【新生・触】(1)

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その日和実が友人の梓と一緒に地下鉄に乗っていたら、梓が突然変な顔をした。ん?という感じで和実が梓を見ると、梓が目で合図をする。和実がそちらの方に目をやると梓の後ろに立っている背広を着た男性が梓のお尻を撫でていた。和実は素早く、その男の腕を掴んだ。男があっという顔をしている。男は振り解こうとしたが和実が腕の急所を指で押さえているので、振り解けない。
 
「な、何だよ。何するんだ?」と男。
「何するんだはこっちの台詞でしょ、痴漢のおじさん。警察呼ぶ?」
「俺は何もしてないぞ」
と言うが、男はかなり焦っている様子。周囲の視線が降り注ぐ。
 
梓に「どうする?」と訊くが「荒立てなくてもいいよ」などと言う。
「そういう態度が痴漢を蔓延させるんだけどなあ」と和実は言うが、本人がそう言うのであれば仕方無い。
 
「じゃこうしよう」と言って、和実は思いっきり男の股間を蹴り上げた。
 
「うっ」といううめき声をあげて男がうずくまった。そしてちょうど駅に着いてドアが開いたので「じゃね」と言って男の身体を軽く押すと、男は倒れるようにして電車の外に転げ出た。乗降客がいないのですぐにドアが閉まる。
 
周囲からパチパチパチと拍手が起きて、和実はVの字を指で作った。
 
「何かかなり思いっきり蹴り上げなかった?」
「女が男の股間蹴るのは正当防衛だから、梓も覚えておきなよ」
「あ、うん」
「特にさっきのはツボに当てたから、あの男、きっと一週間くらい立たないだろうね(一週間で済むといいね)」
「ひぇー」
 
「でもあそこ蹴られた時ってどのくらい痛いの?」と梓が小声で訊く。
 
「さあ。私ももうその痛みを感じること無くなっちゃったから分からないや」
と和実も小声で答えた。
 
「生理痛と金蹴りの痛みは同じくらいではという説もあるけど両方経験できる人がいないから分からないよね」
「うーん。それは永遠の謎だな」
 
やがて目的の駅に着く。降りて歩きながら話す。
 
「かなり順調みたいね。手術の跡」
「うん。もうほとんど痛み無いよ」
「新生活にも慣れてきた感じ?」
「うんうん」
「使ったの?」
「ふふふ。土曜日に初めて使ったよ。ちょっと早いクリスマス」
「おお。気持ち良かった?」
「良かった。幸せな気分になったし」
「へー。私も使ってみたいなあ。どこかに彼氏落ちてないかな。私今年もまたシングルベルだよ」
「私もシングルベルだよ。淳とは同じマンションで暮らしてるのにめったに会えないんだもん」
「へ!?」
 

 
工藤和実は高校時代に友人に誘われ盛岡のメイド喫茶ショコラの男性スタッフのバイトをしようと面接を受けに行き、勘違いなどもありメイドとして採用されてしまった。それまで女装なんてしたことがなかった(公式見解)ので最初は死ぬほど恥ずかしかったものの、その内この仕事が楽しくなり、すっかりのめりこんでバイトの時だけでなく普段でも女の子の格好で出歩くようになり、女子の友人たちの交流も増え、学校にも女子の制服で出て行ったりするようになった。
 
高校卒業と共に上京して東京の私立大学に入ったが、ショコラの友好店である東京のメイド喫茶エヴォンに移籍して学費稼ぎのため、やはりメイドとして働き続けた。そして大学には最初から女の子として通学した。約1年経った時、春休みで帰省する途中、女装の会社員・淳と出会い急速に親しくなるが、折しも東日本大震災が発生。和実は仙台で被災する。淳はその時青森に居たが、避難所で食べるものが無いと言う和実のため、リンゴ園を経営している伯父から提供された大量のリンゴを避難所まで運ぶ。そしてこれがきっかけで和実と淳は被災地に食糧や物資などを運ぶボランティアを始めた。
 
このボランティアの話は和実が勤めるメイド喫茶の客たちの共感を呼び、多数の寄付が集まる。和実はエヴォンの店長や同僚の麻衣などとともにボランティア・グループを組織し、2011年の年末まで約10ヶ月間の被災地支援活動を続けた。
 
12月31日で支援活動を終え、都内で姉の胡桃および淳とともに初詣に出た和実は「私、今年性転換手術受ける」と言い出す。震災を経験したことで、和実は自分の中の何か大きな枠組みが変わってしまった気がした。そして自分は女として生きるのだという気持ちを固めたのであった。
 
和実は震災後の6月、ボランティア活動中に唐突に同じような女装者あるいはMTF,MTXの人たちと偶然大量遭遇した(クロスロード)。とりわけ特に若いまだ中学生のMTFで富山県在住の川上青葉、都内で歌手として活動している唐本冬子とは親しくなり、既に性転換手術を終えていた冬子から「さっさと性転換しちゃおう」
などと煽られて淳と共に病院に通い、性同一性障害の診断書を既に2枚もらっていた。
 
そこで性転換手術をするタイの病院のコーディネイトをしている会社に接触していったんその夏にタイで手術を受けることを決めたのだが、その直後、青葉から(普通は18歳未満では性転換手術を受けられないのに超特例で)富山県内の病院で手術を受けられることになったと聞くと、「いいな、いいな」と言ったので、青葉から「和実もここで受ける?」などと言われて、すぐ富山まで赴き受診。和実のケースはとても特殊なので、ぜひ治療させてという医師の話に乗り、タイの病院の方はキャンセルして、こちらで手術を受けることにした。
 
一方、震災直後から親密になっていた淳とは、和実が震災のPTSDでひとりでは夜眠れないという症状が出ていたことから淳のアパートに転がり込み同居生活を送る内にやがて将来を誓い合う仲になり、双方の親も認める関係となった。ふたりは、先に和実が性転換して戸籍上の性別を変更した上で結婚しようという話をした。(その後淳も性転換するが、結婚維持のため、淳の戸籍上の性別は敢えて変更しない)
 
その淳は、会社には男装で出て行き、家に帰ると女装に戻るという二重生活をしていたものの、ちょっとしたきっかけで会社が女装での勤務を認めることになり、完全女装OL生活に移行した。それと時を同じくして和実はメイド喫茶の新しい支店の店長に任命される。和実は7月に性転換手術を受け、体力回復のためしばらく休職した後、9月に新規オープンする銀座店の店長(店内での呼名はチーフメイド)になることになった。
 

2012年7月24日。和実は胡桃と淳に付き添ってもらい富山に行き、手術を受ける病院に入院した。ほんの6日前に青葉がこの病院で性転換手術を受けたばかりで青葉自身もまだ入院していたのだが、気功師である青葉は自分で手術跡を治療し、もうすっかり元気であり、隣の病室になった和実を見舞いに来てくれた。
 
「手術受けたらすっごく調子いいよ。和実も手術終わったらきっとすっきりするよ」
と青葉は笑顔で和実を煽る。
「来る途中の新幹線の中ではまだ少し不安があったけど、青葉のその笑顔見たらもう今すぐにも手術されたい気分になっちゃう」
と和実。
 
するとその会話を聞いていた執刀医の松井医師は
「あら、今すぐ手術室に運び込んで切っちゃおうか?」
などと言い出す。
「あ、いえ。予定通り明日でいいです」
と和実は慌てて言う。この医師はとにかく人間の身体を切り刻むの大好き、おちんちんを切り取るのも大好きと公言している「ちょっと危ないお医者さん」
である。
 
「先生、アメリカでもそんな感じで手術してたんでしょ?」と青葉が訊くと
「うんうん。手術の付き添いで来てた父親をうまく乗せて、速効で手術室に運び込んで、性転換しちゃったこともあるよ。1日で father and son からmother and daughter にしちゃった」
などと言っている。
 
淳も松井医師から随分「あなたも一緒に切ってあげようか?」などと言われてかなり心が揺れていた感じであった。
 

「でも和実ちゃんの子宮、なかなか写らないわねえ」
と松井医師は悔しそうに言う。
 
和実はこの病院に初めて来て受診した時、MRIで検査されて子宮や卵巣が映像に写った。更に染色体を調べるとXXだった。それであなた半陰陽なのでは?と言われたのだが再検査するとそのようなものは写っていなかったし染色体もXYだった。
 
和実は昨年関東方面の病院に性同一性障害の診断書をもらいに行った時も、受診した2つの病院でいづれも子宮が体内撮影で画像に写った。結果的には再検査ではそのようなものは写らなかったので「他の人の画像と間違ったようだ」
ということになったのだが、松井医師は「この子宮・卵巣は確かに存在する」
と断言した。ただそれが写真に写ったり写らなかったりするのだと言うのである。
 
そこで和実はそれ以降、交通費などを病院持ちにしてもらって毎月1度この病院を訪れ、MRIや染色体を検査してもらったが、その後1度も子宮や卵巣は写らなかったし、染色体も毎回XYであった。今日も検査されたのだが、同様だった。
 
「やはり何かの間違いだったのでは?」
「いや。私の長年の医師としての勘が言ってる。あの卵巣や子宮は本当にある、とね。アメリカでもさ、癌細胞が検査の度に見つかったりどこにも無かったりした患者がいてね」
「へー」
「私はこの癌は絶対存在すると主張した。それで手術をした。確かに肝臓の一部が癌に侵されていて摘出したよ」
「うーん。。。」
「和実ちゃんも手術してみたらヴァギナが作るまでもなく最初からちゃーんとあったりしてね」
「あはは、あったらいいですけどね」
 
「でもさっき青葉ちゃんが言ってたわね。あなた子供が産めるって」
「どうやったら産めるのか分かりません」
「でもあなた、骨盤が女の子の形なんだよね。だから妊娠自体は可能かも」
「ええ。それは前の病院でも指摘されました」
 
「あなた声変わりもしてないし、第二次性徴期に男性ホルモンが働かなかったんだろうね」
「かも知れませんね」
「その頃から女性ホルモンを飲んでた訳じゃないんでしょ?」
「私、女性ホルモンは飲んだことありませんよ〜」
「ほんとかなあ・・・」
 
和実は以前の病院でも、またこの病院でも体内の男性ホルモンの量がふつうの女性並みしか無いことを指摘されていた。前の病院では「女性ホルモン飲んでるでしょ?」と言われ、和実が否定しても信じてくれなかった。松井医師は一応信じてはくれたものの、疑惑は感じているようだ。
 
「まあ、高校になるまで女装したことなかったというのはいわゆる公式見解ですけど、ホルモンの方はほんとに飲んだこと無いんですよ」
 
「じゃ、やはり睾丸の働きが不全だったんだろうね。まあ明日は取っちゃうから今更どうでもいいんだけどね」
「そうですね」
 

明日の手術に備えるため、陰毛は全てきれいに剃った。タックも診察のためもあって外している。
 
和実は病室でふたりだけになった時、淳に言ってみた。胡桃もふたりに配慮して席を外している。胡桃はせっかく富山に来たからちょっと町を見てくるなどと言って、海王丸パークまで出かけて行った。しばらくは戻って来ない。ここは個室である。
 
「ね、私のおちんちん見せてあげようか?」
 
それまで和実は一度たりとも、それを淳に見せたことは無かった。服の上から触らせたことが何度かあるだけである。和実は淳の前で自分は女の子でありたいからと言っていた。
 
「ううん。いいよ。私の前では女の子でいたいんでしょ?」
 
「でも淳、私のおちんちん見ても、私を男の子だとは思わないよね?」
「和実を男の子だなんて思ったことは一度も無いよ」
「だったら見てもいいよ。私と淳の関係だから。私は淳には何も隠す必要無いし」
 
「おちんちんも、おっぱいも隠してるくせに!」
 
和実はバストさえもめったに淳に見せることはない。お布団の中ではいつも触らせているし、乳首を吸ったりもさせてはいるのだが。また和実はそういったことを明るい所でするのを嫌がるから昼間にする時は厚手のカーテンを引く。
 
「でも今日見なかったら、もう二度と見られないよ。明日は無くなっちゃうから」
 
淳は迷ってしまった。
 
「ね、それ立つの?」
「立たないと思うけどなあ。青葉は私の男性能力まだ残ってるとは言ってたけど。これ最後に立ったの、高校1年の時だよ。もう5年間立ったことないから」
 
「立つかどうか試してみようか?」
「いいけど」
 
淳は毛布をめくらずに手だけ中に入れ、更に和実のパジャマの中に手を入れる。
 
ドキッ。
 
ああ。。。確かに和実って、おちんちんあったのか。
 
淳はそもそもこれに生で触るのも初めてだ。これまで和実は服の上からしか触らせてくれなかった。しかし、そこには確かに柔らかい突起があり、その向こうには空気の抜けたテニスボールのような物体もあった。和実は触られて少し複雑そうな顔をしている。淳はその柔らかい突起を弄んだ。
 
「あれ?」
「なんか少し大きくなるね」
「へー。ちょっと不覚」
「ふふ。不覚というならもっと大きくしてみよう」
 
その突起が淳が触ると少し大きくなったので、調子に乗って淳はそれを更に弄び続けた。ふつうの男性のように急速に大きく硬くなったりはしない。しかしいじるにつれ、次第に大きく熱くなっていった。
 
「きゃー、こんな感覚ほんとに久しぶり」
「和実、男の子の機能残ってるんじゃない?」
「あはは」
「もっといじっちゃえ」
「えーん」
 
5分くらいいじっている内にそれはけっこうな硬さになってきた。
 
「これ、インサート可能じゃない? もしかして」
「インサートってどこに入れるのさ?」
「私の中に入れていいよ」と淳は言った。
 
ドキっとしたような顔を和実はしている。
 
「看護婦さん来るよ」と和実。
「ここは呼ばない限り来ないよ。夕方の血糖値測定まではまだ時間あるし」
 
和実は何も言わずに淳を見つめている。
 
淳は念のためベッドの周囲のカーテンを引くと、スカートはそのままでパンティだけ脱ぎ、和実のものを刺激し続けながらキスをした。そのままディープキスになる。
 
「ね、和実入れてよ。入れ方分かるよね?」
「う、うん」
「私。目を瞑っておくから、私それ見たりしないよ」
 
淳がバックの中からコンちゃんを出して和実に渡す。和実はそれを装着した。きゃー。これ自分のに付けるのは初めて! いつもは淳がそれを付けている。
 
淳はタックしているので、ふたりの股間だけ見たら、和実がM・淳がFだ。
 
「いいの?」
「うん」
 
ふたりは普段Aは使っていない。ふたりはたまに男女型(淳がMで和実がF)で結合する場合も素股を使っている。
 
和実はそっと自分のそれを淳のそこにインサートした。
 
「そのまま出し入れしてよ」
「あ、うん」
 
和実は高校時代、女子大生のレスビアンの恋人がいた時期がある。和実のレスビアンテクニックはその子から伝授されたものだが、ディルドーを使って彼女のヴァギナに挿入したことはあった(当時和実のおちんちんは立たなくて、セックスには使えなかった:彼女からもディルドーで何度か入れられていた)。その時のことを思い出しながら、ゆっくりと出し入れする。何だかこれ凄く気持ちいい!もう長らくオナニーしてなかったけど、これオナニーより気持ちいいじゃん。でも淳も気持ちいいのかなあ?
 
と思ったら淳が目を瞑ったまま「気持ちいい!もっとしてぇ」などというので、和実はつい調子にのってそのまま出し入れを続ける。そして・・・
 
「あ・・・・」
「逝った?」
「うん。出ちゃった」
「やはり男の子機能あったね」
「えへへ。ちょっと恥ずかしい」
「いいんだよ。私と和実だけの秘密だから」
「うん」
 
後始末する。使用したコンちゃんは淳が「記念にとっとく」などと言って、二重にビニール袋に入れていた。和実はあの付近を個室に付属しているトイレのウォシュレットを使って洗ってきた。
 
その後もまた少しイチャイチャしていたら、足音が近づいて来たので控えた。
 

翌日。手術は午後からであった。病室で手術着に着替え待機していたら松井医師が病室までやってきた。
 
「か・ず・み・ちゃーん。いよいよ女の子になれるよ」
「はい」
「あら?女の子になるの嫌? まだ男の子でいたくなった?」
 
松井医師は和実の表情の中に何か微妙なものを感じ取ったようでそう訊いた。
 
「いえ。やっちゃって下さい」
 
「ふふふ。最後のオナニーとかする?」
「そんなのしたくないですー」
「じゃ、私がやっちゃうぞー」
 
と言って松井医師はいきなり和実の男性器を握ると、まるでツボ押しでもするかのような感じで刺激しはじめた。えー!?何か物凄く気持ちいい。でもこれセクハラでは?
 
「ちょっと、先生」
「医師としての機能チェックよ」
 
そんなのあるんだっけ? と思うものの、何だか物凄く気持ちいい。ちょっと今までに経験したことのないような快感だ。和実のおちんちんはすぐ立ってしまい、1分くらいで逝ってしまう。医師は出てきたものを毛布の下で容器で受けとめた。
 
「これサービスで冷凍保存してあげるね」
「えっと・・・」
「私の趣味だから、保存料金は要らないよ」
「うーん。まあいいけど」
 
「もし和実ちゃんに卵巣や子宮があったら、この自分の精液で自分で妊娠できたりしてね」
「それはさすがに嫌です。妊娠するなら淳の精液で妊娠します」
 
「うんうん。ところで、今手術するの止めたら、こういう気持ちいいこと、明日も明後日もできるよ」
「いえ、手術してください」
「ふふ。一度出して、もう思い残すことが無くなった」
「あ、そうかもです」
「よし。手術しちゃうね」
 
それでストレッチャーに乗せられ、手術室まで運ばれていく。淳も手術室の外まで付いてきてくれた。和実は淳に手を振って中に入る。
 
「青葉ちゃんは下半身麻酔でしたんだけどさ、あなたもそれでやって自分が手術されている所を見学する?」
「勘弁してください。全麻でお願いします」
「了解〜」
 
麻酔科医が和実を横にさせて背中に硬膜外カテーテルを設置する。医師が和実の下半身の感覚が消失していることを確認する。
 
「和実ちゃん。今ならまだ間に合うけど。手術止める?」
「いえ、手術お願いします。私、女の子になりたいです」
「OK。じゃ全身麻酔するよ。目が覚めた時はもう女の子だよ」
「はい。お願いします」
 
静脈注射を打たれ、医師が数を数えるのが最初の方だけ聞こえて、その後は夢の世界に落ち込んでいった。
 

和実は何人かの友人と町に来ていて、空港に行かなきゃということになり、各自の車に乗って出発した。少し出遅れてしまったが愛車に乗りエンジンを掛けスタートする。上り坂がきつくて次第にペースが落ちてきた。シフトレバーをセカンドにすると何とか登り切った。その勢いで交差点を過ぎて更に向こうの道に入っていく。やがて細い道を通って、公園のような所に来た。紅葉谷公園と書かれている。居る場所を確かめようとして地図を見ると、どうも目的地を行き過ぎた感じだ。山間に深くU字型に入り込んだ谷間の一番奥まで入り込んでいる。
 
和実は友人たちを探して車を降りた。いつの間にかひとりだけになってしまっている。ふと見ると目の前に何かが屹立するかのような高い塔が立っていた。入口があったので中に入る。するとそこは中央が吹き抜けになっており、周囲に壁に沿って螺旋階段が設置されていた。和実はそこを昇り始めた。ずっと昇って行く内に、ふと気付くと、反対側の壁に淳がいるので手を振る。そちらへ行こうと思ったが、よく観察すると自分がいる螺旋階段と淳が居る螺旋階段は、どうもつながってないようだ。この塔の周囲には二系統の螺旋階段があって、自分と淳は別の系統に居るみたいだ。
 
淳が「いちばん上まで行けば合流できる」と言ったので、和実は時々淳と声を掛け合いながら、ずっと階段を昇っていった。
 
夜が明けたのか、上から光が降り注いでくる。何だか気持ちいい。自分が解放されていくような気持ちになった。私って・・・心の中にいろいろなものを閉じ込めて封印していたのかも。そんな気がした。
 
唐突に目の前に松井医師がいた。
「和実ちゃん。おちんちん切ってあげるよ」
「あ。お願いします」
「出して」
「はい」
 
和実がスカートをめくりパンティを下げ、お股を露出すると、松井医師はおちんちんを弄び
「あなたみたいな可愛い子にこんなものが付いてるなんて犯罪。切っちゃうからね」
と言い、左手でおちんちんをつかんだまま右手に持ったメスを動かして、それをスパっと切ってしまった。
 
わあ・・・・
 
お股に余計なものが無くなり、すっきりした形になったのを見て、和実は何だかとても嬉しくなった。
 
その時、大きな地殻変動のようなものが起きる。嫌だ。これ地震? 和実は壁に掴まっていたが、地面が大きく揺れて、塔は180度回転し、上下が逆になってしまった。和実は押さえきれずに落ちてしまうが、ちょうど反対側の壁にいた淳に受けとめられる。
 
「大丈夫?」
「ありがとう」
 
ふたりはキスをした。
 
「私ね、おちんちん切ってもらったもの。私、もう本当の女の子だよ」
「そう。良かったね。じゃ、和実、私のお嫁さんになって」
「うん」
 
またキスをする。
 
「あれ、お股に血が出てるよ。手術の跡、痛くない?」
「痛いけど大丈夫。それにこの血は女の子になったから生理の血だよ」
「わあ、生理が始まったんだ」
「だって私、女の子だもん」
 
やがて地殻変動が収まったもよう。
 
「これどっちに行けばいいんだろう?」
「たぶん上に行けばいいんだよ」
 
ふたりは上に、つまりこれまでとは逆向きの方向に歩き出した。手をつないで。ゆっくりと歩調を合わせて。
 
そしていちばん上まで辿り着く。和実は今昇ってきたところを振り向くと、そこが大きな穴になっていることに気付いた。自分たちは大きな穴に設置された螺旋階段を昇ってきたのだ。
 

意識を回復すると、そばに、淳・胡桃・青葉がいた。
 
「あ、目が覚めたね。今ドクター呼ぶね」
と淳が言い、ナースコールする。やがて麻酔科医と執刀医の松井医師がやってくる。
 
「どう?痛い?」
「痛いです」
と和実は苦笑しながら言ったが、その実、思ったほどの痛みでは無い気もした。
 
麻酔科医が鎮静剤を入れる。
「これで少しは楽になると思うけど、根本的に痛いのはどうしようもないから」
「はい。それは覚悟で受けた手術です」
 
「でも、楽しい手術だったわ」
と松井医師が言う。
「そんなに楽しかったですか?」
 
「MRIで写った時のあなたの子宮や膣の位置をMRで立体投影しながら、それに正確に重なる位置にヴァギナを設置したんだけどね」
「はい」
 
「私見たよ。ほんの一瞬だけど、あなたの身体に本物の膣が出現したのを」
「ほんとですか?」
「普通の医師なら何かの目の錯覚だと思うだろうね。ほんとに一瞬だったから」
「へー」
 
「あなたの膣はその一瞬出現した本来の膣ととにかく入口を完全に合わせている。それから膣の最奥部は、子宮口が存在するはずの場所に正確に合わせてそこだけは、しっかりと周囲の組織と固着した。こんな手術の仕方したの初めてだよ」
「へー」
 
「だ・か・ら、この手術で作った膣を使ってセックスすれば、精液がその存在するはずの子宮まで辿り着く可能性があるよ。子宮口の付近に精液が溜まっている時に子宮が出現すればその瞬間に、そちらに流れ込むだろうからね」
「あはは、そんなことが起きたら素敵ですね」
「あなたそれで自然分娩もできたりしてね」
「うーん。。。」
 

その日青葉は麻酔から覚めた後も2時間ヒーリングしてくれたが、和実は青葉の体調を心配した。
「青葉もまだ手術から一週間しか経ってないもの。無理しないで。私はお陰でだいぶ楽になったよ」
 
淳は仕事の都合があるので、手術の翌日、和実がけっこう元気そうなのを見て東京に戻ったが、胡桃が代わりに付いていてくれた。
 
和実の経過が良いので3日目にはいったん包帯を外して傷の具合をチェックする。和実は初めて手術後のお股を見た。
 
「きゃー、女の子の形になってる」
「そりゃ女の子の形にしたんだもん。もう男の子の形には戻せないからね」
「そんなの戻りたくないです」
「よしよし。しかしさすが青葉ちゃんだね。これもう半月くらい経ったような状態だよ」
 
青葉は毎日病院に来てヒーリングをしてくれていたのである。ただ明日だけはコーラス部の大会に出るのに名古屋に行くので来られないと言っていた。
 
「まだ青葉だって、性転換手術を受けて10日しか経ってないのによく名古屋まで行く体力あるね」
「歌う訳じゃなくて傍で見てるだけだから。私、部長だから行かなくちゃ」
 
などと言っていたが、翌30日に戻って来てまた見舞いに来てくれて
「えへへ。ソロ歌っちゃった」
と聞いて仰天した。
 
「青葉、あまりにスーパーウーマンすぎる」
「うん。お母ちゃんから呆れられたけどね」
「でもホント無理しないでね。って負荷を掛けてる私が言うのも何だけど」
 
「和実、自分でも少し治療できるはずだよ。小周天分かる?」
「一度習ったけど、気が回ってるのか回ってないのかよく分からなかった」
「ちょっとやってごらんよ。ベッドの上に座った状態で」
 
和実はベッドの上で起き上がり、背中の腰の付近から気が背中に沿って頭まで上昇し、今度は表側を降りてきて、丹田の所に溜まるイメージをしてみた。
 
「ちゃんと出来てるじゃん」
「えー?これ出来てるの?」
「うん。ちゃんとエネルギーが丹田の所に溜まってるよ。だったら私がやってる身体と平行に手を動かして気の流れを調整するのもできるはず」
 
そう言われてやってみるが、気が動いてるのか動いてないのかさっぱり分からない。
 
「ああ。こちらはまだまだだね。少しは気が動いてるけど。まだしっかりとは動かせてない」
「へー、少し動いてる?」
「うんうん。イメージトレーニングたくさんやってごらんよ」
「うん、やってみる」
 
そういう訳で和実はベッドの上で小周天をやって気の流れを把握しやすいようにした上で、自分で自分の手術跡のヒーリングもしてみたが、その時「あれ?」と思った。それで青葉に訊いてみた。
 
「なんだかね。小周天する時の気の流れというか回転が、さっきまでと少し感覚が違うような気がするんだけど」
「ふっふっふ」
「あ〜、青葉何かしたのね?」
「ちょっとサービス。これで和実は本当に女の子になったんだよ」
 

和実は8月1日に退院した。その日は病院で青葉がヒーリングしてくれた後、青葉の母が和実と胡桃を小松空港まで送ってくれたので、よくよく御礼を言って別れた。1週間分のヒーリング代金+小松空港までのガソリン代として10万円入りの封筒をお母さんに渡した。青葉が「後でまとめてでいいよ」
などと言って受け取ってくれなかったためである。しかし
青葉の母は封筒の中身を見て
 
「これたぶん多すぎる」
と言って、7万返してくれた。
「ガソリン代はお互い様だから気にしなくていいし。これでも取り過ぎかも知れないけど、また後で調整ね」
「はい」
 
小松空港から仙台行きに搭乗する。和実はしばらく石巻の姉の所で静養することにしていた。東京に戻っても淳が今システムの作り込みや打ち合わせで多忙なので、帰りも遅くなったり徹夜になったりで、あまり和実の面倒を見てあげられない。それで姉のアパートに同居することにしたのである。
 
「お姉ちゃん、彼氏を連れ込む時は私、車で外に出てるからね」
「連れ込むような彼氏が居ないよぉ」
 

石巻にいる間も、青葉はこちらと「ライン」で繋いだ状態でリモートヒーリングをしてくれた。このリモートヒーリングというのは実は電話も何も掛けない状態でも出来るらしいのだが、やはり通話ができる状態にしてやった方がラポールが安定して、しっかりできるらしい。
 
和実はここでゆっくりと身体を休めて体力回復させるつもりだったのだが・・・必ずしも休ませてもらえなかった。
 
昼間横になって本など読んでいると、姉から電話が掛かってくる。
 
「和実〜、着付けのお客様がいるの。今誰も手が空かないからヘルプ〜」
「はいはい」
 
ということで美容室まで出て行き、女性のお客様の和服の着付けをする。和実は大学1年の時に友人に誘われて教室に通ってしっかり習ったので、普通の付下げや浴衣はもちろん訪問着や礼服、更には振袖などでもきちんと着付けすることができたし(美容師の資格を持ってないので業務としてはできないが)婚礼衣装でも着付けすることができた。
 
着付け以外でも
「ごめーん。今日物凄く忙しくて。お弁当を8個買って届けてくれない?」
などと雑用を頼まれることもあった。美容室はかなり流行っている感じだ。春に新しい名前で美容室を再開した時は美容師さん4人だったのが現在助手を含めて7人になっているが、まだ手が足りないということで募集を出しているらしい。
 
「和実、いっそ美容師の資格取らない? 震災のボランティア終わったから少し時間取れないかな。夜間、美容師学校に通えば2年で国家試験受けられるよ」
「うーん。悩んでしまうなあ」
「だって和実性別変えちゃったから、ふつうの会社じゃ採用してくれないでしょ?美容師は腕さえあれば性別問題は誰も気にしないよ」
「ハッキリ言ってくれるね」
 
確かにこの時期、和実は大学を出た後の就職について結構悩んでいた。
 

昼間休んでいる時に電話してくるのは姉だけではなかった。
 
エヴォンの店長の永井もしばしば電話してきて、けっこう長時間話していた。
 
「銀座店だけどさ。やはり文化の町・神田、遊びの町・新宿と違って、おしゃれな町ってイメージあるじゃん。だから銀座店はメニューの値段も少し高くして、高級感を演出しようと思ってね」
 
「高くって幾らくらいですか?コーヒー600円とか?」
「まさか。そんなに取らないよ。本日のコーヒー480円、オムレツセット900円かな。コーヒーはジャマイカ系。オムレツセットにはサラダも付ける」
 
本店は本日のコーヒー380円、オムレツセット700円、新宿店はコーヒー400円、オムレツセット750、コーヒーはどちらもサントス系がメインである。
 
「ささやかですね。まあ、そのくらいの価格差は良いのでは。調度とかはどんな感じにするんですか?」
 
「神田店は英国のヴィクトリア朝風のインテリア(これは盛岡のショコラと同系統)、新宿店はルイ王朝風(これは京都のマベルと同系統)にまとめたんだけど、銀座店はもう少しモダンな雰囲気の現代英国王室っぽい調度にする」
 
「へー」
「メイドの制服も少し系統を変えたのを、古い友人のデザイナーと今煮詰めているところでね」
「わあ、それはちょっと楽しみかも。でも各店を回る上級メイドは制服が2つ必要になるんですね」
「そうそう。神田店・新宿店用と、銀座店用ね」
「なるほど」
「メイドの個人的なファンは両方見に来るよ」
「ああ、なんかあくどい商売だ」
 
「ふふふ。あと、ひとつ目玉として生の音楽を流そうかと思ってる」
「生の音楽ってバンドとかですか?」
「まさか! 王侯貴族だよ。バンドじゃなくてアンサンブルだね。弦楽四重奏とか、ピアノとフルートのアンサンブルとか」
「凄い。あれ? でも生演奏すると風営法に引っかかるのでは?」
 
「深夜はNG。でも、深夜になる前ならいい」
「深夜って?」
「午前0時から、日出まで。でもそもそもうちは12時までしか営業しない」
「確かに!」
 
「臨時で午前0時を過ぎる時刻まで店を開けておく場合も、0時過ぎは演奏はしないようにして、ステージにはロープ張っておけばいいんだよ」
「なるほどー」
 
「後、客が音楽に合わせて歌を歌ったりしていても、それを褒めたり拍手したりしたらダメ。褒めたら接待になるから」
「微妙な話ですね」
「うん。上手な客がいたら褒めたくなるかも知れないけど、そこはスタッフに徹底させる」
 
エヴォンにしても、盛岡のショコラ・京都のマベルにしても、風俗営業ではなく(酒類を提供しない)飲食店営業なので「接待行為」が発生しないようにかなり気をつけている。生演奏については、客とデュエットしたりすると接待行為になるが、単純に演奏をするだけなら「遊興させる行為」になる。この場合、風営法によって(風俗営業ではない)飲食店の深夜遊興行為が制限されているのである。ちなみに有線放送の音楽を流すだけなら、何の制限も無い。
 
「あ、生演奏したらJASRACにお金払わなくちゃ」
「うん。そちらはもう契約したよ」
「偉いですね。どのくらい払うんですか?」
「包括契約にした方が楽ですよと言われたけど、僕はJASRACの包括契約というのは廃止すべきだと思っているから1曲単位できちんと払う方式にした」
 
「えらーい!」
「だから、ちゃんと何を演奏したかを報告するよ。だっておかしいじゃん。包括契約では誰の曲を演奏したか報告しないから、ちゃんと演奏した曲の作者にお金が行かないもん」
「ですよね〜」
「その報告は君がやることになるから、よろしく」
「ウィ、ムッシュー!」
 
「ちなみに料金は、うちは客単価が安いから1曲120円だよ」
「なるほど。でもその120円を回収するのもけっこう大変そう。30分で8曲くらい弾いたら1000円でしょ。お客さん2人くらい増えないとペイしない」
「ふっふっふっ」
「ん?」
 
「クラシックの曲はほとんどが著作権切れ」
「あ! うまーい!! だから弦楽四重奏とかなんですね」
「そういう訳でもないけどね。それに演奏者へのギャラを払うから、やはりある程度の集客ができないときついよ」
 
「確かにそちらの方が著作権使用料より高いですね。オープンしたての頃は生演奏もあって雰囲気良かったのに最近はCDばかりなんて言われないように頑張りましょう」
「うん。頑張ろう」
 

8月19日(日)。和実は石巻の姉のアパートを出て、富山の青葉の家に移動した。しばらく青葉の家に居候させてもらって、ヒーリングを受けることにしたのである。9月中旬には銀座店のオープンが待っている。それまでにできるだけ体調を回復させておきたかったし、また今までのようにリモートヒーリングをしてもらうと、リモートでやる分青葉の負荷が大きくなっていた。青葉の負荷を減らすことと、和実の体調回復の後押しという双方の利害が一致してしばらく青葉の家にお邪魔させてもらうことにしたのであった。この状態に早く移行したかったのだが、青葉が18日にコーラス部の全国大会に出場するため、それまではあまり時間が取れないということで、待っていたのである。
 
「全国大会3位おめでとう!」
「ありがとう。まあ結局私は本番ではソロを歌わなかったんだけどね。2年生の子に歌ってもらった」
「へー。やはりまだ体調が万全じゃなかったの? 御免ね。そんな状態で私のこと頼んで」
「ああ。でも大会だってので仕事完全オフ状態でホテルでひたすら寝てたからお陰で体調が物凄く回復した感じなんだけどね」
「昨夜の青葉のパワー、凄まじかったもん」
「うふふ」
「それで完全に体調回復したら、どんなパワーが出るのか恐ろしいくらい」
「うん。そのあたりは春に高野山の山奥にいる師匠の所に行った時も言われたんだけどね」
「へー。あの霞を食って生きてるって人?」
「うん。私も一週間霞を食べて生活したよ」
「凄いなあ」
 

この時期、青葉の家には青葉の姉、桃香と千里が居て、やはり同時期に性転換手術を受けた千里のヒーリングを青葉は毎日していた。また、23日になると、アメリカで性転換手術を受けたアイドル歌手の牧元春奈も市内の知人の家にやってきて、こちらは毎日夕方に青葉が先方に出向いてヒーリングをしていた。この夏はとにかく青葉本人に和実、千里、春奈と性転換ラッシュだったのである。青葉は自分自身を含めて4人のヒーリングを一手に引き受け、随分と痛みを和らげ、傷の回復を促進してあげていたのである。
 
「ところで、桃香さんと千里さんって、青葉とどういう関係になるの? 何となく今まで聞きそびれていて」
「どちらもお姉ちゃんだよ」
「そのあたりを詳しく」
 
「お母ちゃん(朋子)の実の娘が桃香姉ちゃんだよ。桃香姉ちゃんと千里姉ちゃんはレスビアンの関係で同棲している。それで震災の直後にボランティアに来ていて、家族を全部無くして途方に暮れていた私を保護してくれた」
「ああ」
「で、最初ふたりが私の後見人になってあげると言ってたんだけど、桃香姉ちゃんのお母ちゃんが、まだ学生のふたりでは中学生を育てきれないでしょと言って、自分が私の後見人になってくれて。だから桃香姉ちゃんと千里姉ちゃんは親代わりじゃなくて姉代わりということになったの」
「なるほど、やっと分かった」
 
「でも私という存在が、桃香姉ちゃんにも千里姉ちゃんにも都合がいいみたい」
「ふみ」
「どちらも私のお姉ちゃんだから、私という存在を通してふたりは姉妹、つまり親族なんだよね」
「ああ」
「うちのお母ちゃんからしても、千里姉ちゃんは桃香姉ちゃんの伴侶という意味で義理の娘でもあるけど、法的な被後見人で養女に準じる存在である私の姉代わりという意味でもやはり娘なんだよ。だからこの家族で私はみんなを結びつける要(かなめ)になってるんだよね」
「なるほど」
 
「桃香姉ちゃんは千里姉ちゃんと事実上夫婦のつもりでいるけど、千里姉ちゃんはそれを否定はしないけど、自分ではあくまで友だちと主張する」
「でも夜は一緒に寝てるんだよね?」
「そうそう。だから千里姉ちゃんは桃香姉ちゃんの愛を受け入れてはいるし、結構セックスもしてたみたいだけど、元々千里姉ちゃんの恋愛対象はあくまで男の人だから」
「ああ、なんか凄く微妙な関係なんだ」
「うん。桃香姉ちゃんも千里姉ちゃんが男の人と結婚しようとしたら阻止するなんて言ってるけど、実際に恋人ができたら身を引くと思うなあ」
「忍ぶ愛なんだね」
 
「うん。もし身を引いたとしても、私という存在を通してふたりが親族であるのは変わらないから」
「青葉って、桃香さんと千里さんの関係の保険でもあるんだ!」
「うん。そういう意味で私って結構役に立ってるよね」
「立ってる立ってる」
 

8月28日(火)。東京の淳から電話があり、裁判所から性別の取り扱い変更認可の書類が届いたということだった。手術の翌日東京に戻った淳が前もって準備していた申請書を提出してくれて、その結果が届いたのであった。
 
「おめでとう和実」
「ありがとう、淳。これで私たち結婚できるね」
「そ、そうだね。えっと・・・いつ頃結婚しようか」と淳は焦った感じで言う。
「学校を出てからかなあ。でも籍だけ先に入れちゃう手もあるよね」
「そうだね」
「まあ、私たち既に実質結婚している気もするんだけどね」
「確かにそれはそうなんだけど」
 
その件は取り敢えず和実の体調がもう少し回復してからまた話し合うことにする。
 
青葉たちに話したら、桃香が「おお、それはお祝いしなくては」などと言って、その日の晩御飯は散らし寿司になった。作ったのは和実だが!
 
「へー。これで和実ちゃんは法的にも女の人になったのね」
とFAXで送ってもらった裁判所からの手紙を見ながら朋子が言う。
 
「戸籍や住民票が切り替わるには半月くらい掛かるらしいです。ですから東京に戻ってから、国民健康保険とか、国民年金とか、運転免許とか、大学の学籍簿の変更とかやります」
「あれ?運転免許には性別欄無いよね」と桃香。
「ええ。でも警察の内部の書類を書き換えてもらわないといけないから」
「ああ、なるほど」
 
「千里ちゃんはまだこの審査結果出てないの?」と朋子。
「あ、まだ申請してないです。千葉に戻ってからしようかと思ってた」と千里。
「でも早めにやっておけば、新学期から女子学生として通えるんじゃないの?」
「確かにそうだ! 申請書出そう」と桃香。
「私はまだ千葉との往復しきれない」
「私が行ってくるよ」
 
というので桃香は翌日日帰りで千葉まで往復して裁判所から用紙をもらってきた。
 
「話が面倒だから、私が当事者のような顔して説明も聞いてきた」
「えっと・・・いいのかなあ」
「ついでにいくつか質問されたのも適当に答えといた」
「それ絶対まずいって!」
「私はオカマですと言ったら、たいていみんな信じてくれる」
「うーん・・・」
 
朋子が笑っていた。
 
「だいたい私は女子トイレ使ってて、あんた男じゃないの?と言われたことがある」
「あはは」
「千里はむしろ男子トイレ使ってて、女は女子トイレ使えとか言われなかったか?」
「何度も言われた」
「和実なんかもそうじゃないか?」
「ああ、私あまり男子トイレ使ってなかったから」
「青葉と似たタイプだな。それは」
「高校時代、結構学生服のまま学校の女子トイレ使ってたし」
「ああ、それも青葉と同じだな」
 
それで桃香が持って来た書類に千里が記入する。海外での手術なので国内での医療機関の診断書が必要であるため、松井先生の病院まで行き、診断書を書いてもらってから、また桃香が千葉まで日帰り往復して書類を提出した。
 
順調に行けば1ヶ月で認可が下りるので、おそらく新学期(10月)までには性別の変更が完了するであろう。
 

この時期この家の中で暮らしていたのは、朋子・青葉、桃香・千里、和実の5人であるが、忙しすぎる青葉、体調の回復が遅れていた千里、に代わって、和実がいちばん家事をしていた。特に晩御飯は、買物も含めて和実がするようになったので朋子が「なんか晩御飯が充実した!」と喜んでいた。ちなみにいちばん元気な筈の桃香は、御飯を作る気は全く無い。
 
この富山県滞在中、和実はさすがに石巻の姉から着付けの手伝いに呼び出されることは無かったものの、エヴォンの店長とはけっこう電話でやりとりをしていた。
 
そんな中で和実がいちばん驚いたのが、自分が銀座店に転出した後の本店チーフの問題であった。
 
和実が性転換手術以降店を休んでいるので、本店はサブチーフの麻衣を中心に動いていた。それをベテランのメイド若葉や瑞恵がサポートしていたし新宿店チーフの悠子も時々本店に顔を出して、色々相談に乗ってあげたりしていたようであった。そして9月15日に銀座店オープンに伴って和実がそちらのチーフとして転出すると、麻衣が後任の本店チーフになるということで、だいたい合意が成立していたのであるが・・・・
 
「いや本店チーフなんだけどね。麻衣が9月14日で退職することになった」
「え?」
「今辞めると、和実ちゃんも不在で本店が大変だからということで、和実ちゃんが戻ってくるまでは本店のサブチーフ、実質チーフ代行として仕事してもらうけど、新体制になるタイミングで退職すると」
「転職でもするんですか?」
 
麻衣は和実より3つ年上で今年24歳になる。学生時代に始めたメイドをついつい卒業後も続けていたが(なかなか就職先が見つからなかったのもあったらしい。メイドの前はイベントコンパニオンなどをしていたという)、もしふつうの会社などに勤めようとしたら年齢的には今年あたりが限界だろう。20代後半の女性で実務経験が無いと、なかなか仕事が無い(30代になるとまたパート需要がある)。
 
「いや・・・それが」
と何だか永井の歯切れが悪い。
「どうかしました?」
「うん。実は結婚するんだよ」
 
「おお!それは目出度い! あれ、でも麻衣が男の人と付き合ってるなんて全然気付かなかったなあ。特にデートでそわそわとかみたいなのも無かったし。相手はどういう人なんですか?」
 
「うん。それがね。。。。」
「はい? 麻衣のファンの誰かととか?」
 
個々のメイドには結構個人的なファンが付いている。和実にも和実の性別を承知の上で、かなりのファンがいる。
 
「僕なんだ」
「へ?」
「ああ、そのぉ。年末に僕と麻衣は結婚式を挙げようと思ってて」
「うっそー! 一体いつの間にそんなことに。ああ。それに店長、自分は商品には手を付けないって言ってたのに」
「うん。ポリシーには反するんだけどね。好きになっちゃったものは仕方無いかなと」
「いや、祝福しますよ」
「ありがとう」
 
そこから先はひたすら永井がおのろけを言い、和実も、もっと言えもっと言えという感じで囃し立てた。永井は今年32歳だから麻衣とは年の差8つということになる。永井からすると半分娘みたいなもので、可愛くてたまらないという感じのようだ。
 

「まあ、そういう訳で本店のチーフは若葉ちゃんに継いでもらうことにした」
「おお、何だか△△△学閥で占められちゃいますね」
「あはは、結果的にはそうなるかな」
 
永井、盛岡ショコラの店長である神田、京都マベルの店長である高畑はみんな△△△大学の出身で、和実自身と若葉も△△△大学に在学中である。
 
「そういえば若葉ちゃんって結構いい所のお嬢様なんだってね。僕も知らなかった」
 
「ええ。自分の家のことあまり話しませんし、持ち物とかも質素だから気付かないですよね。何度か彼女の家に行きましたけど、とっても素敵なお家ですよ」
 
「へー。それが何でメイドのバイトなんかしてるのかね。お金には困ってないだろうに」
「男性恐怖症克服のためらしいです」
「ほほお」
「でも全然治らないらしい」
「ああ」
 
「合コンで何となくペアになった男の子とホテルに行ってはみたけど、いざ彼のおちんちん見たら怖くなって逃げ出して来たなんて言ってました」
「かなり重症っぽいな」
 
「女の子の恋人は作ったことあるらしいですけど、男の子はダメだって話です」
「しかしまあ男性との接触に慣れるのにはうちは割といいかもね」
「です。適度の距離感がありますから。いかがわしいことはされないし」
「うんうん」
 

震災前、和実は数百万の貯金があった。高校時代メイド喫茶に勤めていてそのお給料はほとんど使っていなかったし、大学に入ってからも質素な生活をしていたのでどんどんお金が貯まった。しかしそのお金を震災後1年でほとんど使いきってしまった。
 
被災地支援のボランティア活動で買出しの資金やガソリン代などは色々な人から寄せられた寄付を当てていたが、その買出ししてくれる人やドライバーをしてくれる人のお弁当代・お茶代などは和実とエヴォンの店長が折半して自腹で出していた。他にも通信費とか管理用サイトの維持費とか結構細かい経費が掛かった分もこのふたりで出していた。また特に初期の頃は買出し自体を結構自腹でしていた。また寄付の金額はどうしても変動があるので、被災地から「こういうのが欲しい」と言われていた時に資金が足りない場合、追加でお金を出したこともある。
 
そういうボランティア活動以外でも、自分の実家の修繕費を出したり、姉の美容室の設立資金を出したりもした。現地の自助グループなどに資金援助したこともあった。それで震災から1年経った頃には手許には120万ほどしか残っていなかった。ちょうど自分が受ける性転換手術代ジャストくらいだなと思っていたのだが、お金を使い切ると何かあった時にまずいよと言われ、手術代は淳が出してくれた。そしてそのまさに「何か」が起きてしまった。
 
「いやもうびっくりした」
と母は興奮冷めやらぬ感じで電話口で話していた。
「消防車も来て大騒ぎだったんだよ。幸い消防屋さんのお世話になる前に父ちゃんが消火器で消し止めたんだけどね」
「良かった、良かった」
 
盛岡の実家でボヤ騒ぎが起きたのであった。消防局の人が調べた所原因は漏電で、早急に配線設備を更新した方がいいと言われた。この家は築後50年ほど経っている。更には震災で痛んだ分もあったであろう。それで電気工事店に取り敢えず漏電箇所の調査を依頼した所、壁の中に埋め込まれた配線などがあり、調査のために家屋を一部解体したりする騒ぎになり、凄まじく調査費用が掛かったということであった(漏電は概して調査費用が大きく、実際の工事費用自体はそれほどでもない)。更に今回の事故で冷蔵庫・洗濯機・テレビなど多数の家電品が故障してしまっていた。
 
「どうしよう? 調査の代金も払えないよ」
などと母が泣きついて来たので
「お母ちゃん、それ私が払うよ」
ということで、調査費・工事費、それに冷蔵庫・洗濯機・テレビなどの買換え代金で60万送金した。
 
更に姉の方から、美容室の運営会社の資本を増強したいので追加出資を打診されているのだけどと言ってきた。最初はほんとに再開して客が来てくれるか不安があったので資本金500万円で始めたものの順調なので資本金を1000万に増強して財務体質を改善したいということだった。
 
「それでさ、設立の時に和実に立て替えてもらって50万出資してたから、もし良かったら50万更に出資しないかと言われて」
「ああ、いいんじゃない。出資してあげたら?」
「私、お金無いもん」
「えっと・・・・」
 
ということで姉に50万送金してあげた。それで完全にお金が無くなってしまった!
 
そこで銀座店オープンを前にして東京に戻る時、和実は青葉に打診した。
 
「ごめーん。ちゃんとヒーリング代金の分は確保していたつもりが急な出費が相次いでしまって。しばらく貸しておいてくれない? 年末までには払うから」
と言って、取り敢えずの内金で20万青葉に渡した。(これも淳から借りた)
 
すると青葉は
「和実さ、震災の復興のためにたくさんお金使ってしまったんでしょ? だから私も震災復興の側面支援ということで、今回のヒーリング代金は10万でいいよ」
と言って、20万円のうち半分返してくれた。
 
「そもそも私はお金持ちからはたくさん取って、お金の無い人からは少ししか取らない主義だから。和実の経済力が回復したら、もっと料金取るよ」
「了解。頑張って経済力と体力と回復させるよ」
「うん」
 
青葉は取り敢えず今年いっぱいは週に2回くらいリモートでヒーリングしてくれることになった。その間の料金も月1万にしてもらった。1年前の和実の経済力なら青葉は1回5000円くらい取っていた所だろう。
 
 
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【新生・触】(1)