【娘たちの転換準備】(1)

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2010年1月。
 
オールジャパン(皇后杯)に出場していた札幌P高校は5日の準々決勝で敗れ6日の午前中、一緒に合宿をしていた旭川N高校とともに北海道に戻ることになる。この後両校の合同合宿は8日から17日まで札幌で行われる。
 
N高校OGの千里は一行より一足早く6日朝の便で函館に渡り、奥尻島に入って『雪の光』の復元作業を行った。一方P高校OGの佐藤玲央美と堀江希優も後輩たちより少し早く宿舎を出て、三鷹市内にあるKL銀行体育館に行った。
 
4月1日付けで、玲央美の《ミリオン・ゴールド》を所有するJI信用金庫が、希優の《ジョイフルサニー》を所有するKL銀行に吸収されることになっており、女子バスケット・チームも両者合同して《ジョイフル・ゴールド》になることになっている。今日はその新チーム発足準備会なのである。集まってきたメンバーはこのような顔ぶれである。
 
■JI信金系
PG.近江満子(旭川R高校)
SF.佐藤玲央美(札幌P高校)
C.母賀ローザ(愛知J学園)
PF.門脇美花(栃木B高校)
SF.向井亜耶(茨城M高校)
PF.豊田稀美(群馬S高校)
 
■KL銀行系
PG.伊藤寿恵子(東京U学院)
C.池谷初美(旭川L女子高)
C.熊野サクラ(福岡C学園)
PF.堀江希優(札幌P高校)
G.長沼西花 横川克美 田村舞美 村田里奈 鈴木一子
F.芹沢優美 元山佐知香 加藤敦美 渡辺美代 前田由利奈
 
■新加入者
PG.越路永子(旭川N高校)
SF.小平京美(札幌P高校)
SF.三田和菜(札幌P高校)
PF.夏嶺夜梨子(旭川N高校)
SG.湧見昭子(旭川N高校)
C.ナミナタ・マール(岩手D高校)
 
この他に現在アメリカ留学中の高梁王子(岡山E女子高)も高校卒業後加入する「可能性がある」が、まだ数年先のことなので、ここには来ていない。
 

多くの子たちはジャージや現在のチームのユニフォームなどを着ている。勤務している銀行の制服を着てきている子もいる。現在高校生の子は学校の制服を着ていたりする。ところが1人異彩を放っている子がいた。
 
「湧見ちゃん、素敵なお召し物だね」
と佐藤玲央美は彼女に話しかけた。
 
「こんにちは、佐藤さん。なんで皆さん、ジャージとか制服なんですか?」
「今日の会合には、動きやすい服でとあったのだが」
「え?そうなんですか?夏嶺(夜梨子)さんが、お正月は振袖だよと言ってたから、これ着せてもらってきたのに。あれ?ヨリちゃん、制服着てる」
 
夜梨子が苦しそうに笑いをこらえている。同じ高校の越路永子は首をかしげているので、どうもこの事件は夜梨子の単独犯行のようである。
 
「まあ、可愛い子は振袖でいいんじゃない?君はうちのチームのマスコットガールだよ」
などと、P高校の制服を着ている小平京美が言っている。
 
「うん、とっても女らしくていい」
とジャージ姿の池谷初美も褒めてあげると、昭子は照れている。その照れている所がまた可愛い。
 
「でも昭ちゃんは、振袖ででもちゃんとお仕事できるはず。ちょっとやってごらんよ」
と言って熊野サクラがボールを1個持って来た。
 
「うん」
と言って昭子はボールを受け取ると、スリーポイントラインの所に行ってそこからボールをシュートする。
 
見事に決まる。
 
「すごーい!」
という声が昭子のプレイを見たことのない選手たちからあがる。
 
「じゃ昭ちゃんはその服で試合に出るということで」
「この服装はさすがに違反になります!」
 

「でもなんか人数が多いね」
と言っているのはKL銀行の《一応》キャプテンを務めていた芹沢優美である。
 
「JI信金が6名、KL銀行が14名、新規加入が6名だって」
とKL銀行副主将の元山佐知香。
 
「JI信金さん6人しか居ないって、たくさん辞めたの?」
と長沼西花。
 
「ああ、今季はそもそも6人しか居なかったんだよ」
と《実質的なチームリーダー》であった伊藤寿恵子が事情を説明する。
 
「うっそー!? たった6人で2部優勝したの?」
と横川克美。
 
「うちだって、実質サクラちゃんと初美ちゃんの2人だけで4部優勝したようなもの」
と言って寿恵子は笑う。
 
「確かに確かに」
と田村舞美。
「あんなに勝ち進むって初めての体験で気持ち良かった」
と村田里奈。
「私も高校時代はいつも1回戦負けだったし」
と加藤敦美。
「同じく同じく」
と前田由利奈。
 
「でもこれだけ居たら、私たち試合に全然出られなくなったりして」
と渡辺美代。
 
「なんか今、スリーを決めた振袖の女の子とか、全然凄そうでないのに凄いみたいだし」
と鈴木一子。
「もしかしてJI信金側の選手や新規加入組って、みんなインターハイ常連クラスだったりして」
と田村舞美。
 
「背の高い人たくさんいるし」
と横川克美。
「外人さんも2人もいるし」
と加藤敦美。
 
「いや実際私たちの実力で関東実業団1部のチームの選手と戦えるわけがない」
などと芹沢主将は開き直っている。
 
「じゃ私たちの存在意義は?」
と加藤敦美。
「テーブルオフィシャルとか主審・副審も楽しいよ」
と元山副主将。
 
「まあ審判って選手以上にハードだけどね」
と芹沢。
「みんな毎日20kmジョギングして体力付けよう」
と元山。
「20kmですか!?」
と前田が悲鳴を上げる。
 

各自いろいろおしゃべりしてざわついている中で、京美が小声で昭子に訊いた。
 
「ところで手術はもう終わったの?」
 
「7月に手術しました。その後、名前も正式に昭子に変えたんです」
と昭子は答える。
 
「すごーい。もうちゃんと女の子になったんだ」
「いや、性別だけは20歳にならないと直せないんですよ」
「ありゃ大変だね」
「だから、今は名前は女だけど性別は男という状態」
「あちこちでトラブりそう」
「女子選手として試合に出られるのも今年の8月30日以降なんです」
「だったら秋の大会には間に合うな」
 
「じゃ女子選手としての登録証は8月に発行?」
と池谷初美が訊く。
 
「ああ、登録証はちゃんと持っています」
と言って昭子は《湧見昭子》名で《旭川N高校女子バスケット部》という所属シールの貼られた登録証を見せる。
 
「ちゃんと女子バスケ部になってるじゃん」
「それは前から持ってたね」
と京美が言う。
 
「公式戦には出られないけど、これで普通にバスケの試合の無料観覧とかもできるんですよ」
「へー。凄い」
 

やがて、体育館にスタッフやお偉いさんたちが入ってくる。
 
最初にKL銀行の頭取が挨拶し、JI信金の頭取代行も続けて挨拶する。KL銀行の業務部長から、新しいチームのスタッフが紹介された。
 
ヘッドコーチにはJI信金アシスタントコーチという名目ではあっても実質的な監督であった藍川真璃子、アシスタントコーチにJI信金ヘッドコーチで、この半年間は無給で務めてくれた蓬木(よもぎ)さんとKL銀行ヘッドコーチであった田梨さんが就任する。各自挨拶した。
 
「4月からの新しいキャプテンと副キャプテンなんだけど、キャプテンはKL銀行の伊藤寿恵子さんにお願いしたいのですが」
と藍川ヘッドコーチが言う。
 
「あ、寿恵子さんなら歓迎」
とこれまでのKL銀行主将の芹沢が発言すると、他の元からのメンバーたちも頷いている。伊藤本人も深く頭を下げて受諾の意思をあらわす。実際には事前に打診していたはずだ。
 
彼女は34歳・2児のママで、一度引退していたのだが、チームの要として田梨監督から乞われて復帰したのである。KL銀行の元からのメンバーにとっては「内輪の人」であり、彼女がキャプテンならという雰囲気になる。
 
「副キャプテンはJI信金側から門脇美花さんで」
と藍川。
 
「うっそー!?」
と本人が驚いている。こちらは事前に何も話していなかったようだ。
 
「だってうちのチームの最古参」
と玲央美が言う。
 
「うん。美花ちゃん、けっこうリーダー向きの性格だよ」
とJI信金の元からのチームメイト向井亜耶が言う。
 
「いい?」
「はい。じゃ頑張ります。KL銀行の皆さんもよろしくお願いします」
と美花は言った。
 

「ところで来期からの体制なのですが、基本的に《ジョイフル・ゴールド》はプロ契約、あるいは契約社員方式によるものとします」
と業務部長が説明する。
 
「プロ契約は年俸+出来高払い。年俸をいくらにするかは各自の成績と期待度で決めます。一応ここにいる皆さんに、プロ契約したらいくら報酬をお支払いするかの査定をしておりますので、それをお配りします」
 
といって部長は26人のメンバーひとりひとりに封筒を渡した。
 
「いやぁ!生活不能」
と叫んでいる子がいる。
 
「契約社員の場合は成績と無関係に給料をお支払いします。その場合、プロ契約に比べると上下の幅が小さくなります。今お配りした書類のB欄に書かれているのがその金額です」
 
「どっちみち無理っぽい」
と嘆いている子がいる。
 
「私もけっこうきついけど、これまでの月5万よりはマシだな」
とJI信金の豊田稀美が言う。
 
「5万って、今までスポーツ手当が5万だったの?」
とKL銀行の長沼西花が訊く。
 
「ううん。給料が月5万」
「うっそー!?それでどうやって暮らすのよ?」
「まあよく生き延びたなというのが正直な所かな」
 

「それで皆さんにはもうひとつの選択肢をご用意することにしました」
と業務部長が言う。
 
「当初の計画では《ミリオン・ゴールド》と《ジョイフルサニー》を合併して《ジョイフル・ゴールド》を作るだけのつもりだったのですが、それではバスケを趣味としてやっていきたいという人たちには辛いのではないかという意見が出まして、結局2つのチームを維持することにしました」
 
選手たちがざわめく。
 
「手続き上は2部のJI信金《ミリオン・ゴールド》を《ジョイフル・ゴールド》と改名し、こちらはプロ契約または契約社員の選手で構成します。一方で、4部の《ジョイフルサニー》を《ジョイフル・ダイヤモンド》と改名し、こちらは正社員またはパート社員の選手で構成します。こちらは普通の会社のお給料のみで、スポーツ手当なども出ません。むしろ会費を毎月1000円徴収して活動費の一部に当てます」
 
ざわめきが大きくなる。
 
「それで所属支店を分離することにします。《ジョイフル・ゴールド》はKL銀行三鷹支店の所属として、全員三鷹支店との契約にさせて頂き、《ジョイフル・ダイヤモンド》はKL銀行神田支店の所属にして、こちらに所属したいという人には異動の辞令を出します」
 
「それどちらに行くかは各自の希望でいいんですか?」
と芹沢優美が質問する。
 
「そうです。好きな方に所属していただいていいです。神田支店の勤務になればまあふつうのOLさんのお給料になります。現在支給しているスポーツ手当は無くなりますが。また17時まで勤務した後、夕方から集まって練習ということになります。練習場所との交通費も自己負担です」
 
「そちらに行ったら、私でも試合に出番ありますよね?」
と鈴木一子が訊く。
 
「頑張ればね」
と田梨コーチが言う。
 
なんだか鈴木や前田が笑顔で手を取り合ったりしている。村田など
「神田のOLですと言ったら、もてそう」
などと言っている。
 
しかし元山は厳しい顔で尋ねた。
 
「じゃ結局ジョイフル・ダイヤモンドは早い話、KL銀行のお荷物組の姥捨て山のようなものですか?」
 
その時、旭川N高校の夏嶺夜梨子が発言した。
 
「先輩、入れ替え戦頑張ってください。4月から私、そのジョイフル・ダイヤモンドにお世話になりますから」
 
「あんたはわざわざ姥捨山の方にくるわけ?」
「私は高校時代は万年補欠で一度も公式戦には出られなかったので」
と夜梨子。
「ほほお」
 
「私もそちらに行きますから、先輩よろしくお願いします。私も公式戦のベンチには座ったことないです」
と札幌P高校の三田和菜が言う。
 
「ちなみに2人ともインターハイ・ウィンターカップに何度も出たチームの補欠組だから、けっこう強いよ」
と藍川がコメントする。
 
「じゃ、ちゃんとジョイフル・ダイヤモンドもチームとして維持していくんですね?」
と元山は確認する。
 
「今週末の入れ替え戦に勝てば来期は3部だよ。頑張ろうよ、サチ君」
と田梨コーチが言うと、元山もようやく納得したようであった。
 
「3部に昇格するより4部のままの方が私は気楽だけど」
などと前田。
「うん。3部って強そう。4部なら私でも充分通用する」
などと鈴木。
 
「あんたらが少し強くなったら結構3部でも行けると思うけどなあ」
と芹沢が言った。
 

そして週末の入れ替え戦では、JI信金《ミリオン・ゴールド》もKL銀行《ジョイフルサニー》も勝って、各々1部・3部昇格を果たした。
 
玲央美たちJI信金は部員わずか6名で2部優勝して、更に入れ替え戦にも勝って1部昇格を決めるという快挙である。
 
4月からは新チーム《ジョイフル・ゴールド》での活動になるが、5-7月のリーグ戦で4位以内に入り、9月の全日本実業団バスケットボール競技大会で3位以内に入ると11月の全日本社会人バスケットボール選手権大会の出場権を手にすることができる。
 
全日本社会人バスケットボール選手権大会は千里たちもクラブチーム側の代表として出場を目指す。
 

玲央美たちが入れ替え戦をやった日、大阪では大阪実業団男子の入れ替え戦も行われていたが、貴司たちのMM化学はこれには出なかった。昨年は2部で2位になって入れ替え戦に出たものの敗けて昇格ができなかった。今年は1位になったので自動昇格で来季から1部に上がることになった。
 
このあたりの入れ替えのルールは地区によって結構異なっているようである。
 
この後、貴司たちは5-7月に行われる大阪実業団バスケットボール選手権大会で14位までに入れば近畿実業団バスケットボール選手権大会に出られて、ここで2位以内になると全日本実業団バスケットボール競技大会に出られて、ここで6位以内になると全日本社会人バスケットボール選手権大会に出られることになる。
 
なお似た名前で全日本実業団バスケットボール選手権大会というのもあるが、こちらはその先の上位の大会が無い。
 
貴司たちは昨年も近畿選手権大会までは行ったものの、2回戦で負けてその上の実業団競技大会には進出できなかった。
 

チェリーツインは2009年の秋口から、秋月・大宅が書いた曲で構成した初のアルバムの制作を始めていた。但しふたりは自分たちが書いた楽曲の「添削」を醍醐春海(千里)を通して雨宮三森に依頼。雨宮はこの楽曲12曲の内、半分を醍醐に、半分をケイに手直しさせた上で、秋月・大宅・桃川および雨宮・新島・田船の6名で一週間掛けて検討会を開き、楽曲の大勢を確定させた。その上で11月下旬から1月上旬に掛けて精力的に収録作業をおこない、中旬までには録音作業自体は終了した。
 
そしてチェリーツインは続けて、このアルバムと同時発売することになったシングル『雪の光/命の光』の制作に取りかかった。この曲は約2年前の2007年11月に当時自殺しようとしていた桃川が奥尻島・旭岳で得られたメロディーを元にしているが、その楽譜がいったん失われていたのを、ケイや和泉たちによる捜索でノートを発見し、そのノートを元に醍醐が楽曲を復元したものである。最終的には田船と桃川が共同で演奏スコアの作成をしている。
 

チェリーツインの面々(気良姉妹を除く5人)が網走市内のスタジオで精力的に楽曲の収録を行っていた1月下旬。夜10時頃まで作業を行ってから
 
「今日はこのくらいでやめとこう」
と言って作業を中断し、帰ることにする。網走市内から美幌町の牧場までは車で40分程度である。一応牧場のオーナーから厳命されているのは「作業が終わったら最低30分は休養してから車を運転すること」ということである。
 
それでメンバーは市内でなじみの居酒屋に入り、軽い夜食を取って身体を休めた。むろん未成年の八雲と陽子はお酒は飲まない。飲まないついでに今日のドライバーは八雲である。
 
満腹した所で居酒屋を出る。居酒屋の駐車場の方に行こうとした時、
 
「ママ」
と言って小さな女の子が桃川の所に走り寄ってきた。
 
「誰?」
 
「春美さんの娘さん?」
と陽子が尋ねるが
 
「私、子供居ないよぉ」
と桃川は言う。
 
しかし女の子は桃川の手を握って「ママ」と言っている。
 
「ハルちゃん、この子のお母さんと似ているのでは?」
 
5人はその子を連れて居酒屋に戻り
「誰かこの子を知りませんか?」
と呼びかけた。
 
しかし誰も知らないようである。
 
「迷子ですか?」
とお店のスタッフさんが訊く。
 
「どうもお母さんとはぐれたようですね」
と大宅。
 
「じゃ取り敢えずお店で保護しましょうか?」
とお店の人が言ったものの、女の子は桃川の手を放そうとしない。
 
「気に入られてしまったようだ」
「どうしましょう?」
「本当にあなたのお子さんではないのですか?」
「私、子供いません」
 

店長も出てきて話し合う。
 
「警察に連れて行った方がいいかも」
「そうかも」
「田中君、一緒について行ってあげて」
 
ということで、お店の副店長さんが付き添って、みんなで近くの警察署までその子を連れて行った。
 
当直をしていた男性の警察官がその子に名前とかを聞こうとするものの、空手か柔道の有段者か?という雰囲気のその屈強な警官を怖がっているようで何も話さない。そこで女性の警察官を呼び出して、話を聞かせる。
 
「君、名前は何ていうの?」
と30歳くらいの優しそうな雰囲気の女性警察官がその子に尋ねる。
 
「しずか」
「しずかちゃん、何歳?」
「6さい」
「幼稚園かな?小学校かな?」
「わかんない」
 
桃川たちは顔を見合わせる。分からないということは多分未就学児で幼稚園などには行ってないのであろう。
 
「誰と来たの?」
「ママ」
「ママの名前は?」
「ももかわ・みち」
 
この時「え!?」と声を挙げたのが桃川である。
 
「桃川ってこの子言ってるけど、みちというのは、ハルちゃんの親戚か誰か?」
と大宅が訊く。
「いや、その私、高校生の頃から、牧場に来るまでの間、桃川美智と名乗っていたので」
と桃川。
 
それで女性警察官は尋ねた。
 
「ここにお母さんいる?」
「いるよ」
と言って女の子は桃川を指さした。
 

女の子をその女性警察官が相手してあげている間に、桃川は男性警察官から事情を聞かれる。大宅が付き添ってくれた。
 
「あの子はあなたが母親だと言っていますが」
と警官。
「本当に知りません。私は子供産んだことないです」
と桃川。
「6歳だと就職して間もない頃かな?」
と大宅。
「うん。私大学出て2000年に就職したからその3年後になる」
と言いつつ、桃川は2003年生まれなら、亜記宏と実音子の2番目の子供・和志と同い年だなというのを考えた。亜記宏の所は年子で女・男・女と3人生まれた。名前は上から理香子・和志・織羽である。
 
50代くらいの警察官が入ってくる。なんか偉そうな感じの階級章を付けている。
 
「あの子、服のポケットとか、服の内側のタグとかも調べさせてもらったのですが身元の分かるようなものを何も持ってないようです。ただ洋服のタグに確かに《しずか》とひらがなで書いてあったそうです」
とその警官が言う。
 
「もしこのまま身元が分からなかったら、どうなるんですか?」
 
「適当な預かり手が見当たらない場合は、一時保護所というところがありまして、迷子などは引き取り手が現れるまでそこで保護することになっています。実際には児童相談所に子供を泊められる設備があるので、そこが一時保護所の役割をしています」
 
とそのお偉いさんっぽい警官は言った。
 
すると悩むような顔をしていた桃川が言った。
 
「引き取り手が見つかるまで私が保護してもいいですか?」
 
桃川は見ず知らずの子とはいえ、自分を母親と慕っている子を放置できない気がしたのである。
 
大宅がびっくりしている。
 
「ハルちゃん、面倒見れる?」
と訊く。
 
「私が忙しい時は、陽子ちゃんたちとか、あるいは時枝さんとかが面倒みてくれるよね?」
と桃川は陽子を見ながら訊く。
 
「まあうちの牧場で預かるというのなら、いけるんじゃない?」
と陽子が言う。
 
「牧場にお住まいですか?」
 
それで桃川たちは名刺を出す。
 
「ああ、マウンテンフット牧場の方々ですか。あそこならかえって安心だと思います。恐らくあなたはあの子のお母さんに似ているのではないでしょうかね。たぶんすぐ保護者が名乗り出てくると思いますので、それまで一時的に預かって頂けますか?」
 
「分かりました」
と桃川は笑顔で答えた。
 
その場で牧場のオーナーに電話して、子供を預かっていいかと尋ねると、オーナーは驚いたようであったが、警察も了承の上でなら構わない。誰かが面倒みてあげられると思うよ、と快諾してくれた。
 

それで“しずか”と名乗る少女は桃川たちがいったん保護することにしたのである。
 
牧場にたどり着いたのはもう12時半である。
 
「眠いでしょ、しずかちゃん。私と一緒に寝ようよ」
と桃川は言ったが、
 
「シャワー浴びていい?」
と言う。
 
「うん。いいよ。私もシャワー浴びようかな」
と言って一緒に浴室に行く。
 
ところが、女性用浴室の前でもじもじしている。
 
「どうしたの?」
「ね、ママ。はずかしいから1人ではいってもいい?」
「うん。いいよ。ひとりで入れるって偉いね」
 
と言って桃川はひとりで彼女を脱衣室に入れた。
「何かあったら遠慮無く呼んでね」
「うん」
 
それで桃川は廊下で待っている。
 
やがて服を脱いで浴室の方に移動したようである。それで身体を洗っていたようであるが、突然
 
「きゃっ」
という声とともに、ガラガラガラと何かが崩れる音。
 
桃川はびっくりして、中に飛び込む。
 
「しずかちゃん、大丈夫?」
「うん。だいじょうぶ。滑っちゃった。でもごめんなさい、くずしちゃった」
 
そこには「崩れた」お風呂の椅子が散乱している。このプラスチック製の椅子を塔のように高く積み上げるのは虹子の趣味である。
 
「崩しちゃうのは平気。またこれ好きな子が積み上げるから。でも怪我してない?」
 
と言って、しずかの身体を確かめようとして、桃川の視線は、しずかの身体のある部分に吸い寄せられる。
 
え!?
 
「しずかちゃん、そのお股にあるの、何?」
「えへへ。できものかなあ」
 
そうか。これを見られたくなかったのか。
 
「変な所にできものがあるね」
「これ、おいしゃさんにいったらとってくれないかな?」
「うーん。。。それ取ってくれるお医者さんは知ってるけど、6歳じゃ手術してくれないよ。せめて高校生くらいになってから。取ってもらいたいの?」
 
「うん」
と、しずかは床に座り直してそこを隠してから頷いた。
 
「じゃ、それ恥ずかしがらなくていいから。でも、お風呂は他の人じゃなくてかならず私とふたりだけで入ろう」
「ありがとう、ママ」
 

その後、一緒にお風呂に入った桃川はあがって身体をバスタオルで拭いたしずかに言う。
 
「これ私の下着とパジャマ。サイズが大きくて申し訳ないけど子供用の服が無いのよ。明日買ってくるから、とりあえず着ておいて」
「うん。ありがとう」
 
パジャマは実際にはトップだけでネグリジェのように膝付近まで丈があり、ボトムは着る必要がない感じだった。パンティは伸縮性の高いタイプを渡したのだが、それだと何とかずれ落ちずに穿けるようだった。
 
それで自分の部屋に連れて行き、オーナーの妹・英代さんが用意してくれていた予備の布団にしずかを寝せる。
 
深夜遅かったこともあり、彼女はすぐにすやすやと寝入った。
 
桃川はしずかが着ていた服を何となく見ていた。服も下着も13号である。ネットで検索して確認すると、小学1−2年生くらいのサイズのようだ。確かに幼稚園年齢の子にしてはやや大きい方かも知れないなあという気がする。
 
上着やズボンのタグの所にマジックで《しずか》と書かれている。幼稚園や保育所に通っていて、そこで着替えを間違えないようにするのなら、むしろ苗字を書く気がした。ということは名前を書いてあるのは、これは家庭内で姉妹のものと間違わないようにするためかも。
 
「お姉ちゃんか妹がいるのかな?」
と桃川は独り言を言うかのようにつぶやいた。
 
「でも家の中でも女の子名前で呼ばれてる訳??下着は女の子用を着けてたし」
 
と桃川はその問題に疑問を持った。親公認で女名前・女装で過ごしているのだろうか???
 

翌日は朝一番に町内のしまむらに行って、女の子用の下着・服などを多数買ってきた。それでしずかもちょっと落ち着いた感じだ。お昼過ぎからはまた網走市に移動して音源制作をする。
 
「牧場に居る?それとも私たちのお仕事に付いてくる?」
「ママといっしょにいたい」
「よしよし」
 
それでしずかも連れてスタジオに行くが、作業中にしずかを見ておく係として虹子が名乗り出てくれたので虹子も入れて7人で行くことになった。星子は牛乳の配達をすると言っていた。虹子・星子は言語障害は持っていても聴覚や視覚・運動能力はごく普通で、知能も普通の人よりは低いものの、まあまああって、運転免許(AT限定)を取得しており、車で配達ができるのである。配る先はみんな虹子・星子のことを知っているので、言葉が話せなくても大きな問題は無いし、筆談で意思の疎通ができる。
 

夕方くらいに網走警察署から連絡があり、しずかに該当するような行方不明の女の子の捜索願いは出ていないということであった。桃川はチェリーツインの他のメンバーに聞かれないように個室の中に入って警察の人に話す。
 
「このことは、私とあの子の約束で、私以外には今の所秘密にしているので、他の人には言わないで欲しいのですが、あの子、女の子として暮らしてはいるみたいなんですが、昨夜お風呂に入れて分かったのですが、肉体的には男の子なんです」
 
「え!?」
 
「該当するような年齢の男の子の捜索願いは出てませんか?」
「ちょっと待って下さい」
 
と言って確認しているようだ。
 
「やはり出ていませんね。北海道管内で小学生以下の子供の捜索願いは男女ともに現在出ていません」
 
「分かりました。親が捜索願いを男の子として届けるか女の子として届けるか分からないので、どちらでも年齢が合いそうだったらチェックしてもらえませんか?名前も《しずか》はあるいは戸籍名ではない可能性もあります」
 
「了解です」
 

札幌での旭川N高校と札幌P高校の女子バスケット部合同合宿は2010年1月17日まで続いていたのだが、千里と薫は1月15日夕方で上がらせてもらい、最終の羽田行きで東京に戻った。
 
「ここしばらくの千里のプレイ見てて、私もマジで頑張らなきゃと思った。私春くらいまでに鍛え直すよ」
と薫は言っていた。
 
「薫、こないだはまだちんちんあるとか言ってたけど、嘘でしょ?実はもう性転換終わっているんでしょ?」
と千里は訊く。
 
「まあ実際問題としてちゃんと終わってないと、女子選手として出場できないんだよ」
と薫。
 
「やはりね〜。いつ手術したの?やはり高校2年の頃?」
「秘密。だけど、千里だって、結局いつ性転換したのかよく分からない」
「実は自分でもよく分からない」
「千里ってよくそう言うよね。まあ明日は頑張ろう」
「うん。頑張ろう」
 

それで翌日は早朝千葉駅に千葉ローキューツのメンバーが集合した。今回集まっているのは、西原監督と、浩子・玉緒・夏美・夢香・国香・菜香子・麻依子・千里・誠美・来夢・薫の11人の選手である。
 
「今日は谷地君は自分の中学の試合があって来られないんだよ」
と西原さんが言っている。
 
谷地コーチは中学の先生でバレー部の顧問をしているので、しばしばそちらが優先されてしまう。
 
「まあ人が少ないのはいつものこと」
「でも今年は今まで1度も不戦敗が無かったね」
 
「そうだ。でしたら国香さんをアシスタントコーチ登録できます?」
と浩子が言う。
「ああ、それもいいかも」
「本人はマネージャー登録のつもりだったんだけどね」
 
年内でやっと退院した愛沢国香はまだプレイできる状態ではないのだが、本人曰く「賞品のイチゴをゲットせねば」と言って、マネージャーでいいからベンチに座らせてと言い、出てきたのである。
 
「じゃアシスタントコーチで」
 

千里のインプレッサ、監督のモビリオスパイク、夢香のお父さんのプレマシーの3台に分譲して宇都宮まで走る。ただしプレマシーを運転しているのは玉緒である。夢香は運転免許を持っていない。
 
「私、バスケ自体はまだよく分かってないし、ドライバー専任でもいいよ〜」
などと玉緒は言っていた。
 
玉緒は千葉市内、夢香は成田市に住んでいるが、玉緒は昨夜のうちに夢香の家に行き、一晩泊めてもらって、車を運転して千葉市に出てきたのである。
 

約2時間で宇都宮市の体育館に到着した。
 
キャプテンの浩子がエントリー表を提出してくる。9時にエントリーが締め切られトーナメント表が発表された。参加チームは14チームであった。つまり
 
1回戦→2回戦→準決勝→決勝
 
と行われるが2チームが1回戦不戦勝になる。組み合わせは事務局で代理抽選により決定しましたと書かれている。
 
「初戦で負けた所は交流戦をして、最低2試合はやることになっているみたいね」
「うちの相手は・・・」
 
と言って表を見ていた夏美が「げっ」と声をあげる。
 
「うーん・・・」
「あぁ・・・」
 
「今日は交流戦して帰るパターンかな」
などという声が出る。
 
初戦の相手がなんと関女1部の栃木H大学なのである。何度もインカレを制している超強豪校である。
 
「テーブルオフィシャルも頑張らなきゃ」
「主審・副審することになったら、誰がする?」
 
「でもこんな強い所が何もこんな大会に出なくてもいいのに」
「出るにしても1回戦不戦勝にしてほしいな」
 
千里、麻依子、薫も腕を組んで考えていたが、やがて薫が言う。
 
「たぶん二軍とかじゃない?」
「私もそう思う。一軍のメンツをわざわざこんな大会に出さないよ。たぶん二軍の子たち、あるいは1〜2年の子に経験を積ませるために出たんだと思う」
と麻依子。
 
「H大学の二軍って、どのくらい強いんですかね?」
と夏美が尋ねる。
 
「まあ二軍でも実業団2部か1部の下位あたりとは良い勝負すると思うよ」
「なかなか厳しいな」
 

今日のスケジュールはこのようになっている。
 
9:10-9:40,9:50-10:20 1回戦7試合
10:40-12:10 2回戦4試合
12:30-13:00 交流戦4試合
13:20-14:50 準決勝2試合
15:10-15:40 交流戦3試合
16:00-17:30 決勝戦
 
コートはメインアリーナに3つ、サブアリーナに1つ取られている。ただし決勝戦のみメインアリーナのセンターコートを使用する。また1回戦と交流戦は10分ハーフの20分の試合で、2回戦以降が10分クォーターの40分の試合である。但し試合を迅速に進めるためフリースローとタイムアウト以外では時計を停めない特別ルールでおこなう(決勝戦を除く)。
 
千里たちはサブアリーナで9:10からの試合になっていた。
 
最初2分間、練習時間が与えられたので、ローキューツのメンバーは多数のボールを入れてシュート練習をしたが、この時、千里、薫、麻依子、誠美、来夢の5人は、練習しているふりだけして、実は1本もシュートを撃たなかった。そしてむしろ向こうの様子を観察する。
 
「ああ。分かった」
と向こうの様子を伺っていた薫が言う。
 
「今日のH大学のメンツは3年生・2年生のチームだよ」
と薫。
 
「ああ、やはり下級生の度胸付けですか?」
と玉緒が訊く。
 
「この時期、4年生はもう卒論の準備・発表とかをしている。つまり4年生は全員退部していると思う。だからこれは春からの新チームの試運転」
と薫は答えた。
 
「まさか・・・1軍」
と夏美が訊く。
「うん。バリバリの1軍だと思う」
と薫。
「ひぇー!!」
と夢香が悲鳴を上げる。
「うん。向こうはかなり上手い」
と千里も言った。
 
「やはり今年H大学はオールジャパン出場を逃したから、こういう大会に出て新しいチーム出発の景気づけにしたいんじゃないの?」
 
「1年生は入ってないよね?」
と麻依子が言う。
 
「うん。2年生中心で、何人か3年生が入っている」
と薫。
 
「オールジャパン逃したのも3年生があまり強くなかったんじゃないかな。それで2年生中心のチームに転換したいんだよ、きっと」
と千里も言う。
 
「ということは、千里とか誠美の素性を知らなかったりして」
と麻依子が意味ありげに言う。
 
「ん?」
 

こちらのスターターは 薫/千里/来夢/麻依子/誠美とした。
 
ティップオフする。向こうのセンターはどうも中国人のようである。身長が190cmくらいある。
 
その身長差で誠美より遙かに上でボールをタップ。H大学側が取って攻めあがってきた。ローキューツはマンツーマンで守る。
 
相手PGが今ティップオフしたセンターの人にパスする。中に飛び込んでくる。が来夢が巧みにボールを奪う。
 
麻依子にパスする。麻依子が高速ドリブルで攻め上がる。相手の俊足の選手がうまく麻依子を外側に押し出すように走り、中に入れないようにする。千里にパスする。すぐに撃つ。
 
入って3点。
 
試合はローキューツの先行で始まった。
 

相手が千里の「素性」を知らないのは明らかであった。
 
相手は背の高い誠美にいちばん警戒している。また「上手そうな」オーラを放っている来夢にも結構な神経を使っている。
 
しかしいかにも「大したこと無さそう」に見える千里にはほとんど無警戒である。麻依子と薫にはまあまあの注意を払っている感じだ。千里がいきなりスリーを入れたものの、スリーなんてそう入るもんではないと思っている雰囲気である。
 
こちらがマンツーマンで守っているので、相手は容易に潰せそうと思ったようであるが、実際には全然潰れない。初期段階で、みんな結構中に通したので、簡単に中に進入できるように向こうは思ったようであるが、実は通したのは全部トラップで、実際にはほとんどシュートできなかった。
 
それであっという間に4-12などというスコアになる。
 
この1回戦はタイムアウトも認められていない。
 
向こうの選手が薫のシュートにわざとファウルをしてこちらにフリースローを与え、そのタイミングで選手交代して顔を見ただけでも強そうな選手が3人入って来た。
 
向こうのキャプテンが大声でメンバーに指示を出している。相手の顔色が変わっている。ここまでやられた段階でこちらがとんでもない強敵だということに気づいたのである。
 
相手も安易に進入したりせず、スクリーンなどのコンビネーションプレイで点を取りに来る。また、こちらが千里や麻依子など足の速い選手を使って速攻をするので、相手は攻撃の時も誰かが浅い位置に居て、すぐ戻れるようにする。
 
しかし近くからのシュートが得意な麻依子と遠くからのシュートが得意な千里の両方に備えるのはなかなか難しい。しかしファーストブレイクを防いでも、長身の誠美を使った攻撃は簡単に停められない。
 
結局前半は8-21という大差で終わった。
 

インターバルの2分間も向こうは激しい議論をしていたようであった。そして向こうは最強布陣という感じで出てきて、なんとゾーンを敷いた。
 
しかしゾーンを展開していても、千里のスリーはゾーンと無関係に遠くから飛び込む。後半開始早々2発入れられた段階で、一番強そうな人が千里のマーカーになるボックス1に切り替えた。
 
しかし千里はそのマーカーを簡単に振り切ってスリーを撃つ。途中で別の人にマーカーは交代したが、全然千里を停めきれない。
 
最後はとうとう2人千里にマーカーが付いたが、当然他の部分の守りが弱くなる。そこに麻依子や来夢が容赦無く進入してはゴールを奪う。それでそちらを気にすると千里のスリーが入る。
 
結局この試合は20-45という大差でローキューツが勝った。
 

試合終了後、向こうのメンバーが天を仰いだり、首を振ったりしていた。
 
「ちょっと鍛え直すぞ」
「今年の春休みは地獄の合宿」
 
などという声が聞こえていた。
 

約1時間置いて、10:40から、またまたサブアリーナで2回戦に臨む。相手は高校生のチームだったが
 
「え?嘘。H大学じゃない」
などと言っている。前の試合がサブアリーナだったので、あまりそれを見た人がいないのであろう。
 
「いや、H大学に勝ち上がってきた所ならきっと無茶苦茶強いと思う」
「見て。あの20番付けてる人、あれ180cm以上無い?」
「だめだー。負けたぁ」
 
などと対戦前から言っている。
 

整列して試合を始める。
 
この高校生チームがなかなか強かった。向こうはこちらにビビることなくプレイした。試合は54-86でローキューツが勝ったものの、充分手応えのあるチームであった。
 
「あんたたち強いよ、インターハイととか出たことなかったっけ?」
と試合後、来夢が向こうの選手に声を掛けていた。
 
「決勝リーグまでは結構行くんですけど、それを突破できないんですぅ」
「ああ。あと1歩だね。頑張ってね」
「はい!ありがとうございます」
 

交流戦をはさんで準決勝が行われる。
 
主催者との話し合いで、薫は2回戦までで、準決勝以上では使わないことにしていたので(薫はベンチにも座らない)、このあとの試合は、その穴を浩子・夏美・夢香の3人で埋める必要がある。
 
準決勝からはメインアリーナの方に会場を移す。準決勝で当たったのは、宇都宮C女子校。インターハイの常連校であった。さすがに彼女たちはこちらの「正体」を知っている。
 
「え?H大学じゃない!」
というお約束の声のあとで
 
「うっそー!インターハイ・リバウンド女王の森下さんがいる」
「待って。あのロングヘアはスリーポイント女王の村山さんじゃん」
「村山さんって世界選手権にも出てたよ」
「負けたぁ」
 
といった声が聞こえてきた。
 

しかし「負けたぁ」などと言いつつ、そう簡単に諦めるような彼女たちではない。千里も名前を知っていた多摩さんが千里をマークするダイヤモンド1のゾーンを組んでこちらに対抗する。
 
それでこちらも前半はあまり無理せず、麻依子や夢香を中心にした攻撃を組み立てる。むろん向こうが少しでも千里に無警戒になっていると、美しくスリーを放り込む。
 
前半はそれで30-32と結構競っている状態で進行した。
 
しかし後半は千里は積極的に走り回り、相手のマークを脚力で振り切る。それでフリーになると即浩子や麻依子からのパスを受けてスリーを入れる。
 
この積極攻勢で後半は24-46とほぼダブルスコアとなり、合計で54-78と大差でローキューツが勝った。
 
向こうの監督さんが
「お前ら今週末は合宿するぞ」
と大きな声で叫んでいた。
 

「千里、多摩さんをかなり鍛えてあげていた気がする」
とフロアから出た所で薫から言われた。
 
「才能ある選手とやると楽しいよ」
と千里は言う。
 
「余裕あるな」
 

再び交流戦をはさんで決勝が行われるが、この試合だけセンターコートを使用するので、センターコート用のバスケットゴールが電動で降ろされた。周囲にたくさんギャラリーも入って来て決勝戦のスタートである。
 
相手は何と中学生チームである。
 
1回戦不戦勝、2回戦は娯楽的にやっているOLのチーム、3回戦は50-60代のメンバーのチームに勝って勝ち上がってきている。
 
どうも今日の大会は片側だけに強い所が集まってしまったようだ。
 
相手の雰囲気を見て、このゲームには千里と誠美は出ないことにしようと決める。
 
それで浩子/夏美/来夢/夢香/菜香子というメンツで出て行く。この中で来夢をのぞいて浩子の次に強いのは夢香、そして菜香子はPF登録だが長身なので実際にはセンター的な役割である。
 
「おお、やっと出番が来た!」
などと夏美や菜香子は張り切って出て行った。
 
その彼女たちも充分楽しめる相手であった。相手攻撃もあまり無理して停めずに結構撃たせる。但しリバウンドは菜香子や来夢でほとんど取らせてもらう。こちらの攻撃はしっかりとゴールを決める。
 
そういう展開で、じわじわと点差が開いていく。
 
後半は玉緒を夏美の位置に入れ、来夢の代わりに麻依子が入ってゲームを進める。それで結局38-78で決着した。
 
ゲーム終了後、向こうのメンバーの顔が充実していた。遙か格上の相手にも充分のびのびとプレイできたことで、満足だったのであろう。
 
「また頑張りましょう」
「はい!」
 
と声を掛け合って、コートを出た。
 

すぐに表彰式になる。
 
キャプテンの浩子が1位の賞状と、賞品の栃乙女の目録をもらい、高く掲げて会場全体の拍手をもらった。
 
続いて2位の中学生チーム、3位の2チームにも、各々賞状と賞品目録が渡された。
 
最後に主催者代表の挨拶があって、大会は終了した。
 

「けっこういい汗流せたね」
「最終的に全員出られて良かった良かった」
 
「国香さん、久しぶりのベンチの感触はどうでした?」
「出たくて出たくて」
「無理しないでくださいね〜」
「また病院に逆戻りとかは勘弁してくださいよ」
 
優勝賞品は栃乙女15箱(登録選手枠12+スタッフ枠3)ということだったので、1箱ずつ分けた上で、1箱は谷地コーチのお土産にして残り2箱はその場でみんなで食べてしまった。
 
「美味しい美味しい」
「甘くていいね〜」
「栃乙女けっこう好きになった」
 
「次は2月14日、冬季クラブバスケットボール選手権だからね。よろしくー」
 

桃川は警察との電話を終えて困ったような顔をして受話器を置いた。
 
「どうだって?」
と山本オーナーが訊く。
 
「該当しそうな捜索願いは出ていないそうです」
と桃川。
 
「どういうことなんだろうね?」
と山本も腕を組んで言う。
 
桃川が“しずか”と名乗る《少女》を保護してから半月が経ったが、子供が行方不明になったという届けで、しずかに該当しそうなものが全く無いのである。警察も道内だけでなく、全国の警察に情報を流しているものの、一向に届けは無い。むろん小学生以下の子供の捜索願いはしばしば出るものの、届けをした親たちはしずかの写真を見て、うちの子ではないと言った。
 
桃川は何度かしずか本人に
「誰にも内緒にしてあげるから、本当のこと教えて」
と言って、お父さん・お母さんのことを尋ねたものの、しずかは『私のママはももかわ・みち』としか言わない。
 
あるいは親に虐待などを受けて、心の闇を抱えているのではというのも、桃川と山本とで相談し、子供の扱いに慣れている女性カウンセラーを札幌から呼び話してもらったものの、彼女もしずかの親のことや住んでいた場所については聞き出すことができなかった。
 
ただ、桃川や山本は、しずかのことばが北海道内陸部(札幌・旭川・帯広など)の言葉であること、彼女が結構都会のことを知っているっぽいこと、逆に美幌での生活を面白がっており、しばしばきれいな景色に見とれていたりすることから、多分内陸部の都会に住んでいたのではないかと想像していた。
 
「でもさ、ハルちゃん、あの子、君が名乗る前に『ももかわ・みち』と言ったんだろう?」
「そうなんですよ。それが不思議で」
 
「だとすると、あの子は最初から君の名前を知っていたことになる。だから、あの子はきっと君の知り合いの誰かの子供なんだよ。それも君が高校時代からこの牧場に来るまでの間の時期のね」
と山本は言った。
 
「やはり、そういうことになりますかね」
 

桃川はしずかの写真を、高校や大学時代の友人、前勤めていた楽器製造会社の同僚で連絡の付く人、更には奥尻島出身の友人などにもメールして、この子を知らないかと尋ねてみたものの、誰1人としてしずかのことを知っている人はいなかった。また子供の行方を捜している人がいないかというのも尋ねたもののみんなそういう人にも心当たりはないようであった。
 
牧場での滞在が長くなってきていることから、桃川と山本はこの子を昼間は保育所に行かせた方がいいと話し合った。そこで地元の保育所に打診した所、数日お試しで預かって問題無ければということになったので、オーナーの妹の英代さんが付き添い、行かせてみた。それで特に問題無く過ごし、他の子とも仲良くやっていたので、そのまま当面9時から3時まで預かってもらうことにした。
 
2月中旬。山本は町の教育委員会に掛け合い、この子の親がもし3月まで見つからなかった場合、町の小学校に暫定的にでいいから入学させて欲しいと申し入れた。教育委員会は警察に保護した時の状況や、その後の経過などを確認した上で了承。しずかは4月から「桃川しずか」として小学校に通うことになった。
 
ところでこの時点で桃川は山本オーナー夫妻と英代さんだけには、しずかが肉体的には男の子であることを話してはいるものの、山本はそのことを保育所にも教育委員会にも言わなかった。
 
「言えば揉めるし、そのことで、あの子はきっと傷ついて、ますます殻に閉じこもってしまうと思う。あの子見ても、まさか男の子だとは誰も思わないからバッくれておけばいいよ。1年も2年もバッくれるわけじゃないし、どうせ数ヶ月だろうしさ。絶対ばれないよ」
と山本は言った。
 
「親の所に戻れば男の子として学校に行かないといけないだろうし。ここにいる間だけでも少し夢をみさせてあげていいかもね」
とも英代さんも言った。
 
誕生日については、本人が「さくらづか・やっくんとおなじたんじょうび」と言ったので9月24日と判明した。それでしずかは
 
《桃川しずか 2003年9月24日生・女》
 
として(それまでに本来の保護者が名乗り出なかった場合)4月から1年生として小学校に通うことになったのである。
 

山本オーナーは言った。
 
「ハルちゃん、しずかちゃんのために結構な出費をしてない?少し援助しようか?」
 
「いえ。私、子供産めない女だから、こういうことするだけでも半ばママゴトみたいな感じで楽しいんです。だからお金のことは大丈夫です。頑張ります」
 
「んじゃ、君の給料に家族手当つけるから」
「わっ、すみません!」
 
「でもね、ハルちゃん」
「はい」
 
「その子は今君を頼っているけど、いつかは別れの時がくる。本当の母親が来たら、きっとその子は君のことなど一瞥もせずに『おかあちゃん』とか言って走り寄って抱き合ったりするだろうね。そして二度と君を見ることもないだろう。その時にチャイルドロスにならないようにしようね」
 
桃川はそのことを山本に指摘されてから少し考えて言った。
 
「私、どうしよう?」
 
と言う桃川は半分泣き顔だった。
 
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【娘たちの転換準備】(1)