【男の娘と魔法のランプ】(1)

次頁目次

1  2 

 
中国(*1)の帝都トンペイに40歳前後の男がやってきました。彼は懐に入れた水晶玉を時々取り出しては眺め、それを道案内に歩いているようです。彼はやがて町外れの狭い路地に来ます。向こうの方で12-15歳くらいの男女が十人くらい遊んでいます。男は再度水晶玉を見、その子供たちの中で、水色の襖(あお)と青い裙(くん *3)を着た12-13歳の女の子に目を留めました。
 
(*1)この物語は中国が舞台と原作には記されている。それなのに登場人物は皆アラブ風の名前だし、宗教も(原作では)ムスリムっぽい。恐らくこの小説の作者(*2)を含めて当時のヨーロッパ人にはアラブも中国も似たようなものと思っている人が居たのかも知れない。現代日本でインドとアフリカがごっちゃの人がいるようなものか?
 
(*2)この物語はフランスのアントワーヌ・ガラン (Antoine Galland) がまとめたフランス語訳『千一夜物語』("Les Mille et une Nuits" - translatiom from "Alf layla wa-layla") によって紹介された。
 
しかし、本作品に相当するアラビア語の原作が存在しないことが昔から問題になっていた(1度とうとう原作が見つかった!と騒がれた作品は、ガランのフランス語版からアラビア語に翻訳したものであることが明らかになった)。恐らくこの作品はガラン自身あるいはそれに親しい人物がアラビアン・ナイト風に創作した小説と想像される。その時、これを書いた人物の地理的知識が怪しく、中国もアラブの一部のように誤解していたのかも知れない。
 
アラブ人がこのような誤りをおかす訳がないので、この小説の書き手がヨーロッパ人であることは確実である。
 
今回の翻案にあたっては、登場人物の名前は“アラブっぽい”ものを使用しているが、宗教を含めて風習・風俗・政治制度については中国のものに準拠している。
 
(*3)襖裙(おうくん)は、明代の一般的な女性の服装。大雑把に言うと、ブラウスとスカートの組合せのような服である。襖(あお/おう)は綿の入った上着で、日本でも平安時代はよく着られた。現代の和服の上半身だけのような感じの服で、和服同様右前あわせに着る。平安時代は寝る時にこの服を身体の上に掛けていたが、やがて寝る時に掛ける専用の襖が用意されるようになり、後に掛布団に進化した。
 
裙(くん)は正確にはアンダースカートであり、その上に裳(も:スカート)を重ねて穿く場合もあるが、普段は裙のみで済ませる。この時代の中国の女性の服が、韓国のチマチョゴリや、沖縄の古風な服装(琉装が成立する以前の服)などに影響を与えたとされる。沖縄ではプリーツスカートが好まれたらしい。
 

「やっと見つけた」
と彼は小さな声で呟きました。
 
やがて遊んでいた子たちの1人が帰るのか集団から離れてこちらに走ってきます。男はその子供を呼び止めて、1枚の銀錠(銀貨)を握らせました。
 
「坊や、教えてよ。あそこに居る青い服を着た女の子、名前は?」
「アニトラ(*4)だよ」
「へー。お父さんはどんな人?」
「ムスタファって言って、仕立屋さんしてたけど2年くらい前に死んじゃったよ」
「そうかぁ。そのお父さんは、おじさんより若かった?」
「おじさんより年上だったよ。少し白髪とかもあったもん」
「なるほどね。お母さんは?」
「ドウハさんだよ。糸巻きして暮らしてるよ」
「そうか。だったら苦労してるんだろうな」
「うん。貧乏みたい。アニトラは遊んでばかりでおうちの手伝いもしないし」
「なるほどねー」
「でもアニトラは喧嘩強いよ。ヤンスーの番長とハウジェンの番長をひとりでのしちゃったから、今うちのグループはトンペイの町一番の勢力になってる」
 
「女の子なのに、そんなに強いんだ!」
と男が驚いていうと
「アニトラは男の子だよ」
と少年は言う。
「嘘!?」
 
「男名前はアラディンと言うんだけど、その名前言ったら怒るから、ちゃんとアニトラちゃんと言ってあげてね」
「へー。全然男の子には見えないのに」
「まあ女の子にしか見えないよね」
 
(*4)アニトラという名前はイプセンの「ペールギュント」(むしろグリークの劇付随音楽が有名)の登場人物でアラビア風に創作された名前である。アラブにはこのような名前は存在しない。むしろペールギュントの影響から北欧で女の子の名前に使用されている。
 

少年には自分とそういう会話をしたことは誰にも言わないように言いました。男は子供たちの集団に近づきます。
 
そしてアニトラの前に行き、声を掛けました。
 
「お嬢ちゃん、君はもしかして仕立屋のムスタファの娘さんじゃないかね?」
「そうだけど。おじさん誰?お父ちゃんは死んじゃったけど」
と返事する声はとても可愛くて、とてもこの子が男の子だなんて、信じられません。
 
「ムスタファの面影がある。でもムスタファは死んだって?」
「2年くらい前だよ」
「なんてことだろう。兄貴に生きて会うことができなかったなんて」
「おじさん、お父ちゃんの兄弟?」
「そうなんだよ。長く外国に行ってたんだよ。せめて君のお父さんのお墓に参らせてくれないかね」
 
「お父ちゃんの弟さんだったらいいよ」
 

それでアニトラは男を連れてとりあえず、家に戻りました。
 
「お母ちゃん、この人、お父ちゃんの弟さんなんだって。ずっと外国に行ってて戻って来たらしい」
 
母は驚きます。
「あの人に生きてる兄弟がいたなんて聞いたこともなかったのに。弟が1人いたのも、もう死んでますし」
と母は戸惑いを隠せません。
 
男は言いました。
「私はアシムと申します。私は若い頃に国を出てヒンドも越えシンドも越え(*5)ミスルのカイロで随分長く暮らしました。その後マグリブ(*5)まで行って、商売をしています。しかし長いこと中国に戻ってないので、1度里帰りしようと思って戻って来たんですよ。兄たちと会ったら帰るつもりだったのですが、2人とももう亡くなっていたとは」
 
それで泣いているので、アニトラの母もこの人は本当に夫の弟さんなのかも知れないと思いました。
 
(*5)ヒンド(Hind)・シンド(Sind)ともに“インド”(Indo)がなまったものとされる。基本的には東のガンジス川流域をヒンド、西のインダス川流域をシンドという。
 
ミスル(Misr)はエジプトの古名。マグリブ(Maghreb)はアフリカの地中海沿岸とそれに近い地域。リビア・アルジェリア・モロッコ・チュニジアの付近を指す。現代ではフランスの影響が強くフランス語が広く通じる地域である。
 

「取り敢えずこれで何か兄の供養になる品でも用意してあげてもらえませんでしょうか」
と言って、アシムと自称する男が金貨(*6)を1枚出すので、アニトラの母ドウハはびっくりしました。金貨なんて持っているというのは凄いお金持ちに違い無いと考え、母はすっかりこの男を信用してしまったのです。
 
(*6)この物語では金貨がたくさん出てくるが、明代に中国で金貨は使用されていない。銀貨・銅貨のほかは紙幣が主力だった。
 

それで男を待たせておいて、ドウハは町でお花やお供え物を買いました。そしてアニトラとアシムを連れて夫の墓まで行きました。
 
お墓の前で男は跪いて一心に祈っていました。
 
そしてやがて立ち上がるとドウハに言いました。
 
「これで思い残すことはなくなりました。安心してアフリカに戻れます」
「道中お気を付けて」
 
「ありがとうございます。でもムスタファもこんな可愛いお嬢さんを残していったのなら、将来が楽しみですね。アニトラちゃんは、きっと可愛いお嫁さんになりますよ」
とアシムは笑顔で言う。
 
するとドウハは困ったような顔をして言いました。
「娘だったらよかったのですが、この子、実は男の子なんですよ」
「嘘でしょ!?」
 
「お父ちゃんの後をついで仕立屋をしてくれよとか言って、仲間の仕立屋さんの弟子にしたりもしたのですが、3日で逃げ帰ってきて、こんなふうに女の服を着て、毎日遊び回っているだけで」
 
「君男の子なの?」
とアシムはアニトラに言います。
 
「そうだけど」
と彼女はふてくされたような顔で答えます。母親の手前、性別を指摘されても怒るわけにもいかないようです。
 

「だったら、私が君を1人前の男にしてやる。仕立屋は訓練しないと難しいから、君を立派な呉服商に育ててあげよう。アフリカに帰るのはそれからだ」
 
「え〜〜〜!?」
アニトラはあからさまに嫌そうな顔をしました。
 
それでアシムは立派な男物の服を買ってきました。そして母親と協力して、アニトラの女の服を脱がせて、男物の服を着せます。可愛い美少女だったのが、男物の服を着せると、りりしい美形の青年になりました。“アラディン”のできあがりです。
 
「お前、ヒゲは生えないの?」
「そんなの生えたことない」
「だったらこれを付けろ」
と言って、アシムはアラディンに付けひげをつけさせました。
 
アシムは、まずはお店を出す場所を確保した上で、アラディンの亡き父の仕事仲間の所をアラディンを連れて回り、この子が呉服屋を開業するので、よかったら品物を納めて欲しいと言いました。また、当地の呉服商の組合に出かけて、この子が新しく呉服屋を始めますのでと言い、呉服商組合の加入金もしっかり納めました。
 
そして、組合の中心になっている大店の御主人に頼み込み、商売の様子を見学させました。アラディンは逃げ出したい所ですが、ずっとアシムが付いているので逃げ出すこともできません。それで渋々、商売について勉強しました。
 

結局アラディンは最初の2〜3ヶ月、他の商家で勉強させてもらって、商売の方法を見よう見まねで覚えます。そして呉服屋を始めました。“番頭”と称していつもアラディンに付いているアシムの采配もあり、お店はわりと繁盛しました。おかげで、アラディンの母も貧乏暮らしから抜け出すことができ、何とか毎日の御飯には困らない程度になりました。
 
そして半年ほど経った日のこと、アシムはアラディンにある場所に付いてきてくれと言いました。それで母に店番を頼んで、2人て出かけていきます。アシムは山を3つも越えて深い山奥にやってきました。
 
「こんな所で何をするんですか?」
「アラディン、君にしかできないことをしてほしい。それをすると、私も君もこの世で最高のお金持ちになるから」
「一体何ですか?」
とアラディンはいぶかしげに聞きます。
 

アシムはアラディンに命じてその付近にある、落ち葉や枯れ木の枝などを集めさせました。
 
「焚き火でもするの?」
「まあ盛大な焚き火だな」
と言い、アシムはそこに持参のお香を投じると火を点けました。すると突然大きく地面が揺れ、大地にひび割れが起きます。アラディンは突然の出来事に驚き逃げようとしましたが、アシムは彼を殴って止めました。
 
「馬鹿。ビビるんじゃない。そこを見ろ」
と言って、アシムが指さした先には、地面が割れた先に何か古風な石の扉があります。
 
「アラディン、お前にしかできないことだ。あの扉を開けて中に入り、その中にある、ある物を持って来て欲しい」
 
「どういうこと?」
「いいか。その扉を開けるとだな、階段があるからそれをいちばん下まで降りろ。そこには4つの部屋があって、黄金の入った壺などもあるが、触ってはいけない。それには目もくれずに先に進め。突き当たりに扉があるから開けて先に行け。するとそこには果樹園がある。きれいな石の果実がなっているけど、それにも触らず20-30m(*7)進むと30段ほどの階段があり、その先に家がある、その玄関の天井に古いランプが掛かっている。それを手に取って、中に入っている油は捨てて、ランプだけを持って帰ってこい。帰りは果樹園の果実は好きなだけ取っていいぞ。なぜなら、お前がランプを持っている限りは、その果実は全てお前のものだからだ」
 
「なんか難しいよ。アシムおじさんも付いてきてよ」
「この洞窟に入れるのはお前だけだ。なぜなら、お前はこの財宝を隠した一族の末裔だからだ。だから俺は手伝ってやることができない」
 
「分かった」
「これをお守りにやろう」
 
と言ってアシムはアラディンに自分が小指に填めていた指輪を、アラディンの人差し指に填めてあげました。
 
(*7)50ディラーア (50 dhira)と東洋文庫版には書かれている。ディラーアは元々は肘から中指の先までの長さを意味し、時代によって40-60cm程度。だいたい50cm程度と考えればよい。
 

それでアラディンは、おそるおそる地面の割れ目に入っていくと、石の扉の所まで来ました。それで扉を開けようとするのですが、開きません。
 
「おじさん、扉が開かないよぉ」
「お前の名前、それからお前の父親の名前と母親の名前を唱えろ。それで扉はお前を通してくれるはずだ」
「うん」
 
それで彼は「ボクはアラディン、父の名はムスタファ、母の名はドウハ」と言いました。すると扉は簡単に開いたのです。
 
その先に確かに階段があります。そこを降りていきました。
 
洞窟は地下ではありますが、ほんのり明るく、足下はしっかり見えました。階段の先には金色に輝く部屋があり、金(きん)がたくさん入った壺、銀や宝石などもあります。しかしそれには目もくれずに先に進みました。突き当たりに扉があります。
 
開きません。
 
アラディンはどうすればいいんだろう?と思いましたが、入口の扉と同じ仕組みかも知れないと思います。それで、アラディンが再び「ボクはアラディン、父の名はムスタファ、母の名はドウハ」と言いますと扉は簡単に開きました。
 

扉の向こうには確かに果樹園があります。まるで太陽が照っているように明るく屋外かと思いますが、遙か高い所に天井があるので、やはり洞窟の中のようです。
 
果樹園には色々な色のガラスの果実がなっていましたが、それには目もくれずに道を進んでいきます。階段を確かに30段上ると小さなおうちがありました。玄関の扉を再び、自分の名・父の名・母の名を唱えて開けます。すると玄関の間(ま)の天井に本当に古ぼけたランプがぶら下がっていました。
 
近くに台があったので、それに載って手を伸ばし、ランプを取ります。油が入っているのは捨てて、それを自分の服の中に入れました。
 
帰ります。
 
帰りは何でも取っていいと言ってたなと思い、アラディンは、果樹園になっている赤や青のガラスの果実を適当にもぎとり、服のポケットや袖に入れました。
 
黄金の間を通って入口の階段まで来ます。そして階段を登っていったのですが、階段の最上段から出口まで物凄く高さがあり、アラディンは出口まで手が届きませんでした。(彼がここから出られなかった理由は後述)
 
「おじさーん。入口まで来たけど、階段から出口まで高いんだよ。手を貸して」
とアラディンは外に向かって叫びます。
 
アシムの顔がのぞきます。
 
「ランプは取ってきたか」
「うん。取ってきた。ここから出るのに手を貸して」
「取り敢えずランプをよこせ」
「先に手を貸してよ。外に出たら渡すから」
 

ここでこの後、2人にとって不幸なことが起きてしまうのです。
 
アラディンは外に出たらランプを渡すつもりでいます。ところがアシムはアラディンがすぐにランプを渡さないのは、自分が独り占めするつもりではと疑ってしまったのです。
 
ふたりはしばらくやり取りしますが、埒があきません。
 
とうとうアシムは怒りだしました。
 
「お前がそのランプを渡さないつもりなら、こうしてくれる」
と言い、何か呪文を唱えます。
 
すると入口の扉が閉まるとともに、大きな揺れがあり、アラディンは階段の下まで落ちてしまいました。
 

アラディンは落下のショックで気を失いましたが、少しすると回復します。それで再度階段を登るのですが、入口の扉はしまっています。手が届けば押せる気がするのですが、最上段からそこまでとても高いためどうしてもそこに手が届きません。
 
「参ったな」
と思います。
 
アラディンは、洞窟の中をあちこち歩き回り、他に出口が無いか調べたのですが、どこにも出口らしきものは見当たりません。
 
「ボクはこのままこの洞窟で朽ち果てるのだろうか」
と座り込んで溜息をつきます。
 
「お母ちゃんもボクが帰らないと困ってるだろうな」
などとも思います。これまでずっと親不幸ばかりしてきて、母親の心配などしたこともなかったのですが、この時初めてアラディンは母の心配をしました。
 

アラディンは時々立ち上がっては再度洞窟からの脱出口がないか調べ、疲れたら座って休んでいました。その内、お腹も空いてきましたし、夜になったのか、あたりは暗くなり、少し冷えてきたようです。
 
「寒いな」
と思い、アラディンは両手をこすりあわせました。
 
すると突然、何かがムクムクっと出て来たのです。
 
「わっ」
と声を挙げて座り込みます。
 
唐突に出てきたものは、ジン(*8)のようでした。身長2mほどあります。
 
(*8)アラブ世界の精霊の類い。
 

突然ジンが出現してアラディンは腰を抜かします。しかしジンは言いました。
 
「私は指輪の精でございます。ご主人様、何なりと命令をお申し付け下さい」
 
『御主人様って、ボクのこと?」
「指輪をお持ちの方が私の御主人様です。私は指輪をこすれば出現します」
 
「だったら、ボクをこの洞窟から出すとかできる?」
「入口の扉を開けますから、そこから脱出できますか?」
「それが最後の段から出入口まで高くて自力で昇れないんだよ」
「別の道をご案内することもできますが」
「他にも出入口があるんだ?」
 
「石の扉があるのは男だけが出られる出口でございます。もうひとつ女だけが出られる木の出口もあります。入る時はどちらからでも入れるのですが、出る時は男は石の出口から、女は木の出口からしか出られません。女であればそこから出られるのですが」
 
「ボク自分では女の子のつもりなんだけどなあ。ねえ、女の服を調達できない?」
「たやすいことでございます」
 
ジンはランプの掲げられていた家の中に入っていくと、そこから可愛い女の服を持って来てくれました。
 
「ありがとう」
 
アラディンは着ていた男の服を脱ぎ、半年ぶりに襖裙を身につけました。
 
薄紅色の襖を着て、赤いスカートを穿くと、これが本来のボクの格好だよなあと思います。もう彼は青年アラディンではなく、少女アニトラです。付けひげも外します。
 
男物の服に入れていたガラスの果実は、袋を持って来てもらってそこに入れました。ランプだけは身につけていたほうがいい気がしたので、襖の内側に入れました。腰の所は裙を紐で結んでいますので、それで下には落ちません。
 

「これで女の子ということで通れないかな?」
と指輪の精に訊きます。
 
「木の出口にご案内します。洞窟が御主人様を女性と認めれば扉は開きます」
「やってみよう」
 
それでジンに付いていきますと、林の奥に草むらがあり、その草を掻き分けると小さな木の扉がありました。これは教えられないと分かりません。扉に手を掛け「私はアニトラ、父の名はムスタファ、母の名はドウハ」と言うと、ちゃんと扉は開きました。
 
「女性と認められましたね」
「良かった」
 
「御主人様が石の出口を出られなかった理由が分かりました。御主人様は女だから、あの出口からは出られなかったのです」
 
「そうだったのか!やはりボク女の子なんだね」
 
「その中の通路を通ると外に出ることができます」
「ありがとう!助かったよ」
「いつでも御用がありましたらお呼び下さい」
と言って、指輪の精は煙のようになり、指輪の中に戻って行きました。
 
それでアニトラは、小屋の中にある通路を通ります。ほんの1分ほど歩くと、アラディンは外に出ることができました。
 

何とか洞窟から脱出できたアニトラは木の実を食べながら山を越え、都に戻りました。自分の呉服屋に戻ります。
 
「お母ちゃん、ただいま。留守にしてごめん」
「アラディン!?」
「ボクはアニトラだよ」
「また女の格好してる」
 
「アシムおじさんからは連絡あった?」
「何もない。あんたもアシムさんもいないからこの1ヶ月、私はどうしたらいいだろうと思ってたよ」
 
ふーん。アシムはどこかに行ったのか。アフリカに戻ったのかなとアニトラは思います。しかし洞窟の中では1日しか居なかったのに、こちらでは1ヶ月経っていたのか。洞窟の中は時間の進み方が違うのかとアニトラは思いました。
 
「でもさすがにお腹すいた。何か食べるものない?」
「それがあんたもアシムさんもいないから商売もできなくて、食べ物も食べ尽くしてお金も使い果たして」
「ありゃりゃ」
 

「でもあんた、なんか荷物持ってるね」
「ああ、これガラス玉なんだよ。きれいだから持って来た」
と言って、袋の中の様々な色のガラス玉を母に見せてあげます。
 
「服の中にも何か入れてる」
「こちらはランプなんだけどね」
と言って、アニトラは洞窟の中から持って来たランプを見せます。
 
「何か古いランプだね。でもこれ少し拭いて磨いたら売れないかね?」
と言って母はランプをぼろ布で拭きました。
 
すると突然何かがムクムクと出て来ました。それは3mほどもある巨人でした。母は「きゃー」と悲鳴をあげて気を失いました。アニトラはランプに飛び付くようにして手に持ちました。これは指輪の精と同じタイプのジンだと瞬間的に判断したのです。
 
巨人は言いました。
 
「私はランプの精でございます。ご主人様、何なりと命令をお申し付け下さい」
 
「お腹が空いててさ、ボクと母の分の御飯を持って来てくれない?」
「たやすいことでございます」
 
それでほんの30分ほどで、ランプの精は金色の器に盛った料理を2皿持ってきてくれました。
 
「ありがとう」
「いえ。御用の際はいつでもお申し付け下さい」
と言って、ランプの精は煙のようになってランプに戻っていきました。
 

アニトラは母をゆすって起こします。
 
「お母ちゃん、お母ちゃん」
「今のは何だったの?」
「ランプからジンが出て来ただけだよ」
「恐ろしい!そんな気持ち悪いランプは捨てておしまい」
「とんでもない。これは素敵なランプだよ。とにかくジンが持って来てくれた御飯を食べようよ」
 
母はジンが持って来たと聞いて、不安そうでしたが、アニトラが平気な顔をして食べているので、やがておそるおそる食べ始めます。
 
「美味しいね」
「うん。凄く美味しい」
とアニトラもニコニコです。
 
「でもこれからどうしよう」
「また商売するよ。ボク結構やり方覚えたから」
「そう?でも元手は?ごめん。私、お金使い果たして」
「この料理が載ってる金色の皿、値打ちもののような気がする。これが売れないか町で聞いてみるよ」
 

それで食事が終わった後、アニトラはその皿をきれいに洗い、まずは1枚だけ持ち、父の仲間だった仕立屋さん・カミルの所に行ってみます。
 
「アラディンがまた女の子になってる」
「えへへ。この方が楽でさ。ところで、カミルおじさん、この金色の皿、どれくらいの価値だと思う?」
 
「どれどれ」
と言って、受け取ってみて「わっ」と声を挙げます。
 
「これは金(きん)じゃないか」
「やはり?重いからそうかもと思った」
「もしかしてこれを売るの?」
「うん」
 
「じゃ買ってくれる所教えてあげるよ」
 
それでカミルはアニトラを西方人の両替商の所に連れて行きました。両替商はその皿の重さを計ったり、水に沈めてこぼれた水の量を計ったりしていましたが、やがて言いました。
 
「10ディナールでいいか?」
 
カミルとアニトラは視線を交わし頷きます。
 
「それでいいよ」
 
それでアニトラはその金の皿を10ディナールで売りました。
 
「カミルおじさん、ありがとう。これ御礼」
と言って、アニトラは金貨を1枚、カミルに渡しました。
 
「俺は店を紹介しただけだけどな」
と言いながらもカミルは金貨を受け取ります。
 
「私みたいな小娘1人で売りに来たら、きっともっと安く買い叩かれてるよ」
「小娘ね〜。まあ頑張りな」
「うん。1ヶ月くらいお店休んじゃったけど、再開するからよろしく」
「OKOK」
 

それでアニトラは
「病気のため休業しておりましたが、お店を再開します」
と仕立屋さん、同業者などに挨拶に回り、金の皿を売ったお金を運転資金にして商売を再開しました。
 
アシムがいないものの、半年ちょっとの間に商売の仕方はかなり覚えていました。こちらをアニトラと母の女2人だけと見て欺そうとする客や脅そうとする客に対しては、アニトラが女番長時代の気合で対峙するので向こうも「すまん、すまん」と言って、ちゃんと正しい取引をしてくれました。
 
それでお店はすぐに順調になり、アシムがいた時同様に繁盛しました。
 
「あんた、お店を始めた人の妹さん?よく似てるね」
「そうですね。兄は主として仕入れで飛び回っているので、お店は私が主として切り盛りしてるんですよ」
などとアニトラが答えると、たまたま納品に来ていたカミルが吹き出していました。
 

ある日、母はアニトラに言いました。
 
「あんたさ、14歳でしょ?そろそろ冠礼(男子の成人式)する?」
 
当時は男子の成人式はだいたい12-22歳くらいの範囲の年齢で行われていました。
 
「ボクが冠礼とかする訳無い。ボクはいづれ笄礼(女子の成人式)するよ」
 
「笄礼(けいれい)〜〜?だって、笄礼するということは、お嫁さんに行けるという意味だよ。あんたまさかお嫁さんに行く気?」
 
女子の成人式も12-20歳くらいで行われることが多かったですが、女子の場合は基本的に結婚が決まってから、成人式を行い、その数ヶ月後に婚礼をするというパターンが多く、結婚しない人は20歳くらいになってから笄礼していました。
 
ですから一般に髪をそのまま垂らしているのが娘の印で、頭頂に笄(かんざし)を差しているのが成人の女≒既婚者の印でした。
 
「そうだなあ。誰かボクをお嫁さんにもらってくれないかなあ」
「夜のお務めはどうするのさ?」
「何とかなるんじゃない?」
と言う。
 
母は困ったような顔をしてアニトラを見ていました。
 

しかしアニトラがお店の店頭で娘の髪型のまま、テキパキと商売をしているのを見て、同業者などから
 
「あんた、凄い商才がある。うちの息子の嫁になってくれないか」
 
などという話が度々持ち込まれてきて、アニトラ“の母”!が断るのに苦労するというのが数回ありました。
 
それでアニトラは言いました。
 
「お母ちゃん、もう縁談断るの面倒だから、笄礼しちゃおうよ」
「え〜〜〜!?」
 
「そしたら、既に結婚しているのだろう、あるいは婚約者がいるのだろうと思ってくれるから、縁談に悩まされなくて済むよ」
 
「そうだねぇ」
 
それでアニトラの母は、自分の姉に頼んで、アニトラの笄礼式をやってしまったのです。母の姉は「あれ?あんたの所、息子さんじゃなかったっけ?」と首をひねりながらも、(女の)礼服を着たアニトラに笄を着ける儀式を執り行ってくれました。
 
それでこれ以降、アニトラは成人女性(≒既婚者)としてお店に出たので、縁談に悩まされなくて済むようになりました。
 

その日カミルはアニトラのお店に来ると
「ずっと気になっていた」
と言って、店の応接室に入れてもらいます。
 
「アーちゃんさぁ、その金の皿に盛ってある石」
「ああ、このガラス玉?きれいだから盛ってみたんだけど」
「それガラス玉ではないと思う。宝石だと思う」
「うっそー!?」
「一度宝石商に鑑定させてみなよ。別に売らなくてもいいからさ」
「うん」
 
それでカミルが宝石商を呼んで見せてみますと、宝石商も驚いたような顔をします。
 
「こんな大粒のルビーやエメラルドは見たことない」
と宝石商。
 
そういう訳で、アニトラが所有していた“ガラス玉”と思っていたものは、赤い石はルビー、青い石はサファイア、緑の石はエメラルドや翡翠、水色の石はアクアマリン、紫の石はアメジストやラビスラズリ、黄色い石はトパーズ、白い石はオパール、透明な石はダイヤモンド、といった具合に全て宝石だったのです。しかもどれも大粒で、国宝級だと宝石商は言いました。
 
「これ全部売るとたぶん10万ディナール(100億円)くらいになりますよ」
「うっそー!???」
 
「もっともこんな高価な宝石買えるのは皇帝陛下くらいかも知れませんけどね」
「あ、そうですよね。だったら持ってても宝の持ち腐れだ」
 
「だけどアーちゃん、こんなのが無造作に置いてあったら、これを狙う盗賊とか入って、アーちゃんもお母さんも盗賊に殺されるかも知れないよ」
 
「それは困るな。商売は順調だから、こんなお宝別に無くてもいいし」
 
「いっそ皇帝に献上しちゃう?」
「あ、それでもいいかな」
 

それで、カミルの助言に従い、アニトラは久しぶりに男装し、アラディンの姿になり、金の皿に大粒の宝石を盛って(応接室用に大玉のルビーと翡翠だけ残した)、呉服商組合の組合長さんにも付き添ってもらい、皇帝陛下に謁見してこの宝石を献上したのです。
 
「おお、私もこんな美事な宝石は初めて見た。こんなものをもらってよいのか」
「はい。ある縁があって入手したものですが、こんな美事な宝石を民間人の許に置いておくのはよくないと思いまして」
 
「分かった。それでは宝物館に置いて、国民も見ることができるようにしよう」
と皇帝陛下はご機嫌の様子で語りました。
 
なお皇帝陛下は御礼にと言って金貨を1000枚(1億円)もくれました。
 

アニトラはその資金を元に、隣のシーチンの町にも呉服屋の支店を出し、ここしばらく使用人の中で中核になってくれていた、サリーという男にそちらの支店を任せることにしました。それでアニトラの商売はますます発展していました。
 

アニトラが15歳の時、北方でマルレア族が新しい国を建て、勢力を拡大しようと南進してきました。皇帝の守備軍はヒュー川北岸のハラセンで迎撃したのですが、武将同士の連携が悪く、敵の倍の勢力を持っていたのに、若く士気の高いマルレア軍に各個撃破されてしまいます。将軍以下、8人の有力武将まで戦死する大敗で総崩れになります。マルレア軍はヒュー川を越え、更に南下する勢いを見せていました。
 
アニトラの昔の“悪ガキ”仲間で、少尉になっていた貴族の息子シャーヒルがアニトラの店に来て言いました。
 
「今国軍は大混乱に陥ってる。将軍以下北方を守っていた有力武将が総討ち死にして「もうダメだぁ」と言って逃亡する兵士まで出ている。皇帝は南方守備軍をこちらに回すことを考えているけど、南方が手薄になったら、ダイベット(ベトナム)は必ず北進するし、南東部を頻繁に荒らし回っているリーペン(日本)だって、本気で本土に拠点を確保しようとする。だから南方の守備軍は動かしてはいけないと思うんだ」
 
「ボク、そういう話分からなーい」
とアニトラは言います。
 
「アニトラ、北伐軍を率いてくれないか?」
「はぁ〜!?ボクはただの、か弱い女の子だよ」
「こちらの4倍の勢力だったヤンスー・ハウジェン・ピカレスの連合軍をアニトラの指揮で全部倒した時は俺ワクワクしたぜ」
「ガキの勢力争いと、国同士の戦いはまるで違うよ」
 
「そんなことない。全体の状況を俯瞰して把握し、その場その場で柔軟に最も効率のいい戦い方を仕掛ける力をアニトラちゃんは持ってる」
 
「買いかぶりすぎだと思うなあ」
 
「それにこのままマルレアが南進してくると、かなり領地を奪われるし、へたすると帝都でさえも無事では済まないかも知れない。アニトラちゃん、頼む。手を貸してほしい」
 
帝都にまで北方民族が入ってこられては、たまりません。それでアニトラは立ち上がることにしました。
 
アニトラは普段の姿のまま北伐軍に参加するつもりだったのですが、
「女だと馬鹿にして従わない奴がいるだろうから」
と言われて、不本意ながら男装して付けひげもしてアラディンの姿になり、シャーヒルと一緒に皇帝の所に行きました。
 
「陛下、私に1000人の兵を預けて下さい。必ず敵をヒュー川まで追い返してみせます」
 
ランプの精も使って情勢分析すると、その程度までは押し返せそうな気がしたのです。
 
「そなた、宝石を献上してくれたアラディンか。分かった。3000人預ける」
 
それでアラディンはシャーヒルとともに皇帝から預けられた親衛隊中心の3000人の兵を率いて北方に向かいました。
 

ここでアラディンにとって幸運だったのは、預けてもらった兵士の大半が親衛隊に所属していて、志気も高く団結力があったことでした。アラディンは親衛隊長のナセルと話し合い、自分がどういう作戦を考えているかを話しました。ナセルもアラディンと話してみて、彼がよく敵軍の配置状況を把握している上に、ひじょうにしっかりした戦術理論を持っていることを感じ、全面的な協力を約束してくれました。
 
「兵を3つに分ける。乙軍はシャーヒル、丙軍はダウワースが率いてくれ。ボクは甲軍を率いて、いったん敵軍に攻撃を仕掛ける。そして10分後に負けた振りをして逃げ出す」
 
「それで向こうが追いかけてきた所を両側から挟撃するんだな?」
「この場所は中央が低く、両側が小高い丘になっている。これをやるには絶好の場所なんだよ」
 
「私は?」
とナセルが訊くので、
「ナセル殿は300人ほどで後方で控えていて、私の率いる軍の突撃・10分後に、太鼓を鳴らしてください。それを合図に私たちは偽装退却を始めます。そして敵軍が充分狭地に入り込んだ所で、今度はシャーヒル隊がラッパを鳴らします。そしたらナセル殿の隊も一緒に総攻撃です」
 
「分かった」
 
こういう“偽装退却”をおこなう場合、鍵となるのが中央で退却を装う囮部隊です。アラディンは、ナセルと話し合い、親衛隊の中でも精鋭300名を選抜しました。更にプラス300名はその後方に置いて、戦闘もせず!単に逃げるだけの役目を課します。こちらがある程度の人数いるように見せるための頭数です。親衛隊副隊長のファイサルにこの300名を任せます。
 

シャーヒル隊・ダウワース隊が深夜静かに移動し、左右の丘の上に隠れます。みんな頭の上に草や枝などをかぶり、自然の風景に溶け込んでいます。
 
早朝、アラディン率いる精鋭部隊が敵に攻撃を仕掛けます。大量の矢を撃ち込んだ上でアラディン自ら先頭に立って騎馬兵が野営地に突入します。向こうは早朝の奇襲と思い慌てますが、何とか戦います。向こうがまだ混乱している時にナセルの命令で太鼓が叩かれ、アラディン隊は退却を始めます。ファイサル隊も戦わないまま退却です。
 
それでアラディンの部隊が退いていくと、向こうはこちらを潰すチャンスとばかり追撃します。敵の主力が谷間に入った所でシャーヒル隊のラッパが吹かれ、左右から別働隊の攻撃が始まります。最初に大砲をたくさん撃ち込み、更に大量の矢も丘の上から射込んでから、騎馬兵が一気に丘を駆け下りて速攻を掛けます。同時にアラディン隊・ファイサル隊も反転して、控えていたナセル隊と一緒に再度戦闘します。
 
相手は同時に三方向から攻められて混乱の中、壊滅状態になりました。これで実は敵の大将も討ち死にしたのです。
 
向こうは退却し、いったんヒュー川の南1kmほどの所まで退きました。
 

「このまましばらくにらみ合いになるかな」
とナセル親衛隊長は言ったのですが、
 
「退却のどさくさに紛れてマルレア語の分かる者数名に、倒れた敵兵の服を着せて敵陣に忍び込ませたのですが、彼らからの報告によると相手は王の弟が今朝の戦闘で亡くなったそうです。きっと、指揮系統が混乱しています。叩くチャンスです。このままヒュー川の向こうまで追い払いましょう」
 
「間者(かんじゃ)を入れるとか用意周到だね!何か作戦があるかな」
 
「向こうの指揮系統が建て直される前、今夜やります」
「うん」
 
アラディンは密かにランプの精を呼び出し、牛を400頭と灯りをつけられるトーチを5000個用意して欲しいと言いました。
 
「たやすいことでございます」
 
アラディンは悪ガキ時代の仲間で、牛飼いの息子であるシラージュとナイルを呼びました。
 
「君たちに200頭ずつの牛を任せる。200人ずつの兵も任せる」
「牛で何をするんだい?」
 
「日が落ちたら、牛を連れて敵の左右両側に回り込んでくれ。今夜は真夜中に月が沈む。その月が沈んだのを合図に牛の両方の角(つの)につけたトーチに火を点ける。兵も1本ずつトーチを持つ。それ以外に樹木とかにもたくさんトーチを固定して、それにも火をつける」
 
「なんとなく分かった」
 
「本当は200人しかいなくても、トーチの灯りは1000個見える。その内の半分が動いていれば全部動いているように見える。1000の灯りは夜目には2000-3000に見える」
 
「見える見える」
 
「相手はいつの間にか大勢力が動員されてきて夜襲を掛けられたと思うだろう。指揮系統がまだ回復していない。きっと大混乱に陥る」
 
「そこを本隊が叩く訳ですね」
とナセルは楽しそうに言いました。
 

牛を連れる役割は、農作業や牛車係などで牛の扱いに慣れている者を中心に400名選抜しました。
 
本隊の兵たちには交替で仮眠しておくように命じておきます。
 
日没。シラージュとナイルが各々率いた200人の兵が200頭の牛を連れて、各々目立たないよう静かに敵の左右に回り込んでいきます。
 
空には下弦の月が輝いています。
 
それがそろそろ沈むという頃、本隊の兵士たちを起こして静かに戦闘準備をさせます。
 
やがて月が西の空に沈みます。
 
敵陣の左右ににわかに多数の灯りが出現します、
 
アラディンの予想通り、敵は大規模な夜襲と思って大混乱に陥りました。前面からも皇帝軍本隊の灯りが迫ります。敵は昨日三方から挟撃された記憶が蘇り、結局後方に逃走します。それはもう退却ではなくただの敗走でした。
 
ヒュー川を渡りますが、夜中に川を渡るので流れに足を取られる者、深みにハマッてしまう者が相次ぎ、倒れるとその後から来た者が躓いて重なって倒れるという始末で、おびただしい死者が出ることになります。
 

夜が明けると、ヒュー川のこちらにはほとんど敵兵は残っていませんでした。僅かに残っていた兵も捕えられます。
 
この“火牛戦”では結局皇帝軍の死者はゼロであったのに対して、マルレア軍は推定5000人もの戦死者(事故死者?)を出したのでした。
 
1ヶ月後、南方守備隊から約2割相当の1万人だけこちらに回されてやってきた新守備隊と交替して、アラディンたちの北伐隊は帝都に帰還しました。
 
3000人で行って戦死者は数十名に留まりました。
 

この戦いでアラディンは英雄として、国民の人気が高まります。皇帝は感激して彼を将軍に任命すると言ったものの、
 
「私はただの呉服屋ですから」
 
と言って辞退し、元の呉服屋の主人に戻りました。
 
なおアラディンが戦いに行っている間、お店は母とサリーに、カミルもこちらに出て来て手伝ってくれていました。“アラディン”は出ていても“アニトラ”まで居ないのはおかしいので、従弟のアンタルに女装!してアニトラの振りをしていてもらいました。
 
「俺が女の服を着るの〜?」
などと言って、かなり嫌がっていましたが!
 
「足の毛とヒゲも剃ってね」
「そんな〜」
 
それで女の服を着、面白がった母親の手で化粧までされると
「何か変な気分になりそう」
と言っていました。
 

国王はアラディンを呼んで相談しました。
 
「実はマルレアの再度の南進に備えて、ヒュー川南岸に土塁を作ってはどうかという意見があるのだよ」
 
「いいことだと思います。そういうものがあるだけでマルレアは簡単にはこちらを攻めることができなくなります」
 
「ただ、そういうものを作るには莫大な予算が必要で、どうしたものかと思って」
「どのくらい必要ですか」
「大臣の計算では40万ディナール(400億円 *9)くらい掛かるのではということなのだが」
 
「陛下、それに協力できないか、ちょっと持ち帰って検討します」
「すまん」
 
それでアラディンが帰ろうとしていた時、傍から大臣ワラカが言いました。
 
「もしその資金を用立てできるのであれば、その資金献上を40人の美女と40人の宦官の列で運べないか」
 
「大変恐れいりますが、何のためでしょうか?」
とアラディンは尋ねます。
 
「この都にも必ずスパイは入り込んでいる。そいつらに我が国の国力を誇示するためだよ」
 
「なるほどですね。ご希望に添えないかも知れませんが、検討はします。もし私の力が及ばなかった場合は、大臣閣下にそのあたりはお願い出来ませんか?この国でいちばん力がおありの方ですから」
 
「そ、そうだな。君ができなかったらこちらで何とかする」
と大臣は焦ったように言いました。
 

アラディンはお城から戻ると、普段のアニトラの姿に戻ります。そしてランプをこすって、ランプの精を呼び出しました。
 
3m近い大男が出現します。
 
「ご主人様、何なりと命令をお申し付け下さい」
 
「皇帝がさ、金塊40万ディナールくらい調達できないかと言っているんだけど、そんなの調達できないよね?」
 
「たやすいことでございます」
「ほんとに?」
と言ってからアニトラは更に言います。
 
「それを運ぶのに40人の美女と40人の宦官を揃えてとも言われたんだけど」
「それもたやすいことでございます」
「ほんと?」
 
それでランプの精は3日後までに、40個の壺にいっぱいの金塊を用意しました。それを運ぶのに40人の美女と40人の宦官も連れてきました。
 

アニトラ自身が騎乗して先頭に立ちました、金の壺を運ぶ行列には見物人も大勢出ました。警備はナセルが兵を出してくれましたが、確かにこれはスパイが絶対いるなとアニトラも思います。
 
金入りの壺を乗せた台車(*9)を引く宦官たち、その各々に付いている美女たちも美しい者ばかりで、これを見て国民はアラディンの力にまた感嘆したようです。
 
行列の最後には騎乗した“アラディン”がいますが、実はこれは従弟のアンタルです。先日は女装してアニトラの振りをしてもらいましたが、今回は“アラディン”の代理で男装なのでホッとしていました。
 

(*9)現代の価値で計算した場合、1L(1000cc)の金塊は比重を20g/cm3 として2万g になり、1g=1万円とすれば2億円である。直径18cm 高さ20cmの小ぶりの壺で5L (9x9xπ×20=5089) 入るので、これに金塊を詰めると10億円になる。これを40個で400億円である。壺の重さは金塊だけで10万g=100kgあるので、逞しい力士なら行けるが、優男の宦官では持てない。台車が必要。
 

皇帝は以前アラディンから献上された宝石を民間にバラ売りして20万ディナールの資金を用意しました。それに今回アラディンが献上した40万ディナールの資金を加えて、資材や工作用具を買い、人夫を雇いました。それでヒュー川南岸に土塁の建設を進めました。砲台も並べ、これで防衛力は多いに高まったのです。
 
皇帝はアラディンに御礼に、皇帝御用達の看板を与え、皇族や廷臣・女官・宦官たちの服を提供する仕事を請け負うことになります。それでアラディンの商売はますます大きくなりました。呉服商の組合でもみんなに推されて、副組合長に就任しました。
 
皇帝はアラディンに、宮廷に適当な役職を与えると言ったのですが、彼は
 
「私はただの呉服屋ですから」
と言って辞退し、あくまで商人をしていました。
 
しかし国民的英雄になったこともあり、アラディンの店には、人がたくさん買物に来ました。そして店頭で采配を振るう美女アニトラのことも話題になりました。
 

アニトラの美貌と、その采配の素晴らしさが評判になると、皇帝の皇子ジャマールまで、その様子をお忍びで見に来ました。ジャマール皇子は、一般人を装って来店し、普通に服を1着買ったのですが、アニトラの美しさに一目惚れしてしまいました。
 
それで彼は父・皇帝を通して、アラディンに尋ねたのです。
 
「アラディンや、そなたのお店の店頭で采配を振るっている妹殿だが、笄をつけているようだが、既に結婚しているのか?」
 
「いえ、結婚はしておりません」
「誰か許嫁でもいるのか?」
「いえ、おりません」
「それなのにどうして笄(かんざし)をつけているのじゃ?」
 
アラディンは参ったなと思いながらも答えます
 
「あの子は結婚するつもりはないので、人から縁談を持ち込まれるのが面倒なので、笄礼をしてしまったのですよ」
 
「どうして結婚しないのじゃ?」
「あの子は商売をするのが大好きなので、人の妻になるつもりはないと申しております」
 
「確かにかなり商才があるようだが、それにしてもあれだけの美女を結婚させないのはもったいない。もしよかったら、うちのジャマール皇子の妃にくれないか?」
 
そう来たか。困ったなとアラディンは思います。
 
「仕事を生き甲斐とする女など、皇子殿下の妃としては全く不適格でございます。どうか皇子様には、どこか良い所のお姫様なりお嬢様を妃にしてあげてください」
 

取り敢えずこの日はアラディンは何とか話を断って戻って来たものの、皇帝はその後、手を変え品を変え、なんとか皇子の妃にと言ってきます。
 
母など
「せっかく妃になってと言ってるんだから、妃になっちゃったら」
などと言っていますが
 
「無理だよー」
とアニトラが答えると、母も
「まあ男じゃしょうがないね」
と納得していました。
 

ところでアニトラをジャマール皇子妃にという話が浮上して、極めて不愉快だったのが大臣ワラカです。彼は自分の娘・マハをぜひジャマール皇子の妃にと思っていました。皇帝もそれに結構乗り気だった筈でした。
 
しかし異国との戦いでアラディンが国民に人気となると、自分の地位が脅かされるようで不安になります。その後、防塁を築くのに資金を民間人に提供させてはと提案したのも大臣でした、しかしアラディンが大金の提供ができるようなので、40人の美女と40人の美形宦官という課題までつけたのですが、アラディンはその要求もきれいにクリアしました。
 
そして、ここにきて彼の妹アニトラが美貌かつ頭も良いらしいというので、突然ジャマール皇子の妃候補に浮上し許せんと思います。大臣は何とかこの話を潰そうとしました。
 
大臣はアラディンの店に来訪すると、店に居たアニトラに店の帳簿を見せるよう要求します。そして大臣は
「これだけ利益か上がっているのであれば、1万ディナール(10億円)の税金を払う必要がある」
と言いました。
 
アニトラはどう計算したらそんな税額になるんだ?とは思ったものの、その程度は充分払えるので、即座に納税しました。
 

アニトラは、このままにしておくと、大臣は何かとこちらに難題を押しつけてくるだろうし、下手すると謀反の疑いなどを持たせて自分を抹殺しようとするかも知れないと思いました。
 
それでこれは何とかしなければと考え、ランプの精と相談した上で、その日、シャーヒルの妹で割と腕の立つリームだけを連れて、大臣の家を訪問したのです。
 
大臣ワラカは兄のアラディンならまだしも、女の身である妹のアニトラが自分の館に来るとは思いもよらなかったので驚きました。こいつを今ここで殺せないか?とも思いますが、女従者は腕が立ちそうですし、きっと男の従者も近くに控えている気がします。何よりも自分の家でアニトラが死んでいたら皇帝に言い訳ができないので、思いとどまりました。
 
「大臣閣下と私はもっと早く腹を割って話し合わなければと思っていました」
とアニトラは言います。
 
「どういうことかな?」
 
「私は兄アラディンを通して何度も皇帝陛下に申し上げておりますが、皇子殿下のみならず、どんな男の方とも結婚するつもりはありません」
 
「そうなのか?」
 
と大臣は驚きます。皇子との結婚を嫌がる女がこの世に存在するなど、全く想像もつかなかったのです。ですからアニトラが消極的なそぶりを見せているのは、何か皇帝から要求を引き出すための条件闘争と思い込んでいました。
 

「大臣閣下はお嬢様のマハ姫をジャマール皇子殿下に嫁がせたいですよね?」
「うん。殿下に差し上げるつもりであの子は今まで育ててきた。本人にも、お前は皇子殿下の妻になるのだぞ、と小さい頃から言いきかせてきた」
 
「でしたら、私と大臣閣下で協力して、マハ姫を皇子様と結婚させましょう」
 
大臣は目をバチクリさせます。
 
「それは願ったりだが」
と言いながらも、この話には何か裏が無いか?と訝ります。
 
「例えば、ジャマール皇子様とマハ姫のための新しい宮殿を建てて、そこに皇子様をお迎えしたいと皇帝陛下に申し上げてはどうでしょう?御殿まで建てたら、きっと陛下も心を動かされますよ」
 
「それはあるかも知れないなあ・・・」
と大臣は思いました。しかし自分にそんな立派な宮殿が建てられるだろうかと考えます。
 
「そしてその宮殿を私に建てさせてもらえませんか?」
「そなたが、どうしてそれを建てる?」
 
「私としては、マハ姫とジャマール皇子様が結婚してくだされば、もう皇子様と結婚してと皇帝陛下から要求されないようになり助かります」
 
「おぬし、本当に皇子と結婚したくないのか?」
と大臣はあらためて訊きます。
 
「はい、私はどんな男の方とも結婚したくありません」
 
「おぬしの考えはさっぱり分からん。しかしその話には乗っても良い」
「分かりました。では早速手配いたします」
 

大臣は皇帝に、皇宮の東側の雑木林を1万ディナールで下賜して欲しいと頼み、皇帝は許可しました。すると雑木林が一晩で姿を消したのでみんな驚きます。更にそれから1ヶ月ほど、その林の跡で、多数の人々が働いているのが見られました。そしてみるみる内に、立派な宮殿が建ってしまったので、皇帝も他の人々もまた驚きました。
 
大臣も内心驚いたのですが、恭しく皇帝陛下の前に出仕して申し上げます。
 
「陛下、ジャマール皇子殿下と私の娘マハとのために新しい住まいを建てました。どうか以前からのお約束通り、皇子殿下とマハとの婚姻のご許可を」
 
「確かに約束はしていたからなあ」
 
それで皇帝もジャマール皇子と話し合い、アニトラがどうしても誰とも結婚したくないと言っているというのもあって、皇子はマハとの結婚を承諾したのです。それで“皇子と大臣の娘”の婚約が発表され、結婚式は諸国の親王たち(*10)も招いて、約半年後、来年の正月に行われることも発表されたのです。
 
皇帝はこの新しい宮殿に取り敢えず、皇子の住まいを移し、先日金塊献上に付き添った40人の美女と40人の美形宦官もそこに配しました。そして半年後の婚礼で大臣の娘がそこに入り、結婚するという手はずが整ったのです。
 
(*10)明では皇帝の親族を地方官として派遣しており、これを親王と称した。これは同族支配で帝国全体を統括するとともに、皇帝の血統の断絶に備えるものであった。ただし後には皇帝にとって親王は自分の地位を脅かすものとなって両者の関係は微妙になり、その間の争いが国の衰退を招くことになる。
 

アニトラは、皇子殿下の婚約のお祝いに、ランプの精に命じて用意させた大粒の宝石をを載せた純金の大皿を献上しました。この宝石を皇子は新宮殿のあちこちに飾りました。
 
アニトラはランプの精に言いました。
「いつもいつもありがとね」
「いえ、私はただのしもべです。私の女主人様が遙か昔、アニトラ様のご先祖に助けて頂いたので、そのご恩返しをしているだけなのですよ」
 
「そうだったのか。君の女主人って?」
「あまり言うと叱られるので」
「そう?でも、金塊とか宝石とかは、あの洞窟から持ってくるんだろうけど、こないだの美女と宦官とかはどうしたの?」
 
「賃金を払って雇いました」
「そうだったんだ!」
「取り敢えず支度料と1年分の給料は渡していますが、来年以降の給料は払ってあげてください。むろんお呼び頂けましたら、その分のお金などもご用意します」
 
「へー。でも美女40人もよく揃えたけど、あんな若くて美形の宦官がよく40人もいたね」
 
「宦官は、美男子で宦官になってもよい者を募集して、40人を宦官にしました」
 
「・・・つまりちょん切ったの?」
「そうですけど?」
 
まあいいかとアニトラは思った。ちゃんと報酬を払ってちょん切ったのなら問題は無いだろう(?)
 

「でも宦官にする手術って、傷が治るまでけっこう掛かるんじゃないの?よく3日で準備できたね」
とアニトラは何気なく尋ねました。
 
「魔法で切れば一瞬ですし、痛みも無いですよ」
「へー」
 
だったらボクも切ってもらおうかなあ、などとも思います。自分も年齢が進めば、次第に男っぽくなって、女を装うことが難しくなっていくでしょう。取っちゃえばその心配はありません。ちんちんなんて要らないし邪魔なだけだし。
 
「募集してきた内の5人は、まだ若くて女の子でも通りそうなので、お前たちいっそ女の身体に変えてやうかと言ったら、変えて欲しいと言うから、その5人は女に変えて美女の列に加えましたよ」
 
「男を女に変えることもできるの?」
「魔法でしたら」
 
「ね、ね、ボクを女の子の身体に変えることとかできる?」
「たやすいことでございます」
「マジ?」
 
「ではこの薬草をお飲み下さい」
と言って金の入れ物に入った薬草の汁をアニトラに渡します。
 
「この薬草を一気に飲みますと気を失いますが、目が覚めた時にはもう女の身体になっております」
とランプの精は説明したのですが、見ると既にアニトラは気を失っています。
 
「あ、もう気を失ってしまったか」
と言って、アニトラのお腹に布を掛けてあげてから、姿を消しました。
 
 
次頁目次

1  2 
【男の娘と魔法のランプ】(1)