【夏の日の想い出・虹の願い】(4)

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12月9日(木)、『作曲家アルバム』最終回の取材は大宮万葉(青葉)であった。
 
私たちは小山市での取材が終わると、東京には戻らずにそのまま熊谷に向かった。そして熊谷のホテル昭和で1泊(青葉は自分のコテージに泊まる。私もそこに同室させてもらい、アルバムの状況を見させてもらった)してから、翌朝6人で Honda-JetBlue(ラピスラズリ優先機)に乗った。
 
大宮万葉(青葉)、私、ラピスラズリ、長坂ディレクター、佐竹カメラマン。
 
私のドライバー、佐良しのぶは熊谷で待機する。
 

「でもあっという間の2年間でしたね」
と機内で東雲はるこが言った。
 
「3ヶ月の予定が2年間まで延びたからね」
と私も言う。
 
「最後の方はシンガーソングライターさんが多かったけど、最後は歌手活動はしていない純粋な作曲家さんで締めることになった」
と長坂ディレクター。
 
「青葉に楽曲あげるから歌手デビューしないっ?と私も醍醐春海も言ったけど、本人はガラじゃないと言うし」
と私。
 
「大宮先生って歌は歌われないんですか?」
と東雲はるこが訊く。
 
「この子は中学の時も高校の時も合唱コンクールで全国大会に行ってソプラノソロ歌ってるし、それで中学でも高校でも全国3位になってる」
「すごーい!」
 
「3位取った時にソロを歌ったのは私じゃないけどね」
「でもコーラス大会の全国3位って凄いじゃないですか」
 

「朱美ちゃん・はるこちゃんも§§ミュージックに入る前はコーラス部だったよね」
「ええ、でもうちは人数が少なくて、そもそも評価対象になったこと無かったから」
「ああ、それは辛い」
 
「そういえば、元々ラピスの2人と大宮万葉は、そのラピスたちのコーラス部が遭遇した“天狗岩事件”で関わりができてたんだったよね」
と私は言った。
 
「それ何ですか?」
と長坂ディレクターが言うので、私はオフレコを条件にそのことを話した。
 
「2019年3月3日、珠洲市でコーラス部のイベントがあって、それに朱美ちゃんたちの中学も参加した。その帰りに、顧問の先生が折角珠洲まで来たからといって、部員たちを珠洲市の近くにある天狗岩という所に連れて行った。ところがその天狗岩は折れていた」
 
「あれは、おちんちんの形をした岩だったらしいんですよ」
と町田朱美が言う。
 
「なるほどー!」
 
「ところが、その天狗岩が折れたことで、その岩が“ふた”になっていた地下の穴が開いてしまって、そこから有害物質が噴き出してきていた。無臭だから気がつかなかったんだけど、その場に居た男性が影響を受けて、顧問の先生と男子部員2名が女性化しちゃったんですよ」
 
「そんな事件があったんですか!」
 
「その後、3月下旬に大宮万葉が『金沢ドイルの北陸霊界探訪』の取材でそこを訪れて、折れていて、できた穴から有害物質が噴き出しているのに気付いて、すぐ穴を塞いだので、その後はもう大丈夫になったんですけどね」
 
青葉は無言である。守秘義務に関わるからだろう。
 

「その女性化した男子生徒と先生はどうなったんですか?」
と長坂さんが訊く。
 
「顧問の先生はほぼ完全な女性になって、この方はパートナーが男性だったので、もう戸籍の性別を女性に変更して、婚姻届けを出そうかなどという話にまでなっていたものの、金沢ドイル=大宮万葉の知り合いの霊能者が除霊して元の男性の身体に戻してあげて、代わりにパートナーの女性になりたがっていた男性の方を女性に変えてあげて、めでたく結婚しました」
 
「それは結果的には良かったのかな」
「本人たちは幸せみたいです」
 
茜(朱美)がニヤニヤしているが、岬(はるこ)は今知ったようで驚いている。実はこの顛末を知っているのは、茜、茜の彼氏の啓太、私と青葉・千里くらいなのである。
 
「男子生徒2人の内1人は完全な女性になってしまったのですが、元々女の子になりたい子だったので、これ幸いと性別も修正して、今は女子制服を着て、女子高校に通ってますよ。本人は幸せそうですよ」
 
「それも結果的には良かったんだ」
「彼女の場合もうまく行ったようですね」
 
東雲はるこは俯いているが、性的な話なので、純情な、はるこが恥ずかしがっているのだろうと長坂さんは思ったであろう。
 
「あとのひとりは?」
「身体が女性化してきて、ペニスにも腫瘍ができて、どっちみちこのペニスは切断しなければと宣告されていたのですが、これは金沢ドイル自身が介入して除霊してあげたら、女性化が止まり、化学療法とかも受けて腫瘍も小さくなって何とかペニス切断は免れたんですよ」
 
「それは良かった」
「まだまだ治療には時間がかかるようですけどね」
「普通の男の子なら、ペニス切られるなんてショックすぎますよね」
と言ってから
 
「君たちのお友達も先生も大変な目に遭ったんだね」
と長坂さんは言っていた。
 
まさかその女子生徒になってしまったのが、東雲はるこ本人とは思いもよらないだろう。
 

能登空港に降りると、青葉の協力者で、個人ドライバーのひとり・伊勢真珠(いせ・まこと)が〒〒テレビのエスティマで迎えに来てくれている。
 
「ありがとう。マコちゃんが迎えに来てくれたんだ?」
「皆さん、いらっしゃい。青葉さん、おかえりなさい。放送局のドライバーさんだと、新しい家の場所は分かっても、車の駐め方が分からないだろうということになって」
 
「何か難しいの?」
「実は簡単なんだけど、難しく考えてしまう人がわりと居る」
 
それで、そのエスティマに乗って、高岡市内の青葉の家に行く。
 
青葉自身もこの家を見るのは初めてである!
 

真珠は能越道で能登空港から伏木に来たので、高岡北インターで降り東行した。家の西側(小学校側)からアプローチし、家屋を過ぎて、向こう側(東側)にある庭にエスティマを駐めた。車は並列に駐車していて、真珠は頭から駐車枠に突っ込んだ!
 

 
「突っ込んで駐めるんだ!」
「簡単でしょ? これバックで駐められると、家の住人からすると車に見詰められる感じになって、落ち着かない。だから、後ろ向きに駐めてもらうんですよ」
と真珠は言う。
 
「なるほどー!個人宅ならではだね!」
「これが神社とかだと、神様にお尻を向けるのは失礼だから、必ず前向きですよね。神様と人間は逆なんですよ」
「それは大いに違っていい気がする」
 
しかし一番端に駐めている(千里の)インプは突っ込んで駐めてると出る時にけっこう大変なのではという気もした。でも千里なら何とでもするだろう!
 
庭は水捌け(みずはけ)を良くするためか、全面に多孔性のブロックが敷き詰められている。穴はとても小さい(1mm程度)ので、靴のヒールがひっかかることはないだろう。実際私のパンプスのヒールは全く問題無かった。
 
ブロックはアスファルトのような色なので、一見アスファルトに見える。歩いた時の感じも柔らかく、アスファルトの感触に近い。そのブロックが敷かれた上に、U字型の(ドアスペース分離線が入った)駐車枠が8台分描かれている。車止めも付いている。
 
「8台駐められるって凄いね」
「駐車枠線を無視して奥から詰めてけば多分20台駐まります」
と真珠。
「それ奥に入った車は他の車が出るまで出られないよね」
 

ラピスの2人が隣に駐まっている車を見て
 
「あ、アクアのアクアだ!」
と喜んでいた。
 
「大宮先生の車ですか?」
「いえ、母の車なんですよ。私のはその向こうのマーチです」
「へー」
 
「その車はマーチ・ニスモといって実はマーチだけどスポーツカーなんだよ」
と私はラピスに教えてあげた。
 
「なんか格好いいなとは思いました」
と町田朱美が言っていた。
 

「でも大きな家ですね〜!」
と東雲はるこが感激している。
 
「私も今見てびっくりしました」
と青葉。
 
なんか計画図で見たのより大きくないか?と青葉は思った。建蔽率大丈夫?それに駐車場の向こう側に建ってる3階建ての離れみたいなのは何??この離れの建坪だけでも、これまでの家と同じくらいのサイズがあるけど。
 
(再掲)

 
(青葉が“離れ”と思ったピアノ練習室は内寸31.5畳で防音壁を入れて外寸は33.3畳=16.6坪。これまでの家は14坪なので、それより建坪が広い。なお母屋は88坪でバッテリー倉庫・小学生用の地下入口まで入れて、106坪になり、土地が229坪なので建蔽率(けんぺいりつ)は46%である。こういう大きな家は建蔽率以上に圧迫感を感じるので、60%で建てると物凄く庭が狭く感じる。また当初の計画図では、道路側(南)を大きく空けて、奥側(北)をギリギリに建てる予定だったが、道路近くに建てて裏庭を空ける建て方になったので、裏庭が見えない駐車場からは、より大きく感じる)
 

「初めて見たんですか?」
と朱美が質問する。
 
「前の家が区画整理に引っかかったので引っ越したんですよ。私は11月の頭からずっと東京方面(本当は熊谷)に出ていたんですが、新しい家は11月末に完成したので、私自身はまだ見てなかったんです」
と青葉は説明した。
 
「わあ、だったら新築ですか!」
 
まさか建築し始めたのが10月下旬だとは思わないだろうな。
 
「でも廂(ひさし)とか縁側(えんがわ)のある家っていいですね。最近あまりこういう家は見ないですよね」
と東雲はるこは、気に入ったようである。
 
「そうだね。日本的でいいね」
と言いながら、青葉は廂?縁側??と考えていた。
 

「太陽光パネルがたくさん載ってますね」
「そうですね。かなりの枚数ですね」
 
太陽光パネルを乗せるという話は聞いていたが、10枚程度載せるのかと思っていた。しかしこれはほぼ全面太陽光パネルに近い。屋根は奥側(北側)から表側(南側)へ傾斜する“片流れ”であるが、それも太陽光パネルを南向きに設置するためか?
 
「この家は東北地方で見る“曲がり屋”の構造に似ている」
と私は言った。
 
「それは私も思った」
と青葉も認める。
 
「ふつうL字型やコの字型の家は家相的に良くないと言われる。それは採光が難しくなるのと、水捌け(みずはけ)が悪くなりやすいから。ところがここはそもそも雨水を集めて浄水して使用するために、アンツーカーや通水性ブロックを敷いていて水捌けは全く問題無いし、採光はかなり工夫しているとみた。それにこれ、ケイさんが今言ったように、東北の曲がり屋と同じ。単に離れと母屋がくっついているだけのことで、母屋はL字型ではないんですよ」
 
と青葉も今見たばかりではあっても、そのくらいの分析はしたようである。
 
東北でよく見られる曲がり屋というのは、一見L字型の家に見えるが、実は単に母屋と馬小屋の間隔がゼロになってくっついて見えるだけのものであり、母屋自体は普通の長方形である。たぶん寒冷地域で馬小屋に行くのに寒い外気に曝されたくないので、便宜上両者をくっつけたたけのもの。接合部分の日当たりが悪くなりやすい部分には作業場など、暗くてもあまり問題のない部屋が設定される。
 

左手に回りこみ、玄関でピンポンを押す(玄関まで20m近く歩いた気がした)。
 
「はーい」
と言って、ピンポンの次の瞬間!ドアを開けてくれたのは千里である。千里がいるのは、インプが駐まっていたので分かっていた。車の音で気付いて玄関そばまで来てくれていたのだろう。
 
「お疲れ様〜。いらっしゃーい」
と千里が言うと
 
「おはようございます、醍醐春海先生」
とラピスラズリが挨拶している。
 
「青葉、東京での仕事終わった?」
「ただいま。まだ途中。今日のインタビュー終わったら東京にとんぼ返り」
「大変だね〜。あがって、あがって、って青葉の家だけど」
 
「お邪魔しまーす」
とラピスラズリおよび取材陣一行があがる。
 

リビングが広い!30畳くらいないか?計画図の倍じゃん。全て計画図の倍のサイズで作られてたりして??などと青葉は思っていた。
 
(計画図は77坪だったのが完成形は(ピアノルームを除けば)88坪なので、“南田にしては随分”控えめである)
 
「広いリビングですね」
と東雲はるこが言うが、千里は
 
「広すぎて落ち着かないし、今日は天気がいいからサンルームの方でお話しするといいよ」
と言った。
 
「サンルーム?」
 
何それ?
 
それで千里は一行を、広いリビングの向こう側にあるサンルームに案内した。
 
リビングとの間は壁とかではなく、プラスチック製のパステルカラーの衝立で区切られている。衝立に『鬼滅の刃』のキャラが、炭治郎・禰豆子・伊之助・冨岡義勇・胡蝶しのぶ・煉獄杏寿郎などと、描かれているので、東雲はるこが喜んでいた!(はるこは伊之助が好きらしい。朱美は冨岡義勇がいいと言ったが、青葉はそもそも『鬼滅の刃』を知らなかった!)
 
この絵は、ホワイトボードマーカーで描いているので飽きたら別の絵に描き直すこともできる。鬼滅のキャラは京平のリクエストで千里が描いたものだが、“早月画伯”が何か描きたいようである。しかし朋子が、今日お客様がいらっしゃるから、その後にしなさいと言った。早月はそのお客様に自分の絵を見せたそうだったが!
 

千里がボタンを押すと、カーテンが自動で開き、外側の雨戸シャッター?が上にあげられた。すると道路側(南側)と駐車場側(東側)は全面、すりガラスの掃き出し窓(*12)である。
 
「わあ、すてき〜!」
と東雲はるこが言う。
 
そこは15-16畳ありそうなサンルームであった。
 
屋根は透明ガラス?(*13)であり、照明を点けてなくても、とても明るいし、12月だというのにとても暖かい。
 

(*12) 窓の下辺が床と同じ高さである窓を掃き出し窓と言う。掃除する時に床のゴミをそのまま外に掃いて捨てることができる!言い方を変えれば全面ガラスの出入口である。襖(ふすま)や障子(しょうじ)のガラス版である。掃き出し窓で開き戸の形になっているものを特にフランス窓という。新・青葉家の場合は横に動かす引き戸である。
 
(*13) 天井はガラスではなく軽くするため、透明のポリカーボネイト板を使用している。(千里によると屋内で天体観測できるとか!)
 
こういう用途ではよく透明アクリル板が使用されるが、アクリルは燃えるし有毒ガスを発生する。ポリカーボネイトは難燃性だし、燃えても有毒ガスを発生しない。ただしアクリルに比べて透明性が若干落ちる。このポリカーボネイト板は千里が66%所有する(残り34%は“ひまわり女子高2年A組16番白雪ユメ子”が所有する)、フェニックス・ケミカル福井の若狭工場で作られたもので、非常に安価に売ってもらっている。
 
ムーラン建設や播磨工務店の料金が安い背景には、ムーランハウジング製(*14)のユニット素材やPCを多用するし、木材、プラスチック製品、吸音板などを系列会社で自前で調達できるのも大きい(H型鋼などは“ひまわり女子高2年A組16番白雪ユメ子”(以下面倒くさいので“紫微”)のコネでK製鉄から買うが、現在K製鉄の大得意さんになっていて、ランクが上がり仕入れ値が安くなってきている)。
 
(*14) ムーラン建設とフェニックス・ケミカルが共同で設立した会社で、PC(Precast Concrete 成形済みコンクリート)とユニットハウスおよびその部品などの建材を生産している。工場は福島県にあるが、播磨工務店の緑組(運搬専門チーム)が全国どこへでも、あっという間に運んでいってくれる。
 
千里は山を崩したり、川を堰き止めて洪水を起こしたりしたくてたまらない連中をまとめあげて、彼らの有り余っているエネルギーで“材木・鉄骨遊び”感覚の営林や土木建築をさせているのである。だからみんな楽しんで作業をしてくれている。人間の子供の砂遊びと大差無い!(但し“鉄骨チャンバラ”“鉄骨キャッチボール”などは禁止した)
 
斫り専門の茶組はとにかく壊すのが好きな子たち、運搬専門の緑組はとにかく飛び回るのが好きな子たちである。
 

ドーム球場の屋根とかは軽すぎて騒音がよく問題になるが、この新・青葉邸のサンルームの屋根は二重になっているので、多少の防音性はある。雨が降っても「そんなにうるさくないんじゃないかなぁ」と南田の予想。
 
床はプララスチック製のクッションマット・ブロックが敷き詰められているので冷たくない。
 
畳は優しいが家具を支えきれない。フローリングは美しいし、Pタイルはわりと丈夫だが、どちらも冬はとても冷たい。カーペットだと暖かいが、ほこりやダニが溜まりやすく、コロナの感染源にもなりかねない。
 
クッションマットは拭くだけで掃除できるので、清潔に保つことができるのに冷たくない。いいとこ取りのできる素材である。ブロックだから傷んだりしたらそこだけ簡単に交換できる。
 
この家のお掃除は新導入のルンバ2台がやってくれる。リビング・サンルーム担当の“そよ風”と奥側のプライベートエリア担当の“南京豆”である。早月の字で「そよかぜ」「なんきまめ」(←表記ママ)と本体に書かれている。
 
(京平が書こうとしたが、早月が「あたしもかける」と言って書いた。京平は優しいので文句は言わない。桃香は何も気にしない!)
 

青葉は唖然としていた。
 
計画図と全然違うじゃん、あの計画の話し合いは何だったの〜〜〜?と青葉は思っていた。
 
ということで、青葉の家の計画図と実際の完成図はこのようになっている。
 
計画図(再掲)

 
完成図

 
家が完成してから設計図を書く主義(?)の南田らしい。もっとも↑の計画図には、かなりの問題があったので、南田はそれを修正したのである。詳細は後述(*21). しかしそういう状況を千里から伝え聞いていたので、コスモスは町田朱美の家の打合せには七瀬に同席してもらった。
 

取材陣一行がサンルームに置かれたテーブルのまわりの椅子に座ると、朋子が紅茶を持って来てくれた。お砂糖を町田朱美は2個入れたが、東雲はるこは砂糖を入れない。ミルクは2人ともたっぷり入れた。
 
「これニルギリに似てる気がします」
と東雲はるこが言った。
 
「よく分かるね。これはニルギリの隣の州にあるカンナンデヴァンの紅茶」
と千里が言う。
 
「その名前は聞いたことあるけど、地理が分からない」
と青葉。
 
「インド半島の南端にふたつの州がある。右側・東側がタミル・ナードゥ(Tamil Nadu)州で、その中のニルギリ(Nilgiri)県で生産されているのがニルギリ。発音的には“ニラギリ”の方が近いみたいだけどね。音楽ユニットのNIRGILISの語源だね。その隣、左側・西側にあるのがケララ(Kerala)州」
 
↓インド付近全体図

 
「あ、ケララは聞いたことある」
と町田朱美。
 
「そのケララ州の、トラヴァンコール(Travancore)地方イドゥッキ(Idukki)県のムンナル(Munnar)という町に、カンナンデヴァン(Kannan Devan)という丘があって、そこで生産されている紅茶なんだよ」
 
↓インド南部超略図

 
「すみません。良かったら地図で教えて下さい」
と言うので、千里が地図ソフトを開いて、場所を見せていた。
 
「よくそんなにパッと表示できるね」
と青葉は半ば呆れて見ていた。
 
「あ、ラクシュミー紅茶会社なんてある」
「紅茶の生産をしている企業が20個くらいあるみたいね」
「すごーい」
 

「だけどここはサンルームの仕切りも衝立なんですね」
と東雲はるこ。
 
「今日はリビングの仕切りを全部片付けて全体を見せたんだけど、普段はあんなに広くては落ち着かないから、4畳半とか6畳程度に仕切って使ってるんだけどね」
 
「あ、やはりそうですよね!」
「その間仕切りも衝立だよ。パーティションとかで固定しない」
「へー」
 
「元々日本の家屋には壁で仕切るという考え方が無かったんだよ」
と千里は言う。
 
「そうなんですか?」
 
「平安時代の寝殿造りとかは、柱と屋根だけが作られていた。あとは衝立とか幕とかで部屋を区切って、必要に応じて組み替えていた。その組み替えすることを室礼(しつらい)と言っていたんだよ」
 
「すみません、どんな字ですか?」
と町田朱美が訊くので、千里が教えてあげた。
 

「でもこのサンルームは、お仏壇もあるし“仏間”なんですね」
と町田朱美が言った。
 
「そうそう。君たちも北陸出身だから“仏間”の意味が分かるよね」
と千里が言う。
 
「ええ」
とラピスラズリの2人が答える。
 
それで千里が私や東京のテレビ局のカメラマン、そして遅れネットで見る他県の視聴者(*15)のために“仏間”の意味を説明してくれた(千里は北海道出身だが、青葉が呆然としていて、今説明できる状態に無い)。
 
「北陸では、しばしば仏間を道路沿いに作って、お祭りの時に前を人が通ると声を掛けて呼び入れて、お酒を勧めて料理をふるまってお接待する習慣があるんです。これ、顔見知りの人ではあるけど、わりと通りがかりの人なんですよ。それで北陸ではそういう、お接待をしやすいように、玄関を通らずに直接道路から入れる広間を持つ住宅が多くて、そこに仏檀も設置するので仏間と言うんですが、これがあるのが北陸の家の特徴なんです」
 
「仏間に接続する続きの間になっている所もありますね」
と町田朱美が補足する。
 
「そうそう。直接入れる所が8畳くらいの和室で8畳くらいの仏間と障子や襖(ふすま)だけで仕切られていて、それを開放すると16畳くらいの大広間として使えたりする」
と千里。
 
「うちの伯父の家がそういう作りなんですよ」
と朱美は言っている。
 

「だからこのサンルームが仏間で、さっきのLDKが居間だよね。英語で言うとパーラーとリビング」
と千里は言う。
 
「パーラーと言うんですか?」
 
「日本の北陸以外でも、広い家では応接室と居間がある所があるね?昔の上島雷太先生の家とか、24時間365日誰かお客さんが居たから、そういうお客は応接室に入れておいて、家族は居間に居た。ああいう家では応接室と居間を分離する必要があったんだよね」
と千里は説明する。
 
「そんなにお客さんがいたら、分けないと家族が安らげませんね」
と東雲はるこも言う。
 
「西洋では、元々その家のメインルームとなる、最も広い部屋はパーラー(Parlour)と呼んでいた。しかしその内、パーラーで男性たちが政治のこととか経済とかで議論をしている間に、女たちは別の部屋に引き籠もって、おしゃべりするようになった。そういう部屋をドローイング・ルーム(Drawing room) と呼んだ」
 
「まさに引く draw なんですね」
「そうそう」
 
「ちなみに draw と drag は同じ語源。どちらも古英語の dragan から音韻変化したもの」
と千里は言う、
 
「ああ、どちらも“引く”だね」
と私。
 
「ドラッグクイーン (drag queen) の drag は元々女役をする少年俳優さんたちが女性の衣裳を引き摺っていたことから来てるよね」
 
「あれ女になる薬を飲んでるからとか思ってる人いますね」
「薬ならdrugだね。発音もスペルも違う。薬はdrug [drΛg], 引くはdrag [dræg]」
「だいたいドラッグクイーンさんたちは女の真似をしているだけで女になりたいわけではなないからお薬とかは飲まない」
 
「でも昔の女性の服ってそもそも引き摺るようになってますよね」
「だから裙を持つ係が必要になる」
「昔のお姫様は服も長い髪も引き摺る」
「昔のお昼様がフィギュアスケートしたら髪で躓いて転ぶかも」
 

「そういう訳で女たちの部屋ドローイングルームができたのがヨーロッパの状況だったんだけど、アメリカの場合は来客をパーラーで接待している間に、家族がのんびり過ごす部屋が発達した。それがリビングルームと呼ばれるようになった」
 
「じゃパーラーが一番古いんですか」
 
「うん。お金持ちの家のパーラーは広大だったから、結婚式や葬式は基本的にパーラーでやった。それからパーラーというのは家の中であって家の外でもあったから、髪を切ったりするのもパーラーでやった。美容院のことをパーラーと言うのはその名残り」
 
「喫茶店のパーラーもそれですね」
「うん。接待する場所だったんだよ。英語では葬儀場のことを funeral parlour と言うけど、それもその頃の習慣の名残りだね」
 
「へー!」
 

(*15) この番組は石川・富山・福井の北陸3県では毎月2回月曜の深夜に放送されるが、現在全国約40の放送局で遅れネットで翌週日曜の午前中などに放送される。つまり北陸3県の視聴者は2度見られる。
 
この番組は元々、現役水泳選手であるため水泳連盟からの要請で“東京オリンピックまでは”、定常のニュース番組などにあまり参加しないことになった青葉のために“石川県出身の新人アイドル”ラピスラズリを支援するのも兼ねて、〒〒テレビが、◇◇テレビの協力のもと、制作することになった番組である。
 
ラピスラズリの最初のレギュラー番組である。
 
しかし当初“2020年7月の東京五輪まで”1クールの予定で始まった番組はオリンピック延期で1年間終了時期が延び、結局2022年3月まで2年間にわたり放送されることになった。
 
更にラピスラズリがトップクラスのアイドルになってしまったため、ラピスのスケジュール確保にも苦労するようになった。また青葉は東京五輪で水泳を引退してアナウンサーに専念するつもりだったのに、五輪でメダルを3個(1500=Gold, 800=Gold, 400im=Bronze)も取ったことから、水連会長に説得され2024年のパリ五輪まで現役を継続することにした。結局青葉は少なくともそれまではとてもアナウンサーの仕事はできなくなった。
 
ラピスのギャラも、最初は「新人だしローカル番組だし」ということで、1回30万円(2人で30万。1人あたりの取り分は6万円)というタレントとしての最低未満のギャラだったのが、現在は20倍以上になっているし、その分制作費もあがっている。(青葉はアナウンサーなのでギャラ無し!放送局にも出社しないまま曖昧な月給を毎月10万円もらってるだけ)
 
遅れネットする局も当初は10局程度だったのが、すぐに20局程度に増え、現在は◇◇テレビ系列を含む全国40局で放送されている(2週間遅れの局もある)。
 
実は人気のラピスラズリの番組だし、土日の日中あたりに移行してくれないかという声もあり(実際そのような時間帯に放送している局も多い)、スポンサーも制作費を出すと言っているのだが大物作曲家は既にほぼ網羅したし、ラピスのスケジュールが厳しいし、青葉も忙しいしで、番組は今回の取材分で終了の予定であった。
 
この時期までは!!
 
§§ミュージック側は、ラピスが多忙なので、何らかの形で続ける場合もラピスではなく、誰か他のタレントでお願いしたいと放送局には申し入れていた。
 

ということで、サンルームでインタビューは行われることになった。
 
やっと本題に入る。
 
青葉が作曲家として活動し始めた経緯、音楽業界に足を踏み入れるようになったきっかけなどから話していく。
 
「へー。ケイ先生が書かれた曲に、大宮先生のモチーフのようなものが混入していたので、その曲の共同制作者としてクレジットしたのが始まりですか」
 
「『聖少女』だね。リーフの名前でクレジットした。今でもあの曲を聴くと心が癒やされる気がするという声を頂くんですよ」
し私は言う。
 
2011年6月19日の“クロスロード”での出来事である。あの時、私はローズクォーツで避難所を巡って慰安演奏をしていた。青葉は大船渡市内の避難所で過ごしている人たちの心のケアを頼まれて避難所めぐりをしていた。あきらは美容師団体の洗髪・ヘアカットのボランティアに参加していた。和実と淳は救援物資を運んでいた。千里と桃香は勤めていたファミレスの炊き出しに参加していた。
 
そして、これだけのメンツが偶然同じ避難所で遭遇した。その時、急な余震があり、赤ちゃんがスープを手にかけて火傷をした。それをそのメンツで応急手当をしたのだが、青葉はその赤ちゃんにヒーリングをしていた。その様子を見て私は『聖少女』を書いた。その時、青葉のヒーリングの波動が曲に混入してしまったのである。
 
この時全員が別方向から大船渡に来ていたので私たちは“クロスロード”と呼んでいる。
 
私は盛岡・花巻から移動してきていた(R263/R107)。
千里と桃香は釜石から南下してきていた(R45)。
和実と淳は気仙沼から北上してきていた(R45)。
あきらは一ノ関から東行して来ていた(R343)。
青葉は高岡から高速バスで仙台まで来て、佐竹慶子さんの車で大船渡に入っていた。
 
そして当時全員が“人生の迷い道”に入り込んでいたのをお互いに助け合ってそこから脱出したので“クロスロード”でもあるのである。
 

「その後、マリさんに無理強いされて、私がマリさんの詩に曲を付けたのが、本格的な作曲活動の始まりですね」
と青葉。
 
「『遠すぎる一歩』だね。槇原愛が歌ってヒットした。あれは鈴蘭杏梨絵斗(すずらん・あんりえっと)名義。鈴蘭杏梨(すずらん・あんり)というのは、マリ&ケイの別名義で、万葉が作曲した場合は絵斗(えっと)が付く」
と私は言う。
 
「その名前って何かいわれがあるんですか?」
 
「バルザックの小説に "Le Lys dans la Vallee" (ルリ・ダンラ・バレ)という作品があって、日本でも逐語訳した『谷間の百合』のタイトルで出版されている。ここで"Le Lys dans la Vallee" というのは英語でも"the lily of the valley" というけど、鈴蘭の別名(*16)でね。またこの小説のヒロインの名前がアンリエット(Henriette) なんだよ。それで題名とヒロインの名前をくっつけて“鈴蘭杏梨絵斗”というペンネームが生まれた」
 
(*16) 鈴蘭の、より一般的な名前は Muguet de mai (ムゲ・ドゥ・メ:マイアのムゲ/5月のムゲ)である。マイアは5月 Mai (フランス語では“メ”と読む。英語ではMay)の語源となった春の女神。日本語でも鈴蘭のことをムゲあるいは谷ムゲと呼ぶこともある。この花には多数の異称があり、アムレット(amourette, 愛の情熱)、ギエまたはグリエ(guillet/ grillet 熱(多分燃えるような愛)という意味?)、森の鈴(clochette des bois), “マイアのユリ”または“5月のユリ”(lis de mai), 谷間のユリ(lis des vallées), 森のムゲ(muguet des bois), 森の女王(reine des bois), マリア様の涙 (larmes de sainte Marie) などといったものがある。
 

「なんか面白い」
「要するにローズ+リリーのリリーに掛けてる」
「なるほどー」
 
「この小説読んだことない?」
「無いです」
 
「わりと高校生向け。移動時間とかにでも読んでみるといいよ。たぶん2-3時間で読めると思うし」
 
「へー。じゃ時間が取れたら」
 
後日、東雲はるこは読んで、ボロボロ涙を流したらしい。町田朱美は、はるこからあらすじを聞いて、それでいいことにした!
 
(むしろ恋愛中の朱美向きなのだが)
 

「まあ、あの時、ケイさんはライブの準備をしながら、アルバムの制作をしつつ、グランドオーケストラの企画も進めてて、くたくたに疲れて寝ていたんですよ。それなのにマリさんが『お腹が空いた。ケイを起こさないと御飯ができない』と言うので、私が御飯を作ったんですけどね」
と青葉は当時の状況を説明する。
 
「それで御飯を食べて、マリさんもお休みになるかと思ったら、詩を書いて、これに今すぐ曲を付けてもらいたいからケイさんを起こすと言うから、『じゃ私が曲を付けますよ』と言って」
 
と青葉は苦笑しながら言った。
 
「マリちゃんのワガママって、本当に困ったものだからね」
と私は笑いながら言った。
 
「それで作曲したんですか!」
 

「大宮万葉のペンネームのいわれは何なんですか?」
「あれはマリさんが勝手に私に命名したんだよ」
「へー」
「ある日マリさんから電話が掛かって来て、言うんだよね。『私が岡崎天音になるから、青葉は大宮万葉ね』って」
 
「どういう意味ですか?」
「私もさっぱり分からなかった!」
と青葉。
 
「マリって前提を言わないから何のことやらさっぱり分からない。あの子は自分が今したいことしか頭の中に無いんだよ」
と私。
 
「小さな子供と同じだよね。目標物しか見てない」
と千里が言う。
 
私も頷く。
 
「それでマリさんの字で岡崎天音名義の『黄金の琵琶』と書かれた歌詞がFAXされてきたから、これに曲を付ければいいのかと思って曲を書いて送り返したんだけどね」
と青葉。
 
「それがKARIONが歌ってYS大賞の優秀賞を頂いた『黄金の琵琶』だったんだよね」
「すごーい」
「その曲で、大宮万葉自身がコーラスの大会に出て全国3位になった」
「わぁ!作曲者ご自身で歌われたんですか!」
 
「たまたま部員の中に琵琶が弾ける子がいたから。でもコーラスの大会で琵琶を使ったのは、かなり珍しいと思う」
 
「ギター伴奏は見たことあるけど、琵琶は見たことないです」
と東雲はるこも言っている。
 
「あれ実は『黄金の竪琴』だったんだけどね」
と私。
 
「え〜〜!?」
 
「マリが青葉にFAXする時、竪琴を琵琶と書き間違った」
「そんなことあるんですねー」
「マリならしょっちゅうだね。でもあの歌詞は竪琴のつもりで書いた所を琵琶として読んでも違和感が無かったんだよ」
「それで私も全く気付きませんでした」
 
「それに琵琶にしたお陰で、万葉の友人のお祖母さんが人間国宝クラスの琵琶の名人さんでさ。それを入れた仮音源があまりにも素晴らしかったから、琵琶の演奏はその仮音源のものをそのまま発売音源に残したんだよ」
 
「へー!」
「あれは弾いた本人も、こんなに上手に弾けたのが信じられないと言ってたけどね」
「そんなことあるんですねー」
「希(まれ)によくある」
 
「カーペンターズの『スーパースター』は音源制作の時にカレンが最初に歌った歌唱があまりに素晴らしかったので、その最初の歌唱の録音でそのままリリースした。昔リトル・エヴァが歌う『ロコモーション』という曲が世界的なヒットになったことあるけど、本来は別の歌手が歌う予定で、リトル・エヴァは仮歌係だった。ところが彼女の仮歌があまりにも素晴らしかったので、そのままリトル・エヴァが歌ってレコードを出してヒットした」
 
「カモン・ベイビー・ドゥー・ザ・ロコモーションという曲?」
「そう、それそれ」
 

「コーラスの大会でもその人が伴奏したんですか?」
「さすがに65歳に女子高制服を着せてステージに並べるのは無理」
「社会人入学してもらえば」
「偶然琵琶の先生をしている人の息子さんが1年生に居たから、その子に女子制服を着せてステージに並べたけどね」
「息子さんに女子制服着せたんですか!?」
「その後、それを機会に学校の授業にも女子制服で出るようになったみたいよ」
「あ、元々そういう傾向の子か」
「最初男子制服で並ぶつもりだったみたいだけど、女子制服着たいでしょ?着ちゃいなよ、と唆した」
 
「ああ、そういう子はどんどん背中押してあげたほうがいいです」
と朱美は楽しそうに言っていた。
 

「でもそれで、岡崎天音・大宮万葉の黄金コンビが生まれたんですね」
と、珍しく、東雲はるこのほうが話を元に戻す!
 
「『黄金の琵琶』でデビューしたから、まさに黄金コンビだね」
「ほんとだ!」
 
「岡崎天音というのは、天から聞こえてくる音を感じ取るようにして詩を書くから、とKARIONの和泉は言ってたけどね」
「マリ先生ってチャネリング型の詩人ですよね」
 
「そうそう。頭で詩を書く人にはああいう詩は書けない。だからマリは一切校正しない。実際できないのだと思う。文法的におかしい所はあるけど、それを直そうとすると全面崩壊する」
 
と言いながら、ワンティスの高岡さん(アクアの父)が似たタイプだったよなと、私は小学生の時に出会った高岡さんのことを思い出していた。夕香さん(アクアの母)は頭で詩を書くタイプだ。
 
「“岡崎”は、マリが長崎県生まれの福岡県育ちだから、長崎と福岡を合体させて岡崎」
「愛知県の岡崎じゃないんだ!」
 
「大宮万葉は、大宮市の生まれで、今は“万葉の里”高岡市に住んでいるから」
「それぞれいわれはあったんですね」
 
「まあ適当に付けたんだと思うけどね」
「あはは」
 

「ラピスラズリという名前も実は、コスモスとこの3人で決めたんだけどね」
と私が言うと
「そうだったんですか!」
と2人は驚いていた。
 
「東雲はるこ・町田朱美という名前を付けたのはコスモス社長だけど、2人のユニット名でいいのはないかと相談された。それで“朱美”は“あけぼの”から来ていて、“しののめ”も“あけぼの”も朝の時間帯でしょ?」
 
「あ、はい。それは聞きました」
 
「それで朝の時間帯の美しさを読んだ、清少納言『枕草子』の一節」
と言って、私はその部分を暗誦する。
 
「春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山際、少し明かりて紫だちたる雲の細くたなびきたる」
 
「ここの“紫だちたる雲の”から紫色のものを使おうということになって、醍醐春海がラピスラズリというのを思いついたんだよ。2人組だから合成語っぽいものがいいと言って」
 
「そうだったんですか!」
 
「まあ合成語といっても lapis lazuli の lapis は“石”の意味でラズリは地名だけどね。ラピスラズリの産地の名前をとったもので、ラズリ石という意味だったんだ」
と千里は説明する。
 
「でもコスモス社長からそのあたり聞いてなかった?」
「全く聞いてません。あんたたちの名前は“ラピスラズリ”になったからと言われて、“ラピスラズリ・東雲はるこ”“ラピスラズリ・町田朱美”という名詞を頂いただけです」
 
「ああ、だいたいそのパターンが多い」
 
「花咲ロンドなんかも、いきなり『花咲ロンド』と書かれた名刺を渡されて、映画の撮影に行って来てねと言われた。川崎ゆりこなんて『新しい名刺ができたから』と言われて渡された名刺を見たら“§§プロダクション取締役副社長・川崎ゆりこ”と書かれていたらしい」
 
「うっそー!?」
 
(このあたりは“内輪ネタ”だが、放送時に結構視聴者には受けていた)
 

青葉は言う。
 
「だけど、私も初期の頃は、売れたと言っても作曲収入は年間数十万円程度だったんですよ。だから源泉徴収された税金が確定申告で全部戻って来ていた。アクアの作曲を担当するようになってから、唐突に印税がそれまでの100倍になって」
 
「ああ」
 
「税金払いきれなくて苦労した。源泉徴収されてる分なんてほんの僅かなんだもん」
 
「その話、よく聞きます。私は幸いにも何とか払えましたけど」
と東雲はるこ。
 
「§§ミュージックの場合は、必ず2つ口座を届けさせて、税金として払わなければならない予想額を別口座に振り込んでいるから、それを使い込んだりしない限り大抵は大丈夫なんだけどね」
 
(それをちゃんと理解してなくて使い込み、困ってしまって桜野みちるに泣き付き助けてもらったのが品川ありさ!)
 
「それにしても何か信じられない額を払わないといけないですよね」
と町田朱美も言う。
 
「ほんと税金は恐い」
「更に恐いのが地方税」
「あれはショックのダメ押しですね」
 
「歌手を引退した人が翌年すぐ復活したりするのて、税金払うためというのも結構あると思いません?」
 
「それはかなりあると思うよ。地方税のせいだね」
 
地方税は1年遅れで課税されるので、それまで歌手として毎年1億稼いでいた人が、引退して無収入になっても、昨年の収入・1億円に対する地方税を払わなければならない。それで税額を見て悲鳴をあげて、
 
「すみません。何かお仕事ありませんか?」
 
と元の事務所に相談するというパターンである。
 
地方税のみでなく、国民健康保険も最高額課せられるので、とても払えなくなって無保険状態に陥ってしまう人もある。
 

「アクアの楽曲は最初、上島雷太先生が書いたんだよ。でも上島先生は、自分の息子に曲を書いているような感じでやりにくいと言って、私に押しつけられた。でも当時私はとても余裕が無かったら、大宮万葉に押しつけた。それに、当時、アクアは14歳で、私は24歳。10年違うと物事の感覚がかなり違うしね。それでまだアクアに近いと思った、当時18歳の大宮万葉に託したというのもある」
 
「なるほどー」
 
「アクアも実際、大宮先生の歌はとても歌いやすいし、歌詞も分かりやすいですと言っていたよ」
 
「それってアクアを聴く人たちにも分かりやすいですよね」
「そうだと思うよ。アクアは幅広い国民の層に愛されているけど、やはり、アクアと同世代の男女がファン層の中核だろうからね」
 
「ですよね〜」
 

インタビューの中では水泳選手としての活動についても触れ、あらためて東京オリンピックで取った3個のメダルを見せてもらった。新しい家には地下にプールも作ったと千里が言うので、みんなで見に行く。
 
サンルームを出て玄関の向こうにあるエレベータで下に降りて行く。
 
サンルームを出ると、リビングがさっきは全体を見渡せたのが、仕切りを立てて区切られているのを見る。呪術廻戦のキャラが描かれていたので、また東雲はるこが喜んでいた。
 
(私たちがサンルームに居る間に、朋子さんと真珠で設置して、この状態を見せてくれたようだ)
 
エレベータでは、最初に案内役の千里が乗る所を長坂ディレクターがサブカメラで撮し、長坂さんも一緒に乗って下に降りて行く。その後、佐竹カメラマンが先に乗って青葉、私、町田朱美、東雲はるこが乗る所をエレベータ内から撮影した。
 
(ここにあるのは中型のエレベータなので定員は6名:1人65kg計算だから、このメンツなら本当は1度に乗った気もするが定員を守ったのと密を避けた)
 
そしてエレベータが地階に着き、最後に乗った東雲はるこが最初に出たのだが、・・・・・
 
エレベータを出た途端、透明な板にぶつかって大きな音を立てる。
 
「あ、ごめん、その板に気をつけてと言うの忘れてた」
と先に降りていた千里が言う。
 
「なんですか〜?これ」
と思わずその場に倒れてしまった、東雲はるこが頭を押さえて立ち上がりながら言う。
 
「落下防止板だよ。エレベータを出てすぐプールだから、気をつけないと、水に落下するから」
と千里は言っている。
 
「これエレベータの出口から1mくらいしか無いですね。僕もあやうくぶつかる所だった」
と長坂ディレクター。
 
エレベータが最初の計画では家の奥側(北東)の端だけだったのをそれだけでは不便だというので玄関近く(南側)にも設置した。それでその南エレベータを降りてすぐの所にプールの水面があるのである(北東エレベータは北西に変更になり、その後、屋外に新たに北東エレベータが設置された。後述の経緯参照)。
 
↓エレベータ前の緑の線が落下防止板(ポリカーボネイト製の透明な板)。
 

 
しかし誰かがぶつかるだろうというので、わざと言わなかったのではないのか?東雲はるこは、いつもぼんやりしているから、この手の失敗をするのは、あまりにも適役すぎるので、全部台本ではと思われかねないなと私は思った。
 
(実際放送時に「台本くさーい」と随分言われた。多くの人が「きっと、はるこちゃんだけ聞いてなかったんだ」と言った)
 

「お姉ちゃん、質問がある」
と青葉は言った。
 
「どうした?」
 
「計画図ではプールは2レーンだったはずが、どうして6レーンもあるの?」
 
「うーん。6レーン取れたから作ったんじゃない?」
 
(それが南田の性格!)
 
「6レーンもあっても使い道無いじゃん」
 
(青葉はさすがに少し怒っている)
 
「万葉が6人に分裂したら使うかもね」
「そういう展開は嫌だ」
 

そういう訳で、青葉は不満だったようだが、地下のプールは25m×6レーンという、大きなものになっていたのである。
 
「ここに並んでいる部屋は何?」
と言って、開けてみる。
 
4m×2.5mの部屋にプールサイド用の網の目状タイルが敷き詰めてある。その横にバスタブ・シャワーと便器がある(ふたを閉めたら椅子としても使えるようになっていて背もたれ・肘掛けも付いている)。トイレとバスはビニール製のカーテンで仕切れるようになっている。
 
「ここは更衣室だよ」
「まあ使うのが私とお姉さんくらいなら、このくらいのサイズでもいいか」
と青葉は言ったのだが
 
「これは個人用だよ」
「は?」
 
「レーンが6つあるから、更衣室も6つ作ったらしい。各々にトイレとお風呂が付いてるから、シャワーやトイレの順番待ちする必要もないしね」
 
「え〜〜〜!?」
 
「設備を共用しないというのは、感染対策の基本だよ」
 
「それはそうかも知れない」
 

千里と青葉、更には乗せられて、私と町田朱美も、千里が用意してくれていた水着(可愛すぎる!)に着替えて、この25mプールでひと泳ぎした。私と朱美か泳ぐレーンは“水深調整装置”を作動させて、水深を1.5mに変更してくれた。水深変更は5分くらいでできるので水着に着替える間に終わっていた。(千里と青葉が泳ぐレーンは3m)
 
この4人が泳いでいる様子もカメラで撮影していた。なお、泳がなかった東雲はるこはカナヅチである!
 
(彼女のあまりにも細すぎる腕や足では水泳は不可能だという気がする。彼女は小学校の水泳の授業を全部見学で押し通したらしい。もっともそれは男子水着にはなりたくなかったからというのが大きかったと思う)
 
プールを出た後、着替えて(確かに個別更衣室は便利だ)から今度は更衣室そばのエレベータで1階に戻る(↑のプール階の図面参照。図面左下の更衣室外側にあるもの)。このエレベータは小型なので3回に分けて乗った(プロデューサー・カメラマン/ラピス・青葉/私と千里)、
 
※浄水施設そばのエレベータは屋内には戻れず、屋外に出てしまう。これはこのプールを隣接する小学校の児童たち(顧問の同伴と2名以上のおとなによる常時監視必須)が使う時のためのものである。6レーンにしたのは実は小学生たちが使う場合を考えてというのもあったのだが、千里はそこまでまだ説明を聞いていなかった。水深可変装置も小学生のために用意した。小学生は水深1mで泳がせる(飛び込み禁止)。
 

エレベータを降りた所から廊下を6mほど歩いた所の部屋に入る。10畳ほどの部屋(実際には9畳)である。
 
そこに88鍵フルサイズの電子ピアノが置かれている。KORGのLP-380だ。隣にワークデスクがあり、富士通製のパソコンが乗っている。
 
「そのパソコンにはCubaseとKOMPLETE-13をインストールしてもらったから」
と千里は言う。
 
“インストールしてもらった”と言うのが千里姉らしいなと青葉は思った。千里姉が自分でインストールしようとしたら、誤ってディスクを爆発させたりしかねない!
 
しかし青葉は思った。結局、新居には電子ピアノを入れてくれたのか。今までポータトーン(彪志のお母さんからもらったもの)でやっていたのに比べると随分と進化だけど、結局グランドピアノではなかったのね、と。
 
「ここは作曲作業場ですか?」
と町田朱美が尋ねる。
 
「そうそう。ある程度イメージが固まってきた所で、それを打ち込んで譜面を作る作業をする場所」
と千里は説明する。
 

「ここはあくまで作曲作業用だから、演奏の練習はこちらでするんだよ」
と言って、千里は向こう側のドアを開けた。
 
気密ドアだ!
 
へ!?と青葉は思った。
 

↓の赤い矢印が私たちの歩いたルートである。

 
青葉は呆然としていた。
 
東雲はるこが
「すごーい!広ーい!」
と声をあげる。
 
「ここはミニライブができる広さがある」
と町田朱美が言う。
 
「まあ9半間×7半間で31.5畳、壁の総延長は32半間=29.1m ある」
と千里は言う。
 
「壁の長さが必要なんですか?」
とはるこが尋ねた。
 
「そう。そこに置いてあるピアノを演奏するために確保したんだよ」
と千里。
 
「大きいですね。これコンサートグランドですか?」
「うん。フルコン。Steinway and Sons Model D-274 Concert Grand Piano」
「これ2000万くらいしますよね?」
「青葉なら晩御飯代程度だね。でも、君たちだって、このくらいキャッシュで買えるでしょ?」
と千里はラピスの2人に言う。
 
「買えると思いますけど、このピアノを入れるために家を建てなきゃ」
と東雲はるこ。
 
「まあそういう性質のピアノだね」
と千里は言った。
 
町田朱美は納得したように頷いていた。町田朱美が建てる予定の家には、ここと似たような広さ、40畳サイズのピアノ練習室を作る予定である。スタインウェイのフルコンでもこの広さで行けるなら、お姉ちゃんはグランドピアノをもっと上のクラス(S4かS6)にリプレイスしてもあの部屋で行けるな、と朱美は考えていた。
 
そして、朱美は大宮先生宅の、電子ピアノを置いた小部屋と、グランドピアノを置いた大練習室がつながる構造は、自分が今建てようとしている家とも造りが似てるなと思った。(正解!同じ人が設計したから)
 

そういうわけで、サロン並みの広さのある部屋に巨大なスタインウェイのコンサートグランドが鎮座していたのである。
 
「何か大きなピアノだね」
と青葉は、やっと声を出して言った。
 
「まあ弾いてみてごらん」
と千里が言うので、青葉は溜息をついてピアノの前に座り・・・
 
『猫ふんじゃった』を弾いた!!
 
東雲はるこが、お腹を抱えて笑っている。町田朱美は肩をすくめている。
 
「やはり大宮万葉は面白い人だ」
と私は言った。
 
「著作権使用料を払わなくていいし」(*17)
「確かに」
 

(*17) 『猫ふんじゃった』は作曲者不明どころか、どこの国発祥かも不明の音楽で、恐らく19世紀頃までには生まれたものである。楽譜が無くても、子供たちから子供たちへと伝搬して世界的に広まってしまったと言われる。この曲は国によって様々な名前で呼ばれている。
 
日本・台湾:猫ふんじゃった、ブルガリア:猫のマーチ、韓国:猫のダンス、フィンランド:猫のポルカ、ルーマニア:黒猫のダンス
 
フランス・ドイツ・中国:蚤(のみ)のワルツ、オランダ・ルクセンブルク:蚤のマーチ
 
ロシア・アゼルバイジャン・ウクライナ:犬のワルツ、チリ:犬のポルカ
 
チェコ:豚のワルツ
スロバキア・ハンガリー:ロバのマーチ
メキシコ:小さなお猿
キューバ:三羽のアヒル
マジョルカ島:馬鹿のポルカ
アルゼンチン:道化師のポルカ
 
ポーランド:カツレツ
スペイン:チョコレート
 
しばしば「○○のワルツ」と呼ばれているが、この曲はワルツではない!譜面に起こされる場合は、だいたい2/4 または 4/4拍子で記載される。
 

 
イギリスでは"Chopsticks"(箸)と呼ばれるが、同じ"Chopsticks"という名前の別の童謡もある。ネット上ではしばしば両者が混同されているが全く別の曲である。そちらは日本では“トトトの歌”として知られる。
 

 
『猫ふんじゃった』の作曲者としてしばしばあげられる“フェルディナンド・ロー”というのは、ドイツ語の曲名 Floh walzer の"Floh"(蚤)を取り出して F. Loh と読んだジョークであり、真実では無い。
 
 
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【夏の日の想い出・虹の願い】(4)