【少女たちの予定は未定】(1)

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千里は平成3年3月3日の生まれである。実際には母親の産道から出てきた時は息をしておらず、心臓も動いていなかった。ベテランの助産師さんが身体を叩いたり、最後は振ったりしていたら、心臓も動き出し、産声をあげた。その産声をあげたのが 1991.3.3 0:01:23 であったので、母子手帳に出生時刻は3月3日0時1分と記載された。(母体外に出たのは恐らく3/2 23:57-58くらい)
 
千里の本来の死亡予定日時は 1997.03.21 11:56:35 で、その間 2210日11:55:12だけ生きる予定だった。しかし千里は1994年3月3日深夜に、P神社に巣食っていた悪霊(近所の住人を何人も取り殺していた)を退治して神様が入れるようにしたので、そのご褒美に寿命を倍にしてもらった。つまり千里の寿命は倍の4420日23:50:24 に延びたので、千里の新しい死亡予定日時は 2003.4.9 23:51:47 になった。
 

沙苗は学生服を着て、中学校の入学式に出て行った。入口で赤い紙と青い紙を渡され、嘗めて下さいと言われた。
 
何だろう?リトマス試験紙みたい、と思いながら嘗めると、赤い紙は変わらず、青い紙は赤くなった。
 
「あなたは女子ですね」
「え?」
 
「男子は青い紙は変わらず、赤い紙が青くなります。女子は赤い紙は変わらず、青い紙が赤くなります。あなたは赤い紙が変わらなくて青い紙が赤くなったので、女子と判定されました」
 
「そうなんですか?」
「女子は学生服は着られないんですよ。ここで脱いでセーラー服を着て下さい」
「分かりました」
 

それで沙苗は、着てきた学生服の上着とズボンを脱ぎ、ワイシャツも脱ぐ。下着は女物のブラジャーにショーツ・キャミソールを着けていたので「その下着はそのままでいいです」と言われる。
 
ブラウスを着るが、このブラウスのボタンをスムーズに填めることができたので「さすが女子ですね」と褒められた。
 
セーラー服のスカートを穿き、セーラー服の上衣も着て、襟元にリボンを結ぶ。鏡に映すと、女子中学生にしか見えない。
 
「では市役所の方にも書類を回しますので、これからあなたは法的にも女性です」
「ありがとうございます」
 

それでその格好で体育館内に入り「新入生女子」と書かれた所に座った。
 
「あ、沙苗(さなえ)も、ちゃんと女子中学生になれたね」
と笑顔で言っているのは千里だ。彼女もセーラー服を着ている。
 
「性別試験紙で女と判定された」
「まあ沙苗(さなえ)は女の子だからね」
「うん」
 
「俺も女と判定された」
と笑顔で言っているのは鞠古君だ。セーラー服が似合わない!テレビのバラエティで、男芸人がセーラー服を着ているみたいだ。
 
「セーラー服着て通学できるのは嬉しい。女子トイレも使えるし、女子更衣室で女の子と一緒に着替えられるし」
 
こいつを女子中学生にするのは、ヤバくないか?と沙苗は思った。
 
男子席のほうに学生服を着た花和(留実子)君が来て座った。
 
「あ、花和君は男の子と判定されたんだ?」
「うん。良かったぁ。これで堂々と学生服で通学できる」
「るみちゃんは男の子だもんねー」
と千里も言っている。
 
「セーラー服着れと言われたらどうしようと思ったよ。良かったぁ」
と言って、頭を5分刈り!にした花和君は笑顔である。
 
5分刈りの頭でセーラー服着るのは問題が多そうだと沙苗は思った。
 

それで入学式が終わり、一度教室に入ってから、自己紹介する。
 
沙苗は名前と出身小学を言ってから言った。
 
「小学生の間は男の子みたいな格好していましたが、性別判定で女と言われたので、中学は女子として通います。みなさんよろしくお願いします」
 
他に田代君もセーラー服を着ていたが、彼も楽しそうだった。彼は女と言われたら女に見えないこともない。佐藤君も女子と判定されたようで、セーラー服を着ていたが、よく似合うのでびっくりした。凄く男らしい子なのに意外だ。でも本人は
 
「セーラー服とか嫌だよぉ。女になんかなりたくないよぉ」
などと言って泣いている。
 
「いや女子と判定されたんだから仕方ない。潔く女子中学生しよう」
 
「女子トイレ・女子更衣室使えと言われたけど、そんな所恥ずかしくて入れない」
と佐藤君が言うと
 
「俺が付いてってやるから大丈夫だよ」
と鞠古君が言っている。
 
一方、花和君以外で、琴尾(蓮菜)さんや沢田(玖美子)さん、それに長身の前河(杏子)さんも、学生服を着ていた。3人とも楽しそうである。
「男と判定されたから、他の男に負けないくらい頑張る」
などと言っている。
 
この3人は元々男子を圧倒していた気がするけどね。
 

クラスでの話が終わった後、全員理科室に行き、生徒手帳用の写真を撮影された。生徒手帳はすぐ渡されたが、自分の名前と生年月日の後に
 
性別:女
 
と記載され、セーラー服を着た自分の写真がプリントされている。
 
沙苗はその生徒手帳を見てドキドキした。
 
ぼく、女子中学生になっちゃった!
 

と思った所で目が覚めた。
 
沙苗は、布団の中で自分のお股に手を伸ばし、ショーツの中に手を入れて触ってみてから、大きく溜息をついた。
 

春休み中、千里・蓮菜・玖美子・恵香・美那・穂花といった面々は、神社に集まり、ずっとお勉強会をしていた。
 
しかし女子6人で勉強会をしているとしばしば話が横道に入る(その“横道”が実は勉強では大事なのだと玖美子は言っていたが)。
 
数字の入った四字熟語が話題になっていた。
 
「七転八倒って、いつ起き上がるのかが不明だ」
「七転び八起きってのも計算が合わない」
「七転び八起きについては、スタート時点で倒れていたのではという説がある」
「なるほどー!」
などと言っていたら恵香が紙に何か書いている。
 
それをしばらく眺めてから恵香は言った。
 
「ということは、最後は起きてる状態なんだ?」
「そうだっけ?」
 
恵香が紙に書いていたのはこういう絵である。
 

 
「おお、確かに」
「あまり起きたり倒れたりしてたら、分からなくなる」
「こういうのって、ちゃんと確認してみるべきものだなあ」
 

「四苦八苦って、仏教から来たことばなんでしょ?」
「そそ。生老病死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦の四苦を合わせたもの」
と小春が解説する。
 
「待って。だったら四苦八苦って合わせて12じゃなくて、合わせて8個なの?」
「紛らわしいよね。四苦が基本の苦しみで更に4個足して八苦」
「四方八方と同じパターン」
「ああ」
 
「ついでに4×9+8×9=(4+8)×9=12×9=108で、除夜の鐘の数になるという説もある」
「それは足しているのがおかしい」
「うん。これは四苦八苦の意味が分かってない人が考えた俗説だと思う」
「108というのは、元々インドで神聖な数のひとつだよね?」
と玖美子が確認する。
 
「ジヴァ神は108種類のダンスをするとかいうからね」
と小春。
「本来はそのあたりから来たんだろうね」
 
「シヴァって半陰半陽の神様だっけ?」
「それはアルダナーリーシュヴァラ。シヴァと奥さんのパールヴァティが合体した姿だよ」
「合体って意味深だ」
「いやそういう意味だと思う」
「ちなみにアルダナーリーシュヴァラは左が女で右が男。あしゅら男爵は逆に右が女で左が男」
「ほほお」
「ついでにギリシャのヘルマプロディートスは上半身が女で下半身が男」
「ある意味理想型じゃん」
「ところであしゅら男爵ってトイレは男女どちらに入るの?」
「本人に訊いてみて!」
 

「唯一無二を私最初“ゆいいちぶじ”と読んじゃった」
「その熟語は難しい」
「うん。漢音と呉音が混じっている」
 
(ゆい:呉音、いつ:漢音(呉音は“いち”)、む・に:呉音)
 
「かんおん?」
 
蓮菜が“漢音”“呉音”と字に書いて示す。
 
「老若男女(ろうにゃくなんにょ)とかは全部呉音なんだけどね」
「あ、それも読めなかった」
 
「漢音というのは、遣隋使・遣唐使などが中国で学んで持ち帰った漢字の読み方。唐代の長安の発音がベース。いわばきちんと伝えられた標準語の読み方。それに対して呉音というのは、それ以前に日本に伝わっていたもので、少し古い時代の漢字の読み方を反映しているけど、様々な地域の音が伝わっているから非体系的」
 
「時代の差違+正式音と俗音か」
「一般に仏教用語など古い時代からある言葉は呉音で読むものが多い」
「なるほど」
 
「礼讃を“れいさん”と読むのは漢音、“らいさん”と読むのは呉音」
「“らいさん”の方が古い気がする」
 
「男女を“だんじょ”と読むのが漢音で、“なんにょ”と読むのが呉音」
「なるほど」
 
「男根を漢音で“だんこん”と読むと男の子のちんちんの意味だけど、呉音で“なんこん”と読むと、男性性の根源の意味」
「へー」
「だから呉音で読む女根“にょこん”というのもある。女性性の根源」
「ああ」
「ヴァギナのことではないのか」
 
「人間はみな男根(なんこん)女根(にょこん)の両方を持ってるけど」
「両方持ってるんだ?」
「多くの男性では男根が女根より強く、多くの女性では女根が男根より強い。でも男性が女根の働きを修行により強めて女根優位にすることもできる。これを転根という」
 
「修行が必要なのか」
「だって男が女になるのは凄い努力が必要」
「確かに確かに」
「沙苗(さなえ)は修行が足りんな」
「同感同感」
「沙苗(さなえ)はセーラー服を着るべきだよね〜」
 

「でも男はその内消滅するという説もある」
「へ?」
 
「男(XY)を作っているY染色体って損傷しやすい。女(XX)の場合はX染色体が2つあるから、万一損傷した場合は、ペアのX染色体から補充すればいい」
 
「フェイルセーフなんだ!」
「デュアルシステムだよね」
 
「でもY染色体はそれができないから、損傷したら損傷したままになってしまう。実際Y染色体は年々内容が薄くなってきているらしい。そしていづれは消滅する。それは今のペースだと1400万年後とも言われる」
 
「わりと近い将来のような気がする」
「Y染色体が無くなれば男は産まれなくなる」
 
と蓮菜が言う。
 
「男が居なくなったら、恋愛とか生殖はどうするの?」
「女同士で恋愛して、女同士で生殖すればいいと思うけど。大きな問題は無い」
 
「問題無いのか!?」
 
「長岡秀星の『迷宮のアンドローラ』には人類が男の世界と女の世界に分離されたという話が出てくる」
「ガリバー旅行記みたい」
「すると『迷宮のアンドローラ』の世界では、男世界はすぐ滅亡するけど、女世界は女だけで、ずっと存続していく」
 
「やはり女同士で生殖するのか」
「男は子宮が無いから子供産めないし」
「それって最初から男を消滅させる計画だったとしか思えん」
「まあ男子絶滅計画だね」
 
「男世界では男の娘が凄い人気だったろうね」
「男の娘の取り合いで殺人くらい普通に起きてるよね」
 
「昔の修行場でもお稚児(ちご)さんとか大禿(おおかむろ)は人気だったらしいから」
「おおかむろ?」
「女のような髪型をしている男」
「結局男の娘か」
 
「男の娘の歴史も古そうだなあ」
「聖書に男が女の服を着てはならないという戒律が書かれているから、戒律に定めないといけないくらい、男の娘は多かったのだと思う」
 
「多分男の娘の歴史は、人類の歴史とほぼ同じくらい長い」
 
「いや多分、人類の発生以前からある。昆虫の中には身体の小さなオスがメスを装ってオスを誘惑する現象なども確認されている」
 
「人間以外でもあるのか」
「きっと有性生殖が始まったのと同時に、男の娘も生まれたんだよ」
「恐らく、性というものは元々、男・女・男の娘の3つあったんだよ」
 

既に話が脱線してから1時間ほど経過しているが、脱線は更に続く。
 
「よく2人3脚で、協力してやっていきましょう、とか言うけどさ、二人三脚って並列じゃなくて直列だよね」
 
「そうそう。あれは両方うまく行って初めてうまく行く。しかも両者のタイミングを合わせないといけないから、凄く弱い」
 
「つまり二人三脚の体制というのは凄く弱い体制だ」
 
「飛行機の双発機のエンジンが二人三脚だったら恐いね」
「停止しなくても、どちらかのパワーが少しでも落ちて左右の速度が変わったらすぐ墜落するからね」
 
「比翼の鳥とかも危ないよね」
「うん。まず確実に墜落する。そもそも男女のパワーが違うし。同性愛なら何とかなるかも知れないけど。だから男女の夫婦を比翼の鳥にたとえるのは間違っている。夫婦はむしろ重連運転の機関車。つまりデュアル・システム」
 
「人間も含めて夫婦で子供を育てるというのは、片方に何かあっても他方がカバーできるという、並列システム、フェイルセーフシステムだよね」
 

「アメリカの大統領制とかはデュプレックスだよね」
 
「というと?」
「アメリカの副大統領というのは、上院議長を兼任する以外には、名前だけで何の権力も無い。だけど、大統領が死んだら、副大統領が大統領に昇格する」
 
「要するに補欠か」
「まさにそれ」
 
「野球とかの補欠もそれだよね。正選手が怪我とかでプレイできなくなった時に代わってプレイする」
 
「世の中、デュプレックスが多いんだな」
 
「逆に実社会でデュアルのものって何かある?」
 
「学校のトイレはデュアルだよ」
「あぁ!」
 
「うちの学校は校舎の東西の端にトイレがある。東西に優先度は無く、通常どちらも使える。万一片方工事とかで使えなくても反対側の端まで行けばいい」
 
「なるほどー」
 
「そもそも多数の個室があるのがマルチプル」
「そういえばそうだ」
 
「人間の身体もだいたいデュアル。多くの器官が左右一対ある。目耳・手足・脳・腎臓・卵巣」
 
「学校のトイレとか、人間の身体とかは、フェイルソフトだよね」
「うん。機能は落ちるけど何とかなるから、フェイルセーフではなくフェイルソフト」
 

4月3日(木).
 
千里はS中学・剣道部の武智さんから呼ばれ“公開練習”に出て行った。実は同じ日に、ソフト部の先輩・楓さんからも声を掛けられていて、面倒だなと思っていたのだが、剣道部とソフト部がうまい具合に同じ日になったので
 
「すみません。剣道部にも呼ばれているので」
と言って、ソフト部の話は断り、剣道部のほうの練習に出て行った。
 
この時、もし千里がソフト部の方に出て行っていたら、後の日本女子バスケット代表のスーパーシューター・村山千里は誕生していない。
 
千里は自宅からまず神社に行き、そこで竹刀と防具を取ってからバスでS中に向かった。
 

中学に出て行くと、玖美子もやはり先輩に呼ばれて出て来ており、2人は中学の先輩たちと、軽く手合わせした。
 
「君たち、強〜い」
「今月下旬の大会で、団体戦の代表に決定ね」
などと言われる。
 
まだ入部もしてないのに!?
 

4月4日(金).
 
夕方、父の船が帰港してくる。どうも不漁だったようで、父の機嫌が悪い。
 
千里も不本意ながら父と数回口喧嘩した。
 
千里も自宅に居ると父と衝突するので5日も6日も日中は神社の方に行っていた。玲羅も友だちの家に遊びに行ったり、図書館とかに行っていたようである。
 

4月6日の夜、千里は明日の入学式で提出する書類、持ち物などを確認して、22時前には寝ようとしたものの、何か急に不安が押し寄せて来た。
 
私、ちゃんと女子中学生できるかなあ。これまでは、半分男の子・半分女の子みたいな感じで、女として少々不備?があっても、許されてきた面もある。でも、完全な女の子として生きていこうとした場合、そのあたりが結構厳しく見られる面もある。私、女の子としての教育が不十分な所もあるから
 
「やはりあんた男だね」
とか言われないだろうか。
 
考えていたら、どんどん鬱になってくる。
 
晋治が自分以外の女の子とも付き合うようになったのは、やはり自分は女として不完全だから、自分に無いものを、生まれながらの女の子に求めたのではなかろうか。これからも自分は何度か恋愛するかも知れないけど、自分は天然女子に勝てないのでは?幸せな結婚とか望むべくもないのでは・・・。
 
千里は不安の渦に巻き込まれ、めまいがする気がした。
 

時計が12時を告げる。
 
きゃー。もう寝なきゃ。明日は入学式なのに。寝不足の顔で出席する訳にはいかない。
 
それで千里はトイレに行って寝ようと思った。
 
6畳の部屋を出て、両親が寝ている4畳半の部屋を通過し、玄関のある板張りの部分に出る。
 
(↓村山家の間取り:再掲)

 
千里の記憶はそこで途切れている。
 
遠くで母が自分の名前を呼んでいるような気がした。
 
2003.04.07 0:10
 
千里の命が尽きる予定時刻まで、あと2日と23時間41分であった。
 

千里はどこか知らない家に居た。
 
よく見たら30代の女性が何か辛そうな顔をしているが、その女性の顔には見覚えがあった。
 
「沙苗(さなえ)ちゃんのお母さん?」
「あら、千里ちゃん、こんな遅くにどうしたの?」
「それより、お母さんこそ、どうしたんですか?」
 
「沙苗(さなえ)が家出してしまって」
「え〜〜〜!?」
 
「こんな書き置きがあったの」
と言って、お母さんが見せてくれた手紙には、このように沙苗の“可愛い方の”字で書かれていた。
 
《私は、男子中学生にはなりたくない。学生服とかで通学したくない。髪を切って男の子みたいな姿で学生服とか着ないといけないなら、明日の入学式にも出たくない。私を探さないで》
 

「でもこんな寒空に家出したら、無事では済みませんよ」
と千里は言う。今気温は多分(プラス)4-5℃まで下がっている。冷蔵庫並みの寒さである。
 
「あの子が仲良くしていた子何人かのおうちに電話してみたんだけど、誰の所にも行ってないみたいで」
 
千里は言った。
「沙苗(さなえ)ちゃんの居場所は私、見付けられると思います。お母さん、車を出してください」
「ほんと?」
「私、小学2-3年生の頃、隠れん坊の名人だったんですよ」
「そういえば、そんなこと沙苗(さなえ)が言ってた。どこに隠れても千里ちゃん、すぐ見付けちゃうんだって」
「波動を感じるから、それで分かるんですよ」
「へー」
 

沙苗の母は家の傍に駐めているビスタのエンジンを掛け暖機するが、千里は言った。
 
「タイヤにチェーンを着けて下さい」
「チェーンが必要なのね!?」
 
お母さんが頑張ってチェーンの装着をしている間、千里は車内で静かに沙苗の波動を探した。
 
留萌の上空 500m くらいの所に自分の“感点”を置く。そして市街地をずっとスキャンする。
 
沙苗の波動は見当たらない。
 
もう少し上空にしないとダメかな?
 
そう思って“感点”を上空2kmほどまであげる。
 

沙苗が家を出てから10時間くらい。すると結構町から離れている可能性がある。千里は町の周辺部を螺旋状にスキャンして行った。
 
沙苗の母は何とかチェーン装着を終えたが、千里が目を瞑って何かを感じ取っているようなので声を掛けずにそっとしておいてくれる。
 
微かな反応を感じた。高度を下げて、その付近を再度スキャンする。
 
「居た!」
と千里は声をあげた。
 

「ほんとに?」
「取り敢えず国道231号を増毛(ましけ)方面に向かって下さい。曲がるべき場所に来たら言います」
 
「分かった」
 
それで、沙苗の母はビスタを海岸の国道沿いに南下させていった。
10km近く走った所で千里が言った。
 
「1kmほど先に左への分岐があると思うんです。そこを曲がって下さい」
「うん」
 
夜間なので見落としそうだったが、千里が「もうすぐです」と言ったので、何とかその分岐を見付けることができた。車は山中に入っていく。
 
「300mほど先を右に」
 
お母さんは分岐を見落とさないように、時速20kmくらいまで落として慎重に走る。
 
「分岐あった」
 
道は積雪しているが、この車は四輪駆動だし、チェーンも巻いているので、何とか進む。
 
「50mほど先を右に」
「うん」
 
それで車は下り坂になっている所を慎重に進む。
 
「停めて下さい」
「うん」
 
千里と沙苗の母が懐中電灯を持って降りる。千里の懐中電灯が1点を指す。
 
沙苗は、そこの地蔵堂の中に居た。
 
寝てる?気を失ってる?この気温の中で覚醒していないのは危険である。
 
「沙苗(さなえ)!」
「さっちゃん」
と呼びかけるが反応は無い。
 
「お母さん、2人で運びましょう」
「うん」
 
それで沙苗の母が車を転回させて地蔵堂の近くに寄せ、母と千里が頑張って沙苗の身体をビスタの後部座席に載せた。
 
コートが濡れているので脱がせる。車に積んでいる毛布を掛ける。
 
「沙苗(さなえ)!」と呼びかけながら、千里は彼女の頬を数回平手打ちした。微かな反応がある。少しは意識があるようだ。
 
「さっちゃん、さっちゃん」
と母が彼女の身体を揺すりながら呼びかける。
 
すると、沙苗はやっと目を開けた。
 
「お母さん・・・ごめんなさい」
と彼女は力なく微かな声を出した。
 
「すぐ病院に連れて行った方がいいです」
「そうする」
 
それで沙苗の母は車を発進させ元来た道を戻った。千里は病院に着くまで彼女の手を握り、少しでも温めてあげた。
 

千里(沙苗ではない)は気が付いたら、見覚えの無い場所に寝ていた。
 
点滴の針が刺さっている。
 
「あ、気がついたかい?」
と寝不足っぽい顔の母が言った。
 
「ここは病院?」
 
「あんたが板の間で倒れたから、父ちゃんに抱きかかえて車まで運んでもらって、それで私がここまで運んで来た。**医院に問い合わせたら、今日の当番医は&&病院だからと言われて」
 
あれ〜〜〜!?だったら、沙苗が行方不明になって、それを探すってのは夢だったのかな??
 
沙苗の立場は自分の立場かも知れない気がした。私だって、学生服で中学に通うのは嫌だ。そんなの強要されたら、ほんとにどこかに消えてしまいたい。
 

部屋のアナログ時計が6時半を指している。母はずっと付いててくれたのだろうか。
 
「お父ちゃんは?」
「船出さないといけないから、タクシーで港に行ったよ。あんたを抱きかかえた時に『まるで女みたいな身体だ』って言ってたけど」
 
「私、なんか凄く熱があるみたい」
「さっき看護婦さんが計った時、39度5分だった。インフルエンザの菌は出てないし、中国で流行ってるなんか恐い病気の菌も出てないというから、単純な風邪じゃないかって。取り敢えず熱冷ましを処方してもらった」
 
と母は言っている。
 
インフルエンザやSARSは菌じゃなくてウィルスだけどな、と千里は思ったが、それより身体がきつい。身体のバランスがメチャクチャになってる。気合を入れたら回復できそうな気がするけど、そのパワーが出ない感じだ。少し寝てパワーを回復させた方がいいかもと千里は思った。
 
「私、もう少し寝ている」
「うん。入学式はお休みしよう」
「そうだね。学校に連絡だけしといて」
「うん。8時半くらいになってら電話するよ」
 
それで千里は少し寝ることにした。
 

しかし千里の熱は7日夕方になっても、8日になっても下がらなかった。医師は風邪だけでここまでの高熱が出ることは考えられないので、レントゲン、を取ったり、採血・採尿して旭川の検査センターに送り、急いで分析をしてもらったりもした。
 
ここから先の千里の記憶は混乱していて、自分でもどれが本当だったのか、よく分からない。お互いに内容が矛盾しているので、おそらくはどれかが真実で、他は夢か、あるいは高熱で見た幻覚の類いなのだろうと千里は思った。
 

ある記憶では、こんな感じであった。
 
9日になっても熱が下がらないので、医師は再度千里を診察した。千里は高熱で歩くこともままならないので、医師が病室まで来てくれて、そこで診察しているのだが、その時、医師は“そのこと”に気付いた。
 
「君何年生だっけ?」
「中学1年です」
「君、性的な発達が遅いとか言われたことない?」
 
へ?
 
「いえ、特に」
「でも君、バストが未発達だよね。中学1年生なら遅い子でも微かな膨らみがあるんだけど」
 
え〜!?なんで私、おっぱいが無いの??
 
「それに検査値で見ると、君のエストロゲン・プロゲステロンの値が、凄く小さい。この年齢の女の子ならあるはずの量の10分の1くらいしか無いんだよ。ひょっとしたら、卵巣にトラブルが起きてて、女性ホルモンの分泌が落ちているのかも知れない」
 
なぜだろう?こないだまで女性ホルモンの量が多すぎるくらいと言われてたのに。
 
「何かのトラブルで女性ホルモンの量が急低下したとしたら、それで身体のバランスが崩れて、こういう状態になっているかも知れないんだよ」
 
「どうしたらいいんでしょう?」
「取り敢えずエストロゲンの注射してみようか」
「はい。お願いします。自分でもこのくらい自分で気合入れたら回復しそうなのに、エンジンがかからない感じなんですよ。エストロゲンが身体に入るとすごく頑張れるから、その逆の状態かも」
 
「じゃちょっと注射するね」
 
それで医師はエストロゲンの注射をしてくれた。そしてその注射から10分もしない内に、千里は体調が急速に回復してくるのを感じた。
 
うん。これこれ。このパワーが足りなかったんだよ。でも私の卵巣ちゃん、どうしたんだろう?調子悪いのかなあ。
 
そしてエストロゲンの注射をしてもらってから30分もすると、6日夜に唐突に感じていた不安が急速に消えて行くのを感じた。
 
私が半分男の子、半分女の子だったなんて、みんな知ってることじゃん。それで「やはり男みたいな所ある」と言われても、何も気にすることない。不完全な所は少しずつ修正していけばいい。後ろ指さされるくらい小さい頃からのことだし、今更じゃん。何を不安がる必要があるだろう。
 
晋治とのことにしても、彼の浮気に疲れた部分が大きい。彼がまだ留萌に居た頃も、晋治の周囲にはいつも多数の女の子が群がっていて私は随分嫉妬した。彼が旭川に行ってからも、何度か浮気の兆候を感じ取って牽制したりしたこともあった。あんな浮気男、振って正解だよ。世の中にはもっとまともな男もいるはず。
 
そんなことを考えていたら、どんどん元気になってくる。それで千里は23時半頃までには枕元の体温計で自分で計ったのでは、熱が37度台まで低下していたのである。これなら、一眠りしたら平熱になっているなと思い、千里はパワー回復した状態で、目を瞑って身体を休めた。
 

ある記憶ではこのようであった。
 
高熱でうなされていたら、医師が来て言った。
 
「君の病気の正体がやっと分かったよ」
「そうですか」
「君は男死病(だんしびょう)だ」
「だんしびょう?」
「男の子だけに発症して、死に至る病気だ」
「だったら私死ぬんですか?」
「男の子のままだと死ぬ。それで悪いけど、君、男の子をやめてもらう」
「はい?」
「手術して女の子にするから。女の子になれば死なずに済む。おちんちん切るけど、君の命を救うためだから、悪いけど、ちんちんは諦めて」
 
「ちんちんは無くていいです。切って下さい」
と言いつつ、私、女の子だから、ちんちんなんて無いはずなのにと思う。
 
「分かった。じゃ手術しようね。麻酔打つけど、目が覚めた時はもう君は女の子だよ」
 

それで千里は麻酔を打たれた。その後記憶は少し途切れている。
 
やがて意識を取り戻した千里に医師は言った。
「手術は成功したよ。君は女の子になってしまったけど、これで君は助かったから。熱もすぐ下がるよ」
「ありがとうございます」
 
「手術した君の新しいお股見る?後にする?ちょっとショックかも知れないし」
「いえ大丈夫です」
「じゃ見ようね」
 
それで医師は千里の病院着のズボンとパンティを脱がせ、そこに巻かれている包帯を外した。
 
「え!?嘘!?」
 
15-16cmの立派なおちんちんがあって屹立しているし玉袋まで付いていた。
 
女の子になる手術を受けたはずなのに、どうしてこんなものがあるの〜〜!?と千里は頭の中が混乱した。
 

別の記憶ではこのようであった。
 
母は千里の枕元に来て言った。
 
「あんたの熱がなかなか下がらないからさ、あんたがいつもお世話になってるP神社で訊いてみたら、宮司さんが、身代わりを作ればいいと言うのよ。それでこれもらってきたから、自分の名前と生年月日を書いて、息を吹きかけて、身体をさすって」
 
それで母が千里に手渡すのは、和紙で作った人型(ひとがた)である。
 
それで千里が人型にボールペンで「村山千里・平成3年3月3日生」と自書し、息を吹きかけて身体をさすると、その人型がベッドに入り、自分は外に出てしまった。
 
あれ〜と思うが、自分は病室の天井の隅で、紙の人型がベッドに寝ているのを見ている。
 
そしてそこに、大鎌を持った黒い衣裳の人物が現れると、
「村山千里・平成3年3月3日生・男だな?」
と言う。すると人型は
「はい」
と返事をした。すると、黒い衣裳の人物はその人型の中から火の玉のようなものを取り出し、それを持って、どこかに消えて行った。
 

別の記憶ではこのようであった。これは↑のバリエーションという気もするが、物凄く後味が悪かった。
 
千里が高熱にうなされて、ベッドに寝ていたら、小春が来て言った。
 
「千里、あんたもうすぐ死ぬから覚悟を決めてね」
「嘘〜!?私死んじゃうの?」
「もう寿命が尽きるんだよ。でもあんたを助ける方法を思いついた」
「どうやって?」
 
「千里、ここに入って」
と言って小春が持ち込んできたのは、巨大なカプセルのある機械である。
 
それで千里がカプセルに入ると、小春は機械のスイッチを入れた。光か千里を通過していく。まるでコピーでも取られている感じ。
 
と思ったら、機械が止まり小春が
「コピー終わったよ」
と言う。それでカプセルから出ようとすると、カプセルの中にもうひとり自分が居る。
 
「どうなってんの?これ」
「千里が死ぬ予定は変えられないから、コピーを取った。それで片方はこのまま死んでもらうけど、片方は生き延びられる」
 
「え〜〜!?」
 
「だからどちらでもいいから、ベッドに戻って」
「戻ったらどうなるの?」
「ベッドに戻った方の千里が死ぬ。戻らなかった方は生き延びる」
 
「私戻りたくない」
「私戻りたくない」
と2人の千里は言い争う。
 
「どちらも同じ千里なんだから、どちらでもいいんだけど」
と小春は言っている。
 
「でも死にたくないよう」
「でも死にたくないよう」
 
と言っていたら、小春は片方を殴って!気絶させてしまった。そして気絶した千里をベッドに寝かせる。
 
もうひとりの千里は「わぁ」と思いながら、それを見ている。
 
「千里、隠れよう」
「うん」
 
それで千里と小春は部屋の天井の隅に隠れた。それで見ていたら、黒い服を来て、大鎌を持った人物がどこからともなくやってきた。そしてベッドに寝ている千里の身体の中に手を入れると、何か炎のようなものを取り出した。
 
そして去って行った。
 
小春と千里は下に降りた。
 
小春がベッドに寝ている千里を見る。
「うん。死んでる。ご愁傷様」
「きゃー」
「でもこちらの千里は助かったんだから、いいじゃん」
「小春、どうやって気絶させる方を決めたの?」
「適当」
「ひぇー」
「だってどちらも同じ千里なんだから、どっちでもいいじゃん」
 
つまり、私の方が、小春に殴られて、ベッドに横たえられ、死神(?)に炎のようなものを奪われて死亡したかも知れないわけだ。
 
「あの黒い人が持っていったものは?」
「生命(いのち)の火だよ。人間はみんな身体の中で、生命の火が燃えている。それが何かの間違いで消えたり、あるいは奪われたら死ぬ」
 
「この死んでる私はどうするの?」
「ああ。火葬してお墓作ってあげるね」
 
その後、少し記憶が飛んでいるが、千里は「村山千里・享年十三」と書かれたお墓の前で合掌していた。
 

別の記憶ではこのようであった。
 
千里がベッドで高熱にうなされて寝ていたら、そこに黒い衣裳を着て大鎌を持った人物がやってきた。
 
「村山千里、平成3年3月3日生まれだな」
「はい、そうです」
「お前は今から死ぬから」
「えぇ!?」
 
死神(?)は千里の身体の中に手を入れて、炎のようなものを取り出した。
 
「これはお前の生命(いのち)の火だ。今から地獄に案内してやるから、楽しみにな」
と言って、死神(?)は、その火を持ってどこかに行ってしまった。
 
私・・・死んだんだっけ?
 
胸に手を当ててみると、心臓は動いているようだ。
 
あれ〜!?生きているみたいな気がするけど。
 
小春が枕元に近づいて来て言った。
 
「これで千里は死んだけど、千里は生きてるからOKね」
「どういうこと?」
「千里、小さい頃に、神聖な火を取りに行ったでしょ?」
「うん。よく覚えてないけど、硫黄の臭いが凄い所だった」
 
「千里は聖なる火を取ってきたから、身体の中に生命の火が3つ燃えているんだよ」
 
「へー。じゃ3回までは死ねるの?」
「違う違う。普通の人は生命の火は1つだけだから、それを消されると死ぬ。でも千里の場合は、生命の火が3つあるから、どれか1つ消えても、残りの2つから火を移して復活できるんだよ。フェイルセーフなトリプルシステム」
 
「わあ」
 
「だから千里は3つの火が全部一度に消えるような事故が起きない限り死なない」
「それってもしかして凄く長生きできるとか?」
「千里の寿命は850歳ということになってる」
「そんなに長いの〜!?」
 

別の記憶ではこのようであった。
 
千里がベッドに寝ていると、突然光が射し込んできた。見ると、向こうの方に美しいお花畑が広がっている。千里はそちらに行ってみたくなり、起き上がってベッドから出ると歩いて行く。
 
やがて川が流れていたが、川の向こうから呼ばれている気がして、千里はその川の中に足を踏み入れた。ところがその時、千里の手を掴むものがある。振り返ると小春だった。
 
「千里、そちらに行ってはダメ」
と言うと、それで千里の手を引いた。しかし千里は
 
「ちょっと待って」
と言ってまた川の向こうを向き直る。
 
「行っちゃダメだって」
と小春の声。
「うん。もう大丈夫」
と千里は言うと、数歩川の中心に向けて歩き、そこに居た、沙苗の手を掴んだ。彼女が振り返る。
 
「沙苗(さなえ)、帰るよ」
「あっ」
 
「さあ、戻ろう、戻ろう」
 
それで千里は沙苗の手を引いて、小春の居る所まで戻る。そして左手に小春の右手、自分の右手に沙苗の左手を持ち、川岸まで戻った。
 
「沙苗(さなえ)、ほら、向こうの方でお母さんが呼んでるよ」
「ほんとだ」
「ひとりで行ける?」
「うん」
と明るく答えて、沙苗は彼女が戻るべき場所に向かった。
 
「私たちも帰ろう」
と小春。
 
「うん」
と千里。
 
それで千里は小春と一緒に手をつないで歩いて行った。お花畑が途切れた所に母が居た。母は千里を抱きしめて
「よく戻って来た」
と言って、泣いて喜んでいた。
 
小春はいつの間にか居なくなっていた。
 
千里は“起き上がる”。そこは病院のベッドの上である。自分のおでこに手を当ててみると、熱はもう下がってしまったようであった。
 
『小春』
とおそるおそる呼びかけてみた。彼女が途中で消えてしまったのが気に掛かったのである。
 
『私はここにいるよ』
という声が、“自分の内部”から聞こえた。
 
『私たち、ずっとずっと一緒だよ』
と小春は言った。
 

そしてまた別の記憶ではこのようであった。
 
千里が高熱でうなされていると、ベッドの傍に小春が来た。
 
「千里、このままではあんた死んでしまう?」
「私、死んじゃうの?」
 
「私が死なせない。千里、私とひとつになろう」
「どういうこと?」
「並列回路って習ったでしょ?」
「うん」
 
「私ももう残りの寿命がほとんど残ってない。でも私と千里がひとつになれば、片方が死んでる時はもう片方で生き続けることができる。だからずっと死ににくくなるんだよ。千里が死ぬ確率を仮に1億分の1、私が死ぬ確率を1兆分の1とすると、ふたりとも同時に死ぬ確率は、1垓(がい)分の1になる」
 
「単位が分からない」
「でも確率が凄く小さくなるのは分かるでしょ?」
 
「うん。でもそれって私たちキツネ人間になるの?」
「私が人間体の状態で合体すれば、ちゃんと人間になるよ。姿形は千里のままだよ」
「だったら小春が消えてしまうの?」
 
「私は元々精霊だし。本当は肉体とか無いんだよ。この姿はエイリアスにすぎない」
「そういえば、そんなこと言ってたね」
 
「それに私、千里の卵巣や子宮を私の身体の中で育てている。千里に合体すればその卵巣や子宮を千里の身体に移植することもできる」
 
「今まで入ってた卵巣や子宮は?」
「あれはお母ちゃんに返したよ。癌の治療が終わったから」
「そうか。癌の治療が終わるまでという約束だったもんね」
「だから、代わりに千里自身の遺伝子を持つ卵巣や子宮を受け取って」
 

それで小春は禁断の法を使用して、千里の身体に合体した。
 
「あれ?何か調子いい」
『卵巣が入ったからね。6日の夜に急に精神的なバランスが崩れたのは、卵巣を千里の身体から取り出して、お母さんに戻したからだよ。ホルモンバランスの崩れが、倒れた直接の原因』
 
「そうだったのか」
『今は千里自身の卵巣を移植したばかりだから、まだ充分な働きしてないけど、1時間もしたらかなりしっかりと女性ホルモンを分泌するよ。そしたら、もっと体調は戻るよ』
 
「へー」
 
『ただ、今まで入っていたのは35歳のお母さんの卵巣で、新しく入れたのは千里自身の卵巣でまだ若いから女性ホルモンの産出量が少ないんだよ。だから高校卒業するくらいまでは、女性ホルモンの製剤で補って欲しい』
 
「分かった。それは何とかできると思う」
 

自分の内部にいる小春とそんな会話をしていたら、病室に黒い服を着て大鎌を持った人物が現れた。目の端で見た病室のデジタル時計が23:51だったのを覚えている。
 
「村山千里、平成3年3月3日生れだな?」
と死神(?)は訊いたが、千里は返事をしなかった。
 
「返事しないのか?まあいい。俺の仕事はお前の生命の火を地獄に持っていくことだ」
それで死神(?)が千里の身体に手を入れようとしたが、千里はその手を遮った。
 
「何だ?死にたくないのか?人はみんないつか死ぬんだぞ」
「死ぬ前に1つしたいことがある」
「何だ。口は聞けるのか。何がしたい?」
「歌を歌いたい。私、歌が大好きだから、1曲だけでいいから」
「歌か。まあ1曲くらいは、いいだろう。俺は今日中にお前の生命を地獄に持っていけばいいから。まだ9分あるし、1曲くらい歌わせてやるよ」
 
それで千里は歌い始めた。
 
「汽笛一声、新橋を。はや我が汽車は離れたり」
「愛宕の山に入り残る、月を旅路の友として」
「右は高輪泉岳寺、四十七士の墓どころ」
 

沙苗が寝ていたら、素敵な王子様が来て
「君を素敵な国に連れて行ってあげるよ」
と言うので、ふらふらと付いて行った。
 
「そこは苦しみも悩みも痛みも無いんだよ」
と王子様は言っている。
 
「へー」
と感心しながら。王子様と一緒に甘い香りのするお花畑を通り、やがて川の前に出た。
 
「この川を渡れば向こうにあるよ」
と言われて一緒に川を渡り始める。
 
ところが誰かが沙苗の手を握った。振り向くと千里だ。
 
「沙苗、帰ろう」
と千里が言う。
 
王子はよく見ると牛のような魔神に姿を変えていた。
 
「帰ってしまうのか?だったら、せめてお前の睾丸だけでも地獄に連れていく」
と言うと、沙苗のお股にある玉を掴み、もぎ取って向こうに行ってしまった。
 
「沙苗」
と千里が再度声を掛ける。
 
「うん。帰る」
と沙苗は答えて、千里と一緒に川岸まで戻った。
 

死神(?)はイライラしていた。千里の歌がなかなか終わらないのである。
 
「恩み熱田(めぐみあつた)の御社(みやしろ)は、三種の神器のひとつなる」
「その草薙の神剣(かみつるぎ)、仰げや同胞四千萬」
「名高き金の鯱(しゃちほこ)は、名古屋の城の光なり」
 
「まだか?」
「もう少し」
と言って千里は歌い続けていた。
 

沙苗は、雪道で凍えていたのを6日夜捜索していた母に発見され、病院に連れて来られたものの、意識がハッキリせず、危険な状態が続いていた。しかし9日深夜になって、沙苗が目をパチリと開けた。
 
「さっちゃん?」
と母が呼びかける。
「お母さん」
 
「目を覚ました?」
「お母さん、ごめんなさい、ごめんなさい」
 
「いいんだよ。あんた、髪切るのは辞めようよ。そしてセーラー服買ってあげるから、それで通学しようよ。お父ちゃん、出張から戻って来たらそれで学校と頑張って交渉すると言ってるから」
 
「ほんとに?」
 
「だから何とか元気を取り戻して。退院したらセーラー服の採寸に行こうね」
「うん」
と沙苗は明るく返事をした。
 

千里の歌はまだまだ続いていた。
 
死神(?)はイライラしてはいたものの、歌が終わってから生命の火を地獄に持っていけばいいと思い、ひたすら待っている。
 
「建築材に必要の、石切り出す登別。山には全国類い無き壮観奇絶の出湯あり」
「幌別(ほろべつ)輪西(わにし)打ち過ぎて、はや室蘭に着きにけり」
「青森までは海ひとつ、ウニは、この地の名産ぞ」
 
そこで千里が沈黙したので
「もしかして終わった?」
と死神(?)は訊いた。
 
「終わった」
 
死神(?)は泣いている。
 
「どうしたの?黒い衣裳の人?」
「これでやっと、お前の生命の火を地獄に持って行ける」
「よかったね」
「じゃ、お前の生命の火をもらうぞ」
と言って、死神(?)は、千里の身体に手を入れようとした。
 
「あれ?」
「どうしたの?」
「身体の中に手が入らない。命の火を取れない」
「どうしたのかな?」
「おかしいな。4月9日23:51の予定だけど、その日の内なら奪えるはずなのに」
「今4月10日2:12だけど」
「何〜〜〜!?」
と言って死神(?)は時計を見た。
 
鉄道唱歌は、東海道66 山陽九州68 奥州磐城64 北陸72 関西参宮南海64 北海道20 で合計354番まである。曲は2/4拍子で16小節、つまり4分音符32個分の長さである。これをテンポ80で歌唱した場合、
 
354×32÷80 = 141.6
 
となり、2時間21分36秒かかる計算になる。
 
まあ千里もよく歌ったものである。
 
「えーん。日付が変わったから、もう生命の火を奪えないよぉ」
と死神(?)は言っている。
 
「叱られる?」
「3日くらいメシ抜きかも」
「可哀想。よかったらこれでも食べて」
と言って千里は死神(?)に、母が買ってきたものの、まだ食べていなかったコロッケパンをあげた。
 
「ありがとう。何て優しいお嬢ちゃんなんだ。あんた死ぬ予定がキャンセルになったから、200-300年経っても死なないけど、達者でな」
 
と言って、死神(?)は、どこかに去って行った。
 

翌朝(4/10朝)、千里の熱はきれいに下がってしまっていた。ただ喉が荒れていると言われた(そりゃ2時間も歌えばね)。これはトローチをもらった。
 
医師はこの急激な変化に首をひねり、丸一日掛けて検査する。
 
千里は入院以来、カテーテルを入れて導尿していたのだが、千里が歩けそうなので、お昼には導尿を終了し、おしっこはトイレでしてねということになった。
 
「カテーテル入れられてたんですね」
 
「あんた、とても動けなさそうだったからね」
 
と40代の女性看護師さんは言い、膀胱内で開いているバルーンをしぼませ、千里の身体からゆっくりとカテーテルを抜いた。
 
「結構短いもんなんですね」
「大人の人だと6-7cm入れるけど、子供の場合は4-5cmくらいだからね」
「へー」
 
抜いた後、看護師さんは尿道口の周囲および小陰唇などを清浄綿で消毒してくれた。
 

お昼御飯(おかゆではあったが、固形物を食べたのも入院してから初めて)を食べた後、トイレに行った。千里が男子トイレに入ろうとしたら、中から出て来た50歳くらいの男性が驚いたような顔をして
 
「君、ここは男便所。女の子は向こう」
 
と言う。千里は
 
「すみません!間違いました」
 
と言って、男子トイレを飛び出す。その勢いで女子トイレに入り、個室に入って、スボンとパンティを下げ、おしっこする。
 
私、女子トイレに入ってたら叱られないかなあ、と少し不安になったが、女子トイレとか、しょっちゅう使っていたような気もした。
 
また、ちんちんの先からおしっこするのが久しぶりのような気がした。3日間導尿されてたからかな?いやでも2-3年、ちんちんの先からおしっこしてない気がした。でもちんちんの先からおしっこしないなら、おしっこ出す所無いよね??
 
やはり高熱が出ていたせいで、色々記憶が混乱してるんだろうなと千里は思った。
 

4月10日、意識を回復した沙苗があれこれ検査を受け、お昼休みは3Fの病室に戻って休んでいたら、千里が来室するので、びっくりする。
 
「沙苗(さなえ)ちゃん、具合はどう?」
「特に異常はないらしい。まだ身体自体はきついけど」
「ゆっくり身体を休めてから学校には出て来てね」
「うん。ありがとう」
「そうそう。これあげる」
と言って千里は紙袋を渡した。
 
「セーラー服!?」
「私、だぶってもらっちゃったんだよ。でもこれ私には少し大きいから、沙苗(さなえ)ちゃんなら合うかもと思って。ちょっと着てみて」
 
それで沙苗は千里から渡されたセーラー服を取り敢えず病院着の上に身につけてみた。リボンは千里が結んであげた。
 
「着れるね」
「うん」
「じゃあげるね」
「ありがとう」
 
「それとエストロゲンも1箱あげるから、毎日1錠飲みなよ」
と言ってエストロモンの箱を1箱あげた。
 
「ありがとう。これ飲むと凄く気持ちが落ち着く」
と言って、早速一錠飲んでいる。
 
「でも飲み過ぎたらダメだよ。1日1錠を守って」
「うん」
 
「じゃ、また」
と言って千里は病室を出て行った。
 
それと入れ替わるように母が入ってきた。母が見るとベッド横にセーラー服の少女が立っている。
 
「あら、こんにちは。うちの沙苗(まさなわ) のお見舞いに来てくださったんですか?ありがとうございます」
と言う。
 
「お母ちゃん。私だよ」
と沙苗(さなえ)が言うと、母はじっと彼女を見詰めてから
 
「女の子の友だちかと思った!!」
と驚いたような声をあげた。
 

一方、千里の方は、夕方まで掛けて検査されたが、どこも異常はないということになる。体力も充分あるようである。すると病院に留め置く理由もないので、あっさり退院の許可が出た。
 
千里は同室の患者さんたちに挨拶した。
「何とか回復したので、退院します」
 
「良かったね。お大事にね」
と向いのベッドに寝ている24-25歳の女性が言った。
 
「若い子はやはり体力あるから、すぐ回復するね」
と左隣のベッドに居る70歳くらいの女性は言った。
 
左向いの50代の女性、右隣の30歳くらいの女性、右向いの80代の女性もみんな「良かったね」とか「退院おめでとう」などと言ってくれた。それで千里は4Fの病室を出て、退院した。
 

「お薬出しておきますね」
と言われて出されたお薬の明細を見ると、プレマリン・プロベラと書かれている。きゃはは。飲んじゃおう!
 
それで千里は以降、女性ホルモンを飲むことで、男性機能が停止し、身体が女性化して、胸も少しずつ膨らんでいくことになる。
 
母の車で自宅に戻る。
「今週いっぱいは休んでようか」
と母も言うので、千里も
「うん」
と同意した。それで退院した翌日の4/11(金)も休み、学校には4/14(月)から出ていくことにした。みんなより一週間遅れの登校である。
 
「病み上がりだし、髪の毛ももう少し体調回復してから切らせてもらうことにしようよ。お母ちゃん、学校に電話しとくよ」
と母は言った。
 
「うん、お願い」
と言って千里は自分の布団に入った。
 

父は4月11日(金)夕方に帰港したが、大漁旗を立てていた。何でも今週は9日まで全く不漁だったのが、10-11日の2日間で物凄く漁獲があって、結果的に豊漁になったらしい。しかし、週の前半は海がしけて、父は不眠不休で船を動かしていたということで、かなり体力を消耗したようであった。
 
(千里は父の船の守護女神なので、守護女神がダウンしていると、船も大変なことになる)
 
父は、千里が3日間高熱が続いたものの、4日目には嘘のように良くなったと聞くと
「普段ちゃんと飯食ってないから倒れたんじゃないのか?」
などとは言っていたものの、千里の回復に安心した様子であった。でも
 
「まだ病み上がりなら、俺に風邪移すなよ」
と言って、父は土日は寝ていた。
 
父は4月14日(月)早朝、今週は津気子に見送られて出港していった。
 

千里はこの日から中学に出て行くので、不本意ながら学生服を着ようとしたのだが、学生服は全く千里の身体に合わなかった。ワイシャツもボタンが留められない。ズボンもファスナーが上がらない。
 
「なんで合わないのかねぇ」
と母も首を傾げた。
 
「仕方ないから体操服着ていく」
「そうだね」
 
それで千里はその日は、体操服で登校した。母は千里に付いて行くと言ったのだが、千里は、たくさん会社休ませたから今日はひとりで大丈夫だよと言って、ひとりでバスに乗って登校した。
 

「おお、やっと出て来たか」
と蓮菜が言った。
 
「でもなんで体操服なの?」
と美那が訊く。
 
「それが不思議なんだけど、学生服が全然サイズ合わなかったんだよ」
と千里。
「千里の体型に合う学生服が存在するわけない」
と蓮菜。
「ちゃんとセーラー服を着てくればよい」
と美那。
「えー。そんなの着たら叱られるよぉ」
と千里。
 
そんな会話をしておら、千里は「あれ?なんかこんな話を以前にもしなかったっけ?」と疑問を感じた。
 
「でも髪は長いままなんだ?」
「うん。体調が完全に回復してから切ろうと思って」
 

やがて担任の菅田先生が教室に入ってくると千里は、前に出て行って母の署名捺印のある欠席届を提出した。その上で
 
「一週間休んですみませんでした」
と言ってから
 
「髪の毛ですが、まだ病み上がりなので、もう少し体調が回復してから切りに行ってもいいですか?」
とお願いした。
 
「うん。それでいいよ。お母さんからの電話で聞いた。無理しないでね」
 
ちなみに、菅田先生は“女子の規則”でも長すぎる髪を切るのを待つという意味で了承しているのだが、千里は“男子の規則”違反かと思っている。だいたい女子にしか見えない外見の子が女の子の声で話していれば、女子生徒としか思わない!
 
ともかくも千里は、胸付近まである髪のまま、中学生生活をスタートすることになったのである。ただし、長い髪をそのままにしておくのはダメと、英語の鶴野先生(女性)から言われ、千里はこの髪をツインテールにして、小春が渡してくれた青い玉付きの髪ゴムで各々結んでおいた。
 

千里はクラス分けの名簿を見ていた。千里は1組である。
 
「佳美やるみちゃんは2組、穂花や杏子ちゃんは3組か」
「けっこうバラバラになったね」
 
千里は名簿を見ていて「あれ?」と思った。
 
「沙苗(さなえ)はこのクラスなんだ?」
と言って教室を見回すが、沙苗の顔が見当たらない。
 
蓮菜は回りを見回すと、
「ちょっと」
と言って、千里を連れて教室の外に出た。
 
「それ大変だったんだよ」
と蓮菜が小さな声で言う。
 
「沙苗(さなえ)は千里同様に入学式も休んだし、その後ずっと休んでる」
「何かあったの?」
 
「この情報は厳しく管理されている。このこと知ってるのは私と恵香に、ごく少数の先生だけ。美那や玖美子も知らない。でも千里は知っておいたほうがいいと思って」
 
「うん」
 

「あの子、家出したんだよ」
「え〜〜〜!?」
「静かに」
「ごめん」
「一応、千里同様、病気で入院しているということになってる」
 
「どういう状況?」
「雪の中で倒れているのを発見されて、病院に運びこまれた。多分死ぬつもりだったんじゃないかと思う。3日くらい意識を失っていたけど、木曜日にやっと意識回復したらしい。怪我とかは無い」
 
「良かった」
 
「書き置きもあった。自分は男子中学生にはなりたくない。学生服とかで通学したくない。髪を切って男の子みたいな姿になるのは嫌だって」
 
「それ全然他人事(ひとごと)じゃない。その気持ち痛いほど分かる。私がそうしてたかも。お見舞いに行きたい」
「じゃ放課後一緒に行こう。千里の顔見たら、きっと元気出るよ」
「うん。少しでも力(ちから)になれたら」
「千里は力(ちから)になると思ったから打ち明けた。他の子には言わないでね」
「もちろん」
 
でも沙苗が無事だったのは本当に良かった、と千里は思った。自分が高熱にうなされている時に、何度か彼女の夢を見たのは、何か自分と共鳴したのかも知れないなと千里は思った。
 

4月27日(日)の留萌新聞に、このような記事が載った。
 
昨日開かれた中体連剣道・留萌支庁大会で、男子の部に女性剣士のAさん(12)が出場し、個人戦で3位の成績を収め、笑顔で賞状を受け取った。Aさんは留萌市内の中学にセーラー服で通学する女子生徒ではあるものの、大会の規定で女子の部に出場できず、男子の部に出場した。白い道着・袴姿で、居並ぶ紺色道着・袴姿の男性剣士を次々と倒し、歓声があがっていた。彼女は団体戦でも男子チームの先鋒を務め無敗で、チームのBEST4入りに貢献した。
 
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【少女たちの予定は未定】(1)