【女の子たちの外人対策】(1)

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冬休みが終わり、千里が学校に出て行くと早速宇田先生から呼び出しがあった。職員室まで行くと
 
「君の新しい選手登録証が届いてるよ」
と言われた。
 
「古い登録証は回収するから」
と言われるので、生徒手帳にはさんでいた協会の登録証を取り出して先生に渡す。このカードはS中学で女子バスケット部に入った時もらったもので、N高校に進学した時はN高校男子バスケット部に所属が変わったので、新しいシールをもらって貼っておいたのだが、今回はシールを貼るのではなくカードごと交換ということのようである。
 
「えっと。。。何が変わったんでしょうか?」
「所属がN高校男子からN高女子に変わったね」
「あ、はい」
 
何だかむずかゆいような気分だ。でも私って中学の3年間は女子バスケ部だったからね〜。
 
「それからメンバーidも変更されているから」
 
「あれ?そうなんですか?メンバーidって、一生使えるからって中学の時の先生には聞いていたのですが・・・。ここに入った時も中学の時に使っていたidを継続させてもらいましたし」
 
「うん。普通はそう。でもメンバーidは性別を含んでいるんだよ」
「あ、そうだったんですか!」
 
「男子は5、女子は6で始まるんだよ。君のこれまでの番号は5********.でもよく中学の時、女子チームに男子メンバーを登録できたね!」
 
「あ、先生が何度か協会の人とやりとりしてたみたいです」
「多分何かの特例として通しちゃったんだろうな。で、君の新しい番号は6********.このあと、君が大学や実業団とかの女子バスケットチームに入った場合もこのidがそのまま使えるから」
 
「あはは。何かちょっと変な気分です」
 
千里は唐突に脳裏に自分がバスケットパンツを穿いてコートの上を走り回っている様子がイメージに浮かんだ。そのバスケットパンツの中に既に男性性器は存在しない。そして女性性器が隠れている。そうか。私ってホントに女の子になっちゃんたんだな、と千里は思った。
 
「男扱いされているのに慣れすぎたんだな。君は間違い無く女性なんだから、女子選手としての自分を心に受け入れよう」
「はい!」
 
千里はその新しい選手登録証を思わず胸の所に抱きしめた。
 

ところで千里は1月13日の大安の夜、貴司と「結婚」してしまったのだが、その「結婚」の「有効期限」について、翌日お父さんが出ている時に、貴司と千里、貴司のお母さんの3人で話し合った。
 
「千里ちゃんのお母さんとも話したんだけどね、今はふたりがほんとに気持ちをひとつにしてるから、お互いに私も千里ちゃんのお母さんにしても、ふたりをお嫁さん・お婿さんに準じて扱っていいんじゃないかってね。実際あんたたちよく一緒に泊まってるしさ。でもふたりが本当に法的に結婚できる所まで続くかどうかは分からないし、壊れた時は壊れた時でいいんじゃないかって思うのよ。だからこれをふたりの《義務》とは考える必要ないと思う。今まで通り《お互いの気持ち》で結びついているだけだと考えた方がいい」
 
「お互いに義務という形で考えたら、逆に冷めてしまうと思います」
「僕たちはお互いに相手を束縛するつもりはないから」
 
「私、一応貴司さんに、他の女の子とデートくらいしてもいいよと言ってますし、万一大人になるまで続いていた場合は、他の女の人に子供産んでもらってもいいからね、と言っています」
 
「と言う割りには邪魔されるけどね。でも僕も今はバスケに夢中だから、デートする時間が惜しいし」
 
「そういう束縛しない恋だからよけい4年間も続いてきたのかもね」
とお母さん。
 
「まあ4年も続いたこと自体が奇跡」と貴司。
「私もそう思う。やはり10代の恋ってどうしても不安定」と千里。
 
「あんたたちも一度は別れたりしたしね」
 
「だったら、私と貴司さんが以前から話していた通り、私が女の子でいられなくなるまで、あるいはどちらかが道外に出るまでということでもいいですか?」
と千里は言った。
 
「うん。千里の声変わりが来た時、あるいは僕か千里かどちらかが道外に出て、交際継続が困難になった場合だよね」
と貴司も言う。
 
「確かにあんたたちの年齢で、東京か大阪あたりと旭川では恋愛維持できないかもね」
 
「毎週飛行機で飛んでいってデートとか経済的にも困難ですし」
「まあ、特に千里は貧乏だし」
 
それでふたりの「夫婦関係」を解消する時は、今日貴司の妹さんたちからもらったリングのストラップを携帯から外すこと。そして夫婦関係を解消しても、友だちではあり続けることも約束した。
 
「貴司の結婚式では私が龍笛を吹いてあげるから」
「それで落雷があるんだよね?」
「ふふふ。貴司雷に当たらなければいいね」
 
「怖いなあ。じゃ千里の結婚式ではフリースタイル・バスケットボールのパフォーマンスしてあげるよ」
「そのボール雛壇に飛んでこないよね?」
「当然。そこからスリーポイントを撃ってもらう。でもウェディングケーキにぶつかったらごめん」
 

千里が新しい「女子バスケ部」の登録証をもらった日の放課後。
 
ちょっとまた新たな気分で練習に出ていく。そしていつものように基礎練習をしていたのだが・・・・
 
「何か見違えた!」
と言われた。
 
「千里、ドリブルが進化してる」
「瞬発力が上がってる」
「ちゃんと最後まで走れるようになってる」
 
「冬休みの間、ひたすら練習しましたから。蛋白質取らなきゃダメって言われてたくさん食べたから、体重も2kg増えちゃった」
「体重いくらになったの?」
「54kgです」
「痩せすぎ!!」
「その身長なら60kgあっていい」
 
「でも腕力は相変わらず無いようだ」
「すみませーん」
 

「でも練習嫌いの千里がこんなに頑張るというのは珍しい」
「彼氏と一緒に練習した愛の効果?」
 
「恋愛関係解消しようって言ったんですけどねー。たくさん練習して筋肉付いたらもう可愛い女の子で居られなくなるからって。でも少々筋肉が付くくらいは構わんと言われたから」
「はい、ごちそうさま」
 
「いや。今までが筋肉無さ過ぎだったよ」
「睾丸が無いんだから、少々頑張っても男っぽくなったりしないから大丈夫でしょ」
「今更、睾丸ありますと言っても誰も信用しないでしょうね」
「そういう無意味な嘘はやめときなさい」
 
「でもなんでこんなに頑張ってみようという気になったの?」
「実はウィンターカップを見に行ったんです」
「おぉ!」
「どことどこの試合見た?」
「準々決勝の4試合を見ました」
 
「凄かったでしょ?」
「凄いです。今の自分ではこのチームが相手ならシュートを1本も撃てないと思いました」
と千里は言う。
 
「私はインターハイもウィンターカップもネット中継でしか見たことないけど、確かにレベルが違うのは感じた」
とキャプテンの久井奈さん。
 
「なんか凄い長身の外人さんが居るチームが多くて。ああいうのはどう対処すればいいんでしょうかね」
と千里が言った時、少し離れた所で話を聞いていた宇田先生が言った。
 
「ゾーンだよ」
 

「ゾーンってむしろそういうのに弱いのかと思ってました」
という声が出る。
 
「去年の春の大会で男子が1回戦で当たった相手がゾーンでしたけど、千里のシュートに無力でどんどん点を取られていた」
 
「ゾーンにも色々あるんだよ。基本の5人でゾーンを作る方法以外に1人卓越した選手対策に専任のマーカーを出した上で残りの4人で守るボックス1あるいはダイヤモンド1という方法。マーカー2人を出して残りの3人でゾーンを作るトライアングル2という方法とかね。去年の春に1回戦で当たった相手は5人で守るゾーンしかできてなかったし、ディフェンス同士の連携も練習不足という感じだった。しばしばゾーンにほころびができて北岡君に随分攻め込まれていた」
 
「私中学の先生にゾーンはマンツーマンの3倍練習が必要だって言われた」
とメグミが言う。
 
「うん。僕は30倍の練習が必要だと思うね」
と宇田先生が言う。
 
みんな顔を見合わせる。
 

それで女子バスケット部全員で視聴覚教室に入った。
 
「インターハイに出場することになった年は例年6月7月にゾーンの練習をしていたんだけどね。ここ3年ほどはその機会が無かったから、ゾーンはあまり練習してなかったね。そもそもマンツーマンの方が楽しいし、道大会まではマンツーマンでも充分戦えるし。でも中学時代にゾーンを経験したことのある子はいるんじゃないかな?」
 
と宇田先生が言うと、メグミをはじめとして何人か手を挙げる。
 
「基本的にバスケットの守備のやり方は、マンツーマン・ディフェンスとゾーン・ディフェンスに別れる。マンツーマンは相手の選手ひとりにひとりが付く方法。ゾーンは各々は自分のポジションに居て守る方法」
 
と宇田先生は基本的な説明をする。
 
「ゾーンプレスというのはまた別ですか?スラムダンクで山王工業がしてた」
 
という質問が出る。
 
「ゾーンディフェンスの場合、そのゾーンをどの広さで展開するかという問題がある。普通はこちらのコートのみで展開する。つまりハーフコート・ゾーン。これを広くして2/3コートで展開する場合や、フルコートで展開する場合もある。ゾーンプレスというのはフルコートで展開した上で積極的に相手にプレスを掛けていく方法だよ。ひとりひとりが守るべきエリアが広くなるし、プレスで滅茶苦茶体力使うし、相手が攻めあがってきたらハーフコートに戻す必要があるから、凄まじい運動量が必要になる。だから、負けていて何とか逆転しなきゃ、みたいな状況以外ではあまり使用されることはないし、長時間の使用は無理。スラムダンクでも山王は短時間で普通のディフェンスに戻したでしょ?」
 
「確かにゾーンって運動量がありそうですね」
 
「マンツーマンの方が楽なんだよ。マッチアップする選手を決めておいて、ひたすらその選手と戦えばいい。でもマンツーマンはそのマークしていた相手に抜かれると、誰もその選手を停められない」
 
「守備体形も乱れますよね」
「そう。だから中に攻め込んで来られる隙もある。ゾーンの場合は、各々が自分の場所で守るから、守備体形が乱れない。相手は簡単に中まで侵入して来られない」
 
「その代わりマークの受け渡しが大変ですよね」
「そうそう。だからお互いの連携プレイがよくできてないといけない。ゾーンはかなりの練習をしないとできないんだよ。各々の守備位置も基本的に固定して、そのエリアの専門家になってもらう。だからレギュラーが固まらないと練習自体がしにくいんだよね。マンツーマンだと連携練習をしてなくても何とか運用できるんだけど」
 
「先生、4月に入ってくるメンバーで有力な子は?」
 
「2月に入学説明で学校に来た時に紹介するけど、フォワードタイプの子2人。どちらも身長175-6cm」
「お、凄っ!」
 
「それと背は160cmくらいしかないんだけど、ドリブルとかの凄くうまい子。当然PG候補として考えている」
「なるほど」
「というか、村山君・花和君の後輩の森田(雪子)君だよ」
「わっ!雪ちゃんか! あの子は物凄く巧いです」
「うん。器用な選手だと思った」
 
「取り敢えずレギュラーは現時点で、PGが私、SGが千里、PFが穂礼、SFが暢子、Cが留実子、というので考えていいと思います。各々の子と交代で出る子はその子のポジションを引き継ぐ」
と久井奈が言う。
 
「うん。それで考えよう」
 

それでビデオ上映となる。過去のインターハイやウィンターカップで上手にゾーンを運用しているチームの守備の様子が映し出される。
 
「声を出し合ってますね」
「そうそう」
「よく肩にタッチしてる」
「うんうん。自分の持ち場を離れてボール持ってる子に付く場合とかは引き継ぎをちゃんとしないといけない」
 
「誰かがボールマンに付いた場合は残りの4人で守るんですね?」
「そうそう」
「そうか。長身選手とか、優秀なシューターとかがいる場合は、1人最初からその子について、残りで守ればいいわけか」
 
「うん。それをダイヤモンド1というんだよ。マークすべき人が2人いる場合は残りの3人でゾーンを作る必要がある。トライアングル2という」
 
そこで実写ビデオをいったん停めて、アニメーションでゾーン・ディフェンスの基本的な動きを色々なケース別にまとめたものを上映する。5年ほど前の部員さんの力作らしい。
 
実写ではいまひとつよく分からなかったものが、このアニメでかなり理解できる。
 
「インターハイまで行ったら、かなりダイヤモンド1を使うことになりそうな気がする」
 
「外人選手を入れているチームが多いから、誰かがそれにマークで付いて動きを封じる必要があるね」
「卓越したシューターがいるチームも、そのシューターを封じる必要がある」
 
「でもそれ、誰がやるの?」
という声があがるが
 
「私がやるしかないよね」
と暢子が言う。
 
「うん。いちぱん応用力のある選手が付くのがいいと思う」
と宇田先生も言う。
 
「長身選手を付けてボールをブロックすることを考えるけど、それ以前に、考えること・うまく騙すことが大事。そのためには、いちばん巧いプレイヤーが付くのが良い。まあ外人選手は別としてシューターって、だいたいマーク外すのがうまい子が多いんだよ」
 
「それ千里見てたら分かります」
 
「暢子がマーカーとして抜ける場合は、ゴール下の守りの要は留実子だね」
 
「うん。ゴールキーパーみたいに踏ん張って、絶対にそのエリアを相手センターには渡さないようにする。ダイヤモンドの底が留実子、トップが私、左右に千里と穂礼」
と久井奈は言う。
 
「5人ではなく4人で守備しないといけないから、各自の負担は2割増しになる。特にローポストで守る選手は大変」
 
留実子も真剣な表情でビデオを見ている。
 
「トライアングル2になる場合は、暢子と千里がマーカーだよね?」
「まあ、それしか選択肢は無いと思う」
「だから千里は運動量を求められる。体力つけろ」
「はい。本気で頑張ります」
と千里は言った。
 

「だけど、こういうの、ビデオじゃなくて生でも見たい気がしますね」
「北海道の中では旭川L女子高や札幌P高校がゾーン展開できる。でも道大会まではあまりそういう手の内は見せないんだよ」
 
「もっと上位の大会を見に行かないといけないということか」
 
宇田先生は少し考えていたが、やがて携帯を広げてネットを見ているようである。
 
「君たち、ちょっと秋田まで行ってみる? 希望者だけでも」
「何があるんですか?」
「新人戦の東北大会決勝があるんだよ。2月の3-4日に。そこにスラムダンクのモデルになった秋田R工業が出場する。男子だけどね。あそこのゾーンディフェンスは美しいよ」
 
「私たちの新人戦道大会はいつでしたっけ?」
「その翌週、9-11日」
「直前練習はせずに、他の地区の決勝を見に行く訳か・・・」
 
「君たちの目標はインターハイでしょ?」
 
キャプテンの久井奈が言った。
「先生、経済的に厳しい子もいると思うのですが、さっき私が名前を挙げた5人とそのバックアップ要員になると思う何人かは連れて行きたいです。お金が出せない子の分は、他の子で少しずつ出し合って、一緒に行くようにできませんかね」
 
「この分の交通費と宿泊費は大会などと同様、部費から出すよ。いつもと同じように食事代相当だけ自己負担で」
と宇田先生は笑顔で言った。
 

秋田まで行くメンバーは PG.久井奈(2)/メグミ(1)、SG.千里(1)/透子(2)・フォワード陣が穂礼(2)・暢子(1)・留実子(1)/みどり(2)・寿絵(1)・睦子(1)・夏恋(1)の11人、そして宇田先生が呼び掛けて参加することになった推薦入学予定の中学3年生3人、フォワードのリリカ・揚羽、そしてガードの雪子、という総勢14人である。実際問題として春の大会のベンチ入りのメンバー(15人)とほぼ同じになるものと思われる。
 
これに宇田先生、女生徒たちのお世話係込みで南野コーチ、撮影係として白石コーチも行く。この週末、残留組と男子の練習は北田コーチが見てくれる。
 
なお、中学生3人は「学校見学」の一環という建前である。
 
久井奈がリストアップした中に睦子と夏恋は入っていなかったのだが、ふたりが自費ででも行きたいと志願したので結局そのふたりも部費で連れて行くことにした。彼女たちは実際問題として新一年生の強い子とベンチ入りを争うことになるであろう。留実子のバックアップ・センターである麻樹は留年の瀬戸際なので勉強してなさいということになり参加しない。
 
今回の行程は費用を安くあげようというので結構な強行軍である。深夜に貸切バスで旭川を出て、道央自動車道を440km走り(運転はバス会社のドライバー2人で交代)、朝6時半に函館に着く。ここで朝一番のスーパー白鳥に乗って青函トンネルを抜け青森から特急《かもしか》で秋田に入る。到着したのはお昼過ぎである。すぐにお目当ての秋田R工業の試合があるのでその会場に入る。
 
能代在住のOG宮越さんが撮影と情報収集のお手伝い役を申し出てくれていて彼女とは現地で合流する。
 

 
「・・・・・」
 
「ゾーンを使ってませんね」
「マンツーマンで守ってる」
 
「多分ゾーンは消耗が激しいから、それほど強くない相手にはマンツーマンで行くんだよ」
 
しかしマンツーマンでもR工業は強かった。千里たちは彼らのプレイを食い入るように見ていた。
 
「マンツーマンでも相手チームの外人選手に何もさせてない」
「うん。パスももらえないし、彼自身がボールを運んで来てもスティールされたり、パスを出してもカットされている。シュートは全く撃てない。中にも入れてもらえない」
 
「完全に封じられていますね」
 
「要するに、身体的に負けていても、運動量で上回っていれば、マッチアップで勝てるということかな」
と穂礼が言うと
 
「正解」
と宇田先生は言った。
 
「ゾーンの方が対抗しやすいというのは、複数のディフェンダーで分散して、相手に対抗できるからだよ。そもそもひとりで相手を封じることができるならマンツーマンでも勝てるんだ」
 
その言葉に、そのマッチアップ担当として志願している暢子が唇を噛み締めて、コート上で外人選手にマッチアップしているR工業の選手の動きを食い入るように見ていた。
 

「あのぉ、ウィンターカップ見ていた時から何かずっと感じていた違和感があったのですが」
と千里は言った。
 
「何だね?」
 
「外人選手って、ひょっとして下手(へた)な人が多くないですか?」
と千里は大胆なことを言った。
 
「そうなのよ、実は」
と南野コーチが宇田先生に代わって答えた。
 
「こんなこと余所では言わないでね。外人差別とか思われかねないから。日本って国際的に見て、バスケット強いと思う?」
と南野コーチは千里たちに問いかける。
 
「弱いです」
「弱小ですね」
「欧米には全く歯が立たないです」
 
「そういうバスケットの弱い国に、わざわざ外国からバスケットをするために留学生が来ると思う?」
 
「あ・・・」
 
「強い子は、みんなアメリカとかに留学するんだよ」
「そっかー」
「じゃ、日本に来ているのは?」
 
「言っちゃ何だけど、アメリカには行けないような子たちだよ」
「なるほどー」
 
「むしろ本人たちは純粋に日本で工業技術とかコンピュータとかを学びたいんだと思う。バスケットはそのついでに参加しているだけ」
 
「だったら、バスケットでは元々強いはずの私たちに、付け入る隙は充分ありますね」
と暢子が言った。
 

R工業は1回試合に快勝し、第2試合でもゾーンディフェンスは使わず、マンツーマンで相手チームを下して2連勝で翌日の決勝トーナメントに進出した。
 
同じ会場で女子の試合も行われるのでそちらも見た。同じ秋田代表N高校に注目する。
 
「うちと似た名前だね」
「なんかユニフォームも似てるね」
「インターハイでここと当たるとややこしいな」
 
「この学校も女子が圧倒的に強くて男子は弱いんだよね。女子はインターハイ・ウィンターカップの常連だけど、男子はいつも地区大会で1回戦負け」
「うちより極端だな」
 
N高校の対戦相手には長身の外人選手がいたが、こちらもN高校側のうまい子がひとり貼り付いて、仕事をさせないようにしていた。暢子がその子の動きをじっと見ていた。
 
「私が何をすればいいかが、今日1日だけでかなり分かった気がする」
と暢子は言った。
 
N高校も2連勝で順当に決勝トーナメントに進出した。
 

その日、とりあえず宿に入る。今日は旅館である。そこで部屋割であるが、女子生徒14人(部員11人・入学予定者3人)と女性の南野コーチで女性15人と、男性の宇田先生と白石コーチということで、まず男組は宇田先生と白石コーチで1室になる。残りの女性15人を5人部屋(本来は4人部屋っぽい)3つに振り分けることになる。
 
ここで久井奈が悩んだ。
 
「ねぇ。病院の先生の診断は診断として、千里はもう性転換手術終わっているんだっけ? ここだけの話」
と久井奈が訊く。
 
「私、手術はしてません」
と千里。
 
「でも千里は女湯に入れる身体」
と留実子。
 
「男湯に入れない身体であることは認める」
と千里。
 
「そのあたりがよく分からん所でさ。るみちゃんは多分男の子の下着だよね?」
「ええ。だいたいいつもそうです」
「おちんちん無いよね?」
「無いけど、今回の旅ではトイレは男子トイレに入って立ってしてます」
「ってか、るみちゃん、新人戦地区大会でも男子トイレ使ってたよね?」
 
「うむむむむ・・・」
 
結局久井奈は南野コーチとも相談して、千里・留実子・暢子・雪子・南野コーチをひとつの部屋に割り当てた。暢子は千里・留実子といちばん気心が知れているし、雪子は中学で千里・留実子とチームメイトだったから、お互いにあまり遠慮しなくてもいいだろう、という趣旨である。
 

「ここは、まさか私を強化する部屋ですか〜?」
と荷物を置きに入った時、その雪子が言う。
 
「だって、レギュラースターティングメンバー3人(暢子・千里・留実子)にコーチさんって」
 
「そうだね。多分雪ちゃんは、今年春の大会でのバックアップ・ポイントガード」
「チームの司令塔として成長してもらわないと」
「今夜は特別メニュー用意してるから」
「うっそー」
 
適当にバラバラと食堂に行って食事をする。節分だというので夕食に大豆の福豆が添えてあった。「よし後で豆まきしよう」と言って久井奈さんは福豆をバッグに入れていた。
 
夕食から戻って、お風呂に行く。南野コーチは宇田先生たちと打ち合わせがあるようだったので、千里・留実子・暢子・雪子の4人で大浴場に行った。
 
女湯と染め抜かれた暖簾をくぐる時に暢子が少し千里を気にするのはお約束である。留実子・雪子は中学の時に合宿で千里と一緒にお風呂に入ったことがあるので今更である。そして千里が服を脱ぐと
 
「やっぱり女の子の身体じゃん!」
と暢子が言うのもお約束の展開である。
 
「僕は今まで何度も千里と一緒にお風呂入ってるから」
と留実子が言う。
 
「そうだねー。私も女湯に入るのが普通になっちゃった。私、本当は男の子の身体なのに」
と千里が言うと
「どこが男の子だと言うんだ?」
と暢子は突っ込んだ。
 

「だけど、この丸刈り頭で女湯に入るのは初めて〜」
と千里は言う。
 
「去年の夏はインターハイに行けなかったから合宿も無かったからね」
と暢子が言う。
 
「それ少し伸ばしても誰も文句言わないだろうに、丸刈りをキープしてるよね」
と留実子。
 
「N高校に入る時の、教頭先生とうちの父ちゃんとの約束だから。教頭先生は伸ばしてもいいよと言ってくれてるけど、父ちゃんの手前、3年の1学期くらいまでは約束を守る」
「その後は伸ばす?」
 
「うん。卒業前はなしくずし的に」
と千里も言う。
 
「だけど丸刈りから普通の女の子のショートカット程度の長さになるまで、どのくらい掛かるかなあ」
 
「1年以上掛かると思うよ。髪の毛って1ヶ月に1〜2センチしか伸びないから。普通の女の子のショートカットの髪の長さって15pくらいかな? でも途中で毛先はカットしないといけないもん」
と留実子が言う。
 
「千里先輩、小学校卒業する頃は胸くらいの長さだったと言ってましたよね?中学卒業する頃は腰くらいの長さだったから、たぶん3年で30cmくらい伸びてますよ。だから10cm伸びるのに1年掛かると思います」
と雪子も言う。
 
「すると3年生の夏に伸ばし始めたら、大学1年の冬くらいに女の子に戻れる感じかな」
と暢子。
 
「3年生になったらというか、2年生のウィンターカップが終わったら伸ばし始めた方がいいよ。大学に入ったら、もう完全に女の子になるつもりなんでしょ?」
「うん。そうだなあ」
 

「るみちゃんは、高校卒業したら完全に男の子になっちゃうの?」
 
留実子は少し悩んでいる。
 
「もし彼氏と別れていたら、そうなっちゃう気がする。ずっと我慢してる男性ホルモンとかも飲んじゃうかも。でも彼氏と続いてたら、結婚して赤ちゃん2人くらい産むまでは、男半分・女半分でやっていくよ」
 
「産むまでというか最後の子供の授乳が終わるまではホルモンやれないよね?」
「うん。面倒くさいなあ」
 
「母親教室に男装で行ったら追い出されそう」
「痴漢と思われたりして」
 
「でも結婚して奥さんになってから男になっちゃったら、彼氏が戸惑わない?」
「彼はヴァギナとおっぱいは残してくれと言ってる。ちんちん付けてもいいけどHする時は取り外してくれって」
 
「そんな簡単に取り外せるんですか!?」
と雪子。
 
「私、よく取り外してるけど」
と千里が言うと
 
「それって要するにフェイクなのね?」
と暢子からツッコミが入る。
 
「でもそれじゃ、るみちゃんは性転換する訳にはいかないか」
 
「うん。まあ結婚している限り、実際にはちんちん付ける訳にはいかないだろうなとは思う。でも男装して暮らすのは構わないと言ってくれてるからそういう生活になるかもね」
 
「ご近所的にはホモ夫婦と思われちゃうのかな」
「彼は自分はどうせずっと仕事に出てるから近所の評判とかまでは気にしないとは言っているけどね。ただ、子供が友だちから何と言われるかというの考えると少し悩んじゃう」
 
「子供はたくましいよ。どうやってでも乗り越えていくと思うよ」
と暢子は言った。
 

千里たちがお風呂に入った時は、まだ他の子たちが来ていなかったが、やがてパラパラと入ってくる。
 
「おお、その千里の頭が目印だ」
などと言って、2年の透子さんと穂礼さんが入ってきた。
 
「お疲れ様ー」
「だけどこの頭でも、男子が女湯に侵入しているようには見えないのが千里の凄い所だなあ」
と穂礼さん。
 
「場慣れもしてるよね、この子」
と暢子。
 
「おっぱいは割と小さい方かな」
「Aカップのブラが少し余ります」
「でも服の上から見ると、もっとあるように感じるけど」
「すみません。しばしば上げ底してます」
「だから千里はDカップのブラも持ってる」
と留実子がばらす。
「えへへ」
「AからDへというのは凄いな」
 
他にも久井奈さんやメグミに夏恋・睦子なども入って来て、やはり千里の身体をチェックしに来る。
 
「今更だけど、やはりちんちん付いてないね」
「付いてたら女湯に入れませんよ」
「最後に男湯に入ったのっていつ?」
「小学3年生頃だったと思います」
「ふーん。つまりその頃、おちんちん取っちゃったんだ?」
「ああ、声変わりが来ないように、第二次性徴が出る前に取ったのでは?」
 
何かこういうことを言われるのもいつものことという感じである。
 
「これ、骨格的にも女の子だよね〜」
などと言って、透子さんが千里の身体をあちこち触る。
「肩もなで肩だし」
 
「11月の病院での検査ではお医者さんから骨盤の形も女性型だと言われました」
「ああ、じゃ、赤ちゃん産めるね」
 
「男子たちによると、千里って近づくと女の子の香りがするらしいよ」
と留実子が言う。
「ああ、だったら、ほんとに男子たちは一緒にはやりにくかったろうな」
と穂礼さん。
 
「女の身体なんだから最初から女子バスケ部に入れば良かったのに」
「ほんとほんと。千里なら、誰にも咎められなかったと思うよ」
「ってか男子の試合に出るたびに咎められてた」
「でも1年間男子に混じって鍛えられたことでレベルアップした分もあるかもね」
「やはり男子はスピードもパワーも違うもん」
「あ、私自身、中学女子と高校男子では自転車と大型バイクくらい違う感覚でした」
「そうだろうね」
「高校女子はまだ小型バイクだろうな」
「その大型バイクの中で揉まれてきた経験は大きいと思う」
 

お風呂から上がり、部屋に戻ると南野コーチが先に戻っていた。
 
「南野コーチ、お風呂は行かれました?」
「まだ行ってないけど、夜中に行こうかと思ってる」
「じゃ、雪子を鍛える特別メニューやりましょう」
と千里は言った。
 
「何やるの?」
「5人で五芒星型にパス練習です」
「つまり2人先の人にパスするのね?」
「5人だとそれで回るんですよね」
「でもそれで特別メニューになるの?」
「カーテン閉めて、灯りを消してやりましょう」
「おっ」
 
「ボールが見えないじゃないですか?」
と雪子が言うが
「相手にパスするということを見破られないように、ボールを見なくてもパスする練習」
と千里は言った。
 

市の郊外にある旅館なのでカーテンを閉めて灯りを消すとほんとに真っ暗になった。それでボールをパスするのだが、見えないので最初はまともな方向に飛んで行かないし、またなかなかキャッチできなかったが、少しずつ勘が働くようになってきて、パス成功率が高くなる。
 
すると南野コーチの提案で、ランダムにパスを出そうということになる。
 
これだと今誰がボールを持っているかを常に把握しておく必要があるし、そこからボールが飛んできたら即応する必要がある。いつも気を抜けない。これはかなり鍛えられるなという声が出た。
 
「これ他の部屋の子にもやらせよう」
と言って、南野コーチはいったん席を外して、他の2つの部屋にもこういう練習をしようというのを伝えに行った。
 

結局23時くらいまで暗闇の中のパス練習をしてから寝た。そもそも昨夜旭川を午前1時に出て秋田までやってきているので、みんな疲れていて熟睡している。
 
しかし千里は夜中に揺り起こされる。
 
「千里、千里、ちょっと起きて」
「何ですか?」
と言って半分寝ぼけた状態で目を開けると、出羽山の美鳳が居た。
 
「こんばんは」
「こんばんは。ちょっと来てくれる?」
「朝までには戻れます?」
「千里次第」
と美鳳は言った。
 
「生きて戻れるかどうかも千里次第ね」
「それ怖いです」
「男の子のまま戻れるかどうかも千里次第」
「女の子にしてくださったら嬉しいですけど」
「それは許可が降りないんだよねー」
 
浴衣を体操服に着替えてウィンドブレーカーを着て、美鳳の後に続く。何か結構歩いた気がした。大きな神殿が目の前にある。
 
「ここ知ってる?」
「写真で見たことあります。出羽山の三神合祭殿ですか?」
「そそ」
「でも私秋田に居たのに」
「歩いて来たからね。150kmほど」
「ほんとに私、歩いたんですか?」
「そのくらい疲れているはず。時間も24時間くらい掛かってる」
「えー!? だったら私、叱られる」
「大丈夫だよ。ここは通常の時間の流れとは少し違うからね。最後は元の時間の流れに戻してあげるから」
「助かります」
「まあ生きてたらだけどね」
「いやだなあ」
 

三神合祭殿でお参りした後、笛を吹いてと言われたので龍笛を取り出して吹く。美鳳は静かに千里の笛を聴いていた。
 
「美しいなあ。千里はその笛を吹いているだけで修行しているんだよ」
「これが修行になるんですか?」
「虚無僧が尺八を吹くことで、座禅と同じことをしているのと同様に、千里は笛を吹くことで、修験者が山駆けするのと同じような心の修行をしているんだ」
 
「でも笛吹くの、私とっても楽しいです。山駆けなんて凄く辛そうなのに」
「辛かったらやってないさ。心の充足が得られるからやるんだよ。マラソン選手は42.195kmをいやいや走ってると思う?」
「いえ。楽しいから走るんだと思います」
「うん。でも普通の人に42km走れって言ったら、ほとんど拷問だよね」
「確かに」
 
「千里も体力付けたら40分間走り回っていられるようになるさ」
「・・・・」
 

美鳳に連れられて裏手の山の中に雪を踏みながら(というよりめりこみながら)付いていくと小さな洞窟がある。その奥に泉が湧き、池が出来ていた。
 
「水垢離するよ」
「2月に山の中で水垢離するはめになるとは」
「滝行したいけど、あいにくこの付近の滝は全部凍ってるんだよねー」
 
裸になって、美鳳と一緒に池の中に入る。
 
「そんなに冷たくない」
「地下水だからね」
「なるほどー」
 
「でもおちんちん上手に隠してるね」
「女湯でこれ見て、本当に付いてないと思い込んでる子も居るみたい」
「まあ普通そう思う。付いてると思ったら通報されてる」
「ほんとに無くなっちゃえばいいのにと思う」
 
「去年2度、無くなっている状態を経験したでしょ? 大陰の力で」
「はい、凄く良かったです」
「あれは21歳で性転換した後の身体の先取りってのは聞いてるよね?」
「はい」
 
「代わりに、性転換した後で2回、男の身体に戻るから」
「いやだーー!!」
 

美鳳が祝詞を唱え、同じように唱えなさいと言われたので音の記憶を辿りながら唱える。これを10分くらい池の中でやっていた。
 
「さて、月山行って、湯殿山に行ったらあがりだよ」
「どのくらい掛かるんですか?」
「月山まで3−4日、湯殿山までその後1−2日かな。雪の中だからね」
「ははは」
 
水からあがり、服を着た後、美鳳に続いて雪の中に入っていく。ずっと歩いていたら、美鳳がふと立ち止まった。
 
「この先、右に行くか左に行くか分かる?」
と美鳳が訊く。
 
「え?そこの大岩の横を右手でしょ?」
「やはり千里は凄いよ。普通は小さい頃からたくさん修行している人だけが、そういう感覚を発達させる。でもあんたは最初から凄いんだよねー」
 
「そんなに凄いのかなぁ」
「しかもその能力って、必要な時に起動するだけで、あまり自分の意志で働くものではない感じね」
 
「私、自分に霊的な力があるとはあまり思ったことないです。霊感は人より強いかなと思うことあるけど」
 
「だから少しお節介な眷属を付けてあげたのさ。でも千里の隠された能力に気付くのは、私程度以上のレベルのものだけだろうね。少々優秀な霊能者であっても人間レベルの存在は、千里を見ても、普通の霊感人間くらいにしか思わないでしょ。眷属がいることにも気付かない。だから無謀な戦いを挑んで手痛い目に遭う奴もいる。例の虎はどうしてる?」
 
「だいぶ大きくなりましたよ。前よりは小さい気がしますが。といっても私はああいうの見えないから、気配で感じるだけですけどね」
「千里って必要なものしか見えてないもんなあ」
 
「美鳳さんって神様なんですか?」
「そうだねぇ。日本には八百萬(やおよろず)の神様がいるらしいから、その800万柱の中の799万番目くらいには入っているかな」
「へー」
 

とてもとても長い時間を掛けて月山山頂の神社まで行き、更に険しい道を歩いてやがて湯殿山まで降りていく。崖みたいな所を降りていたら、誰か人が落下していくのを見る。千里はびっくりして美鳳に訊いた。
 
「誰か落ちていきましたけど」
「あれは男の子の千里だよ」
「えーー!? あれ落ちていったら死にません?」
「死んだと思うよ。というかむしろこの山に吸収されてしまったんだけどね」
 
「じゃ、私死んじゃったんですか?」
「男の子の千里はね。だから今残っているのは女の子の千里だけ」
「私、女の子になったの?」
「千里は生まれた時から、女の子だったよ。でも男の子かもという疑問もいつも持っていた。その疑問や不安が育ったのが今落ちていった《男の子の千里》。だからもう疑問は持たずに、女の子としての自分を育てていくといい」
「はい」
 
「でもね」
「はい」
「声変わりは来るから覚悟しておいた方がいい」
「やはり来るのか・・・」
「千里はいづれ父親になるよ。女の子とセックスして」
「やだぁ」
「でも母親にもなるよ。男の人とセックスして」
「・・・・」
 
やがて雪の少ない谷間に到達する。ここが湯殿山奥の院だと説明された。ここまで来るのに、いったい何時間、いや何日かかったのか、千里にはもう時間感覚が分からなくなっていた。
 
「ここ来たことある?」
「いいえ」
「ここはね。昔から、語るなかれ・聞くなかれ、というんだよ。だから今から見ることは誰にも言ってはいけない。最近、しゃべらなきゃいいんだろってんでブログとかに書く人もよくいるけど、それもしゃべったことになるからね」
「あ、はい」
 
それでお祓いをしてから裸足になり、湯殿山の御神体に登った。
 
「心地良いです」
「ここまでの疲れが取れていくかのようだよね」
「ええ」
 
美鳳もさすがに疲れたのだろうか。しばし御神体の快感をむさぼっているかのようであった。御神体から降りた後、そばにある温泉にも入って、この行程の疲れを癒やした。
 

「おーい、千里。そろそろ起きろ。朝御飯に行くよ」
と言って、暢子に起こされた。
 
暢子や留実子たちと泊まった旅館の部屋であった。
 
「今何日だっけ?」
「は?2月4日だけど。昨日が節分。今日は立春」
「そうか。新しい年のスタートか」
「うん。今年は頑張ろう」
 
朝食の後、何もしないと調子悪いねー、などといって近くの公園でパスやドリブルの練習をした。北国育ちだけあって、雪の上でドリブルするのは、割と得意な子が多い。
 
「千里。何か突然グレードアップしたけど、どうした?」
「ボールのスピードが全然違う」
「ドリブルの精度も上がってる」
 
「うーん。夢の中でちょっと特訓やったからかなあ」
「睡眠学習?」
「どんな夢見たの?」
「暖かくてでっかいあんまんの上に寝そべっている夢」
「それでどうやって修行したのよ?」
 
「でも私女の子になっちゃった」
「・・・・」
 
「生理来たの? ナプキン持ってないなら貸そうか?」
と穂礼さんが言う。
 
「あ、ナプキンは持ってます」
 
「うーん・・・」
と言って久井奈さんは少し悩むようなポーズをした。
 

 
軽い練習の後、体育館に入る。先に女子の準決勝が行われたが、Aコートで行われたのは秋田N高校と宮城N高校の試合だった。
 
「なんか似た名前の高校どうしだ」
「うちとも似てるね、両方とも」
 
どちらも校名のロゴは似ているのだが、片方が青いユニフォーム、片方は白いユニフォームを使っているのでコート上では区別が付く。しかし何だか紛らわしいなと思って見ていた。
 
宮城N高校はかなり3ポイントのうまいシューターと、日本人かアジア系かは良く分からないが、かなり長身のセンターが入っている。190cmを越えている。すると秋田N高校は《トライアングル2》のゾーンディフェンスの守備体制を取った。千里たち旭川N高校のメンツの間にざわめきが起きる。
 
「よく見ておくように」
と宇田先生が言うが、言われるまでもなく全員、秋田N高校側の動きに注目する。
 
「連携プレイ、マークの受け渡しやタッチするタイミングとかを良く見て」
と南野コーチも言う。
 
「いちばん巧い選手はシューターの方にマーク入ってますね」
「当然。今見ている限りではあの長身選手、そんなに上手くない。それよりあのシューターの方がよほど怖い」
「千里をフリーにしたらどうなるか考えたら分かること」
 
「ということは、インターハイでシューターと外人選手が居るチームに当たったら私が外人選手のマーカーになるってことですね」
と千里は言った。
 
「そういうこと。だからしっかり見ておきなさい」
 
千里はむしろ相手の長身の選手の動きを軸に見ていた。すると結構その選手の動きが読める。そして予測した動きから自分ならどう守るというのを考えてみると、かなりの確率でコート上の秋田N高校の選手も同じような動きをして、実際に相手のプレイを封じていた。
 
「どう?」
と暢子から訊かれる。
 
「ここで見ている限りは動きは読める。でもコート上でも同じように読めるかは分からない。更にその動きを考えられても実際に自分の身体が動くかどうかはまた未知数」
と千里。
 
「私も思った。瞬間、瞬間にちゃんと考えて、それで思った通りの動きができるようにするには、それなりの練習が必要だよ、これ」
と暢子。
 

結局、秋田N高校はこのマーカー2人を出したゾーンの守備で相手の攻撃をかなり防ぎ、結果的には120対54というダブルスコアで快勝した。
 
「宮城N高校は昨日の予選リーグでは2試合とも100点以上取って勝ってるのに」
と記録を見ていた白石コーチが言った。
 
「点取り屋が2人封じられたら、得点はどうにもならないでしょうね」
 
その後、男子の準決勝が行われた。Aコートの方はどちらも外人さんの入ったチームだったが、お互いにマンツーマンで守っていた。これに対してBコートの方で行われた秋田R工業と福島W商業の試合では、W商業に日本人だが長身のシューターが居た。
 
「これは来るかな?」
と言っていたら、R工業はすぐにゾーンディフェンスを敷いた。シューターに1人付くが、ゾーンの形は、千里たちN高校が想定している菱形になる「ダイヤモンド1」
ではなく、台形になる「ボックス1」という形だ。R工業側の長身の選手2人がローポストの左右を守っている。
 
「よく肩にタッチしてますね」
「そうそう。声も出してるけど、試合中はその声が聞こえなくなることもあるから、タッチで意志伝達するのは大事」
 
「相手の動きに対して、全員が同時に必要な動きをしている」
「うん。だからゾーンは運動量が多くなるんだよ」
 
「マンツーマンに切り替わる時もありますね」
「そうそう。相手選手が飛び込んで来てしまったら、そこからマンツーマンに切り替えてるね」
「切り替える時に、誰が誰をマークするのかというので混乱が全然無い」
「たくさん色々なケースで練習しているからだよ」
 
「でも体格差のある相手にゾーンというのの意味が分かった気がします。マンツーマンは1人で1人に対抗するけど、ゾーンって1人に5人で対抗するんだ」
 
「うんうん。だから有効。だけど、だから難しい」
 

女子の準決勝で見たゾーンでは相手のシューターも外人選手も完璧に封じられていたが、こちらのシューターはうまい。相手のマークを巧みに外してはシュートを撃つ。前に進むとみせかけて後ろに下がって相手との距離ができた瞬間に撃つなんてのもうまい。ペネトレイトもうまいから相手は入ってくるか遠くから撃つかを判断できずにディフェンスが中途半端になりやすい。結局第1ピリオドだけでも3ポイントを2本、近くからのシュートも1本入れた。
 
「千里はむしろあのシューターさんを見てるでしょ?」
と暢子が言う。
 
「うん。マークされた状態でどうやってお仕事するのか手本にさせてもらっている」
と千里。
 
「そして私はそういう相手をいかに封じるかなんだな」
と暢子。
 

試合はかなり拮抗した形で進んでいったが、最終的には88対72で秋田R工業が勝った。しかし厳しい試合だと千里は思った。
 
「マンツーマンでやってたら負けてたかも」
「マーカーから外れても、ゾーンの防御があったからね」
「でもマーカー無しの純粋なゾーンでは対抗できないですよね」
「うん。それだと遠くから撃てばいいから、優秀なシューターには無力」
 
「つまり1人マーカー出して残りの4人でゾーンという守備以外に選択の余地は無いのか・・・」
 
「そのゾーンが運用できるためにはたくさんの練習が必要なんだよ。多分練習時間の3割くらいはゾーンの練習に使っていると思う」
 
「それだけ練習しても、よほど強い相手以外には使わないんですね」
「消耗が激しいからね」
 
「まさに伝家の宝刀か」
「でも多分インターハイ、ウィンターカップでは普通に使うことになる」
 

女子の決勝まで少し時間があるようなので、千里はロビーに出た。自販機で暖かいお茶でも買おうかと自販機の前に出来ている列に並んでいたら、そこに思わぬ顔がある。
 
「あら」
「あ、こんにちは、雨宮先生」
「こんにちは。えっとね。『こんにちは』でもいいけど『おはようございます』
と言おう」
 
と雨宮三森さんは言う。
 
「『おはよう』なんですか? だってもうお昼近くですよ」
「芸能界では、時間に関係無くその日最初にその人に会ったら『おはようございます』と言うんだよ」
「へー! そういえばそんな話を聞いたことありました。なんでですか?」
 
「江戸時代の歌舞伎の習慣なんだよね。そもそも『おはようございます』という挨拶自体、歌舞伎の世界の言葉が世間に広まったものと言われている。元々は一座の座長が劇場に入った時に、他の役者さんが『お早いお着きでございますね』
と言ってたのが省略されて『お早うございます』となったらしい。座長が入るのは前座とかの終わった後、もう夕方だから、その頃は『お早うございます』は夕方に交わされる挨拶だったのさ」
 
「じゃ、芸能界の『おはようございます』の方が元々の使われ方で、世間一般の朝に交わす挨拶はその変化形なんですか!?」
 
「それが忘れられて世間じゃ、芸能界だけ変な挨拶の使い方してるって思ってるよね」
 
「うーん・・・」
「常識って、わりと間違ってたりするからたまには疑ってみた方がいいよ」
「はぁ・・・・」
 
「世間じゃ男がスカート穿くのって変だと思ってるけど、そんなことないよねー。男だってスカート穿いていいと思わない?」
 
「穿いていいと思いますけど、それはやはり男がスカート穿くのは変だという感覚が普通だと思います」
「あんた結構頭堅いね」
「すみませーん」
 
「頭やわらかくするのに、宿題。この歌詞に曲を付けなさい」
「なんでそうなるんですか!?」
 
渡された紙を見ると『男と女のあいだには』というタイトルが付いている。歌詞は8行×2回、6行、8行×2、6行、6行という形式だ。8行の部分が16小節で多分AABAのリード形式、6行の所はサビであろう。
 
「五線紙めぐんでやるから、これに書いて」
 
「ありがとうございます。いつまでに?」
「あんた、今日はこの大会に出るの?」
「いいえ。見学です。そもそもここは東北大会だし」
「東北大会って北海道は関係無いんだっけ?」
「関係無いです。北海道大会の上は全国大会です」
 
「ふーん。なんかジャージ着てるからさ」
「体操服かユニフォームを着ておかないと、何か事故とかあった時の保険の問題があるんです。先生はこの大会、どなたかお知り合いでも出るんですか?」
 
「お尻ね・・・。あんたのお尻、一度もらってみたいなあ」
「ちょっと! なんでそういう話になるんですか!?」
 
「で、いつ帰るのさ?」
「男子の決勝を見終わったら帰ります」
「だったら、それまでに曲を付けて」
「分かりました」
 
「名前はこないだLucky Blossomに提供した『ろくごうのひこう』だっけ?あれに使ってた『だいご』ってペンネームでいいのかな?」
 
「済みません。『六合(りくごう)の飛行』でペンネームは『大裳(たいも)』
です」
 
「《ろく》じゃなくて《りく》だったのか。でも《たいも》なんて誰も読めないよ。《だいご》にしちゃいなさい」
「無茶な!」
 
「でも私が言ってるんだから、その名前にしなさいよ」
「分かりました。じゃ漢字は醍醐天皇の醍醐で」
「ああ、それでもいいよ」
 
それで千里はこの曲を《醍醐》という名前で作曲することになった。
 

雨宮先生と別れて客席の方へ戻ろうとしていたら、階段の所でまだ13-14歳くらいに見える長身の黒人の女の子とぶつかりそうになる。
 
「あ、ごめん」
と千里が言ったのに対して向こうは一瞬
 
「パルドン」
と言ってから
「ごめん」
と言い直した。
 
ああ、フランス語を話すのかと思いながらお互い笑顔で会釈する。それで階段をあがろうとした時、手帳が落ちているのに気付く。彼女のかな?
 
「ね、君、手帳落とさなかった?」
と声を掛けたが気付かない雰囲気。
 
「トンベ・ル・リーブル?」
と言ってみた。
 
すると彼女は振り返り
「ありがとう!」
と言って寄って来て手帳を拾った。
 
「ジュヴザンプリ」
と千里は笑顔で答えた。
 

チームの所に戻ると
「千里、お昼、お昼」
と言ってお弁当をもらう。開けて食べながら
 
「今、階段とこでフランス語話す外人の女の子とぶつかりそうになった」
「フランス語?」
「ああ、セネガルの子でしょ?どこかのチームの留学生だよ。あそこはフランス語圏だから」
「へー。あのあたりフランス語なんですか?」
 
「それぞれの民族の言葉はあるんだろうけど、部族同士で話が通じないからフランス語を公用語にしてるんだよね」
「なるほど」
 
「でもなんでフランス語を話すって分かったの?」
「あ、フランス語で会話したから」
「千里、フランス語ができるんだ?」
「簡単な会話くらいだよ。小さい頃近所にフランス人の女の子がいたから、それで少し覚えた」
 
「何かアメリカ人の友だちも居たって言ってなかった?」
「うん。田舎にはいろんな国の人が住んでるんだよ」
「ほほぉ」
 

「でもセネガルの留学生多いですよね」
「というか高校バスケにいる外国人留学生ってほとんどセネガル」
「なんで?」
「まあそういうルートが確立してるんだろうな」
「大相撲に一時期ハワイの力士が大量に居て、今はモンゴル力士ばかりってのも、そういうルートが確立してるからでしょうね」
 
「でもあちらは戸籍とか無いから、年齢がアバウトだったりするね」
「本当に高校生なのか怪しいケースもある」
「あるある。中継見てると時々こいつ20歳すぎてないか?と思う選手がいたりする」
「パスポートとかどうなってるんですか?」
「パスポートの生年月日なんて信用に値しないと思うよ」
 
「さっきぶつかりそうになった子は中学1−2年生くらいに見えた」
「たぶん高校生として在籍してるんだと思うよ」
「ふーん・・・」
 
「パスポートの性別だって怪しかったりするよね、国によっては」
「ああ。あるみたいね。けっこう見た目と自己申告で登録が通る」
「千里がそういう国に生まれてたら、多分手術とかしなくても女のパスポートが発行されてる」
「ああ、たぶんそうなりそう」
「というか千里のパスポートは女で発行されてないと多分入出国でトラブる」
 

やがて女子の決勝が行われるが、いったん整列したところで何か揉めてる。
 
「どうしたんでしょうね」
「どうも相手選手の登録証を要求してるっぽい」
「何だろう? 転校間もない生徒でもいたのかな?」
 
高校のバスケットでは転校してから半年以内の生徒は出場できない。これは有力選手の無節操な引き抜きを防止するための規定である。
 
そのうち、いったん選手が下がってしまった。役員が集まって緊急に何か話し合っているようである。やがてアナウンスがあった。
 
「決勝に進出していたG高校の選手の中に、登録証を所持していない選手が居たことが判明しました。G高校は決勝戦を辞退することになり、準決勝でG高校に敗れていたD高校が繰り上がりで決勝に進出。N高校と対戦することになります」
 
観客がざわめいた。G高校の選手たちが引き上げていくが泣いている子が数人いる。客席で決勝戦を見ようとしていたD高校の選手たちがあわてて下に降りていく。少し時間をもらって準備運動などをしている。やがて整列したが、そのD高校の選手の中に、さっき千里とぶつかりそうになったセネガルの子がいたことに気付いた。
 
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【女の子たちの外人対策】(1)