【少女たちの星歌】(1)

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2001年8月に生まれた龍虎は、生後1ヶ月半で志水英世・照絵夫妻に託された。
 
照絵は2001年春に妊娠したものの、流産してしまっていた。流産の原因は不明ということで、恐らくは遺伝子に何か問題があったための自然流産でしょうと医者からは言われた。当時はホルモン的に物凄く不安定で感情の波も激しかった。何でもないことで泣いてしまうこともよくあった。
 
そういう時に龍虎を預かったので、照絵は流れてしまった子が戻って来てくれたような気がして、龍虎を物凄く可愛がった。その様子を見て夫の英世は心配した。
 
「あまりのめり込みすぎると、高岡さんたちに返す時に辛いぞ」
「分かってるよ」
とは言うものの、照絵はこの子はもう高岡さんたちには返したくない気分だった。
 
「そういえばその子の誕生日は?」
「そういえばいつだったっけ。8月だったはずだけど」
 

ワンティスは忙しいようで、龍虎を預かった10月から12月まで全国ツアー。その後、年末年始は様々なテレビ番組に出演しながら音源制作、と休む暇も無い。高岡夫妻は10月に龍虎を預けた後、11月下旬、1月下旬に夫婦1人ずつ顔を見せ、その後、夕香が3月上旬に龍虎に会いに来た。今は音源制作をしているが、ゴールデンウィークにはドームツアーがあるのでその準備もしており、大変なようである。今回も夫婦バラバラの訪問となった。
 
「ごめんねー。なかなか会いにに来られなくて」
と言って、久しぶりにやってきた夕香は我が子を抱きしめた。
 
「連れて帰りますか」
と英世が尋ねる(一瞬照絵が嫌そうな顔をする)が、
 
「ごめーん。まだ預かっててもらえない?本当に忙しくて。返されたらお世話できなくて、速効で餓死させそう」
と夕香は言う。
 
「無茶苦茶忙しそうですもんね」
と照絵(ホッとしたような顔)。照絵としたら、龍虎が居なくなったら、自分がどうにかなってしまいそうな気がした。
 

「そうだ。この子の誕生日をうっかり忘れちゃって」
「8月20日だよ」
「獅子座?乙女座?」
「獅子座。そうだ。こないだお友達にチャート印刷してもらったんだよ」
と言って、夕香は1枚の紙を取り出した。
 
ホロスコープが印刷され「高岡龍虎 M 2001.08.20 14:21 町田市」と書かれている。
 
「コピーさせてもらっていい?」
「OKOK」
 
それで照絵はこのホロスコープを1部コピーした。このコピーがずっと残ることになる。
 


 
「これスプラッシュですかね」
と照絵は訊く。
「このチャートを出してくれた友人は、ロコモーティブじゃないかという意見だった」
 
スプラッシュとは星が天空全体に散らばっていて、エネルギーが分散している可も不可も無い“普通の人”である。これに対してロコモーティブというのは、星の配置の中に間隙があるタイプで、そこを補おうとして努力することにより、大きく成長する可能性を秘めている。“努力出世型”である。努力が足りないと、ただの欠陥のある人間になる。このタイプのチャートを持つ人は、本人の努力次第で運命が大きく変わる。
 
「なるほどー」
「3,4,5室、サインで言うと魚・牡羊・牡牛に星が無い。つまりこの子の弱点は積極性や資金。だから誰か背中を押してくれる人に恵まれ、充分な活動資金も得られたら、とんでもない大物になるかも」
 
「柔のTスクエアを持っているから、自分で自分をプロデュースするタイプじゃなくて、良きプロデューサーを得て売れるタイプ」
「それ女性的な部分が重要だよね?」
「そうそう。Tスクエアを月が支配しているから女性的なエネルギーが封印されている。それを解放してくれる人が必要」
「それは牡羊か山羊の人」
 
(山村は月が山羊、西湖も月が山羊。鱒渕水帆は太陽も月も山羊。つまり初期段階で龍虎が売れたのには実は鱒渕の力がとても大きかった。それを引き継いだ山村も山羊で、理想的なリレーであった)
 
「獅子や天秤の人も助けてくれる」
「確かに確かに。お友達だよね」
 
(ケイは太陽・月ともに天秤、コスモスは太陽天秤・月獅子。千里は月が天秤)
 
「ディスポジターは?」
「こうなってる」
と言って、夕香はホワイトボードにこういう図を描いた。
 
      金/蟹 土/双
       ↓   ↓
火/射→木/蟹→月/乙→水/乙
 
太/獅
 
「水星が根になるのか」
と照絵。
 
「品位で見ても水星の品位が物凄く高い」
と夕香。
 
「水とかマーキュリー(メルクリウス)とかに関する芸名付けるといいかもね」
「水川メルクとか」
「あ、可愛いかも」
 
「それ女の子の名前では?」
と英世は言うが
 
「この子、可愛いから女の子でもいいと思うなあ」
と照絵は言い、夕香も
「この子きっと可愛い格好が似合うよね」
などと言っている。
 
「太陽はそれだけでループしているのに対して、月は多くの星と絡んでいる。この子は女性的なエネルギーの方が大きいから、そちらを伸ばした方がいい」
 
「スカートとか穿かせるといいよね」
「ロッカーとかのスカート穿くのは普通だよね」
「男の子アイドルはスカートとか穿いても変に思われないよね」
 
「でも水星が根ということは、この子、商業的に大々的に売り出すことでその才能が開花するタイプかも」
「うん。この子は街角でギター弾いてる子ではなくてドームで華々しく歌うことでその魅力が生じるタイプ」
 
「ワンティスより売れたりして」
「あり得る、あり得る。この子が売れたら私は左団扇で楽隠居させてもらおう」
 
「じゃその時は私はこの子のマネージャーで」
「おお、よろしくよろしく」
 

照絵と夕香が占星術用語を交えて、楽しそうに龍虎の将来について語るのを聞いていて、英世は
「さっぱり分からん!」
と思っていた。
 
その時、龍虎が泣いたが照絵は「おしめかな?」と言う。
 
「じゃ私が交換するよ」
と言って、夕香は龍虎のおしめを交換した。
 
龍虎のお股を見て、夕香が
「やはり、この子、男の子だよねぇ」
などと言う。
 
「あ、私もこの子、女の子なのではと思う時がある。なんか夜中に寝ぼけておしめ交換してると、ちんちん付いてない気がすることあるのよね。割れ目ちゃんを開いて中を拭いたような気がして。でも朝起きて見たらちんちん付いてるから、きっと夢でも見てるんだろうけど」
と照絵。
 
「この子、すっごく可愛いし、もうちんちん取って女の子に変えちゃおうか」
「あ、それいいかも。ちょっと手術受けさせればいいよね」
 
「お前ら、勝手なこと言うなよ」
と英世。
 
「でもこんなに可愛いのに男にしちゃうのはもったいないよねー」
「この子、絶対女の子でもやっていけると思う」
 
などと照絵と夕香は話していたが、龍虎が嫌そうな顔をしている気もした。
 

その日、千里は“体育の時間が終わって着替えている時”、恵香から言われた。
 
「千里って、いつも前開き(まえあき)の無いズボン穿いてるよね」
「前開きって何だっけ?」
 
「ほら、美那が穿いてるズボンとか、前面にファスナーが付いてるじゃん」
「ああ、それ苦手。だって引っかかるんだもん」
「引っかかるって・・・あれが?」
「うん。上着の裾がファスナーに引っかかって、外すのに苦労するじゃん」
「上着の裾かぁ!」
 
「他に引っかかるものは?」
と穂花が尋ねる。
 
「キャミソールの裙もよく引っかかる。それで穴あけちゃうこともある」
と千里。
 
蓮菜が笑って言った。
「千里の“身体”に引っかかるようなものが付いてる訳ない」
「やはりそうなのか」
「千里は立っておしっこすることも無いし」
 
「だけどあれ引っかかると凄い痛いらしいね」
「痛いだろうね」
「女の子の良いことは、引っかかる心配が無いことだよ」
「あれがどうしても取れなくて、病院に駆け込む人もいるらしいよ」
「病院でどうするの?」
「はさみで切るしかないんじゃない?」
「何を切るの?」
 
「普通の医者は布を切ってあげる。親切な医者はアレを切ってあげる」
と蓮菜。
 
「ふむふむ」
 
「切っちゃえば二度と引っかかることはないからね」
「確かにそれは親切だ」
「私が医者で患者が美少年なら、きれいに切り取ってあげる」
 
「蓮菜はやはり医者になるのやめた方がいい気がする」
 
千里は何を切るんだろう?と首を傾げていた。
 

龍虎は3月中旬に保健所で6ヶ月健診を受け、そのついでに四種混合ワクチンの3回目を打った。
 
既に、ヒブ、ロタ、小児用肺炎球菌、B型肝炎、BCGは終わっている。0歳児の段階での予防接種は、来月4月にB型肝炎の3回目を打てば完了である。次は1歳になってから、麻疹・風疹/水痘/おたふく風邪の予防接種を受けることになる。
 
龍虎の乳児健診と予防接種については「友人から赤ちゃんを預かっているので」と保健所に事情を説明し、住民登録されている子と同様にお知らせなどを受け取れるようにしてもらっている(夕香の委任状と母子手帳(*1)のコピー提出)。
 
(*1) 夕香は自治体から母子手帳を発行してもらっていなかったが、出産した病院が職権で発行してもらい、母親の名前も子供の名前も未記入のまま、出産に関する事項を病院が記載して夕香に渡した。受け取った後で、夕香は自分の名前“高岡夕香”と子供の名前“高岡龍虎”を自分で記入した。その後、照絵から予防接種などを受けさせたという連絡がある度にそれを夕香が記入していた。この母子手帳はいつも夕香が持っていたので、2003年の事故で焼失したものと思われる。
 

「しかし毎月毎月の予防接種大変だったなあ」
と照絵は思った。
 
保健所が終わってから、バーガーキングで一息ついていたのだが、6ヶ月健診の結果表を何気なく眺めていた照絵は“その項目”に気付いた。
 
「やだぁ。龍ちゃんの性別が女って印刷されてる」
 
名前はちゃんと“龍虎”になってるのに!
 
「あんた、お医者さんにも女の子と間違えられるなら、いっそ女の子になる?」
 
などとミルクを飲んでいる龍虎に語りかけると、この日の龍虎は嬉しそうに笑った。それで照絵はこの子を本当に女の子に改造してあげたい気分になった。
 

2002年4月2日から4日にかけて、留萌P神社の宮司・翻田常弥は個人的な用事で不在になった。実は彼の孫・和也が伊勢の皇學館大学に入学するのでその入学式(4/3)に参列しに行ったのである。
 
日本では緊急の場合(跡継ぎの長男が急死してその弟などに神職の資格を取らせたいなどといった場合など)を除いて、神職の資格を取るには、伊勢の皇學館大学か東京の國學院大学を卒業しなければならない。
 
(他に全国各地にある神職養成所に2年間通う方法もある。多くは通学形式だが、大阪國學院だけは、日本で唯一の通信講座を開設している)
 
後継予定者の急死などに伴う緊急の場合は、神職養成講習会・集中講座に参加する道もあるが、これはあくまで例外的な道である。
 

「どうでしたか?」
と社務所の留守宅をあずかっていた林田菊子(65)は尋ねた。
「なんか知り合いが多くて、同窓会みたいだったよ」
と懐かしむように常弥(73)は言った
 
菊子は先々月あたりからこの社務所に事実上住んでいて、常弥の日常の世話をしている。お互い結構な年でもあるので結婚までは考えていないものの、常弥の事実上の妻となっている。2人の関係は常弥の息子で札幌に住んでいる民弥(和也の父)、深川や旭川に住んでいる林田菊子の子供たちも容認している(菊子の家は事実上空き家になっている)。
 
菊子さんが居てくれるので、小春の負荷も随分減少した。正直小春はかなり体力が衰えているのでこの1年ほどは結構きつかったのであった。そもそも小春は千里の眷属なので、本来は神社の手伝いをする義理は無い。でもこの神社の大神様に便利に使われている。そのついでに宮司のお仕事も手伝っている。
 

2002年4月、千里は小学6年生になった。
 
今年の始業式は4月5日(金)に行われた。この学校では4年生から6年生まではクラス替えが行われないので、また同じクラスである。クラス委員は4年生の時は玖美子と高山君、5年生の時は佐奈恵と佐藤君が務めたが、6年生では蓮菜と中山君が指名された。蓮菜がクラス委員になったので保健委員は美那になった。なお千里は3年連続で放送委員をすることになった。概して放送委員や図書委員は“専門職”なので、1度なると高校卒業までずっとやらされる傾向にある(実際千里も高3まで9年間放送委員をすることになる)。
 
担任は1組は我妻先生のまま、2組は戸坂先生が羽幌町(はぼろちょう)の学校に転任して行ったので、昨年6年生を担当していた伊藤先生(男性)がそのまま担任になった。結局1組は4−6年の3年間我妻先生になったが、2組は4年の時は近藤先生、5年では戸坂先生、6年では伊藤先生と1年交代になってしまった。
 
始業式の翌日4月6日は第1土曜なのだが、今年4月から学校は土曜日が全て休みになったのでこの日は休みだった(3月までは第2・第4土曜のみ休みだった)。そして6-7日の連休明け、4月8日(月)に入学式が行われた。
 
千里たち6年生の鼓笛隊は入学式で『勇気100%』を演奏して新入生を歓迎した。この曲は“卒業生を送る会”が終わった後、3月中にたくさん練習していたものである。また児童会長の典子が(今回はドラムメジャーの衣装のまま)1年生を歓迎する言葉を述べた。
 
ちなみに千里はファイフの担当で、ファイフ担当は全員女子でスカートを穿くので、千里は当然スカートを穿いた(三段論法)。
 

新学期早々、身体測定があるが、どうも千里と留実子のデータベース上の性別はいまだに訂正されていないようで、留実子の書類は男子と一緒に、千里の書類は女子と一緒に出力される。それで保健委員の美那と田代君は、留実子の書類は女子の方に混ぜ、千里の書類は女子の先頭に置いて、これまでと同様に身体測定に臨んだ。4月は通常の身長・体重の測定だけでなく、視力・聴力の検査も行われたが、千里は両目とも2.0だったし、聴力も問題無かった。更にその後、医師の健診とX線間接撮影まである。千里は医師の健診では
 
「バストは普通に発達してきてるね。生理は乱れてない?」
「はい。定期的に来ています」
などと会話し(次の番の恵香が頷いていた)、X線でもごく普通に女子として検査を受けた。
 

身体測定の翌週には体力測定も行われた。
 
実施項目は、握力、上体起こし、長座体前屈、反復横とび、立ち幅とび、50m走、ソフトボール投げ、シャトルランである。
 
千里は握力は最初左10kg, 右8kg と申告しようとしたが、ちょうどそばを桜井先生が通りかかり
「こら手抜きするな」
と注意された。仕方ないので“割と本気”で握り、左30kg 右25kgと出したものの、
「まだ手抜きしている気がする」
と言われる。
「限界ですよぉ」
と言ったら
「まあ今日の所はこれで勘弁してやる」
ということになった。
 
上体起こしは10回(30秒で)、長座体前屈は25cm、反復横とびは24点!?, 立ち幅とびは120cm, 50m走は12秒と、手抜きの極致の数字を出していくが幸いにも(?)見とがめられなかった。
 
シャトルランは15回で済ませようとしたら桜井先生が睨んでいたので再測定する羽目になる。結果は80回で
「すごい」
と中山君が驚いていた。男子でもクラスでベストスリーに入る数値であった(1位は留実子!)。
 
しかしもっとも辛い種目であるシャトルランを結果的に2度やる羽目になった(手抜きした千里が悪い)。
 

ソフトボール投げは最初10mだったが、今度は通りがかりの我妻先生から
「ソフト部のエースがその数字はあり得ない」
と言われる。
 
そもそもソフトボールのピッチャープレートからホームまでの距離が10.67mあるので、10mしか投げられないなら、ボールがホームに届く前にバウンドしてしまう!
 
仕方ないので本気で投げたら、推定60m(白線を引いていた所の遙か先)ということになった。ホームからホームラン・ラインまでの距離が約53mなので、エースなら当然そのくらい投げられるはずだった。測定係の子が
「なんでそんなに手抜きしてたの?」
と呆れていた。
 

その日、千里が“珍しく”剣道部の練習に出て、準備運動をしていたら、体育館の向こう側で練習していたミニバスのボールが転がってきた。千里がボールを掴む。向こうの方で「すみませーん」と言っている背の低い女子がいた。バスケ部員にしては随分小さい。3年生くらいかな?と思う。千里は
 
「行くよー」
と言って彼女に向けてボールを投げた。
 
ボールはゆっくりとした山なりの軌道で飛び、ピタリとその子の手に収まった(3年生くらいかと思ったので手加減して投げた)。
 
その子が驚いたような顔をし、ボールを持ったままこちらに来た。
 
「先輩、いいボールを投げますね!」
とその子は言った。
 
「私、兼部でソフトボール部にも入っててピッチャーしてるから」
「ソフト部のピッチャーですか!さすがですね。あ、私5年の森田です」
 
嘘!?5年生だったの?
 
「私は6年の村山。頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
 
これが千里と森田雪子のファーストコンタクトだった。本当は2月にも一度見ているのだが、その時、雪子は留実子に見とれていたので、千里のことは認識していなかった。雪子は(本人としては)女の子には興味が無いつもりである。でも今まで好きになった相手は全員女子!なお、雪子はまだ留実子が女子であることに気付いていない!
 

4月20日(土)、千里たちN小ソフト部は、今年もK小学校のチームと練習試合をした。千里は(走り込みの成果で)昨年より結構スピードアップした直球に時折りカーブを混ぜる投球。K小を1ヒットのみ、2塁も踏ませず完封して、昨年の練習試合で最終回2アウトから逆転サヨナラヒットを打たれたのの雪辱を果たした。
 
「村山さんに出場資格があったら脅威だ」
 
と向こうの学校の監督は言っていた。向こうの学校としては春の大会にむけていいシミュレーションができたようである。実際、K小はこの敗戦に奮起して、地区大会で優勝することになる。
 

4月23日(火)、千里の学校では社会見学が行われた。
 
社会見学は遠足と違ってバスでの移動なので楽である。
 
小さな町なので、あまり見学するような場所も無いのだが、今年は1年生は消防署、2年生は礼受牧場、3年生は新信砂浄水場(この時期はまだ留萌ダムの完成前)、4年生は佐賀家漁場(ニシン漁の漁具などが残る)、5年生は留萌新聞ときて、6年生は水産加工場であった。実は千里の母の勤め先である!
 
母は「今日はスカート穿いて来ないでよね」と言っていたが、実際には千里は学校にスカート姿で登校したことはない(*2)。それで、蓮菜たちに根性無しと言われる。
 
(*2)これは本人的見解。蓮菜的見解では、千里は小学生の頃、さすがに冬季はズボンだが、夏季はスカートを穿いて学校に来ていることが多かったと言っている。
 

千里の母の他にも、ここに務めている保護者は何人もいて、あちこちで挨拶がかわされていた。
 
「これだけ知り合いが多いと悪いことできないな」
と留実子が言うので
「悪いことって何するの?」
と尋ねると
「たとえば頭を丸刈りにしてくるとか」
などと言っている。
 
「それはやめときなよー。お母さんが可哀想だよ」
と千里は言っておいた。
 
もっとも留実子はかなり髪を短くしている(中学に入ったらこの短さは注意されるかも)ので、丸刈りにしなくても今の髪でも普通に男の子に見える。むろん留実子は床屋さんに行く。千里は美容室に行く!
 

高岡猛獅は、ゴールデンウィークの直前に照絵たちのアパートにやってきた。
 
「なかなか時間が取れなくてごめん」
「ツアーの準備大変なんじゃないですか?」
「君のハズバンドが代わりにギター弾いてくれているから、抜け出して来た」
 
きっと英世が「たまには龍ちゃんに会いに来てやってください」とか言ったのだろう。
 
「龍、元気か〜?」
などと言って猛獅が呼びかけると、龍虎は機嫌が良いようで、笑顔で笑っている。抱き上げて「高い高ーい」などとやっているが龍虎も楽しそうである。
 
「そうだ。龍に洋服買ってきたよ」
と言って、猛獅が取り出したのは・・・キティちゃんの可愛いロングTシャツと七分丈のパンツである。
 
う・・・キティちゃんを着せるのか?
 
きっと似合うけど!
 
「いやぁ、こないだ来た時はうっかりこの子の性別勘違いしてて、男の子の服買って来ちゃったから、今度は間違えないように女の子用を買ってきた」
 
などと猛獅は言っている!
 
もういいや!と照絵は思った。
 

猛獅が(大人用に)ケーキを3個買ってきてくれたので、英世の分は冷蔵庫にしまい、お茶でも入れようとやかんでお湯を沸かしていたら、今まで機嫌がよかった龍虎が急に泣き出す。
 
「あっ、おしめかも。今替えますね」
「いいよ、いいよ。僕が替えるよ」
「すみません。おむつはベビーベッドの下ですから」
「OKOK」
 
照絵は、おしめ交換すれば、龍虎が男の子であることにさすがに気付くよな、と思いながら紅茶を入れていたのだが・・・・
 
猛獅は、おむつの交換を終えたようなのに特に何も言わない。
 
「交換したおむつはどこに捨てればいいんだっけ?」
「あ、トイレの大きな汚物入れに」
「じゃ捨ててくるね」
 
猛獅の様子が全然変わらないのに疑問を感じながら、照絵は夕香からもらったマイセンのコーヒーカップを出して、それにティーサーバーで入れたブルークボンドの紅茶を入れた。
 
(このコーヒーカップのセット(5個組)は後に照絵が龍虎に夕香の遺品として渡し、龍虎の宝物となる)
 
おむつを捨てた後トイレで手を洗ってきた猛獅は、ケーキを食べながら今度のツアーの演出予定について「まだ内緒だからね」などと言いながら、楽しそうに語っていた。
 

4月27日(土)はソフトボールの地区大会が行われた。千里は選手として登録できない(と思われている:従ってソフト部員としては登録されていないので、男子としての登録証も無い!)ので、スコアラーとしてベンチに入った。結果は5−1で負けであり、1回戦で姿を消した。
 
「ああ、千里が登録できたらなあ」
とキャプテンの麦美が嘆く。麦美は千里が剣道部には女子として登録されていることを知らない。
 

高岡猛獅は、事務所社長の奥さんから声を掛けられた。
 
(この奥さんは高岡たちが亡くなった翌年2004年に癌で亡くなる)
 
「あんたたち、去年生まれた赤ちゃんのお世話はどうしてるんだっけ?ベビーシッターさんとか雇ってるの?」
「知り合いに預かってもらってるんですよ」
「ごめんねー。あんたたちの結婚のことも、赤ちゃんのことも公(おおやけ)にできなくて。レコード会社の人が今明らかにしたらワンティスの人気が落ちるから、せめてあと2年くらい伏せて欲しいと言ってさ」
「まあ仕方ないですね」
 
「子供は男の子だったよね?」
「女の子ですよ」
 
「あれ?そうだったっけ。ごめん、男の子かと勘違いしてた。でも女の子だったら、15年後にはアイドルデビューとかすることになるかもね。あんたたちの娘ならきっと歌もうまいだろうし」
 
「それもいいなあ」
「そうだ。ホロスコープ作ってあげようか」
と言って、奥さんは自分の机の所に猛獅を連れて行った。
 
「名前は?」
「高岡龍子です」
「“りゅう”はどんな字?」
「ドラゴンの龍です。難しい方の字」
「かっこいいー!生年月日と時刻、出生場所を教えて」
「2001年8月20日 14時21分、神奈川県町田市」
 
それで奥さんは自分のパソコンで龍子(?)の出生ホロスコープを作成し、プリントして、猛獅に渡したのであった。
 
奥さんは占星術的にはこれこれこうだと、ホロスコープを見ながら解説してくれたが、猛獅は「さっぱり分からん!」と思った。
 

2002年4月27日(土)、武矢の父の兄・村山庄造(1920生)が亡くなった。千里には大伯父に当たる。庄造は十年ほど前から寝込んでいた。それで2000年に十四春が亡くなった時も葬儀には出て来なかった。そしてこの日とうとう本人が逝ったということであった。
 
千里はソフトボールの試合が終わって帰宅した所で父からそのことを聞いた。お昼過ぎに連絡があったらしい。
 
明日はソフトボールの他のチームの試合で試合の運営補助に出て行く予定だったので、すぐ顧問の先生に電話して欠席の承認を得た。
 
ところで津気子は頭が痛かった。給料が出たばかりだから、旅費と香典は何とか出せるが、ゴールデンウィークはどこにも行けなくなるし、そもそも5月の生活費をどうしよう!?というところである。
 

津気子は子供たちの服装にも悩んだ。子供だから式には出なくてもいいかも知れないが、黒っぽい服は着せておきたい。玲羅は一昨年買ったワンピースの喪服が入らなかった。ワンピースなら小さくなってもミニのワンピースとして着られるだろうと思っていたのだが、横幅が入らない。試しに昨年買った千里の黒ワンピースを着せたら入ったので
「あんたはこれで」
ということにした。
 
千里の服を何とかしなければならない。それで千里をヴィヴィオの助手席に乗せてジャスコまで行った。
 
「中学生だったら学生服でいいんだけどなー」
「私、セーラー服着たい」
「そうだねぇ」
と、どうも津気子も悩んでいるようだ。
 
ジャスコに着くと、千里は
「私、ATMコーナーに行っていい?」
と言った。津気子も
「私もお金下ろさなきゃ」
と言った。
 
それで一緒にATMの所に行ったのだが、千里は、先にさせてと言って自分のカードでお金を10万降ろすと、封筒に入れてから母に言った。
 
「これ、私が神社のバイトとかで貯めたお金だけど、良かったら使って」
 
(本当は『富嶽光辞』を読む報酬として遠駒貴子さんからもらったものである。神社のバイトではさすがにこんなにはもらえない。この口座のカードは母にも見つからないように神社に置いている。小春に取ってきてもらい、お金を下ろした後、すぐ持ち帰ってもらった。この口座のお金は最後の砦なので基本的に“無いもの”と思っている:しばしば本人も忘れている!)
 
「ごめーん!悪いけど使わせてもらう」
と言って、津気子は千里の封筒を受け取った。
 
それで津気子はこの日はお金を下ろさなかった!(チケットはクレカで買うつもり)
 

母は男物の黒いスーツを選ぼうとしたが、千里は女物を着たいと言った。
 
「だって、親戚の人、みんな私のこと女の子だと思っているもん。男の服とか着てたら変に思うよ」
「でも父ちゃんが見たら」
「お父ちゃんが見ても似た親戚の女の子と思うよ」
「なるほどー!」
 
それで津気子はかなり悩みはしたものの、
「あんたからもらったお金だしね」
 
などと言って、千里の身体に合うワンピース(但し少し大きめ)と厚手のタイツを買ってくれた。でも「念のため」と言って黒いズボン(当然ガールズ)も買った。
 
どっちみち途中は普通の服を着ていき、現地で着替えることにする。その途中の服として、母は千里用・玲羅用のどちらもガールズのトレーナーと厚手のジーンズのパンツ、それに黒いスニーカーを買った。今学校に履いて行っている靴は、千里は赤だし、玲羅はピンクである。
 
(でも全部カードで買った!支払いのことは後でゆっくり考える)
 
むろん千里はガールズの服でないと入らない。ボーイズではお尻が入らず、お尻の入る服はウェストが余り過ぎる。津気子は更にトップスはワンサイズ上の服を選んだ。それは千里がブラジャーをしている胸が目立ちにくいようにするためである!
 

庄造は妻の倫子、息子の国男夫婦と一緒に根室(ねむろ)に住んでいた。
 
留萌(るもい)から根室(ねむろ)に行くには、新千歳あるいは丘珠(おかだま)空港から根室中標津(ねむろ・なかしべつ)空港まで飛ぶルートもあるのだが(丘珠からはYS-11が飛んでいた!)、実は鉄道を使うのと所要時間があまり変わらないのに運賃は段違いである(鉄道だと10600円、飛行機利用だと25090円)。それで鉄道で行くことにする。
 
4/28 留萌557-651深川657-729旭川747-1044新得1108-1304釧路1309-1525根室
 
どっちみち丸一日がかりの移動である。
 
深川から新得(しんとく)に行くのには、滝川から根室本線に行くルートと、旭川から富良野(ふらの)線を通るルートがあり、実はほとんど時間も変わらないし、どちらから回っても結局同じ列車に接続することが多い。今回は旭川から帯広行き快速・狩勝(かりかち)に接続するので、旭川経由を選択した。新得−釧路間は、特急・スーパーおおぞら3号である。むろん自由席である!
 

 

長旅なので、喪服は持って行き、現地で着替えることにする。
 
父は茶色いポロシャツにベージュの綿パン、母は紺色のワンピースに上半身はフリースを重ね着している。足には厚手のタイツも履いていた。千里と玲羅は昨日買った服の上にフリースを着て、更にダウンジャケットも着ている。玲羅は
「今履いてる靴、穴があいてたから助かった」
と言っていた。
「ごめんねー。すぐ新しいの買ってあげられなくて」
 
北海道の4月下旬というのは根雪もまだ消えておらず結構寒い。母の格好は寒くないだろうか?と千里は思った。結局旭川を過ぎた所でズボンに穿き換えていた!(フリースも着ずにコートも着ない父は異常だと千里は思った)
 
朝御飯は留萌のコンビニで4人分のお弁当とお茶(+おやつ)を買っていたので、それを留萌から深川までの約1時間の行程の中で食べた。お昼は新得駅の売店で買った。
 
玲羅はもうゴールデンウィーク気分で、窓の外の景色を見てはしゃいでいたが、千里はひたすら寝ていた!父から色々話し掛けられたら面倒だからである。
 

現地に着いてみると晴れ間も見えるものの、小雪がちらついていた。寒い!と千里は思った。会場は市内の斎場なので、根室駅からタクシーで移動する。
 
到着するなり「兄貴待ってたぞ」と弾児(武矢の実弟)から声を掛けられて、父は“宴会”に入ってしまった。
 
母は千里・玲羅を連れて女性用控室に入り、晩御飯をもらった。春貴さんも女物の喪服を着て、この部屋に居た。千里を見ると手を振っていたので会釈した。
 
「スカートじゃないの?」
「寒いです」
「そうだよね!実は私もここまで来る道中はズボン穿いてた」
「ですよねー」
 
「私も千里ちゃんもズボン穿いてても女にしか見えないしね」
「春貴さんの性別を疑う人はいないですよ」
 
「だからスカート穿かなくてもよくなったら、女装は完成なんだよ」
「それ何となく分かります」
 
玲羅が首をひねっていた。
 

夕食を食べた後は、母は喪服に着替えてから色々手伝うので、千里も一緒に物を運んだり飾りつけたりお手伝いをした。玲羅はそのまま控室でおやつを食べながら漫画を読んでいたようである。
 
お通夜はその日の20時から行われた。遠くから来る人を待つのに遅くから始めたのである。子供は特に参加しなくてもいいので、控室で他の子供たちと一緒におやつを食べたりココアや甘酒を飲んだりしていた。美郷(みさと)はもう女子中生だし、自分の曾祖父なので、通夜に出席したようである。
 
千里は“女の子同士”、玲羅と一緒に来里朱・真里愛の姉妹とおしゃべりしていた。玲羅も千里がほぼ女の子扱いなのは気にしない!ことにしている。
 
今回はまだ寒い時期なので、スカートを穿いている子がいない。千里のパンツルックも普通なので、全く目立たず、女の子たちの中に溶け込んでいた。
 
通夜が少し落ち着いた頃、美郷が
「お腹空いた」
と言ってやってきて、おにぎりを食べていた。彼女は実際問題として“動いてる曾祖父”の記憶が無いと言っていた。物心ついた頃からずっと寝たきりだったらしい。
 
「ひいばあちゃん(倫子)の方は元気だし、私しょっちゅう行儀がなってないと叱られてたけどね」
 
と彼女は言っていた。倫子さんは1924年(大正13年)生である。今年78歳になるが見た目の雰囲気はまだ60代だ。嫁の智子さん(美郷の祖母 1944生)と姉妹と思われることもよくある。
 
千里は美郷のセーラー服姿をまぶしく感じていた。
 
私もセーラー服着たいけどなあ。
 

21時半頃に、通夜が終わったが、子供たちはその後で、中に入り、棺の傍まで行って、庄造さんに最後のお別れをした。
 
その後、みんな取ってもらっているホテルに引き上げた。今回のホテルは個室にお風呂が付いているので、お風呂で苦労せずに済む。
 
千里は男湯には入れない身体だが、父が千里を男湯に入れようとするのから何とか逃れて、母や妹に見られずに女湯に入るのは、毎回大変である。(母は自分が女湯に入っているのではと疑ってはいるようである)
 
父はどこかの部屋に集まって、また飲んでいるようだ。それで母と千里・玲羅はのんびりとこの夜を過ごすことができた。交替でお風呂に入り、23時頃3人とも寝た。
 

翌日(4/29・月・みどりの日)、お葬式は11時から行われた。
 
(みどりの日は1989-2006年は4/29だった)
 
根室地方では、一般に、通夜→火葬→葬儀という順番で行うので、葬儀の後で火葬かと思ったら驚くことになる。前火葬は岩手県の一部でも見られる風習である。更に函館になると火葬→通夜→葬儀である。
 
当日朝から火葬場に行き、お骨を拾ってから11時頃に斎場に戻ってくるという話であった。
 
この日は、小学4年生以上はご焼香してと言われていた。
 
父は昨夜は“飲み部屋”で一晩過ごしダウンしている。母が電話したら、葬儀の始まる時間までにはちゃんと会場に行くと弾児さんが!言っていた。父は携帯の使い方が分からない。鳴っていても出方が分からない。掛け方はもっと分からない!
 
千里は言った。
 
「お母ちゃん。お父ちゃん居ないし、ワンピース着てもいい?」
「そうだね。そうしようか」
 
それで、千里も玲羅もホテルの部屋で、黒ワンピースに着替える。背中のファスナーは、2人とも、母が上げてくれた。母のファスナーは千里が上げた。むろん全員しっり厚手タイツを履く。
 
千里が女の子下着を着けているのは今更だが、パンティに盛り上がりが無いので
 
「やはりちんちん取っちゃったの?」
などと玲羅から訊かれる。
 
「そういえば、2〜3年、見てない気がするなあ」
などと千里は答えておいた。
 

ホテルから会場へはバスが出ているので、それに乗っていく。春貴さんから
 
「今日はワンピースなんだね」
と声を掛けられる。
「お焼香するから」
と千里が答えると、春貴さんは楽しそうに頷いていた。
 
春貴さんの母の克子さん、克子さんと仲の良い竜子さんなどから声を掛けられた。今回は竜子さんの娘・晃子さん(中村晃湖)は仕事の都合で来ることができず、香典だけ送金してきたらしい。千里は晃子さんと会うのも密かな楽しみにしていたのだが、今回は残念だなと思った。
 
なお酔い潰れている男組はあとで別便で運ぶことになっている!
 
それでこの第1便のバスは女性と、一部小学生の男の子が乗っていた。弾児の息子2人(顕士郎:小3・斗季彦:年中)も母の光江と一緒に乗っている。顕士郎と斗季彦は焼香にも参加しないので普通の服装をしている。むろん男の子なのでワンピースを着たりはしない!
 
光江は津気子に「男どもは良い酒飲みの理由ができたくらいにしか思ってないね」と呆れるように言っていた。
 
光江は千里が女の子の服を着ているのも見慣れているので
「千里ちゃん、美人になってきたね」
と言ってくれた。
 
「ありがとうございます」
「来年くらい中学生だっけ?」
「はい。今回は去年の(十四春の一周忌で着た)服が入らなくて、中学生ならセーラー服で済むのにと言われました」
 
「千里ちゃんのセーラー服姿、可愛くなりそう」
などと光江が言うので、津気子が悩んでいた。
 
(津気子は「中学生なら学生服で済むのに」と言ったのであって「セーラー服で済む」とは言っていない!)
 

小学4年生以上の子たちは、会場で読経などが行われている間はロビーで待機することになった。小3以下の子供は控室で待機(暇そうであった)、高校生の冬代や聖絵、故人の曾孫である美郷は葬式自体に出席する。
 
第2便のバスで来た男組が会場に入っていくが、千里は父と目が合わないよう、入口から遠い所で窓の外を見ていた。かなり距離が離れているのにアルコール臭が凄かった。
 
朝から火葬場に行っていた人たち(倫子、国男・智子と、国男の子供たち、孫たち)が戻って来る。国男が遺骨の箱を抱いている。
 
この遺骨を祭壇に安置し、親族一同の集合写真を撮ってから、葬式が始まる。千里たちはこの集合写真に参加した。母が嫌そうな顔をしていたが、後で父が見ても、きっと自分だとは気付かない!
 
お経は1時間半ほど続いたようである。あんなに長時間唱えて、疲れないものだろうかと千里は思った。
 

やがて焼香の時間になった所で入ってと言われたので、中学生・小学生が適当な順番で入っていく。千里は真里愛の後、玲羅の前になった。
 
祭壇の左側から入る。祭壇前に焼香する所が設けてあるので、そこで右手に並んでいる喪主たち(倫子・国男・智子など)と僧侶に一礼する。この時、お経を読んでいたお坊さんがギクッとした様子を見せたが、何だろうと千里は思った。
 
祭壇を向き、抹香を指でつまんで、他の子がしているように少し額の付近に掲げてから、炭の上に置いた。合掌してから再度喪主のほうに一礼して出た。
 
(掲げるのは不要という説もあるが、全国的にこのやり方が定着してしまっている)
 

焼香の後は、女性用控室に行き、暖かい紅茶やココアなどを飲んでいた。1時近くになって忌中引法要まで終わった母たちが戻って来る。
 
ここでお昼の仕出しを頂いた。
 
男の子たちは、幼稚園以下の子はこちらに連れてきているが、小学生以上は男性用控室に入っており(でないと女性が着替えられない)、顕士郎は後から
 
「酒臭かった。俺まで飲まされそうになった」
などと言っていた。千里は『私女の子で良かったぁ』と思った。
 
食事の後、みんな着替えてから退出する。千里が着替えている時、春貴と光江が自分を見ているなと思ったが、気にしないことにした。
 

葬儀が終わり、お昼の仕出しも食べた後で、克子さんが言った。
 
「みんな折角根室に来たのなら、東の果てを見ていきなよ」
と言って、子供たちをバスに乗せ、大型免許を持っている春貴さんが運転して30分ほど走り“そこ”にやってきた。
 
「晴れたね。良かった」
と竜子さんが言う、
 
(克子さんは第三子・啓次の息子の妻、竜子さんは第二子・サクラの息子の妻。千里や玲羅は第五子・十四春の孫。今回亡くなった庄造が第四子。克子さんと竜子さんは仲が良い)
 
「わあ。見晴らしがいい」
「ここは“のしゃっぷ・みさき”でしたっけ?」
「それは稚内(わっかない)。根室のは納沙布(のさっぷ)岬」
 
この2つの名前は紛らわしいので、あとでバスに戻ってから春貴さんが紙に書いて説明してくれた。
 
稚内の北:野寒布(のしゃっぷ)岬
根室の東:納沙布(のさっぷ)岬
 
漢字がまるで逆のようにも感じる。なお、納沙布岬は北海道本土の東端であるが、野寒布岬は北端ではない。北端はその隣の宗谷岬である。
 
「納沙布岬は、民間日本人が自由に到達できる範囲では日本の最東端」
と克子さんが説明する。
 

「本当の東端は択捉(えとろふ)島の東の先だっけ?」
と冬代(春貴の妹)が尋ねるが
 
「択捉島の先っぽ・カモイワッカ岬は東経148°45′。ところがもっと東があるんだな」
と春貴は言う。
 
「千島列島の先?」
「択捉島の向こうの得撫(うるっぷ)島より先はロシア領だよ」
 
などと言っていたら、千里が
 
「南鳥島(みなみ・とりしま)ですよね」
と言うので、
「千里ちゃん、よく知ってるね!」
と春貴が言った。
 
「ああ、そちらか」
とみんな言う。
 
言われれば確かに東端かも知れないが、そこに考えが及ばないのである。南鳥島は自衛隊や気象庁の職員などのみ駐留していて一般人は立入禁止である。但し、近くに他に島がないことから、ごく希に民間旅客機が天候などにより緊急着陸する場合もある。
 
こんな所に降りたら一般の人は『こんな所に降りるなんて運が悪い』と言うが、飛行機マニアは『ここに降りられるなんて超ラッキー☆』と思う。なお、日本の南端は沖ノ鳥島(20°25′N)である。南鳥島は24°17′N.
 
「南鳥島は東経154度くらいですよね?」
と千里。
 
「そうそう。正確には、153°59′12″なんだよ」
と春貴。
 
「でもよく知ってたね」
「父がそんな話をしてたから」
 
「さっすが、漁師の娘」
と聖絵などが言うので、千里は得意気だったが、玲羅や顕士郎は“娘”という言葉に少し悩んでいた。
 

「あそこに見えてるのがエトロフ島ですか?」
と来里朱が尋ねるが
「目の前に大きく見えているのは水晶島。歯舞(はぼまい)群島のひとつ」
と克子さんが説明する。
 
「右側に見えるのが勇留(ゆり)島、秋勇留(あきゆり)島、アキは“弟”という意味。ユリ島の半分くらいだからね」
「そこに見える小さな島は?」
 
「あれは萌茂尻(もえもしり)島。もっとも“もしり”がアイヌ語で“島”という意味だから、本来の名前はモエ島だよね」
「若いヤング、フジヤマ・マウンテン、シティバンク銀行の類いだ」
「歯舞にはハルカリモシリ島という島もあるけど、長いから重語を外してハルカリ島とも言う」
「モエ島は短かったのかも」
 
「モエモシリの左側に傾いた灯台が見える?」
 
この灯台は千里などには見えたが、見分けきれない子もあった。
 
「あの灯台が建ってるのが貝殻島(かいがらじま)。面積3坪の小さな島」
「狭い!」
 
「納沙布岬からいちばん近い島だよ」
「へー」
 
「戦争が終わった時は、納沙布岬と水晶島の中間線に境界を引いたから、あそこまで日本の領土だったのに、後からアメリカが、やはりここまでソ連のものと言って、ソ連側に組み込まれた」
「えー!?ずるーい!」
 
「いつか沖縄みたいに平和的な交渉で返してもらえるといいね」
と竜子は言っていた。
 
「あの灯台の傾いてるのどうにかならないんですか?」
「日本もロシアに、そちらが管理したいというなら、灯台をちゃんとメンテしてくれと言って、向こうもちゃんとすると返事はしてるんだけど、放置状態。最近は灯りも切れたままで困っている」
 
「灯りくらいはちゃんと点けてほしいです」
「ね?」
「灯台が消えてたら危ないですよ」
「ぶつかりますよね」
 

帰りのバスの中で竜子さんが
「納沙布岬と風蓮湖とどちらにしようかなと思ったんだけどね」
などと言っていた。
 
「湖があるんですか?」
「そそ。根室半島の付け根の所に、風蓮湖(ふうれんこ)、それに元は多分つながっていたんだろうけど、温根沼(おんねとう)という湖がある」
 
「あれ?オンネトーって、釧路の近くかと思ってた」
「釧路というか、足寄(あしょろ)町にもオンネトーってあるよね。アイヌの言葉で“大きな湖”という意味だから、実は元々は固有名詞ではない」
 
「大島って島があちこちにあるようなものですね」
 
「そうそう」
 
「北見市には温根湯という所があって、うっかり“おんねとう”と読みそうになるけど、ここは“おんねゆ”と読む」
 
「読み方が難しい」
「ここは大きな温泉ということで、オンネユなのよね」
「ああ」
 
「でも温根湯(おんねゆ)って、ぼんやりしてると女湯(おんなゆ)と聞き間違えそう」
 
「男の人同士が『温根湯で会いましょう』と言ってたら、痴漢の相談かと」
「あるいはどちらも性転換して女湯に入れるようにしようという意味とか」
「それはユニークな解釈だ」
 

竜子さんが地図をバスに付いているテレビのモニタに映して説明してくれた。
 
「風蓮湖は、オホーツク海が、砂州で切り取られた海跡湖。南西から突き出た“槍昔(やりむかし)半島、”、北東から延びた砂州の“走古丹(はしりこたん)”、それに対して東から延びた砂州島の春国岱(しゅんくにたい)で囲まれている。オホーツク海とは春国岱の北と南でつながっている」
 
竜子さんは地名をモニターに表示してくれたのだが、みんな
「漢字が読めない!」
と言っている。
 
「アイヌの言葉を強引に当て字したものだからねぇ」
 

千里たちがホテルに戻ると、男組も少しは酔いが覚めていたものの、倫子さんから
 
「あんたら5月2日まで運転禁止」
 
などと言われていた。誰かがしっかり言っておかないと、その状態で帰りの車を運転しかねない。
 
車で来ている人の中にはその日の内に帰る人たちもあったが、千里たちはもう1泊してから、翌日帰ることになる。
 
父はさすがに飲み過ぎたのか、酔い潰れてホテルの部屋で眠っていた。玲羅が酒臭ーいと文句を言っていた。父が酔い潰れているので、千里は安心してこの夜もゆっくりとお風呂に入り、ぐっすりと眠った。
 
翌日(4月30日平日!)もまた1日掛けて留萌に戻った。
 
4/30 根室600-824釧路840-1031新得1132-1303富良野1308-1418旭川1510-1656留萌
 
平日だが、この日休むことは、千里と玲羅の学校、母の職場には土曜の段階で連絡済みである。
 
朝御飯は根室のコンビニで買っておき、お昼はまた新得の売店で買った。夕飯は留萌駅近くのお店で買い、タクシーで帰宅した。
 

この後、父は5月6日まで休みだが、千里・玲羅、それに津気子は明日は学校・仕事があるので、ひとりでビールを飲んでいる父を放置してすぐ寝た。母は
「こっちで寝せて」
と言って、ふだん千里と玲羅が寝ている奥の部屋に布団を敷いて居間との襖を閉め、熟睡していた。
 
いつもは奥の部屋は、千里の領域(窓側・南側)と玲羅の領域(内側・北側)との間にカーテンを引いているのだが、この日はそのカーテンを開けた状態で、千里と玲羅の布団の間に母の布団を敷いて寝ている。
 

翌日は父がさすがに酔い潰れているのを放置して、朝早く千里が起きて御飯を炊き、朝御飯も作った。母は7時頃「ごめーん」と言って起きてきた。この日は千里が作ったお弁当を持って出かけて行った(ついでに自宅内の全ての酒類を会社に持っていった!)。
 
千里と玲羅も朝御飯を食べてから一緒に学校に出掛けた。寝ている父は当然放置である。武矢は津気子から1週間禁酒を宣告された。キャッシュカードを持たず、ATMの使い方が分からない武矢は津気子がいないと何も買物ができない。一応カップ麺やレトルトカレー、紅茶のペットボトルなどは置いている。
 
今年のゴールデンウィークは、4/27-29が三連休の後、4/30-5/02は平日で、5/3-6が四連休である(葬儀出席のため4/30を休んだが5/1-2の2日間は学校に出ていった)。しかし今回の根室往復でお金を使い果たしたので、この後は、お出かけ無しとなった。父は船の同僚に誘われて、近くの温泉などに行っていたようである(さすがにお酒は我慢したようだ)。玲羅は千里からお小遣いをもらってバスで町に出、図書館などに行っていた。
 

後半4連休の初日5月3日には、地区の剣道大会があった。
 
千里はもちろん“女子選手として”個人戦のみに出場する予定であった。
 
1月の大会では「人数が足りないから」と言われて団体戦にも出たのだが、今回は新4年生が1人、入ってきているので、千里は
「私、ちょっと性別が不自由だから」
と言って逃げたのである。
 
「千里には男性器は存在せず女性器があるという確かな証拠があるのだけど」
 
と部長の玖美子は言うのだが、女子として出場することに後ろめたい気持ちを持つ千里があくまで逃げるので、玖美子も妥協して、千里抜きのオーダーで臨むつもりだった。
 

ところが・・・
 
「え〜!?ノランちゃん休み〜?」
 
新4年生のイギリス人の女の子(国籍はイギリスだが、幼稚園の頃から日本に住んでいるので出場資格がある)が体調を崩してお休みらしい。
 
「頭数が足りないから千里出て」
「仕方ないね」
 
女子剣道部員は千里・ノランも入れて6人しか居ない。新4年生は男子は4人入ったのだが、女子は彼女だけだった。
 
「若林君に女装させて出す訳にもいかないし」
「男とバレたら処分くらうよ」
 
ということで、千里は前回同様(いちばん対戦機会が少ない)大将として登録された。
 
「千里の場合は、女とバレることはあっても男とバレることはないし」
などと玖美子は言っていた。
 

参加校は1月の大会より少し多い10校で、1回戦(4校)→2回戦→準決勝→決勝という流れになる。千里たちの学校は抽籤の結果、1回戦からとなった。
 
初戦の相手は、あまり強くない所で先鋒・次鋒・中堅の5年生・如月・聖乃・真南が各々容易に2本取って勝ち、6年生の出る幕は無かった。
 
2回戦の相手は先鋒がかなり強かったが、最後は引き分けからジャンケン!で勝った。次鋒戦は負けたが、中堅戦・副将戦は楽勝で、千里は出なかった。どうもここは先鋒・次鋒が強く、後はそれほどでも無かったようである。
 
強い子を先に置く編成は多い。N小の場合は、できるだけ多くの子に対戦機会を与えるため5年生を先にしている。
 
準決勝は1月の大会で決勝戦で当たったJ小である。玖美子は
「事実上の決勝戦だ」
と言った。
 
「私負けてもいい?」
「まあ大将戦までもつれこんだら仕方ない」
 
向こうの大将・木里さんは1月の大会で千里を負かしている。彼女は1月の大会の個人戦・準優勝者である。
 

向こうも1月の時と編成が変わっている。
 
1月 大島・中原・前田・山田・木里
今回 沢口・大島・田・前田・木里
 
大島さんは前回玖美子に勝った人。前田さんもわりと強かった。木里さんは物凄く強い。
 
今回中堅に入っている田さんはとても背が高い。180cm近くある気がした。名前が「田」と一文字だし、中国人かな〜と思った。
 
如月は相手先鋒にかなり苦戦した。1本取られたが、その後1本取り返し、時間切れギリギリにもう1本取って逆転勝利した。
 
次鋒戦になる。相手の大島さんはカウンターを取るのがうまい人である。1月もそれで玖美子はやられてしまった。しかしこちらの次鋒・聖乃は腕力より気合やタイミングで勝負するタイプなので、こういう相手に強い。うまいフェイントでカウンターを空振りさせて、そこを突いて勝った。
 
田さんが出てくる。「ティエンさん」と名前を呼ばれたので、やはり中国人っぽい。こちらの中堅の真南は相手の身長を見ただけで最初から気合負けしていて簡単に負けた。ここまでこちらの2勝1敗である。次の副将戦で玖美子が勝てば千里は出なくても済む。
 
玖美子が出ていく。向こうも副将・前田さんが出てくる。1月の大会で千里といい勝負をした人である。玖美子はかなり苦戦し、双方1本ずつ取ったまま時間切れとなる。延長戦でも決着つかず、判定も引き分けでジャンケンとなる。
 
ここで玖美子は負けた!
 
「ごめーん」
と玖美子が手を合わせて謝った。
 
2勝2敗となったので大将戦に決勝進出が掛かる。
 

大将の木里さんが出てくる。こちらも千里が出ていく。千里は今大会で初めての出番である。木里さんは無茶苦茶気合が入っている。1月の大会でもかなりいい勝負をしているから、闘志満々という感じだ。千里は彼女には敬意を表してこちらも全力勝負をすることにした。
 
千里と木里さんは、最初から激しく打ち込み合いの勝負になった。しかしどちらも1本取れない。ふたりとも闘志あふれる戦い方をするので、とても見応えのある勝負になった。
 
試合は本割で決着が付かず、延長戦となるが、延長戦の終了間際、千里の小手が決まり、1本で千里が勝った。
 
向こうは悔しそうだったが千里に
「またやろう。次は私が勝つから」
と言っていた。
 

決勝戦だが、やはり玖美子の言った通り、準決勝が事実上の決勝戦だったようである。5年生3人が向こうの先鋒・次鋒・中堅に勝ち、6年生が出る前に決着が付いた。
 
ということで今大会はN小が優勝したが、千里が出たのは準決勝での木里さんとの対戦のみであった。
 
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【少女たちの星歌】(1)