほど」
と言って、彼女は強い息で吹いてみた。
 
「あ、そんな感じです、そんな感じです」
 
それで千里は彼女をQ神社に連れて行った。
 

龍笛は吹いたことないけど、これまでフルートや祭りの篠笛は吹いていたと言い、龍笛は練習するのでと説明する。取り敢えず千里が渡したプラスチックの龍笛を吹いてもらうと
 
「これなら練習したら上達するよ」
と細川さんに言ってもらい、取り敢えず仮採用となった(10月連休明けから本採用)。
 
それで京子は千里から!龍笛を習うことになった。彼女が神社で使用する曲を覚えるまでは、細川さんと循子さんで平日の客には対応する。循子さんは平日にも詰めているから彼女から曲を習っても良さそうなものだが
 
「私の下手な笛を聞いて覚えたらよくない」
と循子さん本人が言っていたので、千里から習うことになった。
 
使用する笛については、細川さんから言われて、千里が“見せ笛”として使っていた合竹の龍笛を、細川さんが適当な価格で買い取って、京子さんに貸与することにした(千里は3万円でいいと言ったが、細川さんは10万円くれた)。
 
そういう訳で、千里は“見せ笛”と“吹き笛”の使い分けをやめて、Tes No.224の龍笛をいつも使用することにした(織姫は神事や結婚式など特別な場合のみ)。
 

京子さんが千里から笛を習う場所だが、別館!を使用することにした。それで京子さんが、千里の昼休みに合わせて別館に来て、30分くらい習うのである。
 
これには映子も付いてきた。
 
「へー。こんな所で練習してたんだ?」
と映子は感心している。
 
「こないだまで私が先輩から習ってたんだけどね〜」
と千里は言う。
 
それで千里がお手本を吹き、それに合わせて京子さんが吹くが、千里は
「映子ちゃんも練習しよう」
と言い、結局プラスチック製の龍笛を映子に持たせて、2人まとめて練習させた!
 
「えいちゃんも練習してれば、私が急用があったような場合に頼めるな」
と京子さんは言っていた。
 
確かに龍笛の“まともな”吹き手が3人居たら安心だ。
 
(龍の7段階説で言うと、寛子さんは自分は龍(Level 7) の下の蛟(Level 6) だと言っていたし、循子さんは自分は蛇(Level 0)未満、ミミズ(Level -1) より下のビニール紐(Level -2 ?) と言っていたが、細川さんの龍笛も実は蛟の下の虹(Level 5) 程度である。それで細川さんは祈祷ではあまり吹かない。やはり若い巫女さんが下手なのはまだ許されるけど自分の年齢で上手くないのは顰蹙だからと本人は言っていた)
 
京子さんは9月中には通常使う曲を覚え、9月27日(土)から実戦投入された。
 
(この日は千里は文化祭で欠勤の予定だったが後述の理由により千里は出勤した。それで9/27-28の土日は1回交代で笛と太鼓を担当した。これも京子さんには凄く勉強になったようである)
 

「ねね、こないだから思ってたんだけど」
と映子は言った。
 
「あの場所、“合唱サークル”の練習にも使えないかな」
「合唱サークル?」
「を、私と千里で作らない?」
「なるほどー!練習場所が無いから作れないと言ってたもんね」
「だから吹奏楽の大会には一緒に吹奏楽やって、それと別途で何人か集めて合唱もやる」
「何かどさくさに紛れて吹奏楽もやってと言われた気がしたけど」
「こないだみたいに大会の時の助っ人でいいよ」
「こないだ?」
 
「こないだの地区大会でフルート吹いてくれたじゃん」
「え?そんな覚えはないけど。私そもそもフルート持ってないし」
「はぁ〜〜!?」
 
吹奏楽の大会の助っ人をしたのは千里Rで、“この千里”は千里Bなので話が通じないのである。でもこの手の“話が通じない”のは千里に関しては小学生の頃から、よくあったことなので、映子はあまり気にしないことにした!
 

千里は細川さんに聞いてみた。
 
適当な場所代を払うから、あの別館で昼休みに“合唱同好会”の歌の練習をさせてもらえないかと持ちかけたのである。
 
「それは構わないと思うけど」
と言って、宮司さんに聞いてみてくれたら、結局月3000円で使わせてもらえることになった。
 
「でもそれなら、あそこのピアノの調律をしてもらうよ」
と細川さんは言って、調律師さんが“たまたま”留萌に来た時についでに調律してもらった。要するに出張費の節約である!
 

N小の合唱サークルのOGに声を掛けて、“合唱同好会”は結局こういうメンツでスタートすることになった。
 
映子(言い出しっぺで部長になることになった)、千里、穂花、佐奈恵、美都。これにP小出身で、たまたま話を聞いて乗ってきた、幸代と讃樹も加わった。
 
初期部員:−
Sop. 千里・穂花・佐奈恵
Alt. 映子・美都・幸代・讃樹
Pf.セナ!
 
セナは「女子の合唱団だよ。セーラー服着ていいよ」と言って引き込んだ(男の娘製造計画)。彼女?の参加で部員は8名になった。
 
第1回の練習は10月8日(水)に行った。
 
合唱同好会のビギニングである。
 
当面は「適当に歌おう」と言ってこの日は I wish の『明日への扉』を練習した。
 
今『鋼の錬金術師』の主題歌として注目中の『メリッサ』を歌っている、ポルノグラフィティには良曲が多いので歌いたいという意見が出ていたが、ポルノを知らない子もあったので、検討課題とした(ちなみにこの時期はまだTamaが居て3人組だった時代)。
 

「『アポロ』とか『アゲハ蝶』とか凄くいいよ〜」
「しっかし発音するのが恥ずかしいバンド名ね」
「とにかく目立つ名前を考えたらしい」
「確かに目立つけどね」
 
「でもバンド名では、コブクロも恥ずかしい」
「小渕さんと黒田さんでコブクロなんだけど、絶対確信犯(誤用)だよね」
 
「こないだ解散したけど(*1)、セックス・マシンガンズも言うのが恥ずかしかった」
「あれはイギリスのセックス・ピストルズというバンドを越えたいという命名だったんだよ」
「待って。セックス・ピストルズのほうがヤバい気がする」
「それは、あれのことよね?」
「きゃー」
 
「バンド名じゃないけど、ポケットモンスターとか、英語では凄い意味になる」
「今の瞬間、何を意味してるか分かった」
「ポケモンの映画がR18指定されちゃったりして」
 
結局話は他の方向に行った。
 
(*1) セックス・マシンガンズはこの年(2003年)8月13日に解散した。しかし翌年4月4日に再結成した。その後、何度も活動休止と再開を繰り返している。
 

顧問が必要だが、音楽の藤井先生にやってもらえることになった。それで生徒会に届けて、合唱同好会が発足したのである(同好会は部員5人以上と顧問の先生が必要:5名として署名した“発起人”は映子・千里・穂花・美都・佐奈恵)。
 
当面練習をするだけだが、留萌市のクリスマスイベントとかに出られないか交渉してみると先生は言っていた。
 
それで千里(B)たちは10月以降、昼休みにQ神社別館で、合唱同好会の活動をするようになったのである。
 

時間を戻して、新学期スタート早々の8月25日(月)には、また変則時間割で実力テストが行われた。千里たちは夏休み中もずっと勉強会を開いていたので全員良い成績を取ることができた。
 
今回の勉強会グループの成績(括弧内は前回)
玖美子 1(1) 田代 2(3) 蓮菜 3(2) 美那14(22) 穂花16(25) 千里26(40) 恵香 32(43) 沙苗41(65) 留実子 58(74)
 
田代君に点数1点差で負けた蓮菜が悔しがっていた。
 
「次回逆転して雌雄を決しなければ」
「蓮菜が勝ったらどうするの?」
「雅文をお嫁さんにする」
「ふむふむ」
「雅文のちんちんを切り取って私がもらう」
 
などと言っていたら、
「チンコ切るとか気軽に言うな」
と鞠古君が言っていた。
 
「いよいよ、ちんちん切る手術だね」
「凄い憂鬱なんだけど」
 

ということで、鞠古君はペニスを切る手術を9月3日(水)に札幌の##病院で受けたのである。
 
“切る”といっても、ペニスを丸ごと切断する訳ではなく、腫瘍ができている部分前後1.5cm 合計3cm ほどを切除して、その前後を繋ぎ合わる。田代君・千里・留実子の3人がクラスを代表して前日から学校を休み(公休扱い)、お見舞いに行った。
 
手術前に(手術中の勃起防止のため)打たれる女性ホルモンの注射を、鞠古君と間違って千里が打たれるなどという軽い?事故もあったが、手術は無事完了した。
 
彼が意識を回復した時は、お姉さんがからかった。
 
「手術は無事終わったよ」
「俺のチンコは無事?」
「うん。きれいに切り取って、その後はちゃんと割れ目ちゃんの形にしたから」
「えーーー!?」
「性別変更の申請書も書いといたから。明日にも市役所に提出するね」
「うっそー。俺、女になっちゃったの?」
 
「嘘嘘。3cm短くなっただけ」
「良かったぁ」
「3cm短くなったんじゃなくて、3cmに短くなったのなら大変だったね」
「まあ3cmだと、立っておしっこできないだろうね」
 
神経が物凄く敏感な所にメスを入れたので、痛みが取れるには数ヶ月かかるらしかった。彼は手術の後、学校も1ヶ月くらい休んでいたが、自宅療養中はずっと和服を着ていたらしい。ズボンだと圧迫されて痛いからである。その間はずっと導尿していた。
 

9月7日(日).
 
千里たち勉強会グループは漢字検定(漢検)を受けた。蓮菜や玖美子は高校生レベルの準2級を受けた。千里や恵香は、小学校卒業程度の5級を受けるか、中学程度の4級を受けるか悩み、結局2人とも両方受けることにした。
 
会場は市内のR中である。
 
実際に試験を受けると「分からーん」「こんな熟語見たこともない」と思う問題が多かった。5級も落ちたかも知れないなあなどと思ったが、玖美子はたくさん試験を受けることに意義があるんだと言っていた。試験というもの自体に慣れてないと、高校受験とかで緊張して実力が出せないと玖美子は言う。
 

9月8日(月).
 
校内水泳大会が開かれた。北海道では8月中旬を過ぎるとかなり寒いのだが、S中のプールは屋内温水プールで通年使用できるので、この時期に水泳大会をしても大丈夫なのである(この週の水曜日にはR中、金曜日にはC中がここに来て水泳大会を実施した)。
 
個人種目のほか、クラス対抗リレー、部活対抗リレーなどの種目も組まれている。
 
千里は(女子)25mに出場した。
 
「千里〜、リレーに出ない?」
「無理〜。私25mやっと泳げるようになったのに」
 
真実を知っている玖美子がニヤニヤしていた。
 
でも沙苗は女子のクラス対抗リレー、女子の部活対抗リレーに出場することになった。
「いいのかなあ」
と本人は悩んでいたが、(マジで)今年やっと25m泳げるようになった沙苗なら、他のクラスや部活からクレームが出ることもないだろう。
 

25m泳げない子のために“15m(歩行可)”という種目もあり、これに女子が40人くらいと男子が10人くらい出ていた。
 
女子25mは6組に別れていて、事前測定タイムで“平均分け”されている。つまり各組とも速い人から遅い人まで混じった状態で、レースは行われる。25mの事前計測タイムは千里の場合、25mを49秒で泳いだので、多分底辺くらいかなと思っていたら、(25m泳げた)女子76人中28位と言われてびっくりした!
 
ということで、千里は第2組の第6レーンで泳いだ(基本的に成績の良い人から順に、泳ぎやすい中央付近のレーンを使う)。
 
それで上位になりませんように、なりませんように、とゆっくり泳いだのだが、この第3組の3位に入ってびっくりした!タイムは51秒だった。それで賞状(各組3位以内)までもらってしまった。玖美子には「手抜きが酷い」と言われたが。ちなみに沙苗は40秒で6組の2位だった!(1位は水泳部の女子)
 

クラス対抗リレーは3学年で9クラスあるので、1年の3クラスが泳いだ後、2-3年の6クラスが泳ぎ、タイムで順位が決まることになっている。1年1組女子は、尚子、沙苗、侑果、玖美子と繋ぎ全校3位だった。優勝は、麦美・伊都・佐奈恵・留実子とつないだ1年2組だったが「男子が入ってるのでは?」と言われていた。
 
留実子は
「男子水着を着て男子に出てもいいけど」
と言っていたが、
「そんなことしたら私が逮捕されるー」
と担任の緒方先生は言っていた。
 
部活対抗リレーでは、剣道部女子は、藤田→沙苗→武智→沢田、バスケ部女子は節子→房江→久子→数子、とつないで女子部活10チーム中、剣道部は6位、バスケ部は最下位だった(5チームずつ泳いでタイム決勝)。
 
(バレー・バスケット・体操・柔道・剣道・テニス・卓球・ソフト・陸上・スキー、で10チーム。水泳部は圧倒的に有利なので出場せず。バドミントン部は出場辞退した)
 
なお“メドレーリレー”を実施しないのは、バタフライができる子がほとんど居ないからである。
 
今回の水泳大会では女子の見学者が7-8人いた。恐らく生理にぶつかったのかな〜?と千里は思った。でも留実子のように生理にぶつかっても平気で泳いだ子もいる。
 
千里もちょうど生理だったのだが、大会には子宮が無いので生理の無い千里Bが出場した!(やはり3人で話し合って誰がするか決めてるとしか思えない)
 

9月11日(木)、
 
1年生は市外学習に出掛けた。
 
クラス単位、3台のバスに乗って出発する。1時間半ほど走り、旭川市郊外の道の駅で休憩した。トイレに行ったついてにお菓子などを買っている子たちもいた。
 
バスに戻った時、乗り口の所で人数を数えていたガイドさんが首を傾げている。あらためてバス内をいちばん後まで歩いて人数を数えるのだが悩んだ様子で、菅田先生に言った。
「すみません。どうしても人数が合いません。男子が1人少なくて、女子が1人多いのですが」
 
すると前の方の席に座っていたクラス委員の侑果が
「大丈夫です。男子が1人ラベンダードリンク飲んだら性転換しちゃっただけですから」
と言う。
 
「ラベンダーで性転換するんですか!?」
「過去や未来に飛んだりすることもあるみたいですよ」
 
ということで、どうも問題無さそうということでバスは出発する。
 

そこから更に1時間半ほど走って富良野のファーム富田に行った。
 
富良野といっても、上富良野町・中富良野町・富良野市・南富良野町と4つの自治体に分かれている、この順番に北から南へ並んでいる。南富良野町の南側にある占冠村(しむかっぷむら)までが、ふらの農協に参加している。上富良野町の北側に。後に“日本一美しい村”として有名になる美瑛町がある(この時期はまだそのような広報活動はされていない)。
 
ファーム富田は中富良野町である。
 
レストランでお昼御飯を食べた後、園内を見学した。
 
ここはラベンダーで有名なのだが、この時期はさすがに終わっている。ラベンダーの見頃は7月である。しかしコスモスとマリーゴールドがたくさん咲いていて、きれいだった。
 
「今日はひたすら自然と親しむ旅かな」
「農業を志す人が1人か2人は増えるかも知れない」
「でも留萌にも富良野のラベンダーみたいな目玉が欲しいね」
「畑にカラス脅かす目玉立ってるよ」
 
話が通じてない!
 

富良野というとドラマ『北の国から』のロケ地としても有名である。
 
『北の国から』は1981-1982年に連続ドラマとして放送されたものだが、その後、数年おきにスペシャル版が放送された。最近では昨年(2002年)9月に放送されているが、それが実質的に最後の放送となった(2022年現在続編は放送されていない)。主演の田中邦衛にとっては代表作であり、また、さだまさしが歌う「ああ〜ああああ、あ〜あ」というメロディを連想する人も多い。
 
ファーム富田を出た後は富良野市内に入りこの『北の国から』のロケ地を見学する。最初に行ったのは“拾ってきた家”だが
 
「もう少しまともな建て方がある気がする」
という意見多数。
「わざと変にしてるよねー」
と言っている子もあった。
 
少し歩いて“五郎の石の家”を見るが不評である!
 

その後、バスで移動して、“北の国から資料館”を訪れた。
 
千里たちの世代ではこのドラマを見ている子はそう多くないので、ピンと来ない感じの子も多かったが“拾ってきた家”“五郎の石の家”を見た後だったので結構イメージが膨らんだし、みんなガイドさんの説明に聞き入っていた。
 
資料館の後は、近くの三日月食堂を訪れたが、そろそろお腹が空いてきた頃でラーメンが大人気であった!食べたのは希望者のみだがほとんどの子が食べた(大量人数なので最低70食(購入約束)最大90食と言って予約しておいた)。
 
「ラーメンは美味しい」
「うん。今日のコースの中で最大の収穫だ」
などと声があがっていた。
 
(三日月食堂は2009.9で閉店した)
 

ロケ地見学の後はバスで2時間半ほど走り、夕方留萌に帰還した。学校で解散して、迎えに来ている保護者の車で帰宅したが、セナは母から
 
「あんたなんでセーラー服着てるの?」
と言われ
 
「しまった。学生服返してもらってない」
と焦っていた。
 
その場にいた数人の女子に自分の学生服を誰が持っているか尋ねていたものの誰も知らないと言うので(知ってる子も教えない)、結果的に翌日朝もセーラー服で登校するハメになった。しかしジョークの範囲と思っている父親が
 
「お前、可愛いぞ。そのまま女子中学生になるか?」
と大笑いして言っていたらしい。
 
セナは、お父ちゃんが女子になってもいいと言うのなら、本当に性転換しちゃおうかしら、と思った。手術痛そうだけど。
 

9月13日(土).
 
バスケットの秋季大会留萌地区予選が小平町(おびらちょう)で行われた。3年生にとってはこれが最後の大会ということになる。
 
現在、留萌振興局(支庁)には19の中学校があるが、極端に生徒数の少ない学校もあり、それらの学校が近くの中学に加わる形のチームも作られて、男子14チーム、女子8チームが参加していた。
 
コート割当表
8:00〜 9:00 男1回戦 ABCDEF
9:00〜10:00 女1回戦 ABEF
10:00〜11:00 男準々決勝 ABCD
 
11:00〜12:30 女準決勝 EF
12:00〜13:30 男準決勝 AB 13:30〜15:00 女決勝 E 女3決 F
14:30〜16:00 男決勝 A 男3決 B
15:10〜15:30 女表彰式 E
16:10〜16:30 男表彰式 A
(日没17:43)
 
AB:B&G海洋センター CD:小平小学校 EF:小平中学校
 
(コートは各会場2コートずつ取られている。ちなみにB&GはBoys and Girls ではなく、Blue Sea and Green Land 青い海と緑の大地)
 
※準々決勝以下は「スローイン等でも時計を止めない」「タイムアウト無し」の方式で行う。また決勝と3位決定戦以外では、本割で決着付かなかった場合は、延長戦は行わずフリースロー対決をして、それでも決着がつかない場合はジャンケン!ということになっていた。
 

メンバーは保護者の車に分乗して現地に入った。女子は、節子さんのお母さんの車に節子・房江・久子、友子さんのお母さんの車に友子・数子・千里・留実子が乗っている。身体の大きな留実子は当然助手席である!後部座席には友子・数子・千里の順に座っている。身体がくっつくが、千里と接触する数子は、この子、ほんとに感触も女の子だよなあと思っていた。
 
女子は、3年生の節子と房江、2年生の久子と友子、1年生の数子と留実子という6人のチームで、千里はアシスタント・コーチとしてベンチに座る。
 
例によって試合前の練習で千里が遠くからスリーをノーミスでじゃんじゃん放り込むのを見て相手チームはかなりビビっていたようである。しかしスタメンには当然千里は出ていない(スターターは体力の無い友子以外の5人)。
 
それで千里が出てくる前に決着を付けようという感じで向こうは攻めてきて自滅する!いつものパターンである。第1ピリオドで長身の留実子がどんどんシュートを決め、点差を付ける。第2ピリオドでは数子と交代して出た友子がスリーをどんどん決める。それで前半では15点差を付けた。
 
向こうはいつ千里が出てくるんだろう?と訝りながら対戦するが千里は最後まで出ないまま、20点差で決着した。向こうは千里は後の試合のために温存したのかなと思ったようである。
 
そういう訳で、S中女子バスケ部は春の大会に続き、1回戦を突破したのである。バスケットフェスティバルも入れたら3勝で、過去5年間1度も勝ってなかったのに今年はとても優秀である。
 

1回戦は海洋センターで行われたのだが、準決勝以降は小平中学校の体育館で行われる。
 
そして両者は・・・ 2kmほど離れている!
 
「ジョギングで行くよ」
「え〜〜〜!?」
「お母さん、車を中学校に回送しといて」
「了解了解」
 
ということで、車2台は部員は乗せずに回送され、S中女子バスケ部員(千里を含む)は2.1kmの道のりをジョギングで移動したのであった。
 
体力の無い友子は完璧にダウンしている。
 
「もう私試合に出る体力無い。千里、性転換して私の代わりに出て」
「いや千里は性転換済みだと思うんだけどね」
 

ということで、1回戦が終わってから1時間後、小平中学校に到着してから40分後に準決勝は行われた。相手は羽幌町の中学であった。
 
相手は結構強いなと思った。そして強い所とやり慣れてると思った。
 
向こうはこちらのチームで最も警戒すべきなのが留実子であることを見抜いていた。
 
それで向こうは留実子にダブルチームを掛けて、彼女がほとんど仕事できないようにした。留実子は身体能力はあるが、バスケット自体に関しては素人に近いので、これで完全に封じられてしまう。
 
すると、他は3対4になるが、底力があるので、こちらの4人に向こうの3人で充分対抗できる。それで結局10点差で負けてしまった。
 
「うーん。残念」
「ジョギングで疲れたからでは」
「その後30分以上休んでいるから関係無いと思う」
 
留実子が物凄く悔しそうにしていた。留実子はたぶんバスケの練習に熱心に来るのではないかと思った。
 

お弁当(例によって留実子の分は千里が用意しておいた)を食べてから30分くらい休んで3位決定戦に出る。
 
このチームも留実子にダブルチームを掛けたが、それで守備が手薄になったところに、ようやく体力を回復させてきた友子がスリーを連発する。友子に気を取られると、先の試合で少しは学習した留実子がダブルチームを振り切ってゴールにボールを叩き込む。
 
これがうまく回り、かなりの接戦をしたものの、最後に留実子のダンク気味のシュートが決まって1点差で辛勝した。
 
これでなんとS中女子バスケ部は、部創設以来初めて?地区3位になったのであった。
 
表彰式で3位の賞状をもらったキャプテンの節子が
「最後の最後で凄くいい想い出ができた」
と泣いて喜んでいた。
 
「私たちは辞めちゃうけど、今年がS中女子バスケ部のビギニングかもね」
と、もうひとりの3年生・房江は言っていた。
 
「千里が性別変更してくれていたら優勝も夢じゃなかったね」
などと数子は言っていた。
 
なお、遅くなるので、女子部員は男子の試合は見ずに帰宅したが、S中男子も3位になり、バスケ部は男女アベック3位を達成した。
 

女子バスケット部は部長の交代をおこない、ポイントガードの久子さんが新しいキャプテンになった。この時点で部員は下記である。
 
2年生 PG 久子 SG 友子
1年生 SF 数子 C 留実子 SG 千里
 
5人ぎりぎりだが、千里が男子として登録されているので、早々に!千里が性別変更しない限り、試合に出られないことになる。
 
「何か性別を変えられる法律ができたんでしょ?千里、性別変更を申請しなよ」
「あれ来年の夏に施行されるんだよ」
「来年かぁ!」
「それに性別変更できるのは20歳以上」
「そこは年齢誤魔化して」
 
バスケ部に入っている千里(B)は自分の戸籍が既に女になっていることを知らない。
 

「え?専務さん、入院してるの?」
「何か貧血みたいな症状で倒れて病院に運び込まれたら癌が見つかったらしい」
とその日、久しぶりに帰って来た英世は言った。
 
現在ワンティスはアルバムの制作中で、実質リードギターを弾いている英世はなかなか帰宅できない状態が続いていたが、10日ぶりくらいに帰って来た。
 
「そういう状況で癌が見つかったって、かなり進んでいる気がする」
「うん。だから心配なんだよ。うちの事務所って、専務の顔で持ってるようなものだから」
 
事務所を実際に切り盛りしているのは、専務の夫である村飼藤四郎社長ではあるが、往年の大歌手である専務の千代さんのネームバリューあってこその事務所である。
 
「取り敢えずお見舞いに行ってくるよ。病院はどこ?」
「それが面会謝絶らしい」
「それ、物凄くやばいんじゃない?」
「そんな気がする」
 

1歳くらいの子供を抱いた女は、事務所の入口で
「猛獅に会わせてください」
と言い、事務所の社員で元プロレスラー!の左座浪は
「帰って下さい」
と言って絶対に中には入れず、押し問答をしていた。
 
しかし身長190cm 体重120kg の左座浪を、推定身長150cm 体重40kgほどの女は突破できず、子供も泣くので、30分ほどで諦めて帰った。
 
「お疲れ様」
「ほんと困ったもんですねー。もう3回目ですけど、マスコミとかにあることないこと言われても困るし」
と左座浪は社長に言う。
 
「どこから高岡君の愛人で、子供を産んだなんて妄想を持ったんだろうねぇ」
「グルーピーで、ツアーか何かの時に高岡さんが抱いたんでしょうかね?」
「高岡君は決して女を抱いたりしてないし、その女は見たこともないと言っているからそれを信じてるんだけどね」
 
「DNA鑑定させろとか言い出したら?」
「高岡君の言葉を信じて応じてもいい。結果が出れば高岡君の身の潔白を証明できるし。しかし面倒だな。彼の種でないことを証明できても、セックスしたかどうかは水掛け論になりかねないし」
 
と溜息をつきながら、村飼社長は腕を組んだ、
 

9月20日(土).
 
千里・数子・留実子および、男子バスケ部の1年生12名がバスケットのルール講習会に参加するため旭川に出た。バスケットのルールをあらためてきちんと学ぶのと、審判やT/O(テーブルオフィシャル)の勉強をするのである。テーブルオフィシヤルというのは次の4つの役割である。
 
スコアラー:試合のスコアをつける。
アシスタント・スコアラー:得点や反則をした選手を確認しスコアラーに伝える。
タイムキーパー:計時を管理する。
24秒計オペレータ:ショットクロックを管理する(*2)
 
この中で何と言っても大変なのが24秒計オペレータであり、24秒計オペレータの感覚(ショットクロックが鳴ったのとシュートされたのと。どちらが速かったかを判断する)は、試合の行方を左右する。一瞬たりとも気を抜けない重労働である。スコアラーも物凄く大量の記事をひたすら記録し続けなければならない。
 
(*2)ショットクロックは日本では1956年に30秒ルールとして導入され、2001年に30秒から24秒に改訂された。このルールが導入される前は、ボールを持ったチームの選手がひたすらドリブルを続けて、時間を浪費するなどという酷い試合があった。
 

講習会の会場はE女子高であった。
 
午前中にルールの解説があるが、細かいルールは話だけ聞いてもさっぱり分からない!と千里は思った。お昼を食べてから午後は実技ということだったのだが、お昼に散歩していたら、ばったりと晋治と遭遇し、少し話した。
 
彼は(T中学の)同級生女子たちがE女子高を見学するののお守り役?で来ていたらしい。T中学高校は中等部は共学だが、高等部は男子のみなので、中等部の女子は他の高校に行く必要がある。成績が優秀な子はE女子高に行く子が多い。それにしても男子である晋治が女子高の見学に付き添う必要は無い気もするのだが、晋治という人は、女子に異様に親切なのである。ストイックな貴司とは対照的である(でもどちらも浮気する!)。
 
その女子同級生たちに、千里(B)は晋治の恋人かと思われて誤解を解くのに苦労した。また、晋治と話している所を留実子に見られ、留実子は千里が信司と貴司の二股しているように思い込んでしまったようでこれもまた困った。
 
「細川君には言わないから大丈夫だよ」
などと留実子は言っていた。
 

午後からは参加者で交替で主審・副審・T/Oをした。参加者は男子200人、女子100人くらいで、男子はメイン体育館2コート、女子はサブ体育館1コートで、実際に試合(10分間)をしながら、審判・T/Oの練習をする。タイムキーパーと24秒計オペレーターは1組しか入れないが、スコアラーとアシスタント・スコアラーはテーブルを8つも並べて、8組がスコアをつけ、またその各テーブルの後で各テーブル4人くらいずつ見学した。しかし試合が終わってから見比べると、かなり違う!点数まで違うので、どこで間違ったかをお互いに検討した。
 
(チームが青か白かの勘違い、無効になったシュートを有効だったように誤解したケース、3ポイントを2ポイントと思ったケースなどで点数がずれていた)
 
千里は最初アシスタント・スコアラーをして、間違いの検討をした後、選手役をしてから24秒オペレータをしたが、これは大変な仕事だぞと思った。最後はスコアラーをしたが「忙しい!」と思った。全く休む間が無いのである。今日は10分単位だが、40分の試合でスコアラーとか24秒オペレーターをしたらその後2〜3時間放心状態になりそうと思った。
 

2003年9月26日(金).
 
早朝4:50 千里は突然の揺れで目を覚ました。
 
「玲羅大丈夫?」
と同じ部屋で寝ている玲羅に声を掛ける。
 
「大丈夫。びっくりしたぁ」
 
襖を開けて母にも声を掛けるが、母も大丈夫だった。(父は出港中)
 

十勝沖を震源とするM8.0の地震があったのである(2003十勝沖地震)。
 
(1時間後の6:08にはM7.1の余震があった:地震の後片付けをしていた人が再度片付けるはめになった:千里は学校から帰ってから片付けようと思って放置していたので片付け作業は1度だけで済んだ!)。
 
留萌は(主震でも)震度3だったので、ほとんど被害は出ていない。ただし元々物を不安定に積み上げている千里の家では茶碗が落ちて割れたりしたものもあった。
 
この地震では震源に近い釧路で震度6弱、帯広が震度5、旭川が震度4だった。旭川の美輪子や、きーちゃんの所は結構震度を感じたらしい。この地震による死者行方不明者は合計2名である。十勝川の河口付近で釣りをしていた男性2名が津波にさらわれ、1人は2年後に遺体が見つかったが、1人は行方不明のままとなっている。
 
この地震の際、体外受精のためにシャーレの中で育成中だった、桃川春美の子供の受精卵が地震のショックで分裂し、後に織羽と多津美になった(と推定される:年齢が違う一卵性双生児)のだが、そういうことが起きた(であろう)ことを千里が知るのはずっと後のことである。
 

S中では9月26日当日は通常通り授業があったものの、翌日・翌々日に予定されていた文化祭は延期となった。日程はこの時点では未定だったが、火曜日になって一週間遅れの10月4-5日(土日)に行うことが発表された。
 
千里は文化部には入っていないので(*3)、体育館で様々な演目を眺めてるかなと思ったら、クラスで模擬店をやるから調理係をしてと言われた。
 
(*3) 千里はパソコン部の部員のはずたが、入学以来2回くらいしか顔を出していない。吹奏楽部は部員だけで演奏した。合唱同好会の活動はこの文化祭の後から。
 

「調理って何するの?」
「ケーキは黄金屋で100個買ってくる」
「そんなに売れる?」
「余ったらみんなでシェアする」
「それが目的だな」
「クッキーをドラッグストアで買ってくる。紅茶はティーバッグ、コーヒーはレギュラーコーヒーをペーパーフィルターで入れる」
「本格的だね!」
「エスプレッソ作ろうという意見もあったけど、難しいんじゃないかということになった」
 
「コーヒー好きな人はむしろペーパーフィルターを好む気がする」
「そういう意見もあった。エスプレッソの機械が壊れたらお手上げだし」
「ペーパーフィルターだと、壊れることはまずないだろうね」
「象が踏みつけたりしない限りは大丈夫だと思う」
 
どういうシチュエーション?
 
「あと、ハンバーガーをホットプレートで作るからさ、それ千里できないかなあと思って」
「ハンバーガーは何度か作ったことあるよ」
「じゃ任せた」
 
しかし当日になってエスプレッソどころか、レギュラーコーヒーというもの自体を初めて見た!という子も結構いて、コーヒーがドリップしていくのを面白そうに眺めていた。
 

千里は唖然とした。
 
「これよく先生の許可が出たね」
「菅田先生は笑ってたよ」
 
ということで、模擬店の厨房でコーヒーを入れたり皿にケーキを載せたりしているのは全員女子なのだが、ロングスカートのウェイトレスさん衣裳を着けて給仕しているのは全員男子!なのである。
 
「スカートって何か凄く頼りない。下半身に何もつけてないみたい」
などと祐川君が言っている。
 
「でも祐川君はいつもスカート穿いてるという噂があるのに」
「どこからそんな根も葉もない噂が」
「でもスカート穿きたかったでしょ?」
「別に!」
「正直になればいいのに」
 
この日、この教室近くの男子トイレにはスカートを穿いた子が多数出入りしていて、思わず飛び出してトイレの性別表示を見直す人が続出したらしい。
 

千里や沙苗はもちろん女子として厨房で作業しているが、セナも厨房に入れて主としてコーヒーを入れる作業をしてもらった。セナの場合、ウェイトレスさんの衣裳を着せると女の子にしか見えないので、この模擬店の“ポリシー”にそぐわないのである!
 
セナに給仕させたら
「何だ。男の子ばかりじゃなくて、女の子も入っているのか」
と言われるのは間違い無い。
 
しっかし、こんな色物企画、客が逃げてくだろうと思ったのに、かなり繁盛して用意していたケーキは全部売り切れてしまった!千里が作っていたハンバーガーも、恵香と優美絵が作っていたスパゲティも14時過ぎには材料が無くなり、Sold Out の張り紙を出した。
 
「面白かった。来年もやりたいな」
と女子たちは言っていたが
 
「恥ずかしかった。来年は他のクラスに行きたい」
などと男子たちは言っていた!
 
「スカート初体験の感想は?」
「なんかスースーして寒いくらい」
「でもタイツも履いてるのに」
「タイツでは涼しさを防ぎきれない感じ」
 
「男性がみんなスカート穿けば夏は冷房の温度を3度上げられると思うけどなあ」
「あまり想像したくない」
「でも中世ヨーロッパだと男性もスカート穿いてたはず」
「そうだっけ?」
「女性はロングスカート、男性はショートスカート」
「へー」
 

文化祭の後、月火が代休になり、水曜から授業は始まる。この10月8日(水)に鞠古君がやっと出て来た。
 
鞠古君は今年実は出席日数がかなりやばいのだが、先生たちが鞠古君の自宅に行って出張授業をしてあげたり、またレポートで出席に代えるなど、かなり配慮してもらったので、この後ほとんど休まずに学校に出てくれば何とか進級に必要な出席日数はギリギリで確保できるらしい。
 
しかし出て来て早々に男子たちにからかわれている。
 
「マリコちゃん、ちんちん切ったんだって?おめでとう!」
「あれ?どうしてセーラー服じゃないの?」
「ちんちん切った子は女子制服着なきゃ」
「ちゃんと性別変更届け出した?」
 
「お前ら、病人を少しは、いたわってくれてもいいだろ?」
と鞠古君は文句を言っていた。
 

またこの日は合唱同好会の第1回の練習をした。
 
10月9-10日(木金)には、2年生が宿泊体験に行った。
 
文化祭後の代休明けすぐで慌ただしいが、本来は文化祭は1週間前にあるはずだったのである。
 

10月11日(土).
 
先日漢検を受けたばかりだが、10月11日には、S中を会場にして(希望者だけ)英語検定を受けた。学校会場で行われたのは2〜4級(2〜3級はその1次試験)である。勉強会メンツは全員どれかの級を受けたが、千里は英語の鶴野先生から「村山さんは3級は受ける必要が無い」と言われたので2級を受けた。
 
この時、玖美子から注意された。
「千里の英語って、結構 broken English なんだよ。それで意味は通じるし、むしろ会話ではそのように言われることが多いけど、文法的に間違ってる言い方を多用している。英検ではそれをちゃんと文法通りに表現しないと落とされる。特に2級以上は、それが厳しい。学校の英語の試験や高校受験でもそうだけどね」
 
「例えば?」
と恵香が訊く。
 
「千里って形容詞を副詞的に使うのが物凄く多い。早く来てって何て言う?」
「Come on quick!」
 
「Come on quickly が正解。quickは形容詞。ここは文法的に副詞が必要だからquickly にしないといけない」
「Come on quickly と言うのは、本当に早く来てと求めている感情が伝わらない。言ってる側に余裕を感じる」
 
「そうなんだけど、文法的には間違っている」
「うーん・・・」
 

「だいたい試験ってのはゲームなんだよ。出題者がどういう回答を期待しているかを考えて、それに沿った回答を書くゲーム。国語でよくある、作者はここでどう考えたか?なんてのは絶対作者はそんなこと考えてないから」
 
「ああ、それはよく思う。そこまで考えてる訳無いって」
 
「北杜夫さんの娘さんがさあ、授業でお父さんの書いた小説が教材になってて、ここで作者はどう思ったか?という問題があったらしいのよ。それでお父さんに訊いてみたら『何も考えてなかった。締め切りがきつくて考える余裕が無かった』と言ったんだって。でもそれを書いたら不正解にされたと」
 
「あはは」
「いやそれは不正解にされる」
 
「でもテストというものが何を書かなければならないかというのをよく示すエピソードだよね」
 
「少し納得した」
 
そういう訳で、この英検2級(恵香は3級を受けた)の試験で千里は、玖美子の助言に従って“普通に使う表現”ではなく、文法的に正しそうな表現で書くように気を付けたのである。
 

さて、北海道では七五三は10月15日に行う人が多い(11月15日は寒すぎる)ので今年は10月11-13日(土日祝)が参拝の集中日であった。
 
それで千里YはP神社、千里BはQ神社に各々出掛けて行き、昇殿祈祷する親子連れの祈祷の笛を吹いた。Q神社は参拝客が多いので、千里と京子さんで交替で吹いている。
 
そういうわけで、11日に英検の試験を受けたのは千里Rだったのである。(P神社でよく笛を吹いている恵香は英検を受けている)
 
小春とミミ子は、千里たちってどうしてこんなにきれいに作業を分担できるのだろうかと疑問を感じた。
 

10月13日(月)には先月受けた漢検の結果が届いていた。千里は4級・5級ともに合格していた。5級も落ちた気がしていたのでマジでびっくりした。
 
「いや、千里は漢字に強いと思うよ。これちょっと読んでみて」
と蓮菜が見せた文章を千里はこう読んだ。
 
「ハンファン・チョンスー・チーチンコー、ユーユートーニェン・チョープートゥォ、ヤンチャーユーニー・チューツャンチャン、ヤンツァイシェンクイ・レンウェイシー、ティェンション・リーツィー・ナンツィーチー、イーツァオシェンツァイ・チンワンツー、・・・」
 
(漢皇重色思傾国 御宇多年求不得 楊家有女初長成 養在深閨人未識 天生麗質難自棄 一朝選在君王側)
 
聞き取れたのは蓮菜と小春だけである。蓮菜は
「渡す文書を誤った」
と言って、手を額に当てていた(*4)
 
なお恵香は4級は落としたものの5級は通っていた。
 

(*4) 蓮菜的読み方:漢の皇、色を重んじて傾国(けいこく)を思う。御宇(ぎょう=御代)多年求むれども得ず。楊家に女あり、初めて長成す。養われて深閨にあり、人いまだ知らず。天生の麗質自ら棄てがたく、一朝、選ばれて君王の側にあり。
 
むろん、楊貴妃の悲劇を白楽天が歌った『長恨歌』の冒頭である。
 

10月14日(火)には2学期の中間試験が行われた。これは5教科だけなので1日で終了した。
 
10月22-24日は3年生が修学旅行に行った。
 
S中では1年生の市外研修、2年生の宿泊学習、3年生の修学旅行は分散した日程でおこなう。これを同時にやってしまう学校もあるようだが、S中のような小さな学校ではまとめてやると教員が足りないのである。
 
 
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【女子中学生のビギニング】(1)