【女の子たちの新生活】(1)

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2008年4月。千里は高校3年生になった。
 
始業式にふつうに女子制服を着て出席する。思えば1年生に入った時は丸刈りで男子制服を着ていた。でも1年生も後半になるとしばしば女子制服で学校に出て行くようになり、昨年は始業式でこそ男子制服を着たものの、その後なしくずし的に女子制服を着ていくことが多くなり、夏以降はもう女子制服しか着なくなってしまった。
 
たぶん今年はもう男子制服を着ることはないだろう、と千里は思う。
 

千里たちのクラスであるが、千里は3年6組になっている。2年6組と同様に国立理系狙いのクラスなので、クラスの顔ぶれはほとんど2年の時と変わらない。法学部狙いの孝子など文転した数人が5組に移動になった程度で、逆に他の組から6組に来た子は居なかった。
 
5組が国立文系狙い、4組がその他の大学進学組、3組が短大コースと音楽コースで1−2組が情報・ビジネス・福祉コースである。短大コースに女子が多数入ったことで、1組は2年生では女子クラスだったのがバランスが崩れて、どちらも共学クラスになっている。その代わり3組はほぼ女子クラスになり、男子はわずか5名という状況になった。
 
「あんたたちもいっそ女子にならない?」
「いや、歌子みたいにチンコを放棄する気にはならん」
 
などと会話が交わされていた。薫も短大コースを選択して3組になっている。
 
しかし3組ではしばしば女子生徒が平気で教室で着替えたりするので
 
「お前ら、恥じらいを持て〜〜〜〜!」
と数少ない男子から言われたりしていた。
 
他のクラスの男子からは
「女子の下着姿見られるなんて羨ましい」
などとは言われたものの、彼らは女子が着替え始めたりすると自粛して目をつぶったり後ろを向いたりしていたようである。
 

今年は4月7日が始業式で新学期早々、4月10日に身体測定と内科検診、X線検査があった。1年の時はクラスメイトの好奇の目にさらされながらも女子と一緒に検診を受けた千里も3年生になると、何の戸惑いもなく他の女子たちと検診に出かける。他の子も特に千里に特別な目は向けない。ふつうにおしゃべりしながら千里はX線検査を受け、内科の検診を受けた。
 
お医者さんは千里の胸・お腹・背中に聴診器を当て、問診票も見ながら幾つか質問をする。
 
「貧血とかで立ちくらみを起こしたことはないですか?」
「ええ、無いです」
「生理は定期的に来てますか?」
「はい。28日周期でピタリと来ます(多分)」
 
多分と内心付け加えたのは、時間がしばしば飛ぶので自分では周期もよく分からないからである。
 
「前回の生理はいつありました?」
「3月30日です。ちょうどバスケの大会だったので苦労しました」
「ナプキン使ってるの?」
「はい。ナプキンをガムテープで固定してガードル穿いて出ました」
「それは大変だったね」
 
と女医さんは笑いながら答えている。
 
「タンポンとかは怖い?」
「怖いです!」
「まあナプキンで何とかなるならいいか」
と先生は言って開放してくれた。
 
服を着ていたら次の番の梨乃から突っ込まれる。
 
「千里って生理あるの?」
「あるけど」
「なんであるの?」
「だって私女の子だもん」
 
梨乃は何だか悩んでいる。鮎奈が笑いながら言う。
 
「千里は去年の検診までは、後から自分は生理そのものが無いから生理の乱れも無いなんて言ってたね」
 
「うん。でも今は規則的に来てるんだよね〜」
「千里、生理っていつから始まったの?」
「うーんとね。去年の5月24日に最初の生理があったよ」
と千里は手帳のカレンダーを見て言う。
 
「高校2年で初潮というのは随分遅いね」
「うん、私、奥手だから」
と千里が言うと、鮎奈は吹き出した。
 

バスケ部は春休みもずっと練習をしていたのだが、4月14日(月)は新入生向けの部活説明会をして、1年生の新入部員を受け入れた。
 
今年は壇上で、千里・結里・夏恋(以上女子制服着用)に昭ちゃん(自粛して男子制服着用)が4人連続で6mの距離(スリーポイントラインは6.75mでそれより少し近い)からシュートを決めるというパフォーマンスをして、新入生がどよめいた。
 
「男子バスケ部は一昨年は道BEST4, 昨年は道BEST8だった。君の力でインターハイに行こう。女子バスケ部はインターハイ3位だった。君の力で全国優勝しよう」
と暢子が《アジ演説》をした。
 
新入部員の希望者は今年は男子で15人、女子で25人に及んだ。この内、男子の国松・浮和、女子の絵津子・不二子・耶麻都・愛実は確定済みなので、残りの男子13名、女子21名に入部テストを行った。テストの内容は、28m走、ドリブル、パス、レイアップシュート、フリースローだが、本人の申し出がある場合、スリーポイントシュートも追加した。今年は途中で「残念ですが」といって帰すというのは行わずに、全部のテストが終わった後で、各自1分程度のメッセージを言わせた。
 
その結果、能力テストの点数が低くても意欲のある子は取るという方針で男子は10名、女子は21名全員の入部が決まった。
 
男子の10名の内4人は中学のバスケ部に居た子で残り6人は中学時代はバレー部やサッカー部、野球部だったという子たちであった。元野球部の子は外野手だったということでシューターの才能が無いかとスリーを撃たせたものの、どうもコントロールが悪いようで、これでは無理かということでフォワードを目指すことになった。
 
女子の21名も半数は中学時代にバスケ部だったとか、中学の時はしていなかったものの小学校でミニバスをしていたという子たちだが、残り半分は未経験なのでゼロから教えていくことにして、永子たち「銀河五人組」(旧・補欠五人組)を彼女たちの基礎教育係に任命した。銀河五人組は未経験だったのをゼロからきちんと教育されているので、筋が良く、他人に教えるのにも良いのである。
 
ところが永子たちが教え始めた《未経験》の子の中にいやに上手い子がいる。水嶋ソフィアちゃんと言って身長も174cmと長身である。
 
「ほんとに未経験なの?」
「ええ。バスケは授業とか球技大会とかでしかやったことないです」
「だってドリブル上手いし、シュートもうまいし」
「ミニバスも未経験?」
「うちの小学校、ミニバス部無かったので」
「へー」
「それでポートボール部に入ってたんですが」
「経験者じゃん!」
 
ということで彼女も秋以降のベンチ枠争いに加わりそうな感じであった。
 
「だけどソフィアってなんかハーフさんみたいな名前ね」
「実はニューハーフなんです」
「嘘!?」
「男の娘なの?」
「冗談です」
 
お父さんがソフィア・ローレンのファンだったらしく、お母さんの反対を押し切って付けてしまったらしい。背も高いのでけっこうハーフと間違えられるとは言っていた。
 
「私、志望校はソフィア大学英文科です」
「おぉ、頑張ってね。英語得意なの?」
「英語は60点以上取ったことないです」
「それは前途多難すぎる」
 
どうもこの子はダジャレの類いが好きなようである。
 

これで男子バスケ部は3年生6人、2年生8人、1年生12人の合計26人。女子バスケ部は3年生11人、2年生16人、1年生25人の合計52人という大所帯になる。但しここで昭ちゃんは「湧見昭一」の名前で男子バスケ部に、「湧見昭子」の名前で女子バスケ部に登録されている。
 
「昭ちゃん、登録証はどうなってんの?」
と従妹で新入生の湧見絵津子に訊かれるので、昭ちゃんは自分のバスケ協会の登録証を見せる。
 
「2枚あるのか!」
「うん。湧見昭一のは所属がN高バスケ部男子、湧見昭子のはN高バスケ部女子になってる」
 
「昭ちゃん、女子バスケ部員を主張するなら、女子制服を着てきなよ」
「えーー!? そんなの持ってないし」
 
「じゃじゃーん」
と言って、川南が女子制服を取り出す。
 
「これ君にプレゼント」
「どうしたんですか?これ?」
「久井奈先輩からもらった」
「昭ちゃんにあげるなら良いよって。可愛い女の子になってね、と久井奈先輩から言われたよ」
「わあ、どうしよう・・・」
「女子制服着たいだろ?」
「着たいです」
「よし、着ちゃおう」
 
ということで、早速昭ちゃんは女子制服を着せられていた。
 
「歌子を女子の方に取られたのに、湧見まで取らないでくれよ〜」
と北岡君が言っていた。
 

なお、この日の部活は新入生テストが終わった後、入部試験に落ちた3人も誘って、校内の研修施設の食堂を使って「新入部員歓迎すきやき大会」をした。実は先日の阿寒カップの賞品の牛肉を使ったものである。野菜や調味料などは部費から支出している。
 
入部していきなりのすきやきに、新入部員は
「この部、居心地がよさそう」
などと嬉しそうに言っていた。
 
「但し練習は地獄だから」
「インターハイ目指して頑張ります」
「うん、頑張れ頑張れ」
 
入部試験に落ちた男子3人は
「落ちたのにごちそうになっていいんですかね?」
などと遠慮がちに言いながらも
「この牛肉美味しいですね!」
と喜んでいた。
 

4月15日(火)。千里は昼休みに職員室に呼ばれた。
 
「村山君、君がU18代表候補に選ばれたから」
と宇田先生から告げられる。
 
「ああ、選ばれましたか」
 
代表の件に関しては、橋田さんや大秋さんから「村山さんを代表に入れないなんてあり得ない」と先日のエンデバーで散々言われていたので覚悟はしていたが、やはり来たかという感じであった。
 
「正式発表は来週なんだけどね。色々準備とかもあるだろうから」
「準備ですか?何をするんでしょうか?」
 
「取り敢えずこれ、代表候補、および9月に代表確定した後、代表に選ばれた場合も含めてのスケジュール」
と言って表を渡される。第一次合宿から第四次合宿までの日程が書かれていて、9月に代表決定した後、第五次合宿、そしてU18アジア選手権という所まで日程が書かれている。あれ〜?これって佐藤さんが持ってた表じゃん?と思う。ということは、たぶん佐藤さんは先月の時点で既に代表候補に内定して通達がされていたのだろうと千里は推測した。
 
「代表候補の時点で海外合宿もあるし、アジア選手権も海外だし、取り敢えずパスポートを取っておいて欲しいんだけど」
 
「海外合宿ですか?私あまりお金無いですけど」
「費用はもちろん協会持ちだよ!」
「だったら良かった」
 
「でも貧乏な競技では、選手が自費でオリンピックに行く費用を調達したりするようなのもあるみたいですね」
と隣から川守先生が言う。
 
「バスケ協会が貧乏じゃなくて良かった」
「いや、わりと貧乏みたいだよ。前回の世界選手権で大赤字出したから」
「うーむ・・・」
「でもこのくらいの費用はちゃんと協会が出すよ」
 
「了解です。パスポートは市役所で取るんでしたっけ?」
と千里は尋ねる。
 
「君、住民登録はどこになってた?」
と宇田先生が聞き返す。
 
「旭川市です」
「だったら旭川市役所でいいよ。申請書に親御さんの署名捺印も必要だから、申請書をもらってから、一度実家に行くかあるいは郵送でやりとりしてくれる?」
「分かりました」
「そうそう。戸籍抄本も必要なはずだよ」
「じゃそれも含めて1度留萌に行ってきます」
「うんうん」
 

それで千里は母に連絡し、戸籍抄本の取得を依頼した。それで午後の授業を早引きして旭川市役所に行き、パスポート申請の用紙をもらう。そして留萌行きのバスに飛び乗った。
 
夕方留萌駅で母と落ち合ったのだが、母はギョッとした風。
 
「あんた、その格好でうちに帰ってこないよね?」
「え?」
 
千里は自分の服装を見る。あはは、女子制服のままだったぁ!
 
「ダメかな?」
「お父ちゃんが発狂するよ」
「面倒だなあ」
 
結局母と一緒に留萌市内のスーパーに行ってジーンズとトレーナーを買う。それに着替えて、頭にも短髪のウィッグを付けて、実家に戻った。
 
「おお、千里、春休みは全然帰ってこれなかったんだな」
「ごめんねー、お父ちゃん。バスケの練習が忙しくて」
「うん。まあ身体を鍛えるのはいいことだ」
 
その日は父はかなり機嫌が良かった。
 
「そうそう。ホタテの養殖は俺が完全に引き継ぐことなった」
と父。
「じゃ、海の男復活だね」
と千里も言う。
「まあ船に乗るといっても、沿岸の養殖場を見て回るだけだけどな」
「でも船に乗るのはいいでしょ?」
「うん。俺は陸(おか)に居たら、まさに陸(おか)の上の河童(かっぱ)だよ」
 

千里は父の機嫌が良い内に、パスポート申請書類の法定代理人欄に署名をしてもらった。
 
「まだ書類全体書いてないな」
「うん。用紙もらったままこちらに来たから。旭川に戻ってからちゃんと書いて提出するよ」
 
「でもパスポートなんか取ってどうすんの?お前んとこ、修学旅行海外とかに行くのか?」
「修学旅行は1年生の内に終わっちゃったよ。京都・東京だったけどね。バスケで海外遠征とかがあるんだよ」
 
「そりゃまた大変だな。でもそれ金が掛かるんじゃないの?」
「バスケ協会の公式の合宿とかだから、お金は全部協会から出るんだよね」
「へー。お金出してもらえるならいいな。俺も一度海外旅行とかしてみたいけど」
「お父ちゃんどこに行きたいの?」
「そうだなあ。アメリカがいいかな」
「へー」
「パリの町並みを歩いて向こうのハンバーガーとか食べてみたい」
「お父ちゃん、パリはフランスだよ」
 

その日は父はほんとに機嫌が良いようで、日本酒を2合ほど飲んで、そのまま眠ってしまった(千里の父はけっこうお酒に弱い)。千里たちは父を居間に寝かせておいて、代わる代わるお風呂に入る。
 
母がお風呂に入っていた時、玲羅が千里の胸に触る。
 
「前より大きくなっている気がする。お姉ちゃん、下の方はまだ手術してないの?」
「実はまだしてない」
「だってお姉ちゃん、女子選手なんでしょ?それって手術済みでないと認められないよね?」
「その件、お母ちゃんには内緒ね。話がややこしくなるから」
「じゃ、まだ身体は男なのに女子の試合に出てるの?」
「ひとつだけ誓って言う。私はその手の不正は一切してないよ」
 
玲羅は納得するように頷いていた。
 

「そうだ。私の入学金とか授業料とかたぶん、お姉ちゃんが出してくれたんだよね?お母ちゃん、曖昧な言い方してたけど、借金した訳じゃ無いみたいだし」
 
「その件は今は玲羅は考えなくていいから、しっかり勉強しなよ」
「うん」
「ここんちの借金って増えてない?」
「今のところ現状維持っぽい。増えてはいないみたいだけど、やはり毎月の利子が大きいみたい」
「一度破産した方が良かったと思うんだけどねぇ」
「破産すると親戚に迷惑がかかるとお母ちゃん言ってた」
「保証人になってもらってるのか」
「どうもそういう感じ」
 
「とにかく学資のことは心配しないで玲羅は勉強頑張って」
「うん、分かった。そうだ、私部活もしていい?」
「卓球だっけ?」
「ソフトテニス部に入っちゃったんだ、実は」
「お前ラケット持ってるの?」
「それがお母ちゃん、買うお金無いみたいで。今のところは友達のラケット借りて練習してるんだけどね」
「玲羅、一度旭川に出ておいでよ。どうせなら旭川のスポーツショップで選ぶといい」
「シューズも買っていい?」
「室内用と室外用がいるよね?」
「室外用も実は5種類あるんだよね」
「そんなにあるの!?」
「でもオールコート用とオムニ&クレイ用の2種類でだいたい何とかなると言われた」
「3種類くらいなら買ってあげるよ」
「あと、ユニフォーム代が必要なんだけど。ウィンドブレーカーとかも」
「出してあげるよ」
と千里は苦笑しながら言った。
 

母はお風呂から上がった後で
 
「そうだ、お父ちゃんが寝ている内に」
と言って、千里に女子制服を着るように言い、玲羅にも新しい高校の制服を着せて、姉妹が並んでいる所の写真を撮った。
 
「やはり娘が2人いると華やかだなあ」
などと母は嬉しそうに言っていた。母は都合がいい時には千里を娘扱いしてくれる。
 
父は結局そのまま熟睡していたので、放置して、母と妹と千里の3人で奥の部屋で寝た。そして朝母に駅まで送ってもらい、朝一番の列車で旭川に戻った。
 

千里はいったんアパートに戻って申請書類を書き上げ、自分の写真をプリントして規定のサイズに切り、裏に名前を書いた。それから市役所に行って提出した。
 
「本人確認に運転免許証とかお持ちですか?」
「生徒手帳でもいいですか?」
「拝見します」
と言って千里が提示した生徒手帳を見ている。
 
係の人は、村山千里・平成3年3月3日生、性別:女、と書かれた生徒手帳を見る。それは申請書類に書かれている内容と一致している。写真を目の前に居る本人と見比べる。写真に映っているのと同じ女子制服姿で、髪の長さは少し違うものの同じ顔に見える。
 
「生徒手帳は1点だけでは本人確認にならないのですが、保険証とかお持ちですか?」
「あ、はい」
 
それで千里は国民健康保険の保険証を見せる。
 
「ああ、国民健康保険ですか。お父さんは自営業か何か?」
「うーん。自営業になるのかなあ。会社勤めではないし」
と千里は自分でもよく分かっていないので曖昧な答えをする。
 
「ああ、いいですよ」
 
係の人は保険証に書かれている名前・生年月日・性別を見る。やはり村山千里・平成3年3月3日生、性別:女、と書かれている。
 
「ではこの生徒手帳と保険証、コピー取らせてもらっていいですか?」
「はい、どうぞ」
 
コピーを取ってきた上で、戸籍抄本とも見比べる。村山千里、平成3年3月3日生となっている。
 
「はい、OKです。だいたいできるのは2〜3週間後になると思います。ハガキが来たら、必ずご本人が受け取りに来てください。受け取る時に手数料が6000円掛かります」
 
「分かりました。ありがとうございます」
 
千里はパスポート申請を終えて窓口を後にした。係の人は申請書類に書かれている通り、村山千里(Chisato Murayama)・平成3年3月3日生、Sex:F でデータの入力を行った。
 
そういう訳で、係の人は戸籍抄本に「続柄・長男」と書かれているのをうっかり見落としてしまったのである。生徒手帳・保険証が性別女になっているし、本人もどう見ても女にしか見えないので、この戸籍抄本だけ性別が異なっているとは夢にも思わなかったのであった。
 

 
その週の週末、2008年4月19-20日にはバスケットの旭川地区大会が開かれた。これはインターハイの地区予選を兼ねたものである。この予選にN高校女子はこのような選手登録を行った。
 
PG 雪子(7) メグミ(12) SG 千里(5) 夏恋(10) SF 寿絵(9) 敦子(13) 薫(15) 絵津子(17)PF 暢子(4) 睦子(11) 川南(16) C 留実子(6) 揚羽(8) リリカ(14) 耶麻都(18)
 
4月になってやっと転校生制限が解除されたものの性別問題で6月までは地区大会までしか出られない薫を15番で登録し、17,18には新入生で即戦力の絵津子(SF.164cm)と耶麻都(C.179cm)を登録した。彼女たちには取り敢えず高校のバスケをコート上で経験してもらうのが主目的である。
 
結果的に蘭・葉月・結里・永子あたりが弾き出されてしまった形だが、彼女たちには「薫は道大会には出られないから最低1枠は空く」と言ってあげている。ボーダー組の中で川南を今回のメンバーに入れたのは、川南が年末年始の合宿以来、かなり頑張って練習に励んでいるし、先日の阿寒カップでも積極的な姿勢を見せている、その努力を買ったものである。
 
なお今回マネージャー枠には、高校のバスケの試合を間近で見て勉強してほしいということで、PGとして育てる予定の新入生・愛実を座らせる。彼女は素質は高いのだが、経験が皆無に等しい。そもそもバスケのスコアの付け方を知らなかったので、永子に教えさせ、ビデオなど見せて実際に付けさせて永子が付けたものと見比べて誤りをただすというのを何度かやった。
 

1回戦は旭川近郊の高校であるが、そんなに強い所ではない。主力は出ないことにして、敦子/薫/絵津子/川南/耶麻都というメンツで出て行く。今回、薫だけは全試合に可能な時間フルに出す予定である。キャプテン代行は敦子にした。
 
敦子も最近かなりポイントガードの代理をやっているので、随分センスが鍛えられている。全てに卓越している薫、とにかく巧いと思わせるプレイをする絵津子、意欲だけは充分の川南、という全く違うタイプのフォワード3人を上手に使い分けて得点をゲットしていく。今回の大会では耶麻都にはリバウンドだけ頑張るように言っている。
 
さすがに40分ずっと出るのは辛いので、適宜、睦子・メグミ・リリカたちも出したが、暢子や千里たちは一度も出ないまま、130対26で勝利した。その内45点が薫の得点である。
 
薫にとっては女子選手としての初公式試合になったので、物凄く感動していたようである。
 
「薫、感動したところで、性転換手術」
と暢子が言うと
「すごーく受けたい気分」
と薫も言っていた。
 
準々決勝はJ高校である。これも1回戦と同じメンツで出て行く。このレベルの相手にはもっと弱い子たちを入れてもいいのだが、ベンチ枠が15人なので、そこまで弱いメンバーを入れられないのである。この試合も92対34で勝利した。
 

大会は2日目に入る。
 
千里はこの日生理が来ていた。昨日もけっこう下腹部がもぞもぞする感覚があったし、おり物も増えていたので来るかな?と思って昨夜は寝る時にちゃんとナプキンを付けておいたのだが、朝起きてみると案の定来ていた。以前失敗した時で懲りているのでこの日は夜用スーパーを付けて生理用ショーツを二重に穿き、更にガードルで抑えて出て行く。
 
『千里、ここまでするくらいならタンポン入れたら?』
と《いんちゃん》が言ったが
『えー? なんか怖いじゃん』
と千里は言って、今回はナプキンで頑張ることにした。でも《いんちゃん》は何だか笑っている。何なんだ!?
 
『でも私のこの身体、実際問題として性転換からどのくらい経ってるの?』
と千里は尋ねる。
 
『ちょうど1年くらいだよ。昨日今日は肉体的には2008.11.06-07だけど、千里が性転換手術を受けたのは肉体的には2007.11.13』
と《いんちゃん》。
 
『あと少しで1周年か!』
『ちなみに明日は2009.12.23になるから。一昨日は2009.12.22』
『1年のギャップがあるのね』
『千里、身体が突然変わるのにもだいぶ慣れたろ?』
『うん。また変わったなという感じ』
 

 
今日は準決勝と3位決定戦・決勝が行われる。今回準決勝の組み合わせはN高校−M高校、L女子高−A商業、となっている。上位常連組のR高校は今回は準々決勝でM高校に敗退した。
 
この大会は3位までが道大会に行ける。今日はどのチームも2戦することになるのだが、2敗しない限り道大会に行けるという計算も成り立つ。
 
コートに整列する。スターターはN高校は雪子/千里/薫/暢子/留実子という最強布陣で行く。対するM高校は伶子/水希/橘花/輝子/蒼生という布陣で来た。
 
ティップオフは留実子が取る。ティップオフでこちらが取った場合、N高校は多くの場合速攻で点を取りに行くが、今日はゆっくりと攻め上がった。暢子と薫がスクリーンプレイを仕掛けて、それで結果的に薫がフリーになったので薫がシュートして2点。
 
N高校が先制して試合は始まった。
 

この試合では第1ピリオドでポイントガードをした雪子も、第2ピリオドでポイントガードをしたメグミも、できるだけ薫にボールを集めて得点させる形を作った。それで前半を終わって32対42と10点差が付いていたが、42点の内18点が薫の得点であった。
 
ところがハーフタイムに橘花が厳しい顔をして、こちらのベンチエリアまでやってくると言った。
 
「千里、暢子、まじめにやってよ」
 
暢子は橘花をしばらく見つめていたが
「いいよ」
と言った。
 
千里は南野コーチを見たが、南野コーチも宇田先生も頷いた。
 
N高校は盟友ともいうべきM高校を叩きすぎないように、この試合は七分くらいのパワーで試合をしていた。橘花はそういう戦い方は不満だと言ってきたのである。
 
しかしハーフタイムに相手ベンチに何か言いに行くというのは、むろん違反だ。
 
審判が飛んできてテクニカル・ファウルを宣言しようとしたが、千里は審判に笑顔で言った。
 
「すみません。試合の後の打ち上げの話をしただけですので」
 
それで審判は橘花に警告をしただけで引き下がってくれた。
 

そこで後半は全開で行くことにする。留実子はあまり無理させたくないので、後半のセンターは(揚羽を温存したいので)リリカにするが、リリカにはフルパワーで行けと指示を出した。雪子も決勝に温存したいので、ポイントガードに敦子を使って攻めていく。
 
前半は薫と暢子のコンビネーション・プレイから薫に高確率でシュートさせたのだが、後半はどちらがシュートするかは相手ディフェンダーの動きを見て瞬時に判断する。また前半はあまりスリーを撃たなかった千里もどんどん積極的にスリーを撃つ。それは猛攻ともいうべきものであり、あっという間に点差は20点、30点とついて行く。しかし橘花は物凄く気合いの入った顔をして、伶子や宮子を励まし、N高校に対抗していった。
 
結局、試合は108対48でN高校が勝った。
 
試合後握手した時に橘花が千里に笑顔で言った。
 
「ありがとう。本気でやってくれて。でもおかげで私たちは進化できた」
 
「また今年も一緒にインハイに行こうよ」
と千里は言う。
「うん。打倒P高校だね」
と橘花は笑顔で答えた。
 
ここ数年の道内の公式大会でP高校に勝ったことがあるのは、N高校とM高校の2校しかないのである。(N高校は2月の新人戦準決勝、M高校は昨年のインハイ予選の決勝リーグ。ほかカップ戦では札幌D学園もP高校に勝ったことがある)
 

 
なお、もうひとつの準決勝はL女子高が大差でA商業を下していたが、L女子高は溝口さんたち主力は出ずに、控え組だけで乗り切った。
 
男子の準々決勝をはさんで女子の3位決定戦が行われたが、M高校がA商業に圧勝して、道大会へのチケットを獲得した。これで今年も旭川地区から道大会に行くのは、昨年同様、L女子高、N高校、M高校の3校になることが確定した。
 
3位決定戦の後にL女子高とN高校の決勝戦がある。L女子高は午前中の試合で主力を温存していたが、N高校はM高校への義理を通して主力を使っている。疲れはまだ取れていない。しかし暢子はみんなに「この試合勝ったら監督がジンギスカンをおごってくれるぞ」などと言って檄を飛ばしていた。宇田先生はそんな話を聞いていないので、びっくりしていたが、みんなはそれで結構盛り上がっていた。
 

試合は序盤から激しい戦いとなった。
 
スターターは、雪子/千里/薫/暢子/揚羽である。向こうは藤崎/登山/大波/溝口/鳥嶋 という布陣。N高校もL女子高も昨年の秋以降現在の3年を中心としたチームになって強い所との試合経験をたくさんしてきているので、どちらも充分レベルが高い。
 
そしてN高校は最近急速に実力を上げてきているのだが、L女子高にしてもブロックエンデバーに多数のメンバーが参加して結構実力の底上げをしている。加えて疲労の差がある。それでやはり体力を温存していたL女子高の猛攻にいったん点差が付きかけるが、この試合までしかインハイには参加できない薫が必死のプレイで追いすがる。薫の奮起に刺激されて暢子も千里も頑張る。主力組で体力を温存していた雪子・揚羽が、千里と暢子が疲れて動きが少し悪くなっている分をカバーする。
 
結局前半終わって40対40の同点である。
 
突然展開される全国レベルの戦いに、集まっているバスケガール、バスケボーイたちの視線も熱くなる。
 
第3ピリオドは暢子・千里ともに休んで、寿絵と夏恋に任せる。そしてこのピリオド、暢子が下がっているのでキャプテンマークを薫に付けさせた。
 
薫はそろそろ体力の限界に達しているのだが、本人が全ピリオド出たいと言っていることもあり、下げない。スクリーンプレイのうまい夏恋が、うまく薫の攻撃できるルートを作り出す。そして夏恋は自らボールをもらった時(ピック&ポップ)は、千里ほどの精度は無いものの積極的にスリーを撃つ。薫自身もさすがに疲労で隙ができやすいので、そこを試合巧者の寿絵にカバーしてもらう。
 
それでこのピリオド、18対22と、こちらがリードする展開となる。累計で58対62である。
 
しかし点を取られたら取り返せと向こうも激しく攻めてくる。第4ピリオド前半を過ぎたところでまた70対70の同点になっている。
 

こちらの攻撃。薫がドリブルしている。第3ピリオド後半から時折一瞬見せる集中力が途切れたかのような表情。そこに伶子がスティールに来る。
 
ところが実はその表情自体が薫のフェイントで、この時薫は心の中ではむしろ精神を研ぎ澄ませていた。
 
伶子が動いたことでできたスペースにその伶子にマークされていた雪子自身が飛び込んで行く。薫は雪子の居る少し前の付近めがけて素早いバウンドパスを出す。そのボールに追いつくようにして雪子はキャッチし、カバーに来た鳥嶋さんを背丈の差を逆用して抜く。
 
この背丈の差の逆用は、溝口さんにしても鳥嶋さんにしてもこの試合で何度かやられている。やられると分かっていても対抗できないんだよと溝口さんは言っていた。雪子は158cmの背丈で更にコサックダンスみたいに身体をぐいっと低くしたままドリブルする技なども持っている。176cmの溝口さんや178cmの鳥嶋さんにとっては、地面を這われているような感覚だ。
 
雪子がきれいにシュートを決めて2点のリード。
 
このピリオドでは薫は自らもシュートに行くが、それ以上に他のメンバーをうまく使って得点を奪うというパターンをよく使った。彼女は176cmの背丈なのでN高校女子ではスモールフォワードの登録だが(実際彼女の背丈ならパワー・フォワードかセンターでもよい)、東京の高校や中学時代(中1の頃171cmだったらしい)は男子選手としてはそんなに高い方でもないのでポイントガード登録されていた。それで、こういう感覚もかなり鍛えているのである。ただしガードは性(しょう)には合わないと言っていた。彼女は自分でシュートするのが好きだ。貪欲な点取り屋さんである。
 
しかし第4ピリオド後半は、今のプレイをきっかけとする薫の「ポイントフォワード」的な動きで、N高校はじわりじわりと点差を広げていく。点差が開いていくのでL女子高も必死に反撃するが、気力を振り絞っている薫が根性でディフェンスも頑張り、一度はスティールの達人の伶子から逆にスティールを決めるなどということもやる。
 
やがて試合終了のブザーが鳴る。ブザーと同時に登山さんがかなりの距離からシュートを放ったのがきれいに入り本人も驚いていたが、その3点を入れてもL女子高はN高校に届かなかった。
 

整列する。
 
「86対78でN高校の勝ち」
「ありがとうございました」
 
こうしてN高校女子は旭川地区大会に優勝してインターハイ道予選に進出した。
 
両者握手したりハグしたりするが、溝口さんが薫に何か言っていた。
 
「麻依子ちゃんに何か言われた?」
「バスト大きくした分、動きが鈍くなったんじゃないかと」
と言って薫は頭を掻いている。
 
「ああ、いきなりおっぱい大きくなったからね」
と川南。
「300cc注入したと言ってたから0.3kg重くなってるよね?」
「缶コーヒー1個半」
 
「その分の体重増を、贅肉落としてカバーしなきゃ」
と寿絵。
「国体予選までに鍛え直しておくと言っておいた」
と薫。
「よしよし。薫には1日100kmのジョギングを課そう」
と暢子が言うと
「さすがにそれは身体が壊れる」
と言う。
 
「ついでに国体予選までに余計なものを身体から切り離しておくといい」
「あれを取るだけでも何百グラムか体重減らない?」
「そんなに重くないよ!」
 
「まあ巨大化している時は重量もあるかもね」
「直径3cm長さ15cmの円柱の体積はπr2h(パイアール2乗エッチ)で、ざっと400立方センチかな」
と寿絵が暗算で概略の計算をする。
 
「お、だったら比重1として400gあるじゃん」
「薫が大きくしたおっぱいより重い」
 
「でも縮んでいる時は直径2cm長さ7cmとして80立方センチくらい」
「凄い、体積で5倍になるのか」
 
「私のは長さ3cmもないよ。直径ももう少し小さい。それにタマが無いから、もう大きくなったりはしないよ」
と薫が大胆な告白をする。
 
「ほほぉ」
「じゃ直径1.5cm、長さ3cmとして20立方センチ」
「薫のおちんちんは普通の男の子のおちんちんの4分の1か」
 
「数学って役に立つのね」
 
南野コーチが女子たちのペニス数学論議に呆れていた。宇田先生はもう聞いてない振りをしていた。
 

「そのくらい小さければ大きめのクリちゃんとみなしてあげてもいいかな」
「クリちゃんがそんな大きな子って居る?」
 
すると留実子が
「長さ1.5cmくらいの人いるよ」
などと言い出す。
「すごっ」
 
「じゃ薫はそのクリちゃんを半分くらいの長さに切ってもらえば女の子の身体とみなしてあげてもいいかも」
と川南。
 
「半分切るくらいなら全部切るよ!」
と薫は言った。
 

男子の決勝が行われた後表彰式になる。男女の3位までが賞状をもらい、1位には優勝旗も授与される。「平成20年度・旭川地区高校バスケットボール春季選手権大会・女子・優勝/旭川N高校」という新しい校名の書き込まれたペナントが取り付けられている。この優勝旗はここ数年、L女子高とN高校が「お持ち帰り」する率が高いので、両校の校名のペナントが多い。
 
今回は暢子がその優勝旗を受け取り、薫に優勝の賞状を受け取らせた。
 
個人賞も発表される。優秀選手賞にはM高校の橘花が選ばれた。N高校との激戦を戦った後でA商業とも更に激しい試合で健闘したのが評価されたのだろう。
 
「得点女王。旭川N高校、歌子薫さん」
 
これには薫はびっくりしていた。慌てて「はい」と返事し、チーム優勝の賞状を寿絵に預けて前に出る。思えば彼女は1回戦からずっと出ていたので総得点は確かに凄いことになっていたはずだ。嬉しそうに賞状をもらう。女子の公式大会に初めて出場を認められて、それで賞状をもらうというのは最高だろう。
 
「スリーポイント女王、旭川N高校、村山千里さん」
 
「はい」と返事して前に出て賞状を受け取る。スリーポイント女王の賞状も随分増えたなと千里は思う。中でもインハイのとオールジャパンのは宝物だけどね。
 
「アシスト女王、旭川L女子高、藤崎矢世依さん」
 
「はい」と答えて彼女も前に出て賞状を受け取る。N高校は昨日の試合では雪子もメグミも使わなかったが、藤崎さんは昨日の試合にも結構出ていた。それでアシスト数も多くなったのだろう。
 
並んでいる橘花・薫・千里・藤崎さんの4人で握手してから下がった。
 
男子の方では1位B高校、2位N高校、3位T高校であった。北岡君が賞状を受け取る。そしてスリーポイント王は昭ちゃんが取ったが、昭ちゃんが前に出ると、どう見ても女子選手に見えるので、一瞬、役員さんたちが会話を交わしていた。しかし本人ですよと昭ちゃんを知っている役員さんが言ってくれて、何事もなかったかのように賞状が授与された。
 

「結局薫って、やはりタマタマは抜いてて、おちんちんが残存している状態?」
とあとで薫がいない時に暢子が千里に訊いた。
 
「本人はそういうのを示唆してるね。でも協会が女子の試合に出ていいと認めたということは、やはりタマタマが無いのは確実として、おちんちんも無いんじゃないかという気もするんだけどね」
と千里はその点については疑問を呈す。
 
「でも最終的な手術をしてないと言ってたよね」
「たぶんまだヴァギナを作ってないんだと思う」
 
「そういや、こないだのタンポンどうしたんだろ?」
「なかなか出てこないから、死ぬ思いで抜いたらしい。そのあと数日お尻が痛かったって」
 
「同情できんな」
「うん。あいつ絶対不純な動機でタンポン入れてる」
「でも結局ヴァギナはまだ無いんだ?」
 
「僕もあの子、既におちんちんは取って割れ目ちゃんにしてるのではという気がするんだよね。あの手術、ヴァギナまでは作らなかったら、短期間で回復するんだよ」
と留実子。
 
「宇田先生に訊いたけど個人情報だから教えられないと言ってた」
と暢子。
「去年、私の診断書が何だかいつの間にか流出してたから、先生も警戒を強めてるんだと思う」
と千里。
「ああ、あれは宇田先生の机の上にあったのをこっそりコピー取った」
 
「犯人は暢子か!」
 
蓮菜までコピーを持ってたもんなあ、と千里は思う。暢子から蓮菜に伝わるということは恵香あたりを経由してる?いったい何枚コピーされたんだ?
 
「でもタマが無いから大きくならないって言ってたけど、あれってタマの力で大きくなるものなの?」
と川南が訊く。
 
「実は関係ない」
と千里は答える。
 
「そうなんだ?」
「でもタマを取れば男性ホルモンが無くなるから男性能力自体が消える。睾丸を取ったり、あるいは長年女性ホルモンを服用して機能停止している人は大抵勃起しないよ」
「ほほお」
「勃起する人もいるわけ?」
「居る。稀にだけど」
 
と言って千里は雨宮先生の顔を思い浮かべていた。
 

大会が終わった後は、宇田先生が、暢子が勝手に約束したジンギスカンをポケットマネーで本当に部員たちにおごってくれた。
 
男子の方の打ち上げに行った昭ちゃんを除く51名の女子部員、宇田先生、南野コーチで53人の大人数。ジンギスカンの食べ放題のお店に行ったが、中高生女子1000円大人男2500円女2000円という料金を払うと55,500円である。千里は宇田先生の奥さんがあとでクレカの明細を見て絶句しないか?と心配した。
 
しかし1年生女子たちは入部早々、先日のすき焼きに今日はジンギスカンにとお肉をたっぷり食べられて、「ここのバスケ部は良い所だ」というイメージを持ってくれたようである。
 
お店に行くと、同じお店にM高校のメンツも来ていた。
 
「そういえば、私たち打ち上げを一緒にしようということだったね?」
と橘花が言い、両校選手が入り乱れていくことになる。
 
「そちら男子は別なの?」
と伶子に訊かれるが
 
「最近、この手の催しで男女を分離してくれと校長先生から強いお達しがあったのよ」
と暢子が言う。
 
今回N高校男子も準優勝して道予選に駒を進めている。昭ちゃんのスリーが炸裂したのがその大きな原動力となった。M高校の男子は準々決勝で負けてしまっている。
 
「ああ、確かにこういう場って恋愛発生しやすいもんね」
「そうそう。万が一にも主力が恋愛でふぬけになったら、まずい」
「特に女子は恋愛すると運動能力的なパワー落ちるよね」
「最初から恋愛している前提の一部の子は別としてね」
と橘花が千里を見ながら言うので千里も苦笑する。
 
「でも、女子はそもそも《ふ》が無いのでは?」
「あれ、男子は《ふ》を抜いちゃうと、パワー落ちるの?」
「肉体的にも精神的にもパワーダウンするみたいよ」
「へー」
 
「千里は抜いた時、パワー落ちた?」
「うーん。私は逆に上がったかな」
「ほほぉ」
 
正直千里は男の子の身体でいた時より今の《女子高生の身体》の方がパワーも出るし、動きも軽やかな感じがするのである。なお千里は今回この19-20の2日間だけ女子高生の身体になっている。明日からはまた女子大生の身体に戻るはずだ。
 
「千里は元々が女子だから、純粋な女子になることでパワーアップしたのでは?」
「あ、その説に納得」
 

打ち上げが終わって帰宅する途中、千里は雨宮先生からメールが来ているのに気付く。
 
「メールしたらすぐ連絡しなさい」
「すみませーん!」
「あんた今夜、ちょっと時間取れる?」
「何でしょう? 今度はどこに行けばいいんでしょうか?」
 
もう突然呼び出されてあちこち行くのも随分慣れた。
 
「ラテ島あたりに行ってもらってもいいけど、それよりちょっと作業を頼む」
「はい?それどこですか?」
 
ラテ(Late)島はトンガにある直径3km程度の小さな火山島である(島の高さ=山の高さは海面から540m(海底から1500m)ほどで幅400m・深さ150mもの大きな噴火口を持つ)。噴火は1790, 1854年に2度観測されただけだが、2012年にはこの付近を震源とする地震が起きている。無人島であり交通機関は存在しない。行きたければ船をチャーターするしかない。
 
「実はAYAのあすか・あおいが辞めた」
「えーーー!?」
「だから23日発売予定のCDはいったん発売中止」
「もうお店に送っていたのでは?」
「明日発送する予定で、既に運送屋さんの倉庫に入っていた。それを停めてもらった」
「ひゃー」
「『ティンカーベル』が23万枚売れているからさ。今回★★レコードは30万枚プレスしていた。とんでもない損害だよ」
 
30万枚を廃棄したら恐らく5000万円以上の損害が出る。既に配送予定だったのを停めたのであれば、ひょっとしたら損害は7000-8000万くらいに及んでいるかも知れない。
 
「どうするんですか?」
「緊急の会議を開いた。それでいったん、AYAのデビューは中止して、追加オーディションを来月開いて2人追加し、7月くらいにあらためてデビューを目指す方針を、出版社と$$アーツと★★レコードの間で合意した」
 
「やむを得ないでしょうね」
「それでいったん、ゆみにもそう伝えた。ゆみも一応その方針を受け入れた。ところがさ」
「はい」
 
「その話にロサンゼルスに行ってた上島が異議を唱えた」
「へ?」
「この際、AYAはゆみだけでいいと言うんだ。実際AYAの歌というのは8割をゆみが歌っている。あすか・あおいは、メロディーを歌う部分が少なくて、大半ではコーラスを入れている。それにAYAのファンの大半はゆみのファンなんだ」
 
「じゃソロで歌わせるんですか?」
「ひとりユニットだよね。SuperflyとかT.M.Revolutionとかマイラバと同じ」
「確かにそういう例はありますね」
 
「それで、既存の音源から、あすか・あおいの声を除去して29日に発売することにした」
「はぁ!? 録り直さないんですか?」
「ゆみも決して歌唱力が高い訳ではない。録り直すと、商品品質になる歌にするのに1週間かかる。でも営業政策上、どうしても連休前に発売したいんだよ」
 
千里はすごーくいやな予感がした。
 
「でもそれでは歌詞が歯抜けになりませんか?」
「歌詞を確認したんだけど、ゆみが歌っている部分だけでも何とか歌詞として成立しているんだよ、奇跡的に。だからDAW(Digital Audio Workstation)上の作業だけで済む」
 
「その作業、誰がするんですか?」
「音響技師に任せるという案もあったんだけど、それだと純粋に音(おと)的に処理されることになる。それより、ミュージシャンの耳で調整した方がいいという判断になったんだ。結局、ゆみが歌っていない部分、あすか・あおいがメインメロディーを取っていた部分は、楽器の音で代用する必要がある。そこまでの作業は、ただの音響技師には無理」
 
「下川さんの所とかでやるんですか?」
「うちでやる。特に北原の遺作は他人の手に任せたくない」
 
雨宮先生のそういう気持ちは分かるなと千里は思った。でも・・・。
 
「それで『三色スミレ』は新島に作業させるから、『スーパースター』は千里、あんたがやってよ。ゆまにさせようと思ったら、あの馬鹿、こんな時に限ってロンドンに行ってると言うんだ」
 
ああ、私もロンドンに居たかったなと千里は思った。
 
「いつまでですか?」
「明日の朝10時までに工場に持ち込まないといけない。そのためには9時までにはマスタリングを終えないといけないから、音源は最悪8時までには完成させる必要がある。だから千里は今から指定するスタジオに急行して欲しい。そこで編集環境を整備させてるから。データも超高速回線で転送して既に★★レコードの協力会社の社員が、そのスタジオに持ち込んでるはず」
 
「つまり私、今夜徹夜ですか?」
「あんた若いだろ?」
「私、今日大会でくたくたに疲れてるんですよー」
「北原の遺作なんだから頑張ってよ」
 
「ちなみに先生は何をなさるのでしょう?」
「PVからあすか・あおいの画像を消す」
「大変そう!」
「毛利も緊急に新潟からこちらに向かっている。関越の混み具合次第だけど、12時頃までには着くだろうから一緒に作業するけどね」
「毛利さん、免停は明けたんでしたっけ?」
「それは明けてる」
「スピード違反とかで捕まらないといいですね」
「捕まったらまた謹慎延長だな」
 

それで千里は流しのタクシーをつかまえて指定されたスタジオに入る。叔母にはタクシーの中から連絡を入れた。あとで差し入れなど持っていくと言ってくれた。スタジオに到着したのが17時頃である。
 
スタジオでは既に編集環境は用意してもらっていたが、千里が若いのでスタジオの技術者荒木さんと★★レコードの協力会社の新田さんという人が一瞬不安そうな顔をする。そこで、こんな時に使えるとっても便利な名刺《鴨乃清見》の名刺を出すと
 
「おお、鴨乃さんにお会いできるとは光栄です」
「こんなにお若い方だったんですね」
などと言われた。
 
既にデータは到着しており、スコアもプリントしてもらっているので、それを見ながら音源を試聴し、まずは構想を練る。
 
しっかし下手くそだな。
 
とあらためて千里は思った。数回繰り返して聴いてみた結果、比較的高いあすかの声をフルート、低めのあおいの声をアルトフルートで代用する方針を固める。
 
そこでスタジオの楽器を借りて、千里自身でこの部分を演奏して荒木さんに収録してもらった。使用しているProtoolsというソフト自体の問題もあり、MIDIで打ち込むより、この方がよほど手っ取り早いし、そのため自分が充分なスキルを持つ横笛という楽器を選択したのである(Cubaseなら打ち込みを選択していた可能性もある)。
 
新田さんがお弁当を買ってきてくれたのでそれを食べながらデータを見ていたら、完成音源ではあおい又はあすかが歌っているものの、ProTools上では同じ部分にゆみの声も録音されていて隠されている部分が結構あることに気付いた。録音作業中はたくさんテイクを取るので、そのデータはプレイリストとしてキープしていることが多い。
 
おそらく制作途中でパート割が変わったものだろうが、その件について雨宮先生に電話して相談した結果、全部ゆみの歌を活かすことにした。それで歌詞の言葉のつながりが随分良くなった。
 
ここからしばらくの作業は千里ひとりでいいので、荒木さんと新田さんには少し休んでいてもらう。ちょうどその頃、叔母が来てお菓子とコーヒーを差し入れてくれた。
 
この歌唱の再構築作業が、結局12時近くまでかかった。
 
その後で今度は確定させたボーカルのトラックに混入しているあすか・あおいの声を丁寧に消していく。消すべき箇所は波形でもある程度は分かるが、最終的には自分の耳が頼りである。ゆみの歌は、あすか・あおいに比べたら随分ましなのだが、それでも下手なのには変わりはないので、何十回も聴いてて千里は頭が痛くなりそうだった。
 
この作業に3時間ほどかかって既に時計は3時である。
 
スタジオ内で仮眠していた美輪子が声を掛けてくれたので
「おばちゃん、お腹が空いた」
と言ったら、新田さんが
「僕が何か買ってきますよ」
と言い、コンビニに行って、肉まん・おにぎり・やきとり・カツサンド・チキンなどを買ってきてくれた。こういう時はタンパク質がとっても欲しくなるのでありがたかった。
 
最後はやはり楽曲としての完成度を上げることである。
 
3人で歌う形で完成している音源だ。ひとりで歌うことにした場合、単純にそのまま1人の歌に変更すると、物足りないような雰囲気になってしまう。しばしばレコード会社が往年のヒット曲を「リミックス」した音源を出すが、そういう詰まらない音源になっていることが多い。
 
千里は心をアルファ状態にして、再度楽曲のイメージを自分の脳内空間に展開する。千里はこの作業を目をつぶってやっていたので、美輪子はとうとう千里が力尽きて眠ってしまったかと思ったようで、肩をトントンした。
 
「大丈夫だよ、おばちゃん」
と返事をしてから、一度トイレに行ってくる。トイレで座っている内にイメージがまとまってくる。千里はパッと目を開けた。
 
貴司からもらったスントの腕時計で再度時刻を確認する。4時だ。
 
そして貴司からもらった腕時計を見たことで千里は貴司からパワーをもらったような気がした。貴司、私、頑張るね。ついでに**ちゃんと今日会うの禁止!(という念を大阪方面に送る)
 
結局1時間ほど構想をまとめていたことになるようだ。スタジオに戻ると千里は美輪子に
 
「おばちゃん、ごめん。コーヒー入れてくれる?」
 
と言ってから、一心にPro Toolsのデータを調整していった。この楽曲の全てが頭の中に展開されているので、もう試聴しながら調整する必要は無い。ある種の確信を持って千里は調整作業を続けて行く。それどころか大胆にも新しいトラックを1個定義して、そこにキーボードを使ってMIDIデータを即興で入力していく。音色としてウィンドシンセっぽいのが欲しかったので荒木さんに相談して選択した。画面上で調整を掛ける。しかし、このウィンドシンセのトラックを加えたことで、全体が物凄く引き締まった。最後に各チャンネルのボリュームを調整してバランスよくする。
 
千里は美輪子が入れてくれた濃いコーヒーを飲みながら作業を続けた。
 
そして「できた」と千里が確信した時、既に時計は6:40であった。
 
あらためて試聴してみる。
 
うん。上出来! これで歌手がもう少し巧ければもっといいんだけど。
 
そう思って微笑むと、千里は荒木さんと協力してそのデータをミックスダウンした(ゆみの声が入っているものと、オフボーカル版の2つ)。そのミクシングされたデータを東京のスタジオに送信する。
 
ここまでの作業が終わったのが7:30である。
 
あとはProtoolsのデータはあらためて新田さんが通信会社の拠点に持ち込んで高速回線で東京に転送するらしい。
 
千里は荒木さん・新田さんと握手した。荒木さんが
「若いのにセンスがいいですね!」
と褒めてくれた。
 
「千里、学校まで車で送っていくよ」
「ありがとう。お願い」
 
替えの下着・ブラウスと制服は美輪子が持って来てくれていたので、スタジオ内の個室を借りて着替え、髪にブラシを入れる。スタジオを出て、美輪子のウィングロードのリアシートに乗り込み、とりあえず学校に着くまでの間、眠っていた。
 

この日の朝のホームルームは全体集会に切り替えられ、東体育館(青龍)に全校生徒が集まる。この週末に行われた高体連の地区大会で、野球部が優勝、ソフトテニス部が準優勝、陸上の個人で男子3000mに出た子が3位、女子1500mに出た子が優勝、女子バレー部が3位、女子バスケット部が優勝、男子バスケット部は準優勝。更に千里はスリーポイント女王、薫が得点女王、昭ちゃんはスリーポイント王ということで、これらの部・個人がステージに順番に昇っては再度称えられる。
 
女子バスケ部は最後なので、それまで千里は控えている用具室で寝ていた。
 
「千里、どうした?徹夜でゲームでもしてた?」
「まあ何とかラスボスを倒したかな」
「体力あるなあ。あれだけ激しい試合した後で」
「いや、やはり体力無い。ごめんあと2分寝せて」
 
と言って千里がすやすや眠っているのを、他のメンバーは半ば呆れるように眺めていた。
 
なお、この日の朝、大阪にいる貴司は昨日食事を一緒にすることを約束していた同僚の女子社員から「ごめーん。友だちと映画行く約束しちゃった」というお断りメールを受け取っていた。
 
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【女の子たちの新生活】(1)