【夏の日の想い出・種を蒔く人】(1)

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2016年2月28日。福島市で東日本大震災・復興支援ライブの第1部と第2部が行われた。第1部がアクア、第2部がローズ+リリー(第3部と第4部は翌週)だったのだが、巷ではアクアがどういう衣装を着るのかが注目されていた。
 
どこからともなく「アクアはミニスカを穿く」という噂が流れたものの事前に別件で記者会見したアクアと事務所社長の秋風コスモスはこの件に付いて訊かれると曖昧な回答をした。それで「やはりミニスカでは?」と噂は更に加熱したのだが、実際のライブではアクアは前半はサラリーマン風?のビジネススーツ(ポールスミス)、後半はサファリルック(若手デザイナーJunichi Kikuchiの作品)を着て、ミニスカを期待したファンには肩すかしとなった。
 
しかしファンの反応は好評で「格好いいアクア様もいいね!」「やはりアクア様は男の子だもんね」といった声もあがっていた。しかしこのライブ限定で販売された写真集(定価5000円)はその後、オークションで10万円を越える価格がつくほどの話題になる。
 
(ライブでは写真集は用意した1万冊が会場で売り切れその場で渡せなかった人には、宛名シールに記入してもらって後日増刷して郵送する対応をとったが、この後日郵送分が3万冊もあった。つまり入場者数の倍も売れた。この写真集の売上だけで2億円で、本来グッズの売上は今回のイベントの寄付対象外なのだが、事務所では原価と送料を除いた粗利部分を被災地への寄付金に加えた)
 
写真集は11月に与論島で撮影した写真が3分の1、8月のツアーの写真が3分の1、『ときめき病院物語』や『ねらわれた学園』のスナップ写真が3分の1であったが、このドラマのスナップ写真には当然セーラー服のアクアの姿が何枚もあって
 
「可愛い!!」
という声が多数あった。しかし、それ以上に、この写真集の最後に4ページ付け加えられた絵が物凄く話題になったのである。
 
それが『明智ヒバリ画・アクアちゃんの可愛いお姿・想像図』で、そこにはミニスカを穿いてステージで歌うアクア、ナース姿のアクア、フライトアテンダント姿のアクア、そして最後にビキニの水着を付けたアクアの絵が描かれていた。
 
「明智ヒバリってこんなに絵が上手いのか!」「アクア様そっくり」と言った声もあったものの、やはり話題の中心はその絵の内容である。
 
ナース姿のアクアの絵に関しては「次期『ときめき病院物語II』ではぜひアクアちゃんにナース服を着せてください!」という声があがったし、ミニスカ姿のアクアについても「これリアルで見たい!!」という声もあがっていたが、ビキニのアクアについては「可愛い!結婚したい」という声が男女双方のファンからあがっていた。
 
「アクアはもう俺の脳内嫁にする」
「アクア様、私の処女をもらって」
 
と最初から暴走ぎみである。
 
ちなみにこのビキニ姿の絵に関して本人は「ボクおっぱい無いから、さすがにビキニは無理です」と語っていた。
 
「しかしおっぱいの前に、ちんちんあったらビキニは無理なのでは?」
「いやきっとアクアには既にちんちんは無いはず」
「アクア様は天使だから、おちんちんも割れ目ちゃんも無いんだよ」
「アクアちゃん、おっぱいあっても構わないから私のお婿さんになってぇ」
 
などとネットの意見はまた暴走していた。
 

「いや、絵の内容が凄かったから、目立たなかったけど、ヒバリちゃんの絵が凄く上手いという声も随分あったね」
 
私はその日マンションに来訪していた秋風コスモス社長・川崎ゆりこ副社長と話していた。
 
「沖縄に行った後、向こうの精神科の先生に勧められて毎日絵を描いていたみたい。結構いい絵を描いているから、1度東京か、東京の町が辛ければ福岡ででも個展を開こうよと言っているんですけどね」
 
「賛成賛成」
 
彼女は人混みが苦手なので、東京に出てくるのは辛いようである。
 
「でもあの子、図工・美術の成績はいつも1だったらしいです。人が周囲にたくさん居て騒いでいる所では絵を描けないんだって」
とコスモス。
 
「なるほどー」
「なんか他人が見たら『下手な絵だね』とか『こんな絵を描く奴って頭おかしいのでは』と言われそうで怖いと言うのよ」
 
「それきっと小さい頃、誰かにそんなことを言われたんじゃない?」
 
「かもしれない。それと自分の頭の構造が他の人と違うのを小さい頃から意識していたみたい。人には見せないでノートとかにこっそり描いていた絵にはいつも、妖精とか妖怪とか、小人とか龍とか、そういう異形のものが入っていて、そういう造形を見られるのが怖かったみたい。だから図工の課題の絵はいつも白紙提出」
とコスモスは言う。
 
「ヒバリちゃんって『見える』子?」
 
「見えるより感じるタイプみたい」
「なるほどー」
「通り魔事件とかの起きる数分前に現場を通過したことあるらしい。あの子って多分危険なものを自動的に避けられるんですよ」
「内在型の霊感体質なんだな」
 
「でもそういう人外のものを感じること自体を他人に知られたくないと思っていたみたい。まあ一昨年は自殺未遂を起こしたことから精神科に半年入院するハメになったんだけどね。でもあの子は普段は自分の病気を自分でコントロールできているんですよ」
 
「あ、それは私も感じた。芸術家にはそもそも壊れている人は結構いるから。自分で制御できていたら構わないんじゃないかなあ」
と私は言う。
 
「はい、私壊れてます」
と政子は手を挙げている。
 
「たまに暴走することはあるけどね」
「そのあたりは愛嬌で」
 
「でも凄くシャイな子みたいね」
と政子が言う。
 

「そういえばコスモス社長は図工・美術いつも5だったって言ってましたね」
とゆりこ。
 
「うん。私は音楽・美術・体育はいつも5だった。その音楽が5というのが一番分からんとファンからも言われるけどね」
とコスモス本人も言っている。
 
「リコーダーとかが上手かったとか?」
と政子が訊く。
 
「あ、ハーモニカもリコーダーも私得意。ピアノもレッスンに通ってたからわりと弾くよ。ステージで見せられるほどじゃないけど」
 
「へー!」
 
「いや、コスモス社長のピアノは少なくとも私より上手いです」
とゆりこ。
 
「実は音楽の時間はよくピアノ係してた。歌わなくて済むしね。それで音楽の先生には気に入られていたから、歌が下手なのは大目に見て5をくれていたのかもね」
 
とコスモス。
 
「なるほどー」
 
「私自分でいうのも何だけど音感が無いのよね。だから正しい音が取れないのよ。だけど楽器は正しい指で押さえればその音が出るから問題無い」
 
「確かに確かに」
 
「それ私がフルート好きになったのと同じ理由かも」
と政子は言っている。
 
「音痴の人には耳が悪いタイプと耳は良いけどその音でちゃんと声を出せないタイプがある。デビュー当初のマリちゃんも下手だったけど、マリちゃんは耳は良いタイプ。だから練習を重ねることで年々うまくなっていったね。私はそもそも耳が悪いタイプだからどうにもならない。ケイちゃんとか0.1Hzの違いが分かると言うじゃん。私は半音くるっていてもぜーんぜん分からないもん。さすがにソとラの違いは分かるけど、シとシ♭の違いは怪しい」
 
とコスモス本人は解説している。
 
「いや、シとシ♭は割と難しい」
と私は言う。
 
「琴絵はドとシの違いが分からないと言ってた」
と政子。
「あ、お仲間、お仲間」
とコスモスは言うが
「琴絵の方が重症のような気はする」
と私は言う。
 

「まあそれでアクアの5枚目のCDなんですけど」
とコスモスは2時間ほど私たちと様々な雑談をした上で本題に入る。
 
「1曲は東郷誠一さんが書いてくださるということで醍醐春海さんの了承を得ています」
「ああ、醍醐と話した方が話が早いよね」
「東郷先生の名前で出ている作品が実際には誰の作品かというのは、とっても分かりやすいですから。でも醍醐春海先生も香住零子先生も吉原揚巻先生も樋口花圃先生も安定した曲を書きますね」
 
「あれ?そういえば東郷先生の中の人って女性作曲家ばかりかな?」
と私。
 
「そういえばそうですね。歌っているのが圧倒的に女性歌手が多いから良いのではないかと。男性作曲家では田辺龍行先生が若干書いておられるはずですが」
「ああ、高井慎吾くんの曲が田辺先生ですね」
 
などと私とコスモスが話していると
「そういう情報、どこで仕入れるんですか?」
とゆりこが訊く。
 
「曲を聴けば分かるよ」
とコスモス。
「うん。曲の傾向が本人名義で書いているのと同じだもん。ただ醍醐春海とか香住零子は元々の作曲傾向の幅が広いから、よくよく聴かないと分からない」
と私は言う。
「みなさん、東郷先生のゴーストライターを始めた頃はあまり売れていなくて、あれをやっている内に作曲技術を鍛えられていった感じみたいですね」
 
「うん。醍醐もそんなこと言ってた気がする。東郷誠一さんは種を蒔いているんだと醍醐は言っていた。若い有望な作曲家に課題を与えて作品を東郷の名前で出すことによって大きな収入を与えてあげる。そのことによってプロ作曲家として成長して行く。だから『東郷ブランド』で曲を出す作曲家には自分の名前でも書けと勧める。ゴーストのみというのは不可」
と私が言うと
 
「それって昔の徒弟制度の現代的焼き直しかも」
とゆりこは言うが
 
「ただの開き直りでは?」
と政子は言っている。
 
「でも東郷先生は何かで忙しいの?」
と政子が訊くと
 
「今東郷先生は山本大左先生と囲碁に夢中なようで」
とコスモスが答える。
 
「ああ、あの2人の囲碁対決が始まると、ふたりとも全く仕事をしなくなる」
と私。
 
「一度見たけど酷い碁だね」
と政子は言っている。政子は囲碁は強くて二段の免状も持っている。佐良さんも免状は持っていないものの3級の級位認定を取っているらしく、ふたりはよく置き碁(下級者が置き石を置いてから打ち始める)をしているようである。ちなみに私は政子から「10級程度」と認定?されている。
 
「棋力が同じくらいで楽しいみたいですよ」
とコスモス。
 
「取り上げられるはずの石を取らないので、そばで見ていた香奈桃子さん(◎◎レコード)が口を出したくなって我慢するのに苦労したと言っていました」
「なるほど」
 
東郷先生の棋力は政子によると「多分150級か200級程度」という話だ。
 
「それでもう1曲なんですけど、大宮万葉さん行けますかね?」
「もう受験は終わったから大丈夫だと思うよ。ちょっと落ち着いたくらいの所で頼んでみる。もし彼女がいけない場合は、私が書くよ」
 
「ではよろしく」
 
ということで本題は10分で終わってしまった!
(その内9分は東郷先生の話をしている)
 

アクアとローズ+リリーのイベントをした翌週土日はKARIONを含む合計25組の歌手が登場する復興イベントの第3部・第4部が行われる。KARIONの和泉・美空・小風と、俳優の片原元祐さんは私と千里が奥八川温泉を脱出した2日後の2月29日になってやっと脱出できた。
 
「いや疲れた疲れた」
と和泉は言っていた。
「お疲れ様」
「それで孝郎さんが迷惑掛けたから3月6日は自分が福島まで行くと言ってる」
「それは助かる。海香さんのお披露目はツアーでやりたかったからね」
 

それで私たちはKARIONの下旬のツアーの最終的な準備をしつつ、復興支援ライブの準備も進めていたのだが、3月5日の朝になって風花から電話が掛かってくる。
 
「冬ごめーん。私、インフルエンザにやられた」
「え〜〜!?」
 
彼女には翌日のKARIONのライブでフルートと篠笛を吹いてもらうことになっていた。
 
「昨夜急に熱が出て40度まで上がって。うちの母ちゃんがたまたま来てたんで病院に連れて行ってもらってインフルエンザと診断されてタミフル処方されたけど、まだ熱が下がらない。昨夜の内に連絡したかったんだけど、どうにも体力・気力が無くて」
 
「分かった。とにかく治るまでしっかり休んでて。演奏者は何とかするから」
「うん。ごめんねー」
 

私は風花の電話を受けた時は、七星さんに頼むつもりだったのだが、彼女に電話しようとした所でハッと気づく。
 
七星さんは今ニューヨークだ!
 
3月は私がKARIONの方を主としてやっているので、その間にスターキッズ自身のアルバムを作りにニューヨークに行っているのである。
 
「えっとフルート吹けるのって誰だっけ?」
などと独り言を言いながら考える。政子は吹けるけど、まあ吹けるというレベルであって、特に『雪の世界』の透明感のあるフルートは表現力と「巧さ」を要求する。あまり政子には吹かせたくない。
 
光帆はフルートがかなり上手い。しかしXANFUSはKARIONのステージのすぐ次だ。頼むわけにはいかない。アスカさんはフルート物凄くうまいけど、彼女はヴァイオリニストなので人前ではフルートは吹かないポリシーだ。七美花はどうだ?
 
それで電話してみたのだが、明日は民謡の演奏会があるらしい。ついでに清香伯母(この人も横笛は上手い)も同じ演奏会に出るらしい。線香花火のアンに電話してみると、そちらもツアー中ということであった。
 
「うーん、こないだも負荷掛けたから申し訳ないけど」
と私はためらいながら千里に電話してみた。
 
呼び出し音無しでつながって
「おはようございます、蘭子ちゃん」
と千里の声。
 
これって私の用件も分かっている感じだな。全くこの姉妹は。
 
「千里、今、時間取れないよね?実は明日のKARIONのライブでフルート吹いてくれるはずだった秋乃風花がインフルエンザでダウンしちゃって」
 
「ごめーん。今大阪に向かう車の中で。今日の午後は東京のバスケ協会で打ち合わせがあるし、明日は練習試合があるし」
「忙しいね!」
 
「そういう話なら青葉に頼んでくれない? あの子もう受験も完了してヒマ持てあましているみたいだから。ついでにアクアの5枚目のCDの作曲も頼むといいよ」
 
「なぜそういう話までわかる?」
「冬子って自分の考えていることがこちらに伝わってくる。サトラレに近いんだ。だから冬って嘘をつけないよね」
 
「私、嘘が下手だとは言われる。でもそんな思念を感じ取れるのは千里とか青葉とかだけだと思うけど」
 
「そうかな。それで青葉の交通費は私が出すからと言って呼び出して」
「いや、今回はそれ私が出すよ」
 

それで青葉に連絡してみると来てくれるということで私はホッとした。彼女からはその少し後でメールがあり、車で走ってくるということであったので《安全運転でね》とメールしておいた。
 
私自身は政子と一緒に午後の新幹線で福島に入った。
 
翌日(熟睡している)政子は甲斐窓香に見てもらっておいて早朝からスタジオに入り、本番通りのリハーサルを行った。今回参加したメンツは
 
Gt.TAKAO B.HARU Dr.DAI Sax.SHIN Tp.MINO KB.響美 KB/Vn.夢美 Fl.青葉
 
である。青葉は白銅製のフルートを持っていたが、青葉は息の力があるので総銀の方がいいとSHINが言い、備品として持って来ていたヤマハの総銀製のフルートを貸してそれで吹いてもらった。また私も忘れていたのだが、風花が『Crystal Tunes』のピアノを弾く予定だったので、それも青葉に弾いてもらった。
 

私は今回青葉に関して、イベントの性質上ギャラは払えないけど、無理を言って参加してもらうので、交通費宿泊費は出すからと言って、念のため飛行機で往復する場合を想定して8万円振り込んでおいたが、青葉は車での往復でガソリン代と高速代を合わせても2万5千円くらいしかかかりませんからと言い、5万5千円返してきた。
 
私はそれは取り敢えず受け取った上で
 
「これは大学合格のお祝いね」
と言って別途祝儀袋に入れた3万円を渡した。
 
「わあ、ありがとうございます。じゃ遠慮無く頂いておきます」
と彼女は笑顔で言っていた。
 

今回のライブで演奏した曲目は『雪の世界』『白雪姫は死なず』『ツンデレかぐや姫』『白兎開眼』『海を渡りて君の元へ』『長い夏休み』『夏祭りの夜に』『星の海』『雪うさぎたち』『Crystal Tunes』の10曲である。
 
『雪の世界』や『夏祭りの夜に』などは今週の水曜日に発売するアルバムの中の曲で一部先行してFMなどには流しているものの、ほとんどの観客には初公開になったがその美しい世界に観客も酔ってくれているようであった。
 
『雪の世界』は青葉のフルート、夢美のヴァイオリンが透明感のある世界を演出する。この曲はヴァイオリン二重奏なのだが、演奏技術の高い夢美は1台のヴァイオリンでその二重奏をかなり実現してくれた(音源制作の時は私と夢美で2台のヴァイオリンで演奏している)。
 
『長い夏休み』には「イグニス、君は女の子になれ」というセリフがあり、これは小風の担当なのだが、この日の小風は「アクア、君は女の子になれ」と改変したセリフを言い、これが観客に大いに受けて「賛成!」という声まであがっていた。
 
なおアルバムは本来は9日発売なのだが、この日は特別にBlueRay付き限定版を先行してこの会場でだけ特別販売した所、3000枚以上売れた(この会場限定サービスでアルバム制作中のスナップ写真付き)。
 

3月8日の夕方、雨宮先生から電話が掛かってきた。
 
「ケイ20億円貸して」
 
「えっと。。。。大根1本100万円とかいう話ですか?」
「いやマジで20億円欲しい。万一返せなかったら責任とって私性転換手術を受けるから」
 
「それ全然責任取るのにならないと思いますけど!? そもそも20億くらい、先生お持ちでしょ?」
 
「いや、絶対に儲かる案件があるから全力注ぎ込みたいんだ。私も個人的に40億注ぎ込むけど、ケイの資金も貸して欲しい」
 
「その絶対儲かるって話はすごく怖いんですけど」
「あんたニュース見てないの?」
「何かあったんですか?」
と言いながら私はパソコンの画面を操作する。
 
「女優**の不倫?」
「その相手が問題だよ」
「誰ですか?この無藤激勝って?」
「あんた知らないの?★★レコード元常務の息子だよ」
「それが何か?」
「これは間違いなく★★レコードの株が暴落する」
 
「え?こんな不倫の話からそんな所に行くんですか?」
 
「話せば長くなるんだよ。千里からも10億借りる約束を取り付けた。彼女の資金は10日には使えるようになる。これは一週間くらいの勝負になるからさ。ケイの資金も11日くらいまでに調達できると助かる。ケイなら20億行けるよね? 儲けは半分渡す」
 
「うーん。何だか分かりませんけど、雨宮先生の頼みですから用意します。5億は明日そちらに送金できると思いますがあと15億は私も10日まで待ってください」
 
「うん。それでいい。じゃまた後で」
 
と言って雨宮先生は電話を切ってしまう。
 

千里からも10億借りると言っていたなと思い、私は千里に電話した。
 
「私が自分で株取引しようと思ったんだけど、私ってすぐ寝ちゃうんだよね。寝ている間に大きく株価が動いたらやばいなと思っていたら雨宮先生が参戦するというから任せることにした。既に株価は夜間市場で下がり始めている」
 
「なんで下がる訳?」
 
彼女はこういう説明をした。
 
現在★★レコードの社内では元々の★★系の人脈と旧MMレコード系の人脈で激しい権力闘争が起きている。実は正月にTKRが設立されて松前社長がそちらの会長に就任したのもその絡みである。無藤清・元副会長はMM系の中心人物だったが、数年前に亡くなった後、社内ではその部下だった村上専務がMM系の中心となり、清氏が持っていた株は2人の息子・鴻勝氏と激勝氏が継承した。
 
社内ではこの所MM系が優勢だったのだが、この不倫騒動で激勝氏が準子夫人と離婚に至るのではないかという観測が出ている。準子さんは★★系の中心人物で昨年亡くなった星原博秋相談役(初代社長)の娘で姉の鈴木片子とともに3%の株を持つ筆頭株主。彼女が離婚によってMM系から★★系に舞い戻ると、再び★★系の方が強くなる。
 
一方社内ではもう松前社長の退任・町添制作部長と似鳥営業部長の棚上げ、村上専務の社長昇格・佐田常務の営業部長兼任、黒岩大阪支店長の制作部長就任などMM系で中核を押さえる人事が固まりつつあった。
 
しかし激勝氏と準子さんが離婚すればこの人事が全部ひっくり返ってしまう可能性が出てきた。それで社内抗争の激化は必至とみて、それが落ち着くまで★★レコードは機能不全に陥る可能性があり、そのため業績悪化を予想して大幅な売りが出るのは確実ということであった。
 
そして実は複数の仕手筋が今年の初め頃から密かに★★株を買いあさっていた気配があり、仕掛けるタイミングを見計らっていたようだというのである。
 

「千里、なんでそんな詳しい内幕知ってるの〜? 松前さんが社長辞めるとか町添さんが制作部長を辞めるなんて話は全然聞いてなかった」
 
と私は言う。
 
「冬もあまり人間の業(わざ)に関心が無いからなあ。このあたりの話は多分音羽とか谷崎潤子ちゃんとかの方がもっと細かい情報を掴んでいるかもね。ゴールデンシックスのカノンも結構な情報をつかんでる」
 
「うーん・・・」
 
「まあ見ててごらんよ。雨宮先生は毎年株で数千万円の利益をあげている人だから失敗はしないとは思うんだけど、貸すお金は万一の場合は戻ってこないかも知れないという気持ちで貸すことにしたけどね。儲かったら儲けの半分をもらえる約束だし」
 
「うん。私もそのつもりで貸すけどね。でも千里10億持ってたんだ?」
「私の資金は3億しかないよ。残り7億は借りる」
「それで戻ってこなかったらやばくない?」
「その時は雨宮先生から一生搾り取るからいいよ」
「それも怖そうだなあ。でもまあ千里なら7億借りても2〜3年で完済できるかもね」
 
「うーん。さすがに5〜6年掛かると思う。しばらくはアクアで稼がせてもらうけどね」
 
「確かにアクアのプロジェクトは利潤も凄いね」
 

実際の★★ホールディングの株価はその日の夜間市場で大暴落し、翌9日の通常市場では朝1番からストップ安の気配で売り注文が殺到。売買が成立しないまましばらく売り注文だけが増えていったが、やがてそこに大量の買い注文が入って全部買われてしまった。
 
するとどうも仕手筋が介入しているという観測から今度は買い注文がどんどん入り、やがてストップ高の気配になる。そして買い注文がかなり溜まった所で大量の売りが入って、これも全部はけてしまう。
 
そんなことをしている間に9日の午後には女優の**が記者会見して不倫の事実を認めた。一方の激勝氏側は会見にも取材にも応じない姿勢であった。しばらくする内に兄の鴻勝氏の大阪支店営業部長辞任の噂がネットに流れ、証券取引所がいったん売買を停める騒ぎになるが、緊急に大阪支店の黒岩支店長が記者会見をし、鴻勝氏が辞任した事実は無いが本人からしばらく休養したいという申し出があり了承したことを認めた。
 
そして株価の方はこの後、何度もストップ安とストップ高を繰り返す状態となり、この銘柄の取引に投入された資金はあっという間に会社の時価総額を遙かに超えて、1兆円を越した。
 

株価がやっと落ち着きを見せたのは不倫報道から1週間経った3月15日であった。
 
無藤準子さんが昼過ぎに記者会見をし、昨日都内のマンションに身の回りの物だけ持ってひとりで引っ越したこと。夫とは離婚を前提とした話し合いを弁護士を交えてしていることを公表するとともに自身が所有していた★★ホールディング株を全て市場で売却したことも公表した。
 
これで社内のバランスが★★系に傾いたのは確実とみられたことから社内人事は両者の妥協的なものになるのではという観測が高まる。そしてその日の夕方、松前社長と村上専務が並んで記者会見をし、6月の株主総会の場で松前社長が「代表権のある」会長に就任するとともに村上氏が新社長になる案を提出予定であること、町添制作部長と似鳥営業部長は留任させる予定であることを明言した。
 
これは事実上の★★系の勝利であるが、株価の乱高下が起きている中で実際問題として★★レコードは9日以降、指揮系統の混乱から業務が停滞しており、早く事態を収拾すべきという、メインバンクからの強い要請で話がまとまったようであった。
 

「いやあ、30億すっちゃった」
と卍卍プロの三ノ輪会長は、あっかるく記者会見をした。
 
「今回の★★株の変動に参戦なさったんですか?」
 
「そうそう。9日のお昼頃に何だか★★ホールディング株が激しく値動きしているのに気づいてさ。すぐ買い注文を入れたらストップ高で買っちゃったのよね。でも明日も上がるだろうと思ったらどんどん下がるじゃん。それで慌てて損切りしたら売った時がストップ安で、そのあとまた上がるんだもん。株って怖いね」
 
卍卍プロはローズ+リリーがデビューした時に極めてキャラがかぶっていたドッグ×キャッツというユニットを売り出したものの全く売れなかった。その後ローズ+リリーが私の性別問題から一時活動停止に追い込まれた時、ドーム公演を敢行して1億円の赤字を出した。
 
またAYAがデビューする時に、元々3人であったAYAの、ゆみ以外の2人を引き抜き、テスレコというデュオとして売り出したものの、AYAのプロジェクトを進めていた$$アーツ・H出版社・ロイヤル高島氏の遺族の3者から訴えられ、最終的には和解して20億円の賠償金を支払うとともにテスレコの活動禁止の条件を呑んだ。
 
それ以外にもこのプロダクションは度々様々なトラブルに顔を出して、その度に億単位の赤字や賠償金支払いが発生している。
 
にも関わらずこのプロダクションが倒産しないのは、芸能界の七不思議のひとつだと、松原珠妃は言っていた。
 

「200億儲けた」
と雨宮先生は得意そうに電話して来た。
 
「随分稼ぎましたね」
 
「とにかく1000円と1600円の間を一週間の間に何往復もしたからね。底で買って天井で売れば1.6倍になるんだよ。他に下がる時に空売りしておいて買い戻した分もあるから、最終的に投入した資金70億が280億になった。いやあ雷ちゃんには遠く負けるけど、私も小金持ちになった気分」
 
「良かったですね」
「たくさん儲かったから、儲けの3分の2を還元するよ。だから千里に30億くらい、冬子に60億くらい返すね。正確にはきちんと計算してから振り込む。でもこれだけあったら一生遊んで暮らせるかもよ。私もしばらく株は、しない」
 
「先生が残りの約200億を1年で使ってしまうのに賭けていいですか?」
 
「いや、それマジでやりかねんからその賭けは無し。取り敢えず税金払えなくなると困るから150億はイク(雨宮先生の事実上の夫である三宅先生)が管理している口座にいったん移動させた」
 
「賢明ですね。でもその分すった人もいるんですよね?」
「だろうね。冬子は税金対策考えておきなよ」
「それ無理です。素直に25%の法人税を払いますよ」
 
「10億も税金払うくらいなら買物すればいい」
「50億も何を買えばいいんです?」
「新幹線を買うとか。確か16両編成で40-50億円くらいだよ」
「新幹線なんて買ってどこに置くんですか!?」
「鉄道会社でも始めるとか。ローズ+リリー鉄道」
「マリは面白がりそうですけどね」
 

「400億儲けちゃった」
とその日若葉はうちに来て、得意そうに言った。
 
「誰かとこの喜びを分かち合いたくて、ケーキ買ってきた」
 
若葉は上等なボルドーワインとケーキを3個買ってきている。2個出して一緒に食べて、もう1個はもう午後2時なのに起きてくる気配の無い政子に取っておく。私たちはとりあえずグラスを合わせて、ケーキを食べ始めた。
 
「ありがとう、というかおめでとうというか。でも若葉最近男の子と付き合っていたのでは?その子と喜びを分かち合えばいいのに」
 
「お祝いに一緒にディナー食べて、ホテルで1晩一緒に過ごしたよ」
 
「若葉の男性恐怖症も随分改善されたね」
「セックスはしなかったけどね」
 
「ホテルに行ってセックスしないんだ?」
「5cm以上離れて寝る約束。タッチ無し」
「へー」
 
なんか千里と似たようなことしてるなと私は思った。理由は全く違うけど。
 
「冬だけに言っちゃおう。あのねあのね」
と言う若葉は物凄く可愛い。
「その子から種をもらって2人目の子供産んじゃおうかなと思ってるの」
と若葉は言った。
 
「いいんじゃない?また人工授精するの?」
「うん。治孝は今貞子と付き合っているから、貞子としても私が他のボーイフレンドとの仲が進展している方が安心だろうしさ」
 
若葉の最初の子供である冬葉(かずは)の父親は中学の陸上部の同輩である野村治孝なのだが、彼は現在同じく中学の陸上部の同輩であった前村貞子と交際中である。貞子は若葉に治孝が精子を人工授精用に提供したことは承知しているし、若葉と治孝の間には恋愛関係が無いことも理解してくれてはいるが、子供まで作った女性がフリーでいるのは、貞子としては心穏やかならざるものがある。もっとも貞子は若葉と元々仲良しだし、ふたりで一緒に冬葉の顔を見に来て、遊んであげたりもしているようだ。なお貞子は現役陸上選手なので、当面は結婚することができない。治孝君には「東京五輪が終わるまで結婚は待ってくれ」などと言っているようだ。
 

「でもどのくらいの元手から参戦したの?」
と私は話題を変えるように言った。
 
「あ、これって儲かりそうと思ったから証券会社さんに電話して200億円くらい貸してくれません?と言ったらいいですよと言うから借りたのよね〜。それで適当に売買している内に600億円になっちゃった」
 
「凄いね」
「借りた200億円を返して400億円の儲け。その間の利子は1500万円くらいだから大したことなかったね」
 
「自己資金は無かったの?」
「私、自分の貯金は3億円くらいしか無いし」
「あ、そう」
 
やはり若葉は金銭感覚が尋常じゃないと私はあらためて思った。しかし若葉は
 
「結構楽しかった」
などと言っている。
 
「株はよくやってるんだっけ?」
「前にサンリオ株を2000万円買ったら数ヶ月で4000万円になったから、それで売り抜けたことある」
 
「へー。確かにサンリオは過去何度も大きな変動しているね」
 
「株取引やったのはそれ以来かな」
 
「・・・・・」
「どうしたの?」
「もしかしたらビギナーズ・ラック?」
「あ、そうかも。お母ちゃんに言ったら、最低3年は株取引するなと言われた。あと勝手に何百億も借りるの禁止とも言われた」
 
「それがいいと思う」
 
「でも400億円もお金ができちゃった。前から作りたいと思っていたレストラン作っちゃおうかなあ」
「レストラン作るのに400億円も要らないと思うけど」
 
「伯母ちゃんとかお母ちゃんの人脈で人を探すと詰まらないしさ、冬、誰か社長というか店長あるいは板長さんになってくれそうな人知らない?」
 
「ちょっと心当たりを当たってみるけど、レストランのコンセプトは?」
「オーガニックフードをベースにした庶民的な日本料理店」
「うーん・・・。若葉には『庶民的』という概念が理解しにくいかも」
「そうかな?」
 

「体育館を建てない?」
と千里が電話して来て言った。
 
「それってもしかして、40 minutesとローキューツの共同で?」
「そうそう。私と冬で25億くらいずつ出資して。50億円あれば3000-4000人収容の体育館が建設できるんだよ」
 
「うーん。。。。それいっそ5000人にしたい。そしてコンサートにも使えるようにするのなら、その話に乗る」
 
今実は絶対的に東京都周辺の大規模ライブ会場が不足しているのである。相次いで改修や閉鎖になっている施設が出ている。
 
「うん。それでいい。5000人規模なら多分80億くらいかな。いやライブでの使用を考えた音響設計したら100億掛かるかも」
 
「ライブで使える前提なら、千里が25億、私が75億という出資でもいいよ」
「うん。冬にたくさん出してもらえると助かる」
 
「でもそれ単純な建設費だよね。場所は?土地は買う訳?」
と私は念のため訊く。
 
「場所は交通の便のいい所が絶対条件。それと、こういうのは自治体も1枚かませた方がいい。そして自治体の持っている土地に立てる。最終的に土地は買い取ってくれと言われたら買ってもいいし。平米あたり60万円くらいとして1万平米の土地が60億で買える。そのくらいは銀行も融資してくれると思うんだよね」
 
と千里。
 
「うん。私たちの年収を見たら貸してくれるだろうね。雨宮先生を上手く乗せたら半分くらい出してくれる可能性もある」
と私。
 
「ああ。それは脅迫すれば出してくれるよ」
「脅迫ネタ持ってるの?」
「まあね。場合によってはジョイフルゴールドや江戸娘にも声を掛けて、少し出資してもらうといいかも」
 
「あ、それがいいかも。でもそういう話、どのあたりから持っていく訳?」
と私は尋ねる。
 
「取り敢えず、ジョイフルゴールドの藍川社長、親会社の倉吉副頭取、ローキューツの高倉社長と冬子、40 minutesの立川社長と私、江戸娘の青山キャプテンと上島先生、この4者で一度集まって話し合ってみない? 自治体とのパイプはうちの立川さんにしても藍川さんにしても高倉さんにしてもあるはず。あと銀行がメンバーに入っていると、自治体も安心する」
 
「言えてる。じゃ、まずは1度集まってみようか。多分上島先生のスケジュールが厳しいと思うから、先生の時間の取れる日を訊いて連絡するよ」
「よろしく〜」
 

「激勝さんが薬物使用で逮捕されたので、完全にMM系の敗北が決まりましたね」
と氷川さんはその日の朝、マンションに来て言った。
 
「去年、芹菜リセさんが活動自粛に追い込まれた事件で、実際には司法取引のようなものが行われて、販売ルートが警察にかなり把握されたみたいですね。あの後売人が随分逮捕されて、芸能人やスポーツ選手の薬物使用者も何人も逮捕されています。それでどうも警察もそのルートから激勝さんも内偵していたみたい。だから不倫報道が無くても激勝さんの退場は時間の問題だったみたいです」
 
時間の問題だったかも知れないが村上さんが社長に就任しMM系で中核を占めた直後に発覚していたら★★レコードは大打撃を受けていたろう。6月の株主総会の前で良かったのだ。
 
「激勝さんは破産になる可能性も高いみたいですね」
と氷川さんは言う。
 
「やはりかなり借金があったんですか?」
「相当豪遊していたようです。銀座で1晩で1千万使ったりしていたとか」
「どうやったら1晩で1千万も使えるんです!?」
「庶民には伺い知れない使い方があるんでしょうね。そんなことしてたら借金も増えるでしょう。配当で毎年1億近い収入があったとはいえ」
 
「今回の事件では、お金の感覚がくるうような話ばかり聞く」
と私は嘆くように言った。
 
「お金のある所にはあるもんですね〜」
と氷川さんが言う。
 
「でも結局、無藤鴻勝氏も辞職、トロイカレコード出身の本社営業部次長の矢掛さんが大阪支店営業部長に就任することになりました。その後は、鬼柳制作部次長が営業部次長に横滑り、そして加藤課長が制作部次長に就任という線で近いうちに辞令が出るようです」
 
「加藤課長の後任は?」
「森元係長の昇格です」
 
「森元さんも課長になっていいくらい仕事してますよ」
「ええ。過労死しないかと心配なくらい仕事してますね。今回は加藤も森元も鬼柳も社内の動揺を抑えるのに必死だったみたいです」
 
「そのあたりに負荷が掛かりますよね」
「三田原さんがこちらに残っていたら彼女が加藤の後任になったんでしょうけどね」
「いや、向こうは向こうでアクアに関する仕事が無茶苦茶多くて大変だと思う」
 
「もっとも三田原は権力闘争に巻き込まれた時に、自分が性転換しているという問題が敵に攻撃されやすいと思って自ら転出した感じもありました」
と氷川さん。
 
「そういうのって性転換者が背負っている十字架なんですよ」
と私は厳しい表情で語った。
 
「でもTKRの課長の方が★★レコードの課長より大変になる可能性もありますけどね」
「ですです。子会社が親会社より成長することもよくありますよ」
 

「一見★★系が勝利したようにも見えますけど、結局は村上さんが社長、佐田さんが副社長になる意味は大きいです」
と氷川さんは言った。
 
「営業方針が変わるでしょうね。似鳥さんは一応★★系ではあるけど、上からの命令には逆らえない人だから」
と私は言う。
 
「ええ、それもあって心配です。そうなってくると町添がどうしても孤立しがちになるだろうから、そこに加藤が次長で入るのは町添としても心強いと思うんですよ」
と氷川さん。
 
「ですね。この状態では町添さんひとりでは制作の具体的なことまで頭が回らないだろうから、それを加藤さんに助けてもらえば、何とか品質の維持やアーティストの管理もできるのではないでしょうか」
と私。
 
「まあ私たち一般社員はそれを期待しているんですけどね」
「そうだ。氷川さんも係長になるんでしょう?」
 
「どさくさ紛れに加藤から言われました。係長といっても部下がいる訳ではないし、それに私ローズ+リリーのことしかしてないんですけどね。まあ私の一存で決済できる金額を大きくするために係長にしてくれるみたいです。それだけ責任も大きくなりますけど」
 

「誰が今回の事件を仕掛けたのかってんで、犯人捜しも行われたみたいね」
 
とその日、音羽と光帆のマンションを訪れた私に音羽は言った。
 
「やはり誰かが雑誌社にリークした訳?」
「だと思うよ。今浮上しているのはMM系内部の勢力争い」
「そんな話が?」
 
「例のキスしている写真は、MM系の社員が集まって激勝さんのおごりで村上さんの社長就任、佐田さんの副社長就任の前祝いをしていた時のものらしい。女装レイプ大会とか凄いことやってたみたいでさ。村上さん・佐田さんも出席している中で」
 
「何それ?」
と私は顔をしかめる。
 
「雑誌社が入手した写真には村上専務がスカート穿いてお化粧した男性社員と結合しているなんていう物凄い写真もあったらしいけど、雑誌社としてはニュース価値が無いと考えて女優との全裸緊縛キス写真だけ出したみたい」
 
「うーん・・・」
 
「そういう場で撮影されたものだから、撮影したのはその時居た誰かとしか考えられないと。ホテルに入って行く所の写真も、その宴会の後で2人がホテルに行った時のものだから宴会の後尾行して撮影したのだろうと」
 
「なるほどねー」
「それで犯人と疑われた人が数人、★★レコードを退職したみたい。あと、村上専務にレイプされた男性社員には100万円渡して退職願を書かせて地方のイベンターに移籍させたとか。本人もそんな写真が流出したら嫌だから従ったみたいで」
 
「それは酷い。しかし要するにMM側の自爆か」
 
「MM系といっても一枚岩ではない。村上さんとか黒岩さんはMMレコード創業者の無藤定さんに育てられた人材。でも佐田さんは無藤定さんの相棒の河内さんに心酔していた人。つまりMMレコード系自体に無藤系と河内系があるんだよ。今回の事件はその河内系の誰かが、無藤−村上系にダメージを与えてあわよくば村上さんではなく佐田さんを次期社長に据えようとしたのが影響が大きすぎたのではないかと」
と音羽は語る。
 
「会社員って何か大変な仕事だね」
 
「全く全く」
 
「しかし、男性社員を宴会の場でレイプして喜んでいるような人が★★レコードの次期社長になるわけ?」
と私は困惑しながら言う。
 
「なんか気が重いね」
と音羽は言った。
 
「私は正直村上さんより佐田さんの方がまだ先見の明がある気がするんだけどね〜。もっとも今回、佐田さんは本人が女装して、若手男性社員が佐田さんのスカートの中に頭を突っ込んで舐めていたらしいけど」
 
私は顔をしかめた。なんて宴会をやっているんだ。
 
「ね、それマリファナとかやってない?」
「あやしいよね」
 

音羽と★★レコードの問題から始まって、最近のアーティストの動向などを話している内に、音羽がトイレに行くのに中座する。それで私がしばらく待っていた時、後ろで忍び足のような音がした。
 
何気なく振り向こうとしたのだが、後ろから忍び寄った人物はいきなり私に飛びかかってくる。
 
「わっ」
と声をあげるが、向こうは私にキスして舌まで入れてくるし、スカートの中に手を突っ込んでパンティを下げ、いきなりあそこを揉み始める。
 
「ちょっとやめて!」
と私が相手の口から何とかこちらの口を離して声を出したら、その人物は「へっ?」と声を出してこちらを見た。
 
「冬!?」
「美来?」
 
「ごめーん。織絵と間違った。来てたんだ?」
「織絵はトイレに行ってるけど」
 
そこに音羽がトイレから戻ってくる。
 
「あんたたち何やってんの?」
と音羽。
 
「ごめーん。オリーと間違った」
と光帆。
「まあいいけど、ミルル、取り敢えず服着たら?」
「そうする。冬、私のちんちん見たのは忘れてね」
 
「ああ、最近みんなの性別がだんだん分からなくなって来た」
と私は言った。
 
「そうだ。冬も『アクア様に去勢手術を受けさせよう』運動に1口乗らない?」
 
と光帆はそのあたりに落ちていたガウンだけ羽織って言った。ちんちんはまだ先端が見えてる!
 
「そんな運動があってるんだ!?」
と私は呆れて言う。
 
「だってあの子のボーイソプラノが失われたら世界の損失だよ。ここはみんなの総意でぜひ去勢手術を受けてもらおう」
と光帆。
「既に署名が20万人集まってる」
と音羽。
 
「凄い!」
 
「小風とか富士宮ノエルちゃんとかも署名してくれたよ。松浦紗雪さんとマリちゃんは発起人に名前を連ねてる」
 
「なるほどね〜」
 

ネットで『アクア様に去勢手術を受けさせよう』という運動が広まり、署名募集サイトでの署名が40万件を突破したということから、悪のりしたΛΛテレビが『アクア君、これが去勢だ!』という番組をわずか1日で制作して緊急特番を組んだ。
 
番組冒頭ではアクアにΛΛテレビの局アナがインタビュー。ネットでこれだけ多くの人がアクア君に去勢手術を受けて、今のボーイソプラノが失われないようにして欲しいと要望していますがと言う。するとアクアは困ったような顔をして
 
「済みません。ファンの方々のお気持ちは嬉しいですが、僕は将来結婚したいので、睾丸を取るのは嫌です」
と答えた。
 
「睾丸くらい無くてもアクアさんと結婚したいという女性の声も多数来ていますが」
「でも子供も作りたいので」
「それでしたら精液を冷凍保存してから去勢する方法もありますよ」
「え〜〜!? どうしよう」
 
とアクアが少し迷うような顔をした所で場面は変わる。
 

去勢手術を多数手がけている都内の病院の医師が出演して、去勢手術の効果について説明する。
 
「男性ホルモンが生産されなくなりますので、男性的な発達は停まります。一般に筋肉が減少し脂肪が増えて中性的な身体付きになりますし、ヒゲや体毛が生えにくくなりますが、このあたりは個人差もかなりあります。10代の内に受けると、肩の張りが発達するのを防止できます。思春期前に行えば喉仏の発達や声変わりを防止できます」
 
「副作用としては第1に精子が生産されなくなるので子供を作れなくなること、それから高確率で陰茎が勃起しなくなること、ホルモンバランスが崩れて精神的に不安定になりやすいこと、骨粗鬆症になりやすいこと。但し精神的な問題や骨粗鬆症を防ぐ方法として女性ホルモンを継続的に投与する手があります。その場合、以後乳房が発達し、腰回りの脂肪なども増えて身体は女性的に変化していきます」
 
「先生、去勢する前に精子を冷凍保存しておけば、それで子供は作れますよね?」
「作れます。そういうことをなさる方は時々おられます。ただし精子の冷凍は毎年1アンプルにつき2万円程度の維持費が掛かることはご留意ください」
 
「実際の手術はどのように行うのでしょうか?」
「部分麻酔、あるいは病院によっては全身麻酔を掛けた上で、陰嚢を縦に切開し、睾丸を外に引き出して精索を結索の上切断します」
 
「2個とも取るんですか?」
「1個残しておいたら意味無いですね。睾丸は片方でも残っていれば男性ホルモンを生産し続けますから」
 
「手術時間はどのくらいでしょう?」
「だいたい30分くらいです」
「これ危険度はどのくらいですか?死んだりすることはあるのでしょうか?」
 
「医学、特に衛生学が未発達で麻酔も無かった中世のカストラートの手術では1〜2割の患者が死亡していたと言います。しかし現代では死ぬことは極めて稀ですね」
 

そのあと番組は去勢手術を受けて(性転換手術はまだ受けていない)ニューハーフさん数人にインタビューし、手術のことについて訊いていた。
 
「すごく調子いいわよ。手術して良かったと思ってる」
「女物のショーツを穿く時にこぼれにくいから、とっても便利よ。ビキニなんかもすごく着やすくなったし」
「女性ホルモンの効きがすごくよくなった。飲む量も減らしたのにおっぱいがどんどん大きくなっていくの」
 
「むらむらとすることが無くなったから精神的に凄く楽になった。睾丸があった頃は、ついオナニーしてしまうのが嫌だったのよね」
 
「個人差もあるみたいだけど、私の場合ヒゲも体毛もほとんど生えなくなった。肌もすべすべ感が増した感じなのよね」
 
1人、思春期の頃から女性ホルモンを飲んで声変わりを抑えておき18歳になった所で去勢手術を受けたというニューハーフの歌手という人にインタビューしていた(現在は23歳)。彼女は物凄く美形で、ヌード写真まで映されたが美しい曲線美であった。彼女はとても可愛い声でインタビューに答えていた。
 
「私は両親が理解してくれたおかげで女性ホルモンを摂ることができて、お陰で声変わりも免れたし、すごく女らしい身体を獲得することができました。私の骨盤も女性型だと言われているんですよ。この骨盤なら赤ちゃん産めるねと言ってくれたお医者さんもいます。あ、声域ですか?完全にソプラノですね。私、アクアちゃんのファンですよ。アクアちゃんの歌もよくカラオケで歌っています。アクアちゃんも早く去勢できるといいね」
 
このニューハーフ歌手さんについては、CDとか出してるなら聴いてみたいという問い合わせがかなりあったようである。
 

さらに番組はアクアの両親にインタビューする。
 
「そうですね。私たちはアクアを男の子として育てていますが、本人が女の子になりたい、あるいは去勢したいと希望するのであれば、その希望は認めてあげたいと思います」
 
などとアクアの母は言っていた。
 
更に事務所の秋風コスモス社長にもインタビューする。
 
「うちの事務所では基本的に所属タレントが豊胸手術や美容整形手術を受けることを禁止しており、勝手にそのような手術を受けた場合は解雇すると契約書に書いてあります。実際に鼻を高くする手術を受けたデビュー前の研究生を契約解除したこともあります。しかし去勢手術を受けてはいけないという条項はありませんので、アクアが去勢したいというのであればしても構いませんよ。病気の治療のための手術と同じです」
 
「男性化する病気の治療ですよね?」
「確かにそうも考えられますね」
 
「性転換手術をしたいと言ったらどうでしょう?」
「性転換手術を禁止する条項も入っていませんが、それでもし休業期間が発生する場合は、事前に相談してもらいたいです」
 

「アクアさん、御両親も事務所の社長も、アクアさんが去勢してもいいと言ってますよ」
とアナウンサーはビデオを見せてから言う。
 
「別に去勢は希望しません」
と本人は答える。
 

番組はアクアをアナウンサーが病院に連れ込むシーンが映る。
 
「え〜?だから僕手術なんか受けませんよ」
「まあまあ、ちょっとこちらに来てお話ししましょうよ」
 
などとやっている。
 

その後、場面は突然手術室になる。手術台の上に若い男の子が寝ているようである。医師が患者に声を掛ける。
 
「それでは去勢手術をしてもいいですか?手術するともう元には戻せませんよ」
 
 
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【夏の日の想い出・種を蒔く人】(1)