【少女たちの入れ替わり大作戦】(1)

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千里の母は千里と玲羅に鍵を1個ずつ渡して言った。
 
「お母ちゃん、昼間仕事に出ることにしたからさ。帰りが夕方5時すぎになると思うから、お前たち学校から帰ってきたら自分で鍵を開けて家に入っていてくれない?」
 
「うん。いいよ。何のお仕事するの?」
「水産加工のお仕事なんだよ。魚とかの缶詰を作るの」
 
「お母ちゃん、お金足りないの? 私のお小遣い減らしていいよ」
と千里は言ったが
「お前たちのお小遣いくらいは大丈夫だから心配しなくていいよ。ずっと働きたいと思ってたんだけど、玲羅が小さい内はと思ってたんだよ。玲羅も4月からもう小学2年になるし大丈夫かなと思って」
 
「うん。私、ゲームしてるから大丈夫」
と玲羅は言う。
 
「何か適当なキーホルダー付けてあげようかとも思ったんだけど、各自好みのを買って付けた方がいいかなと思って。千里見てあげて」
 
「うん」
 
それで母は千里に210円くれた。100円ショップで見繕ってということだろう。
 

それで翌日学校の帰り、玲羅と一緒に100円ショップに行った。
 
「あれ?お兄ちゃん、もうキーホルダー付けてる」
と玲羅が言う。
 
千里は可愛いキタキツネのキーホルダーを家の鍵につけていた。
 
「持ってたキーホルダーを付けたんだよ」
「それ、時々つけてる髪留めと似てるね」
「そうそう。同じシリーズ。だから私は買わなくてもいいから、お母ちゃんからもらった105円は玲羅にお小遣いであげるよ。内緒でね」
 
「ありがとう、お兄ちゃん」
 
「うーん。お姉ちゃんと呼んでくれたらもっと嬉しい」
「考えとく。でもお兄ちゃんって本当はお姉ちゃんだよね?」
「まあ私は女の子のつもりだけどね」
「それでなんでお兄ちゃんなの?」
「私もよく分からなーい」
 
それで玲羅には可愛い猫のキーホルダーを選んであげて、105円払い、残りの105円は玲羅にあげた。
 

タマラのお父さんが作ってくれたバスケットのゴールは、タマラ一家が引っ越して行った後は、リサの家の物置に置いていて、使う時にリサ・千里・留実子の3人で協力して神社の境内に運び、そこで遊んでいた。
 
3月の下旬、千里たちがそこで遊んでいたら、身体の大きな男の子が数人やってきた。
 
「おお、すげー。こんな所にバスケのゴールがあるじゃん」
「やろうぜ、やろうぜ」
 
と言って勝手にストリートバスケ?を始める。
 
「お前ら、危ないぞ、どけどけ」
などと言ってリサたちを押しのける。
 
「ちょっとぉ。ここ私たちが遊んでんだよ」
とリサが文句を言う。
 
「ガキはお手玉でもしてろよ。このバスケットは俺たちが使ってやるからさ」
「それ、私たちのゴールだよ」
 
「そんなの誰が決めたのさ」
「私たちの友達のお父さんが作ってくれたんだから」
 
男の子たちは少し顔を見合わせたものの、反論する。
 
「でもここは神社の土地だぜ。お前たちの土地じゃないだろ? だったら誰が遊んでもいいし、俺たちの方が有意義に使ってやれるから、ありがたく思えよ」
「俺たちが居ない時はお前らが遊んでもいいぜ」
 
「そんな勝手な理屈は無いだろう。ここは僕たちが先に使っていたんだから、僕たちに優先権があるはず」
と留実子が主張する。
 
すると男の子たちはこちらを睨む。
 
「何だ?中学生に逆らうのか? 何なら喧嘩で決着つけるか?」
と男の子。
「僕は強いよ」
と留実子。
 

両者がにらみ合った時、コハルが割って入った。
 
「まあまあ、喧嘩もいいかも知れないけどさ、バスケの使用権で争うならバスケで勝負するってのはどう?」
 
「誰だお前?どこの中学だ?」
と男の子が言う。コハルは落ち着いた雰囲気なので、彼らには中学生に見えたかも知れない。
 
「それともあんたたち、小学生にバスケで負けるのかな?」
とコハルが少し挑発する。
 
「負ける訳ないだろ?」
と男の子。
「僕はそれでもいいよ」
と留実子。
 
「どういう勝負するんだ?」
 
「ゴールの真下から始めて各自2本ずつシュートを打つ。1本でも入ったらクリアしたことにする。双方ともクリアしたら距離を1mくらい遠くする。どちらか先にクリア失敗した側の負け」
とコハルはルールを提案した。
 
「だったら楽勝だな」
と男の子が言う。
 
「俺は去年の秋の大会で1試合30得点したんだぜ」
「へー。それで勝ったの?」
とリサが言うと
 
「それは訊くな!」
と彼は怒ったように言った。
 
リサが吹き出した。千里は何とか笑うのを我慢した。
 

とりあえず勝負を始める。中学生側はその30得点したという男の子がやる。こちらは留実子が千里を指名した。
 
ボールはお互い慣れているボール(千里たちは4号球、中学生たちは6号球)を使用することで双方は同意した。
 
最初はゴール直下から。
 
双方とも一発で入れる。
 
1mほど離れる。これも双方1発で入れる。
2mほど離れる。これも双方1発で入れる。
 
3mほど離れる。この距離になると(子供にとっては)結構遠い感覚だ。
 
千里は1発で入れた。中学生は最初外したが「あ、失敗失敗」と言って2発目できちんと入れた。
 
4m。フリースローの距離である。千里はまた1発で入れる。
 
「お前、結構やるな」
と中学生の男の子が千里に言った。
 
彼はかなりマジな顔になっている。慎重に狙って・・・入れた。
「ふう」と息をつく。
 
もう周囲は固唾をのんで勝負の行方を見守っている感じだ。
 

5m。これはかなり遠い感じである。
 
千里はしっかりゴールを見つめ全身のバネを使って撃つ。
 
入る。
 
中学生は何度かボールを地面に打ち付けて気持ちを集中していた。狙う。そして撃つ。
 
外れる!
 
「もう一発、もう一発」
と言ってボールを取って来て再度その距離から狙う。ジャンプしながら、少し高めの軌道にシュートする。
 
入る!
 
彼はジャンプの反動で座り込むようにし、大きく息をついていた。
 

とうとう6mになる。スリーポイントの距離である。もっとも千里はスリーポイントなどというルールは知らない。
 
千里が撃つ。
 
届かない!
 
千里が目をつぶる。千里の腕力ではあそこまで到達させられないのである。
 
「どんまい、どんまい」
と留実子が言う。
 
千里はさっき中学生がジャンプしながら撃つのを見ていた。そうだ。立ったままの状態からシュートして届かなくても、ジャンプしながらなら何とかなるかも。千里はとっさにそう考えた。
 
ボールを持ってゴールを見つめる。
 
いったん身体を曲げて、斜め前にジャンプしながら身体を伸ばす。身体を伸ばしきる直前に「いちばん遠くまで届くはず」の角度に、力のある左手を主に使ってボールを送り出す。
 
ボールは少し左にずれて、リングの左側にぶつかり、それから反対の右側にもぶつかった後、ネットを通過した。
 
「やった!」
とリサが叫ぶ。
 
中学生は「うっそー」という顔をしていた。
 
自分もボールを持って構える。
 
撃つ!
 
行き過ぎ!!
 
ボールはゴールより向こうに飛んでいった。バックボードが無いのでボードに当てて入れるという技が使えない。直接入れなければならないのが辛い所だ。
 
もう一度ボールを持つ。慎重に構える。
 
撃つ!
 
今度は手前過ぎた。
 
ゴールの手前に落ち、ネットに外からぶつかって下に落ちた。
 
「負けた!」
 
と男の子は言った。
 

「じゃここは私たちが使うから」
と留実子。
「仕方ないな」
と男の子。
 
「そもそも中学生にはこのゴール低すぎるでしょ?」
「まあそれはそうだけどな。これミニバスより低いよな」
「私たちのグループには小学1年生とかもいるから、その子たちも遊べる程度の高さに作ってもらったから」
「だったら4年生くらいまでかもな」
「そんな気はするけど、どっちみちそちらはアウトだね」
 
「分かった分かった。勝負で負けたから潔く引き下がるよ」
と言って中学生たちは帰って行った。
 

その後で千里は言った。
 
「4年生までなら、私たちもあと1年かな」
「かもね〜。あとはドーラたちに任せよう」
「それでいい気がする」
 
「その後はどうする? 千里はミニバスにでも入る?」
「なんかお金掛かりそうだからパス。毎月大会とかであちこち出かけているみたいだし、ユニフォームも要るみたいだし」
「確かにね」
 
「それにうちのミニバスって基本は男子のみみたいだしさ。女の子は3人か4人くらいしか居ないみたい」
と千里が言うと
 
「うーん・・・」
と留実子は悩んでいた。
 

2000年4月。千里は小学4年生になった。
 
千里を小学1年から3年まで担当してくれた山口先生は千里の性別問題に寛容で、千里のあり方をそのまま受け入れてくれた感じであった。おかげで同学年の子の中には、千里の性別に問題があること自体に気づいていない子もいた。(タマラやリサなど)
 
その山口先生の姿勢は3年生の12月に転校してきた留実子にとっても快適だった。留実子は前の学校では女であることを強制されてかなりのストレスを感じていたようである。転校してきた当初何だか暗い顔をしていた留実子が山口先生の寛容な態度の中でみるみる元気になっていったのを千里は感じ取っていた。山口先生は留実子に「男の子はもっと短い髪でもいいぞ」などと言ったので留実子はそれに勇気付けられて、髪をかなり刈り上げ(お母さんが見て最初悲鳴をあげたらしい)、ますます男らしくなった。
 
これに対して4年生で千里や留実子の担任になった我妻先生はむしろ千里や留実子の性別問題自体に気づいていなかった。
 
我妻先生は50歳になるベテランの女先生で、今年小平町の小学校から転任してきた。北大の国文科を出たらしく、国語が専門で中学で国語や英語を教えていたこともあるらしい。出身は江差という話で漁師の娘だと言っていたが、そのせいか強烈な「浜言葉」を使う先生で、転校生や道外出身者の子供が多い千里たちの学校では我妻先生の言葉が聞き取れない児童も結構おり、「今先生何て言った?」などという会話が教室の中で小声で交わされていた。
 
これまで小さな町村での勤務が多かったということで、市という名前の付く所に勤務するのは12年ぶりだなどと言っていた。
 

先生は物事を素直に見る性格のようで、その姿勢は児童たちに好感された。そういう先生なので、児童たちを見ていて千里は女の子、留実子は男の子と思い込んでしまったようであった。しかし千里の名前はまだ男女ともあり得る名前だからいいのだが、留実子については首をひねった。
 
「花和君、まるで女の子みたいな名前ね」
 
と先生が言ったのに対して、留実子は
 
「僕の名前は留実子と書いてルービッシュと読むんです。僕、ロシア人とのクォーターなので」
 
などと冗談(?)を言ったが、先生はそれを真に受けてしまったようであった。
 

最初の学活の時間に、クラスの委員を決めるとき、千里は田代君と2人保健委員に指名された。
 
千里もさすがに保健委員はやばくないか?と思ったら蓮菜が
「私、保健委員やりたいです」
と言ってくれたので、結局田代君と蓮菜が保健委員をすることになり、千里は放送委員に横滑り。留実子と千里の2人で放送委員をすることになった。
 
「これって男子1人・女子1人だよね?」
「うん。男子1人・女子1人で合っている気がする」
 
という会話が教室の中では小声で交わされた。
 

各委員ごとの全体集会があったので、千里と留実子は職員室の隣にある放送室に一緒に行った。4〜6年生の合計6クラスの放送委員で1日交代で昼休みの放送を担当してもらうということだった。
 
この当時は学校は第2・第4土曜が休みで、第1・第3・第5土曜には授業があるが、どっちみち半ドンなので放送委員がお昼に放送室に入るのは月〜金の5日間である。それで4年生は2週間に1度水曜日を担当すれば良いことになった。
 
放送委員の委員長さんは6年男子の鐘江さんで、初めて放送機器を扱う4年生の4人に丁寧に操作方法を教えてくれた。彼は剣道部の部長さんでもある。
 
「じゃ4年生1人ずつ練習してみようか。最初は1組の女子から」
と言われて、千里は留実子と顔を見比べた。
 
やはり女子って私かな〜と思って千里はマイクのスイッチを入れて声を出してみる。
 
「ただいまマイクのテスト中。東京特許許可局、隣の客は良く柿食う客だ、竹藪に竹立て掛けた。She sells seashells by the seashore. Who buys the seashells she sells by the seashore?」
 
などとマイクに向かってしゃべったら
「英語の発音がきれーい」
「アメリカ人みたい」
と言われた。
 
「英語教室とか行ってるの?」
「外国出身の友達と遊んでたから覚えたんですよ」
「なんかあのグループは英語・フランス語・ポルトガル語とか飛び交ってたね」
と留実子も言う。
「タガログ語とか、ドイツ語、スペイン語にルーマニア語もあったよ」
「それ全部分かるの?」
「分かりません。お互い言葉は分からなくても何となく意思は通じる感じで」
「それも凄いなあ」
 
「はい、次るーちゃん」
 
それで留実子もマイクに向かって話す。
「岡田武史、名塚善寛、佐藤洋平、高木琢也、山瀬功治、播戸竜二、大森健作、アウミール、エメルソン、田渕竜二、村田達哉、池内友彦、中尾康二、.....」
 
「おお、凄い」
「コンサドーレのメンバーだ」
「サッカー好きなの?」
「好きです」
「5年生になったらスポーツ少年団のサッカーに入るといいよ」
「うん、花和君、雰囲気的に強そう」
「ある程度強い子は3〜4年生でも入れてくれることあるよ。花和君、一度行ってみるといいよ」
 

始業式の翌日には体育の授業があった。
 
この学校では体育は全学年とも男女合同の授業である。ただし実際には男女を分けて試合をしたりすることはある。また3年生までは担任の先生がそのまま体育も教えるのだが、4年生以上は体育の先生(この年は男子は三国先生、女子は桜井先生)が教えることになっていた。
 
しかし授業が合同でも着替えは当然男女別である。体育の時間は1組・2組が合同になるので、1組で男子が、2組で女子が着替えることになっていた。
 
千里はクラスメイトからは「一応男子」と分類されているので、他の男子と一緒に1組で着替えたものの、千里が上着を脱いで下着姿になると他の男子がギョッとする。それで田代君が千里に
 
「村山、お前、ちょっとこっち来い」
と言って教室の隅に連れていき、教室の後ろに置かれている移動式の黒板を持ってくる。
 
「村山、お前はこの黒板の陰で着替えろ。良いな?」
「うん」
 
千里は3年生までは「妥協」して体育のある日は男の子下着を着けていたのだが、この春からふだんと同じ女の子下着で通すことにしたのである。
 

それで体操服に着替えてその日は体育館に集合した。校庭はまだ雪で覆われている。
 
この日は1組男子対2組男子、1組女子対2組女子でポートボールをやりますと言われた。それで千里が1組男子の方に行ったら、男子体育の三国先生から言われる。
 
「こら、そこ何やってる。女子は向こうのコートだぞ」
 
千里はどうも自分が言われているようなので、周囲を見回す。すると田代君が
 
「村山、女子は向こうだって」
と言うので、千里はおそるおそるそちらのコートに行った。すると千里の性別のことは一応知っている女子体育の桜井先生が笑って
 
「自分の性別を間違わないようにね」
 
などと言っているし、蓮菜は
 
「千里、何やってんのさ?あんた少なくともちんちんは付いてないよね?」
などと言った。また同じコートの反対側のハーフコートにいるリサが
 
「シサト、さっき着替えの時居なかったから遅刻してきたのかと思った」
などと言っていた。
 
リサは千里のことを普通の女子だと思い込んでいる。
 

ちなみに留実子も性別疑惑を持たれたものの桜井先生が留実子の性別も把握していたので「あんたは一応こっちにおいで」と言って、女子の方に参加させていた。男子と一緒にさせてもあまり問題は無いだろうが、競技中に他の児童と身体の接触が発生した時に他の男子がやりにくいだろうという配慮である。
 
それで千里は女子の方に参加してポートボールの試合が始まる。実は1組女子は11人、2組女子は12人なので、千里の参加でちょうど12対12になってちょうど良かった。
 
コートの中は24人もの女子がうようよしていて、かなり身体の接触が生じる。しかし千里は女子たちとの身体接触は何も気にしなかったし、他の子も全然気にしていない様子だった。試合の途中で玖美子など千里の身体をあちこち触って
 
「ほんと千里って女の子っぽい体付きだね」
などと言っていた。
 
さて試合だが、タマラのお父さんが作ってくれたバスケットゴールで遊んでいるメンバー、千里・留実子・蓮菜・恵香にリサはみんなドリブルがうまいしシュートもうまい。みんなゴールマンがほとんど身体を動かさずにボールをキャッチすることができた。
 
一方の2組には(中谷)数子ちゃんと言って、ミニバスに入っている子がいて、その子がさすがに凄かった。それで1組は千里・留実子・蓮菜に恵香、2組はリサと数子が中心になって、試合はかなり白熱したものになっていた。
 
「あんたたちハイレベルだよ。これなら男子と試合してもいい勝負になる」
などと桜井先生は言っていた。
 

試合は結局40対36で1組が勝った。
 
「あんたたち強ぇ〜〜!」
とミニバスに入っている2組の数子が言っていた。
 
「ねえ、あんたたち、特にその背の高い子(留実子)、ミニバスに入らない?」
と勧誘までしていたが
 
「僕はサッカーしたいからバスケはしない」
と言って留実子は断っていた。(数子はこの春にリサと同じクラスになった時、彼女も誘ったらしいが、リサは断ったらしい)
 
「ちなみに女だよね?」
と言うので
「お股触ってみてもいいよ」
と留実子は言う。
 
すると数子は本当に留実子のお股に触って
「確かに付いてない」
などと言っていた。
 
2組の一部の女子からは
「千里も性別チェックした方がいい」
などという声が出ていたので
 
「え?この子?」
などと言いながら数子は千里のお股にも触って来た。
 
「別に何も付いてないよ」
と数子が言うので
「やはりね〜」
という声が千里のことを以前から知っている子の間で起きていた。
 

始業式の翌週には体重測定と、年度の初めなのでレントゲンおよび内科検診も一緒に行われた。我妻先生は生徒の健康診断票をプリントして男女に分けてから保健委員の蓮菜と田代君に渡したのだが、蓮菜は女子の方に入れられていた千里の診断票を「これはそちらね」と言って田代君に渡し、田代君も男子の方に入っていた留実子の診断票を代わりに渡していた。
 
男子は理科室、女子は保健室で身体測定を行います、という話だったので千里は当然理科室の方に行く。ところが他の男子と一緒に理科室に入ろうとしたら理科室の入口の所に立っていた牟田先生が
 
「こらこら、お前何やってんの?女子の体重測定は保健室だぞ」
と千里に言う。
 
牟田先生は大学を出たばかりで今年新任だったので、三国先生や我妻先生同様、千里のことを知らなかった。
 
えー?そんなこと言われてもと思っていたら、近くに居た元島君が
「ほんとだ。村山、なんでこちらに来たのさ?女子は保健室に行った行った」
などと言う。
 
それで千里はやむを得ず理科室のある東校舎の2階から降りて西校舎1階の保健室の方に行ってみた。まだ4年1組の体重測定は始まっていないようで、同じクラスの女子たちが廊下に並んでいる。
 
「千里、なぜこちらに来る?」
と恵香に言われる。
 
「理科室に入ろうとしたら女子は保健室だと言われて追い出された」
「なぜ自分は男だと言わない?」
「だって同じクラスの男子まで『女は保健室に行け』と言うし」
「うーん・・・」
 
すると少し考えるようにしていた蓮菜が言った。
「千里はこちらでもいいかも。私に任せて」
「う、うん」
 
それで千里は蓮菜の隣に並んだ。
 

やがて3年生の女子が終わって4年生になる。その頃には4年2組の女子もやってきた。千里を見てギョッとしている子もいるが、リサなどは手を振ってきたので、こちらも手を振っておいた。
 
「4年1組の子は保健室の中に入って」
と保健室の佐々木先生が言うので千里まで入れて12人の女子が保健室内に入る。この佐々木先生も今年赴任してきた先生である。
 
すると蓮菜が佐々木先生に言った。
「村山が急用があるらしいんです。最初にやってもらえませんか?」
「うん。いいよ。村山さんの診断票ある?」
「すみません。プリンタの調子が悪くて彼女のだけ出力できなかったらしいんです」
「あらあら」
 
と言って先生は蓮菜・千里と一緒にクロススクリーンの向こう側に行く。そして蓮菜は他の子には「もう服を脱いでて」と言った。
 
クロススクリーンの内側で先生はパソコンのモニターを見ながら
「出席番号は?」
と訊くので
「23です」
と千里が答える。
 
それで佐々木先生は4 1 23 と入力して千里のデータを画面に呼び出した。
 
「はい、村山千里さんね。じゃ身長・体重を測ろう」
 
ということで、千里はすぐにセーターと上着、ズボンを脱いだ。その下には女の子シャツと女の子パンティを着ている。女の子パンティに特に膨らみなどは無い。普通の女の子のシルエットである。蓮菜がそれを見て頷いている。身長計に乗る。
 
「身長138.1cm」
 
続いて体重計に乗る。
「体重29.4kg」
 
先生はその数値を直接パソコンに登録していた。
 
「じゃ村山さん、そちらで先生の診察を受けて」
と言われるので白衣を着た女性のお医者さんの前にあるパイプ椅子に座る。蓮菜はクロススクリーンの向こう、に声を掛けて「先頭の恵香入って」と言った。恵香の身長と体重を測定して先生に告げ、先生が数字を入力する。その間に千里は医師の診断を受けていた。
 

シャツをめくって、聴診器を胸、おなか、背中に当てられる。背中を調べられる時は後ろを向くがその時は視線を下向きにして恵香の下着姿を見ないようにしていた。
 
「どこか体調の悪い所とかはありませんか?」
「特にないです」
「生理は来てますか?」
「まだ来てないです」
 
千里が生理のことを訊かれても顔色ひとつ変えずに答えるのを横目で見ていて、蓮菜は「ふーん」と思っていた。
 
医師の診察が終わると、診断票代わりに保健室の先生が書いてくれた「4年1組23・村山千里」という紙を持ち、自分の着替えを抱えたまま、保健室の外に通じる扉から出て、外に駐まっているレントゲン車に入る。扉と車の出入口の間には目隠しが立てられていて、他からは見えないようになっている。
 
女性の技士に紙を渡してから部屋の中に案内される。
 
「このシャツならそのまま問題ないな。ブラジャーは?」
「してません」
「だったら、このまま撮れるね。この機械に抱きついて」
 
といわれるので指示されるままに機械に抱きつく。
 
「大きく息を吸って止めて」
「はい、OKです」
 

レントゲンの撮影が終わり、部屋を出ると、恵香が入ってきた。手を振り合う。恵香とはいつも仲良くしているので、下着姿を見てもわりと平気であるが、千里はできるだけ彼女の首から下を見ないようにした。しかし恵香は千里の下着姿をしっかり見ている感じだ! 頷くようにしてから恵香が撮影室に入り、千里は服を着る。
 
恵香は「このシャツは悪いけど脱いで」などと言われていた。女子の下着の場合、飾りなどが付いているものはそれが映り込んでしまうので脱ぐ必要がある。千里は服を着終わるとそのまま校舎の外側を通って正面玄関から中に入り教室に帰還した。千里がレントゲン車の外に出たのを見てから蓮菜は次の子を保健室から送り出したようであった。
 
要するに今回蓮菜は千里を先頭にすることで、恵香以外の子の下着姿を千里が見ることがないようにコントロールしたのであった。
 

4月下旬のある日、千里たちは6時間目が体育で、体育館でマット運動と跳び箱をしていた。マット運動の前には念入りに柔軟体操をさせられたが、女子体育の桜井先生は千里を留実子と組ませた。お互いに問題の少ない相手である。
 
マット運動では前転と補助倒立をする。留実子は長身のリサと組んで補助倒立をしていた(留実子は本当は補助されなくても倒立できる)。千里は恵香と組んだ。跳び箱はまだ6段を飛べる子はおらず、運動神経の良い穂花と留実子が5段を飛べたのが最高。千里も4段までしか飛べなかった。リサは身体が大きいので運動神経も良さそうに思われがちだが、わりと鈍いので3段でも引っかかったりしていた。
 
授業が終わって用具を片付けていたら、放課後部活をする上級生が入って来て少し交錯する。その中に剣道部の子が数人いて、ふざけてチャンバラのまねをしていた。千里が恵香たちと一緒に跳び箱を用具室に運び出てきた所にひとりの男の子が「やぁ!」などと言って竹刀(しない)を振ってくる。
 
どうもその子は誰か別の子と間違えたようであった。
 
しかし彼が竹刀を振り下ろしてきた時、千里は瞬間的に反応してその竹刀を右手で払った。
 
「わっ」
と彼が声をあげる。竹刀は向こうの方に飛んで行った。
 
「あ、ごめん」
と彼は間違いに気付いて言ったのだが、それを向こうの方で見ていた剣道部部長の鐘江さんが寄ってきた。
 
「君、放送部の子だったね。何か気合い凄いね」
と千里に言う。
 
「そうですか?」
「怪我は無かった?」
「ええ、平気です」
と千里は竹刀に接触した右手部分を確認してから答えた。
 
「ね、ね、ちょっと対戦してみない?」
「へ?」
 
それで千里は竹刀を借りて、鐘江さんと勝負(?)することになる。お互い防具は付けていないものの鐘江さんは上手(じょうず)で「当て止め」ができるし、千里は初心者だから当たっても大したことないだろうと踏んだようである。
 
竹刀の握り方を教えてもらった後、簡単にルールを説明される。
 
「頭に当たったら『面』、手首付近に当たったら『小手』、お腹付近に当たったら『胴』。それ以外の部分は攻撃禁止。特に喉に当てる『突き』は絶対禁止で。面も耳から下には当てないように」
 
一度鐘江さんと、副部長の森山さんとで模範演技を見せてくれた。森山さんが面を狙ったのに対して鐘江さんが鮮やかに小手を取って勝った。
 

それで千里と鐘江さんの対決となる。
 
鐘江さんは中段に構える。千里も見よう見まねで同じく中段に構える。千里は対峙してみて、相手に攻められそうな場所が見当たらないので「どうすりゃいいんだ?」と思う。こちらが攻めないので、向こうから迫ってきた。
 
小手を狙ってる!
 
と思った千里はさっと横に動く。軽く突くようにしてきたのをこちらの竹刀で払う。その瞬間、向こうは大きく振りかぶった。が千里は後退して逃げる。向こうも深追いしてもと思ったのか、いったん下がって中段の構えに戻す。こちらも少し前に出る。
 
その後何度か鐘江さんが攻撃してきたものの、千里はひたすら逃げた。
 
「なんで逃げるの?」
と鐘江さんは竹刀をいったん納めてから訊く。
 
「だってカウンター狙っても勝てそうにないから」
と千里も竹刀を下に垂らして言う。
 
「さっき鐘江さんが振りかぶった時、こちらが胴を狙いに行けば身をかわして脇から面を取ってましたよね」
と千里。
 
「そこまで読めるのは凄いよ」
と鐘江さんは言った。
 
「君、剣道部に入らない?」
と鐘江さんは誘ったが
 
「うち、貧乏だから道具を買うお金が無いです」
と千里は答えた。
 

この年のゴールデンウィークは4月29日・みどりの日が土曜で、前半は連休の雰囲気が全くなく、5月3日(水)から7日(日)までの5日間がかろうじて連続休みになる日程だった。千里の父はだいたい月曜日に出港して木曜か金曜に帰ってくるパターンなのだが、5月1-2日は漁を休んだので、結果的に父だけ29日から7日までの9連休になった。
 
母はこの春からパートに出始めたので、5月1-2日は父だけ家にいる形になり機嫌が悪かったようである。玲羅が
 
「お父ちゃんだけ居るうちに帰りたくない。お兄ちゃんが帰るまで学校で待ってる」
などと言ったので
「お姉ちゃんと呼ぶなら一緒に帰ろう」
と千里は言った。
 
「うーん。じゃ今日と明日は特別に『お姉ちゃん』で」
などと玲羅は言っていた。
 

それで5月1日は千里の授業が終わるまで玲羅は学校の図書室で待っていて、それから一緒に学校を出る。母から買物を頼まれていたのでいったん町に出る。
 
「私ハンバーグ食べたい」
などと玲羅が言うが
「予算が足りないから無理」
と言って、100円ショップでスパゲティ500g入り2つとミートソース1袋を買う。それからスーパーで値引きシールが貼られた豚挽肉200g、タマネギ3個入り98円を買った。
 
「おやつ欲しーい。チョコのファミリーパックは?」
と玲羅が言うが
「お金が無いからごめんね。食パンとジャムで」
と言って、88円の食パンと100円のジャムを買う。
 
これで母から渡してもらっていた1000円の内831円消費して残りは169円である。
 
(消費税は1989年4月に3%で施行され1997年に5%に上げられた。その後2004年に総額表示が義務付けられたものの2013年10月、増税準備のためいったんこの義務が解除されて外税表示に戻り、2014年4月に税率は8%に上げられた。つまりこの2000年当時は外税5%の時代である)
 
「その余ったのはどうするの?」
「白猫の貯金箱に入れるよ」
「入れてどうするの?」
「給料日前のお金が足りない時に使うんだよ」
「うち、お金足りないの?」
「うん。でも玲羅はあまり心配しないで。何とかなるからさ。でもあまり高いおもちゃとか買ってあげられないかも知れないけど」
 
「まあ私はお人形さんとか特に欲しくないし」
「玲羅は外で遊んだりする方が好きみたいだもんね」
「うん。お父ちゃんがお兄ちゃんに買ってくれたサッカーのボールとか私が使ってるし」
「今日はお姉ちゃんで」
「はいはい。でもお姉ちゃん、本当にお姉ちゃんだよね?ちんちん無いでしょ?」
「うーん。そのあたりのことは内緒で」
 

それで帰ると父はビールを飲んでいたようである。
 
「ただいまあ」
「お帰り。ああ。一緒だったのか?」
「うん。ちょうど一緒になったんだよね」
「千里、ビールが切れた。ちょっと買ってきてくれないか?」
 
「私、お金持ってないよ。お母ちゃんが帰ってきてから言って」
 
しかし父はビールを飲んでいたせいか機嫌が良いようである。
 
「そうそう。ゴールデンウィークにさ、漁船体験乗船ってのを漁協でやるんだよ。千里ちょっと乗ってみないか?」
 
「え〜?私船は苦手だよー。観光船に乗っただけでも酔っちゃったのに」
「将来漁師になる男がそれでどうする。船酔いは慣れたら酔わなくなるんだよ」
「私は漁師になるつもりはないから」
 
などと言い合っていたのだが、父は強引である。千里は5月5日に体験乗船に行かざるを得なくなってしまった。ちなみに玲羅が
 
「お兄ちゃんが乗らないなら私が乗ろうかな」
と言ったものの
「女を漁船に乗せられるか」
と言われて却下されてしまった。
 

そういう訳で5日、千里はしぶしぶ漁港まで行くことにした。ちなみに最初は父も付いてくると言っていたのだが、寄り合いに呼ばれたというので、漁協の役員をしている福居さんの所に出かけて行った。
 
それで千里はひとりで出ていく。バス停を降りて港まで歩いて行くと、ずいぶん多くの小中学生の姿がある。こんなにたくさん体験乗船の参加者がいるのか?と思って眺めていると、どうも男子より女子の方がずっと多い。
 
お父ちゃん、女を漁船に乗せられるか?なんて言ってたけど、実際には女の子の方が多いじゃん、と思って見ていると、千里を見て手を振る子がいる。
 
「るみちゃん、漁船の体験乗船するの?」
「え?体験乗船?何それ。僕は『漁協主催・新鮮魚料理教室』に出てきたんだよ」
「そんなのやってるんだ!」
 
「僕は料理なんてしないというのに、お母ちゃんがあんたも一応女の子の一種なんだから、料理くらい覚えるべきと言って、無理矢理。千里は?」
「私、漁船なんか乗らないというのに、お父ちゃんが俺の跡継ぎになって船に乗ってもらわなきゃとか言って無理矢理」
 
「うーん。お互い苦労してるね〜」
「全く全く」
 

それでしばらく留実子と2人でおしゃべりしている内に
 
「新鮮料理教室始めまーす。参加者はこちらに集まって下さい」
という声と
「体験乗船、1回目の船を出しますので、乗られる方はこちらに並んで下さい」
という声がする。
 
それで千里と留実子は手を振って、千里は体験乗船の方の列に並び、留実子は料理教室の方に行きかけた。
 
ところが・・・・
 
千里が列に並ぶと、たちまち前後に並んだ男の子から変な目で見られる。そして列の人数を数えていたおじさんから
 
「君、料理教室に参加する女の子は向こうなんだけど」
と言われた。
 
一方、料理教室の方に集合しようとしていた留実子は
「君、体験乗船の男の子は向こうの列に並んでもらわなきゃ」
などと言われている。
 
千里と留実子は一瞬視線を交わした。そしてほぼ同時に
「ああ!」
という感じで両手をポンと打った。
 

千里は料理教室の方に向かう。留実子は体験乗船の列の方に来る。お互いハイタッチして「これが平和だよね〜」「そちらもがんばってね」などと言って持っていた参加票を交換して入れ替わった。
 
そういう訳で留実子は千里の代わりに体験乗船に参加し、千里は留実子の代わりに料理教室に参加したのである。
 
料理教室では、新鮮な海の幸を使った鍋料理を作るということであった。体験乗船の子たちが沖合の網に掛かっている魚を持って来て、それを料理したら理想なのだが、時間の都合でお魚は既に水揚げされているものを使用する。
 
お魚を切る班と野菜を切る班に分かれるが、千里は
「あんた料理ができそうな顔をしている」
などと言われて、お魚を切る班に組み込まれる。
 
千里はその中に見知った顔があったので会釈した。神崎さんの所のお姉さんである。確か中学2年か3年くらいではなかったろうか。
 
まずお魚を三枚に下ろしたいということになるが
「誰かやってみたい人?」
と言われた時、その神崎さんのお姉さんが
「村山さんできるよね? 鯖をさばいてるの見たことある」
と言われる。
 
「あら。鯖がさばけるのなら、鱒は楽勝ね」
などと講師の女性から言われる。
 
それで千里は前に出てきて、まずは鱒の鱗を落とす。
 
「そうそう。お魚は最初に鱗を落とさないとね」
 
その後千里は魚の腹に包丁を入れて内臓を取り出す。そして骨に沿って包丁を押し進めてきれいに半身を切り取った。反対側も同様にして包丁を入れてまた半身を切り取る。
 
あっという間に三枚おろしのできあがりである。
 

「鮮やかだね!」
と講師の人が感激している。
 
「三枚おろしは、小学1年生の頃からやらされているので」
と千里は言う。
「漁師の娘なら、そのくらいできないといけないと言われて」
 
「いや、おとなでもできる子は少ないのよ。そうそう。鱒で気をつけないといけないこと知ってる?」
 
「はい。鮭や鱒にしろ、鱈とか鯖とかにしろ、寄生虫がいるので、それに気をつける必要があります」
 
と言って千里は今切り取った半身の途中をすぱっと切断すると、箸で細長い虫をつかんでみんなにみせた。
 
「きゃー」
と悲鳴を上げる子もいる。
 
「アニサキスです。気をつければ分かりますよ。だいたい内臓に寄生しているんですけど、腹部の筋肉に移動していることもあるんです。鱒の場合、ごくごく新鮮なものなら、結構大丈夫なんですけどね」
 
と千里は平然として言う。
 
「よく知っているね。でもどうしてそこを切ったの?」
「ここにいる気がしたから」
 
講師の先生は悩んでいるが、神崎さんが
「この子、すごく勘が良いんですよ。だからすぐこういうのも見つけるんだと思います」
と言ってくれたので、何となくその場は収まってしまった。
 

それで魚さばき班はその後数人単位で渡された鱒をさばくのだが、そもそも腹に包丁をしっかり入れきれない子が多い。そして何とか内臓を取り出したものの、その後うまく身と骨の間に包丁を入れきれない。
 
それで結局講師の先生や、千里、多少はできる神崎さんなどに手伝ってもらって何とか3枚におろすことができたものの、失敗して身がぐちゃぐちゃになってしまうケースも何件か発生していた。
 
「村山さん、すごくうまいね。きっといいお嫁さんになるよ」
などと何人もから言われて千里はとてもいい気分であった。
 

3枚に下ろした後は切り身にして鍋に投入するが、切り身にする所はみんなできる。しかし切っている内に寄生虫を発見して「きゃー」と声をあげている子がけっこういた。
 
「これ気づかずにそのまま煮ちゃったらどうなるんですか?」
とひとりの女の子が訊くが
「寄生虫は熱に弱いから煮たり焼いたりすれば死んじゃうよ」
と言って講師の先生は笑っている。
 
「逆に冷凍する手もあるんでしょ?」
「ごく低温で冷凍すると死ぬ。業務用の冷蔵庫でないと無理だけどね。家庭用の冷蔵庫はあまり低温にならないから、あの程度では死なないんだよ。だからルイベとして売られているのは、そういう極低温にしたもの」
 
「そうだったのか。じゃ家庭用の冷蔵庫ではルイベは作れないんですね?」
「寄生虫にやられてのたうち回りたくなかったら、やめた方がいい」
 
「寄生虫のいない鮭や鱒って無いんですか?」
「そりゃ、土のついてない大根は無いんですか?なんてのと似た話だね」
「そうかぁ」
 

材料を切り始めてから一通り煮るまで、あれこれ騒ぎながらやっていたので2時間近く掛かったものの、ちょうどその頃には漁船の体験乗船をしていた男の子たちも港に戻って来た。結局体験乗船をしたのは15人しかおらず2艘の船で一度に乗ってしまったので、全員が2時間後に戻って来た。
 
それで海に出ていた男の子たちも入れて試食会となる。
 
「美味い、美味い」
と言って男の子たちは食べている。
 
留実子が千里の肩をポンポンと叩いた。
「るみちゃんお帰り。どうだった?」
「楽しかった。僕、漁師になってもいいかなあ」
「へー!」
 
「お前十分戦力になる。中学出たらすぐ船に乗らないかとか言われた」
「るみちゃんなら行けるかもね〜」
「千里はどうだった?」
「うん。楽しかった。私はやはりお料理が性(しょう)に合ってるよ。船なんかに乗らなくて良かった」
「たぶん千里は足手まといになると思う」
「うん。そんな気がする。だいたい私すぐ船酔いするし」
「それじゃ船に乗るのは無謀だな」
 

千里たちの学校では3年生までは担任の先生が全教科を教えていたのだが、4年生からは音楽・体育・図工・家庭については専門の先生が教えるようになる。
 
千里たちを教えてくれた音楽の馬原先生は以前赴任していた学校では合唱部を率いて全国大会にも出たことがあるという先生で合唱の指導に燃えていた。
 
「パート分けするよ〜。4年生はまだ男子も声変わりしてないだろうから、高音部と低音部の二部に分けようね」
 
と言ってピアノを弾きながら「このあたりの声が出る子は高音部、このあたりの声が出る子は低音部」と言って分ける。それで音楽室の左側に低音部の子、右側に高音部の子と集まることにする。
 
留実子は「僕は低音部のようだ」と言って、そちらに移動する。千里も低音部に行ったのだが、それで「春の小川」を歌うと
 
「高音部の中にオクターブ下で歌っている子がいる」
と言って、数人低音部に移動させる。田代君などがそれで高音部から低音部に移動になった。また
 
「低音部の中にもオクターブ上で歌っている子がいる」
と言って、こちらも高音部に移動になる。千里も
「あんた向こう」
と言われて低音部から高音部に移動された。
 
オクターブ違いというのはけっこう分かりにくいのである。
 

「高音部は女子が多くて、低音部は男子が多いですね」
とひとりの子が言う。
 
「うん、それはまあ仕方ない」
と先生。
 
実際問題として高音部から低音部に移動されたのは全員男子で、低音部から高音部に移動されたのは少なくとも千里以外は全員女子であった。
 
「学習発表会の時は高音部の子にスカート、低音部の子にショートパンツ穿いてもらって、そろえようかなあ」
などと先生が言っているので
 
「低音部の女子がショートパンツ穿くのは別にいいですけど、高音部の男子にスカート穿かせるのはまずいですよ」
 
「うーん。面倒くさいなあ」
 
「私男の子がスカート穿いてもいいと思うけど」
などと蓮菜が大胆に発言するものの、
 
「いや、それは保護者からクレームが来る」
とクラス委員の玖美子が言っていた。
 
実際高音部に入った数人の男の子も
「僕はスカートとか穿きたくない」
などと言っていた。
 
「村山はスカート穿きたいかも知れんけど」
とひとりの生徒が言うが
「あら、村山さんは女子だからふつうにスカート穿くでしょ」
と先生は言っていた。
 
 
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【少女たちの入れ替わり大作戦】(1)