【赤と青】(1)

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15年ほど前に、極めて偶発的な戦闘から始まった、隣国との戦争は次第に泥沼化しつつあった。毎日おびただしい戦死者が報告されていたが、戦死した者の遺族には手厚い年金が支給されるし、英雄として称えられていた。兵士が沢山必要なので、召集令状は毎月大量に発行されていたし、男子は16歳になると全員軍事教練を受け、18歳から22歳までの間兵役に就く義務があった。
 
その4年間の兵役での戦死確率が2割ほどあるため、子供を失いたくない親たちは産み分けで女の子を多く産むようになった。そこで政府は男の子を多く生ませるため、男の子は小中学校、軍事教練を受けながら通う高校、そして兵役が終了してから通う大学の授業料を無料とし、逆に女子の場合はそれまでの倍の金額を徴収するようになった。
 
ところがこの制度が導入されて以来、実は女の子なのに授業料を無料にするため男の子と偽って就学させる親が続出した。そこでその子が本当に男の子なのかどうかを検査する必要が出て来た。また男子の中で特に優秀と認められた者には奨学金を支給することになり、それにも検査結果が利用されることとなった。
 
この検査は小学1年から中学2年までの男子生徒に義務付けられ、毎年4月と10月の2回行われた。この検査は正式には「性別性力検査」と言ったのだが、俗に「おちんちん検査」と呼ばれていた。
 
ボクが最初に検査を受けたのは小学校に入ってすぐであった。小学1年生での検査は極めて単純である。おちんちんが付いているかどうかだけをチェックする。ただし、実は女の子なのに偽のおちんちんをくっつけてきて誤魔化そうとする者がいるため、そのおちんちんはけっこう厳密にチェックされた。
 
ボクらは検査室に入ると全員服を脱ぐように言われた。上着もズボンもシャツもブリーフも脱いで、名簿順に並ぶ。自分のおちんちんを自慢げに見せている子もいるが、ボクは恥ずかしくて消え入りそうな顔をしていた。
 
ひとりずつ検査され、やがてボクの番になったが、そんなボクの態度が不審に思われてしまったようで、いきなり「お前、本当に男か?」などと言われた。
 
「はい」と恥ずかしそうに答えるが、その答え方でますます怪しまれる。「お前、本当は女だろう?」などと言われたが「違います。男です」とボクは答えた。
 
しかし怪しまれてしまったので、ボクの検査はかなり厳しいものになってしまった。おちんちんを掴まれ、無理矢理剥かれ、引っ張られたり、ねじられたり、しごかれたりした。ふつうの子ならそんなに刺激されると大きくなるらしいのだが、ボクはとにかく痛いので、大きくなるどころじゃなかった。しかし大きくならないことで、ますます偽物ではと疑われた。玉をぎゅっと握られた時は声も出せないくらい苦しくなってうずくまってしまった。結局ボクは「要精密検査」
などと書類に書かれ、その日は取り敢えず女子クラスに放り込まれてしまった。トイレも女子トイレを使えと言われたが、恥ずかしいので家に帰るまでずっと我慢していた。こういう子があと4人いた。
 
翌日お母さんに連れられて行った病院では、様々な機器で身体を調べられた。お医者さんからもおちんちんを引っ張ったり揉まれたりした。おちんちんの皮膚を一部切り取られてその組織検査までされた。1日掛かりの検査で、ようやくボクは「男児である確率が高い」などという曖昧さの残る診断書をもらい、とりあえずは男の子として認められた。
 
この年、ボクたちの学年には約80名の男子が入学したが(女子は約40名。この時期は男女の出生比率が7:3くらいだった)、ボクを含めて5人が精密検査にまわされ、その内1人は「間違いなく女子」と言われて、正式に女子クラスに移動された。彼女はローラと言ってずっと後から聞いたのでは「パレちゃった」
と本人も言っていたらしいので、ほんとの女の子だったようだ。
 
ボクを含めた他の4人は「男児である確率が高い」とか「男児と思われる」とか「どちらかというと男児のようだ」とか「女児ではないようである」などと、みんな曖昧な判定ながらも、一応男子クラスに戻された。ボク以外のそんな3人はユーリ、ポール、キャロルである。彼らとはお互い持っている雰囲気が近かったので、けっこう仲良くなった。
 
10月にもおちんちん検査が再度行われた。4月の検査ではおちんちんが有るか無いかだけの検査だったが、1年生の10月の検査は長さが調べられる。長さが2cm未満であった場合、実はそれはクリトリスで少し大きくなっているだけではないかと疑われ、徹底的な精密検査をされることになる。精密検査は1ヶ月ほどにわたって行われ、その間は、赤クラスという特別クラスに入れられて、普通の男子クラスとは少し違う内容の授業を受ける。
 
ふつうの男子クラスの子には基本的に優秀な兵隊さんになるための教育が小学1年生から行われるのだが、赤クラスの1年生は実質女子クラスと同等の授業が行われるのである。ボクたちの学年の中で2人(前期もひっかかったキャロルとポール)がこの検査に引っかかり赤クラス行きとなった。しかし2人とも徹底的な精密検査の結果、やはり男の子のようであると判定され1ヶ月で男子クラスに復帰した。
 
ボクは最初測定された時に1.9cmと言われ、赤クラスですねと言われたのだが、うしろにいたサミュエル君が「もう1度計ってあげて」と言ったので、再度計ってもらったら2.0cmとされ、ギリギリで赤クラス行きを免れた。ボクは彼に「ありがとう」と言ったが、内心、赤クラスの授業内容にも少し関心を持った。
 

2年生と3年生ではおちんちんの通常時のサイズだけではなく、勃起能力も検査される。通常時のサイズが2年生では2.3cm, 3年生では2.5cm未満である場合、また勃起した時のサイズが2年生で6cm, 3年生で7cm 無いと特別学級行きとなる。
 
特別学級は1年生の場合は赤クラスだけだったが、2年生では赤クラス、青クラスの2種類が設置されている。
 
青クラスは男子クラスに早く復帰したい子たちのためのクラスである。おちんちんの短い子にはしばしば肥満の子がいるので、このクラスに入ると、まず体重を落とすため食事制限と毎日の運動が義務づけられる。毎日体育の時間が2時間あって、徹底的に運動させられる。給食の量が他のクラスの半分だし、家で食べる食事もきちんとカロリーレポートをしなければならない。また毎日真空吸引器でおちんちんを引き延ばすことが行われる。学校にいる間はずっと、吸引器を取り付けておかなければならない。また男の子としての心を鍛えるため、ふつうの男子クラスよりかなり厳しい教育が行われる。男子クラスはだいたい日に3回は教師から殴られると言われていたが、青クラスでは10回は殴られるという噂だった。
 
赤クラスは男の子としての落ちこぼれ組のためのクラスである。男の子として鍛えられるのが嫌だという子はこちらに入れられ、2年生以上の赤クラスの子は女の子の服を着て、女子クラスと同じ授業を受けるし、名前も女の子の名前を付けられ、御丁寧に学生証まで女の子用の赤い学生証が渡される。赤クラスは元々「女の子の服を着せて恥ずかしい目にあわせて(いわゆるペティコート罰のようなもの)男の子に戻りたいという気持ちを起こさせよう」という趣旨だったらしいが、いつしかむしろ女の子になるための教育が行われるようになっていた。
 
青クラスは毎月再度おちんちん検査を受け、合格すると男子クラスに復帰することができる。しかし赤クラスは半年後の検査までそのまま赤クラスに留められることになる。
 
そしてボクは2年生の4月の検査で落ちてしまった。ボクのおちんちんは2.1cmしかなく、基準に足りなかった。勃起させても4.8cmでこれも全然足りなかった。ボクは先生から赤クラスか青クラスかを選ぶように言われた。親は当然青クラスと思っていたようだったが、ボクは青クラスは嫌だと言った。
 
「じゃ、お前、赤クラスに行って、女の子の格好をするとでもいうのかい?」
「だって青クラス、とてもきつそうなんだもん。ボクとても付いていけない」
 
青クラスに入れられた子で、教師が見てこれは無理だと思った子は途中からでも赤クラスに移動させられてしまう。ボクはどっちみち青クラスに入れられても数日で赤クラス行きになると思うし、どうせなら最初からちゃんと赤クラスを希望して入りたいと言った。お父さんはちょっと不満そうだったけど、お母さんは「たしかにお前、あまり体力とか無いもんね」と理解を示してくれた。
 

そういう訳で、ボクは本名のフェリックスを少し変形させてフェリシアという名前でしばらく学校に通うことになった。フェリシア名の学生証も渡された。男の子の学生証は裏が黒く鉄製だが、女の子の学生証は裏は赤くプラスチック製である。その赤い学生証を渡された瞬間、自分は去勢されたような気がした。
 
お母さんが女の子の服と下着を買ってきてくれた。
「男の子の服も下着も着たら違反らしいから、しばらく押し入れにしまっておくね」
「うん」
「トイレも女の子トイレを使わないといけないらしいから、女の子の服に着替える前に、最後に立っておしっこしておいで」
「うん。行ってくる」
 
ボクはトイレの小の方のドアを開けると、立ったままおしっこをした。小のトイレを使うのも、立っておしっこするのも、これから半年はお預けだ。
 
部屋に戻るとお母さんが
「じゃ、フェリシア、お前はこれから女の子だからね」と言った。
「うん」
 
ボクは服を全部脱ぐように言われた。脱いだ服は洗濯カゴに放り込まれた。でもそれを次着ることができるのは早くても半年後だ。
 
真新しい女の子用のショーツを穿く。ショーツはブリーフに比べてピッタリしていて、これはこれで気持ちいい気もする。でもおちんちんがあるので前が盛り上がってしまった。
 
「あ、そうか。おちんちんは下に向けないといけないんだって」
と言ってお母さんが手で押し込んでくれた。するとショーツの盛り上がりがなくなった。ボクはほんとに女の子になってしまった気がした。
 
上にはシャツに似ているけどレースなどが付いている下着を付ける。シュミーズというのだと教えられた。それからスカートを穿く。なんかドキドキする。実はスカートはちょっと穿いてみたい気がしていた。
 
最初はお母さんが穿かせてくれて、自分でホックを留めファスナーを上げるように言われた。でもなんか物凄く頼りない感じだ。こんなのを女の子はいつも穿いているのか。そして上着を着る。男の子の上着と似てるけど、ボタンの付き方が逆だ。ボクはちょっとボタンを留めるのに苦労した。
「すぐ慣れるよ」
「うん」
 
その日の晩ご飯は、豚肉のフィカレチアという料理だった。これは家に女の子が生まれた時にお祝いに食べる料理なのだが、赤クラスに入ることになった子の家でもこの料理を作るのが習慣になっている。
 
それからその日からボクは家の中のことを色々手伝わされるようになった。まず御飯のあと食器を片付けて洗って片付けてとか、洗濯をしてそれを干してとか、それから裁縫とか繕い物とかも教えられた。赤クラスの子は家の中でも女の子として教育され、躾されることになっている。
 

翌日、初めて女の子の服を着て登校していくのはちょっとだけ恥ずかしい気分だったけど、恥ずかしがっても仕方ないので、開き直ることにした。幼なじみの女の子のエミリーが声を掛けてきた。
「赤クラスになったの?」
「うん。しばらく女の子見習い。名前はフェリシアになったんだ。いろいろ女の子のこと教えて」
「いいよ」
 
学校の中で、基本的に女の子と男の子は話をしてはいけないことになっているのだが、赤クラスの子は女の子扱いなので、女の子と話をすることができる。(男の子とは話ができない)エミリーと話したのは小学校に入る前が最後だったので1年ぶりの会話だった。小学校に入る前はけっこう仲良かったのに。
 
赤クラスはその年5名だった。1年前期に女の子ではと疑われて1日だけ女子クラスに放り込まれた4人は全員来ていて「あ、あんたもやっぱりこっちに来たのね」
などと言い合った。ボク以外の3人はカロライン(男子名:キャロル)、ポーラ(男子名:ポール)、ウララ(男子名:ユーリ)である。ボクを含めて4人とも女の子の服を何となく着こなしていた。
 
もう1人の赤クラスの子は、アレクサンドラ(男子名:アレキサンドル)といった。彼女も凄く可愛くて、物凄く女の子の服が似合っていた。でも彼女はこんな格好するの初めてで恥ずかしいと言って、うつむいていた。ボクたちはウララに「可愛いじゃん」「一緒に女の子しようね」などと言って元気づけてあげた。ボクたちはすぐに仲良しになれた。
 
休み時間、ボクはトイレに行きたくなった。ボクはうっかり今までの習慣で男子トイレに入りそうになったが「あんたはこっち」といって、ちょうど近くにいたエミリーに腕をつかまれ、女子トイレに連れ込まれた。
 
「ごめーん。うっかりしてた」
「慣れるまでは戸惑うかも知れないけど、フェリシアは女の子向きだと思うもん。頑張ろうね」
「うん。ありがとう」
 
女子トイレは男子トイレと違って、順番待ちの列ができている。チャック下げて、おちんちん出して、さっとできる男の子と違って、パンティ下げて、便器に座って出した後をきちんと拭いて、などとやる女の子は時間がかかるし、個室の出入りもあるから、どうしても列ができるんだと教えられた。
 
「昨日は随分女の子として座ってトイレをする練習をさせられた」
「大変だよね。突然女の子になったら。でも慣れたらふつうにできるようになるからね」
「うん。おしっこした後を拭くのとか、そんなことするの知らなかったから変な気分だった」
「うふふ。女の子は清潔にしておかないといけないから」
 
半月後、青クラスから1人の子が強制的に赤クラスに移動されてきた。
「ヘンリー君?赤クラスに来たの?仲良くしようね」
などと言ったが、彼は泣いていた。
「嫌だよお、女の子の格好なんかしたくないのに」
「女の子の格好も可愛くていいと思うよ。名前は何になったの?」
「ヘンリエッタって言われた」
 
「じゃ、ヘンリエッタちゃん、よろしく」
「ヘンリエッタちゃん、可愛いじゃん。素敵な女の子になれるよ」
 
ヘンリエッタが落ち着いて(諦めて?)女の子として振る舞うようになるまで3〜4日掛かった。
 

赤クラスは体育の授業も男子クラスとは全然違っていた。基本的に女子クラスと合同授業になるが、男子クラスがレスリングとか、綱引きとか、棒登りとかさせられているのに対して、女子クラスはリズム運動とか、鬼ごっことか、マット運動や平均台とかをしていた。ボクは去年男子クラスで結構激しい運動をさせられて、いつもうまくできずに殴られてばかりだったので、今年の女子クラスでの体育は自分の体力でも無理なくできて、とても快適に感じた。
 
また女子クラスでは男子クラスに無かった、裁縫の時間があった。ふつうの女の子たちは1年生の時からしているが、赤クラスは初めての子も多いので、最初の1ヶ月針や道具の使い方をしっかりたたき込まれた。2ヶ月目から女子クラスと合同授業になった。ボクたちは4枚剥ぎのゴアード・スカートを作り、それを自分で穿いた。
 
ボクはけっこう裁縫が好きで、うまく縫うことができた。それを見てエミリーが「縫い目がきれーい。フェリーは良いお嫁さんになれるね」などと言った。お嫁さんか・・・ボクその内お嫁さんになっちゃうのかな・・・不思議な気がした。
 
6月には遠足があった。1年生の時は男子クラスだったので、軍事工場見学だったが、今年は赤クラスなので、女子生徒と一緒に、植物園に行き、いろいろなお花を見て、スケッチなどもした。何だか楽しい体験であった。
 
お花畑でみんなで座って食べたお弁当はとても美味しかったし、植物園の人から花の髪飾りを付けてもらった時は、何か嬉しかった。エミリーが「ほんとフェリーはそういうの似合うよね」と言っていた。ボクがその髪飾りをつけたまま家に帰ると、お母さんも「わあ、可愛い」などと言ってくれた。お父さんも一瞬ニコっとしてこちらを見た。
 
夏になると水泳の授業があった。昨年は男子クラスだったからパンツの所だけを覆う男子用水着を着たのだが、今年は赤クラスで女子と一緒の授業だし、上半身まで覆う女子用水着を着た。おちんちんは目立たないようにアンダーショーツでしっかりと押さえた。
 
お母さんに女子用水着を買ってきてもらって、最初家の中で試着し、鏡に映してみた時は、身体のラインがきれいに出ているのに、お股の所はすっきりしているので、あっこれ結構好きかもと思った。
 
「こうしてみてると、ほんとの女の子になったみたい」
などとお母さんも言っていた。
「おちんちん付いてないみたいに見えるもんね。でもほんとに無くなっちゃったりしないかなあ」
などとボクが言うと、「もう、おちんちん切っちゃう?」などとお母さんが笑って言う。
 
ボクはドキっとした。おちんちん切られたら、ほんとに女の子になれる。「おちんちん切りたい」とボクは言ったが、お母さんは少し考える風にしてから「そうね。お前は切っちゃってもいいかもね。でも、もう少し待とうか」と言った。
 

2年生の10月のおちんちん検査の日が来た。ボクはもちろんまた不合格で続けて赤クラスだろうと思ったのに、その年の秋から法律が変わって基準が改定された。
 
それまで2年生は通常時に2.3cm, 勃起時に6cm 必要だったのだが、秋の検査から2.2cm/5cmでよいことにされた。ボクの検査は2.2cm/5.1cm でギリギリでパスしたしまった。そこで2年生の後半、ボクは男子クラスに戻された。お父さんは喜んでいたが、お母さんは複雑な表情をした。ボクはこの半年「娘」として振る舞い、けっこうお母さんと母娘として良好な関係を持っていた。でも息子に戻ってしまうと、何となく微妙なことになってしまう。ボクはまた親友のエミリーと話をすることができなくなってしまうのも辛い気分だった。
 
この2年生後期の検査は前期の検査より基準が緩かったので、前期に男子クラスにいた子はだいたいそのまま男子クラスにいたが、1人だけ、ヴィクトリア(男子名:ヴィクトル)が不合格になって赤クラスに行った。ボクは男子クラスに来てしまったので彼女とは話せなかったが、風の噂によれば、たぶん事故か何かに遭って怪我した時に、勃起させる神経が傷ついて、あまり立たなくなり不合格になったのではないか、ということだった。
 
しかし、それから半年間の男子クラスでの生活は凄く辛いものがあった。体育ではほんとに辛くて、みんなに付いて行けず、その度に体育教師から殴られていた。また今戦争をしている隣国の悪口をたくさん唱えさせられた。こんな授業は女子のほうにはなかったのに。こんなの嫌だ−。女の子に戻りたい。そんな気持ちでいっぱいだった。
 

3年生の4月。3年生の基準は去年までは2.5cm/7cmだったが、今年の基準は2.3cm/6cmである。ボクのおちんちんは通常時は2.4cmで基準をクリアしていたが勃起時が5.6cmしか無かったので不合格となった。ボクは赤クラスに行くことになった。
 
半年ぶりに女の子の格好をすると、自分にとてもなじんだ気がした。ボクはやはりこっちがいいな、と本気で思った。エミリーともまた仲良くすることができたし、お母さんともまたよく話ができるようになった。半年間していなかった、料理とか裁縫とかも、またするようになったが、料理や裁縫の楽しみを覚えてしまったのでそれができることが嬉しかった。
 
3年生前半の赤クラスは10人だった。2年生前半は6人、後半は4人だったらしいがそれから倍増である。2年生の前半で赤クラスにいて、後半ボクと同様に男子クラスに戻されていたアレクサンドラは3年生前半ではボクと同様、赤クラスに戻った。ボクも彼女もどうもおちんちんサイズのボーダーラインにいるようだった。
 
もうひとりの赤クラス復帰組はヘンリエッタだった。彼女は元々女の子にはなりたくない、などと言っていたので2年後期に男子クラスに行くことができて本人はとても嬉しがっており、男子としてかなり活発な生活をしていたようであったが3年生4月の検査では勃起時の長さが5.9cmで1mm足りず、赤クラスになってしまった。
 
彼女の場合、一度青クラスで落第して強制的に赤クラスに移動された経歴があるため、青クラスに再度入ることはできず、不合格だと自動的に赤クラスに編入されてしまう。こちらに来た時はまたしばらく「女の子なんて嫌だ嫌だ」と泣いていたが「それだけ泣き虫なら、女の子向きだよ」などと、ずっと赤クラスにいるウララなどから言われていた。ヘンリエッタが落ち着いて女の子として暮らし始めるまで、今年は1ヶ月近く掛かった。
 
3年生で初めて赤クラスに来た3人(マルチナ・カーミラ・ロベルタ)は最初初めての女の子の格好に戸惑っていたが、わりと早く順応してしまった。彼女らはみんな元々女性的な性格で、これまでの男子クラスでの授業が辛かったと言っていた。赤クラスに来てから半月もすると「もう男子クラスには戻りたくない」
なんて言い出したが、ボクも同感だった。
 

3年生の後半のおちんちん検査を前に、ボクたち赤クラスの生徒は1ヶ月半前に事前検査を受けさせられた。全員3年生の基準をクリアしていなかった。すると全員に特別おちんちん強化訓練が施された。これは3年生前半の赤クラスの生徒に義務づけられていることで、拒否することはできない。
 
ボクたちは毎日真空吸引器でおちんちんを強制的に伸ばされ、またタマタマの機能を強化するために、タマタマの所に氷のバッグを取り付けられた。また、男の子の気持ちが強くなる効果があるとされる音楽をずっと聴かされた。
 
その結果、ボクのおちんちんは2.6cm/7cmまで成長してしまった。それでボクは3年生の後半は男子クラス行きになってしまった。10人の赤クラスの生徒の中で後半も赤クラスに残ったのは、1年生後期でも赤クラスだった筋金入り?の女の子、カロラインとポーラの2人だけであった。
 
一方、ボクはまたまた辛い男子クラス生活を半年も送ることになってしまった。特に冬のさなかに冷水に飛び込まされて大声で「軍人心得」を唱えさせられるのとかは、もう毎回勘弁してくれーという気持ちだった。重い銃を持たされ1時間も2時間も行進させられるのも辛かった。格闘技訓練ではどうしても相手を殴ることができず逃げてばかりだったので、たるんでるとか言われて教師に殴られた。
 
そういう時間帯に女子や赤クラスの子たちは、室内で編み物をしていたようであった。ボクはお母さんから、お前も少し編み物覚える?などと言われて、家の中でお母さんに教えられて編み物の練習をした。これは翌年役に立つこととなる。この時期、もうお母さんはボクが将来女の子としての道を歩むことになるのだろうと思ってくれていた感じだった。だから、この時期、ボクは学校では男子生徒だったけど、家の中では女の子名前で呼ばれ、料理や洗濯、繕い物なども自主的にしていたし、寝る時は女の子用のパジャマを着ていた。また、激しい体育で荒れた肌にお母さんは化粧水を付けてメンテしてくれた。
 
あとで話してみると、3年生の前半に赤クラスにいた子はみんなこの時期、家庭内ではだいたいそんな生活をしていたようであった。(ヘンリエッタを除く)ウララなどは家の中ではずっとスカート穿いてたなんて言ってた。
 

4年生の検査は長さの基準は2.5cm/7cmである。ボクのおちんちんは3年生後半の検査の時点でこの基準をクリアしていたが、4年生には勃起角度検査というものがあった。勃起した時にちゃんと上を向くかどうかをチェックされ、仰角が大きいと優遇されるのだが、とにかく水平より上に向いていることが必須である。ボクの仰角は-40度で、全然水平まで行かなかった。それでまた赤クラスに入れられることになった。
 
「なんか半年単位で向こうとこちらと行き来してるね」
とエミリーからは言われた。
「ほんと、こちらに定着したいんだけどなあ。今年の後半はどうなるんだろう」
半年ぶりにスカートを穿いて学校に行ったボクはそんなことを彼女にこぼした。
 
その年前半の赤クラスは12人だった。このあたりの年齢になると、それぞれの性別意識がけっこう明確になっている。不合格になった子の大半は男の子の性格だったから青クラスを選択した。赤クラス12人のうち9人は3年の前半で赤クラスにいた子である。残りの3人は初めての赤クラスだったが、元々こちらに来たがっていた子ばかりだった。
 
ペネロペなどは
「ずっとこちらに来たかったけど、私のおちんちん大きくてどうしても不合格になれなかったのよね。今年は上に向くなーと必死に祈って、なんとか-2度でぎりぎり水平未満を到達した」
などと言っていた。
 
昨年前半で赤クラスにいたのに今年前半唯一男子クラスに留め置かれてしまったカミール(女子名:カーミラ)などは、こちらを羨ましそうに見ていた。ボクたちは男女になってしまうので、彼と会話をすることは許されない。
 

4年生の女子(赤クラスを含む)は、しばしば5〜6年生の男子クラスおよび青クラスの生徒に課されている「発射訓練」を見学させられた。
 
5-6年の男子が校庭に全裸で並ばされ、「位置について!」「用意!」「始め!」
の号令で一斉におちんちんを手で握り、勃起させた上で、その手を激しく動かすのである。そして「発射!」の号令で一斉に精液を発射する。
 
ボクたちはそんなもの見たくなかったけど、見るのが義務になっていたし、男子たちも、私たち女子の見ているところでするのが義務になっていた。
 
しかし「発射!」の号令でも発射できない子も何人かいた。その子たちは訓練教官におちんちんを掴まれて、地面を引きずり回されていた。また号令の前に我慢できず発射してしまった子は、木刀でお股を思いっきり叩かれてうずくまっていた。他人事ながら、潰れたりしてないだろうかと心配になった。
 
全てを見ておくのが義務だから見ているが、あんなの絶対嫌だと思う。ボクは5年生ではどんな手を使っても、男子クラスには行かないぞと心に誓った。
 

男子が発射訓練をさせられている一方、5〜6年生の女子は伝統的な祝いの舞の練習を毎月していて、これも4年生は男女とも見学が義務付けられていたが、こちらは美しいし、見ていて気持ちよかった。
 
5-6年の女子がみんなきれいな民族衣装を身にまとって出てくる。そして手に持ったキルマラという、振れば中に入っている鈴の音が響く道具を両手に持ち、美しく舞い踊るのである。
 
号令代わりにリーダーの女子がパルモニという、たくさんの鈴が付いた巨大な扇のようなものを振ると、その音を合図に踊りが変化して行く。踊りは最初に舞う駒鳥の舞から、燕の舞、隼の舞、と続いていく。
 
駒鳥の舞は各自がひとりひとり踊り、燕の舞では隣り合った2人がペアになって踊る(ハンパになる場合は4年生女子から1人徴用される)。そして隼の舞では、校庭全体に4つの輪ができてその4つの輪が色々な形に変化しつつ踊っていく。
 
ミスった子は後で先生に呼ばれてけっこう叱られるようではあったが男子の訓練みたいに、その場でおっぱいでも掴まれて引きずりまわされたりするような乱暴なことはされない。この国では女子はおしとやかに育つのが良いとされているし、女子生徒は先生から殴られることは滅多にない。
 
5-6年生が踊りながら両手で振っているキルマラはきれいな音を出すのには結構練習が必要で、4年生のボクたちも練習させられていたが、少しくらい練習が厳しくても、あんなにきれいな服を着て、あんなにきれいに踊るのは楽しいだろうな、と思って、いつも見ていた。
 
こういうのを見ても、やはり私は5年生以降はずっと赤クラスにいたいという思いを新たにするのであった。
 

4年生にもなると、女の子たちは胸が膨らんでくるし、生理が始まる子もいた。エミリーはまだ生理は来ていなかったが、胸は少し膨らみ始めた。
 
「いいなあ。私も初めから女の子だったら良かったのに」
「フェリー、もう男の大人になる気無いよね?女の人になるんでしょ?」
「うん。女の子になりたい」
「じゃ、ちゃんとお母さんとそれを話しておかなきゃ」
「うん。頑張ってみる」
 
4年生後半の検査。ボクは仰角が-20度で水平に達しなかったので、赤クラスにそのままいることができた。前期に赤クラスにいた12人のうち、ロベルタが検査に合格してしまい、本人は「嫌だ〜」と言っていたものの男子クラスに入れられてしまった。「ああ、可哀想」とボクらは言っていた。代わりに前期男子クラスで耐えていたカーミラが赤クラスに戻って来た。
 
「よかったぁ、こちらに来れた」と彼女は本当に嬉しそうだった。
「おめでとう」「おかえりー」とボクたちは言ってあげた。
 
検査前日におちんちんを木槌で何度も叩いて、立っても仰角が付かないようにして不合格を勝ち取ったなどと言っていた。
「それって・・・痛くない?」
「痛い。もう今すぐ切り落として欲しいくらい痛い」
「ああ・・・・早く切り落とせるといいね」
 
4年生の後半になると男子には剣や銃の取り扱いの訓練が課される。ボクはそんな人を殺す道具の使い方なんて覚えたくないと思っていたから赤クラスに留まることができて、ほんとに嬉しかった。
 
男子クラスがそういう訓練をしているのを遠目で見ながら、私たちは女子たちと一緒に、レオタードを着てバトンやリボンを使って新体操をしたり、可愛いスケートスーツを着てフィギュアスケートをしたりしていた。
 
やがてボクたちは5年生になる。
 

5年生の検査では長さの基準は2.7cm/7.5cm, 仰角10度以上という条件の他に射精能力が検査された。5年生の場合は、とりあえず射精できれば合格である。
 
ボクはサイズは3.0cm/8.0cmあったが、仰角が-10度で基準に遠く及ばなかった。また射精も起きなかった。それで無事赤クラスに留まることができた。これで1年半連続の赤クラスである。
 
ボクはもう男の子として暮らしていた時のことを忘れかけていた。お母さんはボクのことをもう娘としか思っていなかった。それでボクはお母さんに、自分は本物の女の子になりたいということを言った。母はさすがに少し考えていたが、やがて
「そうだね。私ももうフェリーが男の子として成長することを想像できない」
と言った。
 
5年生の赤クラスには、4年生までの赤クラスの子には許されなかった幾つかのことが許される。
 
まず5年生になると、過去に連続2年以上赤クラスにいた子は、本人と親が希望すれば、性転換手術を受けて女の子の身体になることができる。性転換手術が終われば、病院からの届けで戸籍が女性になるので、学校でも女生徒扱いになり、赤クラスから女子クラスに移籍される。
 
この制度を利用して、5年生になってすぐに、カロラインとポーラは手術を受けて女子生徒になってしまった。彼女たちは2年生の前期からずっと赤クラスにいたから、ボクたちは彼女たちが性転換したことをとても自然なことと思った。彼女たちの性別に関しては、これだけ赤クラスを続けると、もう親も諦めていたようであったし、このふたりは性格的にもホントに女の子らしい性格だった。
 
「ふつうの女の子よりずっと女らしいもんね、あのふたり」
とエミリーも言っていたが、全く同意だった。
 
ボクたちは彼女たちの手術が済んだあとの病室に御見舞いに行ったが、ふたりとも、手術跡が痛いといいつつも、ものすごく嬉しそうだった。ボクたちは彼女たちに「おめでとう」と言って祝福した。
 
さて、5年生の赤クラスの子にもうひとつ許されるのは女性ホルモンの摂取である。これも赤クラスに通算で1年半以上いた条件のもとで、本人と親が希望する場合に限られる。ボクはこれまで通算2年いて条件を満たしているので希望することにした。お母さんに同意書を書いてもらい学校に提出して、学校からホルモン剤の購入許可証を発行してもらった。お父さんは同意書にサインはしなかったものの反対はしなかった。お父さんもボクがずっと赤クラスにいて、半ば諦めてくれていたのだろう。
 
お母さんに連れられて薬局に行き、学校が発行した許可証を見せてエストロゲンとプロゲステロンの製剤を買った。
 
「このお薬飲むと、もう男の子には戻れないよ。いい?」
とお母さんは、ボクがそれらのお薬を飲み始める前に念を押した。
「ボク、女の子になりたい」
と言ったが
「女の子になるのなら、もう『ボク』はやめなさい。『私』と言いなさい」
と言われた。
 
私は頷き
「私、女の子になりたい」
と言った。そうしたらお母さんは、2種類の錠剤のシートを破り、私のてのひらに乗せ、水を持ってきてくれた。私はその薬を飲み、水を飲み干した。
 
「このお薬は飲み始めた以上、死ぬまで飲み続けないといけないからね」
「うん」
「途中で止めると、男でも女でもない中途半端な状態になっちゃうから」
「うん。ずっと飲み続ける」
 
私は母に言われて、押し入れにしまってあった男の子の服を全部出してきて、庭で灯油を掛けて燃やしてしまった。
 
「もう男の子の服は必要無いもんね」
「うん。だって私女の子だもん」
 
私はお母さんに連れられて市役所に行き、名前の変更届けを出した。それで私は戸籍上もフェリシアになった。ただし性別の変更は性転換手術をしてからである。
 

5年生前期の赤クラス在籍者は13人であった。4年生後期の12人の在籍者の中から、カロラインとポーラが女子クラスに移籍して離脱。赤クラスに3年前期でも4年前期でもいたのに、4年後期に男子クラスに入れられていたロベルタが「検査拒否」の制度を使ってこちらに戻って来た。
 
実は5年生以上の場合、おちんちん検査は拒否してもいいのである。私の場合はお父さんを納得させるために敢えて検査を受けたのだが、ロベルタは逆に親を説得して、検査拒否をした。
 
検査を拒否するには、本人の意志と親の同意が必要である。検査を拒否した場合は検査は不合格となるが、青クラスへの編入は許されず、自動的に赤クラス行きになる。そして1度検査を拒否した場合は、その後ずっと検査を受けることはできないので、ずっと赤クラスのままになるのである。そしていづれは性転換手術を受けることになる。
 
残りの2人の新規加入者は、ロザンナとオリアーナであった。ふたりは、いわゆる「隠れ男の娘」であった。元々女の子になりたい気持ちを持っていたものの、それをあまり外に出していなかったのである。
 
ロザンナは密かにエストロゲンを入手してそれを飲んでいたためもう睾丸の機能が停止しており射精が起きなかったので不合格になることができた。オリアーナは検査拒否をして、赤クラスにやってきた。ふたりとも
「発射訓練だけは絶対したくないと思って強引にこちらに来た」と言っていた。
 
実際この5年生になるタイミングでこういう決断をする子は多いらしい。
 

5年生になったことで、私たちは女子クラスの子たちと一緒に祝いの舞の練習をするようになった。学校の公式な練習は週2回だが、基本的な動きはクラスメイトや女子の友人たちと一緒にいつも自主的に練習していたし、また練習しながら、彼女達といろいろおしゃべりするのは楽しい時間であった。
 
祝いの舞をする時の民族衣装は、4月に入ってすぐお母さんが買ってきてくれた。着てみると、ほんとにきれいで嬉しくなった。私がそれを着てると、お父さんが「まるで女の子だな」とひとこと言った。お父さんが私の性別について、こういうことを言ってくれたのは初めてだったので、お父さんにも少しは認められてきたのかなと思うと嬉しかった。
 
私は学校でもまた放課後に自宅近くでも、エミリーと一緒によく燕の舞いの練習をしていた。エミリーはもともとダンスが得意なので、彼女に教えられて、私もかなり上達することができた。
 

私は女性ホルモンを飲み始めたことで、2ヶ月目あたりから微かに胸が膨らみはじめ、次の検査がある秋頃までには、明らかに『おっぱい』と言えるようなものが形成されていた。
 
「わー、けっこう膨らんで来たね」とエミリーは面白そうに私の胸を触った。私は5年生の8月からプラジャーを付け始めた。
 
「初めてブラジャー付けた時はどう思った?」とエミリー。
「嬉しかった。ホントに女の子になれたんだな、って気がした」
「うんうん。もうフェリーは女の子だよ」
 
そういうエミリーはもう去年の暮れ頃からブラジャーを付けている。そして、その夏から彼女は生理が始まった。
 
「ああ、私にも生理来ないかなあ」
「それだけは無理だもんねー」
 
5年生後期の検査。私は女性ホルモンを飲んでいるので、おちんちんは全く勃起しなかった。こういう場合、もう「検査免除」ということになる。以後は検査の必要性も無いと言われて、おちんちんのサイズさえ計られなかった。もちろん、赤クラスのままとなる。今回はホルモン摂取者が多かったこともあり、赤クラスへの編入出は無かった。
 

その年の暮れ、赤クラスのマルチナが、女子クラスのローラと用具室でセックスしている現場が押さえられた。
 
こういう場合、女子の方はおとがめがないが、赤クラスの子なのに男の子機能を使っていたことがバレた場合、本人にどちらかを選ばせることになる。
 
ひとつは青クラスに移動され、男の子になる道。更に13歳未満の女子との性交を禁止する不法性交罪により3ヶ月間少年刑務所に入らなければならない。また、この先2度と赤クラスにはなれない。
 
もうひとつはただちに性転換手術を受け、結果的に女子クラスに編入される道。この場合は刑務所にも行かなくて良い。女同士なら法的には性交にならないので不法性交罪が成立しないのである。
 
マルチナは後者を選択した。ただちにマルチナは手術を受けさせられ、一週間後女子クラスに入れられた。そしてローラとあらためて女友達となり、仲良くしている彼女の姿があった。
 
この事件のあとエミリーが言った。
「ね、ね。何なら私とバレるようにしてセックスしちゃう?そしたら、フェリー、すぐに性転換手術受けられるよ」
 
「うーん。それはひとつの手かも知れないけど、私、マジでおちんちん立たないから無理だよ」
「ふーん。それは残念だね。私たちが仲良くしてるの、たぶんマークされてるだろうから、やったら一発で現場を押さえられてアウトなんだろうけどね」
 
「それに私、お母さんに娘として認められてるし。そんな男の子機能を使おうとしたなんて知ったら、見損なわれると思う」
「そうだね。フェリーは女の子だもんね」
と言いながらエミリーはBカップまで成長した私のおっぱいを優しく撫でてくれた。
 
「でもさ・・・・」
「うん」
「ローラとマルチナのもわざとかもね」
「私もそんな気がする。あのふたり前から仲良かったもん」
 

また春が来て、私たちは6年生になった。6年生の検査は、サイズの基準に太さが加わる。また射精の量や飛距離も計られるし、包茎度合いもチェックされる。
 
この基準はこの先中学2年の検査まで同じである。従って、ここから先で前年合格していたのに、次の年不合格になるようなケースはほとんど無い。精液の量や飛距離が計測されることから、前夜自分でしてしまっていたような場合は充分な量が出なかったりする場合もある。そこで男の子たちはみんな2日前くらいから禁欲して検査に臨むようである。
 
私はもう「検査不要」と書類に書かれているので、こんな検査を受けなくて済み、気楽であった。6年生前期の赤クラスは5年生後期から1人だけ増えて、13人になった。
 
新たに入ってきたのはサマンサ(男子名:サミュエル)である。検査拒否しての赤クラス編入だった。私は彼女とは1年生の時に同じクラスでよく話していたが、4年生以降は私がずっと赤クラスにいたため会話できなかった。久しぶりに話せたので手を取り合って喜ぶ。
 
女の子の服を着たサマンサは、とても女らしい雰囲気で、こないだまで男の子をしていた風には全然見えなかった。私たちは「もっと早くこちらに来れば良かったのに」と彼女に言った。彼女は微笑んでいた。
 

小6以上の赤クラスの場合、2年以上赤クラスをしている子は女性ホルモンを飲まなければならない。つまり4年生の時からずっと赤クラスにいる子は全員女性ホルモンを飲むことになる。私などはもう昨年から飲んでいて、けっこうおっぱいが膨らんでいたが、今年から飲み始める子たちは、みんな
「早くおっぱい大きくしたかったんだ」
などと言っていた。
 
赤クラスにいて女性ホルモンを摂取していると、勃起能力は失われるので、次回以降の検査はほぼ確実に不合格になり、ずっと赤クラスにいるか、性転換手術を受けて女子クラス行きになるかである。
 
ヘンリエッタは女性ホルモンなんか飲みたくない!と言って抵抗し、最初の内は学校監視員に身体を押さえつけられて、無理矢理飲まされたりしていたのでさすがにひどすぎると言って赤クラス・元赤クラスの生徒全員で校長に抗議した。校長も(赤クラスの子は本来女子と同様の扱いなので)女生徒に乱暴なことはさせないと約束し、取り敢えず2週間だけ彼女へのホルモン投与は中断された。しかしヘンリエッタは結局親から説得されて、自主的にホルモン剤を飲むようになった。それでも彼女はしばしば「もう男の子に戻れなくなった」といって泣いていた。
 
もっとも私たちは彼女が聞いていないところで
「でもへティーってけっこう性格的には女の子だよね」
と言っていた。
「女の子の悪い面を持ってるよね。泣き虫だし嫉妬深いし見栄っ張りだし」
「でもへティー、料理はうまいから、いいお嫁さんになれると思うけどなあ」
 

小6では連続でなくても、通算2年以上赤クラスにいる子は希望すれば性転換手術を受けられるので、5月にウララ、ヴィクトリア、ロベルタの3人が手術を受け、女子クラスに移動した。
 
ウララは男子クラスに行っていたのは強制的に男性器の強化がおこなわれた3年生後期だけである。昨年性転換したカロラインとポーラに次いで赤クラス在籍が長い。ヴィクトリアも2年生前期と3年生後期以外は赤クラスにいた。ふたりの親も彼女たちを自分の娘としか思っていなかった。これで2年生後期に赤クラスにいた4人は全員性転換を終えた。
 
ロベルタは3年前期と4年前期に赤クラスにいた後、昨年1年間赤クラスをしただけなので赤クラス在籍期間は短いが、昨年検査拒否をして自主的に赤クラスに来た子なので、その時点でもう早い時期に性転換手術を受けたいということで親とも話をしていたようであった。
 
ウララとヴィクトリアの性転換は自然なものに思えたが、ロベルタが性転換したのは、何だか自分が追い越されてしまった気がした。また1年前期に性別を疑われて一時的に女子クラスに入れられた子で、まだ性転換してないのは私だけになってしまい、取り残されてしまった気もした。
 
赤クラスの在籍期間として、ヴィクトリアたちの次に長いのが私とアレクサンドラ、そしてヘンリエッタである。ヘンリエッタは粘れる所まで粘るつもりのようだったが、私はよくこの時期アレクサンドラと「いつ手術を受ける?」
なんて話をしていた。
 
私も小学校を卒業してから手術を受ける手はあるのだが、小学生の内に性転換したのと中学生以降に性転換したのとでは、大きな違いが出てくる。
 
中学生以降に性転換した場合、戸籍上に性別や名前の訂正記録が残される。しかし、小学生の内に性転換した場合は、戸籍上は最初から女の子であったかのような記述になり、性別訂正の跡も男の子だった時の名前も残らない。つまり小学生の内に転換するような子は元々女の子だったのだ、という考え方である。
 
そのため、赤クラスにいる子の多くは小学生のうちに性転換することを考えていた。赤クラスの子の中で小学生のうちに性転換手術を受けることができないのは、5年生以降にこちらに入ってきた3人で、残りの7人は全員手術を受ける権利がある。
 

結局私とアレクサンドラは、7月に相次いで手術を受けることにした。
 
手術前日、私は両親に連れられて病院に行く。検査を受けてそのまま病室に入れられる。まだ男の子なので男性用の病室である。全身麻酔での手術なのでもう病院に入った時から絶食である。お腹が空いたので、手術されることより何だかそちらの方が気になった。看護婦さんが私の陰毛を全部剃ってくれた。
 
手術は翌朝から始まった。裸にされて手術着を着せられ、ストレッチャーに乗せられて手術室の控え室に入る。ここで先生から
「念のため再度聞きますが、手術をほんとに受けますか?手術したらもう2度と元の男の子の身体には戻れませんよ?」
と、両親のいないところで尋ねられる。
 
私は「女の子になりたいです。手術してください」と言った。
医師は頷くと、「では麻酔を打ちますよ」と言って注射をする。これで私の意識は遠くなった。
 
目が覚めた時は病室にいるようだった。まだ麻酔が効いているので身体の感覚が遠い。お母さんがそばにいて「あ。目が覚めたね」と言うと、優しく頬を撫でてくれた。それで私は自分が女の子の身体になったことを確信した。
 
私は手術後は女性用の病室に入れられていた。まわりのベッドにいたお姉さんたちが「あ、性転換手術したんだ。女の子になれておめでとう」と言ってくれた。
 
しかし麻酔が切れてくると猛烈な痛みが襲ってきた。以前手術を受けて女の子になった元クラスメイトから、無茶苦茶痛いよという話は聞いていたものの、ホントに痛かった。誰か助けて〜、と思うがとにかく我慢するしかない。痛み止めも処方してもらったが、ほとんど効き目を感じなかった。
 
手術当日はまだ何も食べられなくて、翌日も夕方まで点滴だけだった。夕方になってから、ジュースみたいなのを飲んだ。そして翌々日の朝から、やっと柔らかく煮たジャガイモと人参入りのスープを食べることができた。
 
医師の診察を受けて大丈夫のようですねと言われる。こちらは全然大丈夫な気分ではなかったが、3日目からは病院食もふつうの食事になった。昔は性転換手術は手術後半月くらい寝てないといけなかったらしいのだが、おちんちん検査と赤クラス・青クラスの制度ができてから性転換する人(その9割が小中学生)が急増し、それに伴って急速に技術も発展し、術後の回復も早くなって一週間で退院できるようになったらしい。
 
私も4日目くらいになると、かなり痛みもやわらいできて、その日初めて包帯が取られて、自分のお股を見ることが出来た。
 
「きれい」と私は思った。おちんちんもタマタマも無くなっていて、きれいな割れ目ちゃんができている。まだ手術跡の縫合した傷はあるもののスッキリとした女の子の形になっていて感動した。
 
看護婦さんが「ちょっと開けてみようね」といって、割れ目ちゃんを優しく開く。「このあたりがクリトリス」と言われたところを触られると何だか気持ちいい。「ここが尿道口。ここからおしっこが出るの」などと触れるが、それはよく分からない。「そしてここにヴァギナがあるからね」と言われ、指の先を少し入れられた。そんな場所にそんな器官が出来たというのが、また不思議な感覚だった。
 
「このヴァギナがないとお嫁さんになれないからね。セックスのことは知ってるよね?」と訊かれるが私は「はい。知ってます」と答える。私たちは4年生の時子供ができる仕組みやセックスのことなどを授業で習った。図解や実際にセックスしている所のビデオなどを見て学習していた。お嫁さんになるということは、男の人のおちんちんを自分のヴァギナに受け入れることだと教えられた。
 
4日目は包帯を取ったところでお股の洗浄をされ、そのあと尿道にカテーテルを挿入されてまた包帯をされてしまった。5日目から包帯は取られ、病室に置かれた、オマルで排尿をしたが、おしっこの出方が今までと全然違うので、物凄く戸惑った。最初はとにかく飛び散って、看護婦さんを呼び拭き取ってもらった。「慣れたらそんなには飛び散らなくなるからね」と言われた。
 
6日目からはオマルでなくて、病院のトイレまで行って、おしっこをすることができるようになった。おしっこの飛び先のコントロールは看護婦さんからもお母さんからも言われて、すこしだけできるようになった。私は女の子の身体で生きて行くことに2日くらい前よりは自信を持てた。
 
そして7日目に私は簡単な診察を受け、経過は万全ですと言われ、退院した。その日家に戻ると晩ご飯は「豚肉のフィカレチア」だった。2年生の時に初めて赤クラスに入れられた時以来だ。とうとう私も本当の女の子になることができたので、またこの料理を食べることになった。
 
「お前のことは最初から娘を授かったんだと思うことにしたから」
とお父さんは言った。
「私はずっと前からこの子のことは娘と思ってましたけどね」
とお母さん。
「ありがとう、お父さん、お母さん。私、幸せ」
 
翌日、市役所から私の性別が女に変更されたという通知が届いた。性転換手術が終わった時点で病院から役場に届けが出されるので、それで性別は訂正されるのである。
 

アレクサンドラは私が退院したのと入れ替わりで病院に行き手術を受けた。9月になってから、ペネロペとカーミラも手術を受けた。
 
私たちはみんな女子クラスに編入され、6年生の後期も赤クラスに残っているのは6人になった。女子クラスの生徒と赤クラスの生徒は自由に話せるので、彼女たちと話していたがビビアンとミラも卒業前には性転換手術を受けると言っていた。だから卒業式を赤クラスのまま迎えるのは、たぶんロザンナ、オリアーナ、サマンサの手術条件を満たしていない3人と、手術を受けたくないと言っているヘンリエッタになるであろう。
 
ヘンリエッタは6年生を終えると「連続3年赤クラス」として性転換手術を受けることを勧告される。それを拒否すると、とりあえずもう男の子ではないとして、戸籍から性別が抹消され、健康保険に加入できないとか正社員になれないなど、色々社会的な不都合が出てくる。しかしそれでもいいから、今の身体のままでいようかななどと言っていた。もっとも彼女は女性ホルモンを(渋々)飲んでいるので、おっぱいも膨らんでいるし、もうおちんちんは立たない。
 
私はエミリーと同じクラスになることができたので、それまで以上に仲良くすることができた。女子クラスの雰囲気は、実際問題として赤クラスとほとんど変わらなかった。ただ女の子たちは生理があるから、そういう話題は新鮮に感じた。私たちはふつうの女の子たちと平気で生理のことも話していた。自分では使わないのに、エミリーたちに乗せられて、ついナプキンを買ってしまった。お母さんから「あんた、こんなの買ってきて何するの?」などと言われたが。
 
11月には修学旅行があった。私たちは女子なので普通に他の女の子たちと一緒のグループで行動した。女の子同士の行動はほんとに楽しかった。お風呂も他の女子と一緒に入り、わいわい騒いで楽しんだ。この頃、私はおっぱいもけっこう発達していて、エミリーと大差無いくらいにまでなっていた。
 
修学旅行の行き先は国土のいちばん南にあるバリプロン島であった。11月は私たちの住んでいる地域ではもう雪が降るのだが、バリプロン島はまだ暖かかった。楽園のようなその穏和な気候の中で、珍しい南の島の風物を見、また郷土料理を食べながら、私たちはおしゃべりに興じていた。私はこの旅行で、再度自分が女の子である喜びを感じていた。
 
その修学旅行の最終日、みんながテレビに釘付けになっていたので、何だろうと思って見ていたら、この国を25年間統治してきた挙国大統一党政権が分裂して、首相が交代したというニュースだった。
 
17年ぶりに国民の前に姿を現した国王が、新首相を任命し、新首相は隣国との戦争をやめる意向を表明。ただちに和平交渉を始めると述べていた。隣国の政権もその発言を歓迎する旨のコメントを発表。戦闘停止命令が双方の軍に出された。また20年間にわたって首相の座にあった前首相は逮捕されたということであった。
 
「実質的なクーデターだね」とカロラインが言った。
「やっぱり国王陛下は噂通り、今まで幽閉されていたみたいね」とエミリー。「え?そうだったんだ?」と私。
「フェリーは政治とかに疎いみたいだよね」
「うん。さっぱり分からない」
 
「おちんちん検査も無くなるのかなあ」
「発射訓練とかは無くなるといいね」
「賛成、私もあんなの見たくない」
「祝いの舞はあってもいいと思うな」
 
私とエミリーはテレビの前から離れて、テラスに出た。赤い太陽が水平線に沈んでいく所だった。ほどなく夕焼け空に変わる。
 
「赤クラスなんて制度が無かったら、フェリーは男の子のままだった?」
「どうだろう。。。自分で女の子になりたいと思ってたかも」
「そうだよね。そんな気がするよ」
 
エミリーは微笑んで、私のバストを撫でた。
 
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【赤と青】(1)