【夏の日の想い出・眠り姫の目覚め】(1)

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2011年7月2日。私と政子は東北に「頑張っている人たちの応援と、疲れている人たちの癒やし」を目的とした第2回ゲリラライブを行った。「目的」というのは実際には友人たちから訊かれた時の言い訳のようなもので、本当はとにかく「何かしたい」という欲求を単純にぶつけたようなものだった。
 
何かしたい。でも何ができるのかと考えて行った時、結局私たちは音楽家だから音楽をすることしかない、という結論に到達した。
 
この2回目のゲリラライブでは演奏の後、10人くらいからサインを求められたが、政子は笑顔でそれに応じ、ひとりひとりと力強い握手をしていた。
 
「大変だけど頑張っていきましょうね」
「復旧作業早く進むといいですね」
などと、政子は相手と会話などもしていたが、最後にサインした20歳くらいの女性と話していて
 
「日本人は強いもん。東北はすぐ元気に復活しますよ」
と政子が言ったら、相手の女性が
「ローズ+リリーも早く復活してください」
と言った。
 
すると政子は少し考えるふうにしてから
「約束する。今月か来月にはローズ+リリーは復活する」
と言って、握手をしていた。
 
私は「へー」と思った。
 

帰りの新幹線の中で政子は
「もう私の休養期間はこれで終わりにする」
と言った。
 
「ずっと私の心の中の井戸に水が満ちてきていたのが、とうとう溢れて川となって流れ出した気分なの」
「Overflow and carry up だね」
「うん。そんな感じ。私、もう今までの物事から逃げてたマリじゃない。高校2年の時の成り行き任せで動いてたマリでもない。ケイとふたりで作り上げていった、新しいローズ+リリーのマリだって自信を持って言えそう」
 
「じゃ、ローズ+リリー復活ライブでもする?」
「うーん。。。ステージ復帰はまだあと何ヶ月か待って。でもCD出そうよ。ふたりで歌って。恋座流星群とかみたいにリリースしたけど売らないなんて不思議なことせずに、ちゃんと売るの」
 
「いいね」
「今月中に作ってさ、町添さんとこに持ち込もうよ」
「そうだね。みっちゃんのペースに合わせてたら、音源作ってもリリースまで10年掛かりそうだから、私たちで動いちゃおう。契約上はこちらに決定権があるんだし」
 
「冬、いつなら時間取れる?」
 
私は手帳を確認した。
 
「18日から20日まで空いてる。でも18日は仁恵の誕生日パーティーに行くから2時間の予定とか言ってたけど多分1日潰れる。だから19日と20日にスタジオ予約しておくよ。念のため21日まで押さえておくかな。それで私がギター・ベース・ドラムス・キーボード弾いて先に収録するから、その伴奏に合わせてふたりで歌おう。私が伴奏録ってる間にマーサは歌の練習してればいいし」
「OK」
 

それで私は新幹線の中から知り合いの音響技術者、山鹿さんにメールし、そちらのスタジオの、中規模の部屋を19日から21日まで通し(72時間)借りれるかとメールした。速攻で返事があり「格安料金で確保したよ。音源制作するなら録音やミックスは僕がしてあげるよ」ということであった。
 
それでまた私は町添さんにメールし、マリが物凄くやる気満々になっているので、この際、須藤の方は放置して音源制作をしようと思うとメールした。町添さんが電話で話したいということだったので、私はデッキに行き、電話を入れた。
 
「とうとう復活の時が来たんだね!」
「はい。ステージにも数ヶ月以内に復活したいと本人は言ってます」
「楽曲はあるの?」
「ええ。『聖少女』という曲と『不思議なパラソル』という曲。これはマリ&ケイの作品です。それから上島先生から『涙のピアス』という作品を頂いていてこれを《ローズクォーツじゃなくてローズ+リリーのCDに入れて欲しい》という御指定なんです。それでそれを使おうかと」
 
「なるほど。それならミリオン行くね」
「そこまではさすがに・・・」
 
「いや、ミリオン行かせよう。それにマリちゃんがやる気になってるなら、気分が降下しないうちに、特急で発売しちゃおう」
「ああ、それがいいかも知れないですね」
 
「それと『不思議なパラソル』って、それ夏の歌なんじゃない?」
「はい、確かにそうです」
 
「だったらさ、ちょっと待ってね」
 
と言って町添さんは何かを確認しているようであった。
 
「19日から21日に掛けて音源を作るんだね?」
「はい。一応20日までの予定です。21日は予備で確保しています」
「じゃ一週間後の27日水曜日発売」
「えーーー!?」
 
「もう決めちゃうからね。キャンペーンの日程も入れるからね。頑張って作ってね」
「はい!」
 

それで町添さんは7月22日から31日に至るローズ+リリー新曲キャンペーンの日程を作った。ここで本当はマリも連れて行けたらよいのだが、マリの精神状態を考えると、まだキャンペーンのステージに立たせるのは無理ではないかというのを10日くらいの段階で私と町添さんで話し合い、キャンペーンは私ひとりで全国駆け巡る方向で計画することになった。
 
私は政子のお父さんに電話を入れた。
 
「じゃ、全国ツアーでコンサートとかやるという訳ではないんですね?」
「ええ。今回はキャンペーンは私ひとりで飛び回るつもりです。録音作業も、大学がちょうど夏休みに入るので、それを利用してスタジオ録音しますので、政子さんの学業にも支障は出ないと思いますので」
 
「ああ、そのくらいなら良いでしょうね」
 
「コンサートについてですが今の政子さんの口ぶりからすると、年明けくらいから、もしかしたら再開したいと言い出すかも知れません。でもそれも学業とちゃんと両立できる形で進めますので」
「分かりました」
 
「そういう話が具体化した時は必ず事前にお父さんにご連絡します」
「ええ、お願いします」
 
雰囲気的にはお父さんもかなり軟化している感じであった。
 
「ところで冬さんの方はもうお体大丈夫なんですか?」
とお父さんは心配して訊いてくれた。
 
「はい。大丈夫です。4月の手術の時はお母さんにもお見舞いに来て頂いてありがとうございました。先月くらいまでは実は結構痛かったんですが、先月末に偶然凄腕のヒーラーさんに出会って、すっかり痛みが取れました」
 
「それは良かった。性転換手術なんてほんとに大手術だから無理しないでくださいね」
「ええ、その付近は政子さんが歌手を休んでいるのに便乗して私も休んでます」
「おお、それは良かった」
とお父さんは笑っていた。
 
なお、お父さんには町添さんからも電話を入れて説明してくれたようであった。
 
ローズ+リリーの復帰作『夏の日の想い出』が生まれる前夜にはこのようなプロジェクトが進行していたのであった。あの曲が短期間でリリースできたのは実は元々進んでいたプロジェクトで準備していたものを丸ごと転用したからである。
 

そして7月18日。朝から政子が「フライドチキンを揚げて手土産に持って行きたい」などというので、揚げ方を教えて作らせた。「こんなに面倒くさいのか」
などと言っていたが、楽しそうにお料理をしていた。何にでも積極的な気分になっているので、お料理もしてみようかなと思ったのであろう。良い傾向だ。
 
仁恵のアパートでの誕生日パーティーは予想通り丸一日、というより徹夜覚悟という雰囲気になって行った。さすがの私も連日の疲れが出て、ウトウトとした時に、突然大きな余震があった。
 
びっくりして目が覚めたのだが、その時私の頭の中に「キュピパラ・ペポリカ」
という不思議なことばが残っていた。
 
「キュピパラ・ペポリカ」
「え?」
 
「キュピパラ・ペポリカ・・・誰かメモ用紙持ってない?」
「メモ用紙というより、これでしょ」
と言って政子がさっとバッグから五線譜とボールペンを出して渡してくれた。
「ありがとう」
 
私が速攻で浮かんだメロディーを五線紙に書き留めると、政子が「それに詩が書けそう」と言って、何語なのか分からないような不思議な単語(?)の列を私の書いたメロディーの下に書き込んでいった。
 
それでその不思議な曲が出来た時、上島先生から電話があった。
「ちょっと面白い曲を思いついてね。ケイちゃんにちょっと歌ってみてもらえないかと思って」
「わあ、ありがとうございます。じゃ、ちょっと歌ってみてmp3を返送しますね」
 
上島先生がメールで送ってきたのは『夏の日の想い出』という曲であった。デュエット曲なので政子に一緒に歌わない?と誘うと、うんいいよと言う。
 
私は仁恵のキーボードを借りて伴奏を記録し、それを再生しながら私と政子のふたりで歌う。それを仁恵に録音してもらった。mp3に変換して上島先生に送り返す。先生からの電話が速攻で帰って来た。
 
「ケイちゃんって僕の書いた曲の行間を読んでくれるね。僕がイメージした通りの曲になってる。これ君にあげるから、このままCD作っちゃおう」
 
「はい、ありがとうございます。でもそしたら先日頂いた『涙のピアス』はどうしましょうか?」
 
「うん。あちらは予定通りローズ+リリーで歌って。こちらはローズクォーツで歌えばいいよ」
「あ、はい。でもデュエット曲ですが」
 
「そうか。僕も混乱してるな。あ、分かった! マリちゃんがローズクォーツに臨時参加すればいいんだよ」
「は?」
 
「僕からも町添さんに電話しておくから」
「はい、ありがとうございます」
 
とは返事したものの、ローズクォーツにマリ参加?? それどういうサウンドになるんだ??と疑問を感じる。
 
しかし、ローズクォーツを動かすとなると、須藤さんに連絡しておかなければならない。
 

すぐに電話を入れる。
 
「何〜!?」
 
須藤さんはワランダースの音源制作の真っ最中でその日もスタジオに詰めていたようであった。しかし上島フォンでローズクォーツのCDをすぐ出してと言われたとあれば、ワランダースのスケジュールをずらしてでも、割り込ませる必要がある。
 
「ちょっと町添さんに電話してみる」
 
そしてしばらくしてから電話が須藤さんから電話が掛かってきた。19日20日にローズクォーツを緊急招集して21日朝までに音源を完成させることにしたということだった。
 
「それでさ、譜面見たけど、これボーカルがふたつあるんだね」
「あ、はい。それで上島先生もマリに特別参加してもらってとおっしゃいました」
「マリちゃん・・・歌える?」
と須藤さんは心配そうに訊いた。
 
私は政子の顔を見て確認する。
「大丈夫です」
 
「分かった。じゃマリちゃんも一緒に明日13時、△△スタジオに来て。★★レコードさんが緊急に押さえてくれたらしい。高そうなスタジオだけど費用も向こう持ちだっていうし。うちのスタジオならタダなんだけどなあ。でもせっかく★★レコードさんが押さえてくれたんなら、それを使わないと悪いよね」
 
それ私が押さえて料金も私が前払いしてるんだけどな〜、と思ったが、まあいいことにした。ちょうど同じタイミングで私と政子がスタジオを借りていたから、それを転用してしまった方がいいという町添さんの判断だろう。
 

実際その直後に町添さんから電話があり、スタジオの件で
「ケイちゃんが個人的に押さえていたものを勝手に転用してごめん」
と言われた。
 
「いえ、全然問題無いです。結局私とマリが使うんですし」
「スタジオ代はこちらで払うから」
「いや、いいですよ。今回はサマーガールズ出版の負担ということで」
 
「分かった。そのあたりの出資比率はまた後で調整しよう。それでさ、ちょっと相談があるんだけど、明日の午前中にスタジオに集まらない? 山鹿さんも入れて話した方がいいと思って」
 
「多分悪い相談ですね」
「ふふふ」
 

翌日午後から音源制作作業は始まった。須藤さんは自分で録音作業をするつもりでいたようであったが、エンジニアの山鹿さんが
 
「こちらで録音作業はやります。料金もその分まで頂いてますので」
と言ったので
「あ、じゃお願いしようかな」
と言って山鹿さんに任せてくれた。その後半日単位で音源はできていくが、そのミックスダウン作業も
 
「料金に入ってますから」
と言って、スタジオのミキサー小栗さんが言ったので、
「まあ、そこまで料金込みならお願いするか」
 
などと言って、須藤さんは小栗さんがする作業を見ていて、時々注文を入れたりする形で作業は進行した。
 
今回の音源制作では、時間が無いことから、最初からマスタリングでの音量のレベルを決めておいて、最初からそのレベルになるようにミックスダウンをすることにし、それができるような水準で録音をすることを、実は事前に私と山鹿さんと小栗さんの話し合いで決めていた。
 

須藤さんはこの短時間でのCD制作を進める中で
「ローズクォーツのCDには民謡も入れなくちゃ」
と言い、仙台の民謡酒場で斎太郎節を収録するなどと言い出す。
 
私やタカは「は?」と言ったのだが、自分で先方に電話を入れて話を決めてしまう。
 
「斎太郎節はケイちゃんだけのボーカルでいいよね。マリちゃんは休ませておこうかな」
と須藤さんは言ったが
 
「私もタカ・マキ・サトも演奏をしていたら、全体を見る人がいなくなるので、その役目をマリにさせましょうか」
と私は提案した。
「あ、じゃ、連絡係を兼ねて行ってもらうか」
 
結局21日の朝10時までにマスター音源を提出することになっている中、20日の夕方から、私とマリ、タカ・サト・マキの5人で仙台に行くことになった。私は後事を山鹿さんに託した。
 
「山鹿さん、大変だと思うのですが、須藤さんのおかしな注文にまどわされずに山鹿さんのセンスでしっかりまとめてください」
「うん。分かった。任せといて。そういう発注主は多いから、僕も慣れてるよ」
 
と山鹿さんは笑っていた。
 
結局、私たちが仙台に行っている間に小栗さんを中心に、須藤さんと山鹿さんがそばに付いてミックス結果を聴いてチェックするという形でミクシング・マスタリング作業は進められた。
 

一方民謡酒場に着く前に、私はタカたちに相談した。
 
「時間が無いからさ、タカたちは『演奏した』ことにしてくれない?伴奏は専門の人たちにさせようよ」
 
「うん、俺たちもその方がいい。俺の三味線使うなら、猫に弾かせた方がマシ」
とタカ。
「いや、俺も俺の素人太鼓でいいのか?と思った」とマキ。
「俺の尺八はまともに音が出る時の方が少ないから」とサト。
 
「打ち上げの宴会だけお願い」と私。
「あ、それは任せといて」
 
酒場のオーナーと話し合い、三味線・太鼓・尺八を演奏してくれる人を決める。オーナーさんとそのお母さんが「エンヤトット」を入れてくれることになった。
 
「マリ、一緒に唄おう。民謡音律になるけど私とユニゾンなら行けるよね?」
「同じ音で唄うんなら大丈夫」
 
「よし」
 
それで酒場の常連さんたちの演奏で、私と政子のふたりで唄を吹き込んだ。マリはしっかり私の小節(こぶし)にも付いてきてくれた。元々私の声のピッチに合わせるのがとてもうまいので、結果的に小節にもきちんと合わせてくれる。
 
録音システムの操作をサトにお願いした。高価な録音機器とプロ用のDTMソフトを持って行っているので、最初ビビっていたが、とにかく「これを押して録音スタート」「これで録音終了」というのを教えると、それでちゃんとやってくれた。
 
取り敢えず1テイク録り、東京の須藤さんに電話して聴かせる。
 
「あれ? マリちゃんも一緒に唄ったの?」
「ええ。女性の声1本では伴奏に負けてしまうので。ここ防音性が無いから音量レベルを上げて録音しないと、CDにできる音質にならないんですよ」
「ああ、なるほど。りょーかーい」
 
須藤さんがいくつか要望を出したので、それに添って全員で話し合い、演奏方法を調整する。再度テイク。録音したものを須藤さんに聴かせる。
 
「ああ、いい感じになったね。じゃ、そんな感じで何テイクが録って、いちばんできのいいのを採用して、マリちゃんに持たせてこちらに寄越して。後は酒場のみなさんと打ち上げしておいて。でも念のためケイは明日の朝、こちらに戻ってきてくれる?」
「分かりました」
 
それでさっきと同じ要領で3回録音し、全員で聴いて検討して採用するテイクを決めた。
 
「じゃ、タカ、サト、マキ、打ち上げよろしく」
 
「あれ?ケイも帰るの?」
「帰りの新幹線の中でデータ調整とミキシングをする」
「お疲れ〜」
「でも私は打ち上げに出たことにしといて」
 
「何か今回は色々裏工作してるね」
とタカ。
「後で説明するから」
「了解」
 
「じゃ、マリ、帰ろう」
「うん」
 

そういう訳で、私は政子と一緒に民謡酒場を出ると新幹線に飛び乗った。そして新幹線の車内でパソコン上のDTMソフトで余分な空白の除去と目立つノイズの除去をした上で、ミックスダウン作業をする。音量レベルも予め山鹿さんたちと話し合って決めていたレベルにまとめる。
 
政子にも聴いてもらって少し調整をし、東京に着く頃に音源を完成させた。静電体質の政子に持たせるのでCD-Rにデータを焼いてから渡す。USBメモリだと政子の静電気でデータが飛びかねない(過去に何度も事故が起きている)。
 
「じゃ、マーサ、これをスタジオに持って行って、山鹿さんか小栗さんに直接渡して。須藤さんには触れさせないこと」
「うん」
 
「私は仙台に残ったことにしといてね。夜中にレンタカーで東京に戻ると言ってたと言っといて」
「りょうかーい」
 
それで私はいったんマンションに帰り寝た。深夜過ぎに政子が戻って来たので愛し合った。それで目が覚めたので夜の2時ではあったがタカに電話する。タカは寝ていたようであったが4回目の呼出音で出てくれた。
 
「寝てた?ごめんねー」
「あ、全然問題無い」
「それでさ、今回のCD制作なんだけど」
 
私は町添さんと話し合ったことをタカだけに打ち明けた。
 
・上島先生の気まぐれで、マリがローズクォーツに特別参加することになってしまったが、折しもマリが今ひじょうに意欲が高まっていて、実はローズ+リリーの新譜を作るつもりでいた。今回の『聖少女』『不思議なパラソル』はその新譜に入れるつもりで用意していた曲である。
 
・今回の企画は、そういう意欲が高まっているものの、まだ表に出ることにためらいがあるマリのリハビリにとても良い企画だと思うので、ローズクォーツのCDではあるが、ローズ+リリーのCDを作るつもりで制作する。だから制作費用もサマーガールズ出版から出してローズクォーツのCDの10倍くらいの予算を使う。
 
・そのため一流の録音スタジオの△△スタジオを使うことにした。技術者もワガママな発注者との交渉にも慣れている人たちなので、多分須藤さんの言葉に惑わされずに最高のミクシング・マスタリングをしてくれるだろう。
 
・キャンペーンの予算もローズ+リリーの予算枠から出す。ただせっかくローズクォーツに協力してもらったので、今回はローズクォーツの知名度を上げることを目的に、全員、全国キャンペーンで走り回ってもらいたい。
 
タカは笑っていた。
「いや、俺も1日目の夕方にはそのことに気付いたよ。今回のCDって実はマリちゃんを中心にした企画なんじゃないかってね」
「済みません。私たちの個人的な活動のために、無理をしてもらって」
 
「でもさ、このCD、ケイとマリちゃんが歌ってるんだからさ、ローズ+リリーのCDを作るつもりでじゃなくて、本当にローズ+リリーのCDなんじゃない?」
「へ?」
 
「だって、ケイとマリちゃんが一緒に歌うのがローズ+リリーでしょ?」
「あ・・・・そう言われてみれば」
 
「俺もそう思ったし、多分サトもそう感じたと思う。これってローズ+リリーの伴奏を俺たちがしてるんだとね。まあ、マキや須藤さんは気付いてないだろうけど。あの人たち鈍いから」
 
「いや、私も今気付きました。ホントですね!」
「あはは、ケイも意外に鈍いね。★★レコードのお偉いさんも実はそう思って大量資金投入してきたんだと思うよ」
「う・・・・そうかも。町添さん、そんなこと何も言ってなかったのに」
 
「いや、ケイは当然そう認識してると思ったから何も言わなかったんだと思うな」
「ううう・・・・」
 
「あ、そうそう。それでさ、よかったら今回のは歌唱印税は、マリちゃんまで入れて5人で山分けってのにしない? 須藤さん、マリちゃんに演奏料いくら払えばいいんだろうと悩んでた。俺がマリちゃんの歌唱は凄まじく貴重だから最低400万だと思いますよと言ったら、更に悩んでいた」
 
「あはは。確かに歌唱印税の山分けの方がスッキリするよね」
「クレジットも、須藤さんはローズクォーツ、協力ローズ+リリーと言ってたけど、むしろローズクォーツ ft ローズ+リリーだな」
 
「フィーチャリングだと偉そうだから with にしよう」
「うん、まあそのあたりはどちらでも」
 

21日いっぱいは休みにして、22日に札幌からキャンペーンがスタートすることになった。それでとりあえず21日は休んでいたのだが、午後、和実から電話が入った。
 
「忙しい所ごめん」と和実。
「あ、今日は休みだったからOK。何かあったの?」
 
「実はね。青葉のお母さんの遺体が見つかったんだよ」
「ああ、お母さんの遺体だけまだ見つかってないと言ってたね」
「そそ。それでこれで全員の遺体が見つかったから本葬儀をするんだって。これまでは仮葬儀の形にしてたんだよね」
 
「なるほど。日程は?」
「今日はもう人が集まれないから、明日22日に通夜をして、23日に葬儀」
「場所は?」
「大船渡」
 
私はキャンペーンのスケジュール表をチェックした。
 
「確約できないけど、通夜には行けるかも」
「ホント? でも無理しないで」
「ちょうどね、22日に青森に行って、23日は朝から仙台なんだよ。だからその移動の途中で大船渡に寄る」
「なるほど」
「でもスケジュールに変動があったら寄れなくなるから、青葉には言わないで」
「うん」
 

取り敢えず政子と連名で弔電を打ち、またお花を手配した。
 
「冬は移動の途中で通夜に寄れたら寄るということか。私は暇だからお葬式に行くよ」
「よろしく。じゃさ、香典は連名にしてマーサがまとめて渡してくれない?」
「うん。いいよ。幾ら包めばいいんだっけ?」
 
「えっと、青葉は芸能人じゃないし、普通に20万くらい包めばいいんじゃない?」
 
5月に上島先生のお祖父さんの葬儀があった時は、私たちは連名で300万包んでいる。
 
「・・・冬、それ感覚が既におかしくなってる。20万は絶対普通じゃない」
「えっと・・・、普通の香典の相場っていくらくらいだったっけ?」
 
と私はマジで訊いた。
 

他のメンバーは22日朝からの移動だったのだが、私は21日の最終便で新千歳に飛び、札幌市内のホテルに泊まった。翌日早朝の地元のFMの番組に出演するのである。
 
「ども〜、ご無沙汰してまして」と私は放送前の打ち合わせで挨拶する。
 
「震災後は初めてですね。前回は半年くらい前でしたっけ」とDJのNさん。
「ええ。12月にこちらにお邪魔しました」
 
「震災の時は東京におられたんですか?」
「それが仙台の放送局に来てたんですよ」
「わあ、大丈夫でした?」
「放送局自体は物がしっちゃかめっちゃかになっただけでしたが、津波にやられた地区に挟まれて、数時間身動きが取れなかったです」
 
「大変でしたね! そうそう。性転換なさったという噂を聞いたのですが」
「ええ。4月に手術を受けました」
 
「もう大丈夫なんですか?」
「まだ痛いです。でも我慢できる範囲です」
「きゃー、やはり大変なんですね〜」
 
「ローズ+リリーのサイン色紙、ローズクォーツのサイン色紙持って来ました。もしリスナーへのプレゼントとかに使われるようでしたら何枚か置いていきますが」
「ローズ+リリーのサイン色紙5枚くらい頂けます?」
「はい」
 
と言って私は日付を書いて渡す。
「宛名はNさんが書いていただけますか?」
「分かりました」
 
《献納》のマークをラベル上に一緒に印刷しているCDを渡し聴いてもらう。
 
「あのぉ、質問です」とNさん。
「はい?」
 
「これ、クレジットはローズクォーツのCDになってますけど、歌ってるのケイさんだけじゃなくて、ケイさんとマリさんですよね?」
 
「そうです。民謡の斎太郎節まで含めて、私とマリの2人で歌ってます」
「ということは、これって実質ローズ+リリーのCDなのでは?」
 
「ご慧眼ですね。でもそれはトップシークレットなんです」
「シークレットなんですか?」
 
「ええ。このCDを聴いた人だけが分かる秘密です」
「あはは、面白いですね。DHMOみたいなものですか?」
 
「そうですね。ジ・ハイドロゲン・モノ・オキサイド、なーんて言うと凄い化学物質みたいだけど、化学式書いてみたら実は・・・って奴かな」
 
「ローズ+リリーのクレジットのCDは出さないんですか?」
 
「これまだ非公開なので放送では言わないで欲しいのですが、11月くらいに出す予定です]
「おお、それは楽しみだ!」
 
11月というのは、私たちの名前でのCDをあらためて作る日程として私と町添さんとで決めた期日である。ただし今回そのために用意していた楽曲を使ってしまったので、新たに「ミリオン行きそうな曲を書いて」などと言われていた。
 

私は今回の『夏の日の想い出』のキャンペーンで全国10ヶ所ほどのFM局に出演したが、どのDJさんもCDを聴くとみんなこのCDが実質ローズ+リリーのCDであることに気付いた。またサイン色紙もローズ+リリーのサイン色紙の方をくださいと言われたが、一応「抱き合わせ商法」でローズクォーツの色紙も押しつけて来た。実際の放送でも
 
「これマリちゃんとケイちゃんで歌ってるから実質ローズ+リリーのCDにも聞こえますね」
 
などと言っちゃったDJさんも複数いた。この情報の拡散が明らかにこのCDの売り上げを押し上げたし、2chやツイッターなどにも「このCDは事実上、ローズ+リリー伴奏クォーツだ」という書き込みが多数見られた。
 
22日は札幌の後、飛行機で青森に移動し、青森市内でキャンペーン。この後新幹線で移動して、他のメンバーは仙台に泊まったのだが、私は盛岡で途中下車。予約していたレンタカーを借りだし、大船渡に入って、青葉の家族の通夜に出席した。予告していなかったので青葉が驚いていた。喪主席からわざわざ離れて寄ってくる。
 
「お忙しい所、ありがとうございます」
「香典は明日政子がふたり分一緒に持ってくるから」
と言って記帳だけする。
 
「いえいえ、お気を使わないで下さい」
「あ、これ札幌から来たから、白い恋人。青葉、お友だちがたくさん来てるみたいだし、その子たちで分けて」
「わあ、ありがとうございます!」
 
察して近づいてきた同級生っぽい女の子にそちらは渡していた。
 
私は読経しているお坊さんに気付いた。
 
「あの導師の方、何者?」と私は小声で訊いた。
「私のお師匠さんなんです」と青葉。
 
「何なの?あの物凄いオーラは?」
「ああ、冬子さんにも分かりますか?」
「私、ふつうオーラとか見えないけどさ、さすがにあのオーラは分かる」
 
「ふつうにオーラが見える人にはかえって師匠のオーラは見えないんです。隠してるから」
「隠したって、あれは分かるんじゃないの?」
「かえって、ふつうに感覚の鋭い人には分かる場合があるんですよね」
 
「なるほど。青葉のオーラも凄いけどさ。青葉のオーラがジャンボジェットなら、あの人のオーラは空母だよ」
 
(ジャンボはだいたい全長70m, 米軍の空母ロナルド・レーガンは全長333m)
 
「はい、そのくらいはありますね。私が感じ取れる範囲でも。でも多分、本体はもっと凄いです」
「へー」
 
私はその後、参列者席に座り、読経の声を聴き、焼香した。焼香して読経している僧侶たちに一礼した時、導師をしている青葉のお師匠さんが私を見てニコッと笑ったような気がした。
 
ドキッとする。
 
私は再度一礼し、その後、喪主に一礼して席に戻った。
 

通夜が終わってから、お食事に一緒にどうぞと言われる。
 
「宿も手配しておきましたから」
「ありがとう。青葉、毎朝4時に起きるよね?」
「はい」
「起きたら私を起こして。たぶん熟睡してると思うから。4時半には出て仙台に向かわないといけないんだ」
「了解です」
 
食事の場所に行くバスが来るまでの間、私はさきほどから書きたくて書きたくてたまらないでいたものをメモ用紙に綴り始めた。さきほど焼香の時に青葉の師匠から、気の塊のようなものをもらった気がした。それを書き留めておきたかったのである。
 
最初あふれ出してくるメロディーをABC譜方式で書き、そのあと、更に浮かんでくる詩も書き留めた。そして最後に私は『Two Hundred Year Dream』と書いた。その作品を発表するのは2年後になる。しばしば大ヒットになる作品は作ってから発表するまでに長期間の時間経過があることを、私と政子はかなり後になって意識するようになる。政子はその期間のことを「熟成期間」と呼んだ。
 

翌朝、本当に熟睡していた所を青葉が4時過ぎに起こしてくれた。
 
「ありがとう。ごめんね。青葉の方がよほど大変なのに。頭を覚醒させるのにその付近、ジョギングでもしてこようかな」
 
「いえ、それよりヒーリングしましょう」
「えー?大丈夫?」
「はい、OKです」
 
と青葉は笑顔で答えた。
 
がヒーリングを始めるなり、え?という顔をする。
 
「何だか、これ前回見た時より凄くよくなってますが・・・・」
「え? そうなの?」
「もうヴァギナは完全に回復してますよ。更に・・・あ、ヴァギナの奥に小さいんだけどまるで子宮みたいな空間が」
「へ!?」
「これ、誰かヒーラーに見せました?」
「ううん」
 
「私にはどうやったのかが読めない。明らかに私より遥かにパワーのある人の手が入っている」
 
「青葉より凄い人なんているの?」
「いますよ。高知の菊枝という姉弟子が強烈です。それより凄いのが高野山にいる兄弟子の瞬醒という人で、もちろん瞬嶽師匠はすごいですが・・・あっ」
「ん?」
 
「これ、師匠の手かも」
「あ、そういえば昨日、焼香した時に、青葉のお師匠さんと目が合って、ニコっと微笑まれたような気がして」
 
「師匠、その瞬間にこんなに治療しちゃったんだ!」
「え?あの瞬間で!?」
 
「今かなり楽じゃないですか?」
「うん。実は痛みが無いなと昨夜寝る時から思ってた」
 
「私、ほんとにまだまだ師匠にはかなわないなあ」
「青葉も200年やってたら、きっと追いつけるよ」
「さすがに200年生きる自信無いです!」
 
「でもですね」と青葉は言った。
「多分この後、冬子さん、月に1回くらい痛みが来ます」
「へ?」
「これ絶対生理が始まるから」
「えーーー!?」
 

青葉に結局20分ほどヒーリングしてもらってから車に乗り込み仙台に向かった。7時半に仙台に着く。放送局に入り、クォーツの3人が来るのを待った。顔なじみのアナウンサーさんから「早いですね」と声を掛けられる。
 
「ええ。ちょっと友人の家族の葬儀で気仙地方某所に寄ってきたので」
「そちらから車で移動ですか?」
「ええ。向こうを朝4時に出てレンタカーで走ってきました」
「わあ、大変でしたね。葬儀って、もしかして震災絡みですか?」
「ええ。一家全員を失って、中学生の女の子ひとり残ったというケースで」
「ぎゃー」
 
「やっと全員の遺体が見つかったので本葬儀をしたんですよ。でもこれ取材はしないでくださいね。できるだけそっとしておいてあげたいので。私たち友人みんなで少しずつ励ましているんですよ」
 
「分かりました。でもその手の話も今回はかなりありますね」
「ええ」
 
「ところでケイさん、前回お会いした時と雰囲気が少し変わってる。もしかして性転換しちゃったとか?」
 
「しました。これは別に隠してないですから、人に言ってもいいですよ。でもですね。私の雰囲気が変わったのは、多分、性転換より震災の影響が大きいです。私も地震が起きたときは仙台にいたので。あれで自分の心の中にパラダイムシフトが起きたんですよ」
 
「ああ。あれはホントに生き方も価値観も変わっちゃいますよね」
 

その日は仙台の後で山形・秋田と足を伸ばし、空路帰京する。そして24日から26日までは関東方面を回り、27日に群馬・長野に行き、その後クォーツのメンバーは金沢に移動したのだが、私は高岡で途中下車して青葉の自宅を訪問した。
 
「狭い所で済みません」
「いや私とか大学に入って当初は2DKのアパートに住んでたから」
「2DKでは楽器を置くのにも困るのでは?」
「うん。それでエレクトーンは政子の家に置いて、他の楽器は実家に置きっ放しだったよ」
 
「冬子さん、ローズクォーツではキーボード、KARIONではキーボードとヴァイオリンを弾いておられますけど、他にも色々楽器なさるんですか」
 
「・・・・KARION?」
「名前クレジットされてないけど、冬子さんの演奏ですよね。波動が同じだもん」
 
「それ誰かに言った?」
「いえ。私はクライアントに関することは他言しません」
「うん、それは絶対誰にも言わないで」
 
「ああ、非公開なんですか?」
「うん。割とトップシークレット。★★レコード内でも知っているのは3人しかいない。しかし参ったな。波動で分かっちゃうのか」
 
「まあ分かる人は国内に10人もいないと思いますけど。先日FMで新しいアルバムが紹介されているのを聞いて、あら、と思ったんです。過去のKARIONのCDを全部買ってみたら、冬子さんだけですよね。デビューシングル以降、全てのCDの演奏に参加しているのは。声をいろいろ変えてるみたいですけど、メインのボーカルにもしばしば参加してますね」
 
「変えた声まで分かるんだ! 凄いよ、青葉。そうなんだよね。バックバンドの人でTAKAOさんとSHINさんは2枚目のシングルから参加しているけど、最初から参加している人は他にいない」
 
「コーラスには普通に毎回参加してますよね。デビューシングルの中の『鏡の国』
は、いづみさんと一緒に普通の声でリードボーカルを歌ってますし」
「ほんとによく分かるね」
 
「あと、作曲者の水沢歌月というのも冬子さんですよね?」
「参った、参った。でも誰にも言わないでね」
「はい。私たちは守秘義務がありますから」
 

ヒーリングの後、そのまま夕食も頂いて泊めてもらったが、青葉のお母さんは芸能人だからと変に騒いだりもせず、ふつうに青葉の友人として私を受け入れてくれた。その自然な雰囲気は、ああこれなら青葉もここには居心地がいいだろうなと思わせるものがあった。食事の後、青葉の部屋でしばらく話していた。
 
「冬子さん、留置き式のダイレーター使っておられるんですね?」
「うん。友人が調達してくれたんだけど、本当に入れっ放しにしておけて楽チン」
 
「他人に触らせるものでないことは承知で、ちょっとだけ貸してください」
「うん」
 
私はそれを取り出すとウェットティッシュで拭いてから青葉に渡した。青葉はそれを手に取ると、何か念でも込めている感じだった。
 
「これでもっと楽になるはずです」
「へー」
 
実際入れてみると、ホントに楽だった!
 
「これ入れてること忘れてしまいそう!」
「彼氏とデートする時は外し忘れないように」
「あはは、それ怖い!」
 

「でも、実際私と恋人になってもいいなんて男の人はいないだろうな」
と私が言うと、青葉は一瞬考えていたが
 
「今年中にはきっと彼氏できますよ」
と言った。
「へー!」
 
「それもきっと結婚しちゃうかも知れないくらいの」
「ふーん。。。」
 
「でも政子さんがいるから、別に彼氏は必要無いかな?」
「あのねぇ・・・」
と言ったまま、私は苦笑した。この子には嘘が通じないし隠し事もできない。
 
「でも、私にもこれくらいは分かるな。青葉、彼氏としちゃったでしょ?」
「え?」
「6月末に会った時と空気違うもん」
「えへへ」
と照れ笑いする青葉は可愛かった。
 
「あの彪志さんって子?」
「はい。結婚しようって随分口説かれてます」
「良かったじゃん」
「はい」
などと言ってまた青葉は照れている。私はその彼との関係がうまく行って、そしてその彼氏の御両親にも認めてもらって、青葉が幸せになることを心から祈った。
 
「ところで、青葉とうとう去勢したんだね?」
「あ、それも分かりました?」
「うん。青葉の雰囲気の違うのが何だろうと思って、先にそれに気付いたけど、それだけじゃないなと思って、彼氏との関係かというのに思い至った」
 
「冬子さん、少し霊感ありますもんね」
「そうかな。でもよく中学生に手術してくれる所、見つけたね」
「あ、これ違うんです。自然消滅したんです」
「えーー!?」
 

7月31日まで全国をキャンペーンで走り回り、最終日は大分・福岡・岡山・広島と駆け抜けた。8月1-2日は休みになるので富山に行き、また青葉のヒーリングを受ける予定であった。今回は和実と淳のカップルも富山を訪れるということで、彼女たちと会うのも楽しみであった。彼女たちは仕事の合間があると東北まで救援物資を運ぶボランティアをしているので、同じ東京に住んでいても、ふだんほとんど会う機会が無い。
 
キャンペーンの強行軍が終了したというので、タカ・サト・マキは繁華街に飲みに行ったが、私はひとり別れて「みっちゃん」でお好み焼きを食べ、その後広島の夜の町を散策していて、老齢の占い師さんを見た。何となく惹かれるようにしてその人の前に立ち鑑定してもらう。
 
占い師さんは私の「休養期間」について「2010年の7月8日がタイムリミットだった。これを過ぎてから再稼働しようとしても、復帰できなかった」と言った。鑑定を受けた時は、私がUTPと再契約したのが昨年の6月18日だったので、それで間に合ったんだな、と思ったのだが、後で考えてみると、もっと重大な日付があったことに気付いた。
 
それはローズ+リリーが★★レコードとメジャー契約した日である。ローズ+リリーは、高校2年の時は、★★レコードと正式契約しないまま同社からCDを出していた。その後大騒動を経て、2009年1月1日付けで、私と政子の双方の父の承認のもと、初めて正式にメジャーアーティスト契約を結んだ。しかしその契約の有効期限は1年で、同年12月31日で切れていた。
 
しかし私たちも町添さんも契約切れの件は黙殺して、ロリータ・スプラウト名義で私たちのCDを制作して同社から発売したりしていたし『その時』『甘い蜜』
『長い道』の音源は引き続きダウンロードストアで購入できるようになっていた。
 
しかし2010年春、私と政子はふたりの会社《サマーガールズ出版》を設立し、この会社と★★レコードの間で、ローズ+リリー及びロリータ・スプラウトに関するメジャーアーティスト契約を再締結した。その契約が成立したのが実は2010年5月3日だったのである。7月8日が占星術上のタイムリミットという計算は「ハウス境界」を天体が通過する日時から弾き出されたものだが、そもそもハウス境界というのは、かなり曖昧であり、6月18日というのが本当に期限内だったのかは微妙だが、5月3日なら確実に期限内であったろう。
 
ローズ+リリーは公式には「休止中」ということになっているが、ロリータ・スプラウトの方はその後も定期的にCDを出していて、毎回10万枚程度のセールスをあげており、それ自体が既に★★レコードのVIPアーティストになっているしサマーガールズ出版の貴重な収入源にもなっていた。
 

占い師さんは他に「私の子供」が27歳の時にできるとも言った。ハーモニクスとかいう理論で予想できるのだとか言っていたが、さすがに自分の子供ってのは無理だなと私は内心思っていた。
 
私は既に今年の4月に性転換手術を受けていて生殖能力はもう無い。実は高校1年の時に精子を冷凍保存していたのだが、ローズ+リリーで忙しかった時期に更新のタイミングが来て、対応しきれずに放置してしまったので、当然廃棄されてしまったものと考えていた。実際その後病院からの照会は無かった。
 
性別を変更して女として生きるというのは自分で選んだ道だが、子供が作れないというのはちょっと寂しいよな、と思いながら私は夜のカフェに入り、ブラックコーヒーをオーダーした。
 

コーヒーを受け取り、空いているテーブルを探していたら、奥の方で女の子がふたり、こちらに手を振っている。
 
「おはようございまーす」
と私は笑顔で言って、そのテーブルの所に座る。KARIONの和泉と小風だった。
「おはようございまーす」
 
と向こうも答える。隣のテーブルに座っていたおじさんが、その挨拶に「へ?」
という顔をしてこちらを見ていた。
 
「みーちゃん(美空)は?」
「なんか疲れたから寝てるって。私たちふたりだけで散歩しに出てきた」
「あれ? でも今日は岡山(ライブ)だったよね?」
「うん、でもみーちゃんが広島の牡蠣食べたいと言って、こちらに宿泊することにした」
 
「牡蠣はシーズンオフでは?」
「そそ。だから冷凍だけどね。満腹になるまで食べて、眠っちゃった」
「なるほど〜」
 

「あ、そうそう。フェス、2年連続出場おめでとう」
「ありがとう。そちらもRQで出るんでしょ?」
と小風が言う。
 
「うん。そちらと同じBステで。実はRPLで出ない?って打診が内々にあったんだけどね。政子に随分たくさん御飯食べさせた上で誘ってみたんだけど、本人かなり揺れてはいたんだけど、まだ数千人とかの観客の前では歌う自信が無い、と言うので辞退した。それで代わりにRQを出すことになったみたい。Bステは歌手、歌唱ユニットが中心だから、バンド形式のRQの出場は変則的なんだけど」
 
「ああ、かなり揺れる状態まではなってるんだ?」
 
「うん。実はRPLの新譜を今月出すつもりで準備してたんだよ。ところが急に『夏の日の想い出』を出すことになっちゃって。それでRPLの方は11月に延期になった。ライブもあと数ヶ月したらやってみたい、なんて本人言ってるから、あとはもう時間の問題になってきている。実は本人以上に大変なのが政子のお父さんなんだけど、そちらもだいぶ軟化してきてくれている」
 
「いや。。。『夏の日の想い出』自体、クレジットはRQでも実態はRPLのCDだよね?」
「あちこちのFMに出演してて、それだいぶDJさんに言われた」
 
「そもそもCDのサウンドの作りがこれまでのRQと違う。音質にしてもミクシングにしても、ジャケットやブックレットにしても、今までのRQのは凄く安っぽくて素人っぽかったのに、全部一流の作りがされてる」
 
「政子が参加したから、町添さんと話してRPL用の予算を投入したんだよ。だから原盤権も6割をサマーガールズ出版、3割を★★レコードが持つ」
「じゃ、やはりあれはRPLの作品だ」
 
「2chもそんなこと書いてるね」
「実質、RPLの復帰作だね。ミリオン行くでしょ?」
「今の勢いなら行くかも」
「KROにもミリオン行くの書いてよ」
「うーん。。。今年中はさすがに厳しいから、来年中には絶対行かせる。もし来年中にミリオン出せなかったら、サブリーダーはこーちゃん(小風)に譲るから」
「いらん、いらん」
 
「あ、そうだ。これあげるね」
 
私は『夏の日の想い出』の《先行プレスCD》を3枚渡した。本プレスしたものとはジャケ写が異なり、CD-Rで作られていてJASRAC許諾番号は印刷ではなくシールで貼られている。私とマリの生写真まで入っている。後に結構なプレミアムが付いたものである。
 
「サインしてよ」
「うん。RQのサインでいい?」
「RPLのサイン入れて」
「了解〜」
 

そんなことをしていた時、50歳くらいの女性が私たちのテーブルに近づいて来た。
 
「あの、済みません。もしかしてKARIONさんですか?」
「はい、そうですよ」と和泉。
 
「あの、よかったらサインいただけませんか?」
と言う彼女は色紙を持っている。
 
「いいですよ」
と言って和泉はバッグからマジックインキを取り出して、小風に渡した。
 
小風と和泉のふたりでサインを書く時は通常小風が「KAR」まで書き、和泉が「ION」を書く。しかし小風は「KA」だけ書いて、私に色紙を渡し、ニコっとする。私は和泉の顔を見たが頷いている。ま、いっかと思い、私は「RI」を古い《四分割サイン》を書いた時と同様の筆跡で書き、和泉に渡した。和泉は「ほぉ」という感じの顔をして最後の「ON」を書き、名前を聞いて、宛名と日付を入れて渡した。
 
そして私たちはその女性と握手をした。
 
こうして超激レアな「小風・蘭子・和泉」バージョンのKARIONのサインが誕生したのだが、多分もらった本人はそのことに気付いていない。
 

和泉たちと24時近くまでカフェで話していて、そろそろホテルに戻って寝ようかということになる。
 
「あ。そうだ。昨日、福岡ライブした後でさ、福岡の郊外のホテルに泊まったんだけど、すごく星がきれいで、この詩を書いたんだよ」
と言って和泉はノートパソコンを開いて、詩を見せてくれた。
 
「『星の海』か・・・。きれいな詩だね」
「曲付けてくれる?」
「うん。じゃメールしといてくれる?」
「OK」
「ミリオン行くようなの書いてよ」
「あはは。行ったらいいけどね」
「朝までにメロディ譜だけでも欲しいな」
「はいはい」
 

それで和泉たちと別れて自分のホテルの方に向かって歩いていたら、政子から電話が入る。
 
「冬〜、お腹すいたよぉ」
「ああ。食糧ストック無くなってるよね」
「もう、3日前からまともな食事してないよお」
「8月3日には東京に戻るから、コンビニでお弁当でも買って食べててよ」
 
「もう我慢できないから、新幹線の最終便に乗って、広島まで来た」
「へ?」
「今、広島駅にいるの。迎えに来て」
「えーー!?」
 
そういう訳で、私はタクシーを捕まえて広島駅まで行き、駅前にいた政子を拾い、そのまま深夜営業しているお好み焼き屋さんに行った。
 
「美味しい美味しい」
と言って、政子は涙を流しながら食べていた。男性でもけっこう手強いようなビッグサイズのお好み焼きを5枚食べて、お店の大将から
「お姉ちゃん、食べっぷりがいいね」
などと褒め?られていた。
 
「なんか久しぶりに満足いく御飯食べられた」
「よかったね」
 
「でもここのお好み焼き美味しい! また広島に来た時は寄ろうかな」
などというので、大将が
「あ、これどうぞ」
と言って、店のマッチを渡してくれた。
 
政子は「へー」という感じで受け取ると、マッチを1本取り出して火を点けてしまった。
 
私は注意しようとしたのだが、政子の表情を見て声を掛けるのをやめた。
 
「冬、紙持ってる?」
「うん」
 
私が作業用に持っていた五線紙を渡すと、政子はマッチは火を消してから近くにあった灰皿に入れ、愛用のボールペンを取り出して詩を書き始めた。何だかエロチックな詩だ。半月留守にしたので、政子も少し性的な欲求がたまっているのだろうかと私は思った。どうも今夜はホテルに帰ってからもすぐには作業に取りかかれないようだ。
 
詩には『蘇る灯』というタイトルが付けられていた。
「冬、これ朝までに曲を付けて」
「はいはい」
 
つまり今日は私は和泉の詩と政子の詩の両方に朝までに曲を付けなければならなくなった! でも何時に作業を始められるのだろう!?
 
「よし、詩を書いたから、お腹空いちゃった。お好み焼き、お代わりください」
と言うと、大将が「え?」と言った。
 
「政子、もう閉店時刻だよ」
と私は言ったが、
 
「ああ、いいよ。お姉ちゃん、食べっぷりがいいから、店の看板は下ろすけど作ってあげるよ」
と大将。
「わーい!」
 
そうして、政子は閉店時刻を1時間オーバーして、それからお好み焼きを3枚食べたのであった。私は時計を見て頭が痛くなってきた。
 
 
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【夏の日の想い出・眠り姫の目覚め】(1)