【続・トワイライト】(2)

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4月に入る頃、和実の青森にいる同級生から「また救援物資を集めるのしないの?」
と言われたので、あらかじめ告知した上で、和実と淳が運搬を担当した時にそのまま青森まで足を伸ばし、またあの公園で救援物資を頂き、宮城まで運んだ。青森での救援物資募集は4月中旬にもすることにした。今回は盛岡で和実の姉・胡桃を拾って、仕分け作業を和実と胡桃のふたりですることでちゃんと分類された状態で被災地に届けることができた。胡桃は東京の知人に誘われて、東京の美容室でしばらく働くことになった。和実のアパートに身を寄せるつもりでいたら、和実が淳と同棲していると知り驚いていた。
 
「ごめん。アパート見つけるまで何日かだけでいいから泊めて」と言ったが、淳は
「アパート代もったいないですから、倉庫代わりにしている和実のアパートが5月に空くまで同居しましょう。あそこが空いたら、お姉さんはあちらに住んでもらえば気兼ね無いでしょうし」と言った。
「うん。それまでは3人で暮らそう。これって庇を借りて母屋をぶん取るというやつだっけ?」と和実。
「でも新婚さんの家に同居するのは・・・・」
「大丈夫だよ、姉ちゃん。音立てないようにやるから」
「ちょっと待て。そんなに音立ててるか?」
「こないだ淳、凄い声で叫んでたよ」「あ・・・・あの時は」
 
「あの・・・再度確認したいんですけど、淳さんは戸籍上の性別は置いといて自己認識的には女性なんですよね?」
「はい。私は自分では女のつもりです」と淳は答えた。同じ質問に1ヶ月前なら迷ったと思うが、和実のおかげで淳自身自分の性別についても散々悩んだ結果だ。
「じゃ、女の子2人の同居世帯に、女の私がお邪魔するのなら、大きな問題はありませんね」
「問題無いです」と淳が言うのと同時に和実は
「あ、姉ちゃん、私を女の子と認めてくれた」と言った。
 
「だって、あんたのその様子見てたらもう男の子とはみなせないもん。では済みません、淳さん。しばらく同居させてください」
「はい、よろしくお願いします」
「そうそう。淳は女性の裸とか見ても何も感じないから、着替えたりお風呂入ったりする時も気を遣わなくていいから」
「私も淳さんを女性と思うことにしますから、たぶん気にしません」
と胡桃はにこやかに言った。
 
胡桃は淳に家賃を払おうとしたが、淳は自分と和実は事実上夫婦(正確には婦婦)だから、胡桃は自分にとっても義理の姉になるので、義理の姉から家賃はもらえませんといって断った。新生活を始めるのにお金が必要でしょうからそれに使って下さいと言った。
 
「ありがとうございます。洋服とかも少し買わないと。和実の服は派手すぎるからあまり借りられないし。私とてもゴスロリとか着れないもん」
「私ゴスロリ着させられました。羞恥プレイさせられてる気分でした」と淳。「可愛かったのになあ」と和実。
 
メイド喫茶では、店長が震災支援ランチなどというメニューを作った。普通のランチに+100円でマカロン付きにし、売り上げ1個につき200円を支援活動に寄付するというものだった。
 
「どうしてマカロンなんですか?」と麻衣が訊いた
「負けるな!マカルナ、マカロナ、マカロン」
「それ苦しいです」
ちなみにマカロン作りは和実がレシピを教えて、お菓子作りの好きな瑞恵と秋菜のふたりで交代で担当してもらった。前日に仕込みをしておいて毎朝10時頃から焼き始め、ランチの時刻にはまだ暖かい状態で出せるようにした。シフトの入り方によっては和実が仕込みあるいは焼きを担当することもあった。
 
胡桃が東京に出てきた翌々日、淳は会社が休みだったし、和実も久しぶりにお店をお休みにしていたので、3人で町に出て胡桃の生活に必要なものを一緒に買うことにした。「最近買い出しばかりだったから個人的な物を買うの久しぶりね」
と和実が言った。「うん。服を買うのにじゃこれを20着とかつい考えちゃう」
 
「そうだ。だいたい買い出し終わったら、みんなで温泉物語とか行かない?」
「いいけど、和実どっちにはいるつもり?」と胡桃が訊く。
「私はもちろん女湯に」「あんた高校の修学旅行でも女湯に入ったと言ってたね」
「だって私女の子だもん」
「私無理です。男湯にも女湯にも入れません。でも足湯だけなら」と淳。
「淳も女湯入れるよ」
「ふつうは手術受けてないと無理よ。あんたが特殊なだけ」
「えへへ」
 
買った荷物はプリウスに置いたまま3人で大江戸温泉物語の中に入った。受付に行くと、こちらを見て女子更衣室のロッカーの鍵を3つくれた。
 
「淳、女子更衣室は初めて?」「ううん。前にも来てる。女子用浴衣を着て、足湯だけして帰ってきた。今日も私はそれで」
「淳なら行けると思うけどなあ」
今日は淳も和実もタックしている。しかし胸が・・・・
女子用浴衣を3着受け取り、女子更衣室に入って、浴衣に着替える。
胡桃が「みんなで足湯に行こうよ」といったので、淳はほっとして浴衣のまま足湯の方に行った。
 
ここのところずっと東北との往復をやっていたので疲労がたまっている。足湯をしているだけで、その疲れがほぐれていく感じがした。自宅のお風呂でも充分体をリラックスさせているはずだが、こういう所に来るとまた違うなと思った。来て良かったと淳は思った。足湯をしながら3人は色々な話をした。震災の話題で話していても、お互い当事者意識になっているので、かえって暗い雰囲気にはならなかった。何かに遠慮して話す必要もないので本音で語り合っていた。
 
「私はその時、食事に出ていて、御飯食べたあと、何となく景色眺めたくなったのよね。なぜそんなこと思ったのか今となっては分からないんだけど。それで近くのビルの6階に上がって、そこのホールから外を眺めていたら地震が来て。上の階だからめちゃくちゃ揺れた。それで地震が収まってから逃げなきゃと思って。そこにいた人、みんな階段使って降りてった。でもその時、ひとりおばあちゃんが転んで怪我したのか立てずにいたのよね。もう放って逃げようかと思ったんだけど、思い直して近づいて介抱していて、そしたらそこに津波が来たのよ。6階にいたのに、津波は窓のすぐ下を通ってった。あの時、先に逃げてった人はみんな津波にやられてるよ。私もおばあちゃん介抱してなかったらやられてた」
 
「私は地震が来た時1階にいたのよね。もう何よこれ?と思ったよ、あの時は。もう遊園地の絶叫系遊具なんて目じゃないよね。揺れが収まったら、やっぱり姉ちゃんとこと同じくみんな外に飛び出していくのよ。私も建物が崩れるかも知れないし逃げなきゃと思ったんだけど、その時ガシッと私の手を掴んだ人がいたのね。40歳くらいの男の人。『これは津波が来る。下にいたらさらわれる。上の階に逃げなさい』と。その人に促されて階段まで行って上り始めたの。その時、上の階から階段を下りてくる人の方が多かったけど、私達含めて何人か上に上がっていった。私達が上がっているの見て、降りてきた人で逆に上がり始めた人もいた。あれは凄く不思議な光景だったね」
 
「で、途中まで昇った所で、何か恐ろしい音が聞こえてきて、誰かが走れ!って言ったから私も駆け上がり始めた。もう無我夢中だった。必死で走って、私が屋上まで辿り着いた時、直後に階段室から波が吹き出して来て「げっ」と思った。私より後から上がってきた人はいなかった。屋上にいた人はみんな呆然としてて動けなかった。そのあと、道をとぼとぼ歩いてて、通りかかった車の人に行き先訊かれて、石巻と言ったら自分も行くところだからって乗せてくれて。でも、屋上まで避難した時から、その車で拾ってもらうまでの記憶が、私無いのよ」
 
「その話ってメイド喫茶ではしてないよね」淳は先日1度、店長への挨拶も兼ねて和実のメイド喫茶を訪問していたが、和実の語る『体験談』は脚色や創作のほうが多い感じだった。
 
「こんなのお客さんに話せないよぉ。でもやっと淳や姉ちゃんには話せるようになった気がしたんで話したんだよ」
淳は和実の手を握りしめた。
 
胡桃は盛岡の両親の話もしていた。父はあんな奴いなかったと思え、などと言っているらしいが、母の方はほとぼりが冷めたら一度来るように言ってと言っていたと胡桃は和実に伝えた。家の片付けはほんとに大変だったらしいが、何とかなるようになったということだった。「あんたからもらった100万、あんたに言われた通り、私の貯金ということにしてお母さんに渡しておいたから」「うん、ありがとう」「窓が割れたの直したり、水回りの損傷が酷かったから、それ直すのとかでだいたい無くなっちゃったけどね。でも助かった。だけど良かったの?何かのために貯めてたお金じゃ」「また貯めるからいいよ」
 
「さて、姉ちゃん、大浴場のほうに行こう」「そうね。淳さんは?」
「さて、姉ちゃん、大浴場のほうに行こう」「そうね。淳さんは?」
「ここに居ますよ」
「淳、私のおっぱいの秘密、知りたかったら一緒に来ない?」「え?」
「大丈夫。淳なら裸でもパスするって。おっぱいなんてほんとに男みたいな貧乳の女の人だっているからさ。いちばん大事なのは女の雰囲気を漂わせておくことなんだよ。淳は雰囲気が女だもん。それに女声で話していれば、みんな女だと思ってくれる」
あ、そうか。声はけっこう武器になるかも知れないと思った。それに
雰囲気がいちばん大事というのは、ふつうに着衣でパスする時も最重要事だ。忘れていた。淳は何となく行ってもいい気がしてしまった。「分かった。行く」
 
おそるおそる服を脱ぎ、一応タオルで胸を隠した。和実が当たり障りのない話をしてくるので、淳はそれに(いつも通りの女声で)答えていた。和実も服を脱いでいたが、こちらに向かって少しはにかむように首を傾げてからブラジャーを外した。淳はそこをしっかり見た。「触ってもいいよ」と和実は言う。
 
おっぱいは確かに存在した。
 
淳はひょっとしてブレストフォームかもと思い触ってみた。境目らしきものは無い。「本物?」「本物だよ」「手術じゃなかったらホルモン?」「不正解。これは様々な努力の成果なのだよ、ワトソン君」
 
3人は浴室に入り、かけ湯をしてから浴槽に入った。浴槽に入ってしまうと胸が隠れるので淳は少しホッとした。時間帯のせいか客が少ない。胡桃ももちろん胸を出していたが、淳は和実の胸は見ても胡桃の胸にはあまり視線がいかないようにしていた。しかし胡桃は特に気にしている様子は無かった。淳もある程度ウェストのくびれがあるので、胡桃はそれを褒めていた。和実にはかないませんと言うと、胡桃は和実のくびれ方が異常なだけと言った。最初は大きな浴槽でしばし雑談をしていたが、体が充分温まってきたので、露天風呂コーナーに行き、桶風呂に一緒に入った。周囲には人がいない。和実がバストの秘密を話し始めた。
 
「まずは筋肉を集めるため毎日腕立て伏せ朝昼晩100回ずつ。それから毎日お風呂の中でのバストマッサージ、それからツボの勉強をしてバストが発達するツボを正確に刺激した。それから牛乳とか牛肉とか、大豆製品にザクロに、豊胸効果のあるといわれる食べ物をたくさん取った。でもそんなのでは大した効果出ないんだよね。それで、ちょっと危ないことを実行した」
「私あとから聞いて和実を殴ったの。健康を損ねる危険が大きすぎる」と胡桃。
「高2の春だけど、私1度体重を70Kgまで増やしたの。さすがにそれだけ体重があると、胸にもけっこうなお肉が付くんだよね。その状態でマッサージとかツボ刺激とかすると、そこに更にお肉がついて、本当に女の子みたいな胸が完成したんだ。乳首もこの時今みたいに大きくなったの」
「問題はその後よね」
 
「うん。そこから3週間ほど、ほとんど断食に近いことして一気に体重を50kgまで落とした」
「死ぬよ、ほんとに」と胡桃は怒ったようにいう。
「必須アミノ酸とか生命維持に絶対に必要な栄養素だけ摂ってた。そしたら、胸はそのままで他の部分の肉が落ちて、今の体型に近いボディラインができたのよね。あとは矯正下着とかの助けを借りて、今度はちゃんと食事を取りながらゆっくりとボディラインを調整しつつ体重を落として今の42kgで安定させた。でもいったんできあがったボディラインはそう簡単には崩れないのよね。イソフラボン系をしっかり摂り続けてるおかげかも知れないけど。でも腕立て伏せ、マッサージ、ツボ押しはずっと今に至るまで日課にしてる」
 
「私にはまねできないよ」淳は半ば呆れながら言った。
「うん、絶対人にも勧めない。それにこれ、17歳だから出来たワザという気もするのよね。20代の人が同じことしても多分だめ」
「太る時はお腹から太って、痩せる時は胸からという人も多いよ」と淳も言う。
 
そして淳は言った。
「でもさ、そこまでするくらいなら、普通に女性ホルモンとか飲んだほうがよほど安全じゃない?」
「うん、そんな気がする。でも先月の10日までは、自分自身の性別に迷いがあったからね。それでさ、私、ダイアン35を買っちゃった」
「飲み始めたの?」淳は驚いて言った。
「ううん。まだ飲み始める決断が出来ない」と和実。
「それ私がいいと言うまで、飲むの禁止していい?」と淳。
「えへへ。迷ってたから、淳にそう言われたの言い訳にして飲まない」
「うん。早まっちゃいけないよ」
「うん」
 
「ダイアン?それ女性ホルモンですか?」と胡桃が尋ねる。
「ええ。一種のピルです。ふつうのピルみたいに数字が入ってますよ。ただ、女性が飲むのではないので休薬期間は無し。抗男性ホルモンと女性ホルモンがブレンドされているので、男を辞めて女になるのに最適のお薬です。でも豊胸効果はそんなに強くないよね」
「うん。どちらかというと男を辞めるのに使おうかと思った」
「もうとっくに男なんて辞めてる癖に」
「そ、そう?」
 
「前から思ってたんだけど、和実、射精してないよね?」
「私女の子だよ。女の子には射精機能はありません」
「ほら、やはり自分でも女と認めてる。じゃ、質問の仕方変えてひとりHは?」
「少なくとも3年以上してない。ただHな妄想して脳で逝っちゃうことはあるよ。クリトリス派からはそんなのひとりHじゃないって言われちゃうけど」
「女友達とひとりHのこと話すの?」「女子会では出る話題。今だって話してるし」
淳は苦笑した。
 
「体毛は剃ってるの?」「高校生の頃からソイエだよ」
「高校時代、自分のソイエを私の机の引き出しに入れてたよね」と胡桃。
「女物の服も全部姉ちゃんのタンスに入れてました。感謝です。でもずっと使ってたソイエが震災で流れちゃったから新しいの買ったんだけど、痛みが少なくてびっくり。技術進歩してるね。淳は剃ってるでしょ。ソイエしない?」
「私、以前ソイエ使ったことあるけど痛くてギブアップしたのよね。そんなに痛くなくなってるなら再挑戦してみようかな・・・・」
「剃るとどうしても剃り残し出るから、生足になれないのよね」
 
「和実って喉仏無いよね」
「うん。私、あまり変声しなかったんだ。全くしなかった訳じゃないけど。軽い変声障害というやつかも。だからこれメラニー法とかで作った声じゃなくて、ほぼ地声だよ。少しだけ可愛くしてるけど。高校時代、学校では逆に男の子っぽい声を作って出してた。私、4〜5種類の声色使えるんだ。普段、こうやって話してるのがレディ風。友達と話す時はこの声。・・・これが少女風。トーン高め。可愛い子ぶって使うの。電話で使う時もある。・・・これが男の子風。高校で使ってた声。・・・・これは理系女子風。少しトーン低め。。。。。これがメイドさん営業用。少し上品。お店で使ってる声・・・そしてこれが地声・・・あれ?6種類?」和実は喉に手を当てながら様々な声を出して最後は普段の声に戻した。地声は確かに普段の声に近いがやや中性っぽい響きだった。
 
「男の子風ってアニメで女性の声優さんが少年の声を当てる感じの声だね」
「ああ、それ言われたことある。高校時代の女友達から宝塚風だとかも言われた。最初は女友達とは少女風の声で話していたんだけど自分でも少し疲れるから、もっと楽に出せる声を探して、今のこの声を見つけたのよね」
「家では地声より少し低めのトーンで話してたよね」と胡桃。
「あ、そうか、この声もあった」と和実はまた別の声を出してみせた。
 
「ところで、それだけのおっぱいがあるなら、なぜいつも隠してたのさ?」
「それは小さいからに決まってるじゃん。これBカップが少し余るんだよ。だから寄せて集めるブラとか使って、脇から持ち上げるパッドとかも入れてごまかしてるんだから」
 
そうか・・・そうだったのか。淳は頭に手をやって苦笑した。
 
「ちなみに、麻衣たちとこことか熱海の温泉とかに行った時はブレストフォーム付けてった。近づいてよくよく見ない限りは境目は分からないから。だから麻衣にはDカップの胸を見せてるんだ」
「私といちゃいちゃする時にブレストフォーム付けてたことある?」
「無いよ。いつも生胸だよ。だってブレストフォームじゃ触られても気持ち良くないじゃん」
「たしかにそれはプレストフォームの欠点だね」
 
「高校の修学旅行の時はさ、あ、うちの高校は2年の3学期に修学旅行に行くんだけど、もうおっぱい大きくしてたから、お風呂には入らないつもりだったんだけど、なぜ入らないの?という話から、私は実は女の子の体なのでは?と疑われて、女子柔道部主将のグループに拉致されて女湯の脱衣場まで連行されちゃったのよ」
「はははは」
「2年の夏休みに市民プールに行く時、女の子のビキニ持ってって女子更衣室使ってたから、それをひとりに見られてたのね。それで確認してみようと思ってたって」
「あああ」
「で、裸にひんむかれて。下着は女の子用?おっぱいあるじゃん、おちんちん無いじゃん、と。それなら女湯に入りなさいといわれて、そのまま女湯の浴室に入った」
「うーん」
「その子たちとはそのあと仲良くなったよ。女子の制服貸してくれて、記念写真も撮ったりした。実はさ、私って高校時代に学生服着た写真が1枚も残ってなくて、高校時代の制服写真は女子制服の写真だけなんだよね。メイド服着た写真は大量にあるけど」
 
「今度それ見せて。でも和実って誰とでも仲良くなっちゃうよね」
「うん。私って人を嫌いになること無いよ。意地悪されてもすぐ忘れちゃうし」
「でもそれって、凄く悪意持った人にはうまく利用されちゃう」
「じゃ、淳が私を守って」
「うん。守ってあげる」
 
3人は桶風呂のあとまた大浴場でいくつかの風呂に入り、そのあと少し浴衣で涼んでから温泉物語を出た。淳はちょっと名残惜しそうに大浴場の方を見た。今日はうまく和実に乗せられて女湯に入ってしまったが、次ここの女湯に入るのは、性転換手術をした後かな、と思った。淳は5年後くらいまでには手術を受けたいと思うようになっていた。たぶん和実はもっと早く手術してしまうのだろう。彼女が早まらないように、本人自身が充分熟慮した上でステップを昇っていくようにブレーキを掛けていくつもりではいるが、最終的にはたぶん停めようがないと淳は思った。
被災地支援活動は4月もどんどん規模が拡大していった。最初の頃はトヨエースとデュトロを1日交代で使っていたのだが、そのうち昼間はデュトロで、夜はトヨエースでと、1日2便の物資配送をしなければ追いつかなくなってしまった。しかしドライバーを引き受けたいというボランティアの申し出もあり、信頼できる人かどうかを吟味した上でお願いして、ドライバーは4月下旬には20人になっていた。その中には石巻と女川で被災して半月ほど避難所暮らししていた人も1人ずつ居た。なお和実は学校が始まってしまったので、遅番の勤務になり平日は東北方面に行くことができなくなった。その代わり土日は連続で淳と一緒にドライバーを務めた。
 
毎日メイド喫茶に寄せられる募金や救援物資、また口座に直接振り込んで来られる金額も、和実はたぶん最初だけけっこうな金額がきても、その内少しずつ減ってくるだろうと思っていたのに、むしろ増加傾向にあった。定額小為替を郵送してくる人もいて、その中には消印が石巻市内のものもあった。和実は胸が熱くなった。支援する地域も最初は石巻や牡鹿半島付近までだったのが悲惨な状況だった南三陸町や気仙沼市まで拡大していた。雰囲気的に当初の予定だった5月10日で終了というわけにはいかない感じになってきた。
 
配送・会計・全体の管理をやりながらメイド喫茶のチーフとしても活動していた和実もついに限界を感じるようになり、大学の同級生で当初からこの活動に買い出し組として参加していた美優と晴江に会計部分をお願いすることにした。
 
和実、淳、店長、麻衣の4人で話し合った結果、支援活動はとりあえず8月末まで延長することにした。配送用の車が課題であったが店長の従兄のデュトロは若干の借り賃を払って8月まで使えることになった。淳の兄のトヨエースは毎日は勘弁してほしいものの水曜の夜と土日全日は無料で使っていいことになった。そこで5月10日以降は月火木金はデュトロ、水曜はトヨエースを使い、土日は2台配送をすることにした。
 
なおボランティアの期間延長で、和実のアパートを倉庫代わりに使うのも期間延長となった。淳のアパートに和実と胡桃が同居する状態はお互いのプライベート空間の遵守が確立してしまっていたので、もうこのままでもいいかという雰囲気になっていた。2DKの6畳の部屋を淳と和実が使い4畳半の部屋を胡桃が使っていた。ダイニングを共用空間として使い、各々の部屋には無断では入らない暗黙の了解ができていた。ただし和実の衣装ケースの一部は胡桃の部屋に置かれていたので、和実は勝手に入って使っていた。
 
メイド喫茶は繁盛していた。4月上旬の売上げは、前月比倍になっていた。スタッフの負荷が上がっていたので、メイドさんを6人新たに採用した。経験者3人、新人3人である。その経験者のひとりは盛岡のショコラという和実が高校生時代に勤めていた店で最初の頃、和実を指導していた佐々木悠子さんだった。和実は感激して悠子に抱きついてキスしようとして、コラコラと停められた。
 
悠子は和実が高3の4月に家業の旅館業を手伝うためショコラを辞め、その後和実が悠子に代わり1年間チーフを務めたのだが、実家の旅館が今回の地震で被災して営業不能になり、ショコラも営業できる状況ではなかったので、ショコラの店長から紹介されて、この店エヴォンに入るため東京に出てきたということだった(ショコラの店長とエヴォンの店長は大学の同じゼミの先輩後輩らしい。ふたりの専攻は西洋貴族史!という話だった)。悠子はメイド喫茶の現場には2年ぶりの復帰だった。そもそも彼女はショコラ以前にこの店で働いていたのであったが、5年も前なので、その時の彼女を知っているのは店長だけである。
 
店長は利益の1割をこの支援活動に寄付してくれた。和実もチーフ手当の分を支援活動に寄付した。また先に設定していた「震災ランチ」が好評だったので、店長は気をよくして夕方のサービスタイムに「震災ディナー」を設定した。今まで提供していた3ランクのディナー(1050円,1575円,2625円)に +250円で、デザートに豆腐プリンを付け、1食ごとに500円を支援活動に寄付するというもの。
 
「店長、これは分かります」と麻衣。
「ん?」「『豆腐食う』で『東北』でしょ?」
「ふふふ。それに250円で『ふっこう』なのだよ、麻衣くん」
「あああ。でもこれディナーの華と光はいいけど、萌は原価割れしません?」
「はははは。早く東北が復興するといいね」
 
スタッフを6人増員したものの、今までのスタッフで辞める人が2人出たので忙しさは必ずしも改善されなかった。店長は更に募集広告を出した。また、スタッフの急増で固定経費が上がっていることについては和実が心配した。
 
「店長、スタッフ増やしましたが、売り上げがまた元の状態にまで
戻っていっちゃった場合はどうしましょう?」
「その場合は支店を作っちゃうさ」
「それでスタッフ分割ですか!」
「いや違う。ここのスタッフが日替わりで支店の方にいくようにする。すると、本店でも支店でも、全メイドを見ることができる。そうしないとメイド個人のファンに悪いからね」
「ああ、それはいい方法ですね」
 
「支店を作る時は悠子ちゃんに支店長してもらおうかと思っている」
「わあ、支店長兼メイドさんというのもいいですね!」
「いや、使える男のスタッフがいないからさ。この店はなぜか男の子のスタッフが定着しないんだよね。2〜3ヶ月単位で辞めちゃう。以前から支店を作る構想はあったんだけど任せられそうな人がいなかったんだ」
「えっと、私男の子で取りあえず1年続いてますが」
「だから君は女の子だって。面倒だからもう性転換しちゃってよ」
「はーい。そのうち」
 
和実たちの活動は任意団体なので、認定NPO法人のように、そこへの寄付は税金の控除対象にはならない。そこで認定NPO法人格を持っている団体からうちの団体の名義を貸そうかと接触してくるケースが数件あったが和実は丁重にお断りした。この活動自体で認定NPO法人格を取る手も考えたのではあるが手続きに時間や手間ががかかりすぎること、「寄付金」として認定されない1000円未満の寄付金や匿名寄付金の占める割合が大きく認定NPO法人の資格を取れない可能性があること、そして認定された頃には活動終了していそうであることから、申請はおこなわないことにした。ただボランティア保険などに加入したほうがいいという判断から、その加入資格を得るため、社会福祉協議会への加入を申請することにした。
 
「私最初はね」と胡桃がある日言った。「ちょっとふたりの監視役をするつもりでいたの。淳さんが和実に悪影響を与えている気がしたら、和実を連れてここを出ようと。でもふたりが凄く仲が良くて、淳さんがとても和実のことを大事にしてくれてること分かったから、もう私ふたりのこと応援しちゃう」
「お姉ちゃん・・・・」
「もしふたりが結婚するなら、例えばこういう手もあるよ。まず和実が性転換して戸籍を女にしちゃう。それで入籍する。そのあとで淳さんが性転換しても戸籍はそのままにしておけば、結婚は維持できる。淳さん実態と戸籍の性が不一致で少し不便かも知れないけど」
「ええ、実は私もその手を考えていました」と淳は言った。
「その場合、私は体を女にしていても男装で今の仕事を続ければいいし」
「でもよかったら、結婚するのは和実の大学卒業後にして頂けます?」
「ええ。私もそのつもりです。今は学業優先です」
こうしてふたりは「恋人」から「婚約者」になった。
 
ただ、和実が27-28歳くらいまでに性転換手術を受けなかった場合は、ふつうの同性愛カップルのように養子方式での入籍も検討しようという話もした。
 
4月のゴールデンウィーク突入直前、盛岡のショコラが営業再開したという連絡が入った。和実は悠子、エヴォンの店長と一緒に盛岡まで行きお祝いをしてきた。むろん行きがけの駄賃で物資の配送をしたのは言うまでもない。当然帰りは青森での救援物資募集とぶつけている。エヴォンの店長は悠子(ショコラの店長の従妹でもある)をそちらに返さなくていいか?と尋ねたが、岩手や宮城で被災して職を失った子を対象に募集を掛けているから、悠子は東京で5年くらい修行して来いと言った。
 
5月上旬、淳と和実は茨城県内で被災者支援のボランティア活動をしている自主グループから臨時に頼まれて物資を水戸市とひたちなか市に届ける作業をしていた。6号線を走り那珂川を越えた。
 
「このあたりだったね。和実を拾ったのは」と淳が言った。
「あの時に2ヶ月後の今の状況は想像できなかった」
「私もだよ。でもなぜあの時和実を乗せる気になったのか分からない」
「私もね。淳の前に乗せてくれてた車は日立市まで行く車だったんだけど、さっきの川を渡った所に喫茶店があったでしょう。可愛い!と思って写真撮りたいからここで降ろして下さいと言って降りたのよね。それで写真撮り終えてから、またプレート持って立ってたら、すぐに淳の車が来て停まってくれたの」
「やはり、私達何かに動かされている感じだね」
「かもね」
「和実と会ってなかったら、私は地震のあとそのまま東京に帰って、ボランティアなんてしてなかったろうし」
「私も淳と会えてなかったら、石巻の避難所で一週間くらい暮らしてから男装で盛岡に戻ってしばらく東京に出てきてなかったかな。いやそもそも私、生きてなかったかも知れないんだよね」
 
「え?」
「あの日仙台に出たのはね、次東京で淳に会った時に仙台のおみやげでも買っといてあげようかな、なんて思ったから。姉ちゃんのアパートに居たらきっと津波にやられてた。それで、これ・・・・今までタイミングを逸して渡しそびれていたのだけど・・・・」
淳は車をいったん道路脇に停めてそれを受け取った。
「くじらのイヤリング?」
「うん。材質もくじらの歯。くじらは仙台じゃなくて鮎川だけどね。
でも加工したのは仙台市内のお店みたい」
「付けてみる」
「あ、けっこう似合う。似合うかどうか自信無かったんだけど」
「鮎川も今回の震災でひどい被害出たしね」
「これ出してなかったのは、タイミングを逸したこともあるけど、これ地震の直前に買ったの。だから、これ売ってくれた人・・」淳が和実の唇に指を当ててそれ以上言わせなかった。
「大丈夫だよ。私達は様々な人達の命の重みを受け止めて、生きて行く。だから私はこのイヤリング大事に使うよ」
「うん」
淳は和実に熱いキスをした。
「さ、出発」
といってエンジンを掛ける。ふたりともシートベルトをする。
 
「でもやっぱり、私達ってさ、神様に動かされているよね」
と淳は本気で思いながら言った。今までずっと『何か』と言っていたのを初めて『神様』と言ってしまった。
「私達みたいな変なカップルを使ってくださるって、神様も寛容なのね。でもひょっとしたら、ふつうのカップルと違う部分を多くの人達のために奉仕して補いなさい、ということなのかも」
と和実は言った。「補ったら私達に子供ができたりして」「あ、それいい!」
 
「でも早くみんなが元気になれるといいね」
「うん。でも元気になりつつあるよ。それは頻繁に被災地に行って感じてる」
淳は和実のことばに頷き、彼方に淡い光が灯る思いがした。
 
 
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