【女たちの復活の日】(1)

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クロスロードの《初期メンツ》で最年長なのが淳とあきらであった。ふたりとも1981年度の生まれである。そして最後に性転換手術を受けたのも、このふたりであった。
 

「その希望美(のぞみ)ちゃんができた経緯がよく分からないんだけど?」
と和実は2016年の夏、冬子からあらためて訊かれた。
 
「和実から卵子が採取できたって、和実って本当は半陰陽だったの?」
とあきらからも尋ねられる。
 
「私の場合、ハイティング陰陽だと思うんだよね」
と希望美におっぱいをあげながら和実は答えた。
 
それで和実は説明したものの冬子たちにはさっぱり訳が分からなかった。意味が分かったっぽいのは大学出論理学を専攻した千里だけである。
 
具体的に和実の卵子採取はこのようにして行われたらしい。
 
ごく稀に和実の卵巣がMRIの写真に写ることがある。その場所は毎回同じ場所である。そこで和実の人工的に作られた膣(この膣は稀にMRIに写っていた本物の膣と完全に同じ場所に設置されている)から卵子採取用の針を刺し、卵巣のあるはずの場所で採取を行う。これはほとんどの場合、空振りになる。ところが根気よく、何度も何度もやっていると、ごく稀に卵子の採取ができることがあったのである。和実は部分麻酔を掛けられたまま、この作業を医師と一緒に何度も繰り返した。これはとても痛いもので、和実はもういっそ殺してくれと思いたくなるほど辛かったらしい。
 
しかしそれだけ苦労した甲斐があり4個の卵子の採取に成功したのである。
 
そこまで辛ければ全身麻酔にすれば良さそうだが、1度全身麻酔で5時間ほど頑張ったものの空振りだった。それで卵巣の出現は和実の意識がある時に限られるのではないかと仮説を立て部分麻酔で再挑戦したら2時間経ったところで1個取れた。それで4個取れる所まで頑張ったら12時間掛かってしまったのである。
 
むろんこの作業をする前には通常の女性の卵子採取と同様、事前に排卵抑制剤で排卵しないようにして、しっかり卵胞を育てている。これもけっこう身体のバランスが崩れる感じで辛かったらしい。
 
「不妊治療やってる女性の辛さを垣間見る思いだったよ」
と和実は言っていた。
 
こうして採取できた「奇跡の卵子」に淳の精子を受精させ、代理母さんの子宮に入れた。4つの受精卵の内1つだけが育ち、そうして2016年7月に生まれたのが希望美である。
 
希望美は法的には出産した代理母さんの子供として届けられたが特別養子縁組で、1年後の2017年夏、淳・和実夫妻の実子として入籍された。
 

この入籍が無事完了したのを機に、和実は仙台に移住し、2017年春、喫茶店『クレール』を開いて経営を始めた。チーフメイドになったのは現在は宮古市でホテルを経営している、和実の先輩・悠子の《姪》と自称(?)するマキコであった。
 
和実は『店長』と呼ばれ、淳は『社長』と呼ばれている。むろん、マキコも和実も淳も、見た目には女性に見える。特に20歳のマキコにはデートに誘う客も多かったが、マキコは彼らをうまくあしらっていた。
 

そして店の経営が安定しているのを見て、淳は2018年9月12日(水)、とうとう性転換手術を受けた。
 
ちょうどソフトハウスの方の仕事が一段落し、また和実が仙台で開いているメイド喫茶クレールの経営も安定していたのでここで手術に踏み切った。
 
淳は1981年6月17日20:21、今治市新屋敷の生まれで、性転換の時点で37歳であった。性転換手術は費用も掛かるし、周囲との関係の問題、仕事の問題などでどうしてもこのくらいの年齢になってやっと手術できるようになる人も多い。淳の場合は、資金的には足りていたのだが、やはり仕事がなかなか休めないということから、この時期の手術になった。淳は手術後1月末まで仙台で和実と一緒に過ごして療養し2月から東京のソフトハウスに復帰する予定である。
 
淳のパートナー和実(1991年11月16日15:03酒田市生)は2012年7月25日に20歳で性転換手術を受けている。彼女はすぐに戸籍を女性に変更し、ふたりは2015年6月17日に婚姻届を出したが、淳はこの婚姻を維持するため、戸籍上の性別は変更しないことにしている。戸籍の性別と実態上の性別が一致していないと色々不都合もあるのだが、同性婚が認められていない以上やむを得ない所である。
 
なおふたりの間には2016年7月7日に長女・希望美(のぞみ)が生まれている。実際には代理母さんに産んでもらい、1年後に特別養子縁組が認められて、ふたりの実子になっている。
 

「やっと女の子になれたね」
と集まったクロスロードのメンツが淳を祝福して言う。
 
「まあ『女の子』というほどの年齢ではないけどね」
「女の身体になれた感想は?」
「まだ凄く痛くて、感想どころじゃないけど、やっと解放されたって気分」
「そうそう。中身は女なのに男の身体に拘束されていたんだよね」
「やっと自由になれたって感じだったね」
 
「あとはあきらだけか」
「あきらさん、いつ性転換するの?」
「12月にすることにしている」
「とうとうか」
「これでクロスロードのメンツからおちんちんが全て消滅するのかな」
「おちんちん完全消滅祝いのパーティーしようよ」
「じゃ、あきらさんの身体が落ち着いたあたりで」
 

「でも淳さん、いつ頃までおちんちんは立っていた?」
とあきらが訊く。あきらはもう4年ほど前からちんちんが立たなくなっている。
 
「手術直前まで立ったよ」
「え?」
「嘘!」
「だから性転換手術前夜に和実と男女型のセックスしちゃった」
「すごーい」
「あれやったの、5年ぶりくらいだったね」
と和実。
「うん。和実が女の身体になった記念に男女型でやったもんね」
「なるほど、なるほど」
 
「だけど松井先生って悪趣味でさ。私はもう役立たずになったちんちんを切るより、現役バリバリのおちんちんを切る方が楽しい、なんて言ってた」
と淳。
 
「私のはもう役立たずだけど」
とあきら。
 
「できたら、嫌だ!切らないで!女になりたくない!と泣き叫んでいる患者を強引に手術室に運び込んで、強制的に性転換してしまうのが好きだとも言ってた」
 
「それ犯罪だと思う」
「でもアメリカでそれ数回やってるみたい。日本でもやったことがあるみたい」
 
「よく訴えられなかったね」
「自分では踏ん切りが付かなかったから、女になれて嬉しいと患者はみんな言ったらしいよ」
「まあ最後の最後で迷ってる人たちって多いからね〜」
 

2018年10月中旬、手術後の療養をしていた淳は、妙にはにかむような顔で和実が寝室に入ってくるのを見る。なんだか可愛い!まさか求めてるのかな?まだとてもセックス無理なんだけどと淳は思う。
 
和実は恥ずかしがるような顔で言った。
 
「私、できちゃったみたい」
「は?」
 
「お医者さんに行ってみたら、妊娠6週目くらいだと言われた。だから淳が性転換手術を受ける直前にしたセックスで受精しちゃったみたい。あの日はコンちゃん付けずにしちゃったじゃん」
と和実は言う。
 
「和実、妊娠できるの〜〜!?」
 

和実は自分はハイティング代数的に存在している子宮で妊娠していると語ったが、医者の見立てでは和実は腹膜妊娠しているということで、これはとても危険な状態である。和実の姉の胡桃などは中絶を勧めたが、和実は絶対に産むと主張した。それで青葉と千里が霊的に和実をサポートすることにし、2人へのサポート依頼料として、和実・淳に代わって冬子が2人に2000万円を払ってくれた。
 
この手のものはいくら友人であっても無料で受けると、どうしても責任感が希薄になる。それで青葉も千里も絶対に無料では受けない。しかし淳にはお金が無いし、和実もクレールの建設資金を銀行から借りて毎月40万円ほどの返済をしていて余裕が無い。そこで冬子が代行して青葉たちに支払ったのである。冬子は更に、病院と交渉して、助産師2人・看護師3人を和実の専任につけてもらい、その人たちの給料分として毎月100万円を和実の入院中、病院に支払ってくれた。
 
青葉と千里は自分たちの眷属を交替で和実につけておき、万全の体制で妊娠のサポートをした。
 
それでも12月頃になると妊娠状態はかなり不安定になった。医者は淳と2人だけで話し「もう限界です。中絶しましょう」と通告した。しかし淳は諦めきれず「あと1週間待ってください」と言った。
 

その日“千里1”は《すーちゃん》に連れられて仙台の病院に行った。
 
(クロスロードの会議に出て和実が妊娠したという話を聞き、また冬子が妊娠サポートを依頼したのは“千里2”である。但し“千里2”は自分だけでは手に負えないので“千里3”も動員して交替で和実のそばに付いていた)
 
「あれ?和実、入院していたんだ?」
「千里が入院しろって強く言うから私入院したのに」
 
「なんで入院しているの?性転換手術?」
「性転換したら男になっちゃうよ!?」
 
「和実って確か、おちんちん50本くらい持っていたと思うけど。だから以前手術したのとは別のおちんちんを切るのかと思った」
 
「それ千里が全部消してくれたじゃん。1本だけ残して」
「あの時全部消しておけば良かったね」
「でも全部無くなると、ヴァギナ作る材料が無くなるから」
「和実、最初からヴァギナも持っていたくせに」
 
「そのあたりの話はややこしくなるから置いといて」
「それで結局何で入院しているんだっけ?」
と千里がマジで訊くので、和実は何で今更訊かれるんだ?と困惑しながらも
 
「妊娠したから入院しているんだけど」
と言った。すると千里は
「へー!おめでとう。和実は男と女が混じっているから妊娠くらいするだろうね」
と言った。
 
「そういう見解は初めて聞いた」
 
「でも良かったね。自身で産めば今度は法的にも完全な母になれる」
 
「でも私、子宮が無いから腹膜妊娠しているんだよ。それで絶対安静と言われて入院することになった」
 
入院しろと言ったのは千里なのにと思っている。
 
「嘘嘘。和実は子宮も卵巣も最初からあったはず」
「そうだっけ?」
 
「だって和実、高校時代から生理があったんでしょ?だったらその頃から既に卵巣と子宮が活動していたんだよ」
 
「そんなこと言われるとそうかも知れない気がしてきた」
「だいたい希望美ちゃんの卵子は和実の身体の中から取ったんだから、卵巣が存在しなければあり得ないんだよ」
「それは冬子からも言われた」
 
「だから和実は普通に子宮で妊娠しているんだと思う。お医者さんは和実が元男だと思っているから、子宮なんてあるはずないと思うから見えないんだな。人間って思い込みで結構見えるものが変わるよ」
と千里(千里1)は言った。
 
「じゃ、私、自分には子宮があるはずと思った方がいい?」
「そう思ってないと、妊娠は維持出来ないと思う」
 
和実は少し考えていたが言った。
「そう思うことにするよ。“今日の千里”と話して良かった」
 

そしてこの日を境に和実の妊娠はきれいに安定してしまい、医者も驚いた。それで妊娠は継続となり、8ヶ月目に入って帝王切開で赤ちゃんを取り出すまで、和実はのんびりとした妊娠生活を送ることになったのであった。
 

あきらは奥さんの小夜子との間に、2011,2013,2015,2017ときれいに2年おきに4人の娘を作った。特に性別コントロールもしていないのに4人とも女の子だったというのは驚異的だが
 
「やはり私が男としては性的に弱いからだよ」
などと、あきらは言っていた。
 
一般に女性が充分感じる状態まで行ってから射精すると男の子が生まれやすいと言う。もっとも後の2人は人工授精である。その時期には既にあきらは勃起しなくなり、性交は不可能になっていた。
 

2017年12月1日 1:51AM.
 
小夜子は、あきらとの間の4人目の子供《えりか》を出産した。
 
あきらは、この子の人工授精をおこなった3月10日の時点では、もうおちんちんは立たないものの、頑張ると何とか射精することはできたので、その精液で人工授精して妊娠したものである。
 
現在あきらは既に射精もできない状態になっているので、もうこれがふたりにとっての最後の子供ということになる。
 
友人たちからは
「精子冷凍保存しておかなくていいの?」
と結構言われたものの
「自然に任せたいから」
とふたりは言った。
 
「人工授精は自然の内なのか・・・」
「男から出てきたものを女の中に入れただけだし」
「あきらさんって男なんだっけ?」
「かつて男だったものかな」
「ふむふむ」
 

「この子も無事産まれて私たち4人の子持ちになったし、あきらはもう射精できないし、性転換手術受けていいよ」
と小夜子はあきらに言った。
 
「いや、別に私は性転換するつもりはないし」
とあきらは言う。
 
そもそもあきらはいつもスカートを穿いていて、セミロングの髪でお化粧もしていて、どう見ても女性美容師にしか見えないのに、自分は男だし、女装もしていないと主張している。ただ混乱防止のためトイレは女子トイレに入るようにしているようだ。だいたい勤めている美容室のホームページにも普通に女性と表示されている。実はお風呂も男湯に入るのは不可能でここ数年、女湯にしか入っていない。
 
「遠慮することないんだよ。性転換しても離婚したりしないから」
「私は今の身体が気に入っているし」
「だって、役に立たないおちんちんはもう取っちゃえばいいんだよ」
「いや、おちんちん要るから」
「使ってない癖に。そもそもこれ放置しておくと、おちんちん萎縮して、ヴァギナの材料を確保できなくなるよ」
「あれって、ヴァギナの材料なの?」
「もうそれ以外の意味は存在しないね」
 
小夜子に唆されて、あきらはかなり心が揺れた。
 

そしてあきらは4人目の娘の育児が一段落した2018年12月3日、性転換手術を受けた。むろん小夜子との婚姻維持優先で、戸籍上の性別は変更しない。
 
また、あきらが性転換しても、ふたりの夫婦生活はほとんど変化は無いなどと小夜子は言っていた。2011年の時点で「おちんちんの型取り」もしていたので3Dプリンタで作った《まだかなり元気な頃のおちんちん》を使ってふたりはかなり遊んでいたらしい。ジャンケンで負けた方が入れられる側、なんて遊びもずいぶんしていたという。
 
2013年の子作りまでは実際のセックスで受精させたものの、2015,2017の子作りは、もう《本物のおちんちん》は使用不能になっていたので人工授精したものである。あきらのおちんちんは2016年頃までは、勃起はしないものの射精は可能だった。最後の子供が生まれた2017年頃は射精もできなくなっていたので、ここで結果的に打ち止めとなり
 
「役に立たない、おちんちんは取っちゃおう」
と小夜子から唆されて、あきらは性転換手術に踏み切ったのである。
 

あきらが性転換手術を受けたことで、クロスロードに当初から参加していたメンツは全員女性になった。最初に会った時に性転換手術を済ませていたのは冬子だけだった(と当時は思っていた)。
 
下記は全て「本人が主張している」手術の日付である。括弧内は当時の年齢。
 
2011.04.03(19) 冬子の性転換手術(タイ)
2011.06.19 クロスロードの遭遇
2011.06.28 クロスロード第1回会合
2012.07.18(15) 16:00 青葉の性転換手術(富山)
2012.07.18(21) 18:00 千里の性転換手術(タイ)
2012.07.25(20) 和実の性転換手術(富山)
2012.08.15(16) 春奈の性転換手術(アメリカ)
2018.09.12(37) 淳の性転換手術(富山)
2018.12.03(37) あきらの性転換手術(富山)
 
「おちんちん全消滅記念パーティーだけど、和実が妊娠中だし、冬子がハンパ無い忙しさだから、4月くらいに」
と、いつの間にか仕切っている若葉が言う。
 
「私も今はまだとてもパーティに出る体力はない」
とあきらは言っていた。
 
「このまま全人類のおちんちんを消滅させよう」
と若葉が言う。
 
「それ、本気で言ってない?」
 
「自動おちんちん切断機を発売しようか。工場建てちゃおうかなあ」
「それ日本では発売禁止になるというのに1票」
 
「麻酔注射しておちんちんを切断し、陰嚢を中心線で切開して、睾丸を除去し、陰嚢を大陰唇の形に縫い合わせる。新しい尿道口に保護用の人工皮膚を貼り付ける。充分自動で実行できると思うんだよね。使用する人は自分でその付近をよく洗い剃毛・消毒した上で機械の所定の位置に、自分のおちんちんとタマタマを入れて外れないようにベルトを固定して『おちんちんさよなら。私は男を辞めます』と言ってから勇気を出してスイッチを押すだけ。多分30分程度で男を廃業できる。クリちゃんとかヴァギナまで欲しい人は、ちゃんとお医者さんに手術してもらう」
 
「ねぇ若葉、マジで考えてたりしないよね?」
 

その日の会合が終わり、解散した後で若葉が赤ペンを持って、表に書き込んでいるので、小夜子は
 
「それなあに?」
と声を掛けた。
 
「みんな嘘ついている」
「嘘って?」
「本人たちの主張している性転換した日と本当に性転換した日が違いすぎるんですよね〜」
 
「ああ、それは何となく変だと思ったことはある」
と小夜子も言う。
 
「これが私の推測による正しい性転換の時期」
と言って、若葉は表を小夜子に見せた。
 
○2007.11.10(16)×2011.04.03(19) 冬子の性転換手術(東京)
2011.06.19 クロスロードの遭遇
2011.06.28 クロスロード第1回会合
○2009.07(12)×2012.07.18(15) 16:00 青葉の性転換手術(山形)
○1998.12( 7)×2012.07.18(21) 18:00 千里の性転換手術(仙台)
○2002.07(10)×2012.07.25(20) 和実の性転換手術(秋田)
2012.08.15(16) 春奈の性転換手術(アメリカ)
2018.09.12(37) 淳の性転換手術(富山)
2018.12.03(37) あきらの性転換手術(富山)
 

「みんな小学生の内にやっちゃったのか!」
と小夜子が驚いたように言う。
 
「冬子は高校の時だね。2007年秋に精液の冷凍保存をして、その最後の保存をした直後、性転換手術を受けたんだよ。実は私が病院に付き添ってあげたんだよね。だから正確な日付が分かる」
 
「そうだったのか!」
 
実際はこの時は、本人もかなりその気になっていたものの、途中で知人に会って中断したのだが、若葉はそのとき冬子を病院まで連れて行ったような気がしているのである。
 
「青葉は小学6年の時から女湯に入り始めたらしい。つまり女の身体になったから」
「ああ」
 
「千里は小学2年の冬休みに仙台の婦人科で男性器を全部除去して女の子の形にしたという証言があるし、小学4年生の9月に卵巣を移植したと千里の親友が言っていた」
 
「ちゃんと証言もあるのか」
 
「和実は小学5年生の時に先輩と初体験したと以前職場でもらしていた。つまりその時点で性転換済みだったことになる」
「みんなどこかで漏らしてるのね」
 
「それに青葉・千里・和実の3人は骨格が女の子なんですよ。つまり第2次性徴が発現する前に手術したのは間違い無いです」
「なるほどぉ!」
 
「冬子と千里の2人は卵巣と子宮も移植されているのではと睨んでいるんだよね」
 
「千里はあれ間違い無く子供産んでるもんね」
「堂々とそう発言してるし」
 

2019年3月11日、和実は帝王切開で女の子・明香里を出産した。母子ともに無事で、精密検査もしたが、幸いにも子供に先天性異常の類いは見られなかった。医師は母・月山和実、父・月山淳(淳は永年使用を根拠に名前を淳平から淳に改名している)という出生証明書を書いたので、それによって明香里は2人の子供として入籍された。
 

 
2017年5月、ローズ+リリーのケイ(唐本冬子)は、今年のローズ+リリーのアルバムは『Four Seasons』というタイトルで行きたいとして企画会議で承認を求めたのだが、これが否決されてしまった!
 
それは冬子(ケイ)の受難の始まりであった。
 
企画会議が、代わって★★レコードの村上社長(2016.6就任)が指定したのは『郷愁』というタイトルである。しかも、最近のローズ+リリーのアルバムは発売時期が年末年始に掛かっていて、プロモーションがやりにくいので11月までに発売してほしいと要請された。
 
アルバムは実際の制作期間は半年程度であっても、実際にはその前段階の準備は数年前から始まっている。冬子は2017年に『Four Seasons』を制作すべく数年前から構想を練り、それに入れる曲も少しずつ準備していた。
 
それを否定され、いきなり聞いたこともないタイトルを指定されても作れるものではない。そもそも曲を揃えるの自体で数ヶ月かかる。一方11月に発売するためには9月にはマスターができていないとダメで結果的に8月くらいに1ヶ月程度で集中して音源制作をする必要があった。
 
冬子は親友でお金持ちの若葉を頼り、彼女の協力で埼玉県熊谷市に土地を借り(最終的には若葉はここを買い取ってしまう)、そこに演奏者を集めて集中的に制作を行おうとした。
 
しかし失敗した!
 
いくらなんでも本来は半年くらいかかる作業を1ヶ月でやってしまうというのは不可能だった。
 
この件は結局、アクアの新しいマネージャーになった山村が村上社長を説得してくれて、制作期限は(2018年の)春までに延ばしてもらえた。
 

2018年1月。
 
1月2日はKARIONのデビュー10周年であった。それを記念する全国ツアーをこの日の東京公演を皮切りに全国5ヶ所のホールで行った。本当は最低10ヶ所くらいでやりたかったのだが、蘭子=ケイがローズ+リリーのアルバム『郷愁』の制作の追い込みをしていて、とても時間が取れなかったので5ヶ所のみのツアーとなった。
 
KARIONのライブ動員はさすがにここ数年少しずつ減ってきてはいたのだが、この年のツアーは10周年ということで、しばらくライブに足を運んでいなかった人も来てくれて、全公演ソールドアウトであった。
 

アルバム制作スケジュールの件で山村をはじめ、和泉・コスモスなど冬子の周囲の人物は、ローズ+リリーには、まともなマネージャーがおらず、それが交渉力不足にもなっているし、冬子の負荷も大きくなっていると指摘した。結局アクアの前マネージャーである鱒渕が、ローズ+リリーのマネージャーになってくれることになり、冬子の負荷は大いに軽減されたのであった。
 
『郷愁』は2018年3月に発売された。
 

それでホッとした所に、衝撃的な事件が起きる。
 
年間1000曲ほども楽曲を書いていた上島雷太が不公正な土地取引事件に連座して無期限の謹慎をすることになったのである。
 
そのため上島の作品が使えなくなり、大量のCD回収騒ぎが起きるとともに、上島から楽曲の提供を受けていた歌手が活動不能に陥ってしまった。
 
その事態を打開しようと、◇◇テレビの響原部長が音頭を取り、上島の代替を多くの作曲家でやるプロジェクト"UDP"を立ち上げる。それで多数の作曲家が集められ、各自可能な限り楽曲を書いて欲しいと依頼される。ケイは★★レコードの町添専務にうまく乗せられ、200曲くらい書きますと言ってしまった。
 

冬子は元々毎年自分の作品を年間60-70曲書いている多作な作曲家である。それに加えて200曲提供するというのは270曲書くことになり、普段の4倍近い量になる。これは無茶すぎた。
 
鱒渕は響原部長主催の会議に、冬子本人を出席させたことを後悔したが、何とかしなければならない。それで冬子があまりの忙しさに自分がどのくらい作品を書いたか分からなくなっているのをいいことに、台湾の作曲家や、上島雷太ゆかりのミュージシャンなどにケイの名前で作品を書いてもらうようにし、それをどんどんUDPに納入した。
 
そんな中で冬子は丸山アイから、スーパーコンピュータで動かす人工知能に作曲をさせるというプロジェクトに誘われる。冬子は資金的な協力もして仕様や運用方法についても様々な提案をし、夏すぎから“夢紗蒼依”による作曲が開始された。
 
夢紗蒼依作品の一部は、七星さんや花野子・和泉ら、周囲の人物によりケイ風にアレンジされ、ケイの名前で提供された。別口で動き始めた“松本花子”のプロジェクトからも同様にケイ名義の作品が提供されるようになった。
 
そしてこれを機会に和泉・政子・コスモスらは冬子に当面の作曲を禁止した。
 
和泉は冬子がここまでのわずか4ヶ月ほどの間に200曲も書いていて、これはふだんの年間作曲数の3倍あり、このペースで作曲を続けたらもう2度と曲を書けなくなると警告した。
 
実際には鱒渕の努力で大量のゴーストライターが活動しており、またケイの過去の作品に新たな歌詞を乗せ編曲も変えた作品などもあったので本当にケイが4月以来書いたのは50曲程度ではあった。それでも普段の倍くらいのペースで、かなり無理をしていた。
 
実際和泉たちにより禁止された後、冬子は自分が何にも思いつかなくなっているのを認識した。
 

政子は、冬子に、どこかゆったりとした時間の流れる所に身を置くとよいのではないかと勧める。それでふたりが選んだのが宮古島であった。
 
政子と冬子は、あやめを伴い、羽田から2時間半掛けて那覇に飛ぶ。そして玉泉洞や美ら海水族館・首里城などをのんびりと見学して那覇市内で2泊した後、那覇空港からまた1時間掛けて宮古島に飛ぶ。
 
冬子はこの日窓際の席に座っていた。いつもはだいたい政子を窓側に乗せて、冬子は通路側に座るのだが、政子が「景色眺めるのもいいよ」と言って窓側に座らせたのである。冬子が通路側にいつも座っていたのは、パソコンを使っていたからというのもあった。窓側だと外からの光のせいで液晶画面が見にくいのである。
 
那覇を離陸してすぐ、すぐそばに美しい環礁が見えた。
 
「ね、あれ何?」
「ああ。なんだか宮古島に行く時はいつも見えてたね。なんか珍しいもの?」
「あんなにきれいな環礁は珍しいよ!」
 
それで冬子はちょうど近くまで来た客席乗務員さんをつかまえて尋ねてみた。
 
「あれはルカン礁です」
と客席乗務員さんは教えてくれた。
 
航路のすぐそばにあるので、みるみるうちに後方に行ってしまうのだが、冬子はその環礁と礁湖の碧色の水に見とれていた。
 

宮古島空港で、3人は宮古島在住の元芸能プロ社長・紅川勘四郎さんに迎えられる。紅川さんは「歌の下手なアイドル」を量産したことで知られる§§プロの創業者社長で、同プロからは、立川ピアノ・春風アルト・秋風コスモス・川崎ゆりこなど、多数の人気アイドルを輩出したが、昨年桜野みちるが引退したのを機に、在籍中の歌手・タレントを担当マネージャーごと∞∞プロに引き受けてもらって会社を畳み、母の実家があった宮古島に移住したのである。
 
なお、みちるより下の世代の歌手は数年前に秋風コスモスが社長を務める§§ミュージックに移管されている。また紅川が所有していた§§ホールディングの株式はケイが全部買い取っている。
 
冬子はまだローズ+リリーとしてデビューする以前に、紅川さんから「君の性別のことは承知の上で可愛いアイドルとして売り出してあげるから。性別のことでも君が恥を掻かないようにうまく処理するから」などと随分熱心に勧誘されていたし、ローズ+リリーが「公式には活動停止中」であった2009-2011年には何度も仲介してもらって、あちこちのイベントに「こっそり出演」して、政子の「ステージ恐怖症」のリハビリに協力してもらったのである。
 
「その節はほんとうにお世話になりました」
と政子も冬子もあらためて御礼を言う。
 
「マリちゃんが名も無き歌い手として歌った数々のステージが懐かしいね」
と紅川さんは本当に昔を懐かしむようであった。
 

紅川さんの家は大きな家で、紅川さん夫妻、紅川さんのお母さん、紅川さんの娘夫婦に、その子供2人(5歳と3歳)、という4世代が同居している。以前紅川さんの息子夫婦(現在は福岡市在住)が住んでいたという離れが空いていたので、そこにしばらく冬子と政子・あやめは、居候させてもらうことにしていた。
 
「この島って南の島らしからぬ、何か普通っぽい雰囲気ですね。気持ちいい。お散歩したい」
と政子は言った。
 
「宮古八重山地方というのは、沖縄本土とは別の文化圏に属しているんだよ。だから、やまとんちゅーの人たちには沖縄本島より過ごしやすいと思うよ」
と紅川さんは言う。
 
「この島ってハブは居るんでしたっけ?」
と冬子は確認する。
 
「居ないよ」
と紅川さん。
 
「もしかしてハブの居る島と居ない島があるんだっけ?」
「そうそう。色々原因は言われているけど、だいたい1つおきにハブが居るとか、地形のなだらかな島には居ないとか、土壌の性質の問題とか色々説はあるね」
「へー」
 
「宮古島にはハブは居ないけど、石垣島には居る。でも与那国島には居ない」
「面白いですね」
 

冬子たちが宮古島に居た時期の2019年6月27日(木)、東京では★★レコードの株主総会が開かれた。そしてここでクーデターが起きたのである。
 
この日の議案としては、傘下のレコード会社・TKRの経営統合の件、似鳥取締役の退任と後任に黒岩氏の取締役就任の提案、鑑査役の選任の件が挙げられており、あとは前年度の決算と配当の報告、来年度の事業計画が村上社長から報告された。
 
「第一号議案、TKRの経営統合の件、ネット投票では既に約31%の賛成票を頂いておりますが、ご承認頂ける場合は拍手をお願いします」
という村上社長の発言に会場内から拍手が湧く。
 
「ご承認ありがとうございます。では次に第二号議案、取締役の退任・選任の件。ネット投票では約20%の賛成を頂いておりますが」
と村上社長が発言したところで質問する株主が居る。
 
「ネット投票の数字をちゃんと出してください」
 
事務方に照会する。
「ネットでは35.8%の投票権が行使されております。賛成票が19.6%、反対票が16.2%ございます」
 
この数字に会場がざわめく。
 
「それかなり拮抗しているのではないでしょうか?」
 
ここでひとりの株主が意見を述べる。
「私は反対票を投じるつもりでこの会場に来ました」
と述べたのは某プロダクションの社長で、★★レコードの0.7%の株を持つ大株主さんである。音楽業界への影響力も結構ある人なので、この発言に、ざわめきが起きる。
 
「★★レコードは村上さんが社長になられて以来、年々売上を落としています。音楽業界全体の売上が落ちているからという説明もありましたが、その中でも新興のЮЮレコードのようにかえって売上を伸ばしている所もあります。私は村上さんのやり方は、古いやり方にこだわりすぎだと思う。ЮЮレコードの売上の主力はモバイル機器のBGM配信事業です。そういう中で★★レコードの成長期を担った松前相談役に近い似鳥さんが退任し、営業成績を落としている村上社長に近い黒岩さんの選任という提案には賛成しかねます」
 
この株主の意見陳述に始まり、他にも意見を述べる株主が出てくる。中には村上社長を擁護する発言もあったが、批判する発言の方が多い。そしてとうとう4.3%もの株を持つ創業者の娘・鈴木片子さんから動議(株主提案)が提出される。
 
「私、この提案を出そうと根回しをしていたら妨害されて、直接私を説得する方もあり、私も昨日の段階ではいったんは矛を収めたのですが、やはり提出します。村上社長と佐田副社長を解任し、新たに現在No.3である町添専務を社長に、経営統合するTKRの社長の朝田さんを専務に推します。以下、取締役の案は下記です」
 
と言って、名前を読み上げる。村上派の取締役全員を含む8名もの取締役を退任させ、松前派・町添派、また通信会社出身の人などで経営陣を固める案であった。取締役の人数自体も12人から9人へと減量、平均年齢も10歳若返ることになる。昨日いったん断念したなどと言っていたので新任になる社外の人の了解は全て取っていたのであろう。
 
そして出席している株主でその場で投票した所、この提案が通ってしまったのである。村上氏は顔面蒼白であった。村上社長、佐田副社長など、解任された取締役、新取締役になる予定だった黒岩さんらが退場する。新任の取締役たちはその場で会合(臨時取締役会)を開き、鈴木さんが言ったように町添を社長に選出した。町添が議長席に就く。
 
「思いがけないことで社長を拝命し、まだ戸惑っておりますが、社長になりましたからには、★★レコードの売上を3年で倍増させ、★★レコードを復活させるべく取り組んで行きたいと思います。新しい事業計画については早急にまとめたいと思いします」
 
と述べ、大きな拍手をもらった。
 

「へー!町添さんが社長になっちゃったんですか!」
 
氷川係長から連絡を受けて、宮古島でのんびりとお茶を飲んでいた冬子は驚いて言った(正確には驚いたふりをした)。
 
「それで加藤さんが取締役制作部長になった」
 
「まあ部長になっていいくらい加藤さんは仕事してましたよ」
「うん。加藤さんは凄い。私も入社以来ずっとお手本にしてたもん。加藤さんが独身なら、結婚したいくらい尊敬してた」
と氷川さんは言う。
 
「氷川さん、結婚とかの予定は?」
「まあ彼氏が居ないからね。セックスはたまにするけど、恋人にしたいと思うほどの男は居ないなあ。実は加藤さん、直接の上司では無くなった時に誘惑してみたけどうまく逃げられた」
「あはは」
 
その事件は冬子や千里たちの間では有名な事件だ。加藤次長が氷川真友子からレイプされかかり、洋服も剥がされたあわれな姿で男性の部下の部屋に逃げ込んだのであった(男女逆なら懲戒解雇されている所)。
 
しかし恋愛はしないがセックスはする、などとは大胆だが、氷川さんほどの女性を魅了できる男性は、そうそう居ないのでは冬子は思った。
 
「氷川さん、漢らしいし、いっそ女の子と結婚したらどうですか?」
と横から政子が言う。
 
「ああ。うちの母からは『あんたには奥さんが必要かも』と言われたことあるよ。実際私料理はするけど洗濯とか掃除とか苦手だし。でも女の子と寝たこともあるけど、私は男の人とする方が好きかなと思った。女同士って、お互いの舞台裏が全部見えちゃう感じでさ」
「氷川さんが誰と寝たのか興味あります」
 
「友だちからも、私、漢らしいとか、男みたいと言われるし、若い社員の中には私が性転換した元男と思ってたという人も居たよ」
と氷川さん。
 
「性転換した元男性なら、きっともっと女っぽいですよ」
と政子。
 
「ケイちゃんとか春奈ちゃんとか見てると、そんな気もするね」
と氷川さんは言った。
 

結局この町添新体制による社内改革で氷川さんはJPOP部門の課長に就任することになる。
 
解任された村上社長・佐田副社長らや黒岩さんたちは別途新しいレコード会社MSMを立ち上げた。元々村上さんにスカウトされて★★レコードに入ったKARIONの元担当・滝口さんや、滝口さんが外れた後担当をしてくれていた土居さんもそちらに移籍した。他にも結構そちらに移籍する社員も居たし、最近売上を落としていてレコード会社の営業体制に不満を持っていたアーティストが10組ほどそちらに移籍し、昨年RC大賞の新人賞を取ったアイドル歌手ユニット・フローズン・ヨーグルツなどまで移籍して、★★レコード社内は動揺した。
 
しかし町添さんが関連会社も含めて全社員を全国数ヶ所の体育館に集め、新しい会社のあり方について熱弁を振るうと、賛同する声が多数あがり、★★レコードは熱気あふれる会社に生まれ変わる。
 
なお、新しいKARIONの担当は、一時的に今里さんが暫定的に担当したが、年末には、元スリファーズや遠上笑美子の担当で、系列のイベント会社に出向していた鷲尾さんが出戻りして就任することになる。
 
7月の時点で町添新社長が会社再構築の柱として考えていたのは昨年デビューして2枚目のシングル『恋の八高線』が80万DLの大ヒットを飛ばし(最優秀新人賞ではないものの)RC大賞の新人賞も取った17-18歳の女性トリオ Trine Bubble であった。このヒットは売上こそ80万DLでも、八高線の乗車率が5倍になったという伝説を生み出し、実質ミリオン並みの反響があった。
 
そしてその『恋の八高線』は元々、ローズ+リリーが過去のアルバムに入れていた曲のカバーであり、この時点で売っていた3枚目のシングル『ダイヤモンド千里浜』はマリ&ケイが2月に超多忙状態の中で書いて提供した曲で、4月に発売して6月末時点で45万DL売れておりダブルプラチナは確実の情勢だった。これも千里浜に大量の観光客が押し寄せる騒ぎになっていた。関東ドームのライブチケットは事前のリサーチでは瞬殺で売り切れることが予想されていた。
 
当然次の曲もマリ&ケイでとプロジェクト側では考えている。その意味で★★レコードの社運はケイが復活できるかどうかに掛かっていた。
 

冬子たちは紅川さんの家にしばらく滞在していたが、7月3日の早朝、冬子は夢を見ていた。
 
何やら難しい字がスーパーインポーズのように脳裏を流れていく。
 
故於是天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理坐也。爾高天原皆暗、葦原中国悉闇、因此而常夜往。
 
冬子はどこか物凄く暗い場所に居た。どこだろう?ここは。
 
「マーサ?」
と政子を呼ぶが声は無い。
 
「真央?」
「若葉?」
「コト?」
と親友の名前を数人呼んでみた(後で恋人である正望の名前を呼ばなかったことに気付き、少し悩んだ)。
 
誰も返事をしない。
 
その時、ふと思いついて「青葉?」と呼んだら
「冬子さんこっち」
という声がする。
 
見ると、なぜかセーラー服を着た青葉が立っていて
「外の世界に連れて行ってあげる」
と言い、冬子の手を引く。それで冬子が行きかけた時、その青葉を押しのける人物がある。
 
「千里!?」
 
千里は、一糸まとわぬ姿で立っていた。そして唐突にサンバを踊り出す。すると青葉もアゴゴを打ちながら、一緒にセーラー服のまま踊り出す。が、踊りながら唐突にスカートを脱いでしまう!?
 
冬子は目をパチクリさせてその姿を見ていた。
 
天宇受売命、為神懸而、掛出胸乳、裳緒忍垂於番登也。爾高天原動而、八百萬神共笑。
 

北海道育ちの千里も、岩手育ちの青葉も、ふたりとも肌が白い。その白さが暗闇の中でまるで太陽のように光っていた。全裸の千里は、下半身だけ裸の青葉の伴奏でサンバを踊りながら、円を描くように目の前を動き回っていた。冬子はその千里の動く軌跡を見ているうち、宮古島に来る時に機内で見たルカン礁を連想した。
 
するとそこにルカン礁が見えているような気がしてくる。
 
美しい円形の環礁。そして碧色の海。
 
冬子はまるでその礁湖に吸い込まれていくような気がした。ああ。私はここに還(かえ)っていってもいいのかな?
 
そう思った時、後ろからガシッと抱きしめられる。
 
千里である。
 
千里は今度は巫女の衣装を着ていた。
 
「そっちに行ってはダメ。そこから引き出すんだよ。大自然と一体化してもいいけど、主導権を取るのは自分」
 
そう言うと千里は冬子に小さな鈴を渡してくれた。
 
「これ、冬子の落とし物」
 
冬子がその鈴を受け取り、いつ落としたんだろうと考えていたら、千里は、いきなり冬子の唇にキスをした。
 
え〜〜〜〜〜〜〜〜!?
 
と思ったが、良く見ると冬子にキスしたのは政子であった。
 
「私はいつもここにいるよ」
と政子は言った。
 
その途端、天から大量の星が降ってくるような感覚があった。
 

冬子はハッとして目を覚ました。時計を見ると4時すぎである。隣で寝ている政子を起こす。
 
「なに?」
「ちょっと外に出てみない?」
「ん?」
 
2人が外に出てみると、天文薄明が近いようで東の空が少し明るくなりかけているが、西の空はまだ暗いし、星がけっこう見える。
 
その時、その西の空で星がひとつ流れた。
 
「あ、流れ星だ! 願い事、願い事」
と言って政子は何やら唱えている。バナナとかプリンとかいった単語が聞こえたのは、聞かなかったことにする!
 
更に星が流れる。
「あ、また流れ星」
 
そしてまた星が流れる。
「何?何が起きてるの? 流れ星がいっぱい」
 
西の空には、その後もどんどん流れ星が生まれ、一度に3〜4個同時に流れることもあった。冬子と政子は、ずっとその天体ショーを言葉も発しないまま見詰めていた。それはまさに星降る夜という感じであった。
 
次第に空が明るくなってくると、さすがに見られる流れ星の数は減るがそれでもけっこう流れているのを見る。やがて東の空から太陽が登ってくると、その天体ショーはもう見ることができなくなった。しかしその後もふたりはじっと西の空を眺めていた。
 
(宮古島のこの日の天文薄明は4:25, 夜明けは5:21、日出は5:54 この夜は地球の裏側では日食が起きていたのだが、チリで日食が始まった頃宮古島では天文薄明が始まり、宮古島の夜明け後すぐにチリでは皆既日食が起きている)
 

於是天照大御神、以為怪、細開天石屋戸而、内告者。因吾隠坐而、以為天原自闇、亦葦原中国皆闇矣、何由以天宇受売者為樂、亦八百萬神諸笑。天照大御神逾思奇而、稍自戸出而。臨坐之時、其所隠立之天手力男神、取其御手引出。故天照大御神出坐之時、高天原及葦原中国自得照明。
 
紅川さんの娘さんが
「お早うございます」
 
と言って離れに顔を出して、朝食の用意ができたことを告げた時、そこには、冬子が一心不乱に五線紙に音符を書き綴っていて、政子が隣でのんびりと朝のコーヒーを飲んでいる姿があった。
 
この朝、流星群を見た人は冬子たちの他には誰もいなかったようである。冬子は後にこの朝のことを思い出す度に、あれは現実だったのか、それとも夢だったのか、分からなくなってしまう。
 

東京の∴∴ミュージックでは、KARIONの次のアルバムに向けて、畠山社長とKARIONのリーダー和泉、トラベリングベルズの黒木信司、それに★★レコードの今里さんが打ち合わせをしていた。
 
過去のKARIONのアルバムはこのようになっている。
 
2008.09.03 1st『加利音』 2.6万枚
2009.03.27 2nd『みんなの歌』12万枚
2009.08.12 3rd『大宇宙』 24万枚
2010.08.18 4th『春夏秋』 22万枚
2011.07.06 5th『食生活』 28万枚
2012.08.08 6th『クロスオーバー』 26万枚
2013.09.25 7th『三角錐』 120万枚
2014.07.09 Best (8th) 80万枚
2014.08.27 (Mini)『動物たちの舞踏会』 60万枚
2015.02.04 9th『四・十二・二十四』 20万枚
2016.03.09 10th『メルヘンロード』40万枚
2017.04.12 11th『少女探偵隊』30万枚
2018.09.12 12th 『1024』12万枚
 
KARIONの楽曲は、“最盛期”には、泉月こと和泉と冬子(水沢歌月)のペアで半分くらいを書き、残りを広田純子・花畑恵三、櫛紀香・黒木信司、葵照子・醍醐春海などといった作家の作品も入れて構成していた。むろんその時々で他の方から楽曲を頂く場合もある。
 
ところが冬子は昨年は上島雷太の代理で大量の楽曲を書いていた余波で、楽曲が書けなくなり、まだ不調から脱出していない。
 
また、醍醐春海こと千里は一昨年の夏頃から不調に陥り、なかなか良い曲が書けなくなっていた所で、昨年夏に新婚ほやほやの夫の急死という事態によるショックで全く楽曲が書けなくなっていた。こちらは春に何とか復活したものの、まだ完全な復調ではない上に、彼女自身が現在、不調に陥っている冬子の代理で結構な数の楽曲を書いていて、つまり冬子が復活するまではKARION向けの楽曲まで手が回らない状況である。
 
それで、要するに、アルバムは作りたいものの、楽曲を揃えられないのである!
 
「花畑さんが、非常事態なんで頑張るけど、実際問題として年内に用意できる曲は3曲だと思う。KARION楽曲は要求水準が高いんだよ、とおっしゃってました」
 
「確かに水沢歌月・醍醐春海が稼働できない状態では花畑さん頼りではあるけどあまりご負担を掛ける訳にもいきませんよね。無理するとあとが恐いし」
 
「福留彰さんが心配して1〜2曲なら、またこちら向けに書いてもいいと言ってくれている」
「福留さんの曲は、他で楽曲調達のメドが立っても利用させてもらいたいですね」
 
「醍醐春海の妹の大宮万葉さんが1曲くらいは、KARIONにも書いていいですよと言ってくれている」
「昨年も頂きましたし、ぜひお願いしたいです」
 
「琴沢幸穂さんからも1曲くらいは提供しますよと言われている」
「あの人もいい曲書くよね。それもお願いしたい」
 
「それにしても2年続けて歌月・春海が共に稼働できない状況下では楽曲の品質を確保するのは難しい」
 
そういった意見の中で和泉は
「どうしても《KARION品質》のアルバムが作れない場合、いっそ今年は制作を見送るのもひとつの選択肢だと思っています」
と言った。
 
「昨年の『1024』も多数の作家の方から曲を頂いていますが売上がよくなかったです。2年も続けてそういう構成を取ると、もう楽曲が枯渇しているのではと言われます。それに過去にやはり多数の作家の方から曲を頂いて構成した『四・十二・二十四』もセールスは悪かったです」
と和泉は指摘する。
 
「しかし活動があまり停滞すると、KARIONは実質活動停止しているのではなどと言われかねない」
と黒木さんは心配して言う。
 
「小風が暇だ暇だと言っている。親が心配して見合いの話を持って来たらしいけど、まだ結婚はする気無いと言って断って、最近は日々カルチャースクール通い」
「カルチャースクールで何習ってるの?」
「陶芸。結構はまっている感じ」
「へー」
 

その時、突然会議室のドアが開く。
 
「今重要会議中だから、入って来ないでと言ったろ?」
と反射的に畠山社長は言ってしまったが、入って来た人物を見て驚く。
 
「蘭子ちゃん!?」
 
「はーい。みなさん、お久しぶり〜」
と冬子の表情は明るい。
 
「宮古島に行っていると聞いたけど」
「今日戻って来ました。これお土産」
 
と言って冬子は五線紙を出した。
 
和泉が譜面を読む。
 
「水沢歌月が復活したね」
 

そして冬子は社長に言った。
 
「KARIONの新しいアルバム作りましょう」
 
「今その話をしていたのだけど」
「楽曲揃えられる?」
「1曲はこの『星降る朝』で。岡崎天音(マリの別名義)作詞で悪いけど。他にも今から3〜4曲書くよ」
と冬子は笑顔で言った。
 
「だから和泉、3〜4本、詩を書いてよ」
と冬子は和泉に言ったが、和泉はキリリとした表情で
 
「曲を書いてもらうのを待ってる詩が30個くらいあるよ」
と答えた。
 
そして冬子はこの宮古島行きを境に、『郷愁』の制作で死んだ2017年夏以来の不調から復活したのであった。
 

 
埼玉県大宮市生まれで岩手県大船渡市で育った青葉は、小学6年生の時に、鈴江彪志と知り合った。彼の父の除霊をしたのがきっかけである。彼はすぐに転校していったものの、青葉と彼は手紙でのやりとりを続けていた。
 
2011年3月11日の東日本大震災で、青葉は姉、両親、祖父母を一気に失い天涯孤独になったが、避難所で偶然遭遇した女子大生、高園桃香と村山千里の2人が青葉を保護してくれて、青葉は桃香の母・朋子に未成年後見人になってもらい、朋子が暮らす富山県高岡市で暮らすようになった。
 
震災から2ヶ月経った5月、青葉は親友たちと会うため、東北に向かったが、そこで久しぶりに彪志と会った青葉は彼から恋人になって欲しいと言われる。もうひとり求愛してきた男の子との間で心が揺れたものの、結局彪志の愛を受け入れることにし、7月に再会した時は、セックスまでしてしまった。
 
息子が“男の子”を恋人にしたことに、彪志の父・宗司は
「青葉ちゃんはいい子だよ」
と言って受け入れてくれたが、彪志の母・文月は表面的には女の子にしか見えない青葉に優しくしてはくれるものの、色々妨害工作もしてきた。
 

2015年には彪志の従妹・愛奈を唆して、彪志をデートに誘って誘惑しようとしたが、千里が察知して、青葉を2人が会ってすぐの所に行かせ、結局これは彪志と愛奈のデートではなく、彪志と青葉の“カップル”が愛奈を東京見物させる観光に変えてしまった。愛奈も後ろめたい気持ちがあったので、文月からもらったお金を返し、その後は彪志と青葉の味方になってくれた。
 
そして2018年6月、文月は用事があるとだけ言って彪志を盛岡の実家に呼ぶと見合いをさせようとする。彪志は怒ってそのまま東京に戻ったが、この件で彪志と青葉は喧嘩になり、話がこじれて、もう別れるなんて話にまでなってしまった。
 
ついでに青葉はムシャクシャしていたので、その怒りを競技にぶつける形で東京パンパシフィック選手権で金メダルを取ってしまった。
 
この件についても千里が介入し、文月も折れる形で、“青葉と彪志のお見合い”を設定することで、2人は仲直りすることができた。文月も青葉に謝罪した。
 
しかし青葉は今回の件では仲直りはできたものの自分に対する自信を失いそうな気分だった。おりしも千里が結婚した相手の男性・川島信次が新婚4ヶ月で事故死したのもあり、自分たちのような元男の女の子って幸せになることはできないのだろうか、などという気分になりかけていた。
 

しかし2017年7月に事故に遭って以来、霊的な力を喪失していた千里が2019年5月、1年10ヶ月ぶりに能力を回復させたことで、青葉も明るい気持ちになることができた。
 
そして2019年7月。
 
青葉は川島信次の一周忌法要の後、桃香のアパートで一息つくと「子供連れは大変だから見送り不要」と言って、ひとりで成田空港に出かけた。夕方のロサンゼルス行きに搭乗する。
 
約10時間のフライトで同じ日付6月30日のお昼、ロサンゼルスに到着。そこからペルーのリマ行きに乗り継ぎ8時間半のフライトで真夜中リマに着く。更にトランジットで、チリのサンティアゴ行きの便に乗り継ぎ、3時間半のフライトで7月1日の朝、サンティアゴのアルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港に到着。更にここからチリの国内便に乗り継ぎ、1時間のフライトで7月1日のお昼に、ラ・セレナのラ・フロリダ空港に到着した。
 
飛行機を4つ乗り継ぎ、滞空時間だけでも23時間に及ぶ長旅である。ラ・セレナは観光地で、元々ある程度の乗客はいるのだが、今回の旅ではロサンゼルスから先は全部満員だった。実は個人では飛行機もホテルも予約が取れなかったので、ロケハンに必要といって、★★レコードに頼んで旅行代理店のVIP枠を押さえてもらったのである。その代わり帰ってくるまでに5曲書かないといけない!
 
市内のホテルはどこも満杯で、体育館に簡易宿泊所が設置されたりしていた。野宿している人も大量に見かけた。青葉も昔は野宿大好きだったのだが、桃香の教育のおかげで、大分ホテル泊になれてきている。その日もホテルのベッドでぐっすり寝て、翌日ゆったりと朝御飯を食べた後、西側が開けている海岸に出かけた。
 

ラ・セレナは南緯30度。日本の屋久島が北緯30度なので、夏は暑い都市のような気がするのだが、実はここは夏でも摂氏20度くらいにしかならない涼しい町である。気候だけでいえば北海道並みの涼しさだ。しかも今は7月で真冬である。最高気温は15度くらいなので、青葉はしっかり防寒用のコートを着て行った。
 
こういう涼しい都市の冬の海岸には、ふつう人は居ないのだが、今日はここが人、人、人で埋まっていた。みると、やはり距離的なものか、北米から来た人が多い雰囲気だったが、近くで大阪弁でしゃべっている、おばちゃん4人のグループが居て青葉は微笑んだ。
 
そのグループが青葉を見つけて寄ってきた。
「ね、ね、もしかしてあんた日本人?」
「そうですけど」
 
「なんでここ、こんなに寒いの? 南米なんて、ずっと南にあるから無茶苦茶暑いと思ったのに」
「それに7月だと真夏だから、ビキニの水着でも着ちゃおうかと思ってたのに」
 
「赤道を過ぎると、南の方にいくほど寒くなりますから。南極は極寒でしょ?」
「あ、確かにそうだ!」
「でもなんでだろ?」
「それに南半球は7月8月が真冬で、1月2月が真夏ですよ」
「え?うそ!?」
 
青葉は日本の理科や社会の教育は改善しなければならないのではと思った。
 

半袖で来ている女性が2人いる。何か防寒具持ってない?などというので、予備に持っていた折り畳みのレインコートとカーディガンを貸してあげると「だいぶまし!」「助かった!ありがとう」と言っていた。
 
「そうだ? あんたチリ語できる?」
「チリ語というよりスペイン語ですよ、ここは」
「へー?ここスペインなの?」
「今は独立国ですけど、昔はスペインの植民地だったからスペイン語が通じるんですよ」
「へー! 実はあそこの屋台で売ってる餃子みたいなの欲しいんだけど、あの人日本語分からないみたいで」
 
青葉は笑いたいのをこらえて
 
「エンパナーダですね。買ってあげますよ。4つでいいですか?」
「2個ずつ!」
 
青葉はそれでその出店に行って、エンパナーダを10個買った。その内2個取り8個をおばちゃんたちに渡す。
 
「ね、ね、今の屋台の人、男か女か分からなかったんだけど、どっちだと思う?」
「声を聞いた感じでは男の人だと思いましたよ」
 
確かにやや性別が曖昧な声だったよなと青葉は思った。
 
「えー! そうだったんだ」
「なんか意見が別れてたんだよね」
「ひょっとしたら、女の子になりたい男の子かも」
「ああ、最近そういうの多いもんね」
「うちの隣んちの娘さんの従姉の友だちの先輩の同級生の子のお兄さんがこないだ手術して女の子になっちゃったらしいよ」
 
何だか限りなく無関係な人のような気がする。
 
「まあ性別なんて自分で選べばいいですから」
「そういう時代かもね」
「私も男になっちゃおうかなあ」
「ああ、いいんじゃないですか?」
「でもちんちん、どうやって作るんだろ?」
「腕の皮膚から作ったりするみたいですよ」
「へー」
 
「あ、そうそういくら?」
「1個2000ペソでしたから、8個で16000ペソです」
「ごめん。千円札とか1万円札とかしか持ってないんだけど」
 
日本円で日本語で、チリの地方都市の出店で買物しようとした根性はなかなか大したものだと青葉は思った。
 
「1ペソはだいたい18銭ですから、16000ペソは2880円ですね」
「あ、じゃ3000円でいい?」
「はいはい。じゃ、お釣り120円」
と言って青葉はバッグの底に入れていた小銭入れから日本の硬貨を出して渡した。まさかここで日本円を使うことになるとは思わなかった。
 

結局そのおばちゃんたちと、あれこれおしゃべりしながら「その時」を待つことになる。青葉は自分をアルファ状態にしてこの天体ショーを見たかったのだが、無理なようである。
 
「Antes de treinta minutos!」
という声が近くで掛かる。
 
「何て言った?」
「あと30分です」
 
それは青葉は自分の時計を見ても認識できる。
 

突如ざわめきが大きくなる。
 
「始まった!」
 
太陽の左下がわずかに欠け始めたのが分かる。時計を見るとチリ時刻で15:23である。予定通りだ。
 
青葉は太陽観測グラスを使ってじっと太陽を見詰める。おばちゃんたちも、ちゃんと観測グラスを使っている。これをまともに見続けたら目がやられる。
 
「そんなに急に欠けていくもんでもないのね」
「そうですね。皆既になるまであと70分くらいありますよ」
「そんなに!」
 

お腹が空いたという声が掛かり、今度は「あそこのおでんが食べたい」という声が掛かるので、青葉が、クラントを5人分買って来た。
 
それを一緒に食べながら太陽が欠けていくのを時々眺める。周囲もけっこうがやがやしていて、笛を吹いたり踊ったりしている人もいる。カメラでずっと撮影している人もいるが、青葉たちは写真も撮らずにじっと太陽を眺めていた。
 
1時間ほどたった16:25頃。太陽は三日月のような形になる。そして16:38。一瞬ダイヤモンドリングが光ったあと、太陽は完全に欠けてしまった。
 
鳥が騒ぐ。
 
あたりは夕方のように真っ暗である。南北の空を見ると、遠くの方に明るい部分がある。あのあたりは日食が無いのだろう。
 

皆既はわずか2分ほどで終わり、再びダイヤモンドリングが光った後、左下に三日月のような太陽が現れる。
 
そして太陽はどんどん太くなっていく。周囲も明るさを取り戻す。
 
「すごかった」
「なんか感動した」
とおばちゃんたちが言う。
 
青葉も感動していた。日食を見たのは2012年に日本国内で見られた金環食以来だが、金環食と皆既食は別物だと思った。「金環食は部分食にすぎないから」と言っていた人がいたが、その言葉に納得する思いだった。
 
次第に欠けの小さくなっていく太陽はどんどん水平線に近づいて行く。そして西の海に沈む直前、完全に丸い形を取り戻した。
 

青葉は7月2日は、夕食を大阪のおばちゃんたちと賑やかに取り、ホテルで休んでから、翌3日にラ・フロリダ空港を飛び立った。来た時と逆にサンティアゴ・リマ・ロサンゼルスと乗り継ぎ、7月5日(金)の夕方、成田空港に戻ってきた。課題になっていた曲は6曲書き上げていた。
 
入国手続きをして、ロビーに出て来る。ちょっとだけ何かを期待したのだが、誰もいないので「ふう」と大きくため息をつくと、京成の乗り場へと降りて行く。するとエスカレーターを降りてすぐの所に千里と彪志の姿があった。
 
戸惑った顔をする青葉に、彪志は
「何時頃、どこに出てくるかというのを千里さんが予測してくれたんだ」
と言った。
 
千里は青葉の荷物を手に取ると
「これ運んでおいてあげるね」
と言って手を振り、ひとりで先に帰る。
 
青葉は彪志と見つめ合った。
 
彪志は黙って青いビロードのジュエリーケースを差し出す。青葉は戸惑いながら受け取る。
 
「葉っぱの模様がついてるんだ?」
「スペシャルオーダー。青い箱に葉の模様で青葉」
「へー!!」
 
青葉は笑顔でケースを開けた。燦然と輝くダイヤのプラチナリングが入っている。
 
「高かったでしょ?」
「今月出るはずのボーナスでちょうど決済できる予定」
 
「期待した額出なかったら?」
「霊障相談の助手して返済する」
 
「他のローンとかは大丈夫?」
「青葉の忠告で借金はしてないから」
「お母さんにはお金あげなくていいの?」
「勘弁してもらう」
「ふふ」
 
「受け取ってくれる?」
と彪志は訊いた。
 
「うん」
と青葉は可愛く頷いた。
 
青葉は指輪を手に取って左手薬指に填める。
 
ふたりは人目も気にせず静かにキスをした。
 

そしてこの夜、ふたりはもちろん一緒にホテルに泊まったのだが、ふたりはセックスすることができなかった。青葉が物凄い腹痛に苦しんだからである。
 
しかしその腹痛から回復した時、青葉は“性転換手術で造られた人工膣を持つ女性”ではなく、卵巣・子宮・天然の膣を持つ、完全な女性に変化してしまっていたのだが、そのことを青葉が認識するのは数ヶ月先である。
 
 
前頁次頁目次

【女たちの復活の日】(1)