【娘たちよ胴上げを目指せ】(4)

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日本がタイムを取る。
 
「やられたな」
と片平コーチが言った。
 
「日本が情報収集をするのが分かっていたから、動画サイトに龍さんのまだ未熟だった頃の映像ばかり上げていたんだよ。日程的にもアップロード者もうまく分散して、不自然さが無いように。そして彼女が上達した後の動画は絶対に出ないようにしていた」
 
「予選リーグでも、韓国戦でも、わざと下手なふりをしていたんですね」
「そうだと思う。呉さんは、実は釣り餌だったんだな。龍さんこそが本当の隠し球だった」
 
「今回は情報戦が凄まじい」
「まあこちらも、相手の誤解に乗じて引っかけたからな」
「それでふたり潰したんだから、けっこうこちらの戦果も大きいですよ」
 
「さ、気合い入れて行くぞ」
と高田コーチが言った。
 
「龍(ロン)君には、佐藤(玲央美)君、勝(シェン)君には、渡辺(純子)君が付いて。」
と篠原監督は指示した。
 
「はい!」
「はい!」
 

それで2人が彰恵・百合絵と交替して出て行く。F女子高組からP高校組に交替である!
 
彰恵が悔しそうな顔をし、百合絵が「ごめーん」と言っていたが、片平コーチは「突然あれを見せられたら、誰でもやられるよ。後でまた入れることになるかも知れないし、ベンチから対策を考えていて」と言った。
 
「はい!」
「はい!」
 

玲央美は龍さんの《イリュージョン》が、物凄い加速度の緩慢切り替えであることをベンチで見ていて認識していた。それで相手の最高速度の感覚に合わせてガードする。
 
それでこの後は龍さんを完全フリーにはしなかった。
 
それでも玲央美は3回に1回は龍さんに抜かれた。いくら原理が分かっても、何の練習もせずに、こういう選手とマッチアップするのは、さすがの玲央美でもかなりきつい。
 
しかしとにかくも彼女の得点能力を半分程度に落とした。純子は第1ピリオドでも勝さんとやっているので、このピリオド“若干ブーストした”勝さんも6〜7割は停めた。
 
結局中国の得点力自体が半分ほどに落ち、一方こちらは玲央美と千里がどちらがスリーを撃つか読ませないようにして相手の守備を中途半端にさせる。すると2人に気を取られている間に、純子がまんまと進入して近くからシュートを決めたりするので、徐々に盛り返していく。
 
純子は調子よくシュートを決めていたが、1度は純子のシュートがリングとボードの間に挟まってしまった。これはヘルドボールと同様で、ジャンプボール・シチュエーション(*1)になる。このピリオドでは中国のスローインで始まっていたので、日本ボールになる。玲央美のスローインから純子が再度シュート。今度は決めて得点をあげた。
 

(*1)どちらにボールの所有権があるか不明になった場合“ジャンプボール・シチュエーション”と言って、昔はジャンプボールをしていたのだが、それでは背の高い選手の居るチームが圧倒的に有利で不公平になるので、現在(2003年以降)テーブル・オフィシャル席の所に置かれた、あるいは得点掲示板に組み込まれたオルタネイティング・ポゼッション・アローに従って、ボールの所有権を決定することになっている。
 
この矢印は「次の攻撃権を得るチーム」を指している。最初は試合冒頭のティップオフに負けたチームを指していて、次の場合に切り替わる。
 
・第2ピリオド以降のゲーム再開時
・両チームの選手がどちらもしっかりとボールを掴み両者譲らない場合。
・両チームの選手が同時にボールに触った後、アウトオブバウンズになった場合。
・ボールがリングにはさまった場合(フリースローの途中の場合を除く)。
・最後のフリースローが失敗した後など、どちらもボールを支配していない時に両チームの選手が同時に違反をおかした場合。
 
ボールの所有権が不明確になる事態が全く発生しなかった場合は、各ピリオド毎に両チーム交替でスローインの権利を得ることになる。
 

最後の2分になって、玲央美を下げて彰恵を入れる。彰恵はさっき親友の百合絵がやられた分、自分がやり返してやると気合いを入れて出て行っている。玲央美と同様に彼女のハイスピードな動きに的を絞って守備するので、やはり結構な確率で龍さんを停める。
 
結局龍さんは最初の3分間に12点も入れたのに、残りの7分間では、6点しか入れることができなかった。その間に純子が12点、千里が6点、玲央美が4点、彰恵が4点入れている。
 
それでこのピリオドは36-26で、点差を10点に抑えることができた。
 
ここまでの合計は66-71、日本が5点のリードである。
 

最終第4ピリオド。
 
中国は劉(201cm) 黄(198cm) 王(196cm) 陳(193cm) 田(197cm)と190cm以上の選手を5人入れて来た。田さんは“王子対策”で中国が強引に入れ替えてきた選手のひとりだ。
 
千里はこのメンツを見て「昔の江美子の所のチームの拡大版だ」と言った。当時の愛媛Q女子高にはPG.海島(182cm) SG.菱川(180cm) SF.今江(181cm) C.大取(186cm)と180cm代の選手が4人居て、これを鞠原江美子(166cm)がコントロールしていたのである。
 
「いや、ゆー(大取優雨)たちは180cm代だったけど、このメンツは全員190cm代でスケールが違う」
と江美子は言う。
 
つまり中国は小細工はやめて、パワーで日本を吹き飛ばそうという作戦で来たのである。
 
対する日本側は、朋美(159)/渚紗(166)/星乃(167)/江美子(166)/サクラ(180)というラインナップである。彰恵も玲央美も千里もさすがにさっきのピリオドで消耗したので少し休ませている。
 
しかしサクラ以外は相手と身長差が30cmくらいある。
 
「やはり身長差に対抗するにはお笑いですよ」
などと星乃が言うので、高田コーチは
 
「ではそのお笑いのパワーを見せてもらおう」
と言った。
 

第4ピリオドはオルタネイティング・ポゼッションが中国の番なので中国のスローインで試合は再開される。
 
この試合ではティップオフは中国が取り、第2ピリオドは日本のスローイン、第3ピリオドは中国のスローインとなるも、第3ピリオド途中でボールがリングにはさまって日本がスローインを得ている。それで今度は中国の番であった。
 
それで中国が攻めて来るが、確かにこの190cmパワーは物凄かった。日本側が手を広げて防御していても、それを完璧に黙殺して、日本から見ると天井でボールのやりとりがされる感じなのである。ブロックが全く利かない。
 
そして楽々とゴールを決められてしまう。
 
こちらが攻めて行っても、壁が目の前に立っている感じで、シュートがとてもできないし、パスしてもカットされそうである。結局朋美から渚紗へのパスを王さんがカットして、ターンオーバーとなる。
 
それで2分経って12-4(累計78-75)となり3点リードされた所で日本はタイムを取り、指示を与えた上で、早苗・渚紗・江美子を下げて、千里と玲央美に百合絵を投入した。そして星乃に司令塔役をさせることにする。
 

「ステラ、お笑いはどうした?」
と玲央美が星乃に声を掛ける。
 
「ごめーん。三題噺を思いつかない。黄と王と田で一題作りたいんだけど」
と星乃。
 
それって相手選手の名前じゃん!
 
「王様が田んぼで農作業していたら泥で汚れてスカートが黄色になった」
と千里は言った。
「むむむ。なんで王様がスカート穿いてる訳?」
 
「さあ。女の王様だったか、女装趣味だったか。あるいは幼くてまだスカートを卒業してなかったか。昔の西洋の男の子って、小さい頃はスカートを穿いていたんだよ。昔のズボンって着脱が物凄く難しくて、子供はスカートでないとトイレが間に合わなかったから」
 
「その話は聞いたことあるな」
などと言いつつ、星乃が悩んでいる。
 
「取り敢えずステラ、頑張れ」
と玲央美。
 
「うん。頑張る。頑張らないと、桂華に叱られるよ」
 
それで星乃は自分の頬を数回叩いて気合いを入れ直していた。
 

大柄な玲央美と百合絵が入ったことで、中国もここまでのようにフリーで突っ込んでくることはできなくなった。千里にしても大柄な選手とは嫌というほどやって、その対処の仕方を鍛えられている。
 
このピリオドでは特に千里(168)は王さん(196)とマッチアップした。玲央美(182)が黄さん(198)、サクラ(180)が劉さん(201)、星乃(167)が田さん(197)で、百合絵(175)が陳さん(193)である。
 
やはり千里と玲央美が入ったことで、相手の攻撃速度が落ちた。今までは身長のミスマッチを利用して攻め込まれていたのが、取り敢えず玲央美と千里の所では停まるようになる。
 
王さんは一度千里をパワーで排除して先に進もうとしたものの、身長差28cmもある千里に跳ね返されてしまった。
 
「不会巴(プーフイバ:信じらんなーい)!?」
などと言っている。この体格差でまさか跳ね返されるとは思ってもいなかったのだろう。
 
当然王さんのチャージングが取られて、日本ボールである。
 

取り敢えず、千里の所と玲央美の所は突破困難というのを中国が再認識すると向こうはやっと、スクリーンなどを仕掛けてきて、連携プレイにより得点を狙い出す。向こうは星乃の所と百合絵の所が穴だと判断したようで、田さんや陳さんを使って中に侵入しようとする。
 
ところが百合絵は先のピリオド、龍さんに無茶苦茶やられたので、リベンジに燃えていて、このピリオドは物凄く気合いが入っていた。それで身長差18cmの陳さんの攻撃を結構停めた。
 
星乃もどうも自分が狙われているとみると、田さんにボールが渡る前の段階でカットしようと、よく動き回った。この戦略は結構機能した。
 
田さんは無名ではあったが、そこそこ上手い選手であった。おそらくあまり強くないチームにいるために、大きな大会に出てきていなかったのではと千里は思った。陳さんの方はU18にもU19にも出ていた選手だ。
 
その2人に百合絵と星乃が気合いで対抗している。
 
試合は膠着状態に陥っていく。最初の2分間の得点が12-4だったのに、その後の5分で6-4である。このピリオドの合計は18-8で、累計では84-79で中国の5点リードになっている。
 
ここで日本は百合絵に代えて純子を投入する。ここまで百合絵は充分相手を停めたのでご苦労様という所であった。
 
篠原監督は純子に「ここから10点取って来い」と言って送り出した。
 

175cmの百合絵が193cmの陳さんに何とか対抗していたのだが、純子は陳さんを圧倒した。
 
日本はここから突破口をつかみ、純子の3連続得点で84-85と再逆転に成功する。しかし相手も田さんが星乃を頑張って振り切って2点入れて再逆転。更に黄さんがまさかのスリーを撃ち、さすがに外れたものの、劉さんがサクラとのリバウンド争いに勝って自らゴールにボールを放り込んで、88-85とする。しかしここで千里のスリーがきれいに決まって、88-88の同点となった。この後、王さんと純子が2点ずつ取って90-90。残りは30秒を切る。
 
中国が攻め上がってくる。
 
王さんがドリブルしながら全体を見回す。千里がその前に出てディフェンスしている。左右に細かく動き回るので王さんとしては、なかなかパスを出しにくい。
 
その時、王さんは田さんがフリーになっているように見えた。あれ?向こうの小さいフォワードさんはどこに行った?と一瞬思ったものの、その時はもうパスを出していた。
 
彼女がパスを出した瞬間、田さんの後ろに隠れていた!星乃が素早いステップで彼女の前に出ると、ボールを横取り(前取り?)キャッチした。
 
「アイ!?」
と言って田さんがボールを奪い返そうとするも、それより早く星乃は身体を前に投げ出すようにして彼女から逃れると、空中でボールを純子の5mほど前に向けて投げた。そこに一瞬早く走り出していた純子が駆け寄り、飛んできたボールをそのまま床に打ち付けてドリブルに変え、走って行く。陳さん、王さんが必死にそれを追いかける。千里も全力疾走する。
 
純子は結局ノンストップでゴールの所まで走って行き、美しくレイアップシュートを決めた。
 
90-92.
 
日本が2点のリード、残り8秒。
 
もうショットクロックは停止する。
 

中国はロングスローインから速攻しようとして、陳さんが思いっきり振りかぶったものの、そのロングスローインを、玲央美が“ブロック”してしまった。
 
転々と転がるボールに千里と王さんが同時に飛びつく。
 
両者譲らない。
 
笛が吹かれる。
ヘルドボールである。
 
みんながオルタネイティング・ポゼッション・アローを見る。
 
日本を指している。
 
王さんは天を仰いだ。
 

相手ゴール近くのサイドラインから千里がスローインする。受け取った玲央美の前で劉さんが必死に近接ガードするが、玲央美はバウンドパスでハイポストに居る千里に戻す。残りは2秒を切っている。千里はボールを受け取ると、軽やかなステップで王さんをかわし、美しくスリーを放った。
 
ボールが空中にある間に試合終了のブザーが鳴る。
 
千里のボールはゴールに吸い込まれる。
 
90-95.
 
試合終了!
 

千里は玲央美と、星乃が純子と抱き合った。サクラは無表情で立っていたが、星乃が純子に続いてサクラと抱き合うと、サクラも笑顔が出た。
 
両者整列する。
 
「95 to 90, Japan」
と審判が告げた。
 
両軍ともいったんベンチに戻り、ベンチに座っていた選手も一緒に相手ベンチに挨拶に行った。
 
そして胴上げが始まる。
 
篠原監督が5回も宙に舞う。その後、片平コーチが3回、高田コーチも3回、以下、キャプテンの朋美、副キャプテンの彰恵、更に玲央美、千里と3回ずつ胴上げされ、最後は純子まで胴上げされた。
 
純子は「10点取ってこい」と言われて残り3分に出てきたのだが、本当に10点取ってしまった。この試合合計で36点の大活躍である。試合前に武さんが韓国戦であげた30点を上回る32点取ると宣言していたが、それ以上に取ってしまった。純子は充分王子の穴を埋める活躍をした。
 

「千里、あれ最後は無理にシュートしなくてもボールをキープしておいても良かったのでは」
 
「うん。でも取れる時には点を取らないと、何があるか分からないし」
と千里が言うと、玲央美が苦笑していた。
 
千里は2年前のウィンターカップ決勝でボールを旭川N高校がキープしていれば勝てるという場面で、玲央美から「撃ちなよ」と言われた。実際あそこで千里が撃っていれば旭川N高校はウィンターカップを獲得していたであろう。しかし、千里は安全を見て撃たず、そのあとP高校のファウルからフリースローになって結局P高校ボールになる。そこでP高校は同点に追いつき延長戦になったのである。
 

「でも最後はステラが一矢報いたね」
と玲央美が明るく言う。
 
「ハーフタイムショー見てたからね。2人羽織作戦。中国人選手が大きいから簡単に後ろに隠れられる」
と星乃。
 
「人間の頭の大きさって24-5cmくらいだから、ちょうど身長差に納まっちゃうんだよね〜。だから後ろに立つと頭の先が相手の肩より下にある」
 
「次は4人後ろに隠れて五人羽織作戦で」
などと純子が言っている。
 
「それはさすがにバレる」
 
「ユニフォームの色の問題もあったと思う。中国の白いユニフォームの後ろに日本の黒いユニフォームだと、目立ちにくい」
と彰恵が指摘する。
 
「つまり中国がホームで、日本がビジター扱いだったから、うまく行ったのか」
「偶然が味方したね」
 
「偶然が味方したというと最後のヘルドボールもだけどね」
「あれで中国ボールだったら、中国はまだチャンスがあったからね」
 

少し置いて表彰式・閉会式が行われる。
 
水分などを補給しただけで、そのままロビーにスタンバイする。
 
アリーナでは伝統的な衣装を着けた少女たちによる小気味のいい舞踊が披露されている。パリさんによると、チェンナイの伝統舞踊でバラタナティアム(Bharatanatyam)というのだそうである。インド四大伝統舞踊のひとつだそうである。けっこう力強い、ある意味男性的な踊りだが、昔は神殿の奥で密かに女性によって踊られていたもので、公開される性質のものではなかったらしい。
 
彼女たちのパフォーマンスが終わると、選手の再入場となる。
 
Japan, China, Korea, Chinese Taipei という4つのプラカードを持った4人の女子高生が先導して、各国の選手12名、ヘッドコーチ、アシスタントコーチ、マネージャーなどが並んで入場する。
 
閉会式に協力してくれているのは、開会式の時のとは別の高校の女子高生たち(パリさんによるとやはりバスケット部員らしい)でサルワール・カミーズ(日本でいう所のパンジャビ・ドレス)を着ていた。南インドではサルワール・カミーズが制服になっている学校も結構ある。
 
中央に日本と中国、その左右に韓国と台湾という配置(つまり4位−1位−2位−3位)なので、結果的に中国と台湾、日本と韓国が並ぶ。中国選手団と台湾選手団は何だか親しそうに声を掛け合っていた。政治的な諸問題はあっても、スポーツは人と人の心を通わせてくれる。
 
フロアでは日本と韓国の間でも、韓国のハと日本の純子、韓国のユンと日本の玲央美が英語で少し言葉を交わしていた。
 

さて表彰式では、最初に個人成績が発表された。
 
「Scoring Leader Sato Japan, Three point Leader Murayama Japan, Rebound Leader Liu China, Assist Leader Hong Korea」
 
千里と玲央美が握手してから前に出て行く。中国の劉さんとも握手する。釣られて韓国のホン(洪)さんもこちらの3人と握手してくれた。
 
賞状と記念品のペンダントをもらった。ケース(大会スポンサーTataのブランド Titan のロゴが入っている)に収納されているので材質は分からないが、結構重い。もしかしたらチェーンが18金か?ペンダントは多数の小粒ダイヤでちりばめられたスター・ルビーである。スター・ルビーはインドの名産品だ。"Three Point Leader 2010 FIBA Asia Under-20 Championship for Women"という刻印がされた小さな銀色のプレートも付いている。そちらはステンレスか?
 
他にも様々な部門の成績が発表された。そちらは発表されるだけである(後で賞状を事務局から渡すと言われた)。純子が試合当たりの得点数で玲央美に続く僅差の2位、千里が3位で、この部門は1−3位を優勝した日本が独占した。玲央美はアシストでも2位に入っていた。なお千里はスリーポイント総成功数、総確率、試合あたり成功数、全ての成績でトップであった。
 
劉さんと玲央美が中国語で何か話している。
 
「これ多分2万ルピー(4万円)くらいの品物ではなかろうかと、私と彼女の推測」
と玲央美は小声で千里に教えてくれた。
 

千里たちがいったん自分のチームに戻る。
 
ベスト5が発表される。
 
「Ma China, Murayama Japan, Sato Japan, Watanabe Japan, Liu China」
 
これは優勝した日本から3名、準優勝の中国から2名選ばれたが、渡辺純子は名前を呼ばれて「嘘!?」と叫んでいた。
 
千里は成績賞の賞状と賞品を江美子に、玲央美は星乃に預けて、純子と一緒に3人で出て行く。中国の2人と笑顔で握手を交わす。
 
また賞状と記念品をもらうが、こちらの賞品は同じくTitanのロゴの箱の中に収納されている腕時計である。銀色のボディに白い文字盤。その文字盤に"Best5 2010 FIBA Asia U20 Women"という文字が記されている。
 
5人が並んだままの状態で更に
「Most Valuable Player Sato Japan」
と呼ばれるので、玲央美はベスト5の賞状と賞品を千里に預けて前に出る。賞状と賞品をもらう。
 
こちらもやはりTitanの腕時計だが、金色のボディに黒い文字盤。ベスト5のと単なる色違いのようにも見えるが、金色が物凄く「本物」っぽい。あるいは24金が使用されているのかも知れない。こちらの文字盤には
"MVP 2010 FIBA Asia U20 Women"という文字が記されている。
 
「時計が増えていく〜」
などと玲央美が言っているが、純子は
「記念の時計はいくらあってもいいです」
と言っていた。彼女はU18 AsiaのBEST5でトレーサーの腕時計をもらったらしい。
 

千里たちがまた自分のチームに戻る。
 
いよいよチーム成績の表彰になる。
 
最初に3位の台湾が呼ばれて選手12人で出て行き、賞状と楯をもらった上で、プレゼンターのミス南インドから、ひとりずつ銅メダルを掛けてもらった。台湾チームが下がった後で、2位の中国が呼ばれて出て行き、やはり賞状と楯をもらった上で、ミス南インドから銀メダルを掛けてもらう。
 
そして最後に日本が呼ばれる。12人で出て行く。成績賞とベスト5の賞状・記念品は、高田コーチと片平コーチが預かってくれた。
 
賞状を主将の朋美がもらい、優勝カップは朋美の指名で玲央美がもらう。カップには2002年と2006年優勝の中国の名前のリボンが付いている。優勝記念のジャンパーは全員にあるのだが、代表して副主将の彰恵が着せてもらった。そしてウィニングボールは朋美の指名で千里が受け取った。
 
最後に全員、ミス南インドから金メダルを掛けてもらう。千里は金メダルのずっしりとした重さを首に感じ、歓喜の涙が出てきた。
 
そして君が代の演奏とともに、日の丸が掲揚される。演奏はマドラス大学の吹奏楽部の人たちである。千里は君が代を歌いながら、また涙を浮かべていた。
 

その後は入り乱れて退場する。千里は成績賞などは片平コーチに預けたまま、ウィニングボールだけ持って退場したが、中国の王さん、林さん、呉さん、韓国のキムさん、台湾の雷さんなどと握手を交わした。中国の呉さんは少し照れていた。王さんとは前回もかなり闘(や)りあったので、お互いに賞品を近くのチームメイトに預けて握手して、再戦を約束した。
 

その日ホテルに戻ると、チェンナイの日本総領事さんが祝福に来てくれた。もう夜中にはなるものの、レストランでささやかな祝賀会を開いた。その後、千里と玲央美の部屋に最初は純子と江美子、更に彰恵と百合絵、がやってきて最終的には雪子と王子も入れた14人、帰ろうとしていた所を星乃につかまったらしいパリさんまで集まり、楽しくおしゃべりした。食料が無いという話になり、高田コーチに連絡して一緒に買い出しに出たので、結局高田・片平の両コーチも入って、夜中の1時頃まで賑やかに歓談は続いた。
 
「メダルのプレゼンターがミス南インドだったでしょ?」
とパリさんがコカコーラを飲みながら言う。彼女はコーラで少し酔っている雰囲気もあった。
 
「ええ」
「最初は2位と3位は準ミス南インドがプレゼンターを務める案もあったらしいんですけどね」
「もしかしてミス南インドの横に一緒に立っててミス南インドにメダルを手渡していた人ですか?」
「そうそう。彼女。でも彼女は元男性なので、苦情が出るかもと気を回してミス南インドが全部のプレゼンターになったらしいですよ」
 
「え〜。そんなの気にしないのに」
「日本はきっと気にしないでしょうね。でも中国だと古い道徳が生きているから何か文句言われると面倒というので回避したらしい」
 
「でも元男性には見えなかったね」
「うん。ふつうに女性に見えた」
「というか、私は彼女の方が美人という気もした」
「まあ美の基準って難しいから」
 

翌日の午前中は朝御飯を食べてからホテルをチェックアウトし、最初市内のデパートに行き、2時間ほどお土産物を選んだ。この段階で迷子が出るととても困るので集団行動である。特に危なそうな王子は彰恵・百合絵と一緒に行動するように、留実子はサクラと一緒に、意外に危なそうな渚紗も星乃と一緒に行動するように言われていた。途中から千里と江美子も彰恵や王子たちと一緒になった。
 
「プリン、自分でチョコと紅茶買えるようになって、よかったね」
と言ったら
「あ、チェコでチョコ買うの忘れた!」
などと言っていた。
 
結局真鍮製のガネーシャ像と、タタ製の紅茶を買っていた。タタは車も作っているし、今回の大会で賞品にもらったような宝飾品や時計も作っているし、紅茶やドリンク類も多数作っている、総合企業である。
 
千里も結局タタの紅茶、パリさんお勧めのスリ・クリシュナ・スイーツのお菓子詰め合わせなどを買った。
 

お土産を選んだ後、集合時間にはまだ余裕があるので、フードコートのような所でカレーを食べた。
 
「この味に少し飽きてきていた所だけど、これが最後と思うとまた感慨深い」
と彰恵。
「ここのカレー気に入りました。また来たいです。このままあと10日くらい居たい気分」
と王子。
 
「プリンは血液型B型?」
「え?どうして分かったんですか?」
「やはりね〜」
 
「うん。B型の人はインドにハマりやすいと言うね」
「へー」
 
「インドってハマっちゃう人は凄くハマるし、合わない人は2度と来たくないと思うらしい」
「いや、ユキ(雪子)とかリト(渚紗)はけっこう辛そうな顔してた。ここだけの話」
「ユキはそもそも繊細だからなあ」
「それがあの子の弱点にならなければいいけどね。国内では活躍できても国際試合ではダメということになると辛い」
 
お土産を買い終わった所でパリさんの案内で両替屋さんに行き、残ったルピーを日本円に交換した。細かい金額になっている子もいるので、いったん全員分を集めてから両替し、日本円を比例配分した。
 

チェンナイ空港に移動する。
 
搭乗手続きをしてから空港内のレストランで、デリーから飛んできてくださった駐インド大使さんと一緒に早めのお昼を食べる。結局チェンナイ総領事さんも同席する。
 
大使さんからは大会に参加していない雪子・王子も含めた14人に素敵なコットンのドゥパタ(ストール)を頂いた。
 
実は費用だけ大使さんが出して、総領事さんに頼んで調達してもらったタミル産のものらしい。北インドはシルク文化、南インドはコットン文化という傾向がある。
 
「私選手じゃないのに」
と雪子。
「練習には毎日参加していたんでしょ?君も立派な選手だよ」
と大使。
「私、そもそもチェコに行ってたのに」
と王子。
「聞いたけど、君が決勝トーナメント直前にこちらに来た効果で中国が混乱したんだって?君も充分優勝に貢献した」
と大使。
 
「女子高生の制服によくドゥパタが入っていると言ってたね?」
と彰恵がパリに尋ねる。
 
「そうそう。制服ってわりと身体に密着するデザインのものが多いから、元々はこのドゥパタで胸の付近を隠すように設定されているんだけど、だいたいインドの女子高生たちは、胸は覆わずに、肩からそのまま垂らしてる子が多い」
とパリは言う。
 
「ああ、いづこの国でも制服の着方は勝手にアレンジされるんだな」
 

この食事会が終わった所で、パリさんと別れる。
 
パリさんは篠原監督にまた日本に行こうかなあ、などと言っていた。
 
「君の背丈があれば、給料気にしなければ欲しがるクラブチームとか実業団下位のチームはあると思う。でも来るなら、日本に骨を埋めてもいいくらいの覚悟をして来なさい」
 
と篠原さんは言っていた。
 
千里たち選手14人は一緒に買ったお菓子をパリさんに感謝の印として渡した。ひとりひとり彼女と握手し、別れを惜しんだ。
 

セキュリティを通り、ムンバイ行きの飛行機に乗る。
 
04(月) MAA 15:10-17:15 (9W0467 2:05) BOM
 
9Wというのはインド最大の民間航空会社ジェットエアウェイズの記号である。近年は国営のエア・インディアよりずっと評価が高い。
 
なおチェンナイ空港(MAA)もムンバイ空港(BOM)も、空港のIATA略号は旧市名のマドラス・ボンベイを反映したものになっている。
 
ここで夕食を取った後、出国手続きをしてインドに別れを告げる。成田行きに搭乗する。
 
04(月) BOM 20:05-10/5 8:35 (NH944 9:00 737) NRT
 
優勝した余韻もあったのだろうが、機内ではみんな気持ち良さそうに熟睡していた。
 

一方チェコに行っていたフル代表は10月3日の決勝戦まで見た後、このような連絡で帰国した。
 
04(月) PRG(UT+2) 11:35-14:40 (AY2716 2:05) HEL(UT+3)
04(月) HEL(UT+3) 17:15-10/5 8:55 (AY73 9:40) NRT(UT+9)
 
結果的にフル代表とU20代表はほとんど同じ時刻に日本に帰ってきた。実際にはU20代表の方が先に到着したのだが、記念写真と記者会見は先にフル代表が成田でおこなった。そちらは主将の三木エレンと試合当たりアシスト数1位になった羽良口英子、試合当たりスリーポイント成功数1位になった花園亜津子、の3人がインタビューに応じている。
 
王子はU20の一行とは別れ、坂倉さんと一緒に成田空港に居残りしてフル代表と合流し、この記念写真と記者会見に臨んだ。実は王子は試合当たり得点数の1位になっているのだが、王子に生で喋らせると危ないと富永代表が危惧して王子のインタビューは無しとし、メッセージを書かせ添削した上で!記者に渡した。
 

王子以外のU20代表一行は空港からそのまま都内のホテルに向かい、そこでバスケ協会会長の麻生さんに優勝報告をした。麻生さんは昨年のU19の報告会の時と同様にとても柔らかいオーラをまとっていた。満面の笑顔で12名の選手と握手してくれる。
 
渡辺純子には
「U18では準優勝だったけど今度は優勝できたね」
と声を掛けてあげていた。
 
そのほか金一封をもらったが
「これがいちばん嬉しい」
という声もあがっていた。
 

麻生会長と会った後、今度は別室で文部科学大臣と会い、また優勝の報告をした。麻生さんと一緒にやっちゃえば良さそうにも思うのだが、麻生さんは自民党、高木文部科学大臣は民主党なので、協会側が悩んでわざわざ部屋を分けたようである。
 
その後で大広間に移動し、ここに設けられた雛壇に並んで記念写真と記者会見を行なった。
 
実は成田でフル代表を取材した記者さんたちが急いで都内に戻ってきて、ここでU20代表の取材をしたようである。お疲れ様である。
 
この記者会見が終わった後、フル代表も入って合同の祝賀会が行われた。ここに麻生さんも姿を見せて、乾杯の音頭を取ったが、実はU20が記者会見をしている間に、フル代表は麻生会長に世界選手権の成績報告をしていたらしい。
 
どうも今日は色々大変だったようである。
 

「3PMPGの1位おめでとう」
と千里は亜津子に言った。
 
「その言い方すっきりしない」
と亜津子は不快そうに言った。
 
「あはは」
「トータルの3PMで韓国のビョンに負けた」
 
(3PM:3points made 3PMPG:3points made per game)
 
「あっちゃんが32本でビョンは33本だったもんね。でもあっちゃんは8試合、ビョンは9試合だから、平均ではあっちゃんが4.0、ビョンは3.67。日本は決勝トーナメントに行けなかったから、その差が出たね」
 
「悔しいからまだまだ精進するよ」
「もちろん。そうしてもらわなくちゃ。もっとも2年後のロンドンオリンピックでは私があっちゃんを押しのけて3PM,3PMPG,3P%のトップ取るけどね」
 
亜津子は楽しそうな顔でその言葉を受け止めた。
 
「そうそう、そちらはすっきりとスリーポイント女王おめでとう」
と亜津子。
 
「ありがとう。まあ私は鳥の居ない島の蝙(こうもり)だから」
と千里。
 
「そんなこと言いながら私の倍以上、スリーを放り込んでいるし」
「フル代表とU20ではレベルが違うよ」
 
「千里、大学なんか辞めてWリーグに来ない?そして私と勝負しようよ。どうせ、授業なんて出てないのでは?」
 
「そうだよなあ・・・。取り敢えず今のチームでオールジャパンに出てから考えようかな」
「今度のお正月、来るよね?」
 
「今度のお正月に行くには、玲央美のチームに勝つ必要がある」
と千里は顔を引き締めて言った。
 

10月5日(火)のお昼過ぎ。
 
橋元嵐太郎の父・橋元正吾が主宰する橋元劇団は10月1日(金)から秋田県の金浦(このうら)温泉に来て公演をしていたのだが、劇団員が今日の演目の打合せをしているのに座長の正吾がなかなか出てこないので
 
「座長、どうしたんですかね?」
という話になる。
 
「ごめーん。昨夜、市会議員さんに遅くまで付き合ってかなり飲んだみたいで頭が痛いって言っていたのよ。でもいい加減出てきてくれないと困るね。私、起こしてくる」
と言って、正吾の妻(嵐太郎の母)つばさが起こしに行く。
 
ところが数分後、太夫元で正吾の兄である橋元富雄の携帯につばさから着信がある。
 
「正吾さんが、正吾さんが、・・・」
と言ったまま、要領を得ない。
 
「どうしたんだ?」
と言うも、何か重大事件が起きていることを感じた富雄は
「すぐ行く」
と言ってそちらに向かう。
 
副座長の鯉川竜也も
「僕も行く」
と言って一緒に急行した。
 

1時間後。
 
病院の救急処置室から出てきた富雄は一緒に病院まで来てくれた劇団員たちに説明した。
 
「今すぐ命に関わる状況ではないらしい」
という彼の言葉にホッとした空気が流れる。
 
「しかし当面入院が必要だし、数日で退院できる性質のものではない」
と富雄は言った。
 
「今日の公演、どうしますか?」
と副座長の鯉川が訊く。
 
「中止する訳にはいかない」
と富雄は言った。
 
「演目は?」
「予定通り今日は国定忠治をやる」
「忠治は?」
「やむを得ん。僕がやる」
「それしかないでしょうね」
とベテランの劇団員・滝沢が言う。
 
「僕がやる予定だった、日光の円蔵は滝沢さん、してくれない?」
「分かった。やる」
「滝沢さんがする予定だった、板割の浅太郎は愛花梨ちゃん、してよ」
「いいよ。私、けっこう男装は好き」
 
「愛花梨ちゃんが男装するということは・・・・」
「誰か女装することになるな・・・」
と言って劇団員の視線が中原に注がれる。本人は
「えっと・・・」
と言って額に手を当てている。
 
富雄は少し微笑んでから
「愛花梨ちゃんがする予定だった、桐生町のお辰は・・・」
と言ってから、救急室の中にいる嵐太郎を呼び出した。
 
中学生の彼は学校に行っていたのだが、父親急病の報せに早退して駆けつけて来たのである。
 
「嵐太郎君、お母さんはお父さんに付いていないといけないと思う。でも君は公演に出て欲しい」
「はい。役者は舞台の予定があるなら、親の死に目にも逢えないものと覚悟しています」
と学生服の嵐太郎は言う。
 
「まあ医者の話では、すぐ命に関わるものではないというけどね。幸いにも発作が起きたのが右側だから」
と富雄は言った。
 
この時、最初富雄は嵐太郎に女装で桐生町のお辰を演じさせるつもりだったのだが、嵐太郎の言葉を聞いて気が変わった。
 
「嵐太郎君、国定忠治の妾・お徳をやってくれない?」
「はい!」
 
嵐太郎は驚きながらも答えたが、これには他の劇団員も大いに驚いた。
 
「それと座長が踊るはずだったショーでの藤娘も君が踊って欲しい」
「分かりました」
と嵐太郎は緊張して答える。
 
一般に大衆演劇のステージは、お芝居をやる第1部と、踊りや歌でまとめる第2部とに別れている。
 
「藤娘は確かに嵐太郎君、何度か踊ったことあったね」
と副座長の鯉川も言う。
 
「桐生町のお辰は、うちの女房にやらせる。すぐ呼び寄せる」
と富雄は言った。
 
「間に合いますか?」
 
富雄の奥さんは仙台に住んでいる。
 
「仙台からここまで3時間あれば来れるはず。すぐ呼ぶ」
と言って富雄は自分の携帯のアドレス帳トップに登録している妻の携帯に掛けた。
 
「まあ、万一間に合わなかった場合は、中原君の女装で」
 
「いいですよ。僕が女装すると、お客さんが1割くらい逃げて行くと思うけど」
と184cm 90kgの中原は笑いながら言った。
 

10月5日夕方、千葉。
 
千里がバスケット協会の行事を終えて16時頃、千葉のアパートに戻ると貴司が来ていた。
 
「おかえり」
と貴司が声を掛ける。
「ただいま」
と言って千里は貴司にキスをする。
 
「優勝おめでとう。これ買ってきたよ」
と貴司が言う。ケーキとシャンパンが用意されている。
 
「私未成年なんだけど」
「バレないって」
 
それで貴司がシャンパンを開け、グラスに注いで乾杯した。
 
「そうそう。これインドのお土産ね」
と言って紅茶の缶と、お菓子の詰め合わせを出す。
 
「あ、じゃケーキの後でそのお菓子は一緒に食べようよ」
「うん。そうしようか」
と言って千里も微笑む。
 
「それから、これ金メダルと、スリーポイント女王のペンダントにベスト5の時計」
「すごーい」
「貴司だからメダルにも触らせてあげるよ」
「凄いなあ。いいなあ」
と言って貴司は金メダルに触っている。
「ペンダントもきれいだね。スタールビーか」
 
「インドの名産品だからね。インドではそんなに高いものではないんだよ。だからわりと気軽に付けられる石」
「へー。時計も格好良いね」
 
「U18の時にもらったティソの時計は実用的なのだったけど、こちらはむしろデイリーユースって感じだね」
「これシンプルなデザインだけど高そう」
「まあ時計の専門店でガラスケース内に展示してある程度の価格かな」
「すごーい」
 

「そうだ。貴司の方も近畿総合進出おめでとう」
「ありがとう」
 
貴司たちのチームは9月13-14日に行われた大阪府総合選手権で準優勝し10月末におこなわれる近畿“総合”選手権の切符をつかんだ。そこで優勝するとお正月のオールジャパン(天皇杯)に出ることができる。
 
「今週末は実業団の方だね。そちらも頑張ってね」
「うん。頑張る」
 
近畿実業団選手権は10月2-3,9という日程で行われており、貴司たちのチームは2-3日に行われた1−2回戦では勝って準決勝に進出している。この大会で優勝することができると、来年秋の全日本実業団競技大会に行くことができる。
 
「私も貴司もオールジャパンに出られるといいね」
「うん。オールジャパンの予選は、高校の時も1度出たけど、あの時は1回戦負けだったから、今度はもっと上まで行きたい」
 
北海道では、インターハイ道予選のBEST4に入ったチームが北海道総合選手権に出場することができる。但しウィンターカップに出場する学校は総合には出ない。貴司は高校2年・3年(千里が1年・2年)の時にインターハイに出場したが3年生の時はウィンターカップにも出たので、北海道総合に出たのは2年生の時だけである。その時は千里は1年生で男子のベンチメンバーとして登録されてはいたものの、千里の性別が審議中であったため、自主的に辞退して結局千里はベンチにも座らなかった。
 
「もっと上じゃなくて優勝しなよ。そしてオールジャパンに出ようよ」
と千里は言った。
 
「千里って、いつもそうやって煽る」
「貴司って、バスケしか価値が無いんだから、もっと貪欲に行こう」
 
「僕ってバスケの価値しか無いの〜?」
「当然。貴司の95%はバスケットでできている。4%が女の子をナンパすることで、残りの1%が私への愛かな」
 
「千里への愛が30%くらいあると思うけどなあ」
「嘘嘘」
 

一緒に愛を確認し合って少し眠った後、20時半頃、アパートを出て千里が貴司をインプレッサで東京駅まで送っていった。千里は最初に乾杯した時だけしかシャンパンを飲んでいないので、もう酔いは覚めている。
 
貴司はインプの助手席に座って千里とおしゃべりをしながら携帯をいじっていたが
「あれ、フル代表の田原さん、監督を辞任するんだ?」
と言った。
 
「え?嘘!?」
「辞任理由は充分な成績を上げられなかったのでだって」
「だってあの厳しい選手陣容で、アテネ五輪と同じ10位になったのに」
「バスケ協会からはもっと高い順位を要求されていたのかもね」
「そんな無茶だよ。U20と日程がぶつかって私と玲央美が出られなくなり、白井さんの国籍問題が出てきて、黒江さんも怪我してしまうし」
 
「そういうの全ての責任を取らなければいけないのが、トップというものだよ」
と貴司は言った。
 

貴司を21:20発の新大阪行き最終新幹線に乗せて見送った後、千里は自分の車に戻ると、亜津子に電話した。
 
「なんでフル代表の田原監督、辞めちゃうの〜?」
「やはりそうなったかと思った」
と亜津子は言った。
 
「田原さんは、今回の代表選手を上層部の反対を押し切って決めた時、前回の2004年アテネ五輪の成績を上回ることができなかったら辞めますと約束していたらしい」
 
「でもその代表ラインナップは結果的に反故にされた訳でしょ?そもそも今回はアテネと同じ10位じゃん。しかもアテネは12国中の10位、今回は16国中の10位なのに」
 
「同じ順位ということは、上回ってないんだよ。それにね。田原さんはこの2年間代表監督をしていて、その間の協会上層部の迷走に、もう付き合いきれんと思っていた感じなんだよ、これ広川さんから聞いた話」
 
「確かに最近酷いよなあ・・・。でも後任はどうなるの?」
 
「田原さんが辞める以上、夜明コーチも当然一緒に辞める。富永さんはそもそも白井選手の代表資格問題を巡る揉め事の責任を取って辞める。つまりフル代表のトップが全員居なくなるから、この後どうなるか全く分からない」
 
「でもアジア大会は?目の前なのに」
「だから、今バスケ協会では大慌てで後任の監督探しをしている」
「誰がやるんだろう?」
 
「U20アジア優勝の篠原さん、U17世界で5位の城島さん、U18アジア準優勝の丸田さんに打診して全部断られた」
「3人とも高校のバスケ部監督だもん。ウィンターカップ目前なのに、辞められないよ。それに篠原さんと丸田さんは来年のU21,U19があるし」
 
「U24の東海さん、ユニバの須崎さんにも断られた」
「大学チームはインカレ目前だもん」
「更にWリーグの各チーム監督もNG」
「だって今週末からWリーグ始まるのに、チームから離れられる訳無い」
 
「困ってしまって、田原さんにアジア大会までやってもらえないかと言ったらしいけど、辞めると公表した人間が指揮を執るのはレームダックだと固辞されたと」
「いや、それは田原さんが正しい」
 
「ということで全く先が読めなくなった。トップが決まらないと代表選手も決められない」
「あぁ・・・」
「10月20日にはアジア大会に出る日本代表を発表しないといけないからね」
 
「なんか大変ね〜」
「他人事のように言わないように」
「はーい」
 
と千里は気のない返事をした。
 

10月6日。牧場の作業をしていた春美は、郵便屋さんが来たので、どーんと玄関に置かれた大量の郵便物の仕分けを始めた。
 
チーズやバターなどの注文葉書はそのまま読み取り機に掛ける。自動的に出荷指示書と宛名ラベルが印刷されるので、その先は堀川さんが処理するはずだ。個人宛の郵便物は個人用郵便受けに入れていく。牧場宛てのDMはDM入れに放り込む。英代さんが一通り眺めて大半はそのまま廃棄するだろう。春美の手がふと停まった。
 
家庭裁判所からの「真枝和志」宛ての手紙である。
 
開封する。
 
《申立人の名を「しずか」に変更することを許可する》
 
という主文が記載されている。
 
「やったね!しずか。これであんた正式に《しずか》になったよ。名前はもう女の子だよ」
と春美は、しずかが行っている学校の方に向かって言った。
 

10月7日。千里は朝1番の飛行機(羽田7:15-8:15庄内)で庄内空港に飛び、空港連絡バスと路線バスを使って、出羽の《いでは文化記念館》の所までやってきた。随神門を通り参道を30分ほどで登る(普通の観光客の足なら1時間掛かる)。三神合祭殿でお参りしてから、厳島神社の所に戻る。
 
「こんにちは〜」
と言って上にあがる。
 
「お参りした後、迷わずここに来たね。私さっきは奥の部屋で作業していたのに」
「そりゃ美鳳さんがどこにいるかは分かりますよ」
と千里は笑顔で言った。
 
「なんか不思議なものを持って来たね」
「インドに行ったら、***さんに会いまして。これを私と、私の妹になる人、私の姉になる人にといって頂いたんです」
と言って、千里はインドに持っていっていた旅行バッグから頂いた袋を取り出そうとして「え!?」と言った。
 
「どうしたの?」
「頂いた時は3粒しか無かったのに」
と千里は戸惑うように言う。
 
「水晶の珠が大量に入っているね」
「なぜこんなに増えたんだろう?」
「千里そこに何個入っているか分かる?」
「えっと、324個です。緑色のと藤色のとピンクのが同じ数だけあります」
「さすがさすが。これ、佳穂に加工させるよ。加工に半年くらい待って」
 
「はい。それは構いませんが、何に加工するんですか?」
「数珠だね。八宗兼用の形がいいかな」
 
既に穴も開けてある珠を数珠に加工するのに半年も掛かるとは思えない。恐らくどこかの神域に長期間置いて「神聖な空気」を染み込ませるのとともに、何か“プログラム”を設定するのだろうなと千里は思った。
 
「数珠なんて私、訳が分からないのに」
「まあでっかいネックレスだと思えばいいのよ」
「あ、それでいいんですか?」
 
「これはピンクのを使う子、千里の妹になる子がメインになる。千里と、姉になる人はその子を支えてあげればいい」
 
「へー」
 
「3つあるのは、つまりバックアップなんだよ。コンピュータのRAIDと同じ。ピンクのがやられたら藤色から復旧する。藤色までやられたら緑色のから復旧する」
 
「へー!」
 
「お寺関係のこともその子がよく知っているから」
「私、ナンマイダーとナンミョウホウレンゲキョウの違いも分からないのに」
「まあそういう人が多いよ」
「それと私が入れないお寺があるんですよ。山門で拒絶されちゃう所」
「あんたは神道体質だから、それは仕方ないね」
 

「ところでその私の妹になる人、姉になる人って、どういう人なんですか?」
「その妹になる子が中心。千里も、もうひとりの子も、その子と姉妹の契を交わすんだよ。それで結果的にもうひとりの子は千里の姉ということになる」
「はぁ。。。」
「その子とは既に知り合っているよ」
「そうなんですか?」
「実は妹になる子とも1度会ってる。覚えてないだろうけどね」
「あらら」
 
「ちなみにその子も生まれた時は男の子だった」
「最近そういう子多いような気もします。今はもう女の子なんですか?」
「本人はまだ男の子の身体だと主張しているけど、私もよく分からん」
「美鳳さんが分からないことってあるんですか?」
「おっぱいはあるよ。お股の付近は、あの子の師匠が見えないようにしている」
「怪しいですね」
 
「分からないといえば・・・」
 
と言ってから、美鳳は突然暗い顔をした。
 
「近い内に何か大変なことが起きる。たくさん人が死ぬ。でも私たちみたいな下っ端は何が起きるのか、教えてもらえないんだよ」
「人がたくさん死ぬって、戦争でも始まりますか?」
 
この時期、実は尖閣諸島中国漁船事件をきっかけに、日本と中国は一触即発の危険な状態にあった。実は“カメラが映していない場所で”王さんたちともそのことを話したのだが「日本人も中国人も充分賢いことを信じよう」と言葉を交わしていた。
 
「分からない。全く見当が付かない」
と美鳳は言った。
 

千里は話題を変えることにした。
 
「例の人からシュンガクさんに、天国でRCでも酌み交わそうと伝えてくれと言われたのですが、シュンガクって誰でしょうか?」
 
「瞬嶽というのは、高野山の山奥に籠もっている隠者だよ。山を下りてくるのは2年に1度くらい。人間なのに彼の力はとうに神様の領域に到達している」
「そんな凄い人が」
 
「瞬嶽、羽衣、虚空。この3人は凄い。既に人間辞めてる」
 
「そこに行って伝えた方がいいのでしょうか?」
「物凄い場所だよ。何重もの結界に守られているから、普通の人には辿り着けない」
「うーん・・・」
 
「しかも途中磁界が異常になっている領域があるから、ちょっとでも道を間違うと元の道に戻れなくなる。あの場所は方向感覚のいい人ほど迷いやすい」
「なんか恐い場所ですね」
 
「千里なら辿り着けるだろうけどね」
「私は普通の人ですけど」
 
「あんたはいつもそんなこと言う。でも例の人がそう言ったのなら、無理しなくても千里と瞬嶽の出会いは自然に起きるんだろうね」
 
と言って美鳳は微笑んだ。
 
「彼は、さっき言った、あんたの妹になる子のお師匠さんだよ」
「へー!」
 
千里は“新車を買った”と言って誰かを乗せたくてたまらない顔をした瀬高さんにその新車のランエボX-GSRで新庄駅まで送ってもらい、19:53の新幹線《つばさ132号》23:28東京着で千葉に戻った。
 
 
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【娘たちよ胴上げを目指せ】(4)