【合唱隊物語】(1)

目次


 
 
その年は災害の当たり年ともいうべき年だった。
 
特にウテロが住むバジロ郡の被害は凄まじく、国は軍隊を派遣して瓦礫の片付けや川岸の補修、また炊き出しなども行ったが、人々は途方に暮れていた。
 
ウテロの通う学校でもクラスの3割ほどの生徒が欠けていた。死んだ者もあれば、もう少し被害の少ない他地域へ移住していった者、そして「売り飛ばされた者」もいるという噂だったが、学校側もひとりひとりの生徒の消息はつかめていなかった。ウテロは「売られた」子って、その後どうなるんだろうと訝った。
 

あまりに酷い災害であったため、王太子殿下ご夫妻がバジロ地方を慰問に来た。ウテロも町の広場に行ったが、王太子殿下はとても格好いい感じの人だった。そして妃殿下はとても美しい人だった。素敵だなあと思って眺める。
 
妃殿下直属の国立合唱隊も一緒に来ていて、美しい称賛歌を披露した。見た感じ、20歳から30歳くらいの女性20人ほどで構成されていたが、ウテロはその美しい響きに涙した。
 
「妃殿下って美人さんだよね」
「うん。あの人が次のお后になるんだったらいいなあ」
「妃殿下って合唱隊の出身らしいよね」
「そうそう。合唱隊にいたのを王太子殿下に見初められて結婚したんだよ」
 
へー。じゃ妃殿下も歌がうまいのかなと思いながらウテロは合唱隊の歌を聴いていた。
 
やがてご夫妻が次の町に行くため、馬車の方に行く。その時ちょうどウテロのそばを通った。ウテロは歌に感動して涙を浮かべていたのだが、妃殿下はそのウテロを見ると、手をお取りになり、
 
「少年よ。どんなに辛いことがあっても決して諦めてはいけません。神はいつも私たちを見ています。必ずやそなたにも幸いがあるでしょう」
 
とおっしゃった。ウテロはその妃殿下の美しい声と言葉に感動して
 
「ありがとうございます。がんばります」
と答えた。
 

その数日後の晩のこと。ウテロはお腹を蹴られるような衝撃で目を覚ます。見ると兄のレグルが寝返りを打って、足をウテロのお腹の上に放り投げたようであった。ウテロはその足をどけてから、ついでにトイレに行こうと思い、部屋を出た。トイレは家の外にある。そこでおしっこをしてから出ようとした時のこと。
 
「子供たちは?」
「みんな寝てるよ」
 
両親の声がする。
 
「もう限界だよ。なあ、いっそ子供たち全部殺して俺たちも死なないか?」
 
父がとんでもないことを言うのでウテロは驚く。
 
「私もそれ考えた。だけどさ。どうせみんな死ぬくらいなら、何人かだけ間引かないかい?」
 
間引くって何だろ?とウテロは疑問に思う。
 
「うーん。それもひとつの手かな。とにかく子供8人はもう食わせていけん」
「とりあえず2人くらいになれば何とかなるよ」
「じゃ6人間引くのかい?」
 
ウテロは「間引く」の意味は分からなかったものの、どうもやばいことのようだと考える。
 
「長女のジューンはお嫁にやっちゃおうよ」
「こんな時に嫁のもらい手なんてあるか?」
 
「***のご隠居がさ、前々からあの子をめかけにくれないかと言ってたのよ」
「何だ。めかけなのか?」
「この際、いいじゃん。支度金に5万フェルくれると言ってるし」
「そんなにもらえたらかなり助かるぞ」
「だろ。それから三女のアンナは女衒に売ろうよ」
「あんな小さい子、買ってくれるのか?」
「最初は半玉と言って行儀作法を習いながら、小間使いみたいなことをするんだよ。そして初潮が来たら、客を取るんだ」
「ふーん、そうなっているのか」
 
「男の子だけど、長男のトーマは軍隊に入れよう」
「あの子は身体が頑丈だからな」
「次男のジョンは坊さんにするんだよ」
「あの子は本が好きみたいだから、それもいいかな」
「そして四男のレグルと五男のウテロを間引こう」
 
え?僕、間引かれるの?でも間引くって結局何のこと?
 
「なるほど。レグルは大飯食らいだし、ウテロは身体が弱くて農作業ができん」
「それで三男のフッドと次女のマリアだけ残す。フッドは農作業を黙々とするし、マリアはあと2年くらいしたら嫁さんに出せると思うんだ」
 
「それなら何とかなるかもしれないね」
「よし、じゃ間引く準備してくる」
 

ウテロは、とりあえず部屋に戻らなければならない気がした。それで両親が納屋に何か探しに入ったのを見送って、そっと母屋に戻ると、布団の中に戻る。
 
しばらくしたらそっと戸を開ける音がする。薄目を開けて確認すると両親だ。僕を「間引き」に来たのかなと思う。でも「間引く」って結局何なのさ?
 
父がいきなりウテロの身体に馬乗りになって両手をぎゅっと押さえた。それと同時に顔に何か冷たいものがかぶせられた。何これ? 息ができないよ!
 
その瞬間、ウテロはやっと「間引く」というのは殺すことなんだということを理解した。だったら家に戻らずに逃げれば良かった! でも逃げてもどうやって食べていけばいいんだろう。
 
でも死にたくないよお。神様たすけて!
 
そんなことを考えた時、突然稲光がしたかと思うと、ほとんど間髪を入れずにドーーーーーン!という大きな音がした。それで部屋の中にいた子供たち全員が起きてしまう。ウテロも父の力が一瞬緩んだ隙に手をふりほどいて、顔に掛けられている「水に濡らした紙」を取り除いた。
 
長兄のトーマが窓を開けて音のした方を見ている。
 
「教会の一本杉に落雷したみたい」
「燃えてるね」
と長女のジューンも言う。
 
ウテロも兄・姉たちのそばに行き窓の外に見える大きな炎を見ていた。そしてウテロは神様が助けてくれたんだ、というのを実感した。
 

朝になると、両親はジューンに**さんとこの妾(めかけ)になれと告げた。「いいよ」とジューンは無表情で答えた。ジューンも現在の家の窮状は理解しているので、自分が「売られるのだな」というのを認識しても、それに異議は唱えないのだろう。
 
両親は次いで、トーマに軍隊への入隊、ジョンに出家することを命じた。
「分かった。行くよ」
とふたりとも答えた。
 
ジューンの婚儀はその日の夕方行われた。ジューンは結局無表情のまま、金持ちの旦那の妾として嫁いでいった。妾って辛いのかなと思ったが、婚儀にも出席していたそこの正妻さんが何だか優しそうでジューンにも色々声を掛けてあげているのが、せめてもの救いかなとウテロは思った。
 
その晩、トーマがウテロに今夜は自分のそばで寝るように言った。そのお陰か、両親はその夜はウテロを殺しには来なかった。
 
翌日、トーマは軍への入隊手続きを取り、ジョンは頭を丸めて入道の儀式を受けおのおの旅だって行った。
 

そして夕方、女衒(ぜげん)のゴーダがやってきた。
 
「で、どの子を売るんだい?」
とゴーダは言った。
 
「この子なんだけどね」
と言って母はウテロより2つ年下のアンナを指さすが、アンナは明らかに怯えている。女衒の意味は分かっていなくても何だか怖い人らしいというのはアンナも知っている。
 
「私、どうなるの?」
「大丈夫だよ。可愛い洋服を着て、美味しいもの食べられるんだから」
 
するとアンナが不安がっているのを見て、次女のマリアが言う。
 
「おじさん、私も一緒に買ってくれない? この子、まだ何も知らないから、私が少しずつ教えてあげるからさ。私はすぐ客を取れるよ」
 
「ふーん。もう月の物が来てるのかい?」
「うん。去年くらいから来てるよ」
 
「じゃ、どうだろう? この子も一緒に買おうか?」
と言って母を見ると、母は
「それは助かるよ」
などと言っている。
 

それで2人まとめて3万フェルで買うという話がまとまる。
 
「そちらのお嬢ちゃんは? あんたもう月の物来てるのかい?」
とゴーダはウテロを見て言った。
 
へ?月の物?それって女の子だけじゃないの?男の子でも月の物って来るんだっけ?とウテロが悩んでいると、
 
「いや、ゴーダさん、これは男の子ですよ」
と母は言う。
 
「あれ?そうだったの。ごめんごめん」
と言ってからゴーダは少し考えるようにして
 
「君、歌はうまい?」
と訊く。
 
「うまいかどうか分からないですけど、歌うのは好きです」
「何か歌ってみて」
 
それでウテロは称賛歌の102番を歌ってみせた。
 
「うまいじゃん。ね、ね、この子、合唱隊に入れないかい?これだけ歌えたらきっと入れてくれるよ。入れば支度金で5万フェルもらえるよ」
 
「そんなに?」
と母は驚く。
 
「俺が手数料に2万もらって、あんたには3万ってのでどうだい?」
「それはいいけど、もし入れてもらえなかったら?」
 
「ああ。その時は、男娼として売るよ。これだけ可愛ければ売れるから。ただしその場合は1万フェルくらいしかもらえないけどね」
「それでも悪くないね」
 
などと母は言っている。私もマリアやアンナも、もはや商品なんだなというのをウテロは思った。
 
結局、母はその場で1万フェル受け取り、私が合唱隊に入れたら更に2万フェル渡すということで合意した。アンナ・マリアを売ったお金3万と合わせて4万受け取る。
 

それでウテロ、アンナ、マリアは身の回りのものだけ持って旅支度をした。そこに父が帰ってくる。母はそれと入れ替わりにウテロたちを送り出した。ウテロの後ろで母が
 
「アンナだけじゃなくて、マリア・ウテロも一緒に買ってもらったよ。それで2万フェルももらったよ」
 
などと言っているのが聞こえた。つまり2万だけ父に渡して、残り2万は自分でへそくりにするつもりなのだろう。
 
ウテロたち一行は3日ほど掛けて旅をしてバジロ郡の郡都であるホルドの町まで行った。途中ゴーダは親切だったし、食べ物もいいものを食べさせてくれた。
 
「ゴーダさん、もっと怖い人かと思った」
とウテロが言うと
 
「おまえたちは商品だからね。商品は丁寧に扱わないと」
などと言っていた。
 
先に娼館に行き、ここでアンナ・マリアと別れた。たぶんこれがお互い会うのは最後なんだろうなという思いがして、ウテロはアンナともマリアとも抱き合って涙を流した。
 
ゴーダはふたりを娼館に15万フェルで売った。母に3万渡しているから12万が彼の儲けだ。
 
「嫌がって泣く子とか居ない?」
とウテロはゴーダに訊いてみた。
 
「大半がそうだよ。マリアちゃんみたいにしっかりした子は珍しい。あの子はきっと凄い稼ぎ手になるだろうね」
「へー。アンナだけだったらきっと凄く泣いてたと思ったから」
「まあ、それが普通だよ。自分のこれからのことが不安だろうしね」
 
「でもゴーダさん、客を取るってどういうことするんですか?」
 
ウテロがそんなことを訊くとゴーダは吹き出した。
「何か変なことだったでしょうか?」
「いや、いいよ。まあ君は知る必要のないことだよ」
 
「へー。なんか辛いことなんですか?」
「辛くないよ。むしろ気持ちいい」
「へー!気持ちいいことしてお金もらえるんですか?」
「まあ女の子にしかできないことなんだけどね」
「そうですか。じゃ僕にはできないんですね」
「そうだねえ。とりあえず今は無理だね」
「おとなになったらできるんですか?」
「できるようになる子もいるよ」
「ふーん」
 

やがてゴーダに連れられて、合唱予備学校と書かれた所に着く。
 
「ここなんですか?」
「合唱隊に入るには、ここで最低1年間歌の勉強をして、更に2年間合唱基礎学校、さらに2年間合唱高等学校で学んで、それで優秀な子だけが合唱隊に採用される」
 
「採用されなかったら」
「まあいろいろだな。予備学校を卒業できるのは半分、基礎学校を卒業できる子が入学した子のだいたい2割、高等学校はまたその中の2割だけど、合唱隊は定員があるから欠員が出ない限り新たな採用はない。だから卒業しても合唱隊に入れず、修道院とかに行く子も多いよ」
 
「あ、修道院には行けるんですか?」
「まあな」
 
と言って、ゴーダは言葉を濁すようにした。
 

受付の所で入学希望者であることを告げると、鉄製の門が開いて中に案内される。60歳くらいの女性と40歳くらいの女性が面接してくれた。
 
「何か適当な歌を歌ってみて」
と言われるので、大好きな称賛歌を歌ってみせる。するとふたりの女性はパチパチと拍手してくれた。
 
「合格です」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 
ゴーダは支度金として10万フェルもらっていた。ゴーダは母には支度金は5万と言っていた。母には5万だから2万をゴーダが取って母が3万と言っていたが、実際にはゴーダの取り分は7万である。しかし母はきっと父には1万だったと言うのだろう。
 

予備学校では衣服は規定のものが支給され、それを着なければならなかった。持って来ていた私服は没収された。服は下着も含めて全て質素な麻で作られており、真っ白であった。外側に着る服は上下が一体になっており、腰から下はゆるやかに台形状に裾が広がっている。長さは膝下まであるが、股は無く、まるでスカートみたいだとウテロは思った。
 
「女の人のローブみたいな服ですね」
「修道士の服装ですよ」
「あ、そういえば修道士さんってこんな服着てますね」
 
下着を見てまた戸惑う。
 
「パンツに前開きが無いんですけど」
「ここでの生活は全てシンプルで貫かれていますから、余計な物は付けないんです」
「なるほど」
 
とは言ったものの、トイレの時にどうすればいいんだろうと少し悩んだ。
 

しかしそのトイレだが、行ってみてまた戸惑う。最初入ったら個室ばかりが並んでいるので、間違って女子トイレに入ってしまったかと思い、慌てて飛び出す。しかしそのトイレにはいわゆるトイレマークの男子の印が付いている。そして同級生たちがみんなそこに入っていくのを見る。
 
「ここって男子トイレ?」
「男子トイレもなにもここには男子生徒しか居ないはず」
「でも小便器が無いよ」
「座ってすればいいんだよ」
「へー」
 
それで個室に入り、座っておしっこをしようとするのだが、これが何だかうまく行かない。座ってしようとすると、何だか、大をする感覚になってしまう。今は大はしたくない。小だけしたいんだけどと思うが、どうすれば座った状態で小だけできるのかがよく分からない。
 
色々試行錯誤して、後ろの方の筋肉は引き締めたまま、前の方の筋肉を緩めてみた。出た!
 
ふう。おしっこするのがこんなに大変だなんて。
 
しかしトイレに関しては最初の数日は苦労したものの、慣れてくると立ってするより楽じゃんと思うようになった。でも座ってするから、パンツの前開きは要らなかったのかということに思い至った。確かに要らないものは付ける必要無いよね。
 

この予備学校での規則のひとつに「おちんちん禁止」というのがあった。おしっこをする時と、お風呂で洗う時以外、おちんちんに触るのは禁止と言われた。
 
「それ以外でおちんちんに触ることって何かあるんですか?」
と訊いたら
「うん。知らなくていいことだよ」
と言われた。
 

予備学校では「私語禁止」というのが言われる。授業では質問をしていいが、休憩時間も生徒同士がしゃべるのはどうしても必要な場合以外、原則として禁止されている。寮でもいっさい会話は無いが、世間のことをあまり知らないウテロにとっては、その方が気楽であった。
 
ただ寮で同室になったケネラとは寝る前などに小さな声で話した。
 
「え?ケネラ君って、もうこの予備学校に3年もいるの?」
「うん。卒業せずにぐだぐだしてる。ここに居る子の半分はそんな感じ。そのうち5年経てば追い出されてどこかの修道院に入ることになるけどね」
 
「なんで?ケネラ君、歌うまいのに」
「上の学校に行きたくないからさ」
「どうして?合唱隊に入りたくないの?」
「おまえ、まさか知らないの?」
「なにを?」
「じゃ、明日教えてやるよ」
 
という話をしたものの、その「明日」は来なかった。翌日ケネラ君はクラヴィの授業の時に、教官と言い争いになり、それで退所を命じられてしまう。
 
「ケネラ君、どうなるの?」
「アルム州の修道院に行くことになった。ウテロ、元気でな」
「うん。ケネラ君も」
 

ケネラが出て行った後、ウテロは1人でその部屋を使用したので、この予備学校の後半ではウテロは授業中に歌ったり質問に答えたりする以外は何もしゃべらない生活を送った。
 
この予備学校では、何よりも歌う時間が1日の半分くらいあったが、その他に音階や基本的な和音を勉強し、楽譜の読み方・書き方を学び、またクラヴィ(ピアノに似た鍵盤楽器)とヴィール(ヴァイオリンに似た弦楽器)、フラウト(フルートに似た木管楽器)の練習もしていた。
 
そして1年ほど経った時、ウテロは校長から尋ねられた。
 
「卒業試験を受けますか?」
「受けたいです」
「本当に受けていいんですね?」
「はい」
 
と答えるが、卒業するのが、そんなに確認の必要なことなのか?と不思議に思った。それでウテロは歌唱、聴音、クラヴィ演奏の試験を受け全科目合格と言われて予備学校を最低の1年で卒業した。
 

9月、ウテロは合唱基礎学校に進学した。もっともホルドの町に居ても、実際には学校の外に出る機会は無いのでずっと学校の敷地の中だけで暮らしている。同じ町に居るはずのマリア姉さんや妹のアンナは元気にしているだろうかと思うが、確かめるすべもない。
 
自分たちが家を出た日、両親は自分とレグルを間引くと言っていた。それで本来はマリアとフッドの2人だけが残される予定だった。しかし予定外にマリアはアンナと一緒に自ら女衒に売られたし、自分も一緒に付いてきて合唱学校に入った。結果的にフッドとレグルの2人だけが残った。その後レグルは間引かれたのだろうか、それとも結果的に残った人数が2人だからレグルは助かったのだろうかというのも考えたが、それも確かめるすべはない。合唱学校は生徒が外部と手紙のやりとりをするのも禁止だから、連絡の取りようもない。もっとも父は全く字が読めないし、母もかなり易しい単語しか読めないから手紙を書いても仕方ない気もするし、返事ももらえないだろう。たぶん自分はもう両親の心の中では「死んだ子」同然なのかもとも思った。
 
基礎学校の先生が予備学校まで来てくれて、この年の9月に基礎学校に進学する生徒5人を連れ出した。基礎学校はここホルドの予備学校と、ペニラの町の予備学校分校の卒業生を併せて受け入れている。この秋の入学者は7人であった。
 
最初に校長から諸注意があるが、私語禁止などの規則はだいたい予備学校と似たような感じである。教科についても説明があるが、和声法・対位法などというのが新たに科目に加わるだけで、雰囲気は似たようなもののようである。ここでも1日の大半は歌唱の時間であることが告げられる。
 

そして様々な説明の最後に校長は言った。
 
「みなさんは年齢的にだいたい11歳から14歳くらいで、そろそろ声変わりが近くなっています。しかし声変わりしてしまうと高い声が出なくなってしまいますので、それを防ぐため、睾丸を取る手術を受けてもらいます」
 
え!?
 
何だかみんなそのことを知っていたのか頷いている。ところがひとりの入学生が「嘘!?なんで!?」と叫ぶ。
 
「睾丸を取る目的はひとつは声変わりを防止すること、もうひとつは自慰行為をしなくても済むようになることです。みなさんの中で自慰の経験がある人は?」
 
年上っぽい生徒が2人手をあげる。
 
「いけないことなのにしてしまう自分が嫌でした」
などと彼は言う。
 
「睾丸を取ってしまえば、自慰したいと思うことは少なくなりますよ。我慢しやすくなります」
と校長。
 
ウテロは自慰って何だろうと疑問に思った。
 
その時、さっき「嘘!?」と声をあげた生徒が
「いやだー。睾丸取られたくない」
と叫ぶと逃げだそうとした。
 
すかさずドアの所に立っていた道士2人に取り押さえられる。
 
「睾丸を取るのは1歩天使に近づくために必要なことです。それを嫌がるとは何ですか? その子を最初に手術します」
と校長が言うと道士2人はその子を連れて廊下の奥の方に連れて行ったようである。「嫌だー。帰して!」と叫ぶ声が遠ざかりながらずっと聞こえていて、残った新入生はお互いちょっと顔を見合わせた。
 
何だか騒ぐ生徒が出たので、ウテロは声を出せなくなってしまったが、自分も叫びたい気分だった。
 

残った新入生6人が交代で歌を歌っている内に、道士が来て
「タイカ君の手術が終わりました。次は誰ですか?」
と訊く。
「僕が行きます」
といちばん年上っぽいケイジという子が言うので、その子はおとなしく廊下の奥の方へ歩いていった。20分単位くらいで次の子を呼びに来る。つまり手術は15分程度で終わるということなのだろう。4番目の子を呼びに来た時、ウテロは
 
「お願いします」
と言って手を挙げた。
 
睾丸か・・・。男にとって大事なものなんだぞ、とトーマ兄さんは言ってたけど、これって何のためにあるのかよく分からない器官だよなとウテロは思う。ぶつけたりすると痛いし。以前、アンナのお股を見てしまったことがある。アンナのお股にはちんちんも睾丸も無かった。たぶんこれって男の子にだけあって女の子には無いのだろう。女の子には無いということは無くてもいいものじゃなかろうか、などと思っているうちに医療室に到着する。白衣を着たお医者さんらしき人がいる。パンツを脱いでベッドに寝てと言われるので脱いで横になる。ローブ状の服の裾をめくられて、下半身が全部露出される。
 
「じゃ睾丸取るよ」
「はい、お願いします」
 
最初に注射を打たれた。注射なんて打たれたのは小さい頃に熱を出して苦しんでお父さんが町の病院に連れて行ってくれた時以来だ。でもこの注射は、打つと感覚が無くなるよと言われた。麻酔というのだそうだ。
 
「ここ感じる?」
「いえ」
 
それで麻酔が効いているようなので手術が始まる。見ているとお医者さんはウテロの睾丸が入っている袋を小さな刃物(メスというんだと聞いた)で切開すると、中から玉を引き出し、その玉に付いている紐状のものを切断した。へー。ああいう紐が付いていたのかとウテロは何か他人事のようにそれを見ていた。さらにもうひとつの玉も引き出して切断する。その後、切開した傷口を糸と針のようなもので縫ってくれた。
 
「はい、終わりです。2-3日は痛いけどその後は痛みはなくなるから。それまではお風呂には入らないように」
「分かりました」
 

手術が終わった後は今日は夕方まで部屋で休んでいていいということだった。それで指定された部屋に行く。ドアを開けると髪の長い美しい人が居たので、ウテロは女の人!?と思って「済みません、間違いました!」と言って慌ててドアを閉めたが、部屋の番号を見ると、渡された紙の番号だ。それで恐る恐る開けてみる。
 
「どうしたの?この部屋に新しく入る子?」
と訊かれる。
 
「はい、ウテロと申しますが・・・」
「私はクレオ。よろしく」
「あのぉ・・・女の人ですよね?」
「この学校に女の人はいないと思うけど」
「男の人なんですか?」
「そうだよ」
「びっくりしたー。凄い美人の女の人かと想った!」
「ウテロ君かな。君もけっこうな美人だと思うけど」
「え?でも男で美人って・・・」
「君も髪を長くするといいよ」
「え?そうですか?」
 
合唱学校は髪の長さは自由ということだったので、ウテロは割と長めにしていた。実は髪を切るのが面倒というのもあったからである。ケネラは短くしていたし、他の長期在学組もだいたい短くしていたが、中には肩に付くくらいまで伸ばしている子もいた。でもクレオの髪は胸くらいまであって、ちょっと見た感じには女の人の髪のようである。しかもクレオは優しい顔立ちで美人だ。ウテロはクレオを見て、いいなあと思った。
 

基本的には校内寮内では私語禁止なので、クレオともそんなに話しはしなかったものの、時々ちょっとだけ交わす会話で、ウテロはクレオにまるで恋するかのように憧れた。
 
「クレオさん、男の人だなんてもったいない感じ。女の人にしてしまいたいくらい」
などとある時ウテロが言ったら、クレオはなぜか凄く苦しそうに笑っていた。
 

基礎学校の授業は基本的には予備学校のものとそう雰囲気は変わらないものの内容はより高度になっていた。発声法に関しても再度しっかり基本を教えられ、これでウテロはずいぶん音域が広くなった。予備学校では歌う時に斉唱をしていたのだが、この基礎学校では高音部と低音部に分けられ二部合唱をする。ウテロはその高音部に入れられ、さらに高音域を鍛えられた。
 
入学の時に泣き叫んで医療室に連行されたタイカは当初、しくしく泣いてばかりいたが、少しずつ立ち直ったようで、元気に歌を歌うようになっていった。彼は歌に関しては同時期に入った子の中でいちばん巧いとウテロは思っていた。
 
この基礎学校では音楽関係以外の授業として文学、ラテン語、そして習字に料理・裁縫などという授業もあった。ウテロはけっこう字がへたくそだったので、習字ではかなり鍛えられた。毎日凄い課題を出されるのでたくさん字を書いて、それで少しずつ字はうまくなっていった。
 
料理とか裁縫の授業は戸惑った。そんなのしたこともないので、包丁の使い方にしても針の使い方にしても新鮮に感じた。
 
「こういうの習うの女の子だけかと思ってた」
などと言うと、ケイジ君が
「修道院に行くと、男ばかりで料理もしないといけないし」
というので
「ああ、なるほどですね」
とウテロは答えたが、ケイジはその後でなぜか忍び笑いをしていた。
 

同室になったクレオからもウテロは大きな影響を受けた。彼が髪を伸ばしているのでウテロも髪をかなり長く伸ばしていった。単純に伸ばしていると変になるのでクレオが少し切って髪型を整えてくれたが、
 
「その髪型可愛いね」
などと他の生徒や先生からまで言われたりして、何だかウテロは嬉しかった。
 
クレオはヴィールの演奏がうまく、彼と同室になったおかげでウテロもヴィールの技術が物凄く進歩した。
 
1年後、クレオは卒業して行った。彼は順調に合唱高等学校に進学したが、同時期に卒業した5人の中で合唱高等学校に進学できたのは2人だけで、残りの3人はここの基礎学校の卒業資格(神学校の中等部卒業程度とみなされ、いきなり副牧師になることができる)で修道院に入るか、あるいはどこかの教会の職員になるのだということであった。
 
「ウテロは高等部に来るよね?」
と卒業の日、クレオは言った。
「行きたいです」
「ウテロなら来れるよ。じゃ頑張ってね」
 

クレオが卒業した後、ウテロはずっとひとり部屋で基礎学校での1年半を過ごした。
 
そして13歳の夏、ウテロは「卒業試験を受けますか?」と尋ねられる。ウテロは高等部に行けばまたクレオに会えるかもと思ったので、特に何も考えずに「はい、お願いします」と答えた。
 
その年の夏、卒業試験を受けるのは、ケイジ、タイカなど6人である。ウテロと一緒に入学した子が4人と、前の学年で1年留年した子が2人である。ウテロは試験室に入ると、
 
「ドミネムス称賛歌78番を歌って」
と言われる。試験官がピアノで最初の音をくれたので歌い出す。
 
その他、初見歌唱、聴音までやった所で、クラヴィとヴィールの演奏も見られる。特にヴィールで『ベネアスのフーガ』を弾くと、審査委員の人が顔を見合わせ、最後は拍手までもらった。
 
そしてウテロは卒業試験に合格した。合格したのは前の学年の子2人と、ウテロ・ケイジ・タイカの3人で、もうひとりは落ちて1年留年することになった。
 

9月、高等部の教官がやってきて、卒業した5人の内ウテロ・ケイジ・タイカの3人を連れていく。残りの前年からいた2人は高等学校への進学は希望しないということで、修道院に入るのだということだった。
 
予備学校、基礎学校は殺風景な雰囲気だったのだが、高等学校は何だか華やかな雰囲気であった。ウテロは「まるで女学校みたい」と最初思った。
 
入学者はバジロ郡の基礎学校卒業者3名、クリト郡の基礎学校卒業者2名、ラビア郡の基礎学校卒業者2名の合計7名であった。最初に高等学校のシステムについて校長からお話がある。
 
「ここは単位方式なので、自分の受けたい授業を受けたい時に受ければ良いです。最短で2年で卒業できますが、20歳になるまでは在学したままで居られます。また卒業試験に合格しても、研究生資格でこの学校にとどまり、更に選択科目の授業を受けたり、歌唱や楽器演奏の腕を磨いたりして、合唱隊の空きができるのを待つことも可能です。退所する場合は、どこかの修道院への入院を斡旋します」
 
「ここを卒業したら、高等神学校卒業程度ですよね。教会の職の口は無いのでしょうか?」
と質問した子がいたが
「合唱高等学校から、教会職員にはなれないことになっていますので、もしそれが希望の方はいますぐここから退出してください」
と校長は言った。
 
しかし誰も出て行かない。
 
「それではこの後、みなさんはもうこの高等学校の生徒です。卒業するか規定に沿った退所以外では外に出られません。よろしいですか?」
 
誰も反応しない。それで校長は言った。
 

「それではみなさんをこの高等学校の生徒とみなします。最初に皆さんには自慰防止のため、陰茎の除去手術を受けてもらいます」
 
「えーーー!?」
という声があがる。
 
「教会の教えで自慰は禁止されています。それを万が一にもしないための用心です」
と校長は言う。
 
《じい》ってそういえば基礎学校でも何度か聞いた言葉だなとウテロは思った。それって何なんだろう。
 
「いやだ! 僕切られたくない。ここやめる」
とタイカが言う。
 
「あなたはもうこの学校の生徒ですから、手術を受けないまま退所することは許されません」
と校長。
 
「いやだ。いやだ」
と言ってタイカは逃げだそうとするが、体格の良い道士につかまる。
 
「その少年を最初に手術しなさい」
と校長が言うので、タイカは泣き叫びながら連れて行かれた。うーん。。。。基礎学校に入った時と同じじゃん。タイカって、わざとあれやってんじゃないよな?と思う。
 
しかし・・・・ウテロは疑問を感じていた。
 
「すみません。《いんけい》って何ですか?」
 
校長がぽかーんという感じの顔をしている。隣に居るケイジが言う。
 
「おちんちんのことだよ、ウテロ」
「えーー!? おちんちん取っちゃうんですか?」
「嫌だと言ってもタイカみたいになるよ」
 
ウテロはちょっと驚いていた。ちんちん取られちゃうなんて・・・・さすがに嫌だなとは思うけど、万一ここから逃亡したとしても、帰る家など無い。
 
「別に陰茎など無くてもいいのです。女になれと言っている訳ではありませんし」
などと校長は言う。
 
「でも、おちんちん無くなったら、おしっこはどうすればいいんですか?」
「ちゃんと出る所は確保するから心配いりませんよ」
「だったら良かった」
 
そのあたりの知識が全く無いウテロと校長やケイジとの会話で何だか場の空気がやわらいだ感もあった。
 
「ケイジさん、ここに来たら、おちんちん取られるって知ってたの?」
「知らない方がおかしい」
「私、全然知らなかった!」
 
どうも他の入学者の顔を見ていると、知っていた子と知らなかった子が半々くらいのようだ。しかし知らなかった子もここで暴れたりしてもどうしようもない、と諦めている感じだ。
 

手術は2人ずつできるということで今すぐだれか手術できますよと言われたので、クリト郡から来た子が「私行きます」と言って、医療室に連れられて行った。1時間ほどしてから、「次2名いけます」というので、ケイジとウテロが希望した。
 
廊下を歩いて行く時、ケイジが小声でウテロに言った。
「実は僕が合唱学校に入ったのは、この手術を受けるのが目的の半分」
「へー! おちんちん取られたかったんですか?」
「うん。物心ついたころから、無くしたいと思ってた」
「そんな人もいるんだ」
「ウテロはちんちん取るの嫌じゃない?」
「ちょっと嫌だなとは思うけど、おしっこできなくなる訳じゃなかったら別にいいかなと思います」
「ウテロって受容性が高いよね」
「じゅようせい?」
「ふふ。いいんだよ」
 
「でも考えてみたら女の子は、おちんちん付いてなくてもおしっこしてますもんね」
「女の子がおしっこしている所見たことある?」
「ええ。妹がしているのを」
「僕も姉がしているのを見て、あんな風におしっこできたらいいなと思った」
 
「あれ、おちんちん取ったらら女の子になっちゃうんですか?」
「そんなことないよ。別に女になれと言っている訳じゃないと校長も言ってたでしょ?」
「ですよね!」
 

2つある医療室のそれぞれに手を振って別れて入る。
 
「では陰茎を除去する手術をします。よろしいですか?」
「はい、お願いします」
 
「裸になってもらいます」
と言われるので、上衣を脱ぎシャツとパンツを脱いで裸になる。お医者さんが診察するかのようにおちんちんと、タマタマがなくなり袋だけになっている玉袋に触る。触られている内におちんちんが大きくなったのでウテロはびっくりした。
 
「おちんちんってこんなに大きくなるんですね」
「大きくしてみたこと無かった?」
「ええ。初めてです。びっくりしました」
「でもこれもうすぐ無くなるから、これが最初で最後だね」
「ほんとですね!」
 
何だかなごやかなムードになった。
 
「全身麻酔を打ちます」
と言われる。手術は眠っている内に終わるらしい。ウテロは横になって腕に注射針が打たれるのを見たが、その後は記憶が途切れている。
 

目が覚めた。知らない部屋のベッドに寝ていた。
 
ウテロは手伸ばして、おそるおそるお股に触ってみる。
 
無い!
 
起き上がってパンツを下げてみた。
 
きゃー!
 
おちんちんと玉袋が無くなり、代わりに割れ目ちゃんが出来ている。これってずっと以前にアンナのお股を見た時のと同じような感じだ。女の子になれって訳じゃ無いと言われたけど、これほとんど女の子じゃん。
 
「あ、目が覚めた?」
と女の人から声を掛けられる。
 
「はい。あれ?ここ女の人がいるんですね」
「まさか。私男だけど」
「えーー?そうなんですか?」
「おちんちんもタマタマも取ってるから、形だけ見たら女の子に見えるかも知れないけどね」
「なるほどー!」
 

女の人、もとい、女の人みたいに見える男の人はガーラと名乗った。彼女、もとい彼は、この学校を卒業したものの、スタッフとして残っているらしい。スタッフはあまり多くも必要無いので毎年募集される訳ではないらしいが、こういう進路もあるのかとウテロは思った。
 
手術の傷の跡をチェックされる。
 
「うん。だいぶ傷は治ってるね」
とガーラは言う。
 
「すぐ治っちゃうものなんですか?」
「ううん。傷が治るにはだいたい2週間掛かる。だから君は手術から2週間ほど寝ていたんだよ」
「そうだったんだ!」
「寝ていた方が傷が速く治るから、手術後も2週間ほどずっと全身麻酔を効かせておくんだよ」
「なるほど!」
 
立ってみてごらんと言われるので立って、部屋にある鏡に映してみる。うーん。これほんとに女の子みたい!
 
「君はソプラノだよね?」
「えっと基礎学校では高音部で歌っていましたが」
 
「じゃ、君の制服はこれになるから」
と言われて、白いブラウスとスカートを渡される。
 
「まるで女の人の服みたい」
「今までだって、ほとんど女の人みたいな服を着てたでしょ?」
「それはそうかも」
「ここでは、ソプラノはショートスカート、アルトはロングスカートなの」
「ソプラノとかアルトって言うんですか? テナーとバスじゃないの?」
 
「私たちは声変わり前に睾丸を取っているから声域がふつうの女性の声域なんだよね。だから高音部はソプラノで、低音部はアルトだよ」
「そうだったのか!」
 

「トイレに行ってみよう」と言われ、ガーラと一緒にトイレに行った。
 
「トイレマークが変」
「ん?」
「ここ女子トイレですか?」
「ああ、トイレマークは基礎学校までは男子トイレのマークが付いているけど、高等学校や合唱隊では女子トイレマークになるんだよ」
 
「どうしてですか?」
「私たちは陰茎が無いから、男子トイレに入る権利が無いの」
「男子トイレに入るのって権利なんですか!?」
「そうだよ。あれは陰茎が付いている人だけの特権。だから、陰茎のない私たちは女子トイレに入らなければならないことになっている。これ学校の外に出てもそうだからね」
 
「へー」
「陰茎が無い人は教会の牧師・副牧師にもなれないのよね」
「あ、だから、ここから教会には就職できないんですか」
「そそ。教会に行きたい人は基礎学校を出た段階で教会に行かなければならない」
 

トイレの中には個室が並んでいる。ウテロはガーラと一緒にその個室の中に入る。便器に座って、おちんちんが無くなってるし、おしっこできるかなと少し不安だったが、ふつうにできた。
 
「できました!」
「良かったね。たまにこれがうまくできない子もいて苦労する」
 
それでウテロがそのまま立とうすると
「待った」
と言われる。
 
「ちゃんと拭かなきゃ。あのあたりが濡れてるでしょ」
「はい、そういえば」
「そのままパンツ穿いたら、パンツが濡れちゃうから、紙で拭くのよ」
 
それでウテロはトイレに備えられている紙でその付近を拭いた。
 
「おちんちんがあれば、飛び出している所から放水するから濡れないんだけどね」
「おちんちんって実は便利なものだったんですね」
「そうだね」
 

傷はもう完全に治っているので、お風呂も入っていいと言われる。それでお風呂に行ってみた。何だか居る人、居る人、まるで女の人みたいに見える生徒が多い。でもみんな男なんだよなー、と思いながらウテロは服を脱いで浴室に入った。
 
浴室内を歩いている人を見ると、みんなおちんちんが無い。
 
まるで女湯に居るみたい!
 
ウテロは凄く小さい頃にお母さんに連れられて共同浴場の女湯に入った時のことを思い出していた。
 
でも女湯ならみんな、おっぱいあるよね。ここにいるのは、おちんちんは無いけどみんな男の子ばかりだから、おっぱいがないもんねー。
 
ウテロはそれで何だか安心した。
 
手術して作った新しい陰部はおちんちんよりデリケートだから丁寧に洗いなさいとガーラから言われていたのでお湯を当てながら丁寧に洗ったが、何だか触っているうちにどきどきした気分になる。なんか不思議な気分だなとウテロは思った。
 
でもこれ「どこまで」洗えばいいんだろう?
 
お股の割れ目は二重になっている。そのヒダとヒダの間は汚れがたまりやすいからよく洗った方がいいと言われたなと思い、そこを洗う。おしっこの出てくる付近を洗う。それからそれより少し前の方に少しコリコリする部分があった。何だろうと思って触っている内気持ち良くなってきたので、いけないことのような気がして触るのをやめる。
 
奥の方にも何か穴がある。これ何だろうと思う。うんこの出てくる穴は別にあるし。でもそこはあまり指とか入れてはいけない気がしたので軽く洗うのに留めた。
 

翌日から授業が始まる。いきなりヴィールの練習の時間にクレオと再会した。
 
「よっ、来たね」
「クレオさん、すっかり女の人みたいになってる」
「ウテロも可愛い女の子みたいになってるよ」
 
私語禁止は基礎学校と同じなので、あまり長時間はしゃべられないものの、クレオの顔を見てウテロは物凄く安心した。
 
「ちんちん取られてびっくりしなかった?」
「びっくりしました! クレオさん知ってたんですか?」
「もちろん。私の目的はそれだったから」
「なんかカイジさんもそんなこと言ってました」
「ああ、カイジは私と同じ傾向だと思った」
「へー」
 
おちんちんを取って欲しい子って時々いるのかな、とウテロは少し不思議な気分であった。
 

おちんちんが無い生活ってのは何か少し不思議な気分ではあったが、実際問題として少しその状態で暮らしてみると、無くなってもそんなに不便とかは感じなかった。そもそもウテロは学校の「おちんちん禁止」規則を守って、トイレの時とお風呂の時以外はおちんちんには触っていなかったのもある。むしろ寝る時、姿勢によってはいままでおちんちんがつっかえたり圧迫されて寝にくいことがあったのが、無くなると邪魔にならず安眠できる感じもあった。
 
ほんと、おちんちんなんて別に無くても良かったんだね、とウテロは新しい発見をしたような気分だった。
 

予備学校や基礎学校ではずっと学校の中で過ごしていたのだが、高等学校では時々外に出る機会があった。
 
孤児院や老人院などを訪問して歌を披露した。参加するメンバーはとりわけ歌のうまい子で、ここの生徒は(毎年入る子は7-8人だが居残りが多いので)全部で50人近く居るのだが、だいたい15-16人のチームで参加する。
 
ウテロは半年も経つとこの慰労合唱のメンバーに入れられるようになった。クレオはウテロが入学した時から既に入っていたし、ケイジもウテロに1回遅れで参加するようになった。
 
「でも私たちのコーラス聴いたら、女声合唱と思う人も多いかも知れないですね」
「実際女声合唱だと思うけど」
「え?でも男ばかりなのに」
「声はみんな女だし」
「確かに」
「服装も女みたいだし」
「そう言われれば」
 
ふだんは白いブラウス・白いショートスカートで学校の中で過ごしているのだが、こういう外に出る時は、特別にピンクのブラウスと赤いスカートを穿き、髪にはりぼんまで付けるので、確かに女性の合唱隊に見えるよなとウテロは思った。
 
「じゃ男性の合唱隊と女性の合唱隊って、見た目はあまり区別つきませんね」
とウテロは言ったのだが
 
「女性の合唱隊なんて無いけど」
とケイジに言われる。
 
「嘘。だって、国立合唱隊とか、女の人ばかりじゃないですか」
「あのメンバーはみんな、私たちと同様に、男子のみの合唱高等学校を出た子たちばかりだよ」
 
「うっそーーー!? じゃいつか王太子妃殿下が連れてきていた合唱隊も?」
「みんな男だけどね」
 
これは物凄いショックなことであった。目の前が180度ひっくり返ったかのような驚きであった。
 
「ただし国立合唱隊に入ると実は女の戸籍ももらえるんだ」
「え?」
「実際見た目が女だから、女ということにしておいた方が何かとスムーズに行く場合も多い。だから国立合唱隊や、それに準じる地方合唱隊のメンバーは本来の男の戸籍と、新たに与えられた女の戸籍の両方を持っているんだよね」
 
「へー!」
 
ケイジはこんなことをウテロが知らなかったことに少し驚いている感じもあった。
 
「だから地方合唱隊以上まで行って退団した場合、お嫁さんになることもできるんだよなあ」
「えーー!? 男と結婚するんですか?」
 
「だって私たち、おちんちん無いから女の人とは結婚できないし」
「おちんちんないと結婚できないんですか?」
「そうだよ。お婿さんになるにはおちんちんが無いといけない」
「知らなかった!」
 
ケイジはそういうウテロの素朴な反応を見て楽しそうであった。
 

2年後、ウテロは優秀な成績で合唱高等学校を卒業した。その年、バジロ郡の合唱隊に欠員が2名生じていたので募集があり、入隊試験を受けて合格したのでウテロは15歳でバジロ郡合唱隊のメンバーになった。この時この合唱隊の最年少メンバーであった。
 
ケイジも一緒に受けたのだが不合格だった。彼は研究生として高等学校に残ると言っていた。クレオは前年ここの合唱隊に入隊していたのだが、ウテロと入れ替わる形で、ファム地方合唱隊に昇格していたので、すれ違いになった。(欠員2つの内の1つが、このクレオの昇格に伴うもの)
 

ウテロは新しい郡合唱隊の宿舎で暮らすようになるが、お風呂に入って驚く。
 
「なんで皆さん、おっぱいあるんですか? 女の人なんですか?」
「まさか」
「おっぱいを大きくするお薬を飲んでいるんだよ」
「へー」
「ウテロちゃん、君も飲むといいよ。君可愛いから、おっぱいがあるの似合うと思うよ」
 
男におっぱいがあるのって変じゃない?とは思ったものの、ウテロはうまくみんなに乗せられて、勧められた《おっぱいの大きくなる薬》を毎日3錠飲むようになった。すると1ヶ月もしない内に乳首が立つようになり、3ヶ月もすると胸がかすかに膨らみ始めた。
 
「このくらい膨らむと、もう君の裸を見た人はみんな女だと思うだろうね」
「いいんでしょうか?」
「まあどっちみち、おちんちんが無ければ男には見えないし」
「あ、そうでした!」
 

郡合唱隊は結構忙しかった。あちこちの施設の訪問、アマチュアの合唱団の指導などもあれば、週に1度は郡のどこかの大教会で称賛歌を奉納する。そういった行事が無い日はひたすら練習である。
 
国立合唱隊や地方合唱隊が巡回してくる時に、協力メンバーとして参加する場合もあった。国立合唱隊の定員は20人、地方合唱隊の定員は16人だが、実際に公演などをする場合、音響効果を考えて30人くらいにするので、郡の合唱隊のメンバーが応援参加するのである。
 
ウテロは入隊して半年もすると、この手の応援参加のメンバーに選ばれるようになった。
 
そうやって外周りをしている時、ウテロは確かに自分たちは「女」ということにしておいた方が便利かもと思った。遠征で宿舎に泊まる場合、お風呂は男湯に入ろうとすると多分パニックだ。
 
ウテロたちはおちんちんは無いし、おっぱいは少し膨らんでいるので、むしろ女湯に入った方が問題が少ない。トイレに関してはもっとそうである。ウテロたちは、おちんちんがないので男子トイレの小便器を使えない。個室に入る必要があるが男子トイレの個室はふさがっている場合、なかなか空かない。
 
そもそもピンクのブラウスに赤いスカートを穿き、髪の長い合唱隊のメンバーが男子トイレに入って来たら、みんな「お姉ちゃん、こっち違う」と言うであろう。
 
なお郡合唱隊のユニフォームは、高等学校の生徒が校外活動する時の服と配色は同じであるが、胸の所にフリルが付いているので区別できる。スカートも高等学校の生徒のものにはポケットが付いていないが、郡合唱隊のものにはポケットがある。もっともポケットはほぼ飾りであって、そこに物を入れたりすることは無い。
 

そして1年後、ウテロは16歳でファム地方合唱隊に昇格した。入れ替わりでクレオは国立合唱隊に昇格していた。
 
入隊試験に合格して隊長から地方合唱隊のユニフォームであるヴァイオレットのブラウスと黒いスカートを受領するが、一緒に一枚の紙をもらった。
 
「これは・・・」
「君の女の戸籍」
「わぁ・・・」
 
「ウテロという名前は男名前なので、新しい戸籍ではウテラになっている。だから、この合唱隊では君のことはウテラと呼ぶから」
「分かりました!」
 
「ウテロの戸籍はそのまま残しておく? それとも消去する?」
「みなさん、どうなさるんですか?」
 
「半々だね。男の戸籍を捨てて完全に法的には女として暮らす者もいるが、男の戸籍も残しておいて、除隊後は男に戻ると言う人もいる」
 
「私と入れ替わりになったクレオ先輩はどうしたのでしょう?」
 
「クレア君なら男の戸籍は抹消したよ。だからもうクレオという男は法的には存在していなくて、クレアという女だけが存在している」
 
クレオ、いやクレアになったのか。彼、いや彼女がそうしたのなら自分も同じ道だと思った。
 
「では男の戸籍は消してください」
「分かった。まあ多分君はその道を選ぶだろうと思ったけどね」
と隊長は笑って言っていた。
 

郡合唱隊に居た時も結構多忙だと思ったが、地方合唱隊に居ると忙しさは凄まじかった。ほとんど休みの日が無い。区域内のあちこちの郡のあちこちの町に出かけて、慰問や実演で演奏活動をする。しかしその合間に歌や楽器の練習もしっかりやらなければならない。
 
基本的には地方合唱隊のメンバーには、クラヴィ、ヴィール、フラウトは一般の学校の音楽教師レベルのスキルが求められるので練習を怠れない。楽器や歌唱の練習はしばしば深夜に及び、お風呂に入った後、半ば朦朧とした状態で自分の部屋に戻って、死んだように眠るなどという日が続いた。
 
そしてこの地方合唱隊に居る間にウテラのおっぱいは日に日に大きくなっていった。
 
「最近、胸が揺れて邪魔に思うことがあるんですが」
「君、今ブラジャーは何付けてるの?」
「ブラジャー付けるんですか?」
「なんだ付けてないの?」
「ブラジャーって女の人が付けるものと思ってました」
「だって君、戸籍の上では女になったんでしょ?」
「そうでした!!」
 
ブラジャーなんてものは触ったこともないので(まだ実家にいたころ一度ジューン姉のブラジャーが干してあったのを取り入れようと触ったら、酷く叱られたことがあった)そんなものを自分が使うというのは面はゆい感覚だ。
 
それで先輩と一緒に町の衣料品店に行ってブラを選んだ。郡合唱隊までは服装規定が厳しく下着も支給品以外のものは身につけてはいけなかったのだが、地方合唱隊になると支給された下着を着てもいいし、自分で町で自由に買ってきてもいいことになっている。ただ仕事の時はユニフォームをきちんと着ていればよいだけである。
 
「これなんか可愛いよ」
「えー?これを私がつけるんですか?」
「君、自分が女の子であることを忘れないこと」
 
更にはパンツも買おうと言われる。
 
「ウテラって、いつも支給品の色気のないパンティ穿いてるでしょ。ほら、これバックプリントだよ」
「バックプリント・・・・」
「これなんかイチゴ柄だし」
「イチゴ柄・・・・」
 
ウテラは何だか自分の脳みそが破壊されるような気分だった。
 

しかし先輩にうまく乗せられて、結局可愛いブラやショーツをたくさん買った。
 
その可愛い下着を着けているのをお風呂で見た同僚が
「おお、ウテラもやっと、おしゃれに目覚めたか」
などと言われた。
 
「ウテラって歌はうまいけど、ウブすぎるからね」
「そうそう。もっと大人にならなくちゃ」
「ウテラさ、オナニーもしてないでしょ?」
「オナニーって何ですか?」
「えっと何と言ったらいいのかな。自慰と言ったほうがいい?」
 
「え?でも自慰ができなくなるようにと、おちんちん取られたのに」
「男の子の自慰はできないけど、女の子と同じ器官が作られているから、女の子の自慰はできる」
「そんなのできるんですか?」
「よし教えてやるよ」
 
それでお風呂から上がった後、先輩が3人でウテラの部屋に来て、ウテラに横になるように言い、股間を露出させた上で、指をお股の割れ目の上の方にある少しコリコリした所に当てるように言った。
 
「なんかここ触ると気持ちいいです」
「そこは女の子が気持ち良くなれる場所だから」
「そこ、サネって言うんだよ」
「へー!」
「医学用語では陰核だね」
「そこに指を当てたまま、ぐりぐりと指を回転させてごらん」
 
それでやってみると・・・・気持ちいい!
 
「あ、気持ちよくなってるね」
「気持ちいいです。でもこんなことしていいのかしら」
「高等学校生まではダメだけど、合唱隊に入ったら、むしろ覚えた方がいい」
「そうそう。将来、お嫁さんになる場合、ちゃんと気持ち良くなることができなかったら、男の人を受け入れられないから」
「私、そのあたりのことがよく分からないんですけど」
 
先輩たちが顔を見合わせている。
 
「ウテラさ、あんた赤ちゃんができる仕組みとか、結婚って何することかとか知ってる?」
「赤ちゃんって、結婚したら、コウノトリが運んできてくれるんでしょ?」
 
どうもウテラがマジで言っているようだと感じも先輩たちは言った。
 
「あんた知識が無さ過ぎ! 私たちが教えてあげるから」
 
それで先輩たちによるウテラへの「性教育」は半年ほどにわたって続けられ、ウテラは、合唱隊が実は男性で構成されていることを知った時以上の激しいショックを受けたのであった。
 

ウテラは結局3年間ファム地方合唱隊に所属し、最後の1年は副隊長に任じられて、若い隊員の指導や様々な相談事を受けたりもした。もっともウテラは常識というものが無いので、人生相談ではしばしば先輩に頼ることになり、新入隊員と一緒に「えー!?そうなんですか?」と驚いていた。
 
地方合唱隊のメンバーは毎年3−4人辞めていき、その度に配下の郡合唱隊の中から推薦を受けてメンバーを昇格させる。その辞める理由の大半が
 
「結婚するため」
 
であった。合唱隊のメンバーは裁縫や料理なども厳しく仕込まれているし礼儀作法もしっかり躾られているので、大商店主や貴族などに奥方として望まれることが多い。実際、合唱隊のイベントを主に主宰しているのが、そういう人たちなので、その時に見初められるのである。
 
もっとも合唱隊のメンバーは戸籍は女であっても元をただすと男なので赤ちゃんを産む能力はない。しかしそういう大商店主や貴族は妾も作るので、子供は妾に産んでもらえばよい。そしてむしろ何人かいる妾さんたちのリーダーになってもらうことを期待されていた。本人が子供を産めないので、よけいな利害感に迷わされることなく、公平に妾たちを管理できるのである。
 

そして19歳になった年、ウテラは国立合唱隊に昇格した。
 
スカイブルーのブラウスに濃紺のスカートというユニフォームを受け取り、それを身につけて、認証式に臨む。国立合唱隊の主宰者である王太子妃殿下に拝謁して忠誠を誓い、
 
「頑張るように」
というお言葉をいただいた。
 
隊員の控え室に行くと、クレアが寄ってきてハグしてくれた。
 
「やはりウテロはここまで上がってきたね」
「ありがとうございます。クレアさん。私もウテラになりました」
「ああ、男の戸籍は捨てた?」
「捨てました。女の戸籍しかありません」
 
「じゃ、まさか私のライバルになるつもりじゃないよね?」
 
ウテラは目をぱちくりさせる。
 
「私は歌でもヴィールでもクレアさんの足下にも及びません」
「いや、歌じゃ無くてさ」
「へ?」
 
「あんた、どちら狙っているのよ? 第二王子?第三王子?」
「何のことですか?」
 
「あんた、王子様の奥さんになりたくて国立合唱隊に入ったんじゃないの?」
「へ?王子様の奥さんって、私たち男なのに」
 
「王子の正妃は伝統的に合唱隊から選ばれることになっている」
「そんな馬鹿な。私たち子供産めないから、世継ぎを作れないじゃないですか」
 
「正妃の仕事はたくさんの儀式や交流をこなすことだよ。子供を産むのは側室の仕事。生理があって妊娠もする天然女性には正妃はつとまらないから、私たちのような者から選ぶ。そもそも国立合唱隊の最大の目的は、王子の結婚相手を供給すること」
 
「うっそー!?」
 
突然、ウテラの脳裏にさきほど認証式で自分に声を掛けてくれた王太子妃殿下の顔が浮かんだ。
 
「まさか、王太子妃殿下も男なの?」
「そうだけど」
 
嘘だ〜〜!? ウテラは自分の価値観ががらがらと音を立てて崩れるのを感じた。
 
「で、どちら狙い?」
とクレアが訊くので、ウテラはニコっと微笑んで言った。
 
「第三王子」
「なぜ?」
「いい男じゃないですか」
「私もそう思う」
「つまりクレアさんと私はライバルですね」
「上等だね」
 
と言ってクレアはウテラと硬い握手をした。
目次

【合唱隊物語】(1)