【12時になったら】(1)

目次


 
「じゃ佐理夫はお留守番なのね?」
母から聞かれて僕は「うん。模試も近いし勉強しておかなくちゃ」と答えた。
 
今日はうちの町で曳山(ひきやま)祭りがおこなわれている。けっこう名の通った祭りらしく夏休み中でもあり、あちこちから観光客も集まってくるようだ。母と高校生の姉は浴衣を着て、夜祭りに出かけるということで、さきほどから準備をしていた。父は残業でまだ戻らない。いつもだいたい夜中の2時すぎに帰ってくる。
 
僕も子供の頃はお祭りというと浴衣を着せてもらって、提灯なんか持って母や姉といっしょにお出かけしていたものだ。しかしどうしたんだろう?小学校も高学年になると、そういうのであまりワクワクしなくなったし、今や中学2年生ともなると、受験勉強も意識しないといけない。模試も頻繁に行われているし。
 
お祭りは11時半くらいからの火祭りがクライマックスとなるが、姉たちはその後どこかでお茶でも飲んでから1時頃帰ると言っていた。たぶん僕もそのくらいまでは勉強しているだろう。僕は姉たちを見送ったあと、数学の問題集に取り組み始めた。
 
それは夜9時を過ぎた頃だった。玄関のチャイムが鳴る。誰だ?こんな時間に、と思ってインターホンに出てみたら、従姉の大学生・鳩美だった。鳩美の実家は少し離れた町にあるのだが、うちの町にある大学に入るため、アパートを借りてひとり暮らしをしている。
 
「こんばんは。どうしたの?」
僕は取りあえず鳩美を中に入れながら聞いた。
「今日はお祭りでしょう。だから、奈津美ちゃんに浴衣を縫ってきたのよ」
「・・・姉ちゃん、もうとっくに出かけちゃったよ」
「えー!?うそっ。私浴衣縫ってあげるからって言ってたのに」
「鳩美姉ちゃんの約束ってだいたい当てにならないこと多いもん」
「そっかなあ」
「それにもう9時過ぎだよ。お祭り半分くらい終わっちゃってる」
「うーん。確かにちょっと遅くなったけどね」
 
「姉ちゃんたち7時には出たよ」
「ちぇっ。せっかく浴衣作ったのになあ・・・・・」
「鳩美姉ちゃんが着るとか?」
「自分のも作ったよ。だから2着」
「ああ」
「奈津美といっしょに浴衣着てお祭り行こうと思っていたのに」
「お母さんと適当な浴衣着て出かけたよ。鳩美ねえちゃんも今から行けば?その作った浴衣着て」
 
「ひとりで出かけるのもなあ」
「同級生とか誘うとか」
「今日の今日じゃ捉まらないだろうなあ、誰も」
「まあ遅くなっちゃったから仕方ないのでは」
「ああん。誰か私の作った浴衣着ていっしょに出かけてくれそうな人・・・・」
「あちこち電話しまくるとか」
「うーん」と鳩美はしばらく考えていたが、突然こんなことを言い出した。
 
「ね、佐理ちゃん、この浴衣着ない?」
「はぁ?それ女物なんでしょ」
「いいじゃん、佐理ちゃん、雰囲気が優しいから女の子にも見えるって」
「別に女の子に見える必要無いんだけど」
「いいから、いいから。ほら、これなの。可愛いでしょ?佐理って昔から可愛いもの好きだったじゃん。ちょっと着てみるだけでもいいから」
 
僕は何となく鳩美に乗せられて、着てみるだけならいいかなと思い、その浴衣に袖を通してみた。
「ほら、鏡見てみて」
僕はこの時『あ、悪くないかな』という気がした。それに・・・・何か以前にもこんな感じのこと無かったっけ??
 
「ね、けっこう似合ってるじゃん。眉切っていい?」
「あ、うん」
鳩美は僕の眉を少し細く切った。
「ルージュ入れるね」「うん」
「髪型も少し変えてみるかな・・・」
僕は髪は七三に分けていたのだけど、鳩美は僕の前髪をまっすぐ下ろして、少し女の子っぽい感じにアレンジした。
 
「浴衣もきちんと着ようね」
鳩美はあらためて浴衣をきちんと僕にきせると、帯もきれいに締めた。「さて。私も着よう。後ろ向いてて」「うん」
鳩美は僕が後ろを向いている間に自分で浴衣を着た。
「OK」
鏡の前で並んでみると、まるで姉妹のようだ。
「子供の頃、よくこんな感じで私と奈津美、歩いてたなあ」
「ふーん」
あれ?なんか・・・・・
 
「でも、佐理ちゃん、凄く可愛くなっちゃったから、イヤリング付けてあげるよ」
「あ、ありがとう」
鳩美は僕の両耳に可愛いペンギンのイヤリングを付けた。
鏡に映してみるとなんだか可愛い。
「可愛い」
と言ったら「じゃ、それあげる」と鳩美は言った。
 
「さて、お祭り行こう」
「でもけっこう遅いよ」
「車で行くから大丈夫よ。10分もあれば着くよ」
「ね、お姉ちゃんたちが1時頃に帰るらしいんだ」
「分かった。じゃその前に戻って来て着替えられるようにするよ」
「うん」
 
鳩美は自宅前に駐めていたジャック・オ・ランタンのペイントが入ったワゴンRに僕を乗せると祭りの会場まで走って行った。
「でもなんでこの車、ジャック・オ・ランタンなの?」
「さあ、前のオーナーの趣味なんだろうけどね。可愛いから気にしてないけど」
 
「さて到着〜♪。もしはぐれたら、ここに12時10分ね」
「うん」
「念のためスペアキー渡しておくから、先に戻って来たら乗ってて」
「ありがとう」
 
僕たちはとりあえず一緒に祭りの会場を歩いた。各町の曳山が威勢の良い木遣歌に乗せて、ひとつまたひとつと集結してくる。拍手や歓声もあちこちであがっていた。ビデオを回している人も大勢いる。テレビ局も来ているようである。
 
鳩美は出店でイカ焼きを2本買うと1本渡してくれた。
「わあ、美味しい」
「こういうところで食べると不思議に美味しいよね」
「なんか、お祭り久しぶりに来た気がする」
「勉強もたいへんかも知れないけど、たまには息抜きも必要だよ。
あくまで『たまに』だけどね。お祭りって、そのためにあるんだよ」
「そうなんだろうね」
「リオデジャネイロとか、みんなカーニバルのために1年間働くっていうし」
「あああ」
 
「あれ。浜崎町の木遣り、歌い手が若い人になってる」
「よくそういうの覚えてるね」
「町ごとに木遣歌は違うからさ。それぞれが楽しみだよ」
「ふーん」
 
僕らはイカ焼きを食べながらしばらく曳山に見とれていたが、そこに鳩美に声を掛けてくる人がいた。
「鳩美ちゃん、来てたんだ」
「あ、川嶋くん」
どうも同級生かなにかのようである。
「あ、私ちょっと向こうのほうで見ている」と僕は言ってその場を離れた。
 
僕は出店をずっと見て回った。風船釣り、抽選、鈴カステラ、サーターアンダギー、お好み焼き、....こういうのって昔から変わらないなと思った。
 
少し歩き疲れたので、大きな街灯の周囲に設置されている丸い手すりに腰掛ける。曳山はまだ集まってきている。かなりの数になってきた。もう全体の7〜8割は集まっただろうか。
 
「君ひとり?」
突然声を掛けられて驚いてそちらの方を見る。高校生くらいだろうか?男の子が2人僕の左右に立っていた。
「可愛いね、君。ひとりなら僕らといっしょに少し歩かない?」
「すみません、連れがあるので」
僕は立ち上がり、歩き始めたが2人は付いてきた。
 
「ねえねえ、別に何もしないからさ」
「何か買ってあげるよ」
ひとりが僕の浴衣の袖をつかむ。
「離してください」
「お連れさんいるなら、そのお連れさんと落ち合うまででもいいからさ」
などと言っている。
 
そこで少し揉めていたら、突然その男の子の腕をつかんで停めた人がいた。
 
「この子、僕の連れなんだけど」
とその人物は言った。この人は知っている。同じ学校の中3で山下君だ。
 
「あ、すまん」
といって高校生2人は退散する。
 
山下君はバスケット部の主将で、小柄だけど素早いポイントガードである。敵陣を華麗に突破するプレイでバスケット部を県大会準優勝まで連れて行った。女の子に凄い人気があり『バスケット王子』などとも呼ばれている。
 
「大丈夫だった?」と山下君は心配そうに訊く。
「ありがとうございます。助かりました、山下さん」
「あ、僕のこと知ってるんだ」
「うちのクラスの女子にも人気だから。こんな所で話しているのみられたら嫉妬されそう」
「あはは。そうか。うちの学校の子か」
 
「2年生です。山下さん、ひとりなんですか?」
「うん。ぶらりと出てきたから。君は?」
「従姉のお姉さんと一緒に来たのですが、知り合いの男の子と遭遇しちゃったので、私遠慮して離れてきたところなんです」
「へー。気配りなんだね」
「はい」
「あ、君の名前を聞いてなかった」
「えっと。。佐理・・・」
「サリちゃん?あ、僕も大季でいいよ」
「あ、はい。大季さん」
 
僕たちは何となくなりゆきでいっしょに歩いていた。
「なんかね。お祭りって小さい頃はよく来ていたのに、ここ数年は全然来てなくて」
「あ、私もです。ここしばらく来てませんでした」
「それでさ、小さい頃に1度事件があって。突然水道管が破裂して」
「あ、覚えてます。何基かの曳山が水浸しになっちゃって大騒ぎ」
「あ、その年、君も来てたんだ」
僕はその話をしながら思い出していた。もしかして、あの時の・・・・・
 
「その時、ちょっと変わった女の子に会ってね。あ、ごめん。他の子のこと話して」
「いえ、いいです」
 
「提灯を燃やしてしまって泣いてたから、僕のをあげたんだ。不思議な雰囲気の子でね。その子とはその後1度も会えずじまい。どこか遠くからたまたま来ていた子だったのかなあ、などとも思ったりもしてた。あれ?なんで僕はこんな話をし始めちゃったんだろう」
 
「ガラスのカラス」
「え!?」
 
「合い言葉・・・」
「じゃ、サリちゃんがあの時の子!?」
 
僕はようやく、その時のことを思い出していた。
 
それは5歳か6歳の頃だった。お祭りに出かける直前に僕の浴衣にヤカンが倒れてびしょ濡れになり使えなくなってしまった。泣いていたら姉が私のおさがりのでもよければ着る?といい、僕は姉のお下がりの女物の浴衣を着て提灯を持ち、お祭りに行った。でも母や姉たちとはぐれてしまいひとりで心細けに歩いていた時、転んで提灯の中のろうそくが倒れ提灯まで燃やしてしまった。その時、ひとりの男の子が『僕のをあげる』と言って自分が持っていた提灯をくれた。
 
その子とは何となく楽しく話をしたのだけど、名前を聞かれても自分の名前を名乗るのが恥ずかしくて誤魔化してしまった。すると「じゃ名前を名乗る代わりに、今度会った時のための合い言葉を決めよう」なんて言った。そこで決めた合い言葉が「ガラスのカラス」だった。
 
「私も小さかったから、あの頃のことはよく覚えてなくて。あの時の男の子が大季さんだったなんて全然気付かなかった」
「あのあと全然会えなかったね」
「ええ」
 
僕はその後今日に至るまで女の子の浴衣でお祭りなど行っていなかったから、会えなかったのは当然である。
 
僕たちは懐かしいねなどといって、あの当時のことなどを語り合った。今年の祭りはもう曳山が全て集結し、中央に大きな松明がともされ、曳山がその周囲を練り歩いていた。祭りはクライマックスに入っていた。
 
話は最近の学校での生活のことにも及んでいた。県大会でのバスケット部の活躍なども話していたら「わあ、あの試合見ててくれんだ」と言われる。「惜しかったですよね。あと1点だったのに」「僕が3ポイント撃てたら追いついていたんだけど」大季は最後にゴールを決めて2点取ったが、そのあと5秒で時間切れになり試合は負けて準優勝に終わったのだった。
 
「でも不思議だなあ」
と突然大季が言い出した。
「どうかしました?」
「僕ホントはね、女の子と話すのあまり得意じゃなくて」
「うそー。あんなにもててるのに」
「うん。言い寄られるし、ラブレターとかも随分もらうんだけど、僕実際には女の子と付き合ったこと無いんだ」
「へー」
もてる人って意外にそうなのかも知れないと僕は思った。
「でもサリちゃんとはあまり抵抗感なく話せる。それが不思議だなと思って」
あはは、それは僕が女の子じゃないからかもね。
「小さい頃に会った時も、よく話がはずんだ気がするな」
「確かにそうかも」
 
祭りがクライマックスになる。燃えさかる松明に数人の男がよじ登り、まわりから大きな掛け声がかかっている。しかしやがてその松明は燃え尽きて、祭りはフィナーレとなった。
 
「すごいですね」
「うん。僕もここまで見たのは初めて。小学生の頃はこんな遅くまで
居られなかったから」
「ええ。私も祭りの最後は初めて見ました」
大季が僕の手をそっと握った。『あ・・・』と僕は心の中で驚くような声を出す。でもそっと握り返した。大季がこちらの顔を覗いている。何か言いたげだ。
 
その時、12時の鐘が鳴った。
 
「あ、ごめんなさい。もう帰らなくちゃ。従姉のおねえさんと待ち合わせしてるから」
「あ、サリちゃん、2年何組だっけ?」
「あ、えっと・・・・そうだ。これあげる」
僕はとっさに左側のイヤリングを外すと、大季に手渡した。
「また」といって僕は走り出した。
「あ、待って」
という大季の声が耳に残った。
 
浴衣の裾が乱れるのも構わず駐車場まで駈けていくと、鳩美はもう車内で待っていた。
「ごめん。待った?」
「ううん。大丈夫よ。帰ろう」
といって僕が乗るとすぐに鳩美は車をスタートさせた。
 
「楽しかった?」と僕は訊く。
「うん。まあね。割と盛り上がった。80点くらい。佐理はどうだった?」
「うん。凄く楽しかった」
「へー。また今度、女の子の服、着せてあげようか?」
「そうだなあ。機会があったら」
「ほほお。ハマったかな?」
 

 
一週間後が登校日だった。その日はホームルームが終わってもみんな久しぶりなのですぐ帰る生徒はおらず、雑談したり中には参考書読んだり単語帳をめくったりしている人もいた。僕も何となく帰りそびれていた時、教室の入口の所に来た人物があった。
 
大季君・・・・
 
僕は恥ずかしくてそちらを見ることができず顔を机の上にうつぶせにした。
 
「え?うちのクラスの女子で『さり』って子?うーんと。いたっけ?」
たまたま入口の近くにいた女子に大季は声を掛けて、『さり』という子がいないか訊いたようであった。訊かれた子が近くにいた別の女子に尋ねるが「女子で?いないよ」と答える。「ほんと?ごめんね」といってどうも次の教室に行ったようだ。
 
あの『サリ』を探しているんだ。きゃー。どうしよう?
 
「バスケット王子と話しちゃったよ」などと声を掛けられた女の子は
はしゃいでいる。
 
僕はしばらく考えていたが、心を決めて立ち上がった。廊下に出る。うちの組は3組だが、大季は今4組でも同じ質問をして、そんな子いないと言われた所のようであった。
 
僕は大季ががっかりした様子で体育館の方に行こうとしていた所で追いついた。
「あの、すみません」
「はい?」
「佐理を探してましたか?」
「うん。君知ってるの?」
「あの・・・これ」
 
僕はペンギンのイヤリングを出した。
「え!?」
と大季は驚いている。
「なぜ君がそれを持っているの?というかなぜイヤリングのことを・・・・ちょっと待って。君、顔をよく見せて」
 
僕は恥ずかしいので少しうつむき加減にしていたが、大季は少しかがむようにして、僕の顔をのぞき込んだ。
 
「まさか・・・君、サリちゃん!?」
 
僕はコクリと頷く。
「ごめんなさい。騙すつもりは無かったんですが、自分の性別のこと、つい言いそびれてしまって」
 
「そっか・・・僕はさっき2年生の教室回って『女子でサリって子』を訊いてまわったから・・・・見つからないはずだ」
「ごめんなさい。私も女の子の浴衣着て祭りに行ったの、あの小さかった時と今年の2回だけで・・・」
「だから、ずっと会えなかったのか。僕は初恋の人に」
「初恋・・・」
「だったよ、あれは僕にとって」
「私ももしかしたら初恋だったかも・・・」
僕はいつしか女言葉になっていた。
 
「じゃ、僕の夢を壊した責任を取ってくれる?」
「はい。私のできることなら何でもします」
「女の子の服、ふだんから着てるんだよね?」
「あ。えっと・・・・」
「ふだんの君の服に着替えて、バスケ部の応援に来てよ」
「着替えてくるのに時間が・・・・」
「9月に大会があるから遅くまで練習してるから」
「はい」
「じゃ、待ってるよ」
大季は手を振って、体育館のほうに行った。僕もつられて手を振った。 ひゃー!女の子の服?ははは。
いそいで教室に戻り、荷物をカバンに詰めて「さよなら」と周囲の同級生に言って学校を出た。
 
いったん家に帰り貯金箱から少しお金を出す。今年はあまり欲しいゲームとかもなくて、お年玉をまだ全然使っていなかったので、8000円もあった。それを持って、ジーパンとTシャツで町に出る。ユニクロに入る。
 
僕はしばらくその付近を何度も通過だけしていたが、やがて「よし」と決意をすると、レディースコーナーに足を踏み入れた。やはり下はスカートだよなあ。。。。ちょっと恥ずかしいけど。上は中学生らしいシンプルなので・・・
 
結局1000円のブラウス、2500円のフレアースカート、それに300円の女の子用のショーツ、1000円のブラジャーを買った。上だけ女物着て下着は男物ってのはないよね。
 
レジに並ぶ時が物凄く恥ずかしかったけど、別に何も言われないのでホッとした。試着室を借りて、僕はその服を身につけてみた。手でいじって髪型を少し変える。鏡に映してみると、けっこう女の子に見える気がした。あ・・・鳩美ねえちゃん、僕の眉を細くカットしてたな・・・・
 
僕は着てきた服を袋にまとめて入れると、スカート姿で試着室を出た。ちょっと恥ずかしい。でもきっと大丈夫、と僕は自分に言い聞かせる。開き直り、開き直り。
 
100円ショップに入って眉毛切りを買った。トイレ(さすがに女子トイレに入る勇気は無いので多目的トイレ)で鏡を見ながら眉をカットしてみた。切った眉毛が顔の下のほうに付着するので僕は顔を洗った。その顔を洗ったので少し顔も引き締まって、より女っぽくなった気がした。よし。
 
まだバスケ部の練習はやっているだろうか・・・・僕はバスに乗って学校に戻った。バスの中で片方のイヤリングを右耳に付けた。体育館に行ってみる。
 
バスケット部の練習はまだ続いていた。少し女の子たちのギャラリーができている。その子たちの集団から少し距離を置いたところで観戦する。小柄な身体で敏捷にコート上を駆け回る大季は僕の目にも格好いい、と思った。バスケット部って夏休み中もずっと練習してるのかな?
 
僕はふとその大季の左耳にペンギンのイヤリングが付いているのに気付いた。その日大季は「これお守りなんだ」と言ってイヤリングをつけてプレイしていたのだが、そこまではその時僕は知らなかった。練習は試合形式でやっていた。華麗にループシュートで得点してこちらに戻ってくる時、一瞬目が合った。僕のほうに向かって笑顔で片手をあげる。反射的に僕も笑顔で手を振った。
 
でもこれでギャラリーの中の数人が僕に気付いた。
「あなたも大季のファン?」その中のひとりが訊く。
「ええ。まあ」「じゃ、こっちで一緒に応援しようよ」というので僕は彼女たちに近づいた。直接知っている子がいませんように・・・・
 
その時ひとりが「あ・・・」と言った。「そのイヤリング」
あはは。気付くか、やはり。
「それ、今日大季がしてるイヤリングと同じのじゃない?もしかして」
「うん。まあ」
「ねえ、大季とはどういう関係?」
「えっと、幼なじみ」
「今の関係は?」
「えー?関係も何も、こないだ久しぶりに会ったばかりだから」
と僕は彼女たちの鋭い視線に堪えながらも笑顔をキープして答える。
 
「でもそのイヤリングは?大季、何かのお守りと言ってたけど」
へー、お守り?と僕は内心思いながらちょっとだけ創作する。
「私がこないだ落としたのを大季さんが拾ってくれたから、そのままお守りにあげたの」
と僕は答えた。すると「わー、私も何か落として拾ってもらいたい」などと彼女たちは言っている。次回観戦に来る時、この子たちいっせいに落ちやすいイヤリングとかブレスレットとか付けてくるのでは?などと僕は思った。
 
とりあえず僕が恋人というほどの存在ではないようだと判断して彼女たちは安心したようだが、僕はまだ大季の気持ちを測りかねていた。
 
1時間ほど観戦していたら練習は終わった。終わりのミーティングの前にギャラリーは追い出されてしまったが、僕は「あ、忘れ物」といってファンの子たちの集団から離脱すると、体育館を出てすぐの所に置いてあるベンチに座って待った。さっきの練習で華麗に疾走する大季の姿が頭の中に浮かんでいた。格好いいなあ。
 
やがてバスケット部の部員たちが出てくる。僕は立ち上がった。
「やあ」
「お疲れ様でした」
「たぶん待ってくれてると思った」
 
僕と大季が見つめ合っているので、一緒にいたバスケ部員たちが
「先に行くぞ、大季」と言って行ってしまう。
 
「あ、歩きながら話そうか」
「はい」
 
「イヤリング付けててくれたんですね」
「これ、お守りにしたいんだ。もらっていい?」
「ええ。ファンの子たちから、大季さんがお守りと言ってたと聞いたので、私が落としたのを大季さんが拾ってくれて、それでそのままお守りとしてあげた、というストーリーを捏造しておきました」
「あはは。じゃ、僕もそういうことにしておくよ」
「私もこれ付けて応援してていいですか?」
「うん。お願い」
 
なんかこないだの時より自然に『私』という一人称が使える気がした。スカートなんて穿いているせいだろうか。
 
「夏休み中もずっと練習してるんだ。時々でいいから応援しにきてくれる?」
「はい。大会は日曜ですか?」
「地区大会が9月の第二土日にあって、次の週の土日が県大会」
「応援に行きます」
「それで優勝したら聞いて欲しいお願いがあるんだけど」
「何だろう・・・でも優勝できるよう祈ってますね」
「ありがとう」
 
そんなことやこないだの祭りのことなど話している内に校門の所まで来てしまった。僕たちは何となく校門の手前で立ち止まり、けっこうな時間立ち話をしていたが、やがて先生が来て「おーい、もう閉めるぞ」という。僕らは校門を出て、がらがらと扉が閉められるのを見ていた。
 
「サリちゃん、どっち?」
「こっち」と右手を指す。
「僕はこっちなんだ」と左手を指す。
「じゃ、また来ます」
「うん」
大季が手を差し出す。僕はその手を取る。大季が僕の手をしっかり握った。大季が笑顔で手を振って別れる。
僕はよく女の子がやるように首をかしげててのひらだけを動かす感じでバイバイをして別れた。
 
しかし何度も応援に来るとなると、替えの服はどうしよう・・お小遣いもそうたくさんある訳ではない。それに洗濯とかをどうするか・・・
 
翌日僕は鳩美に電話してみた。そちらのアパートに行って相談したいことがあるといったら今日はいつでもいいよというので、僕は家を出てから途中で昨日着た女の子の服にチェンジして鳩美のアパートに行った。
 
鳩美は僕が女装で来たのにびっくりしたようだったが、ぼくが状況をかいつまんで説明すると、変に茶化したりせず、まじめに話を聞いてくれた。
 
「そうか。佐理もいよいよ女装に目覚めたか。私は佐理って、もともとそういう傾向というか素質というか、あると思ってたよ」
「えー!そう?」
「性格的に女性的な面あると思ったことなかった?」
「あまり意識したことないけど」
 
「女の子の服は私が少し買ってあげるよ。私の服で中学生でも着られそうなのも少し譲るし」
「ありがとう」
「洗濯も私が引け受ける。あと着替えするのにも場所に困るでしょ」
「うん。この格好には途中の駅の多目的トイレ使って着替えたけど」
「うちに来て着替えていいよ。そうだ、佐理用に小さなタンス用意してあげる」
「ありがとう。すごく助かるかも」
 
「でもさ・・・・」
「なあに?」
「佐理、女の子の仕草とか、ちょっとした行動パターンとか、覚えたほうがいいね。女の子レッスンかな」
女の子レッスン!?はは。
 
「佐理、一緒にちょっと外出しよ。下着とかの替えがまずは必要だから少し買ってあげるし。佐理の仕草とかもチェックできるし」
「うん」
「そうだ。服のサイズをまず確認しないとね。ちょっと寸法計らせて」
といわれて僕はからだのあちこちにメジャーを当てられた。
「アンダーバストは78。A75でいいかなあ。ウェストは・・67、ヒップは・・・92あるね。あんた完璧に女の子体型」
「え?そうなの?」
「むしろ男物のズボンが合わないんじゃない?今度から普段でもレディース穿きなよ」
 
鳩美は僕と一緒に外出するとまずは歩き方から、視線のつかいかた、話す時の姿勢などなどいろんな点を注意された。
「こういうのはふつうの女の子だと、小さい頃から少しずつ注意されて身についていくのだけど、佐理の場合、今からそのやり直しね」
 
スーパーの下着コーナーに行く。鳩美はA75のブラを2枚、ショーツはMサイズで3枚1000円のを2セット。それにガードル2枚とブラパッドを買ってくれた。
「これをブラカップの中に入れておくといいよ」
「うん」
「それとガードルしておかないと、万一女の子にあのあたり触られた時もろに男の子の形が相手に分かっちゃうから」
「そっか」
そのあとアウターのコーナーに移動して、少し制服っぽいチェックのスカートに可愛いピンクのスカート、ブラウス、Tシャツ、カットソーなどを買ってくれた。
 
「ごめんなさい。たくさんお金使わせちゃって」
「ううん。私もなんか楽しいから。お金は出世払いにしておくね」
「うん」
僕はそういうわけで、そのあと週に3回くらい鳩美の家で女の子の服に着替えては学校に大季の応援に行った。だいたい午前中に鳩美の家で着替えて少し「女の子レッスン」を受けてから、午後に練習の応援に行くパターンだった。応援に行くとき、イヤリングは付けてはいなくてもいつもバッグに入れていた。
 
一緒に応援している子たちとは仲良くなったが、みんな僕をよその学校の生徒と思っている感じであった。そのほうがこちらとしては都合がいい。同じ学校の生徒と思われたら何年何組かと聞かれるだろうし、そしたら僕の正体がばれてしまう。練習が終わった後は僕だけ残って大季が帰るのを待ち、校門までの束の間のデートを楽しんだり、時には校内のあまり目立たない所で座って少し長めの会話をしたりした。僕が個人的に大季とけっこう話しているようだというのはファンクラブの子たちに気付かれたが、容認してくれている感じだった。
 
「でも大季、私をふつうの女の子みたいに扱ってくれるよね」
僕たちはいつしかお互い呼び捨て・敬語無しで話すようになっていた。
 
「僕、女装には理解あるつもり。僕自身、小2頃まで母の趣味でやらされてたから」
「えー!?」
「休日にスカート穿かされて遊園地なんかに行った記憶が残ってるよ」
「うそみたい」
「僕もわりとおとなしい性格だったし、背も低いから、友達に女みたいとからかわれてた。それでなにくそと思って、バスケット始めたんだよね。結果的には僕は女の子になる素質無かったんだろうなあ。サリは素質があるというか、元々女の子という感じだよね。すごくそういう格好が似合ってるし」
 
あれ?なんか僕って、いつの間にか『女の子になりたい男の子』という設定になっちゃってる?あはは。いや、こんな格好してたらそう思われて当然か?そのうちなりゆきで性転換しちゃったりして?でも、大季自身にそんな経験があったから、僕が男の子と分かっても怒ったりしなかったのかな・・・。
 
新学期が始まると、さすがに校内で女の子の服に着替えたりするのは困難なので僕は学生服やジャージのまま体育館に行って何か他の用事をするかのようなふりをして短時間だけ練習を観ては心の中で応援していた。ファンクラブの子達には近づかないように気をつけていた。最初の土日は女の子服で学校に行きファンクラブの子たちと一緒に応援した。
 
地区大会も土日なので、ふつうに女の子の服で右耳のイヤリングを付けて応援に行った。チームは順当に勝ち進んで優勝し、県大会に駒を進めた。僕は大季のファンクラブの子たちと手を取り合って喜んだ。
 
そして翌週の県大会。この日は学校全体で応援しようということになり、僕は学生服のまま現地に行く羽目になった。1日目順調に勝ち進んでいく。チームはベスト4に進出して明日の準決勝となる。この日は朝早く出たため女の子服を用意できなかった。
 
2日目僕は着替えをリュックに入れたまま学生服で応援に出かけた。会場は熱狂の中にあるので、ひとりひとりの行動はあまりチェックされていない。僕はそっと集団から抜け出すと多目的トイレに入って女の子の服に着替え、右耳イヤリングを付けた。着て来た学生服をリュックに入れて会場に戻る。今日の服はちょっと制服っぽい雰囲気の服だ。下着は家を出る時から実は女の子下着を身につけていた。
 
客席に行くと、ちょうどファンクラブの子のひとりと目が合った。
「こちらにおいでよ。ちょうど今からだよ」というので、その子の隣に座る。
 
準決勝の相手は春の大会で決勝で当たった学校だった。息詰まる攻防が続き、得点もシーソーゲームだった。僕は隣の子と一緒に声援を送り、手を前で組んで目をつぶり必死で祈ったりしていた。2点リードされて残り10秒を切った。相手チームのシュートを大季がブロックし、こぼれ球を拾った味方プレイヤーから大季がボールを受け取ると、そのままドリブルで走り出す。行けー!と僕は心の中で叫んでいた。相手チームのガードと一瞬対峙する。しかし大季は小さいフェイントのあと相手の脇をかいくぐって敵陣に突き進んだ。相手チームの背番号4の大柄な選手が立ちふさがっている。大季はその前であたかもドリブルで右を抜くような動作を見せ、相手がそれを停めようと横に身体を伸ばした瞬間、腰をかがめ押し出すように高いシュートを放った。
 
会場の全員がそのボールの軌道に注目した。
 
ボールはきれいな弧を描き、バックポードにも当たらず、そのままネットを通過する。
 
審判のスリーポイントゴールの笛が鳴る。逆転!そしてそのすぐ後、相手チームが反攻を始めようと最初のパスを出したところで試合終了の笛が鳴った。劇的な逆転勝利だった。
 
僕はとなりの子と手を取り合い抱き合って喜んだ。両チームが整列し、審判がうちの学校のチームの勝利を告げる。挨拶をしてからチームは観客席のほうに手を振って声援に応えた。一瞬僕は大季と目が合った。その時大季はショートパンツのポケットから何かを取り出して僕のほうに見せてすぐしまった。イヤリングだった。持っててくれたんだ。。。。。僕は胸が熱くなった。
 
女子の決勝をはさんで1時間後におこなわれた男子決勝戦はワンサイドゲームになり大季のチームは大差で試合を制した。大きな歓声があがり、僕は隣の子と手を取り合い、みんなといっしょに選手たちに拍手を送った。また大季と目があうと、大季は僕のほうに向かってウィンクした。僕は笑顔で応えた。
 
翌日は学校に行っても昨日の余韻が残っている感じだったが、昼休みに大季が僕のクラスの入口の所に来て僕のほうを見た。僕が出て行くと「これ」と言って手紙を渡された。大季はすぐに行ってしまった。
 
近くにいた女子たちから「何何?」ときかれる。「あれ、そういえぱこないだ王子様、サリって女の子を捜してたけどあんたサリよね。女の子じゃないけど」
僕は手紙はすぐにポケットに入れ、その場は適当に誤魔化して、授業中にそっと大季の手紙を読んだ。
 
「今度の土曜日。昼11時。中央公園。噴水」
と書かれていた。中央公園は例のお祭りの会場になった所だ。そして噴水は・・・小さい頃に大季と出会った場所だ。
 
僕は土曜日、朝から鳩美の家にいくとできるだけ可愛い服に着替えて、右耳にイヤリングをし、10時50分に中央公園の噴水に行った。大季はもう来ていた。左耳にイヤリングをしている。
 
「ごめん。待った?」
「ううん。僕も今来たところ。そもそも約束時間より前だし」
と笑顔で言う。
「ここで座って話そう」というので、ふたりで噴水の縁に腰掛けて話をした。
 
「優勝おめでとう」
「ありがとう」
「お守り、少しは役にたった?」
「うん。心強かったよ。ずっとショートパンツのポケットに入れてたんだ」
 
僕たちは先週の試合のことをたくさん話した。大季はとても饒舌だった。
「僕はそれまで1度もスリーポイント撃ってなかったから向こうも無警戒だったね。だから絶対決めてやろうと思って。夏休み中も毎日300本スリーポイント練習してたんだよ」「すごーい。努力の成果だったのね」
 
中3の最後の大会で優勝できたことが大季を高揚させている感じだった。この試合で3年生は引退で、キャプテンも2年生の子に譲ってきたと言っていた。
 
「それで大季ファンクラブも解散なのよね。先週の試合の後で、私もミスドで優勝祝賀兼ファンクラブ解散パーティーに参加してきたの」
「うん。代表の子から記念品もらった。いやありがたいのか何なのか・・・・」
と大季は照れている。
「パーティーの最後に私『頑張ってね』と言われたけど、どういう意味かな」
「えっと、それは・・・」
僕はこの時、ほんとに無自覚だった。後から考えてみたら意味は明確だったのに。
 
「それでね、夏休みに言ってた話で」
「あ。優勝したら何か聞いて欲しいということだったよね」
「うん」
「何だろう?」
と僕は若干の不安な気持ちを抑えながら笑顔で尋ねた。
 
「サリさ、正式に僕の彼女になってくれないかな?」
 
「え!?」
僕はまさか自分の性別を知った上でそんなことを言われるとは夢にも思っていなかったので、本当に驚きの声をあげた。
「だって私の中身の性別は・・・・」
 
「僕はサリの中身の性別は女の子だと思う」と大季は言った。
 
「確かにその女の子の服の下に男の子の身体があるのかも知れないけど、そのまた中身、サリの内面は女の子だよ」
あれ?そんなこと鳩美にも言われた気がする・・・・
 
「それに、サリって、女の子の服着てると、自然に女の子に見えちゃうし、こうやって会話していても、僕はふつうに女の子と会話している感覚だし。えっとね。最初お祭りで話した頃はふつうの女の子より楽に話せる気がしていたんだけど、ここ何度かサリと話しているとき、実は僕、他の女の子と話している時と同じくらいの緊張をしてるんだよ」
「え?そう。ごめーん」
「たぶん、サリ、急速に女の子らしさが増してるんじゃないかな、最近」
 
あ、それはそうかもと僕は思った。最初とても恥ずかしかった女装をこのところむしろ自分にとって自然なものとして受け入れていた。女言葉もふつうに口から出てくるので、学生服を着ている時でもうっかり女言葉が出そうになることがある。
 
「けっこう緊張はするけど、サリだからたくさん話せるんだよね。それって結局相性がいいってことかなと思うんだ」
「私も大季と話している時、とっても楽しい」
 
「ありがとう。だから、僕はサリを女の子だと思ってるから交際したいんだ。僕もしばらくは受験勉強であまりデートとかする時間取れないとは思うけど、電話して話したりお手紙やりとりしたりとかはできるかなと思って」
 
あ、そのくらいならいいかなと僕は思った。
 
「電話したりお手紙書くくらいなら」
「じゃ、僕たちの交際成立、ね」
 
「うん」
僕は笑顔で答えた。
 
その時、公園の時計から12時のチャイムが鳴った。「ビビディ・バビディ・ブー」
のメロディーだ。
 
「12時だけど消えたりしないよね?」と大季が言った。
「うん。お昼の12時だし」
 
そういえば「ビビディ・バビディ・ブー」って「シンデレラ」の曲だったよな、と僕は思った。
 
「じゃサリが消えないなら、一緒にドーナツでも食べに行こうか」
「うん」
僕たちは見つめ合い、やがておそるおそる手を取りあう。そしてちょっと幸せな気分になって、公園を出て商店街のほうに一緒に手をつないで歩いて行った。心の中に「ビビディ・バビディ・ブー」という変身の魔法の呪文が鳴り響いていた。
 
変身は一時的なものかもしれないけど、その魔法でシンデレラの運命が変わったように、僕も浴衣を着て女の子に変身してお祭りに行ったあの日に自分の生き方が変わっちゃったのかも知れないなという気がしていた。
 
目次

【12時になったら】(1)