【娘たちの危ない生活】(1)

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1月10日(祝)の午前中、貴司の父・望信が村山家を訪れた。
 
村山家のヴィヴィオがエンジントラブルで動かないというので、取り敢えず修理工場に見せてみようかということになったのだが、9日は千里が成人式で1日中まさに走り回ったし、その日の夕方、千葉に向けて移動したので、この件で千里は対応できなかった。
 
しかし母にはこの車をそもそも修理工場まで運転していくこともできない。千里がエンジンの冷却剤の所にとりあえず水を入れれば短時間なら動くということを説明したのだが、そもそも千里自身がこの手のメカニックなことが分かっておらず、分かってない人が分かってない人に説明してもさっぱり分からない。それで貴司の母・保志絵に相談したら、望信が行ってくれることになったのである。
 
望信は実際に水を入れて、津気子を助手席に乗せて、車を津気子が懇意にしている車屋さんの浜田自動車まで持って行ってくれた。それで見てもらうが、浜田さんの見立てでもやはり《こうちゃん》が言っていた通り『買い換え推奨』ということであった。
 
「車自体が物凄く傷んでいるんですよ。走っているのが奇跡ですね」
と浜田さんは言った。
 
「どっちみち、この車7月に車検だし。高額な修理代払うくらいなら買い換えた方がいいと思いますよ。これこのクーラントの漏れを直したとしても、また別の不具合が出ますよ。それに万一高速を走行中に例えばブレーキが利かなくなったりしたら命に関わりますよ」
 
確かにエンジンが突然死ぬのよりブレーキの不具合の方がもっと怖い。
 
「そうだなあ。でも費用どうしよう?」
と津気子。
 
「その件に付いては、千里さんがあまり高額でなかったら自分が出すから、買い換えという方針なら直接浜田さんと話させてくれということでした」
と望信。
 
それで津気子が千里に電話してみる。千里はちょうど成人式が始まるのを近くのミスドで待っている所であった。
 
千里は浜田さんに、母に聞こえない所に移動して欲しいと要請。どうも事務所の外に出たようである。
 
「今少し余裕があるので、50-60万くらいならすぐお支払いできると思うんですよ。母は長年軽に乗ってきているので、今更大きな車を買っても取り回しできないと思うんですよね。それで軽くらいの車で適当なのを見繕ってもらえませんか?」
 
「うん。分かった」
 
「それで私が今週末から仕事で海外出張なんで、お金は細川さんに預けておきますので、細川さんに見積もり出してOKならそれで母に売ってもらえませんか?色は白とかグレイとかで」
 
「だったら、今手許にある車でミラ・アヴィとかはどうかね?色は白だよ」
「その車種は故障が多いから嫌です」
「よく知ってるね!」
 
「だったら色が黄色になるけどR2とかは?」
「グレードと年式は?」
「SSで2005年型」
「それってハイオクでしょ?」
「よく知ってるね!」
 
ちなみに浜田さんと本当に会話しているのは《こうちゃん》である。千里にこの手の話が分かる訳が無い!
 
「その車種は2006年にレギュラーに変更されたんですよね。でもうちの母ならハイオク車に『こっちが安いから』ってレギュラーガソリン入れかねないです」
「あぁ・・・」
 
「R2はたぶん母は気に入ると思うのですが、R2でレギュラーガソリンのは無いですか?」
「そうだなあ。オークションで探してみるかなあ。R2か、プレオあたり?」
「プレオは背が高いので、入れられない駐車場があるんですよ。たとえば市内の**屋さんの駐車場には入らないです」
 
「ほんと!?それ僕が知らなかった!」
 
浜田さんは少し考えるようにしてから言った。
「予算は60万まで?」
「まあ場合によっては少し越えてもいいですよ」
 
「数日中に入る予定のある車で、少し大きくなるけど、ブーンとかは?これはシルバーなんだけど」
 
「ああ。ブーンならいいと思いますよ。そのくらいのサイズまでなら扱えると思うし。それ、グレードと年式は?」
「1.0CL-4WDで2007年型。無修復。距離は5万km弱」
「お値段は?」
「込み70万というのでどうだろう?」
と浜田さんは探るように言ってから
 
「分割払いでもいいよ」
と付け加えた。
 
「車検はどのくらい残ってます?」
「今月で切れるから車検して渡すよ」
「でしたら70万現金で払いますよ。それ入庫したら、一度母に試乗させてみてもらえません?それで母が気に入ったら買うということで」
「了解」
「それでお願いなんですが、母には価格を言わないでもらえませんか?」
「うん。まあいいよ」
「もし聞かれたら確か20万くらいだったかもくらいに言っておいてもらえませんか?あまり余裕があると思われると困るので」
「分かった」
 
「そうだ、それ、ナンバーは新しいのに交換してもらえます?」
「全額現金でもらえるならその分サービスしとくよ。希望の番号はある?」
「今のヴィヴィオと同じ番号で」
 
「OKOK。でも千里ちゃん、ホントによく分かってるね〜。千里ちゃんもそちらで何か車に乗ってるの?」
「私はインプレッサ・スポーツワゴンなんですが」
「MT?」
「はい。インプに乗ってATってことはないですよ」
「だよね〜。じゃ結構車には詳しいんだ?」
「そうでもないですけどね〜」
 

それで3日後に入庫した車を母に試乗してもらった所「この車パワーがある!」といって結構気にいったようである。
 
それでその車を買うことにした。ヴィヴィオは廃車にする。そのあたりの手続きは全部貴司の父・望信にやってもらうことにした(千里の父は母以上に車のことが分かってない)。その他、ATFの半量交換をしてもらい、またETCとドライブレコーダーにサンヨーのポータブルカーナビまで付けてもらうことにし、これを合わせて+12万円でしてもらうことで浜田さんと話が付いた。結局全部で82万円払う。高速料金は今まで母は現金で払っていたのである。ETCカードは千里が1枚作って郵送する。カードを差し込むくらいはたぶん玲羅がやってくれるだろう。
 
望信には11日朝の段階で念のため100万送金しておいた。車が整備され引き渡された時点で払ってもらうことにする。なおETCカードの作成と郵送は千里自身が時間が取れないので《きーちゃん》に頼むことにした。
 

千里たちは2011年1月10日に成人式を迎えた。
 
千里・桃香・朱音はその夜、成人式のお祝いといって3人でヱビスビール・ザ・ブラック48缶を空けたのだが、11日の夜、千里は雨宮先生からも「成人式のお祝い」と称して飲みに連れて行かれ、日本酒4合くらいとウィスキーの水割り7-8杯を飲み、さすがに酔ったので、駅から自分のアパートまで帰ることができず、桃香のアパートで寝ていた。
 
そこに桃香が帰宅したのだが、桃香は恋人に振られたと言った。
 
千里は彼女を少し慰めていたものの、自分がきついので寝てしまう。ところがふと気付くと、桃香が自分の身体をいじっていた。しかもいつの間にか、千里は男の身体に戻っていた。うっそー!?と思うのだが、桃香はその《男の器官》をいじっているのである。そして千里の意志に反してその器官が大きくなった所で桃香はそこに馬乗りになる形で、その器官を自分の身体の中に入れてしまった。
 
こんなのいや!と叫びたい思いだったのだが、桃香はたくみに千里を組み敷いていて、千里自身が酔っていて力が出ないこともあり、桃香はそのまま思いを遂げてしまったのである。(桃香だけが逝って、千里は逝ってない)
 

桃香は自分自身が満足した所で身体を離し、今度は千里のその部分を手で握って刺激してくれた。千里は放心状態だった。
 
「なかなか逝かないな」
などと桃香は言っている。
 
千里は抗議した。
「こんなの酷いよぉ。嫌だって言ったのに」
 
「ごめん。自分を抑えきれなかった。でも千里のことは本当に好きだよ」
「それが困るんだけど。私、彼氏とは事実上婚約してるから。まだ結納こそ交わしてないけど」
 
「いや、せめてものお詫びにこれを逝かせてあげようと」
「私、たぶん恋人以外に刺激されても性的に興奮しないと思う」
「千里、ほんとに女の子の精神構造なんだ!」
 
桃香はそこから手を離し、千里の前で頭を畳に付けて謝った。
 
「悪かった。こんなことは2度としないから」
「じゃ、これ無かったことにしようよ。こんなことあったら、私、彼を裏切ったことになってしまうし」
 
「千里はレイプされたんだから責任ないと思うけど。だから裏切りにはならないよ」
「今のはレイプだったのか!」
「ごめーん!」
 
と言ってから桃香は言った。
 
「でもその提案には同意。今のは無かったことにしよう。私と千里はセックスしてない」
「うん。そういうことにしよう。でも私が桃香のアパートに寝ていたら、桃香、欲情しちゃう?」
「いや、私は女の子にしか興味無いはずだったんだけど」
「私もそうだと思って安心していたのに」
 
「確かに千里男の子だったなあ」
「だったら、もうこんなことすることないよね?」
「うん。男の子の千里を襲うことはない」
 
「なんか引っかかる言い方だなあ。でも、それじゃ、お互い今のは忘れるということで、私も桃香を許す」
「うん。ごめんね」
 
と言って桃香は千里にキスしようとしたので
 
「ちょっとぉ!キスも禁止」
「ごめーん。つい癖で」
 
桃香は恋人と喧嘩した後で仲直りしたら、いつも「仲直りのキス」をしていたらしい。その癖がつい出たという桃香の弁明を千里は受け入れた。
 
「でもほんとに危ない奴だ。レイプ魔はおちんちん切り落とすのがいいんだけどな」
「実はちんちんを取られちゃって」
 
藍子が別れ際に「思い出にしたいから桃香のおちんちんちょうだい」と言って持ち去ったので、今日の桃香にはおちんちんが無かったのである。
 
そういう訳でこの夜のことはお互い無かったことにすることにしたのだが、この事件は、実は千里が男の子の機能を使用した生涯唯一の出来事となった。
 

『でも私、いつの間に男の子の身体になっていたんだろう?』
と千里は半ば独り言のように言ったのだが
 
『千里、11日の朝から男の子になってた』
と《いんちゃん》が言う。
 
『うっそー!?』
 
『それにも気付かないくらい酔ってたのか』
と呆れたように《こうちゃん》が言う。
 
『いやーん。どうしよう?明日から合宿なのに』
『水をたっぷり飲んでサウナに行って』
 
『そうするかなあ。でも待って。サウナに行くって・・・』
『その身体だと男湯に入る必要がある』
『それ絶対嫌!』
 
『まあ胸はあるから、タックすれば女湯にも入れないことはない』
『バレたら警察行きだけどな』
『バレないことを祈ろう』
 

千里はたっぷりのお茶を飲み、トイレにも行ってからまた寝た。桃香はその千里の寝姿にドキドキしてしまったものの、さすがに今日は我慢して、ひとりで寝た。
 
翌朝、桃香は千里の
「朝御飯だよー」
という明るい声で起こされる。
 
「ブリの照り焼き作ったよ」
「ありがとう」
と言って、テーブルに就く。千里・・・・怒ってないかな?と思うものの、その件を言うのはやぶ蛇になりそうなので触れないことにする。
 
炊きたて御飯にブリの照り焼きは本当に美味しい。元々美味しいブリを使っている上に、千里の焼き方が凄くうまい。
 
「しかし・・・・」
と桃香は言う。
「どうかした?」
「毎日ブリの照り焼きを食べていると、美味しいんだけど、さすがに飽きてくる気もする」
「取り敢えずもう少し減るまでは食べ続けないと、他の食材が冷蔵庫に入らないし」
「そうなんだよなあ」
「半分以下に減らないと、私は自分の冷蔵庫を持ち帰れない」
 
桃香は言ってみた。
 
「それだけど、冷凍室が空いてもずっと冷蔵庫ここに置いておかない?」
「それでは私が生活に困る」
「だから、千里ここに引っ越しておいでよ」
「レイプ魔のアパートに引っ越して来たら、私何されるやら」
「ごめーん。絶対あんなことはしないからさ」
 
千里は少し考えて言った。
 
「でも私、彼氏居るんだけど、ルームシェアだと彼氏連れ込むのに困るんだよね」
「それは私も恋人を連れ込んだ時にはDo not Disturbの札を出しているから、千里も彼氏と一緒に居る時はあれを出しておけばいい。そしたらみんな遠慮するよ。私もどこか適当な所に泊まるし」
 
泊めてくれるガールフレンドがきっと何人も居るんだろうなと思う。
 
「それって現在進行中ってのをわざわざ表示する訳だ?」
「あははは」
「でも私どっちみち、明日から月末まで居ないし」
「へ?何で?」
 
あれ?桃香にはバスケの合宿という話はしてなかったっけ?と訝るが、まあいいやと思う。
 
「フランスに行ってこないといけないのよね。28日に帰ってくる予定。引越の件はその後考えるよ」
「お仕事か何か?分かった。でもフランスか?いいなあ」
「少なくとも観光する時間は無いと思う」
「お仕事なら仕方ないか。フランスのどのあたりに行くの?」
「南仏なんだよね。トゥールーズとかマルセイユとか」
「何か美味しそうなワインとかシャンパンとか見たら、お土産に買ってきてよ」
「まあそのくらいはいいよ」
 

千里はやはりサウナが効くかなと考え、市郊外にあるスーパー銭湯まで行った。今男の身体になっていることは忘れることにして! ふつうに受付で赤い鍵をもらい、女性用脱衣室に入って裸になる。
 
むろんちゃっとタックしているので、見た目には女の股間にしか見えない。
 
『まあお股に少々変なものが付いてても気にしなければいいよね』
などと心の中で思いながら、普通に浴室に入り、身体を洗って湯船に浸かった。
 
ああ・・・これは効くなと思う。少し入ってからサウナ室に入り、高温に身体をさらす。午前中なので、浴室にも数人しか居なかったし、サウナにも全然人がいなかった。
 
結局2時間くらい入ってからあがる。
 
『別に男の身体でも自分が女だと思っていれば女湯に入っていいんだよね?』
などと勝手なことを考えていたら
『いや、それ絶対間違っている』
と《いんちゃん》から突っ込まれた。
 
『これ、いつ女の子に戻るの?』
『明日の朝までには戻るよ』
『だったらいいや。でもなんで2日も男の子の身体になってた訳?』
 
『この2日間は男の身体で過ごすことが絶対に必要な2日間だったらしい。私も理由は知らない』
と《いんちゃん》は言った。
 

でもだいぶアルコールが抜けた気がするなあと思い、通りがかりのドラッグストアでアルコール・チェッカーを買って、息を吹きかけてみた。
 
《−−−−》という表示である。
 
『これどうしたんだろ?』
『測定不能ってこと』
『なんで?』
『アルコール濃度が高すぎ』
 
うむむむむ。
 

千里はその足でそのまま総武線に乗って東京に出た。横田倫代が昨日入院した都内の病院に行く。
 
「こんにちは」
と言って入って行くと、倫代と両親が居る。
 
「検査はどうでした?」
「問題無いということです。15時から手術です」
「良かったね。頑張ってね」
「はい」
 

「そうだ、村山さん」
と倫代の母が言う。
 
「はい?」
 
「先日から村山さんのアパートに泊めて頂いていて、ふと本棚に月刊バスケットボールがたくさん置いてあるのを見て、つい読みふけってしまったのですが、あれもしよかったら、倫代が入院している間、お借りできませんか?」
と倫代の母。
 
「ああ。いいですよ。バックナンバー全部もってきてあげてください。結構暇つぶしになると思いますし」
「ありがとうございます。ではお借りしますね」
 

しばらく3人と話している内に医師が入って来て、色々お話があるようなので千里は席を外した。
 
20分ほどして医師が病室から出てくる。病室内をチラッと見ると、穏やかな雰囲気なので特に問題は無いのであろう。
 
それで室内に入ろうとした所で、医師から声を掛けられる。
 
「あれ?君ももしかしてMTF?」
「あ、はいそうですが」
「ちょっと話さない?」
「はい・・・」
 
それで千里は医師と一緒に診察室に入った。
 
「君、プレオペ(手術前)だよね?」
「そうですね。今日はそうかな?」
「今日はって、日によって違うの?」
「うーん。。。どうなんでしょう?」
「手術の予定とかは入れてる?」
「来年くらいに手術したいなあ・・・と思っているのですが」
「GIDの診断書は取ってる?」
「あ、いえ」
 
「じゃ、診察してあげるよ」
「はあ」
 
それで千里は採血、採尿された上で、血圧とか脈とかも測られる。更に心理テストのようなものまでやらされ「自分歴」も書かされた。あまり矛盾が起きないように、非常識にならないように、書いておく。小さい頃からよくおちんちんを取り外してもらっていたとか、小学4年生の時に卵巣を移植されたとかは書けない!また説明が面倒なので高校時代は最初から女子制服で通学していたことにした。
 
そして1時間後にまた診察室に入った。
 
「お酒飲んでます?」
「すみませーん」
 
まあ血液検査でアルコール分が高く出たんだろうなと思う。
 
「あんた未成年でしょ。ダメだよ」
「ごめんなさい」
「それは置いといて、診ましょうか」
 
性器などの状態を確認された。
 
「毛を剃っているのはなぜ?」
「タックするためです」
「なるほどね。これ立つことあります?」
「いえ。一度も立ったことはありません」
 
医師が性器に触っているのに全く反応しないので尋ねたのだろう。
 
「バストはかなり発達していますね。女性ホルモンはいつ頃から?」
「小学4年生頃から飲んでますが」
 
正確には飲んでた訳じゃないけどね〜と思う。女性ホルモンは体内にある卵巣が勝手に放出していただけで。
 
「ああ。自分史にも書かれていますね。どうもこれ男性機能は既に死んでいるようですね」
「そうでしょうね。そもそも射精もしたことないですから」
「夢精も経験無い?」
「無いです」
「睾丸内から細胞取っていい?」
「痛そうですけどいいですよ」
「うん。痛い」
 
と言って医師は千里の睾丸に針を刺して細胞を採取した。顕微鏡で見ている。
 
「精子も精原細胞も全くありませんね。完全に死んでいます」
「まあそうでしょうね」
 
そこに精子が存在したら驚きである。でもそのあたりも医者には話せない。
 
医師は色々書類を見ている。
 
「心理学的なテストを見ても、書いてもらった自分歴を見ても間違い無くあなたは性同一性障害です。診断書書きますね」
「よろしくお願いします」
 
と言いつつ、何だか物凄く無駄なことをしている気がした。
 
「手術はどこで受ける予定ですか?」
「タイで受けるつもりです」
「でしたら英語で書いておきましょう」
「はい、よろしくお願いします」
 
と言うと、医師は診断書を書き始める。
 
「まだ1枚も診断書もらってなかった?」
「はい」
「だったら、どこか別の医師にも再度診断受けて、診断書書いてもらって。あなたならすぐ出るはずですよ。診断書が2枚無いと手術してもらえないからね」
「そのようですね」
 
それで千里は医師から診断書を受け取ると、受付で診察料と診断書代を払った。
 
《いんちゃん》がくすくすと笑っている。
 
『もしかして、このために私、男の子の身体に戻ってないといけなかったの?』
『そうみたい。千里、近い内に、もう一度どこかで似たような体験をすることになるよ』
 
『うーん・・・・』
 

千里はアルコール問題を何とかしなければと思った。
 
『ねえ、びゃくちゃん、私の体内のアルコール抜けない?このまま合宿所に入ったら謹慎くらいそう』
『仕方ないなあ。今回だけだからね。もう少しお酒は自重しなさい』
『ごめん』
 
それで《びゃくちゃん》が身体からアルコールを抜いてくれた。感覚がいきなり変わるのを感じる。
 
『すごーい。これがシラフか』
『感覚の感度が違うでしょ?』
『そうそう。まさにそれ!』
 

千里はまた病室に戻り、倫代やご両親と色々お話しした。やがて14:30くらいになり女性看護師さんが入って来て、服を脱がせ、手術着に着換えさせた。むろん千里は病室の外に出ている。
 
14:40くらいにストレッチャーに乗せられて手術室に連れて行かれる。14:50 手術室の中に入る。15:00手術中のランプが点く。直前に再度医師が本人に「性転換手術していいですね?」という確認をしたはずである。
 
千里は合宿所に入らなければならないので、両親に挨拶し、何か緊急事態などがあったら呼び出してくれと言って、北区の合宿所に向かった。
 

取り敢えず電車で移動し、合宿・海外遠征の道具や着換えなどが入っている荷物はインプに積んでいるので、《こうちゃん》に持って来てもらう。赤羽駅で合流し、車を運転して合宿所に入った。
 
車を駐めてから受付を通り、食堂に行くと、結構な人数が居る。
 
「プリン、今日は遅刻しなかったね!」
と千里は高梁王子の顔を見て言った。
 
「ピクとジュンに誘われて、バッシュ見に行ってたんですよ。その後こちらに入ったから」
と王子は言っている。
 
「もっともスポーツ用品店に行くのに待ち合わせていたのには1時間遅刻してきたが」
と渡辺純子。
 
「ごめーん!」
 
どうも遅刻魔の王子が叱られないようにするため、先に集まる用事を作り、その後一緒に合宿所に入るようにしたのだろう。純子と絵津子の親切心だ。
 

他に彰恵と玲央美が来ているので、夕食をトレイにもらってきてからふたりと同じテーブルに就いた。
 
「成人式どうだった?」
と千里が訊くと
 
「いやあ、恥ずかしかった」
と彰恵は言っている。
 
「TS市の成人式にだけ出るつもりだったんだけど、地元の成人式にも出てくれと言われて、9日そちらに出て10日にTS市で出たんだけどね」
 
「あ、私もそのパターン」
と千里が言うと
「私もそれ。じゃ3人とも似たようなパターンか」
と玲央美が言う。
 
「成人式の途中で『頑張っている新成人』ってコーナーがあって、そこで表彰状もらって、その後、新成人の言葉も朗読して」
 
「新成人の言葉は私もやった」
と千里。
「右に同じ」
と玲央美。
 
「じゃ、みんなそのパターンか!」
 
「私はその後、新成人への記念の品の目録を受け取った。ついでにボール渡されてシュートもした」
と千里。
 
「決めた?」
「もちろん」
「さすがさすが」
「でもそれ外したらどうしたんだろう?」
「それは愛嬌だな」
 
「私なんかいつの間にか編集されている私のプレイシーンのビデオが流された」
と玲央美。
「きゃー。そんなんじゃなくて良かった」
と千里。
 
「ふたりともなかなかハードだな。私はその後出てきたバンドの人と一緒に『3月9日』を歌う羽目になった」
と彰恵。
 
「彰恵の歌って聴いたことない」
「あまり聴かないで〜」
「実は私は吹奏楽部と一緒にフルート吹く羽目になった」
と千里。
 
「みんな色々余興にも駆り出されたんだ!」
と玲央美が驚いている。
「玲央美は何かやらされた?」
「ソーラン節をステージ上で踊っただけ」
「振袖でやらされるのは辛いな」
 

合宿は明日からなのだが、このチームの常で前日20:00から打合せがある。王子の顔があったので、篠原監督が
 
「おお、高梁君が来ている。偉い偉い」
と褒めたら、王子は照れていた。
 
基本的にスケジュールの確認、所持品の確認、ドーピングコントロールに関する注意などがある。例によってパスポートが回収されて、スタッフで預かることになる。今回はパスポートを忘れてきている子は居なかった。
 
そのあと、休憩なのだが、みんな自主的に練習を始める。このチームは本当に練習好きの子が多い。高田コーチが付いていてくれた。
 
23時頃になって部屋に帰ったが、倫代のお母さんから「手術は無事成功しました。私たちに新しい娘ができました」というメールが来ていた。千里は「お嬢さんの誕生、おめでとうございます」と返信しておいた。
 

13-14日の2日間は各々の役割を確認するような感じの練習を行った。今回はシューティングガードが千里ひとりなので、千里が下がっている時のフォーメーションも何通りか確認していた。
 
15日朝食を取ってからバスで成田に移動する。出国手続きをして11:05のJL405 B777-300に搭乗する。機内で千里や玲央美たちは寝ていたのだが、王子・純子・絵津子の3人は元気いっぱいでおやつを食べながらおしゃべりしていたようである。この3人をセットにしたのはかなり良かったかもという気がした。
 
出発したのと同じ日1月15日の15:50にパリのシャルルドゴール空港に到着。その後、入国手続きをしてから国内便でトゥールーズ(Toulouse)に向かった。
 
1/15 NRT 1105(JL405 B773)1550 CDG 1815(AF7788 A320)1935TLS
 
なお、フランスは今の時期は日本との時差は8時間である。夏時間は3月下旬から始まる。成田からパリまでの飛行時間は 15:50+8:00-11:05=12:45.
 
「このトゥールーズって、画家のロートレックと何か関係あるんですかね?」
と渡辺純子が訊いたが、彰恵が知っていた。
 
「このトゥールーズの伯爵家の子孫だよ」
「へー!」
 
「日本ではロートレックと言っているけど、正しくはアンリ・マリ・レモン・ドゥ・トールーズ=ロートレック=モンファ(Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa)。苗字はトールーズ=ロートレック=モンファだからそれをロートレックと略すのは三田村さんを田さんと呼ぶようなもので、変なんだけどね」
 
「ああ、そういう指摘はよくある」
 
「でも実際にこの苗字の起源としては、トゥールーズ伯爵(Comtes de Toulouse), ロートレック子爵(Vicomte de Lautrec), モンファ子爵(Vicomte de Montfa) の子孫ということなんだよね。アンリは若死にしたから継いでないけどお父さんも実際に伯爵だった。アンリが生まれたのはトゥールーズからも近いアルビ(Albi)という所」
 
「いい所のお坊ちゃまだったのか・・・」
 
「最初はかなり溺愛されて育っているみたい。ところが両親が不仲になって生まれ故郷から離れてパリで母親と暮らすようになり、後に父親の所に戻ったものの、今度は父親から嫌われて育っていて、ある時期から一転して辛い少年時代を送ったみたいね」
 
「それが絵を描く原動力になったのかもしれんね」
と江美子が言った。
 
「やはり芸術家になるような人って、何か人生に問題を抱えていることが多いもんなあ」
「うん。幸せで満ち足りた生活からは、何も生まれないよ。ごく少数の例外を除いては」
 

トゥールーズに到着したのはフランス時刻(中央欧州時刻CET)で19:35だが、日本と8時間の時差があるので、日本時刻では1/16 3:35である。多くの選手は長旅の疲労もあり「夕食パス」と言って、ホテルの部屋に入り寝たが、王子・純子・絵津子の3人はお腹が空いたと言って、協会スタッフの掛川さんと一緒にホテルのレストランに入り、元気に夕食を取った上で、夜食のおやつまで調達に買い物に出たらしい。どうもこの3人には時差ボケというものが存在しないようである。
 
16日(日)。
 
ホテルのレストランで朝食を取る。
 
が、フランスは基本的に“コンチネンタル・ブレックファスト”である。パンとカフェオレに、せいぜいフルーツが付く程度。
 
しかしこれでは足りないと騒ぐ子たちがいる。
 
足りないなどと言っているので、お店の人たちがその子たちの席にクロワッサンを追加してくれた。
 
彼女らは朝からお肉が食べたいようだが、それはこの地では無理というものである。外資系のホテルだと、アメリカンな朝食が選べる所もあるのだが、結局、高田コーチが「後で何か買いに出よう」と言ってなだめていた。
 

このトゥールーズでの練習は、19日までの4日間で、市内の高校の体育館を借りている。
 
この日は移動の後なので、体調を整える程度の軽い練習にしたのだが、王子たち3人は最初からかなりハードな練習をしていた。それに結局は千里・玲央美・江美子の3人も加わり、21歳学年と19歳学年とで3on3を濃厚にやった。
 
王子たちは練習に夢中になって、何か買ってきて食べるというのを結局忘れていたようだが、お昼に入ったレストランでブイヤベースがメニューにあるのを見つけると3人で7人前注文して、楽しそうに食べていた。
 
17日は体育館を借りている高校の女子バスケ部の人たちが練習相手を務めてくれた。しかしいくらフランス人といっても、高校生ではとても練習相手にならない。それで向こうの人達が激論していたようだが、午後からは同系列の大学の女子バスケ部の人たちが出てきて練習相手になってくれた。それでも練習試合をして、ダブルスコアでこちらが勝ってしまう。
 
そしたら18日にはなんと地元のプロバスケットリーグのユースチームの人たちが出てきて、練習相手になってくれた。この相手はかなり手応えがあった。なんといってもフィジカルの強い選手が多く、彰恵や朋美など軽量の選手は吹き飛ばされてしまう。
 
しかし体重差があっても千里や江美子はびくともしないし、王子などはむしろ相手選手をけちらしてゴールを決める。この日はかなり充実した練習になったのだが、最後に紅白戦をしたら20点差でこちらが勝った。
 
そしたら19日にはとうとう、そのプロ球団のトップチームが出てきた!フランスの女子プロバスケットボールリーグLFBに所属するチームである。
 
順位としては下位に低迷しているようだが、それでもプロはプロである。強い。強い。全てにわたって圧倒されるのだが、それでも負けるものかと対抗していっていたら、王子やサクラが相手選手と結構いい勝負をするし、千里や玲央美は遠距離からどんどんシュートを放り込むので、相手も苦戦していたようである。この日の午後に練習試合をしたら10点差で向こうが勝ったものの、相手選手たちは険しい表情をしていたし、相手側のファウルも多かった。
 

そういう訳でこの4日間は練習相手になってくれるチームが少しずつグレードアップしていくという面白い現象に遭遇することとなった。
 
ところで千里は18日に生理が来ていた。高校2年の時以来、ずっと処置をしているので、今更気にならないものの、千里が生理用品(日本から持って来ていた)を持ってトイレに入っていくのを見て同室の玲央美があらためて
 
「結局千里になぜ生理があるのかがよく分からん」
などと言っている。
 
「なぜって、女の子はみんな生理あるんじゃないの?」
「確かに女の子ならそうなんだけどね」
 
なお、千里は合宿中は激しい運動をするのでタンポンを使用している。特に初日は量が多いので、タンポンをした上にナプキンもしてガードルで押さえていた。他の子もだいたいタンポン派が多いようである。
 

20日は朝御飯を食べた後ホテルをチェックアウトし、トゥールーズ・マタビオ(Toulouse-Matabiau)駅からインターシティ(都市間特急列車:新幹線に相当するTGVのひとつ下のランク)に乗り4時間揺られてマルセイユのサン・シャルル(Marseille-St-Charles)駅に到着した。更にここでローカル線に乗り換えて30分ほどでエクソン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)という町まで行く。ここが今回の遠征の後半の合宿地である。
 
昔のプロヴァンス伯爵領の州都であり、画家のポール・セザンヌ、デザイナーのエマニュエル・ウンガロの出身地でもある。
 
練習場としては、またここの高校の体育館を借りられることになっており、到着した日は旅の疲れを癒やすように調整的な練習をした。
 

そして21-23(金土日)は、マルセイユ市内の体育館で日本、フランス、リトアニア、ポーランド4ヶ国のユースチームのリーグ戦が行われることになっていた。フランスの食品メーカーがスポンサーになり、有料入場者も入れた興行としておこなわれる試合である。
 
なお、今回リトアニアとポーランドはU21世界選手権への出場を逃している。昨年のU20ヨーロッパ選手権で、リトアニアは6位、ポーランドは9位であった。世界選手権に進出できるのは5位までだった。フランスは4位で世界選手権に出てくるのだが、日本とは別の予選リーグの組に入っている。そしてフランスとしては「多分日本は予選リーグ落ちするだろう」からフランスとの対戦はあるまいと考えていたふしがある。
 
各チームの構成だが、フランスはU21代表のボーダー組で構成したようであった。おそらくは代表選考の参考試合にするつもりだろう。U19世界選手権の時に見た選手も数人入っている。そしてポーランド・リトアニアはどうもユニバーシアード(8.13-22 中国深圳Shenzhen)の代表チームで出てきているようであった。なお日本のユニバーシアード・チームは3月に代表が発表され、その後強化合宿が行われる予定である。今年もU24とU24(Univ)の2チーム体制で強化は行われることになっている。
 

試合日程はこのようになっていた。
 
1/21 18:00 LTU-POL 20:00 FRA-JPN 1/22 16:00 POL-JPN 18:00 FRA-LTU 1/23 16:00 LTU-JPN 18:00 FRA-POL
 
金曜日だけ18時から、土日は16時からの試合開始時刻である。それでこの3日間、日本チームはこのようなスケジュールで行動することになった。
 
1/21 午前中練習 13:00-16:00仮眠 17:00開会式 17:30 軽食 20:00-21:30 試合
1/22-23 6:00-8:00練習 9:00-13:00仮眠 13:30軽食 16:00-17:30試合 18:00夕食 19:00-22:00練習
(23日は20時から表彰式・閉会式がある)
 
なお、試合前は疲れない程度の軽い練習をする。
 

21日のフランス戦で、篠原監督は王子・純子・絵津子の3人を使わない方針を示した。向こうは「本番での対戦は無いだろう」と考えているかも知れないが、むしろこちらは準決勝あたりで激突する可能性があると見ている。そうなると向こうが直接知らない戦力はあまり見せたくないところである。
 
しかしこの3人が出ていないと、やはり日本は押され気味になる。千里や玲央美が頑張っても、向こうは基礎的な体力からして違う。背丈も違う。男子と試合をしているのに近い感覚である。
 
そういう訳でフランス戦は72-54で負けた。
 

22日のポーランド戦。
 
この日は王子たち3人も出すが、
「8割くらいの感じで試合をしろ」
と全員に指示を出した。
 
ポーランドチームは背が高くて体格の良い選手が多く、ややラフなプレイが目立った。日本の160cm台の選手は向こうからすると子供とゲームをしているようで、かえってやりにくいようである。ゴール前の乱戦で「邪魔」になるもので、つい手で払うようにしてファウルを取られるケースもあった。
 
全体的には彰恵や江美子などがみんなに声を掛け、怪我に結びつきやすい緩慢なプレイをしないように注意しながらゲームを進めた。
 
試合は76-84で日本が勝った。
 
23日のリトアニア戦も似たような感じの試合になったが、リトアニアは充分強いチーム(FIBAランキングでリトアニアは17位・日本は15位)なので、「9割くらい真剣」なイメージでプレイした。途中まではかなり競ったのだが、最終ピリオドで、少しだけ本気を出して突き放す。
 
それで72-76で日本が勝った。
 
それで結局この大会ではフランスが3戦3勝で優勝、日本は2勝1敗で準優勝となり、表彰状と2位の盾のほか、スポンサーの食品会社からたくさんのアイスクリームをもらって、みんな喜んで食べていた。3位はリトアニアであった。
 

「まあ今回の大会で分かったことは1つ」
と表彰式が終わってから練習場に戻る途中で玲央美は言った。
 
「王子たち3人抜きでは私たちは世界水準には全く手が届かない」
 
「正直昨年のU20アジア選手権でも、中国に勝てたのは偶然と幸運が半分だったと思う。あの戦力は辛かったよ」
と千里も言う。
 
「ところで世界選手権は何位くらいまで行けると思う?」
「レオはどう思う?」
「じゃ紙に書いて見せ合いっこ」
「OK」
 
それで2人が書いて見せ合った数値は一致していた。
 
「まあそうなるといいね」
「本当はこの1つ上を狙いたいね」
「まあさすがにそこまではまだ無理だろうね」
 

24-26日の3日間はエクソン・プロヴァンスで合宿を続ける。ここで地元の女子大生チームが練習相手になってくれることになっていたのだが、ここに先日のリーグ戦で対戦したリトアニアチーム(ほぼユニバーシアード代表候補)から、非公開の練習試合がしたいという申し出があった。それで両チーム代表で協議し、日本のバスケ協会の強化部とも連絡を取った結果、24-26日の3日間、毎日非公開の練習試合をすることで同意した。撮影も禁止とする。
 
この練習試合は毎日午前9時から行うことになったので、日本チームは朝食前に基礎練習を行い、朝食後に軽くウォーミングアップ程度の練習をしてからリトアニアとの試合に臨んだ。
 
U19世界選手権で対戦したジェーマンタウスカイテ、ランカイテ、シェイトらの顔も見える。そのU19で日本と対戦した選手がいるからだろう。この練習試合では、千里や玲央美、王子などの中核選手に対する「対策」を試してきた。そして、日本はリトアニアが「非公開試合」を提案した理由(わけ)が分かった。
 
やはり、リトアニアも先のリーグ戦では本気では無かったのである。
 
日本もU21世界選手権の前に手の内を全部は見せたくなかったが、リトアニアもやはりユニバーシアードを控えている時期に戦力を全部オープンにするのは避けたかったのだろう。
 
24日の試合はお互いにマジ100%の試合となり、最終的には68-70で日本が勝ったものの、かなり死力を尽くした試合になった。
 

練習試合が終わった後は少し休憩してから昼食に行く。そして午後から、現地女子大生チームとの合同練習となる。
 
「でもジュンたちも、これだけ滞在すると、フランスの軽い朝御飯にも慣れてきたでしょ?」
 
「はい。朝御飯でお肉を食べるには、前日の内にウィンナーとかコンフィとかを確保してホテルの部屋の冷蔵庫に入れておき、それを持ち込んで食べるしかないということが分かりました」
 
「なるほどねー」
 
フランスのカフェとかレストランは割と持ち込みOKの所が多い。パン屋さんで焼きたてのパンを買ってからカフェに入り、カフェオレを注文して買ってきたパンをそのカフェオレを飲みながら食べるというのは、フランスでは割と一般的な外食の仕方である。早苗とか百合絵が「ホテルのパンは作り置きで美味しくない」と言って、早朝からパン屋さんに出かけて行って焼きたてのパンを買ってきて食べたりしていた。
 
なお、コンフィというのはアヒルやガチョウの肉を低温の動物性の油で長時間加熱した上で、そのまま冷まし、固まった油脂の中に埋もれさせることで保存性を高めたもので、南フランスではとても一般的な食材である。再加熱を繰り返すことで数ヶ月保存を続けることもできる。
 
特に今回の合宿の前半の地であるトゥールーズ付近がコンフィの本場であった。
 

女子大生チームとの合同練習は、実力的にはこちらが上回るものの、向こうがかなり必死で対抗してくるので特に向こうの中核選手はこちらの選手たちと随分良い勝負をした。
 
フランス語が分かるのは千里、玲央美、彰恵などごく一部の選手ではあるが、王子などは言葉が通じなくても、視線と身振りで相手選手と会話している感じであった。
 
例によって王子は「やはりあの人、男の子だったのを手術して女の子になったんですか?」などと訊かれていた、が本人はそんなこと言われているとは気付いていない(もっとも気付いても今更なので全く気にしない)。
 
「このチームの練習ってU18の時からそうだったからあまり気にしてなかったけど、去年フル代表の活動にも入って分かった。練習相手が必ず確保されているって凄いよね」
と千里は休憩時間に言った。
 
「高田コーチの人脈がハンパ無いみたいね。高田さん、若い頃アメリカの大学に留学していて、短期間だけどCBAにも入っていたし、そこに集まってきていた世界各国の選手達と交流しているし。あとは、どうも藍川真璃子さんも1枚噛んでいるっぽい」
と玲央美。
 
「ほほぉ!」
 
「高田さんと藍川さんはU19世界選手権前の“鬼ごっこ”の時以来、ずっと交流を持っているみたいで。藍川さんがまた世界中の女子バスケット界に通じているんだよ」
と玲央美。
 
「藍川さんは、あれ思うけど、日本より海外での評価が高いみたい」
と彰恵。
 
「うん。台湾のナショナルチームを指導していた時期もあったからね」
「その前に、ギリシャのプロチームの指導をしていた時期もある」
「ただ、ここ10年くらいはずっと国内にいるみたいね」
「やはり若い内はあちこち飛び出して行くけど、ある程度の年齢になると、日本に居たいのかもね」
 
「それであちこちの高校のコーチに入ったりして、倉敷K高校でのトラブルを機に自分のチームを作る気になったんだと思う」
 
千里は、藍川さんがあまり外国に行かなくなったのは、“死んでしまった”からだろうなと思った。幽霊になってしまい、いつ消滅するか知れないという状態で、何とかして自分の“遺伝子”を国内に残したいのだろう。
 
藍川さんは「あと10年この世に留まることができたら、母賀ローザか伊藤寿恵子あたりに後事を託せるのだけど、自分にどのくらい時間が残されているかは分からない」などとも千里に言っていた。藍川さんは万一の時にために公正証書の遺言書を残しているらしいが、その内容は分からない。ただ藍川さんは肉体が既に消滅しているのであらためて「遺体を残して」死ぬことができない。突然消滅してしまった場合の、遺書の取り扱いはどうなるか不明だ。
 

リトアニアとの練習試合は25日はリトアニアの勝ち、26日は日本の勝ちだった。お互いにかなり充実した練習試合となった。今U21にいる子の幾人かはU24(Univ)に加えられるだろうから、深圳(シェンチェン)で再会することになるだろう。
 
26日のお昼は、日本チームとリトアニアチーム合同の食事会をして交流を深めた。またずっと練習相手になってくれた女子大生チームとも26日夕方、日本側が彼女たちを招待する形での食事会をして、交歓をした。
 

「アキちゃん」
という常連のおばちゃんの声に厨房に居た亜記宏はギクッとした。
 
「何ですか?赤岩さん」
「あのね。昨日稚内に行ったら、ユアーズでワゴンセールやっててさ、可愛い服があったから、アキちゃんに似合うんじゃないかと思って買ってきちゃった」
 
と言って見せるのはとっても可愛い、女子大生でも着るのではという感じのマリンルックのワンピースである。
 
「それ誰が着るんですか〜?」
「もちろんアキちゃんよ」
「勘弁してください。それ20年前なら着れたかも知れないけど、38にもなってこんな可愛い服着れませんよ」
と亜記宏は抵抗する。
 
「あら、そんなこと無いわよ。アキちゃん、見た目はまだ20代に見えるもん。充分行けるって」
「だいたい、僕女物の服を着る趣味は無いんですけど」
 
「アキちゃん、もっと自分に正直になった方がいいよ」
と赤岩さんは楽しそうに言った。
 

フランス遠征をしていた千里たちは、1月27日は午前中が束の間の自由時間(但し3名以上で行動)となり、マルセイユに移動して市内のスーパーやデパートなどでお土産などを買った。まだ高校生の王子たち3人以外は、ほとんどの子が20歳以上なので、その3人以外は初めてアルコール類の購入も解禁である。19歳の千里についても、高居代表は「自分で飲むのでなければOK」と言ってくれたので、貴司と雨宮先生・新島さんに持って行くシャンパン、桃香や実家に持って行くワインと買った。そのほかフランスのお菓子を色々買った。
 
マルセイユ・プロヴァンス空港に移動して、国内便でパリに移動する。そしてシャルルドゴール空港で出国手続きをし、日本行きの飛行機に搭乗した。
 
1/27 MRS 1330(AF7665 A319)1500 CDG 1805(JL406 B773) 1/28(Fri) 1405 NRT
 
日本に到着後はいったん北区のNTCに入り、そこで解散式をした。空港で解散してもいいのだが、ほとんどの子がNTCに私物を置いているので、いったんNTCまで行ったほうが好都合なのである。
 
解散後ロッカーから私物を取り、千里は玲央美を杉並区のマンションまで送ってから千葉市の自分のアパートに戻ろうとして、玲央美と2人で宿泊棟を出ようとしていた。そこに、見覚えのある男性2人が入ってくる所と遭遇する。
 
「村山君と佐藤君だよね?」
「はい。U24監督の東海さんと、U24(Univ)監督の須崎さん?」
「君たち、U21が終わったら、U24に佐藤君、U24(Univ)に村山君を召集するからよろしくね」
 
「はい。でも22-24歳の世代にもたくさん優秀な選手がいるのに」
「君たちについてはあまり負荷がかかりすぎないようにという上からのお達しがあったから、U21の日程が終わるまでは遠慮しているんだよ。U21世界選手権が終わったら、フル代表とU24とで頑張ってもらうから」
 
「フル代表もですか!?」
「君たち2人は当然召集されると思うよ。むろん高梁君もね」
 
東海さんと須崎さんは
「じゃ、よろしくね〜」
と言って、中に入っていった。
 
千里と玲央美は顔を見合わせた。
「今年も無茶苦茶忙しくなりそうね」
「千里、そのユニバが終わったら大学やめてWリーグに行ったら?千里を欲しがるチームはたくさんあるよ」
「その言葉はそのままレオにも返したい」
 

玲央美を杉並区のマンション前で降ろしてから、千葉に戻り、自分のアパート近くの月極駐車場に駐める。そして荷物を持ってアパートまで戻ったところで
 
・・・・唖然とした。
 
「何これ〜?」
と声を挙げる。
 
そこには瓦礫の山があったのである。
 
 
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【娘たちの危ない生活】(1)