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■夏の日の想い出・3年生の冬(2)

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「へー。でもやはりケイちゃんの実力に感嘆したのは、その後のドサ回りだよ。クォーツもレパートリーの数には自信があったけど、クォーツが演奏できる曲はとにかく全て、ケイちゃん歌えたんだもん。俺、あの時サトにもしケイが詰まったら最悪ドラムス放置してもいいから代わりに歌ってくれと頼んでたんだけど、その必要は無かったね」
 
「ふふ。政子によれば私の頭の中に入っている曲は数万曲ではないかと」
「いや、ほんとに入ってそう。それと、ハプニングへの対処が無茶苦茶うまいじゃん。2コーラス目の出だしでタカがいきなり変な音出しちゃったら、顔色ひとつ変えずに、それに合わせてとっさに転調して歌いだしたのとか、すごっと思った」
「でもマキさんのベースもちゃんとそれに合わせてくれました」
と私は微笑む。
 
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「俺、ケイちゃんの実力の凄さに驚いて、一度須藤さんに訊いたことあるんだよ」
「へー」
「この子、俺たちと組ませるのもったいないのでは。ソロデビューさせた方が売れませんか?って」
「私、ソロで歌うつもりは無いから。歌う場合はマリとです」
と私は明言する。
 
「須藤さんは、この子は確かに一度は売れたけど、急速に売れたから、客席の反応見ながら歌うのとか、ステージ現場でのとっさの対応とか、そういうのに慣れてないからその経験を俺たちと一緒に積ませたいんだとか言ってたんで、俺もその場では納得したんだけど、実際には、俺たちより、そういう客席への反応・対応がうまかった」
 
「そんなことないと思いますけど。私もあの頃はもう日々焦るばかりで、きゃーどうしようと思うことの連続でしたよ」
 
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「音楽理論とかも凄いよね。ほら、あの時期ふたりで一緒にビートルズやクィーンの曲の分析とかしたじゃん」
「あれは楽しかったですね。最近忙しくてああいう勉強できてないから、また他の人も入れてやりたいですね」
 
「一緒に『さくら』の編曲した時とかも、西洋的な音楽理論だけじゃなくて、日本音階とかにも詳しいのでびっくりしたし。俺、もう日本音階の名前忘れちゃったよ。イチコシとかコウショウとか」
「壱越(いちこつ)に黄鐘(おうしき)ですね。黄鐘(コウショウ)というのは黄鐘(おうしき)と同じ字を書きますが、中国音階の名前で、名前は日本音階と同じ漢字なのに、全然別の音なんですよ。もっとも「コウショウ」は日本読みで中国読みだと「ファンチョン」って感じですが、」
 
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「へー!」
「日本の黄鐘(おうしき)はラの音、中国の黄鐘(ファンチョン)はドの音です」
「面白いね」
 
「でもやっぱり、一番自分はケイちゃんたちには適わない、と思ったのがその後の『一歩一歩』『夢見るクリスタル』の制作の時でさ。俺最初、シングル用に1曲用意していたんだけど、ケイちゃんたちの『峠を越えて』を見たら、もうまばゆくて、まばゆくて。俺の作品、とてもこんな凄い作品と並べられないと思ってそれ引っ込めて、アルバム用に回したんだよね」
「『君無しでは・・・』ですか?」
 
「よく分かるね!」
「だって、これシングルの方に使ってもいいのではって私思いましたよ」
「そ、そう?」
「いい作品だと思います」
 
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「んで、それで俺が『済みません。作れませんでした』と言ったら、その穴埋めにと言って、マリちゃん呼び出して、その場でふたりで1曲作ったじゃん」
「『恋の勇者よ』ですね。ちょっと練る時間が足りなくて私もマリも少し不満は残ったのですが、すぐ曲が必要だったので。まあ翌日少し調整しましたが」
 
「不満だというけど、俺はふたりがその場で1時間で書いた作品にもかなわないと思った。それ以上に、1時間で曲が書けるのが凄いと思ったけどね」
 
「それでローズクォーツのリーダーは決まってない、とか言い出したんですか?」
 
マキはその時期「ローズクォーツのリーダーをまだ決めていなかった」などと言い出したのである。みんな当然、マキがリーダーと思っていたのだが。結局「投票」をして、あらためてマキをリーダーに「選出」したのだが。
 
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「まあね。でもリーダーをきちんと決めてない、というのは須藤さんから『ローズクォーツ』というユニット名を聞いた時から思ってはいたんだけどね」
「思ってたら、あのユニット名言われた時に確認すれば良かったのに!」
「いや、それが・・・」
 
思ってもとっさに行動しないのがマキの良い所でもあり、使えない所でもある。タカは思う前に行動する。
 
「でも、俺もあれで少し頑張らなきゃいけないかなと思って」
「その後、できた『南十字星』は素敵な作品でした」
 
「うん。あれは自分でも気に入ってたけど、あんな作品がコンスタントにできる訳じゃない。あれは泥沼に咲いた蓮の花のような曲だったよ」
「そうですか?」
 
「だから俺はまだまだ勉強が足りないと思って。作曲の理論の本とか買ってきて読んだり、ビートルズ、クィーン、レッド・ツェッペリン、ELOからレッド・ホット・チリ・ペッパーズまで、国内アーティストではスクエア、カシオペア、喜多郎、スペクトラムから、→Pia-no-jaC←(ピアノジャック)まで、自分が凄いと思うクリエイターの曲を手で五線譜に書き写してみて、メロディラインの流れ、コード進行の流れとかをかなり勉強した」
「凄いです、それ」
 
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「それで出来たのが春の新譜に入れた『スタールビー』なんだよね」
「あれも素敵な曲でした」
 
「また、あんな曲が書けたらいいなと思うんだけど、なかなかいいのができない」
 
マキの話はまだまだ続きそうだったが、私はタイムアップを認識した。
 
「ヒロちゃん。申し訳ないけど、私、そろそろ会場に入らないと」
「あ、ごめん!」
 
「そうだ。ヒロちゃんも一緒に来ません?」
「え?でも今日の楽屋は女の子ばかりなのでは?」
「マキさんなら構いませんよ。他にも男性スタッフは出入りするし。ただし男性がいてもみんな気にせず脱ぎますから、女の子が下着姿になってても、服を着てると思って見ておいてくださいね」
「裸の王様みたいだな!」
 
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その日。このツアー最後のステージで、春奈は観客の前で「8月に性転換手術を受けて、本当の女の子になりました」と告白した。会場は「おめでとう」の声で埋め尽くされる。すると春奈は「ケイ先生、私が女の子になったお祝いとツアー完走記念で何か曲をください」と言った。
 
そこで私はいいよと言い、キーボードの人から楽器を借りて即興で1曲演奏する。そして、そのあと今度はマリが即興で詩を作りながら、その曲に合わせて歌う。その詩を彩夏が書き留めてくれて、そのあと、私のキーボード演奏に合わせて今度はスリファーズが歌った。この曲は「女になった日」というタイトルで後日あらためてスタジオで録り直し年末に緊急発売されることになる。
 
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「春奈へのプレゼント」の曲が終わったところで、私と政子はステージから袖に下がってくる。マキが訊いた。
 
「ね、今のってあらかじめ作っておいたの?」
「いえ。今、あの場で作りましたよ。春奈も突然あんなこと言い出したし」
「すげー! ほんとに即興で作ったんだ!」とマキが感心したように言う。「ね、譜面書き留めなくていい?」と政子。
「ああ、大丈夫。録音してくれているんじゃないかと」
と言って甲斐さんを見ると、指で丸のサイン。
 
「でもここで書いちゃおうか」
と言い、私は甲斐さんから五線紙をもらうと、私は政子から「青い清流」と私たちが呼んでいる青いボールペンを受け取り、今政子と一緒に作った曲をささっと譜面に書いて行った。歌詞も一緒に書いていく。甲斐さんが録音していたのを聴いて確認したが、どこも間違っていなかった。
 
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「凄い記憶力だ・・・」とマキ。
「冬は、ライブとかに行くと、初めて聴いた曲でも、それを後で譜面に書けるよね」
と政子。
「それできる人は、音楽界にはザラにいるよ」
と私は笑って言う。
「へー」
 
「上島先生や雨宮先生もできるよ」
「わあ」
 
「あ、今その譜面見てて少し直したくなった」と言って政子が自分も「赤い旋風」
と呼んでいる別の赤いボールペンを取りだし、譜面に加筆する。
 
「ね、ついでにここのメロディーだけど、こんな感じにしない?」
と政子が指で五線紙の上にカーブを描く。
「ああ、その方がいいね」
と言って私は音符を修正し、新しいメロディーラインでそこを歌ってみる。
「うんうん。それでいい」
と政子は満足そうである。
 
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そんな感じで20分ほどで曲は完成した。
 
「私も何度かこの制作現場見たけど、いつもながら凄いね」と甲斐さん。「これ、凄く良い曲だ」とマキ。
「けっこう売れそう」と甲斐さん。
 
「でも、どうしてこんなにすぐ曲が書けるの?」とマキ。
「さっきは、お客さんからパワーをもらいました。客席のファンの人たちから、『おめでとう』というオーラが凄まじく来てたから、それを自然に受け止めたらメロディラインが浮かんできた」
「凄っ」
 
「ケイちゃんもマリちゃんも、曲を作る人じゃなくて彫り出す人だよね」
と甲斐さん。
「ほりだす?」とマキが問い返す。
 
「ほら、夏目漱石の『仁王』って短編小説があるでしょ(『夢十夜』の第六夜)。運慶が仁王を彫っているのを見て、みんなが凄いなと言うんだけど、ひとりの見物人が「あれは木の中に埋まっている仁王像を掘り出しているだけなんだ」
と言うのよね。それで主人公が家に帰って、木を彫ってみるんだけど、自分が彫った木には仁王像は埋まっていなかった、と言うのよ」
「ああ・・・国語の教科書で読んだ気が」
 
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「でも、マリちゃんもケイちゃんも、仁王を掘り出せる人なんだな」
「ああ」
と言ってマキは何か考えるかのようであった。
 

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その日は春奈の体調が良かったこともあり、ゲストで出演したベビーブレス、そしてついでにマキもそのままスリファーズの打ち上げに連れていき、この1ヶ月のねぎらいをした。ベビーブレスの2人は春奈の体調が万全で無かったのが性転換手術の直後だったからというのを知って、ほんとに驚いたと言った。
 
「性転換手術って、手術のあと半年くらい回復にかかるのかと思いました」
とベビーブレスのサキ。
「春奈はスーパーウーマンだから2ヶ月で稼働できるんだよ」と私。
「手術のあと1ヶ月でライブやったケイ先生には適いません」
と春奈。
「ケイのお友だちには、性転換手術受けた10日後に合唱コンクールに出て、ソロを歌った子がいるのよね」と政子。
「うっそー!」とベビーブレスのユキ。
 
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「類友だよね。なんかケイちゃんの周りには凄い人ばかり集まってる」と甲斐さん。
「ほんと凄いよね」
と春奈が言うと、彩夏が
「いや、はっちゃんも、その凄い友だよ」
と言う。
 
「ほんとに負けたぁって感じ」
とマキが言ったが、
「マキさんも充分その凄い友だよ」
と甲斐さんは笑顔で言った。
 
「ローズ+リリーやスリファーズが凄すぎるから、つい比べちゃうかも知れないけど、毎回10万枚前後売ってるローズクォーツも★★レコードにとってはVIPのはず。10万枚って1億円だからね。それだけ稼いでるグループのリーダーなんだから、自信持たなきゃ」
「うーん。。。」
 

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打ち上げが終わった後で、マキがまだ少し話し足りない感じだったので、私は彼を私と政子がマンションに帰るタクシーに乗せて一緒に連れていった。うちのマンションは「男子禁制」だが、カップルの客だけは入れてもいいルールなので、マキの奥さんの葵さんに連絡して最寄り駅まで出て来てもらい、彼女を拾ってマンションに戻った。そもそも結婚1周年のプレゼントを買いに行ったはずがなかなか戻って来なかったので、葵さんは少しピリピリしていた感じだったが、うちで、レアもののカティサークを出して来たら、かなりご機嫌が直った。葵さんは洋酒に目が無いのである。
 
「これ美味しい〜。どこで売ってるの?」と葵さん。
「お酒に詳しい友人によると、イギリスでしか売ってないらしいです。多分イギリス旅行か出張かのお土産ではないかと」
「へー」
「これ持って帰っていいですよ」
「ほんと!嬉しい」
とは言ったものの、実際には葵さんはその夜の内にその瓶を飲み尽くしてしまったので、ふつうのカティサークをお土産に持たせた。
 
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マキの作曲に関する苦悩の話はほんとに延々と続いた。私がずっと聴いていたが、奥さんは政子を話し相手に、ファッションの話や食べ物の話で盛り上がっていた。
 
「それでさ。俺ずっと思ってたんだけど」
「はい?」
「『夏の日の想い出』はローズクォーツの作品ってことになってるけど、あれはクレジットを変えるべきだと思う」
「え?」
「あれはローズ+リリーの作品だよ。印税も返上すべきじゃないかとずっと思ってて」
 
ちょうどその時、奥さんはトイレに立っていた。私は厳しい顔でマキに言った。
 
「誰の作品かというのは置いといて、印税返上とか、そういうことをリーダーが安易に口に出したらいけない。ヒロちゃんだけの問題じゃないよ。奥さんも困るし、タカちゃん・サトちゃんも困るよ」
 
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「そうだよなぁ・・・・」
とマキはまた悩むようにつぶやいた。
 

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夏の日の想い出・3年生の冬(2)

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