【女の子たちの魔術戦争】(その4)

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医師は隣室の桃香を呼び、今回は特別にふつうの養子で行くことにすると告げた。しかしこの子を無事千里の子として引き渡すにはいろいろ面倒な問題があった。その点を3人は話し合った。
 
日本は国籍が血統主義なので、外国人の母と日本人の父の間に生まれた子は父母が結婚しているか、父がその子を胎児認知していない限り、日本人として認められない。ところが代理母さんは結婚しているので、結婚している女性の胎内の子をその夫でない人が勝手に認知することはできない。
 
「しかし2003年にアメリカで代理母が出産したケースで、代理母の契約をもって胎児認知と同様とみなすという法務省の判断が出ているのです。ですから、この場合、それを裁判所に認めてもらえれば、この子は日本国籍を取得できます」
「それはよかった」
「ただ、そのあたりは微妙な所もあるので裁判やってみないと分からない」
「うーん」
「あと、ふつうの養子制度を使うとなると、相続権などの問題が生じます。うまれた子は実親と養親との両方の相続権を持つことになるので、あとで何か問題が発生した時にややこしいことになる危険があります」
 
「法律ってややこしいなあ」
「生殖医療の技術の進歩に法律が付いていってないのですよ。政治家だけでなく医療関係者の中にも代理母や体外受精に反対の立場の人も多いですしね」
「あの、先生」と潘さんが発言した。
 
「私、中国に帰っちゃったらダメですか?」
「え?」
「子供産んだらそのまま何もせずに中国に帰っちゃう」
「もしかして捨て子?」
「はい。うちの母からもそろそろこっちに戻ってこないかって言われてるんですよね。潮時かなという気もしていたので」
 
「そしたらどうなるんですか?」
「うーん。。。。ふつうの捨て子の場合、家庭裁判所に就籍許可を求めて戸籍を作成します。ただ代理母出産でその代理母が失踪してしまった場合は、ふつうは父親が出生届を出せばいいんです。ところがこのケースはその父親が存在しないので、ほんとに捨て子と同様の処理になるかも」
「でも、その子を養子にすればいいんですね!」
「確かにその場合は潘さんとの親子関係は発生しない」
「もしかしていいアイデアでは?」
 
「いやしかしそれはですね・・・・」
と医師は困惑したようであったが、確かに使える手かも知れないが問題が多すぎると言う。なお、ふつうは捨て子はいったん乳児院に収容されて、それから里親などを探すのだが、今回の場合は子供の父親の配偶者である千里に養育の意志があるので、乳児院を経ずそのまま引き渡して問題無いと医師は語った。
 
医師はふたりを連れて顧問弁護士のところを訪れ、この件について相談した。弁護士はその捨て子作戦がわりといいかも知れないなどと言った。結局このアイデアを基本に考え、もっといいアイデアが見つかったら方針変更することにした。
 
ともかくも子供の命が守れたことで桃香は満足であった。
 

信次の葬儀の翌週、太一の妻・亜矢芽が男の子を出産。翔和(とぶかず)と命名された。康子の顔に微笑みが戻った。千里も赤ちゃんの顔を眺めていると心がとても安らぐ思いがした。
 
桃香は千里と康子に代理母さんにはちゃんと予定通り子供を産んでもらえることになったことを報告した。法的な問題も説明したが「ごめん。今の私の頭では理解できない」と千里が言ったので、あとでまたゆっくり説明してあげることにした。しかし、ふたりとも本当に喜んでいた。そしてこの時、康子は千里と桃香に今まで秘密にしていたことを語った。
 
「これは実は信次も知らなかったことです。いづれ言うつもりだったのですがその前に逝ってしまった。以前、私は後妻で、太一も信次も前のお母さんの子だということを言ったと思うのですが」
「信次さんから、その前のお母さんにひどい虐待を受けてたというの聞きました」
「それ私にも少し原因があるんです」
「え?」
「私は亡くなった夫とは、前の奥さんが生きていた頃からずっと関係があったの。それで、太一のほうは本当に前の奥さんの子供なのだけど、信次は実は私が産んだ子なのよね」
「そうだったんですか!」
 
「昔はお役所もそのあたりけっこう適当だったから、信次も本妻さんが産んだ子として入籍された。でもその頃から子供への虐待が始まったみたいなの。信次だけじゃなくて自分の子供である太一へもなのだけど」
「あれ。そしたらもしかして、今代理母さんの胎内にいる子は」
「そう。私にとっては自分の遺伝子をつぐ唯一の孫になるの」
 
「でも康子さん」と桃香は言う。
「虐待が自分のせいだと思ったらダメです。虐待やってた本人が一番悪いし、それを止めきれなかった旦那も悪いです。康子さんは子供2人に優しく接してきたんだもん。誇るべきですよ」
康子は「ありがとう」と言って、頭を下げた。
 

桃香が朱音の所に早月を引き取りに行くと朱音は桃香の顔を見るなり言った。
「やっと戻って来たか、この育児放棄女め」
「ごめーん朱音、それから早月もごめんね」と言って早月の額にキスする。
「青葉ちゃんが来て少し早月ちゃんをあやしていったよ」
「あの子もとんぼがえりだったからね」
「でも美人になったね、あの子」
 
「うんうん。ほんと美人。あの子も千里の結婚に自分の将来を重ね合わせていたから、こういう事件が起きて、かなりショックだったみたい。気の強い子だから、表面には出さないけど。だけど、私も大変だったんだよ。10日ばかりの間に、名古屋に3回。宮城に1回。葬儀1件、誕生祝い1件。会社の幹部・不動産屋・葬儀屋・お寺・占い師・警察・病院2つ・弁護士2人と打ち合わせした。役場も何ヶ所行ったものやら。我ながらよくやったよ」
 
「まあ、桃香の奮闘も認めるが、赤ん坊2人抱えた私の奮闘も認めて欲しい」
「うん、認める。ほんと助かった」
 
「千里の様子どう?」
「少しは笑顔も見せるようになったけど、しばらくは再起不能だね。
来年赤ちゃんが生まれるというのが唯一の希望になっている感じ」
「途中経過聞いたけど、代理母さんが優しい人で良かったじゃん」
「うん、ほんとに」
 

8月21日が四十九日だったが実際の法事は19日の日曜に行われた。
 
葬儀の時は泣いてばかりで名ばかりの喪主だったが、今回は何とか頑張ることができた。来てくれた親族との会食で千里はみんなから「力落とさないようにね」
「辛いけど頑張ってね」と言われていた。もちろん桃香も会食に出席している。桃香は信次の親族たちからは千里の姉と思われているふしがあり「千里ちゃん元気づけてあげてね」などと言われた。
 
康子が桃香を呼び止めて言った。
「こんな場所で言うことじゃないけど、私の癌の病変が消えてしまっているって」
「わあ、良かったですね。治療が成功したんですね」
「ええ。ずっと一進一退だったのに急に。なんか、これもあの子が持って行ってくれたんじゃないだろうかという気がして」
「そうかも知れませんね」
と桃香は答えた。だとすると、信次はいったい何人の命を救って逝ったのか。
 
千里は動く気力も無い感じで、葬儀以来康子の家にずっと籠もりっきりで買物にも出ていなかったのだが、四十九日の法要を終え、納骨をすませたところで桃香は千里を自分の家に誘った。
 
早月が千里に寄ってくる。「わーい。早月ごめんね。しばらく来れなくて」
早月が千里の乳房を求めてくるので、ブラをめくって乳首を含ませる。
「きっとさ、早月は自分の親が分かるのさ」
「そうだよね。私頑張らなくちゃ。早月もいるんだもん」
「ねえ。千里。しばらくうちで暮らさない?いつまでも康子さんとこに居候するのも負荷になるし」
「うん。私も負荷になってるんじゃないかなって心苦しかったんだけど、私今仕事探したりする気力がまだ無くて」
「うちで早月のお世話してしばらくぼーっとしてるといいよ。私もパートに出る時に早月を託児所に預けなくても済むし。今パートで割といい給料もらってるし、コラムの原稿料もあるから、千里の食費くらいは出るよ」
「ありがとう。でもあと少し考えさせて」
「うん。遠慮しないでね」
「桃香相手に遠慮しない」
「よろしい」
 
「じゃ、ついでにもうひとつ」「うん?」
「1月に子供が生まれたら、ふたりで一緒に育てない?」
「ああ」
「まだまだ早月におっぱいあげてるからさ、たぶんその子が生まれた時点でも私のおっぱい出ていると思う。それになんてたって私はその子の遺伝子上の母親だからね。相性はいいはずよ」
「そうか。私達ふたりで、早月とその生まれてくる子のふたりを育てる訳か」
「そういうこと」
「分かった。乗った!その話」
「よし、頑張ろう」
「うん」
ふたりはハグして友情?を確認した。
千里は9月に入ってから、頻繁に桃香の家に出てきて、桃香が仕事に出ている間、早月の面倒を見ていた。それから、前在籍していた会社の社長に連絡し、夫が亡くなってこちらに戻ってきたことを伝え、下働きでいいのでまた雇ってもらえないか打診してみた。「出戻らせてもらえたら退職金は返還しますから」
などと言ったが、社長は「いつでも戻っといで。仕事はたくさんあるから」と言った。「もちろん退職金はあげたものだから返す必要はないよ」とも言った。
 
千里は康子に、近く会社に復帰すること、通勤の便も考えて、しばらく桃香のところに身を寄せようと思うこと。そして1月に子供が生まれたら、桃香と一緒にその子を育てたいと言った。
 
「桃香さんはあの子の・・・」
「そうなんです。遺伝子上の母親なんです。そして今まだ子供が2歳になってないので、1月の時点でもたぶんお乳が出てるって。だから母乳育児ができるんです」
「桃香さんとあなたが育てるのなら、私も安心だわ」
「こちらにも週末には戻って来ますから」
「うん、お願い。あなたがいなくなったら寂しくなっちゃう」
 
千里は10月7日に百ヶ日法要を済ませると、身の回りの荷物だけ桃香のアパートに持ち込み、10月15日(月)に会社に復帰した。復帰初日に「これだけ企画書を書いて」
といって塔のように資料を積みあげられ千里は「うっそー」と叫んだ。
 
あの子は忙しくしてあげないとね。哀しみを考える時間も無いくらい。と社長は心の中でつぶやいた。
 
桃香はコラムの執筆をしながら、毎日ケーキ製造会社のパートに通っていた。パートに出る間は早月は託児所に預けていた。千里は毎日会社に出て行き、日々大量に与えられる仕事をこなしていた。週末には(休めたら)康子の家に行き過ごした。また毎週水曜日には茶道教室で千里と康子は会っていた。
 
失ったものも大きかったが、千里も康子も少しずつ日常生活を取り戻していった。
 
12月。太一が亜矢芽と離婚してしまった。千里はびっくりして康子の家に駆けつけた。「何があったんですか?」「いやあ。面目ない」と太一が恐縮している。
「俺の浮気が原因です。もう3度目だったので、許してもらえませんでした」
「だって結婚してからまだ半年ちょっとなのに・・・・」と千里は戸惑いを隠せない。「私も呆れたわ」と康子も匙を投げている様子だ。「ああん、翔和に気軽に会いに行けなくなっちゃったよ」と言っている。「一応、私はいつでも来て下さいねとは、言われたけど」
 
12月26日(金)、桃香は子供の出産に備えてこの日限りでパート先を退職した。
 
世間的には年末年始の休暇に入ったが、千里はどうも正月が無いようであった。下手すると会社で年越しになりかねない状況だった。
 
12月30日、千里が会社に行っていて桃香が早月とふたりでアパートにいた時、ひとりの女性が千里を訪ねてきた。
「私、川島さんがこちらの支店に居た時の部下で・・・」
というその女性に桃香はピンと来たので
「千里はまだその手の話を聞ける状態に無いんです。よかったら私が代わりに聞かせてください」
「あなたは・・・・」
「千里の姉代わりみたいなものです」
「では、お姉さんにお話ししてから出発します」
桃香は多紀音を家にあげてお茶を出す。
 
彼女が語った内容はだいたい桃香が推測していた通りだった。惚れ薬を信次に飲ませたのが事の発端だったというのは初耳であった。不妊魔法が自分に返ってきたという話には、『だって千里には女性生殖機能がそもそも無いからねえ』と内心考えながら聞いていた。その後に掛けていたという細かな多数の呪いは青葉が千里を守って跳ね返していたのだろう。
 
「あの時、信次さんに問い詰められて、つい逃げてしまって。その時私が危険な場所に逃げ込んでしまったものだから・・・・」
「私も胸騒ぎがして急いで名古屋に駆けつけたんだけど、その呪いって、凄まじく強烈だったんじゃないかな。だから、もともと術者も死を免れないものだったと思う。信次さんはたぶん、千里に降りかかった呪いを自分で引き受けるのと同時に、多紀音さん、あなたも守ってくれたんだよ」
多紀音は泣き出した。
「あなた、このあと死ぬつもりだったでしょ。でもね。信次さんが自分の命を代償にして、千里とあなたを救ったの。だから、あなたは生きなきゃいけない」
「やはりそうなんですね・・・・」
 
桃香はしばらく多紀音が泣くに任せていた。早月は不思議そうな顔をしていたが、やがて多紀音の膝をパンパンと叩く。
「可愛い・・・・抱いていいですか?」
「いいよ。この子、けっこう人見知りするのに珍しいね」
「そうなんですか?」
多紀音はしばらく早月を抱いてあやしていた。早月がきゃっきゃ笑っている。
 
「ところで発端の惚れ薬の件だけどね」
「はい」
 
「気の毒だけど、その薬は効いてないよ」
「え?」
「あなたの話だと、その惚れ薬使ったのが7月頃なんでしょ?」
「はい」
「私が千里から、新規の企画で営業訪問している建設会社の担当者がなんか自分に好意のある視線を向けてるけど、どうしよう?なんて相談を受けたのそれより前の6月頃だもん」
「そんな・・・・・」
 
多紀音は自分が信次に求愛した時、既に信次の心の中には千里がいたのだろうかなどと考えた。
 
「ね。私は宗教とか占いとかあまり信じないたちなんだけど」
「はい」
「こういう時、西国33ヶ所とか、四国88ヶ所とか、歩いて巡礼っての?するといいかもよ。信次さんの菩提を弔うことにもなるし」
「あ、私もちょっとお遍路のことは考えました」
「これからの季節、寒くなるから歩いてはしんどいかも知れないけど、とりあえず1度交通機関使ってまわってみて、春頃になったらあらためて歩いて回るのもいいかもね」
「私、四国に行ってみます」
「うん」
 
「もう死なないよね」
「実は7月から今まで3回自殺未遂して、1度はガス自殺しようとした所を偶然来た友人に止められました。でも、なんかこの子見てたら、やはり私は生きなきゃいけないのかな、って気がしてきました」
多紀音は早月を優しい視線で見つめている。
「うん。辛いけど、お互い頑張ろうよ」
「はい」
 
多紀音はせめてものお詫びに自分の退職金を千里にあげたいといい、額面80万円の銀行振出小切手を差し出した。
「一応預かります。受け取るかどうかは千里がもう少し落ち着いてから相談して決めさせて下さい」と桃香は言った。
「はい」
桃香は預かり証を書いて自分の印鑑を押して多紀音に渡し、連絡用の電話番号を聞いた。多紀音は深々とお辞儀をして去っていった。

千里は30日の日は帰らず、31日の23時頃になって帰宅し、そのままのびていた。「年越しそばくらい食べよう」と桃香が言い、ふたりで天麩羅そばを食べる。早月は寝ていた。新年の汽笛が鳴る。ふたりは「Happy New Year!」と言ってキスをした。千里は1月1日だけ休み、一緒におとそを飲んだ後、桃香の作った雑煮やおせちを美味しい美味しいと言って食べたり早月と戯れたりしていたが、2日からまた会社に出かけていった。
 
3日夕方、代理母さんが産気づいたという連絡を受けた。桃香は予め借りていた信次の遺品となったムラーノの後部座席に2つベビーシートを並べていたが、そのひとつに早月を乗せ、千里の会社まで行って千里を拾い、高速をひた走って、宮城の病院に駆けつけた。4日朝9時頃、女の子が生まれた。千里はその子に「由美」という名前を付けた。名前については信次と男の子ならこれ、女の子ならこれと話し合っていたものだと言った。夕方には康子も新幹線でやってきた。
 
由美が生まれて5日後、代理母さんは(予定通り)消息を絶った。中国に帰国したはずである。桃香はムラーノの後部座席の2つのベビーシートに早月と由美を乗せて帰還した。ムラーノはこういう用途に使うためしばらく借りることにしていた。千里のミラではこういうまねはできない。
 
一方、医師は職権で由美の出生届を出し、弁護士の名前による家庭裁判所への就籍請求、また千里からの養子縁組届(書類は弁護士作成)も同時に提出された。市の担当者も家庭裁判所の事務官も、関わっている医師の名前を見て「またあの人ですか」と諦めに似た表情を浮かべた。「また何か新しい枠組みを始めたのかな?」などと言っていたが、『諦められて』いるせいか、市側は争う姿勢を見せず、出生届は受け付けられ、就籍許可は申請後10日でおりた。
 
すぐに現地で就籍届を提出し、由美は単独の戸籍が作成されたので、この時点で由美は日本の国籍を取得した。養子縁組については争点が無いので問題無く受け付けられ、1月29日、由美は正式に千里の子供(養子)になった。
 
なお、千里が元男性であるため、一応調査官が桃香のアパートまで来たが、実際にはふたりで育てているし、生まれながらの女性である桃香が母乳をあげているのを見て安心した様子であった。更に桃香が自分は千里と学生時代は4年間共同生活した親友であり、由美の遺伝子上の母でもあり、自分もこの子の育児について永続的に責任を持つと言って念書も書いたので、調査官はそれを持ち帰った。
 

「ああ、私だって由美の遺伝子上の母親だから、私もこの子の法的な母になりたかったなあ」
「母親ふたり設定できないの、不便だよね」
千里は自分の乳首に吸い付きすやすやと寝ている由美を愛しそうに見ている。
 
最近活動が活発になり、今も積み木で遊んでいる早月についても、桃香・千里ともに「親」なのであるが、やはり法的な母親は1人だけなので桃香だけが母親になっている。「だからあいこだよ」と千里は言っていた。
 
いつか、日本でも同性婚が認められたら、千里を口説き落として結婚しちゃうのもありかな、と桃香は思う。そうすれば自分たちは4人家族になれる。現状は、桃香と早月の母娘・千里と由美の母娘の2世帯が同居している状態だ。(千里と由美の戸籍は康子の家の所に置いてある。住民票だけこちらに移した)
 
友人たちには、桃香とはただの同居だよ、などと千里は言っているが、気持ち的には同棲であることも認めてるのかなと桃香は思った。朱音たち友人はみな同棲とみなしている。時々「Hしない?」というのだが、千里は笑って逃げている。
 
ノックがあり、鍵が開く音がして、「こんにちは」と言って康子が入ってきた。子供が寝ているかも知れないので、ベルは鳴らさず勝手に鍵を開けて入ってくるというのが、千里・桃香・康子の間での約束になっている。
 
「由美ちゃん起きてるかな?」
「さっき寝ちゃったんですよ」
「あらあら。まあいいや、起きるまで待ってよ。あ、これおやつ」
「わあ、きれいな麩菓子!」
 
手の空いている桃香が煎茶を入れてきて、3人で生菓子を頂いた。
早月も康子になついているので、康子は早月を抱いてあやしていた。
早月へのお土産はウエハースである。
 
「でも最近、お義母さん毎日ですけど、交通費かかってません?」
「大丈夫、定期券買ったから」
「わあ!」
 
由美の生まれたのがちょうど信次が亡くなった半年後の同日ほぼ同時刻だったので「信次の生まれ変わりみたいな気もして」などと康子は言っていた。
 
千里はそのうち由美を抱いたまま眠ってしまった。桃香と康子は目で
シグナルを送って、早月を連れて奥の部屋に移動した。桃香がふたりに掛かるように薄手の毛布を掛けた。
 
「ねえ、桃香さん、ここだけの話」
「はい」
「もしかして千里さんと桃香さんって、恋愛関係?」
「そうですね・・・」
と桃香はうつむいて言った。
 
「私の永遠の片思いかも。私は実はレスビアンなんです。それで千里のこと好きだけど、千里はもともと恋愛対象は男性だから、私のこと恋人としては見てくれないの。あ、だから千里の愛は全部信次さんの所にありましたよ」
 
「そうだったんだ!ありがとう。じゃついでにもうひとつ。これ答えにくかったら答えなくてもいいから。早月ちゃんの父親って、まさか千里さん?いや、どう考えてもあり得ない気はするのだけど、何となく」
 
「千里が去勢する前に保存していた精子で私が妊娠しました。千里に
無理言って、精液保存してもらっていたんです。私、男の人とセックスできないし、たとえ人工授精でも男の人の精子を自分の体には入れたくなかったんだけど、千里は女の子だから千里の精子なら入れてもいい気がしたんです」
「ああ、だったら医学生がAIDの精子提供者になるのと同様ね」
「ええ、まさにそれです。理解してくださってありがとう。だから、早月の父親欄は空白ですし、千里が認知をすることはありえませんから。千里の子供は、信次さんとの子供の由美だけです」
「ありがとう。答えにくいこと教えてくれて。私もこのことは自分の
胸にだけ入れておくわ」
康子はきょとんとした表情でこちらを見つめる早月の頭を撫でている。
 
「でも桃香さんって・・・」
「はい?」
「なんだか千里さんのお母さんみたい」
「え!?」
「だって今千里さんのこと話してるの聞いてても凄く優しく慈しんでいる感じ」
「あはは、お姉さんみたいと言われたことはありますが」
「あ、ごめんなさいね」
 
「そうそう。○○建設が、今になって、御見舞い金って持ってきたのよ」
桃香は友人の弁護士に少し会社をつついてもらったのが効いたなと思った。
「いくら持ってきました?」
「それが400万なの。大金でびっくりしちゃった。一応預かったけど、もらっちゃっていいものなのかしら」
桃香は微妙な金額だなと思った。正式に労災に認定されていれば、その上に『1』が付いていてもおかしくない。
「せっかくだから、もらえるものはもらっておきましょう」
「そうね」
 
なお、多紀音が持ってきた80万に関しては千里と話し合った上で、多紀音にも電話で了承を取り、あしなが育英会に全額寄付していた。ただ呪いの話はさすがに千里には話していない。千里にはあくまで自分をかばって信次が死んだのが申し訳無いと言ってきた女性と伝えている。
 
「でも、私の家の住人もこの1年でほんとにころころ変わったわ」
「イベントが多すぎですね」
「全く。結婚2回、出産2回、離婚1回、葬式1回」
桃香は康子が最後に『葬式1回』と言う時にわずかながらためらったのに気付いた。ただ、それをこういうシチュエーションで言えるまで、気持ちが整理されたのだろうなと思った。
「たった1年でこれだけのことが起きる家って、そうそう無いわ」
「ほんとに」
 
「ねえ、桃香さん」
「はい」
「ここにいる私の孫は由美だけだけど、早月ちゃんも私の孫だと思っていい?」
「いいですよ。一緒に可愛がってください」
「ありがとう。私、この子たちの顔見ていたら、頑張らなきゃと思えるの」
「ええ、頑張っていきましょう。色々生きにくい世の中だけど、負けちゃだめ」
「ほんとにね」
 
しかし早月は康子の嫁の遺伝子上の子だから、実際孫と言ってもいいんだよね。桃香は思っていた。
でも親子って何なんだろう?と桃香は考えていた。
戸籍上の母、産んだ母、遺伝子上の母、育ての母・・・・・
 
いろいろな意味での親ってあるけど、結局はその子をちゃんと可愛がって育てる人こそが親なのではなかろうかと。千里がもっと精神的に落ち着いてきたら、1度聞いてみようかなとも思う。
 
トントンという可愛いノックがあった。桃香が行ってドアを開けに行くと果たして青葉だった。
「ただいまあ。由美ちゃんを見に来たよ」
と言って入ってくる。
 
「あれ・・・私寝てた」と言って千里が目を覚ました。
「あ、青葉おかえりー」
「わあ、この子?うーん。可愛い!目尻のあたりちー姉に似てない?」
「そ、そう?」
「はいはい、早月ちゃん。君とも遊ぶよ。ははあ、君妬いてるでしょ。ふたりのお母ちゃんが由美に取られた気がして」と早月とじゃれている。
 
「そうそう。富山の鱒寿司と金沢のあんころと買ってきたよ」
「わあ、どちらも好き」
 
桃香がお茶を入れて、4人で頂く。
由美は寝ていたが、青葉が膝にだっこして優しい目で見つめている。
千里の膝には代わりに早月が乗ってテーブルの上のレゴで遊んでいる。
 
「おお、この鱒寿司は私の好きな笹義ではないか」と桃香。
「うん。これ買ってから富山ICに乗った」と青葉。
「安全運転してる?青葉」と千里。
「免許取って以来無事故無違反だよ」と青葉は答えるが、無検挙・保険無使用というべきだよな、と桃香は突っ込みを入れたくなった。
「夜中ずっと走って、明け方SAで仮眠したら少し寝過ごしちゃった」
「睡眠は充分取った方がいいよ。寝不足はお肌にも良くないし」
 
「そういえば何となく聞きそびれていたけど、青葉さんって桃香さんの妹さん?」
「私の妹ですよ」「うん私の妹」と千里と桃香が同時に言った。
「ふたりとも私の姉です」と青葉はニコニコして言っている。
「アナウンサーを目指しているので、もし放送局とかにコネがありましたらよろしくです」などと付け加える。
 
「誰か知り合いがいなかったかしら・・・・・でも青葉ちゃん、お葬式の後で、長い数珠持ってうちの仏檀の前で般若心経と観音経、経本も見ずにあげてくれていたでしょう。なんか強烈に印象が残っていて」
「私、お経は得意なんです」
といって愛用の数珠をバッグから取り出して、康子に預けた。
「この数珠、持つとなんか暖かい感じがする」
青葉がニコリと笑う。
「1〜2年修行に行ったら住職の資格取れるんじゃない?なんて時々言うんですけどね。そういうの専門にやる気はないみたい」
 
「私8年前の東日本大震災で家族を失ったんです。友達もたくさん死んだし。それで供養にと毎日般若心経を読むのをはじめたんです」
「そうだったの。ごめんなさい」
「1日108遍とかやってたね」
「うん。今でも続けてるよ。こちらに来る途中も運転しながらずっと般若心経を唱えていた。中高生時代は主として通学時間を利用してたんだけど」
「それは凄い」
 
「ずっと唱えていると凄く集中力が高まるんですよね。だから私、集中力には自信があります。それで私がその般若心経を唱えた回数を数えるのに使っていたのがその数珠で、玉が108個あるんですよね。でもしばしばカウントが分からなくなって、まあ平均多分108回以上は唱えたよな、という感じで」
 
「そりゃ分からなくなるよ」と桃香。
「でもこれまでに多分30万遍近くは唱えている」
「凄いわね」
と康子は感心している。
「ねえ。もしよかったら、またあとでうちでお経あげてくれないかしら」
「ええ。あとで行きましょう」
 
「あの子、今天国でどうしてるのかしらって気になって」と康子が言うとワンテンポ置いて青葉が
「すごくきれいな状態ですよ」
と言った。斜め後ろの方に一瞬意識を集中していた雰囲気を桃香は感じた。
 
「信次さん、もともと寿命だったと意識していたようです。それで逝く前に助けられるだけの人を助けていこうとしたみたい。今も康子さんとちー姉と由美ちゃんを守ってくれているよ」
「青葉・・・・・」千里はその言葉に涙を流した。
「あ、三周忌済んだら結婚してもいいってちー姉に」
「それ今言わなくていい」と桃香がたしなめる。
 
「でも信次さん、幸せだったみたい。死ぬ前に可愛い奥さんと結婚できて生きているうちにはその顔まで見られなかったけど、子供も作ることができて、これでお母さんを少し安心させられたかな、なんて言ってますよ」
「あの子ったら・・・・」と康子も涙を浮かべる。
 
そうか。そういう意味では信次は人生の最後に最高の幸福を享受したのだろうかと桃香は心の中で思った。合理主義者の桃香はふだんは青葉のこの手の発言を信じていないのだが、この時だけは信じてもいい気がした。
 
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