【△・Who's Who?】(1)

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1849年にイギリスで敢行された『Who's Who』(Who is Who?) は世界中の著名人のプロフィールをまとめた本である。毎年敢行されており、その後、アメリカなど他の国でも同様に“Who's Who”という名前の本が刊行されるようになった。
 

千里2は札幌駅近くのビックカメラで《げんちゃん》がハードディスクを買っているのを見かけた。
 
実は《せいちゃん》から千里3に送られたメールをまんまとハッキングして傍受し、《げんちゃん》が札幌に買い出しに来るという情報をつかんでいたのである。多分ピックかヨドバシかどちらかだろうと思い《げんちゃん》の波動を頼りに探したら、ビックで見つけた。
 
見ていると《げんちゃん》は千里2が知らない女性(実は女優の間枝星恵)と一緒にハードディスク5台のほか、DVD-R 50枚入りの箱も4箱買っている。2人で手分けして荷物を持ち外に出た。バスターミナルに向かう。女性が切符売場に行く。千里は《つーちゃん》に彼女の近くに行ってどこ行きの切符を買うか見て、同じ区間の切符を買うように言った。
 
「帯広行きポテトライナーの切符を買ったので同じのを買ってきたよ」
と言って《つーちゃん》は千里に切符を渡してくれた。
 
(帯広方面に向かうJR根室本線は2016年夏の台風で東鹿越−新得間が不通になり、2020年3月時点でも復旧の見込みは立っていない。深刻な赤字区間であるため、このまま廃止になってしまう可能性もある)
 
「ありがとう」
と言って受けとる。どうも《げんちゃん》は他にも用事があるようで、ターミナルから出ていった。女性は帯広行きバスに乗るようである。千里は迷ったものの、女性の後をつけることにした。《げんちゃん》は長時間尾行すればこちらに気づくだろうが、相手が人間なら自分が気配を殺しておけばまず気づかれないと考えた。
 

彼女がバスに乗ったのから少しあけてバスに乗る。そしてポテトライナーは出発する。
 
女性の様子を伺うが、東野啓吾『虚ろな十字架』の文庫本を開いて読み始めたようだ。千里は自分も何か文庫本でも買っておけばよかったなと思った。
 
仕方ないので、携帯でネット小説を読み始める。
 
そして・・・5分もしない内に眠ってしまった!
 

『千里、千里』
という《つーちゃん》の声で目が覚める。
 
『あれ?もう帯広?』
『もうすぐ音更大通11丁目(帯広のすぐ近く)だけど、あの女の人、乗ってない』
『え?途中で降りた?』
『このバスは大谷地駅(札幌市内)から音更まではノンストップ。大谷地駅では降りなかったのに。ごめん。私もそれで油断してた』
 
千里2は自分が(多分3番に)ハメられたことに気づいた。
 
『仕方ない。マルセイバターサンドでも買って帰ろう』
『ごめんねー』
『ついでにエスカロップ食べていこうかな』
『あれは根室だよ』
 
『根室と帯広って近くじゃなかった?』
『250km離れてるよ。千里、道産娘のくせに』
『・・・。いいや。根室まで行く』
『それもいいかもね』
 

C学園の男子制服(**)を着たアクアと、S学園の女子制服を着た葉月が具志堅満奈美マネージャーと一緒に##放送に向かっていたら、同局の清水志保アナウンサーが局の建物から出てくるのに遭遇した。
 
(具志堅はこの時点ではまだ学生バイト。2019年3月に大学を卒業して同4月から正社員になる)
 
「おはようございます」
「おはようございます」
と挨拶を交わす。
 
「今からならコーラコーダの撮影?」
「はい。そうです。清水さんは取材ですか?」
「うん。ちょっとお台場まで行ってくる」
「お疲れ様です。お気を付けて」
「ありがとう」
 
(**)C学園には男子制服は存在しないのだが、アクアが女子制服のブレザーのボタンを左右交換した服に学生ズボンを組み合わせて通学しているので、アクアの下の学年(現在の4年生)の男子で、アクアを真似て同様の制服を着る子が2人出て、これがあたかもC学園の男子制服であるかのようになっている。むろん、アクアのクラスメイトの武野昭徳のように学生服を着てもよく、4年生男子のもう1人は学生服を着ている。
 
ちなみに来年度の入学予定男子3人の内の2人もアクアと同様の“男子制服”を着ようかなと言っており、“もう1人”は女子制服を着ると言っている!
 

さて、清水が地下鉄とゆりかもめを乗り継いでお台場に来たら、ちょうど駅の入口の所でC学園の女子制服を着たアクアと、学生服を着た葉月が緑川志穂マネージャーと一緒に駅に入って来たのに遭遇する。
 
「アクアちゃん!?」
と清水が言うと
「おはようございます、清水さん」
とアクアも葉月も挨拶する。
 
清水が戸惑うような顔をしているので、アクアが説明した。
 
「FHテレビでドラマの撮影があってボクが女の子役で、葉月が男の子役の状態で撮影したんですよ。今からFM局に移動する所なんですが、時間が押し迫っているので、このまま移動しているんです。女子制服姿なんて恥ずかしいんですけど」
 
いや、全然恥ずかしそうな顔はしてないぞ。
 
だいたい時間が無いからと撮影の衣装のまま飛び出してきたのなら分かるが、わざわざ女子制服に着替えてるじゃん。
 
だけどアクアの女装姿の盗撮写真が全然ネットなどに投稿されない理由が分かった気がした。アクアの女子制服姿には全く違和感が無いので、みんなそのまま見過ごしてしまうんだ!
 
「でも私、さっき君たちに赤坂で会ったような気がするのに・・・・」
 
「ああ、ポクたち、短時間であちこち移動しているから、神出鬼没だって言われることよくあります」
 
「そうかもね。じゃ頑張ってね」
と言って清水はアクアたちと別れたものの、短時間で移動するといっても、あり得ないタイミングのような気がして、首をひねった。
 

竹田は3年前に会社をやめて、都内でパン屋さんを始めたのだが、お店がマンションの2階という人に気づかれない場所にあったせいか、ごく少数の固定客を除いては、客が全く来なくて、最初に準備していた資金はあっという間に使い果たし、借金をして営業を続けていた。ある日、ケンタッキー・フライドチキンの創業者カーネル・サンダースは高速道路の開通で自分の店に客が来なくなったからと一番の売れ筋商品だったフライドチキンを大きな道路の近くまで売りに行くようにして成功したと聞き、これだ!と思った。
 
それでお店で一番売れ筋の“人形クロワッサン”(チョコ入り)を持って近所の春沢公園に屋台を出して売るようになった。するとマンションの2階よりはまあ売れるのだが、採算がとれるほどではない。1日の売上は100円の人形クロワッサンがせいぜい100個程度で、かろうじて材料代が出る程度。天気の悪い日は10個未満という悲惨な日もあった。
 
この日は午前中の天気が悪く公園に来る人も少なかった。今日はやばいかなと思っていた所に、生まれてまだ1ヶ月くらいかなと思う赤ちゃんをスリングで抱いた24-25歳の女性が通り掛かった。
 
(千里はだいたい年齢より若く見られる)
 
「人形クロワッサンって不思議な存在ですね」
「でしょ?実用新案取っているんですよ」
「へー。美味しい?」
「美味しいですよ」
と言って試食品を渡すと「美味しいね!」と言ってくれた。
 
「じゃ、この子はまだ食べられないけど、私とお母さんとあと死んだ旦那の陰膳に2個ずつ6個ちょうだい」
 
「旦那さん亡くなられたんですか?」
「そうなんですよ。この子は忘れ形見で。だけどこの子が居るから私も頑張らなきゃと思って」
 
「それは大変でしたね。でもほんとお子さんのためにも頑張って下さい」
「うん。ありがとう。そうだ。明日の朝御飯用にあと6個、合計12個下さい」
 
「ありがとうございます!」
 
それで竹田は人形クロワッサンを4個ずつ2袋と2個ずつ2袋に入れて4袋にし、それを更に大きな手提げ袋にまとめて入れて千里に渡した。
 
「消費税入れて1396円?」
「いえ。消費税込みなので1200円です」
と竹田は答えながら、この人、掛け算間違っているよと思った(108×12=1296)。
 
それで千里は1200円を払ったが、ふと気づいたように言った。
 
「これチョコ以外にカスタードクリーム入りとかもあると面白いかもね」
「あ、それは娘にも言われたことあります」
 
それで千里は由美と一緒に去って行った。
 

30分ほどした頃、今度は3-4歳のスカートを穿いた女の子の手を引いた女性がこちらにやってくるが、さっき赤ちゃんを抱いていた女性と同じ人のように見える。竹田は首をひねった。女性が近づいてきて言う。
 
「人形クロワッサンって不思議な存在ですね」
「でしょ?実用新案取っているんですよ」
 
「へー。美味しい?」
「美味しいですよ」
と言って試食品を2人に渡すと母娘とも「美味しいね!」と言ってくれた。
 
「京平、何個食べる?」
「4個!」
 
「じゃ私が2個とこの子が4個に、そうだなあ阿倍子さんにも2個くらい買っておいてあげるか。それにチームメイトに配るのに12個、合計20個下さい」
「ありがとうございます!」
 
「でもお嬢ちゃん、きょうへいちゃんって男の子みたいな名前だね」
「ボク男の子だよ!」
「ごめん!」
 
男の子なの?でもなんで男の子がスカート穿いてんのさ!?
 
竹田は4個入りの袋4つと2個入りの袋を2つ作り、それをまとめて大きな手提げ袋に入れて千里に渡した。
 
「お待たせ」
「消費税入れて2360円くらい?」
「いえ。消費税込みなので2000円ジャストです」
と竹田は答えながら、この人も掛け算間違っているよと思った(108×20=2160)。
 
それで千里は2000円を払ったが竹田は尋ねた。
 
「ちなみに奥さん、双子の姉妹とかおられます?」
「ううん。妹は2人いるけど、1人は2つ下で札幌だし、もう1人は7つ下で富山だし」
「遠くに住んでおられるんですね!ちなみに旦那さんは何をしておられます?」
「この子のパパはバスケット選手。私もバスケット選手でバスケット夫婦なんですよ」
 
「それは凄い!頑張って下さいね」
「ありがとう」
 
竹田はだったら他人の空似なのかなと思った。
 
千里は去り際に、ふと思いついたように言った。
 
「この袋にも人形クロワッサンの絵を描いたらいいのにね。可愛い絵で」
「あ、それいいかも知れないですね」
 
それで千里は京平と一緒に去って行った。
 

そして更に30分ほどした頃。今度は5-6ヶ月くらいの女の子をベビーカーに載せた女性がこちらにやってくるが、さっき赤ちゃんを抱いていた女性や男の子を連れていた女性と同じ顔に見える。竹田はメガネをゴシゴシと拭いた。女性が近づいてきて言う。
 
「人形クロワッサンって不思議な存在ですね」
「でしょ?実用新案取っているんですよ」
「へー。美味しい?」
「美味しいですよ」
と言って試食品を渡すと「美味しいね!」と言ってくれた。
 
「じゃチームメイトに配るのに・・・・・30個とかあります?」
「あります!」
「じゃ30個と、私のおやつ用に2個、合計32個」
「ありがとうございます!」
 
と言って竹田は5個入りの袋6つと2個入りの袋を1つ作り、それをまとめて大きな手提げ袋2つに分けて入れ千里に渡した。
 
「消費税入れて3456円?」
「いえ。消費税込みなので3200円ジャストです」
と竹田は答えながら、この人は暗算で108×32をやったな。すげーと思った。この掛け算を暗算でできる人はそう多くない。
 
それで千里は3200円を払った。
 
「ちなみに奥さん、双子か三つ子の姉妹とかおられます?」
「ううん。妹は2人いるけど、1人は2つ下で札幌だし、もう1人は7つ下で富山だし」
「遠くに住んでおられるんですね!ちなみに旦那さんは何をしておられます?」
「この子のパパはバスケット選手。私もバスケット選手でバスケット夫婦なんですよ」
 
「それは凄い!頑張って下さいね」
「ありがとう」
 
と会話しながら竹田は、この人さっきの女性と完全に同じこと言っているぞ。これって偶然なのか??と悩んだ。
 
千里は去り際に、ふと思いついたように、ひとこと言った。
 
「そうだ。この屋台ですけど、もし可能なら、10mくらい向こうの、あそこの木の陰の所に出した方が売れ行きが上がると思いますよ」
 
「そうですか?ありがとうございます」
 
それで千里はベビーカーに載せた緩菜を連れて去って行った。
 

竹田は何となく今日は帰った方がいい気がしてそのまま店を畳んで帰宅した。そもそも64個も売れたら、充分平均程度には売れている。
 
そして竹田は千里に言われたように翌日からはその木の陰にお店を出した。するとその日は120個も売れた。その後も毎日80個以上売れるようになった。ほんのちょっと移動しただけなのに、売れる場所と売れない場所があるのかなと竹田は思った。
 
また袋に人形クロワッサンの絵を描くというのは奥さんも賛成したので、中学生の娘に絵を描いてもらい、それで印刷屋さんに発注した。半月後にはクリームを使用した人形クロワッサンも開発に成功して一緒に店頭に並べるようにした。
 
すると人形クロワッサンの売れ行きはそれまでより更に売れるようになり、200個くらい売れる日もあった。実際チョコよりクリームの方が多く売れた。また紙袋に人形クロワッサンの絵が描かれ、電話番号まで書いてあるので、屋台ではなく、奥さんが留守番しているお店の方に注文がある時もあった。それで近所に住んでいる義母に留守番をお願いして奥さんがスクーターで配達をして回ったが、この電話注文が結構な売上になった。
 
そういう訳で人形クロワッサンは2ヶ月後には充分採算ベースになるようになる。近くの駅の土産物店が置いてくれるようになり、何度か雑誌にも取り上げられ、更に1年後にはコンビニチェーンに注目され、ライセンス生産で関東一円のコンビニの店頭に並んで、竹田は借金も全部返した上で、ライセンス料で食べて行けるようになったのであった。
 
竹田は1年半後にはもっと人通りのある場所の1階にパン屋を移転し、人も雇って、人形クロワッサンはもちろん、多数のパンを売るようになり、5年後には支店も出すほどまでになるが、あの日公園で3人の同じ顔の女性に会った日のことは決して忘れなかった。
 

その日、鱒渕水帆は敦賀駅で降りて、レンタカー屋さんに行こうとしたが、駅の出口の所で携帯で誰かと話している醍醐春海(千里)を見た。千里がこちらに気づいて手を振るので水帆は会釈をした。
 
水帆はこれは何番の醍醐先生だろうか?と考えた。醍醐先生が3人に分裂しているらしいというのはコスモス社長から聞いているのだが、確かに醍醐先生は以前から昨日話したはずのことを覚えていなかったりして、困惑することがあった。3人いるのなら納得である。
 
それで千里を観察すると、使用しているのは赤いガラケーである。確かガラケーを使っているのは2番さんだと山村マネージャーから聞いたように思う。
 
千里が電話を終える。
 
「小浜に行くの?」
と尋ねてくる。
 
「はい、そうです」
「だったら私の車に乗っていくといいよ」
「ありがとうございます!」
 
それで千里に付いていくとオーリスが停まっている。これで水帆は間違いなくこれは2番であると認識する。3番さんなら車もアテンザだと山村は言っていた。Museプロジェクトに関わっているのが2番で、松本花子に関わっているのが3番なので、どちらに何を話していいか充分気をつけて、と鱒渕はコスモスから言われている。
 
それで鱒渕は《千里2》と一緒に小浜に向かう。途中の三方五湖PAで休憩した時、千里があくびをした。
 
「醍醐先生、お疲れになっているのでは?」
「うん。昨夜は曲を書きながら徹夜しちゃったから」
「それで運転は危険ですよ!私が運転します」
「鱒渕さん、MT車大丈夫?」
「はい。どちらも行けますよ」
 
それでその先は鱒渕がオーリス(TOYOTA AURIS RS 1797cc 6MT)を運転して小浜に向かった。小浜ICを降りた後、県道を通り、ミューズパークに行く。千里は眠ってしまったようである。渡されているIDカードで門を通り、地下に降りて行くスロープを通って、地下2階のエントランスまで降りた。
 
「醍醐先生、着きましたよ」
「あ、ありがとう。ごめんね。眠っちゃって」
「いえ、お忙しいですもん」
 
それで鱒渕が自分のIDカードでドアを開けて中に入っていく。すると玄関近くに居た太原技師がこちらを見て言った。
 
「鱒渕さん、いらっしゃい。常務、いい所へ。実は1時間ほど前にMuse-3がダウンして、今、トラブルの起きた箇所を調査しているのですが、なかなか問題箇所を見つけきれなくて困っている所なんですよ」
 
「それは困ったね!」
「今、川内(せんだい)のMuse-1/2もメンテ中だし、急ぎの納品要請が入っているのに困ったなと思って」
 
それで千里は太原および鱒渕と一緒に、Muse-3を格納している部屋に向かった。大規模な空調が働いているものの、やや暑い。スーパーコンピュータから出る熱が凄まじいためである。
 
「トラブってるのは、CPU?それともストレッジ?」
「異常の出方からするとストレッジっぽい気はするのですが。診断プログラムはメモリー異常を表示するので、メモリーなのかなあと思ってその付近も見ているのですが・・・」
 
千里はじっとMuse-3を眺めていたが、やがて1つのブースに歩いて行った。コントローラが多数納められているブースである。
 
「ここの扉を開けてみて」
「はい」
 
太原技師が扉を開ける。多数のボードがラックに収納されている。
 
「何か気になりました?」
とひとりの技師が尋ねる。
 
千里はじっと見ていたがやずて
 
「この付近に変な波動がある」
と言って下から1mほどの高さの付近を指さした。
 
「このあたりですか?」
 
と言って太原技師はその付近のボードを1枚抜こうとしたが、千里は
「その1つ上」
と言った。
 
「はい」
と答えて太原技師は今抜こうとしたボードの上のボードを抜いた。
 
「あっ、ショートしてる」
と別の技師が声をあげる。
 
「これが原因か!」
「すぐ交換します」
 
それで太原技師がショートして焼けているICを取り外し、新品の交換部品を取り付けた。
 
システムを起動した上で、再度診断プログラムを走らせると正常である。
 
「よかった。治った」
 

「だけど醍醐先生、こういう故障箇所がよく分かりますね」
と鱒渕。
「まあアイちゃんの方がこういうのは得意だけどね」
と千里。
 
「ああ、社長も凄いなと思っていましたが、常務も凄いですよ」
と太原技師は言う。
 
それで水帆と千里は会議室の方に移動した。若葉と小浜市の部長さんが待っている。
 
「あれ?千里も来たんだ?」
と若葉が言う。
 
「うん。時間が取れたからね」
 
それで鱒渕、千里、若葉、部長さんの4人で年末(2018年12月31日)に予定しているローズ+リリーのカウンドダウン・ライブでの会場運用について、打ち合わせを始めた。
 

この会議のあった翌日、“千里3”は、太原がMuse1-2は“せんだい”にあると言っていたよなと思い、東北新幹線で仙台に行って、大きな電力を使ってそうな場所を探してみたのだが、どうしてもMuse-1/2の場所は見つけることができなかった。
 
千里3は「おかしいなぁ。確かに仙台と言ってたのに」と呟いて首をひねった。
 

2018年後半から2019年春にかけての3人の千里の動きはこんな感じである。
 
●千里1
信次の死(2018.7.3)の後しばらく茫然自失の状態だったが、緩菜の誕生(2018.8.23)で自分を取り戻し、《すーちゃん》を練習相手にしてバスケの練習を再開する。少しずつバスケ能力が回復するとともに霊的な能力も急速に回復に向かう。2019.1.4に由美が誕生すると、精神的には充分回復するものの、まだ自分の巫女としての記憶、眷属たちのことは思い出していない。
 
経堂の桃香のアパートに主として住んでいる。バスケの練習は常総ラボに通っている(板橋ラボはまだ無い)。桃香の“お誘い”には「一周忌まではダメ」と拒絶している。作曲にはまだ復帰していないが、編曲は引き受けている(松本花子作品の編曲作業はたくさんある)。作業は主として都内のカラオケ屋さんやビジネスホテルで行っている。名古屋のマンションに置いていた楽器類は現在、尾久のマンションに移していて、必要な時は天野貴子(きーちゃん)に取って来てもらっている。
 
●千里2
10月からフランスのLFBが始まるのでマルセイユの一員として参加。マルセイユ市内のアパートに住んでいる。LFBの試合は土日で、平日は練習があるものの、月〜金の5日間の内3日くらい出ればいいという空気である。それで千里は毎週1日はスペイン・グラナダの自宅で過ごし、グラナダの雑誌社の仕事をしていた。そういう訳で、千里はフランスとスペインの両方で就労ビザを取得している。
 
日本とヨーロッパは昼夜が逆なので、それを利用してしばしば日本にも来ている。日本滞在中は、主として江戸川区葛西のマンションに居る。
 
ただし貴司がしばしば姫路近くの市川ラボに練習に来るので、その日は千里2が“貴司の前には姿を現さないまま”食事を用意したり、洗濯をしてあげたりしている。実を言うと千里3が千里2に譲ってあげているのだが、そのことに2番はまだ気づいていない。3人の千里の中で、2番が最も貴司のことを好きなのを3番が察している。ただ貴司に男性器が無いのでセックスできない!
 
●千里3
9月下旬にスペインのカナリア諸島でワールドカップに参加した後、10月下旬に日本のWリーグが始まったのでこれに参加する。12月下旬のオールスター、1月の全日本に出場し、2月にはWリーグのプレイオフに参加するが、いづれも不本意な成績で終わる(前述)。
 
千里3はワールドカップを除いては、だいたい日本国内におり、この時期は川崎のマンションに住んでいて、同じ川崎市内のレッドインパルス練習場に通っている。ここで作曲活動もしている。楽器もだいたいここにあるが、一部の楽器は尾久のマンションにあって、必要な場合は《きーちゃん》に取って来てもらっている。
 
なお、この時点でハルコンズのメンバーを管理しているのは千里2、ドラゴンズとコシネルズは千里3の担当である(コシネルズは1番の管理だったが、1番が能力を喪失し、彼女たちのこと自体記憶から消えたので3番が引き継いだ)。
 
基本眷属の帰属は↓
1:とうちゃん、たいちゃん、りくちゃん、てんちゃん
2:つーちゃん、ほしちゃん、びゃくちゃん、いんちゃん
3:わっちゃん、えっちゃん、すーちゃん、せいちゃん、げんちゃん
共:きーちゃん、くうちゃん、こうちゃん
 
こうちゃんはいったん千里2が自分の専任にしたのだが、秋に男性能力を“返してやった”時に千里3も自分の専任にしてしまい、結果的に2番と3番の共通の眷属となった。普通は誰かの眷属になっている子は別の人が眷属にすることはできないのだが、どうも“同じ千里”であれば可能なようである。えっちゃんの場合は千里2との契約が仮契約だったので、完全に3番に取られた。
 
尾久のマンションの楽器は《きーちゃん》が必要に応じて3人の千里の求めに応じて取って来たり、置きに行ったりしているが、これは複数の千里が尾久で、かち合わないようにするためである。
 

2019年1月19日(土)から21日(月)頃の3人の千里および青葉の動きはこのようであった。
 
1/13 朋子が優子・奏音を千葉の川島家に連れていく。朋子は14日富山に戻る。優子たちはしばらく桃香宅に滞在。桃香たちは(由美が生まれたので)仙台に行っている。
1/15 千里1、単身で仙台から千葉に戻り、康子と相談して優子への送金を増額。夕方仙台に戻る。
1/16 千里1、仙台で由美のことで市職員の聴取を受ける(実際にはほとんど桃香が答える)
 
1/18
和実のメンテ:8:00=1 15:00=天野
千里1 桃香・早月・由美と一緒に仙台から千葉へ戻る。
千里2 10:00-18:00(JST 18:00-26;00)チーム練習。
千里3 川崎から北海道へ。美輪子の家に泊めてもらう
青葉  金沢でタッチの練習。
 
1/19(土)
和実のメンテ:8:00=2 18:00=忌部
千里1 千葉で信次の二百ヶ日法要
千里2 和実のメンテ。夕方いんちゃんと交替して仮眠。日本時間20日4:00にフランスでLFBの試合。
千里3 旭川でWリーグの試合(13:00-15:00)。
青葉  朝の新幹線で東京へ。千葉で信次の二百ヶ日法要に出る。彪志のアパートに泊まる。
 
1/20(日)
和実のメンテ:8:00=2 18:00=青葉
千里1 千葉に滞在
千里2 仮眠後朝いんちゃんと交替して和実のメンテ。夕方青葉と交代。
千里3 旭川でWリーグの試合(13:00-15:00)。16:00頃旭川を発つ。
青葉  §§ミュージック→深川アリーナ→夕方仙台に行き2番と交替。
 
1/21(月)
和実のメンテ:12:00=1 21:00=2
千里1 午前中に新幹線で仙台へ。お昼前、和実の病院に行き青葉と交代。
千里2 夜1番と交替
千里3 12:00 仙台に来るが1が先に病院に入っている。12:30 内灘。封印の旅。
青葉  午前中は和実のメンテ。12:30 内灘。封印の旅。
 
妊娠中の和実はもう絶対に目が離せない状況になっていたので、だいたい、千里2と千里3が交替で見ているのだが、2人だけでは無理なので、青葉ができる時は青葉が、状況次第では千里1も入り、それ以外に天野貴子(きーちゃん)、忌部繭子(いんちゃん)、白鳥清羅(びゃくちゃん)も入っている。青葉の眷属の代表・雪娘ときーちゃんとの“淑女協定”で、千里の眷属が和実のそばに付いている場合も、そのことは青葉には話さないことになっている。
 

千里3は19-20日は旭川で試合があるので、20日の試合(13:00-15:00)の後、仙台に移動して和実のメンテをするつもりだった。千里3は18日に旭川入りしたのだが、他のチームメイトと一緒に飛行機で移動しようと思ったら《くうちゃん》が
『千里、アテンザを持って行きなさい』
と言った。
 
『でもフェリーでは間に合わないよ』
『僕が空輸してあげるから』
『じゃよろしく』
 
それでキャプテンには「親戚のところに寄りたいので別行動していいですか?」と言って許可をもらい、大洗までアテンザで走った所で、《くうちゃん》に即時苫小牧に転送してもらった。それで苫小牧から旭川へ走り、その日は美輪子の家に泊めてもらった。19日の試合の後はチームメイトと一緒に旭川市内のホテルに泊まっている。
 

20日に試合が終わった後は、またキャプテンに断った上でアテンザに乗り込み、和実のメンテを青葉と交代するために仙台に向かう。実際には苫小牧港まで走り、そこから即時仙台港に転送してもらい、仙台市内の和実が入院している病院に向かった。病院に到着したのがお昼頃である。それで病室に行こうとした所で《きーちゃん》から『待って。1番が先に入っちゃった』という直信がある。
 
「なんで1番が来るの〜?」
「分からない。でも1番が来ちゃったからあの子に夜まで任せよう。その後、次は2番さんに入ってもらうよ」
 
「じゃ私は東京に戻るか」
などと言っていたら、その1番と交替した青葉が病院の玄関の所に出てくる。それで青葉に「仙台駅まで送るよ」と声を掛けて、アテンザに乗せた。
 

1番は二百ヶ日法要があるので18日に仙台から千葉に戻ったのだが、法要が終わった翌日、康子(川島信次の母)から、どっさり落花生の袋をもらった。青葉はまだ東京に居るかな?と思い、最初青葉のスマホに電話するがつながらない。それで彪志に掛けてみると仙台に行ったという。
 
そうか。妊娠中の和実のメンテかと気づく。ずっと詰めているのは大変なのではと考え、落花生は彪志のアパートに投下した上で、千里1は、由美も連れて新幹線に乗って移動し、和実の病院に行く。それで妊娠のメンテ作業を青葉と交代した。この時期の千里1は既に並みの霊能者よりずっと大きな力を持っている(ただしまだ“暴走”開始前である)。
 

さて、アテンザで仙台駅に向かおうとした千里3と青葉は唐突に石川県の内灘町に飛ばされた。何が起きたんだ?と思って車を降りてみると、そこに慈眼芳子と沢口明恵がやってきて「封印の旅をするよ」と言って2人に杖を渡した。
 
千里はこれを小学生の時に2度やったことがあった。ああ、あれを青葉に伝授することになるのかと思った。
 
これは1年以内に寿命が尽きる人の手でしかできない。小学生の時に千里がやったのは千里自身が、1年以内に死亡する予定だったからである。しかし千里(+小春)は、まんまと《死神さん》を欺して生き延びることができた。千里は本来2003年4月9日23:51に死亡する予定で数分程度の誤差はあり得る範囲だったのが、死神さんが気づいた時はもう4月10日になっていたため、千里の魂を地獄に連れていくことができなくなってしまったのであった。この件はその内、詳しく書くことになる。
 
しかし今回は今にも寿命が尽きそうに見える慈眼芳子さんが自分の命を犠牲にして封印を掛けるつもりなのだろうと感じた。でもそのことは口にしない。(慈眼さんはこの封印の旅をした8日後の1/29に亡くなる)
 

この時間帯、地球の裏側で皆既月食が起きていた。この“封印の旅”は月食の時にしかおこなうことができない。この月食は日本からは見えないのだが、それでも月食だから、ちゃんと封印はできるらしい。
 
千里が小学生の時、封印の拠点について、最初にやった時は12個、2度目は27個の神社しか記憶に残らなかったのだが、千里は今回初めて53個全ての神社を記憶していた。たぶん自分はこれで上がりで次は青葉か明恵の番なのだろうと思う。今回、青葉も明恵も、12個しか神社を記憶していないようだった。でも次回はきっと27個記憶に残ることになるのだろう。
 
人は普段でも多分記憶に残っているのより多くの行動をしているに違いない。ただその一部しか記憶に残らないだけなのだ。
 

この封印の旅で使用した杖だが、封印作業をしている間は、慈眼芳子・明恵・千里・青葉の4人とも杖を持っていたが、終わった時、全員の杖が消えたように思われた。しかし実は慈眼さんだけは所持していた。慈眼さんはこれは千里が使った杖だと言った。封印の旅を3回もしたことで千里だけ特別扱いになったらしい。慈眼さんは千里の同意のもと、それを青葉に渡した。
 
この年の秋に千里1がお遍路に行くと言った時、青葉はこの杖は千里1が使うべきものだと直観的に思い、千里1に渡した。千里1はその杖を持って歩いてお遍路で四国一周をすることになる。そしてお遍路を満願した後は京平に贈られ、彼の強力な小道具となる。日本中の空間の歪みを封じた上に、四国八十八箇所を歩いて回った杖のパワーは強大である。
 

2019年3月9-10日には、福島市のムーランパークで08年組主催の復興支援イベントが行われた。このイベントの出演者と日程は↓のようになっていた。
 
3.09 AM アクア(10:00-12:00)
3.09 PM §§ミュージックオールスター
13:00桜野レイア、13:20山下ルンバ、13:40原町カペラ、14:00石川ポルカ、14:30桜木ワルツ、15:00花咲ロンド、15:30白鳥リズム、16:00姫路スピカ、16:30西宮ネオン、17:00今井葉月、 17:30高崎ひろか、18:00品川ありさ、18:30川崎ゆりこ (19:00終了)
3.10 AM アクア(10:00-12:00)
3.10 PM 08年組+α
13:00 Golden Six/ 14:00 Olive Lemon/ 15:00 Flower Four/ 16:00 KARION/ 17:00 XANFUS/ 18:00 Rose+Lily (19:00終了)
 
ムーランパークアリーナはできたばかりで、3月9日はその落成記念式典もあり、ここを本拠地にすることになるアブクマーズの代表や市のお偉いさんなどによるテープカットもあった。
 
そのあと顔写真付きの身分証明書と照合しながら入場処理をするので、その厳重さに、アブクマーズの選手や市の関係者が驚いていた。
 

アクアは2日間歌うのだが、9日はF、10日はMが歌っている。アクアのイベントの後は1時間で客を入れ替えなければならないので大変そうであった。それで13:00から午後のイベントの予定だったが、この短時間では入れ替え作業が完了せず、結局20分遅れの13:20から§§ミュージックオールスターの演奏を始め、終了は結局19:30までずれこんだ。
 
多くの歌手は自分の持ち歌を歌うが、持ち歌がまだ無い原町カペラはももクロの歌を歌った。また持ち歌が少ない石川ポルカは途中にスリファーズの歌を挟んでいた。山下ルンバと桜野レイアはメジャーデビューしてからの持ち歌は少ないものの、インディーズあるいは自主制作で多数の曲をこれまで歌ってきているので、その中からピックアップして歌っていた。
 
葉月は持ち歌は無いが、今年は松田聖子の歌を歌った。7曲歌うつもりだったのだが、葉月の番になったのが、17:00の予定が17:40だった。それでゆりこ副社長から「悪いけど1曲減らして」と言われたので6曲だけ歌うことにする。
 
『赤いスイートピー』を可愛く歌い、『青い珊瑚礁』を熱唱。『風立ちぬ』、『秘密の花園』と歌って華やかに『Strawberry Time』を歌う。最後は情緒豊かに『SWEET MEMORIES』(ピアノ伴奏:佐藤ゆか)を歌って締めた。
 
18:05で終了したのだが、拍手が鳴り止まない。次の高崎ひろかは結局18:10まで始められず葉月は謝ったが
 
「謝る必要はない。それだけ葉月ちゃんの歌が凄かったんだよ」
 
とひろかは言った。ひろか・ありさが25分ずつでまとめてくれたので、川崎ゆりこは無事19:30でステージを終えることができた。ゆりこの最後の曲『あじさいの歌』はこれまでに歌った全員が出ていってコーラスを入れた。
 

なお今年、アクアを会場から脱出させる際の“身代わり”は、9日は大崎志乃舞、10日は桜野レイアが務めたが2人とも「怖かったぁ」と言っていた。
 
10日の午後は08年組の演奏が行われ、青葉の友人の美津穂と世梨奈はこれに参加したのだが、今年は青葉自身も千里も出ていない。2人とも3月11日に予定していた和実の出産のため仙台市内の病院でスタンバイしていた。
 
その和実の赤ちゃんは無事生まれ、母子ともに元気だったので、みんなホッとした。
 
和実は翌日にはおっぱいが出た。これにはお医者さんも驚いていたが、
 
「確かに男性でも赤ちゃんを産んだら母乳は出るはずというのはアメリカの医学者さんがそういう説を唱えていたんだよ。確かめようのない話だと思っていたけど本当だったんだね」
 
と言って感心していた。そして和実は初乳を哺乳瓶経由ではあったが、保育器内の明香里に飲ませてあげることができた。千里がしっかりおっぱいマッサージをしてあげたので、和実は充分な量の母乳が出るようになり、明香里はほぼ母乳のみで育って行った。
 
明香里の出生届けは和実が元男性であるため、いったん保留にされたものの、市の職員が病院で事情聴取し、和実が実は半陰陽であったという説明を聞き、2年半前に代理母さんに産んでもらった希望美のDNA鑑定書で和実が遺伝子的に希望美の母であるとされている記述なども見せると、納得してくれて、出生届けは受け付けられた。それで和実は法的に明香里の実母になったのである。
 
「私、元は男だったのに、本当の母親になれたなんて信じられない」
と和実が言うと
「いや、和実は元々女だったのではという疑惑が当初からある」
と見舞いに来てくれた梓から言われ
「やはりそうだよね?そんな気がしていた」
と淳にも言われていた。
 
「淳さん、和実のちんちんに触ったことないの?」
「無い。触らせてくれなかったし、一度も見てない」
 
「やはり元々ちんちんなんて無かったとしか思えない。私も和実のちんちん見たことないし」
と姉の胡桃にまで言われている。
 
「お姉さん、和実が赤ちゃんだった頃、おしめ換えとかで見てないんですか?」
「見てるはずだけど記憶が曖昧なのよね」
「やはり怪しい」
 

3月16日は高野山の★★院で、瞬嶽の七回忌法要が行われ、国内の仏教だけでなく神道からも多数の大物が来訪した。こういうメンツが揃うのは他の機会ではまず見られないものである。
 
霊能者でも、竹田宗聖・火喜多高胤・中村晃湖など一般に知られているトップクラスのメンツの他、虚空、子牙、紫微、など知る人ぞ知るメンツも来ている。もっとも虚空・子牙・紫微を認識できたのは、たぶん千里くらいで誰もそれがその人とは気づかなかっただろう。菊枝はまだ療養中なので来ていない。香典を瞬高宛に送ってきて託していた。羽衣も来ていないが、天津子が香典を持ってきたので香典返しを渡しておいた。実際には羽衣は貨幣経済と無関係に生きているので、香典のお金は羽衣の弟子・天機と桃源が半々出したらしい。天機と桃源自身も来たらしいが、天津子以外は誰も顔を知らないので、千里さえ気づかなかった。
 
**寺のC門主が席を立つ。壁際に立っていた千里(実は千里2)がそばに寄り「お薬のお水ですか?」と尋ねる。
 
「よく分かるね!」
「こちらにおいでください」
と言って千里2は88歳のC門主を隣の部屋に案内し、ここに座ってお待ちくださいと言って水をコップに入れて持ってきた。
「ありがとう」
と言って門主は薬を取り出してもらったコップの水(実際にはぬるい白湯)で飲み干した。
 
「少し休んでおらお戻りになられるとよいですよ。あ、お菓子どうぞ」
と言って干菓子を勧める。
「ありがとう。君は気が利くね」
と言って、ニコニコしながら門主はお菓子を口にした。
 

千里がC門主を連れてお堂から出てすく、千里(実は千里3)がお堂に入ってきた。多くの人が今出て行った千里が戻って来たのだろうと思い、何も疑問に思わない。
 
**寺のK門主が席を立った。千里(千里3)が近寄る。
「お手洗い、ご案内します」
「ありがとう。よく分かるね。助かるよ」
 
それで千里3は門主をトイレの前まで案内した。用を済ませた門主が出てくると「どうぞ」と言って、おしぼりを渡す。
 
「済まないね。面倒を掛けて」
「男性の弟子が案内した方がよろしいのでしょうけど、あいにくみんな忙しくしておりますので失礼とは思いましたが、私がご案内させて頂きました」
 
「いや、もうこの年になったら、性別なんて気にしないよ」
と72歳のK門主は言った。
 
「まあ実は私も性別は捨ててしまったんですけどね」
「おやおや、まだ君はそんなもの捨てる年ではないと思うよ」
と言ってから、門主はハッとしたように
 
「君は・・・男でも女でもない?」
と自問するように言った。
 
「お恥ずかしい。実は生まれた時は男だったのですが、ちょっと南方渡海して、変成女子(へんじょうにょし)してしまいました」
 
「そうだったか。すまん。変なことを聞いて。でも最近はそういう人も多いから気にすることはない。だけど君は波動がきれいだね。普通の女人の波動だと思う。だから君は少なくとも魂としてはきっと元々生まれながらの女子(にょし)だったんだよ」
とK門主は言った。
 
「そう言ってもらえると凄く心強いです」
と千里は微笑んで言った、
 

「私みたいなのはまともに成仏できないかも知れませんけど」
と千里が言うと
「そんなことはない。阿弥陀様は全ての人を極楽浄土に導くとおっしゃっている」
とK門主は即否定した。
 
「そうですか?」
 
「そもそも性別なんてのは方便(**)にすぎん。男でも女でもちゃんと涅槃に行ける。そのルートが違うだけで、行き着くところは同じだよ」
「方便ですか」
 
(**)方便(ほうべん)は仏教用語。世の中には様々な人がいるので、その人に合わせた教導の方法があるので、色々な仏の教えを聞いていると一見矛盾しているように聞こえても、それはその人向けの言葉を言っているにすぎないこと。但し後の密教ではその方便こそ真実なのだとして再評価された。
 

「そうそう。昔から男の道の方がよく知られているから、男の道はガイドブックがあって、より涅槃に至りやすい。女の道はあまり明らかにされていないから大変だ。お釈迦様は女は成仏しにくいとおっしゃったが、不可能とは言わなかったし、だからこそお釈迦様の教団には男の比丘(びく)だけでなく、女の比丘尼(びくに)もいた」
 
「確かに」
 
「男の方が易しいから女の道から男の道に移動してから成仏するのもあり。それが変成男子(へんじょうなんし)だよ」
「なるほどぉ!」
 
「そなたのように、変成女子(へんじょうにょし)した場合は、より困難な道を行くことになる。しかし阿弥陀様のお導きがあるから、ちゃんと辿り着けるよ」
 
「それならいいですね」
 
「だいたい男でなかったら成仏できないというのであれば、修行の邪魔だと言って、魔羅(まら)を切り落とした数多(あまた)の修行僧は成仏できないことになってしまうではないか」
 
「本当だ!」
 

なおK門主が席を立ち、千里3が彼をトイレに案内した後、お堂には千里1が入って来て壁際に立った(きーちゃんがナビしている)。
 
そこに薬を飲みに席を立っていたC門主が戻ってくる。お堂に入ったところで千里に気づきギョッとした顔をしている。廊下を振り向くが千里2の姿は見ない。
 
「どうかなさいましたか?」
と千里1が声を掛けた。
 
「いや。なんでもない。さっきはありがとう」
「私は何もしておりませんが、何か御用事がございましたら、遠慮無くお申し付け下さい」
「うん、よろしく」
 
C門主がそんな会話をしていた所にK門主が戻ってくる。K門主も壁際にいる千里を見るとギョッとした顔をし、思わず廊下を振り返るが千里3の姿はその付近には無い。
 
「どうかなさいました?」
「あ、いや、なんでもない。さっきはありがとう。君も無事女人成仏できるといいね」
「ありがとうございます。私みたいな罪深き者でも成仏できますかね」
「もちろん。さっきも言ったように阿弥陀様は全ての人を救うのだよ」
「だったらいいですね。何か御用事がございましたら、遠慮無くお申し付け下さい」
「うん、よろしく」
 
それでK門主は席についたがC門主が声を掛けた。
「何かあったの?」
「いや。何も。Cさんこそ何かあったの?」
「何も無いよ」
 
ふたりが会話をしている所を見て顔を見合わせる人が多くあった。そもそも長年対立している**寺の門主と**寺の門主が並んでいる姿を見ること自体が極めてレアである。それが更に会話しているとなると、何十年に一度の出来事ではないかと多くの人が思ったのであった。
 
そしてこの法事の席に3人の千里が出没していたことは、誰にも気づかれなかった。(虚空や子牙さえも気づかなかった)
 

「なんかやっと揃ったね」
「まあ私はまだしはらく日本と韓国とを行き来しないといけないけどね」
 
「でも全員揃ったのは80年ぶりくらいかなあ」
「南と北に別れちゃったからね。中国も一時は日本と行き来ができなかった」
 
「私の言葉変じゃない?ずっと文化語(ムンファオ:北朝鮮の標準語)になじんじゃったから、標準語(ピョジュノ:韓国の標準とされる言葉)とは色々違って通じにくいかも知れないけど」
 
「そんなのどこの国にも地方地方のことばがあるから問題無い」
「うん。千里なんて本人は東京が長いから東京方言だけど、千里の彼氏は大阪が長いから大阪方言で話して、それでちゃんと話通じているし」
 
「言葉は通じているけど、話の中身に問題があって、しょっちゅう彼氏はおしおきをくらってるけどね」
 
「だいたい私なんて韓国語あまり分からない」
と片言の韓国語で言っているメンバーもあるし
 
「誰か中国語に翻訳してよ」
と中国語で話している子もある。
 
そういう訳で、この日は数十年ぶりに“コシネルズ”(中国語:紅娘)のメンバーのほとんど(一部欠席者あり。実はメンバーかどうか微妙な子もいる)が日本の仙台に集まったのである。コシネルズの世話人である千里3も来ている。実は和実のお店・クレール(若林店)で、集まりをしている。
 

多くのメンバーが300-500歳くらい(人間でいうと20-30歳?)で、多くが鳥族の性転換女性である。それで女の子の鳥族→lady bird→coccinelle という連想である。鳥族なので・・・実は全員元々ペニスを持っていない!!が、人間体の時はペニスがあったのを多くは手術して除去している。人間体の状態で手術を受けると、鳥体の時は元々ペニスは存在しないが、睾丸が無くなっていたらしい。鳥体で睾丸を除去した場合、人間体ではどうなるのかは、試した者が居ないので不明。
 
英語のlady birdはテントウ虫を表し、フランス語ではコシネルになる。フランスで性転換ダンサーを多く使用したことで知られるキャバレー“カルーゼル”(回転木馬の意味)にコシネル(1931-2006)という性転換美女がいたのも背景にある。
 
テントウ虫は中国語では瓢蟲(ピャオチョン)あるいは日本語でもこういう漢字を書くが紅娘(ホンニャン)ともいう。紅娘は発想がlady birdと似ている。現代ではlady birdのladyとは聖母マリアのことでマリア様のドレスに描かれていた7つの模様に似ているからと説明され、7は7つの美徳(知恵・勇気・節制・正義・信仰・希望・愛)を表す、ともいうのだが後付けっぽい。紅娘は赤くて小さな虫だからということ、テントウ虫(天道虫)はお天道様(おてんとうさま)に向かって飛んで行く虫だからと説明されている。フランス語のcoccinelleはラテン語のcoccineus(紅色)に由来して、つまり紅娘と同じ発想である。
 
以下はこの日集まったメンバーである。
 
キム・ソンミ 本地は鷹。昨年夏にアクアの家庭教師をした人。1615年生まれ。ここ30年ほどは韓国国内で中学教師をしていた。1960年代にモロッコで性転換手術を受けて女性になった。女性になったのは「男として生きるのに飽きたから」らしいが「女になってとても調子がいいわよ。あなたもちょっと性転換してみない?」などと男性時代の友人たちを唆している。2012年に来日し、↓美恵の家に居候。
 
金子美恵(キム・ビヘ)本地は鷹。ソンミの父の姉(元兄)。1272年生まれ。ずっと女装男性として生きて来たが、1930年にドイツで性転換手術を受けて女性になった。1970年代に来日して日本人と結婚。宮城県丸森町で夫と大規模な農園を営んでいる。このチームのスポンサーで“部長”の肩書きでしばしばベンチにも座る。日本バスケット協会のコーチライセンスも所持している。
 
金子由貴(キム・ハウン)美恵の娘。1989年生。遺伝子上は美恵の夫(人間)と亡くなった前妻(人間の韓国人)の娘。由貴の実母は由貴を産んですぐに亡くなった。生まれながらの日本国籍だがハウンという韓名も持つ。高校卒業後アメリカに留学してNCAA/WBCBLのバスケットチームで活躍する傍らアメリカの会計士の資格を取った。身長も175cmあり、見た目も男っぽく、声も低いため、しばしば男に間違えられ、女湯などで悲鳴をあげられたのは数限りない。スパなどでは普通に男性用ロッカーの鍵を渡されて困る。女だと主張してパスポートなどを見せると、概ね性転換した元男なのだろうと思われ、ガールズオンリーバーには入場できなかった!千里などもてっきり元男性と思い込んでいるが、実はこのチームで唯一の天然女子である!そして実は唯一の人間である!!
 
チャン・スヤン 本地は鷲。この時点でまだ韓国在住。慶州(キョンジュ)に自宅がある。2019年夏には青葉が光州(クァンジュ)の世界選手権の会場から日本までピンポイントリターンする手伝いをしてくれた。彼女は若い頃に自分で男性器を切り落として男を廃業したのだが、ずっと後の1750年頃にフランス人医師の手で女性器の形成手術を受けている。
 
イ・ヘラン 本地は鷲。スヤンの300年来の友人。1800年頃、イギリス人医師の手により性転換手術を受け女性になっている。ずっと釜山(プサン)に住んでいたが、朴正煕(パク・チョンヒ)政権の圧政を嫌って1973年に日本に移住。
 
リ・スッチー 本地は鷲。イ・ヘランの従妹。イ・ヘランもリ・スッチーも苗字は「李」だがこの苗字は韓国標準語では「イ」と読み、北朝鮮文化語では「リ」と読む。北朝鮮の清津(チョンチン)にずっと住んでいたが、金正恩(キム・ジョンウン)政権になってから身の危険を感じて脱北した。ヘランと連続して手術を受けたので女性の身体になってからもう200年以上経っている。
 
ソ・ヨンシル 本地は鷲。スッチーの友人。長年北朝鮮に住んでいた。1750年頃の生まれ。この子は女の子みたいに可愛いから女にしてしまおうと言われて、まだ物心もつくかつかない内に、イギリス人医師の手で性転換手術を受けさせられたので、実は男の子時代の記憶がないが、別に男に戻りたいと思ったこともない。彼女も最近の圧政で身の危険を感じ、実は先月“空を飛んで日本海を横断して”日本にやってきた(密入国)。
 
王風玲(ワン・フォンリン) 本地は隼。北京近郊に長く住んでいた。1500年頃の生まれ。150歳頃、友人に宦官にならないかと誘われ、一緒に手術を受けた。ずっと親しんできた男性器を(専門の“刀子匠”に)切断してもらったが、切った後でかなり後悔したらしい。美貌だし声変わり前に去勢しているので“美少女”扱いされ、女の服を着るのに味をしめた。男にも女にも愛されたが本人としてはあまり恋愛感情は無いらしい。辛亥革命で清朝が倒れた後は、女の振りをして女装で生活している。胸も女性ホルモンを摂って大きくした。実はまだ女性器は作っていないので現時点では中性。もっとも周囲からはさっさと完全な女になればいのにと言われている。このチームのキャプテンである。
 
陳洋梅(チン・キャンメイ) 本地は隼。フォンリンの長年の友人で、夫婦だった時期もある。文化大革命の時期に粛正されそうな予感から、当局の追及を逃れるのに闇の性転換手術を受けて女性に生まれ変わった。最初は性転換を後悔し、男に戻りたいと思っていたもののフォンリンから“女性化教育”を受けて次第に女も悪くないなと思うようになった。性転換に伴い夫婦関係は解消し、友人ということにしたがそのまま一緒に住んでいる。
 
陳月麗(チン・ユエンリー) 本地は隼。実は洋梅と風玲が夫婦だった時期にできた?娘。どうやって月麗ができたのかについては、両親ともに語らない。しかし両親の愛をたくさん受けて育っているので月麗としては特に問題にしない。物心ついた頃から自分は女なのではと悩み、母に相談したところ、性別移行を勧められた。女の子の服を着て生活するようになり、話し方や歩き方・仕草などは母からしっかり教育を受けてすっかり女らしくなった。1970年にモロッコに渡り、性転換手術を受けて、息子から娘に生まれ変わった。母同様に声変わり前に去勢したため、とても女らしい。実は月麗が性転換した後で父が性転換して女になったのでびっくりしたが、母と2人で男っぽさの残る父を教育して少しずつ女らしくしていった。父は最初女湯に入るのも恥ずかしがっていたが、風玲と月麗で強引に女湯に連れ込んで慣れさせた。
 
龍佳晶(ロンチャーチン)本地は隼。月麗の友人。男の子だった頃からの友人で、月麗が性転換手術を受けて女の子になったので「いいな、いいな」と羨ましがり、月麗の2年後にモロッコで性転換手術を受け、男の子から女の子へ華麗な変身を遂げた。手術後「本当に女の子の身体って素晴らしい」と感激した。「男の子は生まれたらすぐに手術して女の子に変えてあげるべきだよ」などと過激なことを言っている。
 
ダシュツェレンギーン・サラントヤ 本地は宙飛(ちゅうひ。沢鷹とも書く)。ここで“ダシュツェレンギーン”は苗字ではなく父称である。ダシュツェレンの子供という意味。モンゴル人には苗字は無い。サラマントヤは女の子によくある名前で月光という意味。200歳頃に魔術師兼医師に手術してもらい男性器を除去して、族長から新たな女子としての名前サラマントヤを与えられ、その後、女として生きてきている。近年になって中国の病院で女性器を形成する手術を受け、男性と性交できる身体になった。初めての女性としての性交では嬉しくて涙が出たという。中国でコンピュータの勉強をしている内に陳洋梅と親しくなった。白鵬の熱烈なファン。
 
 
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【△・Who's Who?】(1)