【夏の日の想い出・種を蒔く人】(2)

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患者が頷く。それで手術が始まる。カメラはさすがに手術している患部は映さないものの「切開します」「左の睾丸を引き出します」「結索します」「今左の睾丸の精索を切断しました」と医師の声が流れてくる。更に右の睾丸の摘出も終了する。「去勢は完了しました。もうこれで男性ホルモンは生産されなくなりました。縫合します」という声が流れる。
 
この間、ネットでは「まさか本当にアクア様、去勢した?」などというつぶやきも流れている。この部分の視聴率はかなり高かったようである。
 
しかし手術が終わった所でカメラが患者の顔を映すと、患者は嬉しそうな顔をしているが、アクアではない!
 
「なーんだ!」
「やはり別人か」
 
といった声がネットに流れる。これはさすがにこういう展開を予想していた人が多かったようである。
 

しかし手術が終わった後、手術室から出てきた人物のひとりが顔を覆っているマスクと帽子を取ると、それがアクアである!
 
アナウンサーが寄ってくる。
 
「アクアさん、去勢手術の見学どうでしたか?」
「ΛΛテレビさんも悪趣味ですね。僕は血を見るの平気だからいいけど、気の弱いタレントさんは、貧血起こしますよ」
 
などとアクアには珍しく文句を言っている。
 
「どうです?アクアさんも去勢手術受けてみる気にはなりません?」
 
「えー、その件に関しては僕に去勢してくださいと署名してくださった40万人の方々には申し訳ないですけど、僕は去勢手術を受けたり、女性ホルモンの注射とかをしたりするつもりはないので、ごめんなさい。でも世の中には去勢していなくても、ちゃんとソプラノ・ボイスを出すことのできる、いわゆるソプラニスタの方もあります。僕はそれを目指したいと思いますし、そのためのボイトレもずっと受けています。ですから、去勢せずに声域を維持することに僕は挑戦しますので、その試みを応援してくれると嬉しいです」
 
とアクアは笑顔で言って締めくくった。
 
最後に番組は有名なソプラニスタの男性歌手がグノーの『アヴェマリア』を美しい高音のソプラノボイスで歌う所を映して終了した。
 

「そういえば、冬は一時期ソプラニスタを主張していたよね」
とその日うちのマンションに来ていた千里は言った。
 
「ああ。例の高校2年の時に性別がバレちゃった時の記者会見でも、この声はカウンターテナーの要領で出しているんだとか言ってた」
 
などと、なぜかここに来ている樹梨菜(蔵田さんの奥さん)がブランデーのグラスを揺すりながら言う。
 
「千里はどうなのさ?」
 
「私はマジで高校3年の3学期になってから唐突に声変わりしちゃったんだよ。その付近の経緯は雨宮先生に聞いてもらえば分かると思うけど。本当にあれは焦ったけど、雨宮先生が女声の発声法を色々指導してくれて、それで半月くらいで女声の出し方を見つけたんだ。でも安定して出せるようになるまで更に3ヶ月掛かったよ。ちょうど受験シーズンで学校にもあまり行かなくて良かったから助かった」
 
「何か嘘っぽい気がするけどなあ」
 
「冬の場合は、むしろ男声の発声法を見いだして声変わりを偽装していた口でしょ?声変わりを経て、そこまでの高音が出るのはあり得ないもん。私はE5までしか出ない。アルトの音域。でも冬はそのオクターブ上が普通に出てるし」
と千里が言うと
 
「それが真実だと思うよ。だって洋子は小学生の時からずっと女の子の声で話していたし、男みたいな声を出しているの見たことないもん」
と樹梨菜。
 
「私も声変わりしたんだけどなあ。ただ私は元々民謡のお囃子の声が出せたから、そこから女声の発声法を見つけたんだよ。でももう男声は出せなくなった」
と私は言う。
 
「男声が出せなくなっちゃったのは私もだなあ。声って習慣なんだよね」
と千里。
 
「そうそう。使ってない発声法はそのうち忘れてしまって使えなくなってしまう」
と私。
 
「それはあるかもしれんね。僕は最近はだいたいこんな感じのバリトンボイスで話している。まあ孝治の妻として人前に出る時はアルトボイスで話しているから、そこまでは出るけど、昔みたいなソプラノボイスはもう出なくなった」
と樹梨菜は男らしい声で言う。
 
彼女は過去に「高木倭文子」の名前で出した何枚かのCDではソプラノボイスで歌っているものの、今はオクターブ下げないと歌えないと言う。
 
「樹梨菜さん、その格好でその声なら、完全に男としてパスしてますね」
と千里が言う。
 
「うん。男子トイレで騒がれることはない。ただ困ったことに男湯には入れないんだよ。僕はちんちん無いし、おっぱいあるから。それとスーパーとかの授乳室に入ると悲鳴をあげられる。女を主張して実際に授乳始めるまで疑いの目で見られている」
 
「結婚生活優先で身体は直さないんでしょ?」
「まあ結婚生活というより家族生活だな。孝治は僕にちんちんがある方がいいみたいだけど、母親が性転換してしまったら、子供はおっぱい吸えなくて困るし。まだ授乳しないといけないから、男性ホルモンも飲めないし」
 
「まあ子供が小さい内は無理でしょうね」
「孝治に性転換して僕の代わりに母親にならない?と言ってみたけど、あいつは女のお股見るだけでも不快になるのに自分に女のお股が付いてたら自己嫌悪に陥ると言うんだよね」
 
「蔵田さんは世の中の全ての女にちんちんが生えてくるといいのにとか言ってた」
と私。
「面白い見解だ」
と千里。
「ちんちんがあったら、どこから子供を産めばいいんだと思うけどね」
と私。
 
「産む時だけちょっと取り外しておくとか。僕も大きいちんちん欲しいんだけどね〜。孝治はまだあと2人は子供欲しいみたいだし。一番下の子が中学出るくらいまでは身体は直せないかも」
と樹梨菜は言っていた。
 

「私の親友でFTXっぽい子もそんなこと言ってましたよ。子供が大きくなるまではホルモンもできないって。あの子も普段男装しているしトイレは男子トイレしか使わないみたいだけど。男湯にも何度か突撃してまんまと入って来たみたい。あの子けっこう胸あるのに」
と千里。
 
「男湯に突撃したか! 僕はその勇気無い。偉いなあ」
 
「でも私も千里も、まだ性転換前から女湯に普通に入ってたね」
「まあ子供だからできたんだろうけどね」
 
「あ、僕も実は小学4年生頃までは男湯に入ってた。でもおっぱい大きくなってきたから入れなくなっちゃったんだよ。あんたたちよくちんちん付いてるのに女湯に入ってたね」
 
「隠していたから」
と私も千里も言った。
 
「ところでアクアが小学校の修学旅行の時に女湯に入っちゃった話は聞いてる?」
と千里が楽しそうに言う。
 
「聞いてる。男湯に入ろうとしたら『小学生の混浴はダメ』と言われてスタッフさんに追い出されてしまって、困っていた所を女の子のクラスメイトたちにうまく乗せられて入っちゃったみたいね」
 
と私。
 
私はこの話は西湖から聞いたのだが、たぶん千里の情報源は佐々木川南だろうなと私は思った。
 
「うん。でも誰もあの子が女の子ではないなんて気づかなかったみたいと」
と千里。
 
「まああの子はふつうに女の子で通っちゃうだろうね」
と樹梨菜。
 
「それにあの子、女の子の裸とか着替えてる所とか見ても何も感じないみたい。だから女子更衣室であっても女湯であっても周囲に溶け込める。実際あの子、よく女性の楽屋に連れ込まれているけど、別に恥ずかしがったり緊張したりしてないんだよね」
と私は説明する。
 
「あの子、恋愛対象は?」
「本人は女の子が好きですと言っているけど少し怪しいと思う。ひょっとしたらアセクシュアルなのかも」
「まあそのあたりの性的な方向性は20歳くらいまでに決めればいいんじゃない?自身の性別についても、恋愛対象の性別についても」
 
「うん。性的なアイデンティティの確立だよね。今はまだモラトリアムでいいけど。ただ彼女、じゃなかった彼はやはり女の子になりたい訳ではないみたい」
 
「おっぱいくらいはあってもいいと思ってるでしょ?」
と千里。
 
「そのあたりも怪しいね。ブラジャーは普段学校に行く時とかも結構着けてるみたいだしバストパッドを入れてることもあるみたいだし」
と私。
 
「でも、混浴はダメと言われて男湯から追い出されるというのは私も冬も経験しているよね?」
 
「まあ私を男の子と思っている知り合いと女の子と思っている知り合いがいたから、そういう微妙なことが起きるんだよね。男と思っている知り合いに連れられて男湯の脱衣場までは行くけど、そこでスタッフさんに追い出される」
と私は言う。
 
「そうそう。周囲に誰もいなかったら普通に最初から女湯に入ってたけどね」
と千里。
 
「あんたたちが犯罪者であったことはよくよく分かった」
と樹梨菜は言っていた。
 

アクアはそっと浴室の戸を開けた。
 
誰も居ないかな?
 
そう思うとちょっとホッとして中に入る。
 
深夜だし、大丈夫だよね?
 
とりあえず椅子に座って身体を洗い髪も洗う。髪を洗ったあたりでホッとした。
 
ふぅ・・・。人に見られたらやばいなとは思うけど、こっちに入れって旅館の人に言われたんだもん。いいよね?などと自分に言い訳をする。
 
それで身体を温めてから早々に部屋に戻ろうと思い、湯船に入る。そして身体を湯に沈めて、ため息をついたところで、近くに別の客がいるのを見て、アクアは『ぎゃっ』と思った。
 
でも僕たぶん女の子に見えるよね?などと思ったものの、相手はこちらを見て首を傾げた。
 
「もしかしてアクアちゃん?」
と訊いてくる。
 
きゃー!僕のこと知られてるよ。あれ?でもこの人見たことある。
 
「あ、丸山アイさんですか?」
「うん。奇遇だね」
と言って向こうは微笑んでいる。
 
「丸山アイさんって女の方だったんでしたっけ?」
 
と言いながら、アクアは水面から半分だけ出ている丸山アイの豊かなバストを見て『いいなあ、こんなおっぱい僕も欲しいかも』などと思った。
 
「そうだけど。私もよく性別誤解されてるみたい」
「でも丸山アイさんって高倉竜さんですよね?だから実は男の人なのかと思ってた」
 
「よく知ってるね。誰から聞いたの?」
「だって声が同じですよ」
「それが分かる人はレアだよ。でも一応非公開だから他の人には言わないでね」
 
「はい。言いません。でもアイさん女の人なら、よくあんな低い声が出ますね」
「うん。私は5オクターブ出るから、低い方の声を使うとまるで男が歌っているように聞こえるんだよね。それでああいうのも出してみたんだよ」
「へー」
 
「でもアクアちゃんって、実は性転換してたの?」
「ごめんなさい。僕、男の子です」
「だったら、どうしてこちらに入る訳?」
 
と丸山アイは可愛い感じのソプラノボイスで訊いてくる。でも咎める感じではなく、むしろ単純に疑問を投げかけてくる感じだ。
 
「実は男湯に入ろうとしたら、脱衣場の掃除をしていた旅館の人に『こちらは男湯です。女性の方は向こう側の女湯に入って下さい』と言われちゃって」
 
「自分は男ですって主張すればいいじゃん。脱いで見せればいいし」
「何か話を聞いてくれる雰囲気じゃなかったんですよー」
 
「あれ?でもさっき湯船に入る所見たけど、ちんちん付いてないように見えた」
「実はタックというのして隠しているんです。ピッタリしたズボン穿いた時に、おちんちんの形が外に響くの嫌だから。それに僕けっこう女役するし、女役の時は特にやばいんですよ」
 
「ふーん。タックは知っているけど、確かにタックしてたら、男湯脱衣場で自分が男であることを証明できないね。むしろ、やはりあんた女じゃんと言われてしまいそう」
 
「そうかも。でもおっぱい無いですよ」
「タックとかするんなら、おっぱいはブレストフォーム貼り付けておく手もあるけどね」
 
「ブレスト・・・?」
「ブレストフォーム。接着剤で肌に貼り付けるから下着を脱いで裸になってもバストがあるように見えるんだよ。あとでネットで調べてごらん。結構高いけど、アクアちゃんの経済力なら1時間分のお小遣いで買える」
 
「僕、月のお小遣いは3000円です!」
「慎ましくていいね」
「中学生の内から何万何十万とか平気で使っていたら、ろくな大人にならないとお母さんに言われているんです。ギャラは全部貯金しています。お小遣いはお母さんの給料からくれるんですよ」
 
「いいお母さんじゃん」
「ありがたいです」
 
「あれ?もしかして君って里子?」
「あ、はい」
「実の親は・・・・分かった。君って高岡猛獅の娘だ」
「どうして分かるんです!?」
とアクアは驚いて言った。とりあえず「息子」ではなく「娘」と言われたことは気にしないことにする。
 
「高岡猛獅にそっくりだよ」
「そんなに似てますか?」
「うん。やはり父娘だね」
 
そんなことを言われてアクアは心が温まる思いだった。アクアは母(長野夕香)については、きれいな青い振袖を着た姿に少しだけ記憶があるものの、父の姿は全く記憶が無い。
 
「でも今日みたいなケース、係員に言われなくても、ちんちん付いてなかったら、浴室の中から他の男性客に通報されちゃうかもね」
「あ、そーか」
 
「男湯に入りたかったら、ちゃんとタックは外して、ちんちんあるようにしておかなくちゃ」
「そうでした」
「それに今日の下着は?」
「実は女物の下着、つけてたんです」
「まさかスカート穿いてないよね?」
 
「実はついさっきまで穿いてました。今日は番組の前宣を兼ねたスナップ写真の撮影があってさんざん女の子の服を着たから、気分が女の子になってしまって夕食の後、部屋でスカート穿いてくつろいでいたんですよねー。でもお風呂行く時にスカートまずいかなと思ってズボンに穿き換えました。でも下着はそのままで」
 
「まあ最近はスカート穿く男の子も普通にいるけどね。私の友だちの男の子にも何人かスカート好きな子いるよ」
と丸山アイ。
 
「やはり、いますよね?」
と言ってアクアは何だか自分が特殊ではないように思えて安心した。
 
「でもスカート穿いてなくても、ブラとかショーツ着けてたら男湯に入るのはかなり無理があった気がする。それにアクアちゃん、ブラ跡が付いてるし」
 
「これ取れないんですよ〜」
「あれだけ女装してたらね」
「みんな僕に女装させるんです」
 
「アクアちゃん可愛いからいいんだよ。でも、タックって、してる最中は睾丸が体内に入っていて体温のせいで活動性が悪くなるよ。ずっとやってると睾丸の機能が死ぬ可能性もあるし」
 
「あまり睾丸に働いて欲しくないから。僕、女の子になりたい訳じゃないけど、声変わりは一生来なければいいのにと正直思っているんですよねー。だから万一機能停止しちゃったらその時という気もするし」
 
「だったら取っちゃえばいいのに。そしたら間違いなく声変わりは来なくなる。睾丸取ってくださいって署名が50万通だったっけ?」
 
「あれ絶対悪ノリして署名してる人が大半ですよ。それにネット署名だもん。ひとりで何千と署名した人もいそうだし。僕実際、睾丸はまだ取りたくはないですけど、あまり働かれたくもなくて」
 
「ああ。何となく分かる。君はひょっとしてと思ってたけどMTXに近いのかな?」
「MTX?」
「分からなかったら、後でネットで検索して調べてみるといいよ」
「そうします」
 
「それとさ。睾丸取る取らないと関係無く、君、今のうちに精子の冷凍保存しておいた方がいい。よくタックしているのなら、精子がやがて生産されなくなる可能性あると思う。子供欲しいんでしょ?」
 
「ええ」
 
「維持費用は掛かるけど、君の収入なら問題無いし」
「そうですね・・・」
 
「でもアクアちゃん、人気アイドルなのに、女湯に入るのはやはり危険だよ。こういう旅館なら貸し切りにできる家族風呂とかあるからさ。そういう所を借りたらいいんだよ」
 
「そういうのがあるんですか?」
「今度からマネージャーさんに言ってごらんよ」
「そうしようかなあ」
「だってアクアちゃん、若い子には顔知られているもん。万一女湯不法侵入とかで逮捕されたら、とんでもないことになるよ」
 
「それはそう思ったんですけど」
 
「でもまあ、自分の性別のことは20歳くらいになるまでに決めればいいかもね」
と丸山アイは言う。
 
「実は親しい人何人かからそう言われています」
とアクア。
 
「今夜のことは私も黙っているし。でも他の女性客が来る前に出た方がいいかも」
「そうします」
と言ってアクアは出ようとするが、
 
「まだ身体が温まってないでしょ?100まで数えてからあがったら?。多少の時間は他の客が来ても誤魔化してあげるから」
と丸山アイが言うので
 
「ありがとうございます。そうしようかな」
と言ってアクアは数を数え始めた。
 

2016年3月19日からKARIONの春のツアーが始まった。今回の日程はこのようになっている。
 
03.19(土)那覇 03.20(日)福岡 03.21(祝)金沢 03.26(土)名古屋 03.27(日)幕張 04.02(土)札幌 04.03(日)仙台 04.09(土)東京 04.10(日)大阪
 
ツアーに同行するのはこういうメンバーである。
 
Gt.MIKA B.HARU Dr.DAI Sax.SHIN Tp.MINO KB.響美 KB/Vn.夢美 Fl/篠笛.風花 Gl.綾部美織 笙/篠笛/Fl/Sax.今田七美花 龍笛/篠笛/Sax.鮎川ゆま Vn.長尾泰華 琵琶.田淵風帆 Chorus:Voice of Heart
 
今回龍笛を吹いてもらうことにした、ゆまは南藤由梨奈の方のツアーはゴールデンウィークなので今回こちらに参加してくれた。龍笛はかなり吹き手を選ぶ。元々千里や青葉のような名手を想定してパートが作られているので、そんじょそこらの吹き手には吹けないのである。
 
今回グロッケンシュピールを演奏してくれることになった綾部美織さんは音大の風花の後輩である。打楽器科であるが、同じ古楽器研究会に所属していて交流があったことからお願いした。
 

ところで3月6日の震災復興ライブまでは顔を出してくれたTAKAO(相沢孝郎)は2月25日を持ってトラベリング・ベルズを退任し、代わって妹の海香さんがMIKAの名前で加わることになったのだが、トラベリング・ベルズでは孝郎さんの後任のリーダーを誰にするか話し合った。
 
「最年長のMINOさんに1票」
とSHINは言う。
 
トラベリング・ベルズの各メンバーの生年はTAKAO 1980 MINO 1981 HARU 1982 DAI 1984 SHIN 1986 であった。MIKAは1990生まれである。TAKAOからは10歳も年下の妹だ(亡くなった孝郎の弟=海香の兄は1985生)。
 
「俺はリーダーの柄じゃないから、最年少で前リーダーの後任のMIKAちゃんに1票」
とMINO。
 
「さすがに新入りがリーダーってのは無いよ。私は辞退するから他の4人の中から決めて欲しい」
とMIKA。
 
「うーん。だったらMINOの最年少を選ぶというロジックではSHINになるな」
とHARU。
 
「あ、それもいいかも。最年少だけど実は最古参メンバーだし」
とDAI。
 
トラベリング・ベルズの加入順序は和泉と蘭子を除けば TAKAO・SHIN→HARU→DAI→MINO である。ただ全員2008年夏の1stアルバム『加利音』までには揃っているので実際には加入順序は誤差の範囲だ。TAKAOとSHINはデビュー直後の1月中旬のキャンペーンにも参加している。ただし当時はインペグ屋さん(ミュージシャンの手配業者)の斡旋で来ただけだったし、毎回参加していた訳でもない。
 
「よし。決を採ろう」
とMINOが言う。
 
すると SHIN 3票、MINO 1票、棄権(MIKA) 1票で、SHINがリーダーに推挙された。
 
「ちょっと待って。俺みたいなちゃらんぽらんした奴がリーダーやったら、トラベリング・ベルズの性格が変わっちゃうよ」
とSHINは焦って言う。
 
「それもいいんじゃない?」
「コミックバンドに衣替えしてもいいな」
「毎回変な衣装着るとか」
「いや、それ既に今までもやらされている気がする」
「小風ちゃんが毎回変なこと思いついてはやらされてるからな」
 
そういう訳で新しいリーダーはSHINに決定したのである。
 

3月19日・那覇マリンセンター(3200人)でツアーの初日が始まる。
 
1ベル、2ベルが鳴り、客電が落ち、緞帳があがる。拍手が来る。
 
KARIONの4人はお揃いのふわっとした白いドレスを着ている。白雪姫をイメージした衣装である。
 
オープニングは『雪の世界』である。響美さんのシンセサイザーが風のような音を出す。夢美と泰華のツイン・ヴァイオリン、風花のフルート、七美花のピッコロ、それにSHINのアルトサックスとゆまのソプラノサックスの音がとても美しい。その美しい音に乗せて、透明感のある声の和泉をリードボーカルとするKARIONの4人の声が響く。
 
この曲ではドラムスのDAIは静かにハイハットだけをチチチチと打っている。
 
舞台は洋風のお城を遠景とする森の中のようなセットが組まれており、舞台後方のホリゾント幕に雪が降る様子が裏側から映写されている。実際に若干の紙を小さな三角にカットして作った雪もステージの上の方から落として、雪が降っている雰囲気を醸し出している。
 
雪のセットというのは昨年春のローズ+リリー(「雪月花」にちなむ)のツアーでもやったが、ステージの作り自体は今回のKARIONツアーの方が凝っている。
 
舞台左手には白雪姫と7人の小人の小屋をイメージした小さな小屋が置かれている。これは実は2014年12月のローズ+リリーのツアーのセットで使った和風の民家を少し改修して洋風?の外装にし、今回使うことにしたものである。
 

静かで美しい演奏に観客は手拍子も打たずに聴き惚れていた。
 
そして演奏が終わると同時に物凄い拍手が来た。
 
「こんにちは、KARIONです」
と4人で一緒に挨拶する。
 
「今の曲は先日発売したKARION 10番目のアルバム『メルヘンロード』から『雪の世界』、福留彰作詞・TAKAO作曲の作品でした。演奏者を紹介します」
と和泉が言う。
 
「ボーカル:KARIONのいづみ」
「みそら」
「らんこ」
「こかぜ」
とここは尻取り順に各々名乗り、それぞれ拍手をもらう。その後、和泉が伴奏者を紹介する。
 
「シンセサイザ:川原響美」
「ヴァイオリン:川原夢美・長尾泰華、胡弓:若山鶴風」
「フルート:秋乃風花、ピッコロ:若山鶴海」
「コーラス:Voice of Heartのアユ・エビ・キス・タラ」
「グロッケンシュピール:綾部美織」
「アルトサックス:SHIN、ソプラノサックス:鮎川ゆま」
「トランペット:MINO」
「ドラムス:DAI」
「ベース:HARU」
「ギター:MIKA」
 
ひとりずつ拍手をもらうのだが、最後にMIKAを紹介した時、会場内にざわめくような声がある。すると和泉が言う。
 
「ちなみにギターのMIKAは先日までは男性でTAKAOと名乗っていたのですが、性転換して女性になりまして、MIKAと改名しました」
 
「え〜〜!?」
と会場の声。
 
「あ、MIKA、本人からも一言どうぞ」
と和泉。
 
「どもども、性転換して女になりました。TAKAOあらためMIKAです。女になってしまったけど、男に負けないようなパワフルなギター弾きますのでよろしく」
 
会場がかなりざわめいている。
 
「ちなみにMIKA、誕生日も変わったよね?」
「そうそう。TAKAO時代は1980年11月17日生の35歳だったんですけど、性転換してMIKAになった途端、誕生日が1990年5月30日生の25歳になっちゃいました。性別が変わるのと同時に年も10歳若くなりましたね。星座も蠍座から双子座に変更です」
 
会場が更にざわめいている。
 
「最近の性転換手術って年齢も変わるんですか?」
と小風が訊く。
 
「そうなんですよ。おちんちんが10年分の年齢を持っていたから、それを取ることで若返ったみたい」
とMIKA。
 
「だったら若くなりたい男の人はおちんちん取るといいね」
と美空。
 
会場はかなりざわめいている。
 
「で、実際はどうなってるんだっけ?」
と横からSHINが訊く。
 
「うん。実は私はTAKAOの妹なんです」
 
会場が何だか安心したような空気に変わる。笑い声も多く響く。
 
「兄貴が先日テレビ放送でも映っていた旅館の社長になってしまったので、代わりに妹の私が同じギター担当で加入することになりました。みなさん、よろしくお願いします」
とMIKAはあらためてお辞儀をして観客に挨拶した。
 
会場は笑い声に包まれ、続けて大きな拍手が送られた。
 
「ちなみに今演奏した『雪の世界』は福留彰さんと兄貴がKARIONに書いた最後の曲ということになります」
とMIKAが言うと、あらためて拍手があった。
 

ライブはその後『メルヘンロード』の曲を中心に演奏して行く。
 
『白雪姫は死なず』『目覚めた眠り姫』『待ちくたびれたシンデレラ』、『ツンデレかぐや姫』『戦え赤ずきん』『青い鳥見つけた』『こぶたの姉妹』、『白兎開眼』そして昨年夏のシングルから『魔法の鏡』『お菓子の城』と演奏したところで、いったん休憩となる。
 
ここでトラベリング・ベルズや他の伴奏者たちが退場し、和泉・美空・小風の3人も退場するのだが、私は退場しない。そしてセットの中にある小さな小屋の扉を開けて中に入ると、白雪姫風の白いドレスを脱ぎ、小屋の中に用意してあった、赤いバラをイメージしたドレスを着て、また扉を開け、外に出てくる。
 

この演出に観客はかなりざわめく。そして白いユリのような細身のドレスを着たマリが舞台下手から出てきて、私と並ぶ。そしてふたりで
 
「こんにちは、ローズ+リリーです」
と挨拶する。
 
観客はざわめきながらも拍手をしてくれて「マリちゃーん」「ケイちゃんーん」という声を掛けてくれる。
 
「沖縄に来たら暑いかと思ってたけど、肌寒いね」
「さすがにまだ3月だしね」
「私、ビキニの水着持って来たのに」
「昼間なら海に入れると思うよ」
「じゃライブの後で付き合ってよ」
「まあ少しなら」
 
「ところでケイ、さっきまでどこに居たの? 私ケイが居ないと思って探していたら、もうステージに出てるからびっくりして急いで出てきた」
 
「うん。私はいつもマリのそばにいるから安心して」
「ところでケイはKARIONのらんこと同一人物ではないかという噂があるよね」
「さあ、そのらんこちゃんという人と会ってみたことがないから分からないなあ」
 
「同一人物なら、らんこと会うことができないのでは?」
「それは面白い見解だね。では曲に行きます。『コーンフレークの花』」
 
それで私たちはカラオケでこのコミカルな曲を歌う。今日はダンサーは居ないがホリゾント幕にPVでおなじみになった豚の男の娘ペアが出てきてダンスを踊る映像が投影されると、観客から歓声があがっていた。
 
フルコーラスで歌い、豚のストリップが終了した所で歌も終わる。大きな拍手がある。
 

「今後ろに映っていた豚ちゃんたちは男の娘だったみたいだけど、実際問題として、豚とか牛とか、家畜のオスは去勢されている子が多いよね」
とマリは言うる
 
「まあオスのままにしておくとお肉が硬くなったり独特の臭みが出るから、そうならないように去勢するんだよ」
と私は説明する。
 
「じゃ世の中に居る豚君や牛君って実は男の娘が多いんだ?」
「まあ別に女装はしてないと思うけど。あと去勢するのは可哀想といって最近では薬で肉質が悪化しないように抑える方法も開発されているみたいだよ」
 
「そう? 人間も豚もタマタマなんて生まれてすぐ取っちゃえばいいと思うけどなあ。ケイも取って欲しかったでしょ?」
 
「うーん。私は取って欲しかったけど、取りたくない子も多いと思うよ」
 
「そっかー。世の中面倒くさいなあ。でもアクアのタマタマは取るべきじゃない?」
 
このマリの発言に対して観客の中から拍手が起きる。
 
「本人が取りたくないと言ってるからそのままにしてあげようよ」
「そこを何とか説得して。あるいは眠り薬を御飯に仕込んで寝ている内に病院に運び込んで」
「それって犯罪だからね。次の曲『灯海』」
 
私たちはその後MCを交えながらもう1曲『振袖』まで歌ってから、ふたりで一緒に舞台下手に下がった。約20分のステージであった。
 

その後、代わって上手から出てきた人物を見て観客が物凄く騒ぐ。
 
「こんにちは。お久しぶりです。明智ヒバリです」
と挨拶してお辞儀をすると
 
「ヒバリちゃーん!」
という声が多数掛かる。
 
「今回のKARIONさんのツアーでは毎回違うゲストが登場するということで、沖縄はあんたの地元だからちょっと出ない?と言われて、出てきました。最後にステージに立ったのが2014年の夏で、実際問題としてデビューして半年でダウンしちゃって、ファンの皆さんのご期待に応えられなかったんですけど、私のCDって今でも毎月1000枚とか2000枚とか売れているらしくてありがたいなと思っています」
 
ここで拍手がある。
 
「それで今回のKARIONさんの沖縄公演で私が1曲だけ歌わせてもらうということにしたのですが、その話を聞いた東郷誠一先生がわざわざこのステージのために曲を書いてくださいまして。それを歌わせて頂くことにしました」
 
ここでまた拍手がある。
 
「曲名は『心の翼』と言います。病気で入院していてベッドから出られない女の子が外の世界に出て自由に飛び回りたい。その翼が欲しいと歌う曲で、私が入院していた2014年後半のことをそのまま曲にしてくださったみたいで私、譜面と歌詞を見た時、ドキッとしました。それでは聞いてください。『心の翼』」
 
それでカラオケの音楽が始まり、ヒバリが歌い出す。
 
ステージから2年近く遠ざかっていたとは思えない堂々とした歌い方である。声もよく出ていてマイクを口からかなり離しているにもかかわらず、しっかりと会場の隅まで声が届いていた。
 
5分近い曲が終わり、ヒバリがお辞儀をすると物凄い拍手が送られた。それでヒバリは再度お辞儀をして退場しようとしたのだが、そこに
 
「アンコール!」
「ヒバリちゃん、もう1曲」
 
といった声が掛かる。ヒバリが戸惑うようにしていると、舞台袖からマリがさっきの衣装のまま出てきて言う。
 
「ヒバリちゃん、リクエストされているから、もう1曲歌いなよ」
「でも何を歌おう?」
「去年、おちんちん無くした子に会いに来た時、ヒバリちゃんが唄ってくれた曲」
「おちんちん無くした子?」
「あの可愛い子」
「ああ、あの子か! じゃあの祝い唄ね」
「あ、それでよろしく〜」
 
「それではこの曲はご存じの方もあるかも知れませんが、といいつつ実は私、この曲の題名を知らないのですが、来間島(くりまじま)で地元の年配女性に教えて頂いた祝い唄」
 
それでマリが下手に下がり、ヒバリはアカペラで来間島で習ったという祝い唄を歌い始めた。
 
物凄い迫力である。ヒバリの声は高音になっても安易に頭声に逃げず響きの豊かな胸声的に唄っている。いわゆるミックスボイスだ。元々歌唱力のある彼女だからできるワザだろう。
 
音階は二六抜きの琉球音階ではなく、宮古地方に特有の三七抜き音階(律旋法)だが、ビブラートは入れず、「突吟(ちちじん)」と呼ばれるヨーデルに似た技法を駆使している。このノンビブラート&オクターブ飛び唱法は沖縄民謡に特徴的な唄い方で、実は西洋音階の曲でも突吟を入れるだけで、物凄く沖縄っぽくなる。
 
(宮古地方は、琉球系の二六抜き・八重山系の四七抜き(演歌と同じ音階)・更に古い三七抜きの音階が混在しており、音階のクロスロードである)
 
彼女の歌が終わると、物凄い拍手があった。その拍手に笑顔でお辞儀をして応え、ヒバリは退場した。
 

代わって今度はカラフルなドレスを着たKARIONの4人が登場する。いづみは赤、小風は黄、美空が青、そして私がピンクである。
 
後半は過去のヒット曲を中心に演奏して行く。
 
まずは風帆伯母の琵琶をフィーチャーして『黄金の琵琶』、続いて風帆伯母に今度は箏を弾いてもらい、響美・夢美・風花の3人がキーボードを弾いて『アメノウズメ』、七美花とゆまのツイン篠笛を入れて『鬼ヶ島伝説』、夢美の超絶キーボードと泰華の超絶ヴァイオリンを入れた『スノーファンタジー』と続ける。
 
泰華さんは過去のKARIONのライブでも『スノーファンタジー』のヴァイオリンを弾いたことがあるので、今回も数回練習しただけで弾きこなした。
 
更に『海を渡りて君の元へ』『星の海』『雪うさぎたち』と定番化している曲を演奏、今回のアルバムから『夏祭りの夜に』、南藤由梨奈のカバーが話題になった『魔法のマーマレード』、そして最後は4人によるKARIONを明確に打ち出した『四つの鐘』で締めくくる。
 

束の間の休憩を経て、アンコールの拍手に呼ばれて再度出て行く。
 
「アンコールありがとうございます」
と和泉が感謝の言葉を言う。
 
「そういう訳で、KARIONのプロジェクトから、今シンガーソングライターとしてご活躍中の福留彰さんと、トラベリング・ベルズのリーダーであったTAKAOが離脱してしまいました。なお新しいトラベリング・ベルズのリーダーはTAKAOと並んで最古参のメンバーであるSHINが務めることになりました」
 
ここでSHINが右手を高く上げると、拍手がある。
 
「今日のライブでは福留さんとTAKAOのペアの最後の作品を最初に演奏しましたが、ここでその2人の最初の作品『嘘くらべ』を歌いたいと思います」
 
この曲は今回のツアー用のスペシャルアレンジで、MIKAがアコスティックギターを持って前の方に出てきて、彼女の演奏に続いて私たちは歌い出す。1番は完全にアコギ1本の伴奏で歌い、2番からベース・ドラムス、そしてキーボードやサックスも入る。間奏では、風花・七美花のフルートと、SHIN・ゆまのサックスの掛け合いがある。
 
静かに始まり最後は元気に締める演奏であった。
 

歌い終わり、拍手の中、全員退場する。
 
再びアンコールの拍手である。KARIONの4人だけで最初出て行き和泉が再度アンコールへの感謝の弁を語る。
 
「では本当に最後の曲です。『Crystal Tunes』」
 
伴奏者としてグロッケンの美織さんとピアノを弾く風花が入ってくる。そしてこの2つの楽器のみの伴奏で私たちはこの美しく透明感のある曲を歌った。
 
割れるような拍手の中、私たちは何度も観客席に向かってお辞儀をして退場した。
 
締めのアナウンスは本当はマリがする予定だったのだが、今日はヒバリに入れてもらった。
 

途中の休憩の所で、らんこが小屋に入ってケイが出てきた演出については
 
「もう完全に、らんこ=ケイを認めたね」
と言われた。
 
らんこが小屋に入り、ケイが出てきた。そのケイは下手袖に下がり、休憩明けでは、らんこが下手袖から出てきた。ふたりが同一人物でなければ説明できないのである。
 
またヒバリが歌った『心の翼』についてはCD化しないんですか?という問合せがかなりあり、秋風コスモス社長は。一緒に歌った来間島の祝い歌とカップリングして、発売する方向で検討すると自分のツイッター・アカウントから述べた。
 

その日の打ち上げは宜野湾市内のホテルのプライベートキッチンで、今日の出演者全員で行ったが、ヒバリは人が大勢居る所は苦手ということであったので、料理を折り詰めにして、お茶・ジュース、お土産のお菓子と一緒に渡した。恩納村の下宿(木ノ下大吉先生の家の離れ)に戻ってから食べるということだった。
 
「あのヒバリちゃんが歌った曲だけどさ」
と和泉が私に小さな声で言う。
 
「あれって、こないだ私たちが奥八川温泉に閉じ込められて出られない〜と言ってた時の歌だよね」
 
「うん、そうだと思う。全く醍醐春海は絶対にタダでは起きない」
「冬もあの時に書いた曲があるんでしょ?」
「うん。ローズ+リリーで出す予定で譜面をまとめている。金沢公演の後から制作に入る予定」
 
KARIONのライブは土日(+祝)なので、平日にローズ+リリーの音源制作をしようという魂胆なのである。
 
「私もあの時書いた詩があるから、それもう少し推敲してから冬に回すから曲を付けて」
「了解了解」
 
SHINさん、HARUさん、それにMIKAさんがヒバリが差し入れてくれた宮古島の泡盛を飲んでご機嫌な様子であった。MIKAさんはすっかりメンバーに溶け込んでいる。
 
「MIKAさんは、ふつうの女の子の話題が通じないっぽい」
と小風が言う。
「うん。あの人はファッションとかお菓子作りとかのことは頭の中に無いんだよ。自分の専門分野のことと音楽のこと以外は、むしろ男性的な趣味が多いみたいね」
と私。
 
「車も大型免許取ってるし、ゴルフの打ちっ放しとかバッティングセンターでストレス解消するとか言っていたし、クレー射撃で国体に出たこともあるらしい」
と和泉。
 
「射撃は凄いな」
「実は高校生の頃、まだ無免許で鴨とか撃って旅館の食材にしてたんだって」
「実戦で鍛えてるのか」
 
「大学でも男性の友人たちとよく飲みに行ったりすると言ってたし」
と美空、
 
「まあ博士課程は特に女性少ないだろうしね」
 

3月19日(土),20(日),21(祝)は三連休で、ツアーではこれを沖縄の翌日に福岡、そのまた翌日金沢と移動した。歌っているこちらもなかなか体力を要する所だが舞台のセットを輸送・設置する★★レコード(大半は子会社の★★公演事務の社員)と∞∞プロの合同チームはなかなか大変だったようである。19日のライブが終わった後解体してその日の内に空輸。20日朝から組み立て、終了後にまた解体し、大型トラックに積み込み10時間掛けて金沢まで走り、21日の朝から組み立てというので、なかなかハードである。
 
私たちは19日は宜野湾市に泊まり、20日の朝の飛行機で福岡に移動。20日はライブ終了後すぐに福岡空港に行き、小松空港まで飛んでいる。20日の打ち上げも金沢市内で行っている。
 
この金沢公演には青葉がもう受験の終わった友人6人と一緒に来ていたので楽屋にも入れて少し話していたのだが、唐突に和泉が青葉に『月に想う』のサックスを吹いてと言い出す。予備楽器として備品で持って来ていたサックスを渡して吹いてもらったが(時間調整のため前半の『こぶたの姉妹』をカット)、MIKAさんが「この曲いいですね」と言ったので、次の名古屋公演以降もこれを入れる構成に変更した。名古屋以降ではサックスはSHIN・ゆま・七美花の3人で吹いてもらった。
 

金沢公演では青葉と友人の7名に公演後の撤収作業も手伝ってもらったので、ついでにそのまま打ち上げにもを連れて行った。
 
そしてその場で話している内に、青葉の中学時代以来の友人でW大学に合格した寺島奈々美に、海香が、今度引っ越すことになった神田のマンションに同居して旅館の東京事務所の経理担当と食事係をしてくれないかと誘った。
 
奈々美はバスケットが強いらしく、関東1部リーグに属するW大学に行きたかったが、いったんは経済的な理由で地元の大学に通うつもりになっていたらしい。しかし海香のマンションに同居すれば住居費が要らないということから再度親を説得して、東京に行く気になったようである。奈々美は経理の実務経験は無いものの日商簿記2級を持っている。
 

海香はこの件で、公演の翌日3月22日、奈々美の自宅を訪問し、御両親に挨拶して、この件について話し合った。私と青葉も同行した。
 
両親は驚いていたし、お母さんはそれでも娘を東京にやることに消極的な感じではあったが、奈々美本人がこういう話が出てきたのは大きなチャンスだから自分はやはりバスケの強いW大学にぜひ行きたいと主張する。また奈々美は昨夜自分で計算したっぽい「損得表」を親に見せた。
 
この時点で既に払っているお金は、W大学の入学金20万円とT大学の入学金28万円である。これはどちらも返って来ない。しかし今後1年間の収支を見ると
 
■T大学に行った場合
 必要経費 授業料 54万円 教科書代等 5万円 住居費 45万円 食費 30万円   バスケ活動費 6万円 その他生活費 12万
 収入 奨学金(国立) 61万円 収支 △91万円(7.6万/月)
 
■W大学に行った場合
 必要経費 授業料 100万円 教科書代等 5万円 住居費 0 食費 0
  バスケ活動費 6万円 その他生活費 18万
 収入 奨学金(私立) 77万円 バイト代 36万円 収支 △16万円(1.3万/月)
 
ここでミソになっているのがT大学に行く場合でも高岡市内の自宅からは通学時間が掛かりすぎるので富山市内にアパートを借りざるを得ず、その費用が結構掛かることであった。ところが海香さんのマンションに同居すると、それが丸ごと浮くのである。
 
その結果、地元の国立T大に行くより東京の私立W大学に行った方がずっと経済的な負荷が小さく、地元なら月7.6万の親の支援が欲しいが、東京に行けば月2万ももらえたら充分やっていける、と説明したのである。
 
この数字を見て、お母さんがかなり軟化した。それでしばらく考えていたお父さんが「お前、やはりW大のバスケ部に入りたいか?」と訊く。
 
「うん。それでインカレとか皇后杯に出たいよ」
と奈々美。
 
「皇后杯には高校の時にも1度行ったな」
「うん。あの時はベンチに座れなかったけどね」
 
「分かった。じゃ東京に行ってもいいけど、大学の4年間、本当に勉強とバスケに専念すること。恋愛禁止」
 
とお父さんは言った。
 
「うん。頑張る。ボーイフレンドは面倒くさいし当面要らないや」
と本人は言っていた。
 

話がまとまった所で、私と海香さんは東京に戻ることにするが、ふとお母さんが「唐本さん、相沢さん、高岡のちゃんぽん食べたことありますか?」と言った。
 
「横浜とか長崎の中華街で結構食べていますが、何かこちらのちゃんぽんは特徴があったりするんですか?」
と私は訊く。
 
「中華料理屋さんのちゃんぽんとはまるで違う、ちゃんぽんがあるんですよ」
とお母さん。
 
「へー!」
 
「ああ、あれは面白いです」
と青葉も言う。
 
それで食べ物のことなら、あの子たちを呼んでおかないと苦情が出るなというので、金沢市内で「食べ歩き」していた政子と美空も呼んで、食べに行くことにした。
 
青葉は自動車学校に行くというので先に帰ったのだが、入れ替わりで政子と美空がやってきて、奈々美、奈々美の御両親、私と海香さんも入れて7人で高岡駅の今庄という、そば・うどんのお店に行く。
 
「これは凄い!」
と政子が声をあげた。
 
「富山って西日本と東日本の境界線でしょ? 正確には呉羽山を境にガラリと文化や人の気質とかも変わるんですよ。富山では呉羽山の西を呉西、東側を呉東と言うんですけどね」
とお母さんは解説する。
 
「それで西日本はうどん文化、東日本はそば文化、その境界線上にあるから、こういうメニューができたんです」
 
この高岡駅今庄の「ちゃんぽん」というのは、丼の半分にうどん、半分にそばが入っているのである。
 
政子も美空もこのメニューを物凄く面白がっていた。そして政子はその場で何やら詩を書き始める。
 
「ちゃらんぽらんな恋?」
と私はそれを覗き込んで呆れたように声をあげた。
 
「ちゃんぽん→ちゃらんぽらんですか?」
と奈々美は感心している。
 
「ちゃらんぽらん、って語源は何だろう?」
「チャラホラの音便化だったと思う。チャラは『チャラにする』とかのチャラ、ホラは『ホラを吹く』のホラ」
 
「要するに適当で中身が無いということか」
「まあそういう意味だよね」
 
「博多のちゃんぽんの写真を撮ってこようよ。誰か持ってないかな?」
と政子は言う。
 
「博多のちゃんぽん?」
「ああ、筥崎宮(はこざきぐう)のでしょ?」
とこれは海香が知っていたようだ。
 
「長崎とかではビードロと言いますよね。フラスコみたいなガラス製のおもちゃで息を吸ったり吹いたりしてペコポコという音がするやつです」
 
「ポッペンとかともいうやつですね」
 
「そうそう。筥崎宮のちゃんぽんは一時期途絶えていたものを40年くらい前に九州大学の先生が古文書を研究して復元して、それを9月の放生会(ほうじょうや)の日だけ数量限定で頒布しているんです」
と海香は解説する。
 
「なんか貴重なものっぽい」
 
「音響的にも興味があるので」
「おお、専門家!」
 
私はそれで博多に住んでいる従姉の明奈に電話してみたら、友人が筥崎宮でゲットしたものを持っていたはずだと言い、確認して10分後に連絡をくれた。撮影・演奏などするのもOKということであった。
 
「じゃ博多に撮影に行くついでに長崎新和楼のちゃんぽんも食べてこよう」
「やはりそうなるのか」
 

なお、海香はこれまで調布市内に住んでいて、神田のマンション(旅館の東京事務所兼用)に引っ越すことになったのだが、その空く調布市のアパートに、同じく青葉の友人で東京外大に通うことになった大谷日香理が入ることになった。更に、神田のマンションの方には、その週の金曜日・25日になってからやはり青葉の友人でFlying Soberのリーダーである清原空帆も同居することになった。
 
話を聞いた鮎川ゆまが
「海香ちゃん、可愛い女の子が何人も同居するからといって野生に戻ったりしないように」
と釘を刺していたが
 
「えー!? 私レズじゃないですよー」
などと海香は言っていた。
 

「そうなの?雰囲気がてっきりレズかと」
「私、ふつうに男の人が好きです」
「ちなみに処女?」
「処女ですけど」
 
「25歳にもなって処女って珍しいね」
とゆまが言うので
 
「ゆまさん、一般的には結婚するような相手ができるまでは処女という女性が多いですよ」
と和泉はコメントしていた。
 
「私、結婚したいと思った女が今まで5人いて、全員に処女を捧げた」
とゆま。
「いや、その話は原理的におかしい」
 
「もうひとり男の娘と恋人になったこともあるんだけど、その子とは一度もセックスしなかったんだよねー。だって彼女にはヴァギナが無いから結合不能だったしさ」
とゆま。
 
「その話も微妙におかしな気がします」
 

「その娘(こ)、もう立たなかったんですか?」
 
「ううん。立ってたよ。まだタマ付いてたしホルモンもしてなかったから。それで良く硬くなったおちんちんにカッターとかハサミを当てて切り落としてあげようか?と言うと期待の目で見るのが面白かったなあ。私のお股に触ったり舐めたりしながら『いいなあ。僕もこういう形になりたい』とか言ってたね。だからこちらも『手術しちゃいなよ』と言ってあげると、そう言われることで彼女興奮するみたいでさ。私と付き合っている内にやっと自分のことを『私』と言えるようになったんだよ。自称を『僕』から『私』に変えるだけでも凄い心理的抵抗を乗り越えないといけないみたいね」
 
その話を聞いて私は自称で揺れていた小学校の中学年頃を思い起こしていた。
 
「その子、もうきっと手術してますよね?」
「どうだろう。別れた後は連絡取ってないから。でもホルモンくらいはしているかもね。当時あの子まだ服は男女半々だったんだよ。それで取り敢えず男物の下着は全部捨てさせた」
「おお」
 
「それで女装外出の経験も少なかったから、スカート穿かせてお化粧させて随分連れ出したよ。女子トイレに強引に連れ込んで、列に並ばせてから私は出ちゃうんだよ。するともう心細そうな顔してるのが面白くてさ」
 
「ああ。女子化教育しっかりやってますね」
「女湯に放り込んじゃったこともあったよ」
「女湯に入ったんですか?」
「外で待ってたけど、30分くらいで出てきて髪も濡れてたし、悲鳴があがった様子もなかったから女湯パスしちゃったんだろうね」
 
「犯罪幇助してるな」
 
「でもおっぱい無かったんでしょ?」
「無かったし、ちんちん付いてたよ」
「よくそれで女湯に入れましたね」
「まああの子、雰囲気が女にしか見えなかったからね。胸とお股はタオルで隠すとかしてたんじゃないかな」
 
「いや、人が男女を見分ける第1の要素は雰囲気なんですよ」
 
「でもホルモンもしてないとは思えないほど美人だったしウェストくびれてお尻は大きくて女性体型だったよ。実際あの子は男装しててもトイレの場所を訊くと、女子トイレを案内されることが多いと言ってたね。バイトの面接に行って『うち今女子は募集してないので』と言われてそのまま帰ってきたこともあったと」
 
「女子としてバイトすればいいのに」
と海香さん。
 
「その勇気は無いと言ってた。でも男女問わないイベントのバイトに応募して採用されて現地に行ったら女子の衣装渡されたので、そのまま着て仕事したことはあったと」
 
「完全女子生活まで、あと1歩ですね」
 
「そういう子はさっさと本当の女の子になるべきですね」
と小風も言っていた。
 
 
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【夏の日の想い出・種を蒔く人】(2)