【トワイライト・魂を継ぐもの】(1)

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「ご主人様、おやめください!」
 
店長室で打ち合わせをしていた和実は、同僚のメイド・マユミの声に
『やれやれ』と思い「ちょっと行ってきます」と店長と来客に断ると、店舗の中に出て、マユミに絡んでいる客のテーブルに行き、彼女と客の間に割り込んだ。見た感じ、かなり泥酔している雰囲気である。
 
「ご主人様、お出かけの時刻です」
「なんだとぉ、俺はまだ帰ってきたばかりだぞ」
「酔いを醒ましてからまたご帰宅下さい」
「ここで酔いを醒ましたらいかんのか?」
「ゲストの方々の迷惑になってますよ」
「何だ?誰が迷惑してるってんだ?迷惑してる奴はここに出てこい」
 
どうもこの客はかなり悪質なようである。和実は毅然とした態度で言う。
 
「それともセクハラで訴えられるのをお好みですか?」
「へ?訴える?何の法律の第何条で訴えるのか言ってみろよ」
「刑法第176条。強制猥褻罪。十三歳以上の男女に対し暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は六月以上十年以下の懲役に処する」
と和実が条文を暗誦すると、相手はギョッとしたようである。
 
「でも、よく見たら君、凄く可愛いねぇ。ね、君が俺の相手してくれない?」
 
和実はため息を付いた。最後の手段は男性のスタッフの手を借りて<叩き出す>という手もあるのだが、他のお客様の手前、あまり手荒なことはしたくない。会計係の男の子がこちらを伺っているのを和実は目の端で認識した。彼の手を借りる前に、あの手で行くか?今日はたまたま、ああなってるし。
 
「あらら、私でいいのかしら?」
と言って和実はその客の横に座る。
「お、分かってるじゃんか」
と言って客は和実の胸に触ってきた。
「でもあなた変わってるわね。男の子が好きだなんて。それなら来る場所が違うわよ。ゲイバーにお逝きなさいよ」
「へ?男の子??」
「だって、私これだもの」
と言って、和実は客の手を自分の股間に当てた。
「えー!?」
と客が驚いた顔をしている。
 
「さあ、少し目が覚めた?手荒なまねすることになる前にご出発なさってくださいな。少しは他人の迷惑を考えて下さいよね」
 
会計係の男の子が席の近くまで来てくれた。
「間宮君、ご主人様のお出かけ」
「はい」
と彼は大きな声で言う。身長190cmのがっしりした体型である。
「わ、わかった。帰る!」
 
と言って、客は会計の所まで歩いて行った。客が代金を払って出て行くと、和実はマユミと顔を見合わせて肩をすぼめた。
 
「チーフ、間宮君、ありがとうございます」とマユミ。
「僕、割と役立ってます?」
と間宮君が照れるように言う。
「とっても役に立ってる。体格いいもんね」
と和実は笑顔で答えた。
 
「いや、身体って財産なんだなって、ここに来て思いました」
と彼は頭を掻きながら言った。彼は高校時代には柔道をしていたらしいが、大学に入ってからは特にスポーツはしていない。性格は穏和で、典型的な『気は優しくて力持ち』のタイプである。
 
「でも、ほんとにチーフは男の子だったんですね!」と間宮君。
「どこをどう見ても女の子にしか見えないよね」
とサブチーフの麻衣も笑って言う。
 
「確認する?」
と和実は言うと、間宮君の手を自分の股間に当てた。
「わっ」
と言って彼は手を引っ込める。
「確かに付いてる。何だか信じられないです」
 
「それ私にも触らせて」と騒ぎで寄ってきていた若葉が言うが、
「今日は女の子じゃないから、だーめ。女の子の日なら触ってもいいよ。それか、今度一緒に温泉にでも行く?」
と答える。
 
「チーフ、温泉はどちらに入るんですか?」とマユミ。
「今日はちょっとやばいけど、普段の日なら女湯に入るよ」
と和実は笑って言った。
 
「私、和実ちゃんと一緒に温泉行ったことあるけど、何にも付いてなかったんだけどねー」と麻衣。
「ふだんはきっと銀行に預けてるんだよ」と店長室から出て来た店長が言う。「そんなの預かってくれるんですか?」とマユミ。
「預金というからね」と店長。
「きゃー」
 

 
和実は大学2年。△△△大学の物理学科に通いながら都内のメイド喫茶「エヴォン」
でチーフ・メイドをしている。メイドは郷里の盛岡にいた高校1年の夏休みにちょっとしたきっかけで始めたものだが、和実はそれがきっかけで女装するようになり、やがて高校でも女子制服を時々着るようになり、卒業する頃は校内ではほとんど女子制服で過ごすようになっていた。そして大学には最初から「女子学生」として入学し、完璧な女子大生生活を送っている。
 
昨年の震災の直前に知り合った、都内のソフトハウスに勤める淳とは震災後急速に仲が進展し、MTF同士の事実上のレスビアン婚をして、一緒に暮らしている。(ふたりの関係は、和実の姉と淳の兄には認めてもらっている)
 
ふたりは震災直後から、被災地にトラックで救援物資を運ぶボランティアをしており、そのボランティア活動はふたりを中心に協力者が広がって40人ほどの、大きなボランティア組織になっていった。初期の頃は純粋に食料や衛生用品など生命の維持と基本的な生活に必要なものを運んでいたのが、夏頃には生活を立て直していくのに必要なものや衣料・日用品などに重点は移っていった。
 

「いつもいつも済みませんね」
と仮設住宅の集会所で、和実たちが運んできた荷物を受け取った40代くらいの自治会長さんは笑顔で言った。
 
「いつまで出来るか分かりませんけど、私たちのできる範囲のことをしているだけですから。こんなのお互い様だもん」
と和実も笑顔で返事した。
 
「あなた、お年はお幾つ?」
「19歳です」
「わあ、若いっていいわねえ。私も19歳の時もあったのに」
「その頃はかなりもてたんじゃないですか?奥さん、色白だし」
「色が白いのはむしろコンプレックスだったのよね。私、どうしても日焼けしない体質で」
「ああ、そういう人もいますよね」
「そうだ!あなた、あれもらってくれないかしら?」
 
そう言うと、自治会長さんは自宅まで走って行って、何か小さな小箱を取ってきた。
 
「これね、友だちがうちの娘にって作ってくれたんだけど、行き先が無くなっちゃって」
それはきれいな桜貝のブレスレットだった。
 
「娘さんって、もしや・・・・」
「うん。大阪で大学生してるんだけど、こないだ帰省してきた時に見せたら、好みじゃないから要らないって、あっさり言われて」
 
和実と淳は顔を見合わせて、そして微笑んだ。
 
「あ・・・娘は生きてますよ」と自治会長さん。
「いえ、すみません。こういう文脈で、しばしば亡くなった人の話をたくさん聞いてきたもんで」
「ほんと、たくさん人が死んだわよね」と自治会長さんも遠くを見つめるような目をした。
 
和実は桜貝のブレスレットをありがたく頂いて、その場で左腕に付けた。
 

「今日のは遺品じゃなかったけど、和実、たくさん遺品も頂いたよね」
東京に帰るトラックの助手席で淳は運転している和実に言った。このふたりで東北まで往復する時はだいたい行きは淳が主に、帰りは和実が主に運転している。その運転している和実の左腕で、頂いた桜貝のブレスレットがチャラチャラと音を立てて心地よい。
 
「ほんとほんと。今着てるブラウスは気仙沼で亡くなった人のだし、この髪飾りは仙台で亡くなった人のもの、ブローチは陸前高田で亡くなった人のもの」
 
「和実、死んだ人のを身につけるの抵抗感無いみたい」
「あ、私そういうの全然気にしない。むしろ亡くなった人たちから、あなたは頑張ってねと励まされてる気になるんだよね」
「その人達の魂を受け継ぐみたいな感覚?」
 
「そうそう。そういう感覚持てる人はレアだって、友だちからは言われるけどね。でも、抵抗無いのは、淳の方がむしろそうじゃない?唯物論者だって言ってたし」
 
「うん。でも今回は色々考えさせられた。でも、和実、そういう遺品を1〜2ヶ月身につけてから押し入れにしまってるよね」
「そのくらい身につけてあげるとね、ふわっと何かが上がっていく感覚があるの。あ、亡くなった人の未練が消えたなって思って、そしたらしまうんだよね。最初から何も入ってないのは1度着てあげただけで、しまってる」
 
「まるで霊能者みたいだね。和実そんなに霊感強かったっけ?」
「ひとつは、ほんとにたくさんの霊と接しているから活性化されてるんだと思う。もうひとつは青葉と知り合ったからだろうね。青葉は、私が亡くなった人の遺品を身につけても平気なのは、元々のパワーが大きいからだって言ってた」
 
「ああ。和実ってパワフルだもん。だけど青葉ちゃんって何か凄いよね。私は、霊とかあの世とか信じてなかったんだけど、今回の震災はほんとに、あちらの世界について考えさせられたし、青葉ちゃんを見ていて、やはり、そういう世界って無視できない気がしてきた」
「まだまだ迷ってる人達多いだろうからね。その人たちが上にあがれるといいね」
 

8月6日。都心で花火大会が行われたので、和実たちのメイドカフェは臨時に『浴衣カフェ』となり、スタッフが全員浴衣を着て応対をした。
 
浴衣自体は春頃から予約を入れておいて貸衣装屋さんから同じ柄(但し本店は青系統、新宿支店では赤系統で揃えた)のものを一括して借りたのだが、結構自分で浴衣を着れない子も多く、和実・若葉・悠子など、着付けの心得がある子が他の子の分も着付けしてあげた。
 
このカフェは飲食店営業でアルコール類も提供しないので、お店に入ってきてから「えっ、ビール無いの?」などと言う客もいたが、その分、中高生でも入店することができるので、この日はけっこう10代の男女で賑わった感じであった。
 
「やはりこの店って、表に大きく『本日のコーヒー380円・オムレツセット700円』
って料金を表示しているのがいいですよね」と若葉が言う。
「相場の分からない店には入りたくないから、こういう表示は大事だってのは、俺と神田と高畑の一致した意見」と店長。
 
神田というのは盛岡のショコラの店長、高畑は京都のマベルの店長で、3つのメイド喫茶は、お互いに資本的な関係は無いものの、コンセプトが共通していて、システムも似通っており、コーヒー豆などは共同購入していて、和実が東京の大学に入るのに引っ越してショコラからエヴォンに移籍してきたように、引越に伴って移動したメイドさんも数人いる。
 
「でも今日はコーラL180円を貼ってたのに釣られてきた客も多い感じ」と麻衣。「コーラがよく売れてるね」と和実。
「アイスコーヒーもたくさん売れてる」とマユミ。
 
「しかし浴衣が良い雰囲気だったし、お正月には『振袖カフェ』しようかな」
と店長が言う。
「着付けがたいへんですよー。浴衣みたいに10分じゃ着れないもん」と麻衣。「私も振袖の着付けはできないや。チーフできる?」と若葉。
「できるよ。人にも着せられるし自分でも着れるし。でも1人30分掛かるから1人で全員には着せきれないよ」と和実。
「さすがに着付け師さん、何人かお願いしないといけないだろうな」
と店長も言っている。
 
「でも今日はみんな遅くまでありがとう」と和実はみんなをねぎらった。「その代わり明日はお休みですからね」と麻衣。
「何か最近日曜日は仕事するのが普通になってたから、休みと言われて何をすればいいのか分からないなあ」と若葉。
「完璧に仕事人間になってるね」と和実は笑って言った。
 
「いっそ、みんなでどこか遊びに行かない?」と瑞恵。
「あ、プール行きましょうよ」とマユミ。
「ああ、いいかもね」
「私、むしろ温泉につかってのんびりしたいなあ」と秋菜。
「あ、じゃ両方あるところに行けばいいじゃん」
「そんな所あったっけ?」
「こないだオープンした東京アクアパークだと両方あるよ。1階がプールで、地下が温泉」と麻衣。
「じゃ、そこ行こう!」
 
「チーフは明日はボランティア?」と麻衣。
「ううん。明日は休みの予定」と和実。
「じゃ、一緒に行きましょうよ」
「いいよ」
「あ、私、チーフがお風呂入るところ見たい」とマユミ。
「なんか、ほとんど痴漢発言!」と麻衣が呆れたように言った。
 

「へー。今日はプール行ってくるんだ」
「うん。そんなに遅くならないとは思うけど」
和実は朝御飯の席で、そんな会話を胡桃としていた。
 
「どこのプール行くの?」と胡桃。
「東京アクアパーク」
「ああ、こないだできたところね」
 
「でもプールと温泉の併設施設って、ありそうで無いよね。昨夜ちょっと検索してみたんだけど、大きなプールにおまけみたいにお風呂があるところとか、大きなお風呂に小さなプールがひとつ付いてるところとかはあるんだけど」
「そういわれたらそうかもね」
 
「東京アクアパークのオーナーとこないだ仕事で話したよ」と休日出勤で出かけようとしていた淳が言う。
 
「わあ」
「オーナーのお父さんが、昔北陸のほうで、そんな感じの施設を経営していたんだって」
「ふーん」
「でもオーナーが子供の頃に潰れちゃったらしいのよね」
「あらら」
「それで、自分がいつかそれと同じようなものを再度作るのが夢だったんだって」
「すごいね・・・・魂が引き継がれていくんだね」と胡桃が言った。
 
「あれ・・・なんか、最近そんな話をしたね」と淳が言う。
「そうだね」と和実は少し遠くを見るような目をした。
 

その日、現地集合で集まったのは和実の他、麻衣・若葉・瑞恵・秋菜・マユミの合計6人であった。
 
「可愛い!チーフ、こんな格好もするんですね!」
とマユミが声を上げた。
「あ。今日は仕事じゃないから『チーフ』とか『サブチーフ』とか無しね。名前は呼び捨て、タメ口にしよ」と和実。
「うんうん。プライベートと仕事は別ね」と麻衣。
 
「でもふだん、和実といえばゴスロリだもんね。学校にもよくゴスロリで来てるし。マリンルックの和実なんて、なかなか見れないよね」と若葉。
 
若葉は和実と同じ大学・学部であるが、1年生の頃はクラスが違うこともありあまり話す機会が無かった。2年生になって梓と若葉が同じクラスになったことから、梓も含めて3人でよく話すようになった。
 
「いや、さすがにゴシックの衣装でプールに来るのは違和感あるよ」
「和実なら、ビクトリア朝の水着を着たりしかねん」
「スリップドレスみたいなの? あんなのじゃ泳げないじゃん」
 
などと最寄り駅で言っていたものの、いざ施設に入場し更衣室で和実が服を脱いで水着になったのを見て若葉が
「和実〜、それ泳ぐぞって水着じゃない」と笑って言う。
 
「そうかな? いつもこれで泳いでるけど」
「去年もビキニだったけど、今年は去年のとは違う奴だね」と麻衣。
 
「あ・・・・」とマユミが声を上げるので
「どうしたの?」と訊くと、
「私、和実さんがそもそもどちらの更衣室に入るのかな?とか、女子更衣室だったら着替えどうすんのかな?とか、考えてたのに、あんまり自然にこちらに来て、ふつうに服を脱いじゃったから、そんなこと考えてたこと忘れてた」
などと言う。
 
「ふだんもみんなと一緒に着換えてるじゃん」と和実は言う。
「今日は着換えと言っても、水着は最初から着てたから、上を脱ぐだけだったしね」
「でもふつうにおっぱいあるんですねー」
などと言って、マユミはしげしげと和実の胸を見ている。
 
「何か去年はもう少し大きかったような気がするんだけど」と麻衣。
「去年は実は上げ底してたのよね。Bしか無かった胸を上げ底でDに見せてた。今はリアルでCあるから、今年は上げ底せずに来たんだよ」
「わあ、成長してるんだ。ホルモンですか?」
「ふふふ。ホルモン剤は飲んでないんだよねー。どうして大きくしてるかはちょっと秘密」
 
「でも、和実って男の子の体臭はしないよね?」と麻衣。
「あ、私もそれできっと女性ホルモン飲んでるんだろうと思ってた」と若葉。
「ホルモン剤は飲んでないけど、体内は女性ホルモン優位になってるよ。でなきゃ、胸は発達しないよ」
「なるほどー」
「手術したりヒアルロン酸打ったりしてる訳じゃないのね?」
「ああ、その手のは一切してない」
「あ、分かった。実は卵巣があるんでしょ?」と若葉。
「無い、無い」と和実は笑って否定する。
 
「下もそんなに面積の小さいの着てるのに、付いてるようには見えないですね」
「ふふ。そちらもまだ手術はしてないよ。まあ、大学卒業するまでには手術しちゃうけどね。戸籍の性別も変えたいし」
「わあ」
「性別変えたら、結婚するの?」
「するよ」
 
「あれ?でも和実さんの恋人って、時々来てる女の人ですよね?性別変えたら結婚できなくなるのでは?」とマユミ。
「いや。あの人も実は男の人」と若葉。
「えー?うそ−!?」
 
「私たちはお互いMTFでレスビアンなのよ。ふたりとも戸籍上は男性でも実質的には女同士として付き合ってる」
「付き合ってるというより同棲してるよね」
「なんか複雑」
「だからHする時もアレは使わないよ。ふたりとも女の子の形にして、レスビアン・セックスしてる」
「きゃー」
「なんか不思議な関係よね」
「私も前にその話を和実から聞いて、世の中にはいろんなカップルがいるんだなと思った」と麻衣。
 
「ふたりとも性転換はするつもりだけど、私だけ戸籍上の性別を変えようかって話をしてるんだよね。そしたら結婚できるから」
「なるほど」
「向こうが男役で、和実が女役なの?」
「ううん。Hの時は私が男役」
「え?」
「でも御飯作ったりとかは私がメインだから、生活上はこちらが奥さんかもね」
 
シャワーを浴びてプールの中に入る。中ではお互い連絡が取れないので集合場所を決め、12時にいったん集合して、一緒に御飯を食べに行こうということになった。
 
和実は若葉・マユミと一緒にスライダーに行って3種類のスライダーを1回ずつ滑った後、25mプールに行き、上級者コースで若葉と一緒に30分ほど泳いだ。マユミは最初初心者コースで泳いでいたが、そのうちプールサイドに上がって和実と若葉の泳ぎを見学していた。
 
「ふたりとも凄いなあ。スピードありますよね」とマユミ。
「若葉は高校の時に水泳部にいたんだよね」と和実が言う。
「1年生の時だけね。みんな凄いから付いてけないと思って1年生の時だけで、やめちゃったけど」と若葉。
「私は以前は泳げなかったんだよね。男の子時代、水泳パンツになるのが何となく嫌でさ。。。小学校の頃、体育の時間の水泳というと、たいてい見学してたし。でも、こんなふうになっちゃってからは、女の子水着でプールに来るのが快感になってしまったから練習して、何とかこのくらい泳げるようになった」
 
「へー。いつから、こんなふうになっちゃったんですか?」
「この仕事始めたのは高1の夏なんだけどね。当時は胸無かったから。高2の春から夏にかけて胸を大きくして、その夏からプールに行くようになって。でも最初の年はひたすら初心者コース。高3の夏からは上級者コースでも泳げるようになった。高3の時は友だちにもカムアウトしちゃってたから、夏休みは毎週、友だちと一緒に市民プールに行って泳いでたよ」
 
「あれ?でも高3なら受検で忙しいですよね」
「そうそう。だから図書館に集合して3時間くらい勉強してからプールに移動して1時間泳ぐコース。お弁当持参で」
「わあ」
「気分転換にもなるし受検には体力が必要ですから、なんて親には言い訳」
「ちょっと楽しそう」
 
「そのグループはひとりも浪人せずに、みんな希望の大学に合格できたからね。東京近辺に来た子たちとは、時々集まってるよ」
「時々、お店に来てる昔からの友だちって言ってた人もその仲間ですか?」
「そうそう。梓ね。彼女は小学校の時からの友だちだよ。同じ大学の同じ学部に進学したから、授業などもよく一緒に受けてるしね」
 
「梓は今年から私と同じクラスになったんだよ」と若葉。
「わあ、そういう関係が」
「色々、和実の昔の話を聞き出してる」
「もう・・・」
「あ、それ聞きたい」とマユミ。
「そのうちね」と若葉。
 
喉がかわいたね、などと言って集合場所近くのスナックコーナーで飲み物を飲んでいるうちに12時の休憩時間となった。このプールは1時間ごとに10分間の強制休憩時間が設けられていて、スライダー以外の利用者はいったんプールから上がらなければならない。
 
やがてみんな集まってきたので、いったん更衣室に行って身体を拭き、水着の上に、施設のリラックスウェアを着て2階の飲食店街に行った。
 
ここはプール施設の中にもスナックコーナーがあるが、2階に飲食店街が入っており、プールや温泉の利用者は、腕に付けているタグで利用して、チェックアウト時にまとめて払うことができる。この2階の飲食店街は、プールなどを利用しない人でもそこだけ現金払いで利用できるので、周囲のオフィスなどからも食べに来る人がいるようである。逆に施設利用者が館内着のまま行くと、一般の利用者と混じることにもなるが、この館内着が結構おしゃれで、ワンマイルウェアっぽい雰囲気なので、あまり抵抗がない。このあたりはよく考えられているなと和実は思った。
 
和実達はしばらく店を見てまわってから、和食の店に入り、800円のランチを頼んだ。
 
「ここ大衆的な店が多くていいね」
「うんうん。たぶん、家賃が安いんだろうね。こういう所に入ってる飲食店ってしばしばやたらと高い店が多かったりするんだけど。ここ御飯食べにだけでも来たい感じがする」
「私たちは終日共通パスを買ったけど、温泉のみ1時間限定チケットなら500円ってふつうの銭湯の料金と変わらないもん。集客優先の料金設定だよね」
「うん。良心的過ぎて潰れなきゃいいけどね」
「ほんと。心配したくなる」
 

プールもまだまだ楽しみたいけど温泉のほうも楽しみ、ということで午後から1時間だけ泳いで、2時の休憩で温泉のほうに移動しようということになった。
 
和実は午後は瑞恵・マユミと一緒に、流れるプールで歩きながら、ひたすらおしゃべりをしていた。麻衣・若葉・秋菜は浅いプールでピーチボールで遊んだり、スライダーに行ったりしていたようであった。
 
午後2時になり、いったん集合場所に集まってから、プール中央の階段を下りて地下の温泉エリアのバーデゾーンに行く。地下1階の温泉エリアは、中央に水着で温浴するバーデゾーンがあり、左右に男女別の脱衣場があって、その先に裸で入るふつうのお風呂がある。脱衣場は1階の更衣室とも直接行き来できる階段とエレベータが設置されていて、更衣室で脱いでそのまま裸で下りてくる人も結構いるようである。エレベータは車椅子でもそのまま利用できるサイズである。施設は全体的に段差が少なく設計されていて、バリアフリーにもよく配慮してあるようであった。トイレも全ての個室に手すりが設置されていた。
 
和実たちはバーデゾーンのジャグジーに入って温浴を楽しみながらしばらく6人でおしゃべりをしていたが、やがてふつうのお風呂の方にも行こうということで、脱衣場に移動する。和実はマユミと若葉の視線が来ているのを半ば楽しみながら、まずはビキニのブラを取り、バストを顕わにする。
 
「触っていい?」などと若葉が言うので触らせる。
「うーん、ふつうのおっぱいだ」
「ふつうじゃない、おっぱいて何よ?」と和実は笑う。
麻衣も笑っている。
 
続けて和実がビキニのパンティーとその下のアンダーショーツも脱ぐと、一同から「おぉ」という声が上がった。
 
「付いてないように見えるんだけど」と若葉。
「実は付いてるのよ。正直な人にだけ見えるの」と和実。
「私たち、みんな嘘つきなのか!」と麻衣が笑って言った。
「和実こそ嘘つきなのに」
「うん。だから私にも見えない」
「なるほど!」
 
みんなで浴場に入り、身体を洗ってからまずは大浴槽につかった。
 
「地震がほんと多いよね」
「やはりあれだけの巨大地震が起きたら、どうしてもね。地殻が落ち着くまで時間が掛かるでしょ」
「関東大地震来るかな?」
「誘発される可能性はあると思うよ。いざ来た時に、津波から逃れるのにどこに行けばいいかとか、ふだんいる場所で考えておいたほうがいいと思う」
 
「今関東で大地震が起きたら、凄い死者が出るでしょうね」
「人口密集地帯だからね。最初の地震でやられちゃった場合はどうにもならないけど、その後をどうやって生き延びるかというのは、少し考えておいたほうがいいと思う」
 
「でも和実さん、女湯に場慣れしてる感じ」とマユミ。
「高2の頃以降、ずっとこちらにしか入ってないからね。高校の修学旅行でもみんなと一緒に女湯に入ったし」
「わあ」
「女子高生として通ってたんですか?」
「そのあたりは曖昧なまま卒業した感じ。高3の頃は、女子制服着てる時が多かったよ。卒業アルバムも女子制服で写ったし。卒業式はもちろん女子制服で参加したし」
 
「声も女の子の声ですよね」
「私、ほとんど声変わりしなかったんだよね。だから中学から高1の頃までは男の子みたいな声色作って、それで話してたんだけど、高2の頃からは友だち同士ではこんな感じの声で話すようになって、高3くらいになると授業中とかもこの声しか使わなくなった」
 
「あ、和実って、いろんな声が出せるよね」と若葉。
「うん。声優になろうかと思ったこともあるよ。ふだん友だちとかとはこの声で話してるけど・・・・お店でお客様に対応する時はこんな声・・・・電話に出る時に使う声・・・・ビジネス的な打ち合わせで使う声・・・・・中学とかで使ってた男の子っぽい声」
「男の子ってか、少年っぽい声だね」
「アニメの男の子みたいな声だ」
「ああ、よく言われる」
 
「でもさ、こういう話をよく和実から聞くんだけど」と麻衣。
「時々、こういうのが全部大嘘で、実は和実って、ほんとの女の子なんじゃないかって思いたくなるのよね」と麻衣。
 
「あはは、そうだったらいいけど」と和実。
「和実って、かなり嘘つきだもんね。特に性別問題に関しては」と若葉も言う。「あ、私も思う。和実って真顔で嘘つくんだもん」と瑞穂。
「本当のこと言ってる時と冗談言ってる時の区別もつかないよね」と秋菜まで言う。「震災の体験談とかは、かなり誇張したり冗談が混じってましたよね」とマユミ。
 
「私、こないだ将来子供が産まれるって言われたしな。凄い霊能者さんに」
と和実も言う。
「それは、和実が実際に女の子だからなのでは?」と若葉。
「一度、和実が男のだという証拠を見て見たい気もしてしまう」と麻衣。「あ、それは恋人にも見せてないから」と和実。
「見せてないのではなくて、そもそも存在していないということは?」と麻衣。
 
「だよね。そしてある日、性転換手術終わりましたって触れ込みで、もう完全に女として振る舞い始める」と若葉。
「そして子供3人くらい産んで」と秋菜。
「ありそう・・」とマユミ。
「ああ、なんか自分の将来が分からなくなっちゃう」
と和実も頭を掻きながら言った。
 
「実はさ・・・先月から性同一性障害の診断書もらうのに病院に行ってるんだけどね」
「へー」
「最初、身体のMRIとか取られて、お医者さんに『あれ?あなた子宮がありますね』
と言われたのよ」
「え!?」
「あなた実は半陰陽なんじゃないですかとか言われて『えー?うそー!?』なんて言ってたら、実は写真が他の人のと取り違えられてたんだ。私の次にMRI取られた女性と入れ替わってたらしい。向こうもびっくりしたろうけど」
「なんだ」
 
「でも本当に子宮があったりしないの?」と若葉。
「あったらいいなとは思うけどねー。ちなみに染色体は間違いなくXYだった」
「いや、実は子宮あるんだよ、本当に」と麻衣。
「染色体検査はきっと、次に検査受けた男の人と検体が入れ替わってた」
「まさか!」
 

8月中旬、この時期は大学のキャンパスも人がまばらだが、お昼くらいになると学食に御飯だけ食べに来る学生もいて、食堂は比較的人がいる。
 
お盆も終わった17日。和実が図書館に出て来たついでにカフェテリアに寄り、ランチボールを食べていたら肩をトントンとされた。
 
「ああ、梓、お帰り」
「同窓会来てなかったよね。今年は帰省しなかったの?」
それは高校の同級生で現在同じキャンパスで学んでいる梓であった。
 
「うん、3月に勘当されたからね」
「ああ、あの話か。半年もたてば、そろそろ期限切れじゃない?向こうもきっと忘れてるよ」
「だといいけどね。おうちどうだった?」
 
「ようやく震災の後片付けも落ち着いたかなって感じかな。家のあちこち直してお金もたくさん掛かってるみたいだから、見かねてとりあえず手持ち10万円置いて来たけど、授業料払えなかったらどうしよう」
「梓になら貸しておくよ」
 
「うん。ほんとに借りるかも。ところで同窓会で成人式の話が出てさ。和実は何着るんだろうって話題で盛り上がったのよ」
「へー」
「やっぱり振袖だよね〜、ということでみんなの意見は一致したんだけど、まさか背広にネクタイして出てかないよね?」
 
「まさか! 今年のお正月に盛岡に帰省した時、お母ちゃんと一緒に見に行って注文したんだよね」
「わあ、偉い! あ、そうか。お母さんにはカムアウトしてたんだもんね」
「うん。ところがさ、その注文した呉服屋さんが震災で潰れてしまったという」
「ありゃぁ! って実は私もなのよ」
 
「あああ。こちらは最初はお店は壊れて店内在庫品はやられたけど、工房は金沢にあるので制作中の服は大丈夫です、と言っていたから、なら問題無いかなと思っていたら、先月、会社自体が潰れてしまったのよね」
「ああ。こちらは震災直後に御免なさいだったけどね」
 
「梓はそしたら振袖どうすんの?」
「あらためて頼もうかと思ってたんだけど、震災の関係であれこれお金が必要になって、ちょっと余裕無いんだよね。結局レンタルにしようかなと迷ってて」
「梓は盛岡か東京か、どちらかだけ出るの?」
 
「そう。その問題があるのよね。盛岡で日曜日に成人式、東京で翌月曜日の成人の日に成人式だけど、両方出たいのよね。盛岡往復して2つ成人式に出て写真も撮ったりしてたら3泊4日欲しいから、レンタル料金で結局安いのが買えるんじゃないかという気がする」
 
「プリンタ染めのだと凄く安いもんね。でもそもそもレンタルの振袖はプリンタ多いよね。私も普段着の振袖はプリンタ染めとかヤフオクで落とした中古とか」
 
「そういえば和実、元々振袖何着か持ってたね。ねえ、良かったら1着貸してくれない?」
「いいけど、成人式に使えるようなのは無いよ」
「取り敢えず一度見せて〜」
 

そういう訳で和実は梓を連れて自宅に戻った。今日は淳も胡桃も出勤していて誰もいなかった。
 
「そういえばここに引っ越してきてから初めてだったね」と和実は言う。「短期間で引越を重ねたね」と梓。
 
「そうなのよね。震災の後、PTSDでひとりで寝られない状態になっちゃって。恋人のうちに転がり込んだんだけど、そこに東京に出て来た姉貴も同居して。しばらく2DKに3人同居状態が続いてたんだけど、さすがに狭かったのよね。それで、一時期荷物置き場と化していた私のアパートもボランティアのほうも落ち着いてきたから6月で解約して、3人でこの3LDKを借りて、引っ越して来たんだよね」
 
「3部屋あったら3人でひとつずつ?」と梓。
「ううん。1部屋をクローゼット兼書庫として使って、1部屋は姉貴、1部屋は私と恋人が使ってる。LDKが共用空間」
「ああ、なるほど。で、その恋人というのも和実と同類なのね」
「うん。お互いMTF同士でレスビアンなのよね」
「そのあたりが私の理解の範囲を超えてる付近だな」
「ふふ」
 

「振袖の普段着はこのあたりに入ってるんだけどね。リビングに持ってって広げようか」
「うん」
 
和実は梓と一緒に和服の入っている桐の箱を3つかかえてリビングに持って行った。
 
「私のと姉貴のが混ざってるけど、姉貴も貸してくれると思うよ」
「わあ、たくさんある」
「とりあえず出して並べてみるか」
 
和実は押し入れからブルーシートを出して来て広げると、その上に振袖を並べていった。
 
「おお、壮観。まるで呉服屋さんの展示即売会みたい」と梓。
「なんかいいの、あるかな?」
「どれもきれいだなあ・・・・」
「プリンタ染めと型押しと手染め、区別付く?」
「うーんとね。これと、これと、これと、これがプリンタ染め」
「正解」
「単独で見せられたら少し悩むと思うけど、並んでたらさすがに分かるよ。でも、これ今年のお正月に着てたやつだよね。自分で縫ったっていって」
 
「うん。去年和裁を習いに行ってたから挑戦した。でもその後、全然和裁してないや」
「だって今年は和実、ボランティアで忙しいもん」
 
「型押しと手染めの区別は分かる?」
「うーん。。。。。。よく分からない。でもこの振袖、わりと好きかな」
 
「梓、良い目してるじゃん。この中で唯一の手染めだよ」
「高級品?」
「そうでもないよ。ゴム糸目だからね。元の値段もたぶん60万くらいだったと思うな。それにかなり着倒してあるし。残りの振袖は、みんな型押し。型押しといっても小紋の型押しとは違って、糸目だけ型押しして絵は手で描いてるから、これも手染めと称して売ってる店もあるけど、私としては手染めと認めたくない」
 
「わあ、この手染めの振袖、借りていい?」
「いいよ。ただ、けっこう汚れもついてるから、年末に間に合うように洗い張りに出しとくよ。これ6月にヤフオクで落として、すぐ洗い張りに出すつもりだったんだけど、以前何度か頼んだところが何だか忙しいらしくて。9月になってからまた訊いてみる」
 
「ありがとう。東京の成人式はこれを借りて出て、盛岡の方はお母ちゃんに頼んでレンタルしてもらおう。たぶん、お母ちゃんの方がこういうの選びたいだろうし」
「成人式って半分は親のためのイベントだよね」
「うんうん。特に娘の場合はね。で、和実は自分の成人式の振袖どうするの?」
 
「うーん。それなんだよね。1月にお母ちゃんと一緒に選んだのがダメになっちゃったからなあ。こちらでひとりで買ってもいいんだけど、梓も言うように半分は親のためのイベントだもんね。でもまだお父ちゃんの勘当宣言のほとぼり冷めてない気がするのよね」
「だったら、お母ちゃんに東京に出て来てもらって、一緒に選んだら?」
「あ、そうか!ナイス、梓」
 

27日にも花火大会があったので、和実たちのメイドカフェはまた浴衣カフェにしたのだが、この花火大会に合わせて和実の母が上京してきた。
 
和実はその日カフェの方で忙しいので、花火大会自体は胡桃とふたりで見に行った。その後、適当に御飯を食べから和実たちのマンションに戻ったようである。和実はカフェの営業時刻の0時までお店にいて、みんなが脱いだ浴衣をたたんでまとめ、1時すぎに帰宅した。当然母たちは寝ていた。この日淳は休日出勤で夜2時くらいまで仕事して3時近くに帰宅した。和実は寝ていたが、淳が戻って来たのに気付いて起きだし、一緒に夜食を食べてから寝た。
 
翌朝、和実が朝御飯の準備をしていたら、母が起きてきた。
 
「おはよう、お母ちゃん。花火どうだった?」
「凄いね。盛岡の花火大会だって結構なものと思ってたけど、こちらは凄い華やか。観客の人数も違うし」
「東京は人が多いからね」
 
「・・・でも、お前すっかり女の子が板に付いたね」
「私、女の子だもん」
 
そんなことを言っているうちに淳が起きてくる。今日も休日出勤なので男装である。
 
「おはようございます。御挨拶にもお伺いしてなくて済みません。和実さんの恋人で月山淳平と申します」
「いえいえ、こちらこそ色々お世話になっているようで。震災の時も食料を持って行ったり、盛岡まで和実と胡桃を連れてきたりしてくれたそうで」
「その食料持って来てくれたのが、ボランティア活動の発端になったんだよね」
 
「その活動のことが新聞にも載ってたから父ちゃんに見せたよ。『ふん』とか言ってたけど、そのあと『偉い奴っちゃな』と言ってたよ」
 
そのうち胡桃も起きてきて朝御飯となった。
 
「そういう訳で、私としてはこのふたりの仲を認めてるし、将来結婚したいと言ってるから、それも認めてあげてるから」と胡桃は言った。
 
「あんたたち、そこまで話が進んでるの?」と母は驚いた様子である。
「でも、淳平さん、この子の性別がこんなんだというのは承知の上なんですよね?」
と心配そうに淳平に尋ねる。
 
「ええ、もちろんです。私も同類ですから」と淳平は答えるが、「え?そうなの!?」と母はそこまでは聞いていなかったようである。
「淳ちゃんもふだんは女の人の格好してるのよ。だからよく女3人で一緒に出かけたりするよ。でも今日は会社に行くから男の人の格好」と胡桃。
「淳は会社に行く時だけ男装なんだよ」と和実。
 
「いや、お恥ずかしい」と淳は照れている。
「淳は私と会う前から時々女装していたけど、今みたいに頻繁じゃなかったみたいね。私の影響で、女装率が凄く高くなっちゃったみたい」と和実。
「今、私と一緒に病院に性同一性障害の診断にも行ってるんだよ」
「そうだったの・・・」
 
「お互い似た立場だから理解もしあえるみたいね、このふたり」と胡桃は言う。「それは、ある意味、とってもいいパートナーかもね」と母も言った。
「このふたり、凄く仲がいいんだよね。でもお互い、男性は恋愛対象外なんだって」と胡桃。
「へー」
「お互い、相手を女性と認識しているから、この愛は成り立ってるらしい」
和実は微笑んでいる。
 
「たしかに和実が男の子の恋人作ったことはなかったかもね」と母は言った。
「女の子の恋人を作ったのも見たことないけどね。女の子とは友だちになってたもん、和実って」と胡桃は付け加えた。
「確かに!」と母。
 
「和実さんはしばしば友人などには自分の恋愛対象は男性って言っているんですが、それは女の子の友人たちから変に意識されたりしないための防御壁で実際には女の子の方が好きなんだそうです。ただ男性との恋愛経験もあるにはあるらしいですよ」と淳が言った。
和実は何も言わずに微笑んでいた。
 

淳が会社に出て行った後、胡桃・母・和実は、和実の手作りクッキーをつまみながらしばらくあれこれ話をした上で10時になってから出かけた。
 
電車で町に出て、目星を付けていた呉服屋さんに向かった。3人で会話しながら店に入ろうとした時、店頭のディスプレイを見ていた女の子と目が合った。
 
「梓!」
「あ、和実!」
「あら、梓ちゃん、こんにちは」と母。
「あ、お母さん、どうも御無沙汰してまして」
「御無沙汰もなにも、そもそも和実がうちに戻って来ないんだもん。梓ちゃんも振袖見に来たの?」
「いえ、近くまで来ただけなんですけど、ちょっと店頭の品に目が留まって」
「じゃ、梓ちゃんも一緒に見ましょうよ」
「あ、はい・・・」
 
梓は少し迷っていたようだが、和実が傍に寄って手を握ると、笑顔になって一緒に店内に入った。
 
取り敢えず「見るだけ」といって、色々な生地を見せてもらった。パソコンを使った「填め込み写真」で、着た時の雰囲気が分かるようになっていたので、和実と梓の写真を撮ってもらい、各々いろいろな柄の振袖をモニターの中で着せてもらい、感じをチェックした。何枚か気に入ったものをプリントアウトしてもらう。
 
いったん検討してみますと言って店を出て、4人で近くのカフェに入った。
 

「悪かったなあ。私、買わないのに」などと梓が言う。
「いいんじゃない?私が買うから問題無いよ」
「梓ちゃんはもう買ったの?」
「母にレンタルの手配をお願いしようかと思ってるんです。盛岡の方の成人式ではそれを着て、東京の成人式では和実さんから借りて出ようかと」
「あら、和実、そんなお貸しできるような振袖持ってた?」
 
「手染めの友禅が1枚あったのよね。ただ、かなり痛んでて。ヤフオクで安く出てたのを、私と姉ちゃんと半分ずつ出して落とした奴。取り敢えず来月になったら洗い張りに出してみようかと思ってるんだけど」と和実。
 
「わあ、ふたりで出し合ったって、落札価格もけっこうしたのかしら?今更だけど」
などと梓が言う。
「そうでもないよ。ただいつも落としてる価格帯よりは少し高かっただけで。練習用というより、普段着で着たいね、なんて言って入札したんだよね」
 
「それを借りて良かったのかしら?」
「着物はできるだけ着てあげないと」
 
「和実はどれ買うの?」
「私ね。。。。最初、振袖用に100万、資金を用意してたんだよね。でも被災地を頻繁に訪れてたら、みんな大変なのに、私だけ100万の振袖着ていいもんだろうか、って気持ちになっちゃって。予算を40万に落として、60万は被災地に寄付しようと思ったのよ」
 
「でも40万で買えるクラスの振袖なら、和実、何着も持ってるじゃん」
「なのよねー。みんな実際には2〜3万で買ったのばかりだけど。でも淳が半分出すから、いいの着なさいよと言って」
「ああ」
「更にはお母ちゃんも半分出すから、と言って」
「おお」
「胡桃の成人式の時は全部出してあげたんだけど、こちらも今震災のあとの家の修理とかでたいへんだったから、申し訳ないけど半分ということで」と母。
 
「でもちゃんと娘として認めてもらえたのね」と梓。
「これ、息子だとは人に言っても信じてもらえないもん」と母。
「ですよねー」
 
「それで結局、当初の予算から70万ボランティアで関わってる某市に寄付して、淳とお母ちゃんから30万ずつもらって、自己資金30万と合わせて90万くらいの予算で考えようかと」
と和実は説明する。
 
「いいと思うな。お金に余裕のある人がどんどん消費しないといけないよ。今みたいな時期は」と梓。
「うん。それは思う。お金を使うことも大事だよなって」
「経済活動の活性化だよ」
「だよねー」
 
「あ、その予算だったら、これとか良いんじゃない?」と梓は1枚の写真を指さす。「うん、それ可愛いわよね」と母。
「それもいいけど、こちらも可愛いよね」と胡桃。
「うん。そのどちらかかなあ」
 

 
9月になり学校が始まると、和実は朝から15時くらいまで学校に行き、そのあとメイド喫茶に行って、夜0時の閉店まで仕事をするというパターンの生活に戻った。ボランティアで東北に行く日は、お店を19時くらいで切り上げて、その後誰かと組んでトラックを運転して往復し、明け方東京に戻るコースである。トラックの運転は、男性は男性同士、女性は女性同士の組み合わせにするようにしていたが和実は性別の特性上、男性とも女性とも組めるので、しばしば調整に使われていた。
 
9月の上旬、和実が、梓と若葉と一緒に学食でお昼を食べていたら、3人のテーブルに寄ってくる人影があった。和実が手を振ったが、若葉も手を振っている。
 
「若葉、これ貞子から頼まれた。まとめて送ってきて、キャンパスは近くでしょ、渡しといてって言われて」
と言って、唐本冬子は3人の席に座る。
 
「若葉、冬子と知り合いだったの!?」と和実。
「うん。中学の時、陸上部で一緒だったんだよね」と若葉は答える。
「でも和実も、冬子と知り合いだったんだ?」と若葉も驚いているよう。
 
「6月になんと岩手県で偶然遭遇してさ。その時はまさか同じ大学とは思わなかったのよね。その後あらためて都内でまた会った時に、隣のキャンパスにいたことを知ったという」
と和実も言う。
「私は若葉と和実が知り合いだったなんて、今知ったよ」と冬子。
「わあ、面白い遭遇が発生してる最中か」と梓。
「5月に私と梓と和実がお互い友だちだったことに気付いた時もこんな感じだったね」
と若葉。
 
「だけど文学部と理学部は、たしかに地図で見たらキャンパス隣かも知れないけど、けっこうな距離があるんだけどな」と冬子。
「だよねー。全然冬子とは遭遇しないもん」と若葉。
 
「あ、私も何か食べよう」と言って、冬子は注文カウンターに行き、お昼のランチをとってきた。
 
「あ、そうそう、冬子。こちらは私の古くからの友だちの梓ね」と和実。「梓は私と同じクラスなんだよ」と若葉。
「よろしく」「よろしく」
といって冬子と梓は握手をしている。
 
「でも和実の古くからの友だちということは、若葉が私の非公開の古い女の子ライフを知ってるみたいな感じで、梓さんも和実の古い女の子ライフを知ってたりして」
 
「・・・・もしかして冬子さんって、MTFさん?」と梓。
 
「うん。この春に手術したよ。私、10月が20歳の誕生日だから、誕生日来たら裁判所に性別変更の申請出す予定」
「わあ」
「和実もさっさと手術して、性別も変えちゃえばいいのに。今手術しちゃえば年内には晴れて女の戸籍が手に入るじゃん」と冬子。
「あ、私もそれ時々煽ってます」と梓。
「私はいつもそれ煽ってる」と若葉。
 
「あ・・・・冬子さん、どこかで見たことがあると思ったんだけど、もしかして、もしかして、ローズ+リリーの・・・」
「うん。ケイだよ」
「えー!?どういう縁で、そんな有名人と知り合いに。って、若葉は中学が一緒だったのか」
「そうそう」
「私は偶然の遭遇」と和実。
 
「しかし期せずして、どう見ても女の子にしか見えない元男子がふたり並んでるわけか。ふたりとも声も女の子の声にしか聞こえないし」と若葉。
 
「だけど、和実って、ケイさんの『その時』をラジオ放送で最初に聴いた時に、男の子だよね、なんて言ったんですよ」と梓。
「あ、その話は初耳だ」と冬子。
「たぶん、同類だから類推が利いたのよ」と和実は言う。
「そうそう。高校時代に、和実が書いてくれた励ましの手紙、発掘したよ」
と冬子。冬子が週刊誌の報道を発端にして芸能活動休止に追い込まれた時、和実は励ましの手紙を書いたのである。
 
「あの時、丁寧な返事もらったから、感激した。冬子、凄く字がきれいなんだよね」
「私も政子も書道部だったからね」
「その書道部で知り合ったんだよね、冬子と政子さんって」と若葉。
 
「ところで、みんな成人式の振袖は確保した?」と冬子。
「私は今年のお正月に注文したよ。安いやつだけど」と若葉。
「私は正月に盛岡で頼んだ所が震災で倒産しちゃって、先月あらためて東京で注文した。ぎりぎり12月までに間に合うみたい」と和実。
 
「私もお正月に頼んでたんだけど、やはり和実と同じで震災でダメになってあらためて頼もうかと思ってたけど震災で壊れた家を直したりしていてお金がなくなっちゃって結局レンタルの予定。でも地元と東京の両方の成人式に出るから、東京の式で着るのは和実から借りるつもりでいるんだけど」
と梓。
 
「冬子はやっぱり、いい振袖着るんでしょ?」
「最低300万以上するの着なさいって言われたのよね。自腹なのに」と冬子。
「きゃー!」
 
「必要経費で落とせないの?」
「なんと資産計上して減価償却計算しないといけない。償却期間は5年」
「大変だ」
「でも300万以上という話になったのは8月なのよ」
「えー!?」
 
「だって、こないだ出した『キュピパラ・ペポリカ』が、今どーんと売れてるからさ。その売り上げを見て、急に要求される相場が上がっちゃって。それで慌てて8月の下旬に頼んだ。できるのは結局12月」
「わあ」
 
「だから実はそれ以前に、今年の2月に注文しちゃった120万円の振袖も存在するという」
「ひぇー」
 
「冬子、去年のお正月も豪華な振袖着てたよね」と若葉。
「うん。あれも140万した。で、成人式にはどれを着るかをとっても迷ってしまう」
「贅沢な悩みだぞ」と若葉。
 
「2月に頼んだ振袖はもうできてるの?」
「できてる。見る?」
「見たい!」
 
ということで、結局その日の夕方、午後の講義が終わった後で、和実・若葉・梓の3人で冬子のマンションに行くことになったのである。
 

 
ぞろぞろとみんなで「お邪魔しまーす」と言って入っていくと、リビングでパジャマ姿でくつろいでいた政子が、びっくりした顔をして奥の部屋に走って行き、やがてチュニックとプリーツスカートの出で立ちで出て来た。
 
「冬〜、人を連れてくるなら電話してよ」と政子。
 
「だって、私、マーサが今日ここにいるって知らなかったよ」
「今日は午前中の講義聞いてて眠くなったから、ここに来て午後はずっと寝てたんだよね。さっき起きてきた所。冬にメール・・・あ、するの忘れてた」
「じゃ、私が分かるわけないじゃん」
「ということで、その方たちは?」
 
「うん。私の友だちの若葉、和実、梓。和実は覚えてるよね?」と冬子。「2回会ってるからね」と政子。
「で、こちらは私のパートナーのマリ、こと政子ね」
「こんにちは」
「こんにちは」
 
振袖を見に来たというと、政子も楽しそうな顔をして、冬子と一緒に和ダンスに入っていた振袖をリビングに運んできた。
 
「これが去年のお正月に着た振袖、こちらとこちらとこちらはステージ衣装として着ている振袖。で、こちらが今度のお正月に着るつもりで頼んでおいて、先月できてきた振袖」と冬子。
 
「ステージ衣装のも、プリンタじゃなくてちゃんと型押し手描きだ。でも、この本式手染めの2点はどちらも、きれいな加賀友禅だね。何か女性的?」
と和実。
 
「うん。女性の作家さんだよ。まだ40歳くらいの若い人。こないだ頼んだとっても高い振袖も、同じ人の作品。政子は別の人のを頼んだね」
「へー」
「でも同じ人の作品でもそんなに価格の差が出るんですか?」と梓。
 
「友禅は分業だからね。図案は作家さんが作るけど、下絵書いて、糊置きして、彩色して、ってのは普通はベテランの職人さんがする。でも超高級品の場合は、そういう作業まで作家自身がする」と和実が解説する。
「あまり多くは生産できないね」
「うん。だからこそ高くなる」
 
「でも、冬、マジでこの振袖どうするの?」と政子。
「完全に浮いちゃったね。美智子からは、写真を撮られる可能性のある場所では着ないようにって言われちゃったし。去年着たこちらのは一度それで写真とかも撮られてるから使ってもいいということなんだけど」と冬子。
「いっそ被災地の女の子に寄付しようかなんて話もしたんだよね」と政子。
 
「冬子さん、それならですね。ここに、地震のおかげで、振袖を頼んでいた呉服屋さんが倒産して、そのあと壊れた実家の修理とかで、お金が掛かって、結局新たに買うのを諦めた女の子がいるんですが」と和実。
「和実・・・・」
「あ、だったら梓ちゃんに寄付しようよ」と政子。
「うん、いいよ。梓とも友だちになったし。友だちに着てもらえるんなら嬉しいから、あげるよ。私もこの振袖、けっこう気に入ってたから知らない人に渡すより友だちに渡した方がいい」と冬子。
 
「そんな、高いのもらえません」と梓。
「じゃ、無償レンタルで」と和実。
「うん。それでもいいよ」と冬子。
「うーん。レンタルなら。でも借り賃、払いますよ」と梓。
「取り敢えず着てみない?着てみて似合ってたら、借り賃で3万もらって、その3万は私が被災地に寄付するってのはどう?」と冬子。
「ああ、それなら」
 
そういう訳で、その本式手染めの加賀友禅の振袖を、その場で和実が梓に着付けしてみた。
 
「なんか、冬が着たのより似合ってる気がするよ」と政子。
「絵柄が優しいのよね。この人の作品。それが梓の持ってる雰囲気に凄くマッチしてる」
 
そういう訳で、冬子の振袖の浮いてしまった分を、梓が借りることになった。梓はすぐに自分の母に連絡し、こちらで同い年のお金持ちの友だちから、事情があって浮いてしまった振袖を安く借りることにしたので、申し訳無いがそちらのレンタルの予約はキャンセルして欲しいと言った。
 
「安くって幾らで借りるの?」と電話の向こうの梓の母。
「3万。友だちはタダでいいって言ったんだけど、申し訳無いから払うってことにして。それで友だちは私からもらった3万は被災地に寄付するって言ってる」
「あんたが3万でも払いたいって言ったってことは、元々かなり高い振袖ね?」
「うん。120万で買ったけど、事情があって、成人式は別の振袖着ることになっちゃったんだって」
「きゃー。じゃ、そちらに1万でも送るから」
「そう?少し助かるかも。でも、そちら大丈夫?」
「うん。こないだ、あんたから10万もらったから大丈夫」
 
梓は、自分がその振袖を着ている所を自分の携帯で和実に写真を撮ってもらい、それを母にメールで送った。すると「凄く可愛い!!3万じゃ申し訳ない。こちらから2万送るから5万払いなさい」という返事が来た。その件を冬子に言うと、笑って了承した。
 
「じゃ、梓からもらった5万に、私と政子で5万プラスして、10万を被災地に寄付するよ。そしたら、梓と梓のお母さんと、私と政子と4人の善意になる」と冬子。「あ、だったら、私も5000円寄付する」と若葉。
「じゃ、私は1万5000円」と和実。
「じゃ、6人合計で12万円寄付ね」と冬子は楽しそうに言った。
 
 
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【トワイライト・魂を継ぐもの】(1)