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■夏の日の想い出・変セイの時(3)

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そういう訳で、私はまた翌週の日曜日、女の子の服を着て「あずさ」に乗り、甲府まで行った。今度はちゃんと予定を見て行動しているので、大会が始まる前に到着できた。
 
《美冬舞子・10歳・女・小学生・東京都》
とエントリーシートに書こうと思ったのだが、ふと思い直す。
 
私は先週、静岡県阿豆の大会で12歳と自称した。民謡の世界って結構世間が狭いから先週の審査員の人で今週のこの大会にも審査員で来ている人がいるかも知れない。だったら10歳と書くのはやばい。
 
そこで私はまた
《美冬舞子・12歳・女・中学生・東京都》
と書いて提出した。今回唄う曲は『木曽節』である。これは幼稚園の頃に結構唄っていた記憶があった。当時祖母にも指導されたし、小学生になってからも機会あるごとに伯母たちに随分指導を受けて細かい歌唱法を鍛えられている。先週唄った『ちゃっきり節』よりは自信のある曲である。
 
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しかし大会が始まると「きゃー」っと思った。
 
レベルが高い!
 
先週、阿豆で飛び込み参加した大会は、民謡の機関誌の大会リストに無かった。おそらくマイナーな大会だったのだろう。しかしこの大会に出てきている人はレベルが違う。たぶんみんな民謡教室で練習している人たちばかりだ。
 
参った。今日は良い唄を鑑賞して帰るということに意義を見いだそう。
 
そう思いながらも、やがて自分の順番が来て、私はステージに立つ。
 
伴奏の三味線の音がクリア! 先週の微妙に頼りげなかった伴奏とは違う。伴奏する人たちも上手い人たちが来ている。よし、この上手な伴奏での歌唱を体験することでよしとしよう、と私は開き直った。
 
そして唄い出す。
「木曽のナァー中乗りさん、木曽のおんたけさんはナンチャラホイ」
 
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唄い出すと何だか気持ちいい。すぐに停められる雰囲気も無いので私はとっても気持ち良く、この唄を熱唱した。それにこの唄はあまり高い声を使わないので、今の私の喉の状態でも、けっこう何とかなる。
 
1コーラス歌ったが、まだ停められないので、続けて別の歌詞で唄う(木曽節の歌詞は数百種類あると言われる)。
 
「花のナァー中乗りさん、花の寝覚がナンチャラホイ」
 
そんな感じで2コーラス目を唄いきっても、まだ停められない。私は調子に乗ってどんどん別の歌詞で唄っていく。
 
そして4コーラス唄ったところで終了の合図があったので、私はお辞儀をして下がった。観客席からたくさん拍手をもらって、私はとてもいい気分だった。
 
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今日は早めのエントリーだったので、私の後で唄う人たちがとてもたくさんいた。私はそれを楽しく聴いていた。
 
全員の歌唱が終わり、15分間の休憩があった。トイレに行く。スカートを穿いているし、私は当然のように女子トイレに入る。そして長蛇の列に並ぶ。休憩時間になる前に行っておけば良かったのかも知れないが、全員の唄を聴きたかったのである。
 
とっても長時間待って個室に入り、用を達すると、ふっと息をつく。10日ほど前、声変わりの兆候があった時に感じた絶望を忘れてしまいそうだ。私はこの時、民謡を唄うことに大きな歓びを感じていた。そして民謡って喉を鍛えるのにはとってもいいかも知れないとも思っていた。そして喉を鍛えていれば声変わりを克服できるかも知れないという気さえしていた。
 
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会場に戻る。
審査結果が発表される。
 
「第1位、□□□□さん」
「第2位、△△△△さん」
と呼ばれて、その後、
「第3位、美冬舞子さん」
と呼ばれた。
 
やった!また入賞した!
 
正直今日はほんとにハイレベルだったので、とても入賞できないだろうと思っていたので、その中での入賞は嬉しかった。
 
ステージで賞状と賞金を頂く。
 
観客からの大きな拍手をとても心地良く感じた。
 

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この日の賞金は大会規模が大きかったこともあり10万円もあった。きゃー!なんて素敵な。
 
私は翌週は今度は前橋に出かけてやはり民謡大会に出場し、ここでは『草津節』
(草津よいとこ一度はおいで、という歌詞)を唄って2位になり、また賞金8万円を頂いた。嬉しいな。これだけ秘密のお小遣いがあったら、女の子の洋服が少し買えたりして、などと思う。
 
実は女の子用の下着を少し買いそろえたい気分でもあったのである。特にこの頃私はブラジャーを買ってみたくてたまらない気分だった。
 

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会場を出て前橋駅でちょっと本の立ち読みをしていた時、
「ちょっと済みません」
 
と言って、40代くらいと20代くらいの女性2人組に声を掛けられた。
 
「はい?」
と言って振り返ってから、その20代の方の女性に見覚えがあったので、私は思わず声を上げてしまった。
 
「津田先生!」
 
相手はそう言われてびっくりしたようであった。それは愛知に居た時、小学1年生の時に習った習字の先生だったのである。
 
「あ、違った、苗字は大石になったんでしたね?」
「あ・・・もしかして、あなた唐本さん?」
 
と相手もこちらを認識した。
 
「はい!」
「でも女の子の格好・・・」
「あ・・・これは私の趣味というか・・・」
「へー! 可愛くなるね。こんなに可愛くなるなら、女の子の服着てもいいと思うよ。というか、さっきのステージ、女の子にしか見えなかったよ。声も女性の発声だったし」
 
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「えー!?さっきの民謡大会、見ておられたんですか?」
「そうそう、それで」
と40代の方の女性が言う。
 
「あなた、先週、甲府の大会に出てたわよね?」
「はい、出ました」
「その前の週は阿豆の大会に出てたよね?」
「はい。きゃー、全部見られていたなんて恥ずかしい」
 
「もしかして大会荒し?」
「そんな、大それた。ステージで歌うのが気持ちよくてハマってしまって。結果的に入賞して賞金まで頂けたら、言うことないですけど」
 
「いや、君はこれ以上素人の大会に出ちゃいけないよ。次はプロの大会に出よう」
「えー?でも私プロじゃないし」
 
「私がプロと認定するよ。名前も無償であげていい」
「うんうん。唐本さん、既にプロのレベルに達してるよ。あの歌い方。特に先週の『木曽節』は、あれ木曽節の大会に出ても入賞できるかもってレベルだったよ」
「そんなに凄いかしら?」
「うんうん、凄い凄い」
 
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「あ、すみません、こちらの方は」
「あ、ごめん。紹介しなくて。こちら、うちの父です」
 
私は聞き違えたかと思った。
 
「お母さん?」
「ううん。お父さん。もっとも性転換しちゃったから、ある意味ではお母さんだけどね」
「えーーーー!?」
 

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結局、津田親子の車に乗せてもらい、東京に戻りながら車の中で話すことになった。親子の呼び分けが面倒なので、私はお父さん(お母さん?)の方を津田さん、娘さんの方を先生、と呼ぶことにした。
 
「麗花が結婚するまでは、性転換の治療をするのを控えていたんだよ。だから麗花の結婚式には、ちゃんと紋付き袴を着て出たよ。男装している気分だったけど」
 
「お父さんは私が物心付いた頃から、家の中では女の人の格好をしてたのよね。だから、むしろ男装している所を見るのが変な気分だった」
「へー」
 
「結婚式が終わってから、会社も辞めて、タイに渡って性転換手術を受けた」
「タイ?」
「うん。タイは性転換手術が盛んだから、日本とかアメリカからもタイに手術を受けに行く人は多いんだよ」
「そうだったのか・・・」
 
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「性転換してもお母さんと仲が良いね。手術にもお母さんが付き添いでタイまで行ってあげてたしね」
「うん」
「女の人の身体になった後も、夜は一緒に寝てるよね」
「私のおちんちんはもう10年前から機能停止してたから、夫婦生活は手術前と後でほとんど変わってないんだわ。睾丸は麗花が生まれてすぐの頃に取ってしまっていたしね」
「へー」
 
私は「夫婦生活」という意味はよく分からないままも、何だかいいなあと思った。
 
「唐本さんも性転換手術受けたい?」
「受けたいです。でも、津田さん、声も女の人。それに喉仏も無いし」
 
「声は発声法なのよ。男でも努力すれば女の声が出せるものなの」
「ああ、やはりそうなんですね!」
 
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私は半月ほど前に声変わりの兆候が訪れたことを言い、それからかなり悩んだものの、喉の筋肉を鍛えたら、女性の声が出るのではないかと思ったことも語った。
 
「その推察は正解ね。喉仏はどうにもならないけど」
「じゃ、津田さんの喉仏は?」
 
「私の喉仏は手術して削ったの」
「わあ」
「でもそのおかげで、声域が小さくなってしまった。声を犠牲にするか、喉仏を我慢するかって、かなり悩んで、私は喉仏を手術する道を選んだ」
「う・・・私ももしかしたら、悩まなきゃいけないのかなあ・・・」
 
「唐本さん、カストラートって知ってる?」
「知ってます。9歳か10歳くらいで、おちんちん取っちゃって、ソプラノの声を維持した人ですよね」
「おちんちんじゃなくて、タマタマの方ね」
「あ、そうだったんですか!」
 
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「おちんちんは取らないわよ。その子たち女の子になりたかった訳じゃないから。タマタマを取れば、声変わりは来ないから」
「あ、そうなのか・・・・」
 
「小学5年生の性知識だと、こんなものかな」
などと津田さんは笑っている。
 
「今タマタマ取っちゃえば、声変わりはこれ以上進まないし、喉仏も大きくなったりしないわよ」
「お父さん、小学生に変なこと唆したらダメ」
 

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私たちは都内に入ってから、ファミレスで休憩し、話を続けた。母に電話して予定より少し遅くなることを伝える。先生が替わってくれて、偶然遭遇したので懐かしくて、少しお引き留めしていますと言ってくれた。母も先生のことは覚えていたので、ご無沙汰しておりましてなどと挨拶をしていた。
 
「私は元々音楽関係の仕事をしていたのよ。色々コネあるから、もし唐本さんがCDデビューとかしたいと思ったら、紹介してあげてもいいわよ。もちろんすぐにはデビューできないだろうけど、レッスンを1年も受けたら行けるかも知れない。今小学5年生なら中学になると同時にデビューとかもいいかもね」
「まだそこまでの気持ちは」
 
「でも中学生の民謡歌手は結構いるよ。私は麗花が結婚してから会社を辞めてすぐ性転換手術を受けて、半年ほど身体を休めてから、民謡の教室を開いたのよね。私、若い頃に唄と三味線と尺八の先生の免状をもらってたから」
と津田さん。
「わあ」
「私も三味線は弾けるから、父の教室の手伝いをしてるのよね」
と先生。
 
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「だから、あれだけ歌えてるなら、今すぐあなたに名前あげていい」
「ごめんなさい。私の母も民謡の先生で」
「そうだったんだ!」
 
「でも、私が物心付いて以降、母が民謡を唄ったり三味線弾いてる所を見たことがありません」
「あらあら」
「私が生まれるより前に挫折したんだと言ってました。でも母の姉たちが高山とか名古屋とか福岡とかで民謡の教室を開いているので、他で名前を頂いたりしたら叱られますから」
 
「そういうことなら、名前をもらう時はそちらの伯母さんたちからもらうことにして、大会に出たり、あるいは逆に大会や演奏会のお囃子隊とかになるような場合に使える、仮の名前をあげることにしようか」
「あ、はい、それなら」
 
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「唐本さん、『冬子』という文字に字画を足して『美冬舞子』にしたって言ってたわね」
「ええ」
 
「じゃ、同じく『冬子』に字画を足して『柊洋子』なんてのはどう?」
「あ、何だかとっても民謡歌手っぽいです」
「じゃ、それで行こう」
 
そういう訳で、実は『柊洋子』の名付け親は津田さんなのである。
 

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それから私は毎週、津田さんの教室に通うようになった。そこで発声法を学ぶことを通して、結果的に喉の筋肉を鍛えることになった。そのおかげで私はそれまで女子の友人たちとの会話に使っていた、ボーイソプラノ的な声(実際にはアルトボイス)を引き続き維持することができた。
 
一方で私は「お囃子」の発声も再度練習する。
 
「この声って、本気でソプラノですね」
「そうそう。ふつう男の人にはこの声は出ないけど、私は出るし、唐本さんも出てるわね」
と津田さんは楽しそうに言った。
 
民謡の唄の練習というのは半分が発声の練習と言っても過言では無い。私はこの変声期が来始めた小学5年生というジャストタイミングで、喉を鍛えて、結果的に女の子の声に聞こえる声をしっかり出す訓練を受けられる幸運に恵まれたのであった。
 
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