【夏の日の想い出・ビキニの夏】(1)

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2003年4月23日(水)。私の歌の「元先生」である静花(松原珠妃)が、サファイヤ田中作詞・木ノ下大吉作曲の『黒潮』で★★レコードからCDデビューした。この時点で静花は15歳の高校1年生であったが、その歌唱力が当時の歌謡界に衝撃を与え「15歳にして既に完成した大器」などとも呼ばれた。
 
この曲は黒潮に乗った小舟で、毎日隣の島に住む恋人に会いに行く少女を歌った、ロッカバラードの曲で、作曲者の木ノ下大吉先生自身がピアノを弾き、ヴァイオリンとサックスをフィーチャーした、もの悲しいメロディーが哀愁を好む日本人の心を捉えたという感じであった。
 
(この影響で珠妃のバックバンドには以後ヴァイオリンとサックスは不可欠になる。七星さんはこのバックバンドの2代目のサックス奏者である)
 
当初ラジオなどで公開された音源では最後が悲劇的な結末(少女の小舟が嵐で沈んでしまう)になっていたのだが、これに対して凄まじく大量の「助命嘆願」
が押し寄せ「ナノちゃんが死ぬのなら私も死にます」などといった見過ごせない手紙も多数あったことから、制作側で急遽結末をハッピーエンドに書き換えて(波間に浮かんでいたナノを彼氏の船が助けるという歌詞を最後に書き加えた)録音をやり直すなどという、最初からいわく付きの曲となった。
 
最初にそんな騒動もあったおかげで、この曲は発売されてすぐにぐんぐんセールスを上げ、連休中に売上枚数が100万枚を突破。静花はいきなりミリオン歌手となった。
 

この曲が発売された直後、私は静花のプロダクションの兼岩社長から電話を受けた。
 
「おはようございます。お世話になります」
と私が答えると
 
「おお、ちゃんとご挨拶できるわね。感心、感心」
といつものように女言葉で言われる。
 
「あなた、ちょっと写真とかビデオとか撮るの、津田さんとことの契約には違反しない?」
 
「えっと特に反しないとは思いますけど(そもそも契約なんて無いけど)、念のため話しておきますが・・・って何か写真を撮るんですか?」
 
「いや、珠妃ちゃんのCDが無茶苦茶売れてるからね、イメージビデオとイメージ写真集を作ろうという話が急遽出てきたのよ」
「へー」
 
社長は言った。
「でも『黒潮』のナノちゃんって、12歳という設定だから、珠妃ちゃんでは年齢が合わないのよね。そのくらいの年のモデルさんとかを使おうかとも思ったんだけど、どうせなら珠妃ちゃんの妹さんとかが出てくれるといいと思ったのよ」
 
「えっと、珠妃にはお姉さんはいますけど妹はいませんが」
「そうそう、そうなのよ。それで、冬子ちゃんって、珠妃ちゃんの妹分なんでしょ?」
「ああ、そんなものです」
「だから、あなたが映像に出てくれない?」
「えー!?」
 
「冬子ちゃん、珠妃ちゃんと持ってる空気というかオーラというかが似てるのよね〜。実際の映像は海岸に立っている珠妃ちゃんが昔を回想するかのような顔をしていて、そこに小舟に乗ってる冬子ちゃんの映像を重ねるというの考えてるの」
「なるほど」
 
「どうかな?」
「えっと撮影はどちらで?」
「果ての浜」
「・・・なんか凄い名前ですね」
「よかったら御両親に話して許可取ってくれない?」
「珠妃も行くんですか?」
「うん。相手役の男の人も一緒にね。その人と冬子ちゃん、抱き合うシーンがあるんだけど構わない?」
 
「・・・ベッドの中じゃないですよね?」
「うちはそういう事務所じゃないわよぉ。船の上で、彼氏がナノちゃんを助けた後、抱きしめるの。着衣だよ」
 
「なるほど。その相手役の人って、モデルさんか何かですか?」
 
「歌詞のイメージでは25歳くらいなんだよね。それでロック歌手の百道良輔にお願いするつもりだったんだけどね。29歳だけど見た目若いから。でも珠妃があの人、女の子に手が早いから嫌だと言うので調べてみたら確かに過去に女性アイドルを妊娠させて引退させる羽目になったこともあったみたい。あ、これ人には言わないでよね」
「はい」
 
「それでレコード会社から推薦してもらった、ドリームボーイズというバンドのリーダーで蔵田孝治という子。28歳」
「へー」
「それにこの子ホモだって噂もあるみたいだから、女の子には安全かなと思って」
「あはは・・・」
 
ホモって・・・私、大丈夫かしら? と少し心配になった。とりあえず母に相談したら、静花のお仕事の手伝いなら、行ってあげなさいということだった。また津田先生にも電話してみたが、あの事務所の仕事なら危ないことはないから大丈夫などと言っていたので、こちらから社長に電話して、母と直接話してもらい、私は5月1-2日、学校を休んで「果ての浜」に行くことになった。
 

しかし「果ての浜」という名前に違わず、到達するのは、なかなか大変だった。
 
羽田からまず沖縄の那覇空港まで飛ぶ。それから那覇から久米島までの飛行機に乗り継ぐ。そして久米島から船で「果ての浜」まで行く。
 
久米島は黒潮の流れの中に浮かぶ島である。この久米島の東側に3つの小さな島があり、近い方から前の浜、中の浜、果ての浜という。3つとも砂浜だけの島である。撮影はこのいちばん遠い果ての浜で行われた。朝6時に羽田を出たのだが、果ての浜に到着したのはもうお昼である。軽食を取ってから撮影することになった。
 
しかしエメラルドグリーンの、ホントにきれいな海だった。この世のものとは思えない世界で、生と死の境にでも来た気分だった。
 
それで私は用意されたビキニを身につけたのだが・・・・・
 
「そうしてると、ホント、女の子の水着姿にしか見えないね」
などと静花から言われる。
 
「でも私、おっぱいが無いけど、いいのかなあ」
「12歳の設定だもん。そんなものでいいと思うけど」
と静花は言ったのだが、社長からダメだしされる。
 
「冬子ちゃん、おっぱい小さーい」
「すみませーん」
 
「あれの道具ある?」
と社長がスタッフの女性に言う。
 
「大丈夫です。どのくらいのサイズにしますか?」
「Fカップくらい」
「12歳のFカップはあり得ません」
「しょうがないなあ。じゃBカップくらいに」
「了解。冬子ちゃん、おいで」
 
と言われてその女性に伴われてテントの中に入る。
 
「上げ底しちゃおうね」
と言われてバストの下に結構大きなシリコンのパッドを入れられる。ぐいっと下からお肉が持ち上げられる感じだ。それから透明なビニールテープを使って脇のお肉をぎゅーっと中央に寄せられた。
 
「どう?」
と言われて鏡の中を見ると、何だかおっぱいがすごーくあるみたいに見える。
 
「これ何だか凄い! 友達に見せたいくらい」
「うふふ。このシリコンパッドは冬子ちゃんにあげるから、自分でも大きく見えるようにする方法研究してごらんよ」
「はい!」
 
ただこの「寄せて上げたおっぱい」は15分くらいしか持たないのが欠点だった。
 
「あ、崩れてきたね」
と言われて撮影をたびたび中断しては「寄せ直し」をした。
 
「冬子、次からは面倒がないように、豊胸手術しておいで」
などと静花から言われた。
 
「豊胸、個人的にはしたいけど、たぶんお母ちゃんからダメと言われる」
と私が言うと
「さすがに小学生に豊胸手術は無茶だよ」
と静花のマネージャーの青嶋さんも笑っていた。
 

私が小舟に乗り込むシーン、小舟に揺られているシーン、小舟から降りて海から浜へと歩いてくるシーン、それから溺れてるシーン(実はほんとに溺れていた)、彼氏(蔵田さん)に助けられるシーン、彼氏と抱き合うシーンなどを撮影した。
 
一方で静花の方も、浴衣やワンピースなどを着て浜辺に立つシーン、彼女自身も私と同じデザインのビキニを付けて浜辺に立ったり小舟に乗るシーンを撮影していた。
 
夕方まで掛けて撮影を行ったが「午前中の光の中でも撮影したいから明日また撮ります」と言われ、その日は久米島に引き上げて、島内の旅館に泊まった。
 

夕食後も久米島の浜辺を使って夜景の撮影をして21時頃解放された。その解放された後、静花から
「歌の対決行くぞ」
と誘われて、再度浜辺に出た。そして、ふたりで歌を歌いまくった。
 
「くっそー。3月から必死に練習して水を空けたつもりがむしろ差が縮んでる」
「でも元の距離が大きいもん。100km差があったのをやっと97kmにした感じ」
「私は200kmの差にしてやるつもりだったのにな」
 
などと言っていたら
 
「お嬢さんたち凄いね」
と声が掛かる。蔵田さんだった。
 
「お疲れ様ですー」
と私たちも声を掛ける。
 

「珠妃ちゃんもピコちゃんもホントに歌がうまいなあ。姉妹なんだっけ?」
と蔵田さん。
 
ピコというのは今回の仕事で暫定的に私に付けられた芸名である。『黒潮』のヒロインが「ナノ(那乃)」なので、単位のナノ(10の-9乗)からピコ(10の-12乗)を連想して付けられた。
 
「いえ、ライバルです」と静花。
「へー。なんか少し前から居たんだけどさ、声掛けにくいほど気合入ってた」
 
と言って蔵田さんは私たちのそばに来て座ったのだが・・・・・
 
それから私たちは3時間近く蔵田さんの「ハードロックとメタルの違いについて」
の話に付き合うことになってしまった!!
 
なんか話の腰を折ることができなかった。こちらが何か話を挟もうとしても
「そうそう。でもそれよりね」
などと言って自分の話を続ける。
 
静花が部屋に居ないのに気づいた青嶋さんが0時頃に探しに来るまで蔵田さんの話は続いたのである!
 
「いや凄かったねー」
「でも面白い話だった」
「うんうん。私ハードロック好きになったかも」
「でも疲れた!」
「全く!」
などと言って、私と静花は笑った。
 

翌日は朝から撮影が始まり、結局午後遅い時間になるまで撮影は続いた。この時期は大潮で時刻とともに海の景観が極端に変わるので、同じシチュエーションを何度も撮影し、後でどの時間帯に撮ったものが良いか検討すると言っていた。
 
それで私はその間ずっとビキニを付けていたのだが・・・・
 
撮影が終わってからシャワーを浴びていたら静花に言われた。
 
「冬、ビキニの跡がくっきり日焼けしてる」
「うん」
 
一応日差しが強いので日焼け止めは塗っていたものの、それでもかなり焼けていた。静花はほとんどの時間テントの中に居て、帽子も強烈なのをかぶっていたので、そんなに日焼けはしていない。
 
「その跡を付けては男子水着にはなれないし男湯にも入れないね」
「私、男子水着は着ないし、男湯にも入らないから」
「・・・体育の水泳の授業は?」
「見学」
「なるほど。ところで、あんた、それ下はどうなってんの? ここだけの話」
「えへへ、内緒」
 
「いや付いてるようには見えないからさ。実際3月にはお風呂にも入ったしね。まさか手術して取っちゃったりしてないよなと思って」
 
「・・・手術はしてない。でも静花さん、胸大きい」
「まあ、とりあえず胸のサイズではまだ負けられないな」
「これCカップ?」
と言って私が静花の胸に触ると
 
「ちょっ・・・触っちゃうの?」
と言われる。
 
「あ、ごめーん。普段友達とは触りっこしてるもんだから」
「・・・女の子の友達と?」
「うん」
「私ちょっとクラクラとした」
「そう?」
「まあいいや。私の胸には触ってもいいことにするわ、とりあえず」
「ありがと」
 
「・・・・・考えてみたらさ」
「うん」
「冬って、私にとっては何の遠慮も無く話が出来る貴重な友達という気もしてきたよ」
「でも学校でも友達できたでしょ?」
「私、4月はほとんど学校行ってない」
 
「行かなくてもいいもの?」
「まあ全然行ってないと出席日数不足で退学処分だろうね」
「それ、やばいのでは」
「私、そもそも高校行く気無かったし」
「でも、お父さんから叱られない?」
 
「そうだなぁ。どうしようか。。。。。冬さ」
「うん」
「おっぱい大きくしてること、親に言ってるの?」
「まさか。そんなこと知られたら、ぶん殴られる」
「だろうね」
 

2日で撮影は終わり、私はその日の夜の便で東京に戻ったのだが、静花はそのまま那覇に留まり、翌日から11日の日曜まで全国キャンペーンだと言っていた。つまり今週一週間、学校は休むことになる。静花はおそらく遠くない時期に退学になってしまいそうな気がした。でもそれがきっと彼女の選んだ「後戻りできない道」なのだろう。
 

東京に戻った翌日3日。私は奈緒と有咲を誘って新宿に出た。少しお店など見て散歩したあとマクドナルドに入る。「今日は私のおごり」と言ってハンバーガーセットをおごった。
 
「冬、凄い日焼けしてるね」
「ああ。ちょっと用事があって沖縄に行ってきたんだよ」
「それで1日と2日休んだんだ?」
「うん」
「沖縄といっても、その焼けようはまるでずっと直射日光に当たってた感じ」
「そうなんだよ。日焼け止めは塗ってたけど、焼け石に水って感じだった」
 
「屋外にずっといたんだ? サトウキビの収穫でもしてたの?」
「それやったら私すぐ倒れそう。水着を着てずっと浜辺にいた」
「何かのお仕事?」
「うん。モデルさんみたいな仕事」
「ほほぉ」
「あ、それでギャラをもらったんで、おごってくれたのね」
「そうそう」
「なるほどー。さんきゅー」
 
と言ってから奈緒はちょっとだけ考える仕草をした。
 
「ここで質問です」
「うん」
「冬は男の子水着を着たのかなあ、女の子水着を着たのかなあ」
「ボクが男の子水着を着る訳ないじゃん」
「つまり女の子水着を着て撮影とかしたんだ!?」
「えへへ」
 

そんな話をしていた時、声を掛けて来た男性がいた。
 
「あれ〜、ピコちゃんだ」
と言って、蔵田さんは無遠慮に私たちのテーブルに座り、ちょうど近くを通ったクルーに「ビッグマックのLLセット2個」などとオーダーして2000円渡す。本当は席でのオーダーは受け付けてないはずだが、クルーさんも虚を突かれた感じで「あ、はい」と言ってしまった。
 
「あの、もしかしてドリームボーイズの蔵田さんですか?」
と有咲。
「うん」
「きゃー、ファンなんです。サイン頂けますか?」
「いいよ」
 
それで有咲はちょうど買ったばかりだったスケッチブックにサインをもらって嬉しそうにしていた。
 
「冬、蔵田さんと知り合いなの?」
「昨日、沖縄で一緒にお仕事したから」
「えーーー!?」
 
「役得で、ピコちゃん抱きしめちゃったよ」
と蔵田さんが言うと
「うらやましいー。私も抱きしめられたい!」
などと有咲が言う。
 
すると
「いいよ」
などと言って、蔵田さんは有咲をハグしてくれた。本当は女の子を抱きしめるのは嫌だと言っていたが、ファンサービスだろう。
 
「感激〜。死んでもいい」
などと有咲は本当に嬉しそうだった。
 

しかし・・・・・それから蔵田さんは私たちの前で2時間ほど「モー娘。宝塚論」
をしゃべり続けた!
 
オーダーしたビッグマックセットを2セット、ぺろりと食べてしまい、更にもう1セット食べてしまった。私も奈緒・有咲も後で「男の人の食欲って凄いねー」などと言ったのであるが。
 
その蔵田さんの延々と続きそうなおしゃべりが中断したのは、そこにドリームボーイズのベースの大守さんが来たからであった。
 
「おお、やはりここにいた」
 
どうもこのマクドナルドは蔵田さんのお気に入りの店で、ここにいるのではないかと探しに来たもようであった。
 
「収録始めるのにコージ来ないからさ。みんな待ってるぞ」
「あ、ごめん、ごめん」
と言ってから
「あ、君たち、僕らのミュージックビデオの撮影とか見る?」
などと私たちに訊く。
 
すると有咲が
「行きます!」
と大きな声で言った。それで私たちはぞろぞろと付いて、スタジオに行った。
 

スタジオに行くと、ドリームボーイズのメンバーが全員集結しているので有咲が物凄く興奮していた。奈緒はスタジオの機材とかが物珍しいようでキョロキョロしていた。
 
「あれ? バックで踊る女の子が足りないんじゃない?」
「あ、それそれ。7人用意する予定だったんだけど、どうしても5人しか調達できなかったんだよ」
 
「それは困るな。『虹の向こうで味噌カツ』という曲のタイトルに合わせて虹色の衣装の女の子7人で踊ってもらうつもりだったのに」
 
なんつータイトルだ?
 
「国によっては虹は5色という国もあるよ」
「日本じゃ7色だ」
 
そんなことを言っていた時、蔵田さんはふと私たちの方に目をやった。
 
「ね、君たちダンス得意?」
「へ?」
 
「私ダメです。私が踊るくらいなら、ドジョウに踊らせた方がいいかも」
などと奈緒は言っている。
 
「じゃ、僕のファンの子と、ピコちゃんは?」
「この子、バレエの経験者です」と有咲は私の方に手をやって言う。
 
「おお、それは頼もしい。君は?」
「郵便ポストよりは上手いかも」
「ああ、それで充分」
 
それで私と有咲は準備運動をしてからダンスの人たちに加わることになった。先に来ていたダンサーの人たちもリーダーで葛西さんという人以外は中学生という感じだったので、小学6年生の私たちが入ってもそんなに違和感は無い。
 
踊り方を高校生かなという感じの葛西さんが説明する。
 
「・・・と、これをずっと繰り返すんだけどね」
 
「こんな感じですか?」
と言って、私は今葛西さんが踊ってくれたのを真似て踊ってみる。
 
「すごーい。あんた才能あるね!1発で覚えちゃうなんて」
「私は冬を見ながら踊ろうかな」と有咲。
 
それで少し練習してみた。実は葛西さん以外の人たちも今初めてこの振り付けをやるようであった。最初は全然揃わないものの、30分も踊っているうちに、何とかという感じになった。
 
「ダンス組の方、まとまってきた感じだね?」
と大守さん。
 
「はい。あと30分も練習したら完成です」
「よろしくー。こちらの演奏もあと30分くらいの練習で何とかなりそう」
 

ということで30分後、本番衣装に着替えてミュージックビデオ撮影に臨む。
 
葛西さんが赤で左端に立ち、それから橙・黄・緑・青・藍・菫と虹の七色の衣装を着る。結局私が完璧に葛西さんの踊りをコピーできたので真ん中に入ってくれと言われ、私は緑色の衣装を着た。有咲は一番右で菫色の衣装である。
 
衣装を着けた時、私の胸が結構あるので有咲から
「冬、豊胸したの?」
などと突っ込みが入る。
「あげ底〜」
「へー。まるで谷間があるみたい」
「えへへ」
 
ドリームボーイズのメンバーがスタジオのセンターフロアに並び『虹の向こうで味噌カツ』を演奏し、その後ろで私たちダンサーが踊る。増田さんの軽快なドラムスに合わせ滝口さんのギターと大守さんのベースが音を奏で、原埜さんのキーボードが彩りのある和音を補強する。野村さんのサックスがムードを高める。そして蔵田さんが歌う。
 
タイトルは酷いが、中身はまともで、軽いロックのリズムに乗せて歌う明るいラブソングであった。30分ほど掛けて5テイク撮影した。実際にはよくできた部分をつなぎ合わせて1本のビデオにまとめると言っていた。
 
「君たち、ありがとう」
と言って私と有咲は現金でギャラをもらった。封筒の中身を見たら1万円も入っていたので、私も有咲も「きゃー」と喜んだ。
 
「おお、なんかたくさんもらったね。ステーキ食べ放題に行こうよ」
と奈緒が言ったが
「とりあえず今日はそろそろ帰らないと叱られる」
と有咲。
 
「よし、じゃ明日」
「いいよ」
と私は笑って答えた。
 

「ねえねえ、ピコちゃん。君、ほんとにダンス上手いね。また時々頼める?」
と私は蔵田さんに言われた。
 
「そうですね。時間さえ合えば」
 
「君のスケジュールはどこに問い合わせればいいんだろ? ζζプロ?」
「あ、えっと津田アキ民謡教室の方がいいかな」
と言って、私は教室の電話番号をメモに書いて渡した。
「柊洋子の名前で問い合わせてください」
と言ってその名前も書いておく。
 
「了解〜。君、民謡歌手の卵?」
「民謡は習ってるけど、どちらかというとポップス歌手指向です」
「ああ。あそこならその気になれば○○プロからデビューできるだろうしね」
 
と蔵田さんは言ったが、私はそのあたりの構造はよく分かっていなかったし、○○プロという名前もその時聞いたまま忘れてしまっていた。
 
でもそういう訳で、それ以降私はしばしばビデオ撮影やライブなどでドリームボーイズのバックダンサーを務めることになるのである。
 

5月18日、私は津田先生の民謡教室の関係で、神奈川県のY市まで出かけて行った。この時期、私の三味線も練習し始めてから約1年が経過し、かなりの腕になっていたので津田アキ先生が歌うのの伴奏を務めるためであった。
 
市の音楽イベントで10組ほどのアーティストが出演する。現地に行ってからプログラムを見て「おぉ!」と思った。出演者の中に松原珠妃の名前があったのである。出番は私たちのひとつ前だ。
 
日曜なので恐らく他のイベントもこなして、直前に来るのではないかと思ったら案の定であった。出演予定時刻の1時間ほど前にやってきた。私が手を振ると、最初私のことが分からなかったようであった。
 
「あんた冬〜?」
「おはようございます、松原さん」
「・・・おはよう。振袖着て、演歌でも歌うの?」
「私、今日は三味線で伴奏。うちの先生が歌うから」
 
「あんたの先生って・・・・」
と言って、静花はプログラムを確認した。
 
「私のひとつ後か・・・・」
「ごめーん。私の方が後で」
「まあ、あんたの『先生』だしね。冬自身が私の後だったら、ここで首くくって死ぬわ」
と言って静花は笑っている。
 
「でも頑張ってね」
「冬もね。でも冬って振袖似合うなあ」
「頻繁に着てるから。でもまだ自分で着られないんだよ」
「ああ。振袖は和服の中でも特に難しいもん。そもそも着るのに時間が掛かる。私も何度か着たけど、大変だよね」
 
「ほんとほんと。手慣れた人に着せてもらってるし、これ結構略式の着方だから15分くらいで着ちゃうけど、丁寧な着せ方すると30分掛かるよね」
「トイレが近い子には着られない服だと思った」
「同感、同感」
 
今日の静花の衣装は海をイメージしたのか青いマリンルックである。髪のブーケが可愛い。白いスカーフも清楚な感じで素敵だ。
 

「ところで、あんたの先生は?」
「そろそろ来ると思うんだけどなあ」
「あんたの先生って、男性の楽屋を使うんだっけ?」
「まさか。女性の楽屋だよ」
 
「身体は完全に女なの?」
「そそ。5年前に性転換手術を受けてるから」
「へー。でも奥さんいるんだよね?」
 
「よく分からないけど、レビスアンとかいうのかな?」
「レスビアンでは?」
「あれ? 私今何て言った?」
「私には再現不能だ」
「まいっか」
 
そんなことを言っているうちに珠妃の時間が迫ってくるのでメイクを直してから楽屋から出て舞台袖まで行く。私も付いていく。珠妃の伴奏者の人たちがいる。何となく会釈すると彼らも会釈してくれた。
 
珠妃の前に演奏しているのは何だかロックバンドのようであったが、私には騒音にしか聞こえなかった。およそ調和するような音はなく、各楽器の音はバラバラ。不協和音にさえなっていない。
 
私は三味線のケースをそばに置いて珠妃とおしゃべりしていたのだが、ギターの人が「あ、調弦確認しておかなくちゃ」と言って・・・・私のその三味線ケースを手にとって開けようとして「あれ?」などと言っている。
 
「それ、私の三味線ですが」
「あ、ごめんごめん。自分のギターは・・・こっちだ」
「なんかサイズが似てますね」
「同じくらいのサイズだね」
「三味線ケースにエレキギター入ったりして」
「その逆も行けたりして」
 
などと会話を交わしたが、私は「ん?」と何かを思いつきそうな気がした。
 
その時、ステージの方で「破壊するぞ!」という声が聞こえた。何するんだろうと思いそちらを見ると、メンバーのひとりが松明(たいまつ)を取り出し、それに火を点けた。
 
「ちょっと、困ります! ステージ上で火を使わないでください!」
と舞台袖にいた係の人が叫ぶが演者は無視である。そしてギターを弾いて?いた人が自分のギターをその松明の上に晒し、火を点けてしまう。私はムッとした。楽器を粗末に扱う人は嫌いだ! その私の表情に気づいたのか、静花が私の手を握ってくれた。
 
「ありがとう」
「あんな馬鹿な奴らにいちいち怒ってたら感情の無駄遣い」
と静花が小さな声で言う。
「そうだね」
 
係の人は「やめてくださーい!」と叫んでいるが、ステージ上の人たちは更に無軌道ぶりを発揮する。ベースの人が自分が持ってたベースでギターの人を殴る! ベースが壊れる。そして殴られてフラフラしていたギターの人を掴むとドラムスのセットに向けて、投げた! ドラムスセットが派手な音を立てて壊れる。更にドラムスにアルコール?か何か掛けて松明の火を移しちゃう!この人たち、いったい何がしたいの?
 
とうとう係の人がステージ上に飛び出して行く。
 
「ただちに演奏を中止してください。すぐ退場してください!」
と言うが、その係の人を、ベースの人は殴り倒しちゃった!
 
「これ・・・・警察呼んだ方がいいのでは?」
「消防署が先かも」
と私と静花は呆れ果てて会話する。
 
そして更にキーボードの人が花火を取り出して、松明にかざし火を点けた!ロケット花火のようで、客席に飛んでいく。
 
「危ない!」
と思わず私たちは叫んだ。
 
会場の人が数人ステージ上に走り込み、彼らを取り押さえようとする。もうここまできたら、もうこいつらは「演奏者」ではない。ただの暴漢だ。私と静花は眉をひそめていた。
 
しかし彼らはどんどんロケット花火に火を点ける。客席で悲鳴があがる。そして・・・・
 
ロケット花火の内の1発がこちらに飛んできた。
「あっ」
と思った時、静花のバックバンドの人が腕を押さえて座り込んだ。
 
「三谷君!」
「大丈夫?」
 
「大丈夫。平気」
と言ったものの、その人は真っ青な顔をしている。
 
「見せて」
と言って、静花のマネージャー青嶋さんが彼の腕を見る。
 
「これ、病院に行かなきゃダメ」
 
花火の直撃で怪我をしたようで、ボトボトと血が落ちている。どうも動脈を切った感じである。静花が自分のスカーフを取って動脈を圧迫するようにして巻き付けて縛った。
 
「青嶋さん、すぐ病院に連れて行ってあげて。雑菌が入って化膿したらヤバい」
と静花が言う。
 
「うん。井瀬さん、後をお願い」と青嶋さん。
「分かった」と井瀬さん。
 
それで青嶋さんは後事をギターの井瀬さんに託し、三谷さんを連れて病院へと急行した。ステージ上では多数の会場のスタッフがようやく危険行為をしていたバンドメンバーたちを取り押さえ、火も消しとめた。
 
「これ、もうイベント中止かなあ」
「かもねぇ」
 
などと私たちは言っていたのだが、騒然とした雰囲気がやっと収まった所で会場の責任者っぽい人たちが私たちの所に来て訊いた。
 
「大変お騒がせしました。ステージの清掃も終えました。幸い、観客には怪我人はいなかったようです。次行けますか?」
と責任者さんは訊いた。
 
私と静花は顔を見合わせた。
 
「えっと、うちのバックバンドのメンバーが花火で怪我したのですが」
と静花。
 
「それは大変だ! 怪我の様子は?」
「今、病院に連れて行ってます」
「分かりました。治療費などはこちらが負担しますので」
と言って、名刺をくれる。Y市民文化センター・センター長という肩書きだ。静花も「歌手・松原珠妃」の名刺を渡した。
 
「それで・・・演奏は?」
「ヴァイオリン奏者が怪我してしまったので」
とギターの井瀬さん。
 
「では演奏はキャンセルしますか?」
それに対して、静花はキッとした顔をして言った。
「演奏します」
 
井瀬さんが驚いて言う。
「でもこの曲、ヴァイオリンのパートは省略できないよ」
 
静花は私に向かって言った。
「冬、ヴァイオリン弾いて。弾けるよね?」
「うん」
 
それで、私は怪我した三谷さんが持っていたヴァイオリンケースを開け、楽器を取り出して急いで調弦する。
「OK」
 
「よし、行こう」
 

センター長さんに先導されて私たちはステージに登った。
 
最初にセンター長さんがマイクを持ち、観客に騒動のお詫びをした。それで「松原珠妃さんです!」と紹介すると、まばらな拍手が起きる。観客も今の騒動で、かなりしらけている。なんとも歌いにくい状況だ。しかし静花は上等!という感じの顔をしていた。
 
静花が私の方を向いて頷く。私はこの曲『黒潮』冒頭のヴァイオリンソロを弾き始める。井瀬さんが「へー」という感じの顔をしている。泣くように、むせび泣くように、ヴァイオリンは物悲しいメロディーを弾く。フェルマータで伸ばした所で、ドラムスがビートを打ち始める。
 
8小節の前奏を経て、静花は歌い始めた。
 
それまでざわざわしていた客席が、その静花の歌声を聴いたとたん、ぴたりと静かになった。
 
私もヴァイオリンを弾きながら静花の歌に酔いしれる。ほんとに静花は上手い。ほんとうに自分はいつか彼女を超えることができるだろうか。でも、きっといつか・・・・自分は彼女を超えたい。
 
最初は1番2番を歌ったら(最後に付け加えられた)6番を歌って終了する予定だった(ステージに登る直前の短い打ち合わせで井瀬さんからそう言われた)が、静花は2番を歌った後、そのまま3番、4番と歌い続ける。
 
そして結局フルコーラス歌ってしまった。
 
最後にヴァイオリンとサックスが絡み合う16小節ものコーダ。その間も静花は「あーあー」と声を出して、まるで黒潮が力強く流れていくかのように歌う。そして、最後、木ノ下先生がハッピーエンドにするために改変した明るい和音で、歌は終止した。
 
観客席から物凄い拍手。
 
静花は深々と客席に向かってお辞儀をした。
 
荒れた会場が彼女の歌できれいに収まってしまった。彼女の歌に私はカリスマを見た。
 

大きな拍手に送られて、舞台袖に下がる。
 
その時、係の人が
「津田アキさん、津田アキさんは来ておられませんか?」
と困ったような顔をして呼んでいる。
 
「はいはいはい」
と私は慌てて、その係の人の所に駆け寄った。
 
「あなた津田アキさん?」
「あ、はい。その伴奏者です」
「御本人は?」
「え?」
 
私は周囲を見回すが先生の姿は見えない。えーー!? どうしたの?
 
「御本人がいないならキャンセルですか?」
 
その時、さっきキャンセルかと聞かれて「演奏します」と厳しい顔で答えた静花の顔が脳裏をよぎった。
 
「私が代理で歌います」
と私は答える。
 
「分かりました。お願いします」
 
すると、そばで静花が「ほほう」という感じの顔をして
「私、ここで見てるよ」
と言った。
 
「うん」
私は笑顔でそれに答えて静花と握手すると、持っていたヴァイオリンをケースに戻してファスナーを閉め、代わりにそばに置いていた三味線を取り出す。急いで組み立てて調弦する。
 
「行きます」
「よろしく」
 

「お待たせしました。次は津田アキさんの『こきりこ節』です」
 
代理だというのは司会者に伝わってない。私が津田アキということになってしまっている。だったら自分は先生のレベルで歌わなければならない。私はそう思った。
 
客席はあれ?という感じだ。さっき振袖を着た人がヴァイオリンを弾いていたのは多くの人の意識にあったはずだ。ふつうはそれに違和感を感じてもおかしくない。ただ、その前の騒動が騒動だっただけにそこまで考える余裕が無かったであろう。ところがその振袖でヴァイオリンを弾いていた人が今度は三味線を持って出てきて歌おうとしている。ん??と思った人は多いだろう。
 
だからここは私も「上等!」という気分である。
 
三味線でリズムを取る。三味線というのはバンドで言えばリズムギターに相当する楽器である。基本的に民謡では「打楽器」的な扱われ方をする。私は遙か昔に見た、狩衣を着て鼓などを打ちながら「こきりこ」を神事として謡っていた人たちの演奏を脳裏にプレイバックしつつ、象牙のバチで母が昔愛用していた三味線のリズムを刻んだ。
 
謡い出す。
 
「はれのサンサもデデレコデン」
ここは民謡的な唄い方では「お囃子の声」で唄うが私はふつうの声で謡った。
 
そして歌本体に行く。感情を抑えたような淡々とした調子で謡う。
「こーきりこーの〜〜たーけーは、し〜ちーすーんーごーぶーじゃ〜〜。なーが〜〜いーは〜〜そーでーの〜カーナーカーイ〜じゃ〜〜」
 
この謡い方というのは、一般に知られている「こきりこ」と少し調子が異なる。普通に知られているものは、この調子をもっと「民謡」っぽく唄うものだ。更には演歌やロックみたいに歌う人までいる。しかし私はここではこの歌を神殿の前で奉納するかのように謡った。
 
最初ざわついていた観客がシーンと鎮まっていくのを感じた。
 
この歌は秋の祭りで神殿の前で奉納される。秋の祭りは春以来の農作業をいたわる息抜きであると同時に、実りを与えてくれた神への感謝の行事だ。人間は自分たちだけの力で生きているのではない。神の恵みを得て生きている。昔の人たちはそれが分かっていたから決して驕ることはなかった。そんなことを考えながら私は謡った。
 
やがて謡い終わり、三味線はスローダウンして、最後にチャーンという長い音を鳴らす。そして私は観客に向かってお辞儀をした。割れるような拍手があった。
 
舞台袖に下がっていくと静花はいなかった。井瀬さんだけが残っていて、
「ピコちゃん、ごめん。珠妃ちゃんが先に帰ると言って帰ってしまって」
と申し訳無さそうに言う。
「それでヴァイオリン弾いてくれてありがとうと言っておいてと言われたから」
 
「いえ。井瀬さんこそ、ありがとうございます」
 
「それでこれ、さっき弾いてくれたヴァイオリンのギャラ」
と言って封筒を渡そうとするので私はそれを遮って言った。
 
「それ、三谷さんへのお見舞いにしてください」
「分かった」
 
「じゃ、また」
と言って私は井瀬さんに手を振って会場を後にした。
 
静花が先に帰った。その意味するものは大きい。私は微笑んで静花が帰って行ったであろう方角に向かってささやいた。
 
「静花さーん。また勝負しようね」
 

三味線のケースを持ち、会場を出てのんびり歩いていたら、私たちが出演したホールの隣に少し小さなホールがあり、**ピアノコンテストと書かれていた。入場無料と書かれている。私はどこかで少し心を鎮めたい気分だったので、何気なく会場に入った。入場の所で記帳を求められたので
「東京都**市 唐本冬子」
と書いた。
 
席に就く。小学1年生くらいの子がショパンのピアノ協奏曲第一番を弾いている。すっげーと思って聴いていた。
 
さすがに解釈が浅い。でもここまで弾きこなすのは大したもんだ。
 
その後も主として小学生が出てきては、何だか難しい曲を弾く。しかしみんな単純に音符を弾くだけだ。私は少しストレスがたまってきた。
 
もう帰ろうかなと思ってきた時に出てきたのは、小学6年生か中学1年生かなという感じの女の子だった。「くるみ割り人形の行進曲」を弾く。私は彼女の演奏に目が覚める思いだった。
 
多分・・・こういう演奏ではコンテストの点数はそんなに高くないのではないか。でも、楽しい! 凄く心が躍る演奏だ。
 
クラシックの世界ではこういう「解釈しすぎた」演奏って評価されないのだろうけど聴衆は確実に楽しんでくれる。私は彼女の演奏にとても満足したので、それを聞き終わった所で席を立ち会場を後にした。
 
この時、私がとても楽しんだ演奏者の名前なのだが。
 
私の日記には「細川泉美」と書き記してある。これが実は「絹川和泉」だったのではないかと疑っているのだが、そうかも知れないと思っておくだけで私は満足である。
 

なお、津田先生であるが、会場に来た時、何だか花火が飛び交ったりしていて騒然としていたので、これは中止だなと思って帰ってしまったのだそうである。話を聞いて「ごめーん」と謝っていた。それで半年分月謝タダにしてもらった。
 
また騒動を起こしたバンドであるが、半年間の活動停止処分をくらった。(それだけでいいのか?) そして活動停止明けに、また騒動を起こして、更に半年の活動停止を食らった。
 
なお、三谷さんは指を骨折していて全治3ヶ月の重傷であった。結果的に珠妃のバックバンドから離脱することになる。彼の治療費については会場側が直接払い、また三谷さんが回復して、その後リハビリして演奏技術を取り戻すまでの生活費は珠妃の事務所がとりあえず持ってあげたが、最終的には騒動を起こしたバンドの所属するレコード会社がこちらに3000万円、会場に500万円払うことで示談した。
 

静花が私に連絡してきたのは6月の中旬だった。あの騒動から1ヶ月近く経って静花的には「ほとぼりが冷めた」気分だったのではなかろうかと思う。
 
「冬、ますます美少女になってる」
「えへへ」
「私ね、高校退学になっちゃったー」
「ああ。やはり」
「ここの高校、出席日数が全体の5分の4以上無いといけないのよ。年間220日授業があるから、44日休んだらアウト。でも私、4月初めから1度も学校に出てなかったから」
「1度も行ってなかったんだ!?」
 
「実は制服すら作ってない」
「それって、全く行く気が無かったというか」
 
「書類上は、入学辞退ということにしてくれた。中退よりマシじゃないかって校長先生が。それに私みたいな形で入れた生徒が早々に中退になると、同じ中学からここに進学したい後輩が不利になるからと」
 
「ああ。後輩への影響は大変だよね。でもお父さんから叱られたでしょ?」
 
「無茶苦茶叱られた」
「それで、私の所に電話してきたのね?」
「えへへ」
 
「仕事は忙しい?」
「今日1日だけオフなんだけどね」
「カラオケ対決する?」
「する!」
 
そういう訳でその日の午後、私と静花は都内のカラオケ店に半日籠もりひたすらカラオケを歌いまくったのであった。
 

「冬・・・また上手くなってる。距離が92kmくらいまで縮んだ」
「私も必死で練習してるから」
「くそー。プロの意地で頑張るぞ」
 
「こないだ夢見たんだ」と私は言う。
「どんな?」
「私が静花さんに追いつこうと必死になって、距離が50km, 25km, 12.5km, 6.25km, 3.125km, 1.5625km, ... とどんどん縮んで行くんだけどね」
「うん」
「どうしても昨日の距離の半分までしか詰め寄れないんだよ」
「アキレスと亀か!って私が亀か!? つまり、永久に私に追いつけないんだ?」
「うん」
 
「それって冬が私を目標にしてるからじゃない?」
「夢から覚めてからそれ思った」
 
「ということは、冬が私を目標にするのを辞めて、自分の世界を築き始めた時が、私にとっては恐怖だな」
「そうなりたいね」
 
静花は今日は精神的な余裕があるみたいで微笑んでいる。
 

「ところで、7月19日から5日間、冬何か用事ある?」
「ちょっと待って」
 
私は自分の手帳を開いてその日程の予定を確認した。
 
「ね・・・冬、その真っ黒な予定表って何よ?」
と静花が私の手帳をのぞき込んで言う。
 
「え? 色々な仕事の日程」
「何〜〜〜!?」
「いや、私、民謡の大会の伴奏とかの仕事あるし、それからドリームボーイズのバックダンサーしてるから、その日程も入ってるし」
 
「ドリームボーイズのバックダンサー? そんなのいつから始めたの?」
「あの沖縄で写真撮影した後。蔵田さんから誘われて」
「うむむ!!」
 
「でも19日から5日間は大丈夫。1件入ってるけど、この予定は動かせる」
 
「冬、まさか私より忙しくない?」
「それはさすがに無い。で、その5日間何か?」
 
「武芸館で5日連続コンサートやるんだよ。それでヴァイオリン弾いてくれない? 三谷さんが怪我して離脱した後、何人か事務所でテストしてるんだけど、どうも満足いく演奏できる人が見つからないんだよ」
 
「私、ヴァイオリン下手だけど。こないだ聴いたでしょ?」
 
「・・・・充分上手いと思ったけど」
「状況が状況だから、上手く聞こえただけだと思う」
 
「上手か下手か、うちの事務所に来て、ちょっと弾いてみてよ」
「うーん・・・」
 

それで私は愛用のヴァイオリン(ワンティスの高岡さんからもらったもの。「高岡」にちなんで私は《Highlander》と呼んでいる)を持って、翌日、静花の事務所ζζプロに出かけた。
 
非常に大きな事務所である。オフィスビルのフロアを3つも占有している。すっかり顔なじみになった兼岩社長に挨拶し、それで事務所内の簡易スタジオで、私は『黒潮』のヴァイオリンを演奏した。
 
「情感の籠もった演奏ですね」
と制作部長の肩書きの名刺をくれた40代の男性が言った。
 
「確かに本人が主張するように技術的には未熟ですけど、この情感の籠もった弾き方が、聴く人に凄く訴えるものがあります。私はこの子を使うのはアリだと思います。かえって技術的に高くても、音符を追うだけの演奏をする人より良いと思う」
 
「ということで、お願いできない?」
と社長さん。
 
「分かりました」
 
ということで、私はほんとに自分としては、こんな下手なヴァイオリンでいいのか〜? と思ったのだが、この5日間ライブで、武芸館などという大舞台でヴァイオリンを弾くことになってしまったのである。
 
なお当時の私の正直なヴァイオリンスキルは、スズキメソードでいえばせいぜい中等科程度しかなかった。小学1年生からきちんとヴァイオリン教室に通ってヴァイオリンを習った子であれば小学4年生くらいで到達できるレベルである。
 
ただ「橋の下」の練習で大量に歌謡曲を弾いているので、確かに情感を込めてポップスを弾くというのは得意とするところだったのである。
 
「でもそのヴァイオリンはさすがに安物すぎる。もう少し良いヴァイオリンを事務所で用意するよ」
と制作部長さんは言った。
 
「というか、もう少し良いのをこの子にプレゼントしちゃおうか?」
と社長さん。
 
「ああ、社長がよろしければそういうことでも良いですよ」
と制作部長さん。
 
ということで、私はピグマリウス製の70万円ほどするヴァイオリンの新品をいただいてしまった!
 
「松原珠妃」のプロジェクトは凄まじい利益が出ているので(静花がデビュー前にレッスンを無料にしてもらい交通費も支給されていた「事前投資」も既に回収が終わっている)、予算が潤沢なようである。静花自身も4月の時点では給料15万円の契約だったのが、歩合制で演奏印税0.5%にしてもらったらしい。
 

この時期、私は学校では5月から始まった合唱サークルの練習をしていたし、昼休みには、若葉と一緒に校舎の周りをひたすら走って身体を鍛えていた。また静花にも言ったように、休日を中心に民謡の大会などの伴奏やお囃子で出たり、またドリームポーイズのライブなどで、バックダンサーをしていた。
 
静花は私の手帳が真っ黒!などと言っていたが、中学生以降の私の日程の詰まり方からすると、ずいぶんゆとりのある時期であった。取りあえず平日はほとんど空いてたし!
 

そして7月19日午後。私は母に「伴奏の仕事行ってきまーす。帰りは22時くらいになる」と言って、ヴァイオリンを持って出かけた。母はいつもの民謡の伴奏の仕事と思っていたようである。
 
春にデビューしたばかりの新人歌手がいきなり武芸館というのも凄いが、静花のCDはここまで既に180万枚売れており、200万枚突破は時間の問題になりつつあった。
 
しかし静花が出したCDは1枚のみ、c/wの『恋するスピッカート』と合わせても持ち歌は2曲しか無い。となると、実際の演目はカバー曲で構成されることになる。
 
こんなライブをする以上、念入りに事前のリハーサルをするのだろうと思っていたのだが、静花本人がキャンペーンで飛び回ったり、テレビに出ていたりしているので、全く時間が取れず、結局ぶっつけ本番である。しかも、渡された譜面は市販のギターコード付きメロディ譜を綴じただけのものである。つまり・・・パート譜が存在しない!
 
「私どう弾けばいいんですか?」
と井瀬さんに電話して訊いたら「適当によろしく」と言われてしまった。いいのか?それで? と思いつつも私はライブ前の1ヶ月ほど、頂いたピグマリウスのヴァイオリンで、渡された譜面を見ながらずっと練習をしていた。
 

会場に入る。客は満員。1万人入っている。5日間のチケット5万枚が1時間で売り切れたらしい。しかも、本来1万円のチケットがヤフオクで5-6万円で取引されていた。(この頃のライブではチケットを記名式にして本人確認などまで行う所はあまり無かった)
 
開場は18時なのに、私が行った15時の段階で会場の周りは凄い人だった。私が楽屋口の方に行こうとしていた時、声を掛けられた。
 
「冬〜、冬も松原珠妃さん、聴きに来たの?」
 
若葉であった。
 
「ああ。私は伴奏の仕事」
と言うと
「へ?」
という顔をして、近くに寄り小声で
「もしかして、そのヴァイオリンでバックで弾くの?」
と訊く。
 
「うん」
 
「そういえば、去年、学芸会の音楽でヴァイオリン弾いてたね?」
と若葉。
 
「ふふふ。私があの時ヴァイオリンを弾いたこと覚えてるのはどうも若葉だけのような気がする。みんな若葉がヴァイオリンを弾いたと思い込んでるみたい。奈緒なんかも『あの時、若葉ちゃんのヴァイオリン上手かったね〜』なんて言ってるし。ヴァイオリンケース抱えた若葉って、結構みんな見てるからね」
と私。
 
「私はずっと習ってるけど、全然上達しないな。でもこんなライブで弾くなんて凄い。冬って、いつの間にそんなに上達した?」
「全然上達してない。私の技術は去年、若葉の前で『眠りの森の美女』弾いた時とそう変わってないよ。でも雰囲気がいいからと言われて」
 
「まあ確かにポップスのバックで弾くにはそれほど技術は必要ないかもね」
「シャコンヌみたいな伴奏なんてふつうあり得ないから」
 
「楽しんでね」と若葉に告げてから楽屋口に行き、入館証を提示して中に入る。今日は私は少し大人っぽいワンピースを着てきていた。もちろん家からこの格好で出てきている。母も私がこの程度の服を着て出かけるのは気にしない。
 
バンドメンバーで先に来ていたのは井瀬さんとドラムスの人だけである。「おはようございまーす」と挨拶して、しばし雑談をしている。
 
この時期の松原珠妃バックバンドの構成は、ギター・ベース・ドラムス・ピアノに、ヴァイオリンとサックスである。ただ不安定要素がかなりあって、CD制作の時に木ノ下先生自身が弾いたピアノについては、ここまで毎回違う人が都度頼まれて出てきている感じであった。ドラムスの人も4月からこの7月までの間に既に3回交替して現在4人目である。ギターの井瀬さんは5月から参加していて、今の所なんとなくバンドマスター的な役割をしている。
 
「ピコちゃん、このままこのバンドに定着する?」
「学校があるから無理です〜。珠妃さん学校辞めちゃったから、9月以降は平日でも、ばんばん仕事が入るでしょ?」
「ピコちゃん、中学2年生くらい?」
「小学6年生ですよぉ」
「うそ」
「小学生には見えん」
「そうそう。落ち着きが凄い」
「開き直ってるだけです」
 
そんな話をしている所に今日のステージ用のメイクをした静花が来た。
 
「ここで衝撃の事実を話してもいい?」と静花。
「まあ、いいですよ。別に隠すつもりはないし」と私。
 
「この子、こんな風にしてると、美少女ヴァイオリニストって感じだけどさ」
「何? 実は30歳だとか?」
「いや、年齢はまだ11歳だよ。でも性別は男だから」
 
「は?」
「何? 男っぽい性格なの?」
「いや、この子、戸籍上は男なんだよね」
「へ?」
「うそ」
「はい、事実です」と私。
 
「えーーー!?」
「どこをどう見ても女の子にしか見えないんだけど」
「だってビキニの水着を着た写真撮ってたよね?」
 
「男の子なのにビキニの水着にもなれれば、女湯にでも入れるからねぇ」
「まさか、性転換手術済み?」
 
「それが私にも分からないんだよねぇ」と静花。
「えへへ」
 
どうも静花は私がバンドの人たちの「アイドル」っぽくなっていたので、取りあえず叩くのに私の性別を明かした感じだった。私に嫉妬することないのに、と思ったが、それでも嫉妬するほど日々のストレスが大きいのだろう。
 

ステージは大ヒット中のデビュー曲『黒潮』で幕を開ける。客席に向かって少し長めの挨拶をした後、前半は海に関する曲を演奏する。
 
松田聖子『青い珊瑚礁』、小泉今日子『常夏娘』、PUFFY『渚にまつわるエトセトラ』、TUBE『シーズン・イン・ザ・サン』、ワイルドワンズ『想い出の渚』、Mi-Ke『想い出の九十九里浜』、トワエモワ『誰もいない海』、ジュディオング『魅せられて』、アメリカ海軍『碇を上げて』、プレスリー『ブルーハワイ』。
 
そして前半最後はサザンの『TSUNAMI』で締める。
 
譜面は・・・・女性歌手の歌はだいたいそのままのキーで弾けば良いのだが、男性歌手の歌は「in G」とか先頭にマジックで書かれているだけなので、元の譜面を移調弾きする必要がある。しかもヴァイオリンパートなんて半分アドリブのようなものである。ソロを入れようかと思ったら、サックスの人も同様にソロを入れようとして思わず顔を見合わせて譲り合い、なんて場面もあった。
 
前半と後半の間のゲストコーナーには、Jという同じ事務所の歌手が出てきた。3年前にデビューした20歳らしいが、私も名前を知らなかった。それで歌を聴いていたが・・・・下手だ。
 
何だか観客がしらけている。
 
Jは松原珠妃にとって先輩でもあり、また年上でもある。だから珠妃はJには敬語で話していたし、付き人さんがうっかり先に珠妃にコーヒーを出そうとしたら「Jさんが先」と珠妃自身が注意していた。
 
しかし後輩であろうと年下であろうと売れている方が強い。営業的にも待遇的にもそちらが優先される。珠妃は個室の楽屋もあるが、Jは伴奏者の私たちと同じ楽屋である。
 
事務所としてはなかなか実績の出ない歌手をせっかくの大舞台で顔を売ってあげようという親心なのだが、Jとしては、年下のデビューしたばかりの歌手のライブのゲストコーナーに出て営業させられるというのは辛いだろう。それを割り切れるタイプならいいのだがJはそれができないタイプに見えた。
 
公演前にこちらの楽屋に珠妃が来ていた時、Jは珠妃にこの世界の習慣について色々蘊蓄を垂れていた。私には「教えてやる」という行動で自分の先輩としての存在を強調しているように見えた。珠妃はそれを「なるほど」「勉強になります」
などと言いながら聞いていたが、珠妃が素直であるだけにかえってJはいらついていたかも知れない。
 
前半の演奏で汗をかいた服を衝立の陰で交換しながら舞台袖でJの歌を聞いていたら客席から「へたくそー」「ひっこめ」なんて声まで掛かっているのが聞こえた。
 
それでも既定の3曲を歌い、休憩を終えた私たちが代わりに出て行く。静花はJに握手を求め、Jは一瞬ためらったようであったが、一応笑顔で握手をして下がった。
 

後半は今回の武芸館ライブでは、イタリアの歌をやろうということになっていた。
 
元気よく登山鉄道の歌『フニクリフニクラ』に始まり、あまりにも有名すぎる『オー・ソレ・ミオ』、音楽の教科書にも載っている『サンタ・ルチア』、『帰れソレントへ』『カロミオベン』『ニーナ』。プレスリーのヒットでも知られる『この胸のときめきを』、マインブロイのCMでも使用された『花のささやき』、ポール・モーリアのヒットで知られる『哀しみのソレアード』、ガゼボの世界的ヒット『アイ・ライク・ショパン』と重ねていき、最後はフランク・プウルセル楽団のヒットでも知られるジリオラ・チンクェッティの『雨』で締めて、珠妃自身のデビューシングルのc/w曲『恋のスピッカート』で演奏を終了する。
 
この曲では私が弾くヴァイオリンのスピッカート演奏が重要なので、けっこう緊張したが、さすがにこの曲はたくさん練習していたので、無難に演奏することができた。
 
幕が降りる。当然アンコールの拍手がある。
 
ここで珠妃はお色直しをしてから出て行く。この間5分以上観客はアンコールの拍手をし続ける。アイドル歌手には多い演出だが、ここで待たせるのって何だか嫌だなと私は思った。
 

静花がアンコールのお礼を述べる。そして曲目を告げる。
「事務所の先輩、しまうららさんの大ヒット曲『初恋の丘』を歌います」
 
私たち伴奏陣が演奏を始める。8小節の前奏に続いて歌い出す。
 
のびやかな歌で、長く伸ばす音がたくさんある。肺活量を要求する。しまうららさんの歌唱力があって初めて歌えた曲だが、歌唱力なら珠妃も負けてはいない。しっかりと「自分の歌い方」で歌っている。さすが静花さん、と思いながら私はヴァイオリンを弾いていた。
 
歌が終わり大きな拍手がある。幕も降りず、静花も退場せず、そのまま口上を述べる
「それでは最後にもう一度『黒潮』」
 
舞台の背景に「果ての浜」で撮ったビデオが投影される。それを背景にして静花は歌った。
 
大きな拍手。静花は客席に向かってお辞儀をする。そして歓声と拍手に両手を斜めに上げて応える。
 
静花はスターだ。
 
それを私はこのステージで認識した。
 
 
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【夏の日の想い出・ビキニの夏】(1)