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■夏の日の想い出・愛と別れの日々(2)

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そして政子は2022年8月3日、女の子を出産。かえでと名前を付けた。くしくも夏絵と同じ誕生日であった(4つ違い)。
 
「夏絵ちゃんの妹だよ」
と私が夏絵に言ってあげると嬉しそうな顔で赤ちゃんを見ていた。
 
「わたし、2人もいもうと、できちゃった」
「敦子ちゃんもいるもんね」
「でもあつこには、なかなかあえないのよね」
 
「かえでって、あつこのいもうとにもなるの?」
「うーん。それは妹じゃないのよね」
「なんだかむずかしいね」
 
敦子から見ると、かえでは、異父姉である夏絵の異母妹なので、血縁的に無関係である。しかし「妹と似たようなもの」と言ってあげたので、敦子にも見せてあげたいと言い、私がリンナの家に行って敦子を預かり、政子の家に連れてきて夏絵と一緒に、かえでを《鑑賞》したりもしていた。
 
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あやめが3歳半・大輝が1歳9ヶ月、夏絵が4歳で、政子の家はなかなか賑やかなことになった。でも政子は母親の自覚があまり無いようで、お乳もあげない!ので授乳はもっぱらお母さんがしていたし、御飯を作るのも政子のお母さんで、政子はのんびりと詩を書いたり、ヴァイオリンやピアノを弾いたりして過ごしていた。
 

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「だけど、最近大輔さん、うちにあまり来ないね」
と夕食時にお母さんが言う。11月頃のことであった。
 
「アルバムの制作に入ったみたいだから、スタジオにずっと詰めていて時間が取れないらしい」
 
大輔は、かえでが生まれた時は物凄い喜びようで、かなり入り浸りになっていて、一時期はこの実家の離れが事実上、政子と大輔との新居という感じになっていた。
 
(ただしかえで・大輝は母屋のほうで寝ている)
 
「あの子、大輔さんと結婚するのよね?」
と私が政子の実家を訪れた時、お母さんは訊いた。
 
「だと思いますよ。それで私もかえでは私の養子にはせずにそのままにしているんですよ。でも結婚するのなら、かえでを認知してもらっても良かったと思うんですけどねー。なんで認知を拒否したんでしょうね」
 
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「大輔さんの子供なんでしょ?」
とお母さんは訊く。
 
「本人は曖昧な言い方してますけど、妊娠した時に他に付き合っていた男性が居たわけでもないから、そうだと思うんですけどねー」
 
「認知してもらえばいいのに。あの子の考えは私にもさっぱり分からない」
「私も分かりません!」
 

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そして2022年12月24日のことであった。その日私は忙しい中、政子に呼ばれて実家に行っていた。
 
「大輔さん、いらっしゃらないわね」
とお母さんが言う。
 
その日はクリスマスイブなので、大輔も家に来て、政子の両親、政子と私、あやめ・大輝・かえで・夏絵の4人と、合計9人でミニ・クリスマスパーティーをすることになっていた。
 
大輔は8時頃来るということだったので、待っていたのだが9時を過ぎても大輔は来なかった。あやめたちが我慢しきれないので、いったんクリスマスケーキを切って、あやめ・夏絵・大輝に食べさせ、一息付いたところで3人を寝せる。
 
ここの母屋には2階に両親の寝室と六畳と四畳半の部屋がある。この時期には子供たちは六畳の部屋で寝せて、だいたい政子の母が添い寝していることが多かった。この日も政子の母が夏江を含めて3人を寝かせつけた上で10時半頃、居間に戻ってきた。かえでも既に寝ている。
 
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「メール送るけど返事無い」
と政子が言う。
 
結局11時を過ぎたところで、私が
「取り敢えず先に始めてましょう」
と言って、シャンパンを抜き、4人で乾杯してケーキやチキン、ローストビーフなどを食べながら歓談する。それで12時過ぎに両親にも休んでもらった。
 

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私と政子は徹夜態勢で、ずっとふたりでおしゃべりしながら大輔を待っていた。
 
「大輔、なんかにハマっちゃったのかなあ」
と政子。
 
「途中で中断できないような作業をしてるんだよ」
と私は答える。
 
楽曲の制作をしていると、そういうのは割とよくあることである。どうかすると数日不眠不休で作業を続けて、やっとひとつの曲が完成することもある。途中で食事などにも出られないので、スタッフの人に買って来てもらったり出前を取ったりすることもある。
 
そして2022年12月25日の午前4時過ぎ、車が停まる音がして玄関でベルが鳴る。
 
「やっと来たみたいね」
と私はホッとして言った。政子は嬉しそうな顔をして玄関へ飛んで行く。
 
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私はてっきり政子が大輔といっしょに入ってくるものと思っていた。ところがどうも様子がおかしい。
 
「どうしたの?」
と言って私も玄関の所に出て行く。
 
玄関の所に立っていたのは大輔ではなく、背広姿の男性2人であった。そして政子が私に抱きつく。
 
「大輔が・・・・」
と言ったまま政子は泣き出してしまった。
 
「どうしたんです?」
私は男性2人に尋ねた。
 
「新宿署の者ですが、百道大輔さんと良輔さんが亡くなられたので少しお話を聞きたいと思いまして」
と男性は警察手帳の身分証明書欄を見せて私に言った。
 

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それから数ヶ月は大変であった。
 
百道良輔・大輔のふたりは薬物の大量摂取によるショック死ということであった。1時頃に良輔のガールフレンドが良輔の自宅マンションを訪ねてきて、2人が倒れているのを発見し、119番通報をした。救急車で運ばれたものの、医師はふたりの死亡を確認する。死後半日程度経っており死亡推定時刻は24日の午後2時か3時頃ということであった。明らかに薬物中毒とみられたので警察に通報が行き、病院に駆けつけてきた母親や、通報したガールフレンドからも事情聴取をした。それで大輔が政子と交際中であったことも母親から聞いて、警察がこちらにやってきたということだったようである。お母さんはずっと警察の聴取を受けていたため、政子に連絡ができなかったのである。
 
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薬物事件ということで、良輔のガールフレンドも政子も薬物検査を受けさせられた。ついでに私まで検査されたし、前妻のリンナも検査を受けた。むろん私と政子にリンナも陰性であったが、良輔のガールフレンドは陽性で即逮捕された。
 
関係者の証言からふたりが常日頃から薬物を使用していたことが明らかになった。
 
政子は全然気付かなかった!と言っていたが、前妻のリンナが「政子のことを考えて、今、薬は我慢している」と大輔が言っていたという証言をしたので、政子の言葉を警察も信用してくれた。リンナ自身は大輔が薬を使っていたことを知っていたことで犯人隠匿罪が疑われ任意で取り調べを受けたものの、検察は通報しなかっただけでは「隠匿」不成立と判断し不起訴とした。ただしリンナは社会的な責任を取るといい、向こう半年間の音楽活動自粛を発表した。
 
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結局、良輔のガールフレンドをはじめ数人の友人(全員逮捕済み)の証言から、大輔はしばらく薬をしていなかったものの、今回のアルバム制作中に兄から誘われてまた薬をやってしまったということが推測された。
 
良輔が持っていたメモから、薬物を買っていた芸能人やスポーツ選手が大量にリストアップされ、合計100人以上が事情聴取と薬物検査を受け、多数の逮捕者を出す騒ぎになる。百道良輔は薬物の売人をしていたのであった。テレビ番組やドラマに出演している人も多く、撮影済みのビデオが使えない事態が多発する。出演者が歯抜けになって多くの番組が打切りに追い込まれることになった。主力選手が逮捕されて戦力ががた落ちになった球団などもあった。良輔の過去の交際相手まで調べられたので、元恋人であったUTPの須藤さんまで取り調べを受けたようである。
 
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政子は魂が抜けたかのようにしていた。
 
私は政子のお母さんに言い、敢えてかえでの世話を政子にさせるようにした。
 
「ごめんねー。お母ちゃん頑張るね」
と言って、政子もかろうじて自分が母親であったことを思い出し、子供の世話をしていた。
 
「夏絵ちゃん、どうするの?」
と政子のお母さんが訊く。
 
「私の養女にする」
と政子が言った。
 
夏絵は2021年秋頃からずっとこちらの家で暮らしている。
 
「お母さん、今とても孫の世話ができる状態じゃないのよ。私もあまり頻繁には行けないから、ずっと昼間ヘルパーさんに入ってもらっている」
と政子。
 
「ボケちゃったの?」
と政子のお母さんが訊く。
 
「72歳なんだどね。まだボケる年ではないと思うんだけど。でも今はヘルパーさんに来てもらうので助かっているみたい。食事作る気力も、お風呂沸かす気力も出ないなんて本人は言ってた」
 
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「自分でそう言えるなら、まだ大丈夫だね」
「うん、私もそう思う」
 
「でも夏絵ちゃん、お母さんの所には渡さなくていいの?」
とお母さん。
「リンナさんは、悪いけどそちらで世話頼むと言っていた」
 
「大輔のお母さんが、夏絵本人に、リンナさんのところに行きたいか私の所に行きたいかって訊いたらしい。そしたら夏絵は私のところに居たいと言ったから」
と政子。
 
「お母さんは、四十九日(2月10日)が終わったら、四国のお遍路に行くと言ってた」
「それもいいかも知れないね」
 

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良輔・大輔の兄弟は莫大な借金も残していた。
 
「私、大輔の借金の保証人になってあげてたんだよ」
と政子が言う。
「ふーん。いくら?」
「5ほど」
「500万も?」
「じゃなくて5000万」
「うっそー!」
 
借入先にはけっこう怪しげな業者もあったので、政子は私と、弁護士である私の婚約者・正望とともにそれらの業者を訪れ、支払いを済ませた。中には法外な利子を付けていた所もあったが、正望の弁護士バッヂを見ると素直に法定利息で計算し直した金額を提示した。
 
「正望さん、ありがとう」
「こういう時こそ弁護士の出番だよ。変なこと言ってくる奴がいたらすぐ連絡して。内容証明送りつけたらたいてい黙るし」
と正望は言ってくれた。
 
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保証かぶりで苦労したのは、リンナもであった。大輔と結婚していた間に2000万の保証人になっていた。彼女は自分ではとても返せないので、夫が銀行からお金を借りてリンナに貸してくれて、それで精算をした。結局リンナはそのあと数年掛けて夫に借金を返したようである。
 
しかしどうにもならなかったのがお母さんだ。お母さんは数億円の返済を迫られることになり、正望や大輔のレコード会社などからの助言もあって破産を選択した。金額が巨大でもあったことから、その手続きに時間がかかり、お母さんが四国のお遍路に行くことができたのは、一周忌も過ぎた後の2024年の春であった。
 
「でも私、破産の処理を進める中で、だいぶ我を取り戻したよ」
などとお母さんは言っていた。
 
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破産に伴い自宅も手放したので、お母さんは政子が自分の名義で借りてあげた横浜市内のアパートに住むようになった。生活費は年金で何とかなっているようで、時々夏絵やかえでの顔を見に来る生活である。
 

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政子は大輔が亡くなった後、とても詩が書ける精神状態ではなくなっていた。政子がこんなに落ち込んでいるのを見たのは初めてであった。
 
しかし政子は大輔の四十九日(2023年2月10日−実際には2月5日に法要をした)が終わり、納骨も済ませた後、私に言った。
 
「私、そろそろ復活しなくちゃ」
「そうだね。そろそろ復活してもいいかもね」
と私も言う。
 
「私、また宮古島に行きたいな」
「ああ、いいね」
 
以前宮古島に行った時(2019.6)にお世話になった、元§§プロ社長の紅川さんに連絡したところ「いつでもおいで。好きなだけ居ていいよ」と言うので、政子とあやめ・大輝・かえで・夏絵、政子の両親、それに世話係の女性2人を千里のGulfstream G450で宮古島空港まで運んだ。
 
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月があらたまり、4月2日(日)。この日は大輔と良輔の百ヶ日法要の日であった。実際には東京の大輔たちの実家の方に集まる人は皆無で、お母さん・リンナに須藤さんと付き添い役の悠子(ついでに美季)、それに大輔の事務所の元社長・レコード会社の元部長さん(どちらも今回の事件で引責辞職している)という7人でお寺に行き、お坊さんにお経を上げてもらったらしい。
 
ずっと後から聞いたのではこの時、須藤さんは初めて悠子が良輔の娘であることをお母さんに打ち明けたという。お母さんは、自分の孫が夏絵以外にも存在していて、こんなにも立派になっており、可愛い曾孫まで居ることを知って、随分元気づけられ、立ち直りのきっかけをつかんだらしい。その後、お母さんはしばしば悠子の家を訪れては、曾孫の美季と遊んであげる生活になったようだ。
 
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宮古島でも政子に夏絵と2人で島内のお寺に行き、お経を上げてもらって故人の冥福を祈った。(「かえでも連れて行かないの?」とお母さんが言ったら政子は「小さいからいい」と言った)政子は向こうのお寺の住職に、大輔の戒名を書いてもらった細長い紙を持ってきていて、それまでは毎朝その紙を取り出して夏絵と2人で「なんまいだー、なんまいだー」などと言っていたのだが、この日このお寺さんにその紙を納めて、それ以降は毎朝のお祈りもやめてしまったらしい。
 
「もういいの?」
とお母さんが訊くと
「うん。もう大輔との縁はこれで切れた」
「相変わらずドライだね!」
「千里も前の旦那が死んでから百ヶ日で仕事に復帰したらしいし、私もこれから仕事に復帰するよ」
「へー」
 
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夏の日の想い出・愛と別れの日々(2)

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