【娘たちの誕生日】(4)

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2016-17年・年末年始のアクアのツアーは次のような日程で実施されることが10月上旬に発表された。
 
12.24 博多ドーム
12.25 関西ドーム
12.27 愛知ドーム
12.29 埼玉ドーム
1.02 北海ドーム
1.4-5 関東ドーム
 
6ヶ所・7公演である。
 
12月31日から1月1日のアクアの予定だが、31日は東京パティオの24時間カウントダウン&ニューイヤーライブの初めの方で登場した後、NHKホールに移動。紅白歌合戦では中学生なので序盤に登場してすぐに退出。その後、1月1日の朝までは昨年と同様に都内のホテルのスイートルームで田代の両親と一緒に過ごし、1日朝から、お正月の生放送の番組いくつかに出演することになっている。
 
しかし年末年始をのんびり過ごせるのは今年が最後かも知れないなとアクアは思った。中学を卒業したら、どう考えてももっと忙しくなる。今年の夏は自身1度ステージ上で倒れたが、キャロル前田ちゃんは入院している。ボクも入院する羽目になったらどうしよう?とアクアは不安だった。
 
今回、桜野みちる・品川ありさが紅白に出場するが、みちるはずっと後の方の出演で最後まで会場にいるし、ありさは高校生なので22時までに退出だが、様々な演出に参加して大変なようである。
 

今回のツアーの伴奏陣は、エレメントガードの4人の他に次の5人とした。
 
・フルート奏者(クラリネットも吹く)
・ギター奏者
・キーボード奏者(ヴァイオリンパートもキーボードで弾く)
・サックス奏者
・トランペット奏者(トロンボーンも吹く)
 
ギター奏者とキーボード奏者は、一部の曲ではエレメントガードのヤコ・ハルのパートを代行して、その間ヤコとハルは楽屋に下がって休憩する。また一部の曲ではドラムスを研修生の秋田利美、ベースをハナちゃんが演奏して、やはりレイとエミを休ませる。
 
今回パックダンサーを務める信濃町ガールズは、A班とB班を編制して交替で務めるのだが、利美とハナちゃんは全公演に帯同する。
 
12.24 博多ドーム A
12.25 関西ドーム B
12.27 愛知ドーム A
12.29 埼玉ドーム B
1.02 北海ドーム B
1.4-5 関東ドーム AB
 
班を分けるのは移動距離が大きいので移動による疲れを防ぐためだが、剣道少女のハナちゃんとサッカー少年!の利美は男子並みの体力があるので、全行程に付き合ってもらうことになった。
 
そして実は追加伴奏者もA組・B組と2つ構成し、インペグ屋さんを通して手配した10人の女性ミュージシャンにお願いしている。これも体力の負荷を考慮してのことである。アクアの公演ではあまり男性ミュージシャンは使いたくないのだが、女性ミュージシャンは男性ミュージシャンほど体力の無い人が多いので、このようなことになった。
 
しかしアクアは、この話を聞いた時『ボクの体力は考慮してくれないの〜?』と思った。(しかしアクアは替えがきかない)
 

11月5-6日(土日)。
 
岡山県総合グラウンド体育館(ジップアリーナ岡山)で全日本社会人バスケットボール選手権大会が開かれた。この大会ではクラブ1位の40 minutes と、実業団1位のジョイフルゴールドは別の山になったため、両者勝ち上がって決勝戦での対決となった。試合はジョイフルゴールドが勝つ。
 
この大会は2位以上がオールジャパンに行けるので、どちらも昨年に続いての出場である(ジョイフルゴールドは2011年以来7年連続出場)。
 

11月上旬。
 
阿倍子はまた買物中に倒れたのだが、彼女を介抱してくれたのは、通りがかりの古い友人・立花晴安だった。彼は阿倍子と京平を自分の車に乗せて阿倍子のマンションまで運び、阿倍子をベッドに寝せ、京平に着換えも持って来させた。
 
晴安がいったん寝室の外に出ている間に阿倍子は着換え、その着換えた服も京平が洗濯機の中に放り込んだ。
 
「京平君、偉いね。2歳くらいかな?」
「1さい5かげつだよ」
「それでここまでできるって凄い!」
 
結局晴安は阿倍子の体調が回復するまで2時間ほどそばに付いていてあげた。
 
お互いここ10年か15年くらいのことを語ったのだが、阿倍子に頼れるような友人が全然居ないという話に、晴安は阿倍子を気遣っていた。晴安の方は結婚して子供が2人居るということではあったが、どうも奥さんとうまく行っていないように阿倍子は感じた。その原因は女装癖かなぁ〜?などと阿倍子は晴安のワイシャツから透けて見えるブラ線を見ながら考えていた。
 

11月12-13日、千里たちレッドインパルスは大分県(中津市・大分市)で2連戦の予定が入っていた。12日朝新横浜駅に集合して新幹線で九州に向かう。
 
ところが新大阪駅で、京平を連れた貴司が乗ってくる。
 
「あ、おかあさんだ!」
「京平!」
 
京平とは旧知!(**)の渡辺純子が「やっと生まれたんだね!」と言って、千里も含めてしばらくその場で話していた。
 
(**)渡辺純子は、月山の“秘密のコート”でたくさん練習していて、その時、まだ生まれる前の京平にいろいろ支援してもらっている。
 
「ところで男の子に生まれたんだっけ?女の子に生まれたんだっけ?」
「男の子だよ!」
「女の子に生まれれば良かったのに」
「ぼく男だもん」
「京平ちゃん、可愛いから女の子になってもいいと思うけどなあ」
「スカートはすきだけど、女の子にはなりたくない」
 
黒木不二子が気を利かせて「千里さん、細川さんの方の席に行ってゆっくり話すといいですよ」と言うので、千里もキャプテンに許可を取ってそちらに移動することにした。京平は純子にバイバイして、千里に抱かれ、貴司の座席の方に移動した。
 

貴司は北九州市に住む従兄の結婚式に行く所だということだった。花嫁が福岡市に住んでいるので、結婚式は両市の中間くらいにある福津市の宮地嶽(みやじだけ:“嶽”は“岳”の旧字体)神社であげるのだという。
 
3人は道中たくさんおしゃべりしていたのだが、千里は大分に行くので小倉で降りた。しかし試合終了後メールチェックしたら、(貴司の妹)理歌からメールが入っている。それで《こうちゃん》に“福岡に飛んでいってと言ってから”、理歌に電話してみると、明日の結婚式・披露宴に出席できないかということであった。時間を聞いてみると
 
11:00-11:30 結婚式
13:00-15:00 披露宴
16:00-18:00 二次会
 
ということである。
 
「披露宴は試合(14:00-16:00くらい)とぶつかるけど、結婚式、それと二次会の最期の方に顔を出そうかな」
と千里は答えた。
 

ところがしばらく理歌と話していたら、電話の向こうで京平が
 
「ぼく、こんやは、おかあちゃんといっしょにねたい」
という声が聞こえる。
 
「分かったよ。じゃそちらに行くね」
と言って千里は電話を切る。千里は中津市内で開かれるレセプションに行く前だったのだが、《すーちゃん》を身代わりに残し、電話前に福岡に飛んで行ってもらっていた《こうちゃん》と入れ替わって福岡市に行った。こういう予定調和は千里のいつものことである。
 
そしてホテルの中に入っていくと、ばったり、貴司の母・保志絵に遭遇する。
 
「こんばんは。どうしたの?」
「理歌ちゃんに、明日の結婚式に出てと言われて、厚かましくも押しかけてきました。取り敢えず京平のお母ちゃんということで」
 

保志絵は話したいことがあると言って、千里を自分の部屋に招き入れる。
 
「千里ちゃんのことを、うちの親戚の多くが、貴司のお嫁さんだと思っている」
「そうですね。そういうことで私、高校の頃から貴司さんの妻として親戚の集まりに出ていたし、4年前の美沙ちゃんの結婚式にも出たし」
 
「だから明日の結婚式に千里ちゃんが出るのも全く問題無い」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
 
「あなたにこれを渡しておく」
と言って、保志絵は2つの指輪を渡した。千里は緊張した。
 
千里と貴司が2012年2月にティファニーで一緒に選んだ、大粒ダイヤのエンゲージリングと、その後、貴司が作ってくれたものの結局1度も指に通さないままになってしまった同じくティファニーの結婚指輪である。
 
「2012年12月22日の結婚式で千里ちゃんに貴司がプレゼントする予定だったもの。当時の千里ちゃんの指に合わせてあるはずなんだけど」
と保志絵は言った。
 
「でしたら、もし今の私の指に合ったら頂きます」
と千里は言った。
 
「うん」
 
それで左手薬指に填めてみると、無理なくきれいに入った。
 
「入ったね」
「少し痩せたかも。入ったので頂きます」
と言って、千里はダイヤのエンゲージリングの方も重ねてつけた。
 
「1年前(2015年11月2日)に私、お母さんの前で宣言したように、私としては貴司さんの妻に復帰したつもりです。ですから、これは頂くことにします」
 
「うん、それでいい」
と保志絵は笑顔で言った。
 

それで千里は翌日の結婚式に出席した。朝配られた披露宴・二次会の席次表に“細川貴司・千里・京平”とあるのに涙腺が潤む。でも貴司の親族たちに、千里はとっくの昔からおなじみである。京平を見て
 
「あら、お子さん生まれたのね」
と言われた。
 
色留袖を着るのに、下に肌襦袢代わりにレッドインパルスのユニフォームを着ているのを見て驚かれるが、実は披露宴と重なる時間に試合があることを話す。
 
「大変ね!」
「試合があるのなら、自分の結婚式ででもない限り休めないかもね」
と同情してもらえた。
 
「会場は近くなの?」
「ええ、20分くらいかな」
などと千里が言うので、みんな宗像市か福岡市東部あるいは折尾あたりで試合があるのだろうと思ったようである。
 
こういう親戚の集まりは、今回の新郎の妹・美沙の結婚式(2013.1.20)以来なのだが、今回はその美沙の子供・満理(3)と絵里(1)も来ていた。絵里は1歳7ヶ月で、1歳5ヶ月近い京平と年齢が近く、よくしゃべっていた。絵里はアメリカ育ちでバイリンガルなので日本語・英語ミックスだが、京平も1歳児の話す英語程度は分かるので、ふたりの会話も日本語・英語ミックスで、母親の美沙から「京平ちゃん、私より英語の発音きれい!」と感心されていた。向こうは英語の幼児教育をしているのだろうと思ったようである。
 

結婚式に入場するのに並んでいる人を見ていて、千里はそこに冬子(ケイ)がいるのを見てびっくりする。向こうはこちらに気付いていないようである。そういえば、新婦は民謡の家元の家系と聞いた気がした。冬子も若山流鶴系の家系なので、その親族だったのかと思い至った。
 
宮地嶽神社の結婚式場はとても広いので、親族は双方40-50人くらいずつ式場に入った。真っ赤な内装の厳かな式場である。その内装を見て、冬子が何か曲を書きたそうな顔をしていたので、千里は(貴司の妹)美姫に頼んで、冬子に五線譜とボールペンを渡してあげた。
 
式が終わって女性親族控室に入り、しばらくした所で、やっと冬子は千里に気付いた。
 
「親戚だったんだ!」
と向こうは驚く。
 
「私と花嫁は従姉妹なんだよ。母同士が姉妹。そちらは?」
と冬子が言う。
 
「こちらは、花婿と貴司が従兄弟なんだよ。花婿のお母さんと貴司のお父さんが実の姉弟。戸籍上は腹違いの姉弟ということになっているけど、本当は実の姉弟」
と千里は少し面倒な説明をした。
 
「千里、もしかして貴司さんの親戚の結婚式に出席してるの?」
と冬子が本当に困惑したような顔で訊く。
 
「だって私、貴司の妻だし」
と言って千里は昨夜保志絵さんから渡された結婚指輪をした左手薬指を見せた。
 

そこに京平がやってきて千里のお膝に座る。
「おしっこ、もらさずにできたよ」
などと報告している。
 
「その子は?」
「京平だよ。京平、お前が生まれる時に、このお姉さんに助けてもらったんだよ」
 
「おねえさん、ありがとう」
「ううん。いいんだよ」
 
「実は昨日の朝、私は大分県の中津市の試合に出るのに、新幹線で移動していたんだよ。そしたら新大阪で貴司と京平が乗ってきてさ」
「へー」
 
「『あかあさんだ!』と京平が言うから、キャプテンの許可もらって、小倉まで一緒にいたんだよ。それで昨日の試合が終わってから、こちらに来た。だから私は実は京平のお世話係。後少ししたら今日の試合会場に移動する」
 
「そういうことだったのか」
 
「阿部子さんは身体が弱いから、長距離の旅行ができないしね」
「あの人、新幹線で福岡まで来るだけでもダメなの?」
「近所のスーパーに買物に出ただけでも倒れるような人だからね」
 

理歌が寄ってきて言う。
「でも私たちも好都合でした。私たちや母とかも、貴司兄のお嫁さんは千里さんだと思っていますから」
 
理歌が披露宴・二次会の席次表に細川貴司・千里・京平とあるのも示すと冬子はそれにも驚いている。
 
「千里集合写真に写った?」
「写ったよ」
「それ阿部子さんが見たら何か思わない?」
「貴司が見せる訳無いから平気」
 
「元々千里姉さんは昔から親戚関係の集まりに兄さんの奥さんとして出ていたし、兄さんと阿倍子さんの結婚式にはこちらの親族は誰も出席してないし、結婚の通知も連名の年賀状も親戚関係には出してないし」
 
「そうなの!?」
 
「兄から親戚への年賀状はずっと兄の単独名義ですね。それも千里姉さんが代筆しているし」
「え〜!?」
 
「高校生の頃、私、貴司に言ったんだよね。貴司が例えば子供を作りたいからと言って、他の女性と結婚したいと言ったら認めてあげる。そして貴司が誰かを法的な妻にしたとしても、私はずっと貴司の妻であり続ける。何人legal wifeを作ったとしても、私は貴司のarch wifeであり続けるとね。まさか本当に他の女と結婚するとは思わなかったけどね」
 
と千里が言うと、冬子は何か考えているようだった。
 
「五線紙要る?」
「ちょうだい」
 

冬子が何か曲を書き、その調整をしている間に千里は留袖を脱ぐ。下にバスケットウェアを着ているので冬子はびっくりしている。
 
「私は試合があるから、そろそろ行く。京平、また夕方会いに来るから、お昼は理歌お姉さんや美姫お姉さんの言うこと聞いて良い子してろよ」
「うん。いってらっしゃい」
 
「会場はどこ?」
と冬子が訊く。
 
「大分市のコンパルホール。2時から」
「間に合うの〜!?」
「大丈夫、大丈夫。じゃね」
 
と言って千里は控室を出ると、大分にいる《すーちゃん》と入れ替わり、試合に出た。
 

試合終了後、いったん東京の《きーちゃん》と入れ替わりシャワーを浴びる。彼女に用意してもらっていた、ホワイトロリータのドレスに着替える。それで宗像に行こうとしていたら青葉から電話がある。
 
青葉は今“幽霊バイク”の事件に関わっており、そのバイクが町の中のどこに出現するか知りたいのだという。千里は青葉から町の地図をFAXしてもらい、しばらくその地図を見ていたが、郵便局の所に印をつけ、19:57という時刻も記入してFAXを返した。
 
その後、福岡にいる《すーちゃん》と入れ替わって、二次会に出席した。
 
披露宴は鶴派一族の民謡大会!になっていたらしいが、千里も何か演し物をと言われて、龍笛で『ウトムヌカラ』(**)という曲を吹くと、物凄い拍手が来た。
 
(**)麻里愛が書いた曲でアイヌ語で結婚式の意味らしい。
 
「ついでにソーラン節も行こうか」
などと風帆さんが言っているので、千里はやけくそ?で冬子のヴァイオリン(Rosmarin) を借りて“ヴァイオリンの弾き語り”!でソーラン節を唄ってみせた。こういう演奏の仕方を見たことのない人にはかなり衝撃的だったようで、龍笛の時より大きな拍手が来た!!
 
1000万円級のヴァイオリンをこういうのに使うのは申し訳無かったが!
 

千里は貴司が飲み過ぎてふらふらしていたので、これでは京平を預けられない、と言って、理歌に大阪まで“京平を”連れて帰ってと頼む。チケットはこのカードでと言って、貴司の!VISAカードを渡した。
 
「OKOK」
「飲んべえさんはそこら辺に放置しといていいから」
「当然」
 
「それで大阪の後、ついでに金沢に行って、青葉にこれを渡してもらえないかな」
と頼み、小さな包みを渡す。
 
「これ何?」
「分からないけど、私のお友だちが英彦山の長老から預かったらしい。青葉はたぶんK大学の角間キャンパスでキャッチできると思う」
「分かった」
 
(こうちゃんが中津から福岡へ飛んでいく途中、英彦山で呼び止められて渡されたものである)
 

二次会終了後、貴司は明日仕事があるというし、千里と冬子も忙しいので、結局、千里・冬子・京平・理歌・貴司の5人でタクシーに乗って福間駅まで行き、電車で小倉駅まで移動した。小倉駅で千里は京平をギュッと抱きしめて「またね」と言い、理歌たちと別れる。そして冬子と一緒に北九州空港に向かう。
 
ところが、空港に向かうバスの中で、千里は唐突に、いつも青葉の後ろに居候している《姫様》から語りかけられた。
 
『このままにしておくと後10秒ほどで、青葉が死ぬのだが、どうしたものかと思って』
 
千里はすぐに《姫様》を通して、向こうの様子を見た。青葉は誰かのバイクに同乗して農道のような所を走っているが、前方300mほどの所に大きな穴がある。
 
千里は《姫様》のチャンネルを勝手に利用して青葉に呼びかけた。
 
『停まって!!死ぬ!』
 
それと同時に姫様のチャンネルを使って《りくちゃん》を現地に転送した。
 
青葉がインカムを通してバイクを運転している人に「停まって下さい!すぐ!死にます!」と伝え、急ブレーキが掛けられる。転送された《りくちゃん》と青葉の眷属《海坊主》が必死に2人を支え、青葉も運転者も無事であった。
 
バイクは時速100kmで走っていた。300mは10.8秒である。
 
《姫様》が千里に語りかけて千里が穴を認識し、千里が青葉に、青葉が運転者に声を掛けるまで4-5秒掛かっている。運転者が上手い人だったので声に反応して急制動を掛けるまでに1秒、急制動を掛けてから3秒ほどでバイクは停止した。合計8秒ほど。どこかであと1-2秒余分に掛かっていたら、2人は100km/hで穴に突っ込んで即死しているところだった。
 
むろん“幽霊バイク”はこんな穴など平気でその上を走り抜けて行ったのだが、本当に危ない所であった。
 

北九州空港から羽田への飛行機の中で、千里は貴司との件で冬子から色々聞かれたが
 
「なるようになると思う」
と答えた。実際貴司の優柔不断にはもう悟りきるしかない所である。ただ貴司が「自分は阿倍子と離婚しないから期待しないで欲しい」と言っていたのが、最近は「少し考えさせてくれ」とか「その件はまた」などと言うようになったので、阿倍子さんとの破綻も近いのかも知れないという気はしていた。
 
千里は昨年作った京平のDNA鑑定書を冬子に見せたが、京平が確かに千里と貴司の間の子供であるという鑑定書に冬子は驚いていた。
 
冬子は千里と京平が毎日会っているという話についても質問した。
 
「そりゃ母と子供だから毎日会うよ」
「どうやって?」
「 一般常識的には、夢の中で会っていると思ってもらえればいいよ」
と言って千里は疲れたように笑った。
 
「でも今日の結婚式は自分の貴司の妻として、京平の母親としての自覚を再確認して、自分なりに生きる希望が凄く膨らんだからさ、これを書いたんだよ。アクアに渡す楽曲をコスモスから頼まれていたから、これを渡そうと思う」
 
と言って千里は冬子にスコア譜を見せた。
 
『希望の鼓動』と書いてある。Cubaseで打ち込んでプリントしたもので、日付は今日の日付 Sun Nov 13 2016が印刷されている。
 
「いつの間に入力したの〜!?」
 
実際には試合前に走り書きで譜面を書いたものを、葛西の《わっちゃん》が入力してくれたものである。
 

11月中旬。龍虎は進学問題について母に相談してみた。
 
もっと早く相談したかったのだが、龍虎自身がこの所、連日深夜の帰宅になっていたので、ゆっくり話す時間が無かったのである。
 
「公立は無理だと思うよ」
と母もあっさり言った。
 
「だいたい、あんた中学の勉強もサボっていたのに公立高校の授業に付いていける訳無いと思うし、出席日数が足りなくなるだろうし、テストで赤点取って、夏休み前に退学になっちゃうかもね」
「私立だとどうにかなるの?」
 
「まず授業のレベルが易しい。進級するのに必要な出席日数が公立より少ない所が多い上に、特に芸能人の生徒を受け入れている学校では、レポートの提出で授業出席に代えてくれる所もある」
「そんな所があるんだ!」
「学校によるよ。それに私ずっと心配していたんだよ。あんた毎日熊谷と東京を往復しているけど、それだけでかなり体力使っているんじゃないかって」
 
「それはそうだけど、熊谷にいるから夕方18時からしか予定を入れられません、とか、終電は23時なので帰ります、って言えるんだよね」
 
「実質2時間短くて済んでいるかも知れないけど、その分2時間列車に揺られていたら体力的な負荷は大差無い気がするよ」
 
「うーん・・・」
 
「だから都区内の私立高校に入って、その高校の近くにマンションでも借りて、仕事が終わってからもそこに帰宅すればいいんじゃない?」
 
「・・・その方が楽な気がしてきた。でもごはんどうしよう?」
「ファミレスのデリバリー使ってもいいだろうし、牛丼とかホカ弁とか買って帰ってもいいだろうし、気力があるなら自分で作る。食材の宅配サービスを利用すれば買物に行かなくても済むよ」
 
「それは自分で作りたい気がする。お弁当とかすぐ飽きちゃう気がする」
「まあ作るだけの精神力が残っていたらそれでもいいかもね。それとも料理作ってくれて掃除してくれる家政婦さんでも雇う?あんたそのくらい雇う程度のお金はあるでしょ?」
 
「家庭に他人を入れたくない気がする」
「ああ、あんたはそうだろうね」
 
母が言う意味は、自分が早くに実の両親を亡くして、ずっと里親の元で育っているだけに、愛情関係の無い人と暮らすのは、ひとりで暮らすよりもっと寂しく感じるだろうということである。ただ龍虎は、そういう人を入れた場合、絶対《こうちゃんさん》に悪いことされそうという気もした。ボクが“無事”なのはボクが男の子だからだろうけど、女の子に改造して自分の嫁さんにしたいとか思ってないか?という疑惑を龍虎は持っている(かなり鋭い所を突いている)。
 
その内、卵を産み付けられたりしないだろうかという不安があるが、実際には《こうちゃんさん》は卵子は持っていないはず。
 
「あるいは、あやちゃん(彩佳)と結婚して一緒に暮らす?」
「男の子は18歳になるまで結婚できないよ!それに彩佳、30歳になるまではボクとの恋愛関係は保留するという約束をコスモス社長としたらしいし」
 
「男の子は18歳まで結婚できないだろうけど、あんた戸籍を修正して女の子になったら16歳で結婚できるよ」
 
「女同士では結婚できないじゃん」
 
むろん母はジョークで言っているのだが、戸籍を女子に修正するのは別に構わないのか?と突っ込みたい気分だった。それに母は龍虎にひょっとして生理があるのでは?という疑惑を持っていた。最近龍虎の“体臭”が女の子の体臭になっているような気がしているのである。やはりこっそり去勢したのかな?という気もするし、ナプキンも使っているみたいで数が減っているし、などと思う。(田代家では母も父もナプキンは無用なので使用しない)。
 

2016年11月17日(木).
 
今年の年末年始の歌謡賞の中でトップを切って、BH音楽賞が発表になった。発表会場は例年通り大阪ビッグキューブホールである。
 
この音楽賞の選考基準は“容赦無い”と昨年桜野みちるが言っていたが、本当に容赦無いなとアクアは思った。数えてみたのだが、昨年も出ていたアーティストは24組中半分の12組だけである。昨年『変奏曲』『停まらない!』と2曲連続ヒットさせたAYAも今年は『18.2482』(ルート333(√333)という意味で国道333号に掛けている)が話題にはなったものの枚数はそんなに売れていないため選ばれていない。あれだけ話題になったホワイト▽キャッツも入っていない。但しその選抜チーム、キャッツファイブは入っている。集団アイドルでは金平糖クラブも落選である。しかし松原珠妃さんのような復活組もある。
 
§§プロ・ミュージックからは、アクア、桜野みちる、高崎ひろかの3人が選ばれていた。3人は17日午前中の新幹線で大阪に向かった。チケットが取れず、グリーン車にはこの3人だけが乗って、マネージャーの沢村は普通車に乗った。
 
「ありさちゃんと僅差だったと思うんですけどね」
とひろかは言った。
 
「ひとつの事務所から4人というのは選びすぎたということになったんだろうね。それでどちらかということになった。高崎ひろか『鎖を解き放て!』は統計では87000枚、品川ありさ『渡良瀬川の畔』は86000枚。統計上1000枚の差がついているけど、統計誤差の範囲だね。本当はどちらが多く売れたかは誰にも分からない」
とみちるは言う。
 
「今回は私がありさちゃんと2人の代表として行ってくると言って出てきました。でも来年は逆の立場になるかも」
 
「まあ2人はいいライバルだから、お互い切磋琢磨していけばいいね」
とみちるは言った。
 
「でも来年はボクが落ちるも知れない」
とアクアは言う。
 
「そうそう。一寸先は闇なのが芸能界」
とみちるも言う。
 

「アクアがそんなに売れなくなるとは思えない」
とひろかは言うが
「アクアに声変わりがくれば人気急落は間違い無い」
とみちる。
 
「あ、それがあるか」
とひろかは言ったがすぐに
「でもアクアは、睾丸取っているんだから声変わりが来る訳無い」
と言う。
 
「取ってないよぉ」
とアクア。
「はいはい。そういう建前だよね」
とひろか。
 
みちるは笑っていた。
 
「でもこういう声も出る」
とアクアが出してみせた声にふたりはびっくりした。
 
「アクア、まさか声変わりが来たの?」
「春からずっと練習していたんだよ。実は男声が出せる女性歌手さん(**)に教えてもらって」
「へー!」
「発声法なんだ!」
 
(**)丸山アイのこと。もっとも今“女性歌手”と言ったものの、結局丸山アイが男なのか女なのか、アクアは分からない。本人は睾丸は取ったと言い、アクアにも「そろそろ覚悟決めて去勢しちゃいなよ」と言っていたが、本当に彼女が睾丸を取ったのか、それとも元々女だったのが卵巣を取ったのか、よく分からない気がした。
 

「今の所は数秒間しか維持できない。でもこれが使えるとボイスチェンジャー無しで男女両役できるでしょ?」
 
「ああ、やはり女役もやりたいんだ?」
とみちるは言ったが、ひろかは
「別に無理して男役しなくても、女役だけでいいじゃん」
と言った。
 
「まあ、視聴者の多くがそう思っているね」
とみちるも言って、笑っていた。
 

大阪ビッグキューブホールに到着し、控室に入ると、ちょうど三つ葉の3人と目が合った。優羽(ことり)が笑顔で手を振りながらこちらにやってくる。優羽につられて波歌(しれん)と八島(やまと)も一緒に来る。
 
優羽は、ひろか・みちる・アクアの3人とハグし、沢村とも握手をしている。
 
(アクアが女性タレントとハグしても誰も気にしない)
 
「おはようございます。私、こんな凄い賞の対象になって嬉しい。一生の思い出になる」
などと優羽が言っているので
 
「来年もおいでよ」
とみちるが言う。
 
「でもテレビ番組でさんざん宣伝してくれての10万枚だもん。さすがに次からはこんなに売れないよ」
 
「毎回10万枚売れるように頑張ろう」
「とても無理〜。アクアみたいに毎回100万枚なんて、普通ありえないから」
「まあ、この子は特異な例だけどね」
 
などと話していたら、
「コトリさん、アクアちゃんたちと知り合い?」
などと八島(やまと)が言う。
 

それには、みちるや優羽(ことり)が答える前に波歌(しれん)が言った。
 
「だって、優羽(ことり)ちゃん、去年までは§§プロに所属していたもん」
「え?そうなの?」
「最初に3人集まった時に言ってたじゃん」
「そうだっけ?」
 
「ヤマトちゃんは物忘れが激しいし、言ったことを聞いていない」
「ヤマトちゃんは忘れ物も多い。ヤマトちゃんの後ろを歩くと色々物を拾う」
「遅刻も多いから、念のため朝1番の便で来たんだよ」
 
「なんか大変そうね〜」
 
マネージャーのハート長浜と沢村も話していたが、沢村は(亡くなった)お母さんを知っていたので、そのお母さんのことでも話が弾んでいるようだった。
 
「へー。短大出たばかりなんだ!でもお母さん亡くなった後、苦労しなかった?」
「うちの社長(シアター春吉)がずっと私と妹の生活費・学費を出してくれたので」
「ああ、あの人はいい人だ。仏の春吉とか言われていたと言うし」
 
ところで。この控室は、みちる・ひろかが居て、三つ葉の3人もいることからも分かるように女性用控室である。
 
アクアが女性用控室に居ることについて、本人も含めて誰も疑問に感じていなかったし、そもそもアクアに届いた今日の授賞式の招請状でも、この控室が指定されていた!
 

11月18日(金).
 
キャロル前田が予定より3週間遅れで、やっと退院した。年末年始の特別番組の収録がたくさんあるが、医師の指示で、当面お仕事は1日に平日2時間、休日5時間以内、休みの日を週1日以上設定するということになったと発表された。
 
これを受けて、12月に入ってから『変身ポンポコ玉』の撮影は開始されることになった。河村監督がそちらに取られるので、『時のどこかで』は、12月以降ちょうどクランクアップしたばかりの『少女革命ウテナ』の田箸監督が担当することになった。
 
また12月で終了する『少女革命ウテナ』の後番組は『悪魔くん』のスピンオフ作品『鳥乙女の日常』(全7回:実写特撮)が2月まで放送されると発表された。主演は白島もれあである。“ヒロインの友人”みたいな役が多かった彼女にとって初主演作品となる。監督は映画『時のどこかで』の副監督を務めた白原監督である。
 
そして3月から『変身ポンポコ玉』の放送は開始される予定とのことであった。
 

11月25日、桃香は産休届けを出そうとしたのだが、結婚するの?などと上司から聞かれたのをきっかけに口論になってしまう。
 
女子社員が出産するというなら結婚するのだろうと思うのが普通だし、結婚せずに産むといったら、なぜ結婚しないのか尋ねたくなるのが普通だが、桃香は説明を拒否する。それで部長が、まさか不倫じゃないよね?と心配するのも無理は無い。しかし桃香は喧嘩腰になってしまい、仲裁しようとした課長を桃香が殴ってしまうなどの経緯を経て、結局、桃香はこれまでの不満を全部出してしまう。さすがにむかついた部長が「そんなに嫌な会社なら勤めてくれなくてもいい」と言ったら、桃香は「だったら辞めます」と言って、その場で退職届けを書いてしまった。
 
自宅に帰っても千里は出ているし、誰かと話したかった桃香は、冬子のマンションに行ってみた。ちょうど冬子の彼氏で、司法修習の“二回試験”が終わり結果待ち中であった木原正望が来ていた。正望は産休を申請しようとしたら辞めることになったと聞くと、自分はまだ弁護士になっていないけど、誰か先輩の弁護士を紹介しようかと、と言った。しかし桃香の話を聞いている内に呆れてしまう。
 
桃香も自分が悪かったと反省していたが、桃香が会社での酷い男女差別に不平を言うと「そういう会社多いんだよねぇ」と正望も冬子も同情していた。
 
桃香が夜12時近くに経堂のアパートに戻ると千里も帰宅していた。
 
「妊婦が夜遅くまで出歩くなんて」
と千里から叱られるが、会社を辞めたこと、冬子の所に行って来たことを話すと
 
「まあ、これで赤ちゃんが2〜3歳になるくらいまではずっと付いていてあげられることになるんじゃない?」
と千里は言った。
 
「でも私、生活費どうしよう?」
「とりあえずここの家賃、電気ガス水道、電話代は私の口座からの引き落としに変更しよう」
「すまん!」
 

11月26-27日(土日)、アクアの7枚目のシングル『モエレ山の一夜/希望の鼓動』の制作を都内のスタジオでおこなった。今回はここしばらくアクアの制作の指揮をしていた毛利五郎が、三つ葉と山森水絵で手一杯ということで千里とケイが共同で制作指揮することになった。実際曲もマリ&ケイの曲と、醍醐春海の曲である。
 
同じ11月26-27日、武蔵野市総合体育館で、関東総合バスケットボール選手権が行われ、ローキューツが接戦で江戸娘を破って優勝。2012年以来5年ぶり2度目のオールジャパン出場を決めた。
 

2016年11月28日(月).
 
千葉ローキューツ、東京40 minutes、江戸娘、ジョイフルゴールドの4チームで共同で建設していた深川アリーナ(正式名91Club体育館)が竣工。落成式が行われた。2-3階の固定観客席5000席、アリーナに椅子を並べたらバスケットの試合(センターコート)で3000席、コンサート(額縁舞台使用)なら5000席設置できる。バスケットのコートは公式基準で4つ設定できて、タラフレックスの敷き直しで数種類のレイアウトに対応できる。体育館の地下は駐車場になっていて、350台の普通車が駐車可能である。
 
アリーナに4コート取れて、コート間の目隠しを降ろすこともできるので、建設に参加した4チームが同時に練習することができる。またこの体育館はコンサートでも使えるように防音がしっかりしていて外に音が響かないので24時間使用することができる。また、ロビーに牛丼チェーン・まき家の店舗が入っていて、最初営業時間はお昼11-14時と、夕方16-21時であったが時間外に練習に来た選手が「お腹空いた」と言うので数ヶ月後には24時間営業になった。
 
この後、この体育館は次のような日程が組まれている。
 
12.02(金) クロスリーグ 江戸娘vsローキューツ、40 minutes vs Joyful Gold
12.03(土) Wリーグ レッドインパルス vs ブリッツ・レインディア
12.10(土) ローズ+リリーのライブ
 

落成式、親善試合の後、冬子(ローキューツのオーナー)、千里(40 minutesのオーナー)、それに花園亜津子の3人で都区内の料亭に行った。実は上島雷太(江戸娘のオーナー)も参加予定だったのだが、T都議に呼ばれたとかいうことで欠席。1人減ったことを連絡しようかと言っていた所に亜津子が来たので、代わりに!?連れて行ったのである。
 
亜津子は春からアメリカのWNBAに参加すると言った。
 
やはり今年の春から王子がWNBAに参戦したこと、そして千里がこの3年間スペインリーグにいたことを知ったことで、自分も海外に挑戦しようという気に、やっとなったようである。後は玲央美だな、と千里は思った。
 
「あっちゃんは、もっと早くアメリカに挑戦して良かったと思う」
「なかなか踏ん切りが付かなかった部分もあるし」
「年齢的にはけっこうギリギリの挑戦になるかもね」
「千里もおいでよ」
 
亜津子が言っている意味は、スペインのチームが解散して行き先が決まってないのなら一緒にアメリカに行こうよということだが、千里はレッドインパルスに入ったばかりだしね〜と言って言葉を濁した。
 
「だから今年は私と千里が同じリーグで戦える最初で最後のシーズンだよ」
「Wリーグの決勝、オールジャパンの決勝、オールスターで対決しようよ。まあ全部私が勝つけどね」
「もちろん対決して私が勝つよ」
 
それで2人は硬い握手をした。
 

11月30日、Wリーグのオールスターのファン投票が締め切られ、千里はファン投票の東軍 G,SF部門で3位に滑り込み、1年目からオールスターに出場することになった。
 
★西軍
ファン投票 PG.武藤博美(EW) SG.花園亜津子(EW) SF.佐伯伶美(BR) PF.中塚翼沙(SS) C.馬田恵子(EW)
リーグ推薦 PG.比嘉優雨花(BM) PF.大野百合絵(FM) PF.日吉紀美鹿(BM) PF.加藤絵理(EW) PF.鈴木志麻子(BM) C.金子良美(FM) C.石川美樹(SS) C.富田路子(BB)
 
★東軍
ファン投票 PG.田宮寛香(SB) SG.村山千里(RI) SF.広川妙子(RI) PF.平田徳香(SB) C.夢原円(SB)
リーグ推薦 PG.松前乃々羽(HP) SF.湧見絵津子(SB) SF.渡辺純子(RI) SF.翡翠史帆(SB) PF.鞠原江美子(RI) C.吉住杏子(FR)
開催地推薦 SF.中井翔子(CS)
 
同じ日、男子の強化選手68名が発表され、その中には貴司も含まれていた。貴司は12月18-20日に東京NTCで合宿に参加する。
 

12月に入った頃からローズ+リリーのアルバム『やまと』(12月7日発売)のPVがテレビにCFとして流れ始めたのだが、その中で『祇園祭の夜』のPVについてネットで話題になった。このPVに出演しているのが、西宮ネオンは分かるのだが、そのお相手役として可愛い浴衣を着て出ているのが姫路スピカ(12月14日デビューシングル発売予定)ではないかというものである。
 
なぜ話題になったかというと、映っている映像は傘鉾や曳山の完成具合から、今年7月15日のものと思われるのだが、姫路スピカが今年のロックギャルコンテスト本戦で優勝したのは8月7日なのである。
 
それでネットでは幾つかの説が出ていた。
 
・今年のロックギャルコンテストは実は出来レースで最初から姫路スピカの優勝が決まっており、7月15日の時点でスピカは既に活動開始していた。
 
・この映像は今年の祇園祭の映像に、西宮ネオンと姫路スピカをクロマキー合成したものである。
 
・京都祇園祭のように見えるが、実は別の祗園祭、ひょっとして8月中旬に行われた埼玉県の上鹿山祗園祭か、青森県の野辺地祗園祭とかでは? それに京都祗園祭の映像も混ぜている?
 
・これはスピカに似ているが別人である。では誰かという問題で、§§ミュージックの研修生・南田容子ではないかという説も出ていた。
 
唐突に話題になった南田容子はびっくりして「私スピカちゃんと似てる??」と言ってスピカ本人と並んだ写真をインスタで公開したが
 
「うん、似てる!」
「そっくりという訳ではないけど、同系統の顔という気はする」
「メイクを工夫すれば替え玉が務まるかも」
などという意見も出ていた。
 

§§ミュージックは南田容子の投稿の1時間後に、この件に付いて明日記者会見を開いて説明します、という発表を、報道各社へのFAX、そしてコスモス社長のツイッター投稿でおこなった。オーディションの不正疑惑まで出ては放置できないという判断であろう。
 
(実はコスモスとスピカが直接対談して記者会見を開くことを決めてから南田容子のインスタが投稿され、その1時間後に報道各社にFAXが送られた。コスモスはだいたい用意周到である)
 
翌日、新宿のホテル会議場に設けられた記者会見の席には、姫路スピカ、秋風コスモス、ケイの3人が並んで座ったのだが、スピカの隣にもう1人座れるように席があるのが、意味ありげである。
 
最初にスピカが
 
「まずは私の従姉、竹中花絵ちゃんを紹介します」
と言うと、カーテンの影から、1人の少女が出てきてスピカと握手して隣に座った。
 
スピカとよく似ている!
 
大勢のカメラマンが会見席の傍まで寄り、たくさんフラッシュが焚かれる。
 
「実は彼女の母と私の母は双子の姉妹でして、それで私たちも似ているんです。しかも同い年ですし。親戚の集まりでよく並んで写真を撮られていました」
とスピカは説明する。記者たちの間から歓声のようなものまで出る。
 
「肩を組んで下さい」
というリクエストがあるので、立ち上がってスピカと肩を組む。
 

落ち着いた所で記者の代表が質問する。
 
「それでは『祗園祭の夜』に出演したのは、その従姉さんだったのでしょうか?」
 
それに対してスピカは答えた。
 
「違います」
 
「え〜〜!?」
「それでは出演したのは?」
 
「私、本人です」
とスピカは答えた。
 
ここでケイが「前提を説明したい」と言って、スピカからマイクをもらう。
 
「このPVは7月上旬に★★レコードの映像部門に発注しまして、その時、男の子の方は、去年『門出』のPVに女装で出演してもらって申し訳無かったというのもあり、西宮ネオン君に男装でお願いできたらと、秋風コスモス社長に言いました。でも相手役の女の子は特に指定していませんでした。★★レコードでは、現地のモデル事務所に調達を依頼したらしいのですが、夜間の撮影になるので高校生で16歳以上、しかし男の子が高校2年の西宮ネオン君なので、できたら高校1年生ということで発注したそうです」
 
「それでモデル事務所では、撮影当日の7月16日にスケジュールが空いており、誕生日の過ぎている高校1年の女子で浴衣の似合う子ということで検索したら、竹中花絵ちゃんが該当したらしいです。もうひとり候補者があって、その子は男の子だけど和服姿が充分女の子に見えるというので、実質女子のモデルとして結構CMや公告などに出ているらしいですが、竹中さんの方が単価が安かったので、彼女になったらしいです」
 
とケイが説明すると、記者たちの間に一部失笑が漏れていた。
 
その後の説明をスピカが引き継いだ。
 
「それで花絵が撮影に行く予定だったのですが、実は当日、本人が風邪を引いてしまいまして。私はちょうど京都祗園祭を見に京都に行っていて、前日15日には一緒に見て回っていたのですが、彼女から撮影を代わってくれないかと言われまして」
とスピカが説明すると、記者席がどよめいている。
 
「それでモデル会社に電話したら、私も誕生日を過ぎた高校1年生であること、少なくともその時点ではどこの芸能事務所とも契約していなかったこと、そして花絵が私のことを“美人ですから”とモデル会社の社長さんに言ってくれたので、取り敢えず来てみてと言われて出ていきました。モデル会社に行ったら、私を見た瞬間頼むと言われて、浴衣を着付けしてもらって撮影現場に行ったのですが、相手役が西宮ネオン君でローズ+リリーの曲のPVとは知らなかったので、びっくりしました」
とスピカは説明する。
 
「それで実はこの子がロックギャルコンテストで優勝した後、先輩たちに引き合わせたら、今度はネオンがびっくりしていました」
とコスモスが補足した。
 
「モデル代はどうなさったんですか?」
という質問がある。
 
「花絵が全部もらってというので私が全部頂きました」
とスピカ。
「でもお見舞いにと言って桃缶を頂きました」
と花絵。
「安いお見舞いで済みません」
とスピカがいうと、記者の間には笑いも出ていた。
 
竹中花絵は、当時モデル会社から送られてきた仕事依頼のメールを自分のスマホを開いて記者たちに見せ、撮影していいですよということだったので撮影している記者が多数居た。スマホのメールであれば日付偽装は困難である。
 

「ローズ+リリーのアルバム『やまと』の『コスモスの園』に出演しているのはスピカさんでしょうか?」
 
「はい、そうです。そちらはコスモスの季節で、契約した後のお仕事です。確認しておきましたが、10月17日でした。場所は生駒高原です」
 
「苗場ロックフェスティバルの時に、アクアちゃんのステージ脱出の身代わりを務めたのはどなたでしょうか?」
 
という質問に対してはケイが答えた。
 
「すみません。私はてっきりスピカちゃんだった気がしていたのですが、後でちゃんと確認したら、あれは南田容子ちゃんでした。勘違いしていました」
 
話はだいたいそのあたりでまとまってしまったので、後はスピカの今後の予定などについても、質問が出てコスモスが答えていた。また竹中花絵について、芸能活動の予定はあるか?という質問も出ていたが、学業のほうを中心に考えたいので、普通のモデル以外までの活動をする予定は無いと本人は答えていた。
 
しかしこの騒動のおかげで、12月14日に発売されたスピカのデビューシングル『わりと隣にいる女学生/スクールガール悪(ワル)さ』は初日に6万枚売れ、年明けには10万枚を超えていきなりゴールドディスクになってしまった。
 
また竹中花絵を使いたいという照会がモデル会社には殺到し、彼女のギャラは大幅に引き上げてもらったらしい。
 

12月4日(日)。今年のYS大賞が発表された。
 
大賞を受賞したのは小野寺イルザ『マジックスクエア』である。この作曲者は鴨乃清見、つまり千里なのだが、この日はレッドインパルスの試合とぶつかっていたので授賞式を欠席させてもらった。会場では、ドレスを着た人形が、イルザと鈴木社長と同じテーブルの所に座らせてあり、アナウンサーの
 
「これはどなたでしょう?」
という質問に、イルザが
「鴨乃清見先生です」
と答えていた。そして欠席を詫びる鴨乃清見のメッセージを鈴木社長が代読した。
 
最優秀新人賞はCats Five。山森水絵や西宮ネオンも新人賞を受賞した。
 
優秀賞は、アクアの『エメラルドの太陽』、ステラジオの『ぷかぷかゴーゴー』のほか、ローズ+リリー、松原珠妃、ゴールデンシックス、丸山アイなどが受賞した。
 

12月7日(水).
 
ローズ+リリーのアルバム『やまと』が発売された。千里はこの発売記者会見での生演奏に参加し、『かぐや姫と手鞠』と『寒椿』で龍笛を吹いた。
 

12月10日(土).
 
龍虎はこの日までに東京の私立高校へ進学する方針を、両親・担任の先生・そしてコスモス社長とも数回にわたって話し合った末に決めたのだが、私立の高校といってもどこにするか、判断基準に困ったので、冬子に電話して訊いてみた。
 
§§ミュージックにもたくさん女子高生もいる中で、龍虎がわざわざ多忙な冬子に電話したのは、何といっても性別問題がある。龍虎は別に性同一性障害という訳ではないが、あまり“男子”を強制されそうな学校(私立はその付近が公立よりきついイメージがあった)は避けたいので、その辺りが緩い学校を選びたいと思い、たぶん高校進学の際に悩んだのではと考えた冬子に尋ねてみたのである。
 
龍虎は事前に下調べした段階で、古くから有名芸能人が在籍していた渋谷区のK学園、最近芸能人が多い品川区のD高校、他に世田谷区のJ高校、北区のC学園、多摩市のF学園という5つの候補が浮かんでいるというのを冬子に説明した。
 
冬子はまずK学園は校則が厳しいから、龍虎には合わないかも知れないと言った。
 
「たぶんあそこでは女子制服を着て通学してきたら咎められると思うよ」
「ボク、別に女子制服を着て通学するつもりはありませんけど」
「そうだっけ?女子制服で通学したいんじゃないんだっけ?」
 
えーっと・・・・
 
冬子は最近多くの芸能人が入っているD高校のほうが自由な校風で龍虎には合うかも知れないと言った。
 
またJ高校は確かに芸能人の生徒が結構いるが、芸能活動を許容してくれるだけで、芸能人だからといって何も特別扱いしないので、多忙でどうしても欠席が多くなりがちな龍虎には無理かもということだった。C学園とF学園はJ高校よりは緩いと冬子はコメントした。
 
「C学園は音楽教育に力を入れているから、鍛えられていいかも知れない」
「それは結構惹かれますね」
 
それでしばらく話していて、龍虎は考えをまとめるように
 
「だったら第1候補C学園、第2候補F学園、第3候補D高校、という感じでしょうかね」
と言う。
 
「うん、そのあたりがいいかもね」
 
と冬子も言っていたのだが、ここで冬子は重大な問題に気が付く。
 

「龍ちゃんって、女子高生になりたいんだよね?」
「ボクは男の子ですー」
 
「C学園もF学園も女子高なんだけど」
「え!?」
 
「でも龍ちゃんなら女子高でも受験したら合格するかも」
「その場合は?」
「女子と同じスカートの制服を着て3年間女子高生生活を送ることになる」
 
と冬子から言われて(冬子はジョークで言っている)、龍虎は「うーん・・・」と声をあげて悩んでしまったのだが、冬子は『なぜ悩む〜〜?』と突っ込みたい気分だ。
 
「あのさ、高校進学前に性転換したいなら、病院紹介しようか?」
「すみません。その件ももう少し考えてみます」
 
考えることなのか!?
 
 
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【娘たちの誕生日】(4)