【夏の日の想い出・誕生と鳴動】(1)

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私は高校時代は基本的に男子制服で3年間通学した。最近政子や青葉からそれ嘘でしょ?などと疑いの目を向けられるものの、少なくとも私が女子制服を着て学校に出て行ったのは、卒業式の日、ただ1日だけである。
 
しかし通学に使うかどうかとは別に女子制服を持っていなかったかと言われると実は持っていた。そもそもの発端は高校に入ってすぐの春に、中学の時の先輩の絵里花さんが、私の名前で勝手に女子制服を注文してしまったことにある。その注文はもう入学式の後であったので、夏服の注文として処理されてしまい、私は2007年5月の連休明け、自分の高校の女子制服夏服を手にした。内ポケットの所に「唐本」という名前の刺繍が入った女子制服を手にして私はジーンとする気分であった。私はその女子制服を放課後などにこっそり着ていたのだが、それを知っていたのは詩津紅や奈緒など少数の友人だけである。
 
夏服の女子制服を着るのに味をしめてしまった私は9月になると「出来心」でつい冬服の女子制服も注文してしまった。それを私は9月21日(金)の放課後に受け取った。受け取りはしたものの10月からの衣替えで、その服に着替えて学校に登校するまでの勇気は無い。
 
でも、この服を着て通学したいなあ。
 
そんなことを思いながら町を歩いていたら、蔵田さんから電話が掛かってくる。
 
「洋子、今暇か?」
「忙しいです」
「そうか。だったら今すぐ新宿に出てきてくれ」
「忙しいと言っているんですけど」
「うん。だからすぐ来て。Sスタジオ分かるか?」
「芹菜リセさんの制作ですか?」
「そうそう」
 
それで仕方なく私は母に蔵田さんから呼ばれたことを連絡した上で中央線に乗って新宿に向かった。スタジオに着いたのは18時頃である。このスタジオもかなりよく使っているので受付の人に顔を覚えられていて
 
「蔵田先生なら5階のJの部屋ですので」
と言われた。それで5階まで上がっていくのだが、そこに居るのは蔵田さん、大守さん、それに中学生くらいの女の子だけである。芹菜さんの顔は見当たらない。
 
「おはようございます。お疲れ様です。これ差し入れです。そこで買って来たものですが」
と私は、駅近くのケーキショップで買ったケーキの箱を出す。
 
「おお、甘いもの歓迎」
と蔵田さん。蔵田さんはお酒も飲むがどちらかというと割と甘党である。
 
その中学生女子が紅茶を入れてくれて一息入れる。
 
「紹介しておくな。こちらは蓮田エルミ。お前の後輩だよ」
「あれ?そうなんですか?」
「§§プロフレッシュガールコンテストで今年準優勝した子」
「わあ、凄い!」
「まだまだ未完の大器なんで1年くらいレッスンを積ませて来年末くらいにデビューさせようという計画らしい」
「へー」
 
彼女(川崎ゆりこ)のデビューは実際には同事務所で夏風ロビンがトラブルを起こしたことから、その処理で手が回らず2009年にずれ込んでしまう。
 
「こちらは柊洋子。多分来年くらいにあんたのプロダクションからデビューすることになるんじゃないかな。実は松原珠妃の妹みたいな子なんだよ」
と蔵田さんが私を紹介すると、エルミは
 
「え?妹って、男の方ですよね?」
と不思議そうに言う。
 
この日私は学校を終えたあとそのままの格好で出てきたので、男子制服なのである。
 
「ああ、こいつ何でか知らんけどたまに男物の服を着ていることがあるんだよ」
と蔵田さん。
「蔵田の前で男装すると、やられちゃう危険があるのにね」
と大守さん。
 
「洋子、その格好してるとマジで俺、押し倒したくなる。なんか女物の服は持ってないの?」
「えっと、さっき制服の冬服を受け取ってきたばかりですが」
「あ、だったらそれに着替えて」
「はい」
 
それで私が紙袋から女子制服の上下を取り出すと
「ああ、クリーニングに出していたんですか?」
とエルミが言った。
 
確かに今の時期に冬服を「新調」する人は転校生とかでない限り居ないよね〜などと思った。
 

それでスタジオのブースをひとつ借りて着替えてくる。冬服の女子制服姿を人前にさらすのはちょっとドキドキする。
 
「わあ、やはり女の子だったんですね」
とエルミが言う。
「まあ、女の服を着ればちゃんと女に見えるよな」
と蔵田さん。
 
「男の子になりたい女の子なんですか?」
「ああ、こいつの場合は女の子になりたい女の子なんだよ」
「え!?」
とエルミは意味が分からないようである。まあ分からないよね。
 
「ところで芹菜さんは休憩中ですか?」
と私が訊くと
「ああ、それがあいつワガママでさ。疲れたから帰ると言って3時すぎに帰ってしまったんだよ」
と蔵田さんが言う。
 
芹菜リセのわがままは初期の頃から有名であったが、蔵田さんでさえ手を焼いていたようである。
 
「それで∞∞プロの友好プロダクションで§§プロのこの子を呼び出したんだよ。なにせ芹菜リセは音域がむっちゃ広いから、仮歌を入れるにもあいつの歌を歌える歌手が限られていてさ」
「ああ、じゃエルミちゃんも歌うまいんですね?」
「うん。うまい。§§プロから歌のうまい歌手が出るのは夏風ロビン以来になるな」
 
夏風ロビンの後に同プロからデビューした満月さやか・秋風コスモスはいづれも極端な音痴である。
 
「来年デビュー予定の浦和ミドリちゃんは?」
「あの子の歌、聞いてない? 秋風コスモス以上に下手だぞ」
「秋風コスモスより下手な歌って存在するんですか!?」
 
実は私は秋風コスモスの楽曲制作に協力し、その時かなり歌唱指導もしたものの全く改善が見られなかったのである。私は彼女がいない時に紅川さんに「この子ほんとうにデビューさせるんですか?」と尋ねたこともあるのだが、紅川さんは「見ててごらん。この子、無茶苦茶売れるから」と笑顔で言っていた。
 
「まあそれでこの子と一緒に制作作業を進めていたんだけど、中学生は7時までに帰宅させてくれと紅川さんから言われているからさ、それでその後の作業を洋子にやってもらおうと思って、お前を呼び出したんだよ。だから今夜は徹夜で頑張ろう」
 
「私も高校生なので9時くらいまでに帰して欲しいですけど」
「でも徹夜作業は何度もやってるじゃん」
「それはそうですけど・・・」
 

そんなことを言いながらも、ケーキを食べ終えたところで蓮田エルミは大守さんがタクシーに乗せて自宅に帰す。それで私と蔵田さん・大守さんの3人で制作作業を再開した。
 
芹菜リセのアルバムの制作をしているということで、使用されている楽曲は少し前に私自身でとりまとめ作業をした曲である。それで少し面はゆい気分になりながら、私はピアノを弾いたり歌を歌ったりして、ふたりの意見を元に再調整を掛けていく。
 
そんな作業を続けていた20時頃。蔵田さんの携帯に着信がある。無視していたのだが、しつこいので大守さんが発信者を確認すると、★★レコードの加藤課長である。
 
「え?加藤さん?」
と言って蔵田さんが驚いて電話を取る。
 
「たいへんお待たせしました。蔵田です。はい。はい。あ、しまった! 分かりました。至急、そちらに向かいます」
 
どうも何か予定があったのを忘れていたようである。
 
「あ、そういう訳で俺はちょっと出かける。明後日の夕方くらいに戻るから、それまで適当にやってて」
と言って蔵田さんは飛び出して行ってしまった。
 

「えっと・・・どうしましょうか?」
と私は大守さんに尋ねるが
 
「帰ろう」
「そうですね〜」
 
それで私たちは撤収することにし、制作用の機材をふたりで一緒に大守さんの車に運んでスタジオを出た。
 
「自宅まで送って行こうか?」
「あ、いえ。新宿まで出てきたついでに本屋さんに寄って行きます」
 
ということで私は大守さんにジュンク堂の入っている三越アルコット前で降ろしてもらった。ついでに電車賃と言われて2000円もらった。
 
私は大守さんに御礼を言って降りて店内に入る。それでジュンク堂のある7階に上がろうとエレベータの所で待っていたら、ちょうど降りてきたエレベータから見知った顔の女の子が出てくる。
 
「わあ、やすよちゃん、久しぶり!」
「ふゆちゃん、ひさしぶり!」
 
それは愛知県時代の同級生で長野県に住んでいる早乙女泰世(さおとめ・やすよ)であった。彼女は愛知県に居た頃は同じ「泰世」の字で「たいせい」と読み、男の子をしていた。そして実は私の初恋の人だったのだが、小学5年生の時に転校したのを機に、女の子として暮らし始め、名前も「やすよ」と読むことにしたのである。私はそのことを知った時は、初恋の人だっただけにショックであった。
 
「東京に出てきたの?」
「ディズニーランドの招待券が当たっちゃって。それでこの連休に行こうというのでお母ちゃんと妹と3人で出てきたんだよ」
「へー」
「招待券は4枚だったから、兄ちゃんその2も呼んだ」
「なるほどー」
「兄ちゃんから、お前ずいぶん可愛い妹になったな。血が繋がってなかったら彼女にしたいなんて言われちゃった」
「あはは、そうやって褒められると嬉しいよね」
「うん」
 
泰世の所は、男・男・男・女の4人兄妹だったのだが、両親が離婚して上の2人は父親の元に、下の2人は母親の元に引き取られた。しかし泰世が女の子になってしまったので、向こうは男3人の家族、こちらは女3人の家族になっている。両親同士は離婚後全く顔を合わせていないらしいが、兄妹同士は時々会っているようである。実をいうと、私は一時期彼女から女性ホルモンを少し分けてもらって飲んでいたこともあった。
 
「お母ちゃんが妹と『HERO』の映画を見に行ったんだけど、私はあまりキムタク好みじゃないんでパスと言ったら、兄ちゃんが付き合ってくれた。それで私は本を見ていたんだよ」
「なるほどー」
「私はSMAPは慎吾君のファンなんだ」
「へー」
「昔、慎吾君が5人並んだ写真でスカート穿いてたことがあるのよね」
「そんなのあったの?」
「女装とかじゃなくて単なるファッションだと思うけど。でもそれ見ていてドキドキしちゃって。それ以来、慎吾君に興味がある」
「なるほどー。その気持ち、私凄く分かる」
 
「だけど、冬ちゃんも女子高生してるんだね」
と言われて、私は初めて、しまった。着替えてなかった!というのに気づいた。
 
「あ、実は高校には男子制服で通っているんだよ」
「そうなの?」
「でも出来心で女子制服作っちゃったんだ」
「あ、それでそれを着て出歩いてたんだ?」
「えへへ」
 

私たちは立ち話も何だしということで、ケンタッキーに入っておしゃべりを続けた。
 
「でも大きな都会では埋没できるから、女装で歩くのも精神的に楽でしょ?」
と泰世は言う。
 
「都会はその大きな波の中に全てを飲み込んでしまうから」
と私は答えたが、このセリフって詩みたいと思った。
 
「少々変な人も田舎じゃ目立つけど都会じゃ誰も気にしない」
「もっとも田舎じゃ噂はするものの許容的なんだけどね」
「そうそう。許容という面ではね。都会はわりと排斥的。プリプリのDIAMONDSにさ『好きな服を着てるだけ、悪いことしてないよ』ってあるじゃん」
「あ、その歌詞、私も随分心の支えになった」
「私たち的には、男の子の服を着ている方が間違っているもん」
「そうなんだよねー」
 
「もっとも私とか冬ちゃんのレベルなら男の子と思われることないでしょ?」
「うん。むしろ男の子の服を着ていても、トイレの場所訊くと女子トイレの所に案内されたり」
「ああ、ありそう」
 
「でも早く性転換したいよね」
「したーい!」
「私は高校卒業するまで待てと言われてる」
と泰世。
「私はそれ以前に実はまだお父ちゃんにカムアウトしてないんだよね」
「それは頑張って告白しなくちゃ」
「そうなんだけどねー」
 

ケンタッキーでおしゃべりした後、私と泰世は新宿駅の西口地下広場に来た。泰世が「いちばん東京っぽい所を見たい」というので、ここに来たのである。
 
「ここは名前としては『地下広場』(公式には地下通路)だし、そこの道を歩いて行けば、確かにいつの間にか地下道を歩いている。でも地上に吹き抜けになっているから、あたかもここが地表であるかのようにも見えるんだよね」
 
「表面と地下とが曖昧なんだね」
「うん。都会のバーチャル文化を象徴する場所だと私はよく思うんだよ」
 

2012年8月3日に私たちは『ローズ+リリー・メモリアルシリーズ』の3作目となる『Rose+Lily after 4 years, wake_up』を発売したが、このアルバムには『ローズ+リリー・ラスト・メモリアル・アルバム』という仮題を告知していた。そのタイトルについて、先に発売されたシングルの発表記者会見の席で私は記者に
 
「ローズ+リリーのアルバムはもうこれ以上作らないという意味でしょうか?それとも別のシリーズが始まるのですか?」
 
と尋ねられたので
 
「この後は通常のアルバムになるという意味です。発売時期は決まっていませんが、『Flower Garden』という仮タイトルだけ決まっています」
と答えた。
 
この『Flower Garden』は2012年夏頃から実際に制作準備に取りかかり、具体的な制作は2013年1月から6月まで半年掛けて行っている。この半年間、私たちはそれ以外の仕事をほとんどしなかった。
 
このアルバムを発表した時の記者会見で「来年のアルバムの予定は?」と尋ねられた私は「名前だけ決まっています」と答え『雪月花』という名前を発表した。この時はほんとに名前しか決めていなかったのだが、その後少しずつ計画を進める。そして2014年の春のツアーをしながら詳細を詰め、5月頃から少しずつツアーの傍ら制作に取りかかり8月の発売を予定していたのだが、ここで複数の友人からの助言に基づき、私はこの発売日を大幅に延期。12月に発売することにして、ここまでの制作作業をいったんリセット。7月から11月まで他の仕事を一切入れずにアルバム制作に専念して、アルバムの完成に漕ぎ着ける。
 
おかげで『Flower Garden』が国内で190万枚、海外で40万枚を売ったのに対して『雪月花』はそれを上回る国内220万枚・海外120万枚(2015年4月末現在)ものセールスをあげた(余波で『Flower Garden』の国内累計売上も200万枚を突破した)。
 
ローズ+リリーの音源が国内で200万枚を超えて売れたのは『神様お願い』以来のことだが、『神様お願い』は売れた枚数を公開しない契約になっているので、公式にはローズ+リリー初のダブルミリオン音源ということになった。
 
(次に200万枚を突破するのは2018年8月に発売した『Bridal Wind』である)
 

私は『雪月花』を発売した時、次のアルバムの名前を発表しなかった。記者から質問はあったのだが「まだ未定です」とだけ答えた。
 
やはり『雪月花』の名前と発売時期を事前に言っておいたのが、その後のスケジュールの変動もあり、期日を守ることができなかった反省もあったのである。ただ内心、アルバムタイトルとして考えていたものがあった。
 
「『The City』か。また英語のタイトルで行くんだ?」
と前田さんは言った。
 
その日、私は今年のアルバム制作に関する企画会議をしていた。出席者は私と政子、サマーガールズ出版代表として秋乃風花、サウンドマネージャーとしてスターキッズの近藤七星(旧姓宝珠)、UTPの大宮伸幸副社長と松島花枝制作部長、△△社の月羽涼香(旧姓甲斐)、○○プロの前田春臣制作部長、そして★★レコードの町添幸太郎取締役制作部長・加藤銀河課長・氷川真友子主任というメンツである。
 
なんか11人もいる!?
 
数十億円のビジネスの話なのでやむを得ない構成なのだが、私の本当の味方は風花、七星さん、氷川さんくらいなので、私も結構内心は冷や汗を掻きながらこの会議に臨んでいた。
 
「『Flower Garden』『雪月花』で自然の美を歌ったので、今度は一転して都会の中に潜む様々な心象風景などを歌いたいと思いまして」
と私は説明する。
 
「どうなんでしょうね? 自然を歌ったものが続けてうけたんだから、また更に自然を歌ったほうが固定ファンが付くのでは」
などと松島さんが言う。
 
当然出てくるはずの意見である。
 
「しかしそれをやっていると、そういう歌しか歌わないユニットということになってファン層が固定化してしまう。まだまだ色々な可能性を追求してファン層を広げていったほうがいいんじゃないですかね」
と前田さん。
 
同じ事を言っているのに結論が真逆になることが面白い。しかし前田さんの立場からこういうことを言ってもらうとこちらはかなり助かる。
 
こんな感じの話し合いを2時間ほど続けて、ようやく基本的な制作方針が了承されたのが2月初旬のことであった。
 

この会議をやった時期は、私はちょうどKARIONの全国ツアーをやっていた。その福岡公演に行くために飛行機に乗っていたら、ちょうど§§プロの紅川社長と隣り合わせの席になる。その場で紅川さんは、実はここ数ヶ月目立った活動が無くファンの間から心配する声が出ていた同プロの明智ヒバリが鬱病を発症して実家近くの病院で療養中であるという話を聞く。
 
社長はそのヒバリの様子を見に行くという話であったので、私はその日のライブが終わった後、紅川さんに連絡して様子を訊いてみた。
 
するとヒバリが「コスモスを見たい」と言い出して、この時期にコスモスが咲いている沖縄の宮古島に行ったこと。そこに紅川社長の実家があるので、しばらくそこで静養させることにしたことを聞いた。
 
「宮古島って今頃コスモスが咲くんですか?」
「面白いでしょ。正確には宮古島の隣にある橋で結ばれた小島・来間島(くりまじま)にコスモス畑があるんだよ」
「凄いですね。本土とはかなり花の季節が違うんですね」
「まあ気候もまるで違うからね。ここは良いところだよ。冬ちゃんももし心が疲れたようなことがあったらおいでよ」
「そうですね。その内、お邪魔させて頂くかも」
 
と私はその時はそんなことを言った。
 
私が実際に宮古島に行き静養することになるのは4年後のことである。
 

最近完璧に私は外れてしまったのだが、ローズクォーツはまた今年も新しい「代理ボーカル」を迎えることになった。昨年4月からこの3月まで1年間代理ボーカルをしてくれたOzma Dreamに代わって、今年4月から来年3月までの1年はミルクチョコレート(千代子と久留美)が代理ホーカルをしてくれることになった。
 
《ローズクォーツOM》から《ローズクォーツCM》に変わることになる。
 
彼女たちはまた私の古くからの知り合いである。KARIONのデビューCD『幸せな鐘の調べ』で、コーラスを務めてくれたのだが、ふたりはこの音源制作で知り合ったことから親しくなり、ユニットを組むことになったのである。
 
代理ボーカル交代記念で両方のボーカルが参加したシングルを発売している。ローズクォーツ15枚目のシングルで曲目構成はこうなっていた。
 
『アイアン・ランナー』(マリ&ケイ作詞作曲)Vo.Milk Chocolate
『恋の休日』(上島雷太作詞作曲)Vo.Ozma Dream
『アウト・オブ・ライン』(Two Voice作詞作曲)Vo.Milk Chocolate
『フェアリー』(目時晴子作詞・木崎礼佳作曲)Vo.Milk Chocolate
『だから言ったのに』(マリ&ケイ作詞作曲)Vo.ケイ(Overdub)
 
1曲だけ私が歌ったので、私は2月に半日だけ時間を作ってスタジオに入りボーカルパートを吹き込んだ。今回、クォーツの面々とはスタジオで全く会っていない。全部タカたちにお任せである。例によって全体の管理は大宮副社長が自らやっている。
 

4月中旬、私が自宅マンションで夜食に政子の要求でカツ丼を作っていたら、その間、裸で!ソファに寝転がってテレビの番組表を見ていた政子が、突然「わっ」というので、こちらがびっくりする。
 
「何?何?」
「ゴジラがWOWWOWで放送されるのよ」
「ああ、去年のアメリカ映画?」
「そうそう。去年の夏は忙しくて見に行けなかったもんなあ」
「まあ鋭意アルバムの制作をしていたからね」
 
「予約しておこっと」
と言って政子がチャンネルと日付のメモを書いて私に渡すので、私がその予約操作をした。ここで政子が操作をしようとすると、しばしばチューナーがダウンする。静電体質の人というのは困ったものである。
 
そして私がその操作をして夜食作りの方に戻った時また唐突なことを言い出す。
 
「ね、ね、千葉の青葉んとこにさ」
「ん?」
 
青葉んとこというのは、たぶん青葉が設置した玉依姫神社のことかなと私は思った。
「狛犬ちゃん作らない?」
 
「狛犬ちゃん代わりの招き猫ちゃんたちがいるじゃん」
「でもあの子たち、お社のそばにいるじゃん。鳥居のそばにも何か居ていいと思うんだよね」
「ああ、確かにね」
 
「ゴジラとムートーを置いたらどうかな?」
「喧嘩するのでは?」
「そっかー。あ、じゃムートーじゃなくてモスラだったら?」
「過去にゴジラとモスラが戦った映画もあった気がする」
「そうだっけ? それどっちが勝ったの?」
「さあ、見たことないから」
 
実際にはゴジラとモスラ親が戦いゴジラが勝ったものの、モスラ子が孵化してゴジラを撃退するのである。
 
「でもモスラとゴジラなら、話し合えば仲良くできないかな」
「どうやって話するか知らないけど」
「よし、やはりゴジラとモスラで行こう」
「でもそれ著作権使用料払わないといけないよ」
「いくらくらい?」
「うーん。数百万円要求されるかも」
「うっそー!」
「その前に、そもそも許可がおりないかも。イメージを壊すようなものって許可されないんだよ」
 
「うむむ。ゴジラのそっくりさんのドジラとモスラのそっくりさんのモスガバとかでは?」
「著作権で食べさせてもらってる私たちが、そんな著作権をないがしろにするようなことしちゃいけないよー」
「うーん。めんどくさいなあ。ちょっと青葉に訊いてみよう」
 
「こんな時間に電話するの〜?」
 
今は夜中の12時過ぎである。
 
「青葉なら起きてるよ」
それで政子は青葉としばらく話していたが、青葉が政子のことばを理解できたかどうか、私はいぶかった。政子が話している内にカツ丼が出来たので言ったら、それで政子は電話を切って、夜食を食べ始めた。
 

5月中旬。沖縄に2012年から移住していた元作曲家の木ノ下大吉さんの所で何か怪異があり、その調査・相談のために青葉が行くことになったという話を私は★★レコードの氷川さんから聞いた。
 
そういう話を友人であるつもりでいた青葉本人からではなく氷川さんから聞いたことに私は少し嫉妬に似た感情を持ったのだが、クライアントに関する話は守秘義務を守る原則からすれば当然のことである。しかし私は沖縄ということからヒバリのことが気になった。そこで紅川さんの了解を取った上で、氷川さんに、青葉が木ノ下先生の所に行くついでに用事が済んだ後でもいいので宮古島まで足を伸ばしてヒバリの様子を見てきてくれないかと頼めないかと打診してみた。
 
すると、どうも木ノ下先生の件に関しては色々な人が動いていたようで、その調整に時間が掛かったようであったが、前日の5月14日になって青葉本人から電話が掛かってきた。
 
「済みません。この件、何もそちらには話してなくて」
と青葉は私の心情に配慮するかのように謝る。
 
「いや守秘義務があるんだから全然問題無い。クライアントの話をぺらぺら私に話したりするほうが青葉に不信感を抱くよ」
と私は答える。
 
それで青葉はヒバリのことについては何も聞いていなかったようであったので、彼女が鬱病を発病して昨年秋から2月まで福岡の病院の閉鎖病棟に入院していたこと、その後本人の希望と親御さんの意向もあり、宮古島で静養していることを話した。
 
「うーん。私、鬱病や統合失調症の治療はできませんよ。神経症や心身症なら多少の改善が見られる場合もありますが」
と青葉は言う。
 
「うん。治療とか難しいことを考えなくてもいいから、少しおしゃべりしてきてくれると嬉しい」
「まあ、おしゃべりだけというのなら行きますけど、それでも正規の料金を頂きますよ」
「うん。取り敢えず100万円渡すよ。経費や手数料は後で請求して。その分は報酬と別に払うから」
「分かりました」
 
「明日そちらに振り込めばいいかな?」
「明日の夕方、千里姉が羽田から同行する予定なので、よかったら姉に渡していただければ」
「千里も行くんだ!」
 
その話は聞いてなかった。しかし千里とは先月末にも会ったのに。でも彼女もやはり守秘義務で私には何も話さないんだ! この姉妹ほんとにシビアに仕事と私事を分けているなあと私はあらためてふたりのプロ意識に尊敬する思いだった。私とか、けっこうそのあたりが適当なのにと反省する。
 
「じゃヒバリちゃんにお手紙書くから渡してもらえない?あとお土産にお菓子でも渡すよ」
「了解です」
 

その件で私自身は15日の夕方はFMの出演が入っていたので、氷川さんに仲介をお願いすることにした。すると氷川さんも木ノ下先生の件で★★レコード側から青葉に100万円の仮払いをする予定であるということだったので、一緒に200万円渡してもらうことにした。
 
そして週明けの火曜日、私は青葉から驚くべき報告を受けた。
 
「ヒバリちゃんがノロになっちゃったの?」
「そうなんですよ。那覇市内の長老のノロの方がいらして、確かに彼女はノロであると再認定してくれました」
「ひゃー」
「彼女のお祖母さんが久高島の神女だったそうで。家系的にも問題無いという話なんです」
「へー!」
 
「細かい祭祀の詳細については本人も知らないので、その方に教えていただくことになりました」
「すごいねー」
 
「先任ノロが亡くなった後、再開発で破壊されてしまったウタキを地元の人の寄進で再建して、そこで祭祀を行うことになったんです」
「じゃ、私にも寄進させて」
「では振込用紙を持ち帰りますので」
「OKOK。もしかして木ノ下先生の件もそれに関わること?」
「済みません。その件は守秘義務でお話しできません」
 
なんてしっかりしてるんだ!
 
「うん。いいよ、いいよ。しかしノロになるなら歌手は引退かなあ」
「まあ仕方ないですね。紅川さんとも電話で話しましたが、彼女が元気になってくれたのなら、引退については気にしないということです」
「紅川さんも優しいなあ」
 
更に翌水曜日、高岡に戻る途中という話の青葉から政子に電話が掛かってくる。
 
「政子さんへのお土産の紅芋タルトはたくさん買ったので持ちきれないので宅配便で送りましたので」
と青葉。
「さんきゅ、さんきゅ」
 
「それで先日言っていた神社の鳥居の守り神なのですが」
「うんうん」
「狛犬ではなくて沖縄のシーサーというのではダメですか?」
「あ、それいいかも!」
 
「こちらで出会った可愛いシーサーのペアがいたんですよ。写真をそちらにさきほどメールしたのでちょっと見て頂けますか?」
「ちょっと待ってね」
 
と言って政子は私に自分宛てのメールを受信して青葉から送られて来た写真を見せてくれるように言った。こういう時、政子が自分で操作すると高確率でパソコンがダウンする。
 
「あ、この子たち可愛い」
「設置を考えているのは、その子たちの子供なんですけどね」
「へー。だったらこのシーサー作った人に頼めばいいのかな」
 
「それがこれを作ったのは専門のシーサー制作者ではなくて学校の美術の先生で、もう亡くなっているんですよ」
「だったら、そのご遺族の許可をもらってこのシーサーを立体スキャンして3Dプリンタでコピーを作るというのは?」
 
政子は昨年3Dプリンタで私の1/1模型を作って私の代役としてローズクォーツのステージに置いて遊んでいたので、すっかり3Dプリンタのファンになっている。
 
「ちょっと待って下さい」
い青葉は言って、どうもそばにいる千里と話し合っているようである。
 
「制作者の遺族の許可を取ればできるのではないかと」
「じゃそれで進めよう」
 
「では、そのご遺族の許可を取るのは千里姉が木ノ下先生経由でしますので、その著作権使用料とか、3Dスキャン・コピーとその後の焼成などの作業費用を政子さん出してくださいます?」
 
「もちろん。必要なら先に仮払いしておくけど」
「どのくらいの金額になるかよく分からないのであとで見積書を送りますね」
「うん。よろしくー」
 

千里は木ノ下先生、地元の町内会長さんとリレーしてシーサーの制作者の娘さんと連絡を取ることができて、娘さんは自由にコピーしてくださいと言ったものの一応謝礼として10万円払うことにした。
 
シーサーの立体スキャンと3Dプリントをしてくれることになったのは那覇市在住の工芸家・城間安美さんという人で、千里の古い知り合いらしい。一度現場を見て打ち合わせたいということであったので、私と政子は6月1日(月)、日帰りで沖縄まで行ってきた。
 
朝6:40→9:10のANA993(B787-8)で飛び、10時前に彼女の工房に入った。
 
「先日、この件に関して依頼されてこれを作ったんですよ」
と言って彼女が見せてくれたのは、おちんちんである!?
 
「これは?」
「シーサーちゃんが乱暴なデベロッパーに破壊されたのを、破片を集めて接着剤でくっつけていったんですが、その時、この部分だけ破片が見付からなかったんですよ。それで3Dプリンタで作ってできあがったんで、今日持って行って接着する予定なんです。一緒にいらっしゃいます?」
 
「行きます」
 
それで私たちは彼女と一緒に恩納村にある木ノ下先生の御自宅まで行った。先生とは2013年8月のローズ+リリー沖縄ライブでゲスト出演して頂いて以来の再会であったが、物凄く元気そうなので私は驚いた。2年前にお目に掛かった時は、やや疲れたような表情であったのが、活き活きとしている。この先生、もしかしたら作曲家として復帰するかも、と私は思った。
 
木ノ下先生から今回起きた事件の経緯を聞いて私も政子も驚く。そのあたりの話は木ノ下先生は青葉や千里から私たちにも伝わっているものと思っていたようであったが、
 
「あの子たち守秘義務を忠実に守って、クライアントに関わることは何も話さないんですよ」
と私が言うと
 
「しっかりした子たちだね!」
と先生は感心していたようである。
 
木ノ下先生宅に同居している明智ヒバリも元気そのものである。表情が明るく輝いており、私はきっと彼女は自分の求められる場所を見付けたんだ、というのを感じた。
 
私と政子、木ノ下先生とヒバリ、城間さんの5人で「現地」に行く。突貫工事で作られたという防犯装置付きの塀の中に、ヒバリが鍵を開けて入る。そこの入口の所に黄色と白の2体のシーサーがいた。写真では見たが、実物を見るとほんとに可愛くて、政子はもうこの子たちをお持ち帰りしたいような顔をしていた。
 
奥に香炉台と香炉があり、そこでヒバリはお香を焚いて何か難しい言葉を唱えた。
 
「今黄色い子の魂をいったん抜きました。作業お願いします」
とヒバリが言うので、城間さんが持参した《おちんちん》を接着剤で黄色いシーサーのお股にくっつける。
 
「あれ、おちんちん付けちゃうの?」
と政子が訊く。
 
「この子のおちんちんだけがどうしても見付からなかったんですよ」
「でも白い子にもおちんちん付いてるよね? 白い子がオスで黄色い子がメスなのでは?」
と政子。
 
「うん。シーサーは男女一対のものが多いんだけど、この子たちはどちらも男の子だったんだよ。一応白い子は口を開けていて、黄色い子は口を閉じているから黄色い子は女の子でもいいと思うんだけどね」
 
狛犬は通常片方が口を開けた阿形、片方が口を閉じた吽形で、シーサーもその方式を踏襲したものが多い。この子たちも一応口の形は阿吽なのだが、どちらにもおちんちんが付いていたのだという。
 
「おちんちん付けずに女の子のままでも良かったのに」
と政子が言う。
 
「なんか多数決取って、この子女の子にするか男の子にするか決めたそうですよ」
とヒバリ。
 
「へー。でも口の形が女の子の形でおちんちん付いているなら男の娘なのかな」
と政子が言うと
「案外作者は何にも考えずにおちんちん付けちゃったのかも知れないけどね」
 
おちんちんの接着が終わるとヒバリが再び何か難しい言葉を唱える。
 
「はい、魂が戻りました。あ、おちんちんがある!って喜んでる」
「ああ、ふつうの男の子はおちんちんが無くなったらショックだよね」
「男の娘の中にも女装は好きだけどおちんちん無くなるのは困るという子もいるよね」
「まあセクシャリティは色々だから」
 
「ね、ね、ここのシーサーが両方とも男の子だったら、千葉に設置するのは両方とも女の子にしない?」
と政子が言い出す。
 
「うーん。どうだろう? 著作権者の意見を聞かないと。それにその前に青葉に聞いてみなければ」
 
ということで私はそのウタキの敷地を出たあとで青葉に電話してみた。
 
「ちょっと本人たちに聞いてみます」
などと青葉が言う。本人??
 
少しして返事がある。
「この子たちまだ小さくて性別ってよく分かってないみたいです。でも僕たちたぶん男の子だと思うなんて言ってますから、そのまま男の子にしておいてあげられませんか?」
「へー。まあ本人達の意志に反して性転換させちゃいけないね」
 
と私は答えて電話を切る。一体誰に訊いたんだ?
 
「そういう訳で男の子のまま」
と政子に言うと、
「つまんなーい」
などと言っていた。
 

「だけどあの接着した、おちんちん、3Dプリンタで作ったとは思えないきれいな出来でしたね。積層も目立たないし」
 
現在普及している3Dプリンタの多くはFDM(Fused Deposition Modeling, 熱溶解積層)という方式を採っていて、自由な成形ができるものの、積層した層の境目がきれいに分かる欠点がある。
 
「押出のノズルに物凄く細いものを使っているので、そもそも層が目立たないんです。その分プリントに時間が掛かりますけど。その上できあがったものを手作業でスムース化しています」
 
「ああやはり少し手を加えておられるんですね」
 
あのシーサーのコピーを作って千葉の神社に設置するという件に関してはヒバリは知っていた。そもそもどうもその話の提案者はヒバリだったように思えた。
 
「あ、石膏の型をプリントしてそこから実物を作るんじゃなくて、そもそも粘土を3Dプリンタでその形にしちゃうんだ?」
と木ノ下先生は驚いたように言う。
 
現在玉依姫神社に設置している狛犬の内、右手を挙げた黒猫のほうは実は左手を挙げた白猫の型を反転させた型を3Dプリンタで作り、微調整の上でその型から通常の工程で制作したものである。私もてっきりその方式と思っていたのだが、石膏の型をプリントするのではなく、直接作品をプリントするらしい。
 
「最近注目されている自由度の高いデルタ型プリンタならできるんですよ。多少自分で改造していますけどね」
 
「凄いね。しかし今回作ってもらった、おちんちんくらいのサイズならいいけど高さ50cmほどのシーサー全体を3Dプリンタで作れるものなの?プリント中に崩れたりしない?」
 
「普通の陶芸では粘土に水を混ぜたものを使うのですが、3Dプリンタで作る場合は水を加えていない硬質粘土を使うんです。それでかなり細かい造形もできるんですよ」
 
「ちょっと見てみたいね」
 
と木ノ下先生も言うので、全員で城間さんの工房に再度お邪魔した。
 
「プリントに時間がかかりますから、高さ5cmの1/10モデルで」
と言って、城間さんが自分で改造したというデルタ型3Dプリンタを作動させる。白い粘土がうっすらと積層されていく。確かにそのひとつひとつの層がとても薄いので、3Dプリンタ特有の階段状の積層痕がほとんど分からない。そして細いノズルを使用していることで、とても細かい作り込みができている。こんな細かい造形は熟練の陶芸家でなければできないだろうと思われるものが目の前に自動で出来て行っている。
 
私は3Dプリントは21世紀の産業革命ではないかと感じた。
 

「シーサーの全身スキャン自体は先日おちんちんの型取りに行った時、木ノ下先生が、念のため全身撮っておいてとおっしゃったので、やっておいたんですよ。あれ、新たにスキャンしようとすると大変だったんでしょ?」
と城間さんが言うと
 
「ええ。魂を抜いたり戻したりとしないといけないので」
とヒバリは言っている。
 
「こちらが昨日試しにプリントしてみた白い子の方です」
と言ってミニチュアモデルを見せてくれる。
 
「触ってもいいですよ」
というのでおそるおそる触ってみるが、しっかりした感じである。実際には崩れにくくかつ細かい造形ができるノズルのサイズや形を決めるのに結構試行錯誤をしたらしい。
 
「これに釉薬を掛けて、焼き上げるんですね?」
「そうです。焼くのは知り合いの登り窯を持っている陶芸家さんに頼んでいます」
 
「あれ?今プリントしているのは?」
「黄色い子の方ですね。生データですから、おちんちんの無い状態ですが」
「なるほど」
 
「データを詳細に検討していたのですが、やはり素人の方が接着しているので継ぎ目がわりと粗いんですよ。ですからこれを手作業でパソコン上で修正して本来の形を復元します。この作業にたぶん1ヶ月かかります。そのあとプリント自体は1体20時間でできると思います」
 
「20時間もかかるんですか!?」
「50cmの高さですからね。今プリントしているのはミニチュアなので1時間程度で仕上がるはずです」
 
「5cmでも1時間か・・・」
「細かい作業していますから」
 
「じゃプリントした後でたぶん1ヶ月くらい乾燥させてから焼き上げですよね?」
「そうなると思います。おちんちんは小さいから4−5日乾燥させただけで焼いちゃったんですが、大物はゆっくりと乾燥させた方がいいと思うので」
 
「じゃ今からお願いしてできあがるのは最速で9月上旬かな」
「そんなものですね」
「じゃ余裕を見て11月までにできるといいという感じでお願いできますか?」
「いいですよ」
「料金は先に前金で半額払いますので」
「それはありがたいです」
 

工房で1時間かけてミニチュアのシーサーが成形されていくのを見ながらおしゃべりしていたら、宮里花奈さんが来訪した。ここ数年、ローズ+リリーのステージ衣装のデザインをお願いしているデザイナーさんである。聞くと城間さんと同じ小学校の先輩・後輩の関係らしい。
 
「じゃ村山千里と城間安美さんがつながってて、城間安美さんと宮里花奈さんがつながってて、花奈さんの妹が陽奈さんで、宮里陽奈さんが私たちの知り合いで」
と政子は楽しそうに言う。
 
「こないだ青葉が言っていたデイジーチェーンだね」
と私も言う。
 
やがてシーサーのプリントが終了したので昨日プリントした子と並べて置いてみる。昨日プリントしたものは口を開いていておちんちんがあり、今日プリントしたものは口を閉じていておちんちんが無い。逆に元々おちんちんが付いていたところが欠損して穴が開いているが、その穴の形が何とも絶妙で女の子の割れ目ちゃんにも見えるのである。
 
「やはりこちらの子は女の子ということにしちゃおうよ。サービスでおっぱいも付けてあげてさ」
などと政子はまだ言っている。
 
念のため木ノ下先生が元々のシーサーの制作者の娘さんと連絡を取ってみたら、娘さんは思いがけないことを言った。
 
「実は最初、あの子たち阿形の子だけにおちんちん付いていたんですよ。でも焼きあがった後で吽形の子にもおちんちん付けちゃおうなどと言い出して。そちらはメスなのでは?と私も母も言ったんですけど、なんか良く分からない言い訳をして、別途作ったおちんちんを接着剤でくっつけちゃったんですよ」
 
「じゃもしかして吽形の子って、性転換して男の子になっちゃったんですか?」
「そうですそうです」
と電話の向こうで娘さんは楽しそうに言っていた。
 
「だからおちんちんくっつける前は、5mmくらいの幅の割れ目ちゃんがあったんですよ」
「へー!」
 

「後でくっつけたものだったからもろくて、取れやすかったのかも知れないなあ」
などと木ノ下先生は電話を終えた後で言っている。一応娘さんは、女の子にしてあげるのなら、それでもいいと言っていた。
 
「ひょっとしたら、あの子のおちんちんだけ発見できなかったのは、本来は無いものだったからかも」
とヒバリは言った上で
 
「実は青葉さんに託したシーサーの子供はあの黄色い子が産んだんですよ」
などと衝撃の事実を明かす。
 
「赤ちゃん産んだの?」
と政子が楽しそうに言う。
 
「じゃやはり元々が女の子なのでは?」
「本人は男の子の意識なんですけどね」
「FTMなのかな?」
と城間さんも考えるように言う。
 
「じゃさ、千葉に設置する子は、基本は女の子で作って、付けおちんちんを装着しておくというのは?私がリアルなのを寄進するよ」
と政子。
「それ警察からちょっと来いと言われるかも」
と私。
 
「だけど神社に陽型や陰型をたくさん奉納している所ってありますよね?」
 
「あります、あります。結構本土の方で友人と一緒に神社巡りしていると、ぎゃっと思うことありますよ」
などと花奈さんも言っていた。
 

その後、宮里さんが
「せっかくケイさん・マリさんがこちらに来ているなら」
と言って、彼女のアトリエにもお邪魔することになった。このアトリエを訪問するのは久しぶりである。
 
「今度のツアーにこれ持って行きません?」
などと言っていくつかの衣装を見せてくれる。
 
「この衣装の青いのがあるといいな」
などと政子が言う。
 
「じゃそれ明日にでも作ってそちらに速達で送り届けますよ」
「すみませーん」
 
その日は木ノ下先生の御自宅で早めの夕食に沖縄の料理を頂いた。政子はたくさん食べて、大満足の様子であった。その後、20:40-23:05 ANA478 (B737-800)で羽田に帰還した。
 
政子は機内で楽しそうに詩を数篇書いていた。見ると
『おちんちんが無くなっちゃった』
なんてのもある。
 
「これローズクォーツに提供してタカ子ちゃんに歌ってもらおう」
などと言っている。ああ、可哀想に。
 
「タカ子ちゃんも、そろそろおちんちん取っちゃえばいいのにね」
「それやると、麗さんが困るよ」
「精子保存しておけば子供は作れるし」
「セックスもしたいと思うよ」
「おちんちん無くてもセックスできるのに」
「みんながレスビアンじゃないからね」
「そう? 和実と淳さんもビアンだし、桃香と千里もビアンだし、エリゼとロンダもビアンだし、和泉もビアンだし、若葉もビアンだし」
「たまたま知り合いにビアンが多いのでは。ちなみにエリゼとロンダは別に恋人ではない」
「そうだっけ?」
 
一応お仕事をする気もあるようで今年のアルバム用と思われる
『その角を曲がればニルヤカナヤ』
という詩も書いている。なんか長い詩だ!?
 
「これ以前『出会い』でやったような通作歌曲形式で書ける?」
「まあ頑張ろうかな」
 
通常の歌は有節歌曲形式といって、同じメロディーを繰り返し演奏する「1番2番」のある形式を取るが、通作歌曲形式というのは、そういう単純な繰り返しが無く、全体を通して各部分にオリジナルなメロディーが付けられる。シューベルトの『魔王』などがこの形式である。
 
もちろん作曲家の手間はとっても大変である!
 
 
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【夏の日の想い出・誕生と鳴動】(1)