【襖の奥】(1)

目次


 
私は子供の頃、しばしばその夢を見た。
 
両親が出かけて、私はひとりで留守番をしている。私は家の階段を登って2階に行く。廊下の奥にある小さな二畳の部屋の戸を開けて中に入る。
 
そこは本来は倉庫のようになっていて、普段使わないものが雑然と置かれている。
 
ごく小さい頃は、悪いことするとよくここに閉じ込められたものだ。
 
この部屋の戸は不思議なことに“外から”ロックできるようになっていて、そうされると中からは開けられなかったのである。多分家を建てる時に建具屋さんが間違ったのでは?とメグミは言っていた。
 
「お母さん、ごめんなさい」
と言って泣いて謝っても、母はなかなか許してくれなかった。そんな時に私がよく使った手は
 
「おしっこ漏れそう」
 
と叫ぶものである。するとさすがに母は部屋の中で漏らされては困るので戸を開けてくれて、私は一目散にトイレに走って行った。母は本当にトイレだったのか、出してもらいたいための嘘なのかは、半信半疑だったと思う。
 

でも夢の中でこの部屋に入ると、あまり荷物が置かれていなくて、古い桐箪笥がひとつだけある。そして、私が4歳の時に亡くなったはずのお祖母ちゃんがいる。おばあちゃんは、桐箪笥から風呂敷包みを取り出し、私に今着ている服を全部脱ぐように言う。
 
風呂敷の中には服がいくつか畳んで入っていて、お祖母ちゃんはそれをひとつずつ手に取る。
 
最初に腹巻きみたいな輪っかになった木綿の下着を腰のあたりにつける。これは大きくなってから“湯文字”という下着であることを知った。それからやはり木綿の着物のような服を着せられる。これも後に肌襦袢(はだじゅばん)ということを知った。
 
その上に更に似たような形の服を着せられるが、これは何かさわやかな感じの素材で作られていた。当時はよく分からなかったが、麻の長襦袢だと思う。
 
そしてその上にきれいな赤い着物を着せてもらう。袖の所が長くて、当時は意識していなかったが、小振袖だと思う。でもこの服がきれいで私は大好きだった。
 

私はその小振袖を着せられた後、白い足袋(たび)に赤い草履を履き、お祖母ちゃんが開けてくれた襖(ふすま)の向こうに入っていく。そこは下に向かう階段になっていて、私はその階段を降りていった。
 
長い階段を降りた所に廊下があり、私はその廊下を歩いて行く。また階段があるので、そこを登る。廊下があり、その先に階段があるのでそこを降りる。
 
私はそうやって、いくつもの階段や廊下を歩き回っていた。
 
2階の奥の部屋の奥の襖(ふすま)から入っているのだから、建物の中だと思うが、そこは普段私たちが住んでいる家の中では全く見ないような場所だった。明り取りなどがあるのか、全体的には明るかったし、私はそこを歩いていて怖いとか寂しいとかいった気持ちはなく、むしろ楽しいお散歩であった。
 
そして私はここを“迷宮”と呼んでいた。幼稚園の頃に読んだギリシャ神話で、クノッソス宮殿の迷宮を歩き回るアリアドネ王女に自分をなぞらえていたのである。
 
(本当はクノッソス宮殿を探求したのはテーセウスで、アリアドネは彼が脱出できるように助けただけだが、幼い頃に読んだ絵本だったので記憶が混乱していた)
 
この“迷宮”には、廊下にそって多数の部屋があるのだが、いつも障子(しょうじ)が閉まっていたし、私は開けてみようという気にもならなかった。
 
なお、私は起きている時にもこの2階の奥の部屋に入ってみて、奥の襖を見るのだが、その襖は壁に立てかけて置いてあるだけで、その襖を開けて向こうに通路があるということは無かった。“襖の奥”は、夢の中だけで行ける世界であった。
 

この夢はわりとよく見ていて、普通夢の中では私に小振袖を着せてくれるお祖母ちゃん以外には誰とも会わないのだが、時々他の人と会うこともあった。
 
廊下を歩いている時に、たまに障子が開いていることがあり、そういう時は中に誰かがいる。いちばんよく出会ったのは、5つ年上の従姉のメグミちゃんである。彼女は最初会った時は私を見て
 
「可愛い服を着てるね」
 
と言って、私はちょっと恥ずかしい気がして、真っ赤になった。でも彼女もたいてい振袖を着ていた。
 
「メグミちゃんも可愛いよ」
 
と言うと、彼女は嬉しそうにしていた。彼女は青とか緑とか白とかの振袖を着ていた。
 
最初に会った日は、ふたりでカルタをして遊んだ。その後、彼女とは会う度に何かの遊びをしている。お手玉も彼女から習ったし、絵すごろくなどもした。トランプもだいぶして、ソリテアとかキング&クイーンとかは、彼女に教えてもらった遊びである。
 
キング&クイーンというのは、もしかしたら別の正式名称があるかも知れないけど、私とメグミちゃんの間ではこの言葉で呼んでいた。ジョーカーを除いた52枚のカードの中から、ハートのキングとクイーンを抜き出して、他をよく切る。先頭にクイーンを置くがこれは自分自身を表す。他のカードをずっと並べて行く。(長いので適当に折り返す)そして最後にキングを置く。これは“彼氏”である。
 
間のカードを次の規則で抜いていく。
 
・同じスートのカードに挟まれた1枚のカードは外せる。
・同じ番号のカードにはさまれた1枚のカードは外せる。
 
それで全てのカードを抜き、無事両端のクイーン(自分)とキング(彼氏)がくっつくことができたら恋は成就するというものである。
 
メグミちゃんはこれをやると毎回成功させていた。でも私はたいてい20枚以上残してどうにもならなくなっていた。メグミちゃんは
 
「つまり、カズちゃんはまだ“恋”には早いということね。もっと大きくなったらこれが完成できるようになるよ」
と言っていた。
 
メグミちゃんはソリテアもパーフェクトにできていたけど、私は1列くらいしか完成できなかった。神経衰弱は、彼女の番になると全部開けてしまうので遊びにならなかった。
 
「だって同じ番号の数字がどこにあるかは見れば分かるじゃん」
とメグミちゃんは言っていたけど、私にはさっぱり分からなかった。
 
かるたは、メグミの部屋に置いてあるパソコンで読み札をランダムに読んでくれるソフトを使ってふたりで対戦していたけど、これだけは私が時々勝つこともあった。勝率はだいたい1:4くらいだったと思うが、勝てた時は本当に嬉しかった。
 
彼女とは囲碁もよくやった。最初私はルールも知らなかったのだが、丁寧に教えてくれて、あわせて色々な定石を教えてくれたし“形勢の読み方”なども教えてくれた。私が中学で囲碁部に入ったのは、やはり小学生の内に彼女にたくさん教えてもらった影響が大きいと思う。メグミとはいつもたくさん石を置いて打っていたけど、彼女に勝てたことは1度も無かった。でも石の数は最初は(たぶん)30個くらいだったけど、小学6年生の頃には5個まで減っていた。私は囲碁では高校の時に初段の段位を取ったけど、その後は段位の申請料が高いこともあり、段位の申請はしていない。
 

この“襖の奥”で、メグミ以外の子と会うこともあった。
 
小学1年生の時、“迷宮”の中を歩いていたら、廊下に沿ってある障子のひとつが開いていて、中に近所の男の子・タクヤ君が居た。彼はゲームをしていた。2人でもできるから一緒にやろうよと誘われ、だいぶ遊んだけど全然勝てなかった。
 
「お前反射神経悪すぎ」
と彼から言われたけど、そうかも知れない気がした。彼とは3回くらい会って毎回ゲームをした。
 
その最後に夢の中で彼と会ってから1週間ほどした大雨の日、私は学校帰りに近所の雑貨屋さんの近くに大勢の大人が集まっているのを見た。私は何だろうと思って近寄る。すると雨合羽を着た男の人が数人で“何か”を抱えるようにして持って雑貨屋さんのすぐそばにある大きな暗渠の入口から出てくるのを見た。
 
私はそこにいたお巡りさんに
「君はお家に帰りなさい」
と言って追い払われてしまった。
 
その日の夕方、母が「タクヤ君、川に流されて亡くなったんだって」と言った。
 

小学2年生の時、私が夢の中で“迷宮”の中を歩いていたら、廊下の途中の障子が開いている部屋で、クラスメイトのゴトウヒロヒコ君がいる所に遭遇した。
 
「あれ?もしかしてカズちゃん?」
「う、うん」
「可愛いね」
「そ、そう?」
 
実は、彼とは元々仲が良く、夢じゃなくてリアルでも彼の家に遊びに行ったことが何度かある。彼のお父さんはお医者さんで、立派な黒いクラウンを持っていた。私はお父さんに、ヒロヒコ君と一緒にそのクラウンにも乗せてもらい
 
「かっこいいなぁ」
と憧れていた。うちのお父さん、免許も持ってないし、などと残念に思う。
 
私と彼が仲良くしているので、クラスメイトたちから
 
「お前ら結婚するんだろう?」
「苗字が同じだから結婚しても名前変えなくて済んで便利だな」
 
などと随分からかわれた。私も彼のお嫁さんになる所とか想像して、赤くなったりしていた。
 
リアルで彼の家に遊びに行くと、彼は、たくさん持っているウルトラマンとか仮面ライダーのソフビ人形を見せて自慢していた。私はウルトラマンもライダーも見ていないので彼の説明がさっぱり分からなかったものの「ふーん」とか「へー」とか言って聞いていた。
 

夢の中でも彼はソフビの人形で遊んでいて、ウルトラマンとか仮面ライダーが怪獣や怪人を倒すところを劇のように実演してくれた。彼は、仮面ライダーなどの絵本も見せてくれたが、元々の背景的なものを理解していないので、あまりよく分からなかったのが正直な所である。
 
また仮面ライダーの変身セットとかも装着して、変身のポーズなども取っていたが、私はそういう時に彼が本当に楽しそうにしているのを見て、男の子って面白いなあ、などと思っていた。
 
夢の中で最後に彼と会った時、彼のお祖父さんが出て来た。お祖父さんもお医者さんをしている。お父さんは大きな病院に勤めているが、お祖父さんは小さな病院の院長さんだった。でもこのお祖父さん、お医者さんとしてはあまり腕がよくない!という評判で、私はそこの病院にはかかったことがない。
 
お祖父さんは振袖を着ている私の顔をじーっと見ると
「ヒロヒコのガールフレンド?」
と訊いた。
 
「ガールフレンドというほどのものではないのですが」
と私が顔を真っ赤にしながら答えると
 
「君は良いお嫁さんになりそうだ」
と言ってくれた。
 
「そうだ。君がヒロヒコのお嫁さんになった時のためにこれをあげるから飲みなさい」
といって、お祖父さんは私に赤い薬をくれた。
 
私がそれを飲むと、身体の中に何か暖かいものが広がっていくような感覚があった。
 

ヒロヒコ君のお祖父さんが亡くなったのを聞いたのは、その夢を見てから半月ほど経った時だった。私は母と一緒にお葬式にも参列した。ヒロヒコ君が泣いていたので、私は「元気出してね」と言って、彼の手を握った。彼の手はガッチリしていたけど、その手が震えていて元気がなかった。
 
病院はヒロヒコ君のお父さんが継ぐのかと思ったのだが、何でも凄い借金が残されていたとかで、病院は閉鎖され、建物も取り壊されて跡地には、釣り具屋さんができた。でもあまりお客さんは入っていないようだった。ヒロヒコ君も青森市に転校して行ってしまった。彼のおうちも取り壊され、跡地は駐車場になった。
 

小学3年生の時、私が夢の中で“迷宮”の中を歩いていたら、廊下の途中の障子が開いている部屋で、サチコちゃんと会った。彼女はいつもひとりでいる子だったが、本人としては、そのひとりでいるのが快適みたいで、あまり他の子と会話などはしていなかった。
 
「何してるの?」
と声を掛けると
「本を読んでるー」
というので見せてもらうと、宇宙の話とかロケット開発の話とか載っていて、すごいと思った。
 
「お空の中でいちばん明るい星はシリウスというんだけど、地球から8.6光年の距離にあるんだよ」
と彼女は言う。
 
「こうねん?」
「光の速度で進んでも8.6年かかるということ」
「光に速度ってあるんだ?」
 
私は光って瞬間的に向こうに到着すると思っていた。
 
「それはそうだよ。太陽の光だって、太陽を出てから地球に届くまでに8分19秒かかる。だから私たちが見ている太陽の姿は8分19秒前の姿」
「へー!すごいね」
 
「シリウスが8.6光年、七夕(たなばた)の牽牛星・アルタイルは17光年、織姫星・ヴェガは25光年、の距離にある」
 
「つまり、私たちが見ている織姫星って25年前の姿なんだ?」
「そうだよ。ちなみに、織姫星と牽牛星の距離は15光年あるから、ふたりがデートしようとすると、光の速度で会いに行っても7年半かかる」
 
「15年じゃないの?」
「2人とも光の速度で行けば、半分で済むじゃん」
「あっそうか!」
 
「でもこんなのは序の口でアンドロメダ星雲なんて、200万光年も離れているんだよ」
「すごーい!」
 

サチコちゃんとは、よくそういう宇宙の話をした。話をしたというより、彼女が色々教えてくれるのを私が聞いていただけだが、そんな時のサチコちゃんは凄く楽しそうだった。私はサチコちゃんが学校でいつもひとりでいるのは、話が合う子がいないからでは?という気がした。
 
彼女はきっとゲームとかテレビ番組とかアクセサリーとかアイドルの話はつまらないのだ。
 
彼女とも夢の中で5回くらい話したが、最後に彼女と会った時、お兄さんも一緒に居た。お兄さんは中学生で、サチコちゃんと2人だけの兄妹だが、6つも年が離れていた。お兄さんはサチコちゃんが興味を持っている宇宙とか天体とかの話は苦手みたいで、ハイネとかシラーとかの詩集を持っていた。いくつか読んでくれたけど、私はさっぱり分からなかった!
 
その夢を見た数日後、サチコちゃんが学校を休んでいた。先生は何も言わなかったのだが、クラスメイトたちの噂話で、サチコちゃんのお兄さんが家出をしたらしいというのを聞いた。それで消息不明ということで、それなら心配でとても学校には出て来られないだろうと私も思った。
 
クラスメイトも随分心配していたのだが、結局お兄さんは翌日の朝、青森市内で発見、無事保護されたということで、みんなホッとした。
 
でもサチコちゃんはその後もしばらく学校に出て来なかった。そして担任の先生から彼女が八戸市の学校に転校したことを報された。
 
うちみたいな小さな町でこういう騒ぎを起こすと、居づらかったんじゃないの?などとメグミは言っていた。
 

小学4年生の時、私が夢の中で“迷宮”の中を歩いていたら、廊下の途中の障子が開いている部屋で、ケンザキ君が中にいるのを見た、
 
彼は女の子の服を着ていた!
 
彼は私に見られて恥ずかしがっていたけど、私は
「可愛いよ」
と言ってあげた。
「そうかな。ゴトウさんも可愛いと思うよ」
と彼は言った。
 
彼女(といった方がいいと思う)は、物心ついた頃から、自分は女の子でありたいと思っていたという。自分でちんちんを切っちゃおうとしたことも何度もあるけど、切り落とす勇気が足りなかったと言っていた。
 
私たちは最初は苗字で呼び合っていたものの、そのうち彼女は私をカズちゃん、私は彼女をミッちゃんと呼ぶようになった。
 
スカートとか買ってもらえないから、バスタオルとかカーテンを腰に巻き付けたり、お母さんが捨てようとしていた傷んだ服をこっそり隠し持って部屋の中で着ていたりするらしい。
「それどこに隠しておくの?」
「本棚に立っている百科事典の箱の中とか、部屋の押し入れの段ボール箱の中とか、机の引き出しの下とか」
「お母さんにバレない?」
 
「私の気のせいかも知れないけど、お母さんは気付いているけど、気付かないふりをしてくれているんだと思う」
「かも知れないね。優しいお母さんだと思うよ」
 
「うん。私、お兄ちゃんいるから、私はうちの跡取りにならなくていいから、大目に見てくれているのかも」
とも彼女は言っていた。
 
彼女は女の子パンティとかも買ってもらえないから、男の子用ブリーフを前後逆に穿いていると言った。結果的に男子用小便器は使えないから、いつも個室でしていると言っていた。
 
確かに学校でも彼女を見ていると、彼女はいつも個室を使用しているようだった。
 

ミッちゃんと最後に会った日はお兄さんも一緒に居た。
 
「まあミチは、その内、性転換手術して女になってしまうんじゃないのかね。親父(おやじ)は嘆くかも知れないけど、俺としてはむしろ親父の跡継ぎの競争相手がいなくて、俺が確実に後を継げそうだから、こいつが女になるのは歓迎だけどね。こいつが性転換手術する時は、その手術代くらいは俺が出してやってもいいと思っている」
などとお兄さんは言っていた。
 
「性転換手術って?」
と私は尋ねた。
 
「男を女に変える手術だよ」
とお兄さんが簡単に説明する。
 
「そんなことができるんだ?」
「手術代は高いけどね。男を女に変えるのは100万円くらい、女を男に変えるのは300万円くらいする。健康保険も使えない」
 
「高い!」
と私は驚いて言った。
 
「だから手術は受けたいけど、お金が無いんで受けられない人がたくさんいるよ」
「わぁ」
 

しかし結局、ミッちゃんの女性指向は、お母さんに黙認され、お兄さんには認められているということになるのだろうか。
 
「でもどうやって、男を女に変えるんですか?」
「そりゃ、男にあって女には無いものを取っちゃって、女にはあって男にはないものを作るんだな」
 
とお兄さんは言った。
 
「男にあって女には無いものって・・・ちんちん?」
「もちろん、チンコは切っちゃう。金玉も取っちゃう」
「きゃー」
「男にはおっぱいが無いから、それは作っちゃう」
「へー!」
 
「男に余分なものが多いから、男を女に変える場合は取るものが多い。それに対して女を男にする場合、作らないといけないものが多い。特にチンコを作るのは凄く大変。だから女を男に変える方が手術は大変だし料金も高くなる」
 
「わあ、ちんちん作るんだ?」
 
男を女にする場合、おっぱいだけでなく、もっと重要なものも作るわけで、この時、私はその話も聞いたのではないかと思うのだが、私の知識が無さすぎて、そのあたりの記憶は曖昧である。
 
お兄さんは高校生ということで、彼女とお兄さんの間に女の子が4人いて6人兄弟らしい。
 
「俺に何かあった時の予備で男の子が欲しくて子供をひたすら作ったものの、女ばかり生まれて、やっとこいつが生まれたんで親父はホッとしたみたいだね。でも結局こいつは女になってしまうみたいだから、親父のアテは外れたね」
などとお兄さんは笑っていた。
 

ミッちゃんと夢の中で最後に会ってから1ヶ月ほどした時、私はテレビのニュースに釘付けになった。
 
ケンザキ薬品の社長の息子で、高校生の***さんがバイクに乗っていて、急カーブを曲がりきれずに防護壁に衝突して死亡したというニュースだった。
 
私は、ミッちゃんがどんなに悲しんでいるだろうと同情するのと同時に、彼女自身の将来を心配した。会社の跡継ぎになるはずだったお兄さんが亡くなってしまった。ミッちゃんは女の子になりたいと言っていたのに、それを親から認めてもらえなくなるのではないかと心配したのであった。
 
ミッちゃんはその後、全寮制の男子校!に転校してしまったので、その後彼女がどうなったのかは私は16年後まで知ることが無かった。
 

小学5年生の時、私が夢の中で“迷宮”の中を歩いていたら、廊下の途中の障子が開いている部屋で、クラスメイトのマリちゃんが中にいるのを見た、
 
マリちゃんも可愛いピンクの小振袖を着ていた。
 
「マリちゃん、その振袖可愛い」
「カズちゃんも、その振袖可愛い」
 
彼女はレゴをしていた。
 
「ブロックはたくさんあるから、カズちゃんも適当に何か作るといいよ」
というので、私も借りて、お城を組み立て始めた。マリちゃんは客船みたいなお船を作っているようだった。
 
私は彼女とブロックを組み立てながら色々おしゃべりしていたのだが、何か違和感を感じて尋ねた。
 
「ほんとにマリちゃんだっけ?」
「えへへ。バレたか。実は私はノリちゃんでーす」
「嘘!?なんでノリちゃんが振袖着てるの?」
「別に男の子が振袖着てもいいと思うけど」
「ああ、そうだよね」
 
ノリちゃんとマリちゃんは双子の姉弟である。マリちゃんが姉でノリちゃんが弟ではあるが、ふたりは顔がそっくりなので、同じ服を着て並んでいると、区別がつかない。学校では男の子のノリちゃんがズボンを穿いているから、女の子のマリちゃんもそれに合わせてズボンを穿いている。
 
「マリちゃんがスカート穿いたらどうするの?」
と一度訊いたら
「その時はノリちゃんもスカート穿けばいいね」
とマリちゃんが言っていたけど、私は冗談だと思っていた。
 
でもノリちゃんが振袖(小振袖)着るんだ!
 
最初にノリちゃんに会った時は振袖姿のノリちゃんだけだったのだが、2度目以降はマリちゃんも居ることが多かった。でもふたりはいつも同じ服を着ていた。片方がズボンの時はズボンだし、スカートの時はほんとにノリちゃんまでスカートを穿いていた。
 
「ボクもスカートで学校に行くって言ったらお母ちゃんにダメって言われた」
「ノリが悲しそうにしてたから、私もスカートで行くのやめた」
「ごめんねー」
「でも家の中では一緒にスカート穿いてることもあるよねー」
 
結局2人はいつも同じ格好をしていないと気が済まないようである。ふたりとも小振袖の時もあった。本当に2人は仲が良いようだ。ノリちゃんはパンツまで女の子パンツを穿いていると言っていた。マリちゃんと同じものを穿きたいようである。お母さんも呆れて、まあパンツくらいならいいかと言って穿くのを許してくれているらしい。
 
「でもどちらのパンツか分からなくなるよね」
「まあ私たち、お互いに相手の服を着るのは平気だから」
「お母ちゃんも分からなくなって、適当にタンスにしまってる感じだし」
 
「でも女の子パンツ穿いてて、おしっこする時困らない?」
「上から出してできるよ」
「へー。そうなんだ!」
「個室に入ってすることもあるけどね」
 
「ノリ、個室で座ってする方が好きみたい」
「うん。実はそうなんたけどね。マリはおちんちん無いから、ボクもおちんちん無くてもいいと思うんだけど」
 
「ノリ、いっそのこと、おちんちん取って、女の子になっちゃう?」
「それもいいなあ。男の子のままなら、中学になったら同じ制服着られないし」
 
「おちんちん取るって、性転換手術?」
と私は訊いた。
 
「そうそう。性転換手術受けて女の子になれば、中学に入る時にマリと一緒にセーラー服着れるし」
とノリは言っている。
 
「ノリ、何度かちんちん切ろうとしたね」
「でもお母ちゃんに見つかって、包丁とか取り上げられた」
「それお医者さんに切ってもらった方がいいと思うよ。でも性転換手術ってお金かかるみたいだけど」
 
「それが問題なのよねー。そのうち私がお医者さんになって、ノリのおちんちん切ってあげてもいいけど」
「それ中学になるのには間に合わないし」
 
私はマリ・ノリとレゴもしたし、トランプやジェンカ、黒ヒゲ危機一髪、ビーズ、折り紙、旅行ゲームなどでも遊んだ。黒ヒゲ危機一髪は、なぜかいつもノリが負けていた。
 
「悪い意味で勘がいいよね」
などとマリちゃんから言われていた。
 

小学6年生の時、私が夢の中で“迷宮”の中を歩いていたら、廊下の途中の障子が開いている部屋で、クラスメイトのサトウ君とレイコちゃんが遊んでいる所に遭遇した。サトウ君とレイコちゃんは学級委員長を2人ともしているのだが、個人的にも仲よかったことはこの時初めて知った。
 
ふたりはコヌシラ町に住んでいるのだが、家が隣同士で小さい頃から仲が良かったらしい。
 
今にして思えば私は2人のデートの邪魔をしていたのかも知れないけど、当時はそういうことは全然分からなかった。彼女たちとは、すごろくやトランプをしたり、1人が審判役になって“軍人将棋”をしたりして、よく遊んだ。たぶん全部で7-8回遊んでいると思う。
 
ある時はレイコちゃんのお祖母ちゃんもいて、火鉢に置いた焼き網で焼きおにぎりを作ってくれた。凄く美味しかった。このおにぎり、うちのお母ちゃんはうまく作れないんだよね、などとレイコちゃんは言っていた。
 

そのレイコちゃんのお祖母ちゃんが出て来た夢を見てから少し経った時、私は(リアル世界で)多数の消防車が走っていくサイレンを聞いた。私の母が消防署の電話サービスで火事の詳細を知ろうとしていたものの、なかなか電話が繋がらないようであった。
 
何とか繋がった時、母は
「コヌシラ町で民家火災だって」
と言った。
 
私はふーんと思って聞いていたのだが、翌日学校で衝撃的な話を聞く。
 
「え?サトウ君の家から火が出て、レイコちゃんの家に燃え移ったの?」
「それでレイコちゃんのお祖母ちゃんが亡くなったんだよ」
「うっそー!?」
「サトウ君のお父さん、失火罪で警察に逮捕されたって」
「え〜〜!?」
 
夢の中に出て来た人がその後亡くなったのは、タクヤ君、ヒロヒコのおじいちゃん、ミッちゃんのお兄さん、の他にも実は数人いたのだけど、今回がいちばんショックだった。隣同士で子供たちが仲良くしていれば、親同士も結構な付き合いがあったのではないかと思う。それが、一方の家から出た火事で、他方の家の家族に犠牲者が出るなんて・・・。
 
サトウ君もレイコちゃんもその後、(多分別々の町に)転校してしまったので、2人がその後、どうなったかは分からない。
 
委員長が2人ともいなくなってしまったのでクラス会で急遽後任の委員長選びが行われ、私は後任のひとりに任命されて、その学期いっぱい委員長の仕事をした。
 
しかしあれは私の性格には合っていなかった。クラスメイトたちも私の仕事ぶりには不満だったようで、次の学期には別の人に交代した。そしてその後2度と私が委員長に任命されることは無かった(掲示委員とか美化委員などは何度も務めたのだが)。
 

なお、最後の夢の中でおばあちゃんが作ってくれたのを食べた焼きおにぎりだが、本当に美味しかった記憶があったので、私は中学生時代にあの味を再現しようと色々試行錯誤を重ね、ついに高校に入った頃に、かなりいい感じのものができるようになった。
 
レイコちゃんと仲の良かった女子数人に声を掛けてみたら、スミカちゃんが一度食べたことがあるということだった。それで彼女に試食してもらったら
 
「うんうん、こんな味だった」
と言っていた。
 
レイコちゃんの行方は分からないけど、いつか彼女と再会することがあったらこれを作ってあげたいと私は思った。
 
あのサトウ君、レイコちゃん、そしてレイコちゃんのお祖母ちゃんに会ったのが、私が小学生時代に見た“襖の奥”に行く最後の夢であった。
 
ひょっとしたら、あまりにも衝撃的な事件があったので、私の中の探究心のようなものが封印されて、あの夢を見なくなったのかもという気もした。
 

私はその後、中学生、高校生となり、大学に進学した。大学で私が選んだのは数学科で、学校の先生になることを考えて教諭の資格に必要な科目も取得した。大学4年の時は出身高校で教育実習もさせてもらった。
 
しかし大学4年の時の指導教官は、
「君は教員採用試験には通らないと思う」
と私に通告し、プログラマーになることを勧めた。
 
それで結局私はソフト会社に就職した。1年目からSEになり、10人程度のプロジェクトを統括して、システム設計とメンバーの管理をする仕事をすることになる。忙しい日々が続いたが、私が3年目に担当した建築部材の見積りに関するシステムが、1000万円(30人月)もの費用を掛けて開発したのに、向こうの担当者が辞職してしまったのなどもあって検収を拒否されてしまう。担当者は上司などには確認せず勝手に仕様を決めていたようだった。
 
私は責任を問われて、ゲーム制作会社への出向を命じられた。
 
ところが私はここでゲーム開発・ウェブ制作にまつわる様々な技術、特にPhotoshopやフラッシュなどの操作を覚え、またHTMLコーディングのテクを覚えて、その後の自分のキャリアの強い武器になるのであった。
 

ゲーム制作会社で1年ほど仕事をしていた時、本社で社員間の深刻な対立があり、社員の3割ほどが辞職するという重大な事件が起きる。私は辞めた人たちが担当していたシステムの制作のため、本社に呼び戻された。
 
その時、私は倒産した大型スーパーの系列会社で連鎖倒産したソフト制作会社から社員ほぼまるごと採用したSEのひとりとしてうちの会社に入っていた“ケンザキ・ミチヨ”に再会したのである。
 
「ミッちゃん!」
「カズちゃん!」
と言って、私たちは手を取り合って再会を喜んだ。
 
「あれ?君たち知り合い?」
「小学校の同級生なんですよ」
「へー」
と社長は感心していた。
 

社内ではいろいろヤバい話もあるので、私たちは夕方、会社を出てから料理店の個室で話をした。
 
「でもミッちゃん、女の子になっちゃったんだ?」
「えへへ。20歳になったらすぐタイに行って性転換手術受けちゃった」
「すごーい!」
「もう戸籍上でも女になっているんだよ。だから大学の卒業証書も、情報処理技術者試験も .com Master も全部ミチヨ名義なんだ」
「それは素晴らしい」
 
そんな感じで、私は彼女とは再度親友になったのである。
 
「実はさぁ、私、兄貴が死んだ後、全寮制の男子校に入れられたじゃん」
「うん。あれ、ミッちゃん、そんな環境に耐えられるかと心配した」
 
「お父ちゃんとしては全然男らしくない私を男として鍛えようと思ったんだろうけど、男子校なんて、みんな女の子に飢えてるじゃん」
 
「へ?」
 
「だから、私、男子生徒たちのアイドルになっちゃった」
「なるほどー!」
 

「男子たちからバレンタインとかもたくさんもらった」
「バレンタインって女の子が男の子に贈るものでは?」
「もちろんホワイトデーもたくさんもらった」
「ああ」
 
「可愛い服とか買ってプレゼントしてくれる子もいて、私女の子の服には困らなかったよ。実際、寮内ではほとんどスカート穿いて過ごしてたし」
「それは凄い」
 
「学校の公式行事には仕方ないから男子制服で出てたけど、部活の応援とかには結構、女子高生の制服っぽい服を着て応援に行ってた」
「へー」
「みんなきっと系列の女子高か共学校から友情応援に来ているのだろうと思ってたみたい」
「ああ、そういうのあるよね」
 
「で、高校時代に去勢しちゃったから、お父ちゃんもとうとう私のこと諦めてくれたみたいで」
 
「完璧に既成事実作りか」
 
「学割で10万円で去勢手術してもらった」
「学割があるんだ!」
 
でも高校生の去勢っていいの!??
 
しかし彼女は女声で話しているし、メラニー法でもないようだ。肩も撫で肩である。きっと小学生のうちから、女性ホルモンを調達して飲んで、声変わりを始めとする男子の二次性徴が出るのを抑えていたのだろう。
 
だったらきっと、去勢手術以前に、もう男を辞めてる!
 

「一応こちらの会社の社長さんには性別を変更していること話したけど、それは気にする必要はないし、他の社員には言う必要もないと言われた」
 
「それでいいと思うよ。ミっちゃん、女の子にしか見えないもん」
 
彼女が女にしか見えないのは、やはり高校時代に去勢したからだろうなと私は思った。この世界では早く女性化を始めた人ほど完璧である。
 
「元々SEを目指したのは、ソフト業界って、ソフトさえ組めたら、性別は問わないし、仕事時間にしても業務上の権限も男女に差の無い会社が多いと聞いたからさ。それに服装もわりと自由な所が多いと聞いたし。そしたら、私みたいなのも受け入れてくれるかもと思ったんだよ」
 
「うん。それは私も感じている。うちの会社も実際、背広着て仕事してるのは営業の人だけだし、女子でスカート穿いてる子なんていないし」
と私は言った。
 
「まあ私はスカート穿きたかったけどね」
「ああ、それは残念だったね」
「前の会社ではスカート派のSEもいたんだけど、ここは居ないね」
 
うちの会社では、女子社員でスカートで勤務しているのは事務の子だけである。SEもCEも全員ズボンである。CEなど女子が7割だけど、メンテのために、機械の下に潜り込んだりしての作業もあるから、スカートでは全く仕事にならない。社長の奥さん(役職は総務部長)からして、いつもツナギ姿である。お化粧などもせず、顔にしばしば機械の油汚れなどがついている。
 

「ちなみにお父ちゃんの会社は、姉貴と結婚した将来有望な男性社員が継ぐ方向で。私そもそも経営的なセンスも無いしね」
 
「ああ、それはそういう気がする。ミッちゃん、あまり俯瞰力とか無いもん」
 
彼女はオセロも将棋や囲碁もすごく弱い。
 
「そうなんだよねぇ。私って目先のことにとらわれてしまう傾向があるもん。お金とかも目の前にあるお金は全部使っちゃう」
 
「それは何とか改めるようにした方がいいと思う」
 

「だけど性別変更したいちばんのメリットは、縁談を持ち込まれなくて済むことだね。姉貴たち、まだ結婚してない3人は大変みたい」
 
「ああ。でもミッちゃんだって、凄く可愛いし、子供くらい産めなくてもお嫁さんに欲しいって人はきっといるよ」
 
「面倒くさいから、いいや」
「セックスは可能なんだっけ?」
「私とセックスしてる男は、気持ち良いと言ってるよ」
「ああ、ボーイフレンドがいるんだ?」
「一応、お互いセフレのつもりだけど」
 
「結婚すればいいのに」
「妊娠でもしないと結婚してくれないかも」
「そこを何とか、なしくずし的に長期間関係を維持すれば、事実上妻のようなものになっちゃうよ」
 
「まあそういう線を狙う手はあるね。向こうはこちらが妊娠しないのをいいことにいつも生でやってるから、付けてやるのとは大違いだとか言って、割と私にハマってる気はするし」
 
「まあ後は、餌で釣る一手だね」
「うん。私、料理はわりと得意。彼の舌にも合ってるみたいだし。お弁当も毎日作ってあげてるし」
 
つまり同棲か、それに近い状態にあるのだろう。
 
「あと一押しだな」
「そうかもね」
 
彼女は結局彼氏と5年付き合った。そして彼が「他に女作るのも面倒くさいし」などと言って指輪を贈ってくれた。それで2人は正式に結婚するに至った。私は彼女たちの結婚式で新婦の友人代表としてスピーチをした。
 
(彼の親には性別変更の件は言ってないらしいが、彼は『バレないバレない』と言っていたという。でも結婚5年目に彼の精液とミッちゃんのお姉さんの卵子を使用した人工授精・代理母で子供を作って特別養子にした(つまり実子と同等)。養子であることも親には内緒と言っていた。子供の見た目も彼・ミッちゃんの双方に似ていたので祖父母にも可愛がられた)
 

私が27歳の時、私はニュースを見てびっくりした。小2の時まで同級生だった、大森サチコちゃんが、NASDA(後のJAXA)に宇宙飛行士として採用されたというニュースだった。ロシアのソユーズ・ロケットに乗って、国際宇宙ステーションにも行くらしい。
 
私は彼女のツイッター・アカウントに「おめでとう。頑張ってね」というメッセージを送ったのだが、彼女はこれに気付いて、忙しいだろうに、わざわざ私に返信してくれた。
 
その後数回のメッセージのやりとりの末、結局1度電話でお互いの近況報告もすることになった。
 
彼女はあの後、親戚の住んでいた盛岡に移住し、盛岡市内の進学校から東北大学に進学。理学博士号(物理学)を取得したらしいが、一方では高校時代はバレーでインターハイや春高バレーにも出場したらしい。スポーツやりながら旧帝大に合格したって凄い!と私は言った。
 
「まあ補欠のベンチウォーマーだったから、出番はあまり無かったけどね」
「いや、インターハイに行くようなチームなら、ベンチ枠に入るのも凄いハイレベルの争いのはず」
 
「大学院を出た後は、日立の研究所にいたんだけど、私が運動能力も学術知識もあるというのに目を付けたNASDAの人からスカウトされて、アメリカのNASAに派遣されて1年間宇宙飛行士の訓練を受けていたんだよ」
 
「なんか大変そう」
「うん。大変だった!」
と彼女は言っていた。
 
ちなみに当時中学生で家出騒ぎを起こしたお兄さんだが、今は普通に会社勤めをしていて、詩の同人雑誌を数人で一緒に編集しているらしい。一時期はWWWサイトも立ち上げていたが、運営が大変で、特にスパム投稿に悩まされ、結局ギブアップしてしまったらしい。
 
「でも兄貴の家出騒ぎのおかげで私は都会の中学高校に通って勉強も鍛えられたからね。結果的には兄貴の家出が、今の私を作ったんだよ」
と彼女は明るく話していた。
 
彼女は最後に
「予言する。カズちゃんは30歳までには結婚して子供もできる」
と言っていた。
 
「宇宙飛行士までやるサイエンティストが予言なんてするんだ?」
 
「神秘的なものを全否定する人は、トップ・サイエンティストにはなれないよ。トップの人たちは神がかり的な領域で仕事をしている」
とサチコは言っていた。
 
本当にそうかも知れない気がした。
 
彼女はその1ヶ月後にソユーズに乗って宇宙に行った。半年間にわたって国際宇宙ステーションに滞在して任務を遂行。むろん無事帰還した。彼女は5年後にも再度国際宇宙ステーションに行ってきた。
 

サチコちゃんが宇宙に行っていた時期、私は新しい案件があって、青葉通りにオフィスを構える、建築設計会社を訪問した。応接室で待っていたら、見た目26-27歳くらいの社長さんが入ってくる。
 
「サトウ君?」
「あれ?もしかしてゴトウさん?」
「うん」
「それはまた美人さんになっちゃって」
と彼は懐かしそうに言った。
 
「サトウ君も元気そうで何より」
と私が言うと、彼は応接室のドアの所まで行き
 
「おーい、専務ちょっと来て」
と声を掛ける。それで入ってきたのはレイコちゃんだ!
 
「もしかして結婚したの?」
「5年前に結婚した」
「ほんと!?良かった」
 
「実は、レイコの両親がさ、連名で俺の親父が軽い罪で済むようにと嘆願書を書いてくれたんだよ。それで親父は執行猶予で済んだ」
 
「そうだったんだ?その件もみんな心配してたよ」
と私は2人に言った。
 
「うちのお父ちゃんは、うっかり失火させてしまうなんて、誰にでも起きえることで、もしかしたら自分が失火させてしまって、サトウ君の家族の誰かが死んでいたかも知れないと言って、あまり悩みすぎないようにして欲しいとサトウ君のお母さんには言ってた」
とレイコは語った。
 
「俺たちも最初はお互いぎこちない感じだったけど、俺の親父の判決が出て、執行猶予になって釈放されてきてから、あらためてレイコの両親の前で土下座して謝って、その後、お互いこれでわだかまりは無しにしましょうよとレイコの父ちゃんが言って。両家で一緒に食事会をしたんだよ」
 
「へー!」
 
「お父ちゃん同士は飲めば仲良くなって、肩を抱き合ったりしてたね。双方のお母ちゃんは呆れてたけど」
とレイコ。
 

「それでレイコのお祖母ちゃんの三回忌が終わった夜に、俺たちは恋人になった」
 
「つまり、やったんだ?」
 
「そういうダイレクトな表現はしないこと」
などとサトウ君は言っている。レイコは恥ずかしがって顔を赤くしている。
 
それ2人はまだ中学2年生だよね!?
 
結局2人は大学生時代に同棲するようになり、学生結婚してしまったらしい。そして大学卒業後サトウ君が2年間建設会社に勤めてから独立してこの会社を作ったということだった。その時点で既に子供が4人いたらしいが・・・どうも計算が分からない!?
 
しかし、それで今、青葉通りにオフィスを構えるまでになったというのは凄い、と私は言った。
 

私はレイコに、お祖母ちゃんが作ってくれた焼きおにぎりの味を再現してみたことを話した。ぜひ食べたいというので、次回の打ち合わせの時に作って持っていったら、レイコもサトウ君も
 
「うんうん、この味だよ」
と喜んでいた。私はレイコに、この焼きおにぎりのレシピをプリントしたものも渡したが
 
「あれ?でもゴトウさん、うちのお祖母ちゃんと会ったことあったっけ?」
とレイコは不思議そうにしていた、
 

その年の暮れ、私のアパートに1枚の往復葉書が届けられた。
 
見てみると、シノダ・マリ、シノダ・ノリの結婚式披露宴の案内である。私はまさか姉弟で結婚するわけはないだろうしと思い、結婚式披露宴には出席したいという旨を書いた上で
「誰と結婚するの?」
とメールをした。するとマリちゃんのほうから電話がかかってきて、うっかり結婚相手の名前を書き忘れた!と言っていた。かなりあちこちから問い合わせがあったらしい。
 
「私の相手は、アベ・ハルオ、ノリの相手はアベ・アキラというんだよ。向こうも双子でさ。だから双子と双子の結婚。それで結婚式も披露宴も一緒にやっちゃおうという魂胆」
「へー!」
 
彼女が口頭で伝えてくれた当日のスケジュールはこのようであった。
 
10:00-10:30 マリとハルオの結婚式
11:00-11:30 ノリとアキラの結婚式
12:00-14:00 合同披露宴
 
「でも凄いね。双子と双子で結婚って。でも都合良く、向こうも男女の双子だったんだ?」
 
「違うよ。向こうはふたりとも男の子だよ」
「待って。だったら、ノリちゃん男の子と結婚するの?」
「ああ、言い忘れていた。ノリも女の子になったんだよ」
「性転換手術しちゃったの?」
「高校3年の夏休みに手術しちゃった。それで卒業式は女子制服を着たんだよ」
「へー!」
 

彼女たちとは高校が別になってしまったので、そのあたりの消息は聞いていなかった。でも中学時代は、ノリちゃんは男子制服を着るのが凄く嫌そうだった。授業の間は仕方ないので学生服を着ていたけど、部活になるとマリとお揃いのセーラー服を着て一緒にコーラス部のソプラノで歌っていた。
 
ノリが声変わりしてないのは何かしたんだろうとは思っていたが、この時の電話でマリは、ノリが小学6年生の時に、密かに睾丸を除去したことを語った。その後女性ホルモンも飲んでいたので、実は高校に入る頃は既に普通の女子高生並みにおっぱいも膨らんでいたらしい。
 
「それでも男子制服着せられていたんだ?」
「物理的に男性である以上、男子制服を着てくれと言われていた。もちろん部活の時は女子制服を着てたけどね」
「ああ」
「コーラスの大会でも女子制服着てソプラノで歌って記念写真とかも撮ってるし」
「それいいね」
 
「でも物理的に女性になりましたからと言ったら、学校側も女子制服の着用を正式に認めてくれた」
「よかったね」
「戸籍は20歳になるまで法律上変更できないけど、性転換手術までしたのならいいでしょう、と理事長さんが折れてくれた。先生たちの中には異論はあったみたいだけど」
 
「理解のある理事長さんで良かった」
 

「それは結婚する相手のアキラさんは承知なのね?」
 
「実はさ」
「うん」
「私たちは2人と2人で結婚するんだよ」
「だから、マリちゃんがハルオさんと結婚して、ノリちゃんがアキラさんと結婚するんでしょ?」
 
「そうじゃなくて、私はハルオ・アキラの2人と結婚するし、ノリもハルオ・アキラの2人と結婚する」
 
「ごめん。意味が分からない」
「毎晩、どちらがどちらと寝るかは抽選」
 
「まさか重婚なの?」
 
「両方重婚だから重々婚だね。それで私がハルオの子供もアキラの子供も産む約束。私が産んだ子供を双方でシェアする。1人おきにノリとアキラの養子にする。ハルオとアキラは一卵性双生児だから、遺伝子的にどちらの子供かなんて、神様にしか分からないし」
 
「うっそー!?」
 
「家も4人で一緒に住む」
 
「私、頭がクラクラしてきた」
 
「まあ、各々相手を見間違えるくらい、各々似てるしね。デートでもしばしばお互い相手が誰なのか分からなくなること、よくあった」
 
「はぁ」
 
まあ色々な愛の形があってもいいのだろう。
 

私は彼女たちの披露宴でも“新婦たち”の友人としてスピーチをした。
 
マリとノリはふたりとも同じデザインのウェディングドレスを着ていた。エンゲージリングまで、ほぼ同じものを作ってもらったらしい!
 

マリとノリの結婚式の夜、確保してもらったホテルの部屋で、私は急に昔のことを思い出した。ホテル近くのコンビニに行くとトランプがあったので、買って帰る。それで開封すると、本当に久しぶりに“キング&クイーン”をした。
 
すると全てのカードが取り払われてハートのクイーンとキングがくっついた。
 
すごーい!と思う。
 
やはり結婚式に出席したせいで、そういう方面の回路が活性化しているのかなと私は思った。
 
これで恋が叶うということになるけど、困ったことに彼氏が存在しない!
 

28歳の誕生日の夜、私は16年ぶりに“襖の奥”の夢を見た。
 
私は大学に入る時に仙台に出てきたので、時々しか実家には帰っていない。特にここ7-8年は仕事が忙しいこともあって、全く帰っていなかった。この夢を見たのも仙台のアパートでであった。
 
私は実家にいて、ひとりで留守番をしていた。居間を出て階段を登り、2階の廊下を歩いて奥の部屋のドアを開ける。するとそこにいたのは、小学生当時に私に小振袖を着せてくれていた、お祖母ちゃんではなく、従姉のメグミであった。
 
私は泣いてメグミとハグしあった。
 
「久しぶり、カズちゃん。美人になったね」
「うん。大学卒業する直前、大学4年の夏休みにやっと性転換手術を受けることかできた。おかげで、女子として就職できたし」
 
「良かった良かった。声変わりもしなかったんだね」
「うん。なぜかしなかったんだよ。病院の受診を勧められたけど、私はこの方が都合いいから、そのままにしてた」
 
私はひょっとして、夢の中でヒロヒコ君のお祖父さんがくれた薬のお陰かも、などと考えていた。
 
「良かった良かった。でもまだ未婚でしょ?だったら振袖着れるね?」
「うん」
 
それで私は服を全部脱ぐ。小学生の時は、上着とズボンを脱ぎ、シャツとブリーフを脱いでいたけど、今の私は、ブラウスとスカートを脱ぎ、キャミソールを脱いでブラジャーを外し、ショーツも脱ぐ。
 
「ちんちん無くなって、ちゃんと女の子の形になってる」
などと言って、メグミは私のあそこに触る。
「触るのは勘弁してぇ」
「いいじゃん、女の子同士なんだから」
とメグミは言った。
 
うん。やっとメグミと同性になれた。
 
メグミは私に湯文字を穿かせ、木綿の肌襦袢・ポリエステルの長襦袢を着せた上で、赤い振袖を着せてくれた。
 
「この振袖、袖が長い」
「大振袖だからね」
「それ結婚式の衣装では?」
「どうせ来年には着ることになるよ」
「・・・・・」
 
私はメグミと再度ハグしあってから、白い足袋に赤い草履を履き、彼女が開けてくれた奥の襖から先にある階段を降りていった。
 
小学生の頃は、いつもこの階段を降りた後、右手に続く廊下を歩いて行っていた。ところがこの日はその階段を降りた所から左側に行く小さな廊下があることに気付いた。
 
どうして今までここの廊下に気付かなかったんだろう?と思い私はそちらに行ってみたがすぐ行き止まりになる。あっそうか。行き止まりだから、こちらには来なかったのか、と思った。でもよく見ると、少し先の方にも廊下があり、こちらの廊下と向こうの廊下の間に1mくらいの空隙がある。
 
このくらいの距離なら向こうに渡れそうと思った。でも小学生の私には無理だったろうなとも思う。私は念のため振袖の裾をめくりあげると、足を慎重に伸ばして片足を向こうの廊下の端に置く。そして柱組に捉まりながら、そちらに体重を移す。
 
乗り移れた!
 
それで私はそちらの廊下を歩いて行く。こちらも私がいつも歩いていた“迷宮”と同様に、廊下と階段がたくさん繋がっている。でも初めて歩く場所だ。
 
適当に歩いている内に、引き戸があったので開けてみたら、まるで小学校の教室のようであった。中には誰もいなかったが、私はここは小学2年生の時の教室だと思った。
 
誰もいないので引き戸を閉め、廊下を先に行く。階段があったので降りる。
 
するとバッタリと思わぬ人と出会った。母と妹である。
 
「あれ、お姉ちゃんここで何してんの?}
と妹が言う。
 
「私は家の中を歩いていたつもりなんだけど」
「あんたも一緒に“赤階段”に行く?」
「赤階段?」
「この階段迷宮の中にあるレストランだよ。迷宮を歩いて辿り着けないと食べることができない」
 
「面白いことしてるね!}
「実際はガイドマップがあるから、それを見ればちゃんと辿り着ける」
「へー」
 
それで私は母・妹と一緒に、そのレストランに行き、フレンチのコースを一緒に食べたのであった。
 
「お父ちゃんはあんたが女の子になったこと、許す気になっているよ。一度実家に帰っておいで」
と食事をしながら母は言った。
 
「分かった。一度帰る」
と私は(夢の中だけど)母に返事した。
 

料理を食べてから(代金は私が払うと言ったが母が払ってくれた)、母たちと一緒に迷宮の“入口”に出る。そこから私はこの迷宮の全貌を初めて見た。
 
「ここに出るんだったのか!」
と私は驚いた。
 
それは実家の近くにあったバイパスの沿線であった。この道路側から見ると、大きな廃工場の跡のように見える。そこには複雑に入り組んだ階段や廊下が走っていた。左手の方は白い区画、中央には赤い区画、右手には青い区画があった。
 
私が小学校の時に何度も歩き回っていたのは左手の白い区画、レストランや古い教室があり、母・妹と出会って食事をしたのが中央の赤い区画、右手の青い区画はその迷宮を歩いたことがないが、私は思い当たった。これは実家の近くにあるペンキ屋さんの倉庫の中から始まる迷宮だ。そこにも迷宮が存在することを、私はメグミから聞いたことがあった。その迷宮はこちらの迷宮とつながっているはずだけど、自分にも行き方は分からないとメグミも言っていた。
 
私はこの迷宮の全貌の写真を撮りたいと思い、道路の端ギリギリまで行った、後ろは海なのでこれ以上は後退できない。でもそこでスマホを向けても、どうしても全貌をフレームの中に収めることはできなかった。
 
そこで目が覚めた。
 

私は居ても立ってもいられなくなり、会社に「実家に用事ができたので」と電話を入れ、自分の車・赤いミラージュに飛び乗ると、東北道を走り、国道を走って実家近くのバイパスまで行ってみた。
 
しかしどんなに探しても、夢の中で出て来たような廃工場を見つけることはできなかった。
 

私は近くにあるバイパス上のポケットパークに車を駐め、少し歩き回ってみたものの成果は無かった。
 
仕方ないので、このまま実家に顔を出そうかなと思って車に戻ろうとしていた時、私は
「もしかしてカズちゃん?」
という声を聞いた。
 
振り返って見ると、背広スーツを着た28-29歳の男性がいる。
 
「もしかして、ヒロヒコ君?」
「やはりカズちゃんだ!」
 
私は突然涙が出て来た。彼はびっくりしたようで、そばに寄り、私の手を握ってくれた。彼の手は温かくて力強い。20年前の記憶が蘇る。
 
「懐かしい。でもカズちゃん、やはり女の子になっちゃったんだ」
「うん。それで仙台でSEしてる」
「へー。仙台にいるのか。僕も医師免許取って、仙台の病院に勤めているんだよ。まだ研修医だけどね」
「へー」
 
「立ち話もなんだし、どこかで一緒に食事でもしながら少し話さない?」
「うん」
 
と私は笑顔で頷いた。
 
目次

【襖の奥】(1)