【女の子たちの女性時代】(1)

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お盆の最中、13日から16日まで、DRKの音源制作を行った。この時期に、東京に住んでいる美空が姉と一緒に旭川に住む父の家を訪問するので、そのタイミングで作ろうということになったのである。
 
「へー。美空ちゃん、じゃ、今バックダンサーとかコーラスとかしてるんだ?」
「うん。こないだ芹菜リセさんの音源制作に参加してコーラス入れたよ」
「すごーい!」
「なんかプロじゃん」
 
「芹菜リセさんって、よくスタッフとか怒鳴り散らかしてると聞くけど、どうだった?」
「そんなこと無かったよ。私の歌を音程が正確だって褒めてくれて、歌い方とかに色々アドバイスもしてくれた」
「へー!」
「でももしかしたら作曲者の蔵田孝治さんが同席してたからかも」
「なるほどー」
 
「蔵田さんはどうだった?」
「女の子には興味無しという雰囲気だった」
「なるほどー」
「多分男の子にしか興味無いというのは本当だと思った」
 
「美空ちゃん、事務所と契約したの?」
「してない、してない。芹菜さんの音源制作も演奏料10日間で11万1111円もらっただけ」
「なぜそんなぞろ目の金額なの?」
「それから10%源泉徴収して実際にもらえるのは10万円ジャスト」
「面白いことするね」
「じゃ税金で1万1111円取られちゃうんだ?」
「確定申告したら全部戻ってくるよと言われた」
「ああ、それはしなくては」
 
「でも10万円何に使うの?」
「ステーキを思いっきり食べようかと思ったんだけど」
「10万円分のステーキって凄いサイズでは?」
「グラム500円のお肉が2kg買える」
「プロレスラーでもちょっと無理だよ」
 
「でもお母ちゃんから貯金しなさいと言われたから、2万円分家族5人でロイホのステーキ食べて、残りは定期預金にした」
「それがいい、それがいい」
 
美空のお姉さんの月夜が苦笑していたが、この時点ではまだDRKのメンツは美空がとんでもない大食いであることを知らなかった。なお5人というのは、美空と月夜、美空たちの母、母の現在の夫(美空と月夜の義父)、そしてその間に生まれた美空たちの妹の紗織の5人である。美空と月夜が旭川の父の所に来る時、そちらと血縁の無い紗織はお留守番である。
 
「でも今事務所主導で計画している歌唱ユニットに参加しないかという話もあるんだよ。5−6人くらいの編成で考えていて、今候補者を選定中なんだって。こないだから社長がうちに来て、何度か母ちゃんとお話ししてた」
「凄い。やはりデビューか!」
 
「最初はインディーズで、売れたらメジャーという線だろうけどね」
「おぉ」
「でもそしたら、美空ちゃん、そちらのユニットのデビューが決まるまで、こちらもやれる?」
「いいよ。契約するまでは何も拘束されないし」
 
「でも美空ちゃん、メインボーカル?」
「まさか。私より上手い人はたくさんいるよ。もうひとりやはりほぼメンバー入り確定という人の歌を聞いたけど無茶苦茶うまかった。まだ直接は会ってないけどね。私と同い年らしい」
 
「美空ちゃんより上手い子がいるんだ!?」
「すごーい」
「それに私アルトだし。やはりメインボーカルはソプラノだよ」
「ああ、どうしてもそうなるか」
「アルトは縁の下の力持ちで」
「でもアルトで上手い子って少ないから、きっと美空ちゃんは貴重な戦力」
「そういうことを社長さんからも言われた」
 

今回はフルートが吹けるという旭川L女子高のバスケ部1年生大波布留子さん(7月の合唱コンクールではコーラス部に助っ人で入っていた)を千里が連れてきたので14人編成で録音を行った。美空が「わーい!同い年」と言って喜んでいた。担当はこのようになっていた。
 
Fl 恵香・布留子 Tp 鮎奈・京子 Gl 蓮菜 Leier 智代 Ryuteki 千里
Vn 孝子・麻里愛 Gt1 梨乃 Gt2 鳴美 B 美空 Pf 花野子 Dr 留実子
 
かなり演奏をしてから、布留子は
「え?これCDにするの?」
と言って驚いていた。
 
「千里、何と言って連れて来たの?」
「うん。フルート吹けるならちょっと来てよ、と」
「正しい勧誘の仕方だ」
「印税はプロデューサーの田代君も入れて15人で山分けね」
「ちなみに前回作ったCDは1人あたり4万円ほど印税があったから」
 
「すごーい!そんなにもらえるんだ?」
「まあ売れたらね」
「売れなかったらゼロ」
「売れるといいなあ」
 
「でも布留子さん、凄いフルート使ってるね」
「あ、これ総銀」
と布留子。
「すごーい! 私のなんて全部洋銀なのに」
と恵香。
 
「総銀と洋銀って、なんか銀の組成が違うの?」
と質問が出る。
 
「総銀は全部本物の銀だよ。それ90万くらいしない?」
「うん、そんなもの」
「ひぇー!」
「私のは洋銀。銀は入ってない。銅と亜鉛とニッケルの合金」
「恵香のは幾らしたの?」
「これは20万円くらい」
「きゃー!!」
 
「千里が持ってるフルートは?」
「あれは白銅〜♪」
「白銅ってのは銅の合金?」
「そうそう。銅とニッケルの合金。つまり洋銀と比べて亜鉛が入ってない。百円硬貨に使われてる素材だよ」
「ほほぉ」
「ちなみに五百円硬貨は洋銀」
「おぉ!そう言われると、洋銀の方が高そうだというのが分かる」
 
「ついでに私のフルートは人からもらったものだけど、定価65000円の所を実際には44800円で買ったらしい」
「おお、ほんとに値段が庶民的」
 

「でも千里さん、その篠笛がなんか凄い気がする」
と布留子が言う。
 
「千里の龍笛も高いよね?」
「この龍笛は40万円だよ。でも布留子ちゃんが言うように、この篠笛の方がプライスレス」
 
「プライスレス??」
「東京の美術館の人に見てもらったんだけどね。鎌倉時代初期頃のものではないかと推定された」
「鎌倉時代っていつだっけ?」
「いい箱作ろうで1185年から」
「じゃ822年経ってる?」
 
暗算で2007-1185 = 822と即計算できるのがさすが特進組である。実際には2000-1185 = 815というのは頭の中ですぐ計算できるので、それに7を足すと822という答えが出てくる。
 
「私たちその笛が千里の所に来た経緯を知っているから、多分元の持ち主は実際に1180年頃の人だと思う」
と蓮菜が言う。
 
横笛は建礼門院に仕えていた。建礼門院が安徳天皇を産んだのが1178年。壇ノ浦の合戦が1185年である。
 
「だったらもしかして何千万円とかのクラスでは?」
「それが美術館の人が言うには、値段が付けられないというんだ。この笛は鳴らないから」
 
「鳴らない?」
「布留子ちゃん、吹いてごらんよ」
と言って千里が布留子に篠笛を渡す。
 
それで布留子が吹いてみるとスースーと息の音がするだけで鳴らない。
 
「なんか詰まってるような感じ」
「美術館の人もそう言ってた。でも管をのぞいてみても特に何も詰まってないんだよね。鳴らないから、もしかしたら単に観賞用として作られたものかもとその人は言った。で、私は目の前で吹いてみせたんだ」
 
と言って千里はその笛を吹く。
 
何ともいえぬ美しい音色がする。
 
「嘘!」
 
「どうもこの笛を吹けるのは私だけみたいなんだよ。実際、他に何人かの管楽器奏者の人にも吹いてもらったけど、誰も音を出せないんだよね」
 
「うーん・・・・」
 
「それで美術館の人も評価不能ということで」
 
「なんで千里さん、吹けるの〜?」
 
「千里は変人だから」
「うん。変人だから吹けるんだと思う」
 

今回のCDの収録曲は4曲。麻里愛が書いた『大雪山協奏曲』『ふたりの銀河』、千里が書いた『シークレット・パス』。この3曲の歌詞は蓮菜である。これに美空のお姉さん月夜が書いて提供してくれた『恋の旅人』。
 
とにかくも普段は全員そろうことがまず無いというバンドなので、合わせるまでが一苦労であった。最初はいちばん演奏しやすそうな『シークレット・パス』から始めたのだが、プロデューサー役の田代君が、あまりの揃わなさに一時は切れそうになっていた。初日の夕方くらいになって、やっと何とかなり始めて、本格的な録音は翌日14日から始めることにした。
 
なお、録音は今回も∞∞プロから依頼を受けたプロの音響技術者の人が付き合ってくれたし、演奏のバランスや音色設定などについても結構アドバイスしてもらった。
 

お盆の最中で各々家庭の行事もあるだろうということで、この4日間は朝9時から午後3時までということにした。それで13日はその後、暢子と待ち合せて市内の体育館で少し汗を流していたのだが、休憩中に携帯を見たらメールが入っている。何だろうと思って見てみたら父からである。
 
「スクーリングで札幌に行って来た。帰りにそちらに寄る。SPAのチケットもらったから一緒に入ろう」
とあった。
 
SPA!?
 
千里はしばらく考えた。
 
何〜〜〜!?
 
SPAってお風呂? 父と?? 私女の子なんだからお父さんとお風呂に入れるわけないじゃん。
 
でもちょっと待て。
 
再度考える。
 
私、今男の子の身体に戻ってるんだった!!
 
どうしよう?
 
暢子が「どうしたの?」と声を掛ける。
 
「あ、えっとお父さんからメールで、こちらに出てくるんだって」
「ふーん。じゃ、今日はこのあたりで上がる?」
「そうだね。また明日も4時くらいから。でもお風呂に行こうってどうしよう?」
 
暢子は「うーん」と考えている。
 
「千里は女湯に入って、お父さんには男湯に入ってもらえば問題無いと思うが」
「でもお父さん、私を男の子だと思い込んでいるんだよ」
「それは、さすがに、いい加減カムアウトすべき話だな」
「えーん」
 

取り敢えず暢子と別れてから、町で男物の下着を買って着替えた。タックも解除しておく。それで待ち合わせ場所に行った。いつも付けているウィッグも外して生頭だが《いんちゃん》に確認すると、千里が最後に頭を丸刈りにした日(歴史的には高2の4月。始業式の直前)から肉体上は74日、約2ヶ月半経っているらしい。それで頭は「伸びかけ」という感じになっていた。
 
父と会うと真っ先に父はその件を指摘する。
「お前、ちょっと髪伸びすぎてるんじゃないか?」
「練習がハードでとても髪を切りに行く気力が無かったんだよ。夏休みが終わる前にはまた切りに行くよ」
「そうだ。お前、インターナショナルとか何とかいうのに出たんだって?」
「国際大会じゃないよ。インターハイ。高校の全国総体だよ」
「へー。成績はどうだったの?」
「無茶苦茶強い所に当たって負けた。そこ今年優勝したから」
「ああ。そんな所に当たっちゃ、どうしようもないな」
 
こんな会話をしながら、千里は私、嘘はついてないよね?と思っていた。
 

バスに乗って、父がチケットをもらったSPAのある所に行く。
 
玄関を入り、フロントの所で父がチケットを2枚出す。係の人はチラッとこちらを見て、赤いタグの付いた鍵と、青いタグの付いた鍵を1個ずつくれた。
 
「ほれ1個取れ」
と父が言うので千里は、ごく自然に赤いタグの付いた鍵を取る。
 
「まあ湯船にゆっくり浸かりながら男同士色々話そう」
などと父は言う。
 
はははは。やはり男湯に入らなきゃダメ?
 
ロビーで父がカツゲンを買ってくれたのでそれを飲んでから「湯」と書かれた暖簾をくぐり、更に左手の「男」と書かれた青い暖簾を潜る。千里はひぇー!と思いながら父と一緒に暖簾を潜った。
 
それで脱衣場で服を脱ごうとしていたら、何か作業していた風の65-66歳くらいの女性従業員さんが寄ってくる。そして千里に言う。
 
「お客様、こちらで混浴は困ります。女性の方は、向こうに女湯がありますので、そちらをご利用下さい」
 
父がポカーンとしている。それで千里は
「えっと、よく間違えられるけどボク男ですから」
 
「ご冗談を」
「脱いでみますから」
 
と言って千里はジーンズとトランクスを脱いじゃう。そこには確かに男性器がぶら下がっている。
 
「大変失礼しました。ごゆっくりどうぞ」
と言って従業員さんは向こうに行った。
 
「お前、小さい頃からよく女の子に間違えられていたよなあ」
と父が言う。
 
「まあ、そうかもね」
「だけど、お前、未だに声変わりが来ないんだな」
「18世紀頃の音楽家ハイドンとかは18歳頃に声変わりが来たらしいよ。最近は早い子が多いけど、そのくらいの子もいるんだよ」
「ああ、そういうものかねぇ」
 

それで千里は服を全部脱いで、その付近に重ねてある籠に入れた。
 
「お前ロッカーに入れなくていいの?」
「別に貴重品は無いからこれでいいよ」
 
私が持ってる鍵に合うロッカーは女湯にあるからねぇ。ほんとは女湯に行きたいんだけどなあ。なお実際には財布の中に結構な高額の現金が入っているのだが、それについては《りくちゃん》に番をお願いした。
 
「お前、すね毛とか生えないの?」
「夏は汗がたまるから剃っちゃうんだよ」
「へー。最近は男でも剃るの?」
「ああ、剃ってる子多いよ」
「ふーん。なんかうちのクラスには化粧してる男いるし。オカマかと思ったら普通の男なんだって」
 
「ああ、最近は営業マンとかでお化粧する男性もいるみたいだよ」
「化粧して営業すんの?」
「印象が良くなるようにだって。あと最近メンズブラとか言って男の人でブラジャー付ける人もいるらしいし」
 
「なんで男がブラジャーなんか付けるの?変態か?」
「別に普通の人だと思うよ。会社では普通の課長さんとか部長さんとかに愛用者が多いらしい。身が引き締まっていいらしいよ」
「なんか変な世の中だなあ」
 
メンズブラと下着女装やフェチとの境界線は千里もよく分からない。
 
一緒に浴室に移動する。浴室では、その中を何人もの《おちんちんのついてる人》がそれをぶらぶらさせながら歩いている。きゃー。こんな風景見るの嫌だよぉ。
 
千里が男湯に入ったのは小学3年生の時以来、実に8年ぶりである。千里は胸をタオルで隠して、絶対に見られないようにした。胸を見られてしまうと、女の胸にしか見えない。
 
洗い場で身体を洗う。インハイが終わった後、男の子の身体には戻ったものの千里はずっとタックをしていた。開放状態でこれを洗うのって、いつ以来だろうと千里は考えてみたが分からなかった。
 
その後、浴槽に入るが千里はタオルで胸から腹に掛けての部分を覆って隠している。これは絶対に父も含めて他人に見られてはいけない。
 

「福居さんがさ」
と父は話を切り出した。
 
「6月に中風で倒れて、今リヒバリやってるんだけど、なかなか前のようには身体が動かないみたいなんだよ」
 
リヒバリって、ひょっとしてリハビリのことかな?
 
「それでこないだから何度かホタテの養殖の船を出すの、福居さんの孫とふたりでやってたんだけど、この後ずっと手伝ってくれないかと頼まれてさ」
 
「いいんじゃないの? お父さんとしては沿岸での作業でも船に乗れること自体は、やりがいを感じるのでは? スケトウダラの群れを求めて沖合に出るほどは興奮しないかも知れないけど」
 
「俺が漁で興奮してたとでも思ってるのか?」
「興奮しなかった?」
「そうだなあ。若い頃は興奮したかも知れん」
「今は?」
「むしろ敬虔な気持ちというかなあ」
「ああ、何となく分かる」
 
「お前、漁師になるつもりはないか?」
「ごめん。ボクはそのつもりない」
「そうか・・・」
 
「そもそもボクには無理だよ。お父さんみたいに体格良くないもん」
「そうだよなあ。お前、細いし」
 
と言って、父は千里の腕を触る。
 
「まるで女みたいな腕だ」
「ボクは小さい頃からそう言われてたよ」
 
今の千里の肉体は女子選手になった後で鍛え上げた身体ではないので、まだ腕がかなり細いのである。
 

「母さんにも苦労掛けてるなあと思うからさ。俺も頑張らなきゃと思って」
「ボクが小さい頃とか、かなり景気良かったよね」
 
「うん。そういう時代もあった」
「お母ちゃん、以前お父さんに買ってもらった着物とか時々見せてくれてたよ」
「最近、あいつに何も買ってやれん」
 
「お仕事ってそういうものだと思うよ。ずっと儲かる仕事なんて存在しないから」
「だよなあ」
 
「その内また良くなる時もあるよ」
「うん。そのためにもやはり自分はちゃんと勉強もしないといけないと思ってる」
「今はそれでいいと思うよ。10代の頃にやってなかった事を今やるというのもひとつの人生。人生の順序って、多少は入れ替えてもいいんだよ」
「そういう気はしてる」
 
「最近は子供できてから結婚する人も多いし」
「そういう入れ替えは良くないけどなあ」
 
私の順序って滅茶苦茶入れ替わってるみたいだけどね〜。性転換前に女の身体を体験しているし、実際にまだ生まれてないのに子供(京平)ができちゃったし、などと思って伏見で会った京平のことを思い出したら目の端で何かチョロチョロしたものがあった気がした。
 

内風呂にしばらくつかった後、露天風呂の方に移動する。
 
「しっかし、お前胴回りも細いなあ」
「あはは。女みたいに細いと言われるよ」
「ほんとほんと」
 
どうか父が私に胸があることに気付きませんように。
 
「お前、チンコまだ皮がかぶってるんだな」
と言って父は千里の《おちんちん》に触る。ひぇー。これに触られるなんて。
 
「でも大きくなれば剥けるから問題無いよ」
「まあ、それはそうだ。オナニーしてるか?」
「たまにしてるよ」
「たまにじゃいかん。毎日した方がいい」
 
やだー。こんな会話。なんで男の人ってすぐオナニーとか言う訳?
 

それで千里たちが露天風呂に浸かってしばらく雑談していたら、そこに55-56歳くらいの男性が入ってくる。そして千里の顔を見て言う。
 
「あれ? ここ混浴なんだっけ?」
「え? そうなんですか?」
 
「いや、ここのお風呂の見取り図見たら、浴室の中央に露天風呂の絵が書いてあったから、これって男女各々の風呂からそこに行けるようになっているのか、それとも男女の露天風呂は仕切られてるのかどっちなんだろうと思ってたけど、やはり男女共通だったんだ?」
 
「ああ、そうなってるんですか?」
 
千里は状況が良く分からないまま会話をしている。
 
「でも混浴でも、女の人はちゃんとタオルとか湯浴み着とかで身体を隠していたら問題ないよな」
「そ、そうですね」
 
と答えながら、ああこの人は自分を女と思っているのかということにやっと気がついた。まあ、私は女にしか見えないだろうね! 言葉の感じからするとどうも関東方面からの旅行者のようである。
 
「こないだ出張で岐阜の方に行って、下呂温泉に行ったけど、あそこは露天風呂がたくさん街中にあるんだけどね、女性は水着をつけて入ってましたよ」
 
「まあ、それが無難かも知れないですね」
「でも日本の風呂は元々混浴が本来なんじゃなかろうか」
「そのあたりは良く分かりませんけど」
 
「昔は道内の温泉も混浴の所多かったね」
と父も言う。
 
「じいさんが言ってたのでは昔は女の人も堂々と温泉では裸を曝していたらしい」
「まあ、今では色々風紀がどうの言いますからね」
 
「でも最近は男の子でも水着をつけて温泉に入る子がよくあるみたいですね。おちんちん他人に見られるの恥ずかしいとかで」
と千里。
 
「それはいかんな」
「女はおっぱい見られるのを恥ずかしがってもいいけど、男は堂々とチンコを曝さなきゃ」
「同感、同感」
 
と父とその男性は意見が一致している。ああ、確かに見せたがる男の子は多いかも知れないなと千里は思う。貴司も痴漢にならないなら堂々と人前でチンコ見せたいなんて言ってたし。
 

父と男の人は15分くらい仕事の話とかをしていた。その人は埼玉に住んでいて、食品メーカーの仕事をしているらしかった。今日は出張で旭川に来ていたようである。漁業関係者との接触も多いということで、そちら方面でも会話が盛り上がっていた。
 
「さて、私はそろそろ上がります。でもお嬢さん、こんなに美人だと将来が楽しみですね。それでは失礼します」
と言って、男性は浴槽を出て行った。
 
「お嬢さんって誰だろ?」
と父は、いぶかっている。
 
「さあ、玲羅のことでは?」
と千里。
 
「俺、玲羅の話したっけ?」
「どうだっけ」
 

それで千里たちもあがろうということになる。それで露天風呂を出て、内風呂を通り抜け、脱衣場に戻る。千里がその脱衣場に行こうと引き戸を開けた時。
 
今浴室に入ってこようとしている若い男性と目が合った。
 
するとその男性は驚いたような顔をし
「ごめーん。間違った!」
と言って慌てて飛んで行って服を適当に着て、脱衣場の外へ走り出す。
 
そして間もなく女湯の方で
「きゃー!!!」
という声があがるのを聴いた。
 
あーん。ごめんなさーい。あの人が痴漢として突き出されたりしませんように、と千里は 祈った。が、千里の服の番をしてくれていた《りくちゃん》が呆れている風であった。
 

お風呂から出た後、父は一休みして行こうと言ってSPA内の食堂に入り、ビールとカツ丼を注文する。千里もコカコーラゼロと親子丼を頼んだ。ビールとコーラで乾杯してから、また色々会話したが、父とこんなに会話したのって久しぶりだなあと思っていた。千里はそもそも子供の頃から、あまり父と話した記憶が無い。蓮菜は千里が「女の子」として育ってしまったひとつの要因は男性不在の家庭で育ったからかもなどと言っていたが、それは少しあるかも知れないと千里自身も思う。
 
「お父ちゃん、今日はどうやって帰るの?」
「もう帰りの汽車は無いから、ここゴロ寝して泊まってもいいみたいだし、明日の朝帰るよ」
「じゃ、ボクは適当な時間で引き上げるね」
「うんうん」
 
食事の後、それもチケットもらっているからマッサージに行こうと言われる。それで父に付いて行ってみると、英国式ボディケアとか書いてある。父が持っているチケットを見ると、全身ケアコースだ。
 
全身ケアってことは・・・胸も触られちゃうよね?
 
やっばー。
 
待ち時間があるようなので、取り敢えずトイレに行く。もちろん女子トイレに入る。個室に入って、タックしようと思ったのだが、確認すると接着剤が固まってしまっていて使えない。うむむむ。
 
それで千里は《いんちゃん》に話しかける。
『ねぇねぇ、短時間でもいいんだけど女の子の身体に変更できない?』
『うーん。。。御主人に訊いてみて』
 
それで千里は《その方角》を正確に向いて、美鳳さんに話しかける。美鳳さんは何だか銀行員みたいなOL風の制服を着ていた。
 
『美鳳さん、何とか短時間でもいいから、女の身体に変更できませんか?』
『ああ、いいよ。実はさあ。4日の日に切り替えをミスってたんだよ』
『へっ?』
『千里の身体の時刻の張り合わせって原則として日本時刻の午前4時にやることになっているんだけど、あの日私忙しかったもんだから佳穂に頼んでいたら、佳穂がそれ知らなくて0時に切り替えちゃったんだよね』
『大変なんですね』
『こういう人生そのものの操作は眷属にはさせられないから、私たち八乙女の誰かがやらなくちゃいけないからね。あれ半分冗談で提案したんだけど、マジでやることになっちゃったから」
 
やはり冗談なのか!?
 
「それで実は8月3日の女の時間が4時間残っていたから、どこかで辻褄を合わせなきゃと思っていたのよ』
『じゃお願いします』
『OK、OK。じゃあと少しで20時だからそれから24時まで4時間は女の子』
『助かります』
『その時刻に女湯に入ってたら騒ぎになるよ』
『シンデレラですね』
『そうそう』
『あの話、不思議に思ってたんですが、どうして12時の鐘が鳴った瞬間に魔法が解けなかったんでしょうかね? だって鐘の鳴り始めがその時刻ジャストですよね?』
『きっとお城の時計が進んでいたんだよ』
『なるほどー』
『じゃ8時の時報と一緒に・・・切り替えon』
 
千里の身体の感触が変わった!
 
ついでに髪の長さも変わった!!
 
取り敢えず下着を女物に戻す。シャツとトランクスを脱いでバッグに入れ、練習後に着替えるつもりで持っていた洗濯済みのブラとショーツを着ける。それから髪はヘアゴムでまとめた。短時間なら父の目も誤魔化せるだろう。
 
でもやはり女物の下着は落ち着く。男物の下着ってなんか変な感じ。るみちゃんは最近ほとんど男物ばかりみたいだけどね。あの子は男物の方が楽だよと言うけど、私はあの感触好きじゃないなあ。
 

ボディケアの店の待合室に戻る。5分ほどで案内された。最初ふたりともオープンスペースにベッドが並んでいる所に連れて行かれるが・・・スタッフさんは千里を見て、千里だけカーテンの引かれた所にあるベッドに案内する。なるほど、男はオープンスペースで女はカーテン付きなのかと考える。日本のお店って、しばしば女尊男卑だよなと思う。
 
30歳くらいの女性スタッフが入って来て最初に足湯をしてもらった。それで足が温まった所で、パンティとブラだけになり、お腹にタオルを掛けてもらい、アロマオイルを付けて足をマッサージしてくれる。
 
「お客さん、凄く凝ってますね」
「今揉まれていて、凝っていたことが分かりました!」
 
この身体はインハイが終わった直後の身体だから、無茶苦茶凝ってるだろね。逆に考えると、そのインハイ直後の身体をメンテしてもらって凄く助かったかも、と千里は思った。
 
「スポーツか何かなさってます?」
「ええ。バスケットの選手なんです」
「それで。もし良かったら、こちらに月に1度くらいでもいらっしゃいませんか?これ絶対時々ちゃんと揉みほぐしておいた方が、多分バスケをなさるのにもいいですよ」
 
「ああ。それはちょっと考えてみようかなあ。一応練習が終わった後でお互いにマッサージはしあっているんですけどね。お互い素人だから」
 
「素人同士だと、変な揉み方して、よけい血行が悪くなる場合もあるんですよ」
「ああ、それはありそう」
 
私が興味を持っている感じだったのでお店のパンフレットを持って来てくれた。ボディケアだけの利用なら、SPAの入場料は不要ですからと言われた。学校の近くのショッピングセンターにも支店があるようである。
 

足を下の方から順次優しく揉まれていくと、物凄く気持ち良い。なんか至福の時間だなという気がする。太腿まで充分揉みほぐした後、お腹のあたりを揉んでいるが
 
「贅肉が全然ありませんね!」
と驚いたように言われる。
 
「毎日激しい練習しているので、贅肉が付く暇ないみたいです」
「なるほどですねー」
 
私に贅肉が無いのは多分バスケの練習以上に毎晩やっていた山駆けのせいだ。
 
ブラジャーも外してバストマッサージしてもらう。
 
「おっぱい大きくなるツボをよく刺激しておきますね」
「嬉しいです!」
「でもこれプチ豊胸してます?」
「よく分かりますね〜」
「いえ感触が脂肪だけじゃない感じだったので」
「ヒアルロン酸です。さすがにシリコン入れる勇気は無いです」
「あれは10代の方はやっちゃいけませんよ」
「同感ですね」
「でもお客さん、これDカップあるでしょ?」
 
「実はヒアルロン酸打つ前はBカップに満たなかったんですよ。それで打ったらその後、急に成長してこのサイズになっちゃって」
「ああ。若い内はそれがあるから、よけいシリコン入れちゃいけないんですよ」
「思いました!」
 
バストマッサージの後、更に肩、腕、手の先、指まで揉みほぐされる。手にも足の裏と同様全身のツボが集まっているんですよと言われた。
 
「そのあたりのツボを自分でも覚えたいなあ」
「あなた胃腸が弱いみたいだから、とりあえずそのツボだけ。掌だとここですね」
 
と言われて、親指の付け根の付近を押さえられる。
 
「あ、そこ凄く効く感じです」
 
その後、フェイスマッサージもしてもらう。これも何だか気持ちいい。耳の後ろも押さえてもらったが、そこだけで結構疲れが取れる感じだった。
 
最後にまた太腿から膝下・足の裏までマッサージしてもらうと、何だか生まれ変わったような気分だった。
 

全身ボディケアが終わってカーテンの引かれた所から出て行くと、困ったような顔をしたスタッフさんから声を掛けられる。
 
「こちらお連れ様でしたでしょうか?]
「あ、はい。あらぁ。眠っちゃってますね。お父ちゃん、お父ちゃん」
 
と言って千里が身体を揺するが父は起きない!
 
「済みません。担架か何かありませんか? 父は泊まるつもりだったみたいだから休憩室まで連れて行って寝かせておきたいので」
 
「このベッドは移動できますので」
ということで、ベッドのロックを解除して、スタッフと千里で押して男性用の休憩室まで行く。休憩室は既に横になっている人が何人もいる。端の方にふたりがかりで下に降ろし、SPA常備品のタオルケットを身体に掛けてあげた。お店のスタッフさんに良く御礼を言っておいた。
 
お店の伝票をもらったので見ると2Mと書かれたのを1M1Fと訂正されている。父が男2人と申し込んだものの、実態を見て自分は女と訂正されたんだなと思いちょっと微笑む。
 
父の財布などの入っているバッグはコインロッカーに入れた。ちょっとだけ考えて財布に1万円札を足しておいた。コインロッカーの鍵を紐で父のズボンのベルトに結び付け、タオルケットの下に隠す。
 
「お父ちゃんへ。帰ります。荷物はコインロッカーの中。鍵はベルトに付けておくね」
というメモを書いて、熟睡している父のお腹の上(タオルケットの下)に置いておいた。
 

それで自分は帰ろうと思い、休憩室を出てロビーの方に行こうとした所でバッタリと見知った顔に会う。
 
「わっ、徳子ちゃん」
「わっ、千里ちゃん」
 
それは千里たちのクラスの学級委員の徳子であった。
 
「今、男性用休憩室から出て来た?」
「ああ。お父ちゃんがボディケアをしてもらってる最中に眠っちゃったから、お店のスタッフさんと一緒にここに運んで来たんだよ」
 
「びっくりしたー! 千里ちゃんって、女の子の身体なんだよね? いや春の内科健診の時に、おっぱいは見ちゃったけどさ」
 
「女の子の身体でなきゃ、女子選手としてインターハイには出られないよ!」
「だよねぇ」
「何ならお風呂の中で確認する?」
「おお、させてさせて」
 

それで結局徳子と一緒にお風呂に戻ることになる。
 
「湯」と書かれた暖簾をくぐり、その先の右手にある「女」と書かれた暖簾を潜る。やはり私はこっちだよね〜。
 
それで徳子と一緒にロッカーの並んでいる所に行こうとしていた時、ひとりの従業員さんが驚いたような顔をしてこちらにやってきた。あっ・・・この人はさっき男湯で私に「女性の方は女湯へ」と言った人だ。
 
「お客様、お客様、男性でしたよね?」
「え? 何かの間違いじゃないですか? 私女ですけど」
「さっき男湯におられませんでした?」
「まさか。何なら脱いでみましょうか?」
 
と言って千里はジーンズとショーツを脱いじゃう。そこにはふつうに女性の股間がある。
 
「大変失礼しました。ごゆっくりお楽しみください」
「はいはい」
 
それで従業員さんは首をかしげながら向こうに行ったが、心の中で「ごめんなさーい」とその従業員さんに言った。《りくちゃん》がまた呆れていた。
 

「千里、こうしてると女にしか見えない気がしたけど、男だと思っちゃう人もいるのかな」
と徳子。
 
「さあ。きっと、私と似た男性がいたのでは?」
「ああ、そうかもね」
 
それで服を脱いで各々のロッカーに入れる。千里は元々女湯のロッカーの鍵をもらっていたので、ここでは籠を使わず、ちゃんとロッカーにしまうことができた。
 
取り敢えず浴室に移動し、身体を洗ってから浴室のちょっと隅の方に行く。
 
「見た感じは女の子にしか見えないけど」
「触ってもいいよ」
 
それで徳子はおそるおそる千里のお股に触る。
 
「間違いなく女の子だ」
「1年生の頃までは偽装してたんだよ。私、小学4年生の時以来、お風呂は女湯にしか入ってないから」
「へー。でも今はもう本物なんだ」
「うん。性転換手術しちゃったからね」
「すごーい。でもあれ痛いんでしょ?」
「死ぬかと思ったくらい痛かった(らしい)よ」
 
千里が凄まじく痛がっていたという話は以前、美鳳さんのお友だちの府音さんから聞いていた。そんなに痛いのかと思うとちょっと気が重いが、それで女の身体になれるのなら我慢するしかない。
 
「大変だね」
「性転換手術の痛みとお産の苦しみとどちらが大変かということで議論があったけど、両方体験できる人が存在しないから、確認のしようがない」
 
「なるほど、そのくらい大変なのか」
「あの付近が無茶苦茶痛いのは似たようなもの」
「確かにね〜」
 

その後は湯船に浸かっておしゃべりする。
 
「だけど千里ちゃん、おっぱいも春からするとかなり大きくなってない?」
「そうなんだよね〜。あの頃はBカップのブラ着けてたんだけど、今はDを着けてるんだよ」
 
「負けた〜。私まだAを卒業できないのに」
「徳子ちゃん、そのくらい胸あったらBでいいと思うよ」
「そうかな」
「うん。Bカップ買っちゃうといいよ」
「そうしようかな」
 
「私の場合、まじめに女性ホルモン飲むようになったので急成長したんだと思う」
「まじめに飲んでなかったんだ?」
 
「以前はやはり自分があまり女性化してしまうことに不安があって、本来飲むべき量の3分の1しか飲んでなかったんだよ。でも私、女子選手として大会に出ることになったからさ。ちゃんと女性ホルモンを飲んでないと、体内の女性ホルモンの濃度が低くなっちゃって、女子選手が男性ホルモンをドーピングしているみたいな状態になっちゃうんだよ」
 
「なるほどー」
「だから、ちゃんと女子として普通の女性ホルモン濃度にしておくために、まじめに飲むようにした。それにやはり性転換手術しちゃったので、女性ホルモンの効き自体が良くなったと思うんだよね。それで急成長してDカップになったんだと思う」
 
ま、実際には6月以降は女性ホルモン飲んでないんだけどね〜。なんか体内で女性ホルモンが生産されているみたいだし。だけどどこで生産されているんだろ?私卵巣は無いし。
 
「でもそんなに急成長したら胸が重くない?」
「重い。蓮菜からは腕立て臥せしてバストを支えている筋肉を鍛えろと言われて最近ずっと毎日腕立て臥せ300回してるよ」
 
「すごーい!」
「徳子もたぶん腕立て臥せすると少し胸大きくなると思う。刺激されるから」
「そうかも知れない。300回はできないけど10回くらいしようかな」
「うん。10回でも効果はあると思うよ」
 

結局その日はお風呂の中で徳子と1時間くらいおしゃべりして、最後は徳子と一緒に来ていたお兄さんも入れてタクシーを相乗りして帰宅した。
 
「遅かったね」
と美輪子叔母に言われる。
 
「ごめーん。お父ちゃんは途中で眠っちゃったから放置して、帰ろうと思ったら友だちに会っちゃって、それでおしゃべりしてたら遅くなった」
 
美輪子は少し考えている。
 
「千里さ、お父さんと一緒にお風呂入ったんだっけ?」
「入ったけど」
「会った友だちって男の子?」
「ううん。私、女の子の友だちしか居ないよ」
「じゃ、その子とはロビーか何かでおしゃべりしたの?」
「ううん。湯船の中でおしゃべりしてたよ。内風呂で30分くらいと露天風呂で30分くらいかな」
 
「お父さんとは女湯に入ったんだっけ?」
「お父ちゃんが女湯に入れるわけない」
「じゃ女の子の友だちとは男湯に入ったんだっけ?」
「まさか。女子高生が男湯に入れる訳無い」
 
「じゃ、まさか千里あんたお父さんとは男湯に入って、友だちとは女湯に入ったの〜?」
 
「うーん。結果的にはそうなるかなあ」
「あんた、どちらにも入れるの?」
「なんか自分でもよく分からない。あ、おばちゃん、私のお股に触っていいよ」
「触らせて!」
 
それで千里がジーンズを脱いで、ついでにショーツも脱いだので、美輪子は千里のお股に触った。
 
「これ普通に女の子だと思う」
「私、女の子だもん」
「あんた、どうやって男湯に入ったのよ?」
 
「その時はおちんちん付いてたんだけどねー。おっぱいはあったけど」
「よくバレなかったね!」
 
「お父ちゃんにはバレなかったけど、周囲に若干の混乱を起こしていた」
「それはかなり迷惑行為だという気がするよ。でも今おちんちん無いよね」
「うん。その後無くなった」
 
「あんたの身体どうなってんの?」
「自分でもよく分からないんだよ」
 

「あ、そうそう。なんか札幌の病院から手紙が来てたよ」
「へー。何だろう」
 
と思って千里が開けて見ると、健診の案内だ。それで思い出した。インハイの前に東京で性別の検査を受けさせられた時、診察してくれた先生が札幌の友人の医師を紹介すると言っていた。それで連絡があったのだろう。
 
しかし・・・8月中に一度お越し下さいって。
 
私、次女の子の身体になれるのは9月になってからなのに! えーん。どうしよう。取り敢えずバッくれておくかなあ。でもちゃんと健診受けてなかったらまた性別に疑い持たれると困るしなあ。
 

翌8月14日の朝。千里は目が覚めると自分の身体の確認をした。
 
おっぱい・・・小っちゃいでーす。おちんちん・・・ついてまーす。タマタマ・・・ついてまーす。髪の毛、短いでーす。
 
えーん。また男の子の身体になっちゃったよ。嫌だなあ。
 
千里は5月21日に突然女の子の身体になってしまった時は戸惑い、本当に人生を悩んでしまったのだが、その状態を満喫していたので8月4日に男の子の身体に戻ってしまって以降、気分が物凄く滅入っていた。そして昨夜4時間だけ女の子になれた時はもう本当に嬉しくて、ずっとこのままで居たいと思っていた。しかし千里はまた男の子に戻ってしまった。
 
それでその日、千里はDRKの制作でフルートや龍笛を吹いていても、いまひとつ調子が出なかった。
 
「千里、なんか調子悪いみたい」
「ごめーん。今日早引きしていい?」
「うん。少し休んだ方がいいよ」
「そうする」
 
それで暢子に今日は体調がすぐれないので練習を休むとメールする。暢子はじゃ、お盆だし、練習は17日から再開しようと返事が来たので了解のメールをしておいた。
 

千里はスタジオを出ると適当に来たバスに乗って終点で降りた。降りてから場所を確認すると旭山動物園だ!
 
なんとなく切符を買って入場する。
 
ここで晋治とデートしたなぁ、と古い記憶を思い起こす。晋治は昨年から付き合っている彼女と仲良くしていて週末同棲に近い雰囲気になっているらしい。そういや私の「投げる能力」というのは晋治とのキャッチボールで鍛えられたんだよなということも思い起こす。
 
じっと猿山を眺めている。晋治ともここで随分眺めていたなと思う。あの日晋治とHしていてもおかしくなかった。でも結局しないままになった。そして私のHは3年後、貴司とするまでお預けになったんだ。
 
まあさすがに小学6年生でセックスは早すぎたかもね。
 

そんなことを考えていた時
「あぶなーい!」
という声がする。
 
え!?
 
と思って振り向いた時は、もう既に千里は大量の水を浴びてずぶ濡れになっていた。
 
『千里、さっきから危ないから移動しろと言ってたのに』
と《りくちゃん》が言う。
 
『ごめーん。気付かなかった』
 
「お客様、大丈夫ですか?」
と動物園のスタッフさんが寄ってくる。
 
巨大な水槽に入れた水を運んでいたのが、道の傾斜があるのでバランスを崩して倒れてしまったようである。
 
「あ、平気、平気。夏だし」
「こちらへ。何かお着替えを」
 
と言われて、事務所に連れて行かれた。
 
「適当な服を持って来ます」
と言われ、とりあえずバスタオルをもらった。シャワーも使ってくださいと言われたのでシャワーで全身を洗う。それでバスタオルで身体を拭いていたら、そこにさっきのスタッフさんが入ってくる。
 
そして目をパチクリする。
 
「済みません。お客様、男性の方でしたね。ごめんなさい。てっきり女の人かと思って女性用の服を持って来ました」
 
と言って出て行く。
 
バッチリ千里の股間に付いているものを見られた感じである。
 
それで男物の下着上下とTシャツにイージーパンツを渡された。
 
「これはうちのスタッフの緊急用着替えとして常備しているものですから返却は不要ですので」
「ありがとう」
 
と言って千里はそれを受け取り身につける。
 
でも身につけながら思った。えーん。もう男なんてやだよぉ。もう自分で切り落としちゃおうかな。
 
『千里、いくら自己治癒能力の高い千里でも、さすがにチンコ切り落としたら死ぬぞ』
『やはり?』
『太い血管が通っているから、チンコは難しい。睾丸を抜くくらいならきちんと消毒してやれば、千里なら大丈夫だけど』
『抜いちゃおうかな』
『でもその前に御主人様に相談してみなよ』
『そうする!』
 

入場料返すと言われて590円と、お詫びと言われて3000円の図書券をもらった。
 
それで千里は動物園を出た後、タクシーを飛ばして旭川空港に行く。羽田経由!で庄内空港までのチケットを買う。叔母に電話して急用で山形まで行ってくると告げると叔母はびっくりしていた。
 
「あんたってよく急用で飛び回ってるね」
「ごめんねー。明日には戻るから」
 
それで蓮菜にも電話して、明日は午後から録音に参加するということを連絡した。
 
「体調どう?」
「私もう性転換しちゃうから」
「性転換は済んでたんじゃなかったんだっけ? 再度性転換して男に戻るの?」
「ううん。男を辞めて女になる」
「今千里男なんだっけ?」
「SMS-突発性男性化症候群というんだよ」
「何それ〜?」
 
「蓮菜朝起きてみて男になってたらどうする?」
「女の子とセックスしまくる」
「ああ。サーヤみたいなこと言ってる」
 

出発までの間に空港内のショップで女物の服を買ってそれに着替えた。男物の下着と濡れた服は《いんちゃん》が自宅に持っていってくれた。
 
旭川を13:10の羽田行きに乗り、庄内空港に着いたのは17時前だった。鶴岡へのバスに乗ろうとしたのだが・・・・
 
「迎えに行ってあげてと言われたから」
と言って、山駆けで一緒になったことのある女性が千里に声を掛けてくれた。
 
彼女のRX-7の助手席に乗り込む。
 
「ありがとうございます。これ格好良い車ですね」
「いいでしょう? これ大好きなのよ。ちょっと運転してみる?」
「無理です〜! 私運転免許持ってないし」
「でも運転できるって顔してるよ」
「顔で分かるんですか〜?」
 
彼女は瀬高さんと言って、主婦ではあるが、鶴岡で口コミで色々霊的な相談事を受けているという話であった。
 
「瀬高さん、霊感は凄いのに、それをあまり自覚してない感じ」
「それはあなたもでしょ?」
「うーん・・・」
 
彼女の車で約40分のドライブで羽黒山の駐車場に到着した。ガソリン代を渡そうとしたのだが「お互い様」と言われて受け取ってもらえなかった。羽黒山有料道路の料金だけ千里が払った。
 
日没と同じくらいのタイミングで三神合祭殿でお参りし、あたりが暗くなっていく中で、波動を探していたら、茶屋でコーヒーを飲んでいるバスガイド姿の美鳳さんを見つける。
 

「こんにちは。何か見る度に違う格好している」
「まあ私は何人もエイリアスがあるから」
「本体はたぶん私には見られないんでしょうね」
「そりゃそうだよ」
 
千里は頷いた。
 
「お願いがあって参りました」
「うん。私、20分後に観光客案内して下に降りないといけないから手短に」
 
「私を女にしてください。もう男の身体、耐えられません」
「でもあんたこの春まではふつうに男の身体で生きてたじゃん」
「あれはある意味諦めていたから。でも女の身体を体験してしまうと、もう男の身体は嫌で嫌でたまらないんです」
「まあそうかもね」
 
「何とかお願いできないでしょうか。もう頭がおかしくなりそうです」
「まああんたは最初から頭がおかしいから」
「美鳳さんにまで、そんなこと言われるなんて・・・」
 
千里は涙が出てきた。
 
美鳳はここで千里が泣き出してしまうのは想定外だったようで
「ちょっと待って」
 
と言うと、千里の身体の中に手を入れて!? 巻物のようなものを取り出した。千里が
 
「それは?」
と訊くと
 
「あんたの肉体時間のプログラムコード」
と答える。
 
「プログラムになっているのか・・・・」
「実はちょっと予定が変わっちゃったことがあってさ」
「はい?」
「あんたに大学生になったら男の恋人を作ってあげようと思ってたんだけど」
「・・・・私、貴司とは別れるんですか?」
 
「どうしようかなあ。まだ決めてないのよ。彼と結婚したい?」
「したいです」
「そうだねえ。じゃそれも検討してあげるよ。でもあんたには男の恋人じゃなくて、どうしても女の恋人ができそうなんだよね」
 
「えーーー!?」
 
「でもその関係で、男の時間が1ヶ月くらい余分に欲しくなっちゃってね」
「まさか、私その子と男としてセックスするんですか?」
「女同士としてセックスする。ただ便宜上あんたの男性器は使うかもね。向こうは基本的に男嫌いだから、あんたのそれを少し大きなクリちゃんとみなすと思う」
 
「もしかしてレスビアンですか?」
「レスビアンでもなけりゃ、あんたを好きになる女の子がいるわけない」
「うーん・・・」
 
「あんたは本当は9月10日まで男の身体のままの予定だったけど、明日からまた女の身体にしていい?」
 
「ぜひ、お願いします」
「その子に寝込みを襲われた時に女の身体だったら、不審に思われて性転換手術の時期を誤魔化しにくいから、大学2年生の時に、その女の子と親しくなっていく頃の時間と入れ替えようと思うんだよね」
 
「寝込みを襲われるんですか〜?」
 
「インターハイに出た時とは身体の感覚が全然違うと思うけどいいよね?」
「女の身体であるのなら、どうにかなると思います」
「よしよし」
 
それで美鳳はプログラムを書き換えた上で、巻物をまた千里の身体の中に入れてしまった。
 
「だけど千里、取り敢えず2013年のお正月までは死なないでよね。辻褄が合わないまま死なれると歴史が歪んじゃうから」
「まだ死にたくはないです」
 
「頑張ってね。明日朝4時に身体は切り替わる。それから9月10日までは本来あんたが大学2年生頃の時間。そして9月11日からは選抜地区大会まで女子高生である時間。それが終わったら大学1年生頃の時間」
 
「めまぐるしいですね」
「あんたがわがままな条件言うから安寿さんが悩んでパズル解くみたいにしてこの計画を作り上げたんだよ。奇跡的にうまくできていると思う」
 
「なんか矛盾点が少ないなと思っています」
「うん。それが凄く大事」
 

「そうだ。こないだ貴司が夢魔に襲われたような夢を見たらしいのですが」
「その件は大陰から報告を受けたけど、貴司君が勝手に見た夢なんじゃないの?」
「そうだったのか」
「千里とセックスできなかったストレスの暴走だよ」
「ああ」
「それと実は持ってる去勢願望だよね」
「やはりあいつそうですよね?」
 
「でも千里、少し訓練したら、彼が見た夢の中の千里みたいに、気の塊を悪霊にぶつけるくらいのことはできるようになるけど、訓練してみる?」
「訓練辛そうだから、いいです」
 
「あんた基本的に練習嫌いだもんねぇ」
「それは自覚してますけど」
 
「でも結果的には貴司君は自分で自分に呪いを掛けちゃったね」
「呪い?」
「まあ千里としては好都合かもよ」
と美鳳さんは何だか楽しそうに言った。
 

「ひとつ教えてください」
「うん」
 
「美鳳さん、私そのうち声変わりするとおっしゃいましたね」
「するよ」
「それって男の子の身体であった時間ですよね」
「そうなる。睾丸が無くなっちゃったら声変わりはしないから」
「だからインターハイに出た時の身体って、女の子になった後なんだから、当然声変わりもあった後なんじゃないんですか? でも私、声はほとんど変わらなかった。音域は3度くらいずれたけど。何故なんでしょうか?」
 
「それは声を出しているのは脳だからさ」
「・・・・」
 
「車の運転が上手な人が、NSXを運転してもフィットを運転してもスキルには大差が無い。その人がNSXを上手に運転しているの見て、下手な人がNSXに乗っても下手なまま」
「・・・・」
 
「千里、この春から何度も身体が変化したけど、ずっとしていた練習はそのまま残る感覚なかった?」
「それは不思議に思っていました。特に4日以降男の子の身体に戻った時も確かにインハイに出た時より身体が重たい気はしたのですが、それでもちゃんとこれまでの経験を身体が覚えている感じなんですよ」
 
「身体が覚えているというのは実際には低レベルで、言い換えれば小脳的に記憶しているということだからね」
「でしょうね」
 
「だから身体が変わっても千里の運動能力はそんなに変化しない。まあフィットよりNSXが運動性で勝るのと同様、鍛え上げた肉体の方が、まだそれほどでもない肉体よりはよく反応するけどね。それと同じで、インターハイの時の身体は、肉体的には声変わりというイベントの後のものであっても、システムとして声変わりする前のシステムで運用されていたから、今までとほとんど変わらない声が出ていたんだよ」
 
「ということは、そのシステムをちゃんと運用すれば、私の精神が声変わりを体験した後でも、今みたいな声が出せるということですか?」
 
「千里なら出せる」
 
「・・・・」
「たださ。今の声って凄く少女っぽいんだよね。この声の出し方って千里、小学5年生頃から『可愛い声になろう』と努力して作ってきたものでしょ?」
 
「はい、そうです」
 
「だったら、大人の女の声も作り上げなよ。そして大学生になったら、今より大人っぽい女声で話すようにするといい」
 
「頑張ってみます」
「まあ明日からの肉体は、そういう大人の女の声が出やすい身体になっているはずだから」
 
「私、そのあたりのタイムパラドックスが良く分からないんですけど」
「大神様もこの件は先が見えないみたいで楽しんでるよ」
 
「やはり私は神様たちの娯楽なのか」
「まあ、あんたは人身御供(ひとみごくう)だから」
「そんな話でしたね〜」
 

※最初の対応表
歴史時間      肉体時間
2007/05/21-08/03 2008/07/11-10/06 (山駆け13日を含む) IH2007
2007/08/04-09/10 2007/09/15-10/22 (まだ男の子だった頃)
2007/09/11-09/21 2008/10/07-10/17 (選抜地区大会)
 
※改訂された対応表
2007/05/21-08/03 2008/07/11-10/06 (山駆け13日を含む) IH2007
2007/08/04-08/14 2007/09/15-09/25 (まだ男の子だった頃)
2007/08/15-09/10 2012/06/06-07/02 (ローキューツで活動していた頃の時刻.注1)
2007/09/11-09/21 2008/10/07-10/17 (選抜地区大会)
 
注1.前日の体内2012/06/05は歴史的には2010/12/14で大学2年生の暮れになる。千里と桃香が振袖を作り成人式の準備をしていた時期である。時間外の山駆けのせいで、千里の歴史時刻と体内時刻はそもそも大幅にずれている。千里は大学1年の7月から3年生の3月までローキューツで活動するが、4年生の春にオリジナル・メンバーが数人抜けたのを機に一緒に引退した。その後性転換手術を受けるのだが。桃香は休日はバイトしたりバイトと称して他の女の子とこっそり?デートしたりしていたので、千里が女子バスケット選手をしていたことに最後まで気付かなかった。
 
 
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【女の子たちの女性時代】(1)