広告:Shreanu-バストアップパッド-NEWS
[携帯Top] [文字サイズ]

■娘たちのエンブリオ(15)

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 
前頁次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

10月28日から愛車カイエンとともに北海道に来たゆみは、苫小牧で千里の知人という天野貴子という女性と会い、北海道の道を走るのに必要な装備を一緒に買いに行き、防寒具なども買った上で雪道運転の手ほどきを受けた。そしてのんびりと北海道の旅を楽しんだ。
 
10.28(火) 18:30 大洗港発。
10.29(水) 13:30 苫小牧港着。天野貴子と落ち合い装備を調える。雪道の練習。苫小牧泊。
10.30(木) 支笏湖まで往復。苫小牧泊。
10.31(金) 苫小牧→日高。
11.01(土) 日高牧場見学。
11.02(日) 襟裳岬に行く。十勝泊。
11.03(月) 帯広に移動。
11.04(火) 釧路に移動。
11.05(水) 根室に移動。
11.06(木) 納沙布岬で色丹島を見る。
11.07(金) 知床に行き知床五湖を見る。網走泊。
11.08(土) サロマ湖を見てくる。
11.09(日) 屈斜路湖・摩周湖を見て阿寒湖泊。
11.10(月) 四谷勾美の運転で層雲峡へ。
 
↓ ↑ Bottom Top

天野貴子こと《きーちゃん》は千里に頼まれて、足になってくれる《せいちゃん》と一緒に、ゆみの近くに居て陰からサポートしている。10日はゆみがR241/R240/R39で、阿寒湖から美幌を通り層雲峡方面へ行こうとしていたが、その道はゆみの腕では厳しいと判断。ゆみに電話して知り合いに運転させると言い、急遽《こうちゃん》を呼び寄せ、運転してもらった。女子の車を運転するので《こうちゃん》には女装をさせておいた。途中宿がいっぱいで、同じ部屋に泊まることになったが
 
「万一手を出そうとしたら去勢するからね」
と《きーちゃん》は釘を刺す。
「そんな節操も無く手を出したりしないよ。俺は女性の扱いは心得てるよ」
と《こうちゃん》は言っていたが、念のため《せいちゃん》と交替で見張っていた。
 
↓ ↑ Bottom Top

11.11(火) 層雲峡見学。
11.12(水) 四谷勾美の運転で旭川に移動。旭川泊。
11.13(木) 旭川見学。チェリーツインのメンバーと遭遇。少女Yの運転で美幌へ。マウンテンフット牧場泊。
 
チェリーツインのメンバーとの遭遇は千里も驚いたと言っていた。結局ゆみは同じ石北峠を行きは“女装男子”のこうちゃんの運転で、帰りは“男装女子”の少女Yの運転で越えることになった。
 
11.14(金) 桃川春美の運転で旭川に戻る(旭川紋別自動車道経由)。旭川泊。
11.15(土) 理歌の運転で旭川→稚内 稚内泊。
 

↓ ↑ Bottom Top

利尻礼文を見たいと言っていたので、札幌在住の理歌(貴司の妹)に頼み、往復運転してもらった(玲羅は織絵をサポート中)。
 
11.16(日) 稚内。野寒布岬と宗谷岬を見る
11.17(月) 稚内650-840利尻1610-1650礼文 礼文泊(理歌の伯父宅)。
11.18(火) 礼文1710-1905稚内 稚内泊。
11.19(水) 理歌の運転で稚内→留萌。留萌泊。
11.20(木) 理歌の運転で留萌→札幌 札幌ホテル泊。
 
ゆみ(本名:優美香)は自分が育った家庭ほど複雑怪奇な家庭はそうそう無いのではと思っていた。
 
ところが、美幌から旭川まで運転してくれた桃川春美と彼女の“兄でありかつ夫”である亜記宏さん、そして3人の子供たちとの関係は昨日聞いたばかりなのに、今日それを他人に説明する自信が無いほど複雑だった。更に利尻・礼文までの往復の間に理歌から聞いた、醍醐春海のプライベートな事情も、また複雑だと思った。
 
↓ ↑ Bottom Top

桃川春美と亜記宏は元夫婦かつ現夫婦。いわゆる元鞘婚である。亜記宏の3人の子供との関係は法的には叔父と甥姪であるが、3人は春美を「お母さん」と呼ぶ。そして実は遺伝子的には本当の親子である。
 
醍醐春海(千里)と貴司の関係も元夫婦でありかつ現時点ではほぼ夫婦でもある。貴司は事実上、ふたりの妻を持っている。法律上の妻が妊娠中だが、卵子を提供したのは千里であり、その子供が産まれると、法的には阿倍子の子供として戸籍に記載されるものの、遺伝子上は千里の子供である。しかもその子供の名前は千里と貴司の話し合いで既に決めてしまっているらしい。
 
理歌や貴司の祖父母の話も考えさせられた。祖父は前妻さんとの間に5人、理歌の祖母との間に3人の子供を設けた。但し祖母の最初の子は、祖母がまだ高校生だった頃に、レイプされて出来た子である。高校生なので妊娠出産がバレると退学になるから、ちょうど夏休みだったこともあり病床にあった前妻さんの子として入籍された。つまり戸籍上の母と実母が異なる。
 
↓ ↑ Bottom Top

この3つのケースは全て戸籍上の親と遺伝子上の親が異なるケースである。また1人の夫に2人の妻がいたケースでもある。
 
ゆみの父もふたりの妻を持っていて、ゆみは第1の妻の連れ子であり、妹の遠上笑美子は父と第2の妻の間の子供であった。
 
ゆみは、春美や理歌の話を聞いていて、ひょっとすると、自分と似たように家庭的問題で悩んだり苦しんだりしている人はたくさんいるのかもという気がしてきた。それとともに今年自分が苦悩の淵に沈んでしまっている問題は大したことない気さえしてきたのであった。
 
“あのこと”さえ自分の心の奥に封印してしまえば。
 
どうせ誰も知らないんだし。
 

↓ ↑ Bottom Top

11.21(金) 札幌でゆみと音羽が出会う。
11.22(土) 青葉が札幌に来る(小松8:20-9:55新千歳)
 
青葉は10月20-26日に織絵のヒーリングをしたのだが、今度はゆみのヒーリングをしてくれないかと言われ、11月22日からまた札幌に行った。
 
ゆみは今年春に起きた“事件”について誰にも話していなかったのだが、青葉に初めて話してしまう。しかし青葉はその辛い記憶を“修正”してくれた。すると物凄く心が楽になった。そして実際、青葉が修正してくれた記憶の方が実際の出来事のような気がしてきてしまった。
 
セッションが終わった後で、玲羅が青葉の育った家庭(?)についても言及した。青葉と実姉の未雨が、両親からほぼネグレクトされていて、ふたりで御飯を作って食べていたと言うと、ゆみはうちもそうだったと言った。ゆみの母も不在がちで何日も帰ってこないことがあり、ゆみがしばしばインスタントラーメンとかホットケーキを作り、世都子とふたりで食べていたのである。
 
↓ ↑ Bottom Top

しかし青葉は言った。
 
「結果、生きてこられたんだから、たいしたことないですよ。世間には親から放置されて死んでしまう子もたくさんいますよ」
 
似たような体験をしている青葉からそんなことを言われると、ゆみも本当にそれは大したことではない気がしてきた。
 

↓ ↑ Bottom Top

ところで、ゆみと織絵は意気投合して『Take a chance』という歌を一緒に作っていた。それを青葉(大宮万葉)に見せて、編曲してもらえないかと頼むが、青葉は「姉の方が早いです」と言い、千里に連絡した。千里はOKOKと言って一晩で編曲してくれた。実際にはこの日千里はスペインで試合(日本時間22:00-24:00)があったので、大半の作業をしてくれたのは《わっちゃん》であり、明け方仮眠から起きた千里が最終調整をしている。
 
千里は「いいスタジオ知ってるよ」と言い、旭川のスタジオを紹介。ふたりはそこでこの楽曲を吹き込んだ。結果的に青葉がディレクター役をした。
 
11.23(日) 旭川でXAYAの録音。鈴木社長に会う。
 
スタジオの技術者・荒木さんはAYAがデビューした時に『スーパースター』の最終調整をした時の技術者さんだった。それで彼は
「ゆみさんに会えて光栄です」
と言って感激していた。
 
↓ ↑ Bottom Top

そしてこの荒木さんとの会話から、青葉たちは『スーパースター』の調整をした鴨乃清見が実は千里であることに気付く。
 
「醍醐春海さん、きっと私にデビュー当時の初心に帰れって意味で、ここのスタジオを紹介したんだと思う」
とゆみは言った。その日は織絵・ゆみ・青葉、それに玲羅の4人でゆみのデビュー時の大騒動の話、そして幼い頃の話まで、しんみりと聞いた。玲羅はゆみに言った。
 
「お父さんのお墓参りしてきませんか?色々あったろうけど、死んだらみんな仏様ですよ。それで心の区切りを付けましょうよ」
 
「そうだね。。。そうしようかな」
 

↓ ↑ Bottom Top

その日の夜ゆみたちがホテルで夕食を取っていたら、同じレストランの少し離れた席に∞∞プロの菱沼伊代と丸山アイ、★★レコードの八雲の3人がやってきた。実は丸山アイはデビュー曲の発売を控えて、キャンペーンで全国を回っている最中だったのである。
 
それで4人が八雲たちに見つからないようにとこっそりレストランを出たらホテルの入口で∞∞プロの鈴木社長と遭遇する。鈴木は偶然旭川に来ていたので、丸山アイたちの激励もしようとやってきたらしい。鈴木は4人をスナックに誘った。ゆみは今日録音したばかりの『Take a chance』を鈴木社長に見せた。鈴木は面白がり、このユニットに"XAYA"と命名。そして織絵に自分のプロダクションと契約しないかと誘った。
 
↓ ↑ Bottom Top

ゆみは、にわかに、やる気を回復し、明日東京に戻ることにした。
 
11.24(月) 車を置いたまま東京に戻る。
11.25(火) ローズ+リリーの『Step by Step』の音源制作に参加(27日まで)
 

↓ ↑ Bottom Top

XANFUSのドームツアーは11月14日の北海ドームを皮切りに、15日博多ドーム、16日愛知ドーム、21日埼玉ドーム、22日京阪ドーム、23,24日関東ドームと続いたが、客はほとんど入っておらず、しかも料金が高すぎるアリーナ席はガラガラで、客の大半がスタンド席にいるので、たったひとりでバックバンドも無しで(ガラクン氏の曲は人間が演奏するのは不可能)遙か彼方に居る観客に向かって歌うことになった。光帆は泣きたい気持ちを抑えて、こんな状況の中、来てくれたファンのために熱唱した。
 
このツアー中の12月22日に&&エージェンシーはXANFUSに2人メンバーを追加すると発表した。
 
メンバー選定のオーディションなどは行われた形跡が無く、その新メンバーというのがどのようにして選ばれたのかは全く不明であった(後に別の会社がおこなったオーディションの最終選考落選者から“1本釣り”されていたことが判明する)
 
↓ ↑ Bottom Top

悠木朝道社長はXANFUSのドームツアー最終日に2人をお披露目するつもりだったのだが、当の2人が拒否。更に横浜網美が「こういう形で2人を露出させたら元からのXANFUSファンが猛反発して震来ちゃんや離花ちゃんのタレント生命まで絶たれてしまいます」と言って、一歩も引かぬ姿勢で議論し社長を説得した。悠木もその勢いに負けて諦めたのである。また朝道氏は出演拒否した震来・離花に対して命令違反として年内の無給を宣言していたが、横浜はこれも撤回させた。
 
「17歳の女の子を高校も辞めさせて上京させ仕事させると言っておいて実際に給料は払わないなんて詐欺ですよ」
 
と言われると、押し切ることはできなかったが、朝道氏は怒り心頭に発した感じで、横浜を睨み付けていた。
 
↓ ↑ Bottom Top

横浜は懐に辞表を入れていたのだが、網美さんが居なくなったら、いよいよこの会社が空中分解して、他の所属タレントさんたちが路頭に迷うと、本来は横浜の上司である筈のデスク・原田智佳に乞われて、辞表の提出は見送った。
 

↓ ↑ Bottom Top

↓ ↑ Bottom Top

前頁次頁目次

[*前頁][0目次][#次頁]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 
娘たちのエンブリオ(15)

広告:放浪息子-3-Blu-ray-あおきえい