【少女たちの晩餐】(3)

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10月16日の昼休み、N小学校に北海道のローカルテレビ局、SUHの取材班がやってきた。合唱サークルが2年連続、全国合唱コンクールで銀賞を取ったので取材に来たのである。インタビューの台本!が予め提示され、記者の質問への答えを部長の穂花が馬原先生と一緒に考えて暗記し、本番に臨んだ。
 
全員給食も食べずに音楽室に集まり、コーラスサークルの制服を着て整列。部長の穂花、副部長の映子が、今年と去年の銀賞の賞状を見せる。
 
美那がピアノを弾き、香織が譜めくり役、映子が篠笛を吹き、ソプラノソロは穂花、アルトソロは希望という本来の担当で『キツネの恋の物語』を演奏した。その上で馬原先生と穂花へのインタビューをした。
 
撮影は15分くらい掛けてやったのだが、その日のローカルニュースで流れた時は30秒にまとめられていた。でも部員の顔は一応全員映っていた。
 
千里の母は焦ったものの、夫が(漁に出ていて)いない日で良かった、と思った。
 

津久美はローカル線に乗っていた。この車両のトイレはなぜか座席の間にあった。そのトイレの前に男の人が2人立って何か話をしていた。邪魔なので
「すみません。そこ使いたいんで」
と言ってどいてもらう。
 
和式トイレなので、ズボンを下げてしゃがんでする。あれ〜。なんで私白いブリーフとか穿いてるの?? それを膝のあたりまで押しやっておしっこしようとしたら、ちんちんが12-13cmサイズまで大きくなってる。うっそー!?なんで私のちんちん、こんなに大きくなってるの!?と思いながら、取り敢えずそのちんちんの“先”からおしっこをした。凄く変な気分だった。
 
でもこのトイレ、ドアとかもないから、私がブリーフとか穿いてるの人に見られてしまったかも。更にはちんちんなんて付いてるのまで人に見られてしまったかも、と思うと恥ずかしくなり、これでは来月からセーラー服着て登校できないよぉと思った。
 

そこで目が覚めた。
 
おそるおそるお股の所を手で触ってみて安心する。
 
しかし凄い悪夢と思う。
 
自分の心の中にやはり色々不安があるんだろうなとも思った。最後にブリーフなんて穿いたのはもう2年くらい前かなあ。少なくとも4年生になってからは1度も穿いたことない。最初はおこづかいでショーツ買ってたけど、その内、お母さんが買ってくれるようになったし、もうブリーフは買わなくなった。
 
初めてスカートで学校に出て行ったのは4年生の7月だったけど、クラスメイトは誰も何も言わなかったから拍子抜けした。それどころか女子の友だちが
「トイレ一緒行こう」
と言って一緒に女子トイレに連れていってくれたから、凄く心強かった。
 

その日の朝御飯の席で、津久美は母に訊いてみた。
 
「ねぇ、私さ、中学校はセーラー服で通ったらダメかなあ」
「そうねぇ」
と母は悩んでいるよう。
 
長兄の陽太(ひなた:高1)は
「お前が学生服とか着られる訳が無い。堂々とセーラー服で登校すれば誰も何も言わないよ」
と言った。
 
しかし次兄の進武(すすむ:中1)は言う。
「ツクが学生服を着るのは無理がありすぎる。でも学校って規則を凄く重んじる。戸籍が男である以上、教育委員会は男として就学通知を出すけど、小学校から中学校に提出される書類が女になってたら、中学は女として処理してくれると思う。何よりも本人見たら女にしか見えないし。だから、小学校に頼んで、ツクの学籍簿上の性別を女に変更してもらえばいいよ」
 
「そんなことできる?」
「今の6年生に戸籍上は男だけど、学籍簿上は女の児童がいると聞いた」
 
それは村山さんのことかも、と津久美は思った。あの人、女の子にしか見えないもん。そして睾丸を除去済みなのは多分確実。でなきゃあんな高い声が出るわけない。
 
「だったら一度学校に行って担任の先生に相談してみようか」
「うん」
 

『銀河鉄道999』の中で作者の松本零士はこのようなことを言っている。
 
機械には2種類ある。ひとつは多少壊れても何とか動き続ける機械。もうひとつは、どこか壊れたらすぐ動かなくなる機械。昔は前者が多かったが最近は後者が増えた。
 
コンピュータシステムや航空機・自動車などの機械工学の世界ではこれはフェイルセーフ・フェイルソフトという概念である。
 
航空機や自動車はどこか壊れたからといって突然全体が機能しなくなったら困る。
 
天皇陛下が乗る御料車はエンジンを2系統積んでいて、万一片方にトラブルがあっても他系統で動き続けることができる。
 
1986年10月26日のタイ航空機爆発事件ではエアバス (A300 B4-601) の機内(高知上空)で、山口組の組員がトイレ内で手榴弾を誤って破裂させ、その衝撃で3系統に分けられたコントロールシステムの内の2つが断線。一時は操縦不能に陥って最後はエンジンが2つとも停止した。しかしこのタイプのエアバスは、万一エンジンが全停止したら小型のヘリトンボのようなプロペラが飛び出してくるようになっていた。それでこの小型ヘリトンボが作り出す浮力のおかげで、機体は大阪空港への緊急着陸に成功した。死者ゼロである。エアバスの安全性を大きく世界にアピールすることにもなった事件である。
 
基本的にはどこか壊れても性能を落とさずに動き続けるシステムはフェイルセーフ、多少機能や処理速度は落ちるものの何とか動き続けるシステムはフェイルソフトと呼ばれる。上記のジェット機内蔵ヘリトンボはフェイルソフトである。
 
一般にフェイルセーフを実現するには処理を二重化しておく。近年の大型のコンピュータシステムの記憶措置は基本的にはRAID化されていてデータが二重に記録されるので万一片方壊れても他方からデータを読み出すことができる。
 
インターネット自体、元々の発端(ARPANET)はソ連のアメリカ本土攻撃に備えた分散多重化システムである(*11)
 
監査法人のトーマツは会社の会計システムを全く異なる2つの開発者集団に作らせ、両者の処理結果を照合しながら動作する巨大デュアルシステムを1992年頃までに既に提案している。
 
(*11)初期の開発に関わった技術者たちは否定するが、資金を提供したのはARPA(DARPA) - アメリカ国防高等研究計画局である。ソ連は1957年に世界初の人工衛星スプートニク1号の飛行に成功。アメリカはソ連の衛星軌道からの攻撃の危険に曝されることになった(スプートニク・ショック)。ARPANETの初期構想は1960年頃に提唱されている。多数のノードを結ぶためにパケット通信という画期的な方法が考案された。初期の頃はタイムシェアリングによる通信などという恐ろしい方法が想定されていた(ノードが増えるほど速度は絶望的に低下していく:ノードが7つなら21分割だが10倍の70なら2415分割になり速度は115分の1に落ちることになる)。
 

この手の二重化にはデュアルとデュプレックスという考え方がある。
 
Dual : 2つのシステムを常に動かして照合しながら動作する
Duplex: システムが2つあり、片方にトラブルがあったら他方を起動する
 
筆者はコンサートの予約システムに15年ほど関わったが、一度ホストが発売時刻10分前にダウンし、急遽配線をつなぎ替えて、開発用のマシンで先行予約(約1時間で枠分Sold Out)を乗り切ったことがあった。テストシステムが事実上のデュプレックスとして動作した例である。
 

「ゆみちゃん、おっぱいかなり育ってない?」
「なんか最近急成長してるみたーい」
と優美絵は答える。
 
「ブラもこれ本格的なブラだよね?」
「うん。日曜日(10/20)旭川のデパートで買ったぁ。A55」
「おぉ!Aカップまで行ったんだー」
 
優美絵は修学旅行直後の7/20に初めてブラジャーを買った時は3Sというジュニアブラの中でも恐らく最小サイズのものを着けていた。しかし8月にSに変え、とうとう先日の日曜日にA55になったらしい。
 
1組女子13人(千里・留実子を含む)でAカップを着けているのはこの時点で、4人しかいない。他の子は全員ジュニアブラである。千里もその1人(優美絵と同じA55)で、10/6の日曜日に旭川の西武デパートで買っている。優美絵も同じ所かも知れない。
 
「ゆみちゃん、最近足も速くなってきてるよね」
「こないだ桜井先生に測ってもらったら100m 40秒だった」
「前は1分と言ってたっけ?」
「うん。4月に測った時は61秒だった」
「おっぱいの発達とともに筋肉も発達してきてるんだよ」
「おっぱい大きくなったから、それを支えるのに筋肉も発達してるんだったりして」
「そーかもー。でも胸が入らなくて、だいぶ服を買い直した」
「これだけ成長すればねー」
 

「ツクりん、胸触らせて」
と津久美は体育の着替えの時に同級生の春菜に言われた。
 
「いいよ」
 
それで春菜はキャミソールの上から津久美の胸に触る。
 
「やはりこれ乳首が大きくなってる」
「あ、そんな気がしてた」
「これおっぱいが膨らんで来る兆候だよ」
「やはりそうかなぁ」
「そろそろブラジャー着けた方がいいかもよ」
「でもまだ全然膨らみ無いのに」
「乳首を保護するだけのジュニアブラがあるんだよ。一度お母さんと一緒にランジェリー売場に行って、売場のお姉さんに訊いてみるといいよ」
「そうだなあ」
 

2002年10月26-27日、留萌P神社では秋祭りが行われた。勇壮な夏祭りには観光客も少し来るが(大半はR神社やQ神社の夏祭りを見たついで)、静かな秋祭りには氏子以外にはほとんど人は来ない。夏祭りが陽なら秋祭りは陰である。
 
留萌のお祭りというと呑涛(あんどん)祭といって、青森の“ねぶた”に似た呑涛(あんどん)を使う祭りが有名だが、P神社の秋祭りで使用する姫奉燈(ひめほうとう)は、むしろ弘前の“ねぷた”に似ている。扇形の奉燈に、武者と姫様と子供(性別不明)が描かれている。年配の氏子さんによると「義経と浄瑠璃姫にその娘の薄墨姫」というのだが、かなり怪しい気がする。
 
この姫奉燈を導くのは4人の巫女で、今年は中学生の純代と広海、旭川から来てくれた守恵(蓮菜の従姉)、それに千里が務める。
 
「うっそー!?私が先導役なんですか!?」
と言って純代が焦っている。
 
「私まだ2年目なのに」
「先導役は実は2年目の子がやらされることが多い」
「つまり来年は千里だったりして」
「嘘!?」
 
(小春がわざわざ大神様の前で千里の名前を出したのは、何とか千里の寿命を延ばしてあげてくださいよというアピール。でも大神様は動じない。大神様は千里は来年の春で死ぬから秋祭りの先導役は広海で、死んだ千里の後任には誰か新しい子をと考えている)
 

4人の巫女は姫奉燈のまわりを歩けばよく、奉燈自体は赤い着物を着た男性の氏子さんたちが曳く。これは現在は単に赤い着物だが、昔は女物の着物を着ていたかもという話である。神職の衣裳もまるで女性神職の衣裳のようである。
 
夕方になると拝殿と神殿に蝋燭が灯る。この蝋燭は秋祭りを1994年に復興した時は蝋燭の代わりに電球を使ったのだが、今年からLEDランプに変更した。同時に実は姫奉燈の灯りもLEDに変更した。
 
1994年の段階では、蝋燭は火事になる危険があるとして電球にしたのだが、電球も結構熱くなる。蛍光灯にしようかという意見もあったが、いっそLEDにしようということになった。これはこれからは多分LEDの時代になるたろうというのと、電球型蛍光灯は、北海道のような寒い地域では明るくなるまでにかなりの時間がかかるという問題もあった。
 
拝殿では18時から21時まで、30分に1度合計7回、巫女さん4人の舞が奉納される。これを2日やるから14回舞うことになる。この練習は9月頃から時間の取れる時にやっていた。千里はこの舞を自分では舞ってなくても何度も見ているのですぐできた。広海さんは結構苦労していた。
 
21時の最後の舞があった後、神職が特殊な祝詞を奏上して、秋祭りは1日の日程を終える。
 
神社の神殿には、2日間ずっと火が燃えている。この火だけは本物である。普段は社務所内の囲炉裏(いろり)で維持されていて、秋祭りの時だけ燈台に灯される。元々は1994年に秋祭りを復興した時に大神様の指令により、小春と千里が、ある場所から持って来たものである。
 
この火は、一応3つの燈台に灯されており、番をしている人が時々見ては油(菜種油)を追加する。万一どれか1つ消えたら、他の燈台から火を移す(デュアルより更に安全なトリプル・システム)。
 
番については、秋祭りの期間中、数人のおとなが交替で不寝番(ねずのばん)をして守る。万が一にも3つとも消したら大変なので3人で交替でするといっても結構な重労働である。昨年は神職の息子の民弥(1954)、娘の結子(1956)、孫の和弥(1983)の3人で交替で守ったが、今年は結子の代わりに、民弥の娘(和弥の姉)の花絵(1981)が入った。和弥は伊勢の皇學館に行っているが、祭りのために戻って来てこの役目を果たした。花絵は札幌の女子大生である。
 
2日目21時の舞が終わり、祝詞を奏上した後は、燃え尽きるまでそのままにされ、燃え尽きた所で神職が閉じの祝詞を奏上する。これに付き合うのは、神職と和弥、小春・小町の4人になる予定である。
 
見守りの間は神殿前に置いたこたつでだいたい読書をしている。今年和弥はずっと神道関係の本を読んでお勉強していたが、花絵は『犬夜叉』27巻(*12)(*13)を一気読みして「面白かった」と言っていた。民弥はHな本を見てたのを、大神様が「不愉快だ」と言ったので奥さんを動かして取り上げさせ、代わりに岩波文庫の法華経全3巻を渡された。
 
「神社でお経読んでいいの?」
「『敏感潮吹き娘・恥めまして・痴漢電車でビュッ』よりいいでしょ?」
「ちょっと。恥ずかしいから発音しないでよ」
「その言うのも恥ずかしい本、見てたくせに」
 
この本は小春が「処分しておきます」というので託され、小春は学校の焼却炉に放り込んでしまった!
 
(*12)この時点では『犬夜叉』は27巻までしか出ていない。2009年に56巻が出たのが最終なので、ちょうど半分くらいまで読んだことになる。
 
(*13)大神様まで興味を持ってエイリアスを出して「貸して」と言って読んでいた。花絵さんは氏子のおばちゃんの誰かだろうと思ったようだが、千里や小春は呆れていた。後に千里は大神様のリクエストに応えて『犬夜叉』の新刊が出る度に、小町を通して大神様に送り届けた。
 

「だけど男の人って50近くなっても性欲があるんだね」
などと千里は小春に言った。
 
「男の性欲は100歳になっても消えないよ」
「そうなの!?」
「千里は本当に男が分かっていない」
「大神様は、民弥さんが、神殿前でオナニーしてたから怒ったみたいですね」
と小町。
 
「結婚しててもオナニーするんだ!?」
「セックスは相手との同意が必要だけどオナニーは自分の都合だけでできるから」
「よく分からない」
 
「そもそも男ってすぐちんちん触りたがる生き物だよね」
「そんなに触って楽しいの?」
 
「セックスかオナニーかどちらかしかできないと言われたらオナニーを選ぶという男が大半らしい」
「セックスより気持ちいいの?」
「だったら女は要らないのでは?」
「それは精神的な満足感だと思うよ。快感はきっとオナニーが上」
「うーん・・・」
 
「男はちんちんに憑依されてるみたいなものだからね。男はちんちんの奴隷なんだよ」
「祓ってあげる?」
「そりゃちんちん取らなきゃ無理だ」
「取っても無理という気がする」
「取ったら触れないのでは?」
 
「ちんちん切った男性はちんちん無いはずなのに幻のちんちんが勃起するの感じるんだって。これを幻茎(げんけい)というんだよ」
「へー!」
「だからちんちんはお股にあるのではなくて脳内にあるんだよ」
「なるほどー」
 
「でも和弥さんの方が若くて性欲強いだろうに」
「神殿前では恐れ多いから我慢してるんだと思うよ」
「えらーい」
「うん。偉いと思う」
 
「休憩時間中に処理してるのだと思う」
「やはりするのか」
「そりゃするさ。男がオナニーするのは一種の生理現象」
「生理現象でも神殿前ですると怒られるんだ?」
「神殿前で小便はしないてしょ?」
「確かに!」
 

10月28日(月).
 
この日は冷え込んで初雪が降った。
 
津久美は朝からお腹が痛かったので、寝冷えでもしたかなと思い少し厚着して学校に出て行く。
 
「寒いねー」
「寒いねー」
と友だち同士で声を掛け合う。
 
「私寝冷えしたたのかなあ。少しお腹が痛い」
「どの辺が痛いの?」
「この辺」
「・・・・・」
「どうしたの?」
「ツクりん、ひょっとして生理なのでは?」
「嘘!?」
 
こんなに早く来るの??
 
「ナプキン持ってる?」
「一応持ってる」
「トイレ行って着けてきなよ。着け方は分かる?」
「分かる。でももうすぐ朝礼始まる」
「私たちが先生には言っておくよ」
「じゃ行ってくる」
 
それでナプキンを着けておいてよかったのである。
 
2時間目の授業を受けている最中に「来た!」と思った。授業が終わってからトイレに行くとナプキンが真っ赤になっていたので交換する。
 
ナプキン、スポーツバッグに入れといてよかったぁと思う。母に見つかったら言い訳する自信が無かったので、見つからないようにスポーツバッグに入れておいた。だから丸ごと1袋あるのである。
 
でもこれナプキンだけでは漏れそう。やはり、生理用のショーツを買っておかないとダメだなあ。でもお小遣いが厳しいよぉ!
 

秋祭りが終わった後10月28日から11月3日までは、大神様は伊勢の外宮(げくう)での神様会議に出席するため不在になる。その間は、例によって千里は夜間神社深部(ここは大神様以外では、小春・小町・千里しか入れない)で、神様の代理を務める。昼間は、去年までは小春が務めていたが今年は小町が務めることになった。
 
「え〜〜〜!?神様の代理とか恐れ多い」
と小町は焦っていた。
 
「面倒なことは記録しておいて伝言してもらえればいいから」
 
千里はこの6日間“夜間は眠れない”が、毎年のことなので慣れである。夜間はほとんど参拝客は無いが、“変な物”が入って来ないよう留守番するのが仕事である。
 
(大神様は千里が来年春に死んでしまうので、来年からは誰に夜間のお留守番を頼むべきか悩んでいた))
 
千里は、6日間一睡もしなくても大丈夫なようにしてもらってはいるが、実際には、この期間、結構学校で眠っていた!
 
体育も眠ったまま着替えて、眠ったまま体操して、眠ったままバスケットとかするので「器用な奴だ」と恵香などから呆れられていた。
 
「千里って脳の1%くらい起きていれば何とか動き続けることができるんだよ。だから千里って長距離トラックとかの運転手にも向いていると思う。万一疲れて運転中に眠ってしまっても起きている1%で運転を続けられるから」
と蓮菜は言う。
 
「電源切ってもリモコンに対応するために待機電流の流れているエアコンやテレビみたいなものか」
「そうそう」
 

「千里は普段でも実は10%程度しか起きてない。脳の大半が眠ってる。本気の千里と普段の千里が違うのはそのあたり」
 
ヒグマを倒したのとかがきっと本気の千里。あれは多分気功のようなものだろうと蓮菜は想像している。千里の剣道の試合も何度か見たが、千里は2-3割の力で試合に出ている気がした。自分が男なのに女子の試合に出ている負い目で本気を出さないのと、もうひとつはマジ本気になると相手を殺してしまいかねないからだろう。
 
「変身前のプリキュアと変身後のプリキュアみたいなものか」
「うん。それに近い」
 
「10%で生きているということは実は寿命も普通の人の10倍あったりして」
「あり得るかも。あの子、絶対100歳まで生きると思うし」
「確かに長生きかも知れない気はする」
「10倍なら平均寿命を85歳として850歳まで生きたりして」
「八百比丘尼(やおびくに)(*14)か!?」
 
「千里がしばしば言ったこと覚えてないのは、聞いた時の千里と、その後の千里で、起きている部分が違うからだろうね」
 
「社内連絡の悪い会社みたいなもんだな」
 
もっともそれだけでは千里の“神出鬼没”性を説明できないんだけどねーと蓮菜は思う。蓮菜自身、学校で千里と話してから神社に来たら神社にも千里がいた、みたいな体験を何度かしている。蓮菜の感覚ではやはり千里は3人くらいは居る気がする。
 
(*14)八百比丘尼(やおびくに)は600年頃から1400年頃まで生きたとされる女性。人魚の肉をそれとは知らずに食べて不老長寿となった。その姿は年を経ても18歳くらいのままであったという。佐渡の生まれで、諸国を回り、最後は若狭の地(現小浜市)で800歳で亡くなったので八百比丘尼と呼ばれるが、生前は白比丘尼とも呼ばれた。なお小浜で亡くなった人で似た名前の八百姫という人もあるが、こちらは九州の宗像から流れて来た女性らしい。
 
八百比丘尼ゆかりの地は小浜市の空印寺、八百姫の方は八百姫神社である。
 

10月28日の合唱サークルの練習の時、小春が津久美に声を掛けた。
 
「津久美ちゃん、家はどこだったっけ?」
「**町なんですけど」
 
「あ、だったらさ、もし良かったらP神社の手伝いしてくれない?まだ今週くらいまでは七五三のお参りに来る人があるからさ、縁起物を売る役が欲しいのよ。ちょっと今週おとなの巫女さん(ということにして実は神様本人!)が出張してて手が足りなくて。帰りは誰かおとなの人が車で自宅まで送るよ」
 
「私生理中なんですけど、大丈夫ですか?」
「昇殿して舞を舞ったりする仕事じゃないら大丈夫だよ。時給800円で学校が終わった後から18時くらいまで約2時間してもらえたらいいんだけど」
 
「します!」
 
生理用パンツ買うお金稼がなきゃ。そしてできたらブラジャーも!
 

その日、津久美の母は、予め電話して学校に行き、放課後に、担任の中沢先生(女性)に面会を求めた。職員室の隅の衝立で区切った応接コーナーで話をする。
 
「実はうちの津久美(つくみ)というか津久美(つくよし)のことなんですが」
「ああ。“つくみ”ちゃんでいいですよ。みんなそう呼んでますから」
 
「すみません。それでまだ1年先のことなんですけど、あの子が中学に進学する時はセーラー服を着たいと言って。そのためには小学校から中学に出す書類が女になっていなければならないのではという話を聞きまして。それには小学校の学籍簿の性別を女に変更しなければならないのではと聞きまして」
 
「ああ」
と中沢先生は言ってから
 
「少しお待ちください」
と言って、2人の先生を呼んできた。教頭先生と保健室の祐川先生である。
 
中沢先生が言う。
「津久美(つくみ)ちゃんは間違い無く女の子ですよ。女子児童の中に完全に溶け込んでいますし、毎月の身体測定も女子と一緒にしてますし、体育の着替えも女子と一緒だし。トイレは少し迷いがあったみたいですが、7月頃からは一貫して女子トイレを使っていますね。男子たちもあの子が男子トイレを使うのには困惑していたので、女子トイレを必ず使うようになって安心したと言ってましたよ」
 
「そうですか」
 
教頭先生が言う。
「最近、この手の事例がけっこう全国的に話題になっているんですよ。文部科学省の方からも、児童生徒の性別の取り扱いについては柔軟に対応するようにという指示が出ていましてね。姫野さんの事例はおそらくそういう事例に相当すると思います。それでですね。できたら、大きな病院で診断書を取って欲しいのですが」
 
「診断書ですか?」
 

保健室の祐川先生が説明する。
「この手の事例は性同一性障害 Gender Identoty Disorder 直訳すると性別認識の混乱、というのですが、その診断名、あるいは類似した診断書があれば、学校も動きやすいと思います、ねぇ教頭先生」
 
「はい、たぶん姫野さんが必要な治療を受けるためにもそういう診断名があったほうがいいと思いますよ」
 
「必要な治療というと・・・」
 
祐川先生が説明する。
「たとえば女性として生きやすいようにするため、男性的な二次性徴が発現しないように抗男性ホルモンを投与するとか。やはりいくら本人が女を主張しても男っぽい体付きで男の声で話されると女子児童たちも構えてしまいますし」
 
「そうですよね」
 
「更にはむしろ女性的な二次性徴を積極的に発現させるために女性ホルモンを投与するとか。やはり高校生くらいにもなってバストが無いと色々不都合がでますし」
 
「豊胸手術とかするんでしょうか。シリコンとか入れて」
「最近はシリコンとかは入れずに、女性ホルモンの摂取で自然な胸の発達を促す人が多いですね」
「なるほどー」
 
「最終的には18歳をすぎてから、生殖能力を放棄することにはなりますが睾丸を除去したり、更に本人が希望すれば性転換手術を受けたりですね」
 
「あの子、よく兄たちから性転換手術を受けろよとか言われて、受けたーいって言ってるんですよ。こないだも“私去勢しちゃった”とか冗談(と思っている)を言ってましたし。でも性転換手術を受けても戸籍上の性別は変更できませんよね?」
 
「いや、それがどうも変更できるようになりそうな雰囲気ですよ」
「そうなんですか!?」
 
祐川先生が説明する。
「2年ほど前に自民党の中に性別の変更に関する勉強会ができまして。それでやはり現行法の性別に関する考え方は、科学技術の進歩に付いて行ってないのではないかということになって、医学的な治療を受けた人については性別を変更できるようにしようという方向にまとまりつつあります。おそらくは数年以内に性別は変更できるようになるものと思われます」
 
「凄い」
 
「現在でも半陰陽のケースでは年齢によらず性別の訂正ができるのですが、性同一性障害のケースの性別変更はおそらくある程度の年齢以上ということになるかと思います。多分18歳以上か20歳以上。津久美ちゃんがたとえば18歳くらいで性転換手術を受けた場合は、その頃は20歳になったら戸籍上の性別を女に変更できるようになっていると思いますよ」
 
「時代は進んでいるんですね!」
 

「諸外国でも性別を変更できる国はどんどん増えています。わざわざ性別を変更できる国に帰化して、そこで変更する人もあるんですよ」
 
「苦労してますね」
 
「歴史的にはこういう傾向は、古くは変態とか、性的倒錯とか、性的逸脱とか、まるで犯罪者みたいな言われ方をした時代もあるんですが、現在ではこれは一種の病気であると考えられています。病気だったら治せばいいんですよ」
 
「なるほどー」
 
「その時、心の性別 gender と身体の性 sex のどちらを優先させるかについて現代のほとんどの医学関係者が、心の性別 gender に合わせて、身体の性 sex を修正すべきであると考えています。ですから堂々と治療を受けましょう」
 
「分かりました。少し気持ちが楽になりました。でもどこの病院の何科を受診したらいいのでしょう?」
 
「旭川か札幌の大きな病院を受診した方がいいと思います。具体的には・・・ちょっと待ってください」
 

実はその時、職員室の中で千里の声がしたのである。祐川先生が千里に声を掛けた。
 
「千里ちゃん」
「はい」
 
「北海道内で、性同一性障害に関して診断ができる病院を知らない?」
「えっと・・・ある程度“まともな”病院がいいですよね」
「まともじゃない病院もあるんだ!?」
 
「札幌のS医大がいいと思います。まずは精神科で相談してください。診察の流れの中で、泌尿器科医、場合によっては婦人科医の診察も受けることになると思います」
 
「ありがとう!」
 
「MTFですか?FTMですか?」
と千里は訊く。
「MTF」
と祐川先生は答える。
 
「だったら、お勧めです。診察を受けに行く時は、スカート穿かせて、できるだけ女の子らしい可愛い格好をさせてあげてください。靴なんかもおジャ魔女とかサンリオとかの靴を穿かせて。性別の診断ってお医者さんの主観の部分が結構あるんですよ」
 
姫野真由美もそれを聞いて頷いていた。
 
「分かった!ありがとう」
 

祐川先生は席に戻ってから津久美の母に告げた。
 
「お聞きの通りです。S医科大の精神科を受診してみてください。その時の服装はあの子の言った通り」
 
「分かりました。精神科なんですね」
「心の性別をまず診断するんですよ」
「なるほどー」
 
「恐らく3-4回通院する必要があると思います」
「そうでしょうね。でも今の子は?」
 
「あの子も当事者ですね。戸籍上は男の子ですけど、学籍簿上は女子です」
 
実際には千里が学籍簿上女になっているのは我妻先生の単なる修正漏れである!教頭先生はなぜ千里の学籍簿が女になっているのだろう?と思ったが、取り敢えずこの場では、いいことにした!
 
「そういう子がいるというのは聞きました。でもチラッと見ましたけど、女の子にしか見えませんね!」
と真由美。
 
「あの子はパーフェクトですね」
と祐川先生。
 
祐川先生は千里が(恐らく)既に去勢済み、ひょっとしたら性転換手術済みであることは言わなかった。正規の医療で小学生の去勢をする病院は無いはずだ。恐らく闇の手術を受けたのだろう。今も“まともな病院”と言っていたから、きっと“まともじゃない病院”で治療を受けたんだ。
 

蓮菜は神社で津久美に言った。
 
「津久美ちゃん、今生理中なんだって?」
「はい、そうなんです。それで巫女とかしていいのかなと思ったけど、昇殿とかするのでなければいいと小春さんが」
 
(津久美をスカウトしたのは大神様の指令である。大神様は津久美を千里死後の後任候補のひとりに考えていた。蓮菜の目で見てもこの子には少し霊感がある)
 
「着けてるのはナプキンだけ?」
「そうなんです。生理用ショーツも欲しいけど、お小遣いが足りなくて」
「私が買ってあげるよ」
「え?でも」
「それで巫女衣装汚すと困るからさ」
「あ、そうですね」
「巫女さんのバイト代が出たら返して」
「はい」
「サイズはXSでいいかな?」
「たぶん」
「じゃ林田さんに買って来てもらおう」
と言って、蓮菜は宮司の実質的な奥さんである林田菊子(彼女は基本的に神社の運営には一切関わらない)にお金を渡して取り敢えず1枚買ってきてもらった。津久美は蓮菜と林田さんに御礼を言ってトイレで装着してきたが、物凄い安心感があった。
 
「これいいなあ。少し蒸れるけど」
 

3ヶ月ほど時間を戻す。
 
詩の発想に行き詰まっていた高岡猛獅は2002年8月4日(日)、適当に電車に乗って適当な駅で降り、散策しながら構想を練っていた。
 
ワンティスの楽曲は3作目の『琥珀色の侵襲』までは高岡が詩を書いたのだが、4作目の詩を高岡がどうしても思いつかず、レコード会社にせかされて、結局夕香が書いた『霧の中で』という詩に上島が曲を付けリリースすることになった。
 
この時、ワンティスのメンバーは当然作詞のクレジットは長野夕香にするつもりだった。ところがレコード会社の担当・太荷主任は、作詞のクレジットは高岡猛獅にして欲しいと言った。
 
「事務所の社長とうちの会社の上層部との話でそうなった。高岡の名前にしないと売れないからということで」
 
それで上島たちは極めて不本意だったものの、高岡猛獅作詞・上島雷太作曲のクレジットで2002年2月にこの曲をリリースした。そして『霧の中で』はこれまでで最高のセールスをあげた。
 

次のシングルで、高岡は久しぶりにいい発想が得られて『蒙古色の戦い』という詩を書き、メンバーも「いい詩だ」と言い、上島が曲を付けたのだが、太荷主任からダメ出しを食らう。
 
「“蒙古”は差別語だからダメ。どうしても使いたいならモンゴルに言い換える手はあるけど“モンゴル色の戦い”は、元寇を連想させ、親日国であるモンゴルとの間に不要な軋轢(あつれき)を招くおそれがある。更に国の名前に色という文字を付加するのは人種差別と取られかねない」
 
要するにこのタイトルは丸ごとNGということである。それで高岡はぶつぶつ言いながらもタイトルを『電子色のバイアス』と改め、歌詞も一部修正した。しかし太荷主任は
 
「電子色というのが意味不明」
とクレームを付けた。
 
「高岡君さあ、君がいろいろ自分を表現したいのは分かる。だけどね、プロである以上、自分が作りたい曲を作ってはダメなんだよ。人々が聞いてくれる曲を書かなきゃ」
と太荷主任は言った。
 
ここで高岡はすねてしまって「もう俺は詩は書かない」と言い出した。みんながなだめてもダメである。リリース予定は決まっているのでもう制作しなければならない。そこで上島自身が詩を書いて『蒙古色の戦い』の曲に『漂流ラブ想い』という詩を乗せた(作詞クレジットは前回同様高岡猛獅)。それで高岡も渋々その歌詞で歌い、楽曲は2002年5月にリリースされ、そこそこの売上をあげた。
 

そして次の楽曲こそ、たけちゃん書いてよとみんなから言われ、猛獅は色々書いてみるものの、自身で気に入らない。どんどん期限は迫ってくる。というより締め切りを過ぎてしまった。それで少し気分転換しようと、この8月4日、ふらりと電車に乗ったのであった。
 
彼は駅を出て歩いていた時、公園のベンチに座って何かを書いている小学生の女の子を見た。何を書いているのだろうと思い近寄ってみると、彼女が五線譜にどんどん音符を書き込んで行っているので驚く。最初は何かの曲を書写しているのかと思ったが、彼女はその五線紙以外、何も見ていない。
 
まさか作曲してる?
 
彼女は凄い速度で楽譜を書いていき、二部形式(4x4=16小節)の楽曲を完成させた。高岡は彼女に声を掛けた(こういうことをすると多くの場合、悲鳴をあげられ通報される!が、高岡は、なーんにも考えていない)。
 
「君もしかして作曲してたの?」
「はい、そうです」
「楽器も使わずに?」
「私エレクトーン弾くんですけど、エレクトーンは持ち歩けないから」
「そうだね。ウルトラマンくらいの腕力が無いと持ち歩くのは無理だね」
 
そこから2人は話し始め、結構マジな作詞論議になる。彼女の相談に乗っていて、結果的には高岡自身の頭の中の回路も整理されていく感じであった。
 
少女は、ワンティスが好きだが、最初の頃の作品が特に好きだと言った。『霧の中で』以降は、分かりやすいけど平凡すぎて、まるで書いてる人が変わってしまったみたいと言われ、ギクッとする。
 
お互いに詩を書いてみようなどという話になり、少女は『白い雲のように』、高岡は『恋をしている』という詩を書いた。どちらも美しい詩になった。更に高岡は自分の書いた詩に、曲を付けられる?と訊いたら彼女はスラスラと曲を書いてしまった。上島も曲を書くのが早いが、この子はそれ以上かも知れない気がした。モーツァルトは5歳の時から作曲をしていたというが、音楽では時々ほんとに若い頃から才能を発揮する子がいる。
 
彼女はFKと名乗ったので、高岡もTTと名乗った。
 

高岡は気分が良くなったので、松戸市に移動し志村夫妻のマンションを訪ね“娘の龍子”に会う。
「少し早いけど誕生祝い」
と言って、ケーキと、可愛いベビーブラウスにスカートをプレゼントして帰った。その日はとても楽しい気分だった。
 

翌日清書した『恋をしている』の歌詞付き五線譜を持ちスタジオに行くと、上島が
 
「たけちゃんがどうにも歌詞が思いつかないみたいだからさ、夕香ちゃんにまたひとつ書いてもらったよ」
と言う。
 
見ると『紫陽花の心』という美しい曲である。高岡もこれは自分の書いた『恋をしている』より、いいと思った。それで彼はその詩(+曲)を出さなかったのである。
 
「これも作詞クレジットは高岡猛獅ですか?」
「すまないがそれで頼む」
と太荷は言い、以降誰が書いても高岡猛獅の名義にすることが既定路線になってしまった。
 
このシングルは2002年9月にリリースされ、ワンティス最大のヒット曲となってこの年のRC大賞を取ることになる。
 
なお、この楽曲のリリース直前にワンティスの担当は、太荷主任から、今年入社したばかりの、加藤銀河に交替することになった。
 

龍虎の所に高岡猛獅は8月4日にやってきて、また女の子の服を置いていったのだが、夕香のほうは誕生日の8月20日に英世の車に同乗してやってきて、ケーキを持ってきてくれた。また夕香は一升餅も持って来たが、これは2kgほどあるので英世が車から運んだ。
 
「ひでちゃんは久しぶりの帰宅だ」
「1ヶ月ぶりかな」
「でもよく休めたね」
「今回はギターを高岡さん本人が弾いてるから」
「へー!」
「最終的には僕が弾いてと言われてるけど、楽曲を練っていく段階では彼が弾く。高岡さんも、以前に比べたらだいぶ弾けるようになってきたよ。何か心境の変化があったみたい」
 
「それなんですけど、彼、浮気してませんよね?」
と夕香がいきなり生臭い話をする。
 
「じゃタロットさんに訊いてみましょう」
と言って、照絵は棚からタロットカードを取り出すと、ワンオラクル(1枚引き)をした。
 
「棒の6。不首尾。可愛い子を見つけたけど成立しなかった」
「未遂か〜!」
「高岡さんもてるだろうし、ある程度はしかたないですよ」
「まあそれは割り切ってるけどね」
 
一升餅は餅屋さんで予約しておいたもので、できたてを受け取って来たらしい。まだわりと暖かった。
 
ともかくも、龍虎に一升餅を踏ませて、誕生祝いとした。
 

「このお餅はどうしよう?」
「うちではとても食べきれないから、ワンティスのみなさんで」
「じゃ細かく切って、ぜんざいにでもしよう」
「それ誰が切るの?」
と英世が言うと、夕香も照絵も彼を見る。
 
「俺が切るのか?」
「こんなの女には無理」
「はいはい、頑張ります」
 
ということで、ほんとに頑張って英世はこの2kgのお餅を細かく切る。まだできたてで柔らかかったので、あまり腕力の無い英世でも何とかなった。その場で英世3個・照絵と夕香が2個ずつ焼いて食べた上で、スタジオに持ち込む。そして制作に参加しているメンバーで、ぜんざいにして食べた。さすがに男が13人もいると、あっという間に無くなった。
 
この場にいた人:
男(?) 高岡・上島・水上・下川・海原・三宅・山根
サポートの志水英世・本坂伸輔、レコード会社の加藤銀河
音響技師の佐々木・高島
事務所の雑用係 広中
 
女(?) 夕香・支香・雨宮
 
もちろん、ぜんざいを作ったのは雑用係の広中!(芸能界では“ぼうや”と呼ぶ)
 
「あれ?もしかしてここにいる男は13人?」
「最後の晩餐か?」
「それは数え方によるわね」
と雨宮は言ったが、加藤や広中は“数え方”って何だろう?と思った。
 
(加藤や広中は三宅や雨宮の性別を知らない。実は三宅の性別を知っていたのは、夕香支香の姉妹と雨宮だけ。三宅は男子トイレの小便器を平気で使う)
 
「日本語で晩餐なら13人、晩餐館は焼肉のたれ、フランス語でバンサンカン(vingt-cinq ans)は25歳。私たちは来年バンサンカン(*15)」
「ふむふむ」
 
(*15)ワンティスの多くのメンバーが1978年度生。支香だけが1979年度生。志水英世は1976、照絵は1974、本坂伸輔は1974、加藤銀河は1979。前担当の太荷馬武は1968年度生まれで、ワンティスとは世代が違いすぎてお互い話が通じないし、正直彼らの音楽が理解できなかったので、同世代の加藤銀河に委ねることにしたのが、担当交代の理由である。
 

照絵は龍虎を1歳児健診に連れていった。
 
通常、乳幼児健診は9ヶ月健診の次は1歳半健診なのだが、夕香が1歳健診も受けさせてあげてと言って予約し代金も払ってくれたので連れていったのである。
 
身長体重を計られ、視覚・聴覚なども検査して異常なしと言われる。服を脱がせ、裸にして全体を観察される(骨格の発達具合などの確認)。看護師さんが言う。
 
「あら、お母さん、書類が間違ってますよ」
「はい?」
「この子、書類では男の子と書いてありますけど、女の子ですよね?」
「あ、すみませーん」
 
見ると確かにちんちん付いてない!
 
もういいやと照絵は思う。
 
医師の診察も受け、発達の状態について色々尋ねられたことに答えて行く。医師は自分をこの子の母親と思っているようだが、話が面倒になるのでそのままにしておいた。
 
診断書をもらって病院を出たが、性別:女、と印刷された診断書を見て、
 
「あんた、性別を女に修正してもらう?」
と龍虎に言うと、この日の龍虎は笑顔だったので、そのまま市役所?に連れて行きたい気分になった。
 
「性別の修正って市役所の市民課かどこかで受け付けてるんだっけ??」
などと照絵は呟く。
 
戸籍上の性別の訂正や変更の仕方なんて、普通の人は知らない。
 
(この時期、志水夫妻は龍虎にそもそも戸籍が存在しないとは夢にも思っていなかった。龍虎の保険証については夕香の健康保険の被扶養者証を照絵が預かっている。これはワンティスのメンバーは(報酬の再配分のため)高岡・上島・雨宮の3人が設立した会社の社員になっており、それで政管健保(現在の協会けんぽ)の健康保険証を発行していたためである。この被扶養者証は2003.12の夕香の死で無効にはなったものの、後に龍虎の戸籍を作る時に、ふたりの親子関係を示す重要な証拠のひとつとなった)
 

11月7日(木).
 
津久美は父の運転する車で母も含めて3人一緒に札幌に出た。千里のアドバイスに沿ってロングスカート(北海道はもう冬なので短いスカートは穿けない)に厚手タイツ、新しく買ってもらったプリキュアのスニーカーを履き、ピンクのトレーナーを着ている。髪も美容室で女の子らしく整えてもらい、カチューシャまでつけている。
 
それで来院の趣旨を言うと、おしっこを取ってくださいと言われて紙コップを渡されたのでトイレ(もちろん女子トイレ)でそれを取って提出。検査室で身長・体重、バスト(アンダー/トップ)・ウェスト・ヒップを計り、脈拍・酸素量・血圧を測定してから採血もされた。
 
それから精神科に行き、1時間ほど順番を待って先生とお話をする。5分ほどの話のあと、検査を受けてと言われて、臨床心理士?さんとお話をする。最初に心理士さんと話して“自分史”を作った。
 
「ちょっと待って、あなた男の子になりたい女の子だよね?」
「違います。私は戸籍上男の子ですけど、女の子になりたいです」
「ごめーん!勘違いしてた」
と言って、やり直す一幕もあった。こういう“完璧すぎる”子はごく希にいるらしい。多くの子が18歳になったらすぐ性転換手術を受けてしまうと心理士さんは言っていた。
 

津久美は検査のため朝御飯を食べずに出て来ているのだが、お昼も食べないでと言われて、お腹が空いている中、午後からは身体的な検査をされた。
 
最初に泌尿器科の医師の診察を受ける。
 
下半身の服を脱いでお股を露出させたら、医師は声こそあげなかったもののかなり驚いた様子であった。
 
津久美に尋ねる。
 
「君、産まれた時からこういう形だった?」
「ごく最近までむしろ男の子の形でした。でも先月、女の子に改造されちゃう夢を見て、起きたらこういう形になってました」
「前日までは男の子の形だった?」
「はい」
 
「君ちょっとMRI撮ってみよう」
「はい?」
 
えむあーるあいって何だっけ??
 
それで津久美は、お腹空いたぁと思いながら、MRI室に行き、結構な順番待ちをしてからMRIを撮られた。台に乗せられて狭いカプセルの中に入れられると宇宙人に拉致された気分だ。なんかドンドンドンドンと凄い音がするなあと思いながら、機械の中で眠ってしまった!
 

MRIが終わった後待合室でまた1時間ほど待ってから、婦人科に来てと言われてそちらに行く。女性の先生である。
 
「あなた内診って受けたことある?」
「いいえ」
「ちょっと恥ずかしい格好することになるけど、内診してもいいかな」
「あ、はい、よろしくお願いします」
「じゃスカート・タイツ・パンティを脱いで、この椅子に座ってくれる?」
「はい」
 
そしたら、本当に恥ずかしい格好になったので、津久美は「きゃー」と思った。更に何か“入れられてる”し!
 
「はい、もう大丈夫よ」
と言われて元の姿勢に戻される。
 
「あなた生理来てるよね?」
「先月末に初めての生理が来ました」
「ちゃんと処理できた?」
 
「そろそろ来るかもと思ってナプキンを着けていたのでパンティも汚さずに済みました。先輩のお姉さんが「生理用ショーツつけた方がいい」と言って買ってきてくれたので、その後はそれを穿いてましたし」
「なるほどね。ナプキンは以前から用意してたの?」
 
「泌尿器科の先生には言ったのですが、先月女の子に改造されちゃう夢を見たんですよ。そして起きたら本当に女の子みたいな形になってたからびっくりして」
 
あの時は本当にびっくりしたよなぁとコンクール全国大会の朝を思い出す。自分が見るより先に梨志や香織に見られたし。あの時、最初は自分も梨志たちも、ちんちんまで無くなって、完全な女の子の形になっていると思った。実際その直前に見た夢では女の子の形になっているのを見て驚いたのである。ところがちんちんは割れ目ちゃんの中に隠れていた。
 
「なーんだ、ちんちんはあるんだ」
と言って、自分が触る前に梨志に触られた!
 
「でもこのちんちん、おしっこの出る穴が空いてない」
「ほんとだ」
「おしっこはどこから出るの?」
「待って。確認してくる」
 
それでトイレに入ってみたら、おしっこは、割れ目ちゃんの中から出ることを確認した。それを梨志たちに言うと
「要するに、このちんちんって大きなクリちゃんだと思う」
と梨志は言った。
 
「そうなのかも」
「だからやはり、ツクりんはもう女の子なんだよ」
 

津久美は説明を続け
「こういう形に変化したのなら、もしかしたら生理も来るかもと思って買っておいたんです」
と言った。
 
「なるほどね」
 
ここで母も呼ばれる。それで津久美にはMRIで見た所、卵巣・子宮・膣があること、血液検査でも女性ホルモン(卵胞ホルモン・黄体ホルモン)が“思春期の女子の標準値”、男性ホルモンも“思春期の‘女子’の標準値”の範囲であることが説明される。そして既に生理も来ていることも話す。母は驚いていた。
 
「生理が来たのなら言いなさい」
「ごめーん。なんか恥ずかしくて」
 
先生は津久美のバストもチェックして、確かにこれは胸の膨らみ始めだと言った。ジュニアブラを着けた方がいいと言い、母にそれを買ってあげてと言った。
 

「診断書とかはまた精神科の方に言って相談すればいいのでしょうか?」
と母は訊いたが、婦人科の先生は否定した。
 
「あなたは精神科の患者ではありません。婦人科の患者です」
「そうなると」
「こちらで診断書はお出しします。今日出ますよ」
「そうなんですか。性同一障害の診断書って3〜4回通院しないと出ないと聞いていたものですから」
「お父さんもいらしてます?」
「はい」
「では一緒に聞いていただけますか?」
 
父は婦人科の診察室に入るのを恥ずかしがっていたが、何とか入ってきた。
 

医師は父もいる場でここまでの説明を繰り返した。父はかなり驚いていた。医師は両親にMRIの写真も見せ、津久美に卵巣・子宮・膣があることを明確に示した。そして医師は言った。
 
「お嬢さんは性同一性障害ではありません」
「そうなんですか?」
「お嬢さんは完全な女性です」
「え〜〜〜!?」
 
「現在、お嬢さんのお股の形状はかなり女性に近いものになっています。以前はまるで男の子のような形だったということですが、これは時々あることなんですよ。元々女の子だったのが、何らかのトラブルで、まるで男の子のような形で生まれてしまうことはあります。でも多くは思春期頃に本来の性別の体型に変化して行くんですよ」
 
「そんなことがあるんですか」
 
「わりと多い事例に、5α(ファイブ・アルファ)還元酵素欠乏症 (5α-reductase deficiency : 5-ARD) というのがあります。これは産まれた時は女の子のような形なのに、思春期になるとそれまでクリトリスと思っていたものが急速に成長してペニスに変化し、完全に男の子になってしまうものです」
 
「ちんちんが生えてくるんですか」
「まさにそういう病気でこれはとても多いんですよ」
「へー!」
 
「逆に21-水酸化酵素欠乏症 (21-hydroxylase deficiency) というのは本来は女の子のはずが、クリトリスがペニス状に発達した状態で生まれてくるので、多くは男の子と誤認されます。しかし実際は女の子なので、思春期になるとバストが発達してくるんですよ」
 
「ほほお」
 
「他にも完全な男児なのにマイクロペニスと尿道下裂を併発していて見た目が女児にしか見えない子もあります。女児として育てられていたりしますが、実際は男の子なんですね。この手の病気は何種類か知られていて、だいたい数百人に1人はこの手の異常は発生すると言われています」
 
「割と多いんですね」
 
「お嬢さんの場合も、本来は女の子だったので、精神的にも女の子として発達したのだと思います。だから身体の性と心の性が一致しない性同一性障害ではなく本来の性と身体の外見上の性に混乱がある、性分化疾患になります」
 
「それって何か治療とかが必要なのでしようか?」
 

そこで医師は津久美を見て言った。
 
「この手の病気は、乳幼児健診で見つかることもわりとあって、その場合はまだ物心つく前に、女の子らしいお股の形に変えてあげるんですよ。でもある程度育ってから発見された場合は、本人の性別意識が既に確立しているから、本人の希望に沿った治療を行います」
 
と言って医師はいったん言葉を切った。
 
「君が男の子として生きていきたいなら、卵巣を摘出して女性化が進まないようにし、擬似的な睾丸・陰嚢を作り、男の子同様に、ちんちんの先から排尿できるようにすることは可能。そして男性ホルモンを投与して男性的な身体の発達を促す。人工的な治療を望まない場合は、敢えて性別曖昧なままの形で生きていく選択をする人もある。そして君が女の子として生きていきたいなら、ちんちんに見えるクリトリスを縮小して、普通の女の子のサイズにする手術をする選択もある」
 
「つまり、ちんちん切ってもらえるんですか」
「そういうことになる」
 
「ちんちん切って下さい。私、完全な女の子になりたい」
と津久美は明快に言った、
 
「お父さん、お母さん、それでいいですか?」
「この子は物心ついたころから凄く女の子らしかったんです。本来は女の子だったのだと言われたら、まさにそうだと思います。手術、お願いします」
と母は言った。
「こいつは女でいいと思う。ちんこ切って女にしてやって下さい」
と父も言った。
 
「では・・・」
と医師はカレンダーを見ながら言う。
 
「冬休みに手術しましょうか。一週間くらいは入院することになりますし」
「はい」
「その前に12月の上旬くらいにでも一度ご来院頂けますか?手術の詳細について打ち合わせましょう」
「分かりました。参ります」
 
「だったら診断書は、その手術が終わってからになります?」
「今日お出ししますよ。2部書きます。1部は学校に提出して学籍簿上の性別を変更してもらってください。1部は家庭裁判所に提出して戸籍上の性別を訂正してもらってください」
 
「戸籍の性別が変えられるんですか!?」
「出生時に性別を誤認していたということになりますので。間違っていたのなら訂正できるんです」
 
津久美も両親も法的な性別を変えられるとは思ってもいなかったので驚いた。
 
「家庭裁判所に行くんですか」
「こういうのに慣れている弁護士の方に頼んだ方がいいかも」
「それ紹介してもらえません?」
「だったら医療相談室で」
 

それで医療相談室で相談すると、半陰陽の当事者の支援団体を紹介してもらったので、連絡してそちらに行くと慣れている弁護士さんを紹介してもらった。それでその弁護士さんの所に行くと、すぐに性別訂正の申立書を書いてくれた。
 
「これを、留萌なら・・・旭川家庭裁判所に提出して下さい」
「分かりました。ありがとうございます!」
「たぶん1度呼び出されて色々質問されると思いますが、正直に答えれば大丈夫ですよ。特にお嬢さんの場合は、女の子にしか見えないから問題無く通ると思いますよ」
と弁護士さんは言っていた。
 
「やはり見た目って関係あるんですか」
「そうですね。武蔵丸みたいな人が来て自分は女ですと主張しても、裁判官の心証はよくないですね」
 
「はあ」
と答えながら、津久美は武蔵丸に似たおばちゃんが近所に居るぞと思っていた。
 
 
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【少女たちの晩餐】(3)