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■男の娘とりかえばや物語・後書き(1)

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21歳の頃以降のTimeline↓
 
20.12下旬 四の君の妊娠が判明
21.04上旬 尚侍の妊娠が判明。
21.04.15 権中納言が左衛門と会い話を聞くがさっぱり分からない
21.04.23 右大将が麗景殿女御の妹と契る。権中納言は右大将を見てまさしく男なので驚く21.05 権中納言が二条邸に忍び込んで吉野の姫君たちを垣間見る
21.06.14 権中納言が二条邸に招待される。妹君と文を交わし契ることになる21.07.01 尚侍、二条邸に里下がり(出産のため)
21.08.01 四の君も二条邸に移る
21.09.01 四の君が若君を出産(逆算受精日:20.12.01)12/1受精 12/15 2月 1/13 3月 2/12 4月 3/10 5月 4/9 6月 5/7 7月 6/6 8月 7/4 9月 8/3 10月 9/1予定日21.12.20 尚侍が男児を出産(逆算受精日:21.03.19) 3/19受精 4/4 2月 5/2 3月 6/1 4月 6/29 5月 7/27 6月 8/26 7月 9/24 8月 10/23 9月 11/21 10月 12/20予定日22.01 右大将が内大臣に任じられる。権中納言は大納言に昇進。
22.01.23 麗景殿女御の妹が女児(朝日)を出産。
22.02.11 雪子が皇太子を退位。尚侍が産んだ男児が新たな皇太子に任じられる。 尚侍(涼道)は女御に任じられる。
22.04 涼道は更に中宮に任じられる。梅壺女御は女御を退任して実家に戻る!23歳 萌子が男児を出産(3人目の男児)、中宮が二の君を生む。
25歳 中宮が三の君を生む
27歳 中宮が内親王を生む
 
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(原作との違い)
 
原作では四の君は8月末日に二条邸に移り、翌日9月1日に出産したことになっていますが、それほど体力も無さそうな四の君を出産前日に移動させるというのは無理があるので、1ヶ月前に移動したことにしました。また長女は右大将への遠慮から実家に置いてきたことになっていますが、本文にも書いたように、それでは小夜があまりにも可哀想すぎますし、右大将の優しい性格からは、小夜も可愛がってくれそうなので、連れてきたことにしました。
 
後述しますが、とりかへばや物語冬の巻は、登場人物の心理に関する考察が適当で、そもそものプロットも稚拙ですし、また秋の巻まで多かった心理描写のようなものもほとんど見られません。更に秋の巻までは女性視線だったのが、冬の巻だけ明らかに男性視線で書かれていて、秋の巻までとは別の書き手によるものとしか思えません。
 
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また尚侍の里下がりは7月で胎児は5ヶ月とだけ原作には書かれていますが、物語の展開上、萌子の移動との間に多少の時間差があった方が自然であることから7月1日だったことにしました。なお、尚侍の胎児が5ヶ月目に入るのは出産日からの逆算では6月29日です。
 
また原作では権中納言は、二条邸の吉野妹君の所に住み込んでしまうことになっていますが、帝の従弟という大きな立場にある人が、臣下である右大将の館に同居というのは、情けないですし、自分の邸を建てる程度の財力はある筈ですから、別途自分の邸を建てる設定にしました。三条京極という場所は、源氏物語の光源氏の邸宅が六条京極であるのに倣ったものです。宮中で右大将のライバルとされている権中納言であれば、規模的にも二条邸と比べて恥ずかしくない規模のものを造営したことでしょう。
 
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なお光源氏の六条院は四町という究めて広大な広さのもので、春夏秋冬4つの寝殿造り(各々に寝殿と対がある)で構成されているという、超贅沢なものでした。
 
(源氏物語が書かれたのは1000年前後、とりかへばや物語は“古とりかへばや”が1100年頃、改訂版の“今とりかへばや”が1200年頃と思われる。但し源氏物語の劇中時代が作者と同時代の10世紀であるのに対して、とりかへばや物語の劇中時代はそれより前の9世紀である)
 
また、大若君について、原作は吉野姉君が猶子にすることになっているのですが、今回の翻案では、雪子が内大臣と結婚してしまうので、その場合、雪子自身の猶子にする方が自然なので、そういう展開にしました。
 
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そもそも、原作では尚侍が東宮に無断で妹を探しに行くことになっているのですが、身重の東宮(しかも自分が父親)を放置して無断で出て行くのは、あまりに無責任だし不自然なので、東宮の承認のもとで出ていたことにしています。
 

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改変のボイント
 
・男君が東宮に無断で妹を探しに行っていたので東宮と衝突してしまう話を全面カットし、ちゃんと東宮の許可を得て探しに行っていたことにした。
 
・東宮が宮中の帳の中で大きなお腹を隠し続けそこで出産したというのは、全く不可能であるので、里下がりする設定にした。
 
・東宮が女院になったとあるが、当時女院という制度が存在しなかったので、単に内親王に戻ったことにした。
 
・内親王(元東宮)は右大将と結婚し、大若君は吉野姉君ではなく彼女の猶子となる展開にした。
 
・四の君が2番目に産んだ子は権中納言の子供で女の子だったことになっているが、いくらなんでも2度も同じ過ちをするのは馬鹿すぎるので、2番目は右大将の子供とした。その結果この子は物語の論理上男の子でなければならないことになった。(右大将の娘は麗景殿女御の妹が産んだ子のみ)
 
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・吉野妹君が物扱いされ右大将が権中納言に「妹の代わりにやる」と言われているのを本人の意志で嫁ぐ設定にした。
 
・いやしくも帝の従弟である権中納言が、二条御殿に間借りするのは情けないのでちゃんと自分の邸宅を建てる設定にした。
 
・帝が尚侍が処女でないと気付き、それを責めるシーンをカットした。
 
・中宮になった女君が萩の君(宇治で産んだ子)に、自分が母であると告白するシーンをカットした。
 

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このように冬の巻の部分はかなり大胆な改変を加えたのですが、その理由は以下に述べます。
 

《余談》とりかへばや物語冬の巻について
 
とりかへばや物語は、最初11世紀末頃に書かれた“古とりかへばや物語”をベースに12世紀末に誰かが大改訂をして“今とりかへばや物語”を書いたとされています。これが現在に伝わるものであり、元の“古とりかへばや”は伝わっていません。
 
この“今とりかへばや”では元の物語にあった無理すぎる設定やグロテスクな記述(もしかして性器切断シーンなどがあった!??)などが消え、登場人物の微妙な心理描写などが入って、とても良質な文学になったとされ、川端康成も高く評価しているのですが、そういう微妙な心理描写があるのは、春の巻から秋の巻までであって、冬の巻にはその手の描写がありません。
 
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また秋の巻で右大将がわが子を捨てる決断をするに至る心理の記述などは、女性でなければ絶対に書けないと思わせるものがあります。ところが冬の巻には女性側の心理描写が全く無く、それどころか、最終章付近では中宮がひとつ間違えば一族の破綻にたながるようなことを、我が子への感情に負けて口に出すなど、秋の巻までの気丈な女君の性格描写とは相容れないものがあります。そこにあるのは、女は我が子が可愛いだろうという男の論理です。また権中納言と吉野妹君との結婚については、右大将が「宇治の女君はやれないから代わりにこの子をやる」などと言って女を物扱いしており、少なくとも女性の筆者ならありえない発想です。
 
全体的に冬の巻は男視線で書かれていて春の巻から秋の巻までが女の視線で書かれているのとは対照的です。また全体的な構成などが、冬の巻は緻密さに欠けます。更には女君や東宮の性格が秋の巻までと随分違います。秋の巻までは活き活きと行動していたのに、冬の巻ではどちらも悪い意味の女らしさが出ています。
 
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それを考えると、この物語は秋までの巻と、冬の巻は違う書き手によるものではないかと想像されます。その場合、2つの考え方があります。
 
1.女筆者先行説
 
元の物語を女性の筆者が大改訂して「今とりかへばや」を書いたが、この物語は秋の巻あるいはその少し先の尚侍も復帰する付近で終わっていた。そこでその続きが読みたいという声におされて、誰か男性の書き手か続編を書いた。これが現在の形である。
 
2.男筆者先行説
 
元の物語を男性の筆者が大改訂し“改訂版とりかへばや”を作った。それを更に女性の筆者がリライトし、春の巻から秋の巻までを書いた。しかし彼女はその先の冬の巻をリライトする前に亡くなったか、執筆できない状態になり、冬の巻はリライトされないまま残った。これが“今とりかへばや”である。
 
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正直、秋の巻までの美しい物語に比べて、冬の巻は落差にがっかりするのです。そういう訳で今回の翻案では、冬の巻にはかなりの手を加えており、エピソードもかなり再構成しました。また幾つかのエピシード(中宮が萩の君に自分が母だと打ち明けてしまうシーンなど)をカットさせてもらいました。
 
 
 
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男の娘とりかえばや物語・後書き(1)

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