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性転換手術 - sex change surgery


目次

性転換手術とは

性別に適合させる手術

性転換手術とは自分のを変えたい人のために行う外陰部の形成手術です。

基本的に半陰陽である場合と、独立した性を持っていた場合を区別する必要があります。だいたい1960年代頃まではこれを全てひっくるめて「性転換手術」と呼んでいました。現在では「性転換手術」という呼び方は完全な男性器を持っている人を女性型の性器形態に形成したり、完全な女性器を持っている人を男性型の性器形態に形成する手術のみを言います。半陰陽の人の場合は、むしろ普通の形成手術として行われています。ただし外科技術的には、双方の手術にはかなり共通の技術も使われます。

最近では「性転換手術」(Sex change surgery)ということばが誤解を招きがちだとして性別適合手術(Sex Reassingment Surgery 略してSRS)と呼ばれることが多くなり、正式には「性転換手術」は俗称であるとされています。

また性転換手術というのは、基本的に言って、その手術をすれば性を転換できるという手術ではなく、本人が自分の性を転換していく過程において、新しい性で暮らすのに少しでも暮らしやすいようにするための手術です。

実際問題として、日米欧やタイなどでは、このような手術を受ける前に多くの人が、生活習慣の変更に加え、性ホルモンの摂取や、乳房の手術(MTFの場合は豊胸手術、FTMの場合は乳房切除手術)、などにより、既に新しい性の外観を取得している場合が多く、「残るは性器だけ」という状態になってから、手術を受けに来る場合がほとんどです。実際手術前に一定期間の性ホルモンの投与や、新しい性での社会生活(RLE - Real Life Experiment)をしていることを条件にしている病院も多いです。

ただ国によっては、そういう条件を満たしていない人でも安易に性転換手術を行ったり、半陰陽の人に本人の意志を無視して強引に、医学的に判定された性に合わせ付ける手術を行っているところなどもあるようです。

性転換手術の歴史

3世紀のローマ皇帝ヘリオガバラスが人工的な膣を作る手術を受けたとされるので、この手の手術はかなり古くから行われていたのではないかと思われますが、近代的な性転換手術の始めといわれるのは1930年のリリー・エルベ(Lily Elbe, 1886-1931)のケースです。彼女はドイツの画家で、Einer Wegenerと名乗っていた男性時代から同じく画家で妻のGerda Wegener のモデルを女性モードで務めていました。今でもGerdaが描いたLiliの肖像画が残されていますが、ローランサンや竹下夢二などとも通じるところのある少女趣味系の画風です。Liliという名前はこのモデルをしていた頃から使っていて、そのまま女性の格好のままでパーティーなどに出かけていたそうです。Liliは1930年3月5日にオランダで最初の手術を受け、翌月女性のパスポートを受給しています。しかし残念ながら翌年ドイツ国内で受けた造膣術の経過が悪く急死してしまったようです(この付近は異説もあり)。

性転換手術が有名になるのは、なんといっても1952年12月に世界的に報道されたヨルゲンセン(Christine Jorgensen, 1926-1989)のケースです。ヨルゲンセンは朝鮮戦争でも活躍したアメリカ軍曹ですが、1950年から1952年に掛けてデンマークでChristian Hamburger博士の治療を受けて女性に生まれ変わりました。なんといっても軍人のように男らしい職業に就いていた人が女になったということがニュースバリューがあったものと思われますが、この報道をきっかけに同じ悩みを持つ人が多数デンマークを訪れ、以後性転換手術は医学的治療として定着していくことになります。

日本ではヨルゲンセンより前に永井明子(1918-?)という人が1950年8月から1951年12月にかけて、国内で去勢・造膣・隆胸の手術を受け、家庭裁判所に性別の変更を申し出て認められています。彼女の時代は陰茎を短く切って陰核とする方法が採られていますが、神経はそのままなので性的に興奮すると小さな陰核は困るくらい勃起したそうです。ヨルゲンセンの場合はこの付近を完全に切り落としたもようです。当時はまだ造膣に関する施術方法が確立していませんでした。

現代の手術方法につながる造膣方法を開発したのはモロッコのジョルジュ・ブロー?(George Burou, 1911-1987)博士です。パリのキャバレー、カルーゼル?の「女装ダンサー」たちが幾人も博士の手術を受けたことから世界的に注目され、1960年代から1980年代に掛けて、モロッコには世界中の性転換希望者が殺到しました。カルーセル麻紀も博士の手術を受けています。博士が生涯に手術した人は7000人といわれます。ブロー博士が開発したのは、陰茎の皮膚を反転して膣壁にしてしまうという方法ですが初期の頃は陰嚢皮膚だったそうです。

アメリカではジョン・ホプキンズ大学病院がかなり早い時期から性転換手術を実地し始め、アメリカではこの病院の名前がまさに性転換の代名詞的になっていた時代があります。初期の頃は手術法もかなり試行錯誤したようですが、次第にモロッコのBurou博士の方式とだいたい似た方式に落ち着いていきました。

日本では永井明子の例はあまり知られず、1960年頃に国内で手術を受けた銀座ローズ(1933-)がかなり有名になり、手術する医師が次第に増えていったようですが、医師によってはかなりひどい内容のものもあったようです。睾丸を取ったり、陰茎を切断するのは簡単ですが、膣を作るのはかなりの腕が必要です。しかしその腕のない医師にかかり「棒も穴もない状態」になって悩んだ人たちも相当いたようです。

そんな中でブルーボーイ事件(1964)で闇の性転換手術を行っていた医師が摘発され有罪となった事で、国内の手術熱は完璧に冷え込み、そこでカルーセル麻紀などはわざわざ高い交通費を使ってモロッコまで行って手術を受けました。この時代はモロッコの他、スイスで受けた人もかなりいたようです。手術を受ける人が赴く先はその後、シンガポール、タイと移動してきました。現在ではタイは世界中から性転換を希望する人が集まる国になっています。

しかし最近になって埼玉医科大が性転換手術を正当な医療行為として行うことを表明。それを契機に、岡山大学と札幌医大もこの医療の開始を表明して、40年ぶりに日本国内で性転換手術が表に出てくることになりました。そして2004年には、かなり内容に問題があるものの「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(通称「特例法?」)が施行され、性転換手術を受けた人が法的な性を変更する道が開けました。

手術の概要

詳しくは下記を参照。

簡易性転換手術

簡易性転換手術とは、MTFの人が、陰茎と陰嚢の切除をおこない、陰唇だけ形成して膣は形成しないものである。身体への負担が小さいことと、費用が本式の性転換手術に比べて遙かに安いことから、受ける人もあるが、これをしてしまうと、将来膣が欲しくなっても、作ることができず、性交も男性型・女性型のどちらもできなくなり、精神的なストレスは大きくなることが考えられるので、受けたいと思う人は慎重も判断が必要である。

陰裂形成術


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