広告:ここはグリーン・ウッド (第3巻) (白泉社文庫)
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■夏の日の想い出・小2編(8)

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しかし保坂早穂・芹菜リセは、どちらも生歌で、物凄く上手かった。歌い終わった後、お互いの所に視線をやって、ぶつけあっている感じだった。ちょっと怖いくらいだったが、ライバル同士の壮絶な戦いの現場に自分は居合わせているんだというのを肌で感じた。
 
そして・・・自分もいつか、こういう感じで、良きライバルと視線をぶつけ合い、歌で競い合いたい。そんな気持ちがした。
 
それは、私にとって初めて本気で歌手になりたいという気持ちを持った時であったのかも知れない。
 

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その年の12月の頭くらいだったと思う。
 
私は不思議な夢を見た。私は棺桶のような所に寝ていた。あれ?私、死んだのかな? などと、のんびり考える。でも鐘が4つ、ミドレソと鳴った(学校の始業のチャイムみたい!)。それで起き上がったら、私は裸で、柔らかい土の道があった。道の左手にはたくさんのユリが、右手にはたくさんの赤いバラが咲いていた。
 
私はその道を歩いて行った。やがて前方に青い服を着た少女か少年か、性別がよく分からない人が立っていた。
 
「あなたは男になりたい? 女になりたい?」
と訊かれたので、私は
「女になりたいです」
と答えた。すると、いつの間にか私は青いドレスを着ていた。
 
更にその道を歩いて行くと、黄色いドレスを着た若い女性が立っていた。
 
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「あなたは家庭の主婦になりたい? 仕事に生きる女になりたい?」
と訊かれたので、私は
「仕事をしたいです」
と答えた。すると、いつの間にか私の右手には銀色のボールペンが握られていた。
 
更にその道を進んでいくと、透明なドレスを着た(だからヌードが見えている)中年の女性が立っていた。その人のヌードはとても美しかった。この年齢でこんなに美しいヌードなんて、きっと神様だと私は思った。
 
「あなたは絵の才能と音楽の才能、どちらを選ぶ?」
と訊かれたので、私は
「音楽がいいです」
と答えた。すると、いつの間にか私はピアノの前に座っていた。
 
それで私はピアノを弾き始めた。それは結構長い曲だったが、その曲を弾き終えたところで目が覚めた。
 
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私はその曲をすぐ五線紙に書き留めた。私がその曲を公開したのはそれからずっとずっと先のことである。その曲が誰かが書いた既存曲ではないことを私が確信するまでにそれだけの時間が必要であった。
 

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その年は12月24日が金曜日であった。その日の夕方、エレクトーン教室でクリスマス会が開かれた。私はその月でいったんエレクトーン教室は退会することになっていたので、これが最後のレッスン日ということにもなった(次この教室に参加するのは翌年5月)
 
その日は私も姉もエレクトーン教室のクリスマス会だったので、母は姉の方について行くことにし、私のことは夢美の母にお願いすることになった。
 
私が母に可愛いドレスを着せてもらっていたら、姉が
「何?その女の子みたいな服」
と言う。
 
「ああ、冬は今日、『イパネマの娘』という曲を弾くから、それに合わせたコスプレなのよ」
と母は姉に言った。
 
「へー。でもまだ小学2年生だと、女の子の服を着せれば女の子に見えちゃうね。これが小学6年生だと無理だろうけど」
 
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この姉の言葉は、女の子らしいと言われたことについては嬉しかったが、自分は将来「男の子」になってしまうのだろうかという不安の種を心の隅に落とすことにもなった。
 

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夢美の母が車で迎えに来てくれたので、それに乗って教室に向かう。夢美と、夢美のお姉さんもきれいなドレスを着ていた。私はふたりと
「夢美ちゃんの服可愛い〜」
「冬ちゃんの服可愛い〜」
などと言い合いながら、お互いの学校での話などもしたりして、おしゃべりに興じていた。
 
発表会の時とは違って、みんなゆったりした雰囲気である。クリスマスに合わせて『アデステ・フィデレス』『ファースト・ノエル』などクリスマスの歌を演奏する人もあるが、T-スクエアの曲など、かなり難易度の高い曲を弾いて本気バリバリの人もいる。
 
夢美もその本気バリバリ派で、ムソルグスキーの『展覧会の絵』を弾いたが、パイプオルガンを弾きこなしているかのような物凄い重厚なサウンドであった。
 
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キャッチーな『プロムナード』に始まり『ビドロ』のゆったりした歩みを経て『バーバヤーガ』で魔女がほうきに乗って飛んでいるような感覚、そして重厚な『キエフの大門』で盛り上げてフィナーレということで7-8分ほどにまとめていたが(お姉さんが編曲してくれたらしい)、本当に格好良かった。
 
とても小学1年生の演奏ではなかった!!
 
私はボサノヴァの名曲『イパネマの娘』である。エレクトーンを学ぶ人ならほとんどの人が覚える曲でもあり、かなり優しいアレンジも存在する。私は最初ふつうにボサノヴァのリズムに合わせて演奏しながら、ポルトガル語の原詩でこの歌を歌った(当時の私の外国語の歌の歌い方はものすごーく適当であったが、この歌詞だけはCDを聞いて耳コピーして覚えた)。
 
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そして普通に歌った先にバリエーションを入れる。この部分の編曲は同じクラスでレッスンを受けている6年生の女子にお願いして「何か格好いいのお願いします」と言って書いてもらったものを必死で練習して弾けるようにしたものである。(こういう譜面を書くには難しい和声の理論を理解していないといけない)
 
いわゆる「書きリブ」(アドリブ演奏に聞こえる演奏をあらかじめ楽譜に書いておきその通りに演奏すること)であるが、とても格好良い。
 
そして書きリブ部分が終わるとまたふつうの演奏に戻って、普通に終止。
 
実は書きリブする目的は、無事この通常の演奏に戻って来られるようにすることでもある。本当にアドリブで演奏していると、プロでもたまに戻って来られなくなることがある!
 
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しかし私の方も、とても小学2年生の演奏とは思えん! と言われた。
 
私と夢美は視線をぶつけ合い、そして笑顔で握手をした。
 

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このクリスマス会で、私は夢美とデュエットで歌も歌った。
 
抽選で当たった人は何か出し物をして、というお遊びで、私のクラスの6年女子(イパネマの娘の譜面を作ってくれた人)が当たったので
「冬子ちゃーん、夢美ちゃーん、おいでー」
と言われて、彼女がエレクトーンを弾き、私と夢美のデュエットで『きよしこの夜』
を歌ってということになった。
 
最初ふたりで「きよし、この夜」と(日本語で)歌い出す。私は夢美がメロディーを歌うので、すぐにその三度下を歌い、和音唱にした。エレクトーンを弾いているお姉さんが「おぉ」という顔をする。
 
日本語歌詞で3番まで歌い、それで終わりかなと思ったところで夢美が英語の歌詞で歌い始める。お姉さんが慌ててエレクトーンを弾き続ける。私も英語の歌詞で三度唱する。そして英語で3番まで行ったら・・・・
 
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夢美はドイツ語で歌い出す! 私も笑顔でドイツ語で三度唱する。お姉さんがこれ、どこまで続くんだ!? という顔をしていたが、夢美はドイツ語歌詞の3番を「Christ, in deiner Geburt!」と歌ったところで演奏を終えた。お姉さんがホッとしていたが、私と夢美はにこりと笑って微笑み合い、握手をした。
 

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私と夢美は私が小学2〜3年生の時、エレクトーンでの良きライバルであった。しかしその後、夢美はそのままオルガンの世界に進み、私は歌の世界に進む。
 
アスカと私も、私が小学5年の頃から中学3年の頃まで良きライバルだったがアスカが大学進学の時に声楽科かヴァイオリン科か迷った末にヴァイオリン科を選んだことで、アスカはヴァイオリンの世界、私は歌の世界ということで、純粋なライバルではなくなった。
 
そしてその頃知り合った和泉とは、純粋に歌のライバルとして、その後10年以上にわたって緊張した関係を保ち続けることになるのである。しかし私には歌の世界で、もうひとり、超えがたいライバルがいた。
 

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年が明けてあれは節分で風帆伯母の民謡教室の行事があった時なので、おそらく2000年1月30日だと思う。私はその行事で名古屋まで出て行ったのだが、その日、静花も芸能スクールのレッスンで名古屋に行っており、私たちはお互いのお稽古が終わった後「少し一緒に歌おうよ」と言って、名古屋市内のカラオケ屋さんに入った。うちの町にもカラオケ屋さんはあったものの、小学生が入れる雰囲気の店ではなかった。でも名古屋市内には、昼間なら小学生でも入れるような所があったので、たくさん歌おうと言って、入ったのである。
 
それでふたりで交替でひたすら歌っていたのだが、夢中になって歌っていて、時間を忘れてしまっていた。私がSPEEDの『White Love』を歌っている最中にドアが開いた。
 
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私が少しキリのいい所まで歌った所で、スタッフの人が 
「君たち小学生だよね。小学生は6時までだから」
と言う。
「あ、済みませーん。帰ります」
と言ったのだが、その後ろから、
「ちょっと待って、今歌ってたの君たち?」
と言って割り込んできた30歳くらいの女性がいた。
 
「しまうららさん!?」
と静花が声を上げた。
「うん」
と女性は明るく答える。1年前というか、年が改まったので一昨年のRC大賞を取った中堅の歌手である。元サンデーシスターズの人で、須藤美智子(はらちえみ)や間島香野美(ゆきみすず)の元同僚になる。
 
「ね。もう一度、何か歌って」
と、しまさんは《静花に向かって》言った。
 
「あの・・・時間なんですが」
とスタッフさんは言うが
「いいじゃん、1曲くらい。私この店にサイン書いてあげるからさ」
などとしまさんが言うので、スタッフさんも
「じゃ1曲だけ」
と言う。
 
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それで、静花はPUFFYの『アジアの純真』をカラオケで歌った。
 
しまさんが物凄い拍手をしてくれた。スタッフさんも「へー凄い」という感じの顔をしている。
 
「ね、ね、あんたどこか芸能スクールとか行ってる?」
「名古屋市内の**アカデミーに通ってます」
 
「ああ、そこは独立系だから競合しないな。じゃさ東京のうちの系列のスクールとかにも出てこない? 交通費くらい出させるよ」
としまうららさん。
 
「えっと・・・」
「あなたたちのお母さんは?」
「今日私たちだけで出てきたので。うちは**市なんですけど」
「じゃ、あなたのお母さんにもお話したいわあ。あんた美人だからきっと3年後くらいには売れるよ。あ、妹さんの方も可愛いから将来が楽しみだな」
 
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と、しまさんは笑顔で言った。
 

「あの時、しまうららさんが注目したのは実は冬の歌だよね」
「でも、静花さんの方がずっとうまいから結果的には良かったのでは」
 
と私たちは後で言い合った。
 
ともかくも、それで静花は中学校に進学した翌4月から、毎月2度東京のレコード会社系の芸能スクールに通い出すことになった(交通費も学費もしまうららさんの所属する事務所が持ってくれた。特待生という話だった)。東京のスクールに行かない週は名古屋のスクールで「委託授業」を受けていた。そして・・・・
 
静花はスクールで勉強したことを、また私に教えてくれた。自分がやらされたソルフェージュ(知らない譜面を見て即興で歌うこと)などもそのまま私に歌わせた。それで私は本当に鍛えられ初見歌唱に強くなった。
 
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「でも忙しいのに大丈夫ですか? 中学は勉強もたいへんなのに」
「ああ。私、もう学校の勉強はしてない。絶対歌手になるから」
「すごい」
「それに、人に教えるとそれだけ自分でもしっかり身につくんだよ」
「ああ、それはありそうですね」
 
という訳で、私と静花とのレッスンは翌年以降も続いていくのである。
 
 
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