【夏の日の想い出・ビキニの夏】(2)

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ライブの後、伴奏陣で簡単に打ち合わせた。
 
主として楽器ソロの入り方である。ギターソロ、ヴァイオリンソロ、サックスソロが同時に入りそうになって慌ててアイコンタクトで調整した場面があったので、その各々の楽曲の箇所について、誰がソロを入れるのかを決めた。また誰もソロを入れなくて少し寂しかった所もあったので、ここは誰がやることにしようというのも話し合った。
 
それで21時半くらいになったので、その後少し飲みたそうにしている人たちを置いて私は帰宅した。
 
少し勉強してから12時頃寝ようかと思っていたら自宅に電話が掛かってきた。たまたま私が電話機のそばにいたので反射的に取った。静花だった。
 
「やった。冬ならたぶんまだ起きてると思ったから」
と言って話し始める。
 
今日のライブで物凄く興奮した、というのが伝わって来た。よくしゃべる!
 
30分ほどしゃべりまくった所で、父が「何時だと思ってる? いい加減にしなさい」というメモを渡したので
 
「ごめーん。寝ろと言われてるから」
と言うと、向こうも
「あ、私も12時前に寝ろと言われてたんだった」
などと言っている。
 
静花は12月から6月までは事務所の寮に入っていたのだが、大ヒットでランクが上がり、自分でマンションを借りて、ひとり暮らしを始めたのである。寮ならそもそも21時すぎには電話は掛けられない所であった。
 
「じゃ、おやすみー」
「また明日もよろしくー」
 
と言って、寝た。
 

2日目。基本的には同じ形で進行する。ただし初日に反応が悪かった曲を多少入れ替えた。『カロミオベン』『ニーナ』を外し、『ケ・サラ』とキリンビールの宣伝でもおなじみの『ボラーレ』を入れた。また昨日、演奏に関する打ち合わせをしたおかげで今日はソロの入り方などで「わっ」とか思う所もなく、スムーズに演奏をすることができた。
 
そして・・・ゲストコーナーで出てきたJに対する観客の反応もまた同様だった。ブーイングの嵐である。
 
さすがに事務所側で話し合ったようで、3日目の朝、松原珠妃の名前で、
「Jさんも一所懸命歌っているので、ヤジとかはご遠慮ください」
というメッセージを公式サイトに掲示した。
 
本人も泣いていたので、事務所側も「辞める?」と尋ねたが「やります」ということだったので、3日目以降もさせることにした。しかし3日目・4日目も、観客の反応は同様であった。
 
「結局、珠妃ちゃんが上手すぎるからなあ」
と井瀬さんは小さな声で言っていた。
 
「最高に上手い歌を聴いていたのが、あれだけ落差のある歌を聴かせられたら俺でもブーイングするかも知れんよ」
「ピコちゃんなら、あんなにブーイングされたらどうする?」
 
「私なら『下手っぴーのピコでーす』とか言って、『よし、ここから先は音を2度ずつ外して歌うぞー』とか言って歌ったりして」
 
「いや、ちゃんと2度ずつ外して歌うなんてのは、正確な音程が取れないとできない技」
「ピコちゃんもスターだな。そういう発想するのは」
 

そしてその事件は、後から考えてみると、起きるべきして起きたのではないかという気がする。
 
最終日。5日目の前半が終わり、Jが出て行く。これまでと同様にヤジが飛ぶ。
 
今回のチケットは短時間で売り切れているので複数の日程のチケットを取れた観客はほとんどいなかったはずである。毎日観客は異なるのだが、どの日の観客にもJの歌はひどいものに聞こえたのだろう。
 
まあ私もほんとに下手だなと思いながら聞いていたのは確かではあるが。
 
そしてJの歌が終わって、休憩していた私たちがまたステージに戻る。静花は着替えが終わっていて、笑顔でJに近寄り、握手をしようとした。
 
その時だった。
 

私はなぜ行動を起こしたのか、後で考えても分からない。
 
とにかくダッシュした。そして私がJと静花の間に無理矢理身体を割り込ませるのと、Jが服の中に隠していた刃渡り16-17cmの包丁を構えて静花を刺そうとしたのが、ほとんど同時だった。
 
私は自分が刺されたと思った。私死ぬのかな?と思ってちょっとだけ後悔した。
 
しかしバリバリっという音がする。
 
Jの包丁は私が持っていたヴァイオリンを貫いていた。痛みもしたので少し私の身体にも刺さったなと思ったが、そんなに痛くは無い。
 
Jは私に邪魔されたので、物凄い力で私を張り倒した! 腕力の無い私は吹き飛ぶ。
 
そして再度静花を刺そうとしたが、近くに居たキーボードの人がJに飛びかかる。揉み合いになったが、さすがに男性の力で押さえられたらかなわない。Jは取り押さえられた。
 
事務所のスタッフが数人駆け込んできて、まずはJの手から包丁を奪い、舌を噛み切らないようにハンカチを口に押し込み、拘束して舞台袖に下げた。
 
Jを取り押さえたキーボードの人が手を押さえてうずくまっている。
 
「どうしました?」と井瀬さんが声を掛ける。
 
「彼女を取り押さえる時に少し手を切った」
「見せて」
 
と言って怪我の箇所を見ている。
 
「こりゃあかん。ちょっと下がって治療してきて」
「うん」
 
それで彼は自力で舞台袖に消える。
 

さて。
 
観客は、あまりの事態にシーンとしていた。
 
突飛すぎる事態だったので、ドッキリ企画ではないかと思ったという人もこの時かなり居たようである。笑おうとしたものの、周囲が沈黙しているので笑えなかったと、後にネットなどに書いていた。
 
この時、本領を発揮したのが静花である。
 
マイクを取ると、ひとこと言った。
 
「お騒がせしました。演奏を続けます」
 
そのとたん会場が物凄いざわめきとなった。すると静花は
 
「静かに!」
 
と大きな声で言う。マイクも使わずに肉声で、この武芸館の大会場に自分の声を響き渡らせた。観客がこのひとことでさっと鎮まった。
 
「さあ、演奏するよ」
と井瀬さんの方を向いて大きな声で言う。この時、静花はこの大きな会場を完全に支配していた。
 
舞台袖では、マネージャーの青嶋さんが両手で×印を作っている。演奏を中止しろという指示だが、静花は無視した。
 
「キーボードどうしよう?」
と井瀬さんが言ったが、静花は
 
「ピコちゃん、弾いて。あんた、ヴァイオリンよりキーボードの方がうまいはず。どうせヴァイオリン壊れちゃったし後半はヴァイオリン抜きね」
と笑顔で言う。
 
「OK弾くよ」
と私は静花に負けない大きな声で応える。
 
それで井瀬さんも「よし、みんな位置に付いて。演奏するぞ」と言う。
 
全員が所定の位置に付き、私たちは演奏を再開した。舞台袖で青嶋さんが天を仰いでいた。
 

この最終日、後半のカンツォーネは何だか物凄く盛り上がった。
 
ちょっと異常な事態があったこともあり、観客としても何かに酔わないとたまらない感覚だったのかも知れない。
 
所定の曲を演奏し終わり(『恋のスピッカート』で私はキーボードをヴァイオリンの音に設定し、タッチコントロールを駆使し、まるでヴァイオリンをスピッカート演奏しているかのように弾いた)、幕も降ろさないまま、アンコールで『初恋の丘』
『黒潮』と歌っても観客が収まらない。そこで静花は
 
「アンコール本当にありがとうございます。みなさんのご声援にお応えして、もう一曲。黒潮の英語バージョンを歌います」
 
観客席から「えー!?」という声があがったが静花は平然としている。そして私たちの方に目で合図をするので、私たちはふつうに『黒潮』の演奏を始める。
 
そして静花は英語で歌い始めた。
 
観客は物凄く乗って、物凄い拍手をする。
 
そして凄まじい熱狂の中で武芸館ライブは終了した。
 

この日が本当に「スーパースター・松原珠妃」が誕生した日だと思う。
 
あのトラブルが起きた後の事後処理は、美事だった。ひとつ間違えば観客のパニックが起きていてもおかしくなかった状況である。
 
中止しろという指示を守らなかったというので、社長からの厳重注意、罰金までくらったものの、珠妃の人気は急上昇した。そしてCDのセールスもまた上昇し始めて、この事件の一週間後には250万枚を超えた。勢いが停まらず、レコード会社も慌ててどんどんプレスする。私は300万枚は超えたなと思った。
 
なおサードアンコールで静花が歌った英語歌詞だが、本人が即興で作りながら歌ったものらしかった。私も協力して後で一緒に書き出してみたものの「こりゃかなり添削しないとダメだね」というくらい酷い英語だった。でもそういうでたらめ歌詞で歌いきってしまうのがスターである。
 
事件を起こしたJは駆けつけた警察に逮捕され取り調べを受けたが、珠妃も怪我したキーボード奏者(軽傷で一週間で現場復帰できた)も、告訴しないと言った。緊急上京した両親と社長が話し合い、厳重戒告の上で懲戒解雇、CDは廃盤・店頭回収、キーボード奏者の治療費を含めて示談金300万円という線で和解。その示談結果を受け、Jは起訴猶予になり釈放された。本人も事務所に来て珠妃たちの前で泣いて謝罪した。
 
彼女は田舎に帰ってやり直しますと言っていた。この程度で済ませる条件として、親元で1年間は暮らすことというのを事務所側が提示し、両親も了承していた。
 

ちなみに、私もちょっと怪我していて、包丁の先で少し切ったようで、下着にかなり血が付いていたものの、ライブが終わる頃までにはもう血も止まっていたので、静花から「ああ、これは怪我の内に入らない」と言われた。傷跡も残らなかった。
 
ヴァイオリンはまた新しいの(前のとだいたい似たような価格帯で今度は国産ではなくドイツ製のヴァイオリンで E.H.Rothという銘が入っていた)を事務所の社長が買って渡してくれた。更に急遽決まった8月の全国ツアーにも帯同できないかと打診されたが、さすがに1ヶ月掛けて全国飛び回るのは親が許してくれないと言ったら、結局、東京・横浜・仙台・札幌・名古屋・大阪・神戸・福岡・沖縄という「日帰り可能!?」の公演にだけ付き合ってと言われ、それ以外の公演は他のヴァイオリニストさんを手配してもらった。
 
(8月1-31日の14-16日を除いた28日間で全国28ヶ所を巡るという恐ろしいツアーで、さすがの静花も話を聞いた時に「きゃー」と言っていた)
 
「社長から札幌や沖縄も日帰り可能って言われたんですけど、ほんとに日帰りできるんですかね?」
と私は井瀬さんに訊いた。
 
「ああ、朝1番の飛行機で飛んで、最終便で帰ればいい。行きっぱなしの俺たちよりハードな気もするけど」
「あはは」
 
「それより、この日程表を見てごらんよ。要するにピコちゃん、土日に全部アサインされてる。メインの会場ではピコちゃんにヴァイオリンを弾いて欲しいという意味だよ」
「ああ」
 

また7月のライブで持ち歌が『黒潮』『恋のスピッカート』だけで寂しかったということで、急遽楽曲も3曲制作された。
 
イメージビデオの撮影をした縁でドリームボーイズの蔵田さんにも『夏少女』
という曲を書いてもらった。蔵田さんは『たこやき少女』というタイトルで作ったのだが、こちらの事務所の社長がそれは勘弁してと言って『夏少女』というタイトルに改訂。歌詞もタコヤキ!と連呼する所を夏夏!という連呼に変えさせてもらった。
 
それからニジノユウキ作詞・木ノ下大吉作曲『アンティル』という曲があった。この「ニジノユウキ」は実は松原珠妃のペンネーム(「虹の松原」という連想)だが、そのことはかなり後まで公表されなかった。「アイドルが作詞作曲するとイメージが」と社長が渋ったためである。「この曲は『黒潮』のアンサーソングだね」と木ノ下先生が楽しそうに言っていた。アンティルは英語の until とAntilles諸島の掛詞である。
 
アンティル諸島は北米と南米を結ぶ長大な列島で、メキシコ湾流と大きな関係があり、黒潮:日本海流から、海流つながりなのである。歌詞の中にアンティル諸島の島の名前が「キューバ、ケイマン、ジャマイカ、ハイチ」とか「セント・クリストファー、アンティグワ・バーブーダ」とか「セントビンセント・グレナディーン」などと大量に出てくる。この歌はカラオケで受けたし小学生の間で、この島名連呼が大流行した。
 
そして最後の3曲目がゆきみすず作詞・すずくりこ作曲『可愛いアンブレラ』
というまさにアイドル歌謡!という感じの可愛い曲であったが、私はこのクレジットを見て仰天した。
 
「すずくりこさん、耳が回復したんですか?」
 
元アイドルのすずくりこ(田中鈴厨子)が昨年原因不明の病気で倒れ耳が聞こえなくなったというのは大きなニュースになっていた。それですずくりこは歌手を引退せざるを得なくなったのである。
 
「いや、回復してない。全く聞こえないらしい。でも作曲はできるんだそうだ」
「へー!」
と私は本当に驚いた。
 
「ベートーヴェンみたいですね」
と井瀬さんも感心したように言う。
 
「元々、このふたり、スノーベル時代からけっこうペアで作詞作曲してたらしいよ。でも当時は自作曲を歌うとアイドルのイメージが崩れると言われて、他人名義にしてたんだって」
「へー」
 
この3曲は7月下旬にバタバタと録音され(私は音源製作でもヴァイオリンを弾いた)、8月頭に『黒潮』のアコスティック版・英語版(専門家に書いてもらった英語歌詞)ハウスミックスも入れた5曲入りミニアルバムとして発売された。
 

なお、私は9月以降は学校があるので、珠妃の全ての活動には付き合えないと言ったので、(三谷さんもまだ怪我から回復していなかったので)バンドのヴァイオリン奏者は引き続き募集され、8月下旬になってやっと、20代の女性ヴァイオリニストが採用された。
 
私は後任者も決まった段階で、頂いたヴァイオリンは返上しますと社長に言ったのだが、社長はそれはあげた物だから持っていていいし、何かの時はまた頼むと言われた。井瀬さんが
「珠妃ちゃんを守ってくれた御礼もあるんじゃない?」
と言っていたのでもらっておくことにした。私はこのヴァイオリンに《Flora》という名前を付けた。
 
ところで7月の公演の際、私があそこで身を挺して珠妃を守り、その後7月中に行われたキャンペーンには私は参加しなかったので(元々参加する予定が無かった)、あの時のヴァイオリニストは大けがしてバンドを離脱したとか、どうも亡くなったようだなんて噂も立っていた。横浜のイベントで怪我したヴァイオリニストも死んだらしいなどという噂まで立ち、7月下旬のキャンペーンではヴァイオリン奏者が日替わりであったこともあり、「珠妃のバックバンドのヴァイオリニストは死ぬ」とか「死ななくても病気になる」「いや発狂すると聞いた」などという変な都市伝説が一人歩きした。
 
「売れずに憤死したヴァイオリン制作者が祟っている」なんて話も出てきて、更には『恋のスピッカートには霊の声が入っている』という話まで出ていた(該当箇所を事務所でみんなで聞いてみたが、私にも他の人にもただのノイズとしか思えなかった。一応再プレスの際に除去した)。
 
しかしそのような噂もまた『黒潮』のセールスを押し上げ、8月上旬には300万枚を突破した。ミニアルバムの方もあっという間にプラチナディスクとなった。
 

さて私の方だが、夏休みは去年に引き続き、例の可愛い水着を着てプールに来るように奈緒に言われ、また学校のプールで水泳の練習をしていた。昨年はクロールの手足の動きをしても速攻で沈んでいたのが、今年は数十秒はもつようになっていた。それで何とか25mプールの3分の1くらいまで泳いでいけるようになった。
 
「やはり若葉と2人でずっと校舎の周りを走っているおかげだよ」
「あれで少しは筋肉付いてきてるんだろうね」
「きっと来年くらいには25m泳げるようになるんじゃないかなあ」
「冬、スクール水着買って、授業にも参加しなよ」
「パス」
 
「もっと可愛い水着プレゼントしたら、授業に出てこれる?」
「でもこの水着だってけっこう可愛いよ。これより可愛いのってどんなの?」
「やはりビキニだな」
と協佳。
 
「おお、ビキニ!」
 
すると有咲がその件をバラしちゃう。
「冬はビキニになったことがある」
 

「なに〜〜!?」
「じゃビキニ持ってるの?」
「持ってない、持ってない、借り物だよ」
 
「冬はビキニを着けたらまるでおっぱいがあるみたいに見える」
「何〜?ぜひその姿を見たい」
 
「じゃ見せてあげる」
と言って有咲がスティルを1枚みんなに見せちゃう。
なんでそんなの持ち歩いてるんだ!? だいたい誰からもらったんだ?
 
「おぉ!!!!!」
「可愛い!」
「冬ちゃん、バストがBカップくらいあるみたい」
「上げ底だよぉ」
「何にも無い胸をここまで大きく見せられるものなの?」
「あはは」
 
「すごーい。冬ちゃん、このテク教えてよ」
「それシリコンパッドで下から押し上げた上で、透明なビニールテープで引っ張って脇の肉を寄せてるんだよ。結構痛い上に10分しかもたない」
「いや、10分でもこんなに胸があるように見せられるのは凄い」
 
「これ、もしかして5月に学校休んでハワイに行った時の?」
と奈緒がやっと気づいたように言う。
「ハワイじゃなくて沖縄だけどね」
 

私は5年生の6月から女性ホルモンの補充療法を受けていて、一応毎年4,8,12月には病院で検診を受けることにしていた。8月の上旬、病院に行き採血・採尿されて、数値をチェックされる。おちんちんのサイズを測られた上で精液も採取するように言われ個室で射精させて容器に取った。
 
先生は顕微鏡でチェックしていた。
 
「前回オナニーしたのはいつ?」
「5月かな・・・」
「えっと夢精したのは?」
「2週間前です」
 
「なるほど」
「薄いですか?」
「いや、むしろ濃いくらいだね。精子も元気だよ。でもオナニーあまりしないんだね」
 
「病院の検査で射精させる以外で今年は2回しました」
「勃起する?」
「しません。射精させるのにも男の子みたいに掴んで上下とかできないので、指で押さえて女の子みたいにグリグリして射精させます」
 
先生は頷いている。
 
「普段女の子のヌードとか見ても大きくなったりしない?」
「私、女の子のヌードには何も感じません」
「あ、そうか。じゃ、男の人のヌード写真は?」
「そんなの持ってません」
「まいっか」
 
胸の発達具合もチェックされる。
 
「乳首・乳頭はかなり大きくなってきたね。乳房自体も膨らみ始めている。トップとアンダーの差が6cmだからAAカップのブラ付けられる」
「これもっと大きくはできませんよね」
「ホルモンの量を増やせばもっとよく発達すると思うよ。でもそうしたくないんでしょ?」
「ええ。まだ今の段階では生殖機能も維持しておきたいんです。いづれ消したくなるだろうけど」
 
「それは君の気持ちが自然にそうなった時でいいと思う」
「豊胸手術とかする訳にもいかないだろうしなあ」
「さすがの僕も小中学生には豊胸手術はしないよ。中学生の去勢ならしたことあるけどね」
 
ちょっとドキっとする。去勢か・・・。
 
「ゴールデンウィークにちょっと某所でビキニ着ちゃったら、また着たい気分になっちゃって。でも私、胸無いから、ビキニは悲惨なんですよね。ゴールデンウィークの時は、上手な人が寄せて集めて、まるで胸があるみたいに見せてくれたんですけど」
 
「・・・・ヒアルロン酸とか注射してみる?」
「ああ!」
「知ってる?」
「はい。効果が大してないことも、いづれ身体に吸収されて元の木阿弥になることも」
「それだけ分かっていればいい」
「料金はおいくらですか?」
「10ccで4万円。たぶん業界でもかなり安い方。ちなみに0.5cupアップには30ccくらい打つ必要がある。70ccくらい打ってあげようか?Aカップになるよ」
 
「56万もお金無いです!」
 

その年の8月は土日は松原珠妃の全国ツアーに付き合ったのだが、平日は民謡の伴奏やお囃子に行ったり、また何度かドリームボーイズのライブでバックダンサーをした。
 
「今月の土日は全部ふさがってるんですー」
と言ったら
「16日もダメ?」
とドリームボーイズのマネージャー・前橋さん(後に社長になった人)から訊かれる。
 
「16日は空いてますが」
「じゃ、よろしく〜。幕張メッセだから」
「はい」
 
ということで、私はお盆明けの16日にはいそいそと千葉まで出て行き、ドリームボーイズのバックで踊ったのであった。
 

「今日は新曲『あこがれのおっぱい』に合わせて、ペチャパイから巨乳までを順番に並べるというコンセプトだから」
と前橋さんが言うと
 
「ひっどーい」
「それセクハラ〜!」
という声がダンスチームの女の子たちから上がる。
 
「心配しないで。いちばんのペチャパイは、小学生の柊ちゃんがいるから」
と言われる。
 
「はい!永遠のペチャパイ、柊洋子、行きます!」
と私は言って、真っ先にラインに立った。
 
私が率先して並んだので、他の子たちはぶつぶつ言いながらもお互いの胸を見つめ合いつつ、何となく整列する。
 
「右端の**ちゃん、かなり巨乳だね。Gカップくらいある?」
「Hです」
「おお。凄い!」
 
彼女は本当に巨乳で、みんな羨ましそうに見ている感じだった。
 
ダンス自体は、リーダーの葛西さんが(Cカップだったので)真ん中付近になってしまったが、私が例によってすぐ振り付けを覚えたので、結果的には葛西さんより左の人は私の踊りを見ながら踊ることができて、踊りやすかったようであった。
 

「洋子ちゃん、明日の予定は?」
とイベントが終わってから、前橋さんから訊かれる。
 
「松原珠妃のツアーで沖縄に行ってヴァイオリンを弾きます」
「おお、うちも明日は沖縄なんだけど。こちらでも踊らない?」
「えっと・・・」
 
「そちらの公演は何時から何時?」
「13時から15時。実際には10時から16時くらいまで拘束されると思います」
 
「うちの公演は夕方からだから大丈夫」
「それでは東京に帰れません」
「君、まさか沖縄日帰り?」
「はい」
 
「無茶な。泊まりなよ。他の人も日帰りなの?」
「いえ。全員那覇に泊まって翌日鹿児島に移動してライブです。私は鹿児島には出ないので東京に戻ります」
 
「ちょっと話し合ってみよう」
 
ということで、前橋さんは松原珠妃のマネージャーの青嶋さんに直接電話して話を付けてしまった。
 
「松原珠妃の公演の後で、うちの公演に移動してもらうのはOKだって。どちらも那覇市内だから大丈夫だよ。宿泊については、向こうが他のメンバーと一緒にホテル確保して、費用に関してはうちと半々持ちということで話がついた」
 
「えっと・・・・うちの親には・・・」
「頑張って説得して」
「あはは・・・」
 

即母に電話したら、変な遊びでなければ、夏休みでもあるし構わないよと言ってくれた。前橋さんが途中で電話を替わってくれたが、前橋さんは凄く紳士的な人なので、母も信用してくれた雰囲気であった。
 
そういう訳で、結局17日の沖縄行きは1泊で行ってくることになったのである。沖縄日帰りというのには元々体力的な不安があったので、ちょっとホッとした。
 
それで千葉から東京へと帰るのに千葉駅で電車を待っていたら、
「あれ〜、冬だ」
と声を掛けられる。
 
「若葉! 何だか若葉とはよく不思議な場所で会うね」
「幕張メッセのファンタジア・フェスティバル見てきた」
「ああ!」
「あれ?冬も?」
「私は見たというか、出たというか」
「嘘!? あれ?松原珠妃出てたっけ?」
 
「ううん。松原珠妃は今日はお休み。今日はドリームボーイズのバックダンサー」
「へー! あのバックダンサーの中に冬がいたのか。気づかなかった」
 
「まあ、バックダンサーまで見てる人なんて、あまりいないから」
「冬って、何か色々なものに関わってるんだね?」
「まあ民謡系が多いけどね。今月既に民謡の大会の伴奏、5件やったし」
「よくお仕事してるなあ」
「松原珠妃のライブも2日札幌、3日仙台、9日横浜、10日名古屋と出た」
 
「・・・・ね、もしかしてスケジュール表がお仕事で埋まってたりしない?」
「そこまではないよ。4日から6日までと、11日と15日も休んだし」
 
「8月に入ってからの17日間に、松原珠妃4件、民謡5件やって、休んだのは5日間だけ? つまり残りの3日間もお仕事なのね?」
「うん。まあ、ドリームボーイズやってた」
 
「並みのアイドル歌手より忙しいような。明日は?」
「沖縄に飛んで、午後は松原珠妃、夕方からドリームボーイズ」
「掛け持ち!?」
「うん」
 

「でも沖縄いいな。私も行きたくなった。明日は沖縄泊まり?」
「日帰りで帰ってきて月曜日は休むつもりだったんだけどね。ドリームボーイズが入ったから、那覇泊まりになった」
 
「月曜日の予定は?」
「特に無し。一応羽田行きは、月曜日の夕方の便を取ってもらってる」
「あ、じゃ沖縄で私と一緒に少し遊ばない?」
 
「いいけど、今からチケット取れるかな?」
「ああ、それは大丈夫」
 
と言って若葉はどこかに電話していた。それで千葉から東京に戻る電車の中で返事のメールが来ていた。
 
「明日朝の航空券、松原珠妃とドリームボーイズのコンサートチケット、それに月曜日の羽田行き、冬と同じ便を確保」
 
「ちょっと待って。航空券はまだしも、松原珠妃もドリームボーイズも既に売り切れてたんだけど」
「ああ、そのくらい平気。コネで取っちゃう」
 
「若葉のコネって凄い!」
 

「でもせっかく、沖縄に行くんなら、海に行こうよ」
「ああ、それもいいね。沖縄で1日何しようかと思ってた」
 
「新しい水着買っちゃおうかなあ。冬も買わない?」
「そうだなあ、それもいいかな」
「じゃ、一緒に買いに行こう」
「うん」
 

それで、東京に戻ってきてから、銀座のデパートに水着を買いに行った。デパートに行くのが、さすが若葉である。
 
「冬はさ・・・まさか男の子水着を着ないよね?」
「まさか」
「だったら、女の子水着を着るよね?」
 
「そうだなあ。若葉になら見られてもいいか」
「じゃ、一緒に物色しようよ」
「うん」
 
それで見ていたのだが、さすがデパート! 値段が凄い!
 
「どうした?」
「いや、この値段にちょっとクラクラしてる」
「ああ。水着くらい、私が買ってあげようか?」
「えー? でも・・・」
 
「その代わり、私が選んだデザインの水着を着て、私に写真を撮られるというのでどう?」
「あはは」
 

それで若葉が選んだ水着は、かなり布面積の小さなビキニだった。
 
「これを・・・着るの?」
「冬だったら着られると思うなあ。だってアレ、もう無いよね?」
「うーん・・・」
 
「これ凄いハイレグだからさ。あそこの毛は剃っておいてね」
「あ、それは大丈夫。私まだ生えてないから」
「へー! 6年生でまだって珍しいね」
 
と言ってから若葉は小声で尋ねた。
 
「もしかして睾丸取っちゃったから第二次性徴が来てないの?」
 
「取ってないよぉ」
と私は笑って答える。
 
「だってさ・・・冬って、いつも一緒に走ってて思うけど、汗掻いても男の子の臭いがしないんだもん」
「そ、そう?」
「声変わりもしてないし」
 
「えっと声変わりはしてるんだ、実は」
と言って私は当時はめったに使っていなかった男の子の声で答える。
 
「うーん・・・でも女の子の声も出るんだ?」
「そうだね」
と私は女の子の声に戻した答える。
 
若葉は少し何か考えているようだったが
「まあいいや、その件は」
と言った。
 
「じゃ、私コンサート楽しみにしてるから、頑張ってね」
「うん」
 
当時私は自分の携帯を持っていなかったので、若葉の携帯番号をメモして別れた。火曜日に、こちらがフリーになった時点で若葉に連絡することにした。
 

若葉と別れて自宅に戻ったのは17時くらいだった。でも私は明日のライブを前に少しヴァイオリンの練習をしておきたかった。それで「明日の伴奏の仕事の練習をしておきたいから、スタジオに行ってくる。21時までには帰る」と母に告げて、伴奏の仕事で愛用しているヴァイオリン《Flora》を持ち、駅前のスタジオに行った。小部屋を借りることにする。
 
お盆の期間中でスタジオは何だか混んでいた。部屋が空くまで待合室で待つ。少しぼんやりしていたら、いきなり目の前にのぞき込むように顔を持ってきた人がいた。
 
「わっ、びっくりした」
「冬ちゃん、君が持っているのはヴィオロンでは?」
 
と声を掛けたのは、従姉のアスカであった。
 
「うん。でも借り物〜」
「へー。でもそれ持ってここにいるってことは、それで曲芸でもするの?」
「ヴァイオリン使った曲芸って知らないなあ」
「例えばヴァイオリンの上に爪先立つとか」
「壊れちゃうよぉ」
 
「もしかして弾くの?」
「まあ、ちょっと弾いてみようかなあと思って」
「見せてよ、どのくらい弾くのか」
「いいよ」
 

それで部屋が空いた所でアスカと一緒にスタジオに入った。アスカはフルートを持っていた。それの練習に来たらしいが、部屋を借りる前に私に気づいて声を掛けたということのようであった。
 
私がヴァイオリンを取り出すと内側をのぞき込み
「おお、E.H.Rothか。下倉だね?」
と言う。
 
「よく分かんない。私が買ったものでもないし。先月はピグマリオンというのを使ってたんだけど、壊れちゃって」
「ピグマリウスのことかな?」
「あ、それそれ」
「そちらは文京楽器だな」
「へー」
 
「でもどうやって壊したの?」
「包丁で刺されそうになって、とっさにそれで防いだ。楽器を楯にしてしまったことで、けっこう落ち込んだ」
 
「いや、そんな時は自分の命優先。たとえストラディバリウスであろうと楯にしろ。ただし『楯にして良い』とは言わんけど」
 
とアスカは言った。こういう合理的かつバランスの取れた発想をするアスカは好きだ。
 
「ストラディ弾く時は鎧でも着ようかな」
 
「でもなんで刺されそうになったの? 相手は女の子?」
「うん」
「だったら冬のことを男の子と思い込んで好きになったのに実は女の子だと知って逆上したとか」
「まさか」
 
「ま、とりあえずメンコン(メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルト)でも弾いてみてよ」
 
「メンコ??」
「知らないの?」
「何かの遊び?」
 
「もしかして冬ってヴァイオリン習ったことないとか?」
「あ、一度も習ったことない。私、友達の見よう見まねだから」
「私が教えてあげようか?」
「うーん。。。その内」
 
「まあいいや。じゃ、何でもいいから弾けるの弾いてごらんよ」
「うん」
 

それで私は『黒潮』のヴァイオリンを弾いた。アスカはじっと私の指の動きや弓の使い方を見ている感じだった。
 
「冬。左手の使い方が完璧に間違っている」
「え?」
「その弾き方はヴァイオリンじゃない。フィドルだ」
「何それ?」
 
それでアスカは私のヴァイオリンを取って、正しい弾き方を見せてくれた。
 
「あぁ・・・そうやるのか!?」
 
「誰にもこういうこと指摘されなかった?」
「うん」
「冬の演奏能力が高すぎるからかも知れん。ふつうはそんな左手の使い方ではまともな演奏にならないのに、冬はそれでも弾きこなしてしまう。独学の恐ろしさだな」
 
それでアスカに教えられた、正しい左手の使い方をしてみると、
 
弾きやすい!!!
 
「この弾き方、すごく弾きやすいよぉ」
「良かったね。というか、ちょっと教えただけで、こんなに改善される冬が凄い。ほんとにその気になったら、うちにおいでよ。色々教えてあげるから」
 
「そうだなあ。じゃ、その気になったら」
「待ってるよ」
 
実際に私がアスカの所に通い出すのは翌年の6月である。
 

「ところで今の何の曲?」
「この曲、知らないの?」
「知らん」
 
「やはりこういう人もいるのか。ちょっと安心した」
と言って、私は今ミリオンセラーになっている松原珠妃の『黒潮』という曲であることを説明した。
 
「ふーん。私も最近はあまりポップスやってないからなあ」
とアスカは言っている。
 
「いや、明日その松原珠妃の伴奏でこれ弾くから、練習しにきたんだよね」
「ふーん、ライブの伴奏に出るのか。どこでやるの?」
「那覇」
「沖縄?」
「うん」
 
「沖縄ならビキニの水着とか着たりしない?」
 
「えっと、伴奏はふつうにドレスか何かだと思うけど、翌日友達と海に行く約束してる」
「海ではビキニか?」
 
「うん・・・・」
 
「だよなあ! 沖縄に行ったらビキニ着なきゃ。冬がビキニになるなら私も行くぞ」
「へ?」
 
「よしチケット取ろう」
と言って、アスカはその場でお母さんに電話して、明日の午前中の羽田→那覇便と、月曜日の夕方の那覇→羽田便、そして那覇市内のホテルのチケットを押さえてもらった。
 
しかし若葉にしてもアスカにしても行動が早い!
 
「私もビキニ着るから。月曜日はじっくりと冬のビキニ姿を観察しよう」
「あはは」
 

そういう訳で、翌日朝、私は羽田から那覇まで飛行機で飛んだ。静花たちは前日に沖縄入りしている。前泊・後泊である。体調を整えるにはその方が良い。私は空港からまっすぐ会場に行った。井瀬さんだけが来ていたので、連絡事項や、演奏方法などでの注意点を確認する。アレンジが変更されていた所があったので、譜面上できちんと確認した。
 
この8月の全国ツアーでは、前半はアコスティック版の『黒潮』で始めて、80-90年代のアイドルのヒット曲を綴っていき、最後は『可愛いアンブレラ』
で締める。
 
今回の全国ツアーでは伴奏陣は全員アースカラーの服を着ていた。男性はアースカラーのワークシャツとオフホワイトのコットンパンツ、女性はアースカラーのブラウスとピンクのプリーツスカートであった。
 
もっとも女性は私とサックスの人だけであったが!
 
ゲストコーナーでは、この事務所で最年長の60代の女性歌手が2曲歌った。先月若手でトラブルが起きたので、思いっきり大御所に登場を願ったのである。さすがに歌唱力は落ちているが、魅せる歌い方がうまい。それで観客も結構聞き惚れていた感じであった。ヤジも無かった。
 
後半は『夏少女』に始まってラテンの名曲を歌っていった。そして『アンティル』
『恋のスピッカート』で幕が降りる。
 
そしてアンコールは『初恋の丘』、そして通常版の『黒潮』であった。
 

松原珠妃の公演が終わると、ゲストで出た大御所さんに挨拶した後、専務、珠妃、珠妃のマネージャーさんにも挨拶し、それから伴奏陣みんなと握手してから会場を出て、タクシーでドリームボーイズの公演会場に行く。
 
こちらではボディコン風のぴったりとした衣装を着せられた。
 
「沖縄だからビキニにしようよと言ったんだけど葛西さんに拒否された」
などと蔵田さんが言っていた。
 
振付を確認するが、その日のダンスチームで常連組は葛西さんと私以外には1人しかおらず、4人が沖縄での現地調達であった。それで私たちは開演前ぎりぎりまで振付練習をしていた。
 
松原珠妃がとても正確で上手い歌唱力で魅せるタイプの歌手であるのに対して、ドリームボーイズは、ノリが良くて、蔵田さんの歌も音程は正しくないものの巧い歌い手で、聴いてて楽しくなる演奏である。
 
音楽をやるのにも、色々な傾向があるんだなと私は思っていた。アスカみたいに、技術的な高さが前提にある演奏もあるし・・・
 

それでこちらの方のゲストは、こちらの事務所で売出中のアイドル歌手・麻生まゆりであった。そこそこ上手いが、まあ「アイドルにしては上手い」という程度である。
 
でも一所懸命歌っている様が好感されて、これまで見た宇都宮、横浜、埼玉、幕張などでも観客の声援をもらっていた。それで、今日もまゆりちゃんの頑張る姿が見られるかなと思っていたのだが・・・・
 
「まゆりちゃんはどこ?」
 
前半のステージを終えて、私たちが舞台袖に下がったのに、まゆりが出てこないのである。
 
「あれ?さっきまでそこに居たのに」
「あ、あの子、なんかお腹の調子が悪いとか言ってトイレに何度も行ってましたよ」
「じゃ、トイレに入ってるの!?」
 
「誰か呼んできて」
「私行ってくる」
と言って、葛西さんが走って行く。
 
「でもステージを空けておけない」
「どうする?」
「いったん、幕を下ろしてアナウンス入れる?」
そんな話を焦ってしていた時、蔵田さんが言った。
 
「洋子ちゃんさ、凄く歌うまいよね。久米島で松原珠妃と歌い合ってたの凄かった」
「はい、歌は自信あります」
と私は答える。
 
その答えに、前橋さんが「おぉ」という感じの顔をした。
 
「まゆりちゃんが来るまで、ステージに立って何か歌って、場を持たせてよ」
「了解、行ってきます!」
 

それで私は蔵田さんに敬礼すると、ステージにひとりで出て行った。
 
「こんにちは! 暑いですね! あんまり暑いので、ホテルの部屋に暖房入れて冷やそうかと思いました」
 
と私が言うと、なかなか出演者が出てこずに少しざわめいていた観客が爆笑する。
 
「私ちょっと暑さで頭がいかれてるかも知れませんけど、しばし私のつたない歌にお付き合いください」
 
と言うと、みんな拍手をくれる。
 
それで私はキーボードの所に行き、リセットしてピアノ音にし、それで伴奏しながら歌い出す。
 
「我は海の子、白浪の騒ぐ磯辺の松原に」
 
と私は文部省唱歌の『われは海の子』を弾きながら、ピアノで出している音の「2度上」で歌った。微妙に調子が外れた感じになる。
 
「あれ? 私もしかして変?」
 
と言うと、観客は爆笑して「変!」と言う。
 
「やはり、暑さでおかしくなってるみたい。だれか私の頭を冷やして」
 
と言ったら、舞台袖で笑い転げていた蔵田さんがコップを持って出てきて私の頭から水を掛けちゃった!
 
また客席が爆笑である。
 
「少し頭冷えた?」と蔵田さん。
「冷えたかも。ありがとうございます」
と言って、私は蔵田さんにハグしちゃう。
 
「えーーー!?」
と観客の反応。
 
「こら、やめろ。俺は女は嫌いだ!」
と言って蔵田さんは私を軽く殴る。大げさに倒れる。
 
「はい、もう一回やってみなさい」と蔵田さん。
「アイアイサー!」
と私は敬礼してキーボードを弾きながら歌う。
 
「我はうみの子、さすらいの旅にしあれば、しみじみと」
 
弾いているのは『われは海の子』だが、歌っている歌詞は『琵琶湖周航の歌』
である。
 
「こら、歌詞が間違ってる」と蔵田さん。
「あれ〜? 違いました?」
 
「お前、ちょっと治療が必要。俺が抱けるようにチンコくっつけて男にしちまおう。ちょっと来い」
と言って、蔵田さんは私の耳を引っ張って、袖に連れて行く。
私は「あ〜〜〜れ〜〜〜〜」と言いながら一緒に袖に下がった。
 
観客が大笑いしていた。そこに、私たちと入れ替わりに麻生まゆりが出てきて、
「こんにちは。****を歌います」
と言って、自分の持ち歌を歌うと、観客も乗って手拍子を打ってくれた。
 

「いや、助かった。なんか立派な芸だったね」
と言って、前橋さんが私に握手を求めた。
 
「蔵田さんに助けてもらいましたから。あ、すみません。着替えあります?」
「ああ、濡れちゃったからね」
 
「その衣装、予備があったはず。おいで」
と葛西さんが言って、楽屋に連れて行ってくれた。時間がないので私も彼女も走る。それで予備の衣装を出してもらい、さっと着替える。そしてまた走って舞台袖まで戻った。
 
まゆりが最後の歌を歌っている所だった。これが終わったらまた私たちの出番だ。
 
「でも2度上を歌うなんて凄いね。よほどの音感持ってないとできない」
とベースの大守さんが言った。
 
「だって麻生まゆりちゃんより上手に歌う訳にはいかないじゃないですか」
と私が言うと
「とっさにその問題を考えられるのは凄い」
と感心された。
 
「なるほど。君はまゆりちゃんより上手いという自負があるんだね?」
と前橋さん。
「当然です」
と私が答えると、前橋さんは笑って
「うん、君はきっと大物になる」
と言った。修辞ではなく、本気で言ってくれているのを感じた。
 
「しかし俺、自分のセクシャリティをカムアウトしちまった」
と蔵田さんが言うが
「心配しなくても、お前がホモだってのはファンは皆知ってるから」
などとキーボードの原埜さんに言われていた。
 
「蔵田さん、私の性別知ってますよね?」
と念のため訊いておく。
「知ってるけど、洋子は女だから俺の恋愛対象外」
と蔵田さんは言う。
 
他の人はこの会話の意味は分かっていないようであった。実はイメージビデオの撮影で、私を抱きしめるシーンの時、女を抱くのは嫌だと蔵田さんが言ったので、私の性別を明かしたらしいのだが「抱いてみたが女の感触だった」と後から文句を言っていたらしい。
 

ドリームボーイズの公演が終わったのはもう21時近くだったので、小学生の私は打ち上げはパスさせてもらってそのままホテルに帰った。さすがに今日は疲れたなと思ってベッドの上に寝転がり少し放心状態になっていたら部屋の電話が鳴る。取ってみた。
 
「やっほー。そろそろ帰ってる頃かと思って電話してみた。こっちに来ない?ひとりじゃ寂しいし」
と静花である。
 
「うん、行く」
静花の部屋はとっても広いスイートルームだった。
 
「すっごーい、広ーい」
 
「冬もそのうちデビューして売れたら、こういう部屋に泊まれるようになるよ」
「うん、頑張る」
 

「でも全国ツアーも半分まで来たね」
「いや、最初は体力持つかなと心配だったけど、今の所何とかなってる」
「頑張ってね。私は土日だけだけど」
 
「冬もデビューしたら超ハードスケジュールになるぞ。きっと。体力付けておけよ」
 
「・・・・昔、静花さん、歌手として売れる人の条件として体力があることって言ってたね」
 
「そんなこと言ったかな? でも体力は必要だよ。冬、中学に入ったら何か運動部に入って、身体を鍛えなよ。そもそも冬って体力が全然無いからさ。今のままだと、それで絶対潰れる」
 
「そうだなあ。マラソンでもするかなあ」
「ああ。歌手って、マラソンを走りきるくらいの体力を求められるよ」
 

「ところで、冬、ヴァイオリンが凄く進化してた。先週に比べて格段の進歩。何かあったの?」
 
「うん。ちょっとヴァイオリン得意の友達に偶然会って。ちょっと悪い所を直してもらった」
「それでか。何か別人だと思ったからさ」
 
「まあ、私は本業は歌だけど、楽器も頑張るよ」
「そうだね。特にピアノとかヴァイオリンとかは、上達すれば歌にもプラスになると思う」
 
「私がデビューできるの何歳頃か分からないけど、それまでたっぷり基礎的な力も鍛えるから、静花さんも頑張って」
「それは冬に心配されなくても頑張るから大丈夫」
 
その日、私たちは夜が更けるまで、色々なことを話した。静花は明日もまた公演があるから23時までには寝なくちゃと言っていたが、その時刻を過ぎて私が自分の部屋に帰ろうとしてもそれを引き留め、結局私はその日その部屋に一緒に寝ることになって、24時で明かりを消した後も、あれこれ話した。
 

翌日。朝から若葉とアスカを呼び出した。若葉はアスカのことを知っていた。
 
「***コンクールとか、***コンテストとかで優勝なさいましたよね?」
「うん」
「頑張ってください。多分蘭若さん、世界でもトップクラスのヴァイオリニストになると思うから」
 
「私もさ、歌の道で頑張るか、ヴァイオリンで頑張るか、かなり悩んだんだけどね。やはりヴァイオリンの方かな、と最近思い始めている」
 
「まあ、そういう訳で一緒に海に行きましょう」
「よし、そして冬のビキニ姿の鑑賞だな」
「ええ、私も楽しみです」
 
などとふたりで話している。
 

有名ホテルのプライベートビーチに入る。
 
ロッカールームの前まで来て、とりあえずお約束で私が男子用の方に入ろうとしたら「こら、痴漢行為はいかん」と言われて、ふたりに手を取られて女子用ロッカールームに連れ込まれる。
 
「だいたいこのキーはこちらの部屋のロッカーにしか合わん」
とアスカ。
「学校のプールでは女子更衣室を使っているのに、なにを今更」
と若葉。
 
「そんな悪い子は罰として去勢だな」
とアスカは言ってから
「まだ付いているとしたら」
と付け加える。
 
「もう付いてないと私は思うんですけどね」
と若葉。
「ふむふむ」
 
ビキニの水着はホテルを出る時に着込んできていたので、そのまま服を脱いでしまう。
「うーん・・・・」
とアスカは手を組んで笑っている。
 
「ふつうに女の子の水着姿にしか見えん」とアスカ。
「胸もAカップくらいありますね」と若葉。
「ちょっと上げ底するね」
と言って、私はバナナ型の水着用パッドをカップの中に入れた。
 
「ああ、下から押し上げるのか」とアスカ。
「うん。これならビキニのブラでも外に響かないから」
「凄い。Cカップ近い胸があるように見える」と若葉。
 
「ってか、押し上げられる程度の胸はあるということだな?」とアスカ。
「ふだん学校のプールに来てる時はワンピース水着だから、胸もほとんど無いみたいに見えるんですけどね」
「全然胸無いとビキニは着られないから」と私。
 
「つまりビキニ着られる程度の胸はある、と」とアスカ。
「下も付いてないようにしか見えませんね」と若葉。
 
「私は去年の秋に一緒にお風呂に入っているのだが、付いていたらいくら何でも気づいたと思うんだよなあ」
「じゃ、やはりもう無いんですよ」
 
「まあ、そのあたりは曖昧なところで勘弁して」
と私は言っておく。
 

3人ともビキニでビーチに出るが、沖縄の夏の日差しは超絶強力である。3人とも最強の日焼け止めをしっかり塗った。いつでも着られるようにラッシュガードも持っていく。
 
「とりあえず海に入らなければ、ここまで来たのがもったいない」
と言って、3人で海に入り、水の掛け合い、そしてビーチボールなどもした。ふだん超然としているアスカも、この場では無邪気な女の子に戻っている。
 
「しかし、この海の色が魅力的だ」
と一休みしてアスカが言う。3人ともラッシュガードにバスタオルで日差しを防御している。
 
「凄くきれいなビーチ」
「それを維持するために、物凄い努力をしているんだろうな」
 
「冬がそのソプラノボイスを維持するために物凄い努力しているみたいにかな。たぶん、自分の身体の一部を犠牲にしてまで」
 
「アスカさんがそのヴァイオリン技術を維持し、向上させるために人生の他の全てを犠牲にしてまで日々努力しているのにはかなわない」
 
「・・・ふたりとも凄いなあ」
 
「さて私はもう一泳ぎしてこよう」
と言ってアスカはラッシュガードを付けたまま海に行く。この日差しではもう脱ぎたくない。午前中だから良いが、午後はとてもビキニにはなれない、と私たちは話し合っていた。
 

アスカが泳いでいるのを見ながら若葉が言った。
 
「松原珠妃のライブもドリームボーイズのライブも見たけど、冬うまいね」
「私は裏方だけどね」
 
「今はね。でも多分4−5年後はステージの前に立って歌うか演奏してる。きっと。今日聴いてた冬のヴァイオリン、技術的には初級者レベルだけど、センスが凄くいいと思った」
 
「ありがとう」
「ダンスも凄くうまい。中学になったら体育って男女別になるみたいだけど冬、女子の方に参加しなよ。ダンスたくさん踊れるよ」
 
「参加したいけど、男の方に放り込まれるだろうな」
「性転換済みだってことカムアウトすればいいよ」
「性転換・・・したいけど、まだしてない。これ本当」
 
私たちはしばらく無言で海を見ていた。
 
「冬ってさ。なんか色々な生活を持ってるよね。学校では私と毎日ジョギングしてて、あと合唱サークルやってて。でも学校ではみんな冬のこと、女の子みたいな男の子と思ってる。実際は女の子そのものと言った方がいいくらいなのに、そこまで冬が女の子だってことを多くの子は知らない。有咲ちゃんは薄々感じてる気もするけど。あと、冬がピアノ弾くのはみんな知ってるけど、ヴァイオリンとか三味線を弾くのは知らないよね」
 
「そうだね」
 
「松原珠妃さんのバックバンドでヴァイオリン弾いたり、ドリームボーイズのバックダンサーしたり。こんなのもみんな知らない」
「うん」
「多分、私も知らない部分があるんだろうな」
 
若葉は海を見たままだ。私も無言でエメラルドグリーンの海を見ていた。
 
「だから多分、冬の全てを知っている子って誰もいない」
「そうかもね」
「みんな冬の一部しか知らないから、冬について持っているイメージって、きっとみんな違う」
「うん」
 
「でもそういう生活していたら、どこかで辻褄が合わなくなるよ」
「それは時々思う」
「そんな時さ、辻褄合わせに私を使っていいよ。私コネ多いし」
 

「・・・若葉って、色々裏工作するのが好きみたい」
「私ねぇ、スパイになりたいって思ってた。小さい頃」
「ああ、そういう才能あるかも」
 
「ただ、私、男の人とセックスするのダメだから」
 
若葉が「セックス」なんて言葉を簡単に発するので私はドキッとした。
 
「女がスパイやるなら、どんな男とでもセックスする覚悟必要だからね」
「私、セックスってよく分からない」
「だいたいは分かるでしょ?」
「うん」
 
「私ね。幼稚園の時に、男の人に無理矢理セックスされちゃったことあるの」
「え!?」
 
「それが凄く怖かったし痛かったから、私、それ以来、男の子とまともに話ができないし、男の子との恋愛とかも想像しただけで怖くなっちゃうんだよね」
「そう・・・」
 
私たちは、しばらく無言だった。その内、私の「空気の変化」を感じたようで若葉が訊いた。
「ん?どうしたの?」
 
「いやごめん。私は自分がセックスするのって、男の人とするんだろうか?女の人とするんだろうか?と思って」
と私は自問するかのように言った。
 
「冬は男の人とするんだと思うよ」
と言って若葉は微笑んだ。
 
「私が男の人とセックスできるんなら、若葉もきっとその内、とっても優しい男の人とセックスできる気がするよ」
 
「そうだね・・・・そういう日も来るかもね・・・」
若葉はまた海を見ていた。
 
「私、冬とならセックスできるかも知れない。冬って女の子だから」
と言って若葉は私をのぞき込むようにした。
 
「・・・・私、たぶん女の子と裸で抱き合っても、おちんちん大きくならない気がする」
 
「冬にもしまだおちんちんがあっても、私には多分大きなクリちゃんにしか見えない気がする。だから私も多分冬とセックスできる。女の子同士として」
 
「・・・・女の子同士でもセックスってできるの?」
「女の子同士はまたやり方があるんだよ」
「へー!」
 
「何なら今から試してみる? ホテルに帰って。もう1泊してもいいし」
「・・・・小学生がセックスしちゃいけないと思う」
 
若葉は吹き出した。
 
「そういう反応が冬らしいなあ。だから私、冬のこと好き。じゃ、高校生くらいになったら、一度セックスしない? もちろん女の子同士のセックス」
 
「・・・そうだね。でもそういうことは高校生になってから考えようよ」
と私は答えた。
 
「ほんとに冬って優しいなあ。じゃ取り敢えず仮予約」
と言って、若葉は私の頬にキスした。
 
「あ・・・・」
 
日差しは益々熱くなりつつあった。そろそろ引き上げた方が良さそうだ。あるいはこのリゾートホテルのプールに移るか。アスカがこちらに戻ってくる。今キスしたのを見られたかな? 何て言い訳しようか、などと私は考えていた。
 
 
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【夏の日の想い出・ビキニの夏】(2)