【女の子たちの開幕前夜】(1)

前頁次頁目次

1  2 
 
 
バスケットのインターハイ道予選が終わった後、表彰式が終わったのがもう17時くらいだったので「軽食」を食べてから帰りたいという声が男女部員の間であり、バスで旭川に戻る途中、ショッピングモールに寄って1時間ほど自由時間を取った。
 
牛丼やハンバーガーを食べる子もいるが、何だかハンバーグ定食とか、釜飯とうどんのセットとか、ほとんど晩御飯になっている子もいるようであった。千里はフライドチキンとサラダ・ウーロン茶を頼んで、暢子や夏恋などとおしゃべりに興じていた。
 
昭ちゃんは、お腹は空いていたものの、もう少し後で食べたかったのでサンドイッチを買った後、休憩ついでにモールの中を少し散歩していた。ファンシーショップがあったので、ちょっと左右を見て知った顔が無さそうというのを確認してから中に入る。昭ちゃんはこの手の店にまだ慣れていないので結構ドキドキする。
 
思えば小さい頃からこの手の店って入ってみたかったけど、入る勇気が無かった。それがここ1年ほどで川南たちや蘭たちに唆されて随分入って結構場慣れはした。あ、これ可愛いななどと思いながらボールペンを物色する。結局フェミニンな感じの花柄ボールペンと、同じ模様のミニ手帳を買った。しゃれたデザインの小さな紐付き紙袋に入れてくれた。
 
それを持ってまたモール内を散歩していたら、
 
「ねぇ、君」
と声を掛ける男性がいる。
 
「はい?」
と言って振り返る。20歳前後くらいの感じだ。大学生だろうか。
 
「君、どこから来たの?」
「旭川ですけど」
「ユニフォーム着てるね。テニスか何かの選手?」
「あ、バスケットです」
「なるほどー、君割と背があるもんね」
「そうでもないですけど」
「ああ、バスケット選手には背の高い子多いから、君くらいでは目立たないかも知れないね」
 
昭ちゃんは身長165cmである。男子としてはそう背が高い方ではないものの、普通の女子からすると充分背の高い部類に入る。この時点で昭ちゃんは自分が女子と誤認(正認?)されていることに気付いていない。
 
「でも君バスケ強いの?」
「そんなでもないです。今日も負けちゃったし」
「そう。残念だったね。でも頑張ってたら、いつか勝てるよ」
「ありがとうございます」
 
昭ちゃんはその男性と2−3分話していたが、その内
 
「ね、ね、立ち話もなんだから、そのあたりでお茶でも飲まない? おごってあげるよ」
「わあ、いいんですか」
 
それで近くの喫茶店に入る。ちょっと値段が高そうだけどいいのかな?などと思う。何でも好きなの頼むといいよと言われたので、モンブランとミルクティーのセットを頼む。彼はハワイコナ・コーヒーとクラブハウス・サンドイッチを頼んだ。
 
「クラブハウスって蟹か何か入っているんですか?」
と昭ちゃんが訊くと、彼は一瞬、へ?と言って考えたものの
 
「違う違う、蟹のクラブ(crab)じゃなくて、ゴルフ場のクラブハウス(clubhouse)とかで食べられるサンドイッチだよ」
 
(カジノのクラブハウス、軍の将校クラブで生まれたという説もある)
 
「へー。ゴルフのクラブも何だか色々ありますよね。パターとかドライバーとかスプーンとか」
 
それで彼はまた少し考える。
 
「いや、振り回すクラブじゃなくて、サークルとかグループとかのクラブだよ」
「ああ、そっちのほうですか!」
 
昭ちゃんはあまり同世代の人以外と話した経験が無いこともあり、結果的には昭ちゃんの無知に彼が虚を突かれた感じになりながらも丁寧に説明してあげるという感じで、楽しく会話は進んでいった。
 
それで30分近く話していた時、喫茶店の窓をトントンとする音がある。そちらを見ると蘭だ。蘭は店内に入ってくる。
 
「昭ちゃん、集合時間だよ」
「あ、ごめーん」
 
それで
 
「今日はおごちそうさまでした。ありがとうございました」
と彼にお礼を言って席を立つ。
 
「あ、君、良かったら携帯のアドレス交換しない?」
「ごめんなさーい。ぼく、携帯持ってなくて」
「じゃせめて名前だけでも教えて。いま、しょうちゃんって言ってた?」
 
「あ、えっと湧見です、旭川の高校2年生」
と昭ちゃんは苗字を名乗る。
 
「僕は田村、岩見沢の大学2年生」
と彼は名乗った。
 
「それじゃ」
「うん。縁があったらまた」
「はい」
 
それで昭ちゃんは彼と握手して別れた。
 

蘭と一緒に集合場所に向かうが、蘭から言われる。
 
「昭ちゃん、わりと大胆だね。大学生とデートなんて」
「デート?」
「名前を訊いてたから、ここで知り合ったの?」
「なんか呼び止められて、それでお茶でも飲みながら話そうと言われて」
「すごーい。私、ナンパなんてされたことないよ」
「ナンパって、男の人が女の子をデートに誘うことじゃないの?」
 
蘭は悩む。
 
「話していたのは男の人だよね?」
「男の人に見えたけど」
「昭ちゃん、女の子だよね?」
「あれ〜。そういえばぼく女の子だっけ?」
「だから男の人が女の子を誘ったんじゃない」
 
「え〜〜!? ぼくってナンパされたの?」
と昭ちゃんは驚いたように言った。
 
「今気付いたのか!」
と蘭は呆れたように言った。
 

女(?)はふらふらとした感じで入って来た。それを見た男性社員・田中は応対に出ようとした女性社員を制して自分で入口の所に行く。
 
「お客様、アポイントがございましたでしょうか?」
と田中はその女(?)に尋ねる。
 
女(?)はいきなり刃渡り30cmくらいありそうな大きな包丁を取り出した。悲鳴を挙げる女子社員がいる。
 
「か、かねを100万くらいください」
とその人物は低い声で言った。
 
田中は女との距離を取りつつ、飛びかかって来られた時のシミュレーションを頭の中でする。彼は中学時代に柔道部に所属していた。しかし刃物を持った相手と対峙するのは初めてだ。腕さえつかめたら後はどうにでもなる気がするのだが。
 
その時、女の後ろでドアが開いた。
 
驚いたように女は振り向く。
 
昼休みの練習から戻った貴司はオフィスに入ると目の前に包丁を持った性別不詳の人物がいるのでびっくりする。その人物が包丁を振り上げた。がその時、貴司が持っていたボールがその人物の顔に命中していた。
 
向こう側に居た田中がその人物の右手首に飛びつき力を入れる。包丁が床に落ちる。貴司がその包丁を蹴って部屋の奥に飛ばす。それを見て田中は暴漢を鮮やかに背負い投げした。その人物は床に叩き付けられて戦意を消失した。
 
窓際の席に居た50代の課長が110番通報をした。
 

「お疲れ様〜。よく無事だったね」
と電話で千里は言った。
「まあボールを顔にぶつけるのは反則なんだけどね」
と貴司。
 
「一発退場だよね」
「追加で協会から処分されそうだ」
 
「で、結局その人、男だったの?女だったの?」
 
「田中さんは女みたいに見えるけど確信が持てなかったと言った。僕は見た瞬間、男だと思った。あまり女装しなれていない人」
 
その人物は女物のブラウスにロングスカートを穿き、頭にはセミロングのヘアピースを付けていた。すね毛や髭は剃っていたものの眉毛は太いままであった。
 
「そもそも女装するのに眉毛がそのままってあり得ない」
と貴司は言う。
 
「ふーん。貴司は女装する時はちゃんと眉毛を細くするのね?」
「女装しないよ!」
 
「してみればいいのに。3月にそちらに行った時に私が置いてった服もあるし」
「う・・・」
 
と一瞬貴司が返事に詰まったのを聞いて、ああ着てみたなと千里は思った。
 
「私と貴司の仲だし、パンティーを顔にかぶるくらいはしてもいいよ」
「そういう変態な趣味はさすがに無い」
「ああ、普通に穿いてみたのね」
「いや、その・・・」
 
「で、結局犯人は男だったわけ?」
 
と千里は話題を変えてあげた。あまり追及するのも可哀想だし。でも貴司の生活実態が少し分かったな。穿いたのでなければ頬ずりでもしたのか?それともパンティであれを掴んだのか?
 
「うん。でも自宅には大量の女物の服があったって。全部あちこちの民家で干してあったのを盗んだものらしい」
 
「盗みはいけないなあ。女物の服を着るのは自由だけどさ。盗むのは犯罪」
「で、そいつゴールデンウィーク前に会社クビになって、貯金は無いし食糧も尽きて、強盗しようと思ったらしい。強盗するのに女の格好の方が警戒されないかなと思って女物の服を着てみたんだって」
 
「ますます許せん動機だ」
「全く全く」
 
「でもふつう強盗ならもっとお金のありそうな所に行かない?」
「コンビニとか郵便局は非常警報装置とか防犯カメラとかありそうだから一般の事務所を狙ったんだって。確かにオフィスには小口現金として結構な現金があるけどさ。もしかしたらコンビニより多いかも」
 
「コンビニはATM置いてるから現金はあまりレジに残さないもんね。でも貴司お手柄だったじゃん」
「僕はボールをぶつけただけだから。取り押さえた田中さんの方がずっと勇気ある」
 

「ところでテンガどうだった?もう使ってみた?」
「すごく気持ち良かった」
 
「良かった良かった」
「あれ千里自分で買ったの?」
「通販で買ったよ」
「勇気あるなあと思って」
「気に入ったのなら、あと10個くらい送ってあげようか」
「欲しい!」
「じゃ送ってあげるよ。そしたら1年くらい持つよね」
 
「え?1ヶ月に1個なの?」
と貴司は情けなさそうな声を挙げる。
「オナニーって月に1度くらいはするんでしょ?」
と千里。
「もっとするよー!」
と貴司。
 
「そうだったのか」
「毎日するって奴が多いよ」
 
千里はどうもこのあたりの知識が乏しい傾向にある。
 
「そんなにしてて、よく飽きないね」
「いや、我慢しようと思ってもしちゃうんだよ」
「男の子って大変そうね」
 
「でもひとりでするより、千里とする方が気持ちいいけどね」
「ふーん。テンガより私の方が気持ちいい?」
「うん」
「よしよし。でも私に飢えて性犯罪とか起こされちゃ困るからホントに彼女作っていいからね」
 
「それ作ろうとしても作れないような気がしてきた」
「ふーん」
 
千里はどうもこの子たち「何か」してるっぽいなと思って後ろで忍び笑いをしている《きーちゃん》や《こうちゃん》を見た。
 

インターハイ道予選が終わった4日後、6月26日。旭川L女子高の体育館に13人の女子が集まった。
 
PG.森田雪子(N2), 藤崎矢世依(L3)
SG.村山千里(N3), 登山宏美(L3)
SF.中嶋橘花(M3), 歌子薫(N3), 大波布留子(L2), 石丸宮子(M2)
PF.若生暢子(N3), 溝口麻依子(L3), 日枝容子(R3)
C.鳥嶋明里(L2), 花和留実子(N3)
 
N高校の宇田監督とL女子高の瑞穂監督が彼女たちの前に立っている。
 
「君たちを国体の旭川選抜に招集する予定なので、正式発表はまだだけど、先行してチームを結成して一緒に練習しようと思うのだよ」
と宇田先生は言った。
 
「なんか13人いるんですけど、13人エントリーできるんですか?」
「実はうちの歌子(薫)君が、出場制限が掛かっていて、道大会までしか出場できないんだ。全国大会に出られない。それで道大会では歌子君を使い、本戦では石丸(宮子)君を使う」
 
この話は宮子と橘花に予め通しておいた。
 
「じゃもし全国大会に行けなかったら宮子ちゃんは出場できないんですか?」
「うん。だから行けるように頑張ろう」
と瑞穂先生。
「今回、とにかく全国に行けるメンツということで学校間のバランスを無視してポジションごとに旭川で最強のメンバーを選ばせてもらった」
と宇田先生は言う。
 
「敵は札幌代表ですよね?」
「まあ実質札幌P高校だね」
 
「頑張れば勝てると思う。だってP高校に2度も勝ったN高校のメンバーと1度勝ったM高校のメンバーが入っているんだから」
「去年の国体予選もけっこう惜しかったんだよねー」
 
「でも道大会に出ていなかった選手を本戦に出せるんでしたっけ?」
と質問がある。
「予備登録しておいて入れ替えることは可能だから」
「ああ、なるほど」
 
「ちなみに、ここにいるメンツのレベルに充分達しているA商業の三笠君(PF)やM高校の田宮君(伶子,PG)も予備登録はさせてもらうことにしている」
と宇田先生は補足する。そのあたりは実力は充分だが、ポジション・バランスの問題で今回のメンツから漏れたのだろう。
 
「通常は病気や怪我などの場合だけ入れ替えが認められるんだけど、歌子君の場合も入れ替えは認めるということで、確認をもらっている」
 
「お股のところに異常があるんだな」
と暢子が言うと、笑いが起きる。本人も笑っている。
 
「じゃ、宮子ちゃん、申し訳ないけど全国に行ってからお願いします」
と薫が言う。
 
「それはいいですけど、ちゃんと全国に行けるようにしてくださいね」
と宮子。
 
「そのための練習だよ」
と宇田先生。
 
「練習は毎週木曜日に。一応練習の指導は私がするから。宇田先生はインターハイの方で忙しいだろうし」
と瑞穂先生。
 
「来年は瑞穂先生がインターハイで忙しいといいですね」
と溝口さん。
 
「私も後輩たちに期待しよう」
と橘花が言うと
 
「私も同じくだな」
と日枝さんも言った。
 

6月29日(日)。光帆(美来)はその日スタジオで困ったような顔で彼女を見つめていた。
 
XANFASの最初のCD(インディーズ)制作のため、その日朝からスタジオに入っていたのだが、いきなりパート割りで揉めているのである。プロデューサーの麻生杏華さん(ピアニストでParking Serviceの初代プロデューサー)は、S1(ソプラノ・メロディ担当).逢鈴、S2(ソプラノ・カウンター担当).黒羽、MS(メゾソプラノ).碧空、A(アルト).光帆というパート割を決めた。ところがMS(メゾソプラノ)に指名された碧空が異論を唱えたのである。
 
「私、この4人の中でいちばん高い声が出ます。なぜメゾなんですか?」
と碧空は言う。
 
「確かに音域チェックでは君がいちばん高い音まで出ていた。しかしソプラノ、メゾソプラノというのは声の高さだけで決めるものではないのよ。声質の方が重要で、ソプラノというのは倍音の少ないクリアな声、メゾソプラノは響きが豊かで情緒的な声。だからマリア・カラスは声質的にはメゾソプラノだと言われていたよね」
と麻生。

「誰ですかか?その何とかカラスって?」
 
という碧空の返事に麻生は困ったような顔をする。
 
うーん、クラシックに弱い私でもマリア・カラスくらいは知ってるぞ、と光帆は内心思った。
 
「とにかく、私がそう決めたんだから、この制作ではそれに従いなさい」
と麻生は言ったが
 
「納得行きません。私は音域もこの4人の中でいちばん広いし、歌唱力も一番あると思います。私をリードボーカルにした方が絶対いい曲になります。それとも賄賂でももらってるんですか?」
と碧空。
 
「根拠も無い邪推をするのはやめなさい。それに自己主張するのはいいけど、集団で物事を進める時はちゃんと指示に従ってくれないと困るんだけどね」
と麻生はあくまでも冷静に言う。
 
歌唱力ね・・・。確かに碧空さんの歌は「聞かせる」歌ではあるけど、音程や拍を変えすぎるんだよなと光帆は思っていた。恐らく彼女はいわゆる個性派歌手のコピーをしてきている。自己流の歌い方で売れてしまった歌手にはしばしばそういうわざと譜面と違う歌い方をする人が居る。ソロならいいけど重唱・合唱向きではない歌い方だ。
 
それに対して逢鈴さんはParking Serviceの後ろでバックコーラスとかもしていたし、黒羽さんにしてもリュークガールズで大勢での斉唱をしていたからであろうが、譜面に正確な歌い方をしていた。まあ多少の音程のずれは愛嬌ということにして。
 
音程について言えば、逢鈴の歌は「音程が合ってない」のに対して碧空の歌は「音程を合わせてない」のである。ユニットを組む場合は後者の方が深刻だ。個性的と言えば、黒羽さんもちょっと個性的な声の出し方をする。ただし彼女はちゃんと音程・拍はみんなと合わせているので、こういう重唱ユニットでは問題が無い。特に彼女の担当はカウンター・メロディ(オブリガート)なので他の子とハモらなくても問題無い。
 
碧空と麻生さんの議論は30分ほどに及ぶ。逢鈴が
「制作する曲の中でリードボーカルを曲毎に変えてみるのはどうでしょうか?」
と妥協案を提示したが、麻生は一蹴する。
 
「リートボーカルがコロコロ変わるユニットは、要するに誰もリードボーカルになる能力が無いと言っているようなもの」
と麻生さん。
 
「ですから私がリートボーカルに最適です」
と碧空は主張する。
 
そしてとうとう碧空は決定的なことを言ってしまった。
 
「こんな制作者の下ではお仕事できません。辞めます」
 
「それは契約違反なんだけど」
と麻生さんはクールに言う。
 
「違約金払えばいいんでしょ?失礼します」
 
そう言って碧空は帰ってしまった。
 

何ともしらけたムードが流れる。1分くらい誰も発言しなかった。これちょっと気まずすぎるなあと思った光帆は言った。
 
「あのお、お腹空いたんで、おやつ頂いていいですか? さっきからあそこに置いてある『花千鳥』が気になってて」
 
「そうだね。ちょっとブレイク入れてからリスタートしようか」
と麻生も言い、少しホッとしたような空気になる。
 
どうしよう?という感じで立ち尽くしていた事務所の若い子・佐鳴ツグミがお茶を入れて、光帆もお茶を配るのを手伝い、みんなで花千鳥を食べる。この時、光帆だけがツグミを手伝ったのを麻生は頷きながら見ていた。
 
「これどなたのお土産なんですか?」
と光帆が訊くと
「私」
と黒羽が手を挙げる。
「リュークガールズで一緒だった子が博多で結婚式挙げたんで、出席してきたのよ。昨日は大安吉日で。これは実は引き出物の一部」
 
「へー。でも何歳なんですか?」
「その子は18歳。彼氏は21歳。実はできちゃった婚」
「あらあら」
 
「でも、博多までたいへんですね」
「交通費は出してくれたしね。実はその子と一時バンドも組んでたのよ。アマチュアだけど」
「すごーい」
「パートは?」
「その子がベース、もうひとり由妃ちゃんって子がドラムスで私がキーボード」
「あれ?ギターがいないんですか?」
「うん。ベースとドラムスは無いと困るけど、キーボードとギターはどちらか片方居れば他方は居なくてもバンドとして成立するんだよね」
「確かにそうかも」
 
「バンド名とかは?」
「Black Cats」
「かっこいー」
「でもありがちな名前なんだよ」
「確かに」
「軽音の大会に出たら同名バンドが他に2つあったことある」
「なるほどー」
「私が黒美で、由妃ちゃんの苗字が黒井で、メンバーの2人が黒のついた名前なんで付けたんだけどね」
 
「くろいゆき、って矛盾を含んだ名前ですね」
「ああ、あの子は色々自己矛盾を抱えているんだよねー」
「へー」
「フライト・アテンダント志望なんだけど英語がまるでダメだし」
「それは厳しすぎる」
 

「でも済みません。私リーダーなのに何もできなくて。あの子ちょっと自分を見失ったんだと思います。あとで電話して再度話してみますから」
と逢鈴が言ったが
 
「いいよ。放っときなさい」
と麻生は言う。
 
「違約金って高いんですか?」
と光帆が心配そうに訊いたが
 
「よほど悪質な契約違反しない限りは取らないよ。うちの場合はね」
と麻生は言う。
 
「このままもし碧空ちゃん辞めた場合、悪質じゃないですよね?」
「悪質ってのはテスレコみたいなのを言うんだよ」
「あれちょっと酷いですね」
「H出版と★★レコードは5億円の損害賠償を求めて提訴したね」
「いや実際あれ億単位の損害を与えてるでしょ?」
「CDの廃棄・再プレスの費用、ポスターの作り直し・配布し直し、回収費用、雑誌の刷り直し、わざわざグアムまで行って撮影して編集中だった写真集の頓挫とかの直接的な損害だけでも2億近いと言ってたよ」
 
何だか恐ろしい世界だなあと光帆は思いながら花千鳥の4個目を手に取っていた。麻生は2個食べているが、逢鈴は1個、黒羽も2個である。麻生も平静は装っているものの内心かなりムカついていた。しかし各々の前にある包み紙の数を目で数えて、麻生は少し楽しい気分になり、気持ちを切り替えることができつつあった。
 

時を戻して6月27日(金)、昼休み。
 
「それではインターハイの登録メンバーを発表します」
と宇田先生は言った。
 
南体育館(朱雀)に集まった女子バスケ部員の間に緊張が走る。
 
「4番主将パワーフォワード若生暢子、5番副主将シューティングガード村山千里、6番センター花和留実子、7番ポイントガード森田雪子、8番センター原口揚羽、9番スモールフォワード根岸寿絵、10番シューティングガード白浜夏恋、11番パワーフォワード瀬戸睦子」
 
とまで読み上げた所で宇田先生はいったん止める。
 
「ここまでは昨年のインターハイも経験しているね。その後、それぞれレベルアップしているし、大会でもしっかり活躍しているので期待している」
と先生は言う。
 
「昨年はマネージャー登録だったので選手になれて嬉しいです」
と睦子が言う。先生も頷く。
 
「12番ポイントガード広中メグミ。最近の急成長が著しいので森田君とふたりで本戦での司令塔役、期待している」
と先生は言う。この瞬間、他のPGの子は落選確定だが、実際現在のN高校のPGではこの2人は突出している。
 
「まだまだ勉強します。頑張ります」
とメグミ。
 
「13番スモールフォワード海原敦子。阿寒カップで佐々木君から提案された成績争いでトップだったし、予選でも活躍したのでそのまま確定。一応スモールフォワード登録だけど試合の流れ次第では一時的にポイントガードの位置に入ってもらうこともあるかも知れない」
 
「はい。その時に求められる役割を実行していきます」
と敦子。
 
残りは2人である。先生は一気に読み上げた。
 
「14番センター常磐リリカ、15番スモールフォワード湧見絵津子。そしてマネージャー登録で佐々木川南」
 
ため息がいくつか漏れる。
 
「えーん。私マネージャーですか〜?」
と川南が抗議する。
 
「佐々木君のこの数ヶ月の成長は素晴らしいものがあった。本当はマネージャーには来年のことを考えて2年生を入れたいところだけど、その頑張りに敬意を表するとともに、佐々木君が大学に進学した後、より成長できるようにインハイのベンチを経験してもらいたいと思って選んだ」
 
と宇田先生は言う。
 
宇田先生から実は昨日千里と暢子が呼ばれ、マネージャーには薫と蘭のどちらがいいかと尋ねられた。参謀として期待できるのは薫、ウィンターカップや来年を見越したら蘭だ。それに対して暢子は川南を入れてあげて欲しいと言った。それで宇田先生もそれを認めてくれたのである。「川南は凄く頑張った。そして彼女の頑張りに刺激されて夏恋と睦子が更に頑張った。川南の頑張りがうちのチームの底上げをしたんです」と暢子はその時先生に言ったのであった。
 

「川南、試合には出ずに優勝できたらメダルもらえるのは美味しいぞ」
と暢子が川南に声を掛ける言う。
 
「私は川南が羨ましいよ。私は3年生でひとりだけベンチ外だもん」
と葉月が言う。
 
「葉月、私も忘れないでー」
と薫。
 
「そうですね。私スコア付けと応援とで頑張ります」
と川南も気持ちを切り替えて言う。
 
「よし頑張れ頑張れ」
 
つまりポジション別の陣容はこうなった。
 
PG 雪子(7) メグミ(12) SG 千里(5) 夏恋(10) SF 寿絵(9) 敦子(13) 絵津子(15) PF 暢子(4) 睦子(11) C 留実子(6) 揚羽(8) リリカ(14)
 
学年別では3年生8人, 2年生3人, 1年生1人である。昨年は3年5人,2年5人,1年2人であった。3年生が多いのはやはりこの学年の実力が突出している現れでもあるし全体のレベルが上がっていて新入部員との実力差ができてしまっていることも表している。
 
宇田先生は昨年同様、インターハイには女子部員48名全員を連れて行くと言い(6月までに1年生が4名辞めている)、南野コーチが薫と永子・愛実をスコア分析係、葉月を撮影隊長、蘭を応援隊長に任命すると言った。
 
「葉月、また試合に夢中になって撮影を忘れないように」
と寿絵。
「大丈夫。その時は志緒ちゃんにカメラ渡してから観戦する」
 
「あと保健係で来未ちゃん、物資調達係で昭ちゃんね」
と南野コーチ。
 
むろん宇田先生が言った「48人」には昭ちゃんも入っているのである。
 
「ボク、要するに力仕事係ですね」
と昭ちゃん。
 
「可愛い服着せてあげるよ」
と川南が言うと
 
「いいなあ、それ」
などと言っている。
 
「昭ちゃん、ちゃんと女子制服持って行きなよ」
「持っていきます!」
 

また宇田先生は「2年生以下から成るBチーム」を編成すると言い、メンバーを読み上げた。
 
PG.永子(23) 愛実(28) SG.結里(20) 昭子(24) ソフィア(27) SF.聖夜(30) 安奈(31) 海音(32) PF.志緒(22) 瞳美(29) 不二子(26) C.蘭(19:主将) 来未(21) 耶麻都(25) 紅鹿(33)
 
2年生9人 1年生6人である。紅鹿(べにか)は中学ではバレーをしていたというだけあり身長もジャンプ力もある。垂直跳びをさせたら70cmも飛んだ。春からずっとリバウンド中心に練習させている。海音(みおん)はミニバス出身で、中学時代はバスケ部が無かったので夏は水泳部・冬はスキー部で更に陸上部にも徴用されて駅伝なども走っていたらしいが、そういうスポーツをしていたことで基礎的な身体能力が鍛えられており脚力も腕力もあって今後の成長が期待される1人である。
 
この15人と今回ベンチに入った1-2年生4人が秋以降のベンチ枠候補ということになるのだろう。
 
「先生、どうして背番号が19からなんですか?」
という質問が出るが
「16-18番は佐々木(川南)君・伊藤(葉月)君・歌子(薫)君にリザーブ」
と宇田先生は答えた。
 
「現地で他の高校の1−2年生チームと練習試合をしようということで、既に幾つかの高校と話しているから」
と先生は言う。
 
「U18でつながりができたので、私がその交渉仲介したんですけど、札幌P高校、福岡C学園、東京T高校、愛知J学園、秋田N高校、山形Y実業とは既に話が付いてますから」
と千里が補足する。
 
「そんな強い所のBチームって無茶苦茶強いのでは?」
と蘭が言う。
 
「そこら辺のトップチームよりはずっと強いだろうね」
と千里は言う。
 
「ひゃー」
と蘭は言うが
 
「頑張れ、Bチームキャプテン」
と暢子が言うと
 
「頑張ります! よし、Bチームの子は毎日10kmジョギング、シュート300本やろう」
と蘭が言う。
 
「どうも鬼軍曹のようだ」
と来未が言った。
 

7月5-6日の土日、DRKの5枚目のCDの録音を行った。
 
今回は田代君がインターハイ前の練習で忙しくて出席できないということで、蓮菜が指揮を執ることになった。加えて、千里と留実子も同様にインターハイの練習で出てこられず、大波さんも国体選抜チームの練習で出てこられないし、むろん美空もプロデビューしてしまったので参加できないということで、このようなパート割りになった。
 
Gt1 梨乃 Gt2 鳴美 B 智代 Dr 京子 Pf 花野子 Fl 恵香 Tp 鮎奈・美梨耶 Gl 蓮菜 Vn 孝子・麻里愛
 
11人編成で、ライア(竪琴)と龍笛が抜けてしまう。
 
そこで今回は編曲を担当した花野子が、純洋楽っぽいアレンジにした。また、美空が出られないし千里も出られないので、ボーカルは S.麻里愛 MS1.花野子 MS2.蓮菜 A.梨乃 というラインナップにした。梨乃は自分よりうちの猫の方が上手いとなど言っていたのだが、他にアルト音域を歌える子が居ないから、多少の音程のずれは目をつぶると言われて初めてのボーカル参加である。
 
「猫は歌詞を歌えないし」
「猫はアルトの音域が出ないのでは」
「そうだなあ、あの子は男の子だし」
「だったらテノール?」
「うーん。猫の音域ってどうやって確認するんだろう?」
 
楽曲は4曲で内1曲は麻里愛が書いて自分でバンドスコアまで書いたものであるが(麻里愛はまだWindows XPでXG Worksを使っている)、残り3曲は千里がメロディだけ書いた曲を花野子が覚えたてのCubase LEを使って1ヶ月がかりで編曲したものである。この編曲の際に花野子はアヴリル・ラヴィーンが好きということでライト・ポップっぽいアレンジにまとめた。
 
しかし今回はいつもみんなをまとめてくれている田代君がいないことから制作は迷走に迷走を続ける。スコアも何度も変更され、とうとう7日は途中で一度「ブレイクを入れよう」ということでみんなで甘味処に行って善哉やお団子を食べ、それからまたスタジオに戻って、夜9時まで掛けて何とかまとめた。
 
しかし演奏の録音をするまでが精一杯で、ボーカルは翌日放課後にボーカルの4人だけ再度集まって別途録音し、ミックスダウン・マスタリングは次の土曜に花野子と蓮菜・麻里愛の3人で再度スタジオを1日借りて技術者さんと一緒に行った。なかなか難産の制作であった。
 

「次の制作はいつにするんだっけ?」
と花野子が訊くと
 
「教頭先生からこの活動は10月31日までと言われているんだよね」
と蓮菜が言う。
 
「だったら10月25-26日にやる? それなら田代君も多分出られるよね?」
と麻里愛。
 
それで蓮菜が田代君に電話したら自分は大丈夫だけど、その日程は千里がU18の大会直前で出られないのではと言った。今回実は龍笛の音を入れられなかったので麻里愛が書いた叙情豊かな『白い記憶』という曲が使えず、急遽書いた別の曲を使用した。あれはぜひ次回には入れたい。
 
それで蓮菜は千里に電話してみる。
 
「ごめーん。10月25-26日はU18の合宿中の可能性がある」
と千里は言う。
「でも3年生は部活は9月で終わりじゃなかったの?」
と蓮菜は訊く。
 
「それがU18代表に選ばれる可能性があるんだよ。落とされた場合は9月で終了だけど、代表に選ばれた場合は、10月4-6日(*1)と25-29日に合宿やって、その後、30日から11月10日までインドネシアに行ってくることになる」
 
(*1)実際のU18合宿は10月11-13日に行われていますが、物語の都合で変更しています。
 
「インドネシア〜?」
「そこのメダンってところでアジア大会があるんだよ」
 
「大変だね。その前の週は行ける?」
と蓮菜。
「うん。18-19日は今の所予定入ってない」
と千里。
 
「じゃ、その日程で最後のDRKの録音をしよう」
と麻里愛も言って、DRKのラストCDは10月18-19日に制作をすることになった。
 

7月上旬、インターハイ出場メンバーが川南も含めて保健室に呼ばれる。南野コーチと保健室の山本先生から、健康管理に関する注意があらためてなされた。
 
「全部員にも言っているけど、風邪を引いたかもと思ったら無理せず休むこと。他の子に移したら被害が拡大するから、これは守って欲しい」
 
「他の子たちにはまた直前に言うけど、風邪薬や頭痛・生理痛などの薬の大半がドーピング検査に引っかかるから」
と言われ、実際に山本先生が、問題のある薬とOKな薬のパッケージを目の前に並べてくれた。
 
「ほんとに飲める薬が少ないですね」
 
「この手の薬の影響は数日で消えるから、今の時期に風邪を引いた場合は、強い薬を使ってもいいし、それでさっさと風邪を治した方がいい。でもインハイ直前になったら飲まないように気をつけて欲しい」
と南野コーチは補足する。
 
「葛根湯がダメってのは、葉月が注意されてたので覚えました」
という声もあがる。
 
「それから生理周期確認のために基礎体温をみな測って欲しいんだけどデジタル式の婦人体温計持ってない子居る?」
 
「普通の体温計じゃダメですか?」
「小数点以下2桁までチェックしたいのよね」
 
ということで持っていない子は学校のを借りることにする。
 
「これまでの周期で考えた場合にインハイ中に来そうな子居る?」
 
「私は6月25日に来たから次は7月23日くらいだと思う」
と暢子が言う。
「直前に来てくれるというのはいちばん理想だね」
と南野コーチ。
 
「僕のは周期全然当てにならないからピル使ってコントロールしますから」
と留実子が言う。
 
留実子の生理周期は聞いていると本当にメチャクチャのようである。ブロックエンデバーの時に早生さんが持って来ていた「性別チェッカー」でも針が大きく触れて、卵巣の調子が良くないことを示唆していた。
 
「千里も私と同じ頃来てたよな?」
と暢子が訊く。
「うん。私は6月26日に来たから次は多分7月24日」
と千里も答える。
 
寿絵が
「私は7月1日に来たから7月29日に次は来ると思います」
と答える。
「ぎりきり直前という感じか」
「ええ。だから大きな問題は無いと思います」
 
夏恋は
「私は今来てるんです。だからインハイが終わった直後くらいに来そうです」
と答える。
 
睦子・メグミもやはりインハイ直後に来そうということだったが、敦子はインハイ中にぶつかりそうということだった。
 
「でもこれまでも生理が大会にぶつかったことは何度もありますけど、何とかなってますから大丈夫だと思います」
「うん。じゃ生理痛とかになった場合は、山本先生に相談してね」
「はい、分かりました」
 
「雪子ちゃんは?」
「私は6月27日に来たんです。次は7月25日だと思います」
「じゃ大丈夫だね」
 
「暢子さん・千里さん・雪子がちょうど1日ずつずれているのか」
と揚羽が言ったところで、一部の子から質問が入る。
 
「千里さん、生理あるんでしたっけ?」
 
「千里に生理があることはこれまでの数々の経緯から確実」
と暢子が言い
 
「へー!」
と感心するような声は上がるものの、そのままスルーされて、他の子の生理周期の確認が進んでいった。
 

 
2008年7月12日(土)。旭川N高校の《新生男子バスケ部》のメンバーは札幌市に向かった。この土日で行われる札幌ポテチ・カップというカップ戦に出場するためである。参加はスポーツ保険に入っている道内の男子高校生バスケ・チームなら、学校の部活でも任意編成のチームでも参加できるが、インターハイ出場校は出ない習慣である。(ちなみにこれは男子のカップ戦で、女子は8月に札幌札幌スイートポテトカップというのをやる。こちらもインハイ出場校は出ない。男女の日程を分けるのは例によって会場確保の都合である)
 
N高校男子はインターハイ出場を逃して、北岡君たち3年生は引退し、2年生以下のチームになっている。
 
2年生
PG.二本柳(11) SG.湧見(6) SF.大岸(5) 浦島(7) PF.水巻(4) 道原(晃8) 道原(宏9)C.服部(10)
1年生
PG.武蔵(14) SG.秋尾(15) SF.浮和(13) PF.小村(16) 引田(18) C.国松(12) 沢井(17)
 
水巻君が新しいキャプテンであり、10月から正式に男子バスケ部の部長に就任予定である。昭ちゃんは、部長・副部長に次ぐ6番の背番号をもらった。地区大会のスリーポイント王も取っているのだから当然の扱いだが、
 
「ボク、こんな凄い番号もらっていいんでしょうか?」
などと言って焦っていた。
 
そしてここ1年でいちばん成長した浦島君が7番である。
 
マネージャーは例によって最近男子バスケ部のマネージャー役として定着している志緒が帯同している。しかし志緒はこの男子バスケ部のメンバーの大半より強い。マッチアップで勝てるのは水巻君くらいである。
 
「マネージャーというよりコーチだな」
などと川守先生が練習の様子を見て言っていた。
 
「ボクも志緒ちゃんには勝てません」
などと水分補給のためにコートから下がって川守先生や北田コーチのそばにいた昭ちゃんが言う。
 
「1年前は男子は女子の練習相手になれたんだけど、かなり水をあけられたな」
と北田コーチは言っていた。
 
「私は素人の目ですけど、男子の方が体格やスピードは上回っているのにシュート自体の入る確率が違うし、マッチアップに勝てないからボール取られるし」
と川守先生も言う。
 
「湧見先輩はどうしてあんなにシュートが入るんですか?」
と1年生でシューティングガードに配置された秋尾君が訊く。
 
「ボクは入れ〜と念じながらシュートするんですけどねー」
と昭ちゃん。
 

その時、運営の腕章を付けた女性が寄ってきて、昭ちゃんを見て
 
「旭川N高校さんですよね、ちょっと来てください」
と言う。
 
「あ、はい」
と言って、昭ちゃんは何となくその女性に付いていった。
 
連れて行かれた小部屋には女子高生が30人ほど集まっている。昭ちゃんが入っていくと、ホワイトボードの前に立っていた女性が書類の束を渡した。
 
「あと来てないのはどこかな?」
「札幌D学園さんも今呼びに行ってますから、もうすぐ来ると思います」
 
それで1分もしないうちにD学園のユニフォームを着た女子が入ってくる。
 
「これで揃ったかな。では説明を始めます。コートの割り当ては試合進行の状況に合わせて都度決めていきますので、時々大会本部そばの掲示を見に来て各チームの選手が遅れないように気をつけてください。この大会は負けオフィシャル制で、負けたチームの内、登録番号の若い方が次の試合の審判、他方がテーブル・オフィシャルズをしてもらいます。ゴミは基本的に持ち帰るようにしてください」
 
などと前に居る人が説明をしている。昭ちゃんは、あれ〜、なんでボクはここに呼ばれたんだろう、などと思い始めていた。
 
その時、最後に入って来たD学園のユニフォームを着た女子が昭ちゃんを見て言った。
 
「あれ、そこに居るの湧見さんですよね? なんでここに居るの?」
 
「ボクもよく分かりません」
と昭ちゃんは答える。
 
「ん? 君、旭川N高校のマネージャーさんじゃないの?」
と前で説明していた人。
 
「この人、選手ですよ」
とD学園の子。
 
「え?女子なのに男子の試合に出るの?」
「この人、男子です」
 
「えーー!?」
という声があちこちからあがる。
 
「こないだのインハイ道予選でも、スリーポイント王をうちの熊谷と最後まで争ったんですよ」
とD学園の子。
 
「ごめーん。私、女子がいるから、てっきりマネージャーさんだと思い込んで連れて来ちゃった」
と昭ちゃんをここに連れてきた女性。
 
「いや、いいですよ。話聞いておいて、うちのマネージャーに伝達しておきますから」
と昭ちゃんが言うので、マネージャー向けの説明はそのまま続けられることになった。
 
なお、この大会では昭ちゃんの活躍で旭川N高校はBEST4まで行って賞状と副賞のポテチ30袋をもらって帰って来た(ポテチは旭川に戻るまでに全てメンバーの胃袋の中に消えた)。
 
また例によって、大会の様々な雑用は、二本柳君や浦島君、1年生の秋尾君たちがやってくれたので、志緒はスコアをつける以外の仕事は一切する必要もなく「天国天国」と言っていた。
 

その週、千里は貴司の両親や妹さんたちと一緒に礼文島に行っていた。
 
貴司の祖父の法要が行われたのである。
 
貴司の祖父は6月9日に亡くなったので四十九日は7月27日(日)になるのだが、もうお盆に近くなってしまい、初盆の行事まで慌ただしくなってしまうので、三十五日に当たる7月13日(日)で繰り上げ法要をして忌明けにしようということになった。
 
12日土曜日の早朝から貴司のお父さんの運転する日産セフィーロで拾ってもらい、稚内に向かう。運転席がお父さん、助手席がお母さんで、後部座席に千里・理歌・美姫と並ぶ。
 
「千里ちゃん、ごめんねー。貴司が来られないというのに」
「いえ。私は貴司さんの名代ということで」
 
貴司は最初来る予定だったのだが、会社の本業の方で急用ができて来られなくなってしまったのである。千里は来年の春まで貴司には会えないという話だったもんなあと思っていた。
 
運転は実際にはお父さんとお母さんが交代で運転し、朝6時に出て稚内に10時頃到着した。10:50のフェリーに乗って12:45に礼文島の香深(かふか)港に到着する。
 
「かふか」って『変身』みたいと千里は思った。《変身》することに憧れていた小学生時代、カフカ作『変身』という小説があることを知り、小学校の図書館にあったのを読んでみたものの、思っていたのと全く違うので千里はがっかりしたものである。しかもそのまま疎んじられて死んでしまう結末にどうにも割り切れないものを感じた。大人になってから思えば、安部公房の『赤い繭』の原点のような作品にも思えるのだが、さすがに小学生には理解できない小説であった。
 

法事は明日なのだが、その日はたくさん親戚が集まっているので、もう宴会の様相である。こちらがまだお昼を食べていないというと、まずはうちで獲ったものだけどということで、お刺身が出てくる。
 
「美味しい! これホッケですよね?」
「そうそう。新鮮なのでないと刺身にならないんだよね」
「あ、イカもあるよ」
 
ということでお魚も色々出てくる。更にはコップに何か注がれて
「どうぞどうぞ」
などと言われる。千里はサイダーか何かと思い飲んでみたら、喉がパニックである。
 
「これお酒ですか?」
「そそ。焼酎だよ」
「私、未成年ですー」
「貴司の嫁さんなんだろ? 結婚したらもう大人だよ。成年擬制といって法律にもちゃんと定められているんだから」
 
※成年擬制の適用範囲はあくまで民法上の行為などに限られ、公法には及ばない。従って結婚していても未成年者飲酒禁止法の適用外にはならないし、選挙権も無い。
 
なんだかうまく丸め込まれて結局千里は焼酎を3杯も飲まされた。
(そこで貴司のお母さんが気付いて停めてくれた)
 
千里が漁師の娘でお魚もさばけるという話を聞くと、手伝ってと言われて実際にお魚をさばくことになる。
 
「あんた上手だね」
「母からだいぶ仕込まれました」
 
「ホッケは時々寄生虫がいるから気をつけてね」
と伯母さんから言われる。
 
「アニサキスですか?」
「そうそう。アニサキスのでかいの(シュードテラノーバ)がいる」
「アニサキスより大きいなら見付けきれると思います。サバとかさばく時にも母から注意されました」
「だったら大丈夫かな」
「疑問を感じたら訊きますね」
「うん。よろしくー」
 
しかし調理のほうを担当していると、お酒を勧められる心配も無いので助かった。お母さんが目を離していたら中学生の理歌までお酒を飲まされていた。
 

翌日。法事はおとなの人は喪服だが、千里や理歌・美姫は学生なので学校の制服(むろん女子制服)で参列する。お寺のお坊さんがたくさんお経を上げて(ほんとに長かった!)それから焼香し、お坊さんの話を聞く。この話がまた長い!結局ここまでで1時間以上かかった。
 
その後、みんなで納骨に行き、お墓でまた長いお経をあげて、納骨を済ませた。そこまで終わると精進落としとなるが、要するに宴会である。貴司のお父さんは「帰りに運転しないといけないから」と言っていたのに、それでも強引に飲まされる。お母さんも断っているのに、やはり飲まされる。千里は配膳の手伝いや、既に柵の状態になっているお魚を刺身に切ったり、おひたしなどを作ったり盛ったり、おにぎりを作ったりなどに徴用してもらったおかげで、この日はアルコールは飲まされずに済んだ。
 
結局お昼近くまで宴会をした後で、伯母さんが千里・理歌・美姫の3人を
「あんたたち、ここにいたら、またお酒飲まされるから」
と言って外に連れ出してくれた。伯母さんの高校生と中学生の息子たち(貴司や理歌たちの従兄弟)は、むしろ好きこのんでお酒を飲んでいる。
 
車は島の南西の方に向かった。
 
「高い山が見える」
「あれは利尻岳だよ」
「じゃ、あそこはもう利尻島ですか」
「そうそう」
 
利尻岳は1719m, 礼文島にも礼文岳があるが490mという小さな山である。
 
伯母さんは猫岩というところに連れて行ってくれた。遠景になったので双眼鏡で見る。
 
「ほんとに猫に見える!」
と美姫が喜んでいる。
 
「こちらの岩は桃岩というんだよ」
「確かに桃にも見えるけど・・・」
と千里が言ったら
「私にはおっぱいに見える」
と理歌が言った。
 
他の3人もそれに同意していた。
 
「おちんちんも付いてますね」
 
桃岩の途中に柱状の岩があるのである。
 
「おっぱいもあっておちんちんもあるならニューハーフさんですね」
などと理歌は言っていた。
 

祖父宅を15時すぎに引き上げ、香深港を16:30のフェリーに乗って18:25に稚内に戻って来た。貴司のお父さんは船中でも他の親戚と日本酒を飲んでいた。
 
稚内でみんなでラーメン屋さんに入ってから解散する。千里たち一行はおやつを買うのにコンビニに入った。
 
そして、車で旭川まで戻らなければならないのだが、お父さんはかなり酔っている。「あなた運転しないといけないこと忘れてたでしょ?」とお母さんから叱られている。
 
「すまん」
 
「お母さん運転できる?」
と理歌が訊く。
 
「無理な気がする」
と言ってお母さんはアルコール・チェッカーで確認していたが、まだかなり濃度は高いようだ。
 
「お母さん、今日はどのくらい飲んだんですか?」
と千里が訊く。
 
「お昼頃、焼酎を2杯飲んだのよ」
 
千里は携帯のアプリでアルコールが抜ける時間を計算してみた。
「それ抜けるのに10時間かかりますね」
「あ、そんな気がした」
「お父さんの抜ける時間計算できる?」
「お父さんどのくらい飲みましたっけ?」
「お昼頃、焼酎を7杯、フェリーの中で日本酒を3杯」
「計算では抜けるのに27時間かかります」
「ああ、そのくらいだと思うよ」
とお母さんが言う。お父さんは済まなそうにしている。
 
「どうする?夜中まで待つ?」
「私お酒に弱いからたぶん計算で出る時間より長く、2時頃まで待った方がいいと思うのよね。でも1人で運転すると休憩が必要だから」
 
千里はこの状況は仕方ないなと思った。
 

「私が運転しますよ」
「千里さん、運転できるんだっけ?」
「免許は持ってませんけどね」
 
それで、助手席にお母さんが乗って、一緒に警戒してくれることになり、千里が運転席に座り、お父さんは後部座席に乗ったものの、2人の娘から
「お父さん、酒臭い」
と言われて、少し落ち込んでいた。
 
セフィーロを発進させる。
 
「他の親戚はどうしたんでしょう? 網走の伯父さんとか札幌の伯母さんとか」
「たぶん飲酒運転」
「ああ」
 
千里が丁寧に車を出してゆっくりと加速すると、後部座席のお父さんが
「千里ちゃん、巧いね!」
と褒めてくれた。
 
お母さんは早くアルコールが抜けるようにたくさん水を飲んでいた。
 
「千里ちゃん、随分運転するの?」
「それは内緒で」
 
私ってどれだけ運転したんだろう?と考えてみる。最初は去年の5月に紀伊半島で夜中にマジェスタを運転した。その後、東京でヴィッツを運転、8月に深川から札幌までボルボを運転して・・・と考えた時、北原さんのことを思い出して胸が痛む。その後、10月には熊本から宮崎までRX-8を運転。このRX-8を運転したので千里自身かなり運転に自信を持つことができた。その後、11月に北見から層雲峡までミラージュを運転。年明けてから1月にエンツォフェラーリとゴルフ・カブリオレ、その後ランエボ、エルグランド・・・・
 
などと考えていたら、私なんでこんなにたくさん運転してるのよ!?と自分で疑問を感じた。後ろできーちゃんが何だか笑っていた。
 
お母さんはなかなかアルコールが抜けなかったので、結局、千里が旭川まで運転して、そのあとファミレスで一緒に夜食を食べてからやっとお母さんの運転で留萌に戻っていった。千里たちが旭川に着いたのが夜1時頃であった。
 

「ポリープができちゃった!?」
 
黒羽の報告に、プロデューサーの麻生さんも、逢鈴と光帆も半ば驚き、半ば困惑した。
 
「お医者さんからは私の声の出し方が喉に負担を掛けているので、それでこういう事態になったのではないかと指摘されました」
 
「で、どうするの?」
「お医者さんからは手術すべきだと言われています」
「確かにここで治療せずに無理してて声が出なくなっちゃったりしたらまずいよね」
と麻生さんも困った顔をしながら言う。
 
「録音の方はどうしましょうか?」
と逢鈴が訊く。
 
碧空が離脱してしまったので、XANFASは結局アレンジを変更してもらって3声にして、再度録音作業をしようとしていた矢先の黒羽のトラブルである。
 
「キーボードとかなら弾けるんですけど、声があまり出せないかも」
と言っている黒羽の声は少しかすれている。
 
麻生さんはしばらく考えていた。
 
「入院はどのくらいかかる?」
「順調であれば3日でいいそうです。ただし手術後1週間はしゃべるのも禁止だそうです」
 
「黒羽ちゃんさ、XANFASへの参加自体は継続したいんだよね?」
「ええ、できれば」
 
「だったら、こうしようか。今回はボーカルは逢鈴ちゃんと光帆ちゃんの2人でいき、黒羽ちゃんにはキーボードを弾いてもらう」
 
「いいんですか? それ嬉しいです」
と黒羽は言う。
 
「じゃ、またアレンジ変更してもらうから」
「その間に私は手術を受ければいいですね」
 
「そういうことになるね」
 
光帆はその話を聞きながら、このプロジェクト、まだ何か起きそうだなという予感がしていた。
 
 
前頁次頁目次

1  2 
【女の子たちの開幕前夜】(1)